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第1章 救命治療、法的脳死判定等の状況の検証結果

1.初期診断・治療に関する評価
(1) 脳神経系の管理について
(1) 診断の妥当性
 平成14年12月26日1:35頃、交通事故で受傷した。同日午前2:40救急病院に搬送され、頭部CTで右側頭部に急性硬膜外血腫、左側シルビウス裂を中心とする外傷性クモ膜下出血を認めたが、脳圧迫は軽度で、意識状態も良かったため、経過観察を行った。同日8:00に、意識と呼吸状態が悪化し、経口気管内挿管などの処置が行われた後、当該病院に転送された。
 12月26日9:40、当該病院に到着後、自発呼吸は認めず、瞳孔は両側とも5mmで固定し、対光反射は認めなかった。血圧は113/54mmHg、心拍数53/分と頭蓋内圧亢進による徐脈傾向がみられた。マンニトール200mlを急速点滴したが、瞳孔径は変わらず、対光反射も認められなかった。急性脳腫脹ならびに硬膜外血腫の増大と判断し、脳圧降下のためペントバルビタール(ネンブタール)を3.7mg/kg/時の速度で静脈内に投与開始しながら、10:59(搬入後1時間19分)に手術を開始した。手術は右テント上の広範囲減圧開頭術、硬膜外血腫除去術を行い、硬膜を切開すると脳の膨隆がみられた。なお、循環を維持する目的で、術中にペントバルビタールの投与が中止され、血圧維持のため塩酸ドパミンの投与が開始された。術後CTでは広範囲減圧開頭術が行われたこと、硬膜外血腫が除去されていること、左シルビウス裂の外傷性クモ膜下出血が増大したこと、両側大脳に広範囲な腫脹が認められ、皮髄境界が不鮮明で、脳室の圧迫変形と脳槽の消失がみられることが確認された。
 術後も塩酸ドパミンの投与により循環は維持されたが、自発呼吸は無く、瞳孔は5mmに固定され、対光反射も認められなかった。12月26日15:00に脳圧降下のため、ペントバルビタール(0.75mg/kg/時)の投与が再開され、12月27日14:30にペントバルビタールの投与を中止した。

(2) 診断・治療の妥当性
 本症例では救急病院搬入後のCTで右側頭部に硬膜外血腫を認めたが、脳圧迫は軽度で、意識状態も良かったため、経過観察を行った。その後、急激な脳腫脹、脳ヘルニアが起こったものと判断され、この際には可及的早期に気管内挿管、人工呼吸が行われ、救急病院から当該病院に転送された。
 当該病院転入後、硬膜外血腫の除去と右テント上の広範囲外減圧術が必要と判断され、搬入後1時間19分で手術が開始されている。また頭蓋内圧を下降させるため転入直後からマンニトールとペントバルビタールの点滴が開始されている。これらの判断はいずれも妥当なもので、可及的早期に減圧が図られたと判断する。

(2) 呼吸器系の管理
・救急外来
 来院時既に気管挿管により気道確保がなされ、自発呼吸はなく、ジャクソンリース法により100%酸素付加による用手的人工呼吸で管理された。この間経皮的酸素飽和度は91%であったが、これはおそらく中枢性肺水腫による肺酸素化能の低下と考えられる。それに対する対症療法としての100%酸素下での陽圧人工呼吸は適切であり、治療としての緊急開頭による血腫除去術、外減圧術の施行は妥当である。なお、本症例では無呼吸テスト時の血液ガス所見と関連する事項として、身長、172cm、体重、134kgの肥満があった。
・手術・病室・集中治療室
 手術中および術後病室では肺酸素化能は、術前と比して変動はあるものの改善傾向を示した(経皮的酸素飽和度は91から98%)。自発呼吸の出現はなかった。血液ガス所見、経皮的酸素モニターにより、吸気酸素濃度、換気条件を適時変更し、適切な人工呼吸管理が行われた。

(3) 循環系の管理
・救急外来
 前医での末梢静脈路に加えて、中心静脈路を確保し、循環制御に対応した。これらの静脈路を介して、血圧、脈拍の変化に追従し、脳圧降下薬、静脈麻酔薬を適時投与して対応したのは適切であった。
・手術室・病室・集中治療室
 救急外来から引き続き投与された静脈麻酔薬を術中中止し、血圧維持のため塩酸ドパミンが投与され、血圧循環の安定に務めたことは適切であったと判断できる。
 集中治療室での静脈麻酔薬、塩酸ドパミン、エピネフリンは適切に投与され、循環の安定化に寄与したと判断できる。

