06/04/25 労働政策審議会労働条件分科会 第55回議事録 第55回労働政策審議会労働条件分科会                     日時 平成18年4月25日(火)                        17:00〜                     場所 厚生労働省6階共用第8会議室 ○西村分科会長 ただいまから第55回労働政策審議会労働条件分科会を開催いたしま す。本日は島田委員と谷川委員が欠席されております。また、山下委員の代理として君 嶋さん、渡邉佳英委員の代理として尾形さんが出席されております。平山委員は少し遅 れるとのことです。  本日の議題に入ります。前回の分科会では、事務局に「労働契約法制及び労働時間法 制に係る検討の視点」を用意してもらい、この「検討の視点」を素材として議論をして いただきました。前回は「検討の視点」のうち1頁目と2頁目の前半ぐらいまでを御議 論いただいたわけですが、本日は、できれば前回の続きの所から御検討をいただきたい と思います。 ○紀陸委員 前回も申し上げたので、くどいようですが、契約法制の議論は結構難しい 問題も含んで時間がかかるという懸念もあります。労基法の改正の問題は、特に時間を 中心にして切り離して議論をすることも考えられます。仮に、来年の通常国会で基準法 だけの問題を出すとか、前回の仕掛かり気味のものだけをやるということは、理屈の上 ではあり得ると思うのですが、そうはいかないものなのかどうか、その点をもう一度確 認の意味で伺いたいと思います。 ○西村分科会長 誰に確認をしたらよろしいのでしょうか。 ○紀陸委員 公益の先生方でもいいですし、厚労省の方々でも結構です。 ○大西監督課長 私どもとしては、個別の労働関係をめぐる実態と労働時間をめぐる実 態を踏まえて10回御議論いただいて、その議論の中から「労働契約法制及び労働時間法 制に係る検討の視点」という形で用意したわけです。前回の分科会の場でも、議論の順 番についての意見をいただいたのですが、労働時間法制について、きちんと議論を進め ていくことを前提に、労働契約法制と労働時間法制の検討について、「検討の視点」の 資料を前から順次議論を進めていくのがよいのではないかということで取りまとめられ たと理解しておりますので、今回、引き続きそのような形で御議論を進めていただけれ ば大変ありがたいと考えております。 ○奥谷委員 労働契約法制の件に関して、この中の2頁に、「使用者は、労働者が安心 して働くことができるように配慮するとともに、労働契約において」と書いてあります が、今、使用者が安心して労働者を雇えないという状況があるのです。例えば、雇って も1か月以内に一方的に破棄して辞めて、他の会社に移ってしまうというようなことが 頻繁に行われている。特に中小企業の場合はそれが多いということを周りで聞いており ます。特に高額で雇われた人に関して、そういったことが多いという場合もありますが、 そうなった場合に、労働者には罰則も何もないわけです。一方的に使用者側が不利益を 被ることになってしまうわけで、労使対等という意味合いが全くない今の現状で、そう いったところはどうお考えになっていらっしゃるのかお答えいただきたいのです。 ○大西監督課長 今御指摘いただいたのは、2頁のいちばん上の○の所ですが、1頁の 「基本的な考え方」の中で、労働契約というものが労働者と使用者との継続的な関係を 規律するものであるということで、労使両当事者の契約に対する自覚を促しつつ、労働 契約が円滑に継続するための基本的な事項が示されています。  こうした中で、1つ目の○で「労働契約は、労使が実質的に対等な立場で締結するべ きものであり、労使双方が労働契約の内容に納得し、良好な労働契約関係を維持するよ う努めるべきものとすることが必要ではないか」ということです。そこで、事務局の案 としては、労使がお互いに納得して契約を結んでいただくことが重要ではないか、事務 局の「検討の視点」の中では、それを越えて委員御指摘のような所まで行くということ ではなくて、こういう範囲内ではないだろうかということで提案しているところです。 ○奥谷委員 そうすると、今までの範囲を越えないというと、要するに使用者側がいつ も泣き寝入りしないといけない、という状況のまま行くということですか。 ○大西監督課長 泣き寝入りしなければならない状況というのがどのぐらいあるのかと いうところもありますが、紛争という観点で整理していくと、必ずしもそういう場面が 個別の紛争に出てきているわけでもないということで、現時点ではこういう範囲が適当 ではないだろうかということで提案したわけです。 ○奥谷委員 労働者に対して使用者側が訴える、そういうこともできるということも含 まれるということですか。  前に言いましたように、労働基準法の基本的な概念が、労働者保護の立場に立って貫 き通しているわけですが、今は時代が変わってきているわけです。要するに、労使対等 と言うのであれば、いつも「労働者保護」ではなくて「使用者保護」もあっていいので はないか、そういう概念も入れ込んでほしい、ということを我々は言いたいわけです。 ○大西監督課長 基本的な労働法の体系を申しますと、労働者と使用者の中では、多少 使用者のほうが力が強いといいますか、そういうところを修正をかけていくことが今ま での伝統的な労働法の考え方であった。そのことは誰も否定できないところだと思いま す。それがどの程度修正されてきたのか、あるいは、そのような実態がどの程度社会に あるのかに応じて、基本的な法律関係を、新しく制定するときに議論していくべきもの ではないかと思っております。  私どものこちらの提案の中では、いわゆる今までの労働法の考え方を根底から覆すほ どの立法事実はないのではなかろうか、ということを念頭に提案しているわけです。た だ、そういう中で、労働契約の考え方として、労働者と使用者が継続的な関係を規律す るという特殊性に着目した、実態に即した整理は必要であると考えておりまして、1頁 の下のほうでは、そういった基本的な考え方を提案しているわけです。 ○田島委員 いまの点は極めて重要だろうと思います。まず一点、紀陸委員から「難し い問題ですし」という発言があったとおり、7月に中間報告などという結論を決めない で、しっかりと、じっくりと議論をしていただきたい。これは是非御確認をいただきた いと思います。  あとは1頁目の「基本的な考え方」です。「労使が実質的に対等な立場で締結するべ きものであり」とあり、その対等性をどう保障していくのかということが、この「検討 の視点」では、はっきり見えてこないわけです。課長が言われたように、労使の力関係 を見たら、圧倒的に労働者のほうが弱いですし、だからこそ憲法の28条で三権が、ある いは労組法で、団結しながら交渉することを保障し、「対等性」をやっと担保している わけです。したがって、今回の問題として、例えば就業規則を見れば、意見聴取さえす れば経営者のほうが一方的に決めることができるのに、すべて包括的に変更権を与える ようなことで、本当に対等性が担保できるのかという問題が出てくるだろうと思うので す。また「対等な立場で締結するべきものであり」ということをどのように担保しよう としているのか。  もう一点は前回発言し忘れたことです。この間は「研究会報告」に基づかないでフリ ーに議論しながら検討していこうということになったと思いますが、この「検討の視点」 は本当にその確認が活かされているのか。「研究会報告」に戻って項目が提起されている のかなという気がするのですが、今までの労働条件分科会のフリーな討論がどのような 形で活かされたのかということが分かるように教えていただきたいと思いますので、そ れについてお答えいただければと思います。 ○大西監督課長 最初の「中間まとめの目標」については、前回の分科会で、ぎりぎり その日にどうしてもということではないのですが、そういうことを一つの目標として、 精力的に議論していくのがいいのではなかろうか、というようなことになったのではな いかと理解しております。  二つ目の「労使が実質的に対等な立場で締結するべきものであり」ということについ ては、前回、労働契約が労使の合意であるということと、就業規則が急に出てくること について、どのような関係になっているのかというような議論があったわけです。私ど もが「就業規則をめぐるルール等の明確化」で提案しているのは、就業規則というもの が日本の労働の現場で何十年という歴史を持って続いてきているということも前提にし つつ、そうは言っても、就業規則で労働条件を決めていく、あるいは労働条件を変えて いくといった場合に、労使が実際に協議をし、よく話し合って、合意をして変えていく という事情もまた、よくあるのではないかという観点から、就業規則を活用しつつも、 労使でよく話し合って労働条件を決めていくことにより、そこで集団的、統一的な必要 性があって定められていく労働条件を個々の労働者に納得していただく、ということが 我が国においてよく行われており、それが有効に活用できるものであれば、それを制度 として明確化していくことが有益であろうということで、2頁を中心に提案しているわ けです。  これまでの審議会の議論がどのように反映されてきたのかという点ですが、審議会の 過去の経緯をひもときますと、研究会の報告書というものがありますが、これについて は議論の前提にしないというような御議論があり、それから後に、紛争の実態を踏まえ つつ、どういう議論が必要であるかというようなことを議論してきたと思います。そう いうことで、研究会報告書とここが違っているというような説明は、いささかしにくい わけですが、例えば、私どもが見てきた紛争の実態を思い起こしますと、解雇をめぐる 紛争について、いろいろな紛争が起こっているという実態があったのではないかと思い ます。