今後の労働契約法制の在り方に関する研究会
報告書(案)




平成17年 月 日



はじめに

序論
1 現状認識
 (1)雇用システム・人事管理制度の変化
 (2)就業形態の多様化
 (3)集団的労働条件決定システムの機能低下
 (4)個別労働関係紛争の増加
2 検討の基本的な考え方
 (1)労使自治の尊重と実質的対等性の確保
 (2)労働関係における公正さの確保
 (3)就業形態の多様化への対応
 雇用と自営の中間的な働き方に従事する者への対応
 高度な専門性を有する労働者への対応
 留意点
 (4)紛争の予防と紛争が発生した場合への対応
 不明確な合意に起因する紛争の予防のための枠組み
 予測可能性の向上のための枠組み
 信頼関係が失われた場合等への対応

第1 総論
1 労働契約法制の必要性
 (1)これまでの労働関係
 (2)近年の労働契約をめぐる状況の変化
 労働条件の個別的・迅速な決定・変更の必要性
 労使当事者の自主的な決定と公正かつ透明なルールの必要性
 現在の労働契約に関するルールの問題点
 (3)労働契約法制の必要性
 労働契約法制の必要性
 労働基準法と労働契約法制それぞれの役割
2 労働契約法制の基本的性格と内容
 (1)基本的性格
 民事法規としての性格
 労働基準法との関係
 その他の労働関係法令との性格の異同
 (2)内容
 (3)総則規定の必要性
 (4)労働契約法制における指針の意義
3 労働契約法制の履行確保措置
4 労働契約法制の対象とする者の範囲
 (1)労働契約・労働者の範囲
 (2)労働基準法の労働者以外の者への対応
 (3)使用者の範囲
5 労働者代表制度
 (1)現行の労働者代表・労使委員会制度
 (2)現行制度の問題点
 (3)労働契約法制における労使委員会制度の活用
 労使委員会制度の法制化
 労使委員会制度の在り方
 労使委員会制度の活用

第2 労働関係の成立
1 採用内定
 (1)採用内定の実態と労働基準法との関係
 (2)採用内定取消
2 試用期間
3 労働条件の明示

第3 労働関係の展開
1 就業規則
 (1)就業規則と労働契約との関係
 就業規則の規定の民事的効力
 就業規則の効力発生要件
 労働基準法上の就業規則の作成手続
 就業規則で定める基準に達しない労働条件
 (2)就業規則を変更することによる労働条件の変更
 判例法理の整理・明確化
 就業規則の変更による労働条件の不利益変更
 (3)就業規則の作成義務の対象労働者
2 雇用継続型契約変更制度
 (1)問題の所在
 (2)検討の方向
3 配置転換
4 出向
 (1)出向命令の効力
 (2)出向をめぐる法律関係
5 転籍
6 休職
7 服務規律・懲戒
 (1)懲戒の効力発生要件
 (2)懲戒及び服務規律の内容
 (3)懲戒の手続
8 昇進、昇格、降格
9 労働契約に伴う権利義務関係
 (1)就労請求権
 (2)労働者の付随的義務
 兼業禁止義務
 競業避止義務
 秘密保持義務
 (3)使用者の付随的義務
 安全配慮義務
 職場環境配慮義務
 個人情報保護義務
10 労働者の損害賠償責任
 (1)労働者の損害賠償責任
 (2)留学・研修費用の返還

第4 労働関係の終了
1 解雇
 (1)解雇権濫用法理について
 (2)解雇の意思表示前における紛争の予防
 (3)出訴期間の制限
 (4)労働基準法第18条の2の位置付け
 (5)有期労働契約の契約期間中の解雇
2 整理解雇
3 解雇の金銭解決制度
 (1)労働者からの金銭解決の申立て
 一回的解決に係る理論的考え方
 解決金の額の基準
 (2)使用者からの金銭解決の申立て
 「違法な解雇が金銭で有効となる」、「解雇を誘発する」等の批判について
 使用者による解雇の金銭解決制度の濫用の懸念について
 解決金の額の基準
 (3)双方の申立ての関係
 (4)有期労働契約
4 合意解約、辞職
 (1)使用者の働きかけに応じてなされた労働者の退職の申出等
 (2)書面による退職の意思表示等
 (3)労働者の退職の予告期間

第5 有期労働契約
1 有期労働契約をめぐる法律上の問題点
 (1)有期労働契約の効果と労働基準法第14条の関係
 (2)見直しの考え方
2 有期労働契約に関する手続
 (1)契約期間の書面による明示
 (2)有期労働契約の締結、更新及び雇止めに関する基準
3 有期労働契約に関する労働契約法制の在り方
 (1)試行雇用契約
 (2)雇用継続型契約変更制度(再掲)
 (3)解雇

第6 仲裁合意
1 仲裁法附則第4条の立法経緯
 (1)将来において生ずる紛争に係る仲裁合意を無効とする趣旨
 (2)消費者契約の場合との比較
2 検討の方向

第7 労働時間法制の見直しとの関連


はじめに

 近年、経営環境の大きな変化が進む中で、雇用・人事管理に関する企業の戦略が変化し、能力主義・成果主義を志向した賃金・処遇制度の導入、中途採用者・非正規労働者の活用など人事管理の個別化・多様化等が進むとともに、労働者にも従前にもまして能力発揮意欲の高まりが見られ、就業形態や就業意識の多様化が進んでいる。また、このため、労働者の創造的・専門的能力を発揮できる自律的な働き方に対応した労働時間法制の見直しの必要性が指摘されている。このような状況変化の下で、労使当事者が実質的に対等な立場で自主的に労働条件を決定し、また、紛争が生じた場合にはこれを迅速かつ適正に解決することがますます重要となり、その際に労使当事者の行動規範となり、紛争処理の判断規範となる公正かつ透明なルールが必要となってきている。
 一方、労働契約に関する現行の法律や判例法理によるルールは、最近のこのような労働契約関係を取り巻く状況の変化に十分に対応できていないと考えられる。
 このような状況の下、平成15年の労働基準法改正の際の衆参両院における附帯決議では、「労働条件の変更、出向、転籍など、労働契約について包括的な法律を策定するため、専門的な調査研究を行う場を設けて積極的に検討を進め、その結果に基づき、法令上の措置を含め必要な措置を講ずること」とされたところである。
 このため、本研究会においては、昨年4月以降、労働契約に関する包括的なルールの整備・整理を行い、その明確化を図ることを目的として、今後の労働契約法制の在り方について○回にわたって検討を行ってきた。
 検討に当たっては、現在の我が国における、人事管理に関する動向、就業形態や労働者の就業意識に関する動向、労働契約をめぐる紛争やその解決の状況など、労働契約関係や労使関係を取り巻く実情を十分に踏まえる必要があることから、法律以外の分野を専門とする有識者や労働契約をめぐる紛争解決の現場に携わっている関係者、労働組合や使用者団体からのヒアリングも実施した。
 また、本年4月13日にはそれまでの議論をいったん整理し、今後の更なる検討の方向性を示すものとして「中間取りまとめ」を発表し、広く国民からの意見を募った。これに対しては557件の意見が寄せられ、本研究会では寄せられた意見も参考にしながら更に検討を行い、ここに最終報告書を取りまとめるに至った。
 今後、この報告書をきっかけとして更に活発な議論が行われ、実りある労働契約法制が実現することを期待したい。
 


序論 ―労働契約法制を構想するに当たっての基本的な考え方―

 環境変化の目まぐるしい最近の我が国の社会経済情勢下において、労働契約を取り巻く課題も複雑化・深刻化している。このため、本研究会では、一般的に問題として取り上げられている以下のような諸課題について検討を加えた。

 現状認識
 経済のグローバル化や情報技術革命の中で企業間競争が激化しており、企業としては、事業環境や経営環境の急激な変化に対して、従前にもまして速やかに適応しなければ企業の存続自体が危ぶまれる場合も生じてきている。また、コーポレート・ガバナンスの在り方への関心が高まり、株主の構成や意識が変化するなど、企業を取り巻く環境が大きく変動するのと併せて、労働関係においても以下のような変化が生じている。
 

(1)雇用システム・人事管理制度の変化
 近年、長期雇用慣行及び年功的処遇体系の見直しが進み、中途採用の増加、採用方法の多様化、成果主義・能力主義的処遇制度の導入・拡大など、人事管理の個別化・多様化・複雑化が進んでいる。

(2)就業形態の多様化
 近年、企業側の目的や労働者側の都合もあり、パートタイム労働者や有期契約労働者など非正規労働者の占める割合が増加している。また、専門的な能力を有し、使用者から具体的な作業指示を受けずに自律的な働き方をする労働者も増えている。
 他方、SOHO、テレワーク、在宅就業者やインディペンデント・コントラクターといった、雇用と自営の中間的な働き方の増加が指摘されている。

(3)集団的労働条件決定システムの機能低下
 労働者と使用者との間には情報の質及び量の格差や交渉力の格差が存在することから、労働組合法は、労働者が労働組合を組織し団結することを擁護し、労使間の実質的な対等性の確保を図っている。
 しかし、労働組合の組織率が低下を続け20%を切るに至っている現状において、労働組合がない事業場が増加し、集団的労働条件決定システムが機能する領域が縮小している。こうした状況の下で、労働者と使用者が実質的に対等な立場で労働条件の決定・変更について協議することができるようにすることが重要な課題となってきている。

(4)個別労働関係紛争の増加
 バブル崩壊後の経済の低成長の中では、人員整理や労働条件の引下げが行われることが多い。これに伴って、解雇や労働条件の引下げをめぐる個別労働関係紛争が増えている。継続的な信頼関係に基礎を有する労使間においていったん紛争が発生すると、その解決のために労使双方に大きな金銭的負担や時間、労力がかかり、また、信頼関係の回復が困難となる場合も少なくない。このため、労働契約をめぐる公正なルールを定め、紛争の予防・早期解決を図ることが重要となっている。

 検討の基本的な考え方

(1)労使自治の尊重と実質的対等性の確保
 本来、労働条件は労使が対等の立場で自主的に話し合って決定・変更すべきものであり、労働契約法制の制定に当たっては労使自治を尊重することが基本である。しかし、労使当事者間には情報の質及び量の格差や交渉力の格差が存在し、すべてを労使の自由な交渉に委ねていては真の意味での労使自治の実現は期待できない。
 現に、労働者から労働基準監督署に寄せられる労働基準法違反等の申告は年間約3万6千件に上り、これにより臨検監督を実施した事業場の7割以上に法違反が認められる。また、裁判で解雇や労働条件の引下げが不当として争われる事案は増えている。このような様々な場面において、労働契約の当事者が組織としての企業と個人としての労働者であることによる交渉力等の格差から、労働関係が必ずしも適正に運営されないことが問題となっている。
 このため、労働者と使用者との交渉力等の格差を是正し、労使間の実質的対等性を確保するという観点から、労働契約の内容の公正さを担保するため、雇用関係における権利濫用法理を明文化したもの等の強行規定を設けることや、契約内容を変更するに当たって協議の機会を保障することなどのルールについて検討を加えた。
 また、労働組合がある場合には、労働者は労働組合を通じて交渉力を向上させることができる。労働組合がない事業場についても、労働者と使用者が対等な立場で労働条件の決定・変更について協議することができるようにすることが重要であり、この観点から労使委員会の在り方について検討を行った。この場合、労使委員会が多様な労働者の意見を民主的に反映できるように、委員の選出方法や労働者の意見の集約方法についても検討した。
 なお、本報告書では、契約の締結等の多くの場面において、書面交付を求めること等を検討しているが、これは、労働者と使用者との情報の質及び量の格差の是正、紛争予防等の趣旨と同時に、契約に係る透明性の確保を図るものであって、そもそも労使自治や契約自由の原則の大前提ともいえるものである。

(2)労働関係における公正さの確保
 使用者は、人種、国籍、信条、性別等を理由として労働者を差別的に取扱ってはならないことは当然である。また、いわゆる非正規労働者が増大している中で、これらの者に対応した政策が不可欠となってきている。どのような働き方も、それが労使双方にとって良好な雇用形態として活用されるためには、働き方によって賃金等の処遇(労働条件)に差がある場合でもその差が合理的なものであることが重要であることから、これらの問題についても検討を加えた。
 また、有期契約労働者については、均等待遇を図るための大前提として、民事的な規定によって正社員と同様に安心して正当な権利を行使できるようにするための検討も行った。
 さらに、税・社会保険制度や労働関係法令などの社会的な諸制度においても、これらが企業及び労働者の雇用形態の選択にできる限り中立的な仕組みとなるよう必要な措置を講じるべきと考える。

(3)就業形態の多様化への対応
 雇用と自営の中間的な働き方に従事する者への対応
 雇用と自営の中間的な働き方に従事する者については、発注者との間に使用従属関係まではないとしても、特定の発注者に対して個人として継続的に役務を提供し、経済的に従属している場合は、特定発注者との間に情報の質及び量の格差や交渉力の格差が存在する。そこで、これらの者も含めて広く労働契約法制の対象とすることについて検討した。

 高度な専門性を有する労働者への対応
 就業形態の多様化に伴って、労働者の中にも高度な専門性を有し、自律性を発揮しながら知的労働に従事する労働者が増えている。
 これを踏まえ、均質な労働者像を前提とした従来の労働関係法令について、多様な労働者に一律に適用できるかどうかという観点からの検証が必要である。本報告書においては、例えば、労働者の自律的な働き方に対応した労働時間のルールの見直しの必要性が指摘されている中で、仮に労働時間のルールの構造として、刑事罰で担保する厳格・強固な仕組みにおいて一部の労働者についてその自主性を尊重する仕組みを設けるとした場合には、これに対応した労働契約に関する公正かつ透明なルールの確立が不可欠であることを指摘した。

 留意点
 本研究会においては、労働契約法制が就業形態の多様化や経営環境の変化に対応した労使の選択を阻害しないようにすることについても留意した。
 まず、有期労働契約については、過度の規制を加えるのではなく、労使双方にとって良好な雇用形態としてその活用が図られるよう最低限の条件整備を行うという観点から検討した。また、企業において就業規則による集団的な労働条件設定は引き続き不可欠なものであるが、その際、多様な労働者の意見が反映されるようにするとの観点から検討した。
 一方で、いかなる就業形態を選択した場合であっても妥当する共通のルール(手続的なルールや権利濫用法理など)は、当然適用することを前提としている。

(4)紛争の予防と紛争が発生した場合への対応
 不明確な合意に起因する紛争の予防のための枠組み
 継続的な関係である労働契約においては、労働契約の締結段階では労働条件が具体的に決定されておらず、合意内容が不明確であることによって労使間で紛争に発展する場合がある。
 合意の内容を明確にしてこのような紛争を予防する観点から、書面明示の在り方や任意規定を定めることなどについて検討を行った。

 予測可能性の向上のための枠組み
 労働契約をめぐる紛争が発生した場合に、その具体的な事案についてどのような解決が図られるかについて予測可能性が低いと、労使当事者はどのように行動してよいかが分からず、紛争処理機関の判断にも時間がかかるため、紛争が頻発し長期化することとなる。
 そこで、予測可能性の向上を図る観点から、就業規則の変更や整理解雇の効力等の判断に当たって、推定規定を活用することや考慮事項を明らかにすることを検討した。

 信頼関係が失われた場合等への対応
 労働関係は労使間の長期的、継続的、安定的な関係を基礎とするものである。一方で、実際には解雇が無効とされた場合であっても、職場における信頼関係の喪失や経営上の問題から、将来にわたって継続的、安定的な雇用関係が望めないような場合もある。そこで、このような、職場復帰が困難であって、かつ、これが使用者の責めに帰すべき事由によらない場合への対応も検討した。



第1 総論

 労働契約法制の必要性
(1)これまでの労働関係
 労働契約は、本来、労働者と使用者との間において、労使対等の立場での交渉を経て、当事者間の合意により締結しその内容を決定すべきものである。しかし、労働者と使用者との間には情報の質及び量の格差や交渉力の格差があるため、これを完全に契約自由の原則に委ねるとすれば労働者にとって酷な結果をもたらすこととなりかねない。
 そこで、労働基準法等においては、「労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない。」(労働基準法第1条)との考え方に基づき、賃金、労働時間等の全国的統一的な労働条件の最低基準を定め、これを下回る労働条件については法律の基準まで引き上げるとともに、罰則をもって使用者の義務の履行を担保し、かつ、臨検監督による行政指導を行ってきた。
 また、労働組合法においては、労働者が労働組合を組織し団結することを擁護し、これにより労使間の格差の是正を図ってきた。このことは、労働条件が労働者の集団と使用者の集団的な交渉によって定められることを意味し、企業組織において労働条件が統一的、画一的に定められる必要性があったことにも合致していた。
 実際にも、従来、労働条件は労働協約や就業規則によって統一的、画一的に規律される場合が多く、個別の労働契約書が交わされこれにより労働条件が定められることは稀であった。労働者自身も、例えば、年功的な賃金制度の下においては年齢や勤続年数が同じ労働者については賃金の額も概ね同じように決定されてきていたことなどから、自らの労働契約の内容に対する関心は必ずしも高かったとはいえず、個別の合意による権利義務関係の設定も求めてこなかった。

(2)近年の労働契約をめぐる状況の変化
 労働条件の個別的・迅速な決定・変更の必要性
 しかしながら、近年、長期雇用慣行及び年功的処遇体系の見直しが進み、中途採用の増加、採用方法の多様化、成果主義・能力主義的処遇制度の導入・拡大など、人事管理の個別化・多様化・複雑化が進み、また、非正規雇用で就業する労働者が約3割を占めるに至るなど、就業形態や就業意識の多様化が進んでいる。このため、労働者ごとに個別に労働条件が決定・変更される場合が増えており、それに伴う紛争も増えている。特に、バブル崩壊後の経済の低成長の中での労働条件の変更においては労働条件が引き下げられる場合が多く、不可避的に紛争が増加している。
 さらに、企業としては、事業環境や経営環境の急激な変化に対して、従前にもまして速やかに適応しなければ企業の存続自体が危ぶまれる場合も生じてきており、その際には、紛争なしに労働条件の変更が迅速に行われることが必要となる。
 一方、労働組合の組織率が低下し、団体交渉等による集団的な労働条件決定システムの機能が相対的に低下してきていることから、労働条件の決定・変更に際して労働者の意思が反映される仕組みが不十分となってきている。また、労働者の創造的・専門的能力を発揮できる自律的な働き方に対応した労働時間法制の見直しの必要性も指摘されている。
 このような状況の変化に伴い、個々の労働者の権利意識は高まってきており、使用者のなす解雇や労働条件の引下げに対して自らの権利を主張する労働者も増えている。その際、企業組織の中でのみこのような紛争の解決を図るのではなく、公平な第三者による判断を求める場合も多く、裁判所や都道府県労働局等に持ち込まれる個別労働関係紛争は増加傾向にある。

 労使当事者の自主的な決定と公正かつ透明なルールの必要性
 上記アのような就業形態の多様化等による労働条件の個別的な決定・変更の必要性からは、労使当事者が、最低基準に抵触しない範囲において、労働契約の内容をその実情に応じて対等な立場で自主的に決定することが重要となる。その際には、労使当事者の行動規範となる公正かつ透明なルールを設定する必要がある。このようなルールが設定されれば、労使当事者が、これに基づいて、労働契約を適正・明確な内容で締結することや、締結された労働契約を契約どおりに適正に運用すること、そして労働契約の内容を適正に変更していくことが促進される。
 企業の現状を最もよく把握している労使当事者が、公正かつ透明なルールに従って対等な交渉により自主的に労働条件を決定していくことは、企業にとっても、経営環境の変化等に迅速かつ柔軟に対応することができるという大きな利点があるものである。
 また、我が国社会の全体的な流れとしても、事前規制・調整型社会から事後監視・救済型社会への転換や、法の支配の原則に従った社会や企業の運営が求められてきている。このような流れの中で、労働契約においても労働者と使用者が権利義務の主体として自律的に行動し得るように公正かつ透明なルールの整備が必要となっている。個別労働関係紛争において公平な第三者による判断を求める場合が増加していることも、この流れの一環ととらえることができ、公正かつ透明なルールの設定は、紛争を迅速かつ適正に解決するためにも重要な社会的意義を有している。

