02/11/19 第7回新たな看護のあり方に関する検討会議事録          第7回新たな看護のあり方に関する検討会議事録 日時      平成14年11月19日(火)         10:00〜 場所      厚生労働省省議室 出席メンバー  井部俊子、上野桂子、内布敦子、川越厚、川村佐和子、國井治子、         平林勝政、藤上雅子、宮武 剛、柳田喜美子(五十音順、敬称略) ○田村看護課長  ただいまから「第7回新たな看護のあり方に関する検討会」を開催いたします。委員 の皆さまにおかれましてはご多忙のところ本検討会にご出席いただき誠にありがとうご ざいます。それでは川村座長、議事進行お願いいたします。 ○川村座長  本日の議事に入る前に、藤上委員から前回のご発言に関連したお話があるということ ですのでお願いします。 ○藤上委員  前回内布委員からご質問がありました薬局の24時間体制について、1点だけ補足させ ていただきます。現在保険薬局では調剤報酬点数における調剤基本料の基準調剤の届出 を行う場合に、処方箋の受入体制が24時間体制であることが要件の1つになっておりま す。この基準調剤の届出を行っている保険薬局においては、予め患者さんに夜間や休日 の連絡先を伝えております。また薬局のシャッターなどに緊急時の連絡先を明示してお くなどの対応が取られております。ということで、すでに処方箋の受入体制は24時間体 制になっています。また何らかの事情によって保険薬局が直接対応できない場合におい ても、その保険薬局と連携を取り合っている地域の保険薬局において対応するという形 になっております。そのような保険薬局を選択していただければ、夜間や休日などの緊 急時においても、薬剤師が対応できる体制になっていることを補足しておきたいと思い ます。 ○川村座長  それでは本日の資料の確認を事務局からお願いします。 ○勝又補佐 資料の確認をさせていただきます。 資料1「生活の援助と医師の指示について」、資料2「在宅患者の死亡時における看護 師等の関わり方について」 ○川村座長  それでは本日は議題が2件ございますが、まず「生活の援助と医師の指示」について 検討していきたいと思います。初めに法的な位置付けについて事務局からご説明をいた だきます。 ○土生企画官  事務局から資料1−1に基づき看護師の業務と医師の指示の関係について、これまで もご議論いただいたわけですが、改めて確認という意味でご説明させていただきます。 保健師助産師看護師法第5条において看護師の業務の規定をしており、療養上の世話と 診療の補助を行うという2つのカテゴリーに分類されているわけです。また第37条にお いては、主治の医師または歯科医師の指示があった場合を除くほか、診療機械を使用、 医薬品を授与する等の衛生上危害を生ずるおそれがある行為をしてはならないというこ とが規定されているわけです。こうした保助看法の趣旨から、診療の補助行為について は、医師等の指示を受けて、看護師が行うということになっているわけで、これまでの 議論でその指示のあり方が個別的であるとか、包括的であるとか、そうしたご議論をい ただいてきました。  一方療養上の世話については、診療の補助とは異なり、基本的に医師の指示が必要で ない看護師の業務ということになっています。もちろん療養上の世話についても医師の 治療方針との整合性ということもあるわけで、何か指示があればそれと整合的にやって いくということも必要です。また実際の個別の行為を見ますと、必ずしも両者のカテゴ リーが明らかであるかどうかはっきりしないという指摘もあるわけですが、法律的な整 理としては療養上の世話、医師の指示が必要な診療の補助ということに分けられている ということです。 ○川村座長  ありがとうございました。法律的な整理については、ただいまの事務局の説明で確認 をしていただきましたが、次に医療現場の現状について井部委員にお話をいただきます 。よろしくお願いします。 ○井部委員  資料1−2です。医師の指示と看護業務はどんな状況にあるのかということについて 、現状と問題点を述べたいと思います。4つ挙げましたが、1つは「医師の指示を仰ぎ 過ぎる看護職」といたしました。ただいまの説明にありましたように、療養上の世話の 部分は医師でなく看護職の判断ができる領域であるという指摘がありましたが、現状は かなりの部分を医師の指示を確認すると言うか、私は敢えて皮肉っぽく「仰ぎ過ぎる」 と書きましたが、「仰いでいる」という状況があります。これは1つは、医師の指示の 範囲がどこまでを網羅していなければならないかということの解釈の相違、曖昧性とい う部分、あるいは一方では医師の指示というのはかなり広範囲なものを指しているとい う現場の認識の誤りと言ったらいいのでしょうか、認識の違いというのがあります。例 えば食事はどうするのか、入浴はできるのかできないのか、安静度はどのくらいにする のかといったようなところも、かなりの部分医師の指示というのを確認せざるを得ない ような状況があります。  2つ目は、「医師の指示を催促しなければならない現状」ということで、これもよく 看護職は話題にすることですが、例えば「何とかという薬は切れていますけれども、ど ういたしますか」とか、「このミリ数で多すぎはしませんか」とか、「訂正していただ いたほうがいいのではないでしょうか」といったようなことを医師の指示を指示してい るというような状況があり、医師の指示が必ずしも科学的な判断でスムーズに出されて いるわけではないという人間くさい部分がこの中には含まれています。  3つ目は、「組織のルールを逸脱して出される医師の指示」というのがあります。特 に若手の医師はなかなか判断がつかなくて、指示を出す前に文献を調べたり、上級の医 師に相談したりしていると、肝心な指示が出されるのが夜になってしまうというような ことがあります。多くの病院は緊急でなければ定期的な指示は何時までというように決 められていることが多いわけです。そういうことをほとんど無視して出されると、医師 の指示1つを実行するのに物品管理センター、あるいは薬剤部、看護師のみならずすべ ての所が関連するわけであり、こうした医師の指示というのは現場の混乱をもたらすこ とにもつながりかねないということがあります。  4つ目は、「医師の指示と看護職のジレンマ」ということです。これは医師の指示に 基づいて死に至らしめるようなかなり過激な指示が出されることがあり、看護職はどの 程度拒否をするのかということを問われることがあります。こうしたことは医師の指示 と看護職のジレンマ、死に至る、至らないということはともかく、このまま検査を続け たら干し上がってしまうといったような検査計画などが出された場合、現場でやり取り するわけです。そうしたことで医師の指示と看護職のジレンマというのがつきまとって いることがあります。  四角の中に書いたのは、看護実践の基準で、以前に國井委員から説明がありました日 本看護協会の看護業務基準の抜粋です。その中に医師の指示に基づいて医療行為をする に当たっては、看護職は1、2、3のようなことをきちんと理解していなければならな いということです。つまり、医療行為の理論的根拠とその倫理性、患者にとって適切な 基準なのかどうかということ。医療行為による患者の反応の観察とその対応をしなけれ ばならないということです。  2つ目は、「『医師の指示』と看護職の新しい関係を築く」ということで、ここに出 したのは生活行動の援助ということです。生活行動の援助は、疾病の治療に直接関わら ない、普遍的な援助と疾病の治療に関与する生活行動の援助というのが考えられますが 、敢えてレベル1とレベル2というように整理してみました。レベル1は、基本的に看 護職一般が実施可能な範囲で、レベル2は十分な知識・技術および経験を有する看護職 が実施可能な範囲ということです。これは私の仮説です。生活行動の援助のプロセスは 下に書いたように、ただ何かを実行するということではなくて、そこにはアセスメント をし、計画を立て、実施をして、評価をするというプロセスがあるということを書き添 えました。  次の頁は、以前に看護の独自の機能で紹介しましたヘンダーソンの理論に基づく14の 基本的ニードを参考にいたしまして、私なりに整理したものです。1〜14までございま すが、特に1〜8にかけて身体的なケアに関連しております。例えばレベル1に相当す る範囲はどうなのか、レベル2に相当する範囲はどうなのかということで、書いてみた ものです。  まず「正常に呼吸する」ということに関しては、体位の工夫とか、空調を調整すると か、あるいは場合によっては疼痛の査定をするとかといったようなことは看護職がやる ことですが、さらに踏み込んで酸素療法の検討をするとか、疼痛のコントロールをする とかといったようなことは、経験のある看護職ならばかなりできますけれども、この辺 りが包括的指示との関連で検討される内容かと思います。 「適切に飲食する」ということに関しても、食事の形態や嗜好とか、水分量、食事時の 体位、環境調整、誤嚥の予防、経管栄養とか胃ろう管理に関して看護職が行っておりま すが、もう一歩踏み込んで糖尿病食とか腎不全食の内容を考える。それからインシュリ ン治療の方法、量についてもある一定の範囲で看護職が判断する。あるいは嚥下訓練に ついても計画を立てて行う。あるいは経管栄養からどのような食事が、その患者にとっ て最も適しているのかということを選定するというようなことも含まれます。  3つ目は、「排泄」です。排泄パターンの把握をする。それから摂取量/排泄量の測 定をする。利尿の回数や便の性状の観察、排尿・排便様式の選定というようなことは看 護職が行うわけですが、さらに薬剤を使用する、失禁の状況を査定し、どのように治療 したらいいかといったことを検討する。