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資料2
要検討事項に対する各委員の御意見整理

要検討事項 案についての理由・反論 該当部分の議事録・送っていただいた御意見の抜粋
⇒「胚の提供を受けなければ妊娠できない」ことの具体的な判定基準はどのように設定するか?
(p10)
(案1)
 提供胚の移植を認める。「胚の提供を受けなければ妊娠できない」ことの具体的な判定基準は医師の裁量とする(法律やガイドラインで、国として義務的な基準は示さない。)。
 ただし、国が実施に当たっての準則となる考慮すべき基準を示す。
 具体的な基準は?
 医学的な基準以外の、子を安定して養育していけるか、生まれた子に対する真実告知(←(関連)生まれた子の出自を知る権利(検討課題1・3))などの基準については、
(案1-1)
 カウンセリングにおけるスクリーニングやインフォームド・コンセントで対応することとする。
(理由)
・ 精子・卵子・胚の提供に関しては、全てのケースで医学的、社会学的、心理学的なカウンセリングが必要であり、また、それらの問題点は、カウンセリングである程度カバーできる。

(以下、提供胚の移植そのものの是非に関して)
・ 精子や卵子の提供で片親が遺伝的に違うのも、胚の提供で両親とも遺伝的に違うのも、遺伝的に違うという点では同じである。両親が遺伝的に違うというだけで反対するのはおかしい。

・ 第3者に危害を与えない、商業主義的なことを排除するという点では、卵子提供よりも胚提供の方がむしろ問題が少ないだろう。

・ 遺伝的なつながりのある方が良いのは当然だが、卵子の提供がどうしてもない場合、仕方なく胚の提供を受けて産むということを、最終的に当事者夫婦の選択肢として残しておく方がよい。

・ 余剰胚はヒトの生命の萌芽であり、廃棄するとこの世に命として生まれてくることはなく終わってしまう。その余剰胚を生かすという意味でも胚の提供を認めるのがよい。

・ 養子制度とパラレルに考える必要がある。胚の提供は「受精卵養子」とも言え、実施可能である。

(反論)
(以下、提供胚の移植そのものの是非に関して)
・ 国民の意識調査では、両親のどちらとも血のつながりがない胚提供に関しては、認めて良いという意見が少ない。

・ 離婚するときに子どもをどうするのかとか、親子関係がうまくいかなくなったときにどうするのかということを考えると、どちらとも血のつながりのない子をつくるのは時期尚早である。

・ 異父兄弟、異母兄弟で一緒に何も言われなくて育っている普通の賢い子どもたちの中には、自分が生殖医療の子どもとして産まれるとすればそれは嫌で、はっきりと断ると大人の意見として言う子どもが多い。

・ 現在の日本社会は、遺伝的なつながりがない子どもが安心して暮らせるほどの、成熟したゆとりのある社会ではない。血のつながった両親が一生懸命育ててもうまくいかない状況がたくさんある社会である。

・ 普通の子ども達の常識や、一般国民の心情と共に歩む生殖医療というぐらいのテンポで十分だ。

・ 里親制度というものが定着していない日本で胚の提供を導入するのは、時期尚早である。

・ 胚の提供によって生まれた子どもが医学的に問題のある子どもだったり、両親に不幸があった場合にその子はどうなるのかというような問題があり、時期尚早である。

・ 障害を持った子供が産まれた場合、血がつながっていないことを理由に依頼者が子どもの引き取りを拒否するおそれがぬぐえない。

・ 胚の提供による子供を作ることより、養子をオープンに歓迎できる社会を築く努力をするほうが重要である。

・ 精子・卵子など配偶子の提供であれば、事実を知ったときにもまだ受け入れる余地はあると思うが、胚の場合、「実の両親から胚の段階で『いらない』と捨てられた、人に譲られた」という感情を持つ可能性がある。

・ 胚の提供により出生する子どもは、精子・卵子の提供により生まれる子どもに比べて、自己のidentityの問題や家族による保護体制の不備等から不幸となるより高いリスクを持つのではないか。
○ 今回議論している精子・卵子・胚の提供に関してはすべてのケースにおいてドナーやレシピエントに対して心理学的(もちろん医学的・社会学的なものも含め)、スクリーニングであるとかカウンセリングは必要であるという共通認識があると私は思っておりましたので、もし胚の提供が認められた場合にも当然心理学的なスクリーニング、それは養子も子どもを持たないことも、それからこの治療を受けることも同じ太さの道として選択できるよう、カウンセリングというのは絶対そういうふうにやっていくのですね。これをしなさいとは絶対言わない。ですからたとえこういう希望があって来てもそういうふうにやっていくのです。
 ですから、今、才村委員がおっしゃったような点に関しては、カウンセリングだけではもちろん不十分なのですが、ある程度のカバーはできるかと思います。

○ 1つは、妻が卵子がない場合には卵子提供を受けられる。夫が精子がなければ夫は精子をもらえると。たまたまた夫婦がそれぞれなかったら胚をもらうという形にするということを認めるという、その順序でいけば認められていいだろう。

○ 本当に遺伝的に両親とも違うのと、片親だけ違うのと、例えば先ほどお話にも出たのですが、子どもが親がどうだったかということはDNAを調べればすぐわかるような時代になってきて、同じことなのではないかということですね。・・・ それともう一個は、医療側から、私たち生殖医療をやっている人間から考えた場合に、第三者からいただいた配偶子、胚によって生殖医療をやる場合に一番問題になった点は、第三者に危害を与えてはいけないと。それが大前提になるわけであります。そして子の福祉ということも考えていかなければならない。これはどんな医療でも同じことでありまして、第三者に危害を与えない。いかにして商業主義的なことを排除できるだろうかと考えた場合に、卵子提供というのは大変難しさがあるだろうと。しかし、もしこういった胚というものが廃棄されるような胚であるとするならば、こういったものをいただいて不妊の患者さんに対して子どもを持てるようにすることは本当にいけないことだろうか。私は個人的にはこの胚の提供に関しても卵子提供よりいいのではないかと今も思っていますし、この専門委員会の答申書でも胚の提供については、私はある程度賛成をいたしました。それはどういうことかというと、卵子提供よりは問題が少ないだろうと思ったわけです。子どもについての問題点は、卵子提供も精子提供も胚提供も皆同じだと思うのですね。ですから、両親が遺伝的に違うからということだけで反対されているのは少しおかしいのではないかと私は思うのです・・・
(案1-2)
 個別の事例について、公的な第三者(公的管理運営機関?)の審査を行うこととする。
(理由)
・ 「生まれてくる子の福祉」との関連、また情報の一元管理という点から見ても、兄弟姉妹の提供に限らず、運営機関に申請した上で、審査の上実施する方が望ましい。

・ 生まれてくる子の人権と家族と地域社会の福祉を、社会的な見地から長期的展望にたち保障していく為にも、公的管理運営機関の審査を経るべきである。

○ 提供胚の移植そのものの是非に関しては、(案1-1)の(理由)と同じ


(反論)
○ 提供胚の移植そのものの是非に関しては、(案1-1)の(反論)と同じ。
 
(以下、各委員より事務局に書面で送っていただいた御意見)
○ 現在の案では兄弟姉妹等からの提供に限って「公的管理運営機関への申請・審査が必要」となっているが、次項「生まれてくる子の福祉」との関連、また情報の一元管理という点から考えると、匿名の第三者からの提供であっても、今後はすべて(AIDも含めて)運営機関に申請し、審査のうえ実施するほうが望ましいと考える。

○ 複数の委員から再三、指摘されているように「生まれてくる子の福祉」をどのように担保するのか? これについてあいまいなまま“提供者の条件”や“判定基準”について議論するのは問題があると思う。委員内で最低限の原則を確認、ある程度の合意をもって議論をスタートすべきではないか。
⇒特に問題になるのは胚提供である。これを「受精卵養子」と表現する人もいるが、育てる両親と遺伝的なつながりがないという意味ではその通りであろう。産むという以外には養子と変わりない。通常の養子縁組(この場合は血縁のない未成年養子)であれば児童相談所が面接や訪問したり、委託期間を設けて親子関係の様子を見たり、最終的には家庭裁判所の許可で養子縁組が成立する。また、特別養子は家裁の「審判」が必要だ。これだけ煩雑な手続きと時間をかけ、家裁が関与するのも、子どもの福祉を可能な限り保障するためであるはずだ。提供を受けなければ妊娠できないかどうかの「医学的適応」の判断はもちろん医師の領分だが、実施するかどうかは、やはり児童福祉の専門家などを交えた審査で決定するほうが望ましい。そうでないと、養子制度との整合性もとれない。精子提供や卵子提供も、同様の側面がある。「生まれてくる子の福祉を優先する」という理念を遵守するなら、なぜ養子制度がこれだけの手続きを必要とするのか、いま一度考えてみるべきではないのか。

○ (提供による生殖補助医療全般に対して)生殖補助医療が現在欧米先進国及び我が国で盛んに行われている現実に対し、生まれてくる子の人権と家族と地域社会の福祉を、社会的な見地から長期的展望にたち保障していく機能も備えた、公的な生殖補助医療管理運営機関の設置が必要であると考える。生殖医療の実施は、「医師の裁量」のみによるのではなく、その機関への申請・審査を経て行われるべきであると考える。
(案2)
 提供胚の移植は、(当分の間、)認めない。
(理由)
・ 国民の意識調査では、両親のどちらとも血のつながりがない胚提供に関しては、認めて良いという意見が少ない。

・ 離婚するときに子どもをどうするのかとか、親子関係がうまくいかなくなったときにどうするのかということを考えると、どちらとも血のつながりのない子をつくるのは時期尚早である。

・ 異父兄弟、異母兄弟で一緒に何も言われなくて育っている普通の賢い子どもたちの中には、自分が生殖医療の子どもとして産まれるとすればそれは嫌で、はっきりと断ると大人の意見として言う子どもが多い。

・ 現在の日本社会は、遺伝的なつながりがない子どもが安心して暮らせるほどの、成熟したゆとりのある社会ではない。血のつながった両親が一生懸命育ててもうまくいかない状況がたくさんある社会である。

・ 普通の子ども達の常識や、一般国民の心情と共に歩む生殖医療と言うぐらいのテンポで十分だ。

・ 里親制度というものが定着していない日本で胚の提供を導入するのは、時期尚早である。

・ 胚の提供によって生まれた子どもが医学的に問題のある子どもだったり、両親に不幸があった場合にその子はどうなるのかというような問題があり、時期尚早である。

・ 障害を持った子供が産まれた場合、血がつながっていないことを理由に依頼者が子どもの引き取りを拒否するおそれがぬぐえない。

・ 胚の提供による子供を作ることより、養子をオープンに歓迎できる社会を築く努力をするほうが重要である。

・ 精子・卵子など配偶子の提供であれば、事実を知ったときにもまだ受け入れる余地はあると思うが、胚の場合、「実の両親から胚の段階で『いらない』と捨てられた、人・ 胚の提供により出生する子どもは、精子・卵子の提供により生まれる子どもに比べて、自己のidentityの問題や家族による保護体制の不備等から不幸となるより高いリスクを持つのではないか。

(反論)
・ 精子や卵子の提供で片親が遺伝的に違うのも、胚の提供で両親とも遺伝的に違うのも、遺伝的に違うという点では同じである。両親が遺伝的に違うというだけで反対するのはおかしい。

・ 第3者に危害を与えない、商業主義的なことを排除するという点では、卵子提供よりも胚提供の方がむしろ問題が少ないだろう。

・ 遺伝的なつながりのある方が良いのは当然だが、卵子の提供がどうしてもない場合、仕方なく胚の提供を受けて産むということを、最終的に当事者夫婦の選択肢として残しておく方がよい。

・ 余剰胚はヒトの生命の萌芽であり、廃棄するとこの世に命として生まれてくることはなく終わってしまう。その余剰胚を生かすという意味でも胚の提供を認めるのがよい。

・ 養子制度とパラレルに考える必要がある。胚の提供は「受精卵養子」とも言え、実施可能である。
○ 日弁連でずっと議論していて2000年3月に出した提言では、胚の移植についてはむしろ今の時点ではすべきではないというのが結論だったのですね。それは多分国民の意識調査の中でも、精子をもらう、卵子をもらうというのだったらどちらかと血のつながりがあると。だけど胚の場合には全く血のつながりのない、いわば特別養子の胚段階でのものだという形だったと思うのです。

○ 吉村先生がおっしゃったのは、胚に関してなぜそれだけ違うのかということですが、どうしても弁護士のところに来るのは、結婚するときに相談に来るわけでなくて離婚のときに相談に来るものですから、離婚するときに子どもをどうするのかとか、親子関係がうまくいかなくなったときにどうするかということを考えるものですから、そうするとどちらとも血のつながりのない子という形になった場合に、それを今の時点でそのまま実子という形、それは本当にフィクションだと思うのですが、そういったフィクションの形式の中に入れ込むというのは時期尚早ではないかということだったのですね。
 それでいろいろ検討していたときには、特別養子が一体どのぐらいあるか調査してみるとそんなに多くはないのです。かつて昭和62年に法律ができたときには年間 1,800人ぐらいオーケイになったのですが、今は 500人切っているのですね。そういう意味では精子提供によって生まれた子どもが年間二百数十人ということですから、弁護士の感覚だと第三者の精子・卵子を使う場合についても、裁判所の方の関与の方が必要なのかもしれないというような議論を今やり始めたところです。

○ 今の意見に私もほぼ賛成の意見かなと思うのですけれども、

○ 自分が生殖医療の子どもとして生まれるのだったらそれは嫌だ、はっきり断ると、その人たち自身が大人として発言しているのですね。それは自分の親を憎まなければいけないというすごく苦しいところに立たされ、その親が本当に苦しんだことを自分が了解できるまで40年、50年かかるというのですね。
 私は、特に胚の問題は遺伝的な形質がはっきり違うことは子どももわかりますから、これから先のDNA検査は子どものお小遣いやお年玉でできる時代になると思うのです。ですから、なぜ遺伝的なつながりが少しでもあった方がリスクが少ないかなどという、私たちが長年共有してきた現実の認識に立ち戻らないと、私たちの日本社会は遺伝的なつながりがない子どもが安心して暮らせるほどの、成熟したゆとりのある社会ではありません。遺伝的なつながりがあっても、両親が一生懸命育ててもうまくいかない状況がいっぱいある社会です。その辺の一般市民感情というのですか、生まれてくる子どもの、普通の子どもたちの常識からもう少し国民の心情とともに歩む生殖医療というぐらいのテンポで私は十分ではないかと思うのですね。

