04/06/21 第1回痴呆に替わる用語に関する検討会議事録           第1回「痴呆」に替わる用語に関する検討会          1 日時及び場所   日時  平成16年6月21日(月)16:00〜18:00   場所  厚生労働省9階・省議室 2 議題 (1)「痴呆」に替わる用語の検討にあたって (2)痴呆性高齢者の現状及びケアについて (3)「痴呆」という用語について (4)これまでの用語変更事例 (5)意見交換 (6)スケジュールについて ○大島痴呆対策推進室長  定刻となりましたので、ただ今から「第1回「痴呆」に替わる用語に関する検討会」 を開催させていただきます。  はじめに、委員の皆様のご紹介をさせていただきます。お手元の名簿に沿いまして、 ご案内させていただきます。  聖路加看護大学学長、井部俊子様。  自治医科大学学長、日本医学会会長、高久史麿様。  エッセイスト、高島俊男様。ちょっと遅れてみえられるか、まだお着きになっておら れません。  日本エッセイスト・クラブ専務理事、辰濃和男様。  日本医師会常任理事、野中博様。  高齢者痴呆介護研究・研修東京センター長、聖マリアンナ医科大学理事長、長谷川和 夫様。  さわやか福祉財団理事長、堀田力様。本日は所要につき欠席でございます。  続きまして老健局の出席者を紹介させていただきます。中村老健局長でございます。 ○中村老健局長  中村でございます。どうぞよろしくお願いします。 ○大島室長   金子審議官でございます。 ○金子審議官  金子でございます。よろしくお願いします。 ○大島室長  私は、痴呆対策推進室長の大島でございます。よろしくお願いいたします。  それでは、議事に入ります前に、局長の中村よりご挨拶を申し上げます。 ○中村老健局長  改めまして老健局長の中村でございます。今般、「痴呆」に替わる用語に関する検討 会を設置させていただきましたところ、先生方におかれましては、快く委員をお引き受 けいただき誠にありがとうございます。  私ども老健局は、高齢者の健康問題や介護の問題を所管しております。具体的には、 介護保険制度などは私どもの所管しております行政でございます。その中でも、きょう テーマになっております痴呆性高齢者の問題は高齢化がますます進むということもござ いまして、また昔から痴呆性高齢者の問題が課題だとされておりますので、極めて重要 な課題だと考えております。  これからの我々の施策にとりまして、最も重い課題の一つであるというふうに考えて おります。後ほど、大島室長のほうからいろいろ資料のご説明をさせていただきますが 、お手元に『2015年の高齢者介護』という冊子を配布させていただいております。これ は、これから11、12年先になりますが、高齢化が2015年まで急速に進みますけれども、 この10年間でどういうことをやっていかなければならないかということについて、この 検討会の委員のお一人であります堀田委員に座長として作っていただきました「高齢者 介護研究会」で昨年の6月に取りまとめたものでございます。この中でも、これからの 高齢者介護は痴呆性高齢者に対応できる、そういった人たちこそをきちんと介護できる ケアでなければならない、いわば痴呆性高齢者介護をケアの標準にしていかなければな らない、こういうことを強く訴えている報告書でございます。  このように、痴呆性高齢者対策を、これまで以上に我々としては力を入れて取り組ん でいきたいということで、今大島がご挨拶申し上げましたけれども、この4月に痴呆対 策推進室を新たに設置してやっていこうと思っているところでございます。  私どもの広報誌で恐縮でございますが、ちょうど『厚生労働』の6月号が出たばかり でございますが、11頁に経過がでておりますけれども、この4月19日に全国3か所に設 置いたしております「高齢者痴呆介護研究・研修センター」の3人のセンター長から坂 口厚生労働大臣に、「痴呆」という用語は様々な問題があるので適切な用語に替えるべ きではないかという申し入れをいただいたところでございます。ちょうど大臣に長谷川 委員が申し入れをするときの写真がでておりますけれども、そういった経過がございま した。後ほど、正に申し入れの当事者でいらっしゃいます長谷川委員のほうから趣旨等 については直接ご説明いただきたいと思いますので、私のほうからは略させていただき ます。  坂口大臣はこの申し入れを受け止めまして、私どものほうにそういうことであれば用 語の変更に関して検討していただきたいと、それを受けましてこの検討会をお願いして いる次第でございます。  先ほど申し上げましたように、痴呆の問題はこれからの高齢者介護におきまして最重 要課題でありますけれども、これを進めていくためには、もちろん治療や介護に当たる 専門家の方々のお力はもとより、国民の皆さんのご理解とご協力を得て進めていかなけ ればならない性格の課題であるというふうに思っています。「痴呆」という用語がそう いった意味で、支障が大きいものであれば見直しを是非すべきというのが私どもの基本 的な立場でございます。しかしながら、言葉の問題でもございますし「痴呆」という言 葉に替わる適切な用語が見出し得るかどうかといったこともございますので、十分ご検 討を賜ればというふうに存じまして、この検討会をお願いしたところでございます。何 分、どうぞよろしくお願いをいたしたいと思います。 ○大島室長  ただ今、お着きになったばかりで申し訳ございませんが、ご紹介させていただきます 。エッセイストの高島俊男様でございます。よろしくお願いいたします。  それでは次に、座長につきまして、事務局といたしましては高久先生にお願い致した いと考えております。