07/09/28 原爆症認定の在り方に関する検討会議事録 第1回原爆症認定の在り方に関する検討会                日 時 平成19年9月28(金)                    10:00〜12:00              場 所 中央合同庁舎第5号館                      共用第8会議室(6階)                            1.開 会 挨 拶 2.座長の選任及び座長代理の指名について 3.原爆被害者対策について 4.日本原水爆被害者団体協議会よりヒアリング ○北波健康対策推進官 おはようございます。定刻になりましたので、第1回原爆症認 定の在り方に関する検討会の開催をお願いいたします。  まず、会議の開催に先立ちまして健康局長の西山からごあいさつを申し上げます。 ○西山健康局長 健康局長の西山と申します。よろしくお願いいたします。  今日は、お忙しいところを本検討会に御参加いただきましてありがとうございます。 感謝申し上げます。  御案内のとおり、広島、長崎の地に原子爆弾が投下されて62年経つわけでありますけ れども、現在25万人の原爆犠牲者、被爆者の方がおられます。現在、私どもとしては原 子爆弾被爆者に対する援護に関する法律に基づきまして、保健、医療、福祉にわたる総 合的な対策を推進しているところでございます。この中で、この8月5日に内閣総理大 臣より厚生労働大臣に、この在り方について専門家の判断で改めて検討をし、見直すよ うに指示を受けたところでございます。  原爆症に至る審査は現在、原子爆弾被爆者医療分科会において分科会が策定しました 原爆症認定に関する審査の方針に基づき行われております。この審査の方針ですけれど も、新しい科学的知見の集積等の状況を踏まえて必要な見直しを行うこととされており ます。策定後6年を経過しまして、分科会は現在の方針に基づく認定審査を行っている ことから、分科会とは別に本検討会を設置、開催させていただいたわけであります。皆 様方におかれましては、中立かつ公正な立場から、改めて現在の原爆症認定の在り方に ついて御議論を進めていただきたいと考えております。  先生方におかれまして、大変難しい課題でありますが、専門家としてのお立場から御 議論をいただきたいと考えております。また、一方で被爆者の方々が高齢化をされてい るというような事情を踏まえ、精力的に御議論いただきますようお願い申し上げます。  簡単ではございますけれども、私からのごあいさつとさせていただきます。どうかよ ろしくお願いいたします。 ○北波健康対策推進官 本日は、先生方にこの検討会の委員御就任をお願いしましてか ら最初の検討会でございます。この後、座長の選任をお願いすることとしております。 それまでの間、事務局が進行役を務めさせていただきたいと考えております。  なお、本検討会におきましてはすべて公開で行い、議事録を作成することとさせてい ただきますのでよろしくお願いいたします。  まず最初に、先生方の御紹介を申し上げたいと思います。五十音順に御紹介をさせて いただきます。  桐陰横浜大学法科大学院教授の青山正明委員でございます。  大分県立看護科学大学看護学科看護学部教授の甲斐倫明委員でございます。  日本学術会議会長の金澤一郎委員でございます。  財団法人広島原爆被爆者援護事業団理事長の蒲田七男委員でございます。  広島大学原爆放射線医科学研究所教授の神谷研二委員でございます。  広島大学大学院工学研究科教授の靜間清委員でございます。  長崎大学大学院医歯薬学総合研究科教授の永山雄二委員でございます。  独立行政法人放射線医学総合研究所重粒子医科学センター副センター長の丹羽太貫委 員でございます。  どうぞよろしくお願いをいたします。  本日の検討会につきましては、参集者8名中8名すべての方々に御出席をいただいて おります。したがいまして、過半数を超えておりますので、この検討会議が成立いたし ますことを御報告申し上げます。  それでは、議事次第の2にありますように座長の選任をお願いいたしたいと考えてお りますが、どなたか御推薦をお願いしたいと思います。よろしくお願いします。  神谷先生、お願いします。 ○神谷委員 私は、金澤一郎先生を御推薦申し上げます。  理由は、金澤先生は御存じのように非常に幅広い学識と高い見識を有されており、現 在は日本学術会議の会長という要職を務めていらっしゃいます。この座長に求められま すのは、科学的高度な客観性を有すること、あるいは公明正大であること、そして高度 な判断力を有していらっしゃるということだと思います。そういう意味では、金澤先生 は最も適任者だと思います。 ○北波健康対策推進官 それでは、金澤先生に座長をお願いすることとしてよろしいで しようか。  それでは、金澤先生に座長をお願いすることといたします。金澤先生、お席の移動を よろしくお願いいたします。               (金澤委員 座長席へ移動) ○金澤座長 ただいま御指名いただきました金澤でございます。大変な重責をいただい たと思っておりまして、自分の見識が本当にそこまであるのか、じくじたるものがござ いますが、お引き受けさせていただきたいと思います。この中で、考えてみますと、恐 らく私が唯一の非専門家でございまして、そういう意味では客観的といいましょうか、 判断を迫られているのではないかと思っております。  なお、余計なことでございますけれども、数年前まで恩給審査会の委員をやっており まして、戦後はまだ終わっていないという認識は非常に強く持っております。そういう 中で、総理大臣の大変重い発言を受けての会議と理解しておりまして、これからもいろ いろなことを勉強させていただきながら、皆さんと御一緒にいい方向に結論が出たらと 思っております。  なお、私は医者でもございまして、科学的な側面のみならず患者さんのお立場も理解 をしているつもりでございますので、これからいろいろ多面的に勉強させていただきた いと思います。どうぞよろしくお願いいたします。  それでは、議事を進めますけれども、座長の職務を遂行するに当たりまして座長代理 を置くことになっておりまして、丹羽先生にお願いできませんでしょうか。よろしくお 願いしたいと思います。  それでは、丹羽先生から一言お願いいたします。 ○丹羽委員 丹羽でございます。私は長年、放射線の基礎研究の方に携わっております。 そのような意味では放射線に関しては専門ではございますが、原爆症認定についてはさ まざまな問題があろうかと思います。そのような中で座長代理が務まるものかどうか、 非常に心もとなく思っておりますが、皆様のお助けをいただいて何とか全うさせていた だきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。 ○金澤座長 どうもありがとうございました。 ○佐々木総務課長補佐 事務局からでございますが、頭撮りはここまでということで報 道関係の方、御理解をお願いいたします。                  (プレス退室) ○金澤座長 それでは、議事次第に従いまして議事を進めたいと思います。本日の議題 は、「原爆被爆者対策について」ということと、もう一つは「日本原水爆被害者団体協議 会よりヒアリング」ということになっております。  議事に入ります前に、資料の確認を簡潔にお願いしたいと思いますが、よろしくお願 いします。 ○佐々木総務課長補佐 では、資料を確認させていただきます。書類に不備等がござい ましたら事務局までお知らせください。  まず、議事次第が1枚ものでございます。  それから、資料一覧にございますとおり、資料1といたしまして「原爆症認定の在り 方に関する検討会開催要綱」、2枚ものでございます。  資料2といたしまして、「原爆被爆者対策について」ということで22ページのものが ございます。  資料3といたしまして、「「原爆症認定の在り方に関する検討会」への意見陳述」とい うことで、日本原水爆被爆者団体協議会事務局長の田中様の資料でございます。  資料4といたしまして、甲斐様の意見陳述書でございます。  資料5といたしまして、森内様の意見陳述書でございます。  資料6といたしまして、弁護士の宮原様の資料でございます。  それから、参考資料といたしまして、参考資料1でございますが、原爆被爆者に対す る援護に関する法律でございます。  参考資料2といたしまして、「原爆症認定に関する審査の方針」でございます。  参考資料3でございますが、昭和55年の原爆被爆者対策基本問題懇談会の報告書でご ざいます。  参考資料4としまして、「被爆者対策に関するデータ」集でございます。  参考資料5といたしまして、原爆症認定の見直しに当たっての日本原水爆被爆者団体 協議会から厚生労働大臣あての要望書一式でございます。  資料は以上でございます。 ○金澤座長 ありがとうございました。いかがでしょうか。資料はお手元にないものは ございませんでしょうか。  よろしいようですので、議題1の被爆者援護施策の概要につきまして事務局から御説 明をお願いいたします。 ○北波健康対策推進官 それでは、事務局から原爆被爆者対策等につきまして御説明を させていただきます。  皆様、お手元の資料2をごらんいただきたいと思います。初回でございますので、御 存じの方もおられますが、改めて私たち厚生労働省が行っております原爆被爆者対策に つきまして、また今回の検討会は原爆症認定の在り方ということでございますので、そ の関連の部分につきましての御説明をさせていただきたいと思います。  まず1ページを開けていただきますと目次ということで、この順序に従って御説明を させていただきたいと思います。  1枚めくっていただきまして「原爆被爆者援護施策の概要」でございます。  次に、2ページでございます。現在、厚生労働省では原爆被爆者の援護というものに つきましては被爆者援護法というものに基づきまして行っております。後ほど御説明を いたしますが、先行する医療法、それから手当法というものがございまして、これを統 合して新たな法律という形にしたわけでございます。その際、法律には前文というもの も盛り込ませていただいております。原文につきましては参考資料1というものがござ いますので、また後ほど御参照いただくかもしれません。  戦後50年、平成6年でございますが、従来の二法というものを統合いたしまして援護 法という形にいたしました。