そして、4頁ですが、「労働契約の終了の場面のルールの明確化」ということで、 解雇に関するルールで、いわゆる整理解雇ないし経済解雇と言われていることに関する 議論がありますし、また、普通解雇についても、いろいろな議論があるのではないかと いうことで提案いたしました。また、解雇と和解の関係のようなことも含めて、金銭的 解決の仕組みというものがあるのか無いのかというようなところの議論も必要ではない かということで提案されています。研究会報告書との関係を直接言うのは、いささか気 持ちが悪いところはあるのですが、例えば、あまり紛争が起こっていないようなところ は、項目的にもかなりすっきりしたものになっているのではないかと考えております。 そういう意味で、労働条件の変更に伴う部分で、就業規則が現実にワークしているのか、 していないのか。要するに、就業規則で労働契約が変更されているというのが非常に多 く、また、解雇をめぐるところでいろいろ紛争が起こっており、内容的にはそういった ところが分量的に非常に多いという整理をさせていただいております。 ○田島委員 いまの課長のお答えの中で「検討の視点」と若干違うと感じたのは、いま 「労使の合意」というのを強調されたのですが、例えば1頁目の「基本的な考え方」で 「労使双方が労働契約の内容に納得し」とあります。これは前回、長谷川委員や石塚委 員がかなり追求した点なのですが、いまの答弁では、「合意」を基本にしておきながら、 ここでなぜ「納得」になるのかというのがちょっと解せない点なのです。労働契約は、 基本的には合意という原則が立てられるべきだろうと思いますが、これがなぜ「納得」 となっているのか。この文書と課長の答えが違うのではないかと思います。 ○大西監督課長 まず、形式的にお話させていただきます。合意と言ったのは、この2 頁の「就業規則の変更の場面でのルールの明確化」の2つ目の○で、就業規則を変更す る際に、当該事業場の過半数組合と使用者との間で合意した場合には、その変更が合理 的なものとして個別の労働者と使用者との間に合意は成立したものと推定するというこ とで、法的効果を与えることが必要ではないか、というように書いてありますが、基本 的に労働条件を変えていくときに、就業規則が我が国の労働の世界でワークしていると いうことで、労使でよく話し合いをしていただいて議論していくということが非常に重 要ではないかという文脈の中で、「合意」というワードを特に使ったわけです。  ただ、労働契約は労使が実質的に対等な立場で締結すべきものである、ということは 正にそういうことですし、ここの「労使双方が労働契約の内容に納得し」というのは、 双方が説明して、「ああ、それは分かりました」というようなことが当然行われている ということを文章で表したものです。 ○八野委員 いまのことにも関連するのかもしれませんが、労働契約法の「契約」につ いてです。契約というのは、当事者同士が十分な情報を得ながら合意し、それを契約の 要素にしていると思うのです。  「検討の視点」の労働契約法制の「基本的な考え方」で言えば、労働契約は労働者と 使用者が対等な立場できちんと交渉をし、十分な情報を持ち、また、自由な意思に基づ いて合意したときに、初めて契約が結ばれたということになるのではないかと思います。 ところが、ここでは「労働契約の内容に納得し」と非常に弱いトーンになっているので す。本来、契約というのは、意思が合致し、それで合意する。例えば、経営側の方たち がいろいろな会社と交渉をしながら契約を結ぶといったときに、十分な情報やお互いの 十分なコンセンサスがない限り、契約は成立しない。労働者と使用者とを考えてみた場 合も、そういうことが言えるのではないかというのが一点です。  また、次の「就業規則をめぐるルール等の明確化」の中で、「我が国では」とあります。 これは秋北バス事件の最高裁判決だと思いますが、その中では、「多数の労働者を使用す る近代企業に」という文言が入っていたと思います。これは大企業を指しており、中小 規模の企業を指しているとは思えません。ですから、今後、労働契約法ということを考 えたときに、大企業を前提にしたような最高裁判決をベースにして、周知をするだけで そういう就業規則等の変更による労働契約の変更が行われることをルール化していいの か、その辺について質問させていただきたいと思います。 ○西村分科会長 前回、原川委員と平山委員は御欠席だったのですが、このような形で 就業規則あるいは労働契約を捉えた検討の視点が出されております。いま八野委員から もそういう御意見が出ているのですが、いまお聞きになって、いかがですか。就業規則 が企業の中でどういう役割を果たしているのか、あるいは、労働契約というのはどうい うものとして捉えられているのかといった点で、原川委員の場合だと、中小企業の観点 から何かお話いただけるとありがたいのですが。 ○原川委員 中小企業の場合も、就業規則を作って、それを中心に経営が行われている という根本的な問題は大企業と変わりないと考えます。中小の場合には、就業規則を改 定しないで、そのまま来てしまっているという企業も中にはあるわけですが、多くの中 小企業においては、ルールを守るということで労使関係を保っているということは言え るのではないかと私は思っております。  例えば、中小企業で労働組合がない所は、労働条件がかなり悪いとか、不利益を被っ ている労働者が多いというような指摘がなされるわけですが、中小企業というのは、従 業員の顔が見えるというところが特徴です。大企業のように労働者が多い所は、組織的 に運営していかなければ組織は動かない、というところはあると思うのですけれども、 中小企業の場合には、比較的人数が少ないということから、組織も簡略、意思決定も迅 速、そして行動は機動的である、そういうメリットをかもし出すような組織運営が似合 っている。そういったことがありますので、一概に労働組合がないとか、組織率が低い からといって、労使関係が適法に行われていない、というようなことにはならないと思 うのです。 ○西村分科会長 平山委員、いかがですか。 ○平山委員 雇入れの自由もあるわけですし、就業の自由、選択の自由もあるわけです から、入口での契約というものをどう本人との間でわかり合うかが一つの大事な点でし ょうね。多くの場合、就業規則で基本的な条件を共通的に見せています。  その改廃について言うと、たぶん過半数組合があるか、そうでないかでかなり違うの だと思います。たぶん、就業規則は経営側が従業員に一方的に示す規則である、という 概念ではない進め方というのが、過半数組合がある所では一般的に行われていると思い ます。就業規則は労使で協議する。「労」は労働組合の「労」ですが、集団的に条件の 改廃についてのやり取りをして、労働協約にまとめるなり協定にまとめるなりして、 先ほどの「合意」のように合意されれば、会社が就業規則として従業員に示していく。 こういう中で過半数組合と合意したことをもって、それを納得しながら、基本的には 従業員に適用される。従業員という個と会社の関係でも、そこで合意が成立していると いうことでやっているのだと思います。過半数組合がある所で、こういう進め方で不都合 があるかというと、おそらく、ほとんど不都合なしにそういうことをやっていると思います。  正直に言って、研究会報告の中では非常に網羅的にいろいろな項目が取り上げられて いましたし、「労」と「使」という関係を比較的に対立する概念として対置した上で、ど うすればいいのか、と言う感じが非常に強いという気がしています。これは非常に感覚 的な話ですが。  そういう意味で言えば、2頁にある基本的な考え方は、特別多数労働組合などと、従 来ない概念が出てきて、これはどうしてかというところはありますが、現実的に言えば、 就業規則に関する議論の叩き台としての方向性は示されていると思います。一つ一つに ついては、過半数組合がない所でどういう形でやっていくかということも含めて、十分 議論する必要があると思いますが、ここに示されているようなことを大きな軸に置いて、 一つ一つを議論していくということだと思います。 ○小山委員 私も前回欠席して参加できなかったのですが、いまの就業規則の話で言っ ても、労働相談などで、私たちが電話をとって、就業規則はどうなっているのかと聞く と、例えば解雇された労働組合に入っていない一般の人の場合、ほとんどの人が、就業 規則は見たことはないと言うわけです。それで、まず経営者の人に言ってもらってほし いと言ったら、見せてもらえなかったという答えがほとんど返ってくるのです。労働相 談をやっている方、あるいは厚生労働省でも、監督官の皆さんなどはよくご存じの世の 中の常識、というか、それが実態であるというのが世の中の常識になっているわけです。 中小企業における就業規則の位置付けはそういうものであるという場合が多いというの が現実ですから、まず、その現実に立って考えていただきたいと思います。  もっとも、労働組合がある大きな企業においては、きちんと運用されていることが多 いのかもしれませんが、大多数の、特にこの契約法の分野でいちばん対象とされるべき 分野は中小企業の分野ですから、その就業規則の現実を直視していただいて議論してい ただきたい、ということが一つです。  その上に立って質問をさせていただきたいのですが、就業規則の変更によって労働条 件を変更する場合に合理的であれば合意を推定するとか、いくつかそういう記述が出て きて、びっくりしているのです。何を根拠にそういうことが出てきているのかというこ となのです。