08/12/15 第2回終末期医療のあり方に関する懇談会議事録 第2回 終末期医療のあり方に関する懇談会          日時 平成20年12月15日(月)          17:00〜19:00          場所 中央合同庁舎5号館9階省議室 ○伊東保健医療技術調整官 定刻となりましたので、第2回「終末期医療のあり方に関 する懇談会」を開催します。委員の方々におかれましては、大変ご多忙中のところ、当 懇談会にご出席をいただき、まことにありがとうございます。  議事に入ります前に、私のほうから本懇談会の委員の代理・欠席のご連絡をさせてい ただきます。まず、社団法人日本看護協会常任理事、永池京子委員は、本日ご欠席の連 絡をいただいております。あけぼの会会長、ワット隆子委員は、本日ご欠席でございま して、同じくあけぼの会副会長の富樫美佐子様が代理としてご出席いただいております。 その他に、木村委員、南委員が遅れるという連絡をいただいております。また、本日は、 参考人の方々にもお越しいただいておりますが、後ほど紹介させていただきたいと思い ます。  まず、お手元の資料の確認をさせていただきます。議事次第、座席表、委員名簿の他 に資料1といたしまして、「終末期医療に関する調査」結果を解析するためのワーキン グチーム設置について(案)、資料2、本日ヒアリングを行います方々からの資料で、資 料2-1から資料2-5まであります。参考資料として、中川委員からの冊子、日本尊厳死 協会からの資料があります。  それでは、座長に以降の議事運営をお願いします。 ○町野座長 それでは議事に入りますが、まず議題1の「終末期医療に関する調査」結 果を解析するためのワーキングチームの設置について、事務局よりご説明をお願いしま す。 ○伊東保健医療技術調整官 資料1のワーキングチームの設置についてご説明させてい ただきたいと思います。資料1をご覧ください。先般10月に第1回の会議を開催させ ていただきましたが、その際、私どもから終末期医療に関する意識調査の結果を提示さ せていただきました。その中で、主に数値の結果について提示させていただいた次第で すが、会議の中で、委員の先生それぞれから結果について具体的にどのような解釈がで きるのか、また数値についてそれぞれ問題がないのか、こうした解析をすべきだという 声をいただきました。そうしたご意見を踏まえて、資料1のとおり、本懇談会の中から、 様々なお立場の方を町野委員長と共に選出させていただきまして、ワーキングチームを 設置することを提案させていただいた次第であります。なお、メンバーについては資料 1にあるとおりです。また、スケジュールに関しては、なるべく早期に第1回を開催い たしまして、1月中に取りまとめた解析内容を、本懇談会にお諮りしたいと考えており ます。また、具体的なスケジュールにつきましては、ワーキングチームの中でご相談さ せていただければと思っております。以上です。 ○町野座長 ありがとうございました。ただいまのご説明・資料に関する質問等がござ いましたら、ご発言をお願いいたします。よろしいでしょうか。1月中を目途にこちら に提示されるというお話で、これについて、議論は若干続くという話ですね。  それでは、この資料にありますとおり、「終末期医療に関する調査」結果を解析するた めのワーキングチームを設置することにつきまして、よろしいでしょうか。                   (了承)  どうもありがとうございました。ご賛同を得られましたので、委員をお引き受けいた だきました先生方、よろしくお願いします。  次に、ワーキングチームの委員の委員長に関しては、第1回のワーキングチームの会 議にて決定いたしたいと思います。よろしいでしょうか。                   (了承)  それでは、委員長についてもご参同が得られましたので、委員の方々、よろしくお願 いします。  続きまして、議題2の、終末期医療のあり方についてのヒアリングに入ります。議事 次第にありますように、本日5名の方からご意見をいただきたいと思います。ご意見を いただく方の紹介を兼ねまして、事務局のほうで進行をお願いいたします。よろしくお 願いします。 ○伊東保健医療技術調整官 本日は5名の方々からご意見をいただきたいと思っており ます。時間の都合上、大変恐縮ではございますが、予めお願いいたしましたとおり、お 1人、大体10分程度を目処に、ご意見をちょうだいしたいと考えております。また、委 員皆様からのご意見ご質問は、全員のご意見をいただいた後にお願いしたいと考えてお ります。  それでは、まず初めに、日本ALS協会会長、橋本操参考人からお願いします。 ○橋本参考人(日本ALS協会) 17年目の終末期、ALS患者の私は、何度か一般に言 われる終末期を通過してきました。診断告知時の絶望、気管切開時期の判断、人工呼吸 器療法開始が自分で決められない社会、数回の呼吸器外れなどなど、現在は一人暮らし で24時間人工呼吸器を使用しています。全介助で、訪問看護、訪問診療、介護人派遣 制度を寄木細工のように合わせて、命と暮らしをつないでいます。  全介助とは、読んで字のごとく、生活するために全ての場面で、他者の手助が必要と いうことです。息をするために人工呼吸器、喀痰のために吸引器が側にあります。伝え ることがいちばんの労働で、400字を1週間かけて入力しています。  NPO法人、ALS/MNDサポートセンターさくら会、在宅介護支援さくら会の理事長 にも就いています。練馬区の駅に程近いアパートの4階に住んでいます。ALSの診断告 知は、23年前です。予後は悪く、3年から5年で死亡と医学書に記されていて、大変シ ョックを受けたものです。同じころ、同じ病院に著名な俳優が入院されていて、余命半 年と報道されていました。2年程で逝かれたことを覚えています。告知後、3年で母を、 4年で父をがんで亡くしています。私の余命は5年と信じていた父母の早過ぎる死でし た。  経過的には、上肢下肢、構音障害、嚥下、呼吸と障害が進んでいます。呼吸障害が出 現したのは告知の7年後で、自分自身は気がつかないうちに、時折意識障害もありまし た。高邁な思想も生きる上での哲学も持ちませんので、あの場面で医師が放置していた ら、2か月後には終末期でした。39歳です。このときは、医師とMSWの連携で、家族 も望んで気管切開を選択しました。しかし、3か月後の人工呼吸器使用開始時には、家 族の同意は得られず、医師に自分でお願いしています。私が生存している様々な偶然は、 当直医が呼吸器療法の経験者で、蘇生バックをしながら、意思確認をしてくれたこと。 病院MSWが日本ALS協会の理事。居住地が医療、福祉、保健が機能していた。地域 の往診医がALSの理解で支援者であった。  ALSを知ってから、少し痛みがわかる人になっているような気がします。痛みを知り、 それを克服することに、人であることの存在意義があるのかもしれません。克服の方法 は様々でしょう。私には、痛みには痛み止め、悩みには睡眠を、眠れなければ睡眠剤の 人です。合理的ですが、いま思えば、危うい思想回路でした。ときに苦しさは、人を貧 しくさせる気がします。苦痛の中にいたときに、少し強い薬品を増やしていれば、医学 書どおりに死んでいました。後々、家庭の医学も侮れないぞ、と思ったものです。まさ に10年以内に死亡と書いてあります。現在も同じです。2008年12月15日、日本ALS 協会、橋本操。以上でございます。あとは海野から説明させていただきます。 ○海野参考人(日本ALS協会) そうしましたら、お手元の資料をご覧になりながら、 ご説明させていただきたいと思います。本懇談会の目的としましては、患者の意志を尊 重した、望ましい終末期医療のあり方の検討という形で、目的が掲示されております。 ただし、当事者の私たちの考え方としまして、患者の意志なのですが、はたしてどこま で本音が語れる環境であるのか、そのことに関して問題意識を持っております。時間の 都合上、ちょっと飛ばしますので、後程ご覧になっていただければと思います。  これは、横軸に時間の経過、縦軸に医療依存度・介護度を表しております。ALSとい う病気は、進行性の神経疾患です。時間の経過に伴って、症状が重くなります。最初に 診断を経て、当然告知というステージが出てまいります。果たして、いまどれだけの患 者家族が納得を得られる告知が得られているか。告知のあり方に関しては、みなさんご 存じのとおり、様々な課題が昔も現在もあります。進行の過程に応じて、様々な障害が 出てまいります。進行の過程に応じて、各職種の方々が関わることができているのです が、生きるための環境として、人、物の環境整備が制度上はあるのですが、実態がなか なか伴っていかないという課題認識を持っています。そのような中で、果たしてどこま で患者本人が本音を語れる環境があるか、課題認識を持っております。時間の都合上、 飛ばさせていただきます。  現実的に患者自身が住む環境として、病院施設、または在宅という状況がありますけ れども、ご存じのとおり、入院もなかなか思うようにいかない状況下、かつ在宅でも訪 問看護、介護を含め十分な態勢が整っておりません。そのような状況の中で、患者の意 志とあるのですけれども、はたして患者が生きたいという本音をどこまで語れる環境が いま確保されているのか、かつ、これは在宅1日24時間を円柱に見立てた場合に、社 会資源がどれだけ入っているかの図です。1日24時間、円柱を縦に見立てたときに、呼 吸器を付けたALSの全介助、症状のいちばん重い場合のケースですが、介護保険による 介護、医療保険による訪問看護を含めて、1日24時間のうちの1割しか、社会資源が結 果的には使えておりません。そうすると、残りの赤い部分は、はたしてこれは誰が担う のか。  結果的には、家族がいる方は家族が、家族がいない独居の方が増えておりますが、そ れは誰が担うのか。制度上はいくつも担う形が設けられていますが、そのような状況下 の中で、家族に負担をかけたくないという患者の思いの中で、患者の生きたい本音がど こまで語れる環境があるのか、制度態勢が整っているのか、ここが問題意識を持ってお ります。  今回の懇談会で、様々な終末期医療の課題を含めて、検討していただく流れになると 認識しております。その際の政策優先順位。誰しもこの世に生を受けてから、何らかの 確率で、病気や障害を持つことがあります。この生の環境が、みなさんのご存じのとお り、いま十分充実していて、更に向上できているかというと、逆の方向にいっているの ではないかと感じております。本音がなかなか語りにくく、患者家族も納得が得られる 環境もなく、崩壊しつつある環境の中で、死の環境の整備が行われはしないか。