この援護法につきましては、国の責任において原子爆弾の 投下と、結果として生じた放射能に起因する健康被害がほかの戦争被害とは異なる特殊 な被害であることにかんがみ、高齢化の進行している被爆者に対する総合的な援護対策 を講じるものというふうにうたっております。  これに伴いましてその次のページでございますが、具体的にどのような施策をやって いるかの一覧でございます。平成19年度、本年度予算でございますが、全体で約1,500 億円、健康局の予算自体が約3,000億円でございますので、その半分くらいということ になります。その予算でさまざまな施策を行っているところです。  まず被爆者の方への被爆者健康手帳の交付、そして被爆者健康手帳をお持ちの方につ きまして全員が対象になる事業、それから一定の要件を満たしたものが対象となる事業、 この2種類がございます。  全員が対象になるものにつきましては、真ん中の段の左でございますが、健康診断を 年に2回、または希望者につきましては更に年に2回というふうなことでやっておりま す。また、医療につきましては一般疾病医療といたしまして健康保険、医療保険の自己 負担部分につきまして国費で補填をするというふうな形、または介護保険につきます介 護サービスの1割負担分を国費で補填をするという事業を行っております。  それ以外につきましても、福祉サービスといたしまして入所費用、または相談事業と いうもの、それから葬祭料の支給ということを行っております。  また、一定の症状がおありの方というのは一定の要件を満たしたものということにな りますが、それにつきましてはその下段でございますが、大きく3つ施策を講じている ところでございます。  一番左側でございますが、これが今回の原爆症の認定ということで認定を受けた方が 現在約2,200人おられますが、この方々につきましては一番下でございますが、健康保 険ではなくて全額国費による医療の給付というものを行っております。また、その際に 医療特別手当といたしまして月額13万円ということで支給をしているところです。  また、それ以外の方、真ん中の段でございますが、健康管理手当につきましては一定 の疾病にかかっておられる方につきまして健康管理手当の支給というものをいたしてお ります。医療につきましては、その上にございます全員対象の一般疾病医療というとこ ろの対象になっております。  また、そのほかにも、昭和30年代から医療法、手当法ときて、いろいろな手当てを行 っているところでございます。また、右側でございますが、原爆養護ホームというもの の施策も行っているところでございます。  これが全体像でございまして、その次のページをごらんいただきたいと思います。ま ず、被爆者というものがどういう定義になっているかということについて概観をさせて いただきます。  援護法上は、1号被爆者から4号被爆者まで定義がなされております。現在、被爆者 総数は25万人、平均年齢は74.5歳という状況でございます。ピークは昭和55年、これ は参考資料4のところにデータを掲げておりますので後ほど御参照いただければと思い ますが、昭和55年に37万人という状況でございました。毎年、若干減少してきている 状況でございます。  1号被爆者から4号被爆者につきましてはごらんのとおりでございますが、1号被爆 者は俗に直爆と申し上げておりますが、投下された際に一定の区域内におられた方で、 15万人程度です。  2号被爆者は、入市と申し上げておりますが、10日から2週間以内に一定の区域内、 爆心地から2キロメートルの区域内に入った方につきまして、その際、救護活動なり医 療活動、それから親族の捜索などをされたということで、被爆者の2号として定義をし ております。  また、3号被爆者につきましては市外でございますが、当時救護所というものが多数 ございました。そういうところで救護活動を行われた方につきまして2.6万人を3号被 爆者としてございます。  そして最後でございますが、胎児被爆者というカテゴリーでございますが、当時この 1から3号被爆者の方の胎児であった方で、現在7,000人程度おられるという状況でご ざいます。  現在は、この被爆者援護法上はこの4つのカテゴリーということで行っているところ でございます。  先ほど来、昭和30年代から法律ができ、また手当等も積み重ねてきているということ を申し上げましたが、歴史につきましての概観を示した図でございます。原爆医療法と いうものが昭和32年に制定をされました。当時は、一番左の上のところに書いてござい ます2つの事業から始めたということでございます。1つは認定疾病に対する医療給付 ということで、これは原爆症という形での医療を給付していたということでございます。 また、認定疾病であるというふうに認定された被爆者以外の方々につきましては、健康 診断事業というものを開始しているということです。  そして、その2年後でございますが、特別被爆者制度というものを創設いたしました。 このカテゴリーにつきましては、当時原爆放射線を多量に浴びた方ということで、2キ ロメートル以内におられた方につきましては医療の自己負担部分を公費で支給するとい う制度をつくったわけでございます。  また、認定疾病の被爆者の方につきましては医療手当というものを創設いたしました。 当時は、所得に応じてでございますが、2,000円または1,000円という形でスタートし たわけでございます。ここが、まず最初の方の医療法の制度でございます。  昭和40年代になりまして、今度はいわゆる手当法というものを制定したわけでござい ます。これが原子爆弾特別措置法というもので、43年でございます。最初に、特別手当、 健康管理手当、介護手当の3つの手当を創設いたしました。  特別手当につきましては、医療手当と同様、認定被爆者を対象としたもので、医療と 同時に生活面の安定を図るという趣旨で月額1万円というところからスタートしたわけ でございます。  また、健康管理手当につきましては後ほども御説明いたしますが、65歳以上の方、ま たは一定の事情にあられる方につきまして7つの障害からスタートをして、月額3,000 円というところで始めたところでございます。また、介護手当もございます。  その後、昭和44年から49年と順次手当を創設し、また49年には特別被爆者、先ほど 申し上げました2キロメートル以内というものの制度につきましては廃止をしまして、 被爆者であればすべての方が医療の自己担部分が国費支給になるとしたところでござい ます。  また、昭和50年に、さはさりながらということでございますが、保健手当というもの を創設しております。この対象につきましては、2キロメートルの区域内で被爆した方 についてかかります費用という形で支給をしております。  昭和55年、これは平成6年に被爆者援護法を制定する、まさに淵源となった報告書で はございますが、基本問題懇談会報告というものを取りまとめていただいております。 これは、本日も参考資料3に添付をしております。基本的には、この原爆被爆というも のについては放射線の被害という一般の戦災とは違う特別の犠牲について、公平性も保 ちつつ何らかの手当をするということにつきましての御報告をいただいたというところ でございます。  その後、昭和56年には医療特別手当を創設いたしまして、ここで所得制限の撤廃をこ の手当についてはしているところでございます。それぞれの手当の内容については、参 考資料4の方に記載させていただいております。  それで、最初に申し上げました平成6年の被爆者援護法の制定になりまして、この2 つの法律が統合され、また特別葬祭給付金という制度をつくり、各種手当についての所 得制限をすべて撤廃をしたという状況でございます。このような歴史があるということ を申し上げたいと思います。  6ページから、手当につきまして御説明をいたしたいと思います。若干繰り返しにな りますが、お許しをいただければと思います。  「原爆症認定の制度」につきまして、このような形になっております。一番下からご らんいただければと思いますが、先ほど申し上げました4つのカテゴリーに該当する方 につきまして約25万人の方が被爆者健康手帳をお持ちであります。その中で、造血機能 障害、肝機能障害など、一定の疾病にかかった方につきましては、健康管理手当という ことで21.8万人の方が支給対象になっております。その中で原爆症の認定を受けられた 方、この認定につきましては放射線起因性、または要医療性というものにつきまして、 大臣が審議会、分科会の意見を聞き、認定をするということになっております。  これにつきましては、平成12年に松谷訴訟という訴訟がございまして、最高裁で判示 をいただいており、そのときに放射線起因性には「高度の蓋然性」が必要であるという 考え方を示されております。  繰り返しになりますが、これに基づきまして平成13年には私どもで審査の方針という ものをつくっていただいたということでございます。この認定を受けますと、医療は全 額国費支給になりますとともに医療特別手当を支給するということで、2,200人の方が 現在受けられているという状況でございます。  1枚めくっていただきますと、条文の抜粋でございます。被爆者援護法の原文でござ いますが、第10条と11条、これは原爆医療に関する規定でございます。第1項で定義 が書いてありますが、「原子爆弾の障害作用に起因して負傷し、又は疾病にかかり、現に 医療を要する状態にある被爆者に対し、必要な医療の給付」、ここが全額公費負担という ものでございます。ただし書きで、「負傷又は疾病が原子爆弾の放射能に起因するもので ないときは、その者の治癒能力が原子爆弾の放射能の影響を受けているため現に医療を 要する状態にある場合に限る」と、このような規定になっております。  また、11条では大臣認定の規定、2項では審議会等で政令で定めるものの意見を聞か なければならないというふうな形になっているところでございます。  これが原爆医療で、24条というのが3つ目にございますが、これが医療特別手当の支 給の規定でございます。11条から引っ張ってきているということで、医療と手当が同一 になっているというところでございます。  また、27条は健康管理手当の規定でございます。  ことほど申し上げましたことを要約したものが下の箱に書いてあるものでございます。 