仮に過半数労働組合があって、そこと使用者の間で合意した場合には、そ の変更が合理的なものとして、個別の労働者と使用者との間に、従前の労働条件の変更 に係る合意が成立したものと推定する。これは「合意」の推定までするわけですが、そ れは、どういう法律上の根拠があるのかということなのです。専門家の荒木先生もいら っしゃるし、是非その点をお聞きしたいのです。私は、これを見てびっくりしたのです。 何を根拠に、こういうことが言えるのですかと。それでもって契約法と言うから、これ は前回やったのでしょうけれども、そもそも労働契約とは何か、契約とは何か、という その根拠を教えていただきたいと思います。 ○西村分科会長 荒木委員、名前が出ましたのでお願いします。 ○荒木委員 前回の議論は、就業規則の変更によって労働条件を変更するところまでは 入ってなくて、その前のところ、就業規則というのは労働契約の内容になるか、とりわ け、契約の締結のときに、就業規則は契約内容になるかというところで大分議論がされ ていた。そのときに、契約は合意であるからということで、合意を中心とすべきで、最 初から、就業規則の議論が出てくるのはおかしいのではないかと、そういう議論があっ たようであります。  それに対しては、渡辺先生などから、就業規則が労働契約の内容に取り込まれるとい うのは、契約の基本の問題であるという御指摘がありました。また、座長からも、合意 というものに帰っていくというのは、そもそも当事者の合意としたところを出発点とす ることによって悲惨な労働条件が展開されて労働法が制定されてきたというところ、そ の関係についての御指摘があったと思います。  私自身は、契約は合意が基本であるということはそのとおりなのですけれども、普通 に民法や契約法で言っている「合意」は、「明示の合意」には限らず「黙示の合意」も あるわけで、それをすべて公的な拘束力を認める場合に、「合意」に根拠を求めるとい うことです。日本の就業規則なども、就業規則を提示されて、それに特段異議を唱えな ければ、それについて合意したものとして取り扱うというのは、契約法からすれば自然 な成り行きであろうと思います。したがって、就業規則が労働契約の内容となり得ると いうことについては、特段おかしいことではない。問題は、全く見せられなかったとい うようなときにどうなるかで、その点について議論があるということだと思います。  その点については、最高裁が秋北バス判決で、合理的なものであれば、契約内容にな るといったような判示を展開してきましたので、判例どおりかどうかは議論があり得る ところですが、それに則った形で「基本的な考え方」の2頁の前半の2つの○に書いて あったのではないかと理解しています。 ○小山委員 私はよくわからなかったのです。2頁目の下から3つ目の○のことを例示 的に言っているわけですが、「過半数組合と使用者との間で合意した場合には、その変 更が合理的なものとして個別の労働者と使用者との間に従前の労働条件の変更に係る合意 が成立したものと推定するという法的効果」、そういう法的効果まで与えると言っている わけですが、その法的効果とは一体何なのか。この契約法の中で「合意が成立したもの と推定する」と書かれるということについて、何の根拠でそれが書かれるのかが分から ないのです。先ほど秋北バス事件のことを言われましたが、秋北バスの最高裁判例でも、 労使の合意という大前提を置いた上で、この事件についての判決を下しているわけです。 契約法ですから、その前提となる合意、その契約が一体どういうふうに変更し得るのか、 し得ないのかということの明確なところが必要なわけです。個々の事例における判決と 違って、これは契約法として法律にするわけですから、そこのところをお聞きしたいわ けです。何の根拠を持って、これが法的効果まで持つのか。 ○大西監督課長 いま荒木委員からも取りまとめをいただきましたように、前回と今回 の議論で、いわゆる労働契約というのは合意が前提である、合意が大原則であるという 御意見をいただいております。就業規則の変更の場面でのルールの明確化をどのように していくのが合理的であるのか、それを労働契約が一回性のものでなく、労使両当事者 が継続的に結んでいくという特性があるということに鑑みて、労働条件を多数一遍に変 更しなければいけないというような場合に、世の中の実態としてどういう手続が行われ ているのか、あるいは、どういうことをすることによって、労使それぞれの立場が満足 され、うまく契約が変更されていくのかというようなことを考えますと、よく御指摘を 受けている秋北バス事件の判例の中では、たしか判例では、多数組合との合意というよ うな一定の手続を踏んだ場合には合理性がある、というような形で書いてあったかと思 います。労働組合との合意によって就業規則の変更が起こった場合に、一人一人の労働 者は一体どういう労働のもとで働いているのかというと、変更後の就業規則に依拠して 働いているのではないか。もし、そういう実態があって、そういうことが労働契約の安 定的な継続に非常に役立つものであれば、今は判例法理を参考にしてそういう関係が整 理されているということを、もし労働契約法制が出来るのであれば、そういう中で明確 化していくというのが、労働契約を良好なものとして継続していくという観点から、非 常に有効なものではないのかなということで提案したわけです。 ○小山委員 民法上の契約のルールと別世界のものを、ここで作ろうということですか。 ○大西監督課長 民法上の契約と別世界。どこまでが別世界かというのは議論があると ころですが、もともと労働法全体が民法とは違う部分を書いているところがあるわけで す。それを別の世界と言うと、民法がこちらにあって、労働法はこちらにあるのかとい う議論もあれば、民法がここにあって、労働法は、まあそういう中なのだが、やはり労 働関係はこういう特別な事情があるから、このようなことがよいのではないか、という 両方の意味があると思うのです。しかし、民法と全く離れているという別世界ではない と思うのです。もちろん、民法のルール、個別で労使で契約の締結について協議をした 場合に、それが果たして良いのか、あるいは集団的に協議することが適切ではないかと いう観点から、労働法全体として、いろいろな議論がある中で、そういう労働法の体系 の一つとして、こういうことが言えるのではないかという意味です。完全に別なもので はありませんが、全く一致しているわけでもないというものです。 ○石塚委員 私の理解では、労働契約法というのは、やはり民法なのだと思うのです。 この前も言いましたように、契約と言う以上は、両当事者間の実質的な合意というもの があるだろうと思っているのです。しかし、民法か、労働法かという議論をやっても生 産的ではないと思いますから言いませんが、要するに、就業規則を周知させれば、なぜ それが合意の成立と推定されるのか、その理論的根拠は何なのかということを小山委員 は聞いているのです。そして、お答えは何かというと、その根拠はこちらに置いておい て、この言い方が不適切なら撤回しますけれども、日本の現実の中で、就業規則という ものは非常に大きな役割を果たしてきた。しかも、それが一遍成立したら、いろいろな ことがあるわけだから、労働条件の変更も、それは長い間の契約関係だから、それはあ り得るでしょう。そのことを事実として、日本の場合には就業規則が使われてきたし、 そこにおいて一定の有効性はあったのではないか、というこの間の事実を述べているの です。  しかし、これには食い違いがあるのです。私どもは、就業規則が全く機能していない とか、機能してきたかということについて、完全に否定するつもりはありません。事実 として、機能してきたのだと思います。ただ、先ほどから言っているように、就業規則 というものが金庫の中に仕舞われているような現実も、たぶんあるのだと思いますし、 100%有効に機能しているとも思えないのですが、事実として機能してきた。  そこで、ここで出ている小山委員の質問というのは、就業規則を周知させれば、それ で合意の成立が推定されるという論理的な根拠は一体何なのかということを聞いている のです。その答えは結局、事実としてこうである、有効だから使いましょうということ なのです。少し段差があるので、もう一遍そこの整理をしないと、この議論は付きまと うのかなと思いますので、よろしくお願いいたします。 ○田島委員 ちょっと関連して。課長からは、秋北バスの判例どおり云々という発言が ありましたが、荒木委員は、判例どおりかどうかはあるけれども、という極めて微妙な 言い方をされたのです。我々も秋北バス事件の判例をかなり変えているなという思いが あるのです。荒木委員が、判例どおりかどうかはあるけれどもとおっしゃるのは、どう いう点なのか教えてほしいのです。これは極めて重要問題だろうと思いますので。 ○荒木委員 就業規則の変更によって労働条件を不利益に変えることができるかという 部分に関しての書きぶりということであれば、秋北バスとは違っていると思います。秋 北バス事件判決は、「当該規則条項が合理的なものである限り、個々の労働者において、 これに同意しないことを理由として、その適用を拒むことは許されない」という表現で す。つまり、就業規則変更が合理的であったら、自分は反対だと言ってもその適用を拒 めない、ということを秋北バス事件の大法廷判決は言ったわけですが、現在の「検討の 視点」は、そのことを、あるいは、そのことを踏まえてかは分かりませんが、「変更に 係る合意が成立したものと推定する」というふうな書きぶりになっているということだ ろうと思います。 ○渡辺章委員 就業規則が労働者と使用者の間の権利義務になるという場合の法的根拠 ですが、考えやすく言えば、就業規則が存在する、それは労働者を雇うときの契約の雛 形のようなものである。