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胸腹部臓器の障害認定に関する専門検討会(第2回呼吸器ワーキング・グループ)議事録


1 日時 平成17年1月18日(火)14:30〜16:30

2 場所 厚生労働省専用第16会議室

3 出席者
 医学専門家:奥平博一、奥平雅彦、木村清延、斉藤芳晃、人見滋樹、横山哲朗
(50音順)
 厚生労働省:明治俊平、渡辺輝生、神保裕臣、菊池泰文 他

4 議事

○医療監察官
 ただいまから、「胸腹部臓器の障害認定に関する専門検討会第2回呼吸器ワーキング・グループ」を開催いたします。事務局に異動がありましたのでご紹介させていただきます。補償課長の明治です。

○補償課長
 1月10日付の人事異動で補償課長になりました明治です。素人ですし、新米ですが一生懸命勉強させていただきたいと思っておりますので、ご指導方よろしくお願いいたします。

○医療監察官
 以後の進行は、横山座長にお願いいたします。

○横山座長
 事務局から、提出資料の説明をお願いいたします。

○障害係(事務局)
 資料1「第2回呼吸器ワーキング・グループの論点」、資料2「胸膜、横隔膜の障害の取扱いのたたき台(案1)」、資料3「胸腺を亡失した場合の取扱いのたたき台(案1)」、資料4「肺の障害の取扱いのたたき台(案1)」、資料5「田口治,他:療養中のじん肺患者におけるガス交換障害評価のための検査法および判定基準.日本災害医学会会誌,47(9):589〜598,1999.」です。

○横山座長
 前回ご討議いただきました、胸膜、横隔膜の障害の取扱い及び胸腺を亡失した場合の取扱いにかかわる修正箇所について確認をしていただきます。それから、我々に課せられた本題である「肺の障害の取扱い」に入ってゆきます。胸膜、横隔膜の障害の取扱いについて説明がありますか。

○医療監察官
 4頁から6頁について、胸膜、横隔膜の障害の取扱いのたたき台を書いております。前回ご議論をいただき、概ね事務局で出したたたき台でよろしいということでしたので、字句の修正をしております。
 最後6頁のところは、人見先生からのご指摘で、基本的に横隔膜ヘルニアは療養の対象になるのだけれども、稀に通過障害と腹腔内臓器に由来する症状が認められない状態で安定することがある。そのときに、どうしても肺の機能障害が残ることがある。そのときには、肺の機能障害の程度に応じて障害認定をするのが適当である、ということを書き加えるべきだというご意見がありましたので、その旨を追加修文をさせていただきました。内容的にはこれだけです。

○横山座長
 どなたかご発言がございますか。

○奥平(雅)先生
 細かな用語ですが、4頁の(1)胸膜のところの5行目「胸郭腔の伸展性の減弱」とありますが、日本語の語感として「伸展」というと、2方向性の、2次元の伸びのような感じを受けます。後でも「伸展性の減弱」という言葉が出てきますが、これは「胸郭の拡張性の低下」という言葉のほうがいいのかと思います。専門領域で、こういう言葉が一般的であれば別ですが。
 5頁の上から7行目に、「要するに肺の円滑な膨張及び収縮をもたらすことである」と書いてありますが、「もたらす」のか「助ける」のか、この辺の言葉も検討したほうがいいのではないかと思います。
 その3行下の、「このようなろく胸膜」となっていますが、この場所では「ろく」は要らないのではないか。
 その5行下の、「胼胝等の存在をもって」ということですけれども、「胼胝等の存在のみをもって」という意味なのではないかと思いました。
 4の検討の内容の1の3行目、「手術療法(開胸手術又は胸腔鏡手術)等の術式が行われる」のところの「等の術式」は不要なのではないかと思いました。
 6頁の上から2行目の、「胼胝の範囲と形成の程度」というのは、「範囲と程度」で十分わかるので、「形成の」という言葉は要らないのではないかと思いました。
 (3)のところの「収縮性等の減弱」、あるいはその下の「伸展収縮性が減じる」という言葉があります。(3)のタイトルのところでは「収縮性等」になっておりますけれども、本文では「伸展性が減じる」となっていますので、これは統一するほうが望ましいのではないか。
 その次の行で、「しかしながら、損傷の程度等によって」とありますが、これは是非「損傷の部位」を入れたほうがいいのではないかと思います。

○横山座長
 これは、「程度・部位」というのが格好いいですか。

○奥平(雅)先生
 はい、「部位・程度によって」です。

○横山座長
 たくさんご指摘をいただきましたが、最初の「胸郭の伸展性」についてはどうでしょうか。この前のときは「収縮性」だったのを、「伸展性」にしたのではなかったでしょうか。これは、コンプライアンスのことですよね、人見先生はご専門の立場からいかがですか。

○人見先生
 私は、違和感を感じませんでした。

○奥平(雅)先生
 専門の領域の先生が違和感を感じなければ、そのとおりでよろしいのだと思いますが、「伸展」というと2次元の伸びのような感じがしていますので、実際には「拡張」ということなので、広がりが大きくなるということだと思うのです。

○人見先生
 「腔」は取ってあるんですね。「胸郭の伸展性」ですか。

○奥平(雅)先生
 「腔」は取ったのでしょう。「伸展」という言葉を国語辞典で引いてみたら、伸び広がること、伸ばし広げることという意味だったので、これでもいいのかなと思ったのですが。

○人見先生
 「胸郭」といったら枠ですね。これは「拡張」でなくても「伸展」でいいのではないですか。「胸腔」となると、「拡張」のほうがいいと思います。「胸郭」といったら「胸壁」を意味するのでしょう。

○横山座長
 普通、私たちは「胸郭の伸展性」という言葉を使っていると思うのです。呼吸器では胸郭の進展性と肺の弾性とが均衡して肺気量が決まり、呼吸中枢からの神経支配で、これらの平衡点が推移して肺気量並びに一回換気量が決まってきます。従って胸郭の伸展性と肺の収縮性(弾性)との、いずれかのみを取り上げるのは如何かと思います。もし疑問があるのだったら、「コンプライアンス」とか英語で表現しておいたほうがいいかもしれませんね。

○奥平(雅)先生
 そうですね、それを入れていただいたほうがいいかもわかりません。

○横山座長
 その場合は「減弱」ではなくて「低下」ですね。これは、括弧を付けて、「コンプライアンスの低下」という言葉を挟むことにさせていただきます。
 「ろく胸膜」の「ろく」は要らないというのは当然ですね。それから、「胼胝の存在のみをもって」ということなので、「のみ」のほうがいいと思います。「手術療法等の術式等が行われる」というところも先生がおっしゃっておられます。6頁の冒頭にある、「胼胝の範囲と形成の程度によって」というのはどうでしょうか。

○奥平(雅)先生
 胼胝自体が形成されるところですから、この言葉は要らないと思います。

○横山座長
 これも要らないですね。

○人見先生
 6頁の(3)「横隔膜は、それ自体の損傷や支配神経の損傷により伸展」の次の「収縮」は取るのですか。

○医療監察官
 「伸展性が減じることがある」というふうに、前回は「収縮」と書いたのですが、「伸展」のほうがいいだろうということで、「伸展性が減じることがある」と直させていただきました。

○人見先生
 横隔膜というのは、神経支配で収縮するのでしょう。それが、神経の損傷でダランと伸びてしまうと収縮性がなくなるのではないかな。横隔膜が胼胝でガッシリとなったら収縮性もなくなるし、伸展性もなくなるでしょう。神経支配で、横隔膜自体は普通の筋肉があるのだけれども、神経支配がなくなった場合、今度はそれが縮む力がなくなるからダランとなる。だから、これは「収縮」でいいのではないですか。

○横山座長
 (3)の見出しは「収縮性等の減弱」となっていますから、これを一貫させたほうがいいかもしれません。

○人見先生
 そうですね。横隔膜自体の損傷と、神経の損傷があると思います。

○医療監察官
 「伸展・収縮性」ぐらいでいかがでしょうか。

○人見先生
 そうですね。

○横山座長
 「伸展・収縮性」というと、減じるのかどうか。

○人見先生
 いいのではないですか。横隔膜が胼胝に置き換わったりして、あるいは固定されたら伸展性は減弱します。支配神経の損傷になると、今度は収縮性がなくなりますから「・」でいいのではないですか。