 現在の労働契約に関するルールの問題点
 上記イのとおり、労働契約に関しても労使当事者の対等な立場での自主的な決定を促進する公正かつ透明なルールを設定する必要があるが、現在の労働契約に関するルールについては以下のような問題がある。
(ア)判例法理の限界
 現在、労働契約をめぐるルールは判例法理に委ねられている部分が多いが、判例によるルールは個別の事案に対する解決の積み重ねであり、その内容も「(新たに作成又は変更された就業規則の)当該規則条項が合理的なものである限り、個々の労働者において、これに同意しないことを理由として、その適用を拒否することは許されない」等の抽象的なものが多いため、具体的な事案に適用する場合の予測可能性が低く、一般的に労使当事者の行動規範とはなりにくい。また、判例法理は既存の法体系を前提に判決当時の社会通念を踏まえて形成されたものであるところ、今日の雇用関係の下におけるより適切なルールを定立する必要性が高まっている。
(イ)労働契約に関するルールを既存の法律に定めることの限界
 労働基準法は、最低基準としての労働条件を保障する観点から、特に賃金や労働時間のような、労働者の生活に与える影響が大きく客観的で一律の基準を設定することが可能な事項を中心に、罰則及び監督指導により履行を確保してきた。しかし、労働契約に関する一般的なルールを定める法律がほかにないことから、解雇権濫用法理のように労働契約に関するルールであって罰則及び監督指導を前提としないものまで同法で規定するようになっている。
 今後、純然たる民事的効力を定める規定を更に労働基準法に盛り込むとすれば、罰則と監督指導によって労働条件の最低基準を保障する労働基準法において性格の異なる規定が増加し、法律の体系性が損なわれることとなる。また、労働契約に関するルールには労働基準法第13条の定める強行的・直律的効力とは異なるより多様な民事的効力も考えられるところ、これを現行の労働基準法に取り込むことは必ずしも適切ではない。

(3)労働契約法制の必要性
 労働契約法制の必要性
 以上のような状況の変化及び問題点を踏まえ、労働関係が公正で透明なルールによって運営されるようにするため、労働基準法とは別に、労働契約の分野において民法の特別法となる労働契約法制を制定し、労使当事者がその実情に応じて対等な立場で自主的に労働条件を決定することができ、かつ、労働契約の内容が適正なものになるような労働契約に関する基本的なルールを示すことが必要である。
 この労働契約法制においては、単に判例法理を立法化するだけでなく、実体規定と手続規定とを組み合わせることや、当事者の意思が明確でない場合に対応した任意規定、推定規定を活用することにより、労使当事者の行動規範となり、かつ、具体的事案に適用した場合の予測可能性を高めて紛争防止にも役立つようなルールを形成することが必要である。

 労働基準法と労働契約法制それぞれの役割
 労働基準法には、強制労働の禁止や中間搾取の排除等のように基本的な人権に反する封建的な労働慣行の排除を目的としている規定があるが、これらについては引き続き罰則及び監督指導によって履行を確保することが不可欠である。また、労働者の賃金の支払や適正な労働時間の実現等の分野においても、労働者が人たるに値する生活を営むことができるようにするため、労働基準法において労働条件の最低基準を定め、罰則及び監督指導により履行を確保することが重要である。さらに、労働条件の明示や就業規則の作成等については、労働契約と密接な関係にあるが、罰則及び監督指導を前提とする労働基準法において定めることが実効性の確保の観点から適当である。そして、労働基準法のこれらの規定についても、労働契約に関するルールの明確化等の観点からの見直しが必要となると考えられる。
 一方、現在労働基準法において定められている規定であっても、解雇権濫用法理のように罰則になじまず、労使当事者が自主的に労働契約の締結、変動、終了を決定するに当たって必要となる民事的なルールについては、罰則と監督指導を前提とする労働基準法から新たに定める労働契約法制に移すことが適当である。
 労使当事者の対等な立場での自主的な決定を促進する労働契約法制と、労働条件の最低基準を定め罰則や監督指導によりその確保を図る労働基準法等の従来の労働関係法令とは、両者があいまって時代の変化に対応した適正な労働関係の実現を可能とするものである。

 このような観点から労働時間制度についてみると、就業形態の多様化や事業の高度化・高付加価値化によって、労働者の創造的・専門的能力を発揮できる自律的な働き方への対応が求められており、労働契約法制を制定する際には、併せて労働基準法の労働時間法制についても基本的な見直しを行う必要がある。
 また、仮に労働者の創造的・専門的能力を発揮できる自律的な働き方に対応した労働時間法制の見直しを行うとすれば、労使当事者が業務内容や労働時間を含めた労働契約の内容を実質的に対等な立場で自主的に決定できるようにする必要があり、これを担保する労働契約法制を定めることが不可欠となるものである(第7参照)。

 労働契約法制の基本的性格と内容
(1)基本的性格
 民事法規としての性格
 労働契約法制は、労働契約に関して労使当事者の対等な立場での自主的な決定を促進する公正・透明な民事ルールを定めるものであり、労働契約に関する民法の特別法と位置づけられる。
 同様の性格を持つ民法の特別法として借地借家法や消費者契約法が、商法及び有限会社法の特別法として会社の分割に伴う労働契約の承継等に関する法律(労働契約承継法)がある。

 労働基準法との関係
 労働条件の最低基準を定め罰則と労働基準監督官の臨検等による監督指導により履行を確保する法律として労働基準法があり、また、労働基準法から派生し同様の性格を有する法律として労働安全衛生法と最低賃金法がある。労働契約法制を制定するに当たっては、解雇権濫用法理や当事者の合意の推定規定、任意規定が罰則や監督指導になじまないことが明らかなように、その基本的性格及び役割がこれら労働基準関係法令とは異なることを明確にするために、労働基準法とは別の法律として定めることが適当と考えられる。
 したがって、労働契約法制の制定は、労働条件に関する基本法としての労働基準法の重要性にいささかの変更を加えるものではない。

 その他の労働関係法令との性格の異同
 上記イの労働基準関係法令のほか、労働関係においても、民事的な効果を有する規定を含む法律がいくつか成立している。
 例えば、育児休業、介護休業等育児又は家族介護を行う労働者の福祉に関する法律においては、労働者の育児休業等の権利を定めており、事業主は原則として労働者の申出を拒むことができないとされている。
 また、労働契約承継法は、労働契約のうち特定の局面である会社の分割の際の労働契約の承継等に関して、商法及び有限会社法の特例となる民事上のルールを定めている。
 これらの法律は、労働者に対する権利付与の規定について、罰則や臨検等による監督指導を背景とすることなく民事的な効果を有するものとされている。労働契約法制は、紛争が生じた場合に最終的には民事裁判を通して当事者がその権利を実現し紛争を解決することを目的とするものであり、このような性格を有する法律に属することになると考えられる。

(2)内容
 労働契約法制においては、労働契約に関する基本的なルールとして、労働関係の成立、展開、終了に関する権利義務の発生、消滅、変動の民事上の要件と効果を定めて明確化を図ることが適当と考えられる。その際には、企業組織の変更に伴うルールを取り込むかどうかについても検討を行うことが適当である。ここで、労働契約に関する基本的なルールを定めるに当たっては、労働契約については情報の質及び量や交渉力において労使当事者間に現に格差が存在することや、労働契約は労働者と使用者との継続的な関係であり、一般に労働者は労働契約の締結・継続を望むため労働契約の内容については使用者に対して強く主張しにくいことなどにかんがみ、労働契約の内容の公正さを担保する強行規定は当然必要となる。一方で、労働契約の多様性を尊重しつつその内容を明確にするためには、労使当事者間の労働契約の内容が不明確な場合に、その内容を明らかにして紛争を未然に防止する任意規定や推定規定を、必要に応じて設けることが適当である。
 また、労働契約の内容の公正さを確保するためには、実体規定だけでなく手続規定も重要であって、事項に応じて実体規定と手続規定を適切に組み合わせることが適当である。手続規定として考えられる内容は、協議や通知など多様であり、その対象者からみても集団的な手続のほかに個別の労働者を対象とした手続も考えられる。これらの手続規定は、透明なルールに従って労働条件を決定することや、労使当事者間の協議を促進することに資し、労働契約の多様性の要請に対応する方途ともなるほか、労使当事者の権利義務関係の明確化にも役立つと考えられる。
 これらの規定によって、上記1のとおり、労使当事者の行動規範となり得るルールが形成されると考えられる。その際、規定が複雑となると労使当事者がこれを行動規範とすることが困難となるため、規定はできるだけ分かりやすいものである必要がある。
 なお、労働契約法制において規定すべき内容については、その社会的影響を慎重に検討しなければならず、紛争の未然防止のために規定した条項が、その解釈をめぐってかえって労使当事者間の新たな紛争の原因となることがないよう十分に留意すべきである。

(3)総則規定の必要性
 労働契約法制を制定するに当たっては、その基本理念などを定めた総則規定が必要となる。労働契約に関する基本理念としては、例えば、労働契約は労使当事者が対等の立場で締結すべきことを定めることが適当である。
 また、労使当事者は信義誠実の原則に従って権利を行使し、義務を履行しなければならないことについても定めることが適当である。
 さらに、労働契約においては、雇用形態にかかわらず、その就業の実態に応じた均等待遇が図られるべきことを明らかにすることが適当である。
 なお、税・社会保険制度や労働関係法令などの社会的な諸制度においても、これらが企業及び労働者の雇用形態の選択にできる限り中立的な仕組みとなるよう必要な措置を講じるべきと考える。特に、年金制度について、就労形態の多様化に対応して個人の働き方や雇用形態の選択に中立的な仕組みとし、個人が十分能力を発揮できるよう、また、被用者としての年金保障を充実させる観点から、短時間労働者に対する厚生年金の適用拡大をできるだけ早急に実現することが望まれる。
 このほか、労働契約法制において、人種、国籍、信条、性別等を理由とした差別的取扱いの禁止規定が必要かどうかについても検討した。これについては、民事的な規定のみならず罰則や行政の積極的な関与により履行が確保されるべきであり、実際にもそのような観点から労働基準法や雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律(男女雇用機会均等法)などにおいて対応が図られていることから、民事法である労働契約法制において、このような事由に基づく差別禁止規定を重ねて設ける理由はないと考えられる。

(4)労働契約法制における指針の意義
 労働契約法制を制定するに当たって、労使当事者間の基本的な権利義務関係を明確にするための規定は法律で定めるべきであるが、具体的な規範は社会状況の変化等に応じて変化することが多いことから、むしろ労使当事者の参考となるガイドラインとして指針を定めることが、規範が適切に運用されることとなり意義があると考えられる。下記第2以下でも論じているが、指針を定めることが考えられる事項としては、例えば、書面で通知された留保解約事由以外の理由による採用内定取消の場合の取扱い、就業規則の変更について合理性の推定が働かない場合の考慮要素、配置転換に当たって使用者が講ずべき措置、解雇や整理解雇に当たって使用者が講ずべき措置などがある。
 労働契約法制における指針は、それ自体では法的拘束力はないものの、労使当事者の行為規範としての意味はあると考えられる。また、実際には指針の内容が裁判所において斟酌される場合もあると考えられる。

 労働契約法制の履行確保措置
 上記1のとおり、労働契約法制は、労使当事者の自主的な決定を促進することを目的とするものであるから、その履行も基本的に労使当事者間の信頼関係によって図られるべきである。この履行は、最終的には民事裁判によって確保されるが、履行に係る行政の関与についても、労使当事者間で労働契約をめぐる紛争が生じ、かつ、労使当事者が行政の指導・助言等を求めた場合に行うことを原則とすべきである。
 このような場合に対応する仕組みとしては、既に個別労働関係紛争の解決の促進に関する法律に基づき個別労働紛争解決制度が設けられ、相当の実績を上げていることから、労働契約法制の履行に係る行政の関与は同制度に従って行い、監督指導は行わないことが適当と考えられる。
 ただし、労働契約法制においても、労使当事者間の情報の質及び量の格差や交渉力の格差にかんがみ、また、紛争の未然防止等を図るため、行政として労使当事者からの労働契約に関する相談に応じたり、関係法令や契約の条項に係る一定の解釈の指針等を示すなどするほか、労働契約に関する資料・情報を収集して労使に対して適切な情報提供を行うなどの必要な援助は適時適切になされるべきである。

 労働契約法制の対象とする者の範囲
(1)労働契約・労働者の範囲
 労働契約法制の対象を定めるに当たっては、「労働者」を定義することにより労働契約法制の対象とする者の範囲を画する方法もあれば、「労働契約」を定義しこれにより対象範囲を画する方法もある。いずれの方法を取るとしても、労働基準法に定める「労働者」や「労働契約」との関係は問題となる。また、労働契約法制の対象とする「労働契約」と民法に定める雇用契約との関係も問題になるとの意見があった。
 ここで、労働契約法制の対象とする者の範囲には、少なくとも労働基準法上の労働者は含まれると考えられる。また、労働基準法の適用が除外されている同居の親族のみを使用する事業や家事使用人への労働契約法制の適用の是非については、引き続き検討することが適当と考える。このほか、労働基準法の対象とする者の範囲は、事業に使用される者に限られているが、労働契約法制の対象とする者の範囲としては、そのような限定は必要ないのではないかとの意見があった。

(2)労働基準法の労働者以外の者への対応
 近年、就労形態の多様化に伴い、SOHO、テレワーク、在宅就業、インディペンデント・コントラクターなどといった雇用と自営の中間的な働き方の増加が指摘されており、その中には一つの相手方と専属的な契約関係にあって、主な収入源をその相手方に依存している場合も多いと考えられる。このような者についても、値引きの強要や一方的な仕事の打切りなど、当事者間の交渉力の格差等から生ずると考えられるトラブルが存在する。
 労働基準法上の労働者について労働契約法制の対象とすることは当然であるが、上記のような働き方の多様化によって生ずる様々な問題に対応するためには、労働基準法上の労働者以外の者についても労働契約法制の対象とすることを検討する必要がある。
 その際、労働基準法上の労働者として必要とされる使用従属性まではなくとも、請負契約、委任契約等に基づき役務を提供してその対償として報酬を得ており、特定の者に経済的に従属している者については、相手方との間に情報の質及び量の格差や交渉力の格差が存在することから、労働契約法制の対象とし、一定の保護を図ることが考えられる。
 その場合、労働基準法上の労働者でなくとも労働契約法制を適用する者としては、例えば、次のすべての要件を満たす者が考えられる。
(1) 個人であること。
(2) 請負契約、委任契約その他これらに類する契約に基づき役務を提供すること。
(3) 当該役務の提供を、本人以外の者が行うことを予定しないこと。
(4) その対償として金銭上の利益を受けること。
(5) 収入の大部分を特定の者との継続的な契約から得、それにより生活する者であること。
 なお、具体的な事案に応じて柔軟に労働契約法制の規定が適用されるよう、裁判において労働基準法の労働者以外の者にも労働契約法制の規定の類推適用が促進されるような方策を検討するべきであるとの意見もあった。
 いずれにしても、労働契約法制の対象を広く検討する場合には、どのような者に、どのような規定を適用することが適当かについて、これらの者の働き方の実態を踏まえて十分な検討を行う必要がある。

(3)使用者の範囲
 労働契約法制が適用される労働者の範囲が決定されれば、その相手方たる使用者の範囲もおのずから決定されると考えられるが、このほかに使用者の範囲を拡大する必要があるか、例えば、親子会社や下請関係における使用者責任をどのように考えるかを検討することが必要であるとの意見もあった。

 労働者代表制度
(1)現行の労働者代表・労使委員会制度
 事業場の労働条件の決定・変更に際して、当該事業場の労働者の意見を反映させる制度として、現在、労働基準法においては、時間外労働や変形労働時間制などの事項について、過半数組合(当該事業場の労働者の過半数で組織する労働組合)又はこれがない場合に過半数代表者(当該事業場の労働者の過半数を代表する者)との書面による協定(労使協定)を要件として、その協定に定めるところによって労働させても労働基準法に違反しないという効果を与えている。
 また、常時10人以上の労働者を使用する使用者は、就業規則の作成・届出義務があるが、その作成・変更の際には過半数組合又は過半数代表者の意見を聴取することが義務付けられている。
 さらに、企画業務型裁量労働制の導入には、使用者及び当該事業場の労働者を代表する者を構成員とする労使委員会(委員の半数以上が労働者代表であることが必要)での決議が要件とされている。また、労使委員会が一定の事項について行った決議には、労使協定に代わる効力が与えられている。
 このほか、労働時間の短縮の促進に関する臨時措置法第7条に定める労働時間短縮推進委員会も事業主及び当該事業主の雇用する労働者を代表する者を構成員とするもの(委員の半数以上が労働者代表であることが必要)であり、当該委員会が一定の事項について行った決議についても労使協定に代わる効力が与えられている。
 なお、これらの労働者代表については、使用者は、労働者代表であること等を理由とする不利益取扱いをしないようにしなければならないこととされている。

(2)現行制度の問題点
 上記の過半数代表制度のうち、過半数組合がない場合には、一人の代表者が当該事業場の全労働者を代表することとなるが、就業形態や価値観が多様化し、労働者の均質性が低くなる中では、一人の代表者が当該事業場全体の労働者の利益を代表することは困難になってきている。
 また、過半数代表者は、労働基準法に規定する協定等をする者を選出することを明らかにして実施される手続により選出されることから、常設的なものではなく、必要な都度選出されることが原則となる。このため、例えば、時間外労働に関する協定を締結した過半数代表者があったとしても、当該代表者がその事業場における時間外労働の実際の運用を確認すること等は期待し難い。
 一方、労使委員会及び労働時間短縮推進委員会は常設的な組織であり、その労働者委員は複数人であるものの、これを当該事業場の過半数組合又は過半数代表者が指名することとされており、必ずしも多様な利益を代表する者が労働者委員になることが保証されているわけではない。

(3)労働契約法制における労使委員会制度の活用
 労使委員会制度の法制化
 労働組合の組織率が低下し、集団的な労働条件決定システムの機能が相対的に低下している中で、労働者と使用者との間にある情報の質及び量の格差や交渉力の格差を是正して、労働者と使用者が実質的に対等な立場で決定を行うことを確保するためには、労働者が集団として使用者との交渉を行うことができることとすることが必要である。労働組合が存在する場合には、当然、当該労働組合がそのような役割を果たすものであるが、労働組合が存在しない場合においても、労働者の交渉力をより高めるための方策を検討する必要がある。
 その際、常設的な労使委員会は、当該事業場における労働条件について、例えば、制度を変更した場合にその運用状況を確認することや、問題が生じた場合の改善の協議、労働者からの苦情処理等のさまざまな機能を担うことができる。また、次に制度を変更する際にこれらの経験を活用することなども期待される。
 このため、常設的な労使委員会の活用は、当該事業場内において労使当事者が実質的に対等な立場で自主的な決定を行うことができるようにすることに資すると考えられる。
 そこで、このような労使委員会が設置され、当該委員会において使用者が労働条件の決定・変更について協議を行うことを労働契約法制において促進することが適当である。
 また、過半数組合がある事業場であっても、労使が対等な立場で労働条件について恒常的に話し合えるようにすることは意義があることから、過半数組合が存在する場合にも、その機能を阻害しない形で労使委員会の設置は認めてよいと考えられる。
 なお、労働契約法制の一定の規定について、当該規定と異なる取扱いを認めるための要件として労使委員会の決議を要求することも考えられ、この場面でも労使委員会の活用が期待されるとの意見があった。

 労使委員会制度の在り方
 労使委員会の活用に当たっては、就業形態や価値観が多様化し、労働者の均質性が低くなってきている近年の状況の中で、労使委員会が当該事業場の多様な労働者の利益を公正に代表できる仕組みとする必要がある。また、労使当事者が実質的に対等な立場で交渉ができるような仕組みも必要となる。
 そこで、労使委員会の在り方としては、委員の半数以上が当該事業場の労働者を代表する者であることのほか、労使委員会の委員の選出手続については、できる限り多様な労働者の利益を公正に代表できるような委員の選出方法とすべきと考えられ、例えば、当該事業場の全労働者が直接複数の労働者委員を選出することが考えられる。
 また、選出された労働者委員は当該事業場のすべての労働者を公正に代表するようにしなければならないことや、使用者は委員であること等を理由とする不利益取扱いはしてはならないこととすることが考えられる。
 このほか、社会経済情勢の変化に対応するためには、労使委員会の決議の有効期間をあらかじめ定めておくことや、委員の任期を定め一定期間後には委員が改選されるようにすることが考えられる。このほか、労使委員会の開催方法は労使委員会の決議により定めるという仕組みにすることも考えられよう。
 さらに、労働者委員が、当該事業場の労働者の意見を適正に集約することができるような方策についても、引き続き検討することが必要である。