○ 私も福武委員のご意見に全面的に賛成です。里親制度というのが定着してない我が国で胚の提供を導入するのは、時期が早過ぎると思います。胚の提供を受けて生まれた子どもが仮に医学的に問題のある子どもだったり両親に不幸が合った場合にその子はどうなるのかというようなことや、渡辺委員が言及なさったような問題を横へ置いておいて先に進むのは少し時期が早いのではないかと思います。
(以下、各委員より事務局に書面で送っていただいた御意見)
○ 会としても「実質的には養子と変わらず、このようにしてまで生殖技術を実施する意味について、再度検討する必要がある」というコメントを提出している。私個人も、胚提供には反対。養子制度との整合性の問題と、障害を持った赤ちゃんが生まれた場合、血がつながってないことを理由に依頼者が子どもの引き取りを拒否する恐れもぬぐえない←法律でここまで担保できるか疑問。
 また、養子の場合、いまはできるだけ「真実告知」をする方向で指導されていると思う。胚提供による出産はまず告知されないと思われ、生まれている子をもらうなら真実告知、胚段階ならナイショという、「子ども」に対する2つの方針が同居しているのも(言ってみればダブルスタンダード)何かおかしい(特別養子に準じるならまた話は変わってくるが、その場合も障害の問題をどうクリアできるのかが不明)。「自分のおなかで産みたい」という欲求は十分に理解できるが、その欲求と子どもの福祉とどちらが優先されるのか、もう一度よく検討すべきである。養子の成立要件をゆるやかにし(現在は共働きだともらいにくいなどがある)、養子をオープンに歓迎できる社会を築く努力をするほうが重要と考える。
 「子どもの出自を知る権利」との関係もある。少なくとも自分が提供で生まれたのか否かを知ることができるという点については、この委員会でも合意の範疇だと思う。その場合、精子・卵子など配偶子の提供であれば、事実を知ったときにもまだ受け入れる余地はあると思うが、胚の場合、「実の両親から胚の段階で『いらない』と捨てられた、人に譲られた」という感情を持ちはしないか? 仮に胚提供の条件に子どもを成していることを加えた場合、「兄弟姉妹は実の両親のもとで育っている、じゃあ自分は何なのか」ということになり、よけい「見捨てられ感」が強まるのでは? 子どもが知ったときの衝撃の大きさ、混乱、嘆きや怒りを考えると、賛成できない。
 また、提供者が心理的・物理的に生まれた子どもを捜し求める(場合によっては引渡し要求など)こともあり得る(子どもが死亡したなど。自分たち夫婦に子がなければ、なおさら)。提供した夫婦のその後の心や人生を考えても、問題が大きすぎる。

○ 生殖補助医療技術を駆使した妊娠・出産は、親の身体的・精神的負担が大きいことから、より「子どもとその家族の福祉」に配慮されなければならないと思う。(1)精子または卵子の提供による生殖補助医療の実施と、提供胚によるものとは、区別をして考えていく必要がある。(私は、提供胚については賛成できない。)

○ 最も重要な問題は、不妊治療に関する狭義の医学的諸事項でなく、生まれてくる子供の幸福をどのように確保するかにあると考えます。血縁幻想が強い我が国においては、いずれの親とも遺伝的なつながりを持たない提供胚により出生する児は、提供精子、卵子により出生する児に比べて、自己のidentityの問題や家族による保護体制の不備等から不幸となるより高いリスクを持つことを委員会で確認していただきたいと思います。この前提の下では、精子、卵子提供に比し、胚提供はより高いハードルを必要とすることは言を待ちません。
⇒「卵子の提供を受けることが困難な場合」の具体的な判定基準をどのように設定するか?
 (実施医療施設の判断に委ねるか?全国的な卵子の提供状況を勘案して判断するか?)
(p11)
(案1)
 「卵子の提供を受けなければ妊娠できない夫婦」も、卵子の提供を受けることが困難な場合には、提供された余剰胚の移植を受けることができることとする。その際の「卵子の提供を受ける」ことが困難であることの具体的な判定基準は?
(理由)
・ 遺伝的なつながりのある方が良いのは当然だが、卵子の提供がどうしてもない場合、仕方なく胚の提供を受けて産むということを、最終的に当事者夫婦の選択肢として残しておく方がよい。

・ 余剰胚の提供は、卵子の提供とは異なり、第3者に危害を与えない生殖補助医療である。

・ 余剰胚はヒトの生命の萌芽であり、廃棄するとこの世に命として生まれてくることはなく終わってしまう。その余剰胚を生かすという意味でも胚の提供を認めるのがよい。

○ 提供胚の移植そのものの是非に関しては、「「胚の提供を受けなければ妊娠できない」ことの具体的な判定基準はどのように設定するか?」の(案1-1)の(理由)と同じ。


(反論)
・ 胚の提供を受けるのは、精子も卵子もなくてどうしても妊娠しない場合という原則が分かりやすい。

・ 卵子の提供を受けなければ妊娠できないという場合は胚で代割にやろうという考え方には、国民が納得しない。

・ 否定した代理懐胎では、遺伝的につながっているのに養子になり、胚提供により妊娠し、分娩しただけで遺伝的に異なる子どもが実子になるのはおかしい。

○ 提供胚の移植そのものの是非に関しては、「「胚の提供を受けなければ妊娠できない」ことの具体的な判定基準はどのように設定するか?」の(案1-1)の(反論)と同じ。
○ 私は最終的にはあくまでもご本人の選択ということにしたらいいと思いますので、余り制限を設けるべきではないというのが基本的な立場です。ですからこの場合にしても、卵の提供はほとんどないと思う。でも余剰胚の提供ならある可能性があるわけです。しかし不妊のご夫婦としては、どちらかというと遺伝的な関係がある方がいいとお思いになると思うのですね。にもかかわらず卵の提供がどうしてもない。では仕方がないからということで胚の提供を受けて子どもを産むと。それはご本人がどうするかというのは最終的な選択として認めていく必要があると思います。ですから「胚の提供、卵の提供の代用とする」、これでよろしいかということについては、私はイエスと考えております。

○ (専門委員会を代表して)余剰胚というのは、他人を新たに傷つけることなく、現実にはその胚は今研究に利用するとかという話もいろいろ出てきていますけれども、この世に命として生まれてくることはなく終わってしまう、その余剰胚を生かす。この世に人の命として生まれてくることにつながるのだから、それなら認めてもいいのではないかという、かえって先まで言えば、提供卵のような第三者を傷つけることなくできることであるから認めてもいいのではないかというのがかなりあった、その2つ目の理由であり、養子とパラレルに考える。「受精卵養子」などという言い方も私もしたりするのですけれども、その点でいけば、確かにどちらともつながっていないのだから、慎重な手続が必要だという考え方、私もそれに半分賛成する面もあるのですけれども、これは実子を求める。自分たちの実子として子どもを得るための医療行為として考えるという観点で、既に生まれている子どもと親としてうまくいくかという観点、そこでの特別養子の判断とは違って、生まれたときからその人が親、まさしく産んだ人が母となって育てる、そういう親子関係ができるものという前提で進めるものとして考えるので、特別な手続をここの段階では特に提案せずに、普通の手続で提供胚の場合についても医療行為として行うことを認めていいのではないか。
(以下、各委員より事務局に書面で送っていただいた御意見)
○ 学会あるいは専門家集団で一応の基準を作っておいた方が良いと思います。

○ 実施医療施設の判断に委ねるのが妥当ではないでしょうか。卵の提供と胚の提供の医学的、心理学的相違について該当患者が理解し納得すれば卵子提供対象の患者が胚提供を受ける事も可能にしたほうが良いと思います。
(案2)
 「卵子の提供を受ければ妊娠できる夫婦」に対する提供された余剰胚の移植、(当分の間、)認めない。
(理由)
・ 胚の提供を受けるのは、精子も卵子もなくてどうしても妊娠しない場合という原則が分かりやすい。

・ 卵子の提供を受けなければ妊娠できないという場合は胚で代割にやろうという考え方には、国民が納得しない。

・ 否定した代理懐胎では、遺伝的につながっているのに養子になり、胚提供により妊娠し、分娩しただけで遺伝的に異なる子どもが実子になるのはおかしい。

○ 提供胚の移植そのものの是非に関しては、「「胚の提供を受けなければ妊娠できない」ことの具体的な判定基準はどのように設定するか?」の(案2)の(理由)と同じ。


(反論)
・ 遺伝的なつながりのある方が良いのは当然だが、卵子の提供がどうしてもない場合、仕方なく胚の提供を受けて産むということを、最終的に当事者夫婦の選択肢として残しておく方がよい。

○ 提供胚の移植そのものの是非に関しては、「「胚の提供を受けなければ妊娠できない」ことの具体的な判定基準はどのように設定するか?」の(案2)の(反論)と同じ。

○ この胚の提供を受ける場合、精子も卵子もなくてどうしても妊娠しないという場合の理論の方が分かりやすいと思います。卵子の提供を受けなければ妊娠できないという場合は卵子の提供がないから胚で代わりにやろうという考え方で、国民は納得するでしょうか。もしそうなってきますと、また血縁の話になってしまうのですが、遺伝子的に全くつながってない親子、それは10カ月間妊娠して分娩しただけで実子で
あり、するともう一方で、代理懐胎というのを否定したわけですが、これは遺伝子がつながっているけれど産んではいないから養子だということになります。何か逆になるような気がするのですが。
(以下、各委員より事務局に書面で送っていただいた御意見)
○ 前述のような理由で胚提供にはそもそも反対。

○ 「卵子提供を受けることが困難な場合における余剰胚の提供」・「余剰胚提供を受けることが困難な場合における卵子・精子の提供」・「兄弟姉妹からの提供」・「卵子のシェアリング」については、提供を受けることが困難であるかどうかを見るため、当分の間(2〜3年)認めない。
⇒「余剰胚の提供を受けることが困難な場合」の具体的な判定基準をどのように設定するか?全国的な卵子の提供状況を勘案して判断するか?)
(p12)
(案1)
 「胚の提供を受けなければ妊娠できなの提供によって得られた胚の移植を受けることができることとする。
 その際の「余剰胚の提供を受ける」ことが困難であることの具体的な判定基準は?
(理由)
○ 提供胚の移植そのものの是非に関しては、「「胚の提供
を受けなければ妊娠できない」ことの具体的な判定基準はどのように設定するか?」の(案1-1)の(理由)と同じ。



(反論)
・ 産まれてくる子どもが事実を知ったときに、アイデンティティの混乱が他のケースよりも生じる可能性があるのではないか。

○ 提供胚の移植そのものの是非に関しては、「「胚の提供を受けなければ妊娠できない」ことの具体的な判定基準はどのように設定するか?」の(案1-1)の(反論)と同じ。
 
(以下、各委員より事務局に書面で送っていただいた御意見)
○ 学会あるいは専門家集団で一応の基準を作っておいた方が良いと思います。

○ この方式の提供が行われる為には、まず精子、卵子ドナーの同意が非常に重要となると思われます。ドナー希望者が、自分の配偶子がレシピエントでない全く他人の配偶子と受精され提供されるということの意味を理解し、同意されることが前提です。また産まれてくる子のことを考えると、事実を知ったときにアイデンティティの混乱が他のケースよりも生じる可能性があるのではないかと危惧します。ただ、それを覚悟の上でレシピエントが希望し、長期的な医学、心理学的フォローが保証されるのであれば可能としてよいと考えます。
(案2)
 「胚の提供を受ければ妊娠できる夫婦」に対する精子・卵子両方の提供によって得られた胚の移植は、(当分の間、)認めない。
(理由)
○ 提供胚の移植そのものの是非に関しては、「「胚の提供
を受けなければ妊娠できない」ことの具体的な判定基準はどのように設定するか?」の(案2)の(理由)と同じ。



(反論)
○ 提供胚の移植そのものの是非に関しては、「「胚の提供を受けなければ妊娠できない」ことの具体的な判定基準はどのように設定するか?」の(案2)の(反論)と同じ。
 
(以下、各委員より事務局に書面で送っていただいた御意見)
○ これを認めるのは、会としても反対。個人的にも絶対に反対。胚提供以上に、子どもが事実を知ったときの衝撃、混乱が大きすぎる。まったく無関係の、顔を合わせたこともない男女の間にできた子という事実は、人の心が受け入れられる範囲を超えているのではないか。「子どもの福祉を優先する」というのであれば、知ったときにどうなるかも考えるべき。どうせ親は告知しないのだから……という前提で考えるべきではない。パブリックコメントでもこの件に対する反対意見は多く、もう一度よく検討すべき。

○ 「卵子提供を受けることが困難な場合における余剰胚の提供」・「余剰胚提供を受けることが困難な場合における卵子・精子の提供」・「兄弟姉妹からの提供」・「卵子のシェアリング」については、提供を受けることが困難であるかどうかを見るため、当分の間(2〜3年)認めない。
⇒どのような感染症について提供者の検査を行うか?
(p15)
(案1)
 日本産科婦人科学会会告「非配偶者間人工授精と精子提供」に関する見解の4.(p112)(※1)及びその解説の当該部分(※2)(p113)に準じた検査を行うこととする。
(理由)
・ 学会としては、「肝炎、AIDSを含む性病等と書かれており、それ以下の具体的な疾患に関しての検査というのは挙げていない。

・ 感染症の検査費には大きな費用がかかる。

(反論)
・ できるだけ安全性が確立できるように検査項目を設定するのがよい。
○ 感染症に関しては、学会としては(肝炎、AIDSを含む性病等)と書かれている。それ以下の具体的な疾患に関しての検査というのは挙げておりません。

