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2004年11月26日

「在宅及び養護学校における日常的な医療の
医学的・法律学的整理に関する研究会」御中

人工呼吸器をつけた子の親の会(バクバクの会)
会長 大塚 孝司

事務局:大阪府箕面市坊島4-5-20
箕面マーケットパーク
ヴィソラWEST1−2F
みのお市民活動センター内
電話(072)724-2007

非医療従事者による気管内吸引等のケアの実施について



目次


意見書提出に当たって

1.はじめに

2.当事者主権から「医療行為」を考える重要性
(1)「医療行為」が家族にのみ許される考え方の整理についての問題点
(2)「家族が行う「たんの吸引」に関する違法性阻却の考え方」について
(1)「目的の正当性」の考え方について
(2)「手段の相当性」の考え方について
(3)「法益衡量」の考え方について
(4)「法益侵害の相対的軽微性」の考え方について
(5)「必要性・緊急性」の考え方について

(3)結論として

3.「取りまとめ」にあたって

4.おわりに



非医療従事者による気管内吸引等のケアの実施について


 貴研究会におかれましては、ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。
平素は、病気や事故をきっかけとして人工呼吸器をつけ、または、同等のケアを必要としながら暮らしている人たちの安全な生活の実現やQOL(quality of life:生活の質)の向上のためにご尽力いただき、心より感謝申し上げます。この度、「ALS以外の在宅患者に対するたんの吸引行為に関する医学的・法律的整理」について検討されるとお聞きし、当会の意見をお伝えしたいと思います。当事者の命と思いを何より大切にしたい立場からの意見として、ぜひ受け止めていただきますよう心からお願いいたします。


意見書提出に当たって
 当事者の“命”と“思い”を何より大切にしてきた私たちからみれば、当事者の生活の場(自宅に限らない)において、「医療行為」と言われているたんの吸引等のケアは食事や排泄と同じ日常生活行為の一部であり、人工呼吸器等の医療機器もメガネや車イスと同じように失われた機能を補う「補装具」となっています。
 事実、現状はともかくとして当事者は、家族が退院時にケアの方法や機器の取り扱いについての研修を受けて「人体(当事者)に危害を及ぼしまたは及ぼすおそれ」(「医療行為」の定義)がなくなったからこそ退院、病院側も「医療行為」でなくなったからこそ退院を認めている。つまり、医療行為が退院時の“研修”によって「生活支援行為」になったと理解するのが自然ですし、当然だと思っています。
 にもかかわらず、退院後のケアをも医療行為と規定することは、24時間365日医師や看護師などの医療従事者がケアに関われない状況下で(もちろんそれを望んではいませんが)、あまりにも当事者の命と退院時の研修をないがしろにするものです。こうした当事者不在の考え方が、十分な研修も行わずに安易に退院させ当事者の命をも危険にさらしている現状を招いていると思っています。
 さらに、退院後のケアをも医療行為と規定することは、当事者の安全だけでなく生活のあり方にも大きく影響しています。当事者の生活の幅を狭め、当事者の自立と自立生活を阻害し、さらには、家族に学校への付き添いや家族介護を強制して家族に過大な負担を強いて、家族の生活をも奪い、結果として当事者の安全をも脅かしています。
 どんな障害があっても、地域で当たり前に生活し、自己決定・自己選択に基づく、“自分らしい生活”を送ることが保証されなければなりません。そのためのキーワードは、“当事者主権”と“研修”で、家族以外の非医療従事者も十分な“研修”を受けることで、「人体(当事者)に危害を及ぼしまたは及ぼすおそれ」(医療行為)がなくなり、文字通り生活支援行為としてケアを行うことが可能と考えています。