人工肛門の管理の具体的な内容について詰める といったようなことは、レベル2でかなりの部分を判断することができるのではないか と思います。  「移動、好ましい肢位」というのが4番目にありますが、これは転倒・転落を防止し て、安全な歩行をどういうふうに援助するか。あるいは良肢位をどう保つか。関節可動 域をどのようにトレーニングするかといったようなことは普遍的な看護ですが、特別な 装具を使うとか、腹臥位療法を始めるとか、特に整形外科の手術後の体位をどうするか といったようなことは、上級の判断ということになります。  「眠る、休息する」に関しても、睡眠パターンとか、環境調整といったようなことは 看護職が行えますが、適切な睡眠薬の選択といったようなことはレベル2に相当する判 断かと思います。 「衣類の選択、着脱」ということがありますが、これは一般的には麻痺のある、運動制 限のある患者にも対応していることです。 「体温の調節」ということは、衣類の調整とか環境の調整が一般的に看護として行われ ますが、薬剤の使用、あるいは補液の調整といったようなことはレベル2の範囲で行う ことが考えられます。 8番目の「清潔、身だしなみ、皮膚の保護」というのがありますが、これも入浴するか 、清拭をするか、体を拭くかといったようなことや安楽な体位の工夫、皮膚の乾燥の予 防とか、口腔ケアといったことは看護の領域ですが、さらに心肺機能が低下している患 者さんの入浴もしくは清拭、あるいは口腔ケアをどうするかといったようなことや、人 工呼吸器を装着している患者のバイタルサインをモニターしながら、こうしたケアを行 うといったようなことはやや高度な範囲ということになります。9〜14は、これは看護 師が計画をして、実施することができる範囲であると考えております。  3頁に資料を添えましたが、これは聖路加国際病院で現在使っているもので、ケアガ イダンスと命名しております。通常はクリティカルパス、あるいはクリニカルパスウェ イと言われているものです。その中から白内障と脳血管造影の2つのクリティカルパス を用意しました。  まず白内障ですが、基本的にこのパターンは決まっておりまして、縦軸にケアの内容 あるいは項目が書かれております。横軸が時間軸になっておりまして、入院から手術前 日、手術日、術後1日目、というふうにどういうことが行われるかということが示され ております。上には基本情報で術式、同意書の有無、感染症、アレルギー、体重、身長 、難聴があるか、義歯を使っているかといった基礎情報が書かれまして、その下にこの ケアガイダンスに基づいて、ケアが行われるということになります。縦軸には、観察項 目と処置として予め標準的な実施行為がそこに盛り込まれております。バイタルサイン 、安全とケア、与薬に関すること、食事、指導、バリアンス、これはこの標準的な方法 でできない場合がありますので、そのことについてはバリアンスの中で書くということ です。下に担当のナースが署名をするということになります。3つ目のコラムのPhは 、薬剤師が服薬指導したときに署名をするということになっております。前後しますが 、真ん中のコラムの手術日の所のいちばん下は、OR、手術室の担当の看護師がここに 署名をすることになっています。  4頁目は、裏表になっている裏側になりますが、白内障の患者のこれまで家庭で服薬 していた薬などがございますので、それを持参薬の所にリストアップし、継続して服薬 されたということを確認して記録をとります。このケアガイダンスですと、白内障は1 泊2日で退院になるわけですが、場合によっては高齢者等で「延泊」と書いてあります が、さらに継続して入院を希望する方がありますので、その場合の記録、特に薬に関す る記録、食事に関する記録ということになります。  5頁目は同じくケアガイダンスの2つ目で、脳血管造影です。これもパターンは似て おり、上に基礎情報が書かれ、縦軸に実施されるケアの項目が書かれております。指導 、処置、点滴、服薬、観察項目、ADLの制限もしくはケア、食事、バリアンス、アウ トカムが入っております。それから看護師の署名ということになります。これは脳血管 造影に関連しますので、病棟と検査室の記録が残されるということになります。  6頁は、指導と処置、観察項目があり、点滴、食事、ADLの制限とケア、持参薬が こちらに入っております。このようなことで観察項目もどこをチェックするかというこ とと、どれくらいの間隔でチェックをするかというようなことが予め医師との取決めで 作られているということになります。クリティカルパスは、包括的指示が看護行為並び に医療行為で、特に看護職が実施するものについて、かなり包括的に盛り込まれている と考えられます。医師の指示と看護業務の関連性ということで述べました。以上です。 ○川村座長  ありがとうございました。井部委員からのご説明についてご意見をいただきたいと思 いますが、いかがでしょうか。私から質問ですが、このケアガイダンスの白内障の手術 後1日目のいちばん最後の署名、これは看護師さんが3人署名されて、そしてその隣り のPh、これは何でしょうか。 ○井部委員  薬剤師です。 ○川村座長  これには医師は確認に入ってこないのですか。 ○井部委員  医師はいちばん上に署名M.D.という所がございますが、この全体の標準的な方針で OKという基本的なサインをもらいます。 ○川村座長  なるほど。ありがとうございました。どうぞ皆さま方いかがですか。 ○平林委員  大変興味深いお話をありがとうございました。いくつかお聞きしたいことがあります 。まず最初に2頁の試案において、レベル1とレベル2と分けてあり、レベル2に(包 括的指示)という言葉が入っております。どの例でもいいのですが、例えば「正常に呼 吸する」の疼痛のコントロールというところで、その疼痛のコントロールをするときに 、看護行為と医行為との関係を先生はどのようにお考えになっているのかということを お伺いしたいのですが。 ○井部委員  疼痛のコントロールは、当院では、ペインコントロールナースがかなりのところの疼 痛コントロールに関与しております。痛みは全人的な痛みで、単なる肉体的な痛みだけ ではないといった考えからすると、精神的な対応も含めて、ペインコントロールナース が検討するわけです。その中で最終的にペインコントロールナースの範囲で取り扱えな いものが、薬剤を使うということです。しかしペインコントロールナースは、どの薬剤 を何ミリ使ったらいいかということに関しては言えるのですが、処方箋を切るという段 になると、これは医師の範囲ということになります。そこは担当医と話をして、処方を 出してもらうということになりますが、線引きがなかなか難しいところがあり、できる 専門看護師などの場合は、最後の処方箋を切るというところだけが医師の業務というこ とになる場合もあります。もちろんこれは医師の力量、看護師の力量によって現場では かなり流動的であるとは思います。 ○平林委員  いまの先生のお話は基本的に了解できたのですが、そうするとレベル1とレベル2に 加えて、実はもう1つ右側に医療行為なり、医行為という枠を設けて、そことの相関関 係をクロスさせて考えるというようにしたほうが、いま先生がおっしゃったような考え 方がもう少しくっきりと出てくるのではないかと思いました。したがってレベル2の所 では、むしろ包括的指示というのではなく、看護師の判断によって、必要に応じて医師 に対して指示を求めていくと言うか、処方をしてくれということを要請するという形に なっていくのではないでしょうか。包括的指示という言葉をどう使うのかということで 、前回いろいろな議論があったのですが、基本的に包括的指示というのは、診療の補助 として医行為を行うプロセスの中で、一定の裁量権を看護師に与えられるという形で、 考えていきましょうというふうに確か了解をしたように記憶しております。そうすると ここで包括的指示というのをレベル2の看護の本来の業務の所に入れてしまうと、場合 によってはここにも包括的指示が入ってくるのかという誤解を産む恐れがあるのではな いかと思います。むしろレベル2の所では、個別的に看護師の判断によって、医行為と して例えば薬剤の使用について言えば、処方をしてくれということを請求して、それに 対して、医師が判断をして、医師は医師の独自の判断で処方をするという枠組みになる のではないかと私は思うのです。 ○井部委員  確かにご指摘のとおりで、私がこの表を作るときに、「包括的指示」という言葉をこ の線を跨いで書きたいと思ったのです。ですからご指摘のとおりです。よく私の気持が わかるなと思いました。 ○平林委員  2つ目に、順序が逆になり申し訳ないのですが、1頁の所で、「曖昧な医師の指示の 範囲で食事とか入浴とか安静度についても、医師が指示を出している」とか、「あるい はその医師の指示がなければ看護師が動けない現状がある」というような、両方のこと を確か先生はおっしゃったと思うのですが、そこには、医師がそういう食事とか、入浴 とか、安静度に対して、指示を出すことが、どういう意味を持っているのかということ と、それに頼らなければ看護師がその世話ができないというのがどういう意味を持って いるのかという2つの問題が私はあるだろうと思うのです。そしてその問題を考えると きに、看護のここで生活活動の援助とか、生活行動の援助とか、あるいは保助看法の傷 病者もしくは褥婦に対する療養上の世話ということが看護本来の業務内容であり、それ については基本的な医師の指示は要らないのだという法的な枠組みについての一つの考 え方と併せ考えてみると、私としてはいつも申し上げていることの繰り返しになり恐縮 ですが、そういう看護本来の療養上の世話について、本来どういう療養上の世話行為を 行うのか、あるいは具体的に生活活動の援助行為を行うのかということについてのイニ シャティブは、基本的に看護師が持っているはずだろうと考えます。