それで、それに明示もしくは黙示の合意ということですから、 特別な異議がなければ、大部分は就業規則によって労働契約の中身は決まっていくとい う、それを最高裁判決は、事実たる慣習というふうに言っている。個々の労働者の同意 ということが盛んに強調されますが、同意しただけで、就業規則は権利義務になるのか というと、そこが民法の契約理論と違うのです。民法でも公序良俗というものがあって、 それに反するような合意は駄目ですが、公序良俗違反だけではなくて、内容が合理的な ものでなければならない、という労働法上特別の制限を課して法が監視する、あるいは 届出義務を課して、行政機関が、法令違反がないか、労働協約違反がないかを見る、そ して、必要に応じて変更命令もある、そういう仕組みの中で労働契約の内容になるもの であると。  私は、契約の雛形である就業規則が、労働者がそれに文句を言ったか言わないか、同 意したか同意しないかということだけで権利義務の内容になる、というのはおかしいと 思います。それは、いろいろな観点から合理的であるということによって、就業規則が 実質的な契約の中身になる資格を持つと考えています。  もう一つは、内容の合理性と同時に、手続の適正さということです。いま90条が意見 聴取という、やや軽い状況でありますが、内容の合理性と手続の適正さをどう保障して いくかということが問題になり得る、そういう中で契約上の権利義務になるということ だろうと思うのです。  もう一つは、同意不同意という場合、不同意の労働者について、どういうふうに考え るのかといいますと、現在の状況は、就業規則を変更するときに、同意しないことを直 ちに解雇の正当な理由とするというのではなくて、雇用を維持しながら、その変更が本 当の意味で合理的かどうかを司法審査の対象にするということでありますから、雇用を 確保しながら、就業規則の変更について不同意だという労働者が、就業規則の変更が合 理的かどうかを争う権利を認める中で問題が処理されているのです。同意不同意だけを 条件にするのではなくて、そして、不同意だったら「もう、あなたは解雇します」とい うことではなくて、同意しないからといって、不同意自体が労働契約の内容になるか、 ならないかということを争う余地が認められる仕組みになっているわけです。  ですから結局、その変更が最終的に権利義務の内容になるかどうかを、変更の必要性 や不利益の程度、あるいは多数、過半数労働組合とどういうふうに利害調整を行ったの か、そういう内容と手続面でも合理性を判断して権利義務の内容を決めるというシステ ムになっているわけです。  長い期間を重ねてきている就業規則法制そのものは、労働契約法制の一つの柱として、 個別の契約に全部解消していくようなシステムに切り換えていくことはできないのでは ないか、と私は考えております。 ○松井審議官 いまの点の質問で、別の切り口の説明が可能かどうかを少し検証したい のですが、実は、労働基準法の93条という規定があります。この規定はどうなっている かといいますと、「就業規則で定める基準に達しない労働条件を定める労働契約は、そ の部分については無効とする」としてまず効力を否定して、「この場合において無効と なった部分は、就業規則で定める基準による」と。つまり、使用者が定めた基準が、一部 無効になって、自動的に契約の中身になるという効力規定が実は今もあります。これを どう解釈するかという問題もあるのですが、手続的に言うと、合意した契約があるにも かかわらず、就業規則の中身と比較してそれに届かないと、就業規則のほうが優先して 適用されるという項目があるのです。そして、そういった法理と、先ほど言った秋北バス の判例などをある意味でミックスしてといいますか、考慮して、合意が成立したものと 推定する、というような条文を作ることはどうかと、そのことを皆さんに問いかけてい ると見ていただくとよいのです。そういう意味では、ピタッとした根拠ではないと言い ながら、この93条の考え方が既に法定されているものを援用していると考えていただけ れば、しっかりした答えにはなりませんが、推測はしていただけるのではないかと思い ます。 ○新田委員 いまお話があったように、労働基準法13条は、まさに「合意」でしょう。 その合意は、労働基準法に達しなければ無効だと言っているわけでしょう。 ○松井審議官 就業規則です。使用者が定めた就業規則と合意との関係で。 ○新田委員 しかし、93条で言っているのは、就業規則に達しない労働条件のことでし ょう。 ○松井審議官 就業規則のほうが優先して、それに従わなければならないという法理も あるのだということを申し上げたのです。事実を言っているだけですから、それをどう 判断するかは、また別です。 ○新田委員 私はこういう議論は全然弱いのですが、さて、ここで何をしようかという ことになると、新しい契約法を作ろうということでしょう。そのときに、いま行われて いる就業規則を中心とするやり方でいったら、年間いくら紛争があるのですか。どれだ け辛抱している人が多いのですか。100%満足するような労働契約内容などというのはあ り得ないとは思っています。しかし、働くとき、そして、働き始めて年月を経ていって 条件が変わるときも、お互いテーブルに着いて話をして、「わかった」ということがあっ て進んでいくわけでしょう。ところが、そのことがないがしろにされている実態を、是 としているのは就業規則法理ではないですか。それをこの「視点」では、もう法律にボ ンと入れてしまおうと。そこに書いてあることは、労使当事者が対等に話し合って合意 したことではなくて、よくわからない、合理的であると推定できるならばOKだと。こ ういうのは乱暴すぎはしないか、また元に戻るのではないか、いまの状態をそのまま連 れていくのではないのかと、そういうことを言いたいのです。  民法と労働契約との関係を言われていますが、それ以前に就業規則の現状は、労働者 の納得という点も中途半端で、見せてももらえないという実態がある部分をクリアにし ない法律を提示するなどというのはどうでしょうか。どれだけの人が集まって何を議論 しているのかと言われますよ。渡辺先生が言われたように、内容と手続は重要だとは思 いますが、基本に何を置くのかということが合意されなければ、この審議会はまとまら ないのではないですか。結局は使用者が決められる就業規則を労働契約法の柱にボーン と据えるというのには、どうしても納得できないですね。 ○紀陸委員 労使関係も昔の経緯というか、昔のことを振り返って考える必要があると 思うのです。先ほど渡辺先生も言われたように、労使の間でいちばん大事なのは雇用の 維持です。雇用を維持するためにやむなく労働条件を変更せざるを得ない。それを経営 側は就業規則の変更を通じてやる。これの繰り返しできていたわけです。基本的に日本 は企業別組合ですから、個別企業の中の労使関係を、しかも雇用をいちばん最優先する、 雇用を守るために労働条件の変更をしようとする場合に、その会社の就業規則を変更す るわけです。それが基本的にうまくいってきたから、大げさに言うと世界に冠たる日本 の労使関係ができてきたと私どもは理解しているわけです。基本的に労使の間に、そう いう信頼関係があって、それが現実的にも成果を得てきたから、これだけ賃金レベルも 上がってストライキもなくなってきた。残念ながら組織率は落ちてきていますが。でも、 それにしても組合のある無しにかかわらず、就業規則が機能してきたのは事実だと思う のです。めったやたらに、何というか経営側が就業規則の内容を自分たちの都合のいい ように変えられるか、そんなことはあり得ないです。  ここで言っているのも内容が合理的であると判断されたもののみが契約の内容になる とか、あるいは、これを一歩進んで過半数組合との合意を条件にして変更の合理性まで 認めようと。これは一つの考えですけれども、今まで機能してきたものをもう一歩、場 合によっては進めて議論の整理をしようではないかという提案ですよね。その議論は過 去の労使関係の事実がこれだけいろいろあった中で安定してきた経緯、これをさらに発 展しようとなされる中で議論している、ということを見る必要があるのだと思うのです。 何というか、いい加減なものがすぐ個別の契約の内容になるということではないわけで すよね。 ○新田委員 おっしゃるように日本の企業は冠たるものになっていったと。いろいろな 条件の中で、ときにはいい話もあるけれども、悪い話も、悪い条件も示しながらやって きたと。それに働く側がかんでいたら、きちんと話をして納得していたら会社はうまく いっています。労働者もきちんと向き合っているではないですか。こんなに状況が悪い、 だからこういう条件に辛抱してくれよと。一方的に賃金を下げると言ったら誰でも怒り ます。だけど、こういう状況だからと言って、集団的に団体交渉やって、すったもんだ の議論をして、その上で納得して、そして立ち向かおうということがあったから納得で きるのではないですか。それが労使関係、労使の信頼でしょう。そんなことは何も否定 していません。話し合いをして、話し合いの経過が大事ですということを言っているの です。その経過をどのように、労働契約を結ぶというところに盛り込めるのかと言って いるのです。それを基本に、どのような具合でいこうかという話がないといけないので はないですか。 ○紀陸委員 就業規則は認められるわけでしょう。 ○新田委員 就業規則と呼ぶのかどうかはまた決めればいいですよ。ここに提示されて いるのはいまの就業規則を、そのまま就業規則法理だとか、いろいろなことを全部、い まある実態そのままを法律にしようとするから違うのではないですかと私は思っている のです。 ○紀陸委員 中身のおかしいのを認めるという話ではないわけでしょう。