1.はじめに

 人工呼吸器をつけた子の親の会(バクバクの会)は、現在、全国に約300家族の正会員がおり、そのうち自宅で生活している子どもたちは200名ほどです。また、その中で、180名ほどが幼稚園・保育所、小・中・高等学校や大学、就労年齢者です。子どもたちは、人工呼吸器をパートナーに、それぞれの地域で様々な困難に直面しながらも、年齢に応じた当たり前の社会生活を送りたいと願い、道を切り拓いて来ました。しかし、それらの当たり前の生活を送るための最大の障壁は「医療行為」とされるケアの問題でした。
 今でも、幼稚園・保育園への通園、小・中・高等学校や大学への通学、施設への通所にあたっては、相変わらず親の付き添いを求められる状況が多々あります。さらに、昨年度より始まった支援費制度を利用して、様々な場面での社会参加のためにヘルパーのサポートを得たいと思っても、「医療行為がネックとなり結局利用できない。」という声もたくさん寄せられています。その上、先の「ALS患者の在宅療養支援」についての報告書および通知をきっかけとして、以前は柔軟に対応して下さっていた訪問介護事業所やボランティア団体からも、サービス提供を拒否されるという事態さえ生じてまいりました。これらのことは、子どもたち自身の自立と社会参加を確実に阻んでいます。
 このような状況の中、貴研究会が結成され、「ALS以外の在宅患者に対するたんの吸引行為に関する医学的・法律学的整理」について検討が始まり、当事者である子どもたちがいる当会としても、大きな関心を持っています。


2.当事者主権から「医療行為」を考える重要性

(1)「医療行為」が家族にのみ許される考え方の整理についての問題点

 ALS分科会の報告書や通知の中でも、ことさら医療従事者でない者がたんの吸引等の行為にあたることの危険性が強調されており、家族以外のホームヘルパーにALS患者に対するたんの吸引行為の実施が認められたのも、あくまで本来なら医療従事者がケアにあたるべきところを「やむを得ず」認めたとされています。

 そもそも、医師や看護師などの医療従事者でなければ安全に実施できないと強調されるこの「医療行為」が家族には認められているというのはなぜでしょうか。

 以前は、家族の場合“「医療行為」を「業」として行っているわけでないから医師法第17条に抵触しない”のだと言われていました。
 ホームヘルパーに吸引の実施を認めながら、「業務として位置付けられるものではない。」とされたのも、「医療行為」を「業」として成立させることによって医師法17条違反に問われることを避ける意味からであったのだろうと、私たちは推測しています。
 しかし、患者の安全を守るという観点から考えるとこの解釈にはいささか疑問があります。「危険な医療行為だが、家族だから実施してもかまわない」「事故があっても家族が責任をとるのだから問題ない」ということは、すなわち当事者側からすれば、「危険を承知で命を預けなければいけない状態」であり、決して容認できるものではありません。
 このような解釈の仕方とは別に、貴研究会では、「形式的には法律に触れるものであっても、それらの行為が正当化されるだけの事情が存在する場合には、違法性が阻却される」として、家族による医療行為の正当性が認められる要件として次の5点を示されました。

家族が行う「たんの吸引」に関する違法性阻却の考え方
(1)目的の正当性
(2)手段の相当性
(3)法益衡量
(4)法益侵害の相対的軽微性
(5)必要性・緊急性

 しかし、それぞれの正当性の定義をみると、それらの「医療行為」を必要とする当事者からすれば、到底受け入れられるものではなく、そもそも、「家族が行う「たんの吸引」に関する違法性阻却の考え方」から議論しても、何の問題の解決にもならないことを申し上げたいと思います。


(2)「家族が行う「たんの吸引」に関する違法性阻却の考え方」について

 (1)「目的の正当性」の考え方について

 「目的の正当性」として、「患者の療養目的のために行うものであること」があげられていますが、「ケアの目的」は、「患者の療養目的」にとどまるだけでなく、「当事者が社会生活を送る上で、必要なケアを適切に行うものであること」でなければならないと、私たちは考えます。