○横山座長
 それでは、そういうことにしておきましょう。ここのところで、後からお気づきの点がありましたら神保さんのほうにおっしゃってください。これから本題の肺の問題が出てきますので、まず「胸腺」を片付けてしまいたいと思います。

○医療監察官
 胸腺については7頁と8頁ですが、前回お諮りをいただきまして、方向性については今後の検討課題ということで一致していただきました。その上で、不適当あるいは余分な記載については落としたらどうか、というご指摘だったかと受け止めました。
 7頁の4の「正確には」というところは最初から正確に書くべきだ、という奥平先生のご指摘を踏まえて、2の(2)のところに4を持ってきました。4の「前記のとおり」というところについては落とさせていただきました。
 8頁では、「老化」という言葉がよいのかどうか、というご指摘が奥平先生からありましたので、こちらについては削除させていただきました。中身については、基本的に変わっておりませんけれども、入れ換えと、あまり適当でない部分について削除させていただきました。

○横山座長
 7頁の下から5行目の、「これを亡失しても影響は少ないとされている」というふうに言ってしまうと、また怒る人が出てくると思うのです。「影響については、いまだ十分な知見がない」というような表現にしておいたほうが無難なのではないかという気がしますがいかがでしょうか。

(特に発言なし)

○横山座長
 よろしければ、そのように直していただきます。ほかにご指摘がございますか。

○奥平(雅)先生
 7頁の2の(1)で胸腺の構造のところで場所の問題です。これは、心膜の前面というと、通常もっと下のほうになってしまいます。「縦隔の前上部」というように、「上」という字を入れておく必要があるのではないかと思います。

○横山座長
 いまのご指摘の点からいうと、「胸腺は、胸骨の後ろ」から「すなわち」までを取ってしまったらどうでしょうか。「胸腺は、縦隔の前上部に存在し」ではいかがですか。

○奥平(雅)先生
 それでもよろしいです。

○横山座長
 そのほうが、すっきりするのではないかと思います。

○奥平(雅)先生
 (2)の5行目の、「四十代には脂肪組織に変わる」というのですけれども、「変わる」という表現がいいのか、これも臓器ですから「置換される」のほうがいいかと思うのです。

○横山座長
 はい、そうですね。

○奥平(雅)先生
 下から4行目のところで、「胸腺の疾患の一種である胸腺腫の外科的療法として、胸腺全摘術が行われることがあるが、その場合でも問題なく」というのは、「その場合でも術後問題なく」というように、「術後」を入れておいたほうがいいのではないか。
 8頁の上から2行目の、「成人期以降に胸腺を亡失した場合の影響の程度について一般的に見解が改められるまでには至っていない」というところは、「一般的に」がいいのか、「一般的な」がいいのか。「一般的な見解が改められるに至っていない」、あるいは「一般的に」なのか。「に」がいいのか「な」がいいのか。

○横山座長
 思いきって「一般的に」というのを取ってしまったらどうですか。

○奥平(雅)先生
 そうですね、そのほうがいいかもわかりません。

○横山座長
 いまの訂正箇所はいいですね。

○医療監察官
 はい。

○横山座長
 この点で、後からお気づきの点がありましたらおっしゃってください。「胸腺」「胸膜」の問題は以上で一段落ということにさせていただき、本題の肺の障害について議論していただきます。まず、全般的なところでご発言はございますか。

○医療監察官
 資料1と資料4を使って概略をご説明させていただきます。前回、肺の障害についてご議論いただきましたが、基本的に傷病を問わず肺の機能低下といいますか、呼吸の機能低下の程度で障害を評価していくのだ、ということについては概ねご了解が得られたのではないか。傷病に着目して細かく分けるのではなくて、呼吸機能全体として同じように評価していくのだ、というところまではご議論をいただきました。
 本日ご議論をいただきたいのは、資料1の1頁1「肺の傷病に係る療養を必要とする者の基準」で、胸腹部臓器全般についてそうなのですが、骨折等と違い、治療が必要なもの、障害といいますのは治療が終わって、その状態がずっと続く場合に障害を打つということなものですから、療養が必要なものについては障害にはならない。療養を必要とする方がいるとすると、それを治ゆにするのは不適当なものですから、肺の傷病について療養を必要とする者、これは呼吸機能に着目してということですが、どのような場合にこれは治ゆにするのはやめておいたほうがいいという方がいるのかどうか。
 事務局で案としてお示ししておりますのは、呼吸不全については、安静時に動脈血酸素分圧が60Torr以下の方で、体動時に呼吸困難がある。安静時に動脈血酸素分圧が55Torr以下のような方については酸素療法が認められている。慢性の呼吸不全になった場合の一つの延命策というのは、酸素療法あるいは人工呼吸ぐらいしかない中で、酸素療法等をやめるのはあまりよろしくないのではないか。酸素療法等の積極的な治療を行って、やめてしまうと逆に呼吸不全になってしまうような人は療養を要する、というふうに考えたらどうか、ということで事務局として案を出させていただきました。
 動脈血酸素分圧が60Torr以下でも、人工呼吸の必要がないとか、酸素療法の必要はないという方についてはどうするのか、ということも含めてご議論いただければと思います。どこから治ゆにしていくのか、そして障害を評価するのだということを1番目にご議論いただきたいと思います。
 2番目に、治ゆになった方について、どのように評価していくのかということです。2「労務に与える支障の程度と動脈血酸素分圧等」の(1)で、先ほど胸膜や横隔膜については、それ自体障害ということではなくて、肺の機能障害ということで見ていくのですと。そういう場合に何に着目するかというと、呼吸機能に着目する。具体的には、肺の機能障害といえば、呼吸機能ということでいいですかということ。呼吸機能の障害の程度というのは何で見ていくのか。いくつか書いてあるのですが、呼吸の中で労務にいちばん支障が出るといえば呼吸困難ということなのか。したがって、呼吸機能の障害というのは、労災保険の障害の程度というのが、労務の支障の程度でしていることからすると、呼吸困難の程度で評価していいのかどうか。
 (3)として、呼吸困難については、自覚症状という面と、努力性の呼吸という面があります。併せて呼吸困難というのは、いろいろな原因で生じます。呼吸機能の低下だけで生じるわけではないです。そうすると、障害の程度というのは、呼吸困難をそのままヒュー・ジョーンズだとか、MRC分類というものではなくて、呼吸困難と(逆)相関するような肺機能の低下を示すような指標に着目して障害を評価するのが適切なのかどうか。
 (4)は、呼吸機能の低下というのは、具体的にはどういう指標で見るのか。ものの本にはガス交換障害の基準と書いていますけれども、要するに呼吸というのは、血の中の二酸化炭素を酸素に置き換えてやるということを考えてみると、換気とガス交換と肺の循環の総体のパフォーマンスとしては、結局のところ血の中の酸素の濃度、酸素の分圧というようなものに着目するということでいいのか。
 例外的にガス交換機能には問題がなくても、換気量が少ないということで呼吸困難を生じることがあります。そのために、ほかにも着目する必要があるのかどうかをご議論いただきます。先ほどの呼吸不全のところから治ゆにするのだということになると、 動脈血酸素分圧が60Torrを超えたところから障害を打っていくことになるのですが、それでよろしいのか。 動脈血酸素分圧が60Torrを超えたような場合に、ヒュー・ジョーンズ分類でIV、Vという方もいるようですが、多くはIII以下ぐらいでいいということになると、それぐらいを目安に障害の程度を評価していっていいのか。
 先ほど、例外的に動脈血酸素分圧が軽度異常でも大変なことがありますということでした。2頁(7)からで、換気障害によって、安静時に呼吸困難が認められることがあるということで、その場合についても評価することが適当か。そのときに、換気障害として何に着目するのかということですが、これはいまいろいろ使われるようになってきている「%1秒量」に着目することでどうか。その「%1秒量」も努力依存性があるもので、プラスの条件として、自訴ということではなくて、本当に努力性の呼吸をしているということが他覚的にわかるときに限って評価するのが適当なのかどうか。
 いまご説明いたしましたものが、3頁に「障害等級認定のフロー」ということで出ております。いま事務局でのたたき台として、最初のところで療養か治ゆかが分かれます。その基準が動脈血O2分圧が60Torrを超えるか超えないか。要するに、呼吸不全なのかどうか、ということで判断するのが良いのか悪いのかをまずご議論いただきます。
 次に、肺の機能障害として、肺の指標、なかんずく安静時の動脈血酸素分圧を基本に考えることが良いのか悪いのかをご議論いただきます。さらに、その場合でも例外的に換気障害等で、肺の機能低下によって呼吸困難を生じることがあるので、動脈血酸素分圧以外にも着目する必要があるのかないのか。あるとすると、どんなものに着目するのがいいのかどうかということで、事務局としては1秒率よりも「%1秒量」のほうがいいだろうということで「%1秒量」の検査をしたらどうかということで書かせていただきましたが、それが良いのか悪いのか。
 それでは、どの程度悪かったら重度なのかというと、%1秒量が30%以下になると、これは学会のガイドラインでも最重症ということですし、このぐらいになると安静時でも非常に大変なのだということが起きるので、これは重度ということ。安静時でもそうだということですので、かなり高い等級になっていくのでしょう。
 今回は、安静時のものしか用意しておりませんが、安静時の動脈血酸素分圧が軽度、あるいは正常でも身体を動かしたときに問題が表在化するという方はいます。そういう人のときにどうするのか、ということについては次回以降検討していただければと思います。運動負荷の検査ができるのかできないのか。それができるとして、どんなのが妥当なのかについて、次回以降具体的に検討していただいて、評価ができればと思います。
 評価ができれば、安静時は大したことなくて、動いても大したことがないということであれば軽度。安静時は大したことないけれども、動いたら大変だというのは中等度ぐらいになる。安静時でも大変だというのは重度ですよ、というような考え方でよろしいのかどうかということについて、先生方のご議論をいただければということです。
 具体的には12頁以降に、いまご説明したようなことが文章になっております。12頁の(2)「肺機能障害の症状と治ゆ」というところから読み上げさせていただきます。