よろしくお願いいたします。それでは高久座長、議事進行をお願 いいたします。 ○高久座長  高久でございます。ここには長谷川先生がいらっしゃって、長谷川先生が本当はこの 検討会の仕掛け人であられるから、先生が座長のほうがいいのではないかと思ったので すけれども、あまり直接関係をしない者のほうがいいというようなご意見もありまして 、敢えてこの座長を引き受けさせていただきました。  このご要請を受けてから考えてみますと、確かに「痴呆」というのは並べてみますと 、かなり酷い言葉だなということを改めて思いまして、この検討会でもしもそれに替わ るいい言葉が皆さん方のお知恵によってできるならば、検討会の座長としても引き受け た甲斐があると思っていますので、よろしくお願いいたします。  それでは早速、議事に入らせていただきます。最初に、本日の配布資料の説明を事務 局からお願いします。 ○大島室長  (配布資料の説明。)  (資料1:「痴呆」に替わる用語に関する検討会開催要綱に基づき説明。) ○高久座長  皆さん方、資料全部揃っていると思います。それから、この検討会の取り扱いにつき ましては、今の事務局のほうから説明がありましたが、この提案どおりでよろしいでし ょうか。 ○委員一同  はい。 ○高久座長  どうもありがとうございました。それでは、まずこの「痴呆」に替わる用語を検討す るにあたりまして、「痴呆」という言葉を替える必要があるのか、また、どのようなこ とが問題になっているのかということについて、委員の皆さん方に共通の認識を持って いただくことが必要だと思いますので、その点につきましてこの検討会の提案者でもあ ります長谷川委員からご説明をよろしくお願いいたします。 ○長谷川委員  長谷川でございます。ただ今、高久座長からご指名がございましたので、できるだけ 簡単に短い時間で「痴呆」の言葉を替えたほうがいいのではないかという提案を、先般 、東京・大府・仙台の3センター長が申し上げた経緯、ただ今局長からもお話がありま したけれども、およその痴呆とその痴呆を持っている方々に対する対応がこういう流れ であるということをお話して、その中から用語の改訂という提案を申し上げた経緯につ いてお話し申し上げたいと思います。  最初に「痴呆」というのは何かということでございますが、大人なってからおこる認 知障害である。認知障害というのは、判断の障害です。いろんな情報を集めて、そして それを処理して実行するという能力で、脳の高度の機能であると言われております。こ とに、高齢者の場合、記憶低下が非常に重要であると思います。それから認知障害とい うのは判断の障害ですが、失語・失認・失行・実行機能障害です。  失語は言葉のやりとりができない。  失認というのは、目とか耳の感覚系がいいのですが、それを認識することができない 。例えば自分の両親とか親しい人の顔を認識できない。目では見えているけれども認識 できないとか、あるいは自分の家にいてもそれが自宅であるという認識ができない、場 所がどこであるかということが認識できない、失見当と申しますが、そういう失認症状 がでてくる。  それから失行というのは、行為を失うと書きますが、端的に言えば道具を使うことが できない。例えば、洗濯機を使うことができないとか、あるいはハサミをシンボライズ しているチョキですね。じゃんけんポンとやってチョキがでるのですが、このチョキの 形を作ることができないという奇妙な症状がでてまいります。  それから実行機能障害というのは、手順を踏んで作業をしていくということで、例え ば料理、あるいはこういう会議を持つとか、ある一定の時間を定めて、それぞれの委員 がここまでいろんな手段を使ってやってきて、そして委員会を主催する側はいろんな資 料を整えるとか、そういう手順を踏む作業というのが難しくなる。  そして非常に困ったことに高齢者の痴呆の場合、進行するということであります。5 頁に痴呆の原因疾患のひとつであるアルツハイマー型痴呆について説明していますが、 だんだんと年齢相応の状態から境界状態、軽度、中等度、高度という具合に時間的な経 過と共にどんどん働きを失っていくのです。  大雑把に言うと最初は物忘れである。その次は、場所の見当がわからなくなるとか認 識ができないとか、単純な行為がうまくいかない。その次に、高度になると、言葉が完 全に失われて失禁とか寝たきりとかそういう状態、いわゆるターミナルになる。初めか ら終わりまでだいたい平均して8年です。人さまざまで、スピードがゆっくりであった り、早かったりします。  例えば、軽度の場合などは、人によって3年から5年ぐらいかかってやっと軽度から 中度へ行くというような感じです。なんとか境界状態ぐらいで、あるいは軽度の状態で 止めることができれば、非常に将来その人にとっても周りの家族にとってもいろんな手 段をかけなくて済むわけです。例えば、境界状態の時は、Mild Cognitive Impairment、 MCIと略しますが、軽度認知障害といわれる状態が今注目されています。これは物忘れ が頻繁にこの1年ぐらいの間におこってくるが、しかし痴呆ではない。つまり日常の生 活には支障をきたさないし、判断の障害もないのですが物忘れがやたらに急に起こって くるという、いわゆるハイリスクの状態の方です。この方は3年経つと30%がアルツハ イマー型痴呆になるといわれているのです。ですからこのMCIの状態の時に、今働きか けていろんな予防介入をする。  例えば、介護予防という言葉がありますが、できるだけ介護の期間を短くするという ような理念に基づけば、この境界あるいはMCIあるいは軽度の状態に働きかけてなるべ く高度になるのを予防するということが重要なテーマになるのではないかと思います。  