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参考資料


御意見募集で寄せられた意見(平成15年3月25日〜4月9日)

受付番号 59
受付日 平成15年3月25日
年齢  
性別
職業 不明
所属団体 優生思想を問うネットワーク
氏名 矢野 恵子

(この問題に関心をもった理由)
 不明

(意見)
 新聞報道等によれば、貴部会では、次回の第26回部会で審議を終了し、部会としての案を作成する予定と伝えられている。
 しかしながら、貴部会でのこれまでの審議経過や検討結果をみれば、審議を尽くしたとは到底いえず、この段階で拙速に結論を出すのはあまりにも乱暴と言わざるをえない。
 まず第一に、本来、新たに第三者からの提供による生殖補助医療を認めるかどうかは、現在行われている不妊治療の危険性、副作用、不妊治療を実際に受けている女性(カップル)の抱えている問題、今まで行われてきた第三者からの精子・卵子提供による生殖補助医療の実態、提供により生まれた子どもの抱える問題など、現在既に行われている生殖補助医療全般についての詳細な実態調査と検証を行い、その検討結果に基づいて議論されるべきであるのに、審議の基礎となるべき調査・検討すら行われていない。
 また、貴部会で検討すべきは、『生殖補助医療に関する専門委員会』において「基本的考え方」として項目のみ示された「生まれてくる子の福祉を優先する」「人を専ら生殖の手段として扱ってはならない」「安全性に充分配慮する」「優生思想を排除する」「商業主義を排除する」「人間の尊厳を守る」という内実についてであったはずである。現在行われている生殖補助医療も含めて、第三者が関与する生殖補助医療が、これらの項目を充分にクリア出来るものであるかどうかということが検討されなければならなかったにも関わらず、十分な論議が行われていない。
第二に、精子や卵子・胚をその人から切り離し、別途に利用する道を開くことは、生命の選別や生命操作に直結し、ひいては配偶子・胚の商業利用や産業利用にもつながることから、広く一般市民とともに徹底した議論の場を作るべきである。
 第三として、新たな生殖補助医療を推進する前に、まずは、不妊の女性に対する社会的偏見をなくす努力が国として求められているのに、そのような対策がとられているとは思えない。その上、第三者からの配偶子・胚の提供による生殖補助医療においては、提供を受ける女性のみならず、卵子や胚を提供する女性も心身ともに大きなリスクを負うものである。これら、女性の心身へ大きな負担を強いる技術を進めるのかどうかについて、より多くの女性の意見を取り入れるべきである。
 第四に、1月中旬に「生殖補助医療技術に関する専門委員会報告書において提示された条件及びその具体化のための検討結果についての意見募集」が行われ、私たちのグループからのものも含めて多くの意見が寄せられた。しかしながら、議事録を見る限り、会議の冒頭で内容の一部が報告されただけで、専門部会の中でこれらの意見について真摯に検討されたとは到底思えない。これでは、意見募集は、単なる「国民の意見も聞いた」というアリバイ作り、おためごかしにすぎない。
 私たちは、以上の理由から、拙速に結論を急ぐことなく、市民をも含めたより広範な社会的論議を行うこと、それらの動向を充分反映させながらより慎重な部会審議が行われるよう強く要望します。


受付番号 60
受付日 平成15年4月5日
年齢 31歳
性別
職業 主婦
所属団体 不明
氏名 匿名化の要否不明

(この問題に関心をもった理由)
 この問題に関心を持った理由は私は、3年前に卵管水腫のため、2本の卵管を手術で摘出して子供がほしくてもできない体になってしまったためです。

不妊治療の医療費について意見を言いたいと思います。体外受精しか子供ができない体になってしまった私は、今 精神的にも 女としてとても苦しんでおります。なぜなら、高額の医療費がかかるということと1回で成功する確率も低いということ年をとるごとに成功確立も低く高額な医療費がかさみ精神的、経済的にも負担がかかりたいへんな思いをしております。不妊治療を受けている夫婦の方も数多くおられると思いますがみなさんも同じ思いをしておられると思います。ぜひとも、気持ちをわかっていただき保険適用していただき助けていただきたいです。よろしくお願い致します。