○ エイズ、HIV検査1つとっても大変なお金かかるわけですね。そのほかにプラス感染症もろもろ、どの程度まで増やしてやっていくのか。
(案2)
 現在のAIDにおける一般的な検査に準じた検査を行うこととする((案1)に加えて、血清反応、梅毒、B型肝炎ウィルスS抗原、C型肝炎ウィルス抗体、HIV抗体検査等についても 検査を行う。)。 
(理由)
・ 現在、AIDに際しては、提供者に通常、梅毒、B型肝炎ウィルスS抗原、C型肝炎ウィルス抗体、HIV抗体検査を行っている。

(反論)
・ アメリカでは、通常、精子提供に際し、提供者にはクラミジアとサイトメガロウィルスも行っている。

・ できるだけ安全性が確立できるように検査項目を設定するのがよい。
○ (日本の現状について)今、荒木先生もおっしゃいましたけれども、肝炎に関してはHCVとHBS、ワッセルマンとAIDSを日本では大体普通はやっていると思います。
(案3)
 (案2)に加えて、クラミジア、サイトメガロウィルス抗体検査についても行うこととする。
(理由)
・ アメリカでは、通常、精子提供に際し、提供者にはクラミジアとサイトメガロウィルスも行っている。

・ できるだけ安全性が確立できるように検査項目を設定するのがよい。

(反論)
・ 学会としては、「肝炎、AIDSを含む性病等と書かれており、それ以下の具体的な疾患に関しての検査というのは挙げていない。

・ 感染症の検査費には大きな費用がかかる。
○ アメリカなどでは、精子提供に関してはクラミジアとサイトメガロをやっています。

○ 今学会の基準だとクラミジアなどは入ってないということでしたけれども、それは安全性の問題ですので、できるだけすべての点について安全性が確立できるような形で検査項目は基準として入れた方がいいと考えます。

○ いろいろあると思うのですけど、例えばクラミジアは今すごいですね、日本でも。昔はそんなことなかったわけですけど、かなり皆さん持っていらっしゃることが多いので、そういうものは入れておいた方がいいのではないかと私は思いますが、費用はもちろん問題かもしれないのですけれども、それは将来いろいろ考えていくということで、できるだけ必要なものはきちんとチェックをするという態勢でいく必要があると思います。

○ 私も思うのですが、こういった医療をやることになったら、クラミジア、サイトメガロウイルスくらいはやっておいた方がよろしいのではないか。医療機関がかなり限定されると思いますので、その医療機関で考える、あるいはこの部会の中で考えるということが必要になってくると思います。

○ 学会の基準+安全性を確認するためにできるだけの検査を行うということでまとめさせていただきたいと思います。
⇒卵子提供者の感染症の検査を行う場合、卵子凍結が技術的に確立していないため、検査により感染が判明しない期間(ウィンドウ・ピリオド)を考慮した感染症の検査が困難であるが、これについては、提供を受ける者のインフォームド・コンセントを得ればよいこととするか?
(p15)
(案1)
 ウィンドウ・ピリオドに関するリスクについて提供を受ける者のインフォームド・コンセントを得ることとする。
(理由)
・ インフォームド・コンセントによる自己責任が重要である。

・ 卵子を採取する際の検査と提供を受ける方のインフォームド・コンセントの両者により対応するしかない。

・ AIDの場合と違い、(卵子の凍結が不可能であるという)男女の差異はやむを得ない。

(反論)
・ 卵子は凍結できなくても受精卵は凍結できるわけだから、安全性を重視し、受精卵にすることによりウィンドウ・ピリオドを考慮するようにする。
○ 卵子は今吉村委員から言われたように学会の基準がございませんし、検査により感染が判明しない期間、いわゆるウインドウ・ピリオドというものが卵子では適用されませんので、そういう意味ではいろいろ問題があるということで、これについては、卵子を採取する際の検査と提供を受ける方のインフォームド・コンセントを得るということでよろしいでしょうか

○ そういうときに生物学的な違いがあるわけですから、男性と女性異なって扱ってもそれはやむを得ないということでございます。
(以下、各委員より事務局に書面で送っていただいた御意見)
○ インフォームド・コンセントを得ることが限界だと思います。

○ この問題に関しては慎重にならざるを得ないのかもしれませんが、やはり未知のリスクに対してはレシピエントへのインフォームド・コンセントをしっかりとする事により対応するしかないのではないでしょうか。つまり、自己責任の重要性です
(案2)
 受精卵を凍結しておいた上で、ウィンドウ・ピリオドが終了した後、感染症について再検査し、陰性を確認した上で移植    する。  
(理由)
・ 卵子は凍結できなくても受精卵は凍結できるわけだから、安全性を重視し、受精卵にすることによりウィンドウ・ ピリオドを考慮するようにする。

(反論)
・ インフォームド・コンセントによる自己責任が重要である。

・ 卵子を採取する際の検査と提供を受ける方のインフォームド・コンセントの両者により対応するしかない。

・ AIDの場合と違い、(卵子の凍結が不可能であるという)男女の差異はやむを得ない。
○ もし感染するおそれがあるのだとすれば、卵子は凍結できなくても受精卵は凍結できるわけですから、受精卵の凍結をして検査することはできるのではないですか。
⇒「実費相当分」として認められるものの具体的な範囲をどのように設定するか?
 (交通費、通信費のほかにどのようなものを実費相当分
に含めるのか?)
(p16)
(案1)
 個々の事例について、精子・卵子・胚の提供のために提供者が実際に支払った金額のみを「実費相当分」として認める。
(理由)
・ お金が提供する誘因にするべきではない。

・ 人間の体を売ると言うことは認めないという基本的な考え方を保つべき。

・ 人身売買を禁止する流れの一環としても認めない。

・ (献血のように)血液はただですし、もっとしんどい骨髄移植の提供も全く無償であることを考えると、1万円というのは治験で払っているからいいということに必ずしもならないのではないか。

(反論)
・ 当時の文部省が国立大学附属病院における治験のスタンダードの値段を1万円程度に設定した?

・ 生殖補助医療の費用は施設によりかなり幅があるので、ある程度の基準を決めた方がよい。

・ 純粋に実費と計算するのは難しい。大体あてがいぶちで計算するので、多少プラスアルファがあってもいいのではないか。

・ 取引型までくると問題だけれども、志型までだったならば認めていいのではないか。

・ (提供者が仕事を持っている女性の場合、)仕事を休んでまでボランティアで卵子を提供しようというその思いを酌んであげる意味では交通費だけにとどまるというのはいかがなものか。
○ 私はかなり実費を計算するのが難しいので、ある程度基準幾らという考え方はあると思うのですけれども、加藤先生がおっしゃったようにプラスアルファまで認める。つまり2つの意味ですね。お金で提供するという誘因にするべきではないということが1つ。もう一つは、人間の体を売るということは認めないという基本的な考え方を保つ。いわんやこれは精子・卵子・胚となると子どもにつながる。人身売買を禁止する流れの一環としても認めないという考え方からするとかなり厳格に制限的にというふうに私は考えたいと思っていますが。

○ 議論を蒸し返すのはあれなんですけれども、これはかなり専門委員会で議論した部分で、そのときに出てきたのは、確かに1万円を高いと見るか安いと見るかというのはあるのですが、治験というのもあそこで払っているというのが1つ目安と考えられるというのがあったと。逆に血液はただですし、もっとしんどい骨髄移植の提供も全くの無償であるということを考えると、1万円というのは治験で払っているからいいということに必ずしもならないのではないかという議論もしたところです。

○ (専門委員会の議論を挙げて)もう一つ考えていただきたいのは、精子提供は、初めにお話をして、カウンセリングして、検査をして、また6カ月後に検査をする。そういうことはもちろん必要。そんなに3〜4回も病院に来ていただくということで、もちろんカウンセリングもあって3〜4回で済まないかもしれませんが、物理的には3〜4回で済む。
 しかし女性の場合は第三者に対してかなりの回数を来ていただかなくてはいけないです。少なくとも14〜15日は最低来ていただかないと、注射を打ちに来て、あるときは血液も採られるでしょうし、超音波の検査をさせられて、採卵も行われてとなりますと14〜15回から15〜16回、ちょっとすると20回ぐらい来ていただくことだってあり得ると思うのです。そうするとその1万円も毎回毎回治験のように一回ごとに支払われていくと20万円ぐらいの対価になるわけですね。こういったことも専門委員会では大変問題になりました。

○ 骨髄移植の場合、対価は払っていません。ただ、骨髄摂取するときに入院をしてもらいますが、それはある程度保険でカバーされるはずです。その他の検査費用やコーディネーション、傷害保険などは当然本人が支払うことはありませんので、財団は骨髄の提供を受ける人から50万円ぐらいいただいています。ただそれでは実際には足りないものですから、財団は赤字に苦しんでおります。
 骨髄提供のために仕事を休んでいただくということに対しては、財団は各会社にその休みの期間を有給休暇の形にしていただくようお願いして、かなりのところはそういうふうになっていると思いますが、全部はなっていないと思います。対価は全く払っていません。
 それから、提供を受けた人はだれからもらったかということはわからないようになっていますので、提供を受けた方から志というような形でお金がいくことはありません。
(以下、各委員より事務局に書面で送っていただいた御意見)
○ 提供者に対しては、交通費・通信費のみ支払う。
(案2)
 個々の事例について、提供者が精子・卵子・胚の提供のために通常支払う額を算定して、それに一定額を加算した額を「実費相当分」(の上限)として認める。
 加算を認める具体的 な額(の上限)としては、  
(案2-1)
 治験に準じた額とする(具体的には1万円前後?7千円〜1万2千円?)。
(理由)
・ AIDの現状として、提供者に1万円前後、つまり治験費と同じぐらいのお金を、治験のために患者さんに来ていただいたときに払う。安いところで 7,000円ぐらい、高いところでは 12,000円ぐらいとする。

・ 当時の文部省が国立大学附属病院における治験のスタンダードの値段を1万円程度に設定した?

・ 生殖補助医療の費用は施設によりかなり幅があるので、ある程度の基準を決めた方がよい。

(反論)
・夫婦間の生殖医療に関しての規定もない状態で、金額の設定は不適当である。

・ 女性の提供の場合は注射、採血、超音波検査や採卵も行われてとなりますと14〜15回から15〜16回、ちょっとすると20回ぐらい来ていただくことだってあり得る。そうするとその1万円も毎回毎回治験のように一回ごとに支払われていくと20万円ぐらいの対価になる。これはお金が提供する誘因になるのではないか。

・ お金が提供する誘因にするべきではない。

・ 人間の体を売ると言うことは認めないという基本的な考え方を保つべき。

・ 人身売買を禁止する流れの一環としても認めない。

・ (献血のように)血液はただですし、もっとしんどい骨髄移植の提供も全く無償であることを考えると、1万円というのは治験で払っているからいいということに必ずしもならないのではないか。
○ (AIDの現状として)一応この点に関しましては病院側と話し合いまして一定の値段を決めておりまして、1万円前後、ですから治験費と同じぐらいのお金を、治験のために患者さんに来ていただいたときに払う。これは安いところで 7,000円ぐらい、高いところでは 12,000円ぐらいすると思うのですけれども、1万円前後を病院側から支給していただいています。

○ 今、吉村委員から言われた、医療の進歩のために協力していただく方には1万円前後というお話伺いましたけれども、そのぐらいは認めてあげてもよろしいのではないか。

○ (治験について)ついでですが、たしか治験については当時の文部省が国立大学の病院にある程度のスタンダード、先生がおられたときに来てなかったですか。4,000〜 5,000円、あるいはもう少し高かったです。
(他委員):1万円。
(以下、各委員より事務局に書面で送っていただいた御意見)
○ 現在、治験に対して実費の支払いが行われており、それを参考にしては?

○ 生殖補助医療の費用は施設によりかなり幅があると思いますので、ある程度の基準を決めた方がよいと思います。
(案2-2)
 寸志程度の一定額とする(具体的な額はどう設定するか?)。
(理由)
・ 純粋に実費と計算するのは難しい。大体あてがいぶちで計算するので、多少プラスアルファがあってもいいのではないか。

・ 取引型までくると問題だけれども、志型までだったならば認めていいのではないか。

・ (提供者が仕事を持っている女性の場合、)仕事を休んでまでボランティアで卵子を提供しようというその思いを酌んであげる意味では交通費だけにとどまるというのはいかがなものか。

(反論)
・ 夫婦間の生殖医療に関しての規定もない状態で、金額の設定は不適当である。

・ お金が提供する誘因にするべきではない。

・ 人間の体を売ると言うことは認めないという基本的な考え方を保つべき。

・ 人身売買を禁止する流れの一環としても認めない。

・ (献血のように)血液はただですし、もっとしんどい骨髄移植の提供も全く無償であることを考えると、1万円というのは治験で払っているからいいということに必ずしもならないのではないか。
○ 純粋に実費と計算するのは難しいのですね。私が鳥取からここへ来るのに新幹線で来た場合と飛行機で来た場合と、新幹線の割引切符が通用する場合と通用しない場合と、途中で降りた場合と降りなかった場合と全部違うので、とても厳密な実費なんて計算できないですよ。ですから大体あてがいぶちで計算するので、多少プラスアルファがあってもいいのではないかと思いますけど。

○ 対価というのは完全にゼロでボランティアで交通費も提供者に支給させろという完全ゼロ主義というのもあるのです。それから、普通に実費主義というのがあるのですね。それから、志といって、幾らやるから提供しろというのではなくて、提供したら、あ、これだけくれたという志主義というのがあるのですよ。それから、これだけ出したら、これだけ提供するぞといういわば取引型というのもあるのですよ。取引型までくると問題だけれども、志型までだったならば認めていいのではないかと思いますね。・・・お布施と同じ。

○ それから、遺伝子疾患がないことについての問診の結果とか、ある意味で痛くない腹も探られるわけではないですか。だったら多少寸志がついたっていいのではないですか。
(他委員)もちろん感染症の採血もします。

