06/12/12 社会保障審議会後期高齢者医療の在り方に関する特別部会          第5回議事録  (1)日時  平成18年12月12日(火) (2)場所  厚生労働省 専用第18会議室 (3)出席者 糠谷部会長 鴨下部会長代理 遠藤久夫委員 川越厚委員 高久史麿委員      辻本好子委員 野中博委員 堀田力委員 村松静子委員      <事務局>      水田保険局長 宮島審議官 原医療課長 鈴木老人保険課長  上家医政局参事官、唐澤保険局総務課長 石原調査課長  二川医政局総務課長 神田高齢者医療制度施行準備室長  谷内総務課企画官 他      <有識者>      田村里子、町野朔 (4)議題  ○終末期医療について      (有識者からヒアリング)      ○その他 ○糠谷部会長  時間が参りましたので、高齢者医療の在り方に関する特別部会を開催いたします。委員は 本日は全員御出席の予定でございます。有識者からのヒアリングでございますけれども、本 日は町野朔上智大学法学研究科教授、田村里子東札幌病院診療部MSW課課長に御出席をい ただいています。また本部会の川越委員からも、これに対して御説明をいただくこととして おります。また保険局長は、公務のために欠席との連絡を受けております。  それでは議事に移りたいと存じます。本日は終末期医療について、有識者からヒアリング を行いたいと思います。まずは事務局より説明をお願いいたします。 ○事務局(上家)  医政局参事官の上家でございます。事務局からは終末期医療についての調査等の状況を御 報告させていただきます。まず終末期医療について、これまでどのようなことをやってきた かというところをお示ししておりますが、昭和62年から末期医療に関するケアのあり方検討 会。これでは文献調査等を行ったわけでありますが、この時代から着手しております。  平成5年からは末期医療に関する国民の意識調査等検討会というものを開催いたしまし て、5年ごとに調査をいたしております。平成5年、平成10年、そして平成15年の調査が直 近でございまして、これについては平成16年7月に報告書を取りまとめたところでございま す。その報告書の内容を少し御紹介したいと思います。  まず終末期医療に関する調査等検討会報告書という形でまとめておりますが、調査を踏ま えまして、全体をまとめております。終末期医療に対する関心でございますが、調査のフレ ーム、ちょっと前後いたしますけれども、一般国民、医師、看護職員、介護施設職員。この 4つの対象者の方々に調査をした結果でございますけれども、対象によらず、年齢によらず、 関心が高いということは明らかでございます。  それでは終末期医療のあり方についてどうかという問いに対しては、自分が痛みを伴う末 期状態の患者になった場合には、単なる延命医療はやめてほしいという意見が多数でありま すけれども、積極的な方法で生命を短縮させる行為は許容できない。これがほぼ一致した考 え方かというふうに見ることができます。  次にリビング・ウィル、いわゆる書面による生前の意思表示でございますけれども、これ については過半数の方が賛成するとお答えたなわけですけれども、書面による本人の意思表 示という方法を法律で有効であると規定するということについては、それに賛成する国民は 半数を下回っているという状況でございます。  何らかの形で自己の終末期医療について意思を表明するという場合には、その意思は尊重 されるべきでありますけれども、これを法律で規定するというのとはちょっと違うというこ とでございます。  それでは医療現場としてはどういうことを悩んでいるか。延命のための医療行為を開始し ない、医療の不開始。それから行っている延命のための医療行為を中止する、医療の中止。 これについてどういう手順を踏んで決定するのが妥当なのか、どういう行為であれば合法な のか、判断の基準が明らかでないということは、現場の抱える悩みでございます。  終末期における望ましい医療の内容、これについて、関係各機関が協力して、ガイドライ ンを作成して、一般に普及を図っていくことを考える必要があるということでございます。  終末期医療体制の充実。これにつきましても、在宅的終末期医療が行える体制づくり、緩 和ケア病棟の設置と拡充。患者家族への相談体制の充実、医師、看護師等医療従事者や介護 施設職員に対する卒前、卒後教育、生涯研修の充実、こういうものが重要、必要というふう にされております。  一方研究につきましても、厚生労働科学特別研究事業で、終末期における望ましい医療の 内容に関するガイドラインの策定に関する研究等を行ってきておりますが、現在は終末期に おける治療に関して、患者の同意等を確認するための手続きのあり方を整理していただいて いるところでございます。  いわゆる安楽死につきましては、ここにお示ししておりますように、大きく取り上げられ ました東海大学附属病院事件以降、ことしに入りましても、富山県射水市民病院事件等、お よそ1〜2年に1回ずつぐらいは大きな事案が報道されているところでございます。  こういう中で我が国における尊厳死等の考え方の現状がどういうような状況にあるかを 少しまとめたものがこちらでございます。過去の判決を振り返ってみますと、この東海大学 附属病院事件で、安楽死4要件というのが示されております。まずその安楽死の中にも積極 的安楽死、この適法要件の概略として、耐え難い肉体的苦痛の存在、死期の切迫、推定的な ものでは足りない患者の明示の意思表示の存在、肉体的苦痛の除去、緩和のためのほかの代 替手段がない。こういう4要件が示されたわけでございます。  一方、間接的安楽死、死期を早める可能性がある薬剤を投与すること。これにつきまして も、同様にここに3つの要件が掲げられております。  それに対しまして治療行為の中止。いわゆる尊厳死、これにつきましては、回復の見込み がない末期状態であって、患者の推定的意思の存在ということが示されたということでござ います。  こういうような状況の中で、日本医師会の方でも、医師の職業倫理指針というものをまと めております。ここでいわゆる安楽死、こちらでいいますと、東海大学のところのフレーム でいいますと、積極的安楽死ということになりますが、現在の緩和医療の発達、これを考慮 しますと、あえて安楽死を行う必要はなさそうであり、現状では医師は積極的安楽死に加担 するべきではないというのが、医師会の倫理指針でございます。  一方いわゆる尊厳死については、治療行為の中止について、主治医1人で判断せず、他の 医師、患者の家族などと相談し、慎重に判断すべきものというふうに位置づけております。  厚生労働省における終末期医療に関する指針案の策定状況を最後にお示しします。富山県 射水市民病院における人工呼吸器取り外し事件。これを契機にしまして、尊厳死のルール化 の議論が活発になりました。これを受けまして、前の厚労大臣、川崎大臣から今年度を目途 に結論を出すように作業を進めるという御発言がございまして、この作業が進んでおります。 そして9月15日に終末期医療に関するガイドラインのたたき台を公表したところでござい ます。これにつきましては、以降現在も来年の3月まで、パブリックコメントを求めており まして、広く関係者、国民の間で御意見をいただき、このたたき台について有識者からなる 検討会を立ち上げて、議論をしていただく予定としております。  このたたき台の御意見につきましては、先ほども申し上げましたように3月末日まで募集 しておりまして、現在既に60ぐらいの御意見をいただいているところでございます。こうい うものも踏まえながら、来年早々には終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン検討 会というようなものを立ち上げていきたいというのが現状でございます。  事務局からは以上でございます。 ○糠谷部会長  ありがとうございました。それでは続きまして、終末期医療に関する有識者からのヒアリ ングといたしまして、町野先生から御説明をお願いいたします。事務局からの説明に対する 質疑については、町野先生の御説明の後で行うこととします。それでは町野先生、よろしく お願いいたします。 ○町野朔氏  御紹介をいただきました町野でございます。きょう私が報告させていただきますのは、3 つぐらいの問題群に分かれております。お手元にあります、既にお配りしてありますパワー ポイントのとちょっと違っておりますので、スクリーンの方を見ていただきたいと思います。  私が本日こちらにお呼びいただきましたのは、先ほど御紹介がありました、「終末期医療 検討調査会」におきまして、報告書を取りまとめたときの座長であるということによるのだ ろうと思います。  私は刑事法の専攻でありますが、問題を刑事法の観点から話させていただきたいと思いま す。私は刑法しかできないことも、1つの理由ですが、生命の短縮を伴う終末期医療の枠が、 法律上問題になるからです。それ以外の医療は、基本的に医療関係者、お医者さんを中心と した医療関係者が大きな裁量権を持っています。その裁量が制約されるというのは、患者の インフォームド・コンセントの規則に反する場合でございます。それ以上のことは、法律の 方は立ち入らないというのが基本的な原則です。  そしてその基本は、終末期医療においても変更はないということです。終末期医療におけ る緩和医療、その適切性などについては、医療プロフェッションの方の自治に任せておいて、 法律は立ち入らないという基本原則です。  しかしながら生命の短縮を招く医療的措置については、そのようにすることはできない。 そこには法律が立ち入らなければならない。先ほどの「検討会」でも議論しておりますと、 お医者さんは患者のために医療を中止した、例えば抜管行為を行った。それは患者の意思に も合致してるし、家族も納得してくれた。どうしてそれなのに警察が出てくるのか。だれも 文句は言っていないじゃないか、というお医者さん方のご批判というのは、かなりあるわけ です。しかし、こと生命に関しては、みなが納得しているのならそれで済むという問題では、 ないということが問題なのです。  それゆえに刑法の方からの議論は、生命の短縮を招く、医療的措置の中止、そちらの方が 中心になるということです。それ以外のところは医療の裁量性の問題で、まさに医療の中で 議論をしていただくべき問題だろうというふうに思います。  刑法199条・202条の条文はこのようになっております。しかしながら、法律の議論 は完全に混迷状態にあります。といいますことが問題なのです。議論が帰一していないとい うことになっているわけです。  終末期医療に関しまして、この2つの刑事判例があるだけでございます。いずれも横浜地 方裁判所の判決です。最初のものは東海大学病院事件です。これは傍論なのですが、患者の 家族の側の要求を受けて、点滴、フォーリーカテーテル、エアウェイを順次撤去した行為、 について判断したものです。そしてその後で川崎協同病院事件というのがあります。これは 抜管行為です。  終末期医療の中止に関する裁判例としては、これだけでございますが、例え終末期医療に 関係ガイドラインを策定するということになりますと、このような裁判所の判例を考慮しな ければいけないということになります。この判決の趣旨に反することをわざわざやる。とも っと許されるということは、問題です。  日本での安楽死判例で判例集に搭載されたり、あるいは判例として見ることができるとい うものは、スライドにあるものです。そのうちの7番と9番の2つが横浜地方裁判所のもの です。8番のところに横浜地方裁判所の判決がありますが、これはALS患者の母親が、人 工呼吸器のスイッチを切ったという事件です。これは判例集に未搭載でございますが、本来 の意味での安楽死という問題とはちょっと違う問題でございます。  東海大学病院事件に関する横浜地方裁判所の判決は、「間接的安楽死」と「治療行為の中 止」それぞれについて判断を下しております。間接的安楽死というのは前から学説で言われ てきた言葉をそのまま採用したわけです。ホリゾンは呼吸抑制の副作用がある薬を注射しま いした。これは患者の苦痛を和らげるけれども、そのかわり死期を早める可能性がある。こ れが許されるかという議論であった。それが間接的安楽死でございます。直接には死を目的 としていないけれども、件随的に死期を早める行いが許されるかという問題でございます。  治療行為の中止については先ほどのような議論をしています。これを「尊厳死」ではなく て、「治療行為の中止」と言いかえたところにいまひとつの意味があるわけです。これは後 に出てまいります、日本学術会議の報告書からかなり示唆を受けたものです。間接的安楽死 行為、あるいは治療行為の中止の問題とされるものも、実際には起訴されていなかったとい うことに注意すべきです。起訴されていないにもかかわらず、横浜地方裁判所はその適法性 について、判断を下し、具体的なこれらの行為について、違法と断じたわけです。違法と断 じたということは、殺人未遂が成立しているから起訴すべきだったということを意味すると いう具合に、受け取られるわけです。そしてその後で、先ほどの抜管行為も含めた起訴が行 われたのが、川崎協同病院事件でございます。  刑法の基本的観点の1つは経済的観点からの治療の差し控え、中止を肯定すべきではない ということです。恐らく結論に、多くの人は一致していると思います。そこから先はかなり の問題です。そして多くの人はこれに賛同してくださると思いますけれども、病者の最善の 利益、ベストインタレストという判断から、生命の短縮を招く医療の差し控え、中止が許さ れることはある延命第一ではない、この範囲で許される。  しかしそのときの指導原理は、患者のベストインタレストである。そして病者の最善の利 益というのは、そのときはしばしば誤解されているように、医療的パターナリズムによって ではなく、本人自身の主観的判断を基礎に置いて決定される。かつてのパターナリズム判断 というのは、いわば理性の優位といいますか、フェルヌンフト・ホーハイトといわれている 理念によって、お前はこうした方がいいということで、言ってみれば余計なお世話的な判断 であったわけですけれども、恐らく現在はそれは許される考え方ではない。患者は一体何を 選択するだろうかという主観的な判断のもとで行われる問題です。  さて先ほど経済的なことでこの問題を議論すべきではないということを申しましたけれ ども、この議論は、実はかなり古くからあるもので。  一番最初は、1948年にカール・エンギッシュというドイツの刑法学者。