したがって食事と か入浴とか安静度について、医師の指示がなければ動けない看護師というのは、それは 看護師として失格ではないかと思っております。  しかしながら2番目に、療養上の世話ないしは生活活動の援助行為を行う中で、医師 が食事とか入浴とか安静度について指示を出してくる場合も、それを医師の指示と捉え るかどうかは解釈の問題なのでしょうが、ひとつの参考意見として、看護は看護師とし てそれを踏まえて、自分自身の判断で活動をしていくということをするべきではないか 。ただそのように申し上げると、療養上の世話について、あるいは生活活動の援助行為 を行うプロセスで医師の指示は全く要らないということになるのかと言うと、それは必 ずしもそうではないだろう。例えば食事にしても、入浴にしても患者さんの状況におい ては医師の医学的な判断というものが必要とされる場合もないわけではないだろう。そ ういう場合に、医師の医学的な判断が必要だと判断した看護師にしてみると、自分のア セスメントをきちんと医師に伝えて、医師の指示を得る。これは、本来的には医師に対 するコンサルテーションと言うべきだろうと思うのですが、我が国の法状況はそうなっ ておりませんので、敢えて現行法の枠組みを使って言えば、そういう医師の医学的な判 断が必要だと判断した看護師が、医師に対していわば問い合わせをして、それに対して 医師の許可的な指示を得るということになるのだろうと思います。このように看護師が 医師とコミュニケーションをとって、医師の了解を取った上で看護活動を行っていくと いう構造もあると思います。そういうのもある意味で医師の指示だというのであれば、 そういう状況においては、療養上の世話行為ないし生活活動の援助行為を行うプロセス においても、医師の指示が必要な場合は出てくるだろうと思います。したがってどうい うシチュエーションで、どういう内容の医師の指示を考えていくかということを、少し 区別して議論をしていかないと、この問題は大層混乱をもたらすのではないかなと常々 思っておりますので、少しそのことを申し上げさせていただきました。 ○井部委員  ご指摘は非常によく理解できますし、医師と看護師の関係はお互いの専門領域に関し てアセスメントを伝え合って、コンサルテーションの関係を築くというのは近代的な医 師・看護師関係であると思います。これからの医療の現場では、そうならなければいけ ないと思いますが、この現状と問題点の1に書きましたように、かなりの部分は広範囲 に医師の指示がなければいけないといったような先入観が医療界の中にはあるというこ と。もう1点は医療監視、あるいは特定共同指導といったようなものが入りますと、医 師の指示があるのかないのか、これは医師の指示に基づいてやったのかどうかというこ とが徹底して問われますので、そういう点からしますと、私たちはかなり受身的になら ざるを得ないような時代が続いてきたのではないかと思います。その意味で多少皮肉っ ぽく、仰がなくてもいいのではないかと、もう少し対等な関係でお互いのアセスメント を出し合いながら、話し合っていってもいいのではないかという願いを込めているわけ でございます。 ○平林委員  私もそうだと思いますし、まさにこの検討会というのは、いつか厚生労働大臣がお見 えになった時におっしゃられたように、看護師は看護師として独自にできるところがあ るのではないか。そこをもう少し明確にしたほうがいいのではないかとをおっしゃられ たいくつかのうちの非常に重要な部分だろうと私は思っております。この検討会でいま 先生がご指摘になった、あるいは問題提起された所は、まさにこの検討会が検討をして いかなければならない部分だろうと思っております。 ○川村座長  ありがとうございました。先ほど平林委員がおっしゃいました医師の指示を非常に深 く必要としていく部分と、そうでない部分とをうまく分けるという、その整理法という のは何かご提案はあるのですか。 ○平林委員  実はそれはとても難しい問題で、くっきりとこういうふうに整理をするということは なかなかできないと思うのです。ただ私自身最近、医療行為ないしは医行為と看護行為 との関係をどういうふうにダイナミックに捉えていくのかということを少し考えなくて はいけないのではないかと思っております。ですから非常にきちんとしたマニュアルと いうものはできないと思いますし、個々的に看護師の判断にまさにかかっているという ことになると思います。最近申し上げておりますのは、いつも看護協会を槍玉に挙げて 申し訳ないのですが、看護協会で昔から出している医行為の円と看護行為の円があって 、2つの円が重なっていて、医行為の部分のAの所を絶対的医行為とし、重なっている Bの部分を相対的医行為とし、Cの所を療養上の世話ないし看護本来の業務内容とする という、そういう説明の仕方を見直すべきだろうと申し上げております。取りわけどこ を見直すかと言うと、Bの部分を相対的医行為と決めてかかってしまっているところに 問題があるので、実はBの部分はA+Cと理解すべきで、そこには医行為だけではなく て、Cの看護行為がかぶさっているはずです。そのかぶさっている看護行為を全部すっ 飛ばして、そこはもう相対的医行為だとしてしまっているところに問題があるので、B の部分は先ほど先生のお話に乗って申し上げたように、一方で看護行為があり、他方で 医行為があり、そのどちらを取るかを看護師がきちんと自分の責任で判断をしていかな くてはならない部分である思います。ですから痛みのコントロールの場合には、まず看 護師としては、本当に薬剤が即必要な患者さんであるのか、あるいは本来の看護行為に よって痛みが軽減できる患者さんであるのかということの判断をする。もし本来の看護 行為で痛みの軽減ができると判断したならば、それは看護師本来のいろいろな方法、温 めるとか、冷やすとか、体位を交換するとか、用具を使うとかいろいろな方法があろう かと思うのですが、そういう方法でまずやってみるべきだろうと。それでもやはりどう しても駄目だという場合には、そう判断した看護師は、医師に対して先ほど申し上げた ように、これはもう鎮痛剤を投与するしかないとして、医師との関係をとっていく。あ るいは逆に今度は相対的医行為、仮に点滴の指示が出た場合、その点滴をどういうタイ ミングで、患者さんの生活状況の中のどの時点で点滴をすればいいのかということは、 本来看護師が考えるべきだろうと思います。そこのところは相対的医行為を遂行する中 でも、やはりその遂行する場面に応じて、看護行為がかぶさって、両方が判断されてい かなければならないと思います。にもかかわらず、そのかぶさっている看護行為のとこ ろは全部捨象して、医師の指示どおりに機械的に点滴をすればいいと考えるのであるな らば、それはやはり看護本来の役割を果たしていないと言わざるを得ないのではないか 。このように最近考えておりまして、若干書いたりもしておるのですが、だからと言っ てうまく整理ができているかどうかは甚だ自信がないのですが。 ○川村座長  勝手な解釈ですが、具体的には先ほどの井部委員のペインコントロールナースの説明 から言うと、まずトータルに捉えて。 ○平林委員  そうですね。 ○川村座長  薬というものに頼るということは最終の所に持っていく。事前にいろいろ看護が独自 で行えることをまずやった上で薬にたよるというように解釈してよろしいですね。 ○平林委員  はい。 ○川村座長  あまり看護協会も違ってはいないのではないのではないかと思いますが、いかがです か。 ○國井委員  いまおっしゃった相対的行為のことですが、私自身は先生がおっしゃったように、医 行為を実施するにも、看護独自の判断とか、いろいろな方法があって、それを加えて行 うという意味で医行為ということに表現しているから、看護がふっ飛んでしまっている ように見えるかもしれませんが、先生がいま説明してくださったような意味で分類して いると判断しています。 ○川村座長  他の課題でも結構ですが、いかがでしょうか。 ○田村看護課長  先ほど井部委員が医療監視とか、協同指導の場面で医師の指示があるのかという厳し い指摘があるというご発言がありましたが、先ほどのヘンダーソンの項目で申し上げれ ば、食事に関していまは食事処方箋と言いますか、食事箋を医師が切るということに関 しては、これがないといけないということはございますが、それ以外のことについては 特別医師の指示ということを求めているわけではありません。 ○井部委員  例えば具体的な例を挙げますと、点滴が1日に500ccが3本という指示が出て、患者 の状況によって看護師が判断して、医師とも相談して1,000ccでやめたという場合があ ります。そのときにもうこれは必ず医師の指示があって減らしたのですか、というよう な追求が後でなされますので、そういう防衛のためにだんだんと医療現場では医師の指 示がいろいろな所にかぶさってくるという状況があるのではないかと思います。 ○宮武委員  井部委員の資料でレベル2の所については、1頁にあるように十分な知識、技術およ び経験を有する看護職が実施可能と書いてあるわけですから、これについては何か特別 な教育とか何かそれがやれる判定方法とか、そういうことも含めて考えておられるのか どうかということが1つです。もう1つは、レベル1のほうになると、逆にこの会の議 論の範囲外かもしれませんが、在宅の介護などの場合で言いますと、ヘルパーさんがで きるような行為も入っているのではないかなと思いますが、その辺はいかがでしょうか 。 ○井部委員  まずレベル2に関しては、十分な知識、技術および経験を有する看護職であるという ことの保証が必要ですので、一定の教育とか、あるいは特定の場所での経験を問うとか ということは、今後検討されるべきであろうとは思います。  