戻る

「在宅と養護学校における日常的な医療の医学的・法律学的整理に関する研究会」
<在宅での、ALS患者さん以外の場合の、たんの吸引>の検討について

平成16年12月1日  委員 北住映二


 本研究会のテーマは、基本的には、家庭や、教育・福祉の場において急速に増大しつつある医療的対応のニーズに、日本の社会としてどのように対応していくのかという課題である。
 今回の検討対象である在宅ケースにおける吸引に限っても、その対象は、ALS等の成人難病患者のみならず、重症の障害児・小児難病患児、小児期からの障害による重度障害者、青年期〜壮年期の疾病や事故による重度障害者(いわゆる「遷延性意識障害」者その他)、および、脳卒中等によるおもに老人の重度障害者など、多岐、多数にわたる。さらに、養護学校や在宅のケースのみならず、(在宅と施設の中間である)グループホーム、通所・デイケアー施設、そして、老人施設などにおける吸引等の問題も、切実な課題であり、在宅ケースでの検討は、これらの場での、吸引等の在り方とも関連してくる。
 この問題は、重要な行政課題として、行政部局で言えば、小児医療、難病医療、在宅医療、在宅看護、老人保健・老人福祉、障害児者福祉の、担当部局から担当者が集まり、関係者の意見を汲み取りながら、医学的合理性、社会的合理性、法律的合理性、経済的合理性・医療経済的合理性を考慮し、従来の固定的な発想や個別利害を超えた総合的な検討が、継続的に積み重ねられてきていることが望ましいが、そのような検討の蓄積結果は提示されていない。
 このような中で、行政の枠内での本研究会が、短期間の間に一定の結論を出すことは困難である部分も多いが、研究会に与えられた期間内においては、
(1)在宅での吸引についての当面の対応として、必要かつ適切と考えられる事項
(2)期間内に結論を出せないが今後も早急に継続的検討を要する課題
を、整理しておくことが必要であると考える。

本研究会での、当面の検討課題・確認すべき事項は、以下のものであると考える。
A.総論的課題(基本的問題)についての、取り扱いの確認
 日常生活の中における痰の吸引など、医療行為と生活行為(生活援助行為)との中間にある行為について、どのように位置付け、その実施者や条件についてどのように考えていくか、についての現時点での取り扱いの確認と、今後の継続検討課題としての確認
B.各論的課題
1.現状の把握、検討
 (1)ALS患者さんへの吸引の、平成15年7月通知が出てからの実情と問題点の検討
 (2)吸引を要する在宅の人々の状況の把握
2.「吸引」についての医学的な整理
 (1)口、鼻からの吸引
 (2)気管切開部からの吸引の行為の、内容や範囲による実質的な危険度と安全度の確認整理
3.「吸引」が医師、看護師、家族以外の人々によっておこなわれる場合の条件の整理
 吸引の部位と、範囲
 安全性確保のための必要な手順
 必要な研修
 必要な手続き
 位置付け(業務として行うのか、ボランティアとして行うのか)
 医師、看護師以外の医療スタッフ(理学療法士等)による吸引についての整理

上記の検討事項の、いくつかの点について述べさせていただく。

A.総論的課題(基本的問題)
 日常生活の中における痰の吸引など、医療行為と生活行為(生活援助行為)との中間にある行為について(参考図、図1)、どのように位置付け、その実施者をどのように考えていくか、三つの立場があり得る。
(1)従来通りの「医行為」としての位置付けを維持しながら、法的解釈の柔軟化と条件付けにより、現実的かつ妥当な対応を行う。
(2)この中間的行為については、「医行為」ではなく、生活行為・生活援助行為とする。
(3)この中間的な行為については、「医療的な要素をもつ生活援助行為」として、従来の「医行為」とは区別される範疇の行為として新たに位置付け、新たな枠組の中で、柔軟な望ましい在り方(実施者や条件)を検討する。
 私は、基本的には(3)の立場で、「医行為」とされているための不必要な限定の枠を弊害が出ないように外しながら検討が進められていくのが望ましいと考える。そして、この範疇の行為について、さらに、実質的な危険性・困難性(実施者について言えば必要とされる専門性)によりグレード分けし、これを横軸にしながら、一方で、本人(受け手)と実施者の関係性を縦軸として、考え方を整理していくのが妥当であると考える。(図2.家族については、かなりの危険性を内包する「医療行為」でも許容されるように考えられてしまうのは、あまり意識されないにせよ、関係性の深さが実際の判断の大きな基準になっているからである。)
 本研究会では、時間的制約もあり、当面は(1)の形での議論を行っている。これは現段階では止むを得ないと考えられるが、「生活行為と考えて良い」という委員からの発言も出されている中で、研究会でこの基本的な課題について検討した結果の結論ではない。今後の継続検討課題として確認されるべきである。
 (1)の立場で議論を進めるのが、現時点ではやむを得ないとしても、この場合に、条件付きで許容された行為、許容された範囲以外のもので「医行為」とされている行為について、現場での実感や実質的なサービスの向上を越えた縛りが、かかり過ぎてしまい、ケアの受け手の利益を損なう危険性がある。換言すれば、悪しき波及効果を恐れるあまり、悪しき反対効果(抑制効果)を生ずる可能性があり、現にそのような不本意な結果が生じつつある。現場で既にメディカルコントロールの下に安全性を確保できるための条件を整えながら行われている行為や範囲について、本研究会の検討結果(報告)が、不必要にブレーキをかけ、その結果として現実に行われているサービス内容が低下したり、ケアの受け手の利益を損なうことになってはならないと考える。この件について、確認が必要であると考える。