○障害係
 (資料読み上げ)

○横山座長
 これは、なかなか難しい問題がいっぱいあるみたいですがいかがでしょうか。我々が、ここで議論していく上での予備知識というか、頭の中に置いておかなければならないことは、治ゆ判定の対象になった労働者の呼吸機能がどうなっているのであろうかという議論が1つです。
 それから、この文章で伺っていて頭が混乱してくるのは、「呼吸不全」という言葉と、「呼吸機能障害」というのがあちこち入り混じってくるものですから、余計話がわからなくなってきていると思うのです。それから、ここで認定しなければならない患者の数というのは、例えばじん肺法の粉じん作業をする人たちの肺機能検査は大変な数をやっているわけです。いま、ここで問題になる対象の数というのはそんな大きな数ではなくて、年間数十例から100例程度の数にとどまるので、そうすると、ある程度手の込んだ検査が入っても許されるのではないかと思います。
 同時に、これはお金が絡んでくる問題ですから、認定対象となる労働者の方々に公平に、しかもなるべく納得のいきやすいような基準を考えてあげなければならないと思うのです。ただ、これは肺機能検査の宿命というか、避けることのできない問題なのですが、あらゆる場合に納得がいくような答えが出てくるとは限らない。むしろ納得がいかないような例が出てくることが多いと思うのです。少なくとも、皆さん方が専門家としての医学的な知識で、リーズナブルな評価基準、評価方法を考えていただきたいと思います。
 ここで大きな大黒柱を立ててしまって、それでも全部の場合に適用できるような結論が出るとは限りませんので例外措置というか、これで評価をするのだけれども、こういう場合には考えてあげてほしいというような、取扱いの申し合わせというか、一つの物指しを同時に含めた基準を考えるよりほかに手がないのではないかという気がしています。この点についても、ご検討をお願いしたいと思います。
 私の個人的な考え方ですが、血液ガスというと、動脈血だけの酸素分圧が主として取り上げられていますけれども、動脈血ガスの場合にはそれだけではないだろうと思います。いろいろ難しい問題があって、話を一通り聞いただけでは、なかなか頭の中ですっきり整理がつかないで困っています。

○斉藤先生
 この文章を2、3日読んでいたのですが、概ねいいのではないかと思います。この前、スパイロの話をしましたけれども、自分でスパイロの成績を見ていて、スパイロは本当の評価をしているのだろうかという辺りをずっと悩んでいました。いちばん最初に血液ガスの成績が出てきて、これである程度の評価をして、障害の程度を判定していくという形ができるとすれば、先生がおっしゃるように、大きい目で見て、これから先のやり方を示す良い指標になるのかということで考えてきました。
 ただ、これを読んでいてまた1つ悩んでしまったのは、じん肺のことをやっていますので、ついじん肺のことでフィードバックしてしまいます。管理4になってしまう人たちは、とにかく治らないから認定の外で別にやりますという話になっています。残っている者の管理3のロ以下の者は、もう療養は要らないという話になっている。なおかつ合併症に関していうと、合併症は治る。治ったら障害が治ゆだから、これは認定しましょうという話なのです。そうすると、合併症を治ゆとして認定するのはどういう根拠なのだろうか、ということがわからないのです。

 じん肺法でいうと、まず最初に合併症があるかないかを診て、合併症があった場合は管理区分を決めないで治療しましょう。治った段階で、もう一度管理区分を決めましょうという認識だったと思うのです。ただこれを見ていくと、合併症が治ったら、その段階で血液ガスなり何なりを診てその程度を評価しましょう。この場合は、おそらく事務局案で書いてある中等度から軽度の障害認定の評価がされると思うのです。
 管理4以外で、管理3のロとか、管理3のイの人たちの中には、治った人よりもっとひどい障害で残っている人がいる可能性がある。逆に言うと、これは平等性を言っているような感じで、どこか見落としているのではないかという感じが頭から抜けないのです。その辺のところはどう考えたらいいのかを教えてほしいのです。ある意味では、なんで合併症の人は認定しなければいけないのかという話になるし、もしするのだったら非合併症じん肺例よりもっと広げたほうがいいのではないか。私の考え方はそちらのほうに近いのです。

○医療監察官
 そちらについては、ご議論というよりもこういうことですよ、という形で9頁から10頁にかけて書いてあります。「じん肺の合併症の治ゆ後の後遺障害については、以下の理由から、じん肺合併症の治療により肺切除を行ったこと等により、じん肺の合併症の後遺障害、要するにじん肺以外の原因による著しい肺機能障害を認める場合に限って肺機能低下の程度に応じた障害等級を検討します」と。
 なぜかというと、1つは先生がおっしゃっているように、じん肺合併症が治りました。療養の要否自体はじん肺ハンドブックに書いてあるので、どういう状態が療養の必要な状態、どういう状態が合併症として必要な状態かわかる。必要のない状態になりましたというときに、まず肺機能検査を行います。そのときに、著しい肺機能障害が認められ、それがじん肺以外の原因によるということがなければ管理4になります。管理4にということで障害とは関係のない世界に行きます。ずっと要療養になります。
 それでは、著しい肺機能障害でなかったらどうなのだろうかということです。そちらについては、先ほど先生からご指摘がありましたように、管理2、3の人で合併症がなくて、F1+の人は療養の対象にもならないということなので、これも今回の俎上には上ってこないです。
 それでは、どんな場合に上ってくるのかというと、肺結核などで、昔流の治療法などをして、肺結核としての後遺症が非常に大きいのです。治療の中で肺のコンプライアンスが落ちてしまっているというときに、これはじん肺によってなっているのではなくて、肺結核の治療後のものとしてなっている。その場合に、初めてじん肺合併症の治ゆ後の後遺症状を障害として評価することとしています。管理2、3に区分され、合併症にり患していない者であってF1+の人は、これはこの前ご議論に出たところですけれども、その後悪くなりますということが十分考えられます。
 そのときに、一旦障害認定をしてしまうと、これはじん肺によらない肺機能低下が起きているのですという話になってしまって、管理4になれる人がなれなくなってしまうこともありますので、ここの部分はしません。じん肺管理2、3だけになって、F1+になったような人は、障害の対象にはしない。これが悪くなって、じん肺管理4になれば、今度は障害ということではなくて、要療養ということになります、ということで現行のじん肺法を前提にすると、そのように考えるのが妥当だろう。こちらについては、衛生課との中で、いまご説明したような形にならざるを得ないのではないかということです。
 ですから、結論からいうとじん肺合併症の治ゆ後、障害として出てくるとすれば、肺を切ったり、胼胝ができてしまったというようなこと以外は、基本的にじん肺でグンッと肺機能が落ちれば管理4になりますし、そこまでいかないのだったら障害にもならないのですよということで、先生がおっしゃったようにほとんどのじん肺合併症治ゆ後の者は、ほとんど障害の俎上には上ってこないことになります。