それからレベル1に関して、ヘルパーができるではないかということですが、この字 面だけ見ますと、確かにそれは考えられるのですが、この背景には専門的な知識や技術 をきちんと持っていること、それとプロセスで書きましたが、きちんと患者の状況を査 定し、計画を立て実施をして評価をするという一連の施行のプロセスを踏んでいること が前提ですので、文言だけ見てこのことはできるではないかと言われると、多少私の意 図に反する部分がございます。 ○國井委員  もう1つ特別な教育を受けたという所で、前にもご紹介しましたが、本会に専門看護 師制度とか、認定看護師制度というのがあります。いわゆる経験5年以上でしかもある 特定の領域、がん疼痛コントロールとかの領域の経験を3年以上積んでいる人に、さら に教育をして、協会が行う認定試験をして、認定していくという制度が認定看護師制度 です。また、大学院の修士課程を修めて、さらに経験を1年積んだ後に、認定を受ける というかなり豊かな経験と教育に裏付けられた専門的な技能を持っているナースを認定 する制度が専門看護師制度です。こういう人たちに裁量権を認めていくということも、 これから患者さんにとってはメリットがあるのではないかと考えています。 ○柳田委員  そこに医師の指示を仰ぎすぎる看護職、あいまいな医師の指示の範囲とありますが、 それに関しては教育とか、医師自身の自覚、能力、いろんなことが関係しているのでし ょうし、こういうことであればこれは医師のしっかりした意識改革を促さなければなら ないということです。こうなりますと包括的指示はどうなるのか、先ほど言われたよう にやはり医行為、看護行為、こういうものに関してはある程度の分類は必要になってく るでしょう。やはりその時に応じた医師の指示は外してはいけないと思っております。 ○上野委員  柳田先生がいまおっしゃった医師の指示を外すべきではないという所は、医行為にか ぎらず療養上の世話等の所もおっしゃっているのでしょうか。 ○柳田委員  それを含め連携のもとに。 ○川村座長  柳田先生がおっしゃったのは、1の医師の指示を仰ぎ過ぎるという所に関連して、そ の2についてですね。 ○柳田委員  はい、その1と2の催促しなければならない現状があるとかです。 ○川村座長  必要な医師の指示はきちんとやるべきであるというご主張でよろしいですね。 ○柳田委員  はい。まずそこを促すべきというのが原点です。 ○田村看護課長  先ほど十分な知識、技術および経験を有するということで、宮武委員のご質問を受け て、井部委員と國井委員のご意見がありましたが、いま私ども厚生労働省として、正式 にそうしたよりアドバンストな教育を受けたナースについてと法律上の整理を現状でし ているわけではございません。そういうこともあり、臨床の場での研修とか、経験とか いったようなことをどのように見ていくかということは、今後の検討が必要だとは考え ております。例えば看護協会が認定している認定看護師であるとか、専門看護師にのみ 包括的指示でもって医行為、薬剤を使うというようなことで介助をするということだけ を、いま私どもは考えているわけではないということを申し上げておきたいと思います 。 ○川村座長  私から質問させていただきたいのですが、このケアガイダンスは患者さんにはお渡し になるのですか。これを基にしてご説明があるのですか。 ○井部委員  当初私はこれをそのまま理解できる患者さんには、このまま提示できるように、でき るだけ英語は使わないようにという方針で作ったのですが、かなり細かくなってしまう ので、現在白内障は別にお渡しする教材、参考資料といったもので別に作っております 。検査に関しても別に配付資料はございます。 ○川村座長  これはむしろ医師と看護職が用いるということですか。 ○井部委員  共通の合意書みたいなものです。 ○川村座長  ある意味での事前の包括的指示という言い方もできるのですか。 ○井部委員  はい、そうだと思います。 ○川村座長  いま委員の病院では、これが出ると看護師さんはどの部分をおやりになるのですか。 注射や何かもほとんどおやりになるのですか。 ○井部委員  大半のことはやります。 ○川村座長  これは指示書で、主治医と看護職との関係をはっきりさせていくものになるわけです ね。ありがとうございます。 ○井部委員  少なくとも白内障の手術日の所の下のほうに、「局所麻酔」という項がありますが、 これは医師が行う範囲になると思いますし、その上のIVDと点滴の静脈注射を開始す る、これは手術室ではナースが開始する、つまり針を刺入するということがありますが 、点滴、静脈注射ならびに局所麻酔の辺りは、これは医師がやる部分だと思います。静 脈注射は手術室の中で看護師がやっているかもしれません。ちょっと確認不足です。 ○中島医事課長  質問ですが、いまのケアガイダンスは言ってみれば事前の包括的指示書と理解してよ ろしいのかということです。つまりこれとは別にカルテの記載と看護記録の記載という のが存在していて、実際に投薬するときには処方箋が切られるということでしょうか。 ○井部委員  はい。 ○中島医事課長  そうするとそういうカルテとか、看護記録の中から、こういうものを抜き出して別に 書類にしたというようなニュアンスでよろしいのですか。 ○井部委員  医師の経過記録は別に取られますが、看護師の経過記録は少なくとも白内障ではこれ だけです。経過記録でございます。 ○宮武委員  このケアガイダンスですが、医師も看護師も同じ所に書いたらまずいのですか。回復 期、リハビリテーションの所で、カルテを医師も看護職の方も、PT、OTもソーシャ ルワーカーまで一緒に書いて、1枚にされている例を拝見したことがあり、大変感心し たのですが、何もこれは職能によって分けることはないような思いが素人からはしまし た。そうすると指示の内容も毎日わかるわけで、時間的にもわかっていくというような 気がしますが、いかがでしょうか。 ○井部委員  ご指摘のとおりです。 ○宮武委員  そうですか。 ○井部委員  これは例えば外来で治療を受けるときは、この紙と一緒に外来に行きますので、医師 はこれを見ることもありますし、あるいはこの後ろに所見を書くこともありますが、医 師は必ず治療の要約、サマリーを書かなければいけませんので、そうした記録は別に発 生することがございますが、ケアガイダンスを使わないほかの診療、入院患者の場合は 、経過記録は医師も看護師も同じ用紙に記載をしています。 ○内布委員  少し話が元に戻るのですが、療養上の世話に関する判断と実施に関しては、それを専 門職として行うことを保証するために、教育の現場はそれを徹底的にやっているわけで す。医学的な治療が必要であるという判断も、もちろんそれは教育の中に入っていて、 これは医師に報告をしなければいけない状況であるとか、医師の医学的な治療が必要な 状況であるので、医師と相談しなければいけないとか。そういうことは基礎教育の中で 、かなりの時間数を割いて、むしろそこがいちばん看護の専門性の部分なので、療養上 の世話に関する判断と実施に関してが、カリキュラムの大半を占めているのです。です から大学にかぎらず、看護学校もそうですが、その専門性を保証するために、一生懸命 教育をしているのですが、免許を取って実際に現場に入ってしまうと、先ほど井部先生 がおっしゃいましたような状況が渦のように流れていて、巻き込まれてしまう。いつも 言いますが、私たちはそのように教育していますが、学生は実際に就職をしてみるとと んでもない状況が起こっているので、夏休みとかには帰って来て、「先生、教えられた ことと全然違うのだけど」と言われるのです。でも私たちは看護の基本的な役割という のは違わず教えたいので、理想かもしれませんが現実とかなりかけ離れたことかもしれ ないけれども、徹底してそのことを保証するために教育をし、そのことを保証するため に国家資格も与えているのに、現実には井部先生がおっしゃっているようになっていま す。もっと極端に言いますと、私は生活処方は看護が出すべきであると考えており、生 活処方の指示は看護が医師に対して出すということも当然あるべきであると思うのです 。例えばその方のクオリティオブライフが非常に治療のために落ちてしまうという状況 があって、生活が非常に破綻を来す。だから病気はよくなったが、生活はできなくなっ てしまうというような状況は、これは看護師が適切に介入しなかったために起こってき たことであり、それは看護師が無責任な仕事の仕方をしているのだなと思います。やは り傘の下に入ってしまうと楽なのです。ですから看護職は逃げ道として医師の指示をも らう。医師も本当は迷惑をしているのではないかと思います。生活、療養上の世話の指 示までなぜ医師が出さなくてはいけないのか。責任は最終的には自分たちがとらされる のに、看護師さんたちはいつも傘の下にもぐってくる。それは事件が発生したときに、 そこを追及されるから、医師ならば矢面に立てるから、看護師は矢面に立てないから、 立ったときに不利だからというようなことで、そういう状況になっているのだと思うの ですが、先ほど説明があったように法律的にはあまり縛りはない。食事箋ぐらいで、も ちろん薬剤の処方とか、医学的治療に関しては医師の指示はもちろんあるのですが、法 律的に多くの縛りがあるわけでもないのに、何かしら暗黙の了解の中でそこは追及する のだということにどうもなっているというのはおかしいと思います。そこをどう変えた ら、変わっていくのかわからないのですが、医師は生活の専門家ではありません。医学 的な診断と治療が彼らの専門なのです。だから、その役割をきちんと果たしていただく ということですから、では生活の専門は誰かと、特に傷病者に関する生活の責任は、ヘ ルパーさんはある程度固定した状況で、病気とは言えないような慢性的な状況での生活 の世話、老化とかで機能の衰えた場合はヘルパーさんでももちろん可能かと思いますが 、傷病者で医学的な治療を伴うような場合や、もしくは伴わない場合でも傷病者の生活 療養上の世話というのは、看護の判断と実施が独自に行われて構わないのだと思うので す。