真ん中だけ御紹介をさせていただきますと、原爆症認定には放射線起因性と要医療性の 2つの要件というものが必要であるということと解されているところでございます。  また、健康管理手当について若干言いますと、これは因果関係が要件というのではな くて、放射線の影響によるものでないことが明らかでないことを要件にしているという ものでございます。  1枚めくっていただきますと、これは先ほど御紹介しました平成12年7月18日にご ざいました最高裁判決でございます。ここで「訴訟上の因果関係の立証は」ということ でございまして、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではないが、経験則に照らし て全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度 の蓋然性を証明することであり」、これにつきましては「通常人が疑いを差し挟まない程 度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とすると解すべきである」という判 示をいただいております。これを踏まえて、1年余りの検討の結果、審査の方針という ものを策定させていただいたということでございます。これは、お手元の参考資料2に 付けております。 1枚おめくりいただきまして、繰り返しになりますが、健康管理手 当につきまして制度創設の趣旨はこのようなことでございます。最初の段落につきまし ては、先ほど申し上げたとおり、そういう意味では真性の原爆症の患者の方も、または そうでないものも含まれているというところでございます。この出費の内容につきまし ては栄養補給費とか保健薬費等ということで、当時は特別手当と申しておりましたが、 それとは異なって一般の生活の安定まで期するものではなくて、いわゆるかかり増し費 用分を手当として出すという趣旨でございました。  下でございますが、昭和43年当時は支給対象につきましては特別被爆者、これは2キ ロメートル以内でございますが、高齢者として当時は65歳以上の方を支給対象といたし ておりました。その後、昭和46年には60歳以上、その次の年の47年には55歳以上と いうことで、順次支給対象年齢というものを引き下げてまいりまして、昭和49年には 45歳以上という形にしました。また、昭和56年ですが、年齢要件を撤廃するというこ とをしております。これは後ほど次のページで御説明いたしますが、現在は支給額月額 3万3,800円ということで、被爆者で一定の疾病を持つ方につきまして支給期間を疾病 によって3年から無期限ということで支給をしております。  受給者数につきましては、昭和43年当時は支給対象が限定されていたこともありまし て9,516人、43年当時に被爆者数は32万程度でございました。現在は先ほど申し上げ したとおり21万人、被爆者総数で25万人ということで、80%以上の方が対象になって いるという状況でございます。  11ページをごらんいただければと思います。健康管理手当につきましては、疾病の群 という形で定めております。基本的には、そういう疾病にかかられた方につきましては この対象になるという考え方でございます。最初は、昭和43年の制度創設当初というの は(1)から(7)までの疾病について対象としておりました。その次の年に白内障を追加し、 昭和49年には9、10の部分を追加し、昭和53年には11の部分を追加しております。  先ほど申し上げました期間制限につきまして申し上げれば、1の群につきまして言い ますと、この中で再生不良性貧血は無期限、鉄欠乏性貧血というのは3年以内という形 になっています。その他の貧血につきましては5年以内という期間が課せられています。  ほかにもいろいろとございますが、例えば8番の白内障については5年以内、11番の 消化器につきましては3年以内、こういうふうな規定になっているところでございます。  12ページをごらんいただければと思います。これが医療特別手当でございます。下に 医療手当と特別手当の概要を書いてございますが、これを統合したものでもって認定被 爆者の特別の需要を満たすという趣旨で行っています。所得のいかんにかかわりなく支 給をするということでやっております。  下の医療手当と特別手当の欄をごらんいただきたいと思いますが、医療手当は昭和32 年には2,000円または1,000円ということで支給を開始し、昭和56年から医療特別手当 でございますので、その前の年には大体2万4,000、2万2,000円くらいの手当でござ いました。ここにつきましては、「医療に関連し慰安の手段を与えることにより精神的安 定を図り、幾分でも治療効果の向上を図ることを期待する」という趣旨で創設されてお ります。いわゆる折鶴代と書いておりますが、このような手当でございました。  また、特別手当につきましては一般的に原爆の被害を最も強く受けられた方だと、認 定被爆者の方はそういう位置付けで健康上も生活上も悪条件の下にさらされておられる という考えの下、一般人と異なる、それに加えて特別の出費を余儀なくされているとい う状況から、医療面は全額国費負担と同時に生活面の安定を期するという趣旨で昭和43 年に1万円から始め、昭和55年には6万7,000円、もしくは所得に応じて3万3,000 円というふうな支給額になっておりました。これを統合し、すべて月額9万8,000円と いうことからスタートしたのが医療特別手当でございます。ここまでが、制度の手当の 概要でございます。 13ページ以降は、現在の認定をどのように行っているかにつきま しての御説明でございます。若干長くなりますが、申し訳ございません。  14ページでございます。「原爆症認定の審査について」ということで書かせていただ いております。これが、基本的には真ん中のところをごらんいただきたいと思いますが、 実際の認定に当たりましては合議制の審査会、疾病・障害認定審査会原子爆弾被爆者医 療分科会の意見を聞いて大臣が認定をしている。平成13年5月に定めました審査の方針 に基づいて行っているところでございます。現在、分科会長は佐々木先生、会長代理は 草間先生、構成員19名で月1回認定審査を行っていただいているところでございます。  15ページをごらんいただきまして、「認定の仕組みについて」でございます。基本的 にはこのような仕組みでさせていただいているところです。最初に、被曝線量の推計を いたします。これにつきましては、爆心地からの距離、または遮蔽物があるかなしかと いうことについて判断をし、被曝線量を推定する。また、残留放射線がある地域、放射 性降下物がある地域というものは個別に測っております。そういうものを加算し、線量 を推計する。  そして、かかっておられる疾病に従いまして原因確率というものを算定していく。こ れは被曝線量と、ここの真ん中に書いてございます性別、被爆時年齢、疾病という要素 を基に算出した表でございます。また、白内障につきましては1.75シーベルトというこ とで閾値を適用しております。これらを踏まえまして、個別に審査を行っている。既往 症、環境因子、生活歴等も総合的に勘案するという仕組みになっております。  具体的には16ページで同じことでございますが、右の下をごらんいただければと思い ます。原因確率算出というものにつきましては、例えば14歳のときに広島ですが、爆心 地から1.5キロメートルで、その後、大腸がんに罹患した男性ということで、この線量 につきましては50センチグレイと推定される。これを原因確率表に当てはめると30% ということで算出されるということでございます。  この左側の(2)というところにちょっと小さくございますが、原因確率の考え方を書い てございます。原因確率がおおむね50%以上の場合には一定の健康影響があるというふ うに推定しまして、これは認定をする。また、おおむね10%未満というものについては 当該可能性は低いものと推定をする。また、10%から50%の方につきましては、これは 個別に影響があるかどうかを審査するということにしております。実際上は、10%以上 であればおおむね認めておられるというのが実例ということになっております。できる 限り申請者に有利に認定するという方向で、また援護法の趣旨も踏まえて認定作業を行 っていただいております。以上が、認定についての御説明でございます。  17ページ以降は放射線につきましての御説明でございますので、事務局の佐々木に交 代をいたします。 ○佐々木総務課長補佐 では、17ページの放射線につきまして御説明をさせていただき ます。18ページをお願いいたします。  放射線について、初期放射線に関するものでございますが、DS86というものでござ います。これは、被爆者ごとの被曝放射線量を求めるために大型コンピュータを用いま して日米の研究者によりまして共同開発された線量の推定方式でございます。1986年に 策定されております。DS86は原爆の特性、原爆投下時の気象条件などの幅広い要件を 考慮した上で計算をされているものでございまして、原爆から放射される放射線の光子 や粒子の個数、そのエネルギーや方向分析を基に、コンピュータを用いまして高度な計 算をいたしまして処理をさせていただいているものでございます。  なお、先ほども御説明の中に含まれておりましたが、DS86策定時には誘導放射線や 放射性降下物の被曝線量についても検討されておりまして、それらを含めまして総合的 な報告書として掲載されているものでございます。  DS02でございます。DS86策定後、中性子の放射化に関する計算値、それから広島、 長崎に残存する放射化の痕跡について、DS86に基づく推計値と実測値との不一致とい うことについての議論がございます。それに関しまして、日米合同の研究体制によりま して検討を進められた結果、2002年に新たな線量推定方式としてまとめられたものがD S02でございます。  19ページをお願いいたします。残留放射線の関係でございます。誘導放射線でござい ますが、原爆から放出された中性子と、建物や地面などを構成する元素の原子核とが核 反応を起こし、それにより新たに放射性核種が生じることということでございます。こ の放射性核種からの放射線を誘導放射線と言っております。  放射化は安定な原子核が中性子を吸収することによって生じるものでございますが、 放射化の程度は中性子のエネルギーと原子核の種類によって異なるということとなって おります。