受付番号 61
受付日 平成15年4月7日
年齢 53歳
性別
職業 主婦
所属団体 なし
氏名 野口 佳矢子

(この問題に関心をもった理由)
 文中にも書いてありますが、私達夫婦も不妊でAIDを選択するかということになり、でもお断りして、養子を迎え真実告知をして生活していますので、AIDで産まれた子どもに事実を伝えるという法律ができるとお聞きしたので、ちょっと疑問に思うことがありましたの で書かせていただきました。

(意見)
 私は53歳の主婦です。生殖医療について色々な場で報道されているのを訊きますが、私は精子提供、AIDのことに感心を持っています。
 私達夫婦に子どもが授からず、不妊検査の結果、夫がほぼ無精子だということが判り、99,9%夫との子を授かることは不可能と診断され、子どもを諦めるか、子どもを授かる為にはAIDを受けるかでした。しかし、私達はAIDをお断りして子どものいない生活を選び、5年間の不妊治療を終わりにしました。が、やはり子どもの居る生活が欲しく、夫婦のどちらの血の繋がりを持たない「養子」を迎えることにしました。
 今から25年前、児童相談所を通して、当時1歳7ケ月の双子の男の子を迎え、それから5年後、当時1歳5ケ月の男の子を迎え、またその4年後、当時5歳の女の子を迎えました。
今は、26歳になった双子、21歳、17歳と成長し、私は子どもを産まなくとも4人の子どもの母親になりました。
 上の双子には5歳の時、3番目の子には6歳の時、「お母さんのお腹が壊れていて、赤ちゃんがいるお部屋がなくて、赤ちゃんを産めなかったの。だから、君達は、このお母さん(私)のお腹から産まれたのではなく、別の女の人から産まれ、その人が君達を育てられないから、このお父さんとお母さんが君達が社会に出るまで育てさせてもらっているの。だから、お父さんとお母さんと君達と、血の繋がりはないけど、家族の一員であり、君達の親は、このお父さんとお母さんであるし、君達の家は此処なのだから今までと何も変わらないからね」と、当時、5歳の子どもが言われていることが解っても解らなくても「真実告知」をしました。娘は、5歳で迎えたので自分の立場を知っていて、自分から「私、貰われて来たの」と言っていましたが、それでも事実を伝えるのは親の義務だからと、7歳の時、「真実告知」をしました。娘には、3人のお兄ちゃんも養子であることも教えなければと思い、また、私のお腹を4回も壊したくなかったので、娘には私が絵本を作り、愉しい真実告知をしました。
 4人の子ども、5歳、6歳、7歳と小さい時に「真実告知」をした事は、たとえ望まれなかった妊娠だったとしても、命が芽生えた時から、一人の人間としての、子ども自身のルーツがあり、そのルーツがこの先、大人になっていく子どもに必要なことであり、子どもには自分を知る権利があるからです。また、私達養親は、子どもに事実を伝える義務があるはずです。その事実を伝えて初めて親も子も、その事実をしっかり確認し、向き合い、それからが本当の親子になっていくのです。
 告知をした子どもたちには、「養子であることは何も悪い事ではない。養子だって、実子だって、一人の人間なのだから何があっても常に堂々としていなさい。そして、社会の隅で生きて行くのではなく、世界の真中で胸を張って生きて行きなさい」と言って育ててきました。子どもに「堂々としていなさい」と言った以上、夫も私も堂々として、「我が子は養子です」と、世間はもちろん、子どもたちか通う幼稚園、小・中学校、高校、専門学校に話ました。最初は戸惑う先生もいらっしゃいましたが、子どもが堂々としていた為か、その戸惑いもすぐに消え、「養子」という特別な意識で見られることはありませんでした。
 家庭の中てば時々、日常の会話の中に「養子」という言葉を、子どもたちが居る場で使い、何時どんな時でも、親の方からも、子どもの方からも「養子」であることを話せる環境を作っていました。また、養子関係の講演会で私が養親の体験談を話す場に同席もさせました。
 そんなこともあり、上の子が高校生になると、真実告知をされて養子で育っている体験者として、色々なマスコミに出るようになったのです。その時、必ず訊かれるのが「告知をされた時のことを覚えていますか?」です。しかし、子どもたちは、「覚えていない」と答えるのですが、「今の家に来たのが小さい時だったか、何かが違う、何処かが違うと感じていました。親は告知をしたと言うのだから、されたんだと思うけど、覚えていないし、気がついたら養子だったということで、だから使命感というのか、本能というのか、身体が教えてくれているのだろう」と付け加えて答えています。また、某テレビに出演した時、「親子、家族って血の繋がりではない。生活してきた時間の積み重ねだ」と言いました。それに、中学生の頃、「俺達は親の腹の中から捨てられた」と、言ったこともありましたが、子どもの20歳の誕生日の日、私から息子達に実親捜しの「解禁宣言」をしました。その時、「もし、(実親を)捜して逢えたとしたら『産んでくれてありがとう』とだけ言いたい。それは今の生活が良いから本当に産まれてきて良かったと思う。ただ、(実親を)捜すか捜さないかは自分で決めるから」と言っていました。
 また、息子達を社会に出すまでに告知をしてあっても、「養子」であることの壁に何度もぶっかりました。息子3人は普通養子ですから戸籍謄本にほ当然「養子」と記載されています。その、「養子」と記載されている戸籍謄本を、高校の時の海外への修学旅行、国家試験を受ける為、病院に就職する為に、自分の手で取り寄せ、自分の目で確認し、自分の手からその度に提出しました。それだけではありません,普通養子の子どもにはまだ重たい荷があります。それは、婚姻届の用紙です。結婚する子どもの親の氏名を書く欄に実親の氏名を書くのです。高校生の時、この事も息子達に教えました。その時、「育てた訳じゃないのにそれでも親なのか?」と、叫んでいましたが、結婚を間近に追っている一人の息子。その息子は自分の手で実親の名を書くのだろうか?それも、息子にまかせています。