 労使委員会制度の活用
 このような労使委員会について、使用者がこれを設置し労働条件の決定・変更に関する協議を行うことを促進するためには、労使委員会において合意が得られている場合等には労働契約法制において一定の効果を与えることが適当である。
 例えば、就業規則の変更の際に、労働者の意見を適正に集約した上で労使委員会の委員の5分の4以上の多数により(これにより労働者委員の過半数は変更に賛成していることが確保される。)変更を認める決議がある場合に変更の合理性を推定することが考えられる(第3の1(2)イ参照)。
 なお、労使委員会の決議に一定の効果を与えるならば、その委員の意見が十分に反映される必要があることから、決議が全会一致であることが必要との指摘もある。しかし、労働者委員の意見は一致していることが理想であるにしても、現に多様な労働者が存在する中で常に意見が一致することは現実的でない。全会一致を要件とすることで、労使委員会制度が利用しにくいものとなるおそれが強い。また、過半数組合や過半数代表者(これらは労働者の過半数を代表していればよく、その全員を代表する必要はない。)を活用する他の現行制度や、労働組合内部の意思決定方法も必ずしも全会一致によるものではないこと等との乖離が生ずる。労働者委員の過半数でも合意できれば、労働者の多くの意見を民主的に集約したものといえよう。
 さらに、労使委員会に事前協議や苦情処理の機能を持たせ、労働条件決定が個別化する中で労使当事者間の実質的に対等な交渉力の確保を図ることや、労使委員会における事前協議や苦情処理等の対応を、配置転換、出向、解雇等の権利濫用の判断基準の一つとすることも考えられる。

 もっとも、労使委員会の決議に上記のような就業規則の変更の合理性の推定の効果等を与える場合に、労使委員会が労働組合の団体交渉を阻害することや、その決議が労働協約の機能を阻害することがないような仕組みとする必要がある。労使委員会の活用方法を検討するに当たっては、労使委員会での決議は、団体交渉を経て締結された労働協約とは異なり、当然に個々の労働者を拘束したり、それ単独で権利義務を設定したりするものではないことに留意する必要がある。

 このほか、現行の労働基準法の企画業務型裁量労働制における労使委員会との関係については、労働契約法制における労使委員会の決議は、必要な要件を課した上で、企画業務型裁量労働制における労使委員会の決議に代替することができるとすることなどが考えられよう。
 また、労働契約法制における労使委員会の決議に、労働基準法第36条の労使協定等に代わる効力を与えることも考えられる。



第2 労働関係の成立

 採用内定
(1)採用内定の実態と労働基準法との関係
 新規学卒者の採用に当たっては、多くの企業で採用内定が行われている。
 新規大学卒業者の採用内定を行っている企業は、従業員300人以上1000人未満の企業で64.3%である。企業規模が大きくなるほどその割合は増加し、従業員5000人以上の企業では94.1%となっている(厚生労働省「雇用管理調査」平成16年)。
 これに関して、大日本印刷事件最高裁第二小法廷判決(昭和54年7月20日)において、採用内定はその実態が多様であるため法的性質を一義的に論断することはできないが、採用内定通知のほかに労働契約締結のための特段の意思表示が予定されていなかったとの事情の下で、使用者の採用内定通知により、労働者の誓約書の提出とあいまって、解約権を留保した労働契約が成立したとする判断が示されている。
 以下では、就労開始前の労働契約の成立を「採用内定」、労働契約成立後就労の開始までの間における使用者による労働契約の解消を「採用内定取消」と呼ぶこととする。
 なお、労働契約が成立する時点についてはそれほど不明確という問題はなく、契約が成立するのは採用内定者と使用者との間で合意が成立した時点であるから、遅くとも採用内定者による誓約書の提出があった時点では、労働契約が成立しているといえよう。

 採用内定時の労働基準法の各条文の適用については、実態も踏まえてその取扱いを検討する必要があるとの意見があった。
 このうち、採用内定時の労働条件明示の範囲については、労働者にとって就業の場所や従事すべき業務は重大な関心事であることから、採用内定時に少なくともその範囲を示すことが重要といえる。また、採用内定時以後であっても、特定された段階で可能な限り事前に知らせることが重要である。
 次に、労働基準法第20条の解雇の予告については、現在、採用内定期間中においても適用があることとされているが、試の使用期間中の者については14日を超えて引き続き使用されるまでは同条の適用がないとされていることとの均衡がとれていない。また、採用内定期間中は労務の提供や賃金の支払がなく、採用内定が取り消される場合には、採用内定者が少しでも早くこれを知ることができるようにすることが最も重要である。したがって、採用内定期間中については労働基準法第20条の適用を除外し、採用内定者が少しでも早い時期から求職活動ができるようにすることが適当である。
 また、採用内定後のどの時点から就業規則が適用されるのかという問題があるとの意見や、採用内定時に就業規則が明示されなかった場合にはどの事業場に適用される就業規則が適用されるのかという問題があり、採用内定期間中に実習等をさせる場合には何らかの手当てが必要ではないかとの意見があった。

(2)採用内定取消
 上記大日本印刷事件最高裁判決は、解約権留保の趣旨は、採用決定当初は労働者の適格性の有無について適切な判定資料を十分に収集することができないため、後日における調査や観察に基づく最終的決定を留保することにあるとした上で、採用内定取消事由は、採用内定当時知ることができず、また知ることが期待できないような事実であって、これを理由として採用内定を取り消すことが、解約権留保の趣旨、目的に照らして客観的に合理的と認められ社会通念上相当として是認することができるものに限ると判示している。これは、採用内定取消についても解雇権濫用法理を適用して使用者による採用内定取消を制約する一方で、解約権が留保されている場合には、その趣旨及び目的に照らして通常の解雇とは異なる基準による解約が認められる場合があることを示している。
 そこで、採用内定取消について、一般的な解雇権とは別個の留保解約権が認められるには、それを行使する事由(留保解約事由)が採用内定者に対して書面で明示されていることが必要とすべきである。すなわち、採用内定に際して留保解約権の存在とその事由が書面で明示されている場合には、当該留保解約事由が解約権留保の趣旨、目的に照らして客観的に合理的と認められ社会通念上相当と認められるときに限り、その事由に基づきなされた留保解約権の行使は、権利の濫用には当たらず有効であることを法律で明らかにすることが適当である。また、そのような明示がない場合には、採用内定取消は、通常の解雇権の濫用に当たらない限りで有効とすべきである。
 これにより、採用内定者及び使用者に対して、客観的に合理的と認められ社会通念上相当と認められない事由に基づく採用内定取消は権利の濫用として無効となることが周知され、恣意的な採用内定取消が少なくなるというメリットがある。
 ただし、「客観的に合理的」、「社会通念上相当」という用語を用いる限り、結局どのような場合に採用内定取消が認められるのかをあらかじめ予測することは不可能との指摘があり得る。しかし、これらの用語は採用内定の実態が多様であることを踏まえて用いざるを得ないものであり、予測可能性の向上は、判例で示された具体的事例を整理・収集することで一定の効果を上げることが可能となると考えられる。
 また、ここで、留保解約権の行使を書面で明示された留保解約事由に基づくものに限ることとするのは、そのような解約権が留保されているか否かが採用内定者に対し明らかになっていることが必要と考えられることや、「新規学校卒業者の採用に関する指針の策定について」(平成5年6月24日付け労働省発職第134号)により、事業主は採用内定を行う場合には文書により採用内定取消事由等を明示するものとされていることによるものである。これにより、どのような場合に採用内定が取り消されるのかを採用内定者があらかじめ知る機会を増やすメリットがある。

 なお、一般にいわれる「採用内定取消」には、上記のような留保解約権の行使と、その行使につき特段の留保がなされていない通常の解雇があり得るが、書面で明示された留保解約事由以外の理由による採用内定取消が行われた場合には、通常の解雇権と同様の判断がなされるべきこと(特別な留保解約権は認められないこと)についても、併せて指針等により明らかにすることが適当である。

 このほか、中途採用者の場合における採用内定取消について、新規学卒者との違いをどのように考えるかは重要な論点であるとの意見があった。

 さらに、採用内定当時に使用者が知っていた事由又は知ることができた事由による採用内定取消は、無効とすることが適当である。
 これにより使用者が知っていた事由等を後になって主張させないとすることは、採用内定者の地位を安定させるだけでなく、社会通念上不公正な行為の抑制になる。

 また、三菱樹脂事件最高裁大法廷判決(昭和48年12月12日)においては、使用者は、法律その他による特別の制限がない限り、原則として自由に採用を決定することができるとされているが、採用の自由といっても、社会的身分による採用差別等を認めることは疑問であり、仮に採用差別の問題等を労働契約法制で取り扱うとすれば、何らかの規定が必要であるとの意見があった。

 試用期間
 労働者の採用に当たっては、試用期間を設けて本採用前に労働者の仕事の適性等を判断することが多くの企業で行われており、試用期間を設けることがある企業は73.2%となっている。また、試用期間を設けることがあるとする企業の99.0%において、試用期間の長さは6ヶ月程度以下となっている(独立行政法人労働政策研究・研修機構「従業員関係の枠組みと採用・退職に関する実態調査」平成16年)。
 試用期間中の労働契約は、上記三菱樹脂事件において、解約権留保付き労働契約と解され、通常の解雇よりも「広い範囲における解雇の自由が認められてしかるべきもの」であるが、留保解約権の行使は、解約権留保の趣旨、目的に照らして、客観的に合理的な理由が存し社会通念上相当として是認され得る場合にのみ許されるものと解するとされている。

 上記のとおり、我が国では判例法上、採用内定期間及び試用期間においても労働者が解雇について保護されている。しかし、諸外国では解雇制限法の保護を受けるためには一定期間の勤続が要件とされていること、また、雇用の流動化に伴い中途採用者の増加が見込まれるところ専門的な能力を期待して採用する中途採用者については実際に就労してみないと期待どおりの能力があるかどうか分からないことから、現時点において試用期間の意義をもう一度考える必要があるのではないかとの意見があった。
 試用期間については、通常の解雇よりも広い範囲における解雇の自由が認められることから、著しく長い試用期間を定めることは労働者を長期間不安定な地位のままに置くこと、また、その間は、本採用後よりも賃金その他の労働条件が低い水準である傾向が強いことから、労働契約において試用期間を設ける場合の上限を定めることが適当である。
 ここで、従事する業務の内容によって労働者の適格性判断に必要とされる期間が異なり得るので、一律の上限を設定することは困難との指摘がある。また、試用期間に上限を設けた場合には、使用者は試用を目的とする有期労働契約(試行雇用契約)を活用するようになり、労働者にとってかえって不利になるのではないかという懸念もある。
 しかし、試行雇用契約は、労働者の適性や業務遂行能力を見極めた上で常用雇用につながる契機となって労使双方に利益をもたらす面があるとともに、期間中は解雇が制約され、試用期間よりも労働者にとって有利な面もあるとも考えられる。また、試用期間の上限を設けつつ、その上限を超えた勤務でなければ労働者の適性を見分けられないような特別な理由がある場合には、これを超える試用期間を設けることを認めることも考えられる。

 また、このような試用期間の適用を受けるか否かが労働者に対し明らかになっていることが必要と考えられることから、試用期間であることが労働者に対して書面で明らかにされていなければ、通常の解雇よりも広い範囲における解雇の自由は認められないとすることが適当である。

 なお、試行雇用契約については、下記第5の3(1)において検討する。

 労働条件の明示
 労働契約締結時の労働条件の明示は、労働基準法で対応すべき問題であるのか、それとも本来は労働契約法制の問題であるのかという点について議論が行われ、労働条件を明示すべきことを罰則や監督指導で担保するのが労働基準法の目的であるのに対し、労働条件を明示した場合にそれが契約内容になるかどうかが労働契約法制の問題であるとの意見が出された。
 一方、実際の紛争は、労働条件が明示されていない空白の部分について、どのように解釈するかに関するものが大半を占めているのではないかと考えられることから、これを労働契約法制で補充することについても検討すべきであるが、難しいとの意見があった。
 そこで、例えば、実際に適用される労働条件が、労働契約の締結時に労働者に明示された労働条件に達しない場合には、労働者は、明示された労働条件の適用を使用者に対して主張できることを明確にすることが適当である。
 なお、労働者が、明示された労働条件の適用を請求できることは当然であり、特に問題は生じていないことから、新たな規定を設ける必要性に乏しいとの指摘もあり得る。しかし、労働者は、明示された労働条件が事実と違う場合に即時解除及び帰郷旅費の請求ができることは労働基準法上明記されていることから、労働者が明示された労働条件の適用を請求できることも、これを法律上明記することは意義がある。また、このような規定を設けることにより、例えば、明示は一応の予定という趣旨にすぎず契約内容になったとは言えない、という反論を許さないことにもなる。
 また、労働者が募集時に示された労働条件の適用を主張できるかどうかについても問題となるが、これについては、募集時に示された労働条件をもって労働契約の内容とする意思が当事者に認められるか否かの意思解釈によって個別の事案ごとに解決すべきであると考えられる。

 このほか、労働契約は長期間継続するものであり、労働条件も当然に変更されることが予定されているものであることから、契約締結時の労働条件の明示とは別に、労働条件の変更時に当該変更内容の明確化を図ることについても検討すべきではないかという意見が出された。

 さらに、仮に労働契約締結時に将来の労働条件の変更に関する事項の明示を充実させることとした場合には、使用者は広範に使用者の権限、労働者の義務を明示することが考えられる。このため、これに当然に労働者が拘束されるとすることが必ずしも適切とはいえず、労働条件明示の本来の目的である労働者の将来の処遇に関する予測可能性の向上の問題(労働契約の効力要件としての必要条件)と、労働者を労働契約の効力として拘束できるか否かの問題(労働契約の効力要件としての十分条件)とは区別すべきであるとの意見や、明示された文言に厳密にとらわれず実情に即した合理的な限定解釈が必要になるとの意見があった。



第3 労働関係の展開

 就業規則
(1)就業規則と労働契約との関係
 就業規則の規定の民事的効力
 秋北バス事件最高裁大法廷判決(昭和43年12月25日)においては、「労働条件を定型的に定めた就業規則は、(中略)それが合理的な労働条件を定めているものであるかぎり、経営主体と労働者との間の労働条件は、その就業規則によるという事実たる慣習が成立しているものとして、その法的規範性が認められるに至っている(民法92条参照)ものということができる。」とされた。
 民法第92条は、「当事者がその慣習による意思を有しているものと認められるときは、その慣習に従う」とあり、最高裁は、この事件において、契約当事者の意思解釈として、民法第92条の「その慣習による意思」を認定したと考えられる。
 その後の累次の最高裁判決においても同様の判示がなされており、就業規則の内容が合理的である限り、労使当事者に労働条件は就業規則によるとの意思があるとして、労働者が就業規則の個別の規定を現実に知っていると否とにかかわらず、就業規則の内容が労働契約の内容になるということは確立した判例であり、また、実際にも労働条件は就業規則によって定められているという事実は労使当事者にも広く認識されているものと考えられる。したがって、この法理を法律で明らかにすることが適当である。
 その際、労働契約の締結時において、明らかに就業規則に規定された内容と異なる労使当事者間の合意がなされたと認定した方が適当である場合もあり得る。また、通常は就業規則に記載されている事項をもって労働契約の内容とするという当事者の意思が推定されているが、就業規則の内容が合理的でない場合にはこの意思の推定が働かないと考えることが適当である。
 そこで、就業規則の内容が合理性を欠く場合を除き、労働者と使用者との間に、労働条件は就業規則の定めるところによるとの合意があったものと推定するという趣旨の規定を設けることが適当である。この場合、この推定は反証を挙げて覆すことができる。また、当事者双方において内心の意思があったのみでは契約とならないことから、意思表示の合致としての合意があったと推定するものである。
 なお、ここでいう「合理性」の内容を具体化することについて、例えば、「著しく不合理である場合を除き」とすることを含めて更に検討する必要があるとの意見があった。また、このような就業規則の拘束力に関する議論においては、あらかじめ作成された契約条項である約款の効力に関する理論との整合性も必要であるとの意見もあった。

 就業規則の効力発生要件
 労働基準法に定める就業規則の作成・変更の際の意見聴取及び届出の義務や周知義務と就業規則の効力との関係については、裁判例が混乱しており、整理すべきであるとの意見があった。

 まず、就業規則に労働者を拘束する効力(労働条件は就業規則の定めるところによるという労使当事者間の合意の推定)を認めるための要件としては、「就業規則が法的規範としての性質を有するものとして、拘束力を生ずるためには、その内容を適用を受ける事業場の労働者に周知させる手続が採られていることを要するものというべきである」との判例法理(フジ興産事件最高裁第二小法廷判決(平成15年10月10日))を、法律で明らかにすることが適当である。
 なお、就業規則の交付を拘束力の発生要件とすべきとの考え方もあるが、重要なのは労働者が就業規則の内容をいつでも知ることができることであり、それが実現できるのであれば、使用者の負担を考慮して、交付ではなく労働基準法第106条第1項に定める周知を要件とすることが適当と考えられる。

 このほか、就業規則に労働者を拘束する効力を認めるためには、できる限り就業規則の作成について労働者が適切に関与していることが必要となると考えられる。
 そこで、労働者と使用者との情報の質及び量の格差や交渉力の格差を是正するためにも、現行の労働基準法上必要とされている過半数組合等からの意見聴取を、拘束力が発生するための要件とすることが適当である。
 これについては、常時10人以上の労働者を使用しない小規模事業場においても妥当するので、労働基準法上の義務の有無とは無関係に、過半数組合等からの意見聴取を就業規則の拘束力が発生するための要件とすることが適当である。なお、労働者に対する意見聴取の手続としては、個々の労働者に対して就業規則の内容を周知した上で意見を募集する措置を講ずることも認めて差し支えないと考える。
 さらに、上記秋北バス事件最高裁判決においては、就業規則に対する行政官庁の監督的規制の存在が指摘されているが、就業規則を行政官庁に届け出ることを就業規則の拘束力が発生するための要件とするか否かは議論のあるところである。この問題については、より厳格な手続を要求した方が労働者保護に資すること、行政官庁に届け出ることにより労働基準法第92条2項の行政官庁による就業規則の変更命令による是正が期待できるようになるため、その合理性が確保され、労働者の就業規則への信頼感も高まることから、行政官庁への届出を就業規則の拘束力が発生するための要件とすることが適当である。

 労働基準法第93条に規定する就業規則の最低基準効を認めるための要件については、下記エで検討する。

 労働基準法上の就業規則の作成手続
 労働基準法上の就業規則の作成手続としては、現在、過半数組合又は過半数代表者からの意見聴取が必要とされている。これについては、上記第1の5で論じたとおり、就業形態や価値観が多様化し労働者に均一性が低くなる中では一人の労働者代表が当該事業場全体の労働者の利益を代表することは困難となってきていることから、意見聴取の相手方を労使委員会の労働者委員のように常設的なものとすることや複数人とすることが考えられるとの意見があった。
 また、意見聴取義務を協議義務や説明義務に変更することや、意見聴取義務を維持するとしても労働者側に作成・変更内容を示す時期など意見聴取の手続を指針等で示すことなどにより、より適切なものに充実させていくことが考えられるとの意見があった。
 そこで、就業規則の作成に当たっては、現行の過半数組合又は過半数代表者からの意見聴取のほか、上記第1の5で論じたとおり労使委員会が当該事業場の全労働者の利益を公正に代表できるような仕組みを確保した上で、過半数代表者からの意見聴取に代えて労使委員会の労働者委員からの意見聴取によることを認めることや、意見聴取の手続に関する指針を定めることが適当である。
 一方、現行の意見聴取に代えて労働者代表の同意を必要とすることについては、どうしても同意が得られない場合には第三者機関による強制仲裁の仕組みが必要となるなど就業規則の作成・変更に時間や費用がかかり企業運営への影響が大きいことから適当でない。また、労働者代表への協議を必要とすることについては、協議が行われたか否かの判断に当たって、労働者代表と使用者との見解が異なる場合などに監督機関がどのようにチェックするのかとの意見があったことから、慎重に検討する必要がある。

 就業規則で定める基準に達しない労働条件
 労働基準法第93条は、就業規則で定める基準に達しない労働条件は就業規則で定める基準によるべきこと(最低基準効)を規定しているが、同条は罰則規定や労働基準法第104条の申告の対象となる性質のものではない。また、労働基準法第13条のように、労働基準法自体の効力を定めたものでもない。
 労働基準法第93条は、就業規則の民事的効力を規定する重要な規定であって、労働契約法制に上記アのような就業規則の効力に関する規定を設ける場合には、これらと密接な関係にある。そこで、労働基準法から労働契約法制の体系に移すことが適当である。
 その際、現在の労働基準法第93条は、「就業規則で定める基準に達しない労働条件を定める労働契約」についての定めであるが、個別の労働契約において定めのない事項についても就業規則で定める基準によることを労働者が主張できることに留意すべきである。