○斉藤先生
 合併症のために、肺機能がグーンと悪くなってしまった場合は、管理4相当の機能障害がありますというのはわかったのだけれども、治った後の状態の肺機能を調べてみて、なおかつ管理4に至らないし、ここの血液ガスでいうと、80Torrから60Torrぐらいの幅の中にいる、少し血液ガスが下がってくるような症例、軽い障害とか中等度の障害は評価しないという話なのですか。

○医療監察官
 じん肺の2、3でF1+の人の場合にはなぜしないかというと、それは前回ご議論のあった、じん肺そのものが進行性のものなので、というところから障害としてその評価をしないのですよということです。

○斉藤先生
 こういう言い方が正しいかどうかわからないのですが、それは進行性だからじん肺が進展して、ひどくなって管理4になるまでは我慢しなさいという話ですね。もしかすると、合併症の人はもっと軽くておさまったとしても、障害の認定を受ける権利があるわけですね。
 権利があるという言い方は変なのですがそうですよね。こちらの人たちは、療養は要らないということですから、初めから門前払いなわけですね。

○医療監察官
 そうです。

○斉藤先生
 だけれども、合併症の人たちは、治ゆして治ったときには、それなりの検査なり何なりを受けて障害の程度が検討されるわけですね。

○医療監察官
 一定程度悪い人に限ってです。

○斉藤先生
 それは、やらないとわからないでしょう。

○医療監察官
 そうです。

○斉藤先生
 だから、治ゆしたという段階でその検査が始まるわけですね。

○医療監察官
 そうです。

○斉藤先生
 その辺のところに、私はすっきりしないところを感じるのです。

○医療監察官
 先生がすっきりしないとお感じになっていらっしゃる部分というのは、それほど悪くない軽度の部分が、全く合併症を経ていない人と同じように、障害として全く見ないというのはいかがなものなのかということなのでしょうか。

○斉藤先生
 合併症で治ゆした人であっても、同じように元に戻ってじん肺法の管理区分を決めれば済むだけの話ではないかと考えるわけですか。

○医療監察官
 基本はそうだということです。基本は、元に戻ったときに、じん肺の管理区分を決めて、4だったら療養だし、2、3の何もない人だったら、何もない状態に戻るだけなのです。

○斉藤先生
 この話の流れとは別なのかもしれないのですが、どうも気になってしようがないのです。

○木村先生
 いまのに関連していることなのかもしれないのですが、最初にじん肺だとか原因は問わない。呼吸器障害の基礎になっている疾患は問わないで障害の判定をしていけるのではないか、というのが今回のスタートの話でした。そうすると、じん肺もそこに含めて考えるのだろうと私は理解しています。
 労災の何かがあって、呼吸器の障害を残して、そしてその合併症が治ったときに、どういう基準で障害を認定するかという話が今回の会議のそもそものスタートですね。ですから、じん肺はちょっと離れて、画像と絡めていままでは障害の判定があったわけです。今回、ここの会議のなり行きによっては、その辺のことは除かれるというか、そして職業の原因にかかわらず、要するにある一定の1つのコンセンサスが得られたら、その基準を用いて障害を判定していこうという進め方をしていくということですね。

○医療監察官
 治ゆにできるものはということが前提であります。

○木村先生
 先生のいまの疑問は、合併症が治った、気胸になり治った、結核が治った、この時点で一応症状固定になった。ただし、動脈血は、いまの基準でいうと60Torrは超えている。だけどFが1+なり、正常とは違うといったような場合に、いまの事務局の提案からいけば、合併症によって病気になった場合は障害として認めるのはいいわけですね。合併症によってF1+になったとすれば、例えばある程度のどこかの障害の範疇に入ってくる。けれどもじん肺そのものによってなっているのであれば、今までのじん肺法の枠からは出ませんよと、合併症が影響したのでなければ出ませんよという答ですね。

○斉藤先生
 肺を切った場合は明らかにわかりやすいですよね。それ以外わかりますか。少なくとも根本的には、いまの話の流れはじん肺は進行性だという前提があるとすれば、何かそういう1つのエピソードを契機に悪くなった障害が合併症なのか、あるいはじん肺のものなのか。昭和53年のじん肺法の改正のときに、じん肺というのは線維増殖性変化を主体とする病気という言い方になったのです。その主体という意味は、たぶんベースに慢性の気管支炎があるのと肺気腫があるということが加えられたわけですね。だから、それが進行性にいくという意味の場合は、それがさらにいろいろ変化していった可能性というのがそこに含まれてくると、合併症によるものとじん肺によるものとの進行というのは区別できないのではないか。

○医療監察官
 実際的に難しいというのはわかるのですが、ただじん肺法自体がじん肺による著しい肺機能低下ということを要件にしています。呼吸機能の低下は様々な原因で生じますが、じん肺法はそれがじん肺によるときにはじめて管理4になることとしています。じん肺法の中では理屈的には分けられるのだというふうに、少なくとも考えられている。ただ、実際に難しいときには、それこそ実際上じん肺診査医の先生が、これはじん肺によっているのかじん肺以外の原因なのかということで分けていただくしかしようがないのかもしれないのですが、理屈的には分けられるということを前提にして法律もできているので、できないということを前提に話を進めるのは困難です。実際例が難しいというのは十分理解しているのですが、基本的にはできるものなのだと。これはじん肺による、これはじん肺以外ですよと。いちばんわかりやすいのは切ったような場合が、非常にわかりがいいということだと。

○横山座長
 じん肺合併症の取扱いについて、中村委員会が動きはじめたのは昭和51年で53年に改正になったわけです。その時点での考え方というのは、私は核心に入り得ない難しい点があったのではないかという気がするのです。なかなかすっきりといかない点がありますよね。特にあの頃は、じん肺結核については抗結核剤その他が効果を出して、かなり改善されてきてたわけですが、慢性気管支炎だとか何かになってくると、そう簡単に治ゆするものとは思えません。ただ、じん肺そのものに由来する障害と、それからそれが共存する合併症に由来する障害と、できるならば区別して考えたいという願望があったと思うのです。その処理の問題については具体的には、一人ひとりの患者について、大変難しい問題があって、特に患者と対面して診療に当たられる先生方にとっては、大変苦しいところでもあったと私は理解しています。
 今回このワーキング・グループの目的については、そういう個々の問題を扱っていると動きがつかなくなってきてしまうので、私がお願いしたいのは、まず業務上疾病としての呼吸器疾患に由来する障害を、全般的に包括して議論をしていって、その上である物差しに合わないものは合わないなりに、何か対策を考えていく。ただ、その大黒柱は始めにしっかりと作っておきたいというのが、私の願望なのですが、なかなか難しいですよね。

○斉藤先生
 この資料を見せてもらって、全体の話としてはいいと思っているのですが、実際それでもう1回フィードバックすると、悩ましい問題が残るかなというように思っています。

○横山座長
 これは私の個人的な考え方なのですが、いまの肺機能検査を絡めて全般処理するというのはとても無理だというと、また怒られてしまうのですが、大変難しい問題があると思うのです。1つの大黒柱が出来上がった段階で、こういう場合もある、こういう場合もあると。こういう場合にはこういう検査をして、こうだったらこうやって救済することができるのではないかと、救済策も併せて指摘していくような格好で話を進めるのがいいのではないかと思うのです。
 じん肺法そのものも昭和52、3年から、もうずいぶん年月が経っているので、これは労働衛生課のほうで検討を願うよりしようがないと思うのです。あまりその問題に踏み込み過ぎますと難しい問題が出てくるので、根本的にはどう考えるのかという、そこのところに重点を置いてこのワーキング・グループの議論を進めていただきたいとお願いしたいのです。

○奥平(雅)先生
 いまの先生のお話を追認するということなのですが、私、今回のものを読ませていただいて、先生の言われる大黒柱といいますか、あるいは基本原則というものは十分に読み取ることができると思うのです。非常に素晴らしいまとめになっているのではないかという印象を受けました。もちろん個々の文言その他については多少の修正が必要かもわかりませんし、センテンスが長過ぎる所が多いものですから、できればそれは短くしていただく必要もあるかもわかりませんが、ともかく素晴らしいという印象を受けました。よく理解できます。