中性子線によって放射化しやすい物質につきましてはアルミニウム、マンガ ン、ナトリウム、鉄が高速中性子を吸収することによって起こされる反応、これは荷重 粒子放出反応ということでございますが、被曝に寄与する可能性がある誘導放射線とい うのはこれらの物質によると考えてとらえております。  放射性降下物でございます。原子爆弾の核分裂生成物と原子爆弾の中性子によって放 射化された弾頭などの構造物中の誘導放射能が、炸裂時の大量のエネルギーによってガ ス状になって、4,000から4,500メートルの上空に上昇して対流圏にあったものでござ いまして、これは風とともに移動した対流圏にあった放射性物質の一部が降雨とともに 降下したものを放射性降下物と言っております。  20ページをお願いいたします。その他、放射線の関係でございますが、内部被曝とい う用語でございます。内部被曝は放射性核種が吸入、経口摂取、皮膚、特に傷口からの 吸収により体内に取り込まれることにより生じる被曝でございます。現在では、摂取し た各種の量から内部被曝線量を換算することができるほか、放射性核種をどのくらい摂 取したかということについてはホールボディカウンタや肺モニタ、体内から排出する尿 などによって測定することができるということでございます。  放射線の人体影響に関しましてでございますが、これは国際放射線防護委員会、IC RPの勧告に基づきますと、確率的影響、確定的影響というものに分類をされておりま す。確立的影響にはがんや遺伝的影響がございまして、確定的影響には白内障や急性症 状が含まれております。急性症状というのは、人体が短時間に高線量の放射線を受けた ときに起きる障害とされておりまして、脱毛、皮膚障害もこれに含まれております。体 の中心部を含みます相当部分を被曝した場合には、発熱、おう吐、下痢などの症状が見 られるということもありまして、発症の状態、態様、経過等に特徴が見られるというこ とでございます。 最後に21ページからでございますが、御説明の中で使わせていただ いておりました原因確率に関しましての資料でございます。原因確率と申しますのは、 放射線による発がんのような確定的影響でございますが、それに関しましての発症リス クといいますのは被爆したときの年齢、部位、臓器の性別によって変化するということ が財団法人放射線影響研究所の疫学調査で明らかにされております。  このデータをもちまして、被爆者の方のがん等の疾病、発症に原爆放射線がリスクと してどの程度寄与したかを客観的に推定することができるということでございます。放 射線疾学のデータを基に部位ごとのリスクを被曝線量、被爆時年齢、性別に応じて評価 しようとしたものが原因確率でございます。  22ページはこの原因確率を求めるためのデータでございますが、放射線影響研究所が 実施しております寿命調査集団、それから成人健康調査集団によります個別の被曝線量 と、がんの発症というものを統計的に解析いたしまして、がん種ごとのリスク等を推計 いたしまして、その原因確率を出しているということでございます。  放射線に関しましては、以上でございます。 ○金澤座長 ありがとうございました。大変たくさんの話題を提供してもらいました。 皆さん方は御専門なのでしょうが、御質問がございましたらどうぞ。  私はちょっと伺わせていただきたいのですが、系統的にではないので恐縮ですけれど も、18ページです。DSの86とDSの02で、基本的にこの2つについてはどのぐらい の違いがあるんですか。どなたか御存じの方、教えてくださいますか。 ○靜間委員 我々の方では中性子放射化による残留放射能の測定をずっとしてきたので すが、DS86ができたときに中性子放射化については一部実験データに違いがあるとい うことで、それの見直しが行われました。では、DS02でどれぐらい変わったかといい ますと、爆心地近く、炸裂したすぐ近くではDS86は計算値の方が上にきていました。 ちょっと高く、オーバーエスティメイトになっていまして、中性子の量としては30%く らいが高くて、DS02ではその中性子の放射化の実験データと合わせるために爆発高度 を20メートル上げるということと、出力を1キロトン増やすということを行いまして、 爆心から400、500メートルまでは実験データと合うようになっております。  ただ、それ以前につきましては実験データの方も精度がなかなかなくて、実験的には はっきりとは確認できないということで計算でいくという方式になっておりますけれど も、ではそれで最後の線量としてどう変わったかといいますと、線量級としてはガンマ 線の方が大きいわけで、それに中性子を加味しましても、距離によって違いますが、10% 以内くらいが少し変更になっております。 ○金澤座長 ありがとうございました。ほかに何か御質問ございますか。御理解できた かとは思いますが。  それから、私は今まで十分知らなかったこともありますので微妙なことを申し上げる かもしれませんけれども、所得制限を撤廃した理由はどういうことなんでしょうか。 ○北波健康対策推進官 所得制限につきましては、基本的には平成6年の被爆者援護法 制定のときにすべて撤廃をしております。このときには、やはり国の責任において被爆 者の方に援護を行うという形で、大きく援護という趣旨をこの法律の中に持ち込みまし た。  今までは医療法であり、または特別措置の手当法であったということで、これを総合 的に援護の考え方にするということで、そうなったときにはこの被爆者の方々の実際の 状況も見まして、高齢化も進んでいる中で所得制限を付けるのではなくて、すべての方 に対して等しく給付をしたいというふうな考え方で法律を新たに制定したということで ございます。 ○金澤座長 わかりました。ほかに何か御意見がありましたらどうぞ。  では、丹羽先生どうぞ。 ○丹羽委員 原因確率の計算ですが、現行の原因確率というところでは被爆後の経年変 化については考慮しておられないということでございますね。 ○佐々木総務課長補佐 そうでございます。 ○金澤座長 ありがとうございます。ほかに御意見、御質問はいかがでしょうか。御意 見というよりも、御質問になりましょうか。  それでは、次の議題に移ってよろしいでしょうか。議題の2でございますが、被爆者 援護施策に係るヒアリングということになっております。御準備はよろしいですか。本 日は、日本原水爆被害者団体協議会の田中・巳事務局長ほか3名の方にお越しいただい ているようでありますが、早速お話を伺いたいと思います。 ○田中事務局長 ただいま御紹介いただきました事務局長の田中でございます。1人ず つしか前の席に着けないものですから、どういう順序でお話するかを簡単に紹介させて いただきます。  最初に、名古屋の方の裁判の原告になっております甲斐さんにお話をしていただきま して、2番目に長崎の原告であります森内さんに話をしていただき、それから日本被団 協全体を代表して私が話し、裁判の弁護団の事務局長の宮原さんという順番でございま す。 ○金澤座長 わかりました。そうすると、最初に資料4、5、3の順ということですね。 では、どうぞ。 ○甲斐氏 愛知県の原告の甲斐昭です。私は、甲状腺リンパ腫の切除手術のため声が出 にくくなっております。お聞き苦しい点があるかもわかりませんが、よろしくお願いし ます。 それからもう一つ、発言の間に当時のことを思い出しまして涙が出るかもわか りませんから、その点もひとつよろしくお願いします。  昭和20年8月6目、私は海軍潜水学校電機練習生として広島県の大野浦におりました。 当時、18歳でした。朝8時15分過ぎ、ものすごい光と爆発音を広島から20キロも離れ た大野浦でも感じることができました。その後、直ちに上官から、広島が爆撃されたた め救護に向かうという命令が下りました。トラックで己斐駅まで、己斐駅からは市電沿 いに歩いて、6目の午後には広島市中心部に入りました。  それから8月7日の夕刻まで2日間、私は広島市内でがれきなどの片付け、銀行の警 備、そしてたくさんの死体の運搬などの救護につきました。火事の地熱に耐え、活動し た広島の中心部ではだれも生きている者がおりませんでした。たくさんの黒焦げになっ た遺体、皮が垂れ下がった人、目が飛び出しているけが人、その情景は言葉にできませ ん。今でも、思い出すと涙が出ます。  8月7日の晩に大野浦に戻り、8月8日から8月14日までの間、大野浦国民学校で潜 水学校の同期生たちと一緒に、広島からトラックで運ばれてきた原爆の負傷者の救護を 行いました。火傷やけがのため動けなくなった方々の包帯の交換、傷口からわいてきた ウジの掃除、下のものの処理などを行いました。また、広島から大野浦の港に流れ着い た多くの死体を引き上げ、田んぼで焼きました。100体や200体ではきかない、大量の 死体でした。 このころから、私の体にも異変が生じました。広島に入った6日の夜に は下痢が始まりました。広島に入ってからは、のどの渇きを癒すため、死体が浮く汚い 川の水を飲むことはありましたが、食事は一切とっておりません。水のようなものが出 る下痢が1時間に2回から3回も襲ってきました。夜遅くになってからは、下痢の中に 血が混じっていることに気がつきました。下痢は翌日からも続き、除隊してからも下痢 が続きました。大野浦に帰ってからは、歯ぐきからの出血、丸坊主になっている短い頭 髪が抜け落ちました。  このような体調の変化は、私だけに起こったわけではありません。国民学校ではトイ レが設けられていましたから、下痢を催してトイレに行く度に同期生と頻繁に顔を合わ せます。そのうちに、みんなが下痢をしているということがわかりました。救護活動に 従事している50名ほどの同期生のうち、私と同様、広島に救援に赴いた25名も、広島 に入ったことのない者にも下痢が発生していました。近隣地域から救護に来ていた一般 人の方にも下痢が発生していました。私たち同期生は、集団で下痢に罹患している旨を 上官に申告しました。上官は、自分も下痢をしているのだと言われました。  それから、体のだるさが起こりました。もちろん、当時は疲労のせいだと思っていま したし、命令がありましたから一生懸命働きました。しかし、この疲れは除隊してから も続き、一生つきまとわれることになりました。  除隊して、郷里の福井に帰ってから、さまざまな病気にかかりました。昭和24年から は頸部リンパ腫で13回にもわたる手術を受けました。だるさ、発熱、耳鳴りなどの体調 不良も続きました。