 最近は、「俺達は告知をされた記憶がないが、本能的に知っていたから、養子と言われても別にどうってことないけどうちの親は、超親バカな親だから、告知をする親の方が辛かったと思う。俺達は養子の事より、親バカな親を持つ方が辛いよなぁー」と、笑って話し、親への心使いをできる子に育ちました。
 細かいことはまだまだ沢山ありますが、子どもが成長して行く為に、「養子」という事実に直面することが多くあるので、告知をして親も子も、事実と向き合い、お互いに一人の人間の生き方、一人の人間の存在を確認しあえることができることは、小さい時期にきちんと告知をしたからだと思います。また、きちんと告知をしたから何でも話せる親子関係が築かれたと私は信じています。
 私達のように告知をしている家庭ばかりではないでしょう。告知をしないという選択もあるでしょう。でも、告知をされなくとも解っているのです。「子どもは解っているが、その事実を話せない、話さない親に遠慮して知らぬ顔をしているだけなのだ。子どもは強い心を持っている。憶病になっているのは親の方。今まで子どもを育てて来た自信があるはずだから、勇気を持って告知をするべきだし、告知をされない子どもは親(養親)から真実を告げられることを待っているはず」と、息子達は言います。
 我が家の事が長くなりましたが、私がAIDを選択するか病院からAIDの説明を受けた時、血液型や遺伝的な病気等の心配はないと言われました。また、精子提供者は私達に知らされないし、もちろん産まれてくる子どもにも公表される事はない。私達の方(子どもを含め)から「精子提供者を知ろうとしてはいけない」と言われた記憶があります。それに、AIDを受ける時、夫の精子と、提供された精子を混ぜて行うのでどちらの精子で受精したのか判らないから、もしかしたら0,1%の望みの夫の精子で受精する可能性もあるとの事でした。この説明を聴いていて、これでは産まれてくる子どもはどっちの子どもか判らないそんなあやふやな事までして、長男の嫁として後継ぎを授からないといけないのだろうか。いや、精子提供者で産まれた子どもに後継ぎを背負わす事になるのだ…等、頭の申で混乱し、AIDの難しさを痛感しました。
 私の聴き違いかも分りませんが、AIDで産まれた子どもが15歳になった時、その事実を子どもに告知するという法律ができるようですが、15歳という年齢の子どもは一番多感な時期です。その多感な時期に事実を知らされた子どもの心はいったいどうなるのでしょうか。
 これは、15歳になった養子の子どもに真実告知をすることと同じことです。養子には小さいうちに告知をするように教えられています。ですから、法律で告知をするなら告知をする年齢をもう少し下げる事はできないのでしょうか。しかし、養子には真実告知をする年齢の法律はありません。法律がなくても告知をして親子をしている方が沢山いらっしゃいます。
 AIDには、「告知する」という法律ができるのでしょう。15歳という子どもの年齢が超過しても、その法律を守って全ての親が告知をするでしょうか。告知ができない、告知をしない親もいると思います。法律だから絶対に告知をしないといけないのでしょうか。もしそうだとしたら、「告知をした」という証し、「告げられた」という子どもからの証しはどのようなかたちで証明するのでしょうか。また、告知をしないと法律違反になるのでしょうか。
 AIDで産まれた子どもに法律だからと事実を伝えるのではなく、養子のように自然に告知に踏み込めないのは、女性としての、「産む」という行為で子どもを授かり、戸籍には実子で入籍されるから、AIDを選択した夫婦が事実を記さなければ子どもは知る機会がないので、告知をしなくても良いと思うのでしょう。
 特別養子の子どもは、実子と同じ扱いになるということでした。確かに戸籍にほ長男・長女と記載されていますが、その戸籍に「民法817条の2」という文字が記載されているので、長男・長女であっても養子という事実は隠せないのです。
 養子も、特別養子も、連れ子も、AIDの子どもも親と血縁の無い子どもです。しかし、その血縁がない子どもの中でただ一つ、父親との血縁がなくてもAIDの子どもは実子になる訳です。でも血縁がない事実は、皆、同じです。AIDの子どもに事実を伝えにくいのはそこに大きな落とし穴があるからだと思います。その大きな落とし穴に気付き、法律だから告知をするのではなく、子ども自身も自分の出生を知る権利として、養子もAIDの子どももその事実から逃げてはいけないのです。まして、AIDを選択したのはご夫婦であって、産まれてきた子どもには何の責任もないのです。だからこそ、子どもには自分を知る権利があるのでしょう。
 どんな事情でこの世に産まれてきても、皆、一人の人間です。たった一人しかいない自分は唯一の存在です。でも、自分に足りないものを持っていては本当の自分は存在しないでしょう。その存在を確認する為に、養子でも、AIDで産まれた子どもでも、嘘のない出自を知る事でかけがえのない、心豊かな自分の命を大切にし、産まれてきた自分がいとおしく思えるのではないでしょうか。
 また、特別養子で実子になっていても、子どもには事実を知る権利があり、親には事実を伝える義務があるのです。だから、私達養親は、産んでいない事実を忘れてはいけないのです。
 これからの我が子たちの、「出自を知る権利」とは、実親を捜す作業なのでしょう。その子ども一人ひとりが、出自を知る事を私は見守っていきたいと思います。


