戻る

目安制度16年の成果と問題点
1993年10月4日
目安制度のあり方に関する第3回中賃全員協議会
中央最低賃金審議会労働者側代表委員

 目安制度の導入を謳った1977年の「今後の最低賃金制のあり方について」と題する答申は、当時の労働四団体(総評、同盟、中立労連、新産別)の統一要求にもとづく四野党(社会党、共産党、公明党、民社党)共同法案を契機として、中央最低賃金審議会が1975年5月から2年半にわたって検討した結果うまれたものである。
 四野党共同法案の考え方は「最低賃金制度は、労働基準法による最低年齢の規制や最長労働時間の規制(8時間労働制)と同様に、一国の労働条件のミニマムとして決定されるべきであり、ある程度の地域差は認めるとしても、中央において全国的な最低賃金として決定されるべきものである(具体的には、『行政委員会としての中央最低賃金委員会が一律最低賃金を決定し、地方最低賃金委員会はこれ(一律)を超える地域的最低賃金を決定することができる』というもの)」というものであった。論議の結果は「目安を中央で示し、決定は地方で行う」との結論となった。これには「現状のように、47都道府県が全く自主的、独立的に決めると、改定の時期が著しく遅れるばかりでなく、決定金額がバラバラになり、格差の拡大を招く」という考え方が背景となっていた。従って、中賃目安方式が導入された実態上の理由は「改定審議の促進」、「最低賃金額の全国的整合性の確保」及び「上下格差の縮小」であった。
 ランクの決定にあたっては、ある基準を設定して47都道府県を区分したのではなく、その当時の地域別最低賃金の決定状況、とくに76年および77年の実態が四つにグルーピングできたところから、それをそのまま追認したものであった。また、目安額は各グループの最高と最低の中間値で示されることとなった。さらに、参考資料については、「賃金改定状況調査結果、春闘の賃上げ結果等の各種指標を総合的に勘案する」こととなった。
 以後16年にわたって続けられてきた目安制度の成果と問題点を次の通り指摘する。なおこれらの問題点に対する対応策については、こんご全員協議会での論議を踏まえながら明らかにしていく。


 成果
(1)地賃の審議がスムーズになり、地域別最低賃金の決定、発効日が繰り上がったこと。
(2)第2次オイルショック以前(78および79年)はランク別引上げ率がA、Bに比べてC、Dの方が高かったこともあって、格差縮小と対象労働者の賃金改善に一定の成果を上げたこと。
(3)第2次オイルショック以後、賃金格差が拡大するなかで、1980年度以降、中賃目安(公益委員見解)が各ランクー律で出されたこともあって、上下格差縮小機能、とくにC、Dランクにおける格差拡大に対して、歯止めの機能を果たしたこと。
 問題点
(1)第2次オイルショック以後、中賃目安(公益委員見解)の引き上げ水準は低く、適用労働者に対する低賃金改善機能は停滞したこと(とくに、円高不況後は、改善機能が低下し、ここ数年間はその傾向が一段と顕著になっていること)。これは、賃金の一般的水準に対する地域別最低賃金の比率や最低賃金の影響率の低下となってあらわれていること。
(2)ここ数年来、労働時間短縮が進展してきたが、地域別最低賃金の改定に際して、そのことが勘案されず、適用労働者に対し、その成果が波及していないこと。
(3)中賃目安制度が導入されて16年が経過したが、中賃目安(公益委員見解)の拘束性が強まるなかで、制度導入の主要目標であった「最低賃金額の全国的整合性の確保」は、一部の府県のランク内移動はあったものの、必ずしも十分に実現しなかったこと。
(4)中賃目安(公益委員見解)が各ランクの「中間値」を前提に作成されたことと関連し、「ランク内収斂とランク間乖離」の現象を生み、年々その傾向が強まっていること。このため、各ランクの最上位県の最低賃金は賃金水準、生計費、経済的要素など、最低賃金決定原則に係る諸指標の実勢との関係で大きな不整合がもたらされていること。
(5)賃金格差が拡大するなかで、シングルレートにもとづく目安提示によって上下格差の縮小がはかられたため、上を抑えるかたちとなり、Aランク、とりわけ東京の最低賃金が賃金実勢との関係で大きく陥没したこと。

 以上、成果と問題点を列記したが、これらは「断定」したものではなく、こんご、当全員協議会で実証的に検討が加えられるべき性質のものと理解願いたい。


トップへ
戻る