○横山座長
 文章は私ではなくて神保さんのほうで作って下さったのです。

○奥平(雅)先生
 いまの先生のお話に出たじん肺の問題ですね、これはご専門の先生がいらっしゃるのですから、個別的な問題については、現在療養をしている、あるいはじん肺患者として認定されている方々が著しく不利にならないように、しかも公平に判断できるような手立てを、専門家の立場からお考えいただくのがいいのではないか。それには全体からいえば先生が言われたように、付加的な要因という位置づけでいいのではないか、そういうふうに感じました。

○横山座長
 じん肺法でのじん肺合併症の取扱い、特にそれに由来するところの、それに修飾されるところの呼吸機能障害をどういうふうに把握して、どういうふうに評価していくのかという、これはいまだに未解決になったままになっているという気が私はするのです。ですから、いま奥平先生がおっしゃってくださったように、どうすればいいかという建設的な意見をこの報告書の中に付け加えていくことを考えたいと思います。先生、どういうことを指摘すればいいかということを考えてくださいませんか。

○斉藤先生
 よろしいのですか。

○横山座長
 それを折り込んで報告書を作っていくことが、必要なのではないかと思うのです。

○医療監察官
 大黒柱の議論をしていただく前提として、これはいろいろな胸部臓器部会でだいぶ、心臓のところでいつからするのだというのを、何回か議論をしていただいたことがあるのです。呼吸器のものについていくと、事務局としては安静時60Torr以下というところで1つ線を引いたらどうかという提案をしているのですが、40Torrとか50Torrでも、特段何もしなくてもずうっと安定しているのだよ、というようなことがあって、そのときにはこれでいくとなかなか治ゆにならなくなるから、そういう場合も治ゆにすべきではないかとか、あるいはもうこれでいいと言われるのであれば、60Torrが基本的に動脈血酸素分圧でいえば、そこからは治ゆにしませんというようなことに、そこを議論していただくと、次のところのどの程度の障害まで考えればいいかということも、かなりクリアになってくるのではないかと思いますが、そこのところを是非ご議論をいただければなと思っているのです。

○横山座長
 神保さんは専門家だから頭の中に大体イメージがわいているのだと思うのですが、我々の立場からすると、例えば動脈血酸素分圧が40Torr以下は治ゆ判定には該当しないのだとかいうことを最初から決めつけてしまうと、なかなか難しいことが起こるのです。
 私が先ほど大黒柱という言葉を使ったのは、一貫して正常から著しく高度の障害になるまでのものを、どういうふうに格付けしていくかということを考えて、そして最後の段階で神保さんが言われたように、どこで治ゆ判定をしないのかとか、これ以上考えなくてもいいのだとかいうふうな線引きを、先生方のご意見で決めていただく。これはあくまでもワーキング・グループとしての提案であって、ほかのところとの兼ね合いもあるでしょうし、行政上のいろいろな難しい問題もあるだろうと思うのです。
 ただ、はじめからここから下は議論しませんとか、ここから上は議論しませんというふうにしてしまうと、また偏ったものを積み重ねてしまう可能性があるので、私は一貫して業務上疾病としての呼吸器疾患の由来する障害、これをどういうふうに評価していくのかということをまず考えて、どこから切るか、どの間を対象にするかというのは最後の段階で決めたらどうかという気がするのですがいかがでしょうか。
 例えば動脈血酸素分圧が40Torr以下であったら、酸素療法をやるだろうから、これは治ゆ判定に値しないのだということをはじめから決めないで、全部縦に並べておいて、それで最後にではこれ以下は治ゆ判定には無理だということならば、そこは除く、何級に該当云々という問題のときに、それを論じていただくというふうにしたらどうかという気がしますがいかがですか。

○医療監察官
 そうしたほうが体系だってできるということであれば、それで事務局としては結構なのです。

○課長補佐
 アプローチの仕方がいろいろあるのだろうと思います。いま横山座長が言われたアプローチのほうがいいものが早できるということであれば、もちろんそれで結構です。ただ、私どもはたぶんこっちのほうが。我々の究極の目的が障害を評価する場合に、どういうふうな、どの程度の物指し、何を物指しにして、それがどの程度であったら何級という1から14のどれに当てはめていくかということが最終目標なのです。そうすると、そこに、そもそも検討の余地のないものまで検討をすることになりはしないかと、そこが私ども考えていたことです。そうではなくて、そういう危惧はあるかもしれないけれども、全部ずうっと横に並べて程度を見ていって、その中で治ゆの線がここだというのをやっていくほうが、早くうまくできるという、そういうアプローチがいいということでは、私どもそれに異を唱えるつもりはありません。

○横山座長
 先生方のご意見はいかがですか。

○奥平(雅)先生
 いまのお話ですけども、やはり原則というものをきちんと認識して、その原則を押し進める。例えば法律でも例外のない法律はないと言われるように、どんな原則でも例外はあり得るわけですから、その例外は例外的なものとして、付加的に加えていけばいいのではないか。私は原則をきちんと立てることが作業を進める上で、いちばん大切なことではないかと思います。

○横山座長
 人見先生はどうでしょうか。

○人見先生
 座長の言われているので、とにかく筋が通っているように思います。いまも奥平先生が言われましたが、それで先生が悩まれているところを付加していく。こういう事例のときにはこうするというようなものを付け加えていったらいかがでしょうか。

○斉藤先生
 いろいろな対象に通じて、これ問題かどうかが問題です。そのような感じがします。

○人見先生
 多過ぎますよ。いっぱいあるんですから、そういうの。

○斉藤先生
 いっぱいというかなんでしょう。これは法律の問題になってしまいますよね。

○課長補佐
 先ほど先生が言われていた話というのは、じん肺法の考え方そのものに関わる部分がかなり多いのだろうと思います。そこの部分については当検討会で、最終的な報告書の中に何か触れるということは可能かもしれませんが、それについて厚生労働省としてどのように扱うかというのは、私どもいまの段階で何とも申し上げられませんし、先ほども申し上げましたとおり、当検討会では治ゆということがあった人について、その障害の程度をどう評価をしてやるのか、というところを検討するものなので、その中で関連して先ほど出たようなお話について、検討をしてある程度の結論が得られたということで、何らか触れるということは可能かと思います。私どもの所掌ではなく、所掌課がありますので、そちらのほうでどのように扱われるかについては、この場ではもちろん申し上げられません。

○横山座長
 私はじん肺法をここで批判するのは避けたいと思います。それはそれで労働衛生課で検討をしていただくことにして。

○斉藤先生
 ただ、結果的には公平ではないのではないかという感が残ってしまうという感じがちょっとするものですから、それは何かの格好で表現されればいいのかなという感じはしたのです。

○横山座長
 残るというのは、ここの議論と。

○斉藤先生
 こういう形の議論が。

○医療監察官
 ほかの疾病とちょっと取扱い、もともとじん肺法23条があるので、ほかの疾病とはえらい取扱いが違う。これはマイナスの意味でもプラスの意味でもそうなのだろうと思うのですが。

○横山座長
 これはとにかくここのワーキング・グループでは、業務上疾病としての呼吸器疾患、それに由来する呼吸機能障害という考え方で、まず評価の基本を作ってみるということでお許し願えませんか。

○斉藤先生
 それでいいと思います。

○横山座長
 先生どうですか。

○木村先生
 いまがいちばんその議論をするタイミングなのかなということで、私は斉藤先生の疑問のいちばんは、合併症が治ゆした後の呼吸機能を評価するに当たって、そこそこの呼吸機能障害が見られる。ただしじん肺法でいう管理4、労災の基準は満たしていない。そういうケースがあって、1つはそれが合併症によってたまたまなっているのか、じん肺そのものによってなっているかの判断が、非常に難しいということも先生がご指摘されているのです。
 もう1つは、要は合併症を経ないで労災になっていないで、じん肺そのもので悪くなっている人も呼吸機能でかなりいるだろう。たまたま法律で決まっている合併症は経ていないけれども相当いる。それとの整合性について先生は、非常に不安というか疑問を感じられているのだろうと。そこを合併症が経たためにこの人は今回の新たなルールでこういうふうに決まった。合併症は経ていないけれどもじん肺そのものの労災ですよね。ただ、法的には所見はあるけれども、管理4にもなっていない、合併症にも認定されていない、こことの間の矛盾が顕在化するという言い方がいいのかどうか、その辺のところを先生が不安に感じられているのかなと思います。