受付番号 62
受付日 平成15年4月9日
年齢 60歳代後半
性別
職業 農業(元教師)
所属団体 匿名化希望
氏名 匿名化希望

(この問題に関心をもった理由)
 テレビを見ていたら、生殖補助医療に於いて、心理学者等の経験から実の親の告知時期がむづかしいのと、提供者を血縁?者にすると、告知後に親子関係がむつかしくなる事が多いので、他人に限る事にすると言っていたので、これは私にとって、聞き捨てならね重大なことであるので、早速抗議した(厚生省に)。しばらくして、又テレビで、こともあろうに、今度は不特定多数に限定することを義務付ける方針であるとか聞こえて来たので、再び抗議したら、文面でなければ審議に反映されないと言うので、これを書く。

 過去の経験上−不特定の親の子を貰って取返しの付かぬ失敗をした例ー
 私は、中学教師在職中、3年担任時、進路三者懇談会で、或父親が、個別終了後、「あんたちょっと廊下に出て待っとき、お父さん先生と二人で話したいことあるねん。」と傍らの一人娘を外室させた。元商人という父は「実は先生、あの子本当は、私の子と違いますねん。私ら夫婦は子が無うて困っていましたら、生まれてしまった若いカップルの子を紹介され、親の顔も何も知らんまま育てたんがあの子ですわ。うちの親類は大学教授やら偉いさんがいっぱい居りまして、あの能力や希望では顔向けでけまへん。困ったもんですわ、つくづく、あんな事、するもんではないと悔やんでいます。」そいうえば、顔、体形が全く異なり、気さくな娘だったが、勉強はにが手で、「私、お手伝いさんに成り度い」であった。