そのような中で、甲状腺の悪性リンパ腫にかかったのです。  私は、戦後60年以上、いつも体調不良に苦しめられてきました。そのため、せっかく 仕事についても長く働くことができないという侮しい思いを経験しております。このよ うなことから家族にかけた迷惑は計り知れません。  私は潜水学校時代、風邪一つ引いたことがなく、腰回りは100センチ、体重も100キ ロありました。柔道などをしており、体を鍛え上げ、厳しい訓練に耐え抜いてきて体力 もありました。その私が昭和20年8月6日、7日の2日間の広島の救援活動を境に、ま ともに働くこともできないような体になってしまったのです。これが、原爆のせいでな くて何だったんでしょうか。  このように、私は広島に原爆が投下されたときには広島市内にいなかった、いわゆる 入市被爆者です。厚生労働省の方々は、裁判などを通して入市被爆者はほとんど放射線 に被爆していない、被爆していてもごくわずかな量なので、体に大きな被害が発生する はずがないなどと言っておられます。しかし、私や私と同じような入市被爆者に生じた 体の変調がうそだったと言うのでしょうか。厚生労働省の方は、下痢や衛生状態が悪か ったから脱毛やストレスのせいだと述べておられますが、このような発言ほど私たちの 気持ちを踏みにじる話はありません。  除隊後、帰郷した福井も空襲によって焼け野原となっていました。衛生状態は悪く、 被災者はさまざまなストレスを抱えていました。しかし、福井では下痢や脱毛が広島や 長崎のように発生したということはありません。  私は、自分の病気が原爆のためであるということ何とかして認めてほしいと思い続け ておりました。ところが、私が被爆をしたということを証言してくれる証人を2名そろ えろと言われ、被爆者手帳ももらえませんでした。厚生省には、海軍潜水学校の同期生 を調べてほしいと何度も頼みましたが、厚生省は海軍潜水学校などはないと取り合って くれませんでした。  私が2人の証人を得ることができたのは、偶然、手にした新聞記事がきっかけでした。 被爆者手帳をもらえたのは、被爆から実に50年もたった後のことでした。手帳をもらっ てすぐに原爆症認定を申請しましたが、5年も待たされた上で却下になりました。それ で、私は集団訴訟の最初の原告として裁判を起こすことになりました。  この度、安倍前首相が原爆症認定申請の基準を見直そうとを指示され、厚生労働省で 検討会が発足することになりました。長年にわたり被爆者と認められず、原爆症とも認 められてこなかった私としては、検討会が発足する日を迎えたことは感無量であり、大 いに期待しております。  先生方には、今後検討を進められるに当たって、被爆者に現に起こったことをしっか りとよく理解していただきたいと思います。私のように、原爆が落ちたときに広島にい なかった入市被爆者でも、被爆の影響で大変な苦しみを受けてきたということを是非わ かってください。  国は、入所被爆者にそんな被害が起こるはずがないなどと言っておられますが、集団 訴訟の6つの判決で、いずれも国の主張が間違っていると認めています。国が今まで言 ってきたよりも、ずっと大きな影響が被爆者に起こっているのです。ですから、被爆の 影響と考えられる病気になった被爆者がすぐに原爆症と認められるように、認定制度を 改めていただきたいと願っております。  私は、原爆を通じて、本当に国は冷たいという思いを何度もしてきました。どうか被 爆者が国を恨んだまま死んでいくようなことをさせないでください。先生方が、原爆症 認定制度を披爆者の実態に合ったものに改めるよう、お力を尽くしていただけますよう にお願いいたします。  本日は、貴重な機会をいただきましてありがとうございました。 ○金澤座長 どうもありがとうございました。それでは、スペシフィックな御質問をい ただいて、それから次に移ってよろしいでしょうか。そう長くない形で、甲斐さんにス ペシフィックな御質問がもしあればと思いますが、いかがでしょうか。 ○鎌田委員 今、リンパ腫以外の病気があったら、2つ3つ教えてください。 ○甲斐氏 頸部リンパ腫以外は甲状腺、胃潰瘍、白内障もあります。それが現在ありま す。○鎌田委員 ありがとうございました。 ○金澤座長 ほかにいかがでしょうか。御意見については後で伺うことにいたしまして、 御質問があればお願いします。よろしいでしょうか。  では、どうも甲斐さん御苦労様でした。ありがとうございました。 ○甲斐氏 よろしくお願いします。 ○金澤座長 それでは、次は森内さんお願いします。 ○森内氏 私は、長崎から参りました原告の森内實です。  私は、8歳のときに爆心地から4.8キロ離れた長与村で被爆しました。自宅の近所の 大きな柿の木の一番上に登って、空を見上げるようにしてセミをとっていたときに突然 太陽が爆発し、目がつぶれるのではないかと思うほどの光を浴びました。  その日の夕方から、大橋町に往んでいたおじやいとこたちが6人逃げてきました。6 人とも次々に全員死んでいきました。幼い2人の子どもは火傷や外傷でしたが、ほかの 4人はものすごく吐いたり下痢をしながら、放射能に侵されて亡くなったのです。  このような状況の中、私は母に連れられて11目早朝、爆心地からわずか400メートル 離れた、大橋町にあった父の実家に家族を捜しに行きました。私は、ただ母について回 るだけでしたが、のどの渇きとひもじさに、ごみだらけの井戸水をかき分けて何回も飲 みました。母がイモを見つけてきて、家の残骸で焼いて食べました。  14日には、母の実家の安否がわからず、爆心地から800メートルの坂本町に行きまし た。それから半月くらいの間に4、5回行き来しました。食べ物はいつも、畑から採っ てきたイモと井戸水を飲んでいました。私は14、15日ごろから吐き気をもよおすように なり、ひどいときには死ぬような苦しみに遭いました。  私の家族は、6人が被爆しました。そのうち4人ががんに侵されました。父が腎臓が ん、・皮膚がん、上の姉は脾臓がん、乳がん、肝臓がん、下の姉は乳がん、子宮がんにな りました。父と上の姉は、長く苦しんだ末に亡くなりました。  私もいつかは父や姉たちのような病気をするのではないかと不安でしたが、その不安 は的中していろいろな病気にかかりました。C型肝炎、大腸がん、白内障、進行性悪性 胃がんと3年ごとに患ったのです。今度はどこにがんができるのかと、不安で不安でた まりません。  現在、長崎で裁判している原告は38人です。そのうち、既に8人の方が亡くなってい るのです。8月9日に1人、9月6日にも1人、次々に亡くなっていっています。生き 残っている原告も、毎日病気や不安と闘いながら、死と向き合って生きているのです。 そして、あきらめて原爆症の申請をしないまま亡くなっていった被爆者も多くいます。  私たち被爆者には時間がありません。原爆の被害と、被爆者の実態に沿った原爆症認 定制度を一日も早くお願いいたします。 ○金澤座長 森内さん、どうもありがとうございました。森内さんに対して何か御質問、 確かめておきたいことなどはありませんでしょうか。 ○鎌田委員 今、飲んでおられるお薬はどちらの病気のお薬ですか。 ○森内氏 胃、大腸です。 ○鎌田委員 大腸は手術されたんですね。 ○森内氏 はい、手術しました。 ○鎌田委員 胃の方も。 ○森内氏 はい。 ○鎌田委員 ありがとうございました。 ○金澤座長 ほかにはいかがでしょうか。よろしいでしょうか。  それでは、森内さんどうもありがとうございました。お大事にどうぞ。  次に、田中事務局長のお話をいただきたいと思います。 ○田中氏 先ほどから御紹介いただいておりますけれども、日本原水爆被害者団体協議 会の事務局長をしております。  日本原水爆被害者団体協議会と申しますのは、日本に47都道府県ございますが、そこ にそれぞれ原爆被害者の団体が構成されておりまして、その全体が加盟している組織で ございます。今日は、第1回の会議に被爆者の声を聞く機会をつくっていただきまして 大変ありがとうございます。  私は、13歳のとき長崎で被爆いたしました。爆心地から3.2キロの自宅におりました ので助かりましたが、爆心地近くに住んでいた祖父やおばたち2世帯、5人の命が原爆 で奪われました。3日後にはおばの遺体を野原で荼毘に付すという、13歳の私にとって はつらく悲しい体験をいたしました。  日本被団協はこれまで全国の被爆者に呼びかけまして、原爆症認定制度の抜本的改善 の実現を目指して集団訴訟に取り組んでおります。3年半前から始まりまして、9月21 日現在、提訴している被爆者、これは原告ですが、22都道府県で283人になっておりま す。15地裁、6高裁で争っております。このうち6高裁は、大阪、広島、名古屋、仙台、 東京、熊本の各地裁の判決で敗訴した国が控訴した裁判でございます。  なぜ私たちが集団訴訟を起こしてまで国の認定制度の誤りをたださざるを得なかった のかということであります。まず第1に、原爆症認定基準が余りにも被爆実態と懸け離 れて、原爆症に苦しむ被爆者を切り捨てることに我慢ができなくなったからです。  第2に、先ほども説明がありましたけれども、松谷英子さんが12年にわたる裁判の結 果、2000年7月最高裁で勝訴しました。それにもかかわらず、国は最高裁の判決の趣旨 をねじ曲げて一層厳しい審査の方針を打ち出しました。そして、多くの申請を却下し、 被爆者を切り捨て続けているからです。  第3に、お配りした資料に入っておりますけれども、これまでの認定被爆者数も2,000 人台が二十数年にわたってずっと続いております。この数は、予算の枠内でしか認定し ないのではないかと疑わせる数であります。そして、そのことは国が原子力利用政策、 「核の傘」による安全保障政策上、原爆被害を小さく、軽く見せるために、放射線の影 響を過小評価し、被害の実態に即した原爆症認定を行っていないのではないかと考え、 集団訴訟に私どもは取り組んだのであります。  先ほど述べましたように、6地裁の判決はすべて審査の方針の誤りを指摘しておりま す。しかし、国は控訴を続けておりまして、既に36人の原告が3年半の間に死亡してお ります。私たちには時開は残されていません。科学が原爆被害のすべてを解明するのを 待つことはできません。  私たちは、早期の政治的決断による解決を求めざるを得なくなりました。政治的決断 とは、放射線による人体被害が末解明であるが故に、個々人の病気と放射線の関係も科 学的に解明し切れない場合に、未解明だからと言って被爆者を切り捨てるのではなくて、 逆に未解明だからこそ救済する。