○ これはその提供を受ける方のご意見なのですけれども、今、吉村先生がおっしゃったように、提供してくださる方は何回も病院に行って、サイクルを合わすのがすごく大変だと。ちょうど半年ほど前に提供卵子を受ける予定だったのですけれども、どうしても提供する方のサイクルが自分と合わなくて半年ほど延びてしまったのですね。それで結局プラス100万円払うことになるかもしれないと言っていたのですけど、提供する方の女性が、例えば仕事を持っていると。仕事を持っていて、仕事を休んでまで病院に何回も来てくれていることを思うと、提供をしていただく方の女性が言っていたのですけど、仕事を休んでまで来てくれるのは、その仕事料というのですか、給料というのも見ていってあげた方が、私はもらう方の立場として相手に申しわけないとおっしゃっていたのですけど、その辺、交通費と通信費以外に、商業主義ではないですけれども、今、加藤先生もおっしゃったように志ですか、仕事を休んでまでボランティアで卵子を提供しようというその思いを酌んであげる意味では交通費だけにとどまるというのはちょっとどうかなというのがその方の意見でした。
(案3)
 「実費相当分」という以上の具体的な基準は特に示さない。
(理由)
・ 夫婦間の生殖医療に関しての規定もない状態で、金額の設定は不適当である。

(反論)
・ 生殖補助医療の費用は施設によりかなり幅があるので、ある程度の基準を決めた方がよい。
 
(以下、各委員より事務局に書面で送っていただいた御意見)
○ 夫婦間の生殖医療に関しての規定もない状態で、金額の設定は不適当であると考えます。
⇒卵子のシェアリングの場合に提供する卵子の選別を認めるか?
 (選別は認めないこととするのか(ランダムに選別するのか)?卵子の質などにより提供者が選別できることとするのか?また、卵子の質により卵子の提供を受けた人が当該卵子を提供した人に対して負担する「医療費等の経費」の額に差異を設けることを認めるのか?)
(p18)
● 卵子のシェアリングに関する基準については、提供を受けた人が提供した人に対して負担する「医療費等の経費」の額は、当該採卵の周期に要した医療費等の経費の半分以下とする以外は、基本的に、個々の事例における提供する人と提供を受ける人との間での契約に委ねることとする。ただし、契約は提供する人と提供を受ける人との間で、直接行うのではなく、医療機関に仲介させるなど、当事者の匿名性が担保できる  方法をとる。
    
(案1)
 卵子を提供する人は、採取された卵子の中から、提供する卵子の数、質を選別できることとする。
(案1-1)
 それ以上の基準を示さない。
(理由)
・ 採卵周期によって何個採れるかということが余り明らかではない。排卵誘発をして、ある周期には15個採れたのが、次の周期5個ということもありますし、このシェアリングを何個という決まりは外国においてもないはず。例えば半分をあげるとかとかという程度で、細かく決めている基準はないはず。

・ (どの卵子を選ぶかは、)提供者が決めざるを得ない。そして契約をするしかない。7個のときに何個にするのかわかりませんし、選ぶときにも、それを無作為に、順次きれいにグレードを分けていくのか、その辺も大変難しい

・ (卵子を質的に公平に分配するというのは、)現段階では技術的に難しい。

・ 提供者の、せっかく赤ちゃんができるかもしれない可能性をなるべく減らさない方がいい。また、その提供者の妊娠可能性が低くなるかもしれないのだとすると提供者が事実上ほとんどいなくなってしまう。

(反論)
・ シェアリングをするといって実費を半分ずつという契約が成立するのであるならば、公平の観点から見て半分ずつだし、グレードも順次分けていくということが妥当ではないか。
○ 周期によって何個採れるかということが余り明らかではない。排卵誘発をして、ある周期には15個採れたのですけど、次の周期5個ということもありますし、このシェアリングを何個という決まりは外国においてもないと思います。例えば半分をあげるとかそういういうふうになっている。だから、こういった細かく決めている基準はないと思います。

○ 提供者が決めざるを得ないです。そして契約をするしかないように思います。いわゆる普通には半分と書いてあります。治療費も半分払うと。7個のときに何個にするのかわかりませんし、選ぶときにもどうしても卵を見て選ぶわけですから、それを無作為に、順次きれいにグレードを分けていくのか、その辺も大変難しいと私は思うのですけど。

○ 卵子を取りますね。例えば先生から採ってだれかにあげる場合、先生から10個採れました。その時点で、ご主人の精子をかけるのか、他のご夫婦の精子をかけるのか決めないといけないので、胚では決められないですから、卵子を採った段階で卵子を分けなければいけないわけです。それに各々の精子をかけるわけですから、できた胚はどうなるかということはわかりません。
 ですから現実面として大変難しいとは思うのですけど、金城先生がおっしゃったのは、グレードの一番スーパーなものがあったとしたらば、あげる人にもまたグレートのスーパーなものをできる限りそうすると。次にまた3番目のものを自分に、実際にやる人にあげたらば、提供者に4番目のものをあげる、そういうふうにして分けていくということですね。それ以外に胚によって3つ戻せるからとか、それは結果でしかないので、例えば卵子凍結がしっかりできるような状況であれば、石井先生の言われることは可能ですけれども、現段階では難しいと思います。

○ 機械的に公平にというのは、最初の委員会のときはそういう考え方は出なかったのではないかと思いますけど、あくまで提供者が、せっかく赤ちゃんができるかもしれないリスクをなるべく減らさない方がいい。また、リスクは多くなるのだとすると提供者が事実上ほとんどいなくなってしまう。ともかく最初提供する人にとっては、それ以上、なるべく迷惑をかけないと、危険も負担も出さないと、そういう条件でないと実際にシェアは不可能だと、そういう考え方だったような気がするのです。

○ ですから経済的なインセンティブといっても、どうなのでしょう。どこまで働くのか、これは提供者の意思である程度決めるという道を可能であれば残してもよろしいのではないかと思いますけれども。

○ まず初めから幾つあげるからという契約ではなくて、結果として3個余ったからあげるというようなもので、もしだめだったらあきらめてくださいという話だと思うのですね。お金については、そういう半額までの金銭の授受があったとしても、それを許容するということであって、私は要らないという人がいれば、もちろんそれは無料提供になりますし、あくまでそれは自発的な提供であって、例えばもらった人が支払い能力がないとか、払えなくなったという場合に、法律に訴えて、それを請求できるかというと、そうではなくて、私は「お布施型」というのですけれども、あくまで提供者の自発的な意思で提供した場合に、それを禁止しないと、そういう性質のものではないかと思います。
(以下、各委員より事務局に書面で送っていただいた御意見)
○ 採卵できる卵の数は同じ人であっても毎回変動するため、数を決める事はできないと思われます。卵子のシェアリングをする周期が始まる際に提供者の希望を聞き、それに基づく契約をレシピエントと結ぶことになるのではないでしょうか。もし契約どおり卵子が採取できなかった場合の事も事前に契約しておくべきであると思います。
(案1-2)
 提供を受ける人が負担する額については、実際に提供を受ける卵子の数(割合)に比例させることとする。卵子の質により、提供を受ける人が負担する額に差異を設けることも認める。
(理由)
・ シェアリングをするといって実費を半分ずつという契約が成立するのであるならば、公平の観点から見て半分ずつだし、グレードも順次分けていくということが妥当ではないか。

(反論)
 
(案2)
 卵子を提供する人が、採取された卵子の中から、提供するする卵子の数、質を選別することを認めない。提供を受ける人が負担する額については、実際に提供を受ける卵子の数(割合)に比例させることとする。
(理由)
・ シェアリングをするといって実費を半分ずつという契約が成立するのであるならば、公平の観点から見て半分ずつだし、グレードも順次分けていくということが妥当ではないか。

(反論)
・ 採卵周期によって何個採れるかということが余り明らかではない。排卵誘発をして、ある周期には15個採れたのが、次の周期5個ということもありますし、このシェアリングを何個という決まりは外国においてもないはず。例えば半分をあげるとかとかという程度で、細かく決めている基準はないはず。

・ (どの卵子を選ぶかは、)提供者が決めざるを得ない。そして契約をするしかない。7個のときに何個にするのかわかりませんし、選ぶときにも、それを無作為に、順次きれいにグレードを分けていくのか、その辺も大変難しい

・ (卵子を質的に公平に分配するというのは、)現段階では技術的に難しい。

・ 提供者の、せっかく赤ちゃんができるかもしれない可能性をなるべく減らさない方がいい。また、その提供者の妊娠可能性が低くなるかもしれないのだとすると提供者が事実上ほとんどいなくなってしまう。
○ シェアリングをするといって実費を半分ずつという契約が成立するのであったらば、公平の観点から見て、半分ずつだし、グレードも順次分けていくということで、提供する方がいいものをとってとか、数も提供者が決めるのだというわけにはいかないと思うのですが、ですからそこは公平にやっていくより、シェアリングと決めたからにはやる方が妥当だと思いますけれど。
⇒兄弟姉妹等からの精子・卵子・胚の提供を認めるか?
(p19)
(案1)
 「兄弟姉妹等からの精子・卵子・胚の提供」を認める。
 ただし、提供を受け る人が、生まれてくる子に対し、当該生殖補助医療により生まれたことについての将来の告知について約束することを必須の条件とする。また、子の福祉などを担保するためのカウンセリング体制の整備などの環境整備を条件とする。
(理由)
・ 近親者に対して強制力が働くとよく言われるが、たとえそういう圧力があり得たとしても、その可能性を法律で排除するほど厳しく排除しなければならない事例であるかどうかということについて疑問が残る。あくまで当人の自発的な判断で強制がないように配慮すべきことなのであって、可能性が起こらないように法律でなくしてしまうのはやり過ぎである。

・ (近親者に対して強制力が働くのではないかということに対しては)提供に同意した後、、最終的にもう一度(翻意がないか)提供者に再確認をしてから提供を実行すればよい。

・ 子どもを産む、産まないは夫婦の選択肢である。選択肢の1つとして残していくべき

・ 遺伝的な自分の先祖を残していくという観点から、絶対自分の兄弟姉妹から欲しいという方もいる。

・ なぜ遺伝的なつながりのある兄弟姉妹間がだめで、卵子も精子も全然血がつながってない余剰胚という技術が認められるのか、その点が矛盾している。

・ 妹がお姉さんに提供するという関係では、例えば男性がお姉さんと離婚した後、妹と結婚するということはできる事柄である。法的にそこに問題が生じる関係ではないだろう。また、世界的に見れば、宗教的に姉と妹を両方妻にするということを認める国もある。近親相姦だという言い方は不適切ではないか。

・ 養子縁組については長い間、兄弟姉妹の子どもをもらうということが行われてきているのが我が国の現状としてある。そういう中で、自分が子どもができないときに、姉、妹、そういう関係から卵子をという希望は多いだろう。

・ 第三者だったら必ず幸せになるとか、兄弟姉妹間だったら絶対不幸になるという議論があるが、それは個々に違うのであって、それをあえて兄弟姉妹間にすると問題が出てくるからというのを国で決めてしまうというのは、その人たちの選べる選択肢を抑えてしまい、それを望んでいる人達を排除することになる。画一的な枠に押し込めるのではなく、個人の選択肢を広げるべき。

・ 100%危険だとか 100%安全だとかということは言えない。ほんの狭い枠でも残した方がいい。

・ (兄弟姉妹間で心理的な強制があるという意見に対して)例えばお母さんが子どもに血液を提供するといったときに、本当に自発的かどうかというのを見きわめる方法があるかといったらご当人に聞いてもわからないという現実がある。だから、たとえ卵子の提供を言われても、あなたは拒否権ありますよということをはっきりと確認するとか、その程度のことができるわけで、余り微妙な心理的な条件にまで踏み込めないということが一番基本になるのではないか。

・ 儒教国である韓国でも兄弟姉妹からの実際の第三者提供をやっている。

・ なぜ、子どもが欲しいのか。ただ周りの圧力だけで子どもが欲しいのではなくて、なぜかという、きっちりした自分の人生観とか目的観、子どもが欲しくて、どう育てていくのか、人生観をきっちりした夫婦は、例えば本当の血のつながりがなくても、ちゃんとした家庭ができるのではないか。

(反論)
・ 提供者である近親者の遺伝的な親がすぐそばにいるということは非常に親子関係が複雑になっていくのではないかという危惧がある。

・ カウンセリングをしっかりやればよいという意見もあるが、生殖補助医療を施した時点ではうまくいくかもしれないが、子の成長とともにいろんな環境も変わってくる。

・ 近親者の兄弟姉妹から提供を求めることは心理的な圧迫が強く働き、兄弟、姉・妹から頼まれれば、これは断りきれないという近親者特有の関係はぬぐい去ることはできない。

・ (兄弟姉妹の提供を認めている)臓器移植と生殖補助医療を用いた不妊治療とは内容が全く違う。臓器移植は生きるか死ぬかの方の瀬戸際に立っているものである。学会としては、産まないと決めたカップル、子どもは要らないと決めたカップルに対する配慮というものも必要ではないかと考え、これを一緒にさせて議論することには反対する。

・ 兄弟姉妹からの精子・卵子・胚の提供に関しては、精神医学では近親相姦の掟を破ったときに人間がさまざまな混乱を引き受けなければならないのと同様の、パンドラの箱である。・・・この精神医学の常識は言うまでもなく人類の知恵の中で共有され、吟味されてきたものであり、いろんなことが起きるだろうなという感覚は、庶民の中にもある。もう少し、人類のつくってきた社会の秩序の原理に立ち戻るべきだ。

・ 全く血縁のつながりのない子どもというのは、血縁を持った子どもに比べて相対的にリスクが高い成育環境におかれることは当然のことである。

・ (家を残したい者も多いという意見に)家を残したいといっても、思うような健やかな家が残るのであれば賛成だが、そうでない例もたくさんある。・・・普通の家族では守られている人格の成熟に必要な安心感やシステムが脅かされていく。最近の新しいニューロサイエンスでは未熟児や新生児の研究で、子どもはかなり早い時期からそういう複雑な家庭の中の雰囲気をキャッチするということが報告されている。この辺は1つの未知の領域であり、私たちが思い込んでいるほど簡単にはこの問題を弄れないという認識がある。

