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II 生き方・働き方について考える

1.労働の歴史と勤労観の変遷

 日本社会は、工業社会からポスト工業社会へと移行する歴史的転換期を迎えており、現代の社会の現実的問題を踏まえつつ、新しい時代を切り開くパラダイムをつくりあげることが求められている。このため、工業化以前の歴史も含め、働き方や勤労観の歴史的な変遷をたどりながら、工業化以前の生き方や働き方、工業化過程で生じた問題をとらえ、その上で、今後の生き方や働き方について考えていくことが有益であるといえよう。

(自然と共生する稲作文化と多様な生業)
 狩猟・漁労によって生活を成り立たせてきた古代の人々に稲作文化による農耕文化が伝えられ、集団で協力して農耕作業が行われるようになった。また、そこでは自然との共生を図る様々な知恵が生み出された。日本の農業は耕作面積が小さく、大規模農業に発展することはなかったが、耕作条件をきめ細かく考え、自然の力を工夫して取り入れながら、自然と人間との循環的な関係が築き上げられてきた。
 一方、日本人は土地にしばられてきたのではなく、様々な収穫物や生産物を広範囲に交易してきたという事実も注目されるようになってきた。
 手工業品の生産力が高まり、多様な生業が広がると、その担い手である「職人」が生まれてきた。職人は熟練を研きながら活躍の舞台を広げていくこととなるが、自らが製作した生産物の流通に伴って、その社会的評価を通じて仕事に対する誇りや仕事に対する献身的姿勢を高めていった。
 職人が様々な工夫を凝らす態度を身につけ、熟練度を高めていったことは、農村において、様々な工夫がなされてきたことと底通するものがあり、職人の労働への態度は、農村に起源があるという見方もある。

(商業の発展と武士層の形成)
 江戸時代になり身分制度が固まってくると、農業、工業、商業の分業も高度に進展した。また、武士は、そうした社会全体の動きの中で、国を豊かにする「経世済民」の役割を担うことになった。
 武士は武家社会の序列の中で組織的に働くという態度を身につけるようになったが、同時に、それぞれの藩を富ませるために積極的な人材登用もなされるなど、組織や社会の運営を通じて、明治期以降の「経営者」層を準備したという歴史的な意義もあった。
 また、商業都市が形成され、特に、大阪が商業都市として発展した。そこでは、雇い主の世帯に住み込む「奉公人」が増加したが、そのキャリア形成パターンは、近代的な雇用関係に継承されている面が少なくなく、現代日本の雇用慣行の源流を、大阪の商家に求める見方もある。
 商家の奉公人は、年功序列と内部昇進によって特徴づけられるが、18世紀から19世紀にかけ、それぞれの商家の中に囲い込まれる傾向を強め、奉公期間が長期化したことが知られている。これらは、家族形成を抑制し、大阪市中の人口の減少につながった。

(近代工業の成立と熟練職人層の衰退)
 職人文化は江戸時代までは栄えたが、それ以降は元気をなくしてしまい、明治以降の近代的工業生産では、大工場に生産と労働が集約され、労働力はその中に囲い込まれていった。
 職人は、(1)道具・小設備を私有、(2)一人一人の技能が評価される、(3)技能は個人に体化され修行が必要、(4)仕事の仕方に自主裁量権がある、といった特質を兼ね備え、独立の気風を持っていた。
 また、職人社会においては、労働市場が成立しており、一人前の職人は、職場が気に入らなければ、転職することも日常的である反面、一人前になるための修行は、徹底したOJTの訓練によってなされた。
 近代工業の成立とともに、管理者の指揮・命令のもとで働く「雇用関係」が成立し、職人は次第にその権限を縮小し、工場労働の中へ囲い込まれ、養成されるとともに、独立の作業人としての特質や独立の気風も失われた。
 個々人の技能が重視される中小規模生産の分野では、職人が新しい技術に適応しつつ活躍を続けたが、今日、その事業の後継者を見いだすことは困難になってきており、「職人魂」の継承も先細っている。

2.都市と農村の生き方・働き方

(農村から都市への人口流入)
 都市は、古くから、宗教、政治的目的を中心に生産と切り離され、人々が集住する地域として成立していた。しかし、都市の人口規模が大きくなると、都市人口を養い、都市生活を維持するための社会的な生産力が必要とされ、農村も自給自足的村落から都市の生活に必要な物資を供給するための役割を担うようになっていった。
 一方、近代の工業化のもとで、工業生産の都市集中が進行し、都市は膨大な労働需要を生み出すこととなった。特に、戦後日本社会では、高度成長期の1960年代から、三大都市を中心に若年人口が流入した。
 農村は大幅に人口が減少し、1960年から2000年までに農家数は半減、世帯員数は1/3以下、基幹的農業従事者は1/5となった。