 自分に取っても切実な必要性が内在する。

(意見)
 上記ハの説明と分離不可能だから、ここに一緒にして述べさせていただく。
 恥ずかしい限りだが、私の、男は一人しか居ない跡取り息子は、近頃はやりの環境ホルモンの性か、インポで嫁を貰わぬと言う。又、対人障害から、これ又、流行の引籠もりで、無職、36歳にも成ると言うのに、未だ親のすねかじりである。その上、私にひどい暴力を働き、度重なるカウンセラーや警察の勧告で、不本意な隠れ家住いを、強いられている。
 我家は築約250年、旧藩内で今となっては、ほぼ唯一、江戸中期、百姓大庄屋の構えを、かろうじて保つ文化財(未指定)。
 農地開放後、よたよたと慣れぬ百姓して、大勢の兄弟を育てた親の苦労から、私は共稼ぎ且つ百姓を兼業してこの家を守って行き度いと思った。似た家柄から貰いたかったが、お嬢さん育ちでは勤まらないと思い、仲々適格者が見付からぬので、遠方で、元小作人でもなく、両親共教師で農家の同業者と見え合い結婚した。
 戦後の反動教育の煽りも手伝って、我妻は、我家と、その伝統を必至に維持継承しようとする私に、熾烈な敵害心を燃やし続けている!小さい時から2人の兄妹の子に、私や、我家の伝統に対して、妻が事有る毎に反感を植え続け、煽り続けて来た事が息子の家庭内暴力の重大要因の一つである。曽て、気に入らなければ刃物も辞さなかった息子をけしかけ、妻は「要らぬ物は早く捨去れ!」「思った事は断行せよ!」「必要の金は出してやる!」「吾命有る限り食べさせてやる」(後の2つは、私程ではないが、妻も暴力を振るわれることも少なくないので、私から見れば無責任な、おついしようが多分に混じっている。)
 今や社会的遺産の室町以来の我家の文物や、今の我家維存続上は必要不可欠の、もう恐らくは、ほとんど手に入らぬと思われる古い道具まで、用途も知らぬ癖に、再三の制止を無視。二人して闇雲に、数え切れぬ物を、どんどん捨去ってしまった!!苦情を言うと「何々捨てたか言うみい?」ふてぶてしい限りの開き直り様なのである。もし叩きでもしようものなら、「そら!暴力や!卑怯や!口で言うたらえっやろ!離婚する!!」口で言われて効いた試しはないし、「断りもなく人の大切な物を壊させたり、捨てたりすることは暴力とちがうんか!」と詰寄っても、平然、馬耳東風、そ知らぬ態を決め込む。世を上げて大問題のドメスチックバイオレンスにも、こういう一大欠陥が存在することを肝に銘ずるべきである。
 壊し物では、更に、営農上不可欠の古納屋まで、私の制止を無視、見え張りで迷信家の息子の壊すのに任せっぱなしである。且つて、妻が、私に何の相談もなく、再建の金を出してやると言ってしまったからだが、予定地には色々に難点があり、その解消費がいくらかかるかも不明であり、隣地へ所有者の協力も必要で、ずっと以前から頼み続けているが、一向に返答がない。壊すにしても、代わりの納屋が出来てからにするべきである!!
 妻は、自己の主張を押し通す為には何でも頭からこちらに相談しないことにしており、私が必要あって、相談や働きかけることをも、あらゆる手段で拒否し通そうとしている。そして身の程知らずの大馬鹿者だ。いつも喉元過ぎれば結構と、「金で解決する事なら」としつけをする事や、少し手のこんだ物事の調整を嫌がり、またそれを囲いに陰にひなたに押しつけて、息子を甘やかし続けて来た。その我儘息子の要求を無限に満し得る自己資金の続く筈も無い!!そして常々、軽度だが総合失調症で入退院をくり返す(最近は近隣にも暴力に及んだ)息子や自分の方が正しく、私の方が間違っていると主張して譲らない。