B.1(2)吸引を要する在宅の人々の状況の把握
口・鼻からの吸引を要するケース(a)
気管切開ケース(b)
人工呼吸器治療ケース(c)
吸引を要する在宅の人々の状況の把握の図
 基礎資料として、これらの対象児者の状況を、把握しておく必要がある。
 小児での気管切開の在宅ケースについては、12月6日の研究会で、把握できているデータを報告したい。

B.2.「吸引」についての、医学的な整理に関して
(1)口・鼻からの吸引について
 これに関しては、平成16年6月24日付の、本研究会への北住の意見書に述べた。
 在宅において、学校よりもさらに切実な事情の中では、口、鼻からの吸引の範囲は、学校よりもさらに柔軟に考えられるべきである。
(2)気管切開部からの吸引について
(a)吸引行為の手順や、安全性・危険性
 気管カニューレ内の範囲の吸引は、気管粘膜を刺激・損傷する可能性は全く無く、吸引行為自体に伴う危険性は、基本的には無い。次の事項を守ることにより、安全に実施できる。
(1)適正な太さの吸引チューブを使用する
(2)実際と同じ気管カニューレ内に吸引チューブを通してみて、カニューレ入り口から先端までのチューブの入る長さを実測して目印をつけておき、そこまで吸引チューブを入れるのに留める
(3)吸引器の圧を適正に設定しておく
(4)清潔操作を守る
 気管カニューレ先端の周辺に痰が滞留していることも多く、より確実に吸引するために、カニューレ先端より、0.5〜1cm先まで、吸引チューブを挿入することが必要である場合も多い。この場合には、吸引チューブが、ある程度は気管粘膜に接触することもあるが、この部分の出血、肉芽、糜爛などの問題が無いことが内視鏡検査で確認されていれば、深く入れすぎないように(2)と共通した確認・手順を行いながら、(1)、(3)、(4)のポイントを守ることで、基本的には安全に吸引ができる。より慎重な対応が必要なケースでは、軟らかい材質で先が丸い吸引チューブを使用することで安全度が高くなる。
 さらに奥までの吸引が必要な場合もある。その場合には、次のような点が重要である。
(5)奥までの吸引の際には気管分岐部に吸引チューブが当たり、そこに出血することがある。これを防ぐために、吸引チューブを入れる深さは、気管分岐部の手前までとするのを原則とする。
 (X線検査などで気管分岐部までの長さを確認することは可能)
(6)吸引器の圧は、低めに設定する。
(7)先端の形状がより安全で、やわらかい材質の、吸引チューブを使用する。
(8)医師による定期的な内視鏡検査により、気管の状態を定期的に確認しておく。
 (参考資料−別紙1、別紙2、参照)
 気管からの吸引操作そのものによる合併症として、出血、肉芽の形成・悪化、気道粘膜細胞の線毛の障害、無気肺などがあり得る。しかし、それぞれのケースについて、医師が適切に管理し、上記のような各ポイントについて、医師・看護師・本人・家族が共同して手順や配慮事項を決め、指導・研修を受けた人が、その手順や配慮事項を守りながら吸引を行うことにより、このような合併症は防止することが可能である。
 肉芽ができている場合には出血も生じやすくなるが、肉芽の形成はおもに、気管カニューレの形状(角度など)の適合性の不良から生ずるものであり、医師による管理の問題である。ALS患者の吸引についての検討会で重大な危険性として出されている「気管内吸引での迷走神経反射による呼吸停止や心停止」の可能性について、11月26日のヒアリングで、人工呼吸器をつけた子の親の会から、1989年の会の結成以来そのような事例は生じていないと報告があったが、少なくとも私たち小児神経科医が関与する範囲での見聞では、長期的な気管切開患者において実際には生じていない。理論的にも、異物である気管カニューレが既に気管内に長期に存在している状態で、吸引チューブが入ることで新たな反射が生ずるとは考えにくい。
 参考資料(別紙2別紙3)は、私も含めた小児神経科医、耳鼻科医、小児集中医療専門医、看護師たちによる、研究グループが作成を準備しているテキストの一部である。今までの記述は、私だけの考えだけでは無く、多数の気管切開ケースに関わっているこのグループの意見である。さらに、現場で関わっている多くの医療スタッフの意見でもあると考える。
(b)「吸引」に付随する行為の問題
 人工呼吸器を装着しているケースにおいては、吸引に付随して、人工呼吸器回路と気管カニューレの接続の解除と、再接続が、必要になる。これについても、人工呼吸器そのものの停止や条件設定の変更が必要になる訳ではなく、そのケース毎の手順と配慮事項が遵守されている中で実施されれば、基本的には、安全に行われ得るものである。