彼は日本の安楽死 論に多大な影響を与えたものですが、戦後間もなくの時期にこの本が出版され、非常に短い 冊子なんですけれども、これが出たために、これが日本人が読むようになるまでにかなりの 時間がかかったということがあります。そのためにあまり知られていない。恐らく日本の医 学界においてもあまり知られていないものではないかと思います。  彼がこの論文を書いたとのは、ニュールンベルク裁判がきっかけです。ナキスに迎合的な 医師たちによって「安楽死計画」として、多くの殺人行為が行われたということがありまし た。エンギッシュはそれに対する、安楽死概念の濫用だと批判したのです。つまりお医者さ んたちは、その当時「良心のない医者」と言われた人たちなんですけれども、その人たちは安 楽死だから許されるんだという議論をしたのに対して、これは安楽死概念の濫用だというの です。  そしてその論文の中で、彼は幾つかのかなり重要なことを言ったわけです。「生きる価値 のない生命の抹殺」というのが、例えば精神障害者あるいは重症の子供たち、障害を持って 生まれた子供たち、それらについて安楽死としてこれは全部やられていた。しかしこれは安 楽死概念の濫用である。第一次世界大戦に敗れてずっとドイツは経済的に疲弊していた。そ ういうところで、これらの人たちを養うということは到底できない。だからこれらの人を殺 すことを認めよう、「哀れみによる死」を認めようという議論になったわけです。  これに対して医師は患者を保護するものであり、社会的淘汰の手先になってはならない。 人間の生命が社会の経済状態との関係で、相対化されるということはグロテスクであるとい う批判を加えたので、「生きる価値のない生命の抹殺の刑法的理論」というのが、本のタイト ルで、実はナチスが利用した別の刑法学者の本がこういうタイトルだったのです。これに対 する批判として書いたのです。  今から12年前、日本学術会議が、先ほどからちょっと引き合いに出しました、「死と医 療特別委員会報告」を、出しております。私も若干その間の事情を承知している者ですが、 一番最初は医療費の抑制という観点で、高齢者に対して過剰な医療をやめた方がいいという 議論がかなり強かったように思います。しかし議論をしている最中に、やはり、この点は妥 当でないということになりました。“無益かつ高額な延命医療が実施されている実態がある ことは明らかであり、この現状を改善する必要があることはむろんであるが、それはあくま でも診療報酬請求ないしは給付の適正化の問題であって、経済効率の観点から人の生死を左 右せしめることは、倫理的及び宗教的に許されるものではない”とされました。  しかしながら東海大学病院の事件、川崎協同病院事件、いずれも横浜地方裁判所ですけれ ども、そこでは「むだな」延命医療、治療を打ち切って自然な死を迎える。医学的に見て、有 害あるいは「意味がない」というようなことがあります。この意味は、あまりはっきりしてお りませんけれども、もし経済的な観点とかそこらが入っているとすれば、やはり問題であろ うという具合に言われるわけです。  今年、日本医師会が「再び終末期医療について」の報告というのを出しております。これは、 厚労省の医療費行政についての批判が非常に強いものです。特に終末期の患者を在宅に誘導 してそこで死を迎えさせるというやり方は、妥当でないというような批判です。  うば捨て山のような発想はよくない。医学、医療レベルに照らして最善の判断と技量を可 能な限り提供しようとする、努力する前提がなければ、生命倫理的思慮はその意義を失うだ ろうという批判を加えております。  次に、生命の神聖さと生命の質の問題という問題に入ります。経済的理由ということで議 論すべきではないということですが、次にそうすると、「疑わしきは生命の利益に」という議 論が出てまいります。「延命主義」は正しいんだろが、「延命至上主義」も正しいかは問題だと いうことです。  延命主義の典型として引かれるのは「医聖のヒポクラテス」の誓いです。これは安楽死を禁 止する趣旨であると言われるわけです。 これも日本の安楽死論に多大な影響を与えました、グランビル・ウィリアムズというイギ リスの学者がいます。1957年に「The Sanctity of Life and the Criminal Law 」という本 を書きました。彼は次のようにいいます。合理的な哲学によれば、生きる命がすべて価値が あるわけではない。生きるに値する生命こそが良い命なのだ。ここで、quality of lifeを 正面から持ち出す議論が出てきたわけです。この方はかなり合理主義的な方でございまして、 イギリスにおいてはこの時期は安楽死を合法化するという議論がかなり強かった時期のも のでございます。 このようになると生きるに値する命、quality of lifeはだれが決めるかという問題にな るわけです。この対極にありますのが、患者の自己決定権という主張、これはインフォーム ド・コンセントということなんですが、このことの意味を問い直す必要が、あるのではない だろうかと、私は思います。 グランビル・ウィリアムズが、先ほどのようなことを言ったときに、法律家たちは、私な どもそうですが、生きるに値するというのは、本人が決めることであると。つまりいい命を 送っているかどうかは、自分が選択して決めるべきものであって、人にとやかく言われる覚 えはないという考え方で私は、今でもその考え方は正しいと思っています。 しかし問題は、今のような、本人だけが決めるのだという自己決定だけですべてを貫く、 現実的な自己決定だけで行うとしたことは困難だということです。 従来のインフォームド・コンセント論とは自律権論、これはジョン・スチュワード・ミ ルの自立権の「On Lilberty」に、淵源があると考えられますけれども、要するに本人が決 定すること自体に価値があるという議論です。決定の内容、価値には関係しない。いわゆる 愚行権、誤った愚かな行為をする権利というのもある。それが自立権であって、そこに由来 するのがインフォームド・コンセントだと、そういう考え方があります。 しかし、本人のベスト・インタレストは本人の主観的評価を抜きにしては考えられない。 本人の自己決定はそれを決定するための手段である。しかしながら、これがすべてではない。 つまり自己決定自体に意味があるわけではなく、自己決定によって正しい選択が行われたと いうところに意味がある。このように考えますと、qauality of life論とインフォームド・ コンセント論との調和が初めてできるだろうと思います。  終末期における治療行為の中止の問題には、「終末期」という前提があります。これが実は かなり問題のところです。1つの考え方は、もうこのような理論を捨ててしまうものです。 終末期でなければ、尊厳死はできないという考え方を捨て、終末でなくても、かなり長い時 期生きるであろう場合についても、これが許されるという考え方があります。現在のアメリ カはそのようになっていると思います。しかし恐らく日本ではこのように考えない。これは これから出てくるところですが、このようにはだれも考えていないところであります。それ は、記憶しておかなければいけないところだと思います。  終末期とは、予想される死期との時間的間隔で決定されるべき概念です。しかし、残され た生命の質によって終末期の概念は、変動するのだろう。つまりあるような死に方の人につ いては、このときは尊厳死をやっていいけれども、あるようなやり方についてはもっと待た ないといけない。そういう議論が出てくるかどうかの問題です。  横浜地方裁判所の先ほどの2判決は、終末期であることを必要といたします。「回復不能 でその死期が切迫している」ことを妥当としているようです。注意するべきことは、横浜地 方裁判所が最初に東海大学病院事件について、治療行為の中止、尊厳死の問題を取り上げた ときは、そのときは死期の切迫という言葉は使っていなかったということです。「終末期」 であることという、言葉を使っていました。  ところが川崎協同病院事件の判決においては、「切迫」ということになりましたために、安 楽死の場合の死期の問題とほぼ同じものが考えられているかのような外観を与えたわけで す。恐らくそこまではなかったと思いますが、かなり厳しい考え方であることは間違いない。 終末期というと、かなりいろんな幅のある概念でございまして、いろんな人がいろんなこと を言っておりますけれども、法律家の方ではこれでは具合が悪いと考えたのだろうと思いま す。それで切迫という言葉を選んだんだろうと思います。  具体的にはこのY鑑定というのを採用いたしまして、被害者の余命は、昏睡から脱却でき ない場合、およそ50%程度の確率、短くて約1週間、長くて3カ月程度。昏睡から脱却して 植物状態が持続する場合が40%、最大数年  こういうことから、この事件場合、医療行為の中止を行うべき終末期の概念には当たらな いというようなことを言ったわけです。  問題は終末期の類型です。終末期の医療に関する法律学も非常に貧困でございまして、概 念としてはわずかなものしか持っていなかった。おおむね安楽死状況というのを考えるとき には、高瀬舟の事例とか、がん末期の場合の疼痛、苦痛にさいなまれている、そういう状況 をまず頭の中にイメージして考えている。それに対して出てきたのは、そういうような苦痛 にはさいなまれていないけれども、植物状態で、スパゲッティ状態でずっと生かされている という、尊厳を害されているような状態。その2つを大体頭の中に置いてきました。  ところが必ずしもこの2つだけしか、人間の死に方があるわけではない。これは自明のこ とです。そこでこの類型を分けるということになる。しかし、一体何のために分けるのかで す。1つは死期の予測の問題がある。もう1つは病者の自己決定能力が変化するということ があると。それからどのような余命の、quality of lifeがどのようになっているかによっ て、本人のベスト・インタレストの問題に関係する。恐らくその3点による。  スライドでは、池上直己先生、米村慈人先生の新型を例にあげました。  これらのことを踏まえた上で、quality of lifeだとかいろんな先ほどのことで整理をし ながら議論をしていく必要があるだろうという具合に思います。  少し急いで終わらせていただきます。  終末期においては、患者が望まない医療を中止し得ると。しかし「終末期」というのが1つ の枠です。その中で、患者は一体何を望んでいるのかが問題になる。意識調査では一般的に 人々が何を望んでいるのは、ある程度わかります。しかしながら当該患者についてはわから ないことがある。そこはでまた、当然患者の意見、次の問題が生じるという、そういう順番 になるわけでございます。  先ほどの終末期医療における調査検討会の報告書では、問質のは3つあるようです。1つ は、最後の療養場所として、あなたはどちらを選ぶか、病院かそれとも自宅かというような 問題。それから次にこれは一般国民に対する質問で、通常か非通常かというその区別に従っ て、質問をしているものがあります。もう1つは、医療関係者についてだけ聞かれている質 問で、続けられるべき医療についての意識の調査でございます。  最後の療養場所をどうするかということについては、一般の人たちにおいては「自宅」とい う人があまり多くない。それに対して医療関係者については、自宅を望むのは比較的ですけ れども、多くなっています。  人工呼吸器等生命の維持のために特別に用いられる治療は中止してよいかという質問に 対しては、60.4%云々というのが並んでおりまして、こういう具合になっております。これ 以外の細かい医療については、このようなものがあります。これは医療関係者についての意 識調査でございます。このようになっております。  したがいまして患者の意思に基づいた医療の決定というのが行われ、ある場合については 中止することができる。そのときに患者の意思に基づいたというのは、本人の明示の意思が ある場合はいいわけですけれども、そういうことはあまり多くないし、あったとしても果た してその人に意思能力があるか、わからない場合がかなりあるわけです。そういうときにし ばしば本人のインフォームド・コンセントがすべてだみたいな考え方をされるというのは、 私は困ると思います。  先ほど申しましたとおり、本人のインフォームド・コンセントを得ること自体自体が自己 目的ではなくて、患者のベスト・インタレストを選ぶというところにその意味があるわけで す。したがいまして、インフォームド・コンセントにしがみついてすべてを決めるというの は、妥当でないように思います。  さて、本人の主観的な選択がどこにあるかを決める基準について、かなりの争いが、実は 法律学、特にアメリカの安楽死判例、尊厳死判例の中にあったわけです。次の問題は、判断 するときの手続きは、どのようにしてやるかということです。 有名なカレン・アン・クインランの事件、これは1975年のニュージャージー州の最高裁判 所の判決ですが、その考え方は客観的テストと呼ばれています。つまり当該状態において、 患者の意思が不明であるときは、社会の一般人が、圧倒的多数の人たちが、医療行為の中止、 この事件の場合は、人工呼吸器の中止なんですが、それを選択するであろうときには、これ を中止し得る。これは純客観的テストと言われます。  これに対して、サイケビッチ判決というのがあります。これはマサチューセッツ最高裁判 所の判決ですが、今のような考え方はおかしいので、本人がどのように選択したであろうか という、本人のを基準にして決定すべきである。これが純主観的テストです。サイケビッチ 判決はしかしながら、今のように言った後で、この患者さんは、精神遅滞者である。したが って自分がこれから受けるであろう苦痛に満ちた治療の意味を理解しないから、拒絶するだ ろう。だから治療してはいけないという、非常に奇妙な理屈をとったわけでございます。  その後で、コンロイ事件というものがあります。テストは何種類もあるということではな い。つまり純主観的テストといわれているのは、本人の意思がはっきりしているときは、そ れに従えということだけだ。「制限的客観的テスト」というのは、そこまでいかない。いろん なところから本人の日ごろの発言だとか考え方とか性格だとか、生活態度、そういうものを 見て、ある程度判断できる。このときは制限的客観的テストということになるだろう。  もう1つは全然それもない場合である。そのときには客観的に、やはり普通の人だったら このときどうだろうかということで、つまり純客観的テストで考えざるを得ない。したがい まして、テストが3種類あるのではなく、それぞれの働く場面が違うだけだということでご ざいます。  さて、ここで厚労省の終末期医療にガイドライン「たたき台」が出てまいりました。  