・ 表立って個々の人たちのプライベートな苦しみが公表されていないから一般的に子どもや当事者の苦しみが分からない。けれども少なくとも子どもや当事者は必ず、より複雑な課題で悩んでいる。我々は、心理的課題の中で生きていかざるを得ない人の苦しみを、十分に共感し共有していくプロセスがなければならない

・ 子どもが欲しいと言っている人たちに、技術があるからということで際限なくその医療技術を使うということは、それは病気を直すという意味とは質が随分違うのではないか。

・ 同じ東アジアの国である韓国や朝鮮などの儒教国から見れば、例えば日本みたいに夫が戦死したからその弟と結婚するというようなことは有り得ない話であり、日本の兄弟姉妹の提供は理解できないと言っている。同じ東アジア地域の中で日本だけ大丈夫というのは不思議な気がする。

・ 兄弟姉妹は、一旦争うと骨肉の争いになってくる。うまくいっているときはいいが、そうでない時はどうするのかという気がする。そういう点でも兄弟姉妹だけ公的管理運営機関で申請してチェックすればいいですよというのはどうも理解できない。

・ 子どもの立場から見ておりますと、家庭の崩壊は物すごいスピードで進んでいる。アメリカと日本は社会的変化において大体約20年のタイムラグがあることが多いと思うが、アメリカの場合では、実の両親が揃っているという家族は50%を下回っているし、虐待される子どもの数は少なく見積もっても年間 200万人いると言われている。日本もこのような社会を迎えようとしていると考えると、子どもを守る家族の背景は非常に弱体化していくと予測される。だから条件整備をするどころか、今の状態よりもっと悪くなるという前提で物を考えなければいけないと思う。

・ 専門委員会の意見の一番大きな問題は、卵子提供がないのではないかということが大きな理由だった。兄弟姉妹等の提供はその場合の特例だった。それを今特例だけを議論している。特例が自然に消えてしまって、皆さん生殖補助医療を受けたい人が第一選択を兄弟姉妹等の提供へ持っていくのではないかということを非常に危惧している。
  だから今回「特例」という文言をを削除して、一度何年かの期間を第三者の匿名者に限るということの方がよいと思う。その間、卵子提供や胚提供で子を持つ道を求めた方がよいのではないか。それでも提供者がいない場合に、改めて兄弟姉妹からの精子・卵子提供を議論した方がよいではないか。当分の間は匿名者に限るというのがよい。

・ 「当該精子・卵子・胚の提供が生まれてくる子の福祉や当該精子・卵子・胚を提供する人に対する心理的圧迫の観点から問題がない」という条件を確認することは難しい。
○ 論点は2つあるわけです。顔見知りで親子関係が混乱するというようなこと、もう一つは、結局そういう枠を許容すると事実上強制が働いてしまうのではないかということですね。
 2番目の論点についてですが、例えば生体の臓器移植の場合に、そういう枠を認めると、結局近親者に対して強制力が働くと。特に産んだお母さんは、なぜ、おまえが提供しないのかと、相当ひどい圧力がかかるのではないかというようなことも言われましたですね。そのときの考え方としては、たとえそういう圧力があり得たとしても、その可能性を法律で排除するほど厳しく排除しなければならない事例であるかどうかということについて疑問が残る。あくまで当人の自発的な判断で強制がないように配慮すべきことなのであって、可能性が起こらないように法律でなくしてしまうのはやり過ぎだという、法律の行き過ぎだという考え方です。
 もう一つは、リコンフォーメーションといいましょうか、一度お決めになってもいろんな事情を判断して、最後の土壇場になって、あなたは考え方を翻して、今お断りになっても全く差し障りありませんし、その理由なども外に漏らしませんから、と言ってご当人に再確認をするということをやろうということで実行している病院が多いと思います。
 その2つの理由で、かなり危険が伴うけれども、あえて枠は残すという考え方になったのだと思います。

○ 私はターナー症候群の患者団体の会長をさせていただいているのですけど、実は数年前にアンケートをとらせていただいたときに、子どもを産む、産まないはご夫婦の選択肢であると思うのですね。アンケートの中の答えの中で養子をもらいたいという方ももちろんいらっしゃいましたし、また子どもを持たないのも1つの人生やという方もいらっしゃいましたし、絶対自分の兄弟姉妹から欲しいという方もいらっしゃって、先週なのですけど、会員の方からお電話がありまして、まだ結婚されてないのですけれども、20歳ぐらいでお姉ちゃんがいてるので、ぜひお姉ちゃんの卵子をもらって産みたい、と言っているということをお聞きして、今はまだ生殖医療はきっちりした形で決まってないですけど、ということでお話しさせてもらって、さっき荒木先生がおっしゃったように、第三者はよくて、なぜ兄弟姉妹間がだめなのかという部分では全然納得いかないのですけど、第三者の方がいいという方も、会員の方でアメリカに行った方もいらっしゃいますけど、でも絶対遺伝的な自分の先祖を残していくと。例えば、私でしたら岸本家を残していくために兄弟姉妹間でないと嫌やという人もたくさんいらっしゃるのです。

○ 兄弟姉妹間がだめで、この前ありましたけれども、余剰胚ですか、例えば卵子だけがなくて、ご主人、ターナーの人が結婚して精子はあるのに卵子がもらえないだけの理由で余剰胚をもらうというのは、この兄弟姉妹間がだめで、何で余剰胚という、卵子も精子も全然血がつながってないのがよくて、遺伝的なつながりのある兄弟姉妹、お姉ちゃんとご主人の精子がなぜだめなのか、その辺が私的には矛盾しているなという部分があるのですけど、余剰胚にしても、ただ、卵子が採りにくいというだけで、それだったら養子という、第三者の卵子・精子使うのであれば、養子の問題も考えていくべきだと思うのですけど、兄弟姉妹間に限っては、選択肢の1つとして残していくべきだと私は願っています。

○ 妹がお姉さんに提供するという関係で、倫理的な観点での近親相姦の問題はあるかもしれませんが、それがいわゆるその間では、つまり男性がお姉さんと離婚した後、妹と結婚するということはできる事柄ですよね。だから、法的にそこに問題が生じる関係ではないだろうとは思うのですね。同時的に関係を持つことはもちろん禁止されるわけですけれども、世界的に見れば、宗教的にお姉さんと妹を両方妻にするということを認める国もある。それを認めるつもりはないのですが、近親相姦だという言い方をしてしまっていいのかなということが1つあるということです。
 もう一つは、我が国の観点からいくと、それをいいかどうかは別として、先ほど岸本委員が家を残したいと言われると、私困るなと思うのですが、養子縁組については長い間、兄弟姉妹の子どもをもらうということが行われてきている。それがいいかどうかは別として行われてきているというのが我が国の現状としてあると。そういう中で、自分が子どもができないときに、お姉さん、妹、そういう関係からという希望は多いだろう。そういう点は考えたということはあると思っています。私がいいとか悪いとか別として、それは歴史的に認められないという言い方をされると少し違うのではないかというところなのですけれども。

○ 必ずしも兄弟姉妹間だと破壊するとか、家がぐちゃぐちゃになるとは限らないと思いますし、また第三者だから絶対問題が起きないとも限らないと思うのですね。必ずというのは絶対ないのです。第三者だったら必ず幸せになるとか、兄弟姉妹間だったら絶対なる。それは個々に違うのであって、それをあえて兄弟姉妹間にすると問題が出てくるからというのを国で決めてしまうというのは、例えばそれを望んでいる人をそこだけ排除するというか、その人たちの選べる選択肢を抑えてしまうということに関しては、ここでだめだとするのは私はよくないと思います。

○ 100%危険だとか 100%安全だとかということは言えないのです。・・・ほんの狭い枠でも残した方がいいという考え方だと思います。

○ 兄弟姉妹をもし認めるということであるならば、こういった場合には必ず初めに開示をして、そして子どもにもちゃんと知らせて、そういった家庭環境をつくることが大前提で、そして認めていくような社会ができればいいのではないか。
 そうでない限り兄弟姉妹というのは大変難しい。これを隠していくことは不可能ですし、子どもが怪しいと思うかもしれないし、そういったことがあると思うので、まず自分たちにできて、初めてこういった医療を受ける資格ができるというか、そういったレベルに達しないとこういった医療は受けられないのではないかと思うのです。

○ 今言った提供の強制の問題、これは法律的に担保するのは難しいと思うのです。例えば借金をするときには、心理的な強制が働かないという条件が成立した場合に民事契約として借金は有効であるともし言ったとすると、担保しろと言われても全然無理なのですね。かなり心理的にデリケートで、お母さんが子どもに血液を提供するといったときに、本当に自発的かどうかというのを見きわめる方法があるかといったらご当人に聞いてもわからないという現実があると思うのです。ですから、それは周りから見ても、例えば確認できるとか、考え方として、たとえ卵子の提供を言われても、あなたは拒否権ありますよということをはっきりと確認するとか、その程度のことができるわけで、余り微妙な心理的な条件にまで踏み込めないということが一番基本になるのではないかと私は思っています。

○ その心理的な強制ですけれども、それはある程度カウンセリングを十分やることで断れる力をつけてあげるみたいなことだと思いますので、ある程度はそれで対処できるのではないかと思います。ですからカウンセリングは要件だということが必要だと思います。

○ 別に揚げ足をとるわけでも何でもないのですけど、韓国は兄弟姉妹からの実際の第三者提供をやっていますね。そういう儒教国でもやっているわけです。それが1点。ですから別に儒教国だからやってないわけではないというのがある。
 ほかの国、もちろんいろいろあると思うのですが、我が国の文化として考えていくべきことで、確かに近親相姦的なところが出てくるのかもしれないけど、戦前、戦後ももしかしたらあったのかもしれませんが、本当に生まれたばかりの兄弟の子どもを実子として育てているというケースが非常に多く文化的にはあったわけですよね。歴史的に日本の文化の中ではいい、悪いではなくあったわけです。そういう歴史がある。それを受容してきた

○ リスクということ、子どもから見たときのリスクというときに、もう一つ、私たちのグループが考えておかなければいけないのは、本当に子どもを欲しいと願っていて、夫婦が仲がよくて子どもを望んでいるご夫妻が得られる子どもと、ただ血がつながっているというだけで望まれない子どももたくさん今生まれているのが現状で、どちらのリスクが高いかは簡単ではない。その社会が問題であるというのは、渡辺先生が毎回おっしゃってくださっているとおりですけれども、そういう現実もある。
 つまりリスクというのは一概に言えないと私は考えています。その個々のケースにおいて、今、兄弟姉妹のことを言っていますからあれですけど、兄弟姉妹からの提供だからといってリスクが高いとは限らないですし、そこは私たちはいちがいにいけないとは決めつけるのはどうなのか。ふだん本当に子どもが欲しいと思っている方と毎日毎日面接している私としては、そこの疑問も1つ投げかけておきたいと思います。

○ なぜ、子どもが欲しいのか。ただ周りの圧力だけで子どもが欲しいのではなくて、なぜかという、きっちりした自分の人生観とか目的観、子どもが欲しくて、どう育てていくのか、人生観をきっちりした夫婦は、例えば本当の血のつながりがなくても、ちゃんとした家庭ができるのではないかと、私は今平山先生がおっしゃったことにすごく賛成ですけれども。
(以下、各委員より事務局に書面で送っていただいた御意見)
○ 日本産科婦人科学会の会告はあるが、公的管理運営機関が認められれば行われてよい。

○ 提供の対価を受け取ることを禁止することから、リスクを背負ってまで他人に、提供してもよいという人が実際どれだけいるのだろうか?私の友人で海外に行って提供卵子で妊娠した人の話によりますと、提供代金として50万円を支払うことになっていたと言っておられました。それでも、登録されていたドナーの数は少なかったということでした。もちろん私も商業主義は反対です。兄弟姉妹以外に(ドナーが)存在しない場合も想定の下に考えるべきであると思います。画一的な枠に押し込めるのではなく、個人の選択肢を広げていただきたいと望んでおります。兄弟姉妹の提供が必ずしも家族の崩壊につながるものであるとは断定できないと思います。そこから、新しい関係性への可能性が開かれてくるかもしれないと思います。

○ 
「家族内に二人の母親が存在することは近親相姦である」という見解について
1.近親婚に該当する場合を除くのは当然の前提です。(略)
2.「近親婚に該当する場合を除く」と明記したい。(略)
3.遺伝的な意味での近親相姦が問題です。(略)
4.子の心において母の同一性が混乱するとは限りません。(略)

「生体臓器提供と卵子・胚の提供とは異なるので、卵子・胚の提供については心理的強制が加わる可能性が規制の根拠となる」という発言について
1.同意の自発性を尊重するということは、同意の内容の重要度とは無関係です。(略)
2.(強制のない)真空の中で決定することは不可能です。(略)
3.他人の決断についてそれが自発的でないという判断は誰にも下せません。(略)
4.「再確認」以上のことをすれば、それが別の心理的干渉になります。(略)
(案2)
 「兄弟姉妹等からの精子・卵子・胚の提供」は、(当分の 間、)認めない。
 当分の間、認めない 場合は、精子・卵子・胚を提供する人の匿名性が保持された生殖補助医療が実施されてから一定期間経過後、兄弟姉妹等からの精子・卵子・胚の提供による生殖補助医療の実施の是非について再検討することとする。
(理由)
・ 提供者である近親者の遺伝的な親がすぐそばにいるということは非常に親子関係が複雑になっていくのではないかという危惧がある。

・ カウンセリングをしっかりやればよいという意見もあるが、生殖補助医療を施した時点ではうまくいくかもしれないが、子の成長とともにいろんな環境も変わってくる。

・ 近親者の兄弟姉妹から提供を求めることは心理的な圧迫が強く働き、兄弟、姉・妹から頼まれれば、これは断りきれないという近親者特有の関係はぬぐい去ることはできない。