(別紙2)

9.気管カニューレからの合理的な吸引法  (テキスト案の文章)

気道の分泌物を自力で外に出せない方では、太い気道がつまると呼吸が苦しくなり、出し切れない分泌物が肺にたまって無気肺や肺炎になったりします。このような状態を防ぐために、吸引によって気道を確保することが必要です。
望ましい吸引法は、分泌物をしっかり除去でき吸引操作による合併症が少ない方法です。


【1】日常の対応と準備
ネブライザーなどによって痰をやわらかくしたり、体位ドレナージなどで痰を気管に移動させておくと吸引しやすい。
吸引チューブ
使用する吸引チューブは外径が気管カニューレ内径の1/2以下でなるべく太い物を選ぶ
原則として、挿入の深さは気管カニューレの先端+0.5〜1cmまでとし、あらかじめ吸引チューブに目印をつけておく
吸引器:吸引圧力は原則は、20kPa(150mmHg)以下とする。
吸引チューブをコネクターのところで指で閉塞させ、指定の圧力になるダイヤルに目印をつけておく
○○さんの
 吸引チューブは 種類         太さ     Fr
  挿入の深さの目印:気管カニューレ入り口から     cm

吸引器の圧力は   kPa(mmHg)

【2】吸引手技

(1)吸引器をONにし、吸引器の圧力が指定の圧力であることを確認する
(2)吸引チューブを吸引器のホースと接続して、水を通して吸引できるか確認し浸漬液を洗い流す
(3)吸引チューブを気管カニューレに挿入する時から吸引をはじめ(=圧力をかける)すばやく目印の深さまで挿入する
 (ただし途中で分泌物の手応えがあるときはその場でとどまり吸引する)
(4)指の中で小さくまわしながらひきあげる
 (ただし途中で分泌物の手応えがあるときはその場でとどまり吸引する)
(5)
1回の吸引時間は、分泌物が引けないときは、5秒以内、
分泌物が引けている時は、10秒以内とする。
(6)吸引チューブの外側を、アルコール綿で清拭した後、水を通し、浸漬液に戻す。



(別紙3)
■ 原則の吸引手技では不十分な場合について
(1)分泌物がかたくて引ききれない
日常から吸入や人工鼻などによる加湿を十分に行い、分泌物を柔らかくしておく。それでも不十分なら下記の方法を試みる。
(a)吸引チューブをより短いチューブに変更する
(b)吸引瓶の容積を小さくする
排気量の少ない器械で、設定吸引圧まで上昇するのに時間がかかる場合は吸引瓶に水をある程度いれておくと早く設定圧まであがる
(c)吸引時間を15秒まで延長する
吸引チューブ内に分泌物がある時は無気肺の心配は少ないが、空気のみ吸引されている時は無気肺の危険が増すので素早くひきあげること
(d)吸引チューブを太くする
排気量の大きい器械の場合は空気のみ吸引されている時は無気肺の危険が増すので素早くひきあげること
(e)圧力を40kPaまでは上げてよい
ただし、気道粘膜の損傷を避けるため吸引チューブ挿入はカニューレ内までにとどめる

(2)気管カニュレ内まで分泌物をあげてくることができない(咳嗽が弱い)
体位変換や呼吸介助などでなるべく分泌物を気管カニューレ近くまであげておく
それでも不十分なら下記の方法を試みる。
カニューレを越えて吸引するが、気管分岐部直前までの吸引になるべくとどめる。

○○さんの 気管分岐部までの長さは、カニューレ入り口から    cm

気道粘膜の損傷の危険があるため、吸引圧は20kPa以下にし、あらかじめ決めてある深さまで吸引チューブを挿入してから、吸引をはじめる
吸引チューブの先端の形状がより安全で、やわらかい材質の物を使用する
 (先端開口なし、先端開口だがエアロフローチップ型のもの)
医師による定期的な内視鏡検査を行い、気道損傷の有無を確認しておく


【3】吸引操作による合併症とその原因
出血:深い吸引チューブの挿入と大きい吸引圧力
肉芽:深い吸引チューブの挿入、大きい吸引圧力
気道の線毛の障害:深い吸引チューブの挿入
無気肺:太すぎる吸引チューブ、大きな排気量の吸引器による長時間の吸引



図1(PDF:10KB)


トップへ
戻る