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船員保険制度の在り方検討会 資料4
平成16年10月28日

船員保険制度の沿革

改正年 改正内容
明治32年 船員法の制定、商法に船員の保護規定が設けられる
大正9年 逓信省で海員保険制度の立案に着手(提出には至らず)
大正11年 健康保険法成立(対象は工場法、鉱業法の適用事業所)
大正15年 健康保険法施行
昭和13年 船員法(旧法)施行
昭和14年 船員保険法成立(3月)
昭和15年 船員保険法施行(6月)
昭和18年 船員法(旧法)の扶助を保険給付に繰り入れ、療養の給付(職務上)及び傷病手当金(職務上)の給付期間を6か月から9か月に延長(健保では業務上外を問わず6か月)
昭和20年
療養の給付期間2年に延長(健保19年に職務外の給付期間2年に延長、職務上は給付期間撤廃)
傷病手当金の給付期間2年に延長(船保独自)
葬祭料創設
昭和22年
労働者災害補償保険法、失業保険法が成立
これらに合わせて船員保険制度においても同様の制度を取り入れ、これに伴い船員保険特別会計を創設
船員法(新法)施行、これに伴い職務上の傷病手当金について最初の4か月は1日につき報酬月額の全額が支給されることとなった。
昭和23年
家族療養費の創設(健保は18年に創設)
家族葬祭料の創設(健保は22年に創設)
昭和28年 健康保険法に準じ療養の給付の給付期間を3年に延長するとともに、傷病手当金も給付期間を3年に延長(傷病手当金の給付期間の延長は船保独自)
昭和29年 分娩費、出産手当金、育児手当金の創設(健保は施行当初より)
昭和32年
健康保険法に準じ職務外疾病に関する国庫補助の導入
職務外の療養の給付について一部負担制の実施(下船後3月(職務外)は10割給付を維持)(健保は18年から実施)
昭和35年 職務上の療養の給付及び傷病手当金については3年の給付期間制限を撤廃(健保(労災)は19年から実施)
昭和38年
船員法の改正により総トン数20トン以上の漁船等に従業する船員について船員法の適用(船員保険の被保険者となる)
船員法に基づく行方不明手当金の創設
失業保険法に準じ改正
傷病給付金制度の創設
技能習得手当制度及び寄宿手当制度の創設
職業補導延長給付金の導入(失業保険法は35年に導入)
健康保険法に準じ職務外の療養の給付の給付期間制限を撤廃
昭和45年 船員法の改正により総トン数5トン以上の漁船等に従業する船員について船員法の適用
昭和46年
職務上年金について賃金スライド制の導入(労災保険法は27年に導入)
保険料の個別メリット制の導入(労災保険法は26年に導入)
昭和48年
健康保険法に準じ高額療養費制度を創設。
労働者災害補償保険法の改正に準じ通勤災害について職務上の保険事故として給付の対象
昭和49年
雇用保険法成立
労働者災害補償保険法に準じ特別支給金制度を創設
昭和50年 雇用保険法に準じ改正
所定給付日数に年齢区分導入
失業保険金日額の改善
個別延長給付、全国延長給付の導入
昭和51年
疾病任意継続被保険者制度の創設
賃金の支払いの確保に関する法律が制定され、労災保険と同様に被保険者に対する賃金の未払いがあった場合に、福祉事業として賃金の立替払いを実施
職務上に係る保険料の個別メリット制の拡充(船保独自)
昭和52年 労災保険法の改正に準じ職務上長期療養に対する給付改善(傷病補償年金相当)
昭和56年 職務外の療養の給付について、入院時一部負担制導入(健保は32年から実施)
昭和59年
健康保険法の改正に準じ改正
職務外疾病における本人定率一部負担制創設(1割負担)を導入
特定療養費創設
疾病任意継続被保険者前納制度の創設
雇用保険法に準じ改正
高齢者の適用除外(船保60歳、雇用65歳)
特例個別延長給付制度の創設
再就職手当制度の創設
高齢求職者給付金制度の創設
船保独自の改正
特別失業保険料の創設
昭和60年 基礎年金導入に伴う年金制度の一階部分の一元化と同時に、職務外年金部門を厚生年金保険制度へ統合
昭和61年 出産手当金が妊娠判明時から給付されることとなった(船保独自)
(国際条約に係る国内法令の整備の一環として行われた船員法改正に基づく改正)
平成6年 健康保険法の改正に準じ
入院時食事療養費創設
訪問看護療養費(家族)創設
出産育児一時金(配偶者)創設
移送費(家族)創設
平成7年
健康保険法の改正に準じ育児休業期間中の被保険者本人負担分の保険料を免除
雇用保険法の改正に準じ
雇用継続給付の創設
失業保険金日額の年齢別上限の設定
完全賃金スライドの実施
平成8年 労災保険法の改正に準じ介護料の創設
平成9年 健康保険法に準じ
本人一部負担を2割に改正
外来薬剤一部負担創設
平成10年 雇用保険法の改正に準じ
国庫負担率の引下げ
教育訓練給付制度創設
平成11年 雇用保険法の改正に準じ
介護給付制度創設
高齢求職者給付金の見直し
平成13年
健康保険法の改正に準じ
育児休業期間中の事業主負担分の保険料を免除
高額療養費の自己負担限度額の変更
雇用保険法の改正に準じ
失業保険給付体系の変更
個別延長給付、特例個別延長給付の廃止
再就職手当の支給額変更
雇用継続給付の改善
教育訓練給付の上限額引上げ
国庫負担の見直し(本則の規定を適用)
平成14年
雇用保険法の改正に準じ職業補導延長給付の拡充
健康保険法に準じ
3歳未満の被扶養者の外来一部負担を2割に改正
高額療養費の自己負担限度額の見直し
平成15年
健康保険法に準じ
総報酬制の導入
本人一部負担を3割に改正
外来薬剤一部負担廃止
資格喪失後継続療養廃止(職務上疾病・下船後3月を除く)
雇用保険法に準じ
失業保険金日額の上下限引下げ
失業保険金の給付率の見直し
所定給付日数の見直し
職業補導延長給付の拡充
高齢求職者給付金の額の見直し
教育訓練給付の見直し
就職促進手当の創設
高齢雇用継続給付の見直し
(注) 改正内容については一般制度との関係で重要なものを中心に記載しているが、必ずしも網羅的にはなっていない。