 広辞苑によれば、「患者」とは「病気にかかったり、けがをしたりして、医師の治療を受ける人。」であり「療養」とは「病気をなおすため、治療し養生すること。」だということです。したがって、目的の正当性を「患者の療養目的のために行うものであること」と表現してしまうと、日常的に医療行為とされるケアを必要とする人たちは、「常に医療従事者のコントロールが必要で、自宅のベッド上で安静に臥床していなければならない状態」の人たちであり、毎日の生活は、病院での生活の延長でしかないような錯覚を社会に与えてしまいます。言い換えると、家族の実施している吸引等のケアは、病院での医師・看護師等の「医療行為」の肩代わりをしているに過ぎないことになります。
 しかしながら、実際には、退院して在宅で生活するということは、急性期の容態とは違い、状態がある程度安定し、“その病気や障害についての生活上の注意点に留意し、必要なときに必要なケアが実施されれば日常生活を送ることができる”と主治医が判断したということが前提になっているはずです。しかも、在宅用医療機器の発達によって、以前ならば病院生活を余儀なくされていた多くの人々が、地域で当たり前に生活し、自己決定・自己選択に基づく、“自分らしい生活”を送ることが可能になってきています。
 この場合の在宅医療機器は、病気や障害を治すという“治療機器”的性格より、むしろ病気や障害によって損なわれた機能を補う「補装具的な性格が強いといえます。同様に、たんの吸引等のケアについても、「治療」というよりも、病気や障害により自力でできないある部分的な機能を補うために、一般の人たちとは“別の方法で”“他人の手を借りて”(自分の手による場合もありますが)実施している“身体機能の代替行為”と言えます。例えば、自力で鼻をかんだり痰を排出したりすることができないために「吸引」という方法を、自力で食べ物を飲み込めないために「経管栄養法」を、自然排尿が困難なために「導尿」という方法をとっているわけです。
 また、在宅生活へ移行する目的は、病院のベッドの回転をよくするためではなく、当事者の生活の質(QOL)を向上させ、病気や障害とうまく付き合いながら、その人なりの日常生活や自立、社会参加を実現させるということであるはずです。実際に当会においても、初めに述べたように人工呼吸器をつけている子どもたちの生活は、家のベッド上だけに限定されたものではなく、ハンディキャップはあっても、ひとりの子どもとしてそれぞれ“その子らしい”生活を送っています。通園施設や養護学校等に通っている子どもたちもいれば、地域の保育園、小・中学校、高校、大学に通っている子どもたちもいます。公共交通機関を利用して買い物や映画にも出かけます。旅行やスキー・登山や海水浴・プールに出かけることを楽しみにしている子どもたちもいれば、地域のお祭りや子ども会活動に参加する子どもたちもいます。
 このようなことから、「ケアの目的」は、「患者の療養目的」にとどまるだけでなく「当事者が社会生活を送る上で、必要なケアを適切に行うものであること」と考える視点が重要になります。

 (2)「手段の相当性」の考え方について

 「手段の相当性」については、家族による医療行為の正当性が認められる要件のうち「最も重要な要件」とされ、正当性が認められるのは、次のような条件下で「たんの吸引」が実施されている場合と説明されています。

医師・看護師による患者の病状の把握
医師・看護師による療養環境の管理
たんの吸引」に関する家族への教育
適正な「たんの吸引」の実施と意志・看護師による確認
緊急時の連絡・支援体制の確保

 ご存知のように、人工呼吸器をつけていたり、同等のケアを必要としたりする場合、医療機関は、日常の医療上の指導管理の診療報酬として「在宅療養指導管理料」を算定します。この算定にあたっては、

「当該指導管理が必要かつ適切であると医師が判断した患者について、患者又は患者の看護に当たる者に対して、当該医師が療養上必要な事項について適正な注意及び指導を行った上で、当該患者の医学管理を十分に行い、かつ、各在宅療養の方法、注意点、緊急時の措置に関する指導等を行い、併せて必要かつ十分な量の衛生材料又は保険医療材料を支給した場合に算定する。」
「在宅療養を実施する保険医療機関においては、緊急事態に対処できるよう施設の体制、患者の選定等に十分留意すること。特に、入院施設を有しない診療所が在宅療養指導管理料を算定するに当たっては、緊急時に必要かつ密接な連携を取り得る入院施設を有する他の保険医療機関において、緊急入院ができる病床が常に確保されていることが必要である。」
(平14 保医発0308001)