そのどちらを取るかという決断をすることであります。  幸いに、私たちの要求はすべての政党の賛同を得、与党自由民主党の中には被爆者対 策小委員会が設けられ、公明党の中にも被爆者対策委員会が設置され、与党プロジェク トチームも発足し、与党としての検討が行われております。一昨日は、私どもの要求内 容についてのヒアリングを行っていただけました。  あとは、先生方がこの方向にゴーサインを出していただければ、政治決断による解決 が軌道に乗るところまできております。こうした点を十分踏まえて審議をお願いしたい と思います。  そこで、私どもはどういう新しい審査の在り方を決めていただきたいかということで 要求を出しております。  まず第1に、控訴を取り下げてすべての訴訟を解決すること。第2に、現行の原爆症 認定に関わる審査の方針を廃止すること。第3に、新しい認定基準による認定制度をつ くること。第4に、医療分科会を改革すること。この4点でございます。  取り分け、第3の認定基準による新しい制度につきましては、「一般に放射線起因性が 肯定される負傷又は疾病を『原爆症認定疾病』として政令で定め、この疾病で医療を要 する状態にある場合には、審査を経ることなく厚生労働大臣が認定すること」としてお ります。  そして、皆さんのお手元に資料としてお配りしてあるのですけれども、「原爆症認定疾 病」というのはどういうものかということで、9つの負傷または疾病を例示してござい ます。また、政令で定めていない疾病で、放射線の起因性が否定できない疾病に罹患し ている場合には審査を経るわけですけれども、その審査の在り方も私どもの要求書に具 体的に書いてございます。  ここで私が特に強調したいことは、先ほども甲斐さんからお話がございましたけれど も、原爆被害は想像を絶する惨状を引き起こしたわけであります。その被爆者の一人と して、先生方に原爆被害の全体と、原爆の特殊性としての放射線の影響について、是非 知っていただきたいと思っております。   ここに、1985年に日本被団協が策定した原爆被害者の基本要求に書かれております 被爆の実態がございますけれども、これは先ほど甲斐さんがお話をされましたので省略 させていただきます。    (注)資料3より抜粋  「赤く焼けただれて、ふくれあがった屍の山。眼球や内蔵の飛び出した死 体、黒こげの満員電車。倒れた家の下敷きになり、生きながら焼かれた人々。 髪を逆立て、ずるむけの皮膚をぶら下げた幽霊のような行列。人の世の出来 事とは思えない無惨な光景でした。  我が子を助けることも、生死をさまよう人々に水をやることもできません でした。人間らしいことをしてやれなかったその口惜しさ、つらさは、生涯 忘れることができません。  いったんは、死の淵から逃れた人も、また、家族さがしや、救援に駆けつ けた人達も、放射能に侵され、次々に髪が脱け、血を吐いて、倒れていきま した。  生き残った人たちも、『原爆』を背負い続けています。」    このような原爆のもたらした地獄のような被害のうち、現在の援護法は放射線による 被害だけを補償の対象としております。これは、先ほど説明がありました。しかも、そ の補償の対象は私たち被爆者の体験としては全く異なる初期放射線とわずかな残留放射 線を考慮しているだけなのであります。  実際に、市外から入市して救援や復旧活動に従事したり、遠距離で被爆してその後、 救援のために中心地帯を歩き回った被爆者の中に、体調を崩し、急性症状を発症したり、 死に至った人たちがあったことを、私たちは身近に知っています。両市を遠く離れた救 護所で救護に当たった救護者の中にも、体調を崩す人が出ました。厚生労働省は、この ような人々の原爆症を無視し続けてきました。広島の裁判で認定却下の処分を取り消さ れた原告のように、13日後に遠くの三次から救援に入った多くの女学生のその後の死に 様をとても説明できるものではないです。  国は裁判で、遠距離被爆者や入市被爆者に見られた脱毛や下痢などの急性症状をスト レスや栄養状態、あるいは環境の不衛生が原因だと主張されておられます。これは先ほ ど甲斐さんもおっしゃいました。しかし、東京大空襲の後に同じような症状や病気が発 生したでしょうか。そのような話を、私どもは聞いたことがありません。  原爆がつくり出し、人間に浴びせた放射線は、決して厚生労働省が考えるような単純 な放射線ではないということ、この点では専門家の先生方が原爆作裂後の惨状、被害の 全体について、落とされた人間の側、言い換えると原子雲の下で何か起こったのか、そ の被害の実態を基礎にして考えていただかなければ、放射線の影響についてのとらえ方 に大きな誤りを犯すことになるのではないかと危惧いたします。  私どもが体験して申し上げたいことは、原爆の衝撃波は建物を瞬時に破壊し、建造物 質は粉塵となって舞い上がりました。しかし、その破壊よりも前に、原爆の中性子線に よって建造物質は誘導放射化されていたのであります。被爆者は、誘導放射化した粉塵 を嫌というほど吸引したのです。近距離では、人間自体が誘導放射化されたでありまし ょう。  被爆者に現れた病気を見て、当時私たちは何もわからず、ピカにはガスが含まれてい ると言っておりました。更に、このような誘導放射能だけではなく、破壊し尽くされ、 燃え上がるに町に黒い雨や黒いすすといった放射性降下物が降り注いだのであります。 末分裂のウラニウムやプルトニウムも、一たんは火球に含まれて上昇しましたが、やが て微粒子として広範な地域に降下したでありましょう。先ほどの説明では非常に特定の 地域だけを考えていらっしゃるようですが、私どもの体験からしますと、放射性降下物 はかなり広範なところに降ってきたと申し上げることができます。  審査の方針では黒い雨地域、しかも黒い雨地域の残留放射能しか考慮されませんが、 これは著しい過小評価になります。それは、測定されたのが被爆後1か月以上もたって からでありまして、その前に豪雨や台風で表土が洗い流されており、わずかに残された 半減期の長い調査可能な残留放射能から推定したものであるからです。放射性降下物は 地表に堆積していて、そこから残留放射線を浴びせただけでなく、微粉末や微粒子とし て舞い上がり、被服や体の表面に付着して、体の表面から、皮膚から残留放射線を浴び せ、または鼻や口から吸引されたり摂取されたりして、身体の内部からも被爆者を放射 線にさらしたのであります。  こういうことを考えますと、初期放射線のみを基にして出された疫学調査による原因 確率という審査の方針は、私どもからすると完全に間違っているものと考えております。 ですから、私どもは残留放射線の影響、残留放射性降下物の影響を現実に沿って御判断 いただきたいと思うのであります。  しかし、残留放射線の影響を定量的に数字をもって評価できるかといいますと、それ はほとんど不可能だと言えましょう。原爆を投下したアメリカ政府も、日本の政府も系 統的な調査を実施しておりません。むしろ、アメリカは残留放射能の影響を否定し、調 査を禁止すらしたのであります。このことは、最近アメリカの公文書から明らかになり ました。 「残留放射線の影響は評価できないから認定できない」と、厚生労働省の担 当官が私に答えたことがあります。そういうことが許されるでしょうか。定量的な評価 ができないとしたら、定性的な総合的な状況による。これは、最高裁が蓋然性といった 言葉に当たるのかもしれませんが、それでもしなければ評価できないと思います。  これまでの6つの地方裁判所の判決は、裁判官が直接原告の訴えを聞き、双方が申請 した多くの科学者の証言に耳を傾け、被害の実態を示す映像などを見ることによって、 複雑な残留放射線と内部被曝の影響を認め、原告勝訴の判決を下したのであります。  そして、認定に当たっては被爆前後の健康の変化、今日までの健康変化、現在の病状、 それらを総合して判断すればよろしいということで、厚生労働省が却下した多くの申請 を原爆症と認めたのであります。  日本被団協は、より簡素化された新しい認定基準として、先ほど申しましたように放 射線医学の到達点を踏まえつつ、一般に放射線の起因が肯定される傷害・疾病を原爆症 認定疾病として政令で定めて、被爆者がその疾病に罹患し、医療を要する状態にあれば、 審査を経ることなく認定すること、先ほど申しました新しい認定基準を設けるべきだと 要求しているところであります。  最後になりましたが、どのような認定基準を作成するか、どのように認定作業を行う か、という場合の大前提として、原爆症は戦争に使用された原子爆弾がもたらした被害 であって、国の責任で救済しなければならないという立場に国が立ってほしいというこ とであります。被爆者は、原爆被害に対して国の補償を求めています。これまで、国家 補償の援護法を制定させるための運動を重ねてきました。かつて野党案が参議院で可決 されることもありました。  しかし、政府と時の自民党の反対にあって、これは実現しておりません。現行法で唯 一の被害が原爆によることを国が認めるのは原爆症認定制度なのです。ですから、たく さんの病気を抱え、重い病気にかかって苦しんでいる被爆者は、自分の病気は原爆に原 因があるということを認めてほしいという強い願いを持っております。  繰り返しになりますけれども、認定の在り方の見直しに当たって、原爆被害の実態を 是非知っていただきたいと思います。そのために、検討委員の先生方がいま一度、原爆 資料館や平和資料館などを訪ねていただくことをお願いしてやみません。  更に、自民党小委員会の提言を受けて舛添厚生労働大臣も約束されましたように、今 年末までには私たちが求め、そしてすべての政党の御賛同をいただいている見直しの内 容にゴーサインを出していただくことをお願いして、私からの陳述といたします。どう もありがとうございました。 ○金澤座長 どうも田中さんありがとうございました。大変分厚い参考資料5というも のが出ておりますが、これも含めて御質問があればお願いします。この参考資料5は分 厚いものですので、今すぐ読んでいただくのは難しいかと思いますけれども、お話にな ったことに関していかがでしょうか。  どうぞ、青山委員。 ○青山委員 先ほどの甲斐さんあるいは森内さんは、今の残留放射能とか、あるいは内 部被曝というものの実態をお話になったんだと思うんですが、集団訴訟として原告にな っている方は283人おられる。