・ (兄弟姉妹の提供を認めている)臓器移植と生殖補助医療を用いた不妊治療とは内容が全く違う。臓器移植は生きるか死ぬかの方の瀬戸際に立っているものである。学会としては、産まないと決めたカップル、子どもは要らないと決めたカップルに対する配慮というものも必要ではないかと考え、これを一緒にさせて議論することには反対する。

・ 兄弟姉妹からの精子・卵子・胚の提供に関しては、精神医学では近親相姦の掟を破ったときに人間がさまざまな混乱を引き受けなければならないのと同様の、パンドラの箱である。・・・この精神医学の常識は言うまでもなく人類の知恵の中で共有され、吟味されてきたものであり、いろんなことが起きるだろうなという感覚は、庶民の中にもある。もう少し、人類のつくってきた社会の秩序の原理に立ち戻るべきだ。

・ 全く血縁のつながりのない子どもというのは、血縁を持った子どもに比べて相対的にリスクが高い成育環境におかれることは当然のことである。

・ (家を残したい者も多いという意見に)家を残したいといっても、思うような健やかな家が残るのであれば賛成だが、そうでない例もたくさんある。・・・普通の家族では守られている人格の成熟に必要な安心感やシステムが脅かされていく。最近の新しいニューロサイエンスでは未熟児や新生児の研究で、子どもはかなり早い時期からそういう複雑な家庭の中の雰囲気をキャッチするということが報告されている。この辺は1つの未知の領域であり、私たちが思い込んでいるほど簡単にはこの問題を弄れないという認識がある。

・ 表立って個々の人たちのプライベートな苦しみが公表されていないから一般的に子どもや当事者の苦しみが分からない。けれども少なくとも子どもや当事者は必ず、より複雑な課題で悩んでいる。我々は、心理的課題の中で生きていかざるを得ない人の苦しみを、十分に共感し共有していくプロセスがなければならない

・ 子どもが欲しいと言っている人たちに、技術があるからということで際限なくその医療技術を使うということは、それは病気を直すという意味とは質が随分違うのではないか。

・ 同じ東アジアの国である韓国や朝鮮などの儒教国から見れば、例えば日本みたいに夫が戦死したからその弟と結婚するというようなことは有り得ない話であり、日本の兄弟姉妹の提供は理解できないと言っている。同じ東アジア地域の中で日本だけ大丈夫というのは不思議な気がする。

・ 兄弟姉妹は、一旦争うと骨肉の争いになってくる。うまくいっているときはいいが、そうでない時はどうするのかという気がする。そういう点でも兄弟姉妹だけ公的管理運営機関で申請してチェックすればいいですよというのはどうも理解できない。

・ 子どもの立場から見ておりますと、家庭の崩壊は物すごいスピードで進んでいる。アメリカと日本は社会的変化において大体約20年のタイムラグがあることが多いと思うが、アメリカの場合では、実の両親が揃っているという家族は50%を下回っているし、虐待される子どもの数は少なく見積もっても年間 200万人いると言われている。日本もこのような社会を迎えようとしていると考えると、子どもを守る家族の背景は非常に弱体化していくと予測される。だから条件整備をするどころか、今の状態よりもっと悪くなるという前提で物を考えなければいけないと思う。

・ 専門委員会の意見の一番大きな問題は、卵子提供がないのではないかということが大きな理由だった。兄弟姉妹等の提供はその場合の特例だった。それを今特例だけを議論している。特例が自然に消えてしまって、皆さん生殖補助医療を受けたい人が第一選択を兄弟姉妹等の提供へ持っていくのではないかということを非常に危惧している。
  だから今回「特例」という文言をを削除して、一度何年かの期間を第三者の匿名者に限るということの方がよいと思う。その間、卵子提供や胚提供で子を持つ道を求めた方がよいのではないか。それでも提供者がいない場合に、改めて兄弟姉妹からの精子・卵子提供を議論した方がよいではないか。当分の間は匿名者に限るというのがよい。

・ 「当該精子・卵子・胚の提供が生まれてくる子の福祉や当該精子・卵子・胚を提供する人に対する心理的圧迫の観点から問題がない」という条件を確認することは難しい。

(反論)
・ 近親者に対して強制力が働くとよく言われるが、たとえそういう圧力があり得たとしても、その可能性を法律で排除するほど厳しく排除しなければならない事例であるかどうかということについて疑問が残る。あくまで当人の自発的な判断で強制がないように配慮すべきことなのであって、可能性が起こらないように法律でなくしてしまうのはやり過ぎである。

・ (近親者に対して強制力が働くのではないかということに対しては)提供に同意した後、、最終的にもう一度(翻意がないか)提供者に再確認をしてから提供を実行すればよい。

・ 子どもを産む、産まないは夫婦の選択肢である。選択肢の1つとして残していくべき

・ 遺伝的な自分の先祖を残していくという観点から、絶対自分の兄弟姉妹から欲しいという方もいる。

・ なぜ遺伝的なつながりのある兄弟姉妹間がだめで、卵子も精子も全然血がつながってない余剰胚という技術が認められるのか、その点が矛盾している。

・ 妹がお姉さんに提供するという関係では、例えば男性がお姉さんと離婚した後、妹と結婚するということはできる事柄である。法的にそこに問題が生じる関係ではないだろう。また、世界的に見れば、宗教的に姉と妹を両方妻にするということを認める国もある。近親相姦だという言い方は不適切ではないか。

・ 養子縁組については長い間、兄弟姉妹の子どもをもらうということが行われてきているのが我が国の現状としてある。そういう中で、自分が子どもができないときに、姉、妹、そういう関係から卵子をという希望は多いだろう。

・ 第三者だったら必ず幸せになるとか、兄弟姉妹間だったら絶対不幸になるという議論があるが、それは個々に違うのであって、それをあえて兄弟姉妹間にすると問題が出てくるからというのを国で決めてしまうというのは、その人たちの選べる選択肢を抑えてしまい、それを望んでいる人達を排除することになる。画一的な枠に押し込めるのではなく、個人の選択肢を広げるべき。

・ 100%危険だとか 100%安全だとかということは言えない。ほんの狭い枠でも残した方がいい。

・ (兄弟姉妹間で心理的な強制があるという意見に対して)例えばお母さんが子どもに血液を提供するといったときに、本当に自発的かどうかというのを見きわめる方法があるかといったらご当人に聞いてもわからないという現実がある。だから、たとえ卵子の提供を言われても、あなたは拒否権ありますよということをはっきりと確認するとか、その程度のことができるわけで、余り微妙な心理的な条件にまで踏み込めないということが一番基本になるのではないか。

・ 儒教国である韓国でも兄弟姉妹からの実際の第三者提供をやっている。

・ なぜ、子どもが欲しいのか。ただ周りの圧力だけで子どもが欲しいのではなくて、なぜかという、きっちりした自分の人生観とか目的観、子どもが欲しくて、どう育てていくのか、人生観をきっちりした夫婦は、例えば本当の血のつながりがなくても、ちゃんとした家庭ができるのではないか。
○ 学会はこれは第三者に限るということですから、兄弟姉妹からの精子・卵子・胚の提供は反対という見解に立っています。
 その理由といたしましては、提供者である近親者の遺伝的な親がすぐそばにいるということは非常に親子関係が複雑になっていくのではないかという危惧があるわけです。だからといって、カウンセリングをしっかりやればいいというものの、生殖補助医療を施した時点ではうまくいくかもわかりませんけど、子の成長とともにいろんな環境も変わってくるわけでございます。また近親者の兄弟姉妹から提供を求めることは心理的な圧迫が強く働き、兄弟、姉・妹から頼まれれば、これは断りきれないという近親者特有の関係はぬぐい去ることはできないと思います。そこにいろんな問題が派生してくると思いますので、学会としては、これは反対せざるを得ないという結論に至ったわけです。

○ 臓器移植がしばしばこの例として出されるのですけど、臓器移植と生殖補助医療を用いた不妊治療とは内容が全く違うわけですね。臓器移植は生きるか死ぬかの方の瀬戸際に立っているわけです。
 私ども学会といたしましては、産まないと決めたカップル、子どもは要らないと決めたカップルに対する配慮というものも必要ではないかと考え、これを一緒にさせて議論することには反対します。臓器移植と不妊の治療とは、いろいろな点で一緒には議論できないという見解に立っている。

○ 兄弟姉妹からの精子・卵子・胚の提供に関しては、産科婦人科学会が言うまでもなく、精神医学では近親相姦の掟を破ったときに人間がさまざまな混乱を引き受けなければならないのと同様の、パンドラの箱であると考えます。人間がこうやってサバイブしてきた、つまり精神的に少なくともいろんな問題を抱えながらも1つの社会や集団を存続できた背景には、秩序があります。その秩序は、例えば家族の中においては子どもに対して父母が連合して、子どもは子ども、大人は大人という世代境界を持つ。それから性差境界がある。思春期以降は父親と息子、母親と娘という1つの性差境界をきちんと持たないと、さまざまな精神障害がその人の代のみならず子どもの代あるいは孫の代に出ることが実証的に研究されています。その秩序を崩していくということにはリスクがあります。敏感で優秀な子どもほど、一度気がつきますと執念をかけてずっと追っていきます。出自の疑問を持つ人自身が遺伝学者になったり専門家になって、自分のルーツを探すとともにそういったルーツに関して発言していくということも起きるわけです。社会秩序を本当にもう一度よく勉強し直し、遺伝学的なレベルでも家族精神学的なレベルでも人間社会の秩序に関する認識を明確にしないと危険であると思います。
 この精神医学の常識は言うまでもなく人類の知恵の中で共有され、吟味されてきたものであり、いろんなことが起きるだろうなという感覚は、庶民の中にもあると思います。私はこの委員会の意識はもう少し、人類のつくってきた社会の秩序の原理に立ち戻っていただきたいと思います。

○ 全く血縁のつながりのない子どもというのは、血縁を持った子どもに比べて相対的にリスクが高い成育環境におかれることは当然のことだと思います。それをぜひ確認していただいて、それに合った対応を次に考えるべきではないかと思います。
 先ほどの兄弟姉妹の問題については日本産科婦人科学会の見解に全面的に賛成でございます。姉妹からの胚の提供による生殖は、一種の近親相姦だと思います。これを許している社会は存在しないと理解しています。長い歴史で人類が学んできた問題を破ることは、非常に危険だと思います。

○ お答えした方がいいと思うので申し上げますけれども、例えば岸本委員が家を残したいといっても、思うような健やかな家が残るのであれば私も賛成ですけれども、そうでない例もたくさんあるわけです。つまりある感受性を持つ人の中には、例えば自分の精子が弟夫婦の子どもの中に生きていることがすごく響いて、そういう時点から家族関係の1つの枠組みが揺らぐこともあり得るわけですね。極端な場合は嫉妬妄想などの幻想がわいてきたり、当事者が悪夢を見出したり、そうではない例もありますけれども、そういうリスクがずっと高まっていく。
 そして、普通の日常的な家族の営みの中に、例えばこの子は知っているだろうか、知らないだろうかと、普通に想像していただいて構わないですけれども、普通の家族では守られている人格の成熟に必要な安心感やシステムが脅かされていくのです。最近の新しいニューロサイエンスでは未熟児や新生児の研究で、子どもはかなり早い時期からそういう複雑な家庭の中の雰囲気をキャッチするということが報告されているのです。
 この辺は1つの未知の領域であり、私たちが思い込んでいるほど簡単にはこの問題を弄れないという認識があるわけですね。個人が本当の意味での幸せに到達するには社会も皆で応援しなければならないけれども、岸本さんが考えているような形で家を残そうと思っい、その残っていく家が苦しみ合う家族の家にならないためにも、子どもの心の発達の人格形成の土台をもう一度見ていかなければならない。そのプロセスを抜きにしてただ命を生み出せばいいという問題ではないことを、少し集約した形で申し上げたいのです。わかりやすい1つの警告として、近親相姦的な世界と言い切ってもいいくらい、リスクは高いと申し上げているのです。

○ 表立って個々の人たちのプライベートな苦しみが公表されていないから皆さんお分かりにならない。けれども少なくとも子どもや当事者は必ず、より複雑な課題で悩んでいます。心理的課題の中で生きていかざるを得ない人の苦しみを、十分に共感し共有していくプロセスがなければならないと思います。大丈夫とか大丈夫でないという問題ではなく、どの人も自分の出自や経緯に関しては疑心暗鬼になったりといろいろ苦しみ、当事者である子どもにとっては非常に重いものになっていく。その重いものは、それを抱えた子どもを育てる両親も背負わなければいけない。でも、それをご両親が背負える範囲のものにしていくために、社会的、専門的な人類の知恵を生かしていかなければいけないという観点に立つのです。個々人が幸せになりたいという願いは無条件に応援しますけれども、その思いがそのまま届くほど、人格の発達は単純ではない。ですから私たちは専門家として迷い、恐れ、危惧もし、その危惧についてできる範囲で発言しているのです。私は非常にリスクがあると思っていることを、限られた時間で一応申し上げているのです。個々にご説明すれば奥はもっと深いと思います。

○ 1つ兄弟姉妹のことで問題なのは、本来子どもをつくる、つくらない、あるは産む、産まないというのはあくまで夫婦2人がプライベートの中で決めていくことだと思うのですね。その決定に対して家族というものがかかわってきちゃう、家族の意思というものが入り込んでしまうというのは非常にまずいのではないかと私は思うのです。
 あともう一つ、国が禁止するかどうかという話はすごく難しいと思うのですが、そもそも先ほど小泉ドクターが、きょうのご意見で出していただいたところにとても大事なことが書いてあったと思うのですが、そこまで医療が助ける、手助けする義務があるのかということも1つ本質的な問題として問われると思うのですね。子どもが欲しいと言っている人たちに、技術があるからということで際限なくその医療技術を使うということは、それは病気を直すという意味とは質が随分違うと思いますので、そのことを改めて今考えています。

○ 先ほど吉村委員のお話で何となく出自を知る権利を前提として兄弟姉妹等の配偶子の提供もいいのかというような雰囲気に少しなったような気もするのですが、私は現時点では何となく納得がいかないのですね。ここに「子の福祉や提供者に対する心理的な圧力の観点から問題がないこと……条件として」とありますが、これを確認することは恐らく不可能だと思うのですね。