とされています。
 しかし、残念ながら、人工呼吸器装着等の在宅療養患者の急激な増加と反比例して、この点の認識があいまいとなり、一部の病院では、容態が不安定なままに一方的に退院を勧めたり、家族に十分な指導も行わず、安全に過ごすためには欠くことのできないパルスオキシメーター(経皮的酸素飽和度測定器)等のモニター機器の貸与や十分な物品の支給がされないまま、安易に在宅生活へと移行させたりしています。その結果、非常に危険にさらされているという実態が浮き彫りになっており、危機感を抱かざる得ない状況にあります。不幸なことに、家族に対する指導や情報提供が不十分であったために、退院後まもなく命を落とさなければならなかった事例もあります。また、緊急時の連絡・支援体制についても、整備されているとは言い難い現実があります。
 したがって、家族による医療行為が正当化されるためには、何より在宅療養へ移行する際に、きちんとした家族への教育を医療機関が実施するよう徹底し、緊急時の連絡・支援体制の整備をすることが大前提です。これらが不十分なまま、見切り発車的に医療行為といわれるケアを家族が担わされ、綱渡り的な在宅生活へと移行させられる人たちが増加している現状が、まず問われなければならないのではないでしょうか。


 ところで、先の「ALS患者の在宅療養支援」に関する報告書・通知では、次のように、ことさら医療従事者でない者がケアにあたることの危険性が強調されています。

「気管カニューレ下端より肺側の気管内吸引については、迷走神経そうを刺激することにより、呼吸停止や心停止を引き起こす可能性があるなど、危険性が高いことから、家族以外の者が行うたんの吸引の範囲は、口鼻腔内吸引及び気管カニューレ内部までの気管内吸引を限度とする。特に、人工呼吸器を装着している場合には、気管カニューレ内部までの気管内吸引を行う間、人工呼吸器を外す必要があるため、安全かつ適切な取扱いが必要である。」
(平15 医政発第0717001号)

 当会(正会員・賛助会員約700名)には、1989年の結成以来、会員家族や医療関係者から様々な情報が寄せられてきましたが、その中で、実際の生活において、通知が指摘するようなトラブル事例は、1件も発生してはおりません。反対に、十分な退院指導がなされていないことや家族の疲労に起因すると思われるトラブル事例やヒヤリ・ハット事例は驚くほどたくさん報告されています。
 これらのことから、わたしたちは「たんの吸引」等の個々の行為そのものが危険であるというよりも、家族に対して十分な教育がされていないことや後述する「医療行為」が家族に限定されていることにより危険性が生じていると考えます。
 このことは言い換えれば、家族や家族以外の者に十分な教育が実施されているならば、危険性がなくなり、安全にケアすることができるということです。日常的に必要なケアのうち「医療行為」と呼ばれるものも、十分な研修によって「人体に危害を及ぼすおそれ」がなくなった時点で、その性質が「生活支援行為」へと変化し、医療従事者でない家族や家族以外の者であっても行為を実施できるのだと私たちは考えます

 (3)「法益衡量」の考え方について

 「特定の法益侵害」と「その行為を行うことにより達成されることとなる法益(その行為を行わないことによる法益侵害)」とを、「比較衡量」することによって、正当性が検討されています。つまり、「「たんの吸引」が家族により行われた場合の法益侵害と、在宅療養を行うことによる患者の日常生活の質の向上を比較衡量」した場合、後者の方が法益が達成されるから正当であると説明されているわけです。