(参考)
船員保険制度の経緯




出典:船員保険15年史 ((1)) 船員保険50年史 ((2))
船員保険法解説 ((3))  日本医療保険制度史 ((4))




 ○  海上労働者の保護立法は、沿革上、陸上労働者のそれよりも多少遅れて立法されている。明治の初頭、近代産業が主として政府の模範工場によって経営されていたことから、陸上官業労働者の災害補償を規定した「官役人夫死傷手当規則」が明治8年4月9日に(第54号達)、「各庁技術工芸ノ者就業上死傷ノ節手当内規」(第4号達)が明治12年2月1日に公布された。

 ○  一方、海上労働者の保護立法としては、明治12年2月19日に「西洋形商船海員雇入雇止規則」(第9号布告)が公布された。これは海員雇入の契約関係を規定したもので、西洋形商船の範囲、雇入の方式及び公認、雇入期限、雇止の方式及び公認等全文13条で成っていた。
雇入…乗船、雇止…下船

 ○  その後、明治32年、商法典海商編中に若干の規定が設けられ、同年3月7日船員法(法律第47号)が制定され、「西洋形商船海員雇入雇止規則」は廃止された。商法に規定された船員の保護規定は次のとおり。
1. 食事の給与 ・・・ 乗船中の食事は船舶所有者の負担とすること
2. 療養の給付 ・・・ 乗船中の傷病については、原則として船舶所有者において3ヶ月間治療及び看護の費用を負担すること
3. 療養中の給料の支給 ・・・ 職務上の傷病については療養中給料を支給すること
4. 葬祭料 ・・・ 職務上の死亡については船舶所有者において葬祭料を支給すること
5. 送還 ・・・ 雇止となったときは、雇入港まで送還すること
6. 解雇手当の支給 ・・・ 雇止の場合は、給料1月分に相当する手当を支給すること

 ○  海上労働者の保護については、法律の制定とは別に、当時欧州で行われていた「セイラースホーム」にならって、船員の福利厚生と技術の向上を図る目的をもって明治13年8月に海員掖済会が創立され、明治24年には海員掖済会の事業要領に「海員病院を設け無資の海員を施療する事」が定められた。

 ○  明治29年6月には、海員掖済会横浜会員寄宿所構内に病室が設けられ、貧困海員救療の道が開かれた。同30年6月には神戸に海員病院が設立され、同41年7月には大阪海員診療所が設立され海員の救療が実施されていた。

 ○  こうした中、船員保護立法の一環として、海員保険を実施すべしとの声が高まり、大正9年、逓信省は海員保険制度の立案に着手し、同10年12月には「海員保険要綱」(第1次案)を脱稿、大正11年第45回帝国議会に船員保険法案を提出する準備を進めていたが、提出には至らなかった。その後、社会局官制が定められ労働及び社会事業に関する行政が内務省傘下に統一されたことにより、船員保険の調査立案に関する事項も逓信省から内務省社会局に移管された。 (なお、第45回国会において健康保険法が成立し、その附則に「第6、政府は最近の時機に於て、船員の健康保険制度を立案して提出すべきこと」の一項が盛り込まれている。)