○人見先生
 そうしたら、そういう矛盾があるということを前提にバンと謳ってしまって、それに対しては最後のところで触れるという形で。よくわからなかったのですが、だんだんわかってきたのですが、そういうのがあるのでしたら、それはもう承知の上だと、だけど本筋を通すのだということで論を進めていって、最後にその粉じんについては、こういうふうに対処するのだということを先生方に書いていただく。

○斉藤先生
 そういう意味では、この案は最初にもうひとまわり大きく、じん肺法そのものを取り込んでいるように見えるのです。だから私はこれがいいのではないかなというふうに理解をしたのですが。ただ、あとは運用の面のところで将来、例えば非療養じん肺患者まで恩恵がもし広がるような時代がきたときには、そのまま役に立つのではないかという理解をしました。

○木村先生
 私もこの形で、トータルで取りあえず話して、先生の言われるとおり障害の原因にかかわらず、1つの基準を作っていこうというのは賛成です。

○人見先生
 わかっているぞというのを、謳っておくということですね。

○木村先生
 そうでしょうね。そうでないと。

○横山座長
 昭和52年、53年のころの、じん肺法改正のときの合併症の取扱いというので、ずいぶん議論があったのです。ただ、これは宿命的にここまではじん肺そのものに由来する肺機能障害で、ここから先は合併症に由来する肺機能障害であるというのを、区別する手段がなかった。いまだってないのですが。そして苦肉の策として、ああいうふうな格好で中村委員長がまとめられたわけなのです。その後もまたずいぶん学問も進歩もしていますので、時々は見直していく必要はあるのではないかと思うのです。しかし、このワーキング・グループでじん肺法そのもののことを議論するのではなしに、もっと大局的にと言うとまたえらそうなことになってしまいますが、業務上疾病の肺機能障害を論ずるということにさせていただいたらどうかと思います。
 斉藤先生のほうでじん肺に関連して、この問題はこういうことがあるぞと、気をつけろよということがありましたら、先ほど人見先生が言われたように、報告書の中には抵触しない範囲での文言を入れることにはできるかもしれません。ちょっと頭の中に置いておいて、考えていただきたいと思います。

○奥平(博)先生
 大変結構だと思います。もともと肺の呼吸機能、肺の機能がどのぐらい冒されているかというので、前のじん肺法ではなくてやろうということが最初なので、いまのご議論を聞いていて、大変いい方向に向かっているのではないかと私は思います。

○横山座長
 いい方向に向かっていることを望むのですが、先ほど補佐が言われたように、行き詰まってしまうかもしれませんが。

○医療監察官
 そうしましたら、治ゆのほうは先送りをさせていただいて、(3)「労務に与える支障の程度と動脈血酸素分圧」の労務に与える支障の程度を、呼吸機能の障害ということで見ると、どういうことに着目するのがいいのか。13頁以降ですが、ここでは労務の支障の程度であるのだから、呼吸困難に着目するのがいいのではないか。ただ、呼吸困難というのはいろいろな原因でもなるし、自覚症状でそれを採用するのはあまりよろしくないねということで、呼吸困難とその逆相関なりをするような肺の機能障害を示す、呼吸機能の障害を示すような指標によることが適当なのではないか。なかんづく、ここでは動脈血酸素分圧の分析に着目するのがいいのではないのかということで書いているのですが、まず、そういうような大括りの話としてよろしいのかどうか、この辺りについてご議論を、呼吸機能というのはどういうところで見ていくのかということについて、大原則と言うのですか、それについてご議論をいただければなと思うのです。

○横山座長
 それはおそらくこのワーキング・グループの結論にもなるのではないかと思うので、大変難しいところです。おそらく先生方一人ひとりが独自の考え方を持っていらっしゃるであろうということも、私は重々承知しているのですが、どなたかこれについてご意見がございますか。

○奥平(博)先生
 ここで呼吸困難ということを言っているわけですが、呼吸困難というのと呼吸困難感というのは全然違います。だから自覚症状だけによるのはあまりよくないと思うのです。呼吸困難感を訴えるのだったらいろいろあるのではないかなと思います。だから大黒柱として客観的な基準というか、そういうものを立てる必要があるかなと思います。

○横山座長
 ほかに何かご意見ございませんか。

○木村先生
 今回ここに提起されている呼吸機能のマーカーというか、指標として、対標準1秒量ですね、%FEV1を用いられていることは、今までは指数だとかそういうのが用いられていたかと思うのですが、私これには大賛成です。これの目安も国際基準なり日本の呼吸器病学会のとも合致しているというか、それのCOPDのベリーシビアと大体一致していますよね。これが1つのたたき台のベースになるのではないか。これと動脈血をどう組み合わせていくかというのが、具体的に煮詰めていかなければならないことなのではないかと思います。ですから指標はここに掲げられているのを、基本に考えていいのではないかと思っています。

○横山座長
 %1秒量ですか、要するにスパイロメトリーでのパラメーターという問題が、これから肺機能障害の評価の対象の患者の高齢化がどんどん進んでくると思うのです。それでスパイロのデータの評価というのは、大体60代からせいぜい70代ぐらいまでは、大体いけると思うのですが、それを超えてくると基準値もろくにない現状なのです。慶應で肺機能検査したデータをいま何万例か何か、ずらっとコンピューターに入れて整理をしているのですが、やはり80歳を超えてくると、なんとなく怪しげなあれになるし、検査技師の意見を聞いても、お年寄りが来ると時間がかかるだけで大変なのだと、何とかしてくださいというのが、現実に私どもが体験している問題なのです。
 もう1つはじん肺法に戻りますが、昭和53年改正前のじん肺法では、喚気指数という問題が使われていた時代がありまして、これはバラつきが大変大きくてなんとかしなければいけないというので、中村委員会が発足したという経緯があったわけなのです。私が若いころは別にそんなこと考えもしなかったのですが、年をとってくると階段昇降試験などというのは怖くなってきて、なかなか難しい。特に怖くなってくると運動中にハアハアたくさん息をする人と、なるべく息をしないようにしようとする人といるのです。自分でも経験をしてみると、なるほどこういうこともあったのかなと思って、いまおおいに反省しているのです。
 何かそういうことを考慮に入れた上で、今回、我々が与えられているところの肺機能障害の評価を、なるべく誤差が少ない客観的な数値として求められないかという気がしているので、これも1つ。今日全部議論をするのは私は無理だと思います。これからしばらくは学会その他でお忙しいと思うので大変恐縮ですが、いつまでもこの会をやるわけにもいきませんので、次回までの宿題ということでご検討をいただくことをお願いします。
 私の考えていることの1つを申し上げると、動脈ガス検査というと、酸素分圧がまず表面にパッと出てきてしまう。私がこういうふうな障害をもった患者の労作能力を考える場合には、CO2の問題を無視しては通れないのではないかという気がするのです。その辺も先生方のご意見を頂戴したいと思うのです。
 CO2分圧というのも実は改正じん肺法の中村委員会のときには、CO2も含めなければいけないという話は確かに出ていました。ただ、その評価の指標の数をなるべく減らせということで、ADEというものを取り込んだことはあるのです。CO2分圧が高いだけが問題なのではなくて、身体障害者福祉法でもCO2分圧が上がってくる。肺胞低換気になることを大いに考えて作ってあるのですが、それだけではいけない、むしろCO2分圧が異常に低くなる場合もあるわけです。
 安静時の動脈血ガスの値で、患者の障害の程度が評価できないという意見が多々あることも、私は重々承知していますが、それもCO2分圧が低い場合も含めて、何か検討をする必要があるのではないかという気がしています。特に業務に戻れるか戻れないかという判断をする場合に、わが国における基本的な8時間労働で、人並の仕事ができるかどうかということを含めて考えていくと、肺機能障害をもった患者が業務に復帰することの問題点というのは、難しいことがあると思うのです。その辺も頭の中に置いてこの検討を進めていく必要があるのではないかという気がいたします。