痴呆の場合、先ほどの長期間の経過を持つと同時にもう一つ困ったことは、行動の障 害が随伴して起こってくるのであります。それはこの認知障害があるために起こってく る。例えば、物忘れが非常にひどくなって判断のミスが起こってきて、自分がしまった 品物を誰かが盗ったのではないかとか、あるいは場所がわからなくなって場所の見当を 見つけようとして徘徊するとか、トイレを見つけようとして徘徊するとか、あるいはこ んなもの要らないと言いたいところだけれどもそれを言葉で表現することが難しいため に、攻撃的な行動になるとかそういう行動の障害が、実は介護を難しくしています。痴 呆というと認知障害よりもむしろ行動の異常が非常に問題になります。例えば、施設で は拘束するなどの問題が起こりがちであります。  痴呆の状態というのは認知障害が本質ですが、必ず原因疾患がある。その主なものは 脳血管障害とアルツハイマー型痴呆です。脳血管障害では、例えばいろいろな内科的な 治療とかリハビリテーションでかなり痴呆を抑制することができます。アルツハイマー 病はまだ原因が定かでありませんが、痴呆の進行を抑制するという限定的な効果を持つ ドネペジルという薬が日本では適応薬として認められております。  ところで、痴呆の高齢者の記憶低下、物忘れには、ある一つの特徴があります。健康 な方の物忘れというのは体験の一部分、例えば結婚式で会った人の名前が思い出せない という感じです。アルツハイマー病の痴呆の物忘れというのは、体験したこと全体をス ポッと忘れてしまう。つまり結婚式に出たこと、それ自体をスポッと忘れてしまうもの で、記憶の帯が切断してしまうのです。そのために物忘れをしていること、結婚式に行 ったことそれ自体を忘れてしまって、その物忘れに気が付かない。気が付くためには記 憶の帯が流れていないといけないわけですが、思い出す手段を使うとかそういうことが できないわけです。このために日常の生活に支障をきたすわけです。  記憶の流れが途絶えるために非常な不安感を持つのです。痴呆の人が不安を持たない というような恍惚の人というような表現のように、不安はないのではないかと考えがち ですが、実はそうではなくて体験のつながりがないためにいつも不安な気分になる。そ れから近接記憶。ちょっと前のことをスポッと忘れてしまうために過去の体験が現実の ほうに向かってきてしまいまして、混乱してしまうというようなこととか、正しい状況 がつかめないために間違い行動がおこるとか、例えば徘徊ですね。そういういろんな異 常行動に表現されてしまうということです。  ですから痴呆の方の接し方というのは、不安感を取る工夫をするというのが第一です 。それからペースにあわせるとか、目をよくみつめて話をしなさいなどと、注意すべき 点がございます。  昨年の2003年というのは痴呆のケア、あるいは高齢者のケアにとって大きなイベント が2つあったと思うのです。それは、先ほど中村老健局長もおっしゃいましたが、厚生 労働省で出されました「2015年の高齢者介護」という報告書が一つです。もうひとつは 、クリスティーン・ブライデンという方が日本に来られました。実はこの人はアルツハ イマー型痴呆の告知を受けた方です。オーストラリアの政府の高官だったのです。その 人が、自分の痴呆の体験を話し始めたのです。これは今までなかったことです。例えば 、医師が患者さんを見る場合に、患者さんが訴えてくれるものですから苦痛がわかるわ けです。例えば精神科の病気でもうつ病とか分裂病というのは、とにかく言葉で表現し てくれますから診断がそれに基づいてなされるわけです。痴呆の人は言葉の能力を失っ てしまうために、自分の思いを伝えられないのです。ところが診断が早めになったこと 、早期診断が可能になったことと、それからこうした非常に知能の高いレベルの方が痴 呆になってもまだ能力が保持されていてお話をすることができるという方がおいでにな って、こういうケアがいいのです、こういうふうにしてくださいと講演されています。  ブライデンさんの言葉があります。「スピードをおとして、ちゃんと目を見て話しか けてほしい、表情をみて何を言おうとしているか考えて下さい。そしてその人の要望に そって環境をかえていって下さい。」というようなことを言っているのです。こういう ことは、かつてなかったことではないかと思うのです。  説明はこれまでにさせていただきまして、あとはクリスティーンさんのビデオをご覧 いただきたいと思います。  (ビデオ上映) ○高久座長  それでは次に資料3です。事務局のほうから、痴呆性高齢者の現状、痴呆対策の現状 について説明をよろしくお願いします。 ○大島室長  (資料3:痴呆性高齢者の現状に基づき説明。) ○高久座長  どうもありがとうございました。今の長谷川委員と事務局からの説明につきまして、 どなたかご質問、あるいは長谷川委員、追加の意見がありましたらお願いします。 ○長谷川委員  痴呆の人が、非常に不安であるとか、とてもたまらないということをおっしゃってい ますが、そういう人たちを本当にその人らしくケアをしていくというのが、現在、現場 では取り組まれていると思います。  具体的に申し上げますと、大府センターの柴山センター長が愛知県名古屋市のある区 で、痴呆の予防介入の仕事を高齢者を対象としてやろうとなさったのです。痴呆の予防 ですから痴呆でない人が集まるわけです。痴呆でない高齢者、MCIの人を含めた方を集 めて、痴呆の予防にいろいろなことをやってみましょうと言ったら、その高齢者の方が 、「痴呆の予防、なんだ俺たちは痴呆とは関係ないよバカにするな」と、「痴呆」とい う言葉に非常に反発をお覚えになって、痴呆の予防介入をする作業が非常に困難になり ましたというご報告がきっかけになったのです。  