(4) 水電解質系の管理
 乳酸加リンゲル液を主体に適時補液が行われ、乏尿傾向時にはラシックス、マニトールで対応し、全経過を通じて時間尿量0.5ml/kg/h以上を維持し、多尿時には適時、乳酸加リンゲル液が投与された。血液電解質はNa値 は155 〜139mEq/l、K値は4.0〜5.4mEq/lを推移した。また血液ヘモグロビン、ヘマトクリット値、中心静脈圧からも適正に出納バランスが管理されたものと判断できる。以上から水電解質系の管理は適切に管理されたであったと判断できる。

2.臨床的脳死の診断及び法に基づく脳死判定に関する評価
(1) 脳死判定を行うための前提条件について
 本症例は平成14年12月26日午前2:40救急病院に搬送され、CTで右側頭部に硬膜外血腫、左外傷性クモ膜下出血を認め、経過観察を行った。しかし約5時間後に急性脳腫脹、脳ヘルニアが起こり、可及的早期に気管内挿管、人工呼吸などの処置が行われた後、当該病院に転送された。当該病院では搬入後、脳圧を降下させるためマンニトールの急速点滴、ペントバルビタール(ネンブタール)投与などを行い、搬入後1時間19分で手術を開始している。これらの処置は迅速で妥当なものであった。術後のCTでは広範囲減圧開頭術が行われたこと、硬膜外血腫が除去されていることが確かめられたが、同時に左シルビウス裂の外傷性クモ膜下血腫が増大したこと、両側大脳の広範囲な腫脹が認められ、皮髄境界が不鮮明であることから急性脳腫脹が続いていると判断された。術後、循環はドパミン投与で維持されたが、人工呼吸状態で、瞳孔は5mmに固定され、対光反射も認められなかった。脳圧を低下させるため、12月26日15:00からペントバルビタール(0.75mg/kg/時)の投与が再開された。昏睡状態は続き、12月27日14:30にペントバルビタールの投与が中止されたが、12月29日19:30(ペントバルビタール中止後53時間)になっても神経所見は変わらず、臨床的脳死と診断した。ついで、12月29日21:35に第1回脳死判定開始(終了12月30日1:05)、6時間おいて第2回脳死判定を行った(終了10:10)。
 本症例は前章で詳述したことから脳死判定対象例としての前提条件を満たしている。すなわち
1)  深昏睡で人工呼吸を行っている状態が継続している。
 12月26日当該病院に到着時から深昏睡、呼吸停止状態であり、開頭術などの効果もなく同様の状態が82時間続いた後、臨床的脳死と診断されている。
2)  原因、臨床経過、症状、CT所見から脳の一次性、器質的病変であることは確実である。
3)  診断、治療を含む全経過から、現在行いうるすべての適切な治療手段をもってしても、回復の可能性は全くないと判断される。

(2) 臨床的な脳死の診断及び法に基づく脳死判定について
1) 臨床的な脳死の診断
〈検査所見及び診断内容〉

検査所見〈12月29日14:30から19:30まで〉
体温 38.0℃ 血圧106/67 mmHg 心拍数 88/分
JCS 300
自発運動:なし  除脳硬直・除皮質硬直:なし  けいれん:なし
瞳孔:固定し瞳孔径 右4.5mm 左4.5mm
脳幹反射:対光、角膜、毛様体脊髄、眼球頭、前庭、咽頭、咳反射のすべてなし
脳波:平坦脳波(ECI)に該当する(感度 10μV/mm、感度 2μV/mm)
施設における診断内容
 以上の結果から臨床診断に脳死として差し支えない。

・脳波について
 本例では、ペントバルビタール(0.75mg/kg/時)が12月26日15:00から12月27日14:30に中止するまで23時間30分間投与された。脳波検査は中止後49.5時間が経過しており脳死判定への影響はないと考えられる。
 12月29日(16:01〜19:14)に行われた脳波の電極配置は国際10-20法における、Fp1, Fp2, C3, C4, O1, O2, T3, T4, A1, A2, Czで、記録は単極導出(Fp1-A1, Fp2-A2, C3-A1, C4-A2, O1-A1, O2-A2, T3-A2, T4-A1, Cz-A1, Cz-A2, A1-A2)と双極導出(Fp1-C3, Fp2-C4, C3-O1, C4-O2, Fp1-T3, Fp2-T4, T3-O1, T4-O2, T3-Cz, T4-Cz, A1-A2)とで行われている。さらに、心電図と頭蓋外導出によるモニターも同時に行われている。刺激としては呼名・疼痛刺激が行われている。心電図と僅かな静電・電磁誘導が重畳しているが判別は容易である。30分以上の記録が行われているが脳由来の波形の出現はなく、平坦脳波と判定できる。

