(資料1)

第10回研究会における主な議論の概要
(未定稿)

(児童相談所の必要な職員体制の確保について)

 「家族療法事業」のできる専門家を養成している機関が果たしてあるのだろうか。家族療法は家族支援の中で効果的であるが、実際やるとなるといろいろと学ばなくてはいけないので、そういう専門家を確保すること自体かなり難しいのではないか。

 児童相談所が専門機関として市町村の後方支援の役割になるとき、児童相談所を応援してもらえるもう一つ上の専門機関があってもよい。

 児童相談所を支援する機関を少しイメージして審議会が作られた。しかし、厳しい評価。
 県レベルでも弁護士や虐待をきちんとみることができる医者の人材不足。それを市町村レベルでやろうとするとますます人材不足。まず、県レベルで作り、そのチームが場合によっては市町村からの相談もという流れをつくるというのはどうか。

 家族療法について、心理療法とか精神医療の中で使われる家族療法とは、心理面に限って言えば個人内の中身・心の深層を扱うなど、個別の心理療法に対して親の保護やトラウマの治療にあった。しかし虐待の親の場合、効果をあげない場合も多い。個人だけでなく、家族全体へのアプローチの話。児童相談所の職員の中では、家族療法が広く家族に対する視点や、家族全体を視野に入れたアプローチだという理解ができている。

(児童相談所の組織体制について)

 (相模原市の場合)児童相談所の設置については、中核市であるが、県からは積極的に児童相談所の設置に積極的な話をもらっている。市としては、今後ずっと持たないということではなく、横須賀市の動向を見つつ、必要に応じて設置について考えていこうという姿勢をとっているようだ。

 中核市の児童相談所について、一時保護所や施設といった部分でも中核市が持つということになると問題になるかと。県との関係でそういったところがかなり協力いただかないと、積極的に成長していこうという方向になかなか向けない。

 (三重県の場合)四日市市が今度中核市になるので、ぜひ児童相談所を設置して欲しいと話したが、保健師が大きな問題で、まだ児童相談所まで手が回らないと言われた。県としては、この一年でより準備に近いところに議論・相談があればいいから、働きかけはしていく。

 今の段階で中核市程度で児童相談所を作るべきという結論を出すのはどうか。要は、相談機能をいかにして確立するかいう問題であって、それが児童相談所であるのか、家庭児童相談室になるのか、どちらでもいいわけで、あまりとらわれる必要はない。

 一時保護所の体制問題。一時保護所は、大規模な集中管理のところから、併設してこじんまりしている所まである。京都府でも体制が非常に厳しい状況で、何らかの形で機能の強化をしなければいけない。児童相談所長会も出していたかと思うが、一時保護の運営基準、職員の体制のあり方も、少し考えられないか。

 児童心理司の仕事とは、子どもがどういう影響を受けて、どう受け取っていくかを子どもの立場や感覚に接して、この子はこんなふうに感じていると皆に伝えていくこと。子どもの内面の部分を如何に皆に分かっていただけるか、子どもの心を砕いていくのが心理の仕事だと思う。皆がこちらに行くからこちらに行くという流れではないようなニュアンスを持っている職員が増えて欲しい。

 児童心理司の根拠について、心理司の職種の重要性から考えた場合、児童福祉司のように社会的に見えるような位置、本来なら児童福祉法に書くべき職種ではないかという気がする。

 三重県が児童心理司の配置が多いのは、数年前まで虐待にタッチせず子どもの障害の方を一生懸命にやっていたが、それが統合の中でまた虐待を扱うことになったから。虐待を受けた子どもたちの中には、軽度知的障害(広汎性発達障害?)と同じような傾向を持つ子どもが非常に多い。ある意味親にとって育てにくい子どもであるし、子ども自身の支援もたくさん必要なところなので、社会へのアピールという意味では、もう一つの根拠になるのではないか。

(児童相談所と関係機関・専門職種との連携強化について)

 (埼玉県では)家庭裁判所と児童相談所は、定例的に会合を開いて情報交換をしている。ただ、日常扱っているケースについて、家庭裁判所との連携は非常に少ない。家庭裁判所を使うのは、ある程度の区切りのところでもう一歩措置をどうするかというときに、事前に連絡をしておいて、実際に審判まで持って行って措置するとき。日常的な連携ではない。