それで「痴呆」を調べてみたら、非常に蔑視的な言葉なんです。例えば痴呆になった 人は、私は実は痴呆なんですと言いにくいのです。家族が「何を言うの、あなたそんな ことを言って」と、そういうことが起こってくるのではないかと思うのです。とにかく 痴呆の高齢者のケアの場合に、尊厳を支えると言っておきながら「バカ」というのです から、これは非常にやりにくいです。  私自身、「痴呆」というのは学術用語であって、別に蔑視的な用語でもなんでもない と思ってやってきたのですが、このごろとても気になりだしました。そういう点でよろ しくお願いしたいと思います。 ○高久座長  どうもありがとうございました。それでは、次に現場で実際に痴呆ケアに取り組んで おられる、大起エンゼルヘルプの和田様にお話をお伺いしたいと思います。和田様よろ しくお願いいたします。 ○大島室長  簡単に和田さんのご紹介をさせていただきます。和田さんは、現在、大起エンゼルヘ ルプという株式会社でグループホームの運営、あるいは設置の立ち上げのコーディネー トをなさっておられます。その前には、23区で初めてのグループホームとなります「こ もれび」を、この時は医療法人に所属しておられましたが施設長として開設されておら れます。その以前には、特別養護老人ホームですとか老人保健施設での生活相談あるい は寮父さんとしての勤務をご経験されておられます。以上でございます。 ○高久座長  それではよろしくお願いします。 ○和田参考人  私はすべてを失ったわけではありません。どんなことでも、まず問いかけてみてくだ さい。なんでもまず私の意思を確認してください。食べる・食べない?、行く・行かな い?、暑い・暑くない?、どうしたの?と聞いてみてください。訳のわからないことを 言うかもしれませんが、私は病気です。痴呆という状態にあるのです。進行性の難病と 言ってもいいでしょう。察してください、よおく見ていてください。  私は全てを失ったわけではありません。まだまだ若い者に負けないこともたくさんあ ります。あると思います。でも、若い頃と同じようにはできないでしょう。焦らさない で、じっと見ていてください。見ていて少しだけ手を貸してください。人間の機能や能 力は使わないと使えなくなると若い頃に聞きました。生きるために戦う力はまだまだ。  私は全てを失ったわけではありません。外にだって自由に出たがるでしょう、雲や星 が大好きです。外に自由に出られるようにしていてくれさえすれば、自分で出かけます 。でもきっと目的地には着けないでしょう。戻れなくなるでしょう。そっとついてきて くれると嬉しいです。戸惑ったり不安げになったら、そっとそばに来て「どうしたの? 」と声をかけてください。きっとあなたのことが天使様に見えるでしょう。  私のことを笑ってくれていいですよ。きっとおかしなことを言ったり、おかしな格好 をすることでしょう。でもお願いです。陰で笑ったり、自分一人だけで仲間同士だけで 笑わないで、私にも笑っている訳を教えてください。きっと私も笑いの仲間に入り、一 緒におかしむでしょう、だっておかしいことはおかしいって私にもわかるから。  私は全てを失ったわけではありません。私のことを痴呆老人なんて呼ばないでくださ い。私の名前は和田さんです。私のことをわがままなんて言わないでください。私はあ なたと同じ人間です。ただ、痴呆という難しい状態になっただけです。私の努力では止 められないのです。まだ見ぬ介護者へ。和田行男。  (ビデオ上映)  ありがとうございます。和田といいます、よろしくお願いします。  人は、身なりや肩書きに惑わされる生き物だなというふうにいつも思っていますが、 まさに痴呆も同じです。「痴呆」という冠がついたばかりに、その人のことをちっとも 知ろうとしないで、その人がどういう人かをよく見ようとしないで、「痴呆老人」の扱 いをされてきました。しかもご丁寧なことに、「痴呆老人」扱いマニュアルみたいなも のまで作られまして、まさに人が人として生きていくことをしっかり支援する、その基 礎になる、その人のことを良く知る、よく知って見極めて手立てをとる、また手立てを 取りながらその人のことを知り続けるという作業をしようともしないで、「痴呆老人」 の世界に追いやってしまったわけです。  私は、1987年にこの世界に入らせていただきました。元は国鉄マンです。電気や機械 の仕事をしていましたが、この世界はとっても変な世界でした。本当に理屈をきちっと 知り、その人のことをよく知らないと支援なんてできるはずがないのに、知ろうともし ないままそれがさも人が生きていることを支援しているのだと、それが生活の支援なん だというふうに言いつづけていることがとても奇妙にさえ思えました。例えば、お茶を 飲みたいと思ってお茶を口に含むまでの行為はたくさんあります。  まずお湯がいる、お湯がいると水がいる、水がいるということは水を受ける器がいる というふうに、こういうふうにずっと進んでいくわけですが、その中に大きく分けた知 的な能力それから身体の能力、いくらそこにやかんがあるとわかっていても、いくら水 が必要だとわかっていても、そこに行くことができなければ、移動することができなけ ればお茶を口に含むことはできません。ですからそこには身体の能力に対する支援が必 要になります。  知的な能力でいえば、ガスを点ける。すぐにお湯が沸けば支援の必要はないのですが 、時間差が生じますからそこに支援が必要になってくるわけで、多くの場合はその支援 がなくてつけっぱなしにしてボヤがでる。