内容的に合理 性があれば、従業員は納得するはずですよ。 ○新田委員 合理性とは何ですか。合理性をきちんと証明できるのは、お互いの話し合 いでこういう結果ですというときです。だから過半数組合が決めたら合理性を認めよう といっているわけでしょう。 ○紀陸委員 会社の過半数の組合、あるいは会社の過半数の従業員、そういう人たちと 内容について話し合って、こういうように変えましょうと、そういう就業規則でもノー だと言われるのですか。 ○新田委員 そんなことは言っていない。 ○紀陸委員 就業規則の機能をどう評価するかとつながってくるわけですよ。それが就 業規則の機能でしょう。その結果、個別の契約がどうのというつながり、論理としては なるのではないですか。 ○新田委員 労働組合のない所の問題でしょう、重要な問題は。 ○紀陸委員 同じですよ。従業員の過半数とかね。組合のある無しにかかわりなく、従 業員の声がどういう形で就業規則変更に係っていくかを担保すればいいわけです。どう すれば就業規則になっちゃうんですかということになる。 ○松井審議官 話の整理だけですから。小山委員、石塚委員の言われた話は、新田委員 が言われる前さばきなのです。まず理論的にどうかということを検証しようということ で、こういう質問があったと思っています。それは当事者が合意して決定する契約とい うものに、就業規則という使用者が一方的に定めるとされる条件が、合理性とか何かあ ると自動的に契約の内容になってしまうというように論理構成をしているのだけれども、 それについての何らかの根拠はあるかというお尋ねだったと思います。それを合意する というものに何か関係ないのが入るというのは、どういう理屈でやるかというように問 われたので、今までの判例法理等を一応ベースに使いながら、こういう手続があると合 理的だと言われるものまでになったときに、その契約を当事者間の合意に高めるという やり方は、飛びましたが、実は就業規則と労働契約の関係について基準法の中の規定で 書いてありまして、当事者が合意した内容であっても就業規則の内容と比べて、こちら のほうがいいなというように言えるものであれば、こちらのほうが優先して、この契約 を否定して、合意を否定して使用者が定めたこの内容が自動的に基準になるという法理 が今ありますと。ですから、それぐらいの法理を使ってここで提案していますというこ とをまず申し上げた。それが第1です。  新田委員のお話は、それは仮に置くとしても、そういったようなものを今回全面的に 認めていくということが、自分たちの認識ですが、それは就業規則などというものがあ って、大量に労働条件を変えることを認めるような今の現状が、いろいろな紛争を起こ しているというように分析すべきではないかという御提案だと思います。ですから、当 事者の契約をベースにきちんと議論して、それで大多数を決めるようにして、直ちに就 業規則は、実態があるからということで取り込むような議論は、もう少し後においてい いのではないかという御提案に聞こえるのです。  ところが、もう一つ渡辺先生が言われたように、我が国においては就業規則というも ので、やはり労働条件を設定するという実態があるわけです。それを度外視して、実態 を見ないで契約だけでやるというのはどうでしょうか。例えば、労働者がこの契約は嫌 だと言ったときに、たちまちクビを切るというような大胆な話になるのでしょうか。そ うではなくて、そういう提案は合理的かどうかを見ながら、合意とか何かにかかわらず 客観的に合理的だということを聞いて、つまり雇用調整などをやる局面でうんと話し合 ってやるということもやっています。そのときに就業規則と契約をうまくつなげて、個々 での労使の本当の意図はこんなものなのではないだろうか、ということを裁判でいろい ろ解決している。そういう意味では、実態に着目したやり方のほうがいいのではないか、 ということを紀陸委員が言われていると思うのです。その中で、そういったものをやる 上で、手続が適正であるとか、中身が合理的ということでいろいろ明確化しているのだ から、前進しているのではないか、そういう提案だというように受けてくれないか、と いうように言われていると思っているのです。その辺の整理をしながらお願いしたいと 思います。 ○長谷川委員 少しお聞きします。まず一つは、この労働契約法がなぜ必要なのかとい うことのバックグラウンドをもう1回思い浮べますと、我が国の集団的労使紛争は、労 使の努力により安定してきて労使紛争は減少した。一方で、個別的労働紛争は非常に増 加した。ある意味では、いろいろな組織間の紛争、足し算してみると100万件ぐらいあ るのではないかと言われます。紛争処理制度は、今年4月1日から労働審判制度が施行 される。2001年10月は、各地方労働局の個別労働紛争解決制度によって労働紛争に対 応しているという状況。そういう紛争処理制度の整備の過程の中で、やはり使用者と労 働者の権利義務を規律する実態法が必要だということが言われてきたわけです。それで 18条の2の改正のときの国会の議論と付帯決議によって、使用者と労働者の権利義務を 明確化することが必要であり、「労働契約法の検討」となったと思います。  私は労働契約法というのは、使用者と労働者の権利義務の明確化だと思うのです。そ こをはっきりさせることが重要です。労働契約法研究会では、そういうことを意識しな がら報告は作られて、要件や効果について強行規定や、任意規定、推定規定が置かれた のだと思うのです。  しかし、私は今回の厚生労働省事務局から出された「検討の視点」は、労働契約法と いう実体法というよりは、どちらかと言うと労働契約手続法なのかなという感じを受け るのです。今年4月1日から施行された改正高齢法は私法上の効力はないと言われてい るわけです。これは行政が、国が、事業主に対する行政指導の、要するに行政法だと言 われているわけです。私は、なるほど、この法律はそういう法律だったのだなというよ うに思って、厚生労働省も長いこと行政法を作ることにずっと慣れてきたし、まさに厚 生労働省はそういう仕事が専らの仕事だったと思うのです。この状況というのは消費者 契約法を作るときとよく似ていると思うのです。だから消費者契約法を作ったときにも 消費者の相談は非常に増えていくわけです。最初は10万件、40万件とずうっと増えて いって、消費者紛争が非常に大きくなってきて、やはり消費者保護法が必要だと。それ で事業者と消費者の権利義務関係といいますか、その関係を規律する法律が必要だとい うことと、消費者を保護する法律が必要だということで、長い時間をかけてその議論が されてきたのです。そういうところは、この個別的労働紛争とよく似ています。消費者 契約法ができる前までは、それぞれの所管省庁が取締法規といいますか、事業に対して 規制する法規がいっぱいあって、そういうところでやってきたのですが、やはりいろい ろな規制緩和の中で取締法規だけでは駄目で、消費者と事業主の関係を規律した法律が 必要だということで消費者契約法ができてきた。まさに個別労働紛争の増加と労働契約 法の関係と似ている状況だと思うのです。  私は労働契約法を作るときには、基本的に使用者と労働者という関係をどうするかと いうところがそもそもだと思うのです。紀陸さんが言われたのはそのとおりで、労働組 合が60%ぐらいの組織でしたら全部労働協約で何でもできてしまうわけですが、組織率 もご存じのとおり20%を切っているわけで、労働協約でやり切れない所もある。就業規 則を全然否定していませんし、就業規則がどういう役割を果たしているかということも 知っていますが、そういう意味では、もう少しここのところは、労働契約法という法の 性格だとか、そういうものをきちんと捉えながら、労働契約法は民事的効果をきちんと 与える法律なのだということを、お互いに確認するべきです。その中で労働契約という 非常に特殊性があり、消費者契約のときも労働契約は適用除外にしたというのは、労働 契約の特徴があるわけです。前回西村先生から18世紀、19世紀が出発点と言われた訳 ですが、やはり個人である労働者と使用者では情報量から何から違うわけです。対等で はないからそれをどう修正していくのかという、修正のかけ方はいろいろあると思うの です。その法律を作るときに、荒木先生、渡辺先生に是非いろいろなことを教えてほし いと思っているのです。労働条件の変更の場合は、秋北バス事件が出てくるわけですが、 法律を作るときに、問題はこういうところですねとしながらも、では判例はどうなのか と。判例ではどのように言っているのか。判例をそのまま法律にするのか。18条の2は まさにそうで判例そのものを法律にした。判例そのものを法制化するのか、それとも判 例の中で、もっとここのところを補強しようとか、そういうようなことが必要なのでは ないかと思うのです。  何を言いたいかと言うと、就業規則とは、一つは、労働契約の内容の重要な労働条件、 要するに統一的な労働条件が就業規則に記載されているわけです。それはそれとして、 就業規則の内容が合理的であれば契約として推定するという、契約の合意成立を推定す るというときに、周知の手続と不合理な場合を除外する、この二つの要件だけで、合意 成立を推定するということが本当にいいのかどうなのか。そういうものが実際ほかの法 律にあるのかどうなのかを聞きたいのです。これは当然ですよという話であれば、理解 もできていくかと思いますが、私がいろいろ個人的に勉強したところですと、ないので はないかという意見が多いのです。周知と合理性によって合意成立を推定するというこ とがどうなのかと。なぜかと言うと、そもそも契約というのは使用者と労働者の合意で す。これは大前提だと思うのです。