戻る

昭和館特別企画展開催要綱
第14回特別企画展のご案内

旅は世につれ 〜昭和旅紀行

開催趣旨

 このたび昭和館では、『旅は世につれ 〜昭和旅紀行』と題して特別企画展を開催する運びとなりました。
 旅の目的や手段は、時代によって様々に変化してきました。戦前には鉄道をはじめとした交通網も全国へ発達していき、観光も産業のひとつとして成長を遂げていきました。しかし、戦争の影響が強まってくるにつれて軍事輸送などが優先されるようになり、旅の目的も疎開や買い出しといった切実なものへと変化することとなります。戦災による被害や燃料不足・施設の老朽化により交通手段は戦後も悪化の一途をたどり、さらに復員・引揚げなど大量の人員移動も加わり、非常な混乱ぶりを示しました。しかし立ち直りも早く、戦後復興期には人々の生活が落ち着きを取り戻してきたことに加え、旅の情報提供、宿泊施設の整備も進み、旅行ブームが起こります。さらに新たな交通手段の発達もあり、旅の目的も多様化していきました。
 本展では戦前から戦中、そして戦後の混乱期から復興期へと、時代とともに変化した人々の旅をとりまく状況を、実物資料や写真で紹介します。

【主催】 昭和館
【協賛】松下電工株式会社
【会期】平成16年2月25日(水)から4月11日(日)
【会場】昭和館3階 特別企画展会場
【入場料】特別企画展は無料(常設展示室は有料)
【イベント】ミニSLがやってくる
 2階広場にてミニSLを運行します。
 3月20日(土・春分の日)、21日(日)、27日(土)、28日(日)、
  11:00〜15:45(12:00〜13:00休み)
【開館時間】10:00〜17:30(入館は17:00まで)
【休館日】毎週月曜日
【内覧会】平成16年2月24日(火) 15:00〜17:00
【所在地】〒102-0074 東京都千代田区九段南1−6−1
【問い合わせ】TEL 03-3222-2577 FAX 03-3222-2575
【交通(電車)】地下鉄【九段下駅】から徒歩1分(東西線・半蔵門線・都営新宿線4番出口)
JR【飯田橋駅】から徒歩約10分
【交通(車)】首都高速西神田ランプから約1分
【ホームページ】http://www.showakan.go.jp
【その他】有料駐車場有り(普通乗用車のみ・1時間200円)
団体予約承ります


 交通網の発達と旅行の普及


(1)移動のスピードアップ
 国鉄の路線は大正時代にほぼ全国的な鉄道網を完成し、さらに昭和へ入るとスピード化が進められた。交通手段としては、近郊電車や乗合自動車が発達し、川船や人力車は姿を消してゆくこととなった。昭和5年(1930)から運行を始めた特急「燕」は、東京〜神戸間をそれまでの特急列車から2時間以上短縮した8時間55分で結び、「超特急」とうたわれスピード時代の幕開けとなった。昭和9年(1934)、難工事の末、丹那トンネルが開通してさらに短縮された。昭和6年(1931)に開通した清水トンネルは当時「東洋一」とうたわれ、これにより上越線が全線開通するなど、交通網は発展を遂げていった。また、まだ一般的ではなかったが昭和4年(1929)には定期旅客航空も運行されるようになった。
日本全国鉄道図の写真
日本全国鉄道図
前年12月完成した丹那トンネルにちなみ、「丹那隧道開通記念」と銘打たれている。
昭和10年(1935)1月
(2)旅行熱の高まり
 折しも、第一次大戦後から昭和初頭にかけての不況や私鉄自動車の進出による減収に悩んでいた鉄道省は、旅客獲得のため列車のスピードアップや旅客誘致により運賃収入の増加を図り、「大衆旅行」が一気に広まった。昭和9年(1934)には国立公園が誕生するなど国内の観光地開発も進んでゆき、名所旧跡を訪れる旅行も広まった。また、外貨獲得手段として、外国からの来日旅行客の誘致も積極的に行われていた。
ポスター「観光祭」の写真
ポスター「観光祭」
観光祭は昭和11年に結成された日本観光連盟が中心となって行われたもので、観光事業の発展普及をはかった。
昭和12年(1937)5月
(3)海外旅行事情
 海外へ行く者は仕事や移民、留学などの目的が主で、まだ観光旅行として出かけることはごく希なことであった。外国へ行く移動手段は船が多く利用されたが、ヨーロッパへはシベリア鉄道を経由して行く方法もあった。いずれにせよ、今日とは比較にならない日程と費用が必要であった。
 当時男子には兵役が科せられており、外国に在留するには徴集延期の手続きを取る必要があった。
オリンピック選手団ベルリンに到着の写真
オリンピック選手団ベルリンに到着
昭和11年(1936)7月