政策の 優先順位、課題としては、緑の生の環境整備が整備されない限り、死の環境整備の本当 の意義・目的がどこにあるのか、課題認識を持っています。  これは実際に、ALS患者の事例になります。時間の都合上、全部詳細をご紹介できな いのですが、生きたい意志を持ちながら、その意志を十分関係者に伝えることが難しい 状況下。その中で、私たちを含め、社会を含め、生きたいと思う人がどれだけ本音を語 れる環境を作れるか、それをこの中で紹介させていただいております。相談支援態勢が しっかり充実しないことには、そもそも本音がなかなか語りにくい。周囲の関係者、そ れは患者自身の家族を含めた、周りのものの負担・圧力が、本音が言いにくい環境にも なり兼ねない状況です。そこをぜひ、もう一度委員の皆様にご検討をお願いできればと 願ってます。  最後に、スライドの中にはないのですけれども、お手持ちの資料でスライドが終わっ た最後に、日付と時間と支援内容が書いてあります。これは、実際に患者さんを支えて いくためには、必要な支援内容です。ところが、実際の制度上では、十分な支援が得ら れる態勢になっておらず、そこは完全にボランティアとなっております。この状況は、 ボランティアがいたから、結果的に支援できるものの、いない地域では、このような支 援さえもないまま、患者さんが生きる環境さえも奪われてしまっている、そういう状況 を改善しなければならないと思っております。以上になります。 ○伊東保健医療技術調整官 ありがとうございました。次に、特定非営利活動法人千葉・ 在宅ケア市民ネットワークピュア代表、藤田敦子参考人にお願いしたいと思います。 ○藤田参考人(千葉・在宅ケア市民ネットワークピュア) ただいま、ご紹介に預かり ました、特定非営利活動法人千葉・在宅ケア市民ネットワークピュア大表、藤田敦子で ございます。他に、日本ホスピス・在宅ケア研究会の理事をしております。私は、3人 の家族をがんで亡くしております。私自身の体験やピュアの活動を通した声、そして全 国のがん患者と家族の願いをお話しさせていただきます。 ○伊東保健医療技術調整官 申し訳ございません機械の調子が悪いようですので順番を 変えさせていただきます。先に日本尊厳死協会理事長の井形昭弘参考人からご説明いた だいて、そのあと藤田参考人に戻らせていただきます。 ○井形参考人(日本尊厳死協会) 日本尊厳死協会理事長の井形です。今日はこのよう な機会を与えていただいたことを光栄に思いますし、感謝申し上げます。私は神経内科 が専門で、多くのALSの患者と付き合ってきまして、死にも立ち会いました。そして、 生きる環境を整備しなければいけないということで、無条件に賛成ですが、本人がどう しても嫌だということを第三者の価値判断で強制するのは許されないのではないかとい うのが私の気持です。今日発表することは、資料2-3として配付してありますので、そ れをお読みください。かい摘んで論点を申します。  私どもは、尊厳死に関しては法制化を希望しています。法律で尊厳死が認められるこ とです。尊厳死協会は有名なカレン裁判のあった1976年(昭和51年)に発足していま す。現在会員は12万名を越しています。毎年何千人かが亡くなるので、それを越えて 増えてきています。  私たちの希望としては、リビング・ウィルを国民全員が意識して、それについてYes、 Noと。Noという方については、それを全面的に社会がバックアップすればいいです。 ただし、本人が自分の責任で延命措置を拒否したいという希望があるにもかかわらず、 第三者の倫理観で延命治療を強制せざるを得ない。医師もこの点で随分悩んでいます。 家族も本人も悩んでいます。しかし、このリビング・ウィルという考え方は世界の趨勢 になっていまして、アメリカではほとんどが法律に書かれていて、ヨーロッパも法制化 されいる国が多いです。されていない国でも社会に定着しています。また、それによっ ておぞましい事件はあまり起こっておりません。  会員が12万人というのは、全体から見れば決して多い数字ではありません。それ以 外の方が反対かといったら、決してそうではなくて、お話をすれば理解してくださる方 がほとんどです。会員から20万、100万、そして全国民に増やせれば、社会に説得力 が大きくなると考えています。  リビング・ウィルというのは、ご承知のとおり、不治、末期あるいは回復不能の持続 的植物状態、遷延性意識障害という表現もあります。単に死期を延ばすだけの延命措置 を拒否します。ただ、苦痛の除去治療は十分に行うことを希望し、措置の結果の責任は 自分にあることを宣言して、これを協会が登録し、支援するものです。  2005年には14万名の署名を添えて、尊厳死の法制化を求める国会請願を果たしまし た。それを受けて、尊厳死法制化を考える議員連盟、会長は中山太郎先生で、約100名 の議員が参加して、活発な調査活動を展開されました。また、2007年には、衆議院法制 局から、法案要綱の素案が提示されるに至っています。その間、いろいろな調査活動あ るいはヒアリング等の活発な活動を続けていますが、現在まだ法制化に至っていません。  その間にガイドラインが、厚生労働省及び日本医師会、学術団体からも出されました。 これは本人の意思を尊重しましょうということが主軸になっていて、私どもは本人の意 思を尊重してほしいということを前面に掲げていますので、私たちの運動の延長線上に あり、私どもは大きな成果だと思っています。ただし、ガイドラインは強制力はありま せんので、現場では本当に延命措置を中止して刑事事件にならないのかという不安はず っと続いています。  したがって、ガイドラインどおりにやれば、刑事上、民事上の責任は問わないという 条件が整備されれば法制化と同じような効果を持ちますが、残念ながら現在はそうなっ ておりません。  そのことに関して、私も委員をさせていただいた日本医師会の生命倫理懇談会のガイ ドラインのあとに、「ガイドラインどおりに終末期医療が実施された場合、主治医の民事 上、刑事上の責任については問わない体制が必要」という文言が付け加えられました。  そういうことでこのガイドラインだけでは、本人の意思が明確であっても、苦痛を強 制したりあるいは人権を侵害という主治医の悩みに対処できておりません。延命措置を 中止せざるを得ない状況に悩んでいながら、どうしてもそれができないという状況をご 理解いただきたいと思います。  生命が尊重されるべきことは言うまでもありませんし、不治、末期あるいは回復不能 植物状態について、判定に疑義が生まれることは絶対にやってはならない。私は脳死倫 調の委員もしましたが、脳死の判断条件のとき国民的議論がなされたと思います。そう いう意味では、それはきちんとした合意を見る必要があります。  私どもとしては、お手元に参考の本がありますが、不治、末期の各状況における判定 基準、これは非常に難しくて、外国では2人以上の主治医が判断すれば認めるところが 多いように思います。しかし、それの具体的なケア、2人以上といっても、医師は不治、 末期と判断するわけですから、その判断の条件は明確なわけです。それが文書化されな いはずはないというのが、私どもの主張です。  諸外国で社会的に定着している尊厳死ということが、なぜ日本で認められないのか。 これについては私どもは非常に残念な思いをしています。いろいろ反対意見もあります が、アメリカ、諸外国でそのような事件が起こっているのかと疑問を持たれれば、あま り大きな問題なく社会に定着した、こういう現状を是非ご理解いただきたいと思います。  反対意見がたくさんあります。それについては、私どもはほとんど誤解であると申し 上げます。法制化すれば命を軽く見る風潮を助長する。また、社会がプレッシャーをか けて、早く延命治療をやめろと言わないかというプレッシャーがかかるという批判があ ります。これはあくまで本人の意思で、これは人権です。意思を尊重していただければ と思います。社会の風潮で自分の意思を変えざるを得ないというのは、むしろ人権が発 達していない国という評価も可能ではないかと考えます。  それから、安楽死との混同が多く見られます。安楽死は、オランダ、ベルギー、オレ ゴンなどで法的にも認められています。これはあくまでも第三者が、積極的な薬物注射、 毒物投与などで死期を早める、積極的に命を短くすることであって、これは延命措置を しないで、自然の摂理に経過を任せて安らかな死を迎えるという尊厳死とは、根本的に 考え方が違います。現象は、人工呼吸器を外すと近い時間に亡くなることがありますの で、現象は似ている面が無きにしもあらずですが、根本的には全く違うということを申 し上げておきます。  極端な尊厳死協会に対する批判の中には、本来安楽死を目標としているのだけれども、 差し当たりは優しい尊厳死を主張しているというものがあります。これは全くの誤解で、 尊厳死協会は安楽死を主張したことは一遍もありません。また、根本的に違いますし、 尊厳死協会は安楽死に反対です。  それから、尊厳死は医療費削減の目的であるという批判があります。これは全く関係 ありません。医療費が順当に拡大した時代にも主張していましたし、こういうことはあ り得ません。また、そういうことを主張すべきではありません。  生きる価値のある生と生きる価値のない生とを区別しているという批判があります。 これはヒトラーのことを念頭に置いていると思われます。これは第三者が生きる価値と 生きるに値しない価値とを決めるのは、これは大問題です。本人が決めることですので、 私は全くこれに当たらないと思います。  また、高度の専門技能に属する医療が「死への対処」を法制化するのは馴染まないと いう主張もありますし、法制化は現状あうんの呼吸で行われている状況に対して、それ に制約を掛けるという反対もあります。これはむしろそういうことはあり得ないと主張 します。  多くの方々は、本人が希望すれば、生きていてよかったという社会をつくるのに我々 は全力を尽くす。しかし、本人が安らかな死を迎えたいと希望しているものを、それは 間違いだといって強制的に延命措置を受けさせる。またそれで医師は悩むわけです。そ ういう現状があることについて、強く訴えます。協会としては尊厳死の法制化が実現す ることを念願しています。健やかに生きる権利、安らかに死ぬ権利が守れる社会の到来 を希望しています。終わります。 ○伊東保健医療技術調整官 ありがとうございました。特定非営利活動法人千葉・在宅 ケア市民ネットワークピュア代表の藤田敦子参考人、お願いします。 ○藤田参考人 ただいまご紹介いただきました、NPO法人千葉・在宅ケア市民ネットワ ークピュア代表の藤田敦子です。