その中にはもう亡くなった方もおられるのかもしれませ んが、その方々の被爆の状態というのは今の甲斐さんや森内さんのような残留放射能に よる被害、あるいは内部被曝の方がどの程度の割合なのか。あるいは、いわゆる直爆の 方もおられるのか。その辺りのことをお願いしたいと思います。 ○田中氏 今データを持っておりませんけれども、直爆もかなりおります。近距離の方 もいます。ただ、それは原因確率というものがありまして、近距離でもこのがんは認定 できないという形で却下されている人たちであります。  それから、直爆でも、例えば私は3.2キロ、あるいは先ほどは4キロでしたけれども、 認定されない者はたくさんおります。 ○青山委員 ありがとうございました。 ○金澤座長 ほかに御質問ございませんでしょうか。 ○田中氏 専門に関わる部分につきましては、先生方に御案内がいっているのかもしれ ませんけれども、第2回目の検討委員会のときに医師の方と科学者の方とをお呼びいた だいてお話をしていただくことになっています。 ○金澤座長 ほかに御質問はございませんでしょうか。  それでは、田中さんどうもありがとうございました。  では、宮原さんから資料6に基づきましてどうぞ。 ○宮原氏 私は、原爆症認定集団訴訟の全国弁護団連絡会の事務局長をしております弁 護士の宮原でございます。  本日は、検討会のこの貴重な時間を私の陳述のために割いていただいて、まず最初に お礼を申し上げたいと思います。そして、お手元に今、御紹介のあった資料6が既に配 布されておると思いますが、本日はこの意見書のすべてを御紹介する時間はありません。 したがって、この中から幾つかポイントを絞って御紹介をさせていただきたいと思いま す。  まず第1の初めの部分ですけれども、厚労省のこれまでの申請に関する、あるいは認 定に関する態度について申し上げたいと思います。  厚労省の原爆症認定に関する審査では、今、何人かの被爆者の方が意見を申し上げま したけれども、被爆の実態に背を向ける審査が行われ続けている。非常に残念なことで ありますが、2001年5月25日に現行の審査の方針が採用され、それに基づいて審査が 行われるようになってからも、その傾向は更に強まったと言ってよいと思います。  つまり、医療分科会の審査は、原爆が原爆投下直後はもちろんのこと、その後も60 年以上の長きにわたり被爆者を殺し続けていること。そして、原爆が今なお多くの被爆 者を殺し続け、苦しめ続けていること、この事実に正面から向き合おうとしておりませ ん。こういうような態度を、医療分科会は一貫してとっておりますので非常に残念に思 っております。その実態は今、申し上げた3名の被爆者のお話から是非おくみ取りいた だきたいと思います。  2番目に、法律的な観点のお話をさせていただきたいと思います。「もはや揺るぎよう のない司法の流れ」、これは集団訴訟の現実については既にお手元に配布した意見書に詳 細に書いてありますので省略いたします。  2ページでありますけれども、(2)の「松谷最高裁判決以降の判決の流れについて」 を御説明いたします。原爆症認定集団訴訟の原点は、長崎の松谷英子さんについて最高 裁が2000年7月に出した判決であります。松谷さんは爆心地から2.45キロメートルの 地点で被爆しています。つまり、松谷さんは厚労省が現在でも放射線の影響を認めよう としない遠距離被爆者の方でした。また、松谷さんの申請疾病は右半身不全片麻痺及び 頭部外傷です。  まず申し上げなくてはならないことは、このように松谷さんの申請疾病は負傷と申し 上げた方が正確だと思いますけれども、悪性腫瘍でもありません。また、被爆地点も2.45 キロメートルの遠距離被爆者の方ですから、現行の審査の方針では決して認定されるこ とはありません。しかし、最高裁はこれを認定すべきであるとしたのであります。現行 の審査の方針は、松谷さんの申請疾病を原爆症と認めた最高裁判決があるにもかかわら ず、その後、堂々と作成され、かつ運用されているという重大な矛盾を当初から含んで おります。 この最高裁判決を踏襲して、同じ年の11月には大阪高等裁判所が白血球減 少症の京都の小西さんに対して、あるいは2005年3月には東京高裁がウイルス由来のC 型肝炎の東さんに、最高裁と同一の趣旨の判決を下しております。厚労省は両判決に対 して最高裁への上告を断念しております。  国・厚労省は松谷訴訟で3回、地裁、高裁、最高裁という意味であります。小西訴訟 で2回、東訴訟で3回、そして今度の集団訴訟で申し上げれば大阪、広島、名古屋、仙 台、東京、熊本、各地裁で破れ続けております。つまり、厚労省は合計で13回も連続し て原爆症認定の訴訟において重要な裁判所で破れ続けているということでなります。司 法の流れは、既に固まっております。揺るぎのない状態にあるというふうに私たちは確 信をしております。  3ページに移ります。見直しに当たって、先ほど事務局長の説明した疾病について若 干の裏付けを申し上げます。今回、日本被団協が公表した原爆症認定の見直しに当たっ ての要求、3の(3)の(1)から(9)の疾病が列記されていますけれども、これらの疾病あ るいは障害はすべてこれまでの各裁判所が認容した原告の申請疾病を詳細に分析した結 果、導き出されたものであります。つまり、各判決によって認容され、かつ裏付けられ ている疾病と、これまで放影研等が公表した論文を検討した結果から総合して導き出さ れたものであります。したがって、私たちは明確な裏付けを持つ疾病あるいは障害であ るということに自信を持っております。  3番目に、厚労省の主張はことごとく論破され、裁判所によって否定されている点に ついて申し述べたいと思います。これまで厚労省は、審査の方針の正当性についていろ いろ主張してまいりました。しかし、その主張はことごとく裁判所の中で論破され、裁 判所によって否定され続けています。それは今、御紹介したとおりであります。  このことは今回の見直しの原点でありますし、また今回、日本被団協が公表した要求 を裏付けることにもなりますので、各判決の幾つかを概略ポイントを絞って御紹介をし たいと思います。  まず、先ほどのペーパーにもありましたように、厚労省が「高度の蓋然性」という概 念を持ち出しております。厚生労働省は、最高裁判所が原爆症認定の要件である放射線 起因性に関して高度の蓋然性が必要である。厳格に判断されなければならないとする考 え方を示しています。また、各裁判所でも同じような主張を繰り返しています。  しかし、厚労省のこの主張は判例の解釈について明白な誤りを犯しているというふう に私は考えております。まず最高裁判決の言う「高度の蓋然性」の内容を御紹介します。 最高裁松谷判決は、先ほども御紹介がありましたように、「訴訟上の因果関係の立証は、 一点の疑念も許されない自然科学的証明ではなく」というふうに前文を置いております。 「経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果の発生を招来した関 係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり」、そしてそれに続けて「その判定は 通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、 かつ、それで足りる」というふうに判示しております。  厚労省は、上記判決の「高度の蓋然性を証明する」という部分だけを取り上げて、前 後の文脈と切り離して引用し、それが判決の真に意図するところのようにねじ曲げてお りますが、それは誤りであります。  なぜならば、松谷最高裁判決は今、申し上げたように自然科学的な厳格な証明を求め ておりません。また、最高裁は当該申請者の被爆直後の急性症状や、被爆後の体調の変 化などの間接事実の積み上げによって、専門家ではなく、経験則により通常人の判断基 準で起因性を判断すべしというふうな基準を立てているからであります。  (2)の「高度の蓋然性の松谷訴訟における具体的適用」については省略いたしまし て5ページに移ります。(3)「厚労省の主張する「科学性」の誤り」について若干申し 上げます。厚労省は、申請疾患はがん、白内障、その他の一般的な疾病であり、加齢に 伴い通常も発症し得るものであるので、放射線に起因するか否かの認定は高度の医学的 放射線学上の知識が必要である、と説明を行っています。  しかし、科学的知見に関して申し上げますと、2006年8月6月付の中国新聞は、「被 爆の影響、解明道半ば」というタイトルを掲げ、放影研の大久保理事長のインタビュー 記事を掲載しております。その中で理事長は、長い期間を経て現れる晩発生影響でわか っているのはまだ5%程度かもしれない、最終的に答えが出るのは今、約4割の人が生 存されている対象集団の追跡調査がすべて終了する時点であろう。つまり、被爆者がす べて死亡した時点であるというふうなことを言っておりまして、被爆影響の未解明性を 強調されております。  このような状況の中で、被爆者に高度な科学的な立証を要求することになれば、被爆 者に不可能を強いることになると思います。また、厚労省の考え方は、先ほど厚労省が 自ら紹介していた被爆者援護法の立法の趣旨にも合致しないと考えます。この点に関し まして東京地方裁判所も判決の中で「科学的知見にも一定の限界が存するのであるから、 科学的根拠の存在を余り厳格に求めることは、被爆者の救済を目的とする法の趣旨に沿 わない」という指摘を行っております。  「DS86の問題点」については、次回の専門家の意見陳述に譲ります。  次に6ページで「(5)放射性降下物の広範囲にわたる影響」についても、先ほど田中 事務局長等から御説明がありましたから省略いたします。  (6)の「内部被曝の影響について」、一言申し上げます。厚労省は、内部被曝の影響 は無視する程度のものであるという主張を繰り返しております。ここでは、大阪地裁の 判決を御紹介します。7ページの大阪地裁の判決の部分であります。「吸引、飲食等を通 じて体内に取り込まれた放射性核種が生体内における濃縮等を通じて身体の特定の部位 に対して継続的な被曝を起こすとする機序に関する知見は、相応の科学的根拠がある」 ということを、さまざまな文献や証言の検証を経た裁判所が判決の中で明示をしており ます。  被爆者の急性症状に関して、厚労省の考え方は、被爆者に広範に生じている急性症状 はその多くが放射線の影響ではないという主張を繰り返しております。