医師は本当に迷惑をしているのではないかと私は思いますし、看護が責任をどこか で取っていくことをしなければ、この状況は変わらない。法律が縛っているわけでもな いのに、こんな事が起きているというのは一体なぜそんな事が起きているのかよくわか らないと思っています。  もう一つは、看護は生活上の判断を行い、もし医学的判断が必要な場合は医師にコン サルテーションをするという形が当然と思いますが、一方で患者さんが何を求めておら れるかということも重要であると思います。つまり、患者さんが看護だけを必要とされ る場合もありますし、医師の治療だけが自分には必要であるという方もいらっしゃるの です。そういう場合は、やはり患者さんのニーズに応じて、医学的な治療や看護がそれ ぞれ提供されるということになります。 ○川村座長  いまのご発言は、1つは看護職がもっと自覚を持って、責任を取るという態度を示し ていこうという内側の話ですよね。 ○内布委員  そうなのですが、何かしら文化ではないけれど、それが何なのかわからないのですが 流れているのです。先ほどから聞いていますと、法律がすごく縛っているわけでもない ですよね。でも看護師さん自身の問題なのかなとも思うのです。医師が縛っているわけ でもないと思います。医師は療養上の世話に関しては、かえってふられたら、自分は生 活は専門ではないので困っていると思うのです。もう慣習的に自分が安静度なんかを指 示するのだと思って、もちろん整形外科の場合は、僕に聞いてもらわないと困るという 部分はあると思うのですが、医師も別に聞かなければ困るということを言っているわけ でもなくて、やっていけばいいことなので、どうも医療文化の中でそういうふうになっ ているのではないかと思っているのです。それが何が原因でそういうふうになっている のか、誰も縛っていないのにそういうふうになっているのかがわからないのです。 ○川村座長  それからもう一つのことは、医師と患者だけで医療が成り立つ、というご意見がある わけですね。 ○内布委員  はい。 ○川村座長  そうすると、いまの病院とか何かかなり変わった形を取っていくようなことを想定さ れていらっしゃるのですか。 ○内布委員  いいえ、そうではなくて、医師と患者との間だけで行われる医療行為というのは、ク リニックレベルでは、現実に今もあります。看護は介在しないで、お薬との関係だけで 医師と患者が治療をされる、治療するという状況というのは現実にあるわけです。別に 状況を変えるのではなく、今現実にそういうことがあって、それは私は、患者さんの選 択なのではないかと思うのです。患者さんが看護を必要とされたり、私たち看護師も「 あなたにはこのような看護が必要ですよ」というサジェスチョンはもちろん申し上げま すし、「あなたの健康上、生活の上で看護としてこのような専門的なお手伝いをして差 し上げられますがどうですか」ということのオファーだと思うのです。それを受けるか どうかというのは、患者さんがお決めになることだと思います。実際にはそこのところ が言語的に明らかにならないまま動いてはいますけれども。 ○井部委員  いまの内布委員の指摘はもっともなところがありまして、これは医師の指示以前の医 療界における医師・看護師関係、あるいは医師と他職、コメディカルとの関係性がずっ と引きずってきている部分ですので、大改革をするには誰か権限を持った人がやればで きるのかどうかわかりませんが、権威構造が医療界にはあるのは確かだと思います。そ れから外来で医師と患者の関係だけで終えることができる。それは私も認めます。です から、外来看護は必ずしもその間に看護師が割り込んで行かなければならないとは考え ておりませんし、むしろ慢性疾患の人たちの場合は、医師がいなくても看護師と患者の 関係で、外来における療養生活を続けていくということも可能でありますので、誰が自 分にとって適切な資源なのかということは、賢い患者は選択していくことができると思 います。 前者の問題に関しては、これも私の認識の違い、間違いだったなと自戒を込 めて申し上げますが、これまで法律的な解釈で療養上の世話と、それから診療の補助と は両方とも医師の指示の傘下にある、というふうに遠い昔に聞いたことがありまして、 そういうふうに解釈する人と、療養上の世話は看護の独自の領域だというふうに考えて いる人と2つありますよ、というような遠いころの覚えも私の中にはありまして、その 辺で医師の指示がどの辺りまで掛からなければならないのかということに関して、きち んとした定説が現場に十分届いていなかったというのもあるのではないかと思います。 ○平林委員  いまの医師の指示がどこまでかというのは、いろいろな説があるというご意見ですが 、確かにそのとおりです。ある説によれば、病院で一旦看護活動に従事すれば、その看 護師はすべて医師の指示のもとに入るのだ、というようなことを確かにおっしゃる方も おりますし、そういうふうに主張される方もいらっしゃると思います。先ほど申し上げ たことと同じですが、その場合の医師の指示とは一体何だろうかということを私は考え 直すべきではないかと思っております。医師と看護師が共同歩調を取って、その患者の 治療に向けてお互いに共同していくのだということは明らかなわけで、その患者さんを どういう方法で治療しましょうかという、大枠のところは最終的には医師の治療方針と しての指示とでもいうものがかなり効いてくると思います。医師の治療方針を決定して いくプロセスの中で、看護師と医師とがどれだけコミニュケーションを取って議論でき るかということはもちろん重要だと思いますが、最終的な医行為についての責任は医師 が取るという構造になっておりますから、看護師は治療方針としての医師の指示に従わ ざるを得ないということによると思うのです。ただ、個々の具体的な療養上の世話なり 、生活活動の援助というところでは、先ほど申し上げたような形で、それとはまた違っ た意味の考え方をすべきではないかというふうに思っております。それが医師の指示と の関係で私が考えていることです。  もう一つは、内布委員がおっしゃった患者と医師だけで治療行為が完結してしまうこ とがあって、そこにはあたかも看護師が介入できる余地がないかの如き、そしてそれで もいいかの如きご発言をされたのですが、確かに傷病者もしくは褥婦に対する療養上の 世話という現行法の枠組みで考えると、そういうことがあるのかもしれませんが、看護 本来のあり方ということを考えていく場合には、そういう患者さんのディマンドだけで 看護が動いていいとは私には思えないわけです。そういう状況があるにもかかわらず看 護が独自の機能をどうやって果たしていけるのかということが、むしろ本来考えられる べきであって、あるべきではないのだろうかというふうに考えておりますので、ちょっ とそのことを申し上げたかったわけです。 ○川村座長  ありがとうございました。会の始まりが遅れたということもありまして、この問題に ついてほぼ1時間取らせていただきましたので、第2番目の課題に移らせていただきた いと思います。「在宅患者の死亡時における看護師等の関わり方について」です。まず 事務局から資料のご説明をお願いします。 ○土生企画官  それでは事務局から資料2、「在宅患者の死亡時における看護師等の関わり方につい て」ご説明をさせていただきます。この資料は、第3回の検討会で在宅医療を継続中の 患者さんがお亡くなりになられたときの死亡診断の法的な問題、あるいはその死後のケ アの問題ということにつきまして、問題提起がございましたことから、事務局のほうで 問題点と法律的な関係ということを整理したものです。  まず、村松静子さんの著作から事例を2つ紹介してございます。著者は、長年、在宅 看護、あるいは在宅における死ということにかかわってこられた方で、『そのときは家 で 開業ナースがゆく』というタイトルの著作から引用させていただいております。こ の事例はこの本の中の第1章ですが、家で死にたいという希望がかなえられない理由と いう中で、いくつか理由を整理して書かれております。その中で関係者間、家族や医療 従事者の間の意思のずれというようなことが、その家で死にたいという希望がかなえら れない理由の1つではないかという中で引用されている事例です。詳細のご紹介は省略 させていただきますが、この事例の中で担当医のご発言として、線を引いてございます が、「24時間以内に往診していなくて死亡した場合には検死になります」ということを ご発言されているわけです。この点、あとでご説明させていただきますが、厚生労働省 の解釈が必ずしも周知されていないのではないかという問題がある、ということがうか がえるのではないかと思います。  次に2頁目の2つ目の事例です。同じ章の中で別の理由として、ナースの役割意識の 欠如、調整能力のの未熟さという理由を挙げておられる中で紹介されている事例です。 これも詳細は省略させていただきますが、2頁目から3頁目にかけて読んでいただきま すと、死亡の場合に担当医の方が死亡確認をするということになっていたわけですが、 担当医の方と連絡がなかなか取れないとか、さまざまな事情があったものと思いますが 、結果として3頁の最初の行にありますが、警察医から電話が入って、警察の対応とい うことになったということで、非常にご家族の方が辛い思いをされたという事例です。  こうした事例も参考にしながら、問題点と法的な整理ということで、4頁に「死亡診 断書(死体検案書)記入マニュアル」を載せております。6頁の下段に文献引用元が書 いてありますが、これは厚生労働省で作成したマニュアルからの抜粋ということです。 