 家裁は判断をする機関であり、あまり連携という言葉を用いると、家裁の性格が変わって援助機関となってしまう可能性がある。

 (滋賀県では)家裁とは連携ではなく、意見交換という形があると思う。家庭裁判所は両当事者、児童相談所は家族というものを平等に扱っていくのが基本。児童相談所から連携とあまり言ってしまうと、独立の感覚がなくなる。ただ、法的なところでは協議させていただくということでは、ケースを通じて以前よりは増えている。

 家裁との連携というと、一体となってというイメージがあってどうかという部分がある。家庭裁判所の立場からすると、公平な判断をしたい。速やかに行うために28条の申し立てを考えているのであれば、どういう時期にしようとしているのか、そういうことも事前に教えてほしいと言われる。より適切に、より速やかに判断していくために、家庭裁判所としっかり連絡調整をしていくことは必要。また、家庭裁判所が判断する上でどういうことを必要としているか、児童相談所としては十分聞いておく必要があるし、言いたいことを言うことで、司法との関係は相談体制においてますます重要。

 審議会について、(三重県では)毎月1回定例的に行っている。大学の教授が2名、弁護士が1名、精神科の先生が1名の計4人体制。いろいろな困難事例などを相談して、ある意味専門性を保証してもらったり、バックアップ機関として十全の働きをしてもらっている。審議会は、バックアップする機関として、十分これから充実していかなくてはいけないと思っている。

 審議会は一定のこういう視点でこういう方向性でこの家族を見た方がいいし、ここのところでこの方向でやってみたらどうかという非常にありがたいアドバイスがもらえる。そういう方向性をもらって、それを形にしていくことを児童相談所の職員をサポートしてもらうというのか、実際の処遇の質を上げていくためにサポートしてもらえるといった2面があると思う。

 (大阪市の審議会では)社会的な、家庭的な背景が深刻な人たちのケースがあがってきて、大部分は法的対応に近い、あるいは法的対応を取るかどうか、取るとしたらどう進めるかというような事例の検討がされている。会には必要な者が揃っていて、それなりに大事な役割をした会ではあり、方向性を決まることがほとんど。その後に、弁護士が実際に法的に動かしていくときの指示をして、児童相談所をバックアップする。こういう機能が大事。
 ただ気になるのは、そのときにケアプログラムまではとても議論ができない。処遇、それも法的なところを議論するのが精一杯で、ケアプログラム自体をどうというところまではなかなか議論できない。もっともっと回数がいる。

 市町村の取り組みや意識のばらつきがあるので、当面は児童相談所が積極的にやっていく。今ばらつきがあるからそれに応じた対応をするというのも当面は必要だろうが、そのばらつきをなくして、市町村が第一義的にやるためにはどうしたらいいのかを児童相談所の立場としてもやっていくことが必要。実情、研修会が多いようだが、そういう取り組みが必要ではないか。

(都道府県(児童相談所等)と市町村との連携の推進、都道府県(児童相談所等)による市町村に対する支援)

 児童福祉法がこれだけ変わったということをどれだけ県民なり国民が知っているか。その辺りのPRを県レベルではやったが市町村が第一義的な窓口になったので、そのための組織や体制を整えなければいけないPRが十分されているのだろうか。

 児童家庭相談は福祉という意識がまだまだ強い。福祉と保健・教育だけでなく、青少年相談といったものも自治体によっていろいろなセクションで管轄されているので、一体化した相談組織が市町村にできていくことが必要。

 ネットワークの予算については、委員報酬の件や、市町村内の他の委員会よりもかなりの予算を必要とするなどの話が出てくる。

 (水巻町では)平成13年にセンターを立ち上げたとき、一番気になったのが児童相談所のような一時保護などの権限がないこと。しかし権限がないことが大事という気になってきた。権限がない方が、安心して住民が相談に来てくれる。権限があって良いか悪いかという判断をその場でするのではなく、そういう判断をしないで話しを聞いていけるという関係づくりが市町村業務では大事。
 そういう意味で、市町村の判断能力は確かに大事だが、その前にしっかり聞くことが大事。信頼関係を最初にどんなふうにつくりきるかが市町村の最初の窓口では大事。