 現在、非医療従事者による「たんの吸引」等の医療行為の実施を認めるかどうかということが行政的課題となっているのは「家族が24時間体制で介護を行っているなど、患者・家族の負担が非常に大きくなっており、その負担の軽減を図ることが求められていた」状況が長く続いているからです。
 つまり、日常的に「たんの吸引」等の行為を必要とする人たちの毎日の生活を家族だけで支えるには限界があり、日常生活の質の向上どころか、生きるための最低限のケアを安全に受けることさえ危ぶまれ、当事者の命が危険にさらされている極限状態が続いている事例も少なくない状況だということです。
 憲法第25条を持ち出すまでもなく、病気や障害があっても、また家族ひとりひとりにも、ひとりの人間として「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」はあるはずです。さらに、常に家族に依存しなければならない生活が続くことは、子どもたちの精神的・肉体的自立をも阻むことになります。病気や障害があっても、どんな毎日を送りたいか、どのように生きたいかについては、本人の思いが尊重されるべきですし、それらの思いが家族以外の介護が認められないことによって、左右されていいはずがありません。
 したがって、当事者の安全と日常生活の質の向上を目指すならば、日常的なたんの吸引等の医療行為については、生活支援行為として、家族以外の人が当事者の自立をサポートしたほうがはるかに有益と言えます
 実際にこれまで養・聾・盲学校はもちろん一般の保育園、小・中学校などにおいても、先生方に「たんの吸引」等のケアに前向きに対応していただいた事例もありますが、特に何も問題は発生していません。それどころか先生方にとっては“その子どものより深い理解にもつながり、指導にも生かすことができる”、危険回避の名目で初めから活動に制限を加えるのでなく“病気や障害があってもいろいろな活動に参加できるように教育内容に創意工夫を凝らすことができる”ようになっています。また、そんな先生方の姿勢を見て周囲の子どもたちも、病気や障害のあることを特別視しないで積極的に関わろうとするようになります。さらに、何より当事者本人の安心感につながり、親からの自立心が芽生え、他者へ関わろうという積極性も出てくるなど大きな成果も生まれてきていることが報告されています。
 逆に、先生方がことさら危険視してケアに関わろうとしない場合の方が、「必要性」「緊急性」に気付いてもらえず、緊急事態のときも普段からケアに関わってないためにどう対処していいかわからず、子どもが苦しい思いをするなど、トラブルにつながる事例が多く発生しています。

 (4)「法益侵害の相対的軽微性」の考え方について

 「法益侵害の相対性軽微性」については、正当性を考えるときの要件として、次のふたつがあげられています。

侵襲性が比較的低い行為であること

行為者は、患者との間において「家族」という特別な関係(自然的、所作的、原則として解消されない)にある者に限られていること(公衆衛生の向上・増進を目的とする医師法の目的に照らして、法益侵害は相対的に軽微であること)

 家族は、「たんの吸引」にとどまらず、生活上必要なケアすべてについて、退院の際に病院から研修を受けて行っています。「気管内吸引」だけを例にとっても、厚生労働省通知にあるように「呼吸停止や心停止を引き起こす可能性があるなど、危険性が高い」行為であれば、それは「侵襲性が比較的低い行為」とは言えず、家族が実施することの正当性にはなり得ないでしょう。
 また、貴会での検討の対象は「たんの吸引」に限定されていますが、家族は人工呼吸器の管理も含め、必要なケアをすべて担っています。そうしなければ、当事者の安全で快適な生活は成立し得ません。当事者の生活をサポートする趣旨であれば、日常的に必要なケアのうち「たんの吸引だけを取り出して、非医療従事者に認めるか認めないかを議論するのはナンセンスです