やはり法律家がこのたたき台について疑問に思うことは、それは恐らく厚生労働省の方も 先刻ご承知のことだと思いますけれども、実体要件が何もなくて、手続きだけを規定してい るということです。実体のないところで、手続きが決められるわけがない。しかしそれは、 後から決めるということだろうと思います。  以上のような観点で考えたときについては、たたき台のやり方というのは基本的には主観 的な患者の利益をどのようにして決定するかというそのプロセスに応じた考え方であると。  特にカレン・アン・クインラン事件以降、アメリカ等で採用されている倫理委員会の考え 方をとらないで、セカンドオピニオン、あるいは他の人々の意見を聞く過程のを充実させて いくものと受け取られるわけです。これは恐らくは、妥当なものではないかと、その点につ いては、私はそう思うわけです。  さてこのようにいたしまして、患者のベスト・インタレストというのは、当該患者につい てはかなり不明確なものが残る。そのために手続きを今のようにすることによって、ある程 度ビジビリティを与えるということがあると。そして実体要件を可能な限り明確化しておく ということも、ひとつ必要なんだろうと思います。  以上で私の話は終わらせていただきます。若干時間が超過したかもしれません。お許しく ださい。 ○糠谷部会長  ありがとうございました。それでは、事務局からの説明及び町野先生からの御説明に関し まして、御質問、御意見があれば、お願いをいたします。どなたからでもどうぞ。 ○堀田委員  質問を期待されているようですけれども、問題が大き過ぎて、ここでちょっと聞いてちょ っと答えてもらって済むような問題ではないと思うんです。  一番基本のところの考え方で、これは医療行為の中止を中心に論じられました。それはも ちろん構成要件該当性の問題じゃなくて、違法性の問題であるという、そういう大前提で御 議論されていると理解していいですか。 ○町野朔氏   法律の議論では作為と不作為で違うというものがあります。不作為はある場合には例えば 殺人とかの構成要件に該当しないことがある。作為はすべての要件に該当するという、そう いう議論があります。医療行為の中止についても、作為か不作為かの問題で考えるべきだと いう議論もあり得ます。しかし、その考え方には限界があるので区別はしないで考えた方が いいと思います。従って御指摘のとおり、議論は違法かどうかということだと思います。 ○堀田委員  違法性があるのかどうかというそこのところが判断の中核にならないと複雑な議論の整 理はできないと思います。違法性の判断をするときに、自己決定あるいはベスト・インタレ ストをどう位置付けるか。これも客観的なものか、主観的なものか、両説があるようですけ れども、それを仮に患者の判断とすると、広い意味で、意思決定は、当該患者に委ねられる ということになります。  そうすると延命治療でない、一般の場合の自殺を考えてもらいますと、これは自殺すると いうのはもちろん、自己決定で自殺をするわけであり、自殺することが本人の主観的判断で、 ベストであると判断したから自殺するのであろう。死を選ぶわけですから大変な判断をして いると思いますが、これはもちろん違法であって、構成要件はないけれども自殺幇助罪とい う罪があるわけですから、当然に、違法性が肯定されています。  もう少し言えば、自殺というのは自己決定は認められないという、そういう刑法上の大原 則があるから、自殺幇助罪という罪がある。ところがこの延命治療の中止ということになる と、自分が延命できるのに死を選ぶという本人の意思決定が入ってくる。それはどういう理 論で入ってくるのか。その違法性の理屈づけはどうなっているのか。このように自己決定で きる範囲が、こういう範囲であるということは、どういう理論で画されるのか。難しい質問 はこれで最後にしますけれども、御見解があれば。 ○町野朔氏  簡単に言いますと、自殺の意思の有効性については現在の法律は認めていません。それは、 自殺に関与した人間は処罰されます。しかし自殺の意思も、あるいは宗教的な理由に基づい て延命医療を拒否して死んでいく意思も、死ぬ意思には変わりないのではないかという議論 は、古くからありました。しかしやはりこの2つを区別しなければいけないというのは一般 的な考え方で、私は、それなりに合理性があるだろうと思います。  といいますのは、自殺をする人という人は、恐らくはいろんな意味で追い込まれた状態に いる人が多いわけですから、基本的にその人たちの意思決定能力は低くなっていると考えざ るを得ない。そういうときには後見的にその崖っぷちに立っている人を後押しするような人 を処罰することによって、本人を守るというのが法律の義務ではないかと思われます。それ に対して、宗教的な理由によって、延命医療を拒否して死んでいく意思は、そのような配慮 を必要としないような意思であろうと思います。  アメリカで、数年前にありました、assisted suicide、自殺幇助等を処罰している刑法 は憲法違反であるという主張に対して、アメリカの連邦最高裁判所は自殺意思とそれから医 療の拒否の意思とは、明らかに区別されるという理由で、その合憲性を肯定したわけでござ います。 ○村松委員  非常に難しい問題で、私がどの程度先生のお話に御質問できるかわかりませんが、ちょっ と普段考えていることでお願いしたいと思います。  先ほどの横浜地裁の中で、回復不能でその死期が切迫しているということというのが、確 かあったと思います。この判断は通常医師がするということになっておりますけれども、在 宅で、まさに呼吸がとまり、すべてが外観的にはとまった。その場合そこにドクターがいな かったとしたら、現状では病院に運ばれなければいけない等、いろいろ問題が出ております。 管が抜けない。そういうことに関して、先生の見解というか、お聞きしたいと思います。 ○町野朔氏  横浜地方裁判所も、「疑わしきは生命の利益に」という言葉を繰り返していて、誤った判断 をしたときは処罰を免れない、という考え方に立っているんだろうと思います。  したがってこれは手続き論の問題、先ほどのどのように決定していくかの問題ですけれど も、これからは、例えば主治医にしろ、看護師さんにしろ、1人の判断で人の生命を奪うと いう決定をすべきではないということに、いくんだろうと思います。こうすることにより、 人々の信頼を、回復することになるのだという具合に思います。 ○村松委員  ありがとうございました。私は、やはり1人ではドクターにも限界があるように思ってお りますし、今後訴訟等含めて、どうしてもチームで動いていくということが重要なのかなと いうふうに思っておりましたので、今の先生のお答えで、とても一部すっきりしたような気 がします。ありがとうございました。 ○糠谷部会長  ほかにどなたか。川越委員、何かございませんか。 ○川越委員  難しい話で、法律を選ばなくてよかったなと改めて思いましたけれども。  1つ、私が前々から気になっていることがあるんですけれども、点滴を中止するというこ と即延命処置の中止というような、非常に短絡的といったら失礼ですけれども、そういうと らえ方がどうもされているわけです。我々医者の立場としては、エビデンスとして、点滴を 中止することが、その人の命を短くするのかというようなことをきっちり議論しなくてはい けない。  実際問題、がんセンターの垣添先生でしたか、委員長でがんの末期のときに点滴をやるこ とにどういう意味があるのかという、延命的なことがあるのかというような研究班をつくっ て調査をしたことがございます。そのとき出た結論は、どうも点滴をやるということにはあ まり意味がない。つまり、延命的な意味はない。ただしはっきりしているのは、本当に患者 さんの死期が近づいたときには、点滴をやめた方が患者の苦しみを少なくする。これに関し ては1つのエビデンスといいますか、共通の認識を得られたというようなこともあるわけで ございます。  つまり延命処置と称してやっているということが、実は本当に延命処置なのかどうなのか という点については、やはり議論しなければいけない。ちょっとそういうことを思いました。 ○町野朔氏  どうもありがとうございました。確かにそのとおりなのです。今までの事件の処理の中で も、例えば抜管行為をした事件において、抜管行為と患者の死亡との間に因果関係は証明で きないという理由で不起訴になった事件とか、いろいろあります。終末期医療の中止が、死 に結びついたことの証明は、刑事裁判では非常に困難であると思います。  しかしそのことを、これは死期を早める、あるいはそのように疑っている医療の中止を  してよいかということは、やはり別の問題ではないかと私は思います。その点についてやは り、医療関係者の方というのは、国民の理解が得られるようにまずやると同時に、その決定 について、チーム的な決定をしていただきたいと思います。 ○鴨下部会長代理  いろいろ考えさせられますが、前にお配りになっている1枚紙の、無益な医療とかむだな 医療というもののおおよその背景といいますか、これが非常に漠然としていて、突き詰める とやはり高額な医療をかけるべきではないということにいくのではないかと思いますけれ ども、その辺は、法律学者としては、先生はどうお考えなのでしょうか。 ○町野朔氏  むだとか無益という言葉は横浜地方裁判所が使った言葉です。何がむだで、何が無益かを どうやって決めるのかということはまず。疑問。1つ考えられるのは、経済的な問題をもし かしたら考えているのかもしれない。あるいは延命効果がないものをやっているということ を考えているのかもしれない。よくわからない。  だけれども、国民の側といいますか、医療を受ける側としては、延命医療はもう結構だと 思ったときには、少し勘弁してもらいたいけれども、そうじゃなければやっていただけるの が普通だという具合に考えているわけです。そこのところで、何が、どういう意味でむだか というのが私は理解できないところがあったわけです。  それでその1枚紙をつくってから、かなりの時間といいますか、48時間ぐらいたっている わけですけれども。やはり考え方としては基本的には延命医療をやるというのが普通であっ て、それについてむだなということは、恐らく言うべきでないんだろうという具合に思う。 延命医療に、全然役に立たないことなら、それはやってはいけないだろうと思われると思い ます。経済的な配慮とか、そういうものを除いて、本人の主観的な利益を中心としてものを 考えなければ、事態の進展というのはないのではないか。私はそういう考え方です。 ○野中委員  議論の原点として、終末期ということが決まっていれば、こういう議論になると思います。 しかし、治療の現場で終末期っていつか。にとっては、先ほど川越先生が言われましたが、 患者さんと医療を提供する人間、どこが終末期だという判断を下すことが一番難しい。今町 野先生が言われたように、だからこそ無駄がわからない、そういう議論になると思うんです。  終末期という前提で話すと、こうなってしまいますが、医療の現場では、本当に終末期な のかどうか迷う事は多くあります。私も経験の中で、終末期と思ったらそうではなくて、治 療を一生懸命実施して、回復できたということもあります。特に私の専門の人工透析でも、 いつやめるのかとの判断に迷います。もうできないことを患者さんのご家族に話しても、や めたら死んでしまうのでやってくださいと望まれます。ご家族に対して、今透析をすると患 者さんの死期を早めますから、実施できませんとのお話を繰り返し、繰り返しお話しするこ とによって、治療を中止できる現実もあります。  その辺最終的にはどこで終末期を、だれがどう決めるのかという議論をきちんとしていか ないと、この議論は結論が出ないような気がします。そこに患者さんと医療提供者、あるい は第三者も入っていいと思いますが、終末期であるか、どうか、どこかで提案するか、決め ていただく場がないと、いつも医者が犯罪者になってしまう可能性もないわけではないと思 っています。感想ですが。 ○辻本委員  患者の立場ということでお聞きしたいんですけれども。射水の問題が出てきてもそうです し、川崎協同病院の問題も、そうですけれども、やはりどこかよそ事ということで、ほとん どの国民患者は、終末期の問題を我が事というふうには、なかなか考えられないものだと思 います。もうごくごく近い将来、団塊の世代の我々が、こういった問題を自分の問題として 考えていかなければいけないわけですけれども、報告書をおまとめになった座長の立場も含 めて、特に患者国民が、もっと言えば一人一人が今から何をすべきかというふうにお考えに なっているかを、ちょっと御示唆をいただければと思います。すいません。 ○町野朔氏  私も大した考えがあるわけではないですけれども、もう少し医療の方からわかりやすい言 葉で説明していただくということが、必要ではないかと思います。 やはり医療を受けるのは国民であります,また、同時に、法的な取り締まりをやっている のは法務省でだから言ってみますと法律家だとか、国民、一般に対してわかる言葉で話すと。 そうすると恐らくは、コモングランドのが出てくるのではないかと思います。 ○辻本委員  ありがとうございました。 ○糠谷部会長  まだ何か御議論がおありかもしれませんけれども、とりあえずここでは区切らせていただ きまして、次に田村先生、川越委員の順で御説明をお願いしたいと思います。それぞれ15 分程度で御説明をお願いしたいと思います。お2人の御説明が終わった後、今の町野先生の お話に対する御議論もしていただいて結構だと思います。それではまず田村先生、お願いい たします。 ○田村里子氏  東札幌病院のソーシャルワーカーをしております田村です。私に与えられましたテーマは 終末期医療におけるMSWの役割ということです。後期高齢者医療の在り方に関する特別部 会ということですので、特に後期高齢者医療において、患者さん、御家族の心理社会的な問 題への相談援助ということで、ソーシャルワーカーの立場からお話しさせていただきます。  この会にソーシャルワーカーが呼んでいただけたのは初めてということで、このような内 容を考えております。まず医療ソーシャルワーカーということをお聞きになっておられない 方もおられるかと思いますので、少し説明させていただきます。それと後期高齢者の療養生 活の場、それと心理社会的な問題について。そしてきょうのテーマであります終末期医療に おける心理社会的な問題について。そして終末医療において、医療ソーシャルワーカーがど んな役割を担っているのか。そしてこのたびの後期高齢者医療ということを審議するという 部分がありますので、少しソーシャルワーカーの立場から提言を申し上げたいと思います。  