 また、就業規則の最低基準効を認めるための要件については、就業規則が当該事業場において労働者との間において効力を持つ客観的なルールであり得るためには、少なくとも労働者がこれを知り得る状態にあることが必要であると考えられることから、実質的な周知が必要であるとすることが適当である。
 ここでは労働者が就業規則の内容を実際に知り得ることが重要であり、「実質的な周知」は労働基準法に定める周知手続に限らずこれよりも広く認められる。
 一方、意見聴取や行政官庁への届出については、使用者がこれらの手続を怠った場合に、労働者が本来主張することができたはずの権利を主張することができなくなることは妥当ではないことから、これらの手続を最低基準効が認められるための要件とすることは適当ではない。
 なお、使用者が特定の労働者に対して就業規則を明示していたが事業場における周知はしていなかった場合には、就業規則が当該労働者との間の契約の内容になっており、当該就業規則に定める労働条件を労働者が主張することができると考えられる。

(2)就業規則を変更することによる労働条件の変更
 判例法理の整理・明確化
 上記秋北バス事件最高裁判決においては、さらに、「新たな就業規則の作成又は変更によって、既得の権利を奪い、労働者に不利益な労働条件を一方的に課することは、原則として、許されないと解すべきであるが、労働条件の集合的処理、特にその統一的かつ画一的な決定を建前とする就業規則の性質からいって、当該規則条項が合理的なものである限り、個々の労働者において、これに同意しないことを理由として、その適用を拒否することは許されない」と判示している。
 この就業規則による労働条件の変更が合理的なものであれば、それに同意しないことを理由として、労働者がその適用を拒否することはできないという就業規則の不利益変更に関する判例法理については、秋北バス事件最高裁大法廷判決及びその後の累次の最高裁判決において確立した判例であるということができる。
 この判例法理は、長期雇用慣行の中で、労働契約を継続しつつ、事情の変化に応じて労働条件を柔軟かつ合理的に調整することに役立つものとして一般に評価されていることから、法律で明らかにすることが適当である。
 実際にも、労働契約は継続的な関係であることから、事情の変更に応じてある程度労働条件が変更され得ることは労使ともに前提としているものと考えられる。また、変更が合理的なものである場合は、継続的な関係を希望する労使双方にとってメリットがある。さらに、労働条件の変更の過程において労働者の集団的な意思が反映されるようにすることが適切である。
 このような観点に立って、就業規則変更法理を法律で明らかにする必要があるが、その際の規定の方法としては次の二つが考えられる。

案(1) 「就業規則による労働条件の変更が合理的なものであれば、労働条件は当該変更後の就業規則の定めるところによるとの合意が、労使当事者間にあったものと推定する。」旨の規定を設け、この推定は反証を挙げて覆すことができることとする。

 この案は、上記秋北バス事件とその後の累次の最高裁判決において就業規則変更法理が確立しており、一般にも就業規則は変更可能なものと考えられていて、労使当事者はこれを認識していると考えられることから、就業規則の変更が行われる場合にも、当該変更が合理的である場合には当該変更後の就業規則の内容が労働契約の内容になるとの意思の合致が、労使当事者にあるものと考えられることによるものである。ただし、当該労働条件については将来においても就業規則によっては変更しないとの労使当事者間の明示又は黙示の合意があったと認定できる場合も考えられるため推定規定とし、反証を認めるものである。
 本規定によれば、就業規則の変更による労働条件の変更は、労使当事者間の合意の範囲内のものであって、労働契約そのものの変更ではないとされ、契約の一方当事者(使用者)に契約の変更権を与えるものではないため、契約についての一般原則に合致する。

案(2) 「就業規則による労働条件の変更が合理的なものであれば、労働者はこれに拘束される。ただし、労使当事者間で当該労働条件について就業規則によっては変更しないことの合意がある場合には、この限りでない。」旨の規定を設ける。

 この案は、解雇権濫用法理によって解雇が制限されており、解雇と新たな労働者の雇入れによって労働条件の変更を実現することは容易でないことから、企業が経営環境の変化に適応して存続し発展するための労働条件の変更の必要性に応じるため、使用者に合理的な範囲内で労働契約を一方的に変更する権限を与えるものである。
 ただし、特定の労働条件について、将来においても就業規則によっては変更しないとの合意があったと認定できる場合には就業規則の変更よりも当該合意が優先することを、法律で明らかにしたものである。
 これに関して、一般的には、法律により一方当事者に契約の一方的な変更権を与える場合には、行政当局による承認が必要とされたり(保険業法第240条の2〜11等)、変更を確認する判決までは相手方当事者が相当と認める範囲の義務の履行で足りることとし判決確定後遡って精算する(借地借家法第11条等)など、厳密な手続が求められている。
 このため、案(2)を取る場合には、このような厳密な手続や代償措置を求める必要性やその内容について、議論を深めるべきである(なお、案(1)においても、厳密な手続や代償措置が必要であるとすることは考えられるが、案(1)は、契約の変更ではなく当事者の意思の範囲内での労働条件の変更であるとの構成を明らかにしているものであり、信義則上相当な手続を取ることは要求されるにせよ、必ずしも厳密な手続は必要でない。一方、仮に就業規則変更法理を法律で明らかにするに当たって現行法以上の手続を求めることとする場合には、厳密な手続を求めるべき案(2)によることの方が説明が容易である。)。
 また、案(2)については、どのような場合に「当該労働条件について就業規則によっては変更しないことの合意」が成立したといえるかも問題となり、例えば、「労使当事者間で個別交渉を経て設定された労働条件については、この限りでない」と規定することなども考えられる(案(1)の推定規定においても、どのような場合に推定を覆す反証がなされたといえるかは問題となる。)。

 案(1)、案(2)のいずれを取るにせよ、上記(1)イで検討したとおり就業規則の拘束力について周知などの効力発生要件を定めることに伴い、就業規則による労働条件の変更についても同一の効力発生要件を求めることが適当と考えられる。

 就業規則の変更による労働条件の不利益変更
 就業規則による労働条件の変更に関して、第四銀行事件最高裁第二小法廷判決(平成9年2月28日)及びみちのく銀行事件最高裁第一小法廷判決(平成12年9月7日)においては、「賃金、退職金など労働者にとって重要な権利、労働条件に関し実質的な不利益を及ぼす就業規則の作成又は変更については、当該条項が、そのような不利益を労働者に法的に受忍させることを許容することができるだけの高度の必要性に基づいた合理的な内容のものである場合において、その効力を生ずる」とされている。ここで、その合理性の有無は、「労働者が被る不利益の程度、使用者側の変更の必要性の内容・程度、変更後の就業規則の内容自体の相当性、代償措置その他関連する他の労働条件の改善状況、労働組合等との交渉の経緯、他の労働組合又は他の従業員の対応、同種事項に関する我が国社会における一般的状況等を総合考慮して判断すべきである」とされている。

 就業規則の変更の合理性の判断要素については、上記第四銀行事件までは多数組合の合意があればほぼ合理性が推測されるとする方向に収斂してきていたが、上記みちのく銀行事件において、多数組合が合意していても、特定の年齢層の労働者に一方的に大きな不利益のみを与えることを認定して合理性を認めなかったため、これをどのように整理するかが問題であるとの意見があった。
 これについては、多数組合の合意は合理性の推測を基礎づけるが、非組合員や少数組合員に関する労働条件の変更の問題もあることから、多数組合の合意だけでなく、不利益の程度や内容に応じて同意しない少数者に対する説明ないし納得を得るための努力などを合理性の推測の判断基準として明らかにしていくことが考えられるのではないかとの意見があった。
 確かに、多数組合の合意があることのみによって変更後の就業規則の合理性を直ちに認めることは適当ではないが、企業における多様な労働者の意見の適正な集約により労働条件を決定することを促進することや、合理性の判断について予測可能性を高めることは必要である。
 そこで、一部の労働者に対して大きな不利益のみを与える変更の場合を除き、労働者の意見を適正に集約した上で、過半数組合が合意をした場合又は労使委員会の委員の5分の4以上の多数により(これにより労働者委員の過半数は変更に賛成していることが確保される。)変更を認める決議があった場合には、変更後の就業規則の合理性が推定されるとすることが適当である。

 ここで、どのような事項を合理性の推定の要件とするかについて、使用者が変更の内容の合理性に立ち入ることなく純粋に手続的な要件さえ証明すれば、その後、就業規則の拘束力を否定することの立証責任をすべて労働者が負うとすることは、労働者にとって負担が大きすぎるとの指摘があり得る。
 これについては、使用者が変更後の就業規則の合理性について推定を受けるためには、一部の労働者に対して大きな不利益のみを与える変更ではないことを立証しなければならないので、変更内容の合理性に立ち入った立証を一定限度で課されているといえる。また、使用者は労働者の意見を適正に集約したという事実を立証しなければならず、これは変更内容の合理性を手続的に検証する役割を果たすものといえよう。さらに、推定が働いた後にも、変更内容の合理性について労働者側の反証が可能であり、それをめぐって使用者側も反論を要するので、使用者も変更内容の合理性の問題から解放されるわけではない。

 他方では、就業規則の不利益変更は、労働者と使用者とが交渉によって利害を調整して決定すべきものであり、その決定のプロセスが適正であれば変更は一応合理的なものと考えて合理性の推定をするべきであって、「一部の労働者に対して大きな不利益のみを与えるものではない」ことのような内容に関する事項を、推定が働くための要件として求めることは適当でないとの意見もあった。
 これについて、一部の労働者に対して大きな不利益のみを与えることが明らかな場合にも内容の合理性の推定を認めることは、手続的にも多数決の濫用といえるし、変更の内容としてもその一部の労働者に対して酷であり、不適当である。
 また、この「一部の労働者に対して大きな不利益のみを与える」場合を法律上位置付けず、単なる合理性の推定を覆す反証としてのみ取り扱うとすると、裁判官によってはこのような事情を全く考慮せずに合理性を認めるおそれがある。このため、推定の要件として法律にこれを規定することが必要である。
 なお、「推定が働かない場合」が就業規則の変更の合理性が否定される場合のすべてであるとの誤解を招かないよう、合理性の推定が働いた場合にもこれを覆して合理性が認められないこととなる事情を、何らかの方法で例示する必要がある。

 このほか、この「一部の労働者に対して大きな不利益のみを与える変更の場合を除き」という要件については、次のような意見があった。
 まず、「大きな不利益」という抽象的で評価を含む概念を要件とすることは不適当との意見がある。これについては、使用者は、事業場の全労働者についてどのような不利益が生ずるかを考慮して就業規則を変更すべきものであるから、変更が「大きな不利益」ではないことの説明責任を負っており、このような抽象的で評価を含む要件を定めることもやむを得ないと考えられる。
 また、「ない」ことを証明するのは困難であるとの意見については、使用者は、全労働者の労働条件を把握しているはずであるから、変更が一部の労働者にとって大きな不利益で「ない」ことの証明は十分可能であるはずである。

 さらに、過半数組合の合意を推定の要件とすることに関しては、少数組合の意見が反映されなくなるという懸念もあり得るが、過半数組合が全労働者の意見を適正に集約することが推定の前提となっているので、少数組合の労働者にも意見表明の機会が与えられる。
 逆に、就業規則の変更の効力が明確でないことは労使双方にとって望ましくないため、過半数組合の合意があれば合理性を「推定」するのではなく、合理的なものと「みなす」べきとの指摘もあり得る。しかし、就業規則の変更の内容の如何を問わずこれに拘束されることとなる労働者の不利益を考えれば、過半数組合の合意等がありさえすれば反証を認めないとすることは行き過ぎである。
 また、要件のうち労使委員会の決議については、労働者委員に対する使用者からの支配介入の余地があるため、変更の合理性を担保する組織としては問題があるとの指摘がある。しかし、これについては、決議の効力は合理性の推定にとどまるものであるし、さらに、労使委員会について法令で規定する委員の選出方法、意思決定方法等が遵守されており使用者からの不当な支配介入がない場合に限って推定が働くとすることで対処できると考えられる。
 このほか、決議にこのような効果を与える場合には、労使委員会の全会一致の決議が必要との指摘もあるが、上記第1の5(3)のとおり、労働者委員の過半数でも合意できれば、労働者の多くの意見を民主的に集約したものと考えられる。

 最後に、仮にこのような推定規定を定めた場合においても、推定が働かないときには上記第四銀行事件最高裁判決等において示されている要素を考慮して就業規則の変更の合理性を判断することとなるが、これについては、当該考慮要素を法律で明確に限定することは適当でないとの意見があり、他方では、裁判規範としては「合理性」だけでは抽象的でありもう少し具体化が必要との意見もあった。
 そこで、この考慮要素については、指針等により労使当事者に周知することが適当である。

(3)就業規則の作成義務の対象労働者
 労働基準法上、就業規則の作成義務を負う使用者は、就業規則を当該事業場のすべての労働者について作成しなければならず、就業形態や職種、勤務態様に応じて労働条件が異なる場合には、異なる区分ごとに規定を設けるか、別規則を定めなければならないが、この旨を通達等で明らかにすることが適当である。

 雇用継続型契約変更制度
(1)問題の所在
 労働契約の個別化に伴い、個別契約において労働者の職務内容や勤務地が特定されている場合が増えている。このようなケースにおいて特定された労働条件を変更する必要が生じた場合などには、統一的集団的労働条件変更法理である就業規則の変更法理によっては対応できない場合もあるため、使用者は当該労働者に労働条件の変更(労働契約の一部変更)を提案し、労働者がこれに同意しない場合には解雇することがある。このような使用者の意思表示はいわゆる「変更解約告知」と呼ばれるが、この場合、当該労働者は事後的に解雇の合理性を争うことはできるものの、いったん雇用契約上の地位を失うという大きな不利益を被ることとなる。
 しかし、このような場合には、使用者は労働者が労働契約の変更に応じれば雇用を存続してもよいと認めているのであるから、この問題を解雇の問題として処理しなければならないものではない。そこで、労働者が雇用を維持した上で、労働契約の変更の効力を争うことができるようにすることが必要であり、これは、今後、個別的な人事管理の増大に伴い、就業規則変更法理では対応できないケースが増えてくると、解雇という社会的コストを避ける妥当な解決策となり得るという意見があった。
 実際に、使用者が経営上の必要から労働契約の変更を求めることは日常的に行われており、これに応じない労働者に対して解雇(場合によっては懲戒解雇)がなされた事例も多い。このような現状(事後的に救済される可能性があるとはいえ、労働者に(懲戒)解雇の危険を負わせているなど)に対しては、何らかの有効適切な方策を検討することが、解雇という社会的コストの低減の観点から必要であろう。
 この際、労働者が雇用を維持した上で労働契約の変更の効力を争うことができるようにするための方策としては、使用者が労働契約の変更を提案する際に、労働者が労働契約の変更について異議をとどめて承諾しつつ、事後的に労働契約の変更の効力を争うことを可能にするような制度を設けることのほか、そもそも使用者に変更権を認め、これを行使せずに労働契約の変更の提案と解雇をした場合には単に解雇として扱い、提案された労働契約の変更の合理性は解雇の効力の判断に絡めないこととするなどの方法があるとの意見があった。
 ヒアリングにおいても、労働者が使用者からの労働契約の変更の提案に応じない場合に解雇につながるということは問題であるが、解雇につながらないルール設定であれば意義があり得るとの意見があった。

(2)検討の方向
 いずれにしても、労働者が雇用を維持した上で労働契約の変更の効力を争うことができるようにするための制度を設けることの意義はあると思われる。しかし、仮に労働契約の変更の効力を争う制度を設けた場合に、労働者に有利になるのか、それとも使用者側に使いやすい手段になるのかが問題であるとの意見もあり、制度を設けたことが安易な解雇や安易な労働条件の引下げにつながることのないよう、労働者の保護に十分に留意する必要がある。
 そこで、このような労働契約の変更の必要が生じた場合に、労働者が雇用を維持した上で労働契約の変更の合理性を争うことを可能にするような制度(雇用継続型契約変更制度)を設けることが適当である。
 このような制度については、労働者に不利益をもたらさないためには安易な変更は認めないこととし、やむを得ない場合でも就業規則の変更法理で対応すれば足りるとの指摘や、労働者に提訴を強いるか、労働者が解雇を恐れて労働契約の変更を受け入れざるを得なくなるかであって、結局、使用者にのみ利益を与えるとの指摘がある。
 まず、就業規則の変更法理で対応すれば足りるとの指摘については、労働契約の個別化が進展する中で、労働条件が個別の合意(労働契約)によって決定されることが増えており、そのような場合には労働条件の変更が必要となっても統一的集団的変更法理たる就業規則の変更法理では対応できない。そこで、使用者は、個別に労働契約の変更を提案し、労働者がこれに応じない場合には解雇するとして労働者に受諾を迫ることとなる。この場合、ここで提案するような雇用継続型契約変更制度を設けなければ、労働者は解雇されて雇用を失った上で提訴するか、あるいは、そのような事態を恐れて労働契約の変更の提案に同意し、もはや変更について争い得なくなるかのいずれかの帰結となる。そこで、まさに労働者が雇用を失った上で提訴を強いられることのないように、そして、労働者が解雇を恐れて不当な労働契約の変更提案を受け入れざるを得なくならないように、労働者が雇用を維持したまま、契約内容の変更を行おうとする使用者に対してその変更を争うことができる制度を設ける必要がある。
 その際の制度構成としては次の二つが考えられる。

案(1) 労働契約の変更の必要が生じた場合には、使用者が労働者に対して、一定の手続にのっとって労働契約の変更を申し込んで協議することとし、協議が整わない場合の対応として、使用者が労働契約の変更の申入れと一定期間内において労働者がこれに応じない場合の解雇の通告を同時に行い、労働者は労働契約の変更について異議をとどめて承諾しつつ、雇用を維持したまま当該変更の効力を争うことを可能にするような制度を設ける。
 その際、労働契約の変更が認められる場合としては、例えば、変更が経営上の合理的な事情に基づき、かつ、変更の内容が合理的である場合に限ることが考えられる。そして使用者が労働者に労働契約の変更を申し込み十分な協議を行った上で、協議が整わず労働契約の変更に合意を得られない場合にはじめて再度の労働契約の変更を申し入れ、更に労働者が熟慮することができる一定の期間を設けなければならないこととし、その上で当該期間内において労働者が労働契約の変更に応じない場合の解雇の通告を有効とする。この場合であっても、労働者が労働契約の変更について異議をとどめて承諾した場合には、この解雇の通告は効力を生じないこととし、また、労働者が異議をとどめて承諾したことを理由とする解雇を無効とする。さらに、就業規則変更法理など、他の手段によって労働条件の変更を実現することができず、本制度によってしか労働条件の変更を達成できない場合に限られることとする必要がある。
 このような措置を講ずること等によって、労働者の保護に十分留意する必要がある。

案(2) 労働契約の変更の必要性が生じた場合には、変更が経営上の合理的な事情に基づき、かつ、変更の内容が合理的であるときは、使用者に労働契約の変更を認める制度を設ける。
 この案は、企業が経営環境の変化に適応して存続し発展するための労働条件の変更の必要性に応じるため、使用者に合理的な範囲内で労働契約の一方的な変更権を与えるものである。
 上記1(2)アで述べたとおり、一般的には、法律により一方当事者に契約の一方的な変更権を与える場合には、厳密な手続や代償措置が求められていることから、案(2)を取る場合には、相応の手続・代償措置が必要となる。
 その際の手続としては、労働関係においては労使当事者の自主的な交渉を重視すべきであることから、行政が関与する手続ではなく、労使当事者間の協議等を基礎とした手続とすることが適当であり、例えば、本制度による変更権の行使は、労働者と十分な協議を行った場合であって、就業規則変更法理などの他の手段によっては労働条件の変更を実現することができず、本制度による変更を行わざるを得ない場合に限るとすることが考えられる。
 また、代償措置としては、労働者が使用者の変更権の行使に従って就労しつつ当該変更の効力を争っている場合に当該争いを理由として行われた解雇は無効とすることが考えられる。さらに、使用者が本制度による変更権を行使することによって解雇を回避できるにもかかわらず、これを行使せずに労働者を解雇したときには、当該解雇は無効とすることについても議論を深める必要がある。