ほかに日本ホスピス・在宅ケア研究会の理事をしてい ます。私は3人の家族をがんで亡くしています。私自身の体験やピュアの活動をとおし た声、そして全国のがん患者と家族の願いをお話させていただきます。 ☆スライド がん対策基本法ができ、平成19年にがん対策推進基本計画が定められま した。全体目標の1つに、すべてのがん患者及び家族の苦痛の軽減並びに療養生活の質 の向上があり、治療の早期からの緩和ケアを推進することが約束されました。患者が「痛 い、苦しい、いっそのこと殺してくれ」、亡くなったときに家族が「やっと楽になれたね」 と喜ぶような現状を何とかしてほしいと、がん患者と家族が声を上げて、この計画はで きました。 ☆スライド 現在、がん診療連携拠点病院に緩和ケアチームや相談支援センターが義務 づけられ、緩和ケア外来も求められていますが、十分に機能していない状況です。病院 内部の連携はもとより、地域との連携も十分行われておらず、患者自体のマネージメン ト機能が動いておりません。  スライドにたくさんの問題を書きましたが、地域も患者を支える機能が不足していま す。このような中、患者はこれ以上の治療はできないと言われたあと、別の病院で外来 中心の治療を行ったり、介護職のみの在宅や看取りをしない医師との在宅の場合、急変 時には救急車で病院に行くしかないのが現状です。 ☆スライド 11月30日に、全国9ブロックをテレビ会議で結び、第4回がん患者大集 会が開催されました。この集会に合わせて全国でアンケートを行った結果、最期を迎え たい場所は「自宅」が38.4%、「ホスピス・緩和ケア病棟」が21.8%になりました。一 部専門職も含まれておりますが、自宅での看取りと、ホスピス・緩和ケア病棟の充実を 求めます。数ブロックから、「がんになっても家族と普通の暮らしがしたい」「緩和ケア の充実で心豊かな終末を」「最後まで人間らしい生活を送りたい」と声が寄せられていま す。痛みに真剣に向き合い、一人暮らしでも家で過ごせる在宅医療や介護のシステムを 求めています。 ☆スライド 平成16年に全国の中小病院にアンケートを送った結果、「本人への病名告 知」が45.9%に過ぎず、「余命告知」は26.6%、「延命処置の確認」は15.2%にしか過 ぎませんでした。中小病院では、患者や家族の心の痛みに寄り添うコミュニケーション が行われていないと言えるでしょう。また、平成20年に医師会が行った結果では、緩 和ケアは診療の煩雑さのわりに報酬が多くないといった理由で、「かかわりたくない」と 考えている医師が4割出ています。医師がかかわりを持たず、がん患者の痛みをどうや って無くすことができるのでしょうか。 ☆スライド 果たして緩和ケアの正しい普及はされているのでしょうか。WHOの定義 による緩和ケアとは、「命を脅かす疾患による問題に直面している患者とその家族に対し て、疾患の早期から問題の評価を行い、それが障害にならないように予防したり、対処 することで、生活の質、命の質を改善するためのアプローチ」です。生を肯定し、死を 早めることも長らえることもしません。死に至るまで、可能な限り積極的に生きられる ように支援をします。悲嘆ケアを重視し、患者と家族のニーズに応えられるよう、チー ムで対応してQOLを高めます。このような緩和ケアは本当に行われているのか、今後 質の評価を行い、私たち患者や家族に安心を与えてほしいと思っています。 ☆スライド 緩和ケアには4つの痛みがあると言われています。身体的な痛みについて は、主に医師がかかわります。いままで私たちは、この体に起こる痛みにWHO疼痛ラ ダーで対応することが緩和ケアだと思っていました。不安や恐れなどへの心のケア、仕 事上の問題や家族間の悩み、遺産相続などに対処するソーシャルワーク、そして人生と は、生きるとは何なのかという問いに答えるスピリチュアルケアが緩和ケアにはありま す。  この緩和ケアは医師1人で解決できるものではありません。多くの専門職種やボラン ティアがかかわりをもって初めて可能になるチームケアです。  私は父を家で看取って、緩和ケアは明日を生きるためのものだと思うようになりまし た。緩和ケアがあれば、私たちは普通の暮らしを最後まで送ることができます。 ☆スライド 千葉大学で在宅ホスピス電話相談をやって思うことは、患者も家族も本当 に死期を感じるのは、眠っている状態が多くなってからではないでしょうか。苦しんで 死ぬ恐れと、死ぬは違います。いつ書かれたかわからない延命治療中止の意思表示に、 どれほどの真実があるのか、とても疑問に感じております。  また、延命医療の中止と言っても、水分や栄養、輸血が含まれているとは思っていま せん。食べられないことに不安を訴える家族が多いのが現状であり、十分な説明をする ことで家族は安心していきます。  私自身が問題にしているのは、セデーションが市民権を持っていることです。ここは 倫理委員会をつくって、質の評価を行ってほしいと思っています。  ほかには自然に死期を迎えられる方法の意味がわかりません。私は父を家で看取って いますが、在宅医療が入り、必要な医療は行われていました。また、WHO方式疼痛治 療に則った治療が行われておらず、モルヒネ等の有効性と副作用の説明ができるが減少 していることに危惧を抱いています。来年度の予算で緩和ケアの実施だけが厳格になっ ている状況で、私たちの苦しみは本当になくなっていくのでしょうか。 ☆スライド いま、がん対策推進基本計画の下、さまざまな冊子や情報、患者同士が集 うサロン、緩和ケアなどは患者に届くようになってきました。でも、患者本人か十分な 説明を受けて病気を理解していなければ、何1つ届くことはありません。自宅なのか、 緩和ケア病棟なのか、ほかなのか選ぶこともできません。患者本人へのインフォームド・ コンセントについて真剣に考えるべきだと思います。  ここにさまざまな問題や疑問を書きましたが、特にご高齢の方ほど家族が優先され、 また独居や隣人介護の問題もあります。家族とは誰を指すのか、それすら明確な答えが ないのが現状です。また、中小病院の告知率が低いように、医師のコミュニケーション 不足により、患者を傷つけないインフォームド・コンセントが本当にできるのか不安も あります。 ☆スライド なぜ、がんや高齢者、終末期だけを問題にしているのでしょうか。延命医 療の中止や医師の責任問題だけが理由なのでしょうか。「自分の生きる意味」「価値観」 「生き方」を考えるためではありませんか。どこで死ぬかでなく、誰と何をして過ごす のか。目標や生き甲斐、自己実現、QOLを決めていくには、本人の意思を必要とするか らではありませんか。生きるための本人の意思表明はとても大切だと思っています。誰 に自分の気持を代弁してもらうのか、相手を決めて十分に話し合うことができればいい と思っています。 ☆スライド さまざまな問題は心のケアが充実していないからではないでしょうか。一 人称である自分の死は、死の過程での恐怖が襲い、QOL改善のアプローチが必要になり ます。そして家族の死は、大事な人が目の前からいなくなる苦しみ、何かしてあげたい のに自分には何1つしてあげられない悲しみ。そして、死後は自分1人で生きていかな ければならない絶望が襲ってきます。家族だけではなく、親戚や親しい友人も同じ状況 でしょう。この苦しみを乗り越えるために、世界では緩和ケアが存在し、悲嘆ケアが重 要視されています。 ☆スライド イギリスでは、在宅ケアやデイサービスの役割が大きく、ボランティアの 支えが不可欠で、介護を中心としたナーシングホームにも出張しているそうです。日本 では、がん患者の終末期の問題を余命半年で入る緩和ケア病棟の中に閉じ込めていまし た。いまだに日本の緩和ケアは世界の標準とは懸け離れています。延命医療についても 個別性があり、自分が経験していないことを本当に理解することは難しいです。気持は 絶えず揺れ動いているため、支える人や死生観の再構築が必要です。  ガイドラインは読みましたが曖昧なところが多く、一方的な視点から作成されたもの だと感じています。また、コミュニケーションが不足し、緩和ケアの理解ができていな い状況なのに、法整備を進めていくことには反対です。 ☆スライド 私たちが望むことは、医療と福祉が連携して、普通の暮らしを支えてほし いということです。ただ、現状では地域において、がん患者の終末期を支える人がどこ にいるのかわかっておりません。このスライドは、平成15年にピュアが千葉県と共同 して、約6,700件の在宅緩和ケアの資源調査を行ったものです。調査票を利用者の視点 で作成し、看取りのできる医師や24時間体制、訪問入浴や、施設には医療処置の必要 な人の受入れなどを聞いています。ガイドブックを作成し、ホームページへの公開と電 話相談を行っています。相談やケアマネジメント機能を持つ在宅緩和ケア支援センター が、全国にできることを望みます。 ☆スライド マリードエネゼスさんは、フランスのホスピスで働いている心理療法士で、 ミッテラン前大統領も彼女が支えた患者の1人です。彼女の言葉を最後に贈ります。「医 学的に打つ手がなくなったからといって、末期患者にしてあげられることはもう何もな いと言えるのだろうか。たとえ彼らの命があとわずかだとしても、最後まで生きている 人であることも、また事実ではないか」。私たちがん患者と家族は、医師にWHO方式 疼痛治療法を習得してもらい、十分な対話を受け、社会的孤立のない状態で、最後まで 人として生きていきたいです。私たちはWHO定義によるホスピス緩和ケアの充実を求 めます。これをもって発表を終わります。 ○伊東保健医療技術調整官 ありがとうございました。現在ヒアリングの途中ではあり ますが、舛添厚生労働大臣にご出席いただきましたので、一言ご挨拶をお願いします。 ○舛添厚生労働大臣 どうもすみません、今日は1日中委員会で。そして、またいまか らすぐに出ないと官邸で会議で、皆さんともう少しゆっくり議論したいのですが。藤田 さん、どうもありがとうございました。どうぞ忌憚のないご意見をお述べいただいて、 少しでもいい形でみんなの意見を集約したいと思いますので、どうかよろしくお願い申 し上げます。本当に会期末で予算の問題があったり、委員会をやったりして、本当に残 念ですけれども、また議事録で皆さん方のご意見をしっかり読ませていただきますので、 どうかひとつよろしくお願い申し上げます。すみません、来たばかりで。そんなことで よろしくお願いします。ありがとうございました。 ○伊東保健医療技術調整官 当初用意した資料と、いまのスライドは異なっていました が、後ほど印刷して配付します。ヒアリングを続行します。続いて歯科医師会の立場か ら、池主憲夫委員にお願いします。 ○池主参考人(日本歯科医師会) いまご紹介いただきました歯科医師会の池主です。 このヒアリング等の場を与えていただけるということは、いままで終末期医療とか、看 取りの問題と、口腔の問題は直接関係ないという認識が一般的であったからではないか と思います。確かに我々歯科会も、外来中心の固定した診療所にずっといるものですか ら、対応できていなかったのが現実です。その反省を込めて、終末期における歯科医療 の実態をご紹介できればと思っています。 ☆スライド 生きるとは食べること“口にはひとのほとんどの幸福と不幸が集中する”、 これは臨床哲学の鷲田清一という大阪大学の教授の『食は病んでいるか』という本から の引用です。「生きるとは食べること」というのは当たり前のことで、生物は食べなけれ ば生きられません。ただ、これの意味はもっと深い意味が込められています。単に生物 が生きるということではなくて、人間が生きることと食べることというのは、極めて深 い関連があります。それが次の言葉に含められるのだろうと思うのですが、“口にはひと のほとんどの幸福と不幸が集中する”です。これは食べものを自分が愛している人とか、 母親とか、無条件に愛される人から提供されるということは、これほど人にとって幸せ な場はないわけです。そういうことが、いろいろな面で崩れつつあるというのが、この 本の指摘している部分で、逆にこれが阻害されるときに、人は最も不幸な状況に陥れら れることを言いたい言葉だと思います。 ☆スライド こういうことを踏まえて、我々が「口腔ケア」といっている対応の中で、 全体的に、自立、要支援、要介護というのを縦軸にして、どういうふうにこういう対応 が変化していくかを示している図です。  まず、自立している状況においては、咀嚼機能の維持による低栄養の予防とか、嚥下 機能維持による気道感染予防ということが、ほとんど表に出てこないのですが、これが 要支援、要介護となったときに、そういう問題がかなり大きな問題として、口腔の機能 とかかわってきます。図のいちばん左下になりますが、栄養の改善によるADLの維持 と食の楽しみによる生活機能の改善、家族と一緒の食事により在宅継続の可能性を高め るというところに、最終的に課題が移行していくということです。  歯科は確かに死には直結しない医療分野ではありますが、最初のご発表の中にあった 「生の環境整備」という意味合いからすれば、日常誰もが、生まれてから死ぬまで食と いうもの、あるいは口腔の機能によって生きています。これはこの間亡くなったカワヤ ナギ先生が、私たち執行部が誕生した直後に座談会に参加していただいて、発言された ことなのですが、「生きる中心は食べることだ」と。要するに、最も個人的に人が自分の ものとして感じられる欲求なり、楽しみというのは、食ではないかと。ですから、それ がいろいろな環境の中で阻害されたことについて、全体的に歯科はそこに関与しなけれ ばならないし、その問題の大きさを一般の人に知らしめるのは、あなた方の役割ではな いですかとおっしゃっていかれたわけです。  次の頁の図が、「年齢階級別歯科推計患者数及び受診率」です。ほかの医療が高齢化社 会で、70歳から75歳がどんどん受診率が上がっていって、当然そこに基づく医療費も 上がっていくのですが、歯科の受診率というのは落ちるのです。ということは、現状で 報告されている施設や要介護の方々の口腔内の状況が受診率に反映されていないのです。 そういう方がその問題を抱えたまま、終末期までいってしまっているという現実です。 それを説明するのが次です。  「終末期における歯科的対応」です。口腔に起因する疼痛の緩和というのは、終末期 の大前提として対応しなければならない問題が疼痛であることは、当たり前だと思うの ですが、歯科の疼痛の問題が表に出ていないケースが多いです。みんなが諦めているの ではないか。日常的に連続であるから、そういう問題を表に出さない。本音で語れるか という問題とどこまで直結するかはわかりませんが、当事者の本当の声が表に出ていな いケースはたくさんあると思います。かなり平均的で、非常に大きなケースが口腔にあ るのではないかということです。  摂食機能の維持と栄養状態の改善というのは、いまいろいろなところで報告されて、 関連が指摘されているところですし、誤嚥性肺炎による死亡者を減らす。あるいは発熱 を減らすことによって入院期間を短縮できるという問題です。これは歯科医より施設の 先生方から盛んに指摘されている課題です。  最後にありました4は、顔貌、コミュニケーションの維持です。顔貌という問題につ いて、いままでかなり見過ごされてきた課題ではないか。我々はこれに遅れて関与した ものがあって、連携でこういった問題を社会的にケアしていかなければならないという 問題について、私たちも新しく入る1メンバーと認識していますが、摂食支援による栄 養改善という問題も、栄養士、薬剤師、ケアマネージャーなどの連携によって、初めて できます。我々も強く感じているところです。 ☆スライド 義歯装着の有無は、生命予後にも関連する因子の1つです。15年間、三宅 島で6,000人の島民のコホートでようやくわかってきたことなのですが、義歯をちゃん と使っている方、あるいは口腔ケアをされている方に、明らかに生命予後に差が出てき ている。これから追究されて検証されなければならない問題だと思います。 ☆スライド 次にある写真をご覧ください。先ほど、がんの対応についての話がありま したが、抗がん剤の治療が、左の上が3月で、がんになって3カ月の間にこのように状 況が変わってくるのです。こちらに舌の写真がありますが、乾燥しているかどうかは一 般の方にはわかりませんが、乾燥した状態で、このような舌の方がたくさんいるのです。 これは抗がん剤だけではなくて、血圧降下剤とか、あらゆることで、そちらを優先する 方の口腔内はこのような状態にあります。これは多くの方が諦めているということです。 ☆スライド 要介護者の歯科的支援例は、左が支援前で、右が支援後です。口腔ケアが されるとこれだけ違います。逆に左にある図が、現在施設にいる方の多くの方の平均的 な口腔内ということです。 ☆スライド 次にある「期間中の発熱発生率」というのは、先ほど申しましたように、 口腔ケアをすることによって、明らかに発熱が減って、退院が早まると。 ☆スライド その次にある「装着前後の高齢者の表情」を見てください。右と左で同じ 人とは思えません。義歯がきっちりと入って、ちゃんと噛めて栄養状態がよくなってく ると、人間が変わってくるというか、顔貌というのは人の表情とか、美的な問題だけで はなくて、人間そのものの尊厳と言いますか、そういうものの下地になっていることで あり、これは周りの人にとっても、極めて大きなエネルギーになるのではないかと思い ます。先ほど悲嘆ケアのことが出ていましたが、亡くなってから周りの人も納得という か、そういう意味合いも含めて、このような顔貌の問題も大きく捉えるべき課題ではな いかと思います。 ☆スライド 次が医療・ケアチームにおける歯科ですが、意思決定というのは、どうし て口腔の問題が非常に大変な状況にありながら表に出てこないのか。この最大の責任は 歯科医にあるのだろうと思うのです。周りの多くの関与する方々が、口腔の問題をあま り聞かない、悩みを聞いてあげないという状況があります。もし聞けるとしたら、口腔 の問題は非常に聞きやすいテーマであるし、そこから何かが開けていくのではないかと 思っています。それが、次の頁の「終末期における歯科医療・ケアの意思決定に関わる チェック項目例」です。  この左側にある4項目は、どちらかというと「口腔内清掃状態」「口腔乾燥状態」「残 存歯等による口唇や歯槽粘膜の裂傷」ですが、「歯槽粘膜の裂傷」というのは、いわゆる 褥瘡というのは問題になりますが、乾燥した口腔内の状況というのは、まさに褥瘡で、 残っている歯は傷付きますし、義歯がちょっと合わないと、そこが褥瘡になって入れて いられない。そういう状況がたくさん出てきています。義歯の使用状況がこれに代わり ますが、これはどちらかというと我々の専門分野で、衛生師などが関与してチェックす べき項目なのかもしれないのです。  下の4項目ですが、「歯や口の中で痛いところはありませんか」ぐらいは、誰でも聞 けますし、誰でもチェックできるテーマなのです。ですから、そこから入って、この問 題まで解決できれば、かなり大きな救いになってくるのではないかと思います。 ☆スライド 最後に、「終末期における“生きる力”を支える歯科医療」ですが、生きる 力という、先ほどありました生の環境整備という意味からいって、歯科は関与できた分 野であったということです。いまある時間をどのように生きるか、その人がその人らし い尊厳を持った生き方というものと、口腔が自分の口で食べられる状況にあるかないか というのは、極めて大きな転帰になります。逆に言うと、そういう状況というのは経管 やいろいろな問題から、経口の問題に返してあげることによって、その人が人間として 蘇るケースはたくさんあるのです。だから、最終的に生きる力を支える歯科医療とは、 口腔に関する疼痛や不快症状を軽減し、最後まで口から食べることを支援し、口腔機能 に起因する肺炎等の全身疾患を予防し、元気なときの会話、顔貌、表情を維持するため の医療であるということを、まず我々が反省して、これからこういうものに取り組んで いきたいと思いますが、是非ご理解をお願いします。  追加資料で、「終末期における医科と歯科の連携」というのがありまして、これは実際 に口腔ケアをやっている、この方は亡くなられたのですが、ケイチョウユライが口の中 にこんなに付いている状況の方が見過ごされているということです。この方は口腔がき れいになったことによって、家族が感謝しているという説明です。以上です。 ○伊東保健医療技術調整官 ありがとうございました。最後に、日本薬剤師会副会長の 土屋文人参考人にお願いします。 ○土屋参考人(日本薬剤師会) 日本薬剤師会副会長の土屋です。本日はこのような機 会を与えていただきまして、どうもありがとうございます。終末期、特にがん患者にお いて、そこでは薬物療法が極めて行われています。そのときに薬剤師がどのような役割 を果たしているかについてお話をします。  資料にありますが、これはモルヒネ製剤です。1980年代ですと、そこにはアンプル、 錠剤、原末がありました。この時代は極めて厳格な使用制限がありました。薬剤師がや るといっても、原末でして、どのように飲ませるかということで、カクテルやワインと 混ぜて飲むとか、そのような工夫をするのが、この時代でした。  