まず最初に、MSW、メディカル・ソーシャル・ワークの頭文字をとってMSWと呼ばれ ておりますが、医療ソーシャルワーカーとはということです。保健医療の現場で社会福祉の 専門職として働いております。基礎資格は社会福祉士。そして患者さんや御家族の心理社会 的な問題に対して、社会福祉援助技術を用いて援助するという意味なんですが、患者さんや 御家族の気持ちと暮らしを支える相談援助職ということになります。  これが私が勤務しております、医療機関の中のふれあいコーナーという医療相談室のカウ ンターです。これが私がいつも患者さんや、御家族のところへ持ってお伺いをしております、 相談室の御案内というリーフレットです。A4三つ折りになっておりまして、開きますと、 一人一人が寄りそって向き合って、中央には例えばという御相談の、こんなことをお聞きし ますよという部分。そして心を大切にお気持ちを支えますというところ。そして御自宅の療 養についてもということで、御案内があります。  これは2002年の医療ソーシャルワーカーに関する厚生労働省が出しておられます、医療ソ ーシャルワーカーの業務指針より抜粋した部分です。疾病を有する患者等が地域や家庭にお いて自立した生活を送ることができるよう、社会福祉の立場から患者や家族の抱える心理社 会的問題の解決、調整を援助するということを指針として示されております。  さて後期高齢者ということなんですが、今どんなところで療養されているのかというとこ ろをちょっとお示しします。中央にもちろんおうち、在宅の療養があります。今は急性期病 院ですとか、回復期リハ病院、そして老人保健施設、各種老人ホーム、療養型病床群といわ れるところ。そして私が主に勤務しております、緩和ケアの部分、ホスピスという部分。そ れぞれの療養生活の場がありまして、そこそこにMSWがおりまして、患者さんの暮らしの 部分、それからお気持ちの部分を支えて、療養生活を支えていくという役割を担っています。  例えばこれは各種の病院において、後期高齢者に対する相談援助がどのようになされてい るかというところです。私どもの職能団体であります、日本医療社会事業協会のソーシャル ワーカーの業務の部分で、ちょっと調べたものです。例えば急性期病院、これはNTT東日 本関東病院が例としてなんですが。この相談患者実数のうち、およそ半数が後期高齢者であ る。その中ではやはりごく短時間で、今後の療養の場所を考えていかなくてはならない。あ るいは先ほどお話がありましたような、患者さん御家族の意思決定が難しい。あるいはずっ と疎遠だった家族が、役割を果たせない。そして社会資源、在宅などを考えていくに、資源 はあるんだけれども、たくさんあって、とても困惑してしまう、選べないという。そして療 養費の問題などがあります。  また回復期リハ病棟、これは初台リハビリテーション病院の例ですけれども、やはりリハ ビリに受け身ですとか、どちらかというとすぐに施設入所を選んでしまう。制度を利用する という意味が理解できない。あるいは介護指導が御家族にとって御負担であったり、お帰り になると決めても、むしろ御家族が倒れてしまうのではないかといったような老々介護の問 題等があります。ここにはお示ししませんでしたが、8割ほどの方が、ソーシャルワーカー の相談援助によって、在宅あるいは暮らしの場に帰っていくということができています。  例えば療養病床でありますと、霞ケ関病院のこの療養病床なんですが、71%が後期高齢者 であります。経済的な問題ですとか、これは在宅を選んでも入院を選んでも、費用負担の問 題があります。また御家族には本当は、おうちで見てあげたいのに、それができないといっ た自責の念、罪悪感のようなこともあります。また看取りの問題、家族の機能を代行しなが らお看取りを支えていく。そして患者さんの権利擁護のことなどがニーズとしてあります。  私の所属しております、緩和ケア病棟、東札幌病院のPCUの場合ですが、やはり患者さ んのお気持ちの部分、心理的な不安、社会的な苦痛、御自分の喪失、ライフレビューの部分、 御家族の予期悲嘆、それからどんな方向を選んでいくのか。その合意をつくっていくことへ のサポート。患者さん家族と医療者のいろいろな関係の橋渡しをしていくような、アドボカ シーの支援、そして看取り、葬儀、お墓、財産の問題等が相談援助の内容として挙げられて います。  後期高齢者ということだけではないですが、終末期、特に後期高齢者の心理社会的な問題 ということで挙げました。やはり喪失への嘆き、老いと死への不安というところで、失われ た、またはこれから失っていくということへの怒りや悲嘆が患者さん御本人にはとても大き く、変化と折り合っていくことが大変難しいということがあります。  そして特に後期高齢者の場合は、ソーシャルサポートが非常に脆弱であるということが、 あると思います。それは御家族もやはり高齢でありまして、介護力がとても弱く、また地縁、 血縁等が希薄な状況のことがよく見受けられます。特にこのところ増加しています、単身で 高齢者といった方は、孤立して、特に協力支援体制が弱いということがあります。それと今 認知症等による患者さん御本人の意思決定が難しいというようなことがあります。  そのような場合、成年後見等を活用しますが、またそれが難しいような場合、どうしてい くことが妥当なのかといった検討をして、合意をしていくということがあります。それは例 えば医療の方向選択、栄養、補液、延命といいますと、ちょっと大きな枠になりますが、そ ういう部分ですとか。どこで療養していくかという選択の部分。それとお1人の患者さんに、 患者さん御本人が意思決定が難しいと、もちろんお1人にたくさんある、複数の患者さんの 御家族です。複数の意見が異なる御家族とどう合意形成をしていくか。それがとても大切な ことになっていきます。それと家族御本人も非常に支援が必要な状態で、予期悲嘆の部分、 そして介護負担、そしてお看取りのことなど家族をサポートしていくというのも、大きなニ ーズです。  すなわち終末期、後期高齢者の心理社会的な問題ということで述べましたが、この終末期 というところには、今まで生きてきた気持ちと暮らしの問題が、非常に凝縮して顕在化して くるということがあると思います。  定義というところといいましょうか、私の用語規定というか、今お話ししている内容で、 どうとらえるかというところをちょっとお示ししたのですが、いわゆる終末期医療をエン ド・オブ・ライフ・ケアというところでとらえますと、疾病の種類のいかんを問わず、近い 将来に死が近いことが見込まれる患者様への全人的な医療というふうなところで押さえて 話をしております。  それにはやはりそれを実現していくためには、QOL尊重の医療を多職種によるチームで 行うということ。そして最後まで人としての尊厳を大切に、苦痛なく自然な命の力を損なう ことなく、御家族を支えて、その方の人生の総まとめを支援していくということだと思いま す。それは、後期高齢者医療という部分と、非常に重なる要件が多いところだというふうに 思います。  これは日本ホスピス緩和ケア協会というところの定義なんですが、ホスピス緩和ケアの基 本的な考え方というところでお示ししました。治療不可能な疾患の終末期にある患者及び家 族のクォリティ・オブ・ライフの向上のために、さまざまな専門家が協力してつくったチー ムによって行われるケアである。また精神的、社会的な援助を行う部分、そして家族を支え るというところが押さえられております。  私の所属しております医療法人東札幌病院のことをちょっと押さえながら、今後のお話を 進めていきたいのですが。この病院は、昭和58年に混在型ホスピスを志向して開院しており ます。平成5年に承認28床、日本で10番目の緩和ケア病床を持っている。病院です。243病 床ございまして、内科と外科の一般の医療法人格の病院です。この全病床に占めますがん患 者さんの割合、これは平成17年度ですが、71%です。PCU病棟を含めましてですが、除い てもほぼ70%というところです。年間の死亡退院患者数ですが、462名。243床の病床にして は、このお看取りの数ということで、特徴としましては、がん患者、特に終末期の患者様の 割合が高く、看取りも多いというところです。  ですので緩和ケア病棟だけでなく、院内すべての病棟に、終末期の患者様が入院しておら れます。ですので病院全体で多職種チームによるホスピスケアを実践しているというところ が特徴です。  そしたら病院で、では相談援助というところで、どのような相談をしているかというのが、 次のものです。これは当院のMSW課、いわゆるソーシャルワーカーのセクションでしまし た相談援助分類です。当院には緩和ケア病床がございますので、転入相談、その病院に移っ てきたいという相談と、やはり心理社会的な相談といいましょうか、御病気にまつわるさま ざまな不安ですとか、今後の暮らしの部分などが大きな割合になっております。  相談といいますと経済的な相談が一番ではと思われる方がおりますが、年間を通しまして ほぼ10%前後というのが、大体多いときで10%。17年度は7%というところになっています。  では終末期医療でソーシャルワーカーは、どんな援助しているのかというのが次です。こ れは、終末期がん患者へのソーシャルワーカー研究という部分で、当課が2005年にしました 終末期ケアプロセスに応じたがん患者へのソーシャルワークという研究をいたしまして、そ こをベースにお話しさせていただきます。その中の一部分をお話ししまして、全体のものは 配布しました雑誌、緩和ケア誌、緩和ケアのプロセスに応じたというターミナルステージで 心理社会的側面をどう支えるかというコピーをお読みいただければ幸いです。  この緩和ケアプロセスに応じたがん患者へのソーシャルワークという部分は、お亡くなり になった死亡時からさかのぼって4カ月以上、2〜3カ月、1カ月以内、1〜2週間という 時期に、ソーシャルワーカーがどんなことをしたかという、ケースレビューをした質的な研 究です。  やはりお気持ちと過ごし方に関する研究というのが、かなり多いんですが。これは、コー ディングをしながら出てきた、あまり中核カテゴリーではない部分なんですが、やはり関係 形成。患者さんと御家族、医療者の間をつないでいく。そして亡くなっていく患者さんが自 伝を執筆したり、御自分の作品をまとめたいといったような自己実現のニーズ。そして感情 表出を十分に受け止めてほしいといったニーズ。そして根治的治療といわれているところか ら緩和を望んでおられない、そこをどうと折り合っていくかといったギアチェンジの部分。 そしてライフレビュー、生き抜いてきた御自分の人生を振り返っていくようなサポート。そ して最後に御自分をもって社会貢献といいましょうか、寄付をしたいですとか、ドナーにな りたいですとかさまざまな御相談。そしてスピリチュアルというコードがついておりますが、 存在の意味、生きている意味、病気になった意味といった、そういったところへの語らいの ニーズ。そして病気から離れるひと時としてお誕生日ですとか、御本人の映画を見る時間で すとか、さまざまのことが寄せられました。  実際に退院在宅というところでは、療養スタイルの明確化ということを書きました。どう いうことだろうと思いになることもおありかと思うのですが、実は医療の中に、要するに足 を踏み入れると、患者様、御家族はずっとお任せとまではいかないまでも、専門家に委ねた 形で最後まで頑張ってこられて、さて緩和ホスピスケアの中でどんなふうに過ごしたいです か。おうちでも過ごせるんですよと言われたときに、非常に困惑されるというようなことが 起きます。ですからその方の生きてこられた価値とか暮らしの中で、どう過ごされるのが一 番御本人として納得のいく過ごし方かといったところに、時間をかけながら一緒に考えてい くといった援助です。  それですとか臨死と死別後については、やはり未完の仕事、財産分与など。それからお看 取りの御相談、葬儀、お墓、悲嘆、セデーション等に関する相談。それとまだ患者様は亡く なっておられないのですが、御家族が亡くなった後どうしていけばいいのかといった生活の 御相談もあります。具体的な制度を活用すること。経済的な部分で住宅ローンをどうしたら とか、そういう具体的な生活の御相談もあります。  これらのことが、では具体的にどんな内容なのかといったところを、ちょっと例をお示し しながらお話ししたいと思います。  事例は年代はそのままですが、概要等本質を損なわない程度に修正してあります。90代の 男性の前立腺がんの方だったのですが、この方自身が認知症の奥様の主たる介護者であった ため、この方が奥さんがどうなっていくのかということが、先行きが決まらないと入院がで きないということがありました。そのように高齢ではありましたが、90代でもとてもしっか りしておられましたので、御自分が弱っていくこと、いろんなことが受け入れられなく、怒 り、抑うつ、御不安をぶつけてみえました。そして娘さんがおられましたが、その方の負担 になることが受け入れられないということがありました。  先ほど言いましたように、患者さんと御家族の気持の橋渡しをしながら、御本人の人生の 肯定的な振り返りを促すライフレビューをサポートし、具体的な病状説明の機会を丁寧に時 間をかけて持っていくような調整をしたり。そして御本人が言葉の中にありました尊厳死と いうものがどういうものなのかというところを明確にしながら、医療者につないでいくサポ ート。そして何より心配でありました、奥さんの今後の療養の場所、過ごし方などを一緒に 情報提供をしながら決めていきました。  この方は緩和ケア病棟でお過ごしになりながら、奥さんもともにそこにお過ごしになりな がらお看取りをしまして、その後奥様は次のケアハウスの方にお入りになりました。  次はやはり認知症の患者さんの医療処置を選択していくことへの援助です。80代の卵巣が んの認知症の方で、3人の娘さんがおられまして、その3人の娘さんが、それぞれお母様へ の強い思いをお持ちでした。御本人が意思決定、意思表示ができないので、どうすることが 妥当か。意思決定能力が低下したお母様の今後について、その方向づけについて、家族内の 意見の不一致、それぞれのお考えがありましたので、それを合意をつくっていくというとこ ろでサポートをしております。  家族間の合意形成のために、医師の病状説明の機会を調整し、同席し、それぞれのお考え をお聞きしながら、そこに十分話し合いながら、介入しつつ、合意形成をつくっていくとい うことです。この際にやはり患者さん御本人の認知症の発症以前に示していた価値ですとか、 選好を理解している御家族が、御本人の今までの生き方に基づく医療や方向性を選択してい くということを話しながら支えていくことになります。