 制限された旅と交通


(1)「国策旅行」
 昭和10年(1935)頃から徒歩旅行であるハイキングが流行しはじめた。日中戦争勃発以降も、旅行の目的は心身鍛錬にあるという意見が強まり、名前を「錬成旅行」などと変えて盛んに行われた。時代風潮として、今までの享楽的な旅行の概念を一変して、祖国を認識して心身を鍛練するような「国策旅行」である史跡や遺跡巡りが奨励されるようになった。昭和15年(1940)は、紀元二千六百年記念式典が東京で開催され、約5万人の参列者があった。これに合わせて各地の神社神宮へも全国から多くの参拝客が詰めかけた。
 戦火の拡大とともに多くの男子の元へ「赤紙」が届くようになり、出征兵士は家族と別れ部隊へと赴いていった。また、食糧が配給制になるなど十分に入手できなくなるにつれ、食糧を求め地方へ買い出しもされるようになった。
修学旅行のしおりの写真
修学旅行のしおり
修学旅行が制限されるなか、このように「聖地巡拝旅行」などと称した旅行が実施された。逗子実科高等女学校4年生の藤田久子さんのしおりで、神奈川県から奈良・京都方面を4日の日程で廻っている。
昭和16年(1941)4月30日〜5月3日
(2)困難な輸送事業、疎開そして空襲
 軍事輸送の増加で一般旅客を抑制するために、不要不急の旅行はやめるよう呼びかけられた。昭和15年(1940)からは乗車券制限などがされるようになり、鉄道省は「不要不急の旅行は遠慮して国策輸送にご協力下さい」とのポスターを各駅に張り出した。昭和19年(1944)には旅客列車が大幅に削減され、およそ100km以上の旅行には警察署での証明が必要となった。輸送機関の職員も次々と出征してゆき、女性の駅員が登場した。空襲の危機が迫ると都市部から地方へと疎開が開始され、多くの人員と荷物が輸送された。
遺児たちの写真
遺児たち
昭和16年(1941)3月29日、「遺児の日」の催しのために全国の戦没者遺児代表4000人が上京し、靖国神社に参拝した。
昭和16年(1941)3月
門奈次郎(JPS)撮影


 戦後混乱期の旅と交通


(1)輸送手段の荒廃
 度重なる空襲により、鉄道や船舶は大きな損害をこうむった。戦中は貨物輸送に重点が置かれ、客車の新造が行われなかったために列車は老朽化した。戦後は占領軍輸送への調達に使用され半減し、旅客輸送には貨車が使われることもあった。列車事情は深刻な石炭不足も加わり、大変な混乱ぶりであった。また、民間航空の運行は占領軍によって禁止された。
 旅館やホテルでは昭和16年(1941)より宿泊料金も公定価格制がとられていたが、戦争末期には休業や官庁による借り上げにより、宿泊施設においても営業活動は制限された。戦災を免れた施設は、戦後も占領軍による接収を受けるなど困難な活動を強いられた。
引揚げ時に身につけていた腕章の写真
引揚げ時に身につけていた腕章
児玉利彦さんが引揚げの際に身につけていたもの。満洲(現中国東北部)を昭和21年(1946)8月に大郁丸で出港し、日本に帰国した。
昭和21年(1946)
(2)買い出し・復員・引揚げ列車
 食糧の遅配欠配が相次ぎ、生きるためには配給だけに頼っておられず、人々は自ら農村へ買い出しに出かけた。また、外地からの大規模な復員・引揚げも開始され、列車は殺到する人々によって屋根まで埋め尽くされるなど、非常な混乱ぶりを示した。
窓から乗り込む乗客の写真
窓から乗り込む乗客
超満員の列車には、入口だけではなく窓からも乗り降りしなければならず、しばしば窓ガラスが割られた。
昭和22年(1947)7月
米国立公文書館