全国の被爆者に この点で強い怒りを買っています。  しかし、松谷最高裁判決でも明確にこれは否定されておりますし、そればかりではな くその後のすべての判決でも厚労省のこの主張は明確に否定され続けられています。そ ういうことを御紹介して、この点は終了いたしたいと思います。  7ページの最後の「原因確率の合理性の否定」について述べます。これまで述べてま いりましたDS86などの論理を基礎に置く原因確率論の合理性も、各裁判所で強い疑問、 疑いが投げ掛けられております。そして、原因確率論は現行の審査の方針に理論的な基 礎を提供する考え方でありますので、この考え方への疑問の提示は、すなわち現行の審 査の方針そのものの問題点の指摘につながるということで大変重要なものであります。 この点は、数多くの判決が個々にそれぞれ指摘しておりますが、ここでは広島地裁の判 決のみを御紹介します。  広島地裁の判決では、「原因確率には、残留放射線による外部被曝及び内部被曝を十分 に検討していないといったさまざまな限界や弱点があるのであるから、原因確率は一応 の単なる判断の目安として扱い、…個々の原告の個別事情を認定し原爆放射線起因性の 有無を個別に判断していかなければならない」と判示しております。  判決のまとめとして、各判決の根拠、根幹部分が一致していることを申し上げて判決 のまとめといたします。厚労省は、これまでの6つの判決は「それぞれ考え方が異なっ ている」という批判を行っています。しかし、それは明白な誤りであります。各判決の 表現については裁判所ごとにも、裁判官にもそれぞれ個性があります。その表現につい ても個性的な表現をされることがあります。証拠の採否についてもそれぞれいろいろば らつきがあると思います。しかし、各判決が行っている根拠の根幹部分については揺る ぎがありません。見事に一致しております。それは以下の点であります。  1番目は、各判決の認める疾病の範囲はがん疾患にとどまりません。広範囲の非がん 疾患が認められております。そして、審査の方針において原因確率が設けられていない 疾病に関しても、審査の方針は策定当時の疫学や医学的な知見に基づくという限界があ るという策定当時の限界を指摘し、原因確率は判断の一要素であるというような理由で 原因確率が設けられていない広範な疾病について広く認めておるということであります。  2番目は、DS86の限界についても明確に述べています。各判決は、DS86で放射線 量が比較的正確に判定できるのは初期放射線、直爆放射線を限度とする点では一致して おります。逆に申し上げれば、DS86ではほとんど考慮されていない。残留放射線によ る内部被曝や外部被曝を考慮に入れることは、相応の科学的根拠があるとする点でも、 各判決は共通の認識を示していると思います。  3番目に、各判決は残留放射線による内部被曝、外部被曝を考慮すると、入市、遠距 離被爆者への放射線の影響があるとする点でも共通しております。  4番目に、各判決が入市・遠距離被爆者の急性症状は、放射線被曝の事実及びその程 度を判断するに当たっての重要な判断要素であるという点も同様であります。  5番目に、放射線降下物の降下範囲も、例えば広島で申し上げれば己斐、高須地域と いうところに限定されておりません。それを超えて広範囲にあることも指摘されており ます。 最後に、これらを総合して原因確率は作成当時の疫学、統計学、医学に基づく 限界、解析方法に由来する限界があること、更に残留放射線による内部被爆や外部被爆 を考慮していない限界があるので、その次は判決の原文をそのまま引用しますが、「原因 確率は、「ひとつの考慮要素以上の意味を有しない」、「放射線起因性を判断する一つの傾 向を示す、過去の一時期における、一応の参考資料」にすぎない、あるいは「誤差要因 があるのでその機械的適用を排除する」という点についても、各裁判所はほぼ同様の判 断基準を示しているところであります。  次の「司法判断を徹底して無視する厚労省と立法府の動き」については省略しますが、 1点だけ、10ページの最後の段落を御紹介いたします。  自民党政調会の厚労部会の中に設けられた「原爆被爆者対策に関する小委員会」です けれども、去る8月30日に「審査の方針の廃止」、「一定地域の被爆者で典型的な症例を 発症していれば格段の反証のない限り原爆症と認定する」、「現行の医療分科会に代えて、 被爆者代表、残留放射線等の合理的知見を有する有識者も加えた、中立的な審査機関を 創設する」などの内容を含んだ提言をまとめております。  そして、この小委員会に引き続いて、公明党も加え、与党のプロジェクトチームは今 年の12月上旬にも結論を出すべく、毎週1回のペースで作業に入っております。この 点を、是非御配慮いただきたいと思います。  次に、医療分科会の審査の実態について若干申し上げます。医療分科会は、私どもの 目から見ると非常に偏頗な分科会であります。厚労省は今回の検討事項の中に、医療分 科会の在り方についての検討を入れないというような否定的なニュアンスの発言を行っ ていますが、もしそういうことが真実であるとすれば、今回の見直しの意義は大半が失 われてしまうと考えます。  まず申し上げなければならないのは、今回問題となり焦点になっている松谷最高裁判 決を明確に違反する「審査の方針」が、この医療分科会で承認されることによって初め て成立したものであるということであります。  そして、同分科会は更にその後、6度も判決によって疑問が提起されている「審査の 方針」に対して全く疑問を呈することなく、司法の判断を無視し続けています。そして、 唯々諾々と審査を継続し、申請の却下や棄却を繰り返しているのです。この事実は、各 審査員には裁判所で示された放射線影響に関する新たな知見を真摯に受け止める、ある いは理解する態度や能力が欠如しているというふうに考えざるを得ないと思います。  「審査の実態」も11ページのところにお書きしましたけれども、医療分科会の審査の 実態は、原因確率のみを基準にして形式的審査に終始しております。医療分科会の審査 時間は、1件当たり平均すると4分程度というふうに分科会の委員が裁判所の中で証言 をしております。そして、医療分科会では被曝線量と疾病だけを根拠にした申請者を機 械的に振り分けて、委員は被爆者の苦しみや被爆当時の症状などを書いてある申請書を 無視して審査に当たっています。  このことは、審査員が自ら審査員を辞めた後、公表している事実であります。このよ うな機械的な審査は、先ほど申し上げた各裁判所が厳に戒めているところであります。 したがって、自民党小委員会が提示するように、現行の医療分科会に代えて被爆者代表、 残留放射線などの合理的知見を有する有識者も加えた中立的な審査機関を創設すること は最も必要で、是非この点についても議論をしていただきたいと思います。  最後に、まとめに入ります。現行の被爆者援護法の前文は先ほど来紹介されています ので省略しますが、その前文の趣旨を踏まえたまとめといたします。11ページから12 ページの最後の部分にあります。現行の前文には、下線の部分にありますように、「国の 責任において、原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦 争被害とは異なる特殊の被害であることにかんがみ、高齢化の進行している被爆者に対 する保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護対策を講ずる」と明記されています。  この法律ができたのは、既に13年前のことであります。ここに書かれた趣旨は、更に 深刻さを増していると考えます。そして、この援護法の趣旨に基づく認定の在り方は、 これまで述べてきました最高裁、松谷判決を頂点とし、そこに基礎を置く多くの判決の 中で示され、具体化されております。  したがいまして、原爆症認定に関する認定基準を検討する際には、是非この被爆者援 護法の趣旨や目的、そしてそれを具体化した判決の基準、内容を御検討いただき、それ に従った検討内容をまとめていただければ幸いだと思います。どうもありがとうござい ました。○金澤座長 どうも宮原さんありがとうございました。大変勉強になりました。 何か御質問はございませんでしょうか。  では、永山委員どうそ。 ○永山委員 直接関係ないかもしれないんですが、ちょっと教えていただきたいのは、 2001年から現在の審査の方針で審査されているわけですね。これは松谷訴訟の後ですね。 ということは、松谷訴訟の前はどういう判断基準で審査されていたんでしょうか。それ が松谷裁判でこのように変わった理由というものを知りたいんですけれども。 ○宮原氏 その点は厚労省に聞いていただければわかると思いますけれども、簡単に申 し上げますと松谷訴訟以前は審査基準はないと言われていました。 ○佐々木総務課長補佐 事務局から補足をさせていただきます。  松谷訴訟の前でございますが、基準を定めたのは平成13年でございまして、個別の申 請に基づいて審査会で判断をしていたということでございます。 ○金澤座長 ほかにいかがですか。  御質問もないようでございます。どうも宮原さんありがとうございました。  そろそろ時間になってまいりまして、本日はここまでということになりますけれども、 事務局から今後のことを少しお願いします。 ○北波健康対策推進官 事務局から御報告させていただきます。  次回の開催につきましては10月4日、来週の木曜日でございますが、17時から19時 を予定しております。原爆症認定につきましては、さまざまな科学的見地からの御意見 があることから、本日御意見をいただきました日本原水爆被害者団体協議会から御推薦 をいただきます専門家の先生方と、現在原爆症認定審査を行っています疾病障害認定審 査会原子爆弾被爆者医療分科会の委員からそれぞれお話を伺うこととさせていただきた いと考えております。  場所につきましては、この建物の9階にございます厚生労働省省議室で行う予定でご ざいます。また、御案内等につきましては改めて文書で御連絡をさせていただきますの でよろしくお願いをいたします。以上でございます。 ○金澤座長 どうもありがとうございました。何か今後の予定などにつきましても御質 問はございますか。よろしいですか。  それでは、本日はここまでとさせていただきまして、次回10月4日夕方にまたお会い したいと思います。どうも御協力をありがとうございました。(了)