この面接の中ではお母様への予期悲 嘆の部分をライフレビューしたりとか、さまざまなサポートがあるわけです。  それですとかお1人暮らしです。支援体制が非常に弱い、終末期後期高齢者の方だったの ですが、この方の未完の仕事、人生のやり残しを支援していくということです。70代後半の 中咽頭がんの患者様で、単身で本当にお1人孤立で、お1人暮らしをされていました。献体 の会に入っておられまして、どういうふうにしていくのがいいのかという今後について、や はり御本人と意向を確認していくということ。意思決定をセデーション等については、アド バンス・デイレクティブとまではいいませんが、事前にお考えをいろいろ聞いて、医療者と ともに話し合っていくということをしていきました。  それはつまり今の状況を患者さんと痛み分けをしながらその状況を一緒に見つめた上で どうしていくかを話し合っていくということになりますので、かなり丁寧な面接、お話を聞 くことを通しながらしていきます。それと単身独居でしたので、さまざまな生活上の手続き、 区役所関連ですとか、さまざまな手続きを一緒にしていきました。  またお1人ですから、本当に御遺体をどうするかというところまであります。葬儀、埋葬 に関する御意向をまず確認しまして、永代供養ですとか、お墓を調整していくことをしまし た。  それと未完の仕事としてずっとおっしゃっていた、交流が20年以上途絶えていた息子さん に面会をして、和解ができたら、もしそれができなかったとしても、せめて財産を渡したい という御希望がありましたので、息子さんを探し出し、お父様のこういう意向であることを お伝えしながら、それをお受け取りになる意向が確認されましたので、それをお渡しになる というところまでサポートしています。  この方は80代男性の肺がんだったのですが、やはり70代後半の奥さんとの2人暮らしでし たので、ある部分当院の緩和の方で、症状緩和が図られて、おうちで過ごすことができるよ うになった場合、おうちで過ごしたいということを御本人が強く望まれましたが、御家族、 奥様は本人の希望をかなえたいが、どうしたらいいかわからない。自分では到底できないと いうことで、さまざまある医療福祉制度のサービスを活用する、その複雑さにとても困り果 て、非常に困難感、できないという思いを強く示しておられました。  そこで継ぎ目のない、安定した連続したサポートシステムをつくっていくということを、 患者さんと御家族と情報提供しながら、一緒に選んでいくということをしました。具体的に は介護保険を申請したり、訪問看護師さん、在宅診療の先生、訪問薬剤等のサポートシステ ムをつくりました。道具としては介護用ベッド、エアマット、在宅酸素などを導入していま す。  そしてずっとこの方は急変時には入院できるという御家族のレスパイトとそれから後方 支援ベッドを当方で用意しながら、さまざまな御家族の不安を電話ですとかお訪ねしたりし ながら、在宅のチーム、ネットワークと一緒に支えまして、在宅死をされた方です。 ちょっと示しましたがソーシャルワーカーはそれぞれの医療機関や医療チーム、在宅ケア チームと連携をしながら患者さん、御家族をエンパワーして支えていく。どこでも安心して 療養できる連携体制をつくるというサポートをします。 これは最後になりますが、70代後半の肺がんの女性です。この方は、やはり独居をされて おられて、他県、私は札幌市なんですが本州に娘さんが嫁がれて、その方が戻ってみえて通 いながら、遠距離介護という形での在宅の生活を続けておられました。そうしますと御家族 が非常に介護疲労が募りまして、本当に細かなニーズ対応をおっしゃるお母さんと気持の行 き違いがあって、とてもつらく、この方は小学生の娘さんたちを御主人様のお母様、お姑さ んに預けて実のお母さんを見に来ている。そういう難しい立場の中で見ているんだけれども、 わがまま放題をして自分の大変さをどうしてもわかってくれないお母さんになってしまっ ているというところで、お母さん、亡くなっていく人も大変だけれども、私も大変なんです。 気持ちを聞いてほしいということで、ずっとかかわっておりました。 ですがとても見てあげたい思いは強い娘さんでいらしましたので、在宅療養が続けられる ように御家族のレスパイト、すなわち介護疲労を緩和するための目的の短期入院。それらを 調整しながら支えました。そして定期的にソーシャルワーカーとしてお話を聞きながら、思 いを支えて、本当にストレスが強いので、実は見て差し上げたい気持ちは同じにあるんです が、ついついどうしようもないのではと思われてしまいがちな介護意欲を支えていくという ことをしました。 ○糠谷部会長  田村先生、質疑の時間を持ちたいものですから。 ○田村里子氏  これで終わります。終末期医療におけるソーシャルワーカーの役割ということで、最後で すが、気持ちと暮らしの心理社会的問題への社会的援助を行います。具体的に心理的なサポ ート、家族への支援、社会的な問題への調整援助をして、人生の総まとめの援助をすること で、尊厳あるその方の暮らし、QOL、ウェル・ビーイングというところを目指していくわ けです。  これは遺族からいただいたお手紙なんですが、人は人によって支えられ、この時を生かさ れますということが書いてありまして、支えるというところが、どういうことかなというと ころでお示ししております。  最後になりましたが、後期高齢者が望むところで、最後まで尊厳ある暮らしを可能とする ためにということで、示しました。やはり後期高齢者は長い生活の歴史がございますから、 それを踏まえた上で、心理社会的な問題への相談援助ということが不可欠になってくると思 います。ですのでさまざまな機関に、今は十分ではないですが、ソーシャルワーカーを必置 とすることで相談援助の機会を十分にするということは、どうかなと思います。  またそれぞれの望む場所でという意味では、各種の介護保健施設や在宅での看取りへの支 援体制を整備していくという意味で、医療と福祉の有機的なネットワークづくり、ソーシャ ルワーカーのネットワーク機能を活用していくというのも、1つかと思います。  そうした上で真の終末期医療体制の拡充という意味で、家族のレスパイト支援の必要性、 これは緩和ケア病床の有機的な活用という部分。それから今はがんだけとなっておりますけ れども、PCU、緩和ケア病棟のターシャリー、集中的な緩和治療をする部分と、それから いわゆる終末期のホスピスケアの住み分けというところも、1つかと思います。どうもあり がとうございました。 ○糠谷部会長  ありがとうございました。それでは続きまして川越委員からよろしくお願いいたします。 ○川越委員  時間が限られたので短くやりたいと思います。私は35年の医者の生活の中で、半分ほどが、 がん治療の専門医として、そして半分ほどがホスピス医としてかかわってきております。き ょうはそのホスピス医としてがん、特に在宅ケアがどういうものかというお話をしたいと思 います。  がんというのは非常に特殊な病気といえば特殊な病気ですけれども、死因のトップという ことで、一般的な病気であるということ。それから死と裏腹の病気ということで、医者がも うやることがないという判断をした場合は、普通はもうそれは死を意味する。しかもかなり 近い死を意味するということがあります。  そしてがんというのは、治癒目的の治療というのは、どれをとっても患者を苦しめる。そ れから費用的にかかるというような特徴があると思います、  このスライドは私が、家で最後まで見た302人のがん患者さんの、何日間私たちがかかわ るようになって生きたかということでございます。平均は2カ月以内です。そしてまれに長 期生きる方がいらっしゃいます。つまり一般的に短期間で死亡する。そして稀に長く生存す る患者がいるというような特徴があります。  そのほか、このスライドにはないわけですけれども、最近ちょっと末期の医療を、がんの 方で考えるときに、非常に難しくなってきたことの中で、化学療法で明らかに延命する例が あるんです。治癒不能というような、そういうものをどういうふうに考えていくかというこ とが、1つ大きな課題だろうと思います。そして比較的最後までADLは保てる。そういう 特徴がございます。  日本で緩和ケアというと、ホスピス病棟で行う、いわゆるPCUで行う緩和ケアというよ うなことで整理されてきたわけでございます。このスライドは緩和ケア病棟の数、そして病 床数をあらわしたものです。当初、各県に1つといっていたものが、大体各県に1つそろい ましたので、今度は目標を100施設に持っていきまして、その100施設もオーバーしたと。11 月1日現在で163施設ございます。実はこれは2月のときから9カ月間で11施設ふえている んです。ですから今は数としては、量的には調整段階に入っていると思います。  むしろこれよりも、これはこの間もどなたかがおっしゃっていましたけれども、緩和ケア 病棟というのは、そもそも何のためにあるのだということが、今問われているのではないか と思います。それからベッド数がまだ足りないじゃないかという議論があるわけですけれど も、今緩和PCUがかつての特養化しております。一度入ったら最後までおれるという、非 常におかしな話になっています。やはりベッドの有効な使用の仕方ということを考えなけれ ばいけない。それはPCUの存在目的と当然絡んでいることです。  それで在宅死に関するこれまでの歴史で、ちょっとすいません。1から4までは資料の方 にありますので、ごらんください。きょうの話と関連した後期高齢者の末期がん患者が在宅 でどういう医療を受けているが、どういう特徴があるかということを、簡単にお話ししたい と思います。  私たちのこの3年の経過の中で、278人のがん患者さんの方が家で亡くなっています。こ れは年齢的に見たものでございますけれども、確かに全体の平均年齢を見ますと68.2歳とい うことで若い。ただ75歳以上に限りますと、4割ということで、この中で一番多いというこ とになります。高齢者だから長生きするのではないかなというのが議論になるわけですけれ ども、実は平均生きられるのは、55日。2カ月弱でございます。若干確かに75歳以上の方は 長いように見えますけれども、統計的な差はないということです。ただし非常に長く生きら れる方が、やはり高齢者の中にいらっしゃるなということを思います。  それで病気の理解ということ、いわゆる告知の問題。これは最終的にどうだったかという ことでございますけれども、後期高齢の方は、やはり推計学的に見て、病名の理解、治らな いということの理解、自分の命はあとどれぐらいかというような理解は、ほかの年齢の方と 比べて、あまりされていないような傾向がある。これは推計学的な差が出ております。  そして医療処置について見ますと、高齢者は、がんになってもあまり痛まないんじゃない かという議論が、実はあるわけですけれども、実は痛い方は痛いわけです。8割の方がやは りオピオイドといいますか、モルヒネなんかを使っています。ただし若い方と比較して、例 えば64歳未満の方と比較しますと、やはり推計学的に、有意にオピオイド使用量が少ないと いうことでございます。あとの中心静脈栄養とか在宅での酸素、いわゆる人工漏の管理とか 胸腔穿刺、腹腔穿刺、そういうものについては、推計的な差は認めておりません。  以上在宅でのホスピスケアというのは、つまり延命を目的とした治療を原則として行わな い。それから苦痛の緩和を最優先する。これは医療原則になると思いますけれども、行った 場合、後期高齢者の方は若い人と比較して、平均生きられる日数は差がない。正確な病状理 解は少ない。これは差が出ておりました。それから痛みは軽い傾向にあるけれども、行う医 療内容そのものには変わりがないようというようなことが出ております。  それから今度は、在宅のケアを提供する実施医療機関の現状と課題について、お話しした いと思います。1つは医療機関が提供する量の問題、それからケアの質の問題ということが あるわけですけれども、ここに書きましたように、量は在宅死数、質は在宅死率で評価でき ます。  これは北上市の例なんですけれども、北上市は北上市役所と北上医師会、それから北上市 民とが一体となって、ずっと緩和ケアの研修会を開いたり、講演会を開いたり、いろんな取 り組みをしていたわけです。しかしずっと在宅死の数自体は、あまり変化がなかったわけで す。ところが個人名を出しちゃいましたけれども、県立北上病院というところへ星野医師と いう方が来られて、この方が一生懸命やるようになって、ごらんのように、在宅死の数がも のすごくふえたという事実がございます。  下地ができていたから、熱意ある医師が出現したということで、こういう具合に地域が変 わったという典型例ではないかと思います。これは何も北上だけではございません。例えば 大阪の岸和田市とか、先週私が行ったところで岐阜県の養老群に、一生懸命やっていらっし ゃる先生がいらっしゃるわけですけれども、そこで在宅死の数がふえたというようなことが ございます。  それでもう1つ、北上のことで御紹介したいのは、13年、14年、15年で在宅で亡くなった 方の数がふえていったか。特に65歳以下の方の在宅死がどうなったかということです。平成 14年からは65歳未満の方が、家で亡くなるようになった。さらに平成15年には14人も亡くな っているというような結果が出ています。これは何を意味するかと申しますと、実は北上市 では今回の介護保険の変更の前に、若い65歳未満の方に、末期がんであるということであれ ば、今の介護保険と同じような制度が受けられる。そういうふうに市がサポートしたわけで ございます。  つまり制度を整えると在宅死は増加する。皆さん在宅にいたい、いたいといっても、やは り最後は病院にということで、やはり病院がなければいけない。施設がなければいけないと いうことの議論があるわけですけれども、これは私はやはりそういう議論は慎重でなければ いけない。つまり現在の在宅医療がどういう状況なのかということをよく理解されない。あ るいは在宅医療というのは、非常に凹凸がある医療ですので、ちゃんとしているところでい けばちゃんとやってもらえると。そういうことが整備されなければいけない。そのことを国 民の方が知らなければ、あまりやっても意味のない統計ではないかなというふうに思ってい ます。  これは私たちのところですけれども、墨田区の両国に私たちのクリニックがあります。実 はことしの3月まで医者1人でやっておりましたけれども、4月から医者が2人になりまし て、年間の在宅死、これは予測で年間で168人ぐらいの方が家で亡くなります。これは多分 超えると思いますけれども、そういう状況になってきています。