そうすると、就業規則を絡ませるとしても、これは 本当にそういうことになるのかどうなのかというのを、伺いたいと思っております。  私の秋北バスの判例の読み方は若干、事務局と違うのです。例えば秋北バス事件は、 「多数の労働者を使用する近代企業」ですから、これはそれなりの会社で、そういうと ころを想定しているのです。しかし、使用者と労働者というのは、例えば使用者が1人 で労働者が2人の所だってあるわけですが、ここでは言っていないのです。労働契約と 言ったときは、そういう所までが対象になっていくわけですから、それを全部この判例 を当てはめていいのかどうなのか皆さんの御意見を聞きたいと思います。  私の読み方が間違っていたら指摘していただきたいのですが、判例を読むと、元来労 働条件は労働者と使用者が対等の立場において決定すべきものであるということで、 元々は対等決定なのだと。そして例外として、というように言っているわけですが。契 約は使用者と労働者の対等決定の合意だという原則を押さえてからでないと、一気に就 業規則にいくのは飛びすぎではないか。また、就業規則をどう扱うかという議論はある と思うのですが、私はまずそこのところが必要なのではないかと思います。  あと、先ほど審議官から言われた基準法の93条の扱いは非常に重要だと思いますが、 合意の推定との兼ね合いで言えば、93条は就業規則を下回る当事者間の合意の効力を否 定しているわけです。そうすると、これをどうするのかというのが重要で、93条の扱い 方は非常に重要な問題だと思います。  また、合意というものをどのように考えるのかを、もう少し聞かせていただきたいと 思います。 ○君嶋氏(山下委員代理) 基本的に労使の関係は契約関係だと思うのです。ただ、大 企業を中心として就業規則を中心に動いてきたという歴史がある。それは実質的な労働 契約の内容になっていたのではないかということがあると思うのです。例えば労働契約 法の中で、まず合意ありき、ということをある程度明らかにする必要があるということ であれば、それは特に問題ないのではないかという気はします。ただ、就業規則が中心 になる運用をしている会社は、やはり就業規則をめぐるルールは非常に重要ですし、変 更に関してのルールはある程度クリアな形で、場合によっては合意の推定まで認めたほ うがいいようなケースもあるかもしれないと認識しております。 ○長谷川委員 就業規則の中に労働条件のものと、規範的、管理的なものがありますが、 そういうのはどう整理するのですか。職員がむやみに職場で飲酒酩酊してはならないと いうようなものは、就業規則の中にいっぱい入っています。統一的に決めている労働条 件と、そういういろいろなものがある。そういうのはどう整理するのかなと前からとて も気になっていました。 ○松井審議官 この資料は、基準法の93条は、とりあえず現行のままでというぐらいの イメージでやっていましたが、いまの長谷川委員の意見で、むしろそういうものも変え ることを前提に考えたらいいのではないかというぐらいの意見かなと受け止めています。 ○長谷川委員 そう言っていない。どう考えるのですかと聞きたいだけです。基準法は 残すべきだと思っていますよ。 ○松井審議官 そうすると、ここで言いましたように93条の就業規則は、この93条に いくまでに、使用者が労働者の意見をきちんと聞いて、監督署に届けて、効力を発生し ている就業規則と読むのだと思うのです。そこで定めた基準というのがありまして、そ の基準と契約、ここの労働契約と書いたのですが、この労働契約も労使が合意している はずなのです。これの労働条件を比較しまして、使用者が定めた就業規則の基準に達し ない条件は、その部分は無効にして、この場合、無効となった部分は就業規則の定める 基準によるという条文があります。  そうすると、合意していないものを、単に意見を聞いてここに取り込んだとなると、 これは相当合理的な中身があるから取り込めるのではないかというようにも考えられな いだろうか。そして、ここで意見を聞くということで就業規則として成立するために、 意見聴取という手続も妥当であるし、中身も比較して合理的だから取り込むというよう に考えられないだろうかと。その法理を援用して、今度のこの部分についても、変更す るときに、手続的にきちんと聞き、ここで聞く以上に合意まで取りつけたということま でいけば、今の93条よりは、いともやすく取り込めるというようなことを提案できない か、というぐらいに思っていただきたい。  判例はそこまでいっていません。先ほど言ったように、従わなければならないという ことと、合意内容まで高めているというのは、あちらは少し踏み込んでいますが、それ に拘束される可能性があるというところまでは、判例はいっているということです。ま さに新法を作るわけですから、今まで法律に書いてあったことを書き換えてここに載せ るのであれば、ある意味では新法でないかもわかりません。全く新しい法理をここで定 立することはいかがでしょうか、というように提案しているということで聞いていただ ければと思います。新法を作るわけですから。極端に言うと、前例しか踏襲できなけれ ば新法はできないではないですか。 ○長谷川委員 そんなことは言っていない。新法を作るときに判例をどうするのかとい うことです。 ○松井審議官 判例も考慮しますし、今までの法体系も考慮し、それらを総合勘案し、 ここで公労使合意いただければ新しい法律をということで、国会で立法作業ができるわ けですから、前例がなければ駄目だとか、判例でなければ駄目だということもない。そ れはいろいろな形で判断できるという、素材を提供しているという形でお願いしたいと いうことです。 ○長谷川委員 正しく提供してほしいですね。 ○渡辺章委員 いま長谷川委員の言われた一端だけですけれども、就業規則の必要記載 事項と労働条件なり、契約の中身になることとの区別ということですが、私は、これは 有泉亨先生の定義がいちばん正しいと思って日頃自分でも引用しているのですが、「労働 条件というのは、労働の対象として受け取る賃金、使用者の処分に任せる労働時間はも ちろんであるが、その他労働者が人間として生きることに関連するあらゆる労働関係の 条件を含むもっとも広い概念である」と。これは労働基準法第1条の、労働条件は人た るに値する生活の質を満たすべきものでなければならないという場合の労働条件という のは、そういうように出来る限り広く捉えるべきである。そういうように考えれば、就 業規則の中に多数項目の記載事項がありますが、必ずしも賃金、労働時間という基本的 なファンダメンタルなものだけではなくて、労働者が人間として生きることに関連する あらゆる労働関係の条件というように広く捉えておけば、就業規則の記載事項の中を、 あえて区別するということにまで踏み込む必要はないのではないかと。労働条件の意義 に限って言えば私はそのように考えますが、いかがですか。 ○長谷川委員 私がよくわからないのは、周知の手続の実施と、不合理な場合の除外と いう要件だけで、合意の成立、推定した場合に法律効果があるというのは、ほかの法律 などにもよく見られることなのでしょうか。 ○渡辺章委員 よくわかりませんが、それに対してもう一つの要件は、労働者が異議を 申し伸べないということだろうと思うのです。その場合の異議というのを、黙って働い て、いわば黙示的に推定された合意なのか、明示的にイエスと言った場合でなければな らないとするのか、それほど狭く合意という意味を限定する必要はないのではないかと。 いろいろな議論があると思いますが、基本は周知して合意しただけでは駄目で、内容が 合理的でなければならないという特別労働法的な要件を課して、そして就業規則が労働 契約の内容になるというフレームワークになっているのではないかと。合理性と言われ るためにはどういう要件が必要かということは、さらにここで議論すべきことでしょう けれども、基本的な理論の枠組みとしては、そういうことでいいのではないかと私は考 えています。 ○長谷川委員 もう一つ聞きたいのは、秋北バス事件は、労働者と使用者が労働条件は 対等の立場において決定するべきものであると原則を言って例外が出てきますが、これ を、例えば労働契約法の中に取り込むとすれば、どう考えればいいのですか。 ○渡辺章委員 労働契約とは何かというのは民法の第623条に、すでに明治時代から定 義規定があって、当事者の一方が労働に従事することを約し、相手方がその報酬を与え ることを約するにより労働契約という関係が成立する。しかし、報酬と労働以外にどん な条件が必要か。それは組合があれば協約で決め、なければ使用者が就業規則で決めて、 内容の合理性を司法審査して契約の中に取り入れていく。そういうことではないか。だ から、基本的な労使対等というのは、労働契約の成立に関する根本原則、民法第623条 に示されている原則が、この視点の前提になっていることである。ただ、そこは書いて いないだけであると思っています。 ○長谷川委員 あえて書くことも何も排除するものではないですよね。 ○渡辺章委員 労働契約が当事者の基本的な契約要素に関する合意によって締結される ということは、それはもう当然のことだと私は思っております。 ○秋山調査官 いまの点について補足しますと、労働基準法2条ですでに、長谷川委員 が言われたような秋北バス事件の原則的なところですが、「労働条件は労働者と使用者が 対等の立場において決定すべきものである。」とあります。秋北バス事件もこの条文を引 いて書いていますので、そういう意味では別に労働契約法に書こうと書くまいと労働基 準法の労働条件決定原則で既に定められている。今回の「検討の視点」のペーパーでも、 1頁の基本的な考え方の1つ目の○で、労働契約は労使が実質的に対等な立場で締結す べきものである、というのは別に違うことを書いているつもりはなくて、趣旨としては 同じことを書いているつもりです。 ○長谷川委員 もう一つわからないのは、不合理の場合の除外というのは、なぜ秋北バ スの判決を逆にして書いているのですか。何かあるわけですか。 ○秋山調査官 この考え方自体は、ベースにしないとされている研究会の報告と基本的 に同じような考え方だと思いますが、秋北バスの事件では、確かに前段と後段と言われ ていまして、初め労働契約の締結時に就業規則が合理的なものであれば労働契約の内容 になる。合理的なものというのと、変更が合理的なものであれば反対の労働者も拘束さ れる。判例の法理では確かに合理的だと言葉を同じにしていますが、それは仮に条文化 するときには、やはりその実態として、どちら側がどの程度の主張、立証責任を持って いるのかをよく吟味しないといけないだろうと。判例で言っているのは、やはり変更の ときは、かなりその必要性とか、不合理の程度とか、代償措置とかいろいろなことを考 えた上で、かなり高いレベルの合理性を求めているように見受けられます。最初の労働 契約の内容になる時点の合理的なものかどうかというのは、例えば労働時間の残業命令、 健診の受診命令とか、そういった判例に照らしても、変更の時と同等の合理性までは必 要としていないだろうと。そういった実態的な判例の考え方をもとに検討の趣旨に書い てあるということです。 ○荒木委員 長谷川委員の発言でいちばん大事だと思うのは、ここでは立法論をやって おりますので判例法理の何をどう立法化するかというのが、まさに議論の対象だろうと 思います。秋北バス事件大法廷判決は、契約法理では実は理解のできないことが書いて あるというのが大前提であります。すなわち、合意していないのになぜ合理的なもので あればその適用を拒めないのか。これは契約法理で説明しようとしても説明できないわ けです。したがって、秋北バス判決はおかしい、だから別の立法とするというのも一つ の選択です。しかし、なぜ最高裁の昭和43年の判決が、これまで繰り返し繰り返し最高 裁で支持されてきたのかといいますと、もう一つの契約の大原則、とりわけ継続的な契 約関係が、将来に向けて契約条件について折り合えなかった場合は、いつでも当事者が 契約を解消できるという継続的な契約の大原則が関係します。もともと雇用契約は、い つにても両当事者は2週間の予告で解約できるのです。委任契約も同様で、いつでも解 約できる。  ところが、労働契約についてはいつでも解約はできない、そんな簡単にやる解約、解 雇は権利の濫用として無効とする、将来に向けて労働条件を折り合わないからといって 簡単に解約できないという制限を課したわけです。そこで契約法理の大きなもう一つの 柱、合意したところにのみ拘束されるという柱の修正が問題となる。将来に向かって合 意できなかった場合には、当事者は契約を解消できるという別の柱について、日本の裁 判所は解雇権濫用法理で大きな修正を加えているわけですから。経済状況や会社の状況 が変わって労働条件を調整せざるを得ないという場合に、将来の労働条件について折り 合わなかった場合にどうするか。その場合には契約の大原則に帰れということになると 。その場合には解雇を認めなさいということになると思います。  日本の最高裁は、それは妥当な解決ではない。したがって、何でも使用者が変更した もので拘束してよいということではなくて、裁判所が合理性のある就業規則の変更であ るかどうかをチェックした上で、合理性のあるものであれば、解雇を認めない代わりに、 反対する労働者も拘束されるというルールを作ったと理解しております。  したがって、そのような雇用保障というものを、日本の雇用関係の中核に据えた上で の法理を作るかどうか、というのがいちばんの論点だと考えます。それはそれで正しい。 雇用関係を維持した上で、なるべく妥当な、当事者が納得するような労働条件の調整の ほうに誘導していこうという立場をとるか、それとも、もう一度契約の大原則と言われ るものに立ち返って、合意ができないのであるから、そういう変更には拘束されない、 その代わり雇用関係の解消を認めようということにするのか。実は後者の立場を主張す る学者もおられます。むしろ雇用関係を解消すべきだと。これから自己決定なので使用 者の変更する就業規則に、嫌であれば、拘束されるいわれはないという立場をとられる 方もおられます。これは選択の問題ですが、ここで出ているペーパーというのが、これ までの最高裁と同じように、やはり雇用関係の維持というものを中心とし、その上で妥 当な調整を図ろうという方向ではないかと理解しております。  それでは判例法理の問題点は何かと言いますと、私の個人的な考えですが、実は最高 裁は非常に多くの合理性判断の事由を並べているわけです。それは非常に多過ぎて、例 えば、労働者の被る不利益の程度、使用者側の変更の必要性の内容、程度、変更後の就 業規則の内容自体の相当性、代償措置、その他関連する他の労働条件の改善状況、組合 との交渉の経緯、他の労働組合又は従業員への対応、同種の事項に対する我が国社会に おける一般的状況等を総合考慮して合理性を判断する。このように非常に多くの考慮事 項が並べられても、それでは一体どうやって合理性を判断するか。これは裁判官の頭の 中をあけてみなければ誰もわからない状況です。  現在の判例法の課題というのは、そういうように非常に重要な就業規則変更法理の法 的安定性がない、あるいは予測可能性がないということだろうと思うのです。その点に ついて、当事者が、こういうことであれば裁判になっても合理性は肯定される、こうい う場合では、おそらく合理性がないという判断にいくだろう。そういう当事者が予測可 能性を持った上で対応できるようなルールを作るのが、当事者間の紛争を防止して合理 的な労働条件の調整という方向にいくのではないかと思います。そのためには集団的な 労働条件の調整の問題ですので、多数の労働者が、それでよいと言っているかというこ とを中心的な指標として判断するというのが、私は合理的ではないかと考えております。  そのようなゴールについて、まず合意ができるのかどうか。それができれば、あとは それをどう表現するか。この表現については学者の間でも議論がおそらくあると思いま すが、大事な点は、そういう大きな方向で、判例法理の立場をどう理解するかという点 について議論が深まれば、よいのではないかというように思っております。 ○小山委員 荒木先生の話もわかるのです。ただ、これを労働契約法という法律にして、 そこに民事的効果も与えようとしているわけですね。先ほどの紀陸委員や皆さんとの議 論の中でも、やはり労使が合意をしながらいい職場、会社をつくっていこうというのは 誰も反対していないし、我々もそうやってきたし、労働組合も自ら労働条件の引下げを 認めて雇用を守ることをやってきたわけです。そのことは誰も否定していない。  問題は、そういう基本的な原則を法律に書くというときに発生する問題は一体何があ るのかをよくよく考えておかないといけない。労使関係のあり方として、厚生労働省と して正しい労使関係はこうあるべきですよという、何か指針を書きたいというのであれ ば分からないわけでもない。しかし、これは使用者と労働者の基本的な権利義務を定め る法律を作ろうということだから、こういう議論をしっかりしておかなければいけない ということを申し上げているのです。そのことは先ほどからの話の中ですれ違っている のです。そこのところはこれから議論していく必要があると思いますが、契約法とは一 体何なのか、何のために作るのかということで言えば、そこが根本問題です。先ほど荒 木先生が言われたように、いろいろ判断が曖昧であったり、ぶれる判決にだけ負ってい てはいけないということで採用から退職までの、さまざまなルールを明確化していこう ということは我々もそのとおりだ、ということで主張しているわけです。  ここで問題なのは、労働条件の不利益変更が生じたとき、不利益変更が行われようと しているときにどうするのかという基本的な権利義務の問題ですから、ここは決定的に 我々もこの分野についてはこだわるし、とてもここで一致できないような契約法は作る ことはできないと思いますので、ここのところは非常に大事なところだと思います。そ のことだけを申し上げておきたいと思います。 ○石塚委員 関連してですが、私は前回契約法って何だというところからやるべきだ、 ということを重ね重ね言ったもので今回は差し控えていたのですが、結局議論をずっと 詰めていくと、そこに立ち返ってくるのです。誤解なきように言っておきますけれども、 就業規則の意義は認めているし、それについて全く否定するものでも何でもないし、む しろ就業規則を使った最高裁の判例法理は、いい面も結構あると思います。ですから、 この契約法を作るときに、うまく取り込むことが重要で、それを取り込まない限りにお いては、実務的な有効性は出てこないという考え方はわかります。わかりますが、就業 規則が使われてきたし、いい部分もあるし、だからすぐ持ってくるのではなくて、もっ と手前の議論をすべきだろうということはずっと言い続けてきたことです。ですから、 労働契約法という以上は、契約の基本的な、要するに実質的な合意というところから出 発すべきだろうし、労使の実態的な権利義務を定めるところからやるべきだという話に なるわけで、そこに立ち返って、その上で労使における合意を大事にした、しかも、そ れを明解な格好でできるだけ定めたい。確かに法理論的に言えば、それは明示の合意だ ろうが、黙示の合意であろうが、合意ではないかと言われれば、それはそうかもわから ないけれども、何かこれから新法を作るときに、文句を言わないからいいではないかと いう黙示の合意をもって合意だと言われてしまう。