まず4頁の上には死亡診断書(死体検案書)の意義ということで、(1)「人間の死亡を 医学的・法律的に証明する」ものであるということが記載されているわけです。  5頁にまいりまして、「2 死亡診断書と死体検案書の使い分け」ということです。 その上欄に書いてありますように、次の2つの場合には死体検案を行った上で、死亡診 断書ではなくて死体検案書を交付するということです。その2つの場合というのは、 (1)診療を継続中の患者以外の者が死亡した場合。(2)診療継続中であっても、この傷病 と関連しない原因により死亡した場合というようなことです。その下のフローチャート で見ていただきますと、ただいまの説明の逆に裏から読みますと、診療を継続中であっ た患者が診療にかかる傷病によって死亡したということになりますと、いずれも「はい 」ということでいちばん左の欄にいくわけで、「求めに応じて死亡診断書を発行する」 ということです。それから、死亡の原因が診療にかかる傷病と関連していないというこ とになりますと、2つ目の欄で「いいえ」ということになりまして、「死体を検案して 異状があると認められるか」どうかということが問題になるわけです。異状がない場合 は「いいえ」ということで、これも「交付の求めに応じて死体検案書を発行する。」異 状がある場合は警察署に届け出るということです。いずれにしても、まず警察の対応が 必要になるのは異状があると認められる場合のみであると解釈をしているわけです。  次に6頁の2つ目の○に(参考)という枠囲みの中で医師法第20条のただし書の解釈 がございます。この解釈につきまして厚生労働省としては、診療中の患者が受診後24時 間以内に死亡した場合ということで、この場合につきましては、その○の上に書いてあ るように、改めて死後診察をしなくても死亡診断書を交付することを認めているという ことです。これは24時間を超える場合には、死体検案書を交付しなければならないとす る趣旨ではないと解しておりまして、逆に言いますと、24時間を超えていても改めて死 後診察を行った上で、生前に診療していた傷病が死因と判定できれば求めに応じて死亡 診断書を発行できると解しているわけです。  こうした2つのポイントで考えますと、先ほどの事例1にありましたように、24時間 を超えて死亡した場合に、先ほどの事例では検死になるというような書き方がされてお りましたが、こうした解釈によりますと、その点誤解と言いますか、必ずしも行政解釈 が現場に周知されていないということがうかがえるのではないかと思っております。7 頁はその解釈を示した昭和24年の通知です。8頁は、もう1つのポイントである死後の ケアを適切に行うための法律的な整理ということで、ギリギリどこまで可能かというこ とを事務局のほうで整理したわけです。先ほど申し上げたように、24時間以内に死亡し た場合には、改めて死後診察をする必要がない。逆に24時間を超えた場合には、医師の 死後診察を行うということです。まず24時間以内に死亡した場合に、死後のケアを開始 するタイミングですが、そこの枠囲みの中に長々と書いてありますが、「在宅で継続的 に治療していた患者」であるということ。それから、「事前に医師と看護師の間で死が 近づいていること及びその場合の対応について確認がなされている」ことを前提にして 、その死亡に際して「異状が認められない旨、医師の判断を得た場合」には、実際にそ の死亡診断書がいつ交付されるかということに関わりなく、交付する前であっても患者 の尊厳や遺族への配慮として、訪問看護師等が死亡の処置を適切に行うということが望 ましいし、また法律的にも可能ではないかというようなことです。24時間という問題が ございますので、そこに但し書を付けているということです。そうした死が近づいてい ることのおよその予測ということで症状を整理しています。いちばん下に文献名が記載 されておりますが、これから引用させていただいたものです。  9頁には、死を確認するための3徴候というものを整理したものです。また、一般に 行われる死後の処置ということで、遺体を清潔にし、生前の外観をできるだけ保って死 によって起こる変化を目立たないようにするための処置ということで、そこに書いてあ るような処置が一般にとられているということです。以上です。 ○川村座長  ありがとうございました。これはこれまでの皆様方の話し合いの中にも時々出てきた 問題です。いかがでしょうか。 ○上野委員  8頁の死後のケアのところが非常に安心したというか、在宅をずっとやっていますと 、こういったケースが非常に多くて、もちろんこの場合は、事前に医師と訪問看護師と 家族とできちんと了解しておくということが前提になっているのです。いろいろな所を お伺いしますと、医師がどうしても夜中は行かれずに朝行くといった場合は、訪問看護 師が緊急で呼ばれますので夜中に伺って、この3徴候を確認して、それから30分ぐらい 時間を置いてから死後のケアを行うという事実がありましたので、こういう判断をして いただくと非常にありがたいという感じがいたします。  もう1つ検死の問題ですが、たまたま主治医がいらっしゃらなくて、よく検死になる ケースは、病院に主治医がいる利用者さんで、在宅で診ていらっしゃる場合、何かあっ たときには病院へ連れて行かなければいけないというときに、病院の中での連絡体制と 思いますが、亡くなったときとか、もう呼吸をしていないというときに、慌てて病院へ 連れて行ったり、救急車に乗せたりするわけですが、そういうときにいらっしゃる先生 が担当医でなかった場合、死亡診断書を書けないということを言われまして、それで検 死になったというケースも伺っています。ですから、そういう場合は逆に言いますと、 訪問看護師等が診ている経過記録等を見てそれを判断材料にしていただければ検死に至 らなくて済むのかなと思うのです。家族が最後まで家で診たいと言っていて、最後のと ころで検死という結果になって非常に残念な思いをしたケースも聞いております。 ○柳田委員  この2つの文を読ませていただいて、現場で、そういうような事実があったのかなと 。これは大変なことだと。そうであれば直ちに通達をして、取り計らわなくてはいけな いと感じております。それから、主治医とナース、在宅ケアにおける医師と病院の医師 との連携の悪さとか、そういうものもまだ多く存在しているでありましょうから、この あたりの連携を十分考えなければいけないだろうということです。いまの日本で医師が 行けないということは、結局、災害であるとか、その医師がどこか海外に行っていると か、医師が病気であるとか、よっぽどのことを除いてないわけです。私たちの感覚から すれば、医師がいなくても当直の医師あるいは連携のとれる医師が必ずおります。必ず 誰かがそこの現場に行くわけです。だから現場に行かないこと自体が大変な驚きであり まして、これは直ちに全医師に通達しなければいけない、という感想を私は持ったわけ です。そういうことで、この「死後のケア」という文言はこれからの議論ですね。 ○田村看護課長  現状の医師法の解釈に基づいて、死後のケアについてはこういう条件が整えば、死亡 診断書を医師が書く前であってもナースができるのではないでしょうか、ということで 提案をさせていただき、またご議論をいただければと思ったところです。 ○柳田委員  その状況がわからないわけでもないのです。理解できるのですが、例えば一遍もここ に医師が死亡確認に行かなくてもいいのかということです。そして死亡診断書を書いて いいのかということです。このことについては、もう少し検討させていただきたいと思 います。 ○田村看護課長  24時間以内に医師の診察があるという前提でのことです。 ○柳田委員  24時間以内にあった場合ですね。 ○上野委員  在宅の場合ですね。老人のターミナルなどの場合が非常に多いと思うのですが、訪問 看護師が、終末期になると頻回に訪問に行くので、病状をチェックしてアセスメントし て、医師に必ず報告いたします。そうすると、医師は日中必ず往診しますので、そこで もしかして今晩ぐらいでしょうかという話をするわけです。そうすると、中には夜中に 往診に行けない医師もいらっしゃるのです。もちろん現場にいらしていただきたいと私 たちは思っているのですが、先生方のご都合があったりしてなかなか行けない場合のほ うが多いというときに、医師と家族のお約束をして、それで例えば医師が行けないから 家族に呼吸が止まった時間を見ておいてくれという先生もいらっしゃいます。しかし、 多くはいま24時間体制をとっていますので、訪問看護師のほうに電話をいただきます。 それで訪問看護師が対応して、最後のところを家族と一緒に看取っていくという現実が あるわけです。ですから、24時間以内に医師は必ず診ていらっしゃる。もちろん在宅の 熱心な先生は夜中でも、いつでも呼んでくれと言っていつでもいらっしゃる先生もおり ますし、それから来れない先生もいらっしゃるという現状があることをご理解いただき たいと思います。 ○平林委員  まず、死亡診断書と死体検案書の区別について、私は必ずしも厚生労働省と同じ考え 方をするものではないのですが、それは今日の議論とは関係ないので省略いたしますが 、どちらにしても、この問題を考えるときに、8頁の「死後のケア」にあるような状況 を解決するためにまず行わなければならないことは、柳田委員がおっしゃっていたよう に、まず医者が行くことだと思います。そのことを抜きにして、いきなりこの議論を始 めると、本来の筋から外れてしまうと思います。先ほどの上野委員のお話のように、あ らかじめそういう状況が伝わっているのであれば、夜中であろうと何であろうと、保険 薬局も夜中でも起こしてくれと言っているわけですから、なぜ医者が起きて行かないの か。