 母の手になる婚前調査は異常なしだったのに、時々出る妻の腫れ物が、2人の子供が出来てしまってから、事もあろうに、全国に10家系程しか無いという、遺伝性血管神経性浮腫である事が判明した。見合いの時、母方祖母が持病の腫れ物が首に廻って窒息死したとは聞いたが、他の近親者に同病がある事は全然話さなかったし、素人の事として、そんな遺伝病は聞いた事もなかったので、思いも寄らぬ仰天だった。近くの半公立総合病院の研究対象になって居て、一般には女系に現れると言うのに息子には別の形で現れるという。息子を通して聞く限りに於いては、夏戸外で重労働すると、皮膚神経がピリピリ痛んで農作業が不可能になるのが、それだという。
 私には、「男の子は、無いか、有っても役に立たぬ!」という、いつも恐ろしい程よく当たる占い師の予言がだんだん的中しそうになって来たので、祖母(私の母)が、必要とあれば妹(私の娘)に跡を継がせる可能性を確保する為、妹に「弟の処へ嫁に行きよ」と時々言い聞かせていたのを、家内はここぞとばかり伝統無視の逆洗脳に専念した。娘は年令も重なりだし、他の良縁も無かったにしても、私には一言の相談も無しに、他に後継者の居ない長男と、職場恋愛結婚を押し通してしまった。それが母(私の妻)の洗脳の結果である事は、当の本人(娘)が、私へ強制通告した理由の中で明言した事である。
 私の次の弟は、跡の絶えた祖母の里へ、幼時から養子入籍し、主として我家で育ち是又恋愛結構を押し通し、幼い女の子2人残して、早く交通事故死してしまった。残った弟の嫁が是又、家の伝統に強烈な反感を持ち、弟は古くさい何とか衛門の襲名までした伝統主義者だったのに、財産だけ利用、「過去と縁切る!」と我家同様の伝統は抹殺!!その裏側では娘の婿取りつまり家系存続には脳むと言う矛盾を生きている。
 我家の古い隠居は、明治以後没落を早めたので、今では後継者の血統が、家柄筋では無くなってしまったが、経済的には、田舎の平均としてはうまく行っている方である。しかし乍ら、墓地の火葬改修等では、今の自分達が見下げられまいとしてか、これ又、しきりに伝統を目隠しし、調査を拒絶するので、注意すると逆さまに反抗をつのらせる!これは同じ動機から出たとしか思えない、今はやりでほとんど定説化しようとする「世にも不思議なお墓の話し」の育説の影響も大きい。
 是等の行為は、取返しのつかぬ貴重な歴史資料や伝承の抹殺に直結するので、社会的にも決して許されてはならぬ行為であるのである!!
 以上は、戦後の血統家柄侮視の社会風潮や不特定多数限定論の危険性を喚起した訳である。
 我家の今としては、今後に於いても、此混沌たる現代を生き抜くには、経済力は必須第一条件である。妻としては、自己の稼ぎは、憎い伝統には出来るだけ注がず、我生涯の為に使い切り、我家の遺産をも出来る限り沢山食い潰し度いにせよ(証拠有り)、私共夫婦の合力が無ければ経済上は成立たない。従って、度重なる離婚要求を拒絶、我慢に我慢を重ね、この妻と、それにそそのかされた2人の子を木撓不屈、きよう正これ勤め、目的遂行に邁進中なのである。
 系図は無いが、状況証拠から、少なくとも室町期には辿り得る我家系を、何としても絶やしたくは無いので、少々朔ってでも、血縁者が1人、そして伝統に反感持たぬ人(できれば旧家)、生活力ある人、その上あわよくば、この機会に、誠に残念至極乍ら、将来の子孫の為、妻の遺伝素質の解消も兼ね得れば、養子を捜しかけているが、金のわらじではないが、道遠く命短し!!