 なお、案(1)と案(2)について、変更に必要な手続や、変更が認められるための経営上の合理的な事情及び変更の内容の合理性が異なるかどうかについては、次のように考えられる。
 雇用継続型契約変更制度は、それまでの契約に基づいては変更することのできない労働条件の変更という結果をもたらすものである。また、労働者がこれに同意しなかった(従わなかった)場合に、最終的に使用者はその労働者を解雇すると考えられることは、使用者に変更権を与える案(2)でも案(1)と同様である。したがって、案(1)(2)のいずれであっても、整理解雇が認められる場合と均衡のとれた要件が必要であると考えられる。
 そこで、手続としては、上記のとおり、労働者への変更の内容とその必要性の十分な情報提供、熟慮期間の付与、一定の協議期間の保障等が必要である。
 また、労働契約の変更の合理性については、一定の判断基準を示した上で、判例の集積を待って逐次整理・追加してその充実を図ることが適当である。

 さらに、案(1)、案(2)のいずれを取るにせよ、有期労働契約については、契約期間中の解除について民法第628条によりやむを得ない事由が必要とされていることから、契約期間中の労働契約の変更についても、おのずからこれが認められる場合は制約されることに留意する必要がある。

 配置転換
 我が国の企業においては、労働者の能力開発や組織の活性化、雇用の維持のために配置転換が広く行われており、配置転換を行うとした企業の合計は、従業員1000人以上の規模の企業の97.4%、300人以上999人以下の規模の企業の89.5%となっている(独立行政法人労働政策研究・研修機構「労働条件の設定・変更と人事処遇に関する実態調査」平成16年)。一方、職種・勤務地の限定など、配置転換を限定的に行う労務管理も従来から行われてきた。
 配置転換に関しては、東亜ペイント事件最高裁第二小法廷判決(昭和61年7月14日)により、使用者が配置転換命令権を有する場合であっても、業務上の必要性がない場合、業務上の必要性があっても他の不法な動機・目的をもってなされたものであるとき、労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく越える不利益を負わせるものであるとき等の場合には権利の濫用になり得ることが示された。これについて労使当事者の理解を促進するために、このような権利濫用法理を法律で明らかにすることや、それに加えて権利濫用の要素を具体化してガイドライン等で周知することが考えられるとの意見があった。
 配置転換について権利濫用法理を法律で明らかにする場合には、労働者にとって不利にならないよう厳格な規制とすべきとの指摘や、特に転居を伴う配置転換について、配置転換の要件や配置転換の際に使用者が講ずべき措置を法律で定めるべきとの指摘がある。一方で、配置転換は使用者が経営上の必要性を踏まえつつ行う人事管理上の事項であって、かつ、使用者の専権事項であるから、法律による規制はなじまないとの指摘もあり得る。
 これについては、特に転居を伴う配置転換が労働者に大きな影響を与えることと、配置転換は使用者の経営上の必要性等に基づき様々な態様で柔軟に行う必要があることの両者を考慮すると、人事権を過度に制約せずにこれとの調整を図る手法として、雇用関係における権利濫用法理を一般的に法律で規定しつつ、具体的な使用者の講ずべき措置は指針で対応することが、最も適切である。
 ここで、仕事と生活の調和の観点から、使用者は、転居を伴う配置転換を行おうとする場合には、本人の意向の聴取、家族の状況に関する配慮をすべきこと等を指針で示すことが適当である。
 なお、従来は、配置転換によっても賃金等の労働条件は変更されないことを前提に配置転換が広く認められてきたと考えられるが、配置転換により労働条件が低下する場合には、このことが権利濫用の判断において考慮され得るとの意見があった。

 配置転換について、労働契約締結時にその可能性があることを労働者に対して書面により明示しない限りこれを無効とすることや、就業規則等に根拠がなければならないとすることも考えられる。しかし、現実には職種・職務内容、勤務場所の変更の程度によって、配置転換と指揮命令(担務変更など)との区別が困難であることから、法律で規定することが技術的に可能かどうか慎重に検討すべきである。例えば、「配置転換」を「職種又は勤務場所の変更」と仮に定義したとしても、「職種」概念が曖昧な我が国においてはこれが明確な定義たり得るかという問題があり、また、「勤務場所の変更」についても、何をもって「勤務場所の変更」というのか、例えば、同一事業場内での異動や、事業場そのもののごく近隣への移転をどのように評価するのかという問題がある。

 他方、配置転換において最も問題となるのは、労働者が転居を余儀なくされる場合であることから、労働者が契約締結時にその可能性の有無を知ることができるようにすることは重要であるため、指揮命令との区別が可能であると考えられる転居を伴う配置転換については、その可能性がある場合にはその旨を労働基準法第15条に基づき明示しなければならないこととすることが適当である。その際、現在労働基準法第15条に基づく契約締結時の明示事項は、概ね労働基準法第89条に定める就業規則の必要記載事項とされていることにかんがみ、転居を伴う配置転換があり得る場合にはこれに関する事項を就業規則の必要記載事項とすることが適当である。

 出向
(1)出向命令の効力
 出向元と出向先との合意により、出向元との労働契約関係を維持したまま、出向先と出向労働者との間にも労働契約関係を成立させ、出向先において労務に従事させる出向については、従業員1000人以上規模の企業の88.4%、300人以上999人以下の企業の74.0%が出向者の送り出し又は受入れに関わっており、大企業を中心に広く行われている(独立行政法人労働政策研究・研修機構「労働条件の設定・変更と人事処遇に関する実態調査」平成16年)。
 出向については、民法第625条第1項により、何らかの形での労働者の同意が必要とされている。そこで、どのような場合に使用者は労働者に出向を命じることができるかについては、裁判例において、労働契約や就業規則に出向を命じ得る旨の規定があるだけで当然にいかなる出向をも命じ得るものではないとされている一方で、個別の出向ごとに労働者の個別の同意が必要であることまでは求めていないとされている。
 ここで、就業規則に一般的な出向を命じ得る旨の規定があること、出向規定が整理されていて処遇等の事項が規定されていること、出向が制度化されていることを条件に出向を命じ得るということまでは、裁判例が確立しているのではないかとの意見があった。
 しかし、これらの判断については、各裁判例において明確にルールとして示しているわけではなく、また、出向の実態は非常に多様であることから、出向について一律にルールを定めることは容易ではないとの指摘がなされた。
 そこで、使用者が労働者に出向を命ずるためには、少なくとも、個別の合意、就業規則又は労働協約に基づくことが必要であることを法律で明らかにすることが適当である。
 これについては、出向は、労務提供の相手方が変更され、また、労働条件が低下する場合も多いことから、使用者の申入れが具体的なものである必要があるとともに、労働者の個別の同意を得る必要があるとの指摘が考えられる。しかしながら、出向は、雇用の維持や労働者のキャリアの形成・発展を目的として行われる場合もあり、出向中の労働条件に配慮がなされている場合も多いことから、一律に労働者の個別の同意が必要とすることは適当でなく、むしろ出向の可能性の有無があらかじめ労働者に対して明らかになることがより重要である。
 あわせて、出向の可能性がある場合にはその旨を労働基準法第15条に基づき明示しなければならないこととすることが適当である。
 その際、上記3と同じく、出向がある場合にはこれに関する事項を就業規則の必要記載事項とすることが適当である。
 また、出向先企業の範囲、出向期間や賃金、退職金など出向期間中の労働条件に関して出向労働者の利益に配慮した詳細な規定が設けられることは、労働者の権利義務の明確化を図る観点から望ましく、これを促進することが適当である。

 このほか、出向により労働条件を低下させることは本来あってはならないことであるとの意見があった。さらに、出向命令権があるとされる場合であっても、実際に出向後の労働条件が低下したり、職場環境が悪化したりする場合には、出向命令権の行使が権利の濫用とされ得るとの指摘があったことから、出向についても権利濫用法理を法律で明らかにすることが適当である。

(2)出向をめぐる法律関係
 出向については、出向労働者と出向元・出向先の間の権利義務関係が不明確となりがちであることから、これら三者が何も合意していない場合に適用されるルールを定めることが紛争の未然防止の観点から有益であるとの意見があった。その際、実態に基づき多くの企業に妥当するルールを定めるべきとの意見や、賃金や退職金について規定を設けるべきとの意見があった。また、このようなルールは当事者間の合意が優先する任意規定では不十分である可能性があるとの意見や、歯止めとして多数組合と合意をするなどの一定の手続を踏んだ場合に限り別段の定めを優先させることなどが考えられるとの意見もあった。
 そこで、出向労働者と出向元・出向先との間の権利義務関係を明確にするため、出向労働者と出向元との間の別段の合意がない限り、出向期間中の賃金は、出向を命じる直前の賃金水準をもって、出向元及び出向先が連帯して当該出向労働者に支払う義務を負うとの任意規定を設けることが適当である。
 これについては、出向の際に賃金が低下する場合もあることや、出向労働者は出向先で就労し出向元のために就労していないことから、出向元が出向直前の水準で賃金の支払に連帯責任を負うとするのは負担が大きすぎるとの指摘もあり得る。しかし、個別の合意や就業規則等の定めがない場合に限って効力を発揮するような規定であれば、使用者の負担は大きくならず、また、このような規定は、使用者自身による出向期間中の労働条件の明確化を促す効果が期待できる。
 また、出向期間中の賃金以外にも、例えば、出向先が出向労働者を懲戒解雇できるかや、出向期間が出向元の退職金の算定に当たって勤続年数として通算されるかといった事項について任意規定を定めるべきとの指摘もあり得る。これについては、懲戒制度や退職金制度はその制度の導入の有無も含めて各企業において実態が様々であるので、出向の際の取扱いを更に検討した上で、大部分の企業において行われている取扱いがあれば任意規定を定めることが考えられる。

 なお、出向期間中の賃金について任意規定を設けることとした場合、当該任意規定と異なる合意を労使が行う場合には、労使委員会の決議などの集団的な手続を関与させるべきであるとの意見もあった。しかし、出向労働者の保護は、任意規定と異なる個別の合意や就業規則等に対する一般的な権利濫用法理や就業規則法理によってある程度図られることから、出向元・出向先と労働者との間の権利義務関係を明確にし、紛争を予防するためには、純然たる任意規定で足りると考えられる。

 転籍
 転籍元と転籍先との合意により、労働者と転籍元との労働関係を終了させて、新たに転籍先との間に労働関係を成立させる転籍については、従業員1000人以上の企業の59.8%が転籍者の送り出し又は受入れのいずれかに関わっており、大企業を中心に行われている(独立行政法人労働政策研究・研修機構「労働条件の設定・変更と人事処遇に関する実態調査」平成16年)。
 転籍は、対象労働者が、転籍元との労働関係を終了させ、転籍先との関係で新たに労働契約を締結するものであることから、判例上も、労働者の個別的、具体的な同意が必要とされている。
 この場合に、実質的な同意を確保するために、転籍の際に使用者に転籍の必要性、転籍先の労働条件等の説明や、転籍先の業務内容、経営状況等の情報開示を義務付けることが考えられるとの意見があった。
 そこで、転籍については、労働者の実質的な同意を確保する観点から、使用者は、労働者を転籍させようとする際は、転籍先の名称、所在地、業務内容、財務内容等の情報及び賃金、労働時間その他の労働条件について書面を交付することにより労働者に説明をした上で労働者の同意を得なければならないこととし、書面交付による説明がなかった場合や転籍後に説明内容と現実とが異なることが明らかとなった場合には転籍を無効とすることが適当である。
 これについては、転籍先の財務内容まで転籍元に明示させることは、新たに労働契約を締結する際の労働条件明示義務との均衡を失し、転籍元に過重な負担を課しているとの指摘が考えられる。しかしながら、転籍は、転籍元が一方的に転籍先を指定するものであって、労働条件の他律的な変更を余儀なくされるものであるから、転籍元は転籍に当たって労働条件等を十分に説明する必要がある。なお、会社分割の場合にも、労働契約承継法によって分割会社等が負担すべき債務の履行の見込みがあること等の明示が義務付けられていることも考慮した上で、転籍元が説明すべき事項を決定する必要がある。

 休職
 使用者は、労働者を就労させることが適切でない場合に、休職制度によりその就労を一時免除又は禁止することがあり、69.3%の企業が何らかの休職制度を有している(独立行政法人労働政策研究・研修機構「労働条件の設定・変更と人事処遇に関する実態調査」平成16年)。このような休職制度、特に病気休職制度については、労働者にとっては一定期間解雇が猶予され、使用者にとっても労働者が傷病等を被った場合の対応が明確、容易となることから、一般に労使双方にとって有益であるといえるとの意見があった。
 病気休職制度では、休職期間満了時に病気が治癒していなければ自動退職となる場合があるが、休職期間の満了により労働契約が自動的に終了することについては、解雇に関する法規制の潜脱とならないように留意する必要がある。しかし、休職期間の満了により労働契約が自動的に終了する制度を無効とすることは、使用者に、解雇を猶予する期間としての休職制度を設ける動機付けを失わせ得ることから、適当でない。
 解雇に関する法規制の潜脱とならない形で労働契約の自動終了という効果を認めるとすれば、休職事由に応じて適切な長さの休職期間が設定される必要があるが、休職事由は多岐にわたり、これに応じた休職期間の適切な長さも様々であると考えられるため、これについて何らかの措置を講じるためには、休職制度の実態を調査した上で、これを踏まえ慎重に検討することが必要である。
 また、最近の裁判例では、病気休職期間満了時に病気が治癒していない場合に、原職復帰は困難でも現実に配置可能な業務があれば使用者は当該労働者をその業務に復帰させるべきだと解する傾向にあり、これについて法律上明確にすべきであるとの意見が出された。しかし、他方、休職は実態が多様で、実体的なルールを定めることは困難であり、書面で休職の内容を明示させるなどの手続を定めることが重要であるとの意見も出された。
 もっとも、このような休職を命ずる際に必要な手続に関する措置についても、休職事由や休職期間に関する措置と同様に休職制度の実態を踏まえた検討が必要であると考えられる。

 なお、休職については、労働基準法第15条により契約締結時に明示する事項となっていることとの均衡から、休職制度がある場合にはこれに関する事項を労働基準法第89条に定める就業規則の必要記載事項にも追加することが適当である。

 服務規律・懲戒
(1)懲戒の効力発生要件
 労働者に対する懲戒処分の規定を有している企業は80.5%となっている。そのような企業の割合は企業規模が大きくなるほど高くなり、従業員1000人以上の企業では98.9%となっている(独立行政法人労働政策研究・研修機構「従業員関係の枠組みと採用・退職に関する実態調査」平成16年)。
 使用者が労働者の非違行為について当該労働者に懲戒処分を行おうとする場合は、原則として就業規則に規定があることが必要であるとの意見で一致した。しかし、就業規則に不備がある場合に、規定された懲戒事由以外の事由について懲戒を行うことができないとすることの妥当性や、就業規則の作成義務がなく現に就業規則等による懲戒規定のない事業場について、懲戒を行うことができないとすることの妥当性については、議論があった。
 この問題に関し、フジ興産事件最高裁第二小法廷判決(平成15年10月10日)においては、使用者が労働者を懲戒するには、あらかじめ就業規則において懲戒の種類及び事由を定めておくことを要するとされた。
 就業規則作成義務のない小規模事業場においても、個別の労働契約等で懲戒の根拠が合意されていれば、使用者は懲戒権を行使し得ることには問題はないと考えられる。
 そこで、使用者が労働者に懲戒を行う場合には、個別の合意、就業規則又は労働協約に基づいて行わなければならないとすることが適当である。

(2)懲戒及び服務規律の内容
 現在の裁判例は、労働者の非違行為が就業規則等に定めた懲戒事由に該当するかどうかを判断し、その際に就業規則等を限定解釈していること、さらに、当該懲戒が権利濫用でないかの判断を行っていることが指摘され、労働契約法制においてもこのような手順で検討していくべきとの意見があった。
 ここで、懲戒は労働者に対して大きな不利益を与えるので、懲戒が認められる場合を法律で限定すべきではないかとの指摘があり得る。逆に、企業秩序を維持するための懲戒制度の内容は企業の実態に合わせて柔軟かつ適正に運用されるべきものであり、服務規律や慣行などが企業により様々であることを考えれば、懲戒について権利濫用法理などを法律で規定することは不要な立法の介入であり適当でないとの指摘もある。
 少なくとも恣意的な懲戒が行われないようにするためには、雇用関係における権利濫用法理を一般的に法律で定めることが適当である。さらに、懲戒に関する権利濫用法理のうち最も重要なものは、非違行為と懲戒の内容との均衡であると考えられるため、その旨を法律で明らかにする必要があると考えられる。
 また、懲戒解雇の際に、退職金が不支給とされ、又は減額されることがあるが、どのような場合にどの程度これが認められるのかという問題がある。
 懲戒に伴う退職金の減額・不支給は、特に問題のある事例については就業規則の合理的な限定解釈で対応が可能である。これとは別に、何らかの規定を法律で設けるとすると、昇進・昇格・昇給、賞与、配置転換、教育訓練などの懲戒に伴う他の様々な処遇の決定についても均衡上規定を設ける必要が生じかねない。懲戒に伴う退職金の減額・不支給は、それが労働者に与える影響と労働者の非違行為との均衡を考慮して決定すべきことを指針等で規定すれば足りると考えられる。

(3)懲戒の手続
 労働者に対する懲戒事由の書面通知、弁明の機会の付与、事前の労使協議等の手続については、これを法律で定め、明確化する必要があるとの意見があった。一方で、労働者の所在が不明な場合や労働者が懲戒手続を逃れるために労働契約の解約の意思表示をしている場合など、手続の遵守を必ずしも求めることができない場合があるのではないかとの意見や、中小零細企業の負担をどう考えるべきかとの問題提起、手続を指針で示す方法もあるのではないかとの意見があった。
 不当な懲戒を抑制し、懲戒をめぐる紛争を防止する観点から、懲戒解雇、停職(出勤停止)、減給のような労働者に与える不利益が大きい懲戒処分については、対象労働者の氏名、懲戒処分の内容、対象労働者の行った非違行為、適用する懲戒事由(就業規則等の根拠規定)を、書面で労働者に通知させることとし、これを使用者が行わなかった場合には懲戒を無効とすることが適当である。
 これについては、使用者が書面通知を行わなかった場合の懲戒を無効とすることは、非違行為を行った労働者を利するものであって不適当であるとの指摘があり得る。
 しかし、使用者が懲戒事由等の書面通知を行うことは、労働者が懲戒に納得できない場合に不服申立て等をできるようにするためにも、また、使用者が慎重に懲戒事由等を検討するようになることからも、非常に重要である。加えて、労働者の不利益に比較して使用者の負担はあまり大きくない。このことから、使用者が書面通知を行わなかった場合の懲戒解雇、停職、減給は無効とすることが適当である。
 また、懲戒解雇、停職、減給以外の懲戒処分についても、その後の昇進・昇給や賞与等に影響を与えることが多く、労働者の不利益が大きいこと、また、懲戒はそれほど日常的に行われるものではないことから、同様に書面通知をしなければならないこととすべきではないかとの意見があった。これについては、使用者の意図として口頭注意を懲戒として行う場合にこれを書面通知させることの整合性や、戒告、口頭注意を無効とすることの法的意義が不明確である(昇進・昇給や賞与等への影響がある場合であってもそれは総合的な評価の結果であって、懲戒それ自体の直接的効果とは必ずしも認定できない。)こと及び使用者の負担を考慮するならば、労働者に与える不利益が明確な懲戒処分に限って書面通知を求めることが適当である。
 次に、懲戒は労働者の弁明を聴取した後でなければできないとすることについては、弁明の聴取を促進することは適当であるが、これを行わない懲戒を一律に無効とすることについては、労働者が所在不明であるなど使用者が手続を遵守し難い場合があることや、使用者の負担が大きく中小零細企業が対応できないおそれがあること、懲戒処分に時間を要することとなるため、懲戒手続の実施中に労働者が退職してしまう場合があること等から、慎重に検討する必要がある。まずは書面通知によって、懲戒の理由等に納得がいかない労働者が自ら使用者に対して不服申立てをしたり紛争解決制度を利用したりするための材料を提供することが重要と考えられる。