 学校から男の子が怪我をしていて、保健の先生が聞いたら父親に蹴られている。それで児童相談所にすぐ通告して児童相談所の職員が来た。やはり岸和田事件などいろいろあり、教育は児童相談所へすぐ通告したい、しなければならないということが徹底している。しかし、今後市町村にということが入るためには、教育も一体化した市町村の相談体制がとられることが必要となる。具体的には地域協議会に教育委員会が入ること、もっと望ましいのは教育も一体化した相談の中核機関、部署ができるのがいい。地域協議会を児童相談所、県とか国の方が市町村で作るようにいうときに、設置だけでなく、どんな性質のものでどんなイメージを会員としてやってもらうといいというところまで突っ込んだらいい。

 市町村の児童相談体制でしていくことが県の児童相談所がしてきたことと同じスタンスで同じ目的でしていくことを目指すのか。わかりにくいというのは予防から自立支援まで書いてあるが、ミニ児童相談所的なイメージが準備されている。市町村がする児童相談であることの新しい役割とメリットがすごくある。市がするから、より密接に連携してやっていける機能が出てくる。早期発見・初期対応だけでなく、支援・予防ができる。だから予防支援をしていくことが市町村を中心にやっていくことのできる一番のできることではないか。虐待は本来予防と援助をして、再発防止と世代連鎖を絶つということを目標に、地域はまさに世代間連鎖を絶つというところまで考え、長期を考えて援助をしていく体制を作っていくということの相談という形で、強調するものが早期発見と初期対応を中心だととられないような強調をする。

 児童相談所は社会のニーズでいろいろなことへ取り組みをやってきた。例えば不登校の子どもたちにはグループあるいはキャンプをやることがいいなどして、そういうことをやりながら判断能力が上がっていった。いろいろな相談について丁寧に経験を積み重ねていく中で、判断能力は上がっていく。判断能力だけを上げるのは難しく、援助のスキルや方法論を悩み考えながら実際に経験していく中で自身の判断能力がついていく。

 県庁の担当者が、相談体制の窓口が福祉に出来たら教育は全部丸投げしてしまうのではないかと危惧した場面もあった。先進的だと思うところの話を聞くと、福祉と教育と保健のそれぞれの職員が集まって、子ども相談課のような課を作っている。児童相談所が児童家庭相談体制のモデルでは決してよくない。縦に割れていないでいろいろな人たちがいて、いろいろな事に対応できるというのが相談体制という意味ではいい。

 乳幼児は福祉サイドや保健サイドなど市町村が窓口を持っている。学齢期に入ると保健は学校保健にいくのでちょっとはずれる傾向が強く、福祉も学齢期の相談はぐんと減る。教育委員会や学校での相談にうまく乗れる子どもはいいが、軽い障害の子どもなど相談する場所がなくて困る。教育委員会の中だけではなく、垣根がなくすべて相談できる場所というのが理想。
 市町村がやるべきことは児童相談所のミニ版をやるのではない。

 これまで児童相談所がやっていた家庭からの相談の市町村の役割を明確化し、市町村がやることになったという意味では、児童相談所が担っていたものを市町村が第一義的にやるという理解になる。児童相談所が担っていたものを市町村がやると同時に、後ろに子育て支援サービスの活用があって、イメージとしては児童相談所が受けているものとは違う種類の相談を市町村では受けている。児童相談所がそこまではやらなかったことを市町村の相談機関のなかで幅広く受け止められているということで、これまで拾えなかった相談を市町村が対応していくことになる。市町村がそれなりに相談体制を作っていけば、これまでと違った相談を含めて住民からのニーズを拾っていける可能性がある。

 (相模原市は)子ども家庭支援センターを4月から立ち上げたが、どちらかというとミニ版児童相談所。措置の権限などはないが、考え方は児童相談所のやり方に習っていこうと思っている。相談を受けてどのように対応していくか、必ずしも児童相談所と同じ考え方をする必要はないという議論だが、一般的な相談であれば市町村独自のやり方で対応も可能だろうが、虐待に関する部分については、現実的に市町村独自のやり方を考えるだけの余裕がないし、児童相談所のやり方を見習うなかでやらざるを得ないのが現状。