(都市と農村の生き方・働き方)
 都市は、人口の集中するところとして、政治的、宗教的活動のみならず、文化的、経済的、社会的な多様な活動の場としてとらえられる。このため、様々な情報が加工され流通し、人々の欲望を刺激するとともに、新たな価値観、流行を作り出すこととなった。都市は「革新性」、「開放性」を持つ反面、「忙しく」、「せわしない」生活と失業、スラム、道徳の頽廃等を生ずるという二面性を併せ持つこととなった。
 一方、農村は、農の営みとして、自然と直接関わりを持ち、自然と共存しながら、生存・生活に必要な食料、衣料及び住居に必要な原材料を供給してきた。自然と人間の調和的な関わりを通して生まれる「大らかな人間性」、「たくましさ」を養う反面、ムラ社会の因襲性や閉鎖性も存在した。
 都市における働き方は、商人、職人等の自営業者中心から、工業化の進行に伴い、企業組織の中で働く雇用者中心へと変化していった。また、無業者や失業者も発生した。組織での働き方は、企業の指揮下における従属的労働であり、自らの主体性が乏しく、拘束的であるといえる。これに対し、農村における働き方は、集団的であっても主体的意志に基づき、人格的同一性を保った働き方が可能であると評価できよう。

(現代における都市と農村の関係と意味)
 近年に至り、都市化や工業化によってもたらされた環境破壊(大気汚染、水質汚濁、土壌の汚染)や資源の浪費(熱帯林の消失)が問題視されるようになってきた。また、生活面では、失業や雇用の不安、収入不安ほか、職場における長時間労働や強い労働負荷からくるストレス、精神疾患、さらには自殺等の病理現象が発生し、問題視されている。若年層における失業、フリーター、無業者の急増なども、極度に工業化・都市化された人工的な環境のもとで、「生きる意味」や「働く意欲」が稀薄化したことに原因の一端があると考えられる。
 都市中心、企業組織中心の社会がもたらした弊害に対し、農村の自然との共生による循環型の生活や心を安らげる風景、自然との一体感などが見直されており、農村では出生率が高いことも注目されている。
 また、自然に生存する生物との直接的な関わりを通して涵養される、「大らかな人間性」、「たくましさ」などや、物事の本質を見抜く鋭い感性等の人間的能力は都市に偏重した生活からは、生まれない貴重な資質であると思われる。
 都市において失われてきたものに対し、農村社会には自然調和の循環型の特質や、その生き方、働き方から生まれる特性などがあり、農村に残る遺産に改めて注目し、その維持・発展の努力を注ぐことは、社会全体の文化的・社会的安定性にとって重要な意味を持つものと言えよう。
 ポスト工業社会は、人間の能力が中心になる社会であるべきであり、人間の持つ奥深い能力、エネルギーを回復するためにも、農村の役割を見直し、その維持・発展を図りつつ、都市と農村の社会的・人間的交流を深めていくことが重要である。

3.地域コミュニティー、家族の状況

(地域コミュニティーの衰退と再生に向けた動き)
 高度成長時代の工業化の過程において、各地域に存在していたコミュニティーは次第に崩壊し、地域における住民の共同意識は薄れ、コミュニティーを基盤とする様々な行事や活動も衰退してきた。
 地域コミュニティーは、これまで知恵や経験のある高齢者の活躍の場であると同時に、若年者が地域活動への参加を通じて一人前となるために必要なコミュニケーション能力や社会性を身につける教育の場でもあった。
 若年問題が深刻化する中で、地域の様々な団体による教育機能の重要性が再評価されている。また、高齢化が本格化する中で、企業退職後の生活が極めて長いことから、その間を、生き甲斐をもって生きていくための社会参加の場づくりが重要であり、その地域の受け皿として、地域コミュニティーに関する活動分野は有望であるといえる。

(懸念される家族機能の後退)
 かつての農村社会では、複数世代同居の大家族が普通であったが、近年は、地域コミュニティーが衰退すると同時に、核家族化も進行し、対面接触による日常的なコミュニケーションの場が少なくなっている。さらに、最近では単身世帯も増加している。
 最近では、雇用者世代が圧倒的になり、組織従属的な長時間労働が強いられる中で、男女ともに仕事と家庭の両立が難しくなっており、少子化進行の一因となっている。また、父親の長時間労働によって母親の孤立が進むとともに家族団らんの機会が奪われ、親子間の会話も乏しくなるなど子どもの養育環境が悪化している。子供が社会生活に最低限必要なコミュニケーション能力や規律・躾を身につける第一歩は、家庭であり、今後、こうした家庭機能を維持していくことができるのかが重要な課題となっている。

4.ポスト工業社会へ向けて

(工業化の中で失われたものへの再評価)
 「工業社会」においては、高度成長の結果、豊かな長寿社会がもたらされた反面、労働者の過度に組織従属的な働き方やそれに伴う家庭の団らんの消失、環境破壊等の弊害も目立ってきた。
 また、都市化により農村人口の大幅減少や地域コミュニティーの崩壊を招き、そのことが若年者を中心に様々な深刻な問題を引き起こしている。
 これらの問題を、より幅広い歴史的な文脈でみてみると、「工業社会」の諸側面が、あまりに突き詰められ進行したために、社会がいびつな形になってしまったことが危惧される。むしろ、「工業社会」とそれに伴う企業組織及び雇用関係は、長い日本の歴史の中では、近代において発生した特異なものであり、それ以前の日本人は、農民、職人、商人の歴史をひもといてみても、それぞれ、自主独立で自由な精神を持っていたと言える。
 将来社会を展望すると、IT化が進展し豊かで多様な消費ニーズによる経済のサービス化が進行するなど、「工業社会」と対照的に再び個人とその創造的活動に焦点が当たる社会が生まれようとしている。「ポスト工業社会」における働き方や社会のあり方を考えるに当たっては、人間本来のあり方として、工業化の過程で喪失した農の営みの重要性や自然との調和、地域コミュニティーや家族の役割をしっかり見据えることが求められる。


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