 ○  社会局は第57回帝国議会に船員保険法案を提出する予定であったが、衆議院が解散となったため、法案は提出されず第59回帝国議会に提出されることとなった。しかし、審議未了のまま会期が満了したため成案をみるには至らなかった。その後も社会局において調査研究は続けられていたが、昭和13年1月、厚生省が誕生し保険院が開設され、保険院保険制度調査会が発足し「船員保険制度案要綱」の審議が行われた。

 ○  こうして第74回帝国議会に提出された船員保険法案は、昭和14年3月24日可決成立し、同年4月6日法律第73号をもって公布され、翌年6月1日から実施される運びとなった。
(以上出典(1))

 ○  立法当時の制度の内容は、帝国臣民である船員であって、本法施行地に船籍港を定める船舶に乗り組む者を被保険者とし、疾病、負傷、老齢、廃疾、脱退、死亡を保険事故としていた。
 疾病、負傷に関する保険給付については、すでに健康保険法が施行されており、同法の内容とおおむね同様とされた。ただし、療養の給付及び傷病手当金の給付期間については、昭和12年に成立した船員法(旧法、昭和13年3月28日施行)において一定期間の船舶所有者の扶助責任が規定されていたところから、船舶所有者の扶助終了後6月間とされた(船員法上の船舶所有者の扶助責任が、船員保険法の給付によって代替されていたわけではない点が、現在の船員法と船員保険法との関係とは異なる。)。
(出典(3))

 ○  船員保険法は船員のみを対象とし、養老年金などの年金給付を含む総合保険であること、政府のみが保険者であること、分娩に関する給付は行わないことなど、当時陸上労働者について既に施行されていた健康保険法と著しく異なる特色を持っていた。これは海運業界がわが国にとってきわめて重要な産業であり、海上労働者つまり船員の量的、質的確保が重要であるにもかかわらず、勤務年限が青壮年期に限られ、短いこと、労働拘束時間が長く、激務であることなどから、ややもすると陸上勤務の職業に転向せんとする傾向が見られ、工場などの陸上労働者とは別体系の保護が必要であるという理由によるものであった。
(出典(4))


 船員保険法の主な改正経過

 ○  制度改正の全体を眺めるにあたって、個々の法律改正を行うに至った社会的、経済的背景がどのようなものであったかについては、法制定当時から太平洋戦争終結に至るまでの数年間は、戦時下、特に危険にさらされた船員に対する特別保護の色彩をもった立法が多く、また、昭和20年8月の終戦以後昭和27年4月28日にサンフランシスコ条約が締結されて独立するまでの数年間は、連合軍の占領下にあったため、連合軍の強力な指導のもとに法律改正が行われていたということができるであろうし、それ以後の改正については、社会情勢の安定と国民生活の向上に向かって、社会保障制度全般の改善が行われつつ、制度の充実が図られたものであって、ことに、最近における改正は、陸上の対応制度との均衡を図るためのものが多くなったといえる。

 ○  昭和18年における改正
 太平洋戦争がし烈化するに伴い、船員の労働力の確保が緊急の問題となったので、船員保険法の給付内容の改善がその対策の一環として行われ、また、福祉施設の根拠規定が法律に設けられた。

 ○  昭和20年における改正
 この年における法律改正は、太平洋戦争の情勢がますます緊迫の度を加えつつあったので、戦時優待特例の充実強化を中心の狙いとするものであって、労働者年金保険法の改正に即したものであった。
 昭和16年3月に制定された労働者年金保険法は、太平洋戦争のし烈化に伴い、戦力増強の一環として根本的改正が行われ、法律の名称も「労働者年金保険法」から「厚生年金保険法」と改正するとともに、適用範囲も拡大した。また、給付内容についても、業務上災害の完全補償という観点から特に業務上の災害についての給付内容を改善したものである。
 船員保険においても、適用範囲を予備員にも拡大し、職務上の災害についての給付内容を改善するとともに、遺族年金制度を創設するなど大幅な改正を行ったものである。

 ○  昭和21年における改正
 昭和21年における改正は、いわゆるポツダム勅令(昭和20年9月20日勅令第542号)に基づく勅令によって法律が改正されたものであって、改正の要点の一つは、連合軍最高司令部の指令「職業政策に関する覚書(昭和20年11月28日)」により国籍による被保険者の差別を撤廃したことであって、外国人も被保険者となることができるようになったことである。
(以上出典(1))