そのことのほうがずっと不思議ですし、それは在宅医療を行っていく医者の基本的 な責任であると私は思います。そのことは柳田委員も、そうしなければいけないという ことをおっしゃってくれていますので、まず私はそこのところをきちんと確認した上で 議論を進めていくべきではないかと思っていることが1点です。  それから、仮に本当にやむを得ない事情で主治の医師が、その時どうしても病気にな ってしまってとか、それこそ医師法の応召義務に応じられない正当事由に該当するよう なことが仮に起こったとした場合に、万止むを得ない措置としてこれができるかどうか ということがその次に議論されると思うのです。この「死後のケア」の枠の中に書いて あるところで1つ疑問なのは、「異状が認められない旨、医師の判断を得た場合には」 とあるのですが、医師はどうやって異状がないことを判断するのか。そこのところを私 は知りたいと思います。 ○川越委員  現場の話を少ししなければいけないと思って手を挙げたのです。まず、いま平林委員 から「異状がない場合をどう判断するか」ということですが、これは長期に診ている患 者さんだったら、その原病死といいますか、その病気のために亡くなったかどうかとい うことの判断が基本的にできるわけです。ただ、診てない方を突然行って異状があるか 、ないかというのはできませんから、そのためにこういうシステムといいますか、流れ になっているわけです。やはり、ここで死亡診断書を発行するときに、いままでずっと 診ていた患者さんであるかどうかということが、1つ大きなファクターとして置いてあ るということは非常に意味があるということを申し上げたいと思います。私は大体平林 委員の意見にはいつも賛成なのですが、今日、ちょっと引っかかったことは患者さんが 亡くなったときに、医者が行かないと死亡診断ができないということは確かにそのとお りなのですが、いまの制度では24時間以内に診察していれば、要するにそこへ行かなく ても死亡診断書が発行されるということになっているわけなのです。これは実は私たち 現場におりますと、非常にありがたい。患者さんが家で死にたいというようなことを言 って、それを実現する、それを我々が支えているわけです。私のことを話して恐縮です が、私は大体24時間以内に亡くなりそうだと看護師から連絡を受けて往診に行きますが 、希に1日、2日診察していないで亡くなるということがあるのです。そのときは必ず もちろん法的にも行かなければいけませんし、行きます。それから、24時間以内に死亡 していると言っても、必ず患者さんの所へ行くわけですが、それが例えば夜中の2時に 亡くなったから2時半に行くという考え方は持っておりません。家族の方も私たちのこ とをよく知っておりますから、明け方の7時とか、そういう時間に呼んで、そこへ行っ て死亡診断書を具体的に書くという格好をとっております。話が長くなりましたが、い ま法的に24時間以内の診察をしてあれば、その場に行かなくても死亡診断書を書けると いうのは、私たちにとっては非常によくできた法律だと理解しております。ただそこへ 行って、亡くなった後行くか、行かないかというのは、ある意味で医者のモラルの問題 ではないかと私は思っております。これは皆さん意見があるかもわかりませんが。私は 必ず行くようにしています。  それから、ここで村松さんの事例が出ているのですが、これを読んで私はちょっと違 和感を感じることがあるのです。確かに問題を提起しているということでは非常に大事 なことであるわけですが、やはり死亡診断というのは、ある意味で絶対医者が譲れない ようなところもありまして、出産のときはまた違いますが。「事例1」で、医師の理解 の問題ということが1つ挙げられておりますが、これは先ほど企画官がおっしゃってい ましたように、厚生労働省の考え方が周知徹底していないということの問題だろうと思 います。  2例目に挙げてあるのは、タイトルが「医師が2人もかかわっていながら検死になっ た例」ということになっていますが、これは医師が2人もかかわっていたから検死にな った例なのです。やはり在宅で診る場合には、医者の場合誰が責任を持つかということ をはっきりしておかないと、こういうことは当然起きてくるわけです。それよりも、や はりこの死亡診断とか、在宅ケアというのは医者だけでもできませんし、看護師さんだ けでもできない仕事です。ですから、やはりその辺の協同、やはり看護師さんが突出し てもいけないし、医師が突出してもいけないという分野だろうと思うのです。ですから 、ここで村松さんはドクターを引き込もうとして苦労されたということが書いてあるの ですが、私は逆に医師の立場から診たら、ちょっと看護師さん出過ぎているのではない かなと。これはちょっと問題になるかもしれませんが、もっとうまく協同できるという 格好をとっていれば、こんな問題は起きなかったのではないかと思います。私は制度上 の問題というよりも、もっとその辺のことがあるのではないかと思っております。それ から、24時間以内に診察して亡くなった場合は問題ないのですが、24時間を超えた場合 というのは私たちも非常に神経を使います。私はそういうのはできるだけ早い時間に行 って、死亡診断をするということを行っております。ただ、問題は私が旅行に行ったり したときに、別の先生に頼むことがあるのです。そのときにその先生に事情をよく話し て引き継いで行って書いていただくから、たぶん問題はないと思うのですが、その先生 が診ていない患者さんの死亡診断書を書くということで、この辺どうかなということを ちょっと思うことがあります。それは先ほど事例として出ていた方で、在宅で診ていた けれども事情があってどこか病院に入れられて、病院の先生は診たけれども、俺は死亡 診断書は書けないよという場合。診ていてくれていた先生もたまたまいなかったという 時に宙に浮くということがあるのです。私たちの所でこの2年間でがんの方で200人近 い方を在宅死で診ておりますが、その中で病院に運ばれたケースというのが2例あるの です。それは事情のわからない近所の方が入ってきて救急車を呼んでしまったから、救 急隊が来たときにはもう心肺停止を起こしていたということで、非常に具合が悪いとい うことで救命センターへ行ってしまった例と、もう1つは近くの病院に担ぎ込んで行っ たという例があるわけです。その2例とも幸い検死という形ではなくて、私が今までの ことを説明して、その先生がそういうことだったらということで書いてくださったので す。本来は私がそこまで行って書くつもりでおりましたが、そういう形で出していただ いたということがあるわけです。ですから、在宅で死まで看取ろうとなりますと、やは りドクターの存在というのは絶対必要ですし、そのときに看護師との協同が非常に大事 なことだろうと思います。最後に、24時間以内に亡くなったとき、場合によっては、そ こへいかないで死亡診断書を出さなければいけないことがあるのです。これは非常に神 経を使います。つまり、どういう形で死亡診断書を家族の方に渡すか。つまり、基本的 には死亡診断書がないと、ドクターのオーケーがないと看護師さんも、葬儀社の方もご 遺体に触れないという縛りがございます。確かに現場の看護師さんたちは、できるだけ 早く死後のケアに移ってあげたいのに手をこまねいて待っていることは非常に辛いとい うことをおっしゃられるのです。例えば旅行にちょっと出ていて、その間というような ときに、帰れば簡単に出せるというのですが、そういうときに死亡診断書をどういう格 好で渡すかということが問題になって、神経を使うことがございます。現実には私たち は24時間開けるときは看護師さんにその死亡診断書をお渡しして、そして死亡診断書に 息をひきとった時間を書いていただいて、私の責任で出すという格好をとっております 。 ○平林委員  私が異状が認められないということをどうやって知るのかと申し上げたのは、8頁の 「死後のケア」ですと、医師はそこに全くいないわけです。いない所で異状がないとい うことはどうやって医者は判断できるのか、ということをお聞きしたかったのです。  もう1つは、厚生労働省の解釈に従っても、医師法の20条の但し書にいう「診療中の 患者が受診後24時間以内に死亡した場合に交付する死亡診断書については、この限りで ない。」という例外は、おそらく「医師は、自ら診察しないで治療をし、若しくは診断 書若しくは処方せんを交付し、自ら出産に立ち会わないで出生証明書若しくは死産証書 を交付し、又は自ら検案しないで検案書を交付してはならない。」ということに対する 例外ですから、診察をしないで死亡診断書を交付してもよろしいということあって、死 亡の確認もしなくていいのかというと、それは私はないだろうと思うのです。やはり、 死亡したということを確認すれば、改めて診察はしなくてもよろしいということを言っ ているだけであって、24時間以内であるからといって、全く医師が診ないで、死亡診断 書を交付するということはいかがなものかというのが私の疑問です。  もう1点は、先生が例えば24時間以上留守にされて、旅行に行ったときに他の医師に 依頼するという場合に、他の医師が書くものはやはり死亡診断書ではなくて死体検案書 になると思います。その死体検案書を書いて異状がないということが認められれば、同 じ書式ですから死亡診断書のほうを消せばいいだけの話で、その死体検案書を発行して あとの処理をするということになると思います。死亡診断書を出さないで、死体検案書 だとすぐに警察が入ってきて検死になるというものではないだろうと思います。そこら 辺の誤解がもしかしたらあるのかもしれませんが、厚生労働省の解釈でも、5頁にある ように検案して異状がないと認められれば死体検案書を発行しますとなっています。異 状がある場合にだけ警察署に届けるという医師法の21条が効いてくるわけですから、そ このところをきちんとすればいいわけです。