○健康日本21中間評価報告書案全体についてのご意見

意見の概要
目標に大きく前進したもの、停滞しているもの、中には後退した項目まである。何故後退するような項目が出てくるのか。時間・金・労力を費やしながら無駄に終わらないようこの原因を解明しなくてはならない。大きな成果を挙げている部門は、もうこれでいいというのではなく他部門を牽引するという意味でも、今後もより高い目標値を掲げ健康施策を企画・立案することを希望する。
総括としてメタボリックシンドロームの温床となる生活習慣を、縦割りに「食事」「睡眠・休養」「運動」「タバコ・アルコール」といった個別達成度の評価をしたが、その結果としての循環器病や糖尿病の増加による国民医療費に占める割合を下げることはできなかった。これらの疾患は決して労働環境と無縁ではなく、また家庭環境にも大きく左右されるものである。特に小児や児童・生徒の栄養や休養は家庭に大いに依存し、親の生活習慣はそのまま子供たちに影響を与え、肥満児や夜眠らない・いつも疲れている子供も増えている。この時期は子供の成長や脳の働きに重要な時期であり、精神の高次な形成にもおおきな影響を与え、将来のさまざまな疾病や犯罪の端緒となりかねない。家庭のあり方や学校のあり方にも一歩踏み込まねばならないだろう。
これらの問題は厚生労働省のみならず、文部科学省や環境省・産業界等関係各省庁が連携して当たらなければ、社会的習慣や労働規範に流されて改革・改善は遠いものとなるのではないだろうか。
単に数値評価やマニュアルの設定に端を発する新規事業の掘り起こしばかりに囚われず、空洞化した施策への反省を補う政策の実現を行っていただきたい。
厚労省の他の施策にも共通する傾向かも知れないが、数値化して国民を無理やり誘導しよう、そのためにとりあえず数値目標を決めれば省の仕事は終わりという傾向があるのではないか。国民の判断をサポートするまでが厚労省の仕事であり、後は国民の責任ある判断に任せるというのが基本的な考え方であるのではないか。
健康日本21で国がやろうとしていることは、国民自身の範疇を越え、国民への強制に繋がりそうに感じる。極端に言えば、健康に名をかりた強制ではないのか、あれはやってはいけない、こうすべきだ、これを食べると健康にならない、国民の食卓や生活の中まで入り込んできそうな恐怖心を受ける。国民は健康という錦の御旗に逆らうな、と聞こえるし、国民をロボット扱いしようとするように感じる。健康に関して、国は国民への情報提供や助言というところで留めおくべきであり、国民の自己選択に関わるべきでない。
個人の生活環境まで特に国家(行政)が目標値を設定してあれこれ言うことは極めて問題だと思う。いろいろな情報提供をすることは大事だが、あくまでも個人の判断に委ねるべきである。
健康観は個人個人で異なり、生き生きと生活する人生観も異なる。「健康」という不透明な定義の下に全国民を導き、日常生活の自由な選択範囲内まで国家が介入すべきではない。
食生活や、たばこ、アルコールについては人類の歴史の中で、その功罪については私たちは十分に理解しており、今更、その内容について貴省が細かく数値目標など掲げるのは、出すぎた行為にしか思えない。もちろん、偏った食生活や、たばこの吸いすぎ、アルコール依存症には注意、指導が必要である。しかし、ストレスの多い社会の中にあって、何を優先させるかは、個人が必要な情報(リスク)を十分に理解したうえで選択すべきであると思う。健康で長生きすることは大切だが、楽しみのない生活が必ずしも長生きに繋がるとも思えず、そんな人生は虚しいと思う。 国民の健康について厚生労働省として対策を検討し実行することは重要なことと思われる。しっかりと議論していただき、広く意見を聞いたうえで偏りのない適切な対応をお願いします。
運動、栄養、塩分、たばこ、アルコール、すべて個人の判断で生活の中で対応すべき。あれもこれもダメ、気をつけなさい、と国から言われれば、人生の楽しみ、もっと言えば生きる意味まで失うことになりかねない。 ここまで目標設定されてその後政策に反映されるとすれば極めて危険な国になると思う。また極めて幼稚な社会になる。確かに法律で禁止されている未成年者の飲酒や喫煙は規制すべきでしょうが、大人なら自己の責任と判断で自分の身体のことは考えることができる。 ぜひ再考していただき、せめて「これこれにはこのようなリスクがある」程度の発信にしていただき、間違ってもバカな個々の目標を設定することのないよう、強く要望する。
多くの日本人は病気なのか。たばこを吸っていても、ちょっと太っていても病気とは思えない。国が国民の健康を心配してくれるのは有り難いのですが、大きなお世話ということもたくさんある。
健康日本21は、健康になって何をする、長生きをして人間として何をするという目的を持たないただの健康おたくを増やすだけ。「人間としてどう生きるべきか」を発信し、「そのために健康でいましょう」という意味のある活動をして欲しい。
掲げられた最終目標は人間としての生き方、価値観なりのテーマであり、哲学の問題であるべきなのに、単に健康(=疾病がない)と歪曲された短絡的な整理となっている。
厚生労働省は、『メタボリック症候群』として、ウエスト男85cm以上、女90cm以上及び高脂血症、高血圧、高血糖などをもって生活習慣病予備群としているが、メディアなどでは、ウエストの太さのみが問題となり、他要因が問題となることが少ない。また、メディアによる洗脳の効果もあるが、ウエストが基準値を越えていることが、すでに病気であることのように考えている社会人も少なくない。これは、肥ることに対する差別を生むのではないか。
男性の場合に限れば、ウエスト85cmというのは40代日本人の平均的なズボンのサイズ。欧米のメタボリック症候群の基準は、軒並み1mを越えている。
ウエスト以外の要因である血液結果は、『目に見える』ものではない。目に見える基準値を、平均的サイズで決定し、しかもその他の要因をきちんと放送するようにメディアに指導せず、ただウエスト85cm以上が病気であり、悪であるように宣伝することを容認する厚生労働省の姿勢は、おおよそ該当者の精神的健康について考えているとはいえない。身体的健康に関しては及第点でも、メンタルヘルスに関しては落第。
記述中”健康寿命の延伸”とあるが、健康寿命とは何か、何歳なのか、それを何歳までもっていこうとしているのか等が抽象的で明確に理解できない。この記述が大前提として健康日本21に記述されるべきである。
今回の報告書は、テーマごとに少人数のグループが検討した項目をくっつけ合わせただけのように感じる。世界一長寿の国である日本に今、何が本当に最重要な課題なのか、それをしっかりと行政が打ち出して、それに基づいた報告書であるべきではないのか。
各目標項目の中間報告値の「出典」について、何の表記もなされていない。どのような調査内容であったのか、どのような集計方法なのか等を確認するためにも各項目の数値の出典の明記をお願いしたい。
新分野として「呼吸器」の項目を設定するべきである。
最近ではダイオキシン、アスベスト、大気汚染や排気ガス中の粒子状物質等が挙げられ、喫煙者が減少している中、肺がん患者が増加していることを考えれば、先送りすることなく、これらに速やかに対応・対策を講ずることが喫緊の課題と思惟される。

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