墨田区全体は23万の人口で すけれども、年間660人がんのために亡くなっています。その中で63人が2005年ではがんで 在宅で亡くなっているわけです。私たちがかかわったのは32人。だから墨田区で亡くなった がんの方の半分以上を私たちのところでやったということになります。  実は墨田区以外の方で私が診た方を含めますと107人いますから、これで見ますと、墨田 区の在宅死、がんの方の在宅死が16%ぐらいになる。これは日本でがんの在宅死の頻度とい うのは6%ですから、1つの医療機関が頑張れば、これだけ地域が変わっていくという典型 じゃないかと思います。  在宅死率というのは、実は在宅ホスピスケアの質をあらわすという、理論的な根拠を示し たものです。つまり在宅死率というのは在宅死数と中断した例とで割ったものに当然なるわ けです。中断する例が多くなれば当然在宅死率は下がってくるわけでございます。その中に 中断の理由ということが書いてありますけれども、医療者のサービスが十分なかったら、当 然中断例がふえるわけでございます。それでこのデータを出すには、それぞれの医療機関で 患者さんのデータ管理がしっかりしていないと、在宅死率というのがなかなか出せないわけ ですけれども、理論的にはこういうことになります。  それでこの間、仙台の川島先生が在宅療養支援診療所ということについて、お話をされま した。このことをちょっとおさらいしたいと思います。この4月から診療報酬の中に診療所 が登場したわけです。  これは一言でいますと責任を果たす診療所と。つまり地域における在宅療養の提供にです。 責任を果たす診療所ということが言えると思います。この意義は、1つは責任ある24時間体 制ということを、一番最初に大きくうたってあるわけです。これは、患者家族が安心して在 宅での生活を継続することができるために必須の条件であるわけです。  情報共有ということは、チームケアということにかかわってくるわけで、より質の高いケ アを提供する。あるいは、患者さんからいうと受けることができると、そういうことになる わけでございます。  活動実績の公表というのは、今まで我が国の在宅ホスピス緩和ケアの実情把握というのが ほとんど不可能であったということだったので、こういう実績の公表ということで、この辺 のことがよくわかるようになったということです。  これは結局、質の高い在宅ケアを提供するということの、診療報酬上のある意味での宣言 ということができるのではないか。つまり、こういう診療所ということを自分がやりますよ と、手を挙げたときには、当然こういうことの責任を負わなければいけないということでご ざいます。  私たちのクリニックを検証してみました。クリニックは、いわゆる私のところのこれは医 療法人ではございません。無床診療所があります。訪問看護ステーション、同一法人ではな いわけですが、一緒にケアでやっております。さらにいわゆるスピリチュアルケアを担当す るところ、ボランティアがいる。これから研究部門、倫理委員会、こういったものがござい ます。  私たちのところに来る患者さんは、まず電話で依頼があります。そして相談を受けて、始 めて亡くなると。ここに書いてありますように基本的に患者を選ぶということは、私たちは 一切しておりません。  まず検証の1は24時間ケアをどうしているか。これは病院と同じやり方をとっています。 つまり入院している患者さんがナースコールを鳴らしたときにナースが出る。そういうやり 方です。ナースの担当が、ファーストコール、セカンドコールをとりまして、それで連絡が とれないときには、私に直接患者さんからかかってくることがあります。しかしこれは年に 1回か2回の話です。  それから情報共有ということ、これはチームケアになるわけですけれども、私たちのとこ ろは、診療所の方は電子カルテ、訪問看護の方は電子看護記録を使っています。電子看護記 録は我々のオリジナルなものです。それぞれがサーバーでつながって、いつでも情報交換、 見ることができるという格好になっております。  そして週に2回、患者さんのケースカンファレンスが開かれております。現在診ている患 者さんは、25人ぐらいいますでしょうか。その患者さんの状況をざっと聞く。そして亡くな った方を常時この場で、順番に検討しております。  看取り数の把握ということが出てまいりますけれども、実はこれは私が非常に力を入れて いるところで、相談外来に来られた方、全部すべてデータベース化しております。  我々のところに来られた方が、6年間で848人いるわけでございます。その848人の中で、 相談なしで入った方もいるんですけれども、都合584人の方に在宅ケアを行っております。 在宅ケアを行っているという意味は、1回でも往診した、あるいは訪問看護師さんが行った ということを意味します。相談外来だけで終わった方が3分の1いるんですけれども、この 中の半分の方は、ほかの地域の先生に御紹介しております。緩和ケア病棟なんかは待たなけ ればいけないということが、大きな問題になっておりますけれども、在宅との大きな違いだ ろうと思います。  亡くなった方がこの6年の間に、525人。1回でも往診した方で、525人亡くなっています。 その中で家で亡くなった方が、503人でパーセントにすると、96%ということになります。  そのほかの活動としてこういったことをやっております。これは、医学生と看護学生が合 同で研修をするという、そういう試みをやっています。  それからボランティアということを、私たちは非常に力を入れております。これはボラン ティアというのは、今後の地域ケアのかぎになると思いますけれども、単にやりたい方にや ってもらうということだけではなく、ちゃんとした4日間のプログラムを持って、その研修 を終えた方がボランティア登録をする資格があるというような形でやっています。  あと近々今週の土曜日、日曜日に吉良祭という有名な地域のお祭りがあるんですけれども、 そこへボランティアの方がお店を出します。これは自分たちの活動資金を自分たちで稼ぐ。 去年は10万円稼いだようです。それからあと地域の方に、こういう「家にあっても最後まで 安心して過ごせるんだと。墨田区に住んでいればできるんですよ。がんになっても大丈夫だ」 と、そういうことを知っていただくという、PR効果を持っているわけでございます。  これは療養通所介護で、これはいわゆるレスパイト・ケアで非常に意味を持つケアでござ いますけれども、そのひとこまでございます。ボランティアが担っております。  それから遺族ケアということにも非常に力を入れております。これはいわゆるビリーブメ ントケアといわれているものですけれども、一定のプログラム化された形で、ケアを提供し ております。その中の遺族ケアで、遺族の会でございます。あと亡くなった直後、向かって 左の手紙を一人一人に書いています、私はですから去年だったら、年間80枚くらい書いたん ですけれども、ことしも同じぐらい書かなければいけないと思います。右の方はボランティ アの方が、命日の日に書いてくださる手書きのお悔やみの手紙でございます。こういう形で 手紙を送るということやっています。  それで地域の方に対する啓発活動、いわゆるホスピスケアというのは外に開かれていかな ければいけない、地域に開いていかなければいけないケアでございます。そういう意味で緩 和ケア病棟が非常に自己閉鎖的になっているのは、大きな問題なんですけれども、私たちは 地域に対する啓発活動ということを創立当初から力を入れております。  今後の在宅の課題と新しい息吹というお話をしたいと思います。介護力が弱い家族、つま り、例えば独居家族などの在宅ケアをどう実現するか、そのことをまず話したいと思います。 実は独居のケアというのは、今後、大きな課題になると思います。独居だけでなく、老々介 護というようなことがございまして、家族の力をあまり期待できない。そういう方の在宅ケ アをどうするかということです。実は現状でも、独居患者の在宅死は可能なんです。ただし それはどこででもできるということではなく、それだけの力を持った医療機関では可能とい うことです。  私たちのところで、この6年の間に、32人の1人暮らしの方が家で亡くなりました。パー セントにすると、5%強になりますけれども、この中で家族状況を見ていただいたらわかる んですけれども、少なくとも生きている間に家族の力が全く当てにできないという方が3分 の1、10名いるんです。そういう方も私たちは普通に最後まで診ます。本人たちはやはり家 で最後を迎えたいという気持ちが強いので、それを実現するために我々も努力をしているわ けでございます。  がんの方が家で過ごす場合は医療の支援というのは、当然医療保険、生活の支援というの は介護保険から適用されるわけで、療養通所介護がこの4月から介護保険の方に乗りました。 これで非常に制度的にかなり整ってきたと思います。ただしこれだけの制度を利用しただけ では、独居の方を家で最後まで診るということは不可能です。  その中にはやはりボランティア、かなりフレキシブルに動ける力というのが必要で、ボラ ンティアの力が、非常に大きいわけです。この中には書いておりませんけれども、医療者、 特に看護師さんの時間外の努力というのが、やはり無視できないというか、非常に大切なわ けでございます。  それから3つ目の話として、地域連携システムの構築の話です。これは、がんセンターで 定期的に行われている定例会でございます。がんセンターの医師とそれから地域の病院、あ るいは在宅の医者が集まって、勉強会、連絡会をやっているわけです。僕がすごく感心とい いますか、我々も頑張らなければいけないのという気持ちを持つのは、この場に必ずといっ ていいくらい土屋病院長、それからそこに写っていますけれども笹子副院長というような、 がんセンターの幹部の方々が常に出席していらっしゃる。本当にこういう地域連携システム をつくらなければいけないんだなという、そういう熱意が感じられております。これが私が しゃべっているところの写真ですけれども、頑張らなければいけないと思っています。  それから、実は在宅だけというのは、将来的には本当に難しい。いろんな選択ということ を考えていかなければいけない。さまざまな取り組みをしていかなければいけない。その紹 介をしたいと思います。1つは千葉市にあるさくさべ坂通り診療所というところで、これは 大岩先生という外科の先生がされているんですけれども、下に診療所があってその上にアパ ート。マンションがあるということです。これは山崎先生が始められたスタイルと、非常に よく似ているわけです。大岩先生はもう3年か4年の実績があります。ただし、上のマンシ ョンの部分が、実は今閉鎖状態になっている。そのことについての事情は、お手元の資料に 書いておりますので、お読みください。  それから台東区の山野に希望の家というのがございます。ここも実は普通の集合住宅です けれども、いわゆる終末期医療ということにしっかり力を入れて、特に、全員生活保護を受 けている方ですけれども、そういう方にやっています。私は当初、かかわったんですけれど も、今は地域の台東区の医師会の先生方が往診したりして支えてくださる。訪問看護ステー ションもそうですけれども、そういう形になってきております。  それからもう1つ宮崎に、かあさんのいえというのがありまして、これは普通の民家を改 装して身寄りのない方とか、どうしても家で看取れないというような方をずっと預ったりと か。あるいは一時的に預ったりして看取りもやるというようなことを試みているところがご ざいます。ここももう数年の歴史を持っておりまして、まだやり始めたばかりというところ ではございません。私は今後、宮崎のかあさんのいえという、グループホーム的な考え方で ございますけれども、ホスピスのような高い敷居がない、ぶらっと行ける、地域に開かれて いる施設。こういうものができていって、そこに在宅を担当するホスピスケアの専門家が行 けばいいなと思っています。  そして有料介護老人、お金持ちの方は、ここへ当然入れます。  それで高い在宅ケアを提供する医療機関というのは、やはり専門性を持った医療機関でな いと無理だと思います。これは87歳の肺がんの1人暮らしの方が家で亡くなったときのオピ オイドの使用の仕方。特に呼吸苦に対してどういうことをやったかということを示したもの です。詳しい話は省略しますけれども、モルヒネが最終的に皮下注射で呼吸苦を緩和するた めにやったんですけれども、経口オピオイド換算、モルヒネ換算で6,000ミリ。これは60ミ リの経口薬が一番大きいんですけれども、それでいうと、1日100錠飲まないといけないと いうような、ちょっと専門家でないとわからないような量だと思いますけれども、そういう のをやって最後まで家で過ごされた。ここまでのことをすべて先生方に求めるのは無理です けれども、やはり例えばオピオイドローテーションとかドラッグデリバリーシステムという ようなDDSの変更なんかの、そういう専門知識はやはり必要だろうと思います。  これもちょっと早口になっちゃいますが、もし目標とするがんの在宅死率を20%にします と、日本全国で6万人の方が家で亡くなるということになるわけでございます。現在、1万 8,000人です。必要な医療機関数、例えば在宅死を年間20例やるというところを3,000箇所。 それから看護師の方は5,000ということになるわけです。4割にもっていたときはどうなる かという、これはちょっと気が遠くなるような数字ですが。  というのは現状は、これは私たちのところで把握しているところでは、例えば20%実現し ようと思ったら、1,500箇所必要なわけですけれども、20例以上の在宅死にかかわる医療機 関というのは、残念ながら現在日本では大体140箇所ぐらいしかないと思います。  最後にこの機会ですから申し上げたいんですけれども、末期がんの方は、介護保険、医療 保険、同時に使えるわけですけれども、末期がんの方が介護保険を利用するという点につい ては、ここに書いているような理由で、ちょっと検討していただきたいなと思います。  それで今後の課題といいますか、まとめとしましては、やはりこういう終末期医療という のは在宅だけで考えるんじゃない。緩和ホスピスだけで考えるんじゃない、急性期病院だけ で考えるんじゃない。そういうことではなく、すべてが統合されたむだのない形でやってい かなければいけない。私は日本の制度というのは、かなりよくできていると思いますけれど も、残念ながらそれがうまく統合された形にないということが、1つの大きな問題だろうと 思います。  地域ケアですので、やはりそれぞれの地域の事情がございます。モデル事業的にこういう 形をとったときには、その地域がどういう具合に変わっていった。