そのボヤが繰り返されると自宅での生活が難 しくなったというふうにいわれて施設に入る。施設はグループホームであれ特養であれ なんでも構いません。入ってしまうと、その婆さんへの本当の支援は「婆さん、湯が沸 いたで。」この一言でいいのに、やかんもなければ火もない、水道を扱うこともなけれ ば急須もない、茶葉もなければコップもない。そういう生活の中に放り込まれる。しか も、多くの方も言っていますが、使わないと使えなくなるのが人間の機能や能力だとい うふうに言われているわけで、そういう意味では日常生活の行為の一つひとつを行うこ とが必要でなくなってくると行えなくなってくる。これは当たり前のことだと僕は思い ますし、そこに知的能力が進行性で衰退してくるわけですから、放っておけばなおでき なくなってくるという状態なります。それにも関わらず、今までの福祉というのは、自 宅での生活が難しくなるとそこにたくさんのコストはかけられませんから、支えきれず 自宅生活を続けることができなくなる。だから施設など専門職に委ねてきたが、結果と して廃用性をたくさん作るような環境にしてしまった。そして、これが痴呆老人への痴 呆介護だとこういうふうに言ってきたわけです。  私たちは「おぎゃあ」と生まれたときからたくさんの支援を受けています。そういう 意味では、自立した日常生活を営むことができるように福祉というのは存在しているわ けです。私たちが自立した日常生活を営むまでの支援と、それから今度は実際に日常生 活ができなくなった時の支援は相対する側にありますが、同じ意味があるわけです。一 人で生きていく、あるいは仲間と生きていく、人として生きていくために受けた支援、 その支援が一人の人間の生活を作るわけです。やがて、それが一人で出来なくなった時 は、その生活をどうやったら維持できるか、つまり自立に向けた支援が片方にあったら 、これから先は自立をどう維持していくかという支援がとても必要であるにも関わらず 、その生活の主体を奪ってしまって、いわゆる病態に対してだけ支援をしていくという ようなことがまかり通ってきたのではないかなと思っているわけです。  僕はこの世界で17年になりますが、たくさんの痴呆の方々とお会いしてきました。僕 がお会いしてきた中で、なにもかも本当にできなくなったと思われる状態というのはよ ほどの状態だというふうに僕自身は思っています。言葉を無くした人でも、「あの人は 嫌い」というふうに反応しますし、たくさんの能力を備えていらっしゃる。そういう意 味では、私たちの今の到達というのは、有する能力の如何に関わらずできることもでき ないことも支援者が支援していくことにとどまっています。  今、クリスティーンさんのビデオがありましたが、クリスティーンさんの言っている ことばかりに目が行きがちですが、実はサポートしている旦那さんの言葉にとても大切 な言葉が入っています。「できることは自分でしてもらうようにしているんだよ」とい う言葉があるのですが、まさにそうではないかなと僕は思うわけです。そういう意味で は、痴呆という状態が発症当初から何もかも失った状態、もう生活の一つずつができな い状態であれば致し方ないのですが、そうではない状態にある。にも関わらず能力に応 じた生活を営むその環境を取られてしまう、ここがやはり問題だと思うわけです。  今は、厚生労働省も含めて新しい痴呆ケアということでどんどんいっているのですが 、新しい痴呆ケアというのはきっとなくて、それは形としてはそうかもしれませんが今 までやはりどこが間違っていたのかな、どこが正しかったのかなということをいろいろ 精査していくと、痴呆に対する痴呆ケア、身体に対する身体ケア、そしてできることは その人ができるというような、きちっとしたその人の持てるものをしっかりと見極める といいますか、そういう意味では間違っていない痴呆ケアをしないといけないのではな いかと思うわけです。  あるテレビの番組でこういうことがありました。あるグループホームで1か月経って も婆さんが非常に落ち着きがない。生活暦を調べてみたら昔から手打ち蕎麦が打てると あるので、手打ち蕎麦を打ってもらったら非常に上手にできた。それを周りの職員が見 て「すごい」と言っているのですが、婆さんの側から見ればすごいことでもなんでもな くて、今まで何十年にも渡ってやってきたことを、ただやる環境がなかったからやる姿 を見せてくれなかっただけで、やれる環境があればやる。これは自分の持てる力だとい うことではないかと思います。  ビデオに出てきた「こもれび」の婆さんたちも、あの中の映像を見ているとなんでも ない普通の人のように見えますが、ウンコを下着に丸めてどこかにしまう。毎日、毎日 朝から晩まで3か月間「ここはどこや、あれは誰や、誰がどうした」と訴え続ける。他 人のものと自分のものの区別がつかなくて「あの人が私のものを盗った」と言っては部 屋に持って帰ってハサミで切り取る。そんなことが日常的にたくさんあるわけですが、 まさに私たちの支援があることによって、これは手前味噌になりますが、私たちが生き ている姿とそう遠くない姿で生きていることは間違いないわけです。厚生労働省が作っ ている社会福祉法や介護保険法の中には、きちんと福祉サービスの基本理念というのが 謳われています。その中には、全ての事業の基本方針に至るまで共通する文言としてこ ういうふうに書いてあります。「そのものが有する能力に応じ、自立した日常生活を営 むことができるように」と。これはまさに私たちの支援、私たちが支援することによっ て、人が生きている姿からできるだけ遠ざけないように支援してくださいねと明確にし ています。痴呆の人への支援は、決して「バカげたことをする人(痴呆老人)に対して 、バカげたことを手助けする(痴呆介護)」ということとは違うのです。  