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資料4


「丸ごと痴呆ケア」から「生きること支援」への転換を

平成16年6月21日  
(株)大起エンゼルヘルプ  和田行男

痴呆ケアの摩訶不思議

 ○ 「痴呆」という状態になって専門職の手にかかると「痴呆の人」「痴呆性高齢者」「痴呆ケア」対象にされ、ひとくくりにして語られ・扱われる不思議

 *「婆さんが呆けた」と「呆けた婆さん」

 ○ 「痴呆」は後天性であり、「普通の人」+「知的能力の衰退」であって、「普通の人」の全てが「痴呆」になってしまったわけではないのに、全てが「痴呆ケア」の枠組みの中で語られ、同じ舞台の上で「人権」「尊厳」などの文字が躍ることの不思議

 ○ 身体能力が何らかの原因によって「普通ではない」状態になったときは、「普通の人」+「知的能力の衰退」+「身体能力の消失」というように重複状態になっていくのであるが、その全てをひっくるめて「痴呆ケア」と捉えている不思議

 ○ 人が生きていく上で、あるいは人とかかわって行く上で当たり前のこととして大切な事柄まで「痴呆ケアの質」として語られる不思議

 *美辞麗句を並べても痴呆の人は人にあらず扱いの証


生きること支援は必要に応じて・随時受ける支援

 ○ 人は産まれた直後から支援を受ける → 何のために
 ・ 有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるように
 ・ そのために様々な専門職が活躍する

 ○ 自立した日常生活を獲得した人が「痴呆」になると支援を受ける → 何のために
 ・ 有する能力応じ自立した日常生活を営むことができるように・・・
 *社会福祉法・介護保険法に明記された理念
 ・ そのために様々な専門職が活躍する・・・はずだが

 ○ 生活を奪った「痴呆ケア」
 ・ 有する能力の如何にかかわらず、できることもできないことも職員が代行している。あるいは能力があっても発揮できる環境におかれていない
 ・ 受動的な日常の中で生活が奪われ、一方的で画一的な「保護」の対象者とみなされ、痴呆ケアの世界で生きさせられている
 ・ その枠組みの中で良質な痴呆ケアが論じられ、痴呆ケアの質として生活が捉えられ、「痴呆の人扱い方マニュアル」が論じられている
 ・ やっぱり、痴呆=「ばかげたことをする人」という意味通りの扱いをされていると言っても過言ではない状態がある


新しい痴呆ケアではなく「おかしくない痴呆ケア」を

 普通の人=誰もが状態に応じて、手助けしたり手助けされたりしながら生きている
  *介護とは手助け=特殊なものではなく特別なことでもない
  痴呆=知的な能力が衰退した状態に対して、応じたケアを受ける
  身体=身体能力が低下・消失した状態に対して、応じたケアを受ける

   福祉とは「人々が幸福に暮らす生活環境」とある。誰もが子供の頃から「大きくなったら自分の事はできるだけ他人にしてもらいなさい」とは教わらないし、多くの人は「最後まで自分のことが自分でできてコロッと死にたい」と願っている。
 つまり福祉とは、「人々ができるだけ最後まで自分のことが自分でできてコロッと死ねる生活環境」とも言え、それを整えるのが福祉の専門性である

痴呆になったことは残念なこと
でも決して不幸なことではない
なぜ?
痴呆を良く知っている人たちが
私が生きることを支えてくれる
その人たちは
私の可能性を閉ざさない人たちだから
痴呆になったおかげで
私の知らない私に出会えるかも知れない
それって人間の生活でしょ
私が
どこにでもいる人として
人々が生きている姿から遠く離れなくてすむのは
その人が
生きること支援のプロだから

婆さんより


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