そういう地域診断が必要 だろうと思います。  それからそういう末期がんの方の在宅医療を担う診療所というのは、ホスピス緩和ケアの 専門的な診療所を中心に提供されるべきだろうと、先ほど言ったような理由で思います。た だ現状は機関の数や携わる人が圧倒的に不足しているということで、今後の育成研修が課題 ということが言えると思います。  それから1人暮らし。あるいは老々介護など家族の介護力をあまり期待できない方も最後 まで在宅で過ごす、家で死ぬという希望を実現するために、弾力性のある地域サービスの開 発ということが必要だろうという具合に思います。大分時間をオーバーしました。以上で終 わります。 ○糠谷部会長  ありがとうございました。それでは、これまでの御説明に関しまして、御質問、御意見ご ざいましたらお願いいたします。 ○遠藤委員  川越先生の御報告に関しましてなんですけれども、私も実は近親者を数年前ホスピスで看 取ったことがあるものですから、限られた経験ではありますけれども、若干状況はわかるつ もりです。2点御質問があります。1つは配ってあります資料の中の3ページで、施設ホス ピスの病床がかなりふえているというような話です。これは私も理解しております。包括化 をしてそれなりの点数をつけたりとか、いろいろなことでふえてきているんですが、それで もまだかなり不足しているんではないかというような印象は持っていたんですが、先生はか なり十分であるというような印象で、お話を聞いたのと。  それともう1つ、在院日数のカウントを何らかの形で、診療報酬上に反映しなければなら ない。お話の中で特養化していることがありました。私のかつての理解では、ホスピスはか なり短期間で亡くなられますので、そう長期入院はしないというふうに思っていたんですが、 実はそうではなくなってきているという、そういう実態があるのかどうかということを1つ お聞きしたいということです。  それから2点目は、まさに施設ホスピスではなくて、在宅ホスピスをやられる先生は、圧 倒的に少ないわけです。そういう意味で、川越先生は大変パイオニアだと思って、非常に感 動して聞いていました。これはなぜそれほど少ないのかということです。ニーズはかなりあ ると思うわけです。それが圧倒的に少ないというのは、何らかの特殊な技術、技能が必要な のか。それは看護師さんも含めてです。体制上の問題なのか、報酬上の問題なのか、何かあ るかと思いますので、その2点についてお聞きしたいと思います。 ○川越委員  ありがとうございます。最初の問題、緩和ケア病棟の病床数が十分ではないかと私が話し たことに対してですが、実はまだ足りないという声もあるんだということだと思います。私 はこのスライドに書きましたように、量的には既に調整段階に入っているという理解をした 方がよろしいのではないかと思います。ただふやせるということではなく、つまりまだ足り ないところは確かにあるわけです。そういうところにはやっていかなければならない。ただ し地域によっては、緩和ケア病棟ができ過ぎているところもあるんです。それは前から私は 危惧していたところですけれども、現実に緩和ケア病棟を閉鎖した。そういう地域が実はも う実績としてあるんです。そういう段階に入っているということを、まず理解しておかなけ ればならないと思います。  それから日数の件ですが、緩和ケア病棟の平均在院日数は、45日です。私たちのところは 先ほど申しましたように大体59日ぐらいということです。2週間長いじゃないかということ に、気づかれると思います。実は緩和ケア病棟は、大体2週間の待ち時間が平均してあると いわれていますので、数字的には合うわけでございます。  日数が短くなったかということの議論でございますけれども、ホスピスは必要なことをや って、よくなったら患者さんに帰っていただくというような取り組みがなされてたのかとい うことですね。人気があるところは確かに短くなっちゃうんですけれども、おしなべると45 日というような数字は、このところ多分変わっていないと思います。それが第1の質問に対 するお答えです。  それから2つ目は、なぜ在宅ホ対応とホスピスケアをやる医者がいないのかということで す。これは1つはやはり大変な医療であるということを医者が知っているからだろうと思い ます。24対応とい時間です。私も最近やりながら感じることは、今25人ぐらい末期がんの方 を我々のクリニックで診ているわけでございますが、先月は19人のがんの方が家で亡くなっ ているわけです。最初いた半分といいますか、ほとんど全員がもう入れかわっているという ことです。実際あまり意識したことはなかったですけれども、やはり数がふえてくると、大 変なことをやっているなと。これは医療者がよく知っていることだろうと思います。  ただし今までは私だからできるというような、ちょっと私としては、こそばしいような意 見が多かったんですけれども、地域を見ていきますとよくわかるように、いろんな先生方が、 それぞれの地域で取り組んでいらっしゃる先生がふえてきております。ですから私は現在確 かにまだいろんなことを十分に理解されていない。死亡診断なんかどうするのかということ。 あるいはモルヒネの注射薬をどうするのかというような、やったことのない先生はわかりま せんので、そういうことの教育とか研修をしっかりしていくと、もっとやる先生はふえてい くと思います。  それから確かに臨床能力が非常に要求される分野だなということは、しみじみ思っており ます。そういう点で、病院でしっかり臨床経験を積んだ方が、これから若い先生ががんの在 宅医療に取り組んでいただければいいのではないか。そういう下地ができてきたんじゃない かという具合に思っております。 ○遠藤委員  ありがとうございます。 ○野中委員  在宅ではがんであろうが、さまざまな病気か障害をかかえながら生活をされている。どこ で死なれるかどうかは、また別の話として、田村さんのMSWの話から、在宅生活のために、 MSWが全国の病院に存在して、病院の医師と診療所の医師とか、さまざまなスタッフと結 びつける。すなわち先ほど説明されたことが日本の医療にとって大事と、私は思うんです。  それで1つお聞きしたいのは、ほかの病院のことはいいんですけれども、東札幌病院では、 243床ということでしたから、そこでMSWの方が何人ぐらいおられるのか、お聞きしたい と思います。 ○田村里子氏  4名のソーシャルワーカーが院内にいるのと、それから居宅介護支援事業所ですとか法人 内に9名、関連施設を含めると14名ぐらいのソーシャルワーカーがいて、ネットワークで、 もちろん見ています。  先ほどの先生のお話で在宅ホスピス医が少ないというのも、ネットワークがあればお引き 受けすることを確証して、お預けしてお願いした場合は、在宅の先生が最後まで診てくださ るケースがとても多いです。ですから今ある資源をどう使うかという意味では、ネットワー クを有機的に使うという意味で、ソーシャルワーカーの機能も役に立てていただけるのでは と思います。ありがとうございます。 ○野中委員  そうですか、MSWが診療報酬上で、どの様に評価がされているかどうか。それは今度厚 労省でも検証していただきたい。全国の病院を調べても、MSWがそんなに多くいるわけで はないと記載しています。今の川越先生の話に関しては、がんの専門性は私はやはりあると 思いますが。それ以外の専門性もあります、病院の医師がもっと地域で、患者さんが病院の 治療が終わった後に、地域で暮らすことに対してもっと理解すべきです。そのつなぎという 中で、MSWがきちんと存在して話をすれば、病院からの退院がスムーズになり、そして住 み慣れた地域で住まれる方が多くなってくると、私は思います。  私は現場で、どうも病院から退院されるとき、治療が終わってからそして地域に戻られて から、在宅生活を組み直す作業があまりにも多過ぎると感じています。前回尾道の片山先生 が説明されたように、我々がもっと病院に行くということも大事なんですけれども、やはり 病院からどうやって私たちのところに連絡をしてくる作業も、実は足りないのが、現場であ ります。高齢者医療、特に住み慣れた地域で生活を支えるためには、私は各病院にMSWが 存在する評価が、大事と思っています。感想と意見を述べさせていただきました。 ○村松委員  貴重なお話をいただきましてありがとうございました。たくさんお聞きしたいのですが、 田村さんに1点。これはMSWが何人東札幌にはいらっしゃるか。といいますのはアメリカ で10数年前に行きましたときに、メディカル・ソーシャル・ワーカーが1つの病院にかなり の人数で、10人以上の人がいて、24時間体制でした。夜間でも亡くなる方がいらっしゃると いう意味だったと思います。いかがでしょうか。 ○田村里子氏  先ほどお話させていただきましたが、院内には4名のソーシャルワーカー、それと在宅部 門では2人、関連の居宅をやっているところおります。 ○村松委員  ありがとうございました。すいません、聞き落としです。  川越先生に、2点だけお願いします。1点は、45ページに、先生は最後まで家族とのコミ ュニケーションが保たれ云々と書かれています。私はとてもこれが大事だと思うのですが。 現実は医師がここを大切だと思ってされている方というのは、少ないように思います。どう したらよいのか。先生のお考えをお聞きしたいのと。  もう1点は、は先ほど看護師の時間外の努力が非常に大切だということをおっしゃってお りました。看護師の時間外の努力、私ども緊急訪問等、随分しておりますが、ここでは採算 が合うのでしょうかということを、お聞きしたいと思います。 ○川越委員  まず最後までコミュニケーションが保たれるという、これはセデーションのことを考えれ ばよくわかるのですけれども。私も実はきょう往診に行った方は、肝不全の末期で非常に混 乱して、いわゆるせん妄状態。肝性脳症を起こしている。これは緩和ケア病棟だったら、多 分セデーションをするだろうというケースなんですけれども。  家族の方は、これは本人が苦しんでいるんじゃないということと、それからいわゆる病状 のことを十分に説明しますと、受け止めてくださるんです。そうしますとそれはそういうも んだということがあるわけで、看ていくことができる。  家族がもう1つ喜んでいらっしゃるのは、もう間もなく死を迎える方なんですけれども、 奥様が語りかけると、反応して口を動かそうとしてくださったりすると。セデーションとい うのは、そういうことは無視して、一方的に眠らせて、そういうコミュニケーションをなく するというような方法。特に最終的にそういう状況のときに使うディープセデーションとい われている、そういうものでございますから、私は在宅では使いません。1例か2例使って 後悔したことはありますけれども、今は使わないんです。  それがなぜ緩和ケア病棟で問題になるかというと、やはり家でやるような手厚い看護とい うのが、実際問題無理だし。それから緩和ケア病棟、私も緩和ケア病棟をつくった人間とし てよくわかったんですけれども、やはり団体生活なんです。夜中に大騒ぎをして騒ぐ方がい たら、周りに迷惑をかけちゃいます。ましてや歩いたりしますと困る。だから眠らせちゃえ という、そういうことがどうしても技術的に必要になってくる。だから僕はしょうがないか なと思いながら見ています。  やはりそういう非人間的といいますか、それをどう考えるかは別ですけれども、そういう ことは我々のところではないわけです。ではそれを減らすためにどうしたらいいかという、 そういうことのためにもやはり在宅ということをしっかりやっていかなければいけないと いうようなことを思っています。それが第1点です。  それから第2点の看護師さんが時間外にやっているということでございますけれども、こ こはやはり僕は、出来高の考え方はあまりとらないんです。うちの看護師さんは年俸という 考え方で給料を払っています。つまりこれはまるめと同じような考え方で、まるめの医療費 というのは、これだけのお金を出すから、この中であなたたちが必要だと思う、絶対大事だ と思う医療をやりなさいと。儲けるということが大事な方は、そういうことを考えちゃうの か。我々は正直そういうことは考えませんけれども。  つまり看護師さんも給料の中に、そういうものが含まれているというような考え方をして います。ただし実際は、看護師さんのがんばりは大変なんです。先ほどのこの1人暮らしの 方なんかを見ると、やはり非常に個性的な方が多い。ヘルパーさんが入るのも嫌がるという ようなことで、やっと入れたけれども、火、木、土か何かのときで、月、水、金は看護師さ んが行く。そしてヘルパーさんの仕事をしなければいけない。  つい最近亡くなられた、1人暮らしの方がいるんですけれども、若い26の看護師さんです けれども、行って何してたのと、きょうカンファレンスで、僕も本当に驚いたんですけれど も、汚れたりするものがあるので、行ったときに患者さんの洗濯をしたと。本当はだれかが やればいいんですけれども、だれもやる人がいないからやったんだと。これは僕は立派なケ アの1つだよと言って、その若い看護師さんを褒めたんです。褒めたというよりも本当にび っくりしちゃったんですけれども。そういうものを彼女たちはやっている。  それで嫌がってやっているかというと、多分は嫌なのかもしれませんけれども、それが嫌 で辞めるというような方もいませんから、本当に自分たちがやりたい看護ができるというこ とで、満足してくれているのではないかなと、楽観的に見ております。 ○村松委員  ありがとうございました。私が、もう少しお聞きしたかったのは、最初の件は、医師にど のように教育をすべきかを考えていらっしゃるかというのをお聞きしたかったのと。今の先 生のお言葉の儲け云々という前に、私のところは医師の下というのではなく看護職だけで今 までやってきて、同様に年俸制なものですから、その中で本当に採算が合うのかどうか。例 えば先生のところの訪問看護ステーションで、付き添った場合とか時間外になった場合を入 れて、そこだけで採算が合うようになっているのかどうかというのをお聞きしたかったんで す。 ○川越委員  そこは村松さんたちがやっていらっしゃるのと、ちょっとうちは違います。全部診療報酬 内でやっております。患者さんからそれ以外のお金をもらうというようなことは、一切いた しおりませんので、そういうレベルで採算がとれるか、とれないかということをまずお話し したいと思います。それはぎりぎりです。というのはかなり時間をかけていると思います。 それがいいか悪いかは別ですけれども、ぎりぎりです。  