 (関心の結論)
 従って、時と場合によっては、現代医学の一大成果である生殖補助医療によって、其目的を達する事も痛切な選択肢の一つと考え、並々ならぬ関心を抱く者であるのである。

 (意見の本論)
 婚姻出産・養子縁組等が、人工的細胞操作でできる現代科学の成果は、其欠陥は慎重に克服し乍らも、果敢に恩恵たらしめるべきである。些細な障害に慎重の余り、大目標や、逆の障害に手落ちがあったり、又、人権には配慮しつつも、利用者の行為や選択肢を、不当に制限したり、奪ってはならない!
 話題の長野県の産婦人科医に上記ロの例を引いて、不特定多数の欠陥を問いただすと、既に同じ事を予見され、厳格な自己規制を課して実施されて居り、私には問題は無いと思われたので、激励し続けている。最近聞いたら規制項目が増し、素人の私には厳格すぎる感無きにしもあらずでさえある。
 我住む市は、幾ら訴えても、その超異常土地規制相当の減税助成措置皆無の為、連動の不当相続税奪取と、隠れ家二重生活の性で、私は今、甚だ金欠です。それで新聞が取れず、テレビのみの貧弱見聞からの御局問いただしたら、当件の結論が、生殖細胞の提供者を、事もあろうに、私が最も危険と考える不特定多数に限定する方向に突進まんとする事は、以前にも何回かその動きが報じられたので、その都度、再三に渉り、我所見を述べたら「よくわかった」との返答であったのに、全く言語同断の振舞であり、断じて賛成し兼ねる。瑣末の障害に抱?の余り、本道を逆進するものと言わねばなるまい。
 幕末から、先の大戦前にかけて、酒色に溺れて、伝統ある家を潰した話をよく耳にした。我家も幕末期、跡取り息子が浪費して、芸者を嫁にしたので、父が勘当し、分家から曾祖父を養子に取り、没落寸前の我家を、以前程では無いが、戦前の村長管轄内一,二位位には盛り返した。
 何世代にも渡って、潰れかかった家を、何回も必死になって立て直して来た話は、よく見聞する事である。何故、生殖細胞提供者を、いとも簡単に、不特定多数に強制しようとするのか、見聞寡少でよくわからない。
 近頃は、血統だ、家柄だ、身元調査だのと言うのと、たちまち古くさい!それ差別だ!人権だ!とまるで戦時中の「非国民!!」呼ばわり同前の吊し上げに遇う御時世である。或いはその辺の事も大いに関係している様な予感がする。ところで、我妻や、次弟の嫁の如きは逆差別も、いったところであることを是非肝に銘じて貰い度い!!
 従来行われて来た婚姻や養子縁組に於いて、子孫の家系形成をも考慮して、本人や周りの資質を点検熟慮して決定する伝統的知恵行使の権利は、何も皇室に限られた事では無い筈だ。今やそれが、科学の成果で、生殖細胞段階で可能になったに過ぎない。
 しかし乍ら一方、世間には一目惚れ結婚も自由だから、その障害包含承知の上で、現時点での結論方向と同一の、不特定多数希望者の権利も、是又抹消される事があってはならない。
 以前御局と意見交換していた時、家系存続なら、両親の一方が不特定多数であっても、もう片方の親の血は繋がっているのだから、それでよい筈ではないか、という浅薄さには、あきれかえって物も言えん気持ちであった。それは今流行の、核家族一世代限りの発想であって、そんなものは家系でも何でもない!!もしそれを何世代にも渉ってくり返せば、血の流れは何回でも途切れてしまうこととなる。血縁家系とは、何世代も渉り生物学的血筋がとぎれる事なく、連綿と続いてのみ成り立つものである。血縁が切れて、夫婦共他人の養子を取って家名だけ続く家も世間には沢山ある事は承知しているいし、我家も最悪の場合はその選択肢もあり得るとは思っているが、ここはそれを出来る丈避けようという話だ。今仮に男性の家系を繋ぐ場合、その男性の代わりに不特多数から選んだら、その男性の血統はそこでとぎれてしまう。当然、その逆も又然りである。その上子孫の資質に重大な危惧をはらむこととなってしまうのである。