 昇進、昇格、降格
 近年では、成果を重視する方向に賃金制度等を変えていく動きが強く、年俸制の導入等がなされているが、このような新しい人事管理制度の運用に当たっては、その公平性・客観性がますます重要となっている。このため、年俸額、昇給その他賃金額の決定や、昇進(役職の上昇)、昇格(職能資格の上昇)、降格(役職の引下げ及び職能資格の引下げ)、配置転換、一時金の決定等に活用される人事考課については、その客観性、公平性を確保するための方策が重要となる。しかし、人事管理制度及び人事考課については、企業における実態が多様であって、更に近年では制度を変更する企業も多いため、今後の人事考課制度の進展を見据えつつ、方策を慎重に検討すべきである。
 もっとも、労使当事者間の紛争を未然に防止し、労働者が意欲をもって働けるようにするためには、労働者の請求に応じて人事考課の結果を労働者に説明することは望ましいことであることから、これを促進することが適当である。
 昇進、昇格、降格については、一般に、使用者の広範な裁量権が認められるとされているが、人事権の濫用は許されないことを明確にすることが適当である。さらに、職能資格の引下げとしての降格については、就業規則の規定等の明確な根拠が必要であるとすることが適当である。
 昇進、昇格、降格制度の内容や運用については、各企業の実情に合わせて労使で自主的に決定すべき事項であり、法律で規制を設けることは不適当であるとの指摘もある。反対に、使用者が労働者を公正に評価しなければならないことや、評価結果を労働者に通知すべきことを法律で定める必要があるとの指摘もある。
 これについては、昇進、昇格、降格は前提となる人事制度が極めて多様であるので、細部にわたって一々規制することは困難かつ不適切であり、制度内容の合理性や権利濫用法理によるルールにとどめるべきである。なお、職能資格の引下げについては、すでに裁判例において就業規則の規定等の明確な根拠が必要とされており、これについては法律でルールを明確化することが適当である。

 労働契約に伴う権利義務関係
(1)就労請求権
 労働者が労働を提供する権利(就労請求権)を有するかどうかをめぐっては、裁判例においては、使用者の基本的な義務はあくまで賃金支払義務であり、一般的には労働者は就労請求権を有するものではないとされている。
 これについて、現代の労働者は、働くことによって自己実現をし、生きがいを見いだすものであることや、自らキャリアを形成していくものであること等を踏まえ、就労請求権があることを必ずしも明文化する必要はないとしても、この考え方を見直していくべきであるとの意見があった。一方、就労請求権がある・ないというルールの定め方以外にも、無効な解雇の事後処理の問題や、自宅待機等を命ずる業務命令の有効性の問題として整理することが考えられるとの意見もあった。
 いずれにしても、就労請求権について、その具体的な内容とこれによって生ずる法律効果(就労妨害を排除する差止請求ができるか、損害賠償請求なのか、そもそもどのような就労を請求できるのか等)を明確にすることは困難であり、これらを明確にしないままその有無について法律で規定することは、その解釈をめぐって新たな紛争を生じかねず(例えば、就労請求権がないと規定することにより使用者の不当な自宅待機命令等を助長するおそれがあり得る)、適切でないと考えられる。

(2)労働者の付随的義務
 労働関係においては、その基本的な義務である労働提供義務・賃金支払義務以外にも、様々な権利義務関係があると考えられ、これらは一般に「付随的義務」といわれている。このような付随的義務や、上記(1)の就労請求権について議論するためには、付随的義務の根源として誠実義務があると考えるか等そもそも労働契約における権利義務の全体構造をどう考えるかを議論する必要があるとの意見があった。

 兼業禁止義務
 使用者は、労働者の兼業を禁止し、又は許可制にする等の制限をすることがあるが、このような制限は一般に就業規則で定められるため、裁判においては、労働者がこのような規定に違反したかどうかの判断に際して、就業規則の規定を限定解釈することによって処理されているとの指摘があった。
 労働時間以外の時間をどのように利用するかは基本的には労働者の自由であり、労働者は職業選択の自由を有すること、近年、多様な働き方の一つとして兼業を行う労働者も増加していることにかんがみ、労働者の兼業を制限する就業規則の規定や個別の合意については、やむを得ない事由がある場合を除き、無効とすることが適当である。ここで、兼業の制限がやむを得ない場合としては、兼業が不正な競業に当たる場合、労働者の働き過ぎによって人の生命又は健康を害するおそれがある場合のほか、兼業の態様が使用者の社会的信用を傷つける場合等が含まれることとすべきである。
 なお、裁判例においては、企業への労務提供に支障を生ぜしめる兼業について、就業規則の兼業禁止規定に基づく懲戒処分の有効性を認めたものがあるが、このような事案は、本来、現実に企業への労務提供に支障が生じた場合に、当該支障に対する人事考課や懲戒において対処されるべきであって、一律に兼業の禁止により対処することは適当でない。
 ただし、兼業禁止を原則無効とする場合には、他の企業において労働者が就業することについて使用者の管理が及ばなくなることとの関係から、労働基準法第38条第1項(事業場を異にする場合の労働時間の通算)については、使用者の命令による複数事業場での労働の場合を除き、複数就業労働者の健康確保に配慮しつつ、これを適用しないこととすることが必要となると考えられる。
 これについては、労働時間の通算規定の適用を行わないこととすると労働者の過重労働を招き、結果として社会的なコストが増大するのではないかとの指摘も考えられるが、労働時間を通算して個々の使用者の責任を問うのではなく、国、使用者の集団が労働者の過重労働を招かないよう配慮し、労働者自身の健康に対する意識も涵養していくことがより妥当ではないかと考えられる。

 競業避止義務
 労働者の在職中の競業避止義務については、信義則(民法第1条第2項)により生ずるものであって、これを認めることについては特に問題であるとの意見はなかった。
 このような労働者の在職中の競業避止義務について、例えば「労働者は競業避止義務を負う」という形で明確化することは疑問であり、信義則などの基本的なルールを定め、後は労使の運営に任せるべきではないかとの意見があった。
 そこで、労働者の在職中の競業避止義務については、民法の一般原則に委ね、特段の規定を設けないことが適当である。

 退職後の競業避止義務については、職業選択の自由との関係から、これを課す契約が無条件に有効とされるものではなく、労働契約の観点から、契約が終了しているにもかかわらず労働者が拘束される根拠と範囲を規定する必要があるのではないかとの意見があった。
 しかし、競業避止義務については、秘密保持を目的とするもののほかに、競争を制限することを目的とするようなものがあるが、このような競争制限的なものに対する考え方が固まっていないという意見があった。また、競業避止義務を課すことができる範囲等を規定するにしても、裁判例は場所的な限定、時間的な限定、代償措置という三つの基準により判断していこうとする傾向があるが、例えば、代償措置が必要であるかどうかについても判断が分かれており、競業避止義務を課す契約が有効とされる場合の具体的な判断基準については、いまだコンセンサスがないという意見もあった。
 一方、手続について、退職後に競業避止義務を課す場合には、就業規則ではなく個別契約で明確な定めを交わさなければならないこととすることや、その期間、範囲を書面により明示することとすることなどが考えられるとの意見があった。他方、退職後については手続を踏んだからといってむやみに義務を課すことはできず実体的判断は不可欠であることから、手続により競業避止義務を有効とするものではなく、手続は最低限必要なものとして位置付けるべきであるとの意見や、退職後の競業避止義務を定めた契約がなくとも使用者に保護が必要な利益があり得るという意見があった。

 退職後の競業避止義務については、まず、労働者に退職後も競業避止義務を負わせる場合には、労使当事者間の書面による個別の合意、就業規則又は労働協約による根拠が必要であることを法律で明らかにすることが適当である。
 契約に基づく退職後の競業避止義務を無制限に認めると、交渉力の弱い労働者が過度の義務を負わされることがあり得るが、逆に契約に基づく退職後の競業避止義務を一切認めないとすると、競業しない代償に使用者が金銭を支払うような契約もできず、労働者にとっても不利益となりかねない。そこで、契約による退職後の競業避止義務は認めつつ、「競業が使用者の正当な利益を侵害すること」及び「侵害される労働者の利益と競業避止義務を課す必要性との間の均衡が図られていること」を要件とすべきである。その判断の考慮要素としては、上記競業避止義務の必要性のほか、業種、職種、期間、地域、代償の有無及び程度がある。
 さらに、退職後の競業避止義務については、競業避止義務の対象となる業種、職種、期間、地域が明確でなければならないとする要件を課し、これらを使用者が退職時に書面により明示することが必要とすることが適当である。
 ここで、使用者が当該明示を行わなかった場合の効果については、労働者が自らがどのような競業避止義務を負っているかが分からなければ、必要以上に就労を抑制することになりかねないことから、退職後の競業避止義務の範囲を使用者が書面で明示しなかった場合には、退職後の競業避止義務は直ちに無効とすべきとの考え方もある。しかしながら、競業避止義務の対象は、下記ウで検討する秘密保持義務の対象である個々の情報(秘密)とは異なり、より大きなまとまりである「事業」であってある程度その範囲が明確といえ、退職時に明示がなくても労働者がその範囲を承知している場合もあると考えられることから、退職時の書面明示がない場合に、退職後の競業避止義務を直ちに無効とするのは行き過ぎと考えられる。
 したがって、このような場合には、競業避止義務の対象が明確でないものと推定して使用者が明確性を立証しない限り労働者は退職後の競業避止義務を負わないこととすることが考えられる。

 秘密保持義務
 労働者の在職中の秘密保持については、信義則(民法第1条第2項)により生ずる義務のほか、不正競争防止法の規定があることから、労働者の在職中の秘密保持義務を認めることについては特に問題であるとの意見はなかった。
 このような労働者の在職中の秘密保持義務について、例えば「労働者は秘密保持義務を負う」という形で明確化することは疑問であり、信義則などの基本的なルールを定め、後は労使の運営に任せるべきではないかとの意見があった。
 そこで、労働者の在職中の秘密保持義務については、不正競争防止法の定め及び民法の一般原則に委ね、特段の規定を設けないことが適当である。

 退職する労働者に職務上知り得た秘密を退職後も漏らさないことを義務付けている企業は、全体の33.7%である(独立行政法人労働政策研究・研修機構「従業員関係の枠組みと採用・退職に関する実態調査」平成16年)。退職後の秘密保持義務については、不正競争防止法の定めにより保護されるのは営業秘密に限られ、また、不正の利益を得る等の目的があった場合に限られることから、不正競争防止法に加えて労働契約上の秘密保持義務を規定する意味があるとの意見があった。また、競業避止義務は直接労働者の職業選択の自由を制約するものであり、知的財産を保護するための手段としてはあまりに強力であるので、企業が競業避止義務よりも秘密保持義務を使う動機付けとなる立法や解釈が必要だとの意見があった。
 しかし、労働者が退職後に保持すべき義務を負う秘密の範囲が過度に拡大したり抽象的なものとなったりすると、雇用の流動化が進む近年の状況の中で、転職を重ねて職業能力を開発していく労働者のキャリア形成を阻害しかねないことにも留意して検討する必要がある。

 退職後の秘密保持については、営業秘密に関しては既に不正競争防止法の規定があり、これにより営業秘密の保護の要請と労働者の職業選択の自由との調整が図られていることにかんがみ、同法の保護する範囲以上に労働者に退職後も秘密保持義務を負わせる場合には、労使当事者間の書面による個別の合意、就業規則又は労働協約による根拠が必要であることを法律で明らかにすることが適当である。
 また、当該合意や就業規則等の規定については、当該義務に反する労働者の行為により使用者の正当な利益が侵害されることを要件とすることが適当である。
 さらに、労働者が退職後の秘密保持義務を負う場合には、秘密保持義務の内容及び期間を使用者が退職時に書面により明示することが必要とすることが適当である。ここで、秘密の内容は時々刻々と変わり得るものであることから、その内容を退職時に明確にすることの重要性を踏まえて、使用者が当該明示を行わなかった場合には当該秘密保持義務を課す合意等を無効とし、労働者は退職後の秘密保持義務を負わないとすることが適当である。

(3)使用者の付随的義務
 安全配慮義務
 使用者は、労働者が労務提供のため設置する場所、設備若しくは器具等を使用し又は使用者の指示のもとに労務を提供する過程において、労働者の生命及び身体等を危険から保護するよう配慮すべき義務を負っているとする安全配慮義務は、川義事件最高裁第三小法廷判決(昭和59年4月10日)により確立している。これは、一般に使用者の付随的義務として位置付けられているが、安全配慮義務があってはじめて労働者は就労できるのであって、これは基本的な義務であり、そもそも労働契約上の権利義務について、何が中心的なもので何が付随的なものであるとは簡単にはいえないという意見があった。また、安全配慮義務の保護法益は大きく、労使による契約に委ねきれない点があり、労働契約法制に規定する意義があるという意見があった。
 この安全配慮義務は、その保護法益が重要であることから、これを法律で明らかにすることが適当である。

 職場環境配慮義務
 裁判においては、使用者は、労働者に対し、労働者にとって働きやすい職場環境を保つように配慮すべき義務を負っているとした例がある(三重セクシュアルハラスメント事件津地裁判決(平成9年11月5日))。
 このような職場環境配慮義務については、契約上の債務として認められているとはいまだ言い難く、不法行為法上の注意義務にすぎない面も強いのではないかとの意見があった。
 一方、付随的義務の全般に関することではあるが、債務不履行責任と不法行為責任は確かに違うとしても、救済を求める労働者からすれば保護される利益は共通であるとの意見、一般的な規定を置いて場合によっては債務不履行、場合によっては不法行為として解釈に委ねることはあり得るとの意見があった。
 使用者が職場環境配慮義務を負うことを法律により明らかにすることについては、裁判例上、一般的な職場環境配慮義務の内容がいまだ確立していないため、使用者が保つよう配慮すべき「労働者にとって働きやすい職場環境」の内容が問題となること、また、裁判例上、職場環境配慮義務の内容が近年示されてきているセクシュアルハラスメントに関しては既に男女雇用機会均等法第21条によって一定の対応がなされていることから、労働契約法制において一般的な規定を設ける必要性については、慎重に検討する必要がある。

 個人情報保護義務
 労働者の個人情報の保護については、既に個人情報の保護に関する法律が施行されていることから、使用者は、同法に基づき労働者の個人情報の保護を図る必要がある。しかし、同法は、個人情報を5000件以上保有する事業者にしか適用されない。
 情報化の進展の中で、労働者の個人情報の保護は重要な課題であることから、どのような規模の企業も、労働者の同意がある場合や法令に基づく場合等の正当な事由がある場合を除き、労働者の個人情報を目的外に使用してはならないことや個人情報を第三者に提供してはならないこと、さらに、不正の手段により労働者の個人情報を取得してはならないこと等労働者の個人情報を適正に管理しなければならないことを、法律で明らかにすることが適当である。
 また、このような規定を設ける場合には、労働者が使用者にその義務の履行(目的外での使用の差止め等)を直接請求できることとすることが適当である。
 このほか、労働者が使用者に対して自らの人事に関する情報等の開示を求めることがあり得るが、これに対する開示請求を認めた場合には中小零細企業が対応能力を有するかという問題もあることから、慎重に検討することが適当である。

0 労働者の損害賠償責任
(1)労働者の損害賠償責任
 使用者が労働者に対して行う損害賠償請求や求償については、茨石事件最高裁第一小法廷判決(昭和51年7月8日)により、損害の公平な分担という見地から信義則上相当と認められる限度に制限されている。しかし、この判例法理は労働者に広く知られているとは言い難いことから、これを周知することが必要である。
 なお、「損害の公平な分担という見地から信義則上相当と認められる限度」が、具体的にどの程度の負担割合であるかを明確にすることについては、労働者の働き方が多様化し、学生アルバイトやトラック運転手のように負担割合を相当程度低く考えるべき労働者もいれば、高度の専門性を有し高額の賃金を得て大きな損害賠償責任を負うべき労働者もあると考えられることから、適切でない。
 また、損害賠償責任を制限する際の考慮要素については、上記茨石事件が判示した要素は羅列的に過ぎ、労働契約が多様化している現在においてこれを立法化することは適切でないとの意見があった。

(2)留学・研修費用の返還
 使用者が労働者の留学・研修費用を負担し、これを金銭消費貸借契約として、留学・研修の修了後一定期間内に当該労働者が退職した場合に、使用者が当該労働者に対してその費用の返還を請求することがある。海外留学制度を設けている企業のうち、早期退職者から費用の返還を求めている企業は40.9%であり、そのうち88.9%が留学後5年以内に退職した労働者を対象に返還を求めている(平成17年厚生労働省労働基準局監督課調べ)。その際、これが労働基準法第16条の禁止する違約金の定めに当たらないかどうかが問題となる。
 これについては、留学・研修の成果は労働者本人の利益ともなり、企業が留学・研修制度を設ける意欲を阻害しないように措置する必要があるので、労働基準法第16条の規制とは区別して考えるべきであるとの意見があった。一方、このような契約は、労働基準法第16条違反ではないにしても、その精神とは矛盾するとの考え方もあるのではないかとの意見があった。
 また、例えば、金銭消費貸借契約自体は有効としつつ、退職時に労働者が返還すべき費用の額の上限について、留学・研修後の経過年数に応じてこれを制限することが考えられるとの意見があった。
 そこで、労働基準法第16条の趣旨に留意しつつ、企業が留学・研修制度を設ける意欲を阻害しないよう、業務とは明確に区別された留学・研修費用に係る金銭消費貸借契約は、労働基準法第16条の禁止する違約金の定めに当たらないことを明らかにすることが適当である。
 ここで、金銭消費貸借は違約金の定めとは異なるはずであり、労働基準法第16条違反に当たらない場合を「業務とは明確に区別された」留学・研修費用に限る必要はないとの指摘も考えられる。しかし、業務遂行に必要で本来的に使用者が負担すべき費用を使用者が支払ったことで金銭消費貸借が成立することはあり得ず、退職する労働者にその費用の返還を請求するとすることは、金銭消費貸借に名を借りた労働契約の不履行を理由とする違約金の定めであって、労働基準法第16条に違反する。
 このため、「業務とは明確に区別された」との要件は必要である。その判断に当たっては、留学・研修への参加が労働者の自発的な意思に基づくものであること、留学・研修期間中は基本的に業務上の指揮命令を受けないこと、留学・研修の内容が今後継続して勤務するに当たって不可欠なものでないこと等を基準とし、これを労働基準法第16条の解釈で示すことが適当である。

 また、上記のとおり使用者は、留学・研修後一定期間以上の勤務を費用の返還を免除する条件とすることがある。このような場合に、民法第626条との均衡を考慮して当該期間を5年以内に限ることが考えられる一方、労働基準法において契約期間の上限は原則3年とされていることから、留学・研修費用の返還を免除する条件とする勤務期間も3年までとすべきではないかとの指摘もあり得る。
 留学・研修後の勤続によって労働者の留学・研修の成果は使用者に一部還元されることや、返還免除の条件となる期間中は労働者が退職しにくく感じることも事実であることから、あまりに長い期間を返還免除の条件とすることは適当ではない。もっとも、本来労働者が負担すべきであった費用を返還すれば退職できる期間と、労働基準法第14条の定める契約期間とは趣旨が異なる。むしろ、企業の実態を見る必要があるが、実際にも返還を免除する条件とする期間を5年としている企業が多い。これらを踏まえ、一定期間以上の勤務を費用の返還を免除する条件とする場合には、当該期間は5年以内に限ることとし、5年を超える期間が定められた場合には5年とみなすこととすることが適当である。
 また、留学・研修を終えた労働者は、その後の勤続に応じてその成果を企業に還元しており、5年間は費用の全額を返還しなければならないとすることはおかしいのではないかとの指摘もあり得る。留学・研修後の勤続年数に応じて返還額を逓減させることは、労働者の立場からは望ましい。しかし、実態として5年間継続勤務するまでは全額の返還を求めている企業が多いこと、そもそも業務とは明確に区別された留学・研修についての費用であって、成果は企業に一部還元されてはいるものの勤務に不可欠ではないこと、また、労働者自身が留学・研修の利益を受けていること等から、5年間が経過するまでは費用全額の返還を認めて差し支えなく、これによって労働者が大きな不利益を被るとは考えられない。



第4 労働関係の終了

 解雇
(1)解雇権濫用法理について
 労働基準法第18条の2として法制化された解雇権濫用法理については、予測可能性を高める観点から要件をより具体化すべきであるとの意見が出された。そこで、解雇は、労働者側に原因がある理由によるもの、企業の経営上の必要性によるもの又はユニオン・ショップ協定等の労働協約の定めによるものでなければならないことを明らかにすることが適当である。
 これについて、解雇には正当な理由が必要として、その立証責任が使用者にあることを明確にすべきとの指摘もある。しかし、解雇には正当な理由が必要とすることは、平成15年の労働基準法改正で立法化された解雇権濫用法理とは異なるルールとなり、企業実務や裁判実務に与える影響が大きいことから、適当でない。
 また逆に、解雇事案は多様でかつ複雑な事実関係に基づいている場合が多く、解雇権の濫用についての裁判例は、各事案ごとの個別判断事例であるから、法律による解雇要件の具体化は適当でないとの指摘もある。しかし、客観的に合理的な理由となり得るような解雇事由の類型を明らかにすることは、解雇の有効性の判断の予測可能性を少しでも向上させ、紛争を予防・早期解決するために重要である。