○医療監察官
 体動時の話につきましては、今日は全然時間がないようなので、安静時で先生からご指摘があったのは、CO2の分圧についても、きちんと見るべきだというお話があって、木村先生からは動脈血ガスの分析と、%1秒量というのを基本に据えるのでいいのではないかと。いまのところその3つ出ているわけですが、ほかに安静時の指標を。まず客観的な指標を基本に据ますと、いきなりヒュー・ジョーンズとかいうことではやらないといいますか、むしろそれは参考であって、客観的な基準をまず据えるのですということについては、先生方よろしいというようなことでいいのでしょうか。
 その上で、いま安静時の検査としては3つほど出ていると、ほかに特段なければ次回たたき台をそういう形で修正をさせていただいて、安静時のものについてはこれとこれとこれで見るのですよと。組合わせ方については、またご議論をいただくということにしたいと思うのです。安静時の指標として、いま出ている酸素分圧と炭酸ガス分圧と、%1秒量、このほかに何か適当なものがあれば、この場でご議論いただけると次回以降あり難いなと思っているのです。

○人見先生
 話題が違うかもわかりませんが、私がいまタッチしている、がんの終末期医療で呼吸困難というのがあり、これについて言いますと、本当に苦しい、とってくれ、もう生きていくのが嫌だという呼吸困難、これまた面白いことに、上手にモルヒネを使うと意識レベルは下げなくて意識ははっきりしている。そして苦しさだけはとれる。そして血液ガスは変わらないのですが良くはなっていないというのがあります。
 安静といっても咳が続いている、この咳さえ取れてくれればいいのだけどという、咳が続くという苦しさ、これもすごい苦しさですね。それからひっきりなしに出てくる痰、これも本当に対処するのに大変です。そして、もういよいよというので気管の中の痰を気管支境で取ってあげると、確かに30分ぐらいはいいのです、そして楽になったとは言いますが、そういう人は癌の痰ですから、どうせまた出てきます。取ってくれなければよかったのにということを言われる患者があるんです、もう死ねていたのにと。
 それからご存じでしょうけれども、鎮静というのをいつかけるかということ、ものすごくシビアな基準で鎮静をかけていきます。納得の上、眠らせていく。さめる状態にはいつでもなる状態でということですが。その鎮静の問題で呼吸困難を取る。だから呼吸困難というのはものすごく難しいわけですし幅が広いもので、1秒量とかでは測れない呼吸困難の人がいるということです。
 私は労務災害での呼吸困難の終末はあまり知らないのでわかりませんが、果たして1秒率が測れるのかということですね。ガス測定はいけるでしょうけれども、そんな観点も少し触れておく必要があるかもわかりません。

○課長補佐
 いま先生が言われた例の話というのは、大体において治ゆしていない人の例だろうと思うのです。先ほど言ったように、基本的にはその話はここでやる話ではないのです。基本的にもう治療が必要ないですよという人を対象にするわけです。いま言われたような、まだまだ治療対象になる人は、この検討の対象物から外れる人なのです。そこのところがいつも混同してしまうところなのです。

○人見先生
 例えば胸郭が胼胝形成でもうビシッと作られちゃった。これはもう安定する。だけど小さな咳、小さな痰ということが続いている。これはやはり治療の対象になるんだな。

○課長補佐
 これは先生方が、それはもう治療の対象としませんと言われるのであれば、たぶんそちらのほうが正しいのだろう。私どもの想定としてはそんな状態は、たぶん治療の対象、即ち治ゆではない状態だろうと思っています。そういうことがあるものですから、最初に治ゆたという状態を皆様方にイメージを、はっきりしてもらったほうがよろしいのではないかというのが、私どもの今回のアプローチの提案の仕方です。どうもそうではないほうがいいというお話なものですからあれなのですが、いま先生が言われたのは、たぶん、私どもがこれを検討する延長線上にはある話なのでしょうけれども、直接の対象ではないということだろうと思います。

○人見先生
 もう1人の例ですが、その方はある運動をやっている方なのですが、それが15年ずうっと診ていたら、だんだんトーンダウンしているのです。もう15年経つと年をとっていますね。いろいろな会議に出て来て頑張っていた人がだんだん後援会にも出られなくなってきた。だからといって意欲がなくなっているわけではないのだけれども、そうやって落ちていく。これは治ゆではないの、その人。そうやってじわーっとね。おそらく加齢だと思うのです。だんだん呼吸機能が悪くなっているのです。これは治ゆではなくて治療の人ですか、この人は。

○医療監察官
 じん肺のは若干特殊なところがありまして、じん肺管理4ということであれば、これは法律上も療養が必要だと区分されているものですから、普通の病気ですと、それが積極的な治療が必要なのかどうか、かつ症状が安定していたかどうかということで見るのですが、じん肺の場合は管理区分4ということであれば、もうそれは療養が必要な者なのですよということにされているのです。それも法律を変えれば別なのですが、そうではない限りは、医学的な問題というよりは、法律の仕切りの話として、もともとそういうようなものなのです。ずっとフォローしていかなければいけないような病気なのだということを前提にして、法律が出来上がっているということがありまして、その方については、ずっと診ていくという。

○課長補佐
 そういう話ではないのだろうと思います。

○医療監察官
 じん肺の人ということでは特に限らないわけです。例えば呼吸がだんだん弱くなるなり困難になるというのは、たぶん人間全員がそうだろうと思うのです。これは肺の機能だけに限らず、いろいろな機能は全部退化して落ちていくわけです。厚生労働省の制度で考えているのは怪我でも病気でも同じですが、治療をしたと、もうここで治療はいいですよ、終わりですねと言った段階で、どうしても残ってしまう後遺障害を後遺障害として補償の対象としましょうと。呼吸もたぶん顕著だろうし、例えば腰とかもだんだん曲がらなくなってくる、そういうことももちろんあるわけです。それもこれ以上治療してもこれ以上よくならないという段階で1回障害として評価をする。その後、普通の人でもそうでしょうけれども、だんだん腰が動かなくなってくるというのは、別にその怪我とは関係がないのですからそれはうちとは関係ないと、全部そういう整理がされています。
 先生が先ほどお話されたのでいえば、たぶん何らかの肺に関係する病気で治療をしましたと、そして治った。でもやはり呼吸困難という問題が生じた。例えば後遺障害として労災として評価して保障した。その後だんだん年をとってくれば、だんだん悪くなってくる。これはいわゆる加齢現象として評価すべきものだろうと思います。中には病気の種類によっては、普通の加齢現象ではない病気の影響によってというケースがあるのかもしれませんが、そういうふうな整理だと私どもは考えています。

○人見先生
 そうすると咳・痰があるようなのは、一応治ゆとは考えずに切っておくということでよろしいですか。加齢のものは切り離す。

○医療監察官
 加齢と評価をすべきものであれば、私どもが対象とするものではないということになります。

○人見先生
 咳・痰を切るけれども、酸素吸入は入れるのですね。酸素吸入を要する段階で、一応安定したら。

○医療監察官
 逆に言うと、酸素療法が不可欠である。やめたら睡眠時に著しい呼吸困難になってしまうとか、もう離せないのですと。これは実はほかの部会でも透析療法をしているような人は、透析療法をしたからといって、どんどん良くなるわけではなく、その状態が保たれているだけで、やめてしまったらすぐに安静時に尿毒症になるような人、これはその治療が不可欠です。その治療をすることによってようやく症状の安定が図られているという方については、治ゆにはしません。

○横山座長
 酸素療法と関連しているのですが、12頁の下から6行目に「肺機能の低下により酸素療法等の積極的な治療」云々という言葉があるのですが、酸素療法というのは別に積極的な治療ではないと思うのです。

○医療監察官
 これを私どもの。

○人見先生
 これ表現を少し変えたらね。先ほどもどなたか先生が言われましたが、とにかく文章が長いので、センテンスをパッと切っていただけますか。

○奥平(雅)先生
 私はいまの呼吸機能、肺機能の客観的指標としてどういうものがあるか。これは専門家の中でも、なかなか難しい問題があるかもわかりませんが、一応、客観的指標としていま上がっている3つのもので判断するということを決めた上で、そしてできれば測定の標準化とか、あるいは記録の標準化、それから判断されたもの、どうしてそのように判断したかという理由書とか、そういうものを全部付けて、検査された人以外の人が判断するシステムを作る。そのときに肺機能以外、検査の結果以外に何か特別に考慮すべきこと、特記すべきことがあれば、それはそこにまた記入するようなところを作るというシステムをとっていけば、かなり公平に全国斉一的に判断できるのではないかと思うのです。ただ、どういう検査があるかといって、検査の数をただ増やしていけばいいという問題ではないと思うのです。