もし解釈が間違っていたらまた厚生労働省 のほうからご指摘をいただきたいのですが、死亡診断書にしろ死体検案書にしろ、死亡 の確認をすることがまず第一に必要なことなのではないかと私は思っております。 ○川越委員  異状がないということをどう判断するかということです。これは人が亡くなるわけで すから、異状だらけです。ただ、この中で言っていることは、事件性とか、そういうも のをたぶん問うているのだろうと思うわけです。特に私はがんの末期の方をずっと診て おりまして、亡くなる時というのはわかるわけです。その後に資料が出ておりますが、 いろいろな体の変化とか、まさに異状がどんどん出てきて、普通では起きないことがど んどん起きているわけなのです。ですから、私たちがいちばん大事にしているのは、因 果関係ということで、そういう異状ががんの末期の状態として特徴的なものであって、 それはもちろん最終的には呼吸が止まる、心臓も止まるという格好をとるわけですが、 そういうものであれば問題ないのではないかと考えております。 それから死亡の確認 という点ですが、確かに死亡診断書には死亡時刻を書かなければいけないということが あります。これは病院の場合と在宅の場合、在宅の場合でもいろいろな先生によってや り方が違います。いちばんオーソドックスな形は、先生がおっしゃられたように医師が 行って、聴診器を当てて心臓が止まって瞳孔反射もない、脈も触れない、呼吸もしてい ないということを確認した上で、死亡診断書の死亡時刻、要するに死亡を確認した時刻 という解釈で、そういう時間を書かれるドクターというのがいちばんオーソドックスで 多いと思います。ただ、私は死亡時刻というのをどういう考え方をしているかというと 、家族の方が看ていて、最後の呼吸をして、そして息が止まったその時間を書くように しているわけです。これは心電図を付けたらまだ心臓の電気的な運動というのは当然あ るわけで、病院では心臓死を死亡時刻の中に入れていますから、心電図でフラットにな った時間ということを基本的にしていますから、そういう点から言うとちょっとおかし な話なのですが、私たちはそういう格好をとっております。そうなって時々息を吹き返 す方、息を吹き返すというのは変な話ですが、止まったと思ったら2分後ぐらいにふっ とされることもあるのですが、そこで止まったら後で吹き返すことはほとんどないと思 います。私の場合は基本的には死亡確認のために行っておりますから、それは大抵数時 間経ってから行くようにしております。それはちょっと理由があって、そういう時間を 取るような格好をしているわけです。そこに行ったときにそこで息を吹き返すことはま ずないわけですが、死亡診断の時間としては、先ほど申しましたように、最後、家族の 方が見て息をひきとられた時間を書くようにしております。 ○川村座長  ありがとうございました。時間も押し迫っておりますが、企画官のほうから何かお話 がありますか。 ○土生企画官  先ほど平林先生からご指摘がございましたように、この事例だけで判断するのはどう かと思いますが、誤解としまして2つの点があるかと思います。1つは24時間内外で、 これは確かに諸説あるわけで、先生ご自身が死後診察についてちょっと違和感を持って おられるということも承知しておりますが、一応厚生労働省の解釈がまだ徹底されてい ないということです。  それから、診療が継続中であると言えるかどうかで、死亡診断書と死体検案書が分か れるわけですが、そのことと警察の対応をお願いせざるを得ないということが、必ずし もきれいに伝わっていない。診療が継続中でないからといって異状がなければ、それは 死亡診断書か死体検案書かの違いということで、その2つは厚生労働省としても何らか の方法で現場の方に訴えていく必要があるのではないかと思います。  最後に、死後診察と死亡の確認というのは、これは確かに微妙な問題であると思いま す。ここの資料に書きましたのは、基本的には24時間内に診察が行われて、そのことに よって医師と看護師との間に共通の理解といいますか、死が近いというようなことがわ かっておりますし、またその時にどうするのかということもあらかじめその対応につい ての確認がなされているという状況の中で、死亡診断書が形式的に交付されているか、 されていないかということをもって、「死亡のケア」という言い方が適切かどうかわか りませんが、何もできないということではないのではないか、ということをご説明した つもりです。 ○川村座長  いまのところはよろしいでしょうか。厚生労働省の解釈ということですが。 ○川越委員  死亡確認のことが非常に大事だということで、私もそのとおりで、私は行っておりま すが、やはり全部が全部行くということになると、ドクターとしても大変だろうという こともあります。しかし大事だと思います。ではどうしたらいいかというと、私がいま ふと思ったことですが、例えば24時間以内に医者が診察している。そういうケースに関 しては、例えば看護師が行ったときに、その死亡の確認ができるということが可能にな れば、全部が全部、医者がその時間に行かなければいけないということもない。そうい うことができるのではないかと思いました。もしそういうことができればということで 、要望の形で止めていただきたいと思います。 ○川村座長  では、このような意見があるということで、お考えを聞いていただければと思います 。 ○平林委員  ちょっとしつこくて恐縮ですが、死亡の診断をするなり確認をするというのは、ある 人が死亡するということを宣言するわけです。ある人が死亡するということを宣言する ということは、その人が法的な主体として消滅し、権利義務関係の主体となり得ないと いう、極めて重要な法律上の効果をもたらすわけです。私はこの点については少し慎重 な態度をとるべきだろうと基本的に思っております。それを前提として、どうも私は気 が弱いものですから仮に8頁にあるような「死後のケア」を認めるとしたらということ を考えてしまうのですが、そういう場合に、どうしても法律家というのは嫌な性格を持 っておりまして、最悪の事態とか、状況とかを考えてみて、それに本当に対応できるの かということを考えてしまいます。そこでこの場合、確かに皆さんは非常に善意の人々 を前提にして議論をされているわけですが、法律家は悪意の人も中にはいるだろうとい うことを考えます。そうすると、一見すると、診療中の疾病の経緯で死亡したかの如く に見えるが、実は最後の最後になってどこかで犯意が、悪意が起きて、手を加えてしま ったということが論理的にないとは言えない。実際上はないと思いますが、しかし論理 的にはないとは言えない。そのことをどうやって、誰が責任をもって確認するのか、判 断するのかということは、やはり私は問題点として残るだろうと思うのです。仮に先生 がおっしゃったような形で、看護師は死亡確認ができるというような制度を新たに作っ たとしても、そのときに看護師はどういうところをチェックして、どこをきちんと診な ければいけないのか、という点について具体的な方法とかやり方に関するマニュアルで もいいですし、プロトコールでもいいのですが、そういったものをきちんと準備すると いうことが、この問題を仮に100歩譲って進めるとした場合に、必要な作業になってく るのではないかと思います。ただ、8頁のように書かれていて、では現場が大変だから それを認めましょうというふうには私はならないのではないかと思っております。 ○内布委員  もし悪意があれば、医師がやっても、看護師がやっても起こると思います。 ○平林委員  その悪意があったということを見極めなければいけないわけです。死亡するプロセス の中で、通常の疾病の末期になって死んだのか、あるいは放っておいても死ぬところの 一瞬手前で、例えば相続関係とか、あるいは日頃の何とかというのがあってというのが ないとは言えない。 ○内布委員  プロセスに関してはここでかなり述べて、それを押さえた上でのことがここでは提案 されていると思います。 ○平林委員  ですから、これは自然にそう流れていくということを前提にしてのプロセスですよね 。 ○内布委員  これが確認されていても、なお悪意が入る込む余地があるということですか。 ○平林委員  それは論理的にあり得るでしょう。 ○内布委員  それは医師でも看護師でも起きるでしょう。 ○平林委員  医師とか看護師がということを言っているわけではないのです。それ以外の人が人為 的に生命の終末期をもたらす、ということはあり得ないことではないのです。 ○川越委員  もし看護師さんが死亡診断するといったら、全部のケースにやるということは、私は 絶対無理だと思います。確かにおっしゃったように、どういう方法でやるか、看護師が 死亡診断を書く上での医師の補助というような考え方を取ればいいのではないかという 気がいたします。やはり慎重に検討していただきたいと思います。 ○田村看護課長  私どもが、8頁に提案させていただいた死後のケアをこういう状況で行えるというふ うにするにいたしましても、やはり看護師が在宅療養患者の死後のケアをするに当たっ てのガイドライン的なものを作らないといけないだろうというふうに考えています。そ のことだけはお伝えしたいと思います。 ○柳田委員  これははっきり決まったわけではなくて。 ○田村看護課長  はい、1回ごとの会で、これを引き続きというよりも最後のまとめのところでも、ご 意見をまとめていただければと思います。 ○川村座長  それでは本日はこれで閉会いたします。次回は12月20日(金)10時からでございます ので、どうぞよろしくお願いいたします。本日はどうもありがとうございました。 照会先  厚生労働省医政局看護課  課長補佐  勝又(内線2599)  保健師係長 習田(内線2595)  ダイヤルイン 03-3591-2206