 (水巻町では)児童相談所のミニ版ではない。市町村児童家庭よろず相談のような町立カウンセリングルームのようなことをやってきた。その中からさまざまな機関との連携が出てくるのでその事例に合わせて機関に来てもらって調整していくことをしている。責任を持って受け止める体制で一番難しいのは、どんな相談が来てもきちんと受けることができる構えというようなどっしりとした相談員のあり方が一番難しい。もともとどういう相談が来るのか分からないので、教育委員会であろうが福祉であろうが、保健であろうが事務局が判断して作っていくから、どこに所属していてもそれほど問題はない。

 児童相談所には2つの側面がある。よろず相談の部分でニーズに応じてやってきた歴史はある。今急務としていわれているのは、職権を使っていく強制処分といわれるような虐待や非行のケース。今児童相談所は職権の部分が脚光を浴びている。それを一つでやっているのが児童相談所。市町村は一か所で全部それをやるということではない。例えば要保護のところでは協議会をやるといいうところが職権部分であり、児童相談所が持っている強権部分。児童相談所が持っているいろいろな相談に応じてそのニーズに合わせてやっていくところは、一か所に集中するのではなく、市町村の体制の中で使い分けていく。一か所に固めてしまうのではなく、少しセクションが違うという形で、強権的に圧力をかける所と、サポーティブにやるところと、うまく使い分けて組織としても別になると相談しやすい。

(児童家庭支援センターの扱いについて)

 児童相談所を補完するということで作られたので、市町村が第一義的に相談を受け入れるようになってくれば、センターは必要なのかな、という疑問はある。他の施策でカバーできる制度だという感じで、十分機能していないという印象。

 (埼玉県では)2か所とも施設併設で、地域は限られるけれども、一時保護機能を使ったり時間外の夜間に電話で相談を受けたりと結構機能している。

 (滋賀県では)施設が南に固まって、北には情緒障害児短期治療施設が1か所あるだけ。児童家庭支援センターは乳児院と児童養護施設のところに設置されているが、独自に子育てサロンをやったり地域の子育て支援ではいろいろな活動をしているので機能している。ノウハウを施設は持っているので、そのノウハウをどのように伝えていくかはあるにしても、同様の機能を持つものは施設の今の形以外のものでも手を挙げればできるような形にしていけば、実質増えていくのではないか。リソースの一つとして整備の形を変えれば、こういうノウハウを持っているところは結構あるので、増やすとすればまた違う形のものも検討すべき。

(子育て支援サービスの活用による総合的支援の実施)

 子育て支援センターもつどいの広場も専業主婦で子育てをしている人たちのひきこもり予防や相談の場所として位置づけているところが多い。学齢期の子どもを学校以外で相談できる場所がない。

(里親について)

 養育里親にしても専門里親にしても、市町村には十分に相談に乗ってもらえる体制をお願いしたい。

 (埼玉県は)里親が結構多いので、市町村ごとに里親のグループができあがっている。そのネットワークの中で相談したりということをお互いがやっている。県で実施する里親の研修にも市町村の職員が一緒にくることが多いのである程度関係が出来ている。ただ、養子縁組でいわゆる措置関係が切れる里親の場合、里親自身があまり外部との接触を好まない。養育里親の場合、そのような問題はないので、里親と市町村との関係は両方とも持ちやすい。

 里親を特別視しないで欲しい。里親という言葉の使い方を、人間の子どもに対してということに統一して欲しい。

 里子だけでなく、施設に措置している子どもたちということも絡んでくると、市や町の教育委員会という形で、教育の分野が絡んでくる。里子と里親の特有の問題となると県や措置しているところとなるが、日常生活のいろいろな関わりの相談となれば、身近な所への相談でいいのでは。生活者としての支援と見てもらえばいい。教育という分野が絡んできたら、必ず市町村に絡んでくるのではないか。

(市町村における児童家庭相談体制の整備)

 出入りしている児童養護施設だとファミリーソーシャルワーカーの方が、退所後、数回は家庭訪問して、できるだけ再発にならないようにしていきたいと動いている。ただ、その動きだけでは地域の民生委員、児童委員とつながらない。児童相談所が地域や市町村ときちんとしてそこに入ってくれないと、ファミリーソーシャルワーカーが直接市町村にはつながりにくい。市町村の役割として、児童相談所と連携しながらやっていくべき。

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