いずれにしても「痴呆」という名称が替わることは、昔からずっと言いつづけてきた だけにとても素晴らしいことだと自分でも思っているのですが、いくら名称が替わって も実態が変わらなければ意味がないという人もたくさんいます。でも少なくとも「痴呆 老人」、「ばかげたことをする、呆れたことをする年老いた人」という上のほうから見 るのでなくて、下のほうからその人は「年老いて、呆れたこともするし、ばかげたこと もする」、だけど人が一番前にある。そういうような捉え方ができるような名称に替え ていただけたらすごく嬉しいなというふうに思っています。ありがとうございます。 ○高久座長  どうもありがとうございました。今の和田様のお話に何かご質問がありますか。 ○井部委員  素適なビデオをありがとうございました。私も何回か痴呆のお年寄りと接して思うこ とですが、いわゆる健常者に持っていない非常に優れた能力を垣間見ることがあります が、このようなグループホームで生活をしていらして、ここはすごいと思うような点は 痴呆老人には見受けられないでしょうか。 ○和田参考人  知的な能力が下がっているといいますか、脳がやられた分だけ、素のままの人間で、 好きな人に好きだと言えることだと思います。 ○井部委員  ビデオでは外出をして買い物をしたりしますが、地域の人たちの認識というのはどの ようなものでしょうか。 ○和田参考人  痴呆になってもこんな生活ができるのだったら、痴呆になってもいいかなという感じ です。 ○高久座長  よろしいでしょうか。それでは和田さん、ありがとうございました。  それでは次に、事務局のほうから痴呆という用語についての由来とか定義、それから これまでの用語の変更の事例などについて、説明をよろしくお願いします。 ○大島室長  (資料5:「痴呆」という用語について及び資料6:これまでの用語変更事例に基づ き説明。) ○高久座長  どうもありがとうございました。先ほど長谷川委員、和田様から「痴呆」と言う言葉 は非常に問題があるというご意見がありましたし、この言葉をみてもかなりひどい言葉 だと思いますので、各委員の皆さんからもし「痴呆」という言葉以外にどういう言葉が 考えられるのだということを順番に言っていただければと思いますが、いかがなもので しょうか。 ○辰濃委員  よろしいですか。今ご説明いただいた資料6の精神薄弱のところと、もう一つござい ましたね。これいずれも問題点ということがでていまして、かなり明確に、なぜ「精神 薄弱」を「知的障害」に替えるかということの問題点が列記されているわけです。この 「精神分裂病」の場合も問題点ということがでております。  私たちここに集まって、これからさあ替えようという前に、やはりなぜ「痴呆」に問 題があるのかということを、何かわかりきったようでいて、私も現場の方々のご苦労を それほど身近に知っているわけではありません。そのへんは問題点として、なぜ「痴呆 」という言葉では差し障りがあるのか、なぜいけないのか、なぜそこに問題があるのか ということをきちっともう一度伺いたいという気持ちがあるのです。ですから、何に替 えるかということを論ずる前に、そのへんをきちっとしたほうがいいと思います。 ○高久座長  これは長谷川委員、和田様からお話しがありましたけれども、今そういうご意見があ りましたので、長谷川委員説明をお願いします。 ○長谷川委員  「精神薄弱」とか「精神分裂病」という言葉が非常に問題があるということで替わっ たわけです。それに比較して「痴呆」というのは、もっと酷い言葉じゃないかなと思う のです。例えば、言われていることでございますけれども「痴呆」の「痴」というのは 、愚か者ということですし、それから連想すると「痴漢」とか「痴情」とか、もっと酷 い言葉を連想する。それから「呆」というのは「ボケ」という漢字で「呆然」。そうい うことで言葉のニュアンスとして非常に差別用語とまではいかないかもしれませんが、 軽蔑語であるというニュアンスがあるのではないかと思うのです。例えば、「指定痴呆 対応型共同生活介護」、痴呆性高齢者グループホームのことを日本語で訳すとそういう ふうに訳されておりますが、指定痴呆対応型共同生活介護というマニュアルみたいなも のを痴呆の利用者に簡単に説明する、あるいは家族に説明するようなパンフレットがあ るのではないかと思うのですが、その時に痴呆を持った人が入居者ですよ、利用者が「 痴呆性高齢者、これは俺たちのことなのか」、「ひどいじゃないか」という認識を持つ かもしれないのです。  外国語ではDementiaというのですが、先ほど大島室長からご説明がありましたように 正常な心から外れるというdemensということからでてきているわけですが、外国語は非 常に希望的なのです。ローマ字が配列しているという感じです。だけど日本語の「痴呆 」はもっと直接的で文字を見るだけで「バカ」という感じがするのです。ですから、そ ういう点で、これは分裂病とか精神薄弱よりももっと酷い言葉ではないかと思っていま す。なんとかこれは替えたいと思います。 ○高久座長  ありがとうございました。替えなくてすむならこの検討会は解散していいわけですけ れども、この点につきましてどなたかご意見おありでしょうか。 ○野中委員  今、長谷川委員と和田さんのお二人の話を聞いていて非常に共感するところが多いの ですが、現場で私も何人か痴呆の方、前は痴呆の症状がなかった方ですが、こういう方 をお世話するということもあります。そういうふうになってきますと、むしろ言葉があ る面では考えてみれば考えてみるほど悪いということもあるのですが、私はどうも日本 の社会というものがそういう烙印を押して、そして社会から阻害してしまうというとこ ろに大きな問題があるような気がします。