その後、2000年、2008年と、モルヒネ製剤だけでも、これだけの種類が出てきてい ます。すなわち、そこには剤形として例えばアンプル製剤だけではなくて、キット製剤 というものが出ると、在宅において混ぜることが容易になる、あるいは錠剤であっても、 昔は1種類しかなかったものが7種類です。これも持続時間とか、そういったように製 剤的な工夫、薬学的検討がなされて、さまざまなものが出ています。カプセル剤も然り、 散剤の原末というのは相変わらずそのままですが、顆粒剤もあります。また液剤、坐剤 もあります。モルヒネではありませんがパッチ製剤という貼付剤もできています。  ここで30年近く前といまとを比べると、どうなるかというと、当時の厳格な使用制 限というものから、いかにこれをうまく使い分けるかになってきました。そこには製剤 的特徴がいろいろあるものですから、剤形とか規格をどのように選択したらいいかに対 して、医師に助言をすることが薬剤師の麻薬とのかかわりとして出てきました。  また一方、医療を取り巻く環境で、緩和医療チームの対応が可能になりつつあります し、外来化学療法が急速に普及しつつあります。以前は、がん化学療法は入院中にとい うことでしたが、最近では外来で行うことが出てきました。  また、医療を受ける場所についての意識変化は、この終末期医療に関する調査にもあ りますが、「なるべく自宅で過ごしたい」あるいは「緩和ケア病棟がいい」となってきて います。  一方、この30年間で医薬分業が広く普及しました。以前は薬を医療機関の中で投与 する。こういった時代には、相談をしようにも、医療機関に来なければ薬について相談 することができなかったわけで、それに対して医薬分業ということは、自宅の近所の薬 局で相談できるというように、環境が変わったわけです。  また、昨年度に医療法の改正がありまして、薬局というものが医療提供施設として医 療法で位置づけられました。ここで、医療機関と医療提供施設との連携が、極めて図り やすくなったわけです。  麻薬の供給体制ですが、麻薬ですのでもちろん厳密な体制ですが、その中で一部流通 について制度改正が行われまして、薬局間での譲渡、その他ができるようになったとい うように、麻薬をより使いやすい環境にという制度改正もなされています。 ☆スライド こういった中で、病院薬剤師と薬局の薬剤師と大きく分けているわけです が、病院薬剤師の業務というのは、以前は院内調剤であったために外来患者の調剤を一 生懸命行うことがほとんどでした。しかし、いまは院外処方化されたことによって、病 棟へ進出しています。病棟においてのチーム医療をちゃんとできるようにしようという ことで、いまはそこに力点が置かれるようになりました。  入院患者あるいはそのご家族の方、また医師への対応ということからいくと、左側に ある持参薬、副作用、用量、相互作用のチェック。患者はさまざまな薬を持って入院し ています。その薬と飲み合せがあったらまずいことになりますので、そういった部分の チェックがあります。あるいは副作用で、例えば麻薬であっても、便秘である、あるい は量が多過ぎるとせん妄が起きます。そのようなさまざまなことが起きます。こういっ たコントロールをする。あるいは右側にあるように、製剤の特色を踏まえて、こっちの 製剤のほうがいいのではないでしょうかといった助言、あるいは嚥下困難な患者、認知 機能の低下した患者に対して、こういう剤形のほうがいいのではないでしょうかといっ たこと、調剤の工夫、補助手段への助言、ターミナルステージにおいては、輸液の管理、 栄養管理について、全体的に処方支援を行っています。  外来化学療法に対しては、外来患者が院内で使用した注射薬の情報が伝わりにくくな っています。普段はほかの病院にかかっている患者がいますので、そういったことで薬 局の薬剤師と病院の薬剤師が情報を共有することによって、注射薬についての情報。い ままでは処方せんが出れば、その処方せんの内容での相互作用のチェックができました が、いまは外来の患者については、そういったことの情報提供をします。  あるいはこの4月から、診療報酬上は緩和ケアチームとして、薬剤師がチームに存在 していることが算定要件になったこともあります。ただ、何といってもまだ勉強不足と いうか、こういったことに慣れているわけではありませんので、そういった薬局薬剤師 と病院薬剤師の連携、共同の勉強会を開催しながら、地域との連携を図っている病院薬 剤師の現状です。  これに対して薬局薬剤師の変化です。医薬分業が進展しました。60%近くになってい ます。そうしますと、地域医療においてチーム医療への参画ということが出てきます。  在宅医療において、麻薬や注射薬の取扱い、これは先ほど言われましたように制度改 正が行われて、麻薬を取り扱いやすくなってきた、あるいは先ほどと同じように医師に 対する助言。実際にこれは在宅ということでいきますと、患者あるいは患者の家族との 話の中で、この薬は飲みにくいとか、実際は飲めずに残ってしまっているというような ことを管理する。ほかの病院からも薬が出ていて、最初は家族の方が管理できていたの ですが、できなくなったというときに、薬剤師がそれを一本化するとか、そういった薬 剤を服用するための援助をすることも出てきています。  また、抗がん剤というのは薬の中では確実に副作用が表れてくるものです。そうする と、そういったことを早くお知らせしながら、それはこういうものなのだということを 家族の方にもご理解いただきながら、抗がん剤の投与を行っていく、あるいは患者の意 識が低下してきたときには、患者の家族に対して薬についてのお話をいろいろすること で、在宅ならではの密接した状況での情報提供その他を行っているところです。  今回、薬局の薬剤師が退院時のカンファレンスに参加できると診療報酬上の評価がさ れまして、そういったことがだんだんできるようになってきました。まだ数は少ないか もしれませんが、これからはそのようなことで、入院から退院まで一貫した薬剤師が関 与した形でのケアが考えられます。そのためには、薬局薬剤師と病院薬剤師の情報共有 のための連携が考えられるわけで、最後のポンチ絵ですが、この20〜30年を見てみる と、とにかく麻薬の開発が進みました。この恩恵を必ずしもうまく受けていない現状に 対して、チーム医療の中で唯一の薬の専門家として、そういったことも含め、患者の状 況を含めながら、医師あるいは患者、患者の家族にいろいろとアドバイスをしたりとい うことで、終末期医療において、薬剤師は薬物療法と切っても切れない関係があるので、 そういった専門家としてのことを現在行っていまして、これからだんだん進めていくと いうところです。以上です。 ○伊東保健医療技術調整官 ありがとうございました。それでは以降の議事進行を町野 座長にお願いしたいと思います。よろしくお願い申し上げます。 ○町野座長 ありがとうございました。予定としては18時50分ぐらいまで議論を続け てよろしいという話で、かなり時間があるようですから、忌憚のないご発言、ご質問等 をお願いします。どちらからでも結構です。 ○中川委員 中川と申します。ALSの協会の方がお話になったことも、あるいはがんの 守る会とかそういう方のお話になったことも、医師がもっとしっかりしてくれというこ とだと聞き及びました。これはご存じの方もいるかもしれませんけど、今年のNHK教 育テレビのETV特集に、弁護士の方と私とノンフィクション作家の方が出て、いろい ろな取材に我々が途中でコメントしました。私はどちらかというと緩やかな法整備がい いのではないかという考えでいたのですが、弁護士さんから言わせると、医療は患者さ んの生きる権利を保障してから、そういうことを考えなければということを盛んに言わ れました。私はそのとおりだと思うのですが、医療関係者以外は医療というものをまだ 信頼しきっていないというか、そういうことも実際にわかりました。そんなことはある のだろうと考えました。  しかし、私は、そうは言いながらも現場としては、特に救急医療であるとか神経難病 の部分とか、ある面では緩やかな法整備も必要だと感じているのです。井形先生にお聞 きしたいのですが、私はどちらかというと法整備という考えがありますけれども、ただ、 私は日本尊厳死協会の尊厳死の宣言書の3項目ありますよね。最初はこれ以上延命治療 をしない。それから痛みをとる治療をする。これは全く医療関係者は合意できるのです が、3つ目に植物状態の患者さんを、すべての生命維持装置を外してほしいという文面 は、私も脳神経外科の医師でしたから、そういう患者さんをたくさん診てきましたので、 いまも慢性期医療をやって診ている中で、それが本当に1、2と同じように考えていい のかということが、常に私の脳裡に引っかかるのです。先生、それは協会内でどういう ふうに議論されているか教えていただければと思います。 ○井形参考人 尊厳死協会に、その趣旨を理解して入会して来る人の根拠になるのが、 多くの場合、植物状態なのです。もちろん先生のおっしゃるとおり、植物状態から医学 的に奇跡と思われるような回復の方法ができているという話もありますし、こういう遷 延意識状態を回復しようという研究が進んでいますから、すべてそうだとは言いません けど、しかし、治るものがあったとしても、ほとんどのケースは、1年以上続いた人で 回復することはまず確率的にはゼロに近い。したがって、本人の意思がはっきりしてい る場合には本人の意思に沿うべきではないか。生を尊重すべきだということで、延命措 置をすることが医療の務めだということについて、ガイドラインは植物状態は除外され ています。先ほど申し上げた衆議院から出された法制要綱でも除外されています。  そういう議論があることはわかりますけど、尊厳死協会としては是非、誰が見てもこ れは尊厳ある生とは言えないという状態には逃げ道を作っていただきたい。というのは、 現実にカレン裁判というのは、まさにその端緒だった。外国はご承知のとおり、こうい う延命措置を中止しても問われないかという裁判を起こしているのです。つい先般、韓 国でそういう判決がありました。ご承知だと思います。そういうことを考えると日本も、 どうしても悩むものは裁判で、延命措置を中止してもよろしいかということを求める運 動があってもいいのではないか、そういうふうに私は思っています。植物状態を全部一 括して対処しろということを申しているわけではありません。誰が見ても植物状態で、 これは尊厳ある生とは言えないと、100人が100人、思うような状態について、でも植 物状態は除外すべきだという議論には賛成できかねる。 ○中川委員 わかりました。ありがとうございました。 ○宝住委員 日本医師会の宝住です。