 ここで、解雇権濫用法理は「合理的な理由があること」と「解雇に社会的相当性があること」の二段構えの要件であることを明確にした上で、それぞれの要素を抽出・整理すべきとの意見があった。
 その際、社会的相当性の判断に関して、解雇に際して労働組合や労使委員会への事前協議など一定の手続を踏んだ場合には解雇権濫用の判断の際に考慮されるという手続的な規定が必要との意見があった。また、解雇予告、解雇理由の明示など労働基準法に定められた手続についても、権利義務関係にどのような影響を与えるかという視点からの検討が必要であるとの意見があった。
 そこで、上記のとおり解雇事由の類型を示すことのほか、解雇に当たり使用者が講ずべき措置を指針等により示すことが適当である。解雇に当たり使用者が講ずべき措置は、解雇が有効とされるための要件として法律で規定すべきとの指摘もあるが、解雇が労働者にとって大きな不利益である一方で、解雇事案は多様かつ複雑な事実関係に基づいて行われることの両者を考慮すると、解雇権濫用法理を具体化するに当たっては、客観的に合理的な理由となり得るような解雇事由の類型を法律で示しつつ、それぞれの類型において使用者が講ずべき措置を指針で対応することが、最も適切である。
 使用者が講ずべき措置としては、例えば、労働者の軽微な非違行為の繰り返しを理由として解雇を行う場合には、事前に一定の警告が必要であるとすることが考えられる。
 一方、解雇に当たって労働者に対して弁明の機会を付与することを、使用者が講ずべき措置として定めることは、懲戒解雇の場合に、解雇に時間がかかってその間に労働者が退職してしまうことに対応できないなどの弊害が生じ得る。
 また、解雇に当たって労働組合や過半数代表者から説明・協議を求められた場合にこれを尽くすことや労使委員会からの意見聴取を必要とすることについては、労働者の同意なく過半数代表者等に対してある労働者が解雇されるという事実やその労働者の非違行為等が示されることとなれば、被解雇労働者の個人情報の保護などの問題がある。
 なお、特に企業の経営上の必要性による解雇の有効性の判断基準については、下記2で検討する。

 このほか、裁判において解雇が無効とされた場合、通例、当該解雇による就労不能は民法第536条第2項の使用者の責めに帰すべき事由によるものとして使用者は労働者に解雇の時点以後の賃金を支払わなければならないことについて、周知することが適当である。

(2)解雇の意思表示前における紛争の予防
 解雇の事前手続の問題に関連して、使用者がいったん解雇の意思表示をすると、労働者は職場から排除され紛争解決にも時間がかかることから、このような労働者は解雇すべきだと使用者が考えた場合に、事前に労働者に対してその意向を伝え意見を聴くなど、解雇の意思表示以前の段階で、紛争を予防する方策を検討できないかとの意見があった。
 例えば、解雇をするかどうかで紛争が起きた場合の仲裁の活用を推進することや、解雇をするかどうか、解雇対象者を誰にするか等の紛争を労働審判に持ち込めるようにすることで審判に紛争の予防的機能を持たせることが考えられるのではないかとの意見があったが、これについては、仲裁制度、労働審判制度の活用状況等を踏まえて慎重に検討する必要がある。

(3)出訴期間の制限
 我が国においては、労働者が解雇の効力を争う場合に出訴期間の定めがないため、法律関係の早期安定の観点から、これについても検討する必要があるとの意見があった。
 労働者が解雇の効力を争う場合の出訴期間を制限することについては、労働者が裁判所に訴えることに慣れていない現状があることから、労働者が訴えを提起するまでの間に出訴期間が徒過してしまい、労働者の裁判を受ける権利を侵害することになりかねないという問題がある。
 しかし、一方で、個別労働紛争解決制度や労働審判制度など労働者にとって身近と考えられる紛争解決方法も増加してきており、労働者がこれらの制度を利用することが考えられる。現在、これらの紛争解決制度においてはそれが不調となり後日訴訟を提起した場合の、賃金請求権等の時効の中断について法的に手当てがなされている。そこで、仮に労働者が解雇の効力を争う場合の出訴期間を定めた場合には、解雇の出訴期間についても同様の措置を講じることにより、労働者の裁判を受ける権利を保護することができると考えられる。
 もっとも、これは個別労働紛争解決制度や労働審判制度が十分に活用しやすいものとなっていることが議論の前提となることから、出訴期間の制限については、これらの制度の普及状況を見つつ引き続き検討することが適当である。

(4)労働基準法第18条の2の位置付け
 労働基準法第18条の2の規定は、法違反の問題を生ぜず、罰則や労働基準法第104条の申告の対象となる性質のものではなく、解雇の民事的効力について定めているものであるので、第18条の2の民事的効力を定める規定としての今後の発展を視野に入れた場合、これを労働基準法から労働契約法制の体系に移すことが適当である。

(5)有期労働契約の契約期間中の解雇
 有期契約労働者の契約期間中における解雇については、下記第5の3(3)で検討する。

 整理解雇
 使用者の経営上の必要性による解雇すなわち整理解雇の合理性の判断基準について、いわゆる「整理解雇四要件」((1)人員削減の必要性、(2)人員削減の手段として整理解雇を選択することの必要性―解雇回避措置の余地のないこと、(3)解雇対象者の選定の妥当性―選定基準が客観的・合理的であること、(4)解雇手続の妥当性―労使協議等を実施していること)がある。これをどのように考えるかについて、裁判例の動向は、かつてはこれらの四要件の一つでも欠ければ解雇は無効となるとの立場(四要件説)をとっていたと解される(東洋酸素事件東京高裁判決(昭和54年10月29日)など)が、最近ではこれらを解雇権濫用を判断する四つの重要な要素であるとする立場(四要素説)に収斂してきている(労働大学(本訴)事件東京地裁判決(平成14年12月17日)など)との意見があった。
 これについて、裁判所は事件ごとに、四要件説をとったり四要素説をとったりして柔軟な対応を図っているが、仮にこれを法律で明らかにする場合には、どの程度規定を明確にすることができ、また規定をどの程度厳格、あるいは柔軟にすべきであるのかを検討する必要があるとの意見が出された。
 ここで、四要件説を採ったとしても各要件の認定を柔軟に行えば解雇は認められやすいこととなり、また、四要素説を採ったとしても各要素の認定を厳格に行えば解雇は認められにくいこととなるから、必ずしも両説の対立が大きいとはいえないと考えられる。
 ここでは、整理解雇がどのような場合に有効となるかの判断基準は、経済・社会情勢の変化に応じて変化していくべきものであり、また、最近の裁判例は四要件ないし四要素にこだわらずに判断するものもあることから、整理解雇の濫用の判断について法的規制を設けることは適当ではないとの指摘もある。しかし、四要素にこだわらない近年の裁判例は、裁判所ごとの解雇権濫用の判断にばらつきを生じさせ、紛争が長期化する一因ともなっていると考えられる。そこで、解雇権濫用の判断の予測可能性を向上させて紛争を予防・早期解決するためには、整理解雇の判断に当たって考慮に入れるべき事項を法律で示すことが必要である。
 整理解雇について労働基準法第18条の2にいう解雇権濫用の有無を判断するに当たって考慮に入れるべき事項としては、具体的には、人員削減の必要性、解雇回避措置、解雇対象者の選定方法、解雇に至る手続等が挙げられる。
 また、整理解雇は労働者側に原因がないにもかかわらず解雇されるものであり、予測可能性の向上や使用者が講ずべき措置を示す必要性は高い。そこで、整理解雇に当たり使用者が講ずべき措置を指針等で示すことが適当である。使用者が講ずべき措置の内容は、裁判例の四要件・四要素を基本として次のものが考えられるが、労働市場の動向を踏まえて更に検討すべきである。
(1)人員削減に当たっては、これが経営上の必要性に基づき、不当な目的があってはならないこと。
(2)配置転換、労働時間の削減、一時休業等の解雇回避手段を尽くし、又は、このような手段によって対処することができないため、整理解雇によるべき合理的な理由があること。なお、いわゆる非正規労働者の解雇をしていないことをもって、正規労働者について直ちに整理解雇の必要性がないものとは解されない。
(3)(2)による解雇回避措置が困難である場合に、退職金の加算、再就職の支援などの適切な負担軽減措置を講じ、又は、負担軽減措置を講じることができない合理的な理由があること。
(4)客観的に合理的な整理解雇対象者の選定基準を定め、実際の選定も当該選定基準に照らして合理的に行うこと。
(5)労働組合がある場合には当該労働組合との協議、労使委員会がある場合には当該労使委員会における協議を尽くし、これらのいずれもない場合には労働者全員に対する説明を尽くすこと。かつ、整理解雇対象者に対しても、経営上の必要性、整理解雇によるべき理由、負担軽減措置の有無及び内容、対象者の選定基準と当該対象者の選定の理由等について説明を尽くすこと。

 解雇の金銭解決制度
 現在の解雇権濫用法理の下では裁判上解雇は有効か無効かの解決しかないところ、金銭解決制度は柔軟な救済手段を認めようとするものであり、解雇の実態に即した柔軟な解決と紛争の迅速処理に資するのではないかとの意見があった。また、諸外国においても、金銭解決を原則とし復職も認める例、復職を原則としつつ金銭解決も認める例等、金銭解決を含めて多様な救済制度が設けられているとの指摘があった。
 一方、労働者の原職復帰が困難な理由の一つには、紛争解決までに時間がかかることがあるため、紛争の早期解決を図ることは重要であるが、これと併せて金銭解決を認めることについては、相当慎重に考えるべきであるとの意見があった。
 また、金銭解決制度については、紛争解決手続と解雇規制の双方を整合的に検討する必要があり、ドイツの例ではあるが、金銭解決制度が存在することが早期の金銭的な和解に影響することはあり得るとの意見があった一方、金銭解決の規定があるから和解が行われることが論理必然的とは必ずしもいえないとの意見があった。
 さらに、労働審判制度においては、これが非訟事件手続として位置付けられていることから、解雇が無効と判断される場合にも、審判手続における当事者の意思に反しない場合には事案の実情に即して金銭解決を示し得るとの見解があり、今後の運用が注目されるとの意見があった。

 本研究会においては、解雇紛争の救済手段の選択肢を広げる観点から、仮に解雇の金銭解決制度を導入する場合に、実効性があり、かつ、濫用が行われないような制度設計が可能であるかどうかについて法理論上の検討を行うものである。
 仮に解雇の金銭解決制度を導入する場合には、裁判手続上、解雇の有効・無効の判断と金銭解決の申立てとを二段階とすると、迅速な解決という本来の趣旨からは問題があるとの意見があった。
 紛争の迅速な解決の観点からは、解雇の有効・無効の判断と金銭解決の判断とを同一裁判所においてなすことについて検討すべきである。
 なお、解決金の性質は、雇用関係を解消する代償であり、和解金や損害賠償とは完全には一致しないと考えられる。

(1)労働者からの金銭解決の申立て
 解雇無効を争う訴訟においての労働者からの金銭解決(雇用関係の解消と引換えの金銭給付による解決)の申立てについて、現状では、解雇について労働者が原職復帰を求めずに損害賠償請求をする場合、労働関係を継続する意思がないことから損害も認められないとして賃金相当額が損害賠償として認められないという下級審判決があることから、労働者側に解雇の金銭解決のニーズがあるとの意見があった。
 一方、労働者は、裁判上の和解や労働審判制度において金銭解決を求めることができるため、労働者側に金銭解決のニーズはないとの指摘もある。しかし、労働者からの申立てについては、解雇された労働者が解雇には納得できないが職場には戻りたくないと思った場合に、解決金を請求できる権利が保障されるというメリットがあると考えられる。
 労働者からの解雇の金銭解決の申立てを導入する場合には、解雇無効の主張と金銭解決による雇用関係の解消との関係に係る理論的問題や、特に中小零細企業の問題として金銭額の水準を一律に定めることの弊害の問題について、整理する必要がある。

 一回的解決に係る理論的考え方
 解雇無効を争う訴訟(従業員としての地位の確認訴訟など)においては、原告である労働者は、例えば従業員としての地位の確認を求めることとなるが、一方で、同一の法廷において従業員としての地位の解消を主張するのは一見矛盾するように思われる。
 これについては、労働者は、例えば、従業員たる地位の確認を求める訴えと、その訴えを認容する判決が確定した場合において、当該確定の時点以後になす本人の辞職の申出を引換えとする解決金の給付を求める訴えとを併合したものと整理することも考えられるので、紛争の一回的解決に向け、同一裁判所での解決の手法について検討を深めるべきである。
 なお、上記のように整理した場合には、金銭解決を認める判決確定の日から一定期間(例えば30日)以内に労働者が辞職の意思表示をしなければ金銭の請求権を失うこととすることが考えられる。もっとも、この場合、労働者は辞職の意思表示をしていないので、当然、労働者としての地位を有する。

 解決金の額の基準
 解雇が無効である場合の解決金の額については、ヒアリングの際に、解雇の態様、労働者の対応、使用者の責任の程度などのほか、各企業における支払能力にも左右されるので、企業横断的に一律には決められないとの意見が、使用者団体や中小企業の人事労務担当者から出された。
 これについては、現在でも、各個別企業においては、事前に労使間で集団的に希望退職制度を取り決め、退職金の割増率等を定める事例が多くあること等にかんがみ、解雇の金銭解決の申立てを、解決金の額の基準について個別企業における事前の集団的な労使合意(労働協約や労使委員会の決議)がなされていた場合に限って認めることとし、その基準をもって解決金の額を決定するなどの工夫をすることも可能であると思われる。

(2)使用者からの金銭解決の申立て
 使用者からの金銭解決の申立てについては、解雇は無効であっても現実には労働者が原職に復帰できる状況にはないケースもかなりあることから、使用者側の申立てにも一定の意味があるとの意見があった。
 他方で、労働者は自分の仕事自体をライフワークとしてこれにこだわりを持っている場合もあり、使用者側からの請求を認めることは慎重に考える必要があるとの意見もあった。また、ヒアリングや意見募集においても、使用者団体や企業の人事労務担当者、使用者側弁護士からはこれを認めるべきであるとの意見があった一方、労働組合や労働者側弁護士からは、制度の導入について強い反対が示された。
 このほか、違法な解雇を行った使用者に金銭解決の申立てを認める必要はないとの指摘もある。また、どんなに使用者からの申立ての要件を限定したとしても、職場復帰を望む労働者がその意思に反して職場に復帰できなくなるケースが発生することは妥当ではないとの指摘もある。
 しかし、これらの指摘については、違法な解雇は無効とされ、判決時(口頭弁論終結時)までの違法状態は是正されることを前提とした上で、その後の問題として、現実に職場復帰できない労働者にとっては、違法(無効)な解雇を行った使用者からの申立てであっても解決金を得られる方がメリットがある場合は実際上あり得るのであって、そのような措置はまた紛争の早期解決にも資する。これらのことを考慮すると、使用者からも金銭解決の申立てを認める必要があるのではないかという考え方もあり得る。
 いずれにせよ、使用者からの解雇の金銭解決の申立てについては、指摘が予想される問題一つ一つについてどのような解消方法が可能か、検討する必要がある。

 「違法な解雇が金銭で有効となる」、「解雇を誘発する」等の批判について
 解雇の金銭解決制度に関しては、使用者から解雇に際して金銭の支払がされた場合にこれを解雇権濫用の判断要素とするかどうかという論点もあるが、金銭を支払えば解雇が有効になるという考え方は妥当ではないとの意見があった。
 使用者からの金銭解決の申立てについては、例えば、労働者からの申立ての場合と同様、解雇が無効であると認定できる場合に、労働者の従業員たる地位が存続していることを前提として、解決金を支払うことによりその後の労働契約関係を解消することができる仕組みとして、違法な解雇が金銭により有効となるものではないこととすることが適当である。
 なお、金銭解決が認められる要件を法律で定めておけば、裁判でなくても労働契約の解消を認めてよいとの意見もあったが、使用者による安易な金銭解決を防止するとともに、金銭解決について労働者が納得するための適正な機会を確保するために、裁判を必要とすることについて、検討を深めるべきである。
 また、金銭解決を認めることは、金銭さえ支払えば解雇できるとの風潮を広めるのではないかとの懸念があるが、いかなる解雇についてもこの申立てを可能とするものではなく、人種、国籍、信条、性別等を理由とする差別的解雇や、労働者の正当な権利行使を理由とする解雇を行った使用者による金銭解決の申立ては認めないことが適当である。さらに、使用者の故意又は過失によらない事情であって労働者の職場復帰が困難と認められる特別な事情がある場合に限ることによって、金銭さえ払えば解雇ができるという制度ではないことが明確になる。
 これらの工夫により、安易な解雇を誘発するおそれはなくなるものと考えられる。

 使用者による解雇の金銭解決制度の濫用の懸念について
 上記アの措置を適切に講じれば多くの懸念は払拭できると思われるが、さらに、そもそも使用者の申立ての前提として、個別企業における事前の集団的な労使合意(労働協約や労使委員会の決議)がなされていることを要件とすることが考えられる。
 これにより、労使対等の立場であらかじめ合意した内容に沿った申立てのみが可能となるため、多くの懸念が払拭できるものと考えられる。

 解決金の額の基準
 解決金の額の基準については、労働者からの申立ての場合と同様に、企業横断的な一律の基準を適用した場合には中小零細企業を中心として実施が困難となる問題がある。この解決方法についても、仮に検討を加えるのであれば、労働者からの申立ての場合と同様に、個別企業において労使間で集団的に解決金の額の基準の合意があらかじめなされていた場合にのみ申立てができることとし、その基準によって解決金の額を決定することが適当である。
 しかし、使用者からの金銭解決の申立ての場合に定められている金銭の額の基準が、労働者からの金銭解決の申立ての場合に定められている金銭の額の基準よりも低い場合に、使用者からの金銭解決の申立てによって労働契約関係を解消することは均衡を欠くものと考えられるため、このような場合には使用者からの金銭解決の申立てができないこととすることが適当である。
 また、解決金の額が不当に低いものとなることを避けるため、使用者から申し立てる金銭解決の場合に、その最低基準を設けることも考えられる。
 ここで、解決金の額の基準を事前に労使で集団的に決定するとすれば、不当に低い金額となることは考えられず、額の最低基準を法律で定める必要はないとの指摘もある。これについては、集団的な労使合意によって解決金の額が不当に低くはならないとは考えられるものの、より確実なものとするためには、額の最低基準を法律で定めることも考えられるものである。

(3)双方の申立ての関係
 解雇の金銭解決の申立てを認めるかどうかについては労使間の自主的な交渉により定められるべきものであることから、ある企業において、労働者からの金銭解決の申立てを認めつつ使用者からの金銭解決の申立てを認めないとすることについては、労使間の自主的な交渉の結果として問題はないと考えられる。
 しかし、労働者からの金銭解決の申立てを認めないにもかかわらず使用者からの金銭解決の申立てを認めることは、著しく労使間の均衡を欠くものと考えられるため、許されないこととすべきである。

(4)有期労働契約
 有期労働契約は本来期間満了で終了するものであり、長期継続雇用を予定しないものであるため、雇止めをめぐる紛争については金銭解決がなじみ、雇止めについても金銭解決制度を導入すべきとの指摘がある。
 しかし、雇止めについて金銭解決制度を導入するためには、雇止めは客観的に合理的な理由を欠き社会通念上相当と認められない場合は無効であるとの取扱いの確立を先行させる必要があると考えられる。