 次に、「行為者」が「「家族という特別な関係に限られている」という点ですが、家族に限られているからこそ、学校等への親の付き添いや家族介護の強制があり、退院したくても退院できなかったり、家族が病気になったり死亡したりするなど何らかの理由でケアすることができなくなると施設や病院に再入院しなければならなくなるわけです。
 ひとりの子どもの当然の権利として、他の子どもたちと同じように学校等への通学を希望しても、日常的に「医療行為」と呼ばれるケアを必要とする場合、多くの場合、親の付き添いを求められます。親は夜間も介護にあたっているわけですから、24時間介護となります。この合間を縫って、当事者の兄弟や高齢家族の世話をしたり、家事をこなしたりせねばならず、常に疲労困憊しているのが現状です。
 この状態では、例えば、夜間に人工呼吸器の警報装置が鳴っても気付くことができず、緊急事態になりかけたという事例や、実際に子どもが亡くなってしまった事例も発生しています。また、介護に当たっている家族は体調を崩しても、夜間に介護のために起きられなくなることを恐れて、催眠作用のある薬(風邪薬など)を飲むこともできません。これでは介護者の健康を維持することもできませんし、介護者が倒れるようなことがあれば、当事者はケアに当ってもらうことができず、即、命に関わる事態となります。
 施設入所でも日常的に「医療行為」を必要とする場合、在籍する養護学校に看護師が配置されていても、学校行事に参加するには親の付き添いを強要されることがあります。親が付き添わない限り、施設内での訪問教育以外の学校生活には参加できないのです。
 入所していても社会参加する権利はあるはずです。日常的にたんの吸引等の「医療行為」を必要としない入所者は、ボランティア等を利用し外出や宿泊を伴う旅行など、様々に人生を楽しむことが出来ます。一方、「医療行為」を必要とする入所者は“家族”が付き添わない限り、散歩などの外出さえできません。家族がいなくなった場合、当事者は一生を施設の中だけで過ごす事になってしまいます。
 これらは入院生活者にも同様のことが言えます。それどころか、基準看護の病院であっても、事実上、日常的に欠かせない「医療行為」に対応する“要員”として、入院の際、親の付き添いを求めているといった、本末転倒な事例も跡を絶ちません。

 このように、「行為者家族に限定することが、結果として当事者の安全を脅かし、生活の幅を狭めている大きな要因となっています。
 さらに、学校等への親の付き添いの強制は、親が付き添えなければ学校へ行くことができない、つまり教育権の保障もままならないということになります。
 また、家族介護の強制は、当事者や主たる介護者だけでなく、他の家族、たとえば、当事者の兄弟は自分の学校行事(授業参観等)に参加してもらえない、怪我や病気という事態にもすぐには対応してもらえないなど、生存権に関わる大きな制約を受けることになります。

 したがって、介護者を家族に限定することは、医師法の目的が国民の健康と安全を確保することに照らすならば、法益侵害は相対的に軽微ではなく、きわめて大きく、医師法の目的に反することになるのではないでしょうか。さらに、家族が介護できなければ、当事者の意思に反して学校に通うことができない、退院したくてもできない、施設や病院に再入院しなければならないといった状況は、ノーマライゼーションの流れに逆行するものであり、憲法25条(生存権)や26条(教育を受ける権利)にも関わる重大な問題だと考えています。

 (5)「必要性・緊急性」の考え方について 

 「必要性・緊急性」については、「早急にたんの吸引を行わなければならない状況が不定期に訪れるが、医療資格者がすべてに対応することは困難な現状にあり、たんの吸引を家族が行う必要性が認められること」が挙げられています。

 当事者にとってケアが必要な状況が訪れるのは、24時間・365日、日常生活全般に渡っており、予測することは困難です。生活場面も家の中だけ、ベッド上だけに限定されているわけではありません。社会生活の中で行っている活動の内容も当事者それぞれ異なっています。必要とする期間も限定されているわけではなく、その人が生きている限り継続して必要なわけです。
 したがって、現状はもとより、将来的にも「医療資格者がすべてに対応することは困難」な状況は変わらないでしょう。
 だからこそ、退院後の日常生活で欠かせないケア医療行為として扱い続けること自体に無理があり、今後は生活支援行為として取り扱っていくべきだと私たちは考えています。


(3)結論として

 以上のことから、私たちは「日常的に欠かせない医療の医学的・法律学的整理」をされる際に、次のような方向で検討していただくよう提案します。

【1】「当事者主権」および「研修」をキーワードとして考える。

【2】
当事者は、家族が退院時の「研修」によって、「人体(当事者)に危害をおよぼすおそれ」(医療行為)がなくなったからこそ退院。つまり、医療行為が「研修」によって「生活支援行為」になったと解釈する。
逆に言えば、「人体(当事者)に危害をおよぼすおそれ」がなくなるような「研修」を行うよう医療機関への指導を徹底する。