それからもう1つ、医師の教育ということで、先ほどのこういうこと、最後まで家族との コミュニケーションが保たれるというようなこと、これはそういうことの重要性というのは、 やはり例えば医者は病院で医学、医療を習うわけですけれども、そういう場ではなかなか経 験できないんじゃないかな。  医者の医療の目だけで人の生きる、死ぬということを見るのではなく、やはり人間として 最後まで生を全うされる。私も在宅に出て、そういう姿を見てきましたので、やはり今の教 育ということ自体、医学教育を含めて見直さなければいけないのではないか。とにかく現場 を見ていただいたら、こういうことは私たちが言う前に、わかっていただけるのではないか なという具合に思っています。 ○村松委員  ありがとうございました。 ○辻本委員  資料39ページのところでのお話で、家族があてにできない人が、10名いらっしゃったとい うことでした。その中でお1人は全くご家族がいないんだけれども、あとの9名の方は、御 家族があるにもかかわらずという、その部分で、ケアするスタッフの方たちにも、感情とい うものがあると思うんです。そうするとそのあたりは恐らくマイナスに働くのではないかと 考えると思います。そういった場合にMSWのような方たちが、別のかかわりもあればいい と思うんですけれども。例えばどのようにこのあたりの問題を解決をなさいましたか。 ○川越委員  まずソーシャルワーカーの件なんですけれども、これは実は今私は自分たちの組織を見直 す中で、真剣に取り組んでいるところです。ソーシャルワーカーが何をするかということで、 ことしアメリカハワイに行って、アメリカのホスピスでソーシャルワーカーがどういう仕事 をしているか。それからつい最近メルボルンまで行ってきたんですけれども、そこでもどう いう働きをしているかということを実は見せていただきました。  そこで私は前から持っている知識というのは、アメリカではいわゆるメディカル・ソーシ ャル・ワーカーは非常に力を持っております。その理由は、例えばホスピスで、ソーシャル ワークをするという方は、一般にはマスターディグリーを持っていないといけないんです、 多くの方はナースのいわゆるレジスタード・ナースといいますか。4年生の大学を出て、研 修というか実際を行って、それから大学院に入ってソーシャルワーキングを習うという、そ ういう勉強した方がホスピスに入ってくるんです。  ですから先ほどからずっと聞いておりまして、日本でソーシャルワーカーといいますけれ ども、制度自体がはっきりしていない。田村さんが言っていらっしゃったように、介護福祉 士というようなとらえ方をされていますけれども、アメリカはもっと高いレベルのことを考 えていらっしゃいまして。それは日本がそうだから意味がないということではなく、ソーシ ャルワーカーの仕事を、日本の場合だれが、やるかということになるかと思います。それは、 我々の場合ナースのコーディネーターが実はいて、これは所長がやっているんですけれども、 一人一人かかわっている。これは組織としてはまだ未成熟じゃないかという見方もあるんで すけれども、僕は何も全部が全部、アメリカ式に1人の方を見るときに専門家がうわっと出 てきて、その方を1つのチームとしてかかわるというやり方は、僕は本当にいいのかどうか ということを、疑問に思っています。  ただソーシャルワーカーは、実は私たちのところに、今パートの方で、アメリカの資格を 取って、向こうのホスピスで働いた方が入っているんですけれども、現実にはナースとの兼 ね合いというのが非常に難しいというのが、現状でございます。 ○糠谷部会長  田村さん、何か。 ○田村里子氏  すいません、ちょっと訂正させてください。介護福祉士ではなく、社会福祉士が基礎資格 です。そして教育も社会福祉士養成校の中で、大学の中で教育がされておりまして、おっし ゃるとおり、マスターディグリー、私はマスターディグリーがありますが、マスターディグ リーを全部持っていないということも、もちろん日本の現状です。  私も北米を中心にニューヨークですとかカナダですとか、研修をしてきました。確かに教 育のシステムというか、まだ不十分な点はありますけれども、社会福祉士的な視点で暮らし を支えると。ネットワークをするといったところは、やはり特性としては同じですので、今 のソーシャルワーカーを展開させていく機能を持たせていただくというところで、職能団体 としても、臨床家の教育を今やっておりますし。補填しながら拡充させていただければあり がたいというふうに思っております。 ○糠谷部会長  時間は過ぎておりますが、大変重要な、興味深いお話が続いています。もしよろしければ あとしばらく、御質問、御意見がございましたらばと思いますけれども、いかがでしょうか。 ○遠藤委員  すいません。二度も質問して申しわけありません。先ほど医師の教育というようなお話が あったもので、それに関連してまして、在宅ホスピスケアというようなものの担い手として の医師ですけれども、そういうのをやろうとする医師は、本当にふえているのかどうか。  つまり2つの視点で、そもそもが在宅医療をしようということに対して、どちらかという と抑制的なところが、多くの医師にはあるように見受けられるわけです。  と同時に治療しても治らない医療行為ですね。それをしようということも、これもどちら かというと、あまり積極的にしたくないというような考え方が、根底にあるように思うわけ です。その2つが重なっているわけでありますから、果たしてそういうことに積極的に取り 組もうという動きは、あるのかどうかということ。これは川越先生のみならず、高久先生や 野中先生にもお聞きしたいんですけれども、教えていただきたいと思います。 ○高久委員  学生は結構、家庭医療や、地域医療に興味を持っています。緩和医療についてもカリキュ ラムの中に組みこんでいる医科大学が良いのですが、そのほとんどは緩和病棟です。ですか ら在宅医療を、学生が実際に見る機会は、非常に少ないと思います。実際に学生を在宅医療 の現場に送ったときに、対応していただけるかどうか。必要だと思いますが、現状ではなか なか十分にはできないと思います。  何でも医学教育の、責任にされるのですが、学生は国家試験も通らなければなりません。 在宅医療の教育は、今後現場で学ぶ機会があります。僕は若い人の中には在宅医療に興味を 持っている人が必ずいると思います。そういう人を今後、現場で教育をしていただければ良 いと思います。 ○川越委員  今のことに関連して、僕は正直、全国を回る機会が多いんですけれども、本当に地域、地 域にそういう気持ちを持った方で、実際にやっていらっしゃる先生がふえてきている。これ は私が今まで知らなかった先生、えっ、この地域に、この先生がいらっしゃったのかと驚く ようなこともあるので、着実にふえていると思います。  それからもう1つ申し上げておきたいことは、実は緩和ケア病棟で働いていたホスピス医 がどんどん地域に出ているんです。これは山崎先生なんかが典型例ですけれど、もつい最近、 横浜厚生病院の緩和ケアで働いていた先生が、この10月からクリニックの方へ出ていったと いうことで、びっくりしたんですけれども。  そういう形で緩和ケア病棟で働いている方が、やはり限界を感じられたんでしょうね。地 域に出て行かれる。そういう流れがあるということも、1つ指摘しておきたいと思います。 ○堀田委員  簡潔にお尋ねします。川越先生のお仕事、それから田村先生のお仕事、すばらしいと思っ て、感激しながら聞いておりました。  素朴な質問です。川越先生に、在宅ホスピスケアでは、延命目的の処置は行わず苦痛の緩 和を最優先する。非常に明快な方針だと思います。苦痛が緩和されて、例えば最末期で意識 がなくなってしまった、つまり緩和の必要もないときの治療についてはどういうお考えなの か。自然死を待つということで、延命治療をしないということは、その場合にも適用される のか。もしそうだとすると、それは在宅ホスピスに入られる段階で何らかの形で合意を得て おられるのか。  そしてホスピスというのが、もし本来そういうものだとすれば、それは施設のホスピスに ついても、その考え方は適用できないだろうか。そのあたりのお考えを。 ○川越委員  今の堀田先生からの御指摘なんですけれども、ホスピスケアの考え方はこうです。私も申 しましたし、田村さんがちょっと触れていらっしゃいましたけれども、医学的なものを持っ て、その人の生命をながらえさせようとか。あるいは逆に短くしよう。そういう目的を持っ た医療を行わないというのが、ホスピスケアの基本的な原則でございます。  そのときに実は幾つか問題がございます。そういうホスピスケアに入っていたんだけれど も、ちょっと専門的な話になりますけれども、急におしっこが出なくなったと。これは医者 の目から見たら急性腎不全の状態で、腎臓に針を刺したらおしっこが出てきて、助けること ができる。助けるというか、少なくともすぐ死なないで、命をながらえることができると。 そういった場面に遭遇することもあるわけでございます。  ですからそういうときはホスピスケアが最初にあるという考え方は、ちょっと横に置いて、 もう一度、今はこういう状況が起きていて、こういう方法で、今のこの危機を脱却すること ができる。それはもちろん患者さんの命が助かるという意味ではないけれども、少なくとも 長く生きられると。そういうことは十分説明をして、そのたびごとに、患者さん、家族、特 に家族の方の同意をとるように心がけております。  そのときに例えば、患者さんが、家族の方も、いや、おれたちはもうどうせやったって3 カ月の命とかっていうんだったら、ここに管をつけて生きる。そういう生き方を私は望まな いからと言ったら、それはちゃんとした理解の仕方ですから、そういう対応の仕方をやって いきます。もしそういう医療をやってほしいというと、これはもう在宅でやる医療ではござ いませんので、病院に入っていただく。そういうことの選択が、時に要求されることがござ います。それが1つと。  それからもう1つ堀田先生がおっしゃった、亡くなるときにどうなのかと。これは皆さん、 非常に心配されると思うんですけれども、症状緩和をきっちりしておきますと、最後に患者 さんは一般的にどうなるかというと、非常に意識が落ちるというんですけれども、だんだん 寝ていらっしゃる時間が長くなっていきます。そして典型的な場合ですと、いわゆる循環器 不全、それから腎機能の低下、最終的には呼吸不全の状態になって息がとまって、心臓がと まるというような格好になりますので、家族の方は見ていて不安になることはまずないと思 います。  そのときに、もちろんデス・エデュケーションといっておりますけれども、家で見るとき は患者さん、家族の方が、あくまで自分の命の主体者であるということが大事ですので、十 分な説明をいたします。そして病院だったら、どういう医療をこの状態だったらやるだろう か。それはどういう結果となるか。  堀田先生が質問された状況というのは、普通はもう管が入っちゃって、医者はもう患者さ んという1人の人間を見ません。心電図の波形がどうか、尿量がどうだ。点滴はどうなって いるか。そういう形でやる。そして一般には家族の方は出てくださいというようなことです から、そういうことを話した上で、それでも病院に行きたいという方は、これからでも入院 してくださいとそういう形で最終的に。常に我々が決めて引っ張っていくということではな く、十分説明をして、その中で決断をしていただくというような方法をとっています。  亡くなるときは本当に穏やかで、眠るように逝かれるのがほとんどです。 ○野中委員  さっきの話ですが、在宅医療に取り組む医師がふえるかどうかの話です。川越先生がおや りになっているがんの専門性の問題もあると思うんですが、自分で在宅医療に取り組み始め た頃を思い出しても何も病院では特に在宅医療について学んだ記憶はありません。患者さん のおうちに行ったりとか、昔から存じ上げている患者さんのおうちに行って、何とかお世話 をしたいという気持ちから取り組みました。  現状の医療の中で困っていることの一つは、今は川越先生が言われたように、必要なとき に必要な医療機関にきちんと入院できない事です。それが例えば3日間でも1日でも入院し て、検査や治療ができて、そして苦しみがとれて、在宅での治療が再びできるという状況が、 患者さんにとっても医師にとっても必要です。この状況ができれば、もっと在宅医療に取り 組む医師がふえると私は思います。  そういうことによって最終的にはどこで死のうが、家族との住み慣れた地域での生活を支 えることができる。在宅医療を再開する為に多大に医師に負担がかかり過ぎたり、或いは訪 問看護と頑張ったとしても、その責任の重さには、医師にはいつも疑問が残ります。  ですから、病院にMSWが適切に存在し、そして病院の退院とか入院がもっと容易に、い つもできる状況がつくれれば、私はもっと在宅医療は進むと思います。地域の小規模医療機 関とか、有床診をもっと活用できれば、違う形になってくると思います。これからそういう 状況により、もっと在宅医療に取り組む医師がふえると思っています。 ○田村里子氏  それに関連してなんですけれども、在宅もそうですけれども、あと老健とかホーム、ぎり ぎりで、その方にとってはそこがおうちなのでぎりぎりいたい。でも終末期になったらもう 見られないからということで、とにかく医療機関に行かなくてはいけなくなってしまってい る高齢者の方がおられるんですが、うまくネットワークをして、おうちと同じように何かあ ったらお受けできるということをすると、先ほど最後に書きました、介護保険の施設でも、 かなりもうぎりぎりまで、お看取りまでできる方もたくさんおられるんです。ですからある ものをうまく使っていくという意味で、本当にネットワークを有機的につくるというところ が、どれだけいたいところで最後までというのを保証できるかというのは、いろいろな方、 きょうお示しできなかったんですけれども、施設の死とかたくさん体験していて学ぶところ です。 ○糠谷部会長  かなり時間も過ぎておりますが、よろしゅうございますか。きょうは本当に重要で興味深 いお話を聞かせていただきまして、ありがとうございました。町野先生、田村先生、それか ら川越委員、ありがとうございました。それでは、このあたりで、本日の審議は終了したい と思います。次回の日程について、事務局の方からどうぞ。 ○事務局  次回はまだ未定でございます。年内は一応開く予定はございません。年明けに開きたいと 思っておりますが、日程は未定です。よろしくお願いします。 ○糠谷部会長  それではこれで終了にいたします。本日はどうもありがとうございました。     【照会先】     厚生労働省保険局医療課企画法令第1係     代表 03−5253−1111(内線3288)