いまの問題について、日本医師会で終末期医療の あり方のガイドラインを出したときも、そのガイドラインには非常に不満だと、交通事 故で息子さんが植物状態になった人でしたか、人工呼吸器を付けてから私の地獄が始ま ったみたいなことで、そういうことをしないと意味がないという投書も来ていました。  ただ、我々としては植物状態の定義も難しいですし、どういうふうなものが終末期か というのもなかなか難しいので、それは外してやったわけですけど、長い間ではそうい うことは十分議論していかないと駄目だと私は思っています。 ○田村委員 今日はいろいろな領域の方のお話を聞かせていただいて、この終末期医療 のあり方というところで、ALSの方がおっしゃっていた意思決定の相談支援という部分、 それからがんの患者さんの、いろいろなチームで取り組んでほしいと、心理社会的な部 分をきちんとバックアップして相談支援をするというところの、そういうふうなある医 療のあり方の整備というところに、いろいろなフィールドから課題として出てきたので はないかと思います。  確かに医師のいまの問題等々がありますけれども、医療の中でいろいろなコメディカ ルのチームを組んでいるところの部分を、どれだけ本当に活性化してシステムとしてき ちんと整えるかというところが、まず医療のあり方として求められる。そして方針に関 して相談支援というところが十分ではないということを、私もソーシャルワーカーをし ていますけれども、とても痛感するお話でした。ありがとうございます。 ○町野座長 ほかにございますか。 ○中山委員 いまの田村委員の意見に私も同意しています。私はNPOで在宅緩和ケア 支援センターということで、看護師と保健師の立場で特にがんの患者さんとか神経難病 の方のご相談に乗っていますが、治りにくい病気になったときに何を大切にして、これ から先、生きていきたいのかということを、きちっと話し合うことがいちばん大切です。 そこが明確になると、それに合わせた医療、福祉、地域の中のサポート体制の三本柱が そこでうまく支えられると、かなりご本人の意思を尊重した生き方が最後までできるの ではないかと思います。  ですから、病状のこともわかった上で相談に乗るという仕組みが、とても重要なこと だと思っています。今回、後期高齢者医療制度の中で、名前が悪かったと私は思ってい ますが、終末期相談料というものが、いちばん早くに凍結されてしまったという出来事 がありました。新たな生を考える、限られた中でも生を考えるということで相談を診療 報酬の中で立てたことは、私はとても意義があったのではないかと思うので、後期高齢 者医療制度の中にあった相談料を、名前も変えて、もう一度しっかりと組み立て直した ほうがいいのではないかと思っています。  実際にあの相談料が取れるのは、主治医と訪問看護ステーションにも門戸が開かれて いたと私は理解しています。ですから、いま田村委員がおっしゃったように緩和ケアチ ームだとか、相談機能の能力を持ったがんの専門看護師や認定看護師、ソーシャルワー カーも含めて、そういう相談機能を持った人たちの相談活動に対し、相談料というのが 診療報酬の中で認められるような道を作っていくことは、とても重要ではないかと思っ ています。 ○近藤委員 私はがんの子どもを守る会のソーシャルワーカーをしています。私どもの 所では子どもが亡くなっていくわけですけれども、発症したときから家族に対する支援 というのは欠かせないことになるわけです。本人の意思ということが先ほどから言われ ていますが、診断されて治療を決定するのは親であり、思春期を超えた子どもの場合に は自分でいろいろなことを決定していく。治療についてもギアチェンジした後のターミ ナル期についても、自分で決定していく子どもたちというのはいますが、ほとんどは家 族が決定していくことになるわけです。子どもが病気になったとき、私どもの所はがん ですからがんのことがよくわかるわけですが、そういう場合には家族の支援がなくては、 とても立ち行かない。しかも若い親御さんが多いわけですから、経済的にも精神的にも さまざまなところで支援が必要だということが言えるかと思います。  それと、先ほど出たグリーフケアについてですが、小児がんの分野でもかなり医学が 向上し、70%から80%治るようにはなってきていますけれども、必ず治るというわけで はないわけです。昔はそれこそほとんどの子どもが亡くなっていたのが、今は亡くなっ ていく子どもがとてもマイナーな存在になってまいりましたから、なぜうちの子ががん になったのだろう、なぜうちの子は治らなかったのだろうということで、亡くなった後 のグリーフケアはとても重要な支援になっていくかと思います。  私どもの所は財団法人で、会員や会員でない方に対しても、子どもの病気に関しては ソーシャルワーカーがいて相談に乗っているわけですが、これが小児病棟、小児病院、 さまざまな所で十分だとは言えないと考えています。そこのところはなかなか子どもの ことは言い出しづらかったのですが、子どもが亡くなっていき、そのための終末期医療 も大人と少し違うところがあったりしますけれども、そこのところも考慮に入れていた だきたいと考えています。 ○川島委員 私は尊厳死法には反対なので、そういう立場から話をします。例えば自然 な形で最期を迎えるという方が、例えば老衰のような形で、あるいはがんを持っておら れても十分な緩和をしていく。先ほどの話の中にもあったように、緩和するというのは 死期を早めるのではないということが、緩和医療学界でははっきりわかっているわけで すから、本人の精神的あるいは肉体的な苦痛を緩和しながらやっていけば、実はがんと いう病名を頭から外しさえすれば、老衰のような形で、安らかに自然な形で最期を迎え ていくように考えてもいいのではないかと思っています。  よく考えてみれば、そういうふうに亡くなるということは結果なのだということです。 だからその直前までは私たちは生きているわけですから、より良く生きたということが 本人に実感されれば、結果として次の瞬間に亡くなるのだということ。死ぬということ は経験しないことなので、経験しないことをなぜ一生懸命際立たせて、そちらの方向に 向けなければならないかと考えると、おそらく、より良く生きるということができてい ないせいなのだろうと思います。だから、そういう意味では裏返しなのではないかと思 うわけです。  そうすると、より良く生きるための整備こそが、まず第1に求められることで、特に 私は医師に問題があるとしょっちゅう言っているのですが、医師が自分たちの至らない ところのツケを患者や家族に回して、その中には説明責任の不十分さとか、緩和医療が 十分にできていないとか、環境整備がうまくできていないとか、いろいろなことがある わけです。それを知らないうちに患者にツケを回していて、尊厳死容認という形になり はしないか。ここが最も私は危惧するところです。  ですから、まず生きる環境整備、より良く生きたと思えて次の瞬間に亡くなれば、別 に死を意図したり、死ななければならないと思う必要はなくて、みんな誰しもより良く 生きた、結果としてたまたまということですから、何かそれを求める必要がないのでは ないかと思うわけです。  中山委員が言われた終末期相談支援料については、終末期という概念自体が、NIHで は定義できないとはっきり言っています。ですから、これは後でまた皆様に資料を配付 しますけれども、NIHが終末期自体は定義できない、そういう不確かなものだというこ とをはっきり言っていますから、むしろ終末期相談支援料という文言を変えて、より良 い生き方支援のための相談料とでもしていただき、より良い生き方をまずみんなで頑張 って考えていく。それこそが今後の医療のあり方に最も大事なところではないかと思い ます。 ○伊藤委員 1つは、それぞれの初期治療でいろいろな努力をされておられるのでしょ うが、ただ、ALSのような病気だけではなく、本当に重篤な状態になる。あるいは本人 が意思表示できない状況になると、我々の経験では、それは病院の中外にかかわらず、 家庭あるいは周囲に対して陰に陽にさまざまな圧力がかかるわけです。「早くサインし ろ」といったはっきりとした言葉でなくても、さまざまにそういう圧力があるというこ とは、我々の体験であるわけです。そういう意味で、そういう尊厳死を求めているわけ ではないとか、法整備を求めているわけではないとか、いろいろな言い方はあるのでし ょうけれども、実際になった場合にどうなのかということを、もっとリアルに見ていく 必要があると思います。理想型だけでは進まない。現実にさまざまに圧力があるという ことは事実だと思います。  例えば私の母のことですが、医師や看護師はあれこれ言わなくても、普段の病棟の介 護の中で、介護の人たちの言葉の端々でさまざまなことを感じたりすることもあるわけ です。そうすると、そういうところまで病院は全部管理できるのかとなりますし、それ はなかなかできないでしょう。義歯を入れることをお願いしても、看護のほうからは「そ れは危険なので入れられません」と断られるとか、さまざまなことが重なっていくわけ です。そういう時にどう判断するのかということが1点あると思います。  もう1点は、先ほど後期高齢者医療は名称が悪かったというお話だったと思いますが、 今日はそういう議論をする場ではないとは思いますけれども、実際に医療を必要として いる立場から見ると、それはネーミングの問題ではなかったから大きな反発があったし、 我々も反発を感じたということを言っておきたいと思います。相談料も、いま川島委員 も言われましたが、相談ということになると、どうしても担当者の側に患者は引きずら れていくわけです。場合によっては患者の言葉を聞いてもらう場ではなくて、行った先 の相談を担当する方のお話を聞く場になる。そういうことは往々にしてあるわけです。 それはさまざまな場で現実にそうなわけです。私どもがいま、ある病院で問題提起をし ているのは、相談ではなくて、患者さんや家族の方の悩みを聞く場、それを語り合える 場を保証することが先ではないか。うっかり相談ということで行くと、さまざまなこと を言われてしまう。いろいろな事例を紹介されてしまうということもありがちですから、 私は安易に相談と言うべきではないと思うし、ましてやそれを料金体系化するというの は、いかがなものかと考えています。  もう1点聞きたいのは、ALSの橋本さんにもお伺いしたいのですが、先ほどピュアの 方ははっきり反対と言っておられましたけれども、ALSの患者会としてはこの問題はど んなお立場でおられるか、お伺いできればと思います。 ○町野座長 いまのは相談料のことですか。 ○伊藤委員 相談料ではなくて、このガイドラインのことについてどうお考えかという ことです。 ○町野座長 ではお願いします。 ○海野参考人 いま橋本から、話をするようにと言われましたので、海野と申します。 今回、この終末期医療のあり方に関して基本的な姿勢は反対の姿勢を持っています。当 然、個別の課題があるので、例えば終末期の定義のあり方について、先ほど各委員の方 がおっしゃったとおり定義をどうするか、生を支えていく体制をどうするかも含めて、 そこをもっと議論を詰めていかなければならない話なので、いま、この段階では反対で あるということを述べさせていただきました。 ○伊藤委員 ありがとうございます。 ○林委員 林と申します。ターミナルケアをやっている立場から話をさせていただきた いと思います。今日、いろいろな話を聞かせていただきましてありがとうございました。 本当にいろいろな立場から、さまざまな考えがあることを知ることができて、大変参考 になってよかったと思っています。  いまの皆さん方の話に共通して言えることが、おそらく本人の意思をいかに知ること ができるか、ということなのではないかという気がしています。さまざまな圧力の中で 言うことができない場合があったり、さまざまな苦しみの中で言うことすらなかなかで きない状況であったり、さまざまな中で本人の意思を伝えることができない。もしくは 私たちが把握することができないということが、何か問題になっているかのような気が します。  実際に私たちがやっている緩和医療の中で大事なのが、本人の意思を尊重することな のです。その本人の意思を尊重するときに何を大事にしているかというと、ご本人の声 を直接聞くということなのです。私たちが直接聞く場合もありますし、他職種の方が聞 いたほうがいい場合もあったりすると思います。誰がどのように聞くかということ。そ れをどのように尊重し活かしていくか。本人の意見をどのようにして私たちが知り、そ れをどのようにして確認していくか。そのプロセスをある程度はっきりしておかないと いけない。それがはっきりしないことには、これから先の議論が進まない。そこに疑問 や不安定さがあると、なかなかそこから先には進まないのではないかという思いがして います。それがいちばん大事なのでないかという気がして発言させていただきました。 ○山本委員 今日は私、救急医学会を代表してお話をさせていただきたいわけですが、 いまの大部分のお話は、慢性疾患の終末期というところに概念的な終末期の収斂がある だろうと思いますが、我々がいつも考えなければいけないのは、突然やってくる死、そ して心拍再開がなった後での終末期を、どういうふうに考えるのかです。それはマイセ ルフではなく、youになりtheyになり時にはweになる。いろいろな死があるわけで、 それを受容するにはどうしたらいいのかというところが、非常に大きなポイントになる のではないかと思っています。そこのところの解決がないままに1人称だけでいくのは、 どういうものかなというふうに私はいつも思っています。そこが受容できない皆様方を どういうふうに考えるのかということを、この場でも考えて結論は出るか出ないかわか りませんけれども、報告書なりに活かしていただくことが大事ではないかと私は思って いる次第です。 ○木村委員 全日本病院協会常務理事の木村と申します。私ども全日本病院協会として は、現在のところ法制化には反対しています。ただ、ガイドライン作りというのはやっ ていて、別にこれは全日本病院協会のではないのですが、全日本病院協会が幹事になっ て日本医師会や看護協会、救急医学会、コムルやアスカなどの患者側の方、新聞社の方、 弁護士などに入っていただいてガイドラインを作っています。  ガイドラインがないと、非常に困る患者さんがおられるので作っているわけですが、 このガイドラインができたからといって、それがすぐに活かせるとは思っていませんし、 ガイドラインを活かすための法整備をすぐしろとは思っていません。なぜかというと、 我々がやっているのはあくまで病院のガイドラインであって、在宅ではどうなるか、い ろいろな病気でどうなるかについて、各界の意見が十分に集約されてできているとは思 っていません。  ただ。あまりたくさんの人が集まってやっていると全然まとまらないので、とにかく ある程度のガイドラインを作ろうということで、病院のガイドラインと言ったらいいで しょうか。病院版のガイドラインをとにかく作って、それに対してまたいろいろな方か ら意見をいただき、さらにいろいろな形で使えるものを作っていきたいと考えています。  例えば救急医学会でガイドラインを作っていますし、厚労省はプロセスのガイドライ ンでしたが、いろいろなところでガイドラインに対する意見をどんどん出していただけ ればいいかと思います。  私どもは今年度中にそれを発表するつもりですが、もちろん、それに対してご批判も いただきたいと思います。それをどんどん広げていって国民の間に合意するものが生ま れない限りは、法律を作って法整備をしてはいけないと考えています。もともとこの問 題は法律で縛るものではないし、ある程度側面からガイドラインを保護するという意味 で、法整備が本当に駄目かというのは何とも言えないのですが、法律で整備して何かす るものではないし、こういう場でいろいろな方の意見が出てきて、やっとみんなが考え 出したところなので、いきなりこれを法律で決めたり、ガイドラインを決めたからこの とおりやれというものではないと思っています。私どもはガイドラインを作りますけれ ども、それがすぐ使えるようになるとは思っていません。そういうことを申し上げて、 とにかくあまり焦らずに、本当に国民の中でこういうことに対しての合意ができない限 りは使えないし、使ってはいけないと考えています。 ○櫻井委員 今日、私は大変意義がある中に、皆さんから出ているご本人の意思をいか に知るかという段階で、薬剤師の先生、歯科の先生のご意見について、私は特別養護老 人ホームでお年寄りの終末期を積極的に見ている立場から、口腔ケアと食との戦い、併 せて薬の副作用との戦いです。口腔ケアの場合は歯科の先生が最近、すごく積極的にや っていただいて、衛生士さんが来て口の中を整えてくださることにより、食形態も私ど もの所は13くらいの食形態をして、できるだけ食べられる状況にするのです。青年期 における差し歯が、高齢期においてぐらぐらして気管に入ったとか、喉のところで止ま っていたとか、便の中から出たとかいうことがあります。その場合と、ではどのように 食べることができるかという場合に、歯をどういうふうに維持していくか。口腔のケア をどのようにすることが、ご本人にとって生きる力になってくるのかということは、い ま直面している戦いです。  お薬については、先ほどのお話の中で、主治医の先生と薬剤師の先生のコンセンサス がどうなっているのかというのが、私どもの悩みです。そのあたりが在宅で施設サービ スを受けている人は、薬局の先生からご指導いただいたことと、かかりつけ医の先生が 言うことと、病院の薬剤師さんの言うことがばらばらで、すごく悩んでいらっしゃる。 そういう悩みは“生きる力”になってこないのです。  このあたりが私たちケアをしている現場と、かかりつけ医、いわゆる主治医あるいは 嘱託医と病院の薬剤師、地域でご指導いただける薬剤師との連携というのは、これから 本当に上がってくるのだろうかということで、すごく期待をしたいのですが、まだいま のところクエスチョンの状況であるのが私の実感です。でも、そういう側面からも終末 期医療を考える機会を、こうやって聞いて何かちょっと元気が出ました。ありがとうご ざいました。 ○中川委員 私も皆さんのご意見を聞いて、それはそれでもっともだということばかり ですが、救急医学会の木村先生が言われたことがいちばんの苦しみだと思います。例え ばがんの方とか自分の意思を表現できる方は、それなりに何とかやっていけると思うの です。私の考えですがね。それはいろいろな困難を伴っても、何らかの形で聞き出すこ とをいろいろ工夫してやっていくことは可能だと思います。  先ほど救急医学会の先生が言われたように、意思表示できない人が突然救急に飛び込 んで来て機械呼吸になってしまう。そういう人はどこまで機械呼吸が要るのかという問 題は、まさにこれこそ何らかの工夫で考えていかないといけないことだと私は思ってい ます。だから自分の意思を表現できるのは、いろいろな工夫でこれから少しずつ進歩し ていくだろうし、MSWの人とかいろいろな職種の工夫でできるのですが、これが突然 やって来て、自分の主張ができない時にどうするかというのは、もっともっとここでも 考えていかないと、こういう問題の進展はないのかなと私は思うのですが、いかがでし ょうか。 ○池上委員 意見です。今日、いろいろ貴重なことを教えていただきましてありがとう ございます。今日のヒアリングと意識調査の結果と、多少でも関連させていく必要があ るのではないかと思います。終末期というのはどういう状態を想像するかによって、ま た連想するかによって、それに対する対応が異なってきますから、そこを整理しないと、 それぞれの終末期像に対応したご発言になりがちではないかと思います。  意識調査には3つの終末期像が提示されています。1つはがんを想定しているようで、 6カ月以内に死が予測されている。この定義がいいかどうかは別として、それが1つで す。2つ目は植物状態で、3つ目が脳血管障害等となっていて、この中には認知症も入 っていると私は考えています。  今日、ご発言いただいた参考人の方々と結び付く問題として、がんについて藤田様に、 意識調査で想定されている設問とか、ご覧になったかどうかは存じませんが、過去のを ご覧になっていればほぼ同じ質問ですけれども、それは適切でしょうか。あるいは適切 でない場合にどういう点が問題とお考えでしょうか。尊厳死協会の立場からお話いただ いた井形先生に対しては、意識調査の植物状態について提示されていることは、同じく どういう点で適切で、どういう点で不適切か、あるいは不足しているかということにつ いて、お考えを教えていただけますでしょうか。 ○町野座長 よろしいでしょうか。藤田参考人からお願いします。 ○藤田参考人 藤田でございます。ただいまのご質問ですが、まず私が電話相談させて いただいている中で、例えば延命治療の中止ということを、どこかで知って口にされた りする方もいらっしゃいますが、実際に何を意味しているかということを一切わかって いません。ですから、あのガイドラインに書いてあるようなことを、「こういうこともあ るんだけど、そういうことわかっている」と伺うと、全くそんなことは考えていなかっ たと。