資料6

第9回検討会において「産科における看護師等の業務」について出された主な意見


[看護師の業務について]

 分娩第I期の「観察」は危険性がほとんどない。分娩監視装置等による観察の他、子宮口の開大度・児頭下降度の計測は、訓練を積めば比較的容易に習得でき、分娩を安全に導くために必要な一つの観察・測定である。

 助産師が行うところの内診と、医師の指示の下で看護師が行うものとして求めている内診は自ずから異なる。医師が求めるのは、看護師が子宮口の開大、児頭の下降度のみを医師に伝えることである。内診は静脈注射より侵襲性が少なく、分娩監視装置も装着しており、訓練した看護師なら十分行えるのではないか。

 現在、助産における看護師による内診はやってはいけないこととなっているが、少なくとも分娩の第I期にあっては、絶え間ない分娩を監視していくという意味では違法性はないと考えられるのではないか。

 保助看法には助産の定義はない。何らかの形で助産というものを定義し、何らかの基準によって診療の補助行為と助産を区別すべきであったが、それがわからない状態で通知が発出されている。

 助産と診療の補助行為の違いが明確ではない。医療現場では、看護師が患者の状態を観察し、医師に報告し、それを基に医師が判断することは通常である。分娩第I期においては、それが否定されることに疑問を持っている。

 少子高齢社会で、看護師も不足している中で、助産師の増員が可能と考えるのか。保助看法の考え方を変えるべきではないか。

 内診するタイミングは、機械的に決まるのか。看護師の知識と能力で判断できるものなのか。

 内診のタイミングは、陣痛の強さなど看護師から報告を受けて医師が判断する。四六時中内診が必要だということではない。経験を積んだ看護師なら理解できる。医師は、外来・分娩・手術も行わなければならないので、約8時間に及ぶ分娩第I期の経過を常に観察することは不可能である。それを補うために、看護師による計測・観察が必要である。

 内診は、分娩進行状況を判断するための全体掌握の一つの手段であり、内診の行為を計測として単純に論じられるものではなく、子宮口の開大のみではなく硬度柔軟性、回旋、骨盤内の児頭の高さ、大きさ等を判定して分娩進行を判断しリスクを回避するために細心の注意をはらい、危険予見と危険回避を備えた助産業務は、医師の指示下によるものではなく、また、看護師が代行できるものではない。

 助産師が絶対的に不足している状況下で、看護師が子宮口の開大・下降度の計測をできる体制が必要である。現行の枠内でできないのであれば、例えば産科のエキスパートなど、新しい制度を踏まえて考えるべきではないか。

 看護師教育では、内診などの教育は含まれていない。助産師の充足までの間であれ、産科エキスパートナースの養成については疑問である。十分な教育を受けた助産師を養成すべき。

 看護師も母性・母子看護の科目の中で勉強しており、教育がゼロであるとは思われない。医師も看護師も基礎に解剖や生理を学び、それを元に組み立てながら覚えていくものである。内診もその範疇で考えられるべきである。医師も学生時代に手術をしているわけではない。

 質の高いお産が求められている中、内診はきちんと教育を受けた助産師が対応すべき。医療安全の確保のために、助産師教育を充実させていくのが望ましい。

 安全安心なお産に向けて努力しないで、看護師に内診させるという対応はいかがなものか。国が政策的に診療所の助産師を増やすことを積極的に行うことが必要ではないか

 昭和25年には96%は自宅あるいは助産所での分娩であった。それが年々医療機関へシフトしていくとともに、周産期死亡率、新生児、妊産婦死亡率が低下し、我が国の周産期医療が世界のトップレベルになった

 従来「内診」と言われた行為の中から、子宮口の開大と児頭の下降度をみることのみ切り離し、一定の訓練を受けた看護師にやらせる制度を設けた場合に、それが「内診」と言えるのかどうか、また、そのことが患者の安全、医療の安全との関係でどういう意味を持つのか。医師・助産師・看護師の間でもう少しその点について詰めてもらいたい。

 助産師の国家試験の例をみると内診は測定ではなく診察になるであろう。看護師に子宮口の開大と児頭の下降度をみるという2つのことだけを取り出して報告させることが、他の部分の情報が医師に伝わらない制度となるのではないか。

 理想は助産師を増やすことだろうが、現実には助産師も看護師も増えるという時代ではない。現実と理想があまりにも乖離していることを直視すべきである。このような状況では安心して出産できない。この検討会で、移行期の措置として何か提言できないか。


[助産師の確保]

 なぜ、診療所に助産師が就職しないのか、内診は、単なる計測ではなく、第I期の観察と行為をセットとしてサポートすることで、分娩における安全と快適性が確保されるのではないか。

 診療所に助産師が勤務しないのは、院長とのコミュニケーションや、報酬や待遇の問題で助産師の気持ちを満たす状況がないのではないか。

 助産師が診療所に少ないのは、医師と同様に大病院指向があること、若い人は都会の生活を好み、子どもの教育の問題もある。診療所の就業はハードであり、楽な方に流れるのではないか。

 コミュニケーションの問題等があるとすれば改善するよう努力しなければならないが、それは一般社会においてもあることであって、特にそれだけが重大な問題とは考えていない。

 診療所は助産師が働きたくなるよう努力すべき。産科医不足を助産師の不足に結びつけることに疑問。

 助産師の超不足、産科医の減少が産科診療所の閉鎖に結びつき、分娩を行っている医療機関に分娩が集中し、過重労働となり、そこでも閉鎖するようなことが起きている。医師は下降度と展退度を診なければならなくなり、疲労困憊している。


[患者への情報提供]

 出産は生む時だけではない。母親学級により信頼関係を築いたのちに出産がある。産婦の不安がないように、産婦のもとにいるのが誰なのかわかりやすく情報開示をして欲しい。「地域の産婦人科で不安・動揺が生じている」とある。これは看護師が今までも内診をやっていたともとれる。誰が何をしているのかきちんと患者へ情報開示して欲しい。

 以前はベテランの看護師が内診をしていたこともあるが、日本産婦人科医会は看護課長通知を会員に周知し、内診させないように指導を徹底しているし、現場でもそのように対応している。

 マスコミでも報道されているように、地方においては、分娩医療機関がない所が出てきており、各地の住民が不安と不満を抱いている。地元でお産ができない状況になると、少子化を加速させていくのではないかと危惧している。


[助産師の需給]

 周産期の現状、助産師が足りないという現状を踏まえて、厚生労働省においては、助産師の数がどれくらい増えれば、十分安全・安心な医療につながると考えるのか。

 現在、需給見通しの策定作業を都道府県が行っているが、今回は助産師を別掲で調査している。12月の需給見通しで確定していきたい。

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