 復興そして発展の時代へ


(1)交通事情の回復
 列車事情もようやく回復し、乗車券の発売制限も緩和されていった。非常措置として撤廃されていた急行列車や二等車も復活し、昭和24年(1949)には戦後初の旅客列車の高速運転が再開された。また、昭和26年(1951)には国内航空路が再開されるなど、旅行者の往来も活発化していった。
パンフレット(ぶらじる丸竣工記念)の写真
パンフレット(ぶらじる丸竣工記念)
戦争により所有船舶と船員のほとんどを失った日本海運であったが、戦後の復興は目覚しいものがあった。昭和21年(1946)年には国内定期就航が開始されるなど、折りからの鉄道削減による緩和策として定期航路が開設された。ぶらじる丸は南米航路に就航した客船で、昭和29年(1954)に竣工した。

(2)観光旅行の復活
 人々の暮らしぶりが落ち着きを取り戻すにつれて、ささやかではあるが、レジャーを楽しむゆとりが生まれてきた。旅行の目的地である観光地開発や観光資源の保護、旅行を支える交通手段や宿泊施設の整備、情報の提供も進んでゆき、団体旅行を中心に旅行ブームが巻き起った。


(3)旅行目的の変化〜多様化の時代へ
 昭和31年(1956)に『経済白書』の中で「もはや戦後ではない」とうたわれ、昭和35年(1960)に池田内閣は「国民所得倍増計画」を発表、日本は高度成長期を迎える。これに伴い、観光旅行は国民生活に根付いていった。道路網の発達とマイカーの普及、新幹線の開通など、旅行目的と移動手段は多様化していった。長らくあこがれであった海外観光渡航も、昭和39年(1964)の自由化以来、飛躍的に増加の一途をたどった。
レクリエーション案内図の写真
レクリエーション案内図
温泉・登山・ハイキングなどに利用された「東京から日帰り一、二泊」旅行の案内図。
昭和26年(1951)


旅の持ち物
 旅の持ち物は、基本的な機能には多くの変化はないが、形や材質はそれぞれの時代によって変化している。ここでは荷物を運んだ各種のかばんをはじめとして、旅先の土産物、旅行用品の広告などを所有者のエピソードを交え紹介する。
ボストンバッグの写真
ボストンバッグ
荒川区在住の鈴木家で使用。長男の徹さんが昭和19年(1944)東京女子高等師範学校附属国民学校3年生の集団疎開時に、母親の登喜子さんが疎開先の北多摩郡東村山町の久米川郊外園に面会に行った際に使ったもの。

世界へのあこがれ〜それぞれの時代の双六
 遊び道具である双六の中で、海外の国々が題材となっているものを取り上げ、旅がどのように描かれていたかを戦前・戦中・戦後の三時代で比較する。今日と違って情報が氾濫していなかった時代に、子どもたちが双六によって世界へのイメージを膨らませていった。
「太郎と花子の世界はやまわりすごろく」の写真
「太郎と花子の世界はやまわりすごろく」
昭和30年(1955)
  ※都合により構成の一部に変更がある場合があります。

あこがれの東京観光

 サイバードームとは、松下電工の技術による、半球ドーム型の最新式映像システムのことです。これは立体映像を大型画面で表示するもので、「銀座の思い出散策」と題して、現在の銀座4丁目交差点を3Dで復元し、戦中・戦後の写真を組み合わせて、その風景の中を実際に散歩する感覚で楽しむことのできる装置です。
サイバードームの写真

イベントの開催

 会期中、下記の日程でイベントを開催します。

ミニSLがやってくる
 3月20日(土・春分の日)、21日(日)、27日(土)、28日(日)
 11:00〜15:45(12:00〜13:00休み)
 2階広場にてミニSLを運行します。


トップへ
戻る