よくスパゲティ症候群にはなりたくないとか、何かそのぐらいのことはわかるけ れども、全くわからないところで、意思表示がどれだけの効力があるのかと思っていま す。  リビング・ウィルも、よくそういう団体があって会員の方に聞くと、「何か不安だから、 これを持っていると何か幸せなことが訪れると思う」と、その程度です。ですから本当 にそれがどれだけの効力があるのか、私どもは疑問に思っています。 ○井形参考人 私どもは、その結果とそう矛盾するものではないと思いますし、またこ ういった設問の仕方によって内容も変わってきます。私たちはある意味では理解を求め る運動をしていますので、こういうアンケート調査が出ましたら、それに対して柔軟に 対応し、また運動を続けていきたいと思っています。 ○町野座長 よろしいですか。ほかにございますか。 ○ワット委員(富樫代理) 乳がんの患者会のワット会長の代理で、今日は参加させて いただきました。私も乳がん患者で転移治療をしていますけれども、この終末期医療と いうのを聞いたときに、人間は生まれたら絶対に死ぬわけであって、私たちが小さいこ ろはお産婆さんがいて家庭で産んでいました。私の祖父は家庭で亡くなりました。小さ いうちから生や死は身近にあったのですが、最近は病院で産む。お亡くなりになるのも 今のところまだ病院でというのが多いということで、生きることに関してはみんなよく 考えるのですが、死ということに関して目を背けている感じがするのです。  私も病気になるまではとても元気だったので身近には感じていなかったのですが、自 分ががんになってそこで死を考える。また転移して、そこでまたこれで終わりかと考え る。そのときにすごく辛い思いをしたのですが、人間は死ぬまで生きているのです。で すから、より良く生きるということが本当に大事だなと思います。私もがん対策医療の 協議会に出ていますけれども、治療に関して活発な意見があるので、ちょっと雰囲気が 違って私は戸惑っています。医療に関してみんなが納得していない。  実際、私は父も母も病院で亡くしましたけれども、医師の説明が納得できないという 部分があるので、医師、看護師は説明するのが仕事なのだろうと思いますが、実際に自 分が患者になってみて医師の時間のない実態はよくわかりますので、何かいろいろと医 師が患者に対して説明してくれる時間が、しっかり取れたらいいのになというのが自分 自身のいまの意見です。  終末期というのを考えたときに、本人の意思が伝えられる方は本当にいいと思います が、老齢になったり痴呆のある方や意識のない方は伝えられない。私の姑も植物状態で 2年後に亡くなりましたが、本当に意思がないのです。そのほか生まれてすぐ亡くなる。 赤ちゃんは意思は伝えられませんし、そのときは親が代弁するわけですが、本人の意思 がまず大事であり、その次に本人の意思がとれない方は家族という感じです。たとえ天 涯孤独であっても一人では人間は生きていけないし、何かつながりがあると思います。 生きるということはそれぞれの個人的なものなので、いま議論になっていますけれども、 死をよく考えていると法制化というのは、日本の現時点では無理な部分があるのではな いかと考えています。 ○林委員 林です。一言だけ、本当にいまの部分とも共通するところがあって、救急医 療とも共通するのですが、ご本人が死を意識し、それに対してどういう考えを持つかも 大切です。それをどう家族と、もしくは大切な人と共有しているかということです。そ れが本当に、いざというときに非常に重要な意味を持つのではないかと思っています。 ○池主委員 私もいまの問題は非常に大きいように思います。先ほどからお話を聞いて、 いわゆる死という問題というのは突然くる。つまり年齢ではない。小児のがんの問題も 年齢ではない。要するに高齢期の問題というふうに絞ってしまうと、あまりにも課題が 重すぎてなかなか結論が出ないのではないかと思います。私は介護保険制度や何かの制 度的な問題の予防の部分あたりから、システムがちゃんと捉えるような制度的捉え方が 必要なのではないかと思います。要するに、いま食の問題でも何でも、最も重大な部分 がみんなに見えなくなっているとよく言われますよね。たぶん死の問題などは最も典型 的な問題なのかもしれないので、そういう問題をもっと早い時期に、いわゆる看取りと いう問題を正面から捉えるような制度的対応というか、システムづくりというのが必要 です。  私は介護保険制度の分科会にも出ていますので、よく感じるのですが、特に歯科みた いに直結しない部分から言うと、それを強く感じるのです。逆に言うと死と直面してい る方々にとっては、私がこんなことを言っていいのかなと多少の遠慮も出てしまいます。 でも、そういう意味からの制度的な捉え方というのも絶対必要なのではないかと思いま す。 ○川島委員 たぶんに情緒的な話で申し訳ないのですが、救急医療の現場は実は私も脳 外科医をやっていた関係上、よく存じ上げています。非常に大変だと思います。しかし、 運ばれなければならなくなったという問題が1つあるし、そのような状況になって例え ば呼吸器を付けた人をどのように処遇するか。つまり救急医療の前と後の問題が出てく るわけです。  例えば後の問題についてですが、そういう呼吸器を中止するとか、しないという話は、 単純に手技をどうするかという話ではないことは皆さんもよくわかっていて、私がよく 思うのは、そういう方は呼吸器を付けたとしても、あるいは植物状態で意識がないとし ても、今、とりあえず存在しているわけです。自己決定ができないとか、尊厳でないと かいろいろなことを言われますけど、その方々は、いまこの世に存在しているわけです。 でも次の瞬間に、それを存在するなと私たちが言えるのかということ。そこが私はいち ばん重要なところだと思います。地球か世界かわからないけど、それがいま存在してい ていいよと言うから、その人たちはいま存在しているわけです。存在しているのを、存 在するなと言っているのは人間が言っているわけです。それでいいのかということを私 はよく考えます。 ○町野座長 もうお一方だけ、もしありましたら。 ○伊藤委員 今日は、まだそういうところまでの話にいくと思わなかったので、この次 にと思ったのですが、皆さんがおっしゃるので私も申し上げたいと思います。1つは患 者の立場から言うと、生死を考える、あるいは死というものを考えるということですが、 医療をやっている側、あるいは行政という中では、これは極めてたくさん事例を見てい ますから、自分はどうするかという問題では1つあると思います。しかし、患者の側か ら見れば、たった1回こっきりの話で、しかも個々によって非常に状況が違うという、 極めてリアルな状況の中での判断を迫られるわけです。  そこで、ひとつ考えなければならないのは、医療者の側は圧倒的にたくさんの情報を 持っており、良質の情報を持っているわけです。量、質とも大きなものを持っている。 ところが患者の側は、まずそういう情報を持っていない人が大部分だと思います。多少 持っていても質的に大きな違いがあるはずだということと、もう1点、表現をする力と なると患者の側も喋るのが上手な人や、いろいろな哲学や宗教の人もいるのでしょうけ れども、あまり普段、そういうことを考えたことがなかったり、あまりうまく喋れない という人は、うまく自分の気持を伝えられるかという問題もあるわけです。  こういう極めてたくさんのハンディがある中で、本人の意思表示がどうとか、認める、 認めないなんていうことを言うことが、もしも言うのだとしたら、どこかでそういうハ ンディの差があることを前提にした、何らかの方法を考えなければならないと思います。 皆さんが先ほどおっしゃっていたように、いま国が決めるべき問題でもないし、ガイド ラインを作るべき問題でもないと思います。いずれ作らなければならないとしても、い ますぐの話ではないだろうと思います。  しかし、時間が経てば本人の意思を科学的に把握する方法なり、正確に把握する方法 なりが、また別の形で開発される可能性も大いにあるわけですから、いま、いろいろな 議論をすることが大事で、そういう議論があるということを国民に知らせることが大事 であると、いまお話を聞いていて強く感じたところです。 ○町野座長 ありがとうございました。かなり時間があると思っていたのですが、つい に時間がまいりました。今日のお話は非常に私どもは考えさせていただきました。その 中で、いま本人の意思に基づいたということが盛んに出てきますけれども、実際にガイ ドラインとかは、本人の意思だけですべてが決まるという立場をとっていない。おそら くすべての考え方はそうだろうと思います。要するに本人のニーズがどこにあるかとい うことが問題なので、そのことをどのようにして認定するかというのが1つの問題です。  そして他方の問題として、それに対して本人のニーズに応えて医療は行われているか、 その体制を確立しなければならない。その点について皆さん方はおそらく一致している。 それらについてご本人、さらにご本人を支える家族の人たちに対するサポートの体制の 整備も必要だということ。多くの人はこの点では一致している。  だから問題は、先ほどご発言がいくつかありましたとおり、要するに患者さんはそれ ぞれタイプが違うわけです。老人の場合とか、先ほどの意識調査のときに何を想定して いるかというお話がありましたけど、がん患者の場合とかいろいろありますから、いま のような抽象的なところでは大体わかっている。皆さんの一致はあるのですが、そこが 問題だろうと思います。  あとガイドラインを作るか、法律が必要かというのは、おそらくここでの議論はそこ までいかないだろうと思いますが、結局のところ現在、それを使わなければ本人のニー ズに応えた医療ができない状態なのか、そこがいちばんの問題だろうと思います。強引 な整理ですが、次に調査の結果を解析して、そこでの議論ということで、その解析の過 程でもう1回議論があるだろうと思います。そういうことで今日は終わりにしたいと思 いますが、よろしいですか。ここに「その他」と書いていますけれども、事務局から何 かございますか。なければ日程等についてご説明いただきたいと思います。 ○伊東保健医療技術調整官 次回懇談会の詳しい日程等については、後日、事務局より 改めて連絡させていただきたいと思います。よろしくお願い申し上げます。 ○町野座長 それでは、これで閉会といたします。本日はお忙しいところ、ご出席いた だきまして、特に参考人の方々については大変ありがとうございました。 (照会先)  厚生労働省医政局総務課  大竹、山之内、澤谷 (代)03−5253−1111(内線4104、2529、2521)