 とにかく、成長過程に於ける親告知の困難さや、告知後の親子関係の困難さに危惧の余り、私共にとっては、はるかに重大事の血縁家系の維持や、血統の資質保持の権利を、一方的に法や規制で奪い取る権限は、どこにも無い筈であり、又、有ってはならない事なのである!!
 もちろん家系など、どうでもよい。子供さえあればと言う人も沢山居るだろう。その場合は片方の繋がり丈でもよかろうし、全くの他人でも、当事者が承知ならそれも結構。しかしもし血縁家系を問題にする事は、時代遅れで、悪い事だから撲滅すべきだと考えているのなら、絶対に承認する事は出来ぬ!!
 母方の里の伯父夫婦は子に恵まれず、伯父の弟の双子の兄を、当事者間、十分納得の上で、生誕直後貰って帰り、熱烈の愛情で育てた。心無き他人のそそのかしか、かなり大きくなってから「僕の本当の親は誰だろう?」と言い出した。後難を恐れ、やっ気になって否定している間は、親子関係が、益々きしむばかりであったが、真実告知の後は、逆に、その事によるきしみは全く解消してしまった。
 父の母方従兄は、旧帝大出であったが、己の不始末から家を潰してしまった。名家出の先妻は一人娘を連れて実家に帰り、其後へ、早逝した弟の嫁がその一人娘を連れて後妻に納まった。私の祖母が、後妻の一人娘が仏壇の実父の位牌を見て「これ誰や?」と言っていると笑っていた。何時真実を知ったか知らないが、その事によるもつれは一度として聞いた事がない。
 是等は冒頭の他人良好説とは逆に、非常に濃い肉身間であったからこそ、何の波風も立たなかったのである。思うに、それは当事者が昔の教養ある家柄同志の為人格的で、仲良かったせいかも知れない。
 いづれにせよ、私共は狭い経験と思考力しか持ち合わせていないので、何事によらず、其道の専門家の深広の知見による知識を得たいものと痛切に念願している。ところが得てして、学者様は尊大の余り、自説強制の幣少きにあらず。

 (結論)
 従って、この選択肢を取れば、これこれの条件では、これこれしかじかの隘路も有り得る。又それを克服するには、これこれの方法があるという注意喚起に止め、当事者がそれぞれの隘路を充分承知納得の上で、自己決定するようにすればよいと思う。
 とにかく狭い島国で単一民族?長い封建と鎖国、軍国の名残りか、日本人は今だに、何でも厳禁する事が大好きで、皆が一斉に同じことしたり、させたりしないと、ものすごい不安にかられる極めて偏狭、狭隘の動物であるらしい。伝えられる現状が必ずしも最高完璧とは思わないが、まずは多少の欠陥はあっても、代理母をも広く容認するアメリカ等の大らかな自由尊重の方向にこそ活路を見出すべきであると考える。それでないと世の中は発展しないと思います。今思い至ったが、権威の維持の為に失敗の責任追求を恐れる余り、あれも禁止、これも禁止となっているのではなかろうか。目ざましい世の発展事は、厳禁破り、暴険の中から生まれて来たものが沢山あったと思います。


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