ですから、そういう面では言葉ができれば何 かそういう方になっても、昔のいわゆる今までやられていたことをなんとか考えるか、 一生懸命考えてそしてなんとか受け入れるというようなことができたらなという名前に なってもらうのがいいのか、逆に言えば名前を替えたことによって、そのいう方になっ たことをまたさらに忘れてしまうのではないかというそういう不安もないわけではない のです。私は自分が医者になったのは昭和47年ぐらいですから、その頃は恍惚の人とい う小説がありましたし、それからもう一つは仙人とかそういうようないわゆる卓越した というか、そういう意味が入ったような言葉としてそういう方々を表現できて、それが 地域がそういう方々をもっと受け入れるような形になればというふうな面で考えさせて いただけたらなと思っています。 ○高久座長  どうもありがとうございました。考えてみれば、他の言葉を皆さん方からいろいろ出 していただいて、最終的に痴呆になるという可能性もあるのではないかと思います。し かし、もっといい言葉があれば、そっちに替えましょうということになるだろうと思い ます。  本日は第1回目の検討会です。あとで事務局から説明があると思いますが、次回が複 数案の検討ということになりますので、どういう言葉が良いのだということを皆さん方 からご意見としていただければ非常にありがたいのですが。  まず、長谷川委員は「痴呆」に替わるものとすればどういう言葉がいいと思われます か。ご専門の方が最初に言われると後の方が却って言いにくいかもしれませんが、参考 としてよろしくお願いします。 ○長谷川委員  このことが新聞とかテレビなどで報道されて、私のところに替えることはいいことだ という肯定的ないろいろなご意見をいただいたのです。例えば「知情意低下症」とか、 つまり知能と感情と意欲と全部低下すること。これはあんまり酷いではないかと思いま す。やっぱり痴呆は知的能力が低下するのが本質ですから、もちろん感情も障害を受け るだろうし、意欲もなくなるということはありますけれども、本質は知能といいますか 、知的障害、知能障害が本質だと思うのです。ですからあまり長いのは困るのです。例 えば「器質性認知障害症候群」ということになると、えらく長いのです。本質症状は認 知障害だと思いますので、「認知」という言葉を入れるのが良いかなと思います。その 場合、「認知障害」でもいいし、あるいは「認知症」。統合失調症の症です。だから認 知病ではなくて認知症、つまり症候群であるということです。 ○高久座長  わかりました。それでは野中委員、何かご意見ありますか。 ○野中委員  私はまだ思いつかないのですが、できればさっき和田さんが言っていたように、もう 少し周りの人たちが愛情とかを持って触れなければならない人というような、私たちが そういう面で付き合うべき人というような、そういう言葉があったらいいかなと思いま す。 ○高久座長  それでは辰濃委員、何かお考えはありますか。 ○辰濃委員  私、白紙でこちらに来たのです。これから勉強しようというふうに思っていますけれ ども、ただひとつやはりこういうことは、人々の思いにいかに耳を傾けて決めるかとい うことが大事だと思うのです。決めるということは非常に大切なことで、決めても皆さ んが「そんなもの」と言ってそっぽを向けば、本当の意味がない。意味がないというか 却ってマイナスになることで慎重にやらなくてはならない。例えば、国鉄はいつのまに かJRと言ってますが、あんなひどい、それも日本の一番の基幹鉄道をなんでJとかRとい う言葉で言わなくてはならないのか。これは関係ありませんけれど、それほど非常に重 要なことを決めるので私たち自身勉強する必要がありますけれども、皆さんの声に耳を 傾けるというそういう何か機会を設けて組織的にそういうことを汲み上げて、それで決 めていくということが必要なのではないかなと思っております。 ○高久座長  ここで出した案につきましては、パブリックコメントを当然求めることになると思い ますので、そういう形で皆さんのご意見を聞くことになると思います。それでは高島委 員、何かご意見ございますか。 ○高島委員  いや僕は、皆様からいろいろ代替案がでてきたら、それを考えさせていただこうと思 っておりましたので、自分は何もございません。 ○高久座長  それでは、井部委員、何かご意見ございますか。 ○井部委員  私もまだ代替案があるわけではないのですが、「呆け老人」という名称が家族の会と してございますけれども、それは呆け老人という言葉を選んで家族の人たちはつけたの でしょうか。長谷川委員がつけられたのでしょうか。 ○長谷川委員  「呆け老人をかかえる家族の会」のずっと前、もう20年か30年ぐらい前のことですが 、東京地区の呆け老人をかかえる家族の会の代表が、私が聖マリアンナ医大の現役の精 神科の教授の時に尋ねてこられたのです。その時、私も同じ質問をしたのです。「呆け 老人」なんて、名前が良くないのではないですかと聞いたのです。そうしたら「先生、 そんな呆け老人の名前がどうのなんておっしゃるよりも、ちゃんと研究をしてください 。」と言われたのです。  これは僕の推論ですが、呆け老人をかかえる家族の会というのは本部が京都にあるの です。関西の人がおっしゃる「呆け」と、関東でいう「呆け」と言うのは、ニュアンス が違うのではないかと思うのです。京都の人たちは「ボケさん」と言って、ボケという のはむしろ親しみを込めているのではないかと思うのです。