私が双極性障害になったとき

私の経験 37歳、男性

最初の「うつ」がきたのは、4年前のことだった。僕は何もできないという絶望感で何をする気も失せてしまった。毎朝ジムの早朝プログラムをこなしてからさわやかに出社していた僕からは考えられない状態だった。

数ヶ月してそのうつからは自然に抜け出すことができた。その1年後、かわいがってくれた祖母がなくなったときは妻や両親は再発を心配したようだが、お葬式ではむしろ気分はこれまでにないほど爽快になり、しめりがちな葬式を僕が大いに盛り上げたほどだった。きっと祖母が僕に力をくれたのだろう。

葬式からほどなくして僕は、これまでの会社をやめて、小さいが僕の才能を理解できる会社に再就職した。そこには僕のようなノウハウをもつ人間は一人もいないため、僕が作業のすべてをとりしきり、手応えのある最高の日々をおくることができた。当時は仕事を真夜中までこなし、それから朝まで飲み明かし、うちに帰りソファで仮眠してジムに行き、そのまま会社に出るというような生活だったが、疲れなどまったく感じなかった。社内と外に複数のガールフレンドもいて、家に帰るとそのことで妻とけんかが絶えなくなった。社内不倫の噂が広まり、ついに社長が僕を呼び出すまでになった。僕がいなくてはプロジェクトのひとつも動かせない社長が、偉そうに意見をいう態度に腹がたったので、いかに社長が能なしかをあれこれ事例を挙げてわからせてやった。その直後の系列会社への出向命令は僕へのいやがらせだったのだろう。

系列会社へ出向して数ヶ月が過ぎた頃から、またうつがきた。ジムに行く気もなくなり会社へも行きたくない日が続くようになった。ある日、ふと電車のホームから飛び降りそうになった。その日からとても死が身近で、死ぬしかないという思いがつきまとうようになった。またうつになったのかと思いあたり、精神科を受診することにした。

僕はうつ病だろうと思っていたのだが、医師に色々質問されたので、自分ではうつ病とは何の関係もないと思っていた、元気だった頃の輝いていた日々のことも話したところ、双極性障害の診断がくだった。医師には別居中の妻にも双極性障害の説明をしてもらい、同居を視野にいれながらの話し合いと治療をすすめている。家族を失うことはぎりぎり避けられそうだ。

躁状態の時は病気だとはなかなか気づきません

躁状態は本人の気分は絶好調なので、それを病的な状態だと気づくことは稀です。あまりにも極端な躁状態に周りが気づくことがほとんどです。
自分では気分爽快ですべてがうまくいっていると感じていても、信頼できる周りの人が「ちょっとおかしい」「いつものあなたではない」と忠告してくれたら、一度その人たちの言葉に耳を傾けてください。

うつ状態で受診するとうつ病と診断されやすい

一方、うつ状態の時に受診すると、躁状態があったことを知らないかぎりうつ病と診断されることになります。もし初診の段階で過去に躁状態があったことがわかれば、双極性障害の可能性も考えられるようになり、治療で回り道を避けることができます。大したことはないと思っても、躁状態に近い、何か思い当たることがあれば、医師に話してみた方がよいでしょう。

周囲を傷つけている可能性があります

躁状態の時の言動で周りの人を傷つけていることがあります。周りの人に病気であることを理解してもらい、また、躁状態の時の言動についてきちんと謝って適切な人間関係を維持することが大切です。

死にたい、と思うこともあります

治療法は違っても、双極性障害のうつ症状はうつ病に似ています。死にたいという気持ちが強くなることもよくあります。でもこれは、病気が思わせていることで、本当のあなたの本当の願いではないのです。死にたいという気持ちがわいたら、一人で悩まずに、医師や家族に話すようにしましょう。