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合理性の有無は実質的な内容の問題である。内容では決着が着かない場合があるため、手続を加味して合理性を推定することが、そもそもの趣旨だったのではないか。内容の問題を手続的な要件に完全に置き換えてしまうことがよいのかどうか。一応の合理性があることは、実質的な内容として主張しなければならないのではないか。それに加えて手続的な要件が証明されれば、合理性が推定されることとすべきではないか。(内田先生) |
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中間取りまとめは、内容の合理性より手続の合理性を前面に立てる考え方をしている。労働条件の不利益変更は利益紛争であって、本来は労働組合との労使交渉で決着を着けるべき問題である。労使交渉ができない場合にどうするか、又は、労使交渉をした上でそれに基づいて就業規則を変更した場合にどうするか、という問題について、過半数を代表する労働組合との合意があれば合理性を推定してよいのではないか。また、労働組合がない場合にどのような仕組みとするか、という問題として考えることにしているのではないか。その際、手続にすべて委ねるわけではなく、手続が踏まれていれば反対事実の立証に委ねるという考え方ではないか。(菅野座長) |
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表見的にであれ合理的と考えられるような説明がなされた上で、手続が踏まれていれば、合理性を推定するという趣旨ではないか。(内田先生) |
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一部の労働者に大きな不利益のみを与える変更の場合を除いていることが内容の合理性に当たるのではないか。(菅野座長) |
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一部の労働者に対して大きな不利益のみを与える変更の場合を除いていることと、適正な意見集約を合理性の推定の要件と考えていることから、実質的な要件と併せて手続を踏んだことをもって推定規定を働かせることとしている。つまり、必ずしも手続規定だけで合理性を推定すると言っているわけではない。(曽田先生) |
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その点については最終取りまとめを作成する際にはさらに理論的に整理すべきである。仮に一部の労働者に著しい不利益のみを与えるものでないことを推定の要件とするならば、それは過半数組合や労使委員会に利益の公正代表義務を認めることと関係するのではないか。また、そのことと全体的にあまりにも不利益が大きい場合の関係をどうするか。
労働条件の変更が労働者の一部に著しい不利益のみを与えることは推定の要件とするより、むしろ、推定を覆す反証と位置づけた方がよいのではないか。
いずれにしても、手続と実質的な合理性との関係は、さらに整理する必要がある。(土田先生) |
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不利益といった抽象的な概念を推定規定の前提事実にすることが果たして技術的に可能かどうかについて、検討する必要があるのではないか。(春日先生) |
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前提事実の立証があったか否か自体が不明確な中で、手続が進行していくこととなるのではないかという問題ではないか。その点については検討しておく必要がある。(筒井参事官) |
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一部の労働者に著しい不利益のみが及ぶ場合とは別に、全体に不利益が公平に及んでいる場合であって、職場の労働者の意見を集約した上で過半数組合が合意しているときにおいて、一部の人が訴訟を起こしたならばどう考えるか。そのような場合については合理性の審査を残すという趣旨だろう。そのような選択肢はあるだろうが、そこは理論的にさらに検討する必要があるのではないか。(土田先生) |
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裁判例を見ても、労働条件の不利益変更かどうかが不明確な場合はあまりない。あるとしても、賃金の原資は変えずに、年功賃金を成果主義賃金に制度変更したことから、評価によって賃金が上がるか下がるかが明らかでない場合ぐらいではないか。それを除けば、一部の労働者のみに不利益が集中するかどうかは明らかなのではないか。(菅野座長) |
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「著しい」や「過大な」といった表現がつくならば、これを推定の前提事実にすることは難しいのではないか。(春日先生) |
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合理性とは規範的要件であって、何が合理的であるかについて様々な要素があるため、どれだけ証明すればよいかを事前に要件として示すことが難しいものである。合理性の判断について、手続を踏んだことをもって置き換えようという考慮は妥当なものである。
ただし、表現の仕方によっては、手続さえ踏めばよいという印象が強く前面に出てしまうおそれがある。使用者が合理性があることについてある程度証明した場合において、合理性を推定することとすべきではないか。(内田先生) |
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このような推定規定を設けた場合であっても、実際の訴訟において労働者から推定を破るための反証があった場合、使用者は変更の合理性があることについて主張立証を試みることとなる。(菅野座長) |
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一部の労働者にのみ著しい不利益を与えるものでないことをどのように考えるかとも関係してくる。存在しないことを直接立証することはできないので、実際上、労働者が著しい不利益があることを示す積極的な事実を反証として証明することとなるのではないか。(山川先生) |
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要件の書き方が、過半数組合の合意や労使委員会の決議、適正な意見の集約、一部の労働者に著しい不利益のみを与えるものではないことという順番であることから、手続が前面に出ている印象を受ける。変更が一部の労働者に著しい不利益のみを与えるものではないことから書き始めれば、偏ったことをやろうとしているわけではなく、実体に加えて手続が加われば推定が働くこととなるとの印象が出てくるのではないか。(内田先生) |
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一部の労働者に著しい不利益のみを与える場合において、多数組合が合意していても合理性が認められない理由は、多数決原理の濫用であることによるのではないか。例えば、多数の労働者に利益を与えて、一部の労働者にのみ皺寄せをする変更については、多数の労働者が賛成をする可能性がある。また、意見集約の適正さも多数決原理が妥当する前提的要件と理解することができる。多数決主義による判断という手続的側面の前提となる事項がここに挙がっているというように理解できるのではないか。(荒木先生) |
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推定が働く前提として実体的な判断が入るかどうかという問題については、必ずしもまだ整理されていない。また、多数決原理を濫用して、一部の労働者に著しい不利益のみを与えることは、手続によって正当化できない結果であることから、推定の要件として位置づけるべきだとする整理ならば理解できる。ただし、そのように整理することについて、理論的に検討する必要があるのではないか。例えば、多数決原理の濫用とすることが一つの整理としてあり得る。集団的な規範により、労働条件を一方的に不利益に変更する場合においては、仮に多数の労働者の合意があったとしても、内在的な限界があるのではないか。そのようなことについて説明をしておく必要があるのではないか。(土田先生) |
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ないことの証明は難しいことから、労働者が一部の労働者に著しい不利益のみを与えることを主張立証することとした方が、一般的な推定規定の考え方からはなじむのではないか。(春日先生) |
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推定の根拠事実と反証の事実をどのように分担し、どのように表現するかについては、なお検討することになるのではないか。いずれにしても、就業規則の変更をしたことは、裁判において使用者が主張しなければならない。その変更自体の内容も主張立証しなければならないとすれば、例えば著しい不利益が一部の労働者に及ぶことがその主張立証の中で既に出てきてしまうことがあり得る。それを打ち消す事実は、あらかじめ使用者が主張しておかなければならないのではないか。(山川先生) |
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意見を適正に集約することは、利益を適正に代表することではない。つまり、過半数組合などが意見を適正に集約することは、実体的に労働者全体の利益を代表したわけではない。このため、労働者の一部に不利益のみを与えるものでないことが、別途、実体的な要件として挙げられているのではないか。(土田先生) |
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手続的な面と実体的な面が両方入っていることから、合理性についての実体的な要件が他にはないと取られる危険がないわけではない。このため、手続的な要件と実体的な要件を区別して整理した方が誤解はないのではないか。(村中先生) |
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実体的に不合理であって、推定が覆る場合の例示があった方がよいのではないか。(菅野座長) |