【3】同様に、家族以外の者も、そうした「研修」を受けることで「生活支援行為」として行うことが可能と考える。

【4】当事者主権に立った「研修」制度の確立を求める。
医療・看護職は、管理ではなくサポートを


3.「取りまとめ」にあたって

 これまで述べてきたように、当事者主権から「医療行為」を考えることにより、日常生活に欠かせないケアは、「生活支援行為」として発想の転換がなされるよう整理されるべきであり、それをベースに当事者がより安全で安心なケアを利用しながら社会生活が送ることができるよう課題の整理に当たっていただきたく、強く要望いたします。

 なお、今回の検討は「在宅患者のみを対象としていますが、先に述べたように、病気や障害を持っている人の生活の場は「在宅」に限られているわけではありません。重症心身障害児(者)施設などの“施設生活者”や、介護力が確保出来ない等の理由で本人の意に反し、在宅へ移行することもできず、定員の問題で施設入所もできず、病院での生活を余儀なくされている“入院生活者”についても、安全で安心なケアを利用し、主体的な社会生活を送ることができるようご留意いただきたいと思います。

 また、貴研究会は先に「盲・聾・養護学校におけるたんの吸引等の医学的・法律学的整理」について取りまとめを行っておられます。これは、今回の研究が文部科学省による養護学校における実践研究を踏まえての検討であったことから、検討の対象が「盲・聾・養護学校」とされたのだと思います。しかしながら、在籍校の種類によって、教育権を侵害されることはあってはならないと私たちは考えます。

 さらに、先のALS報告書・通知では、実施できる「医療行為」の範囲が、

「口鼻腔内吸引及び気管カニューレ内部までの気管内吸引を限度」

 「盲・聾・養護学校におけるたんの吸引等の医学的・法律学的整理」では、

「咽頭より手前の吸引」
「咳や嘔吐、喘鳴等の問題のない児童生徒で、留置されている管からの注入による経管栄養(ただし、経管の先端位置の聴診器による判断は除く。)」
「自己導尿の補助」

に限られ、家族以外が当たることのできる行為が厳しく限定されています。
 これでは、教育に関して言えば、上記の3つ以外の行為が必要な子どもは通学できないことになってしまい、これまで以上に子どもたちに対する教育の場の分離と圧力が強まるのではないかという懸念を私たちは持っています。ヘルパーの利用についても、気管カニューレ内吸引だけでは当事者の生活をサポートすることはできず、家族の介護負担についても軽減されないことになります。
 私たちは、今回の取りまとめが、その内容によっては、かえって日常的に医療行為を必要とする子どもたちの保育や教育を受ける場や生活の場を制約する材料にされはしないかとの危惧を抱いています。
 教育面については、「盲・聾・養護学校」に関する取りまとめで検討を終了するのではなく、この取りまとめをきっかけに、どの子どもたちも、医療行為を理由に教育権の侵害を受けることのない方向でさらに検討を続けていただきたいと思います。そして、今後の「ALS以外の在宅患者に対するたんの吸引行為に関する医学的・法律学的整理」について検討される際にも、取りまとめの内容が、かえって当事者たちの生活の場を制約してしまう結果とならないように、留意していただきたいと思います。

4.おわりに

 近年の医学・医療技術の進歩によって、それまで病気や障害によって病院での生活を余儀なくされていた人々の生活の場が広がり、いろいろな場面での社会参加が可能になってきたことは、わたしたち国民にとって喜ぶべき恩恵であるはずです。
 しかし、せっかくの恩恵もケアの担い手やその担い手が実施できるケアの内容を制限されることによって、その人らしい生き方を選択しようにもかなりの制約を余儀なくされることにつながります。さらに、「当事者の自立」という面から考えても、医療従事者や家族だけに依存しなければならない生活では、限界があると言わざるを得ないということです。
 「日常的に欠かせない医療行為」の問題を考えるとき、ともすれば家族の介護負担の軽減の方が強調されがちですが、まず何より、当事者がよりノーマライゼーションの理念に沿った生活ができる方向で検討を進めていただきたいと強く要請いたします。

以上


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