 ○  昭和22年における改正
 昭和22年5月3日、日本国憲法が施行され家族制度、地方行政組織など諸般の制度、法制が大きく転回したことにより船員保険法施行令についても遺族給付に関する遺族の範囲及び順位についての改正等が行われた。

 労働者の災害補償については、昭和22年4月労働基準法、同年9月船員法(新法)が制定され、事業主の無過失賠償責任の理念が確立した。失業保険については、昭和22年6月に成立した片山内閣のもとで発表された経済緊急対策のなかで失業手当制度の創設が明らかにされた。

 これらの背景のもとに昭和22年4月労働者災害補償保険法、同年12月失業保険法が成立したこれら陸上労働者の災害補償、失業補償制度の創設に合わせ、船員保険においても同様の制度が取り入れられるとともに漁船船員に対する適用が拡大されることとなった。
 改正の要点は、まず、昭和22年9月法律第103号による改正である。この改正は、陸上労働者を対象とする労働基準法の創設に合わせ船員法(旧法)が全面改正され、新たな船員法(新法)が創設されたことに伴う大改正である。改正内容は、第一に適用範囲の拡大であり、一般漁船の船員も船員保険の被保険者となるに至った。第二に船員法の災害補償の裏付けとなるべき給付を取り入れたため、船員保険法の給付内容も拡張(自宅以外の場所における療養に必要な宿泊及び食事の支給等)された。第三に船員法において船舶所有者の無過失責任の理念が確立されたことに伴い、災害補償に相当する給付について国庫負担をしない等の改正である。

 次に、昭和22年12月法律第235号による改正である。この改正は、陸上労働者に対する失業保険法の創設に伴い、船員の失業保険制度について船員保険制度の中で実施するための改正である。
 そのほか、船員の失業保険制度が創設されたことに伴い、船員保険の財政は、従来厚生保険特別会計の中で経理されていたのを船員保険特別会計が制定され、船員保険特別会計により経理されることとなった。これらの一連の改正により、船員保険制度は疾病、年金、災害、失業の各保険給付を含む、わが国唯一の総合社会保険制度の途を進むこととなった。
(以上出典(3))

 ○  昭和38年における改正
 船舶の造船技術、推進機関の進歩により総トン数30トン未満の漁船であっても、30トン以上の漁船とほぼ同様の操業ができるものと認められる状況となり、昭和37年の第40回国会において船員法の改正が行われ、同38年4月1日より20トン以上の漁船等に従業する船員が被保険者となった。

 同年8月、海上労働に従事する船員に特に多く発生する行方不明という事故に対応して、行方不明期間中の家族の生活を保障する行方不明手当金が創設された。

 ○  昭和45年における改正
 船員法の適用対象となる漁船の範囲については、船員法の一部改正により最終的には総トン数5トン以上のものまで拡大することとなった。しかし、漁船については比較的小規模、多数かつ多様であり、これらを一挙に適用することは事務処理体制からみて困難であることから、その円滑な実施を期するため、政令により段階的に適用していくこととされた。(第2次 昭和48年、第3次 昭和51年)

 ○  その後、労働者災害補償保険法の改正に準じ、昭和48年には通勤災害についても職務上の保険事故として給付の対象とすることとした。また、昭和49年には、船員保険の福祉事業として特別支給金制度を設け、同51年5月に「賃金の支払いの確保に関する法律」が制定されたのを受けて、福祉事業として被保険者に対する賃金の未払いがあった場合に賃金の立替払いが行われることとなった。

   職務外年金部門の統合
 昭和59年2月14日の閣議決定(「公的年金制度の改革について」)に基づく公的年金制度改革の一環として、国民年金、厚生年金及び船員保険について基礎年金の導入、給付と負担の適正化等を行うことを内容とする改正が昭和60年に行われた。

 この改正によって、厚生年金保険の被保険者及びその配偶者にも国民年金を適用することとし、国民年金制度をすべての国民に共通の基礎年金を支給する制度に改めるとともに、厚生年金保険は原則として基礎年金に上乗せする報酬比例の給付をする制度に改められた。また、船員保険の職務外年金については、年金制度の一元化の趣旨にかんがみ、制度的におおむね同一の内容を有する厚生年金保険に統合され、従来の船員保険の被保険者は厚生年金の第三種被保険者とされることとなった。
(以上出典(2))

(注) その他、一般制度の改正にあわせて船員保険制度の改正も行われているが、船員保険独自の主な改正を中心に記載している。


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