○横山座長
 ただ難しいのは、検査の項目だけでは全国レベルのドクターとか臨床検査技師の腕前というとまずいかもしれませんが、検査成績の信憑性の点について、バラつきがなかなか取れないのです。避けられる誤差はできるだけ避けるような方法でものを考えていかなければならないし、システムづくりもしなければいけないだろうと思います。これは大いに努力をしなければいけない。そのことに関連しては、私も発足以来ずうっと関係していて、肺機能のセミナーということで講習会をやってきました。大体今までに1万人を超える受講生に対して、こういう点は気をつけなさいよということをやっています。昔に比べるとずっと良くなっていると思うのです。ただ、いま先生ご指摘の点については、やはり報告書の段階で一言、是非、私が触れなければいけないと考えています。

○医療監察官
 そうしますと、客観的な基準で評価をしていくのですと、そして、いまのところ、追加していただいてもいいのですが、一応この場でのコンセンサスとしては、動脈血の酸素分圧と炭酸ガス分圧と、%1秒量を1つ、客観的な指標として見ていったらどうか。それの組合わせで考えて、次回以降、どのように組み合わせていったらいいのかということについて、たたき台を示させていただく、というコンセンサスが得られたという理解でよろしいでしょうか。

○横山座長
 私は「一応」という言葉は嫌いなのですが、今日は一応そういうふうな話題になりましたが、先生方がお帰りになってから、あれはやはり入れたほうがいいのではないかということが、きっと出てくると思うので、そのできた資料をあらかじめ持ってきていただく。

○課長補佐
 そうですね。是非そうしていただいて。今日の議論ですと、私どもの用意したたたき台の案とは相当乖離があるというふうに思います。そうすると、私どももこれをどう修正していいかという、たたき台の作りようがいまないなというのが正直なところです。ですから、次回2月15日ですがその1週間ほど前ぐらいにいただければ、それを資料の形に私どもで体裁を整えさせてという形にできると思うのです。大きな文章、そんなに長い文章で書いていただかなくてもいいのですが、骨子としてこういうふうにすれば障害の評価ができるのではないかというものを、先生方いろいろお考えがあるようですので出していただいて、それを次回の資料の形にさせていただくような形にしかとれないかなという感じです。

○横山座長
 もう少し議論を煮詰めないといけないと私は思うのです。取り上げるパラメーターを3つに限定するというのではなしに、もし、ほかにもこれも、どうしても自分は入れないといけないと思うというものは、おっしゃっていただき、メモ程度のものを神保さん宛で送っていただくと好都合かと思います。

○課長補佐
 メールでも郵送でも結構です。

○医療監察官
 今日は指標のところはとりあえず3つ候補が上がりました。客観的な基準でみていきましょうというところは、先生方、一致をしていただいたというところでまとめて、どういう指標に着眼するかを次回、先生方からもいただいて、それをお出ししてご議論をいただくということでお願いをしたいと思います。
 まだ10分ほど時間があります。安静時のほうはメモで次回ご議論いただくのですが、運動負荷の話に、もし先生方でこんなのがあるということがあれば、議論というよりはご意見をいただいておいて、次々回の参考になればなと思っています。

○斉藤先生
 50m歩くという話はいいのではないですか。患者に負担にならないという意味では、よくできた考え方かなという気がしているのです。

○人見先生
 肝移植適応基準のほうでは6分間歩行が多いですね。

○斉藤先生
 6分間歩行というのは、ものすごく長いのです。軽い運動障害を引き出すためには6分間のほうがいいのですかね。私どもなどではお年寄りが多いせいか、病棟を半周ちょっとすると、50mぐらいで、それで変化が必要だと、とても働けないよねという感覚をもつのです。50m歩くというのはヒュー・ジョンズのIV号になる線なのでしょうか。それは1つの考え方かなということは考えています。

○医療監察官
 6分とか10分とかいうのが多いものですから、資料には入れたのですが、どうかなということで、先生方のご意見も。

○人見先生
 肝移植が済んだあとは、だんだんいいのを先生に診てほしいというので6分間はやはり頑張ります。肺移植の前ですと、今度適応に入りたいですから、あまり頑張らないのです。

○横山座長
 その辺が難しいところです。

○人見先生
 本人の努力がものすごく関係するから、6分が長いから、ひょっとしたら50mのほうが影響が少ないかもわからない。

○横山座長
 運動負荷試験そのものが、バラつきや何かを考えると難しいと思います。

○斉藤先生
 運動試験は確かに私は辛いのではないかと思うのです。今までの運動負荷試験というのは、特に最大酸素消費量まで引っ張るような運動負荷試験がずうっと主体でしたから、それはいくらなんでも無理だなという感じはしますね。働けるか働けないかの認定の話なのですから、もっと軽いところでわかるような指標が欲しいという感じがします。

○奥平(雅)先生
 いまの歩行試険のとき、50mとか何分でもよろしいのですが、リズムについては何か決まった指標があるのですか。

○斉藤先生
 これはまだ、その辺は試行錯誤の段階です。ここで田口先生がやられているのは50mを1分で歩くという発想でやっています。1分間で歩けるかどうかというのは仕事量として評価できるのかなと。いま私たちは自然に、楽に好きなように歩いてごらんという格好で歩かせたりしているのです。

○奥平(雅)先生
 でも、心電図などはピーピーという音がして、それに合わせて上がったり下がったりしていますね。そうすると確かに負荷量というものが大体決まってくると思うのです。

○斉藤先生
 どこででも同じような格好でやれる検査法という話になると、どうなのでしょうか。そういうことは可能ですか。階段を上がるというのも、なかなか辛いかなと思います。

○横山座長
 検査を日本中どこでやっても同じような結果が出るということは、私も大変大事なことだと思うのです。ベテランの先生がおられる病院で良い成績が出たから、では全国にそれを拡げてやってもいいのだということになると、なかなか難しいところがあると思うのです。なるべく再現性の高い、精度の高い検査方法に限定していく。その検査の成績で説明がつかないような患者の訴えだとか、症状、臨床身体所見がある場合には、何らかの方法を付け加えるというのは、私は必要ではないかと思います。その例外的な追加事項を認める余地は、ちゃんと作っておいてあげないといけないと思うのですが、基本のところでそれを折り込んでしまうと、なかなか難しい問題が出てくると思うのです。

○斉藤先生
 いまのこの話で、先生、先ほど炭酸ガスが下がる例があるというお話をしていましたね。私が診ていた患者の中で、特別肺機能も良くならないし、血圧も悪くならないのだけれども、運動をさせると、どういうわけか過呼吸になってしまって、自分で呼吸がコントロールできなくなってしまう一群がいたことは確かなのです。どう評価していいかいまだにわからないのです。 ただ、50mゆっくり歩けといえば歩けるから仕事はできるということになるから、軽い認定になるからあまり問題にならないのかなと考えるのです。もうちょっと考えてみると、1つにはメンタルな問題もあるような気がするのです。例えばじん肺の患者に心理テストをやってみると、うちの病院などでは大体75%に心因性の何らかの傾向があって、うつ的な傾向がある。それが呼吸困難とか、過呼吸みたいなものがそういう部分をつくっているのか、心因的ものでそういう過呼吸をつくっているのか、その辺はわからないのです。もし救える道があるとすれば、そういう因子までこの場合議論の中に入ってくるのでしょうか。

○横山座長
 このワーキング・グループの時間は限られているものですから、あまり細かい個々の問題について、どこまで触れられるかというのは、私は疑問があると思うのです。むしろ難しい問題は避けて通りたいというのが私の気持なのです。ただ、運動負荷にしても、労作能力ということから考えても、個々の患者でいろいろな問題がありうると思うのです。その点を何か拾い出すようなことは余地を残しておきたいという気がします。

○医療監察官
 次回は2月の15日、場所は16階の17会議室で2時半からです。

○横山座長
 今日はこれまでにして、先ほどお願いした点その他お気づきの点がありましたら、ご遠慮なくおっしゃっていただきたいと思います。どうもありがとうございました。


照会先  厚生労働省労働基準局労災補償部補償課障害認定係
 TEL 03−5253−1111(内線5468)
 FAX 03−3502−6488


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