「アホ」と大阪の人が東京 の人にいうと「このやろう馬鹿にしたな」という感じがしますけれど、あちらのほうで は「アホ」というのはしょっちゅう言っているのではないかと思うのです。そういうこ とで「呆け」という言葉に対するニュアンスも地域で受け取り方が違うのではないかな と思ったのです。  それからこのことについて、痴呆の名称を替えるということをどう思いますかという ことを呆け老人をかかえる家族の会の会長の高見さんにメールで尋ねたのです。そうし たら、痴呆の名称をお替えになるということは、学会とかそういったところでお替えに なるのは結構ですと。だけど、呆け老人をかかえる家族の会のそれを替えることとは、 別問題と考えていますというお返事でした。 ○高久座長  わかりました。先ほど長谷川委員がおっしゃったのは何症と言われましたか。 ○長谷川委員  認知症。 ○高久座長  認知症、あるいは認知障害ですね。わかりました。座長があまり案をだしてはいけな いのですが、私も委員を仰せつかった時にいろいろ考えてみました。例えばらい病とい うのは非常に問題があるというので「ハンセン」と替えましたね。確かにハンセン病と いうことで抵抗がないとするならば、必ずしも一緒ではないのですが、痴呆を例えば外 国語のアルツハイマーにすると少し抵抗がないのではないか、あるいは元々のディメン シアという言葉にすると抵抗がないか、若しくは少ないと思います。痴呆と医学的な意 味では完全には一致しないと思うのですが、「アルツハイマー」や「ディメンシア」と いう言葉も案の一つとして提案したいと思います。「呆け老人」を案として出すのは不 味いでしょう。他にどなたかいい言葉がありませんか。 ○井部委員  今日、突然の思いつきですけれども、和田さんの施設の名称が「こもれび」というふ うに書いてあったので、「こもれび症候群」というのがとてもまろやかでいいのではな いかと、ちょっと冗談めいてすみません。 ○高久座長  井部委員、どうもありがとうございました。なるべく多くの案を出していただいたほ うが、次に議論するときにいいと思いますので、一応「呆け老人」も残しておきましょ う。  このあとに事務局のほうで今後の予定ということで説明がありますが、次回には複数 案の検討ということです。本日は、長谷川委員、それから和田様からお話をいただき、 非常に勉強させていただきました。痴呆の老人あるいは呆け老人について、ある程度わ かっていたつもりでしたが、今日のビデオを見させていただきまして大いに勉強すると ころがありました。委員の方々もそういうお考えだと思います。この次は7月の下旬と 予定をされているようです。本日は、4つか5つの案がでましたが、もっと良い言葉を 思いつかれたら事務局のほうに、次の会までに出していただければと思いますのでよろ しくお願いします。  次回以降の進めかたについて事務局のほうからよろしくお願いします。 ○大島室長  (資料7:「痴呆」に替わる用語に関する検討会のスケジュール(案)に基づき説明 。) ○辰濃委員  皆さんの意見を募集するというのは、9月下旬でなく、もっと早くはならないのです か。何か9月下旬というのは、こちらの検討会の意見があらかた出たあとにまたという ような感じです。もう少し早まるというのは技術的に難しいのでしょうか。 ○高久座長  早ければ早いほうがいいのではないですか。 ○辰濃委員  そんな感じがします。できるだけたくさんの皆さんの意見を。 ○高久座長  2回聞いても良いと思います。1回聞いて、もう1回最終的に。あるいは2つか3つ の案を出して、もう1回ご意見をお伺いするというように。これは先ほどJRの話がでま したがE電というのを思い出しました。あれは全く使われなかった。 ○辰濃委員  せっかく案がでてきたけれども、マスメディアが使わなかった。 ○高久座長  せっかく皆さんご議論いただいても全く使われないと意味がなくなるものですから、 なるべくいろんな方のご意見を聞く機会を多く作ったほうが良いと思います。どうもあ りがとうございました。 ○井部委員  私も今の意見に賛成で、2回目に複数案を出して検討するというよりも、3回目の関 係団体等のヒアリングをもう少し2回目かに取り入れて、複数案の検討は3回目にする とか、多くの意見を聞く機会を設けたらいいのではないかと思います。 ○高久座長  私も賛成でして、ヒアリングはもう1回聞いて、そうすると皆さんいろいろ考えられ て、ヒアリングの間にまた名前をお考えになられると思うし、それから意見募集もして 、9月の下旬にむしろ複数案の検討をしたほうがいいのではないですか。11月までには 出さなければなりませんから。ご異存がなければ、そういうふうにいたしましょうか。 ○大島室長  わかりました。そうしましたら、7月下旬が8月にずれ込むかもしれませんが、関係 団体と少し日程の調整を行いたいと思います。 ○高久座長  それは仕方がないですね。あまりたくさんでなくても良いと思うのですが、きりがな いでしょうから。有力な団体の方のご意見は是非必要だと思いますが、全てというわけ にはいかないので可能な限りということで、あとはホームページなどでご意見をいただ ければ良いのではないでしょうか。  よろしいでしょうか、それではそういう予定で進めさせていただきたいと思います。  本日はどうもありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。 ○大島室長 ありがとうございました。                                      以上                       照会先:老健局計画課痴呆対策推進室                           痴呆対策係(内)3869