もっと明らかなルールとして定めて、 お互いに実質的に合意に達して、公明正大に働こうではないかという趣旨だと思うので す。だから、実質的な合意というのは、確かに総則に書いていることなのですけれども、 それをもう少し実質的な、労使対等な立場で締結するときに「納得」と言わずに、冒頭 の監督課長の説明からいけば、実質的な合意を大事にすべきだという発言も読みとれる わけなので、そこをもう少しクリアにして、その上で、労働契約を定めるときに、やは り労使がきちんと話し合って合意すべきだと。その上で、そのフレームの中で就業規則 についての判例法理をどうやって位置づけられるのかという議論をすべきだろうと思っ ております。前回の繰り返しで恐縮なのですが、そこの議論をしていかないと、いきな り就業規則にきてしまったという印象が否めないのです。  最終的にはこれを使わなければ駄目だと考えられているのだと思いますが、一歩手前 の議論をやらなければいけない。就業規則云々という議論をすれば、先ほどから言って いるように契約法の法理において説明できないところがいっぱい、矛盾だらけのところ がいっぱいあります。何度も繰り返しになりますが、その手前の議論をきちんとやって、 その上で就業規則をうまく位置づけられるのかどうかという議論になるだろうと思って います。 ○西村分科会長 使用者側の委員の方、いかがですか。 ○紀陸委員 私どもは一歩先に進めて、3頁の上から3つ目の○、先ほども議論があり ましたが、組合のない場合、あるいは過半数に満たない場合のときに、こういう問題は どう考えるかと。これは労側及び事務局にも伺いたいのですが、ここはどういうところ まで考えているのですか。 ○田島委員 同意、合意と言われていますが、私たちが労働相談などでいろいろ対応し ていると、本当に対等の合意ではなくて、いやいや辞めさせられたとか、あるいは、合 意をさせるために、一時は干されたみたいな形や職場のいじめという問題が出てくるわ けです。そういうときに、やはり労使が実質的に対等な立場で締結していないというと ころに対して、それは駄目だよという形にしないと本当に合意が生きてこないだろうと 思うのです。  元に戻って1頁の最初の○で、実質的に対等な立場で締結するべきものでありとあり ますが、それができなかった場合はどうしようとしているのか。これについてはちょっ と見えてこないので、それもお答えいただければと思います。 ○西村分科会長 3頁の労使委員会、労使の実質的な話し合いを進めるためには、例え ば、いま紀陸委員が言われたように、組合が存在しないという所では、こういう形で労 働者が意見を表明できる、使用者がそれを聞くという場が必要だろうということで出て いるのですが、この点については、田島委員、いかがですか。 ○田島委員 昨年連合のトップセミナーで、菅野教授が講演されて、労働契約法の話を されたときに、労使委員会で物事を決めようと話されましたが、若いころに勉強したの は、労使対等だというのは、やはり労働三権があって初めて対等性が担保できるのだと 勉強してきました。そこで、労使委員会でどうして対等になるのですかと、そのことを 教えてくださいという質問をしたのですが、労使委員会で物事を決めるというのは、本 当に合理的なのか、あるいは対等性が担保できるのかというのは、まだ納得できていな いのです。  本当に集団的な労使関係を、例えば労働組合をつくろうといったときに、私たちがつ くったときに、最初の要求は何だか、先生はよくわかっていると思いますが、労働基準 法を守れという要求をするのです。そうすると、そこで働いている人たちの労働条件が 上がる現実があるわけです。ということは、いかに労基法違反が広がっているか、ある いは、一人一人の働く者が権利主張できないのか、あるいは、組合をつくろうと立ち上 がる場合に、いわゆるクビを覚悟でやらざるを得ないような心境というのは結構広まっ ているわけです。そういう意味では本当に集団的な団結という問題が、いかにできにく くなっているかという問題も合わせて考えていかないと。組合の組織率が低いから、低 いからということで、じゃあそれに代わるものとして労使委員会をもってきていいもの かというのは、はっきり言って疑問があるということです。  あとは、労使委員会問題が議論になったときに、意見を言わせていただきたいと思い ます。 ○小山委員 労使委員会の問題ですが、連合はこれまで労働者代表法制を制定すべきだ ということを主張してきましたし、労働者代表を的確に選んで議論をし、そこで労使で 話し合っていくということは否定していません。しかし、労働者代表がどこまで拘束力 ある権利義務まで制限するようなことを決定できるかどうかというところが、いちばん 大事な点だろうと思っています。  基本的な労働条件の変更等に係る事項は、これは、労働組合が労働協約を通じて、集 団として決定する以外はできないと私は思っておりますし、日本の法体系はそういうよ うにできていると考えています。いま田島さんが言うように、対等性を担保するものは 労働組合法で定められているということです。 ○西村分科会長 この点については、使用者側はいかがですか。いまの小山委員の意見 についてですが。 ○奥谷委員 話を聞いて思ったのですが、組合の方は終身雇用とか、そういったことを 前提に話していませんか。 ○長谷川委員 そう言っていません。別の人たちのほうがそう思っているのだそうです。 私たち全然思っていません。 ○奥谷委員 そういう前提に立っていまの議論がなされているような気がします。こう いう考え方で一つの会社に何十年もいるというように考えるより、むしろ3年、5年で ころころ変わっていくというか、そういう方向にどんどんいくわけで、むしろ労働契約 といいますか、契約のほうが重要視というか、そちらに重点を置いて。就業規則ももち ろんあるかもしれませんが、皆さんの意見が、何かそこの会社に一生勤めるために就業 規則と労働契約法が合致しないと、何か無理があるみたいな考えが根底に流れているの ではないか。これからどんどん変わっていくという考えはないのでしょうか。 ○長谷川委員 労側は全然思っていません。 ○渡辺章委員 どのような点からそういう推測論が出てくるのかわかりませんが、客観 的に合理的でない、社会的に相当でない理由では、労働者は解雇されない。それだけの ことでありまして、終身とか、そういうことは一言も私どものタームから出ていないわ けです。しかし、裏を返せば、雇用の継続性は尊重すべきであるという、一般社会通念 は守っていくべきではないかと。それが18条の2に出ているような形になっている。そ の限りで御理解いただきたいと思います。一生涯そこに勤めるということで議論が前提 になっているわけではないのです。 ○奥谷委員 雇用の継続性を尊重するというのはそちらの考え方であって、別に雇用の 継続を尊重してほしくないという労働者もいるわけで、そこのところはどうお考えでし ょうか。 ○渡辺章委員 権利は侵害されたときは守るべきですが、自分で捨てるものは自由です から、辞めていったらいいわけです。そこまで制限するようなルールはないわけですか ら。 ○奥谷委員 そういったところまで議論しているような気がするのです。個人の自由は 個人の自由で放っておけばいいことであって、それまでを先へ先へ、こうなれば、こう なればみたいなところを議論しているような、余計なお世話ということがあると思うの ですけれども。 ○荒木委員 確立した判例法理はあるのですが、そのどこまでをここで法律の中に取り 込むかと、あるいは、どこをどう変えるかという議論との関連で、いま奥谷委員の発言 に関連して私が大事だと思っておりますのは、就業規則の不利益変更法理は確立してお りますが、これはあらゆる労働条件を変えられるものではないと思っております。すな わち、個別の労働者と具体的に合意をした労働条件についてまで、就業規則で一方的に 変えられるというのでは、おそらくない。そのことを認めた具体的な例はなくて、むし ろ、例えば配転のような場合、勤務地限定とか、職種限定契約、こういうものを結んだ 場合には、就業規則を変えて、業務上の必要性によって配転を命ずることができるとい う条項を盛り込んでも、特約を結んだ労働者に対して、それに反する配転は命ずること はできません。そういう意味で、個別労働者と具体的な合意をした場合には、この判例 法理は及ばないと私は理解しております。そのことも実は判例法理だけを見ていては、 あまり明確ではないのです。こういう点は、むしろ今後、自分のキャリアは自分で決め たい、自分の労働契約内容は自分で決めたいという人が増えてきますので、それは、ま さに合意を中心として契約というものが妥当し得るということを明らかにする。さらに、 それに対して別の変更法理が必要であれば、そういう対処をするという方向があり得る と思います。そういう点で現在の判例法理の、いわば射程を明らかにする、どこまでこ の法理が及ぶのかを明確にするのも重要な任務だと思います。 ○西村分科会長 残念ながら時間がきてしまいまして、もっとたくさん議論をしたかっ たのですが3頁の所は残ってしまいました。次のときに話をしたいと思います。それで は次回の日程について事務局から説明をお願いいたします。 ○大西監督課長 次回の労働条件分科会は5月16日(火)17時から19時まで、場所は 厚生労働省17階専用第21会議室で開催する予定でございます。よろしくお願いいたし ます。 ○西村分科会長 それでは、本日の分科会はこれで終了いたします。本日の議事録の署 名は、小山委員と奥谷委員にお願いしたいと思います。どうも今日はありがとうござい ました。                    (照会先) 労働基準局監督課企画係(内線5423)