 合意解約、辞職
(1)使用者の働きかけに応じてなされた労働者の退職の申出等
 労働者からの退職の申出については、使用者の働きかけによって労働者が退職届を提出したものの、その後冷静に考えたときに後悔し、その効力を裁判で争うという事例が少なからずあることから、労働関係における意思表示の帰結の重大性にかんがみ、使用者の働きかけに応じてなした労働者の退職の意思表示を一定期間は無条件に撤回できるようにすることは有意義であるとの意見があった。
 労働者が合意解約の申込みや辞職(労働契約の解除)の意思表示を行った場合であっても、それが使用者の働きかけに応じたものであるときは、民法第540条の規定等にかかわらず、一定期間はその効力を生じないこととし、その間は労働者が撤回をすることができるようにすることが適当であって、その期間の長さについては特定商取引に関する法律等に定めるクーリングオフの期間(おおむね8日間)を参考に検討すべきである。
 これについては、労働者の合意解約の申込みや辞職の意思表示については、使用者の働きかけに応じたものでなくとも一定期間撤回できるようにすべきであるとの指摘があるが、一律の撤回を認めるとすると完全に自由な意思で退職を申し出た労働者にも撤回を認めることにならざるを得ず、経営の安定性を阻害するため適当ではない。
 また、これと反対に、労働者の真意によらない退職の意思表示については、錯誤、詐欺、強迫による無効・取消制度があり、これと別に労働者に特別の撤回権を与えると、退職の意思表示がなされた段階で業務の引継ぎや後任者の手配などを開始する使用者にとって、著しく不利になるのではないかとの指摘もある。しかしながら、錯誤、詐欺、強迫までは認められない場合であっても、労働者が使用者から心理的な圧力を受けて退職の申出をすることがあり得ることや、退職により労働者が収入の途を失うという意思表示の帰結の重大性を考えると、使用者の働きかけに応じて退職を申し出た場合の意思表示の撤回は認める必要があると考えられる。

(2)書面による退職の意思表示等
 労働者の退職の意思表示について、これが一方的な解約の意思表示か、合意解約の申込みかの判断をする基準を明確にすることが必要であるとの意見があった。これに対して、退職の意思表示に関する争いを避けるために、退職の意思表示を書面で行うことを要件とすることを検討すべきであるとの意見があった。
 退職の意思表示の解釈については、労働者がこの意思表示をするに至った経緯や事業場の慣行等により異なると考えられ、一律の判断基準を示すことは困難であって、個別具体的な事案に応じて判断する以外にないと考えられる。また、退職の意思表示を書面で行うことを必要とすることは、これを行わなかった労働者が退職できず、その間に懲戒等の処分がなされるなど不利になることも考えられるため、慎重に検討すべきである。

(3)労働者の退職の予告期間
 労働者が労働契約の解約を申し入れた場合には、民法第627条によって2週間の経過により雇用契約は終了するとされているが、担当業務の引き継ぎや後任者の手配などを考えればこれでは短すぎるため、労働基準法第20条に定める解雇予告期間と合わせて30日前に予告が必要とすべきであるとの指摘がある。
 しかし、労働基準法の解雇予告期間は、労働者にとっては突然解雇されれば賃金を得られず生活ができなくなるという重要性にかんがみ必要とされているものであり、使用者の経営上の利害と労働者の生活上の重要性を同列に論じるべきではないと考えられる。



第5 有期労働契約

 有期労働契約をめぐる法律上の問題点
 有期労働契約については、平成15年に労働基準法の改正により有期労働契約期間の上限を延長した際に、衆参両院の附帯決議において、有期労働契約の在り方について検討を行い必要な措置を講ずべきことが指摘されている。これについては、改正法の施行状況も踏まえて更に検討が行われる必要があるが、有期労働契約をめぐる法律上の問題点は以下のように整理できると考えられる。

(1)有期労働契約の効果と労働基準法第14条の関係
 有期労働契約については、(1)期間中は労働者はやむを得ない事由がない限り退職できないという効果、(2)期間中は使用者はやむを得ない事由がない限り労働者を解雇できないという効果、(3)期間の満了によって労働契約が終了するという効果の三つの効果がある(民法第626条第1項は、有期労働契約であっても5年経過後は(1)、(2)の効果を失わせることとしたものと考えられる。)。
 ここで、労働基準法第14条の立法趣旨は長期労働契約による人身拘束の弊害を排除するものであり、本来、(1)の効果についての規制であって他の二つの効果について規制しようとするものではないが、規定の上ではこれが明らかとなっていない。
 また、使用者が有期労働契約を締結する場合は、同条に抵触しない契約期間を定める契約を結びこれを反復更新するケースが多い。これに関して問題となる(3)の効果については、東芝柳町工場事件最高裁第一小法廷判決(昭和49年7月22日)において、一定の場合の雇止め(更新拒否)について「雇止めの効力の判断に当たっては、その実質にかんがみ、解雇に関する法理を類推すべきである」との判断が示されており、結果として期間の満了による労働契約の終了という有期労働契約の効果が制限されている。ただし、この判例法理については、雇止めが制限される場合の予測可能性が非常に低く、使用者が判例法理の適用を避けるために有期労働契約を更新しない等の行動を取っていることから、労働者にとって雇用機会が狭まっていると同時に使用者にとっても人材が有効に活用できず問題であるとの意見があった。

(2)見直しの考え方
 上記(1)を踏まえ、労働基準法第14条の規定は、労働者の退職の制限((1)の効果)に対する規制であることを明確にすることが考えられる。
 次に、上記(3)の効果については、労働基準法で罰則をもって担保するまでの規定を設ける必要はないと考えられる。ただし、判例法理で一定の場合に雇止めが制限されており、その判断に当たっては契約の締結・更新の際の手続が考慮されている場合が多いことにかんがみ、予測可能性の向上を図るためにも、雇止めの効果については下記2(2)で述べる有期労働契約の手続と併せて検討することが適当である。
 上記(2)の効果については、労働者より有利な地位にある使用者が自らの解約権を制限する契約を結ぶことを規制する必要はないと考える。なお、契約期間中の解雇については下記3(3)において検討する。
 いずれにしても、上記については、労働者の退職の制限の実態や雇止めの実態など有期労働契約に関する実態を調査し、調査結果も踏まえた検討が必要である。

 有期労働契約については、そもそも正当な理由がなければ締結できないこととすべきであるとの指摘がある。しかしながら、有期労働契約は労使双方の多様なニーズに応じて様々な態様で活用されているものであり、その機能を制限することは適当ではない。また、業務の繁閑に応じて雇止めにより雇用を調整することが、有期労働契約を利用する正当な理由といえるかどうかなど、何が「正当な理由」かは人によって考え方が異なっており、このような概念をもって期間の定めの効力を左右するのは混乱を招くと考えられる。
 また、労働者に対して有期労働契約とする理由が明示されれば、その理由から、労働者がどのような場合に雇止めをされるかや、雇止めが労働者の正当な権利を行使したことによるものかどうかを判断することができるようになるため、有期労働契約とするべき理由の明示を必要とすべきとの指摘がある。しかし、雇止めの有無やその有効性の予測可能性の向上を目的とするのであれば、下記2(2)で述べるとおり、現在「有期労働契約の締結、更新及び雇止めに関する基準」(厚生労働省告示)に定められている更新の判断基準の明示によることで足りると考えられる。

 有期契約労働者と正社員との均等待遇については、上記第1の3(3)で述べたとおり、労働契約においては、雇用形態に関わらず、その就業の実態に応じた均等待遇が図られるべきことを明らかにすることが適当である。

 有期労働契約に関する手続
(1)契約期間の書面による明示
 労働契約の期間に関する事項は、労働基準法第15条により使用者が労働契約の締結に際し書面で明示しなければならないこととされている。ここで、使用者が契約期間を書面で明示しなかったときの労働契約の法的性質については、これを期間の定めのない契約であるとみなすことが適当である。
 これについては、労働者が有期労働契約であることを認識していた場合であっても、期間の定めを書面で明示しなければ期間の定めのない契約とみなされるのは行き過ぎではないかとの指摘があり得る。しかし、労働契約において契約期間は非常に重要な要素であり、労働基準法において書面明示が義務化されている事項でもあるので、期間の定めが書面で明示されていなければその効力が生じないとしても特段重大な問題はないと考えられる。
 また、期間の定めについて労使で合意したにもかかわらず、使用者がこれを書面で明示し忘れたことを奇貨として労働者が期間の定めがないことを主張するのは不当ではないかとの指摘もあり得る。しかし、期間の定めのない契約とされたとしても、期間を定める必要性があったのであれば、その必要性がなくなった時点において解雇の有効性が認められる可能性はあり、また、解雇が認められない場合には、配置転換など使用者の負担が合理的な範囲での解決が図られ得るので、これについても問題はないと考えられる。

(2)有期労働契約の締結、更新及び雇止めに関する基準
 平成15年の改正労働基準法に基づき制定された「有期労働契約の締結、更新及び雇止めに関する基準」により、使用者は、有期労働契約の締結に際し更新の有無を明示しなければならず、更新する場合があると明示したときはその判断の基準を明示しなければならないこと、一定の有期労働契約を更新しない場合には、契約期間満了日の30日前までにその予告をしなければならないこと等が定められている。そこで、労働契約法制の観点からもこのような更新の可能性の有無や更新の基準の明示の手続を必要とすることとし、使用者がこれを履行したことを雇止めの有効性の判断に当たっての考慮要素とすることが適当である。この基準に定める手続を求めることによって、労働者が更新の可能性を予測しやすくなり、判例法理が働くトラブルが少なくなり、より安定的に有期労働契約が利用されることにつながることが期待される。
 これについては、使用者が手続を踏みさえすれば雇止めを有効とすることにつながり、現在の判例法理よりも労働者に不利になるのではないかとの懸念がある。しかしながら、雇止めの判例法理は労働者が有する契約の更新に対する期待を保護するものであるから、現在でも手続の在り方は雇止めの有効性の判断において考慮要素とされるものであり、使用者の手続履行を労働契約法制上求めることは現在の判例法理を変更するものではなく、現在よりも労働者が不利になるものではない。契約締結時に更新がないことが明示されていれば、原則として労働者にも更新に対する期待が生じないと考えられるなど、使用者の手続履行を求めることは判例法理の具体的な判断を明確化して予測可能性を高めるものと考えられる。

 上記のように労働契約法制の観点からも「有期労働契約の締結、更新及び雇止めに関する基準」に定める手続を必要とした場合、契約を更新することがあり得る旨が明示されていた場合には、人種、国籍、信条、性別等を理由とする差別的な雇止めや、有期契約労働者が年次有給休暇を取得するなどの正当な権利を行使したことを理由とする雇止めはできないこととすることが適当である。
 これについては、有期契約労働者は期間の満了に伴い当然にその地位を失うものであるのに、例えば正当な権利を行使したことを理由とする雇止めはできないとすることは、労働契約の締結(更新)を強制することになり、使用者の採用の自由を侵害するのではないかとの指摘があり得る。
 しかし、労働者に与えられた正当な権利は、それが行使できるよう保障されるべきであるから、労働者が契約が更新されないことを恐れて正当な権利の行使をできないことがあってはならない。また、契約の更新・再雇用は新規採用とは事情が異なり、すでに雇用関係にあった労働者の雇止めを制限することは、使用者の採用の自由の侵害には当たらないといえる(上記東芝柳町工場事件最高裁判決、平安閣事件最高裁第二小法廷判決(昭和62年10月16日)、近畿システム管理事件最高裁第三小法定判決(平成7年11月21日)等参照)。
 ただし、この場合、使用者がこのような雇止めの制限を免れるために、実際には契約の更新を予定しているにもかかわらず更新をしない旨を明示しつつ実際には更新を繰り返すことや、有期契約労働者を長期間継続して雇用すること、中でも反復継続して更新を繰り返し、期間の定めのない契約と実質的に異ならない状況や労働者が契約の更新を期待することに合理性が認められる状況となっていながら、最後の更新時のみ次回の更新はない旨を明示して雇止めをすることが考えられる。
 そこで、使用者が労働者に更新の可能性がない旨を明示した場合であっても、その契約の期間満了後一定期間(例えば3か月)以内に同じ使用者と労働者が再度有期労働契約を締結したときは、再度締結した有期労働契約の更新については、更新の可能性がある旨が明示されたものと扱って、差別的な雇止めや正当な権利の行使を理由とする雇止めはできないこととしてよいと考えられる。また、有期契約労働者が同じ使用者に一定期間(例えば5年)を超えて引き続き雇用されたときも同様に、有期労働契約の締結又は更新に際して更新の可能性がない旨が明示されていたとしても、更新の可能性がある旨が明示されたものと扱ってよいと考えられる。

 有期労働契約に関する労働契約法制の在り方
 有期労働契約に関する労働契約法制の在り方については、基本的に期間の定めのない契約による労働者と同様に考えるべきものであるが、次の事項については特に留意する必要がある。

(1)試行雇用契約
 試用を目的とする有期労働契約(試行雇用契約)は、企業が労働者の適性や業務遂行能力を見極めた上で本採用とするかどうかを決定することができ、また、労働者も自己の適性を見極められること等から、常用雇用につながる契機となって労使双方に利益をもたらすものとして近年活用されており、26.8%の企業が正規従業員を本採用する前に有期契約労働者として雇い入れることがあるとしている(独立行政法人労働政策研究・研修機構「従業員関係の枠組みと採用・退職に関する実態調査」平成16年)。
 しかし、神戸弘陵学園事件最高裁第三小法廷判決(平成2年6月5日)において、試用的な雇用の期間について、期間の満了により労働契約が当然に終了する旨の明確な合意が当事者間に成立しているなどの特段の事情が認められる場合を除き、期間の定めのない契約における試用期間であるとの判断が示されたことから、有期労働契約によって試用の機能を果たさせることがやりにくくなっているという問題が指摘されている。
 これについては、試行雇用契約と試用期間との区別を明確にするため、有期労働契約が試用の目的を有する場合には、契約期間満了後に本採用としての期間の定めのない契約の締結がない限り、契約期間の満了によって労働契約が終了することを明示するなど、一定の要件を満たしていなければ試用期間とみなすことが適当である。
 また、試行雇用契約については、これ以外の有期労働契約に関する手続との均衡から、試行雇用契約である旨及び本採用の判断基準を併せて明示させることとし、差別的な理由や有期契約労働者が正当な権利を行使したことを理由とする本採用の拒否はできないこととすることが適当である。
 これに対しては、試行雇用契約が法制化されれば、企業が適性を見極めにくい若年労働者に対して一斉に利用することが容易に予想できるため、試行雇用契約の新設はすべきではないとの指摘がある。しかし、現在、有期労働契約をどのような目的で利用するかには制限はない中で、試行雇用契約は常用雇用につながる契機となって労使双方に利益をもたらすものとしてすでに活用されており、上記の提案は、上記神戸弘陵学園事件最高裁判決に添った形で試行雇用契約を法律上位置付けるものにすぎず、決して試行雇用契約を「新設」するものではない。そしてその上で、試行雇用契約で雇用された労働者について、通常の有期契約労働者と同様に、差別的な理由や正当な権利を行使したことを理由とする本採用拒否から保護する規定を設けることを提案しているものである。

 また、「本採用の拒否はできない」こととすることの法的効果について、本採用をしなければならないとすることは、これまで締結されていた契約と全く違う種類の契約の締結を強制することになり、その労働条件等も明らかでないため困難であり、労働者が使用者に対して、差別的な取扱いや正当な権利の行使により不利益を受けたことに対する損害賠償を求めることができることとすることが適当である。
 このほか、上記第2の2で述べたとおり期間の定めのない労働契約における試用期間に上限を定めることとした場合には、これとの均衡から試行雇用契約においても期間の上限を定めることが問題となり得るとの指摘があった。
 これについては、試行雇用契約は契約期間中の雇用が保障されることから、通常の解雇よりも広い範囲における解雇の自由が認められる試用期間と同一には論じられず、業務の専門性等により適格性判断の期間が長く必要である場合に対応するために、試行雇用契約については期間の上限を定めないこととすることが適当である。なお、試行雇用契約についても、労働者の退職を制限する期間に対する労働基準法第14条の規制は当然適用されることに留意する必要がある。

(2)雇用継続型契約変更制度(再掲)
 有期労働契約における雇用継続型契約変更制度については、契約期間中の解除について民法第628条によりやむを得ない事由が必要とされていることから、契約期間中の労働契約の変更についても、おのずからこれが認められる場合は制約されることに留意する必要がある。

(3)解雇
 有期契約労働者の契約期間中における解雇については、民法第628条に基づきやむを得ない事由が必要であるが、必ずしもこの規定が周知されておらず、かえって非正規労働者ということで簡単に解雇が行われているという実態があると考えられることから、これを周知することが必要である。ここで、当該やむを得ない事由が使用者の過失によって生じた場合には使用者は労働者に対して損害賠償の責任を負うことについても、併せて周知する必要があるほか、同条に基づき労働者が使用者に対して損害賠償請求をする場合に、使用者の過失についての立証責任を転換することが適当である。
 これについては、労働者を過度に優遇し使用者に「過失の不存在」という証明困難な過度な負担を課すものであり、労使対等を基本とする労働契約法制になじまないとの指摘もある。しかしながら、契約期間中に労働者を解雇するやむを得ない事由があるのは使用者の側であるから、それが過失によるかどうかの証拠をより多く有しているのも使用者であり、過失によるものではないことの立証責任を使用者が負うこととしても過度の負担とはならないと考える。
 また、労働者と使用者の間において、やむを得ない事由以外の事由による契約期間中の解雇を認める個別の合意又は就業規則の規定がある場合がある。これについて、裁判例(安川電機八幡工場事件福岡高裁決定(平成14年9月18日))においては、「会社は、(中略)次の各号の一つに該当するときは、契約期間中といえども解雇する」とする就業規則の規定がある場合に、「(当該就業規則所定の)解雇事由の解釈にあたっても、当該解雇が、3か月の雇用期間の中途でなされなければならないほどの、やむを得ない事由の発生が必要である」としていることから、これを周知する必要がある。



第6 仲裁合意

 仲裁法附則第4条の立法経緯
(1)将来において生ずる紛争に係る仲裁合意を無効とする趣旨
 仲裁法附則第4条においては、当分の間、仲裁法の施行(平成16年3月1日)後に成立した仲裁合意であって、将来において生ずる個別労働関係紛争を対象とするものは無効とされている。
 この趣旨は、将来において生ずる個別労働関係紛争について労働契約締結時の合意に委ねることとすると、労使当事者間の情報の質及び量の格差や交渉力の格差から対等の立場での合意が期待しがたく、公正でない仲裁手続が合意されるおそれがあること、また、そのような格差がある中で労働者の裁判を受ける権利の制限にもつながるという問題があることへの懸念からこのような取扱いとされたものである。

(2)消費者契約の場合との比較
 仲裁法附則第3条においては、同じく交渉力等に格差があると考えられる消費者と事業者との間の契約についても、将来において生ずる紛争に関する仲裁合意の効力についての例外が定められているが、個別労働関係紛争に関する仲裁合意とは異なり、将来において生ずる紛争に関する仲裁合意も有効としつつ、消費者からの解除を広く認めるものとされている。これは、消費者契約については、仲裁法制定以前より建設業法に定める建設工事紛争審査会において、事前の仲裁合意に基づく仲裁判断が一定数活用されていたこと等による。

 検討の方向
 個別労働関係紛争についても、労働者に不利益にならない形での仲裁は、簡易迅速な紛争解決方法として意味がある。そこで、将来において生ずる個別労働関係紛争を対象とする仲裁合意の効力については、個別労働紛争解決制度や労働審判制度の活用状況、労働市場の国際化等の動向、個別労働関係紛争についての仲裁のニーズ等を考慮して労働契約上の問題として引き続き検討すべきであり、このことを法律上明確にすることが適当である。



第7 労働時間法制の見直しとの関連

 上記第1で述べたとおり、労働契約法制の整備が必要となっている背景として、近年の就業形態の多様化、経営環境の急激な変化があるが、これは、同時に労働者の創造的・専門的能力を発揮できる働き方への対応を求めるものであり、これに対応した労働時間法制の見直しの必要性が指摘されている。
 例えば、「規制改革・民間開放推進3か年計画(改定)」(平成17年3月25日閣議決定)においては、「米国のホワイトカラーエグゼンプション制度を参考にしつつ、現行裁量労働制の適用対象業務を含め、ホワイトカラーの従事する業務のうち裁量性の高いものについては、改正後の労働基準法の裁量労働制の施行状況を踏まえ」「労働者の健康に配慮する措置等を講ずる中で、労働時間規制の適用を除外することを検討する」(平成17年度中に検討)とされている。
 したがって、労働契約に関する包括的なルールの整備を行う際には、併せて労働者の働き方の多様化に応じた労働時間法制の在り方についても検討を行う必要がある。
 また、仮に労働者の創造的・専門的能力を発揮できる自律的な働き方に対応した労働時間法制の見直しを行うとすれば、労使当事者が業務内容や労働時間を含めた労働契約の内容を実質的に対等な立場で自主的に決定できるようにする必要があり、これを担保する労働契約法制を定めることは不可欠となるものである。

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