○ 日本にいる例えば韓国籍や朝鮮籍の人などに聞くと、そんなことは考えられない話になるわけです。つまり朝鮮などの儒教国から見れば、例えば日本みたいに夫が戦死したからその弟と結婚するというようなことは有り得ない話なのです。それは同胞を娶らずというような形の考え方がずっと来ていますから、今の民法そのものもまだそのとおりなのですね。そういったところで、弟と結婚するということは有り得ないというような社会がずっと形成されてきているわけですから、日本のこういった議論は理解できないということを言われたことがあるのです。
 そういったお隣の国、同じ東南アジアの地域の中で文化的な観点もまるで違うようなところで、日本だけ兄弟姉妹でもいいですよみたいなことを言って認めてしまうのは何か非常に不思議な気がするのと、もう一つは、弁護士というのは兄弟姉妹の争いというのをしょっちゅう見ているものですから、骨肉の争いになってくるのですね。そうすると他人同士の争いよりも「本当に顔を見るのも嫌だ、いなくなってほしい、日本から出て行ってくれ」。そんな話が出てくると、いやこれで大丈夫か、うまくいっているときはいいが、そうでない時はどうするのかという気がするものです。そういう点でも兄弟姉妹だけ公的管理運営機関で申請してチェックすればいいですよというのはどうも理解できないですね。

○ 先ほど部会長から、兄弟姉妹からの生殖細胞の提供について、イエス、ノーということではなくてどうしたら可能になるかという条件整備を考えろというようなお話だったと思うのですけれども、現実は非常に厳しいと思います。子どもの立場から見ておりますと、家庭の崩壊は物すごいスピードで進んでいるわけですね。アメリカと日本は社会的変化において大体約20年のタイムラグがあることが多いと思いますけれども、アメリカの場合ですと実の両親が揃っているという家族は50%を下回っておりますし、虐待される子どもの数は少なく見積もっても年間 200万人いると言われています。
 日本もこのような社会を迎えようとしていると考えますと、子どもを守る家族の背景は非常に弱体化していくと予測されるわけですね。ですから条件整備をするどころか、今の状態よりもっと悪くなるという前提で物を考えなければいけないと思います。
(兄弟姉妹等の提供は)要するに家族内の基本的人間関係に混乱が起きるという意味なのですね。・・・私が今問題にしているのは、姉妹である母親と社会的な母親という二重構造が生まれるということです。要するに同じ家庭の中に母親が2人いるという状況が生まれるおそれがあるわけですね。これが果たしてよいのかということを論じているわけです。

○ 兄弟姉妹からの提供に関する意見、ここに出てきた専門委員会の意見の一番大きな問題は、卵子提供がないのではないかということが大きな理由だと思うのですね。しかし、それを今特例だけを議論していると、特例が自然に消えてしまって、皆さん生殖補助医療を受けたい人はまずここにファースト・チョイス、第一選択をこちらへ持っていくということが非常に私は危惧しているところでございます。
 だから今回「特例」という文言をを削除して、一度何年かの期間を第三者の匿名者に限るということの方がよいと思います。その間、今までの議論にある卵子提供もいい、胚の提供もいいというような意見まで大部分の方から出ておりますので、その道を求めた方がよろしいのではないか。それでも提供者がいない場合に、改めてここで兄弟姉妹からの精子・卵子提供を議論した方がよろしいのではないでしょうか。当分の間は匿名者に限る。当分の間、何年になるかわかりませんけど、そういった方でいければよろしいかと私個人は思っております。
(以下、各委員より事務局に書面で送っていただいた御意見)
○ 近親相姦の一形式であり、家族における身分関係を混乱させ、児の自我の形成に深刻な影響を与えるおそれがあります。自我は“母親の息子”、“母親の娘”を基盤として形成されるのであり、“母親”を混乱させることは、許されないと考えます。

○ 個人的には賛成できません。「当該精子・卵子・胚の提供が生まれてくる子の福祉や当該精子・卵子・胚を提供する人に対する心理的圧迫の観点から問題がない」という条件を確認することは難しいと思います。

○ 提供を受けることが困難であるかどうかを見るため、当分の間(2〜3年)認めない。

○ 近親者による精子・卵子・胚の提供に対して、精神保健の立場から反対である。養育者と異なる遺伝学的親が、自分の身近な親戚にいるという体験は、その子の人格形成にどう影響するであろうか。またその家族システム全体へのリスクは慎重に検討すべきではないだろうか。

○ 「血族」に関する若干のコメント(略)
結論 その1 少なくとも日本では、民法上の規定から、妻が夫の父親の精子を利用して子供を作る、ということはとても認められない。
結論 その2 夫の兄弟の精子を使用することは、人間関係が複雑になったり、子どもが混乱したりという問題以外にも、社会的倫理的問題が絡んでおり、特別な事情でもない限り、容認しがたい。妻の姉妹の卵子を貰うことも同じです。

○ (卵子提供と生体臓器移植との関係について)卵子提供に関しては、(1)排卵誘発を促し、(2)麻酔下で採卵針により、卵子採取する、という手順で行われるわけですが、この際の医的侵襲は生体臓器移植に伴うそれよりも遙かに軽微であるという社会一般の認識があるようです。確かに開腹手術など目に見える医的侵襲こそありませんが、排卵誘発に関しては、まだ完全に100%制御可能な技術ではないのだという意見もあります。このような状況下で、認識が十分でないままに、提供者が自発的に同意する、あるいは社会的環境がその自発性を修飾することを危惧するというのが私の意見であります。また私の言う心理的圧迫また心理的干渉は、必ずしも提供者だけに対してではありません。長年の不妊治療のすえ、最終的に「子を持たない」と決断したカップルも数多くいらっしゃいます。これらのカップルの下した決断をできるだけ尊重したい、更なる心理的葛藤は与えたくないと言うのが私の意見でもあり、日本産科婦人科学会倫理委員会の見解でもあります。
⇒属性以外の提供を受ける者の希望に応えるか?また、応える場合、どこまで応えるか?
(第2子や第3子も同じ提供者から提供してほしい等)
(p21)
 提供された精子・卵 子・胚を使用して第1子が生まれたのち、提供された精子・卵子・胚の残りを第2子のために使用すること については、
    
(案1)
 可能な限り認める。ただし、精子・卵子・胚を提供する際に、当該提供により、第1子だけでなく第2子も生まれる可能性があることについて、提供する人に対し、インフォームド・コンセントを取っておく。
(理由)
・ 希望をまず優先することは大切だ。応えられる限りは応えていくというようなことより仕方がないのではないか。

・ 今精子の売買がインターネットなどを通じて行われているが、それは病院側が今までは個人の希望に対応してこなかったからということも一因である。売買などはない方がいいことを考えると、リーズナブルな合理的な要求であれば、それはできるだけ応えていくべきである。  

・ (提供者には、)同じ人が2回提供してもらうかもしれないというようなことまでも全部お話をして、インフォームド・コンセントをきっちり取った上で提供していただけばよいのではないか。

(反論)
・ こういったことをどんどん認めていくと、優生思想とに近いものなっていく可能性があるのではないか。

・ 精子や卵子の提供者が2回提供するにしても、別々の夫婦に提供した場合は、生まれた2人の子どもは遺伝的に半分しか兄弟の要素がないが、同一の夫婦に2回提供した場合は、遺伝的に2人の子どもは全くの兄弟となる。提供者からの感覚は結構違うことに配慮するべきではないか。
○ 希望をまず優先することは大切だと思うのですね。ですから第2子や第3子について、それが可能ならば、提供する数というのは決まっているわけですよね。ですから、そういうことを考えれば、必ずしもいつも可能とは限らないと思います。でも可能ならば、同じ提供者からの精子を提供するということでいいのではないか。できるだけ本人の希望に沿う。特に第2子、第3子については、第1子と同じ提供者から提供してもらいたいという希望は多分あるだろうと思うのですね。ですからそれに応えられる限りは応えていくというようなことより仕方がないのではないですか。

○ 今精子の売買がインターネットなどを通じて行われているわけですよね。それは病院側が今までは個人の希望に対応してこなかったからということもあると思うのです。ですから、できれば売買などはない方がいいと思いますので、リーズナブルな合理的な要求であれば、それはできるだけ応えていったらいいと思います。でも、今お話があったように、物理的に不可能だとかそういうことあると思います。ただ、今は凍結した精子を使っているということですから、そういうことであれば、そのときにご希望を伺って、そしてしばらく保存しておくとか、そういう細かい対応が難しいとおっしゃることもあると思うのですけれども、しかし、できるだけ希望に添えるようにしていけばよろしいのではないかと思います。でも、これはあくまでも「できるだけ」ということでございます。

○ 今の議論のところでは、可能ならば提供するというところで、私はいいのかなと思いますけれども、そうした場合に、18ページのところでの数、ここまでの関連として考えなけばいけないのではないかということをお話ししたいと思ったのです。

○ 年限がたちまして、その胚が、3年後に、例えば2子目をつくりたいというときには、私はある程度インフォームド・コンセントはとっておくべきではないかと思うのですが。

○  しかし吉村先生のようなお気持ちもよくわかります。今度は1人の提供者から生まれる子どもの数もきちんと限定するわけですね。ですからインフォームド・コンセントのときに、いただくときに、そういうことをきちんと申し上げておけばいいのではないですか。もしかすると、同じ人が2回提供してもらうかもしれないというようなことまでも全部お話をして、その上で提供していただけばいいのではないかと思うのですけど、いちいち第2子に使うときまでに提供者に同意を得なければいけないといったのではますます身動きがとれないのではないかと思うんです。
(案2)
 認めない。
(理由)
・ こういったことをどんどん認めていくと、優生思想とに近いものなっていく可能性があるのではないか。

・ 精子や卵子の提供者が2回提供するにしても、別々の夫婦に提供した場合は、生まれた2人の子どもは遺伝的に半分しか兄弟の要素がないが、同一の夫婦に2回提供した場合は、遺伝的に2人の子どもは全くの兄弟となる。提供者からの感覚は結構違うことに配慮するべきではないか。

・ 基本的に応えないこととするのが妥当。

(反論)
・ 希望をまず優先することは大切だ。応えられる限りは応えていくというようなことより仕方がないのではないか。

・ 今精子の売買がインターネットなどを通じて行われているが、それは病院側が今までは個人の希望に対応してこなかったからということも一因である。売買などはない方がいいことを考えると、リーズナブルな合理的な要求であれば、それはできるだけ応えていくべきである。  

・ (提供者には、)同じ人が2回提供してもらうかもしれないというようなことまでも全部お話をして、インフォームド・コンセントをきっちり取った上で提供していただけばよいのではないか。
○ こういったことをどんどん認めていきますと、優生思想とは私は言いませんけれども、そういったものになっていく可能性というのはないでしょうか。例えば、私こういうことを希望している、こういうことを希望しているということをどこまで、それは第1子が生まれて、第2子が生まれるときに同じものを使ってほしいという希望だけであるならば結構だと思うのですけど、これは例えばの話ですよね。属性以外の希望に応えるかどうかということになりますと、それはさまざまな問題点を起こすということはないのでしょうか。

○ (同一クライアントに対する提供は慎重に対応するべきだという意見として)クライアント夫婦に兄弟ができるのと違った夫婦に1人ひとりできるのとは、これは同じかもしれませんけれども、でもそれは遺伝子的には全然違うものになりますよね。要するにクライアント夫婦に2人できますと完全な兄弟になるわけですから、この感覚というのは、胚の提供については少し考えていかなくてはいけない。例えばAという夫婦とBという夫婦に渡せば、半分の遺伝子は違ってきているわけですから、これは兄弟とはいえないのか、ちょっとわかりませんけど、半分が遺伝子同じ。そういう意味で感覚は結構違ってくる可能性はないのかということを心配しただけです。
(以下、各委員より事務局に書面で送っていただいた御意見)
○ 基本的には応えないこととするのが妥当であると考えます。
⇒ 提供された精子・卵子・胚による生殖補助医療により生まれた子の出自を知る権利として、生まれた子が知ることができる提供者の個人情報の範囲をどのように設定するか?
(p22)
● 提供された精子・卵子・胚による生殖補助医療により生まれた子の出自を知る権利を認める。
    
出自を知る権利の 範囲としては、精子・卵子・胚を提供した人に関する個人情報のうち、
    
    
(案1)
 当該精子・卵子・胚を提供した人を特定することができないもので、当該精子・卵子・胚を提供した人が当該精子・卵子
・胚により生まれた子に開示することを承認した範囲内の個人情報に限る。  
(理由)
・ 現在まで50年間AIDが行われてきて、基本的に大きな問題が起こってこなかったというのは、子の出自を知る権利が認められてなかったからだと思われる。

(反論)
・ 生殖補助医療で生まれてきた子どもは、生殖補助医療であることをずっと知らされないで秘密なまま大きくなることも多いというが、知った場合に、そういうことを何で言ってくれなかったのか、と親を恨むといった人の意見もある。

・ 子どもにとって、自分が本当の親はだれなのかというのを知らないで生きていくということは、自分自身を確認できずにすごく不安定な状態のまま生きなくてはならないということになるのではないか。

・ 専門委員会の報告書の前提として、子どもの福祉を最優先にするということがあるが、それを考えると、子どもの出自を知る権利も完全に認めていこうというような方向が望ましい。

・ 親の都合だとかということのために、生まれてきて、自分のアイデンティティがなかなか解決できないで苦しむ子どもをつくるということは非常に犯罪的な行為ではないか。

・ 部会初期の資料中の、外国の論文に、出自が知れないで非常に苦しんでいるというものがあった。
○ (専門に員会を代表して)ここは2日か3日ぐらいかかったのではないかと思いますけど、結局結論は出ずに、皆さんのご意見も、時代の要請はわかっていたけれども、出自を知る権利を認めないという方もお見えになりましたし、さまざまな意見があって、こういうようになったのではないかと思いますけど。