2) 法に基づく脳死判定
〈検査所見及び判定内容〉

検査所見(第1回)  (12月29日21:35から12月30日1:05まで)
  体温:38.1℃ 血圧:92/56 mmHg 心拍数:90/分
JCS:300
自発運動:なし  除脳硬直・除皮質硬直:なし  けいれん:なし
瞳孔:固定し瞳孔径 右4.5mm  左4.5mm
脳幹反射:対光、角膜、毛様体脊髄、眼球頭、前庭、咽頭、咳反射すべてなし
脳波:平坦脳波(ECI)に該当する(感度 10μV/mm、感度 2μV/mm)
無呼吸テスト:陽性
(開始前) (2分後) (3分後) (4分後) (終了後)
  PaCO2(mmHg) 41 53 59 63
  PaO2(mmHg) 87 43 37 34
  血圧(mmHg) 159/98 76/44 56/34 47/32 78/48
  SpO2(%) 98 78 68 53 97
聴性脳幹反応:I波を含むすべての波を識別できない。
検査所見(第2回)  (12月30日7:05から10:10まで)
  体温:39.0℃ 血圧:102/63 mmHg 心拍数:111/分
JCS:300
自発運動:なし  除脳硬直・除皮質硬直:なし  けいれん:なし
瞳孔:固定し瞳孔径 右4.5mm  左4.5mm
脳幹反射:対光、角膜、毛様体脊髄、眼球頭、前庭、咽頭、咳反射すべてなし
脳波:平坦脳波(ECI)に該当する(感度 10μV/mm、感度 2μV/mm)
無呼吸テスト:陽性
(開始前) (2分後) (3分後) (終了後)
  PaCO2(mmHg) 43 59 61
  PaO2(mmHg) 65 32 23
  血圧(mmHg) 90/53 80/46 52/28 178/100
  SpO2(%) 92 51 28 90
聴性脳幹反応:I波を含むすべての波を識別できない
施設における判定内容
 以上の結果より、第1回目の結果は脳死判定基準を満たすと判定。
(12月30日 1:05)
 以上の結果より、第2回目の結果は脳死判定基準を満たすと判定。
(12月30日 10:10)

1) 電気生理学的検査について
(1) 脳波について
第1回法的脳死判定
 平坦脳波に相当する。(感度10μV/mm 感度2μV/mm)
 12月29日23:23から12月30日0:10まで記録されており、臨床的脳死判定時の脳波記録と同条件である。心電図とわずかなアーチファクトが重畳しているが判別は容易である。40分以上の記録が行われているが脳由来の波形の出現はなく、平坦脳波と判定できる。

第2回法的脳死判定
 平坦脳波に相当する。(感度10μV/mm 感度2μV/mm)
 12月30日7:55から8:41まで記録されており、臨床的脳死判定時の脳波記録と同条件である。心電図とわずかなアーチファクトが重畳しているが判別は容易である。40分以上の記録が行われているが脳由来の波形の出現はなく、平坦脳波と判定できる。

(2) 聴性脳幹反応
 臨床的脳波判定・法的脳死判定(1・2回)のいずれにおいても、I波を含むすべての波を鑑別できない。

2) 無呼吸テストについて
 本症例では、SpO2とPaO2が一時的に低いレベルになった。テスト前のSpO2は92〜98%で、循環は比較的安定していたが、テスト開始前のPaO2は87〜65mmHgであった。このような症例への対応として、テスト中は慎重に観察し、起こり得る変化に迅速に対処できる体制をとることが不可欠である。本症例において無呼吸テストは、麻酔科と呼吸器科の専門医との緊密な協力体制によって行われている。テスト中、高度の血圧低下をみたものの不整脈は出現していない。肥満患者では無呼吸によるSpO2低下時間が非肥満患者と比較して短いことが知られているが、本例では、テスト前のSpO2とPaO2、血圧、脈拍を総合的に勘案して、テスト可能と判断されており、2回とも4分以内にテストを終えている。なお、検査終了後、SpO2は速やかにテスト前の値に復している。低PaO2の事例に関しては、今後も、専門医における緊密な連携を図る等慎重に対応していく必要がある。

3) まとめ
 本症例の脳死判定は脳死判定承諾書を得た上で、指針に定める資格を持った専門医が行っている。法に基づく脳死判定の手順、方法、結果の解釈に問題はなく、結果の記載も適切である。以上から本症例を法的に脳死と判断したのは妥当である。


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