○ 現在までこのAIDが行われてまいりまして、基本的に大きな問題が起こってこなかったというのは、私は子の出自を知る権利が認められてなかったからだと思います。先ほど言いましたように、完全匿名であって、ご両親はAIDをしたということを隠していたから、ですから子どもにも知らせない。ですから子どもも知らない、ドナーも全く完全匿名である。
 これがさまざまな今現実に問題点が出てくるであろうということはわかります。子どもの福祉を本当に考えているのか。そういった問題はさておき、今までの50年間の歴史を考えますと、そういったことがあったからこそ、いまだかつて子どもが不幸になっている事例は少なかったのだと思います。出自を知る権利がなかったということと、完全にご両親が出自を知る権利を知らなかったということももちろんありますね。ですから、そういう点では秘密主義でいっていたから、今までは問題なかったと。
(以下、各委員より事務局に書面で送っていただいた御意見)
○ 子どもが知ることのできる提供者についての個人情報は、指針で定める。
(案2)
当該精子・卵子・胚を提供した人を特定することができる個人情報も含める。
(理由)
・ 生殖補助医療で生まれてきた子どもは、生殖補助医療であることをずっと知らされないで秘密のまま大きくなることも多いというが、知った場合に、そういうことを何で言ってくれなかったのか、と親を恨むといった人の意見もある。

・ 子どもにとって、自分が本当の親はだれなのかというのを知らないで生きていくということは、自分自身を確認できずにすごく不安定な状態のまま生きなくてはならないということになるのではないか。

・ 専門委員会の報告書の前提として、子どもの福祉を最優先にするということがあるが、それを考えると、子どもの出自を知る権利も完全に認めていこうというような方向が望ましい。

・ 親の都合だとかということのために、生まれてきて、自分のアイデンティティがなかなか解決できないで苦しむ子どもをつくるということは非常に犯罪的な行為ではないか。

・ 部会初期の資料中の、外国の論文に、出自が知れないで非常に苦しんでいるというものがあった。

(反論)
・ 提供者がいなくなるおそれがある。

・ 現在まで50年間AIDが行われてきて、基本的に大きな問題が起こってこなかったというのは、子の出自を知る権利が認められてなかったからだと思われる。
○ 生殖補助医療で生まれてきた子どもは、生殖補助医療であることをずっと知らされないで秘密なまま大きくなることも多いと聞いてはいますけれども、知った場合に、そういうことを何で言ってくれなかったのか、と親を恨むといった人の意見もあったと聞いていますし、匿名性ということなのですけれども、提供者の生物学的な親を知るという、出自を知る権利なのですけれども、子どもは親の、私は名前まで知るという権利もあっていいのではないかと思います。
 管理情報のところで、いろんな子どもの情報が管理されるといったことですけれども、そこには近親婚を排除するためには一応名前とかは、提供者の知られたくないという権利もあると思うのですが、それをどこで折り合いをつけるかというところで、諸外国でも認められていないということでは、そこまで匿名性でないというところで決定したところは余りないとは聞いていますけれども、でも子どもにとって、自分が本当の親はだれなのかというのを知らないという秘密のままでいくということが、自分自身を確認するためには、それがなしではすごく不安定な状態のまま生きなくてはならないということになるのではないかと思うのです。
 そんな中で、情報をプールされる中に名前とかも多分あるわけでしょうし、その中で子どもが知りたいというときに、名前を排除して、例えば血液型とか、ほかの情報は知るといったこと、そこまでここで議論するわけではないと思うのですけれども、ほかのところは開示するけれども、名前は匿名とするということになっている案なのですけれども、名前まで知るべきではないかと思います。

○ 専門委員会が非常に検討していただいてこの報告書を出していただいた大変いい報告書だと思うのですけど、私はこの点だけは納得できないのです。この報告書の前提は、子どもの福祉を最優先にするということから始まっているわけですね。そう考えますと、ここでいろいろ出てまいりましたけれども、生殖医療から生まれた子どもが成長した後、いろんな問題が起こってくる。それは1つはうそをついているからだということも明確になったのではないかと思うのです。ですからこの際に根本的に検討をし直して、テリングは必ずしなければいけない。そして、また子どもの出自を知る権利も完全に認めていこうというような方向でやっていただきたいと思います。
 そうすると提供者がいなくなるとか、いろんなことが出てくると思うのです。でも、そういう便宜的な、親の都合だとかということのために、生まれてきて、自分のアイデンティティがなかなか解決できないで苦しむ子どもをつくるということは非常に犯罪的な行為だと私も思うのです。ですから、これはきちんと認めていくべきだと思います。
 それで、最初のころに資料をいろいろいただきまして、その中に外国の論文だったと思うのですけれども、出自が知れないで非常に苦しんでいるというお話なども出ていました。私はあれを読んで電車を乗り過ごしてしまったのですけど、本当にそのとおりだと思います。出自を知る権利というのは、国際的に見ればまだまだ新しい考え方かもしれませんけれども、日本でこそ、そういう方向で認めていかなければいけないのではないかというふうに考えています。
(以下、各委員より事務局に書面で送っていただいた御意見)
○ 生まれてくる子の出自を知る権利は精子、卵子、胚の提供者の匿名性に優先されるべきであると考えます。

○ これまでは、匿名性の原理が広く採用されて いたことは確かである。しかしAIDから生まれた子どもたちが、その遺伝的な親を知ることができなくて、そのアイデンティティ確立に多くの困難を抱えていることを、最近の調査は明らかにしている。匿名性の原理といえども、子どもの幸せという視点から採用されたものなのだろうが、この考え方は誤りであることが、明らかになったのである。だから、精子、卵子、胚の提供を禁止するというのではなく、子どもに遺伝的親を知る権利を保障するという方向での解決が図られなければならない。これからも、遺伝に関して研究は進み、遺伝についての知識が、健康な生活を送るために不可欠なものとなっていこう。にもかかわらず、生殖補助医療から生まれた子どもに対して、遺伝的な親を知る権利を否定することは、健康に生きる権利すら奪うことになるのである。
⇒提供された精子・卵子・胚の保存期間についても具体的に期間を決めなくてもよいか?
(p23)
● 提供された精子・卵子の保存期間は2年間とする。
    
(1)提供された余剰胚は、
 保存期間を10年間とする。
 ただし、当該胚は、 移植前であれば配偶子の由来する提供者のうち、いずれか1人の申し出により提供の撤回ができ、廃棄できるものとする。

(2)精子・卵子両方の提供によって得られた胚は、
 保存期間を10年間とする。
 ただし、当該胚は、 移植前であれば配偶子の由来する提供者のうち、いずれか1人の申出により提供の撤回ができ、廃棄できるものとする。

(3)提供を受ける夫婦の精子・卵子と、提供された精子・卵子
とを受精させて得られた胚は、

 保存期間を10年とする。
 ただし、

(案1)
 当該胚は、提供者からの申出による提供の撤回、廃棄を認めないものとする。

(理由)
・ 精子を提供したものは、胚を提供したわけではないから、胚としてとどまっている間だけに同意の撤回を限定すべき。

・ 胚になったら生命になる可能性があり、安易に廃棄するのではなく、尊重しなければならない。

・ 自分たちの精子なり卵子なりを使っているわけですから、胚になった以上はもらった方が決めていっていいのではないか

・ 胚が提供された場合には移植を使用だと考えてもよいが、自分の精子ないし卵子と、提供されたものと一緒にして胚をつくった場合には、胚の作成をもって使用と考えていくべきだ。

・ 提供を受ける人が、ホルモン注射等を行い、胚を戻す段階までいった人に、いきなり同意を撤回したということで、その治療が中止になることは大変影響が多いのではないか。

・ もっとカウンセリングのときにきちんとすることが大事なのであって、いつまでも撤回できますという形で同意をとっていくことは危険なのではないか。

(反論)
・ 自分がその時点では子どもをつくりたくないと思った人の配偶子を使うということは、その人のリプロダクティブライツの侵害にならないか。やはり胚に関しては同意がないものは使うのは難しいのではないか。

・ 原則を当てはめればよいのではないか。ドナーが嫌だとおっしゃったら、それは胚としてできていたとしても戻すことはできないと決めても、それはおかしくはない。契約だから提供していただかなくては困りますよということではない。

・ 生殖医療の場合には影響が世代を超えていく。単にものをあげるとかもらうとかということとは違って、その影響が子々孫々まで及ぶという非常に重大な問題だというふうに考えると、子宮に戻すまでドナーの意見も聞いてもいいのではないか。

○ 胚がつくられた後も撤回できるのかという問題はあるのではないかということなんです。精子を提供した人が撤回できるのは精子としてとどまっている間であって、胚を提供したわけではないですからね。という考え方もあるのではないかということです。

○ ES細胞つくるときでも何でもそうなんですけれども、胚になったらば、これは生命になる可能性があるから尊重しなければいけないという考え方が基本にあるわけですよね。ですからそこら辺を考えに入れておかなければいけないと思います。

○ 1つ考え方として、胚を提供する方というのは、自分が生まれてくる子の親にならない覚悟というのが必要であるという考え方があるのですね。そのためにドナーのカウンセリングもするわけですし、この人が「この子が生まれてきても自分は親ではないのだ」というふうに納得しない人がドナーになるべきではないという考え方も1つあると思いますので、今の問題はそういった考え方をとればクリアーできるかなというふうにも思っております。

○ 安全に提供してくれるようなドナーと、それから自分たちの精子なり卵子なりを使っているわけですから、胚になった以上はこれはもらった方が決めていっていいのではないかということです。ですから使用ということをどう考えるかといえば、胚が提供されたというような場合には使用というのは移植だと考えてもいいと思うのですけれども、自分の精子ないし卵子と、提供されたものと一緒にして胚をつくった。そういうような場合には、胚の作成、これをもって使用と考えていくべきだというのが私の考えです。

○ 自分が子どもをもうける意思で自分の卵子と提供された精子でつくった胚、それが相手の意思だけで廃棄されてしまうということと、提供して自分がそれで親になる意思がなかったときの廃棄されるとは全然質が違うと思いますから、私は最初の、先ほどの議論のときは賛成はしますが、自分で既に子どもを持つために提供受けて胚をつくって戻す段階までいった人に、いきなり撤回したということで、その治療が中止になることは大変影響が多いのではないかと思うんですね。
 先ほど平山さんがおっしゃったように、もっとカウンセリングのときにきちんとして、そういうものが起こらないようにすることが大事なのであって、いつまでも撤回できますという形で同意をとっていくことは危険なのではないかと思うのですけれども。
 確かに一たんしちゃったらということがあるとすれば、提供の意思決定してから少し、実際に提供するまでに時間を置くとか、何かそういう猶予期間みたいなものを設けるということを考えることはあり得るかもしれませんが、いつでも撤回できる同意ですという、そういう同意のとり方については疑問を持つのです。
(案2)
 当該胚は、移植前であれば提供者からの申出により提供の撤回ができ、廃棄できるものとする。
(理由)
・ 自分がその時点では子どもをつくりたくないと思った人の配偶子を使うということは、その人のリプロダクティブライツの侵害にならないか。やはり胚に関しては同意がないものは使うのは難しいのではないか。

・ 原則を当てはめればよいのではないか。ドナーが嫌だとおっしゃったら、それは胚としてできていたとしても戻すことはできないと決めても、それはおかしくはない。契約だから提供していただかなくては困りますよということではない。

・ 生殖医療の場合には影響が世代を超えていく。単にものをあげるとかもらうとかということとは違って、その影響が子々孫々まで及ぶという非常に重大な問題だというふうに考えると、子宮に戻すまでドナーの意見も聞いてもいいのではないか。

(反論)
・ 精子を提供したものは、胚を提供したわけではないから、胚としてとどまっている間だけに同意の撤回を限定すべき。

・ 胚になったら生命になる可能性があり、安易に廃棄するのではなく、尊重しなければならない。

・ 自分たちの精子なり卵子なりを使っているわけですから、胚になった以上はもらった方が決めていっていいのではないか

・ 胚が提供された場合には移植を使用だと考えてもよいが、自分の精子ないし卵子と、提供されたものと一緒にして胚をつくった場合には、胚の作成をもって使用と考えていくべきだ。

・ 提供を受ける人が、ホルモン注射等を行い、胚を戻す段階までいった人に、いきなり同意を撤回したということで、その治療が中止になることは大変影響が多いのではないか。

・ もっとカウンセリングのときにきちんとすることが大事なのであって、いつまでも撤回できますという形で同意をとっていくことは危険なのではないか。
○ 通常の例えば子づくりをするときの選択であれば、それはつくる、つくらないというのは、セックスをするかしないかということで、その日に、その場で例えば決めることですよね。できた胚というのは、つくろうとしたときの気持ちと、実際にその子宮に戻されるまでに非常にタイムラグがあるわけではないですか。本人つくってもいいと思った時期と、実際におなかの中に戻る時期、そこで考えが変わるということもありますし、いずれにしても、自分がその時点では子どもをつくりたくないと思った人の配偶子を使うということは、その人の例えばリプロダクティブライツの侵害にならないかということです。つくりたくないと言っている人の子どもを、例えば子宮に戻す。もちろん私は子宮に戻したものまでどうこうしろということはありません。それはもちろん言えないと思いますけれども、やはり胚に関しては同意がないものは使うのは難しいのではというふうに思うのですが。

○ 私はそのときでも、今の原則を当てはめればいいと思うんですよ。例えばドナーになる卵子を提供する方が嫌だと言ったら、これはどうすることもできないということが出てくるだろうと思うんですよね。契約だったからどうのこうのということが、契約だから提供していただかなくては困りますよということではない。ですからドナーが嫌だとおっしゃったら、それは胚としてできていたとしても戻すことはできないと決めても、それはおかしくはない。

○ 確かにドナーとクライアントの配偶子を使ってつくった胚の場合には、配偶子の提供を受けた時点で所有権がクライアントになるという考え方はあるとは思います。ただ、生殖医療の場合には影響が世代を超えていきますよね。単にものをあげるとかもらうとかということとは違って、その影響が子々孫々まで及ぶという非常に重大な問題だというふうに思うので、それは子宮に戻すまでドナーの意見も聞いてもいいのではないかと私は思います。


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