07/05/17 「中国残留邦人への支援に関する有識者会議」第1回議事録 日  時:平成19年5月17日(木)14:00〜15:52 場  所:厚生労働省「専用第12会議室」 出席委員:貝塚座長、猪口座長代理、岸委員、堀田委員、山崎委員 (議事録) ○野島援護企画課長 それでは、定刻になりましたので、ただいまより「中国残留邦人 への支援に関する有識者会議」の第1回会合を開催させていただきます。 委員の皆様方におかれましては、御多忙にもかかわらず、御出席いただきまして、誠 にありがとうございました。 私は、社会・援護局の援護企画課長の野島でございます。座長に進行をお願いするま での間、進行役を務めさせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします。 本日は、柳澤厚生労働大臣が出席いたし、あいさつを申し上げる予定ではございまし たが、国会審議の関係で出席できなくなりました。 代わりに松野厚生労働政務官より、ごあいさつを申し上げさせていただきます。 ○松野大臣政務官 厚生労働大臣政務官の松野でございます。 今お話がありましたとおり、本来なら、柳澤大臣が出席をして、ごあいさつを申し上 げるところでございますけれども、国会審議のために、代わりまして、私から一言ごあ いさつを申し上げます。 皆様方におかれましては、大変御多忙のところ、この「中国残留邦人への支援に関す る有識者会議」の委員を快くお引き受けいただきましたことを心から感謝を申し上げ、 御礼を申し上げる次第であります。 当問題に関しましては、厚生労働省として、これまでさまざまな施策・対策を行って きたところでありますけれども、残留邦人の皆様方は御高齢でもあり、また言葉の問題 もありまして、大変御苦労があったかというふうに考えております。 先般、裁判がございまして、その判決、経緯に関しましては、既に皆様方は御承知お きのとおりでありますけれども、安倍総理より柳澤大臣に対しまして、法律問題や裁判 の結果は別として、中国残留邦人の皆様方への支援の在り方について、その置かれてい る特殊な事情を考慮をして、誠意を持って対応するようにという御指示がございました。 中国在留邦人の方々の実情や有識者の方々の御意見をしっかりとお聞きをして、検討 していただきたいとのことでございました。 今般、厚生労働省といたしましては、新たな支援策をとりまとめるに当たりましては、 これまでの議論を白紙に戻しまして、速やかに検討を進めていきたいと考えております。 委員の皆様方におかれましては、それぞれの分野で豊富な経験、知見をお持ちの方々 ばかりでありますので、幅広い見地から、また大所高所からの御意見をお願いをしたい と考えております。 なお、総理からは、余り時間をかけずに検討をするよう、指示をいただいており、ま た、国会においては大臣から、夏ごろまでには支援策をとりまとめたいとお答えをして おりますので、大変恐縮でございますけれども、委員の皆様には精力的に御審議をお願 いしたいと考えております。 中国残留邦人の方々が、安心をして地域で暮らすことができ、日本に帰国をしてよか ったと思えるような支援策のとりまとめに、是非とも御支援、御協力を心からお願い申 し上げる次第でございます。どうぞよろしくお願いをいたします。 ○野島援護企画課長 申し訳ございませんが、政務官は他の所用がございまして、ここ で退席をさせていただきたいと思います。 ○松野大臣政務官 どうぞよろしくお願いいたします。 (松野大臣政務官退室) ○野島援護企画課長 続きまして、各委員の御紹介をさせていただきます。お手元の資 料の順番に従いまして、御紹介をさせていただきます。 猪口孝委員でございます。 貝塚啓明委員でございます。 金平輝子委員でございます。本日は所用で御欠席でございます。 岸洋人委員でございます。交通の遅れで、15時ごろ御到着予定との御連絡をいただい ております。 堀田力委員でございます。 森田朗委員でございます。本日は所用で御欠席との連絡をいただいております。 山崎泰彦委員でございます。 続きまして、厚生労働省側の出席者を御紹介申し上げます。 社会・援護局長の中村でございます。 大臣官房審議官援護担当の荒井でございます。 このほか、当省の職員、オブザーバーとして関係省庁の担当職員も出席しております けれども、時間の都合上、紹介は省略させていただきます。 この会議の座長につきましては、貝塚委員にお願いすることといたしております。よ ろしくお願い申し上げます。 また、座長と御相談いたしまして、猪口委員に座長代理をお願いすることにいたしま した。よろしくお願い申し上げます。 議事が始まる前にあらかじめお断り申し上げますが、この会議は公開ということで行 わさせていただきます。会議資料も公開いたします。委員の御発言内容につきましても、 後日、私どもの方から議事録の案を送付させていただきまして、御確認をいただき、御 了承いただいた上で、省のホームページで公表をさせていただくということにさせてい ただきたく思います。御理解と御協力のほど、よろしくお願いいたします。 これより先は、貝塚座長に議事進行をよろしくお願い申し上げます。 ○貝塚座長 御紹介に与りました貝塚ですが、私はこの問題に関しましては、今までほ とんど、簡単に言えば存じ上げない感じで、私は社会保障全体の話をやっておりまして、 今回はやはり社会保障全体の中で、どう位置づけるかというのがかなり重要な問題で、 それでちゃんと制度を仕組むということが中心ではないかと思っております。 何分にも皆様方の御協力を得て、スケジュール的には大変タイトでございますが、御 自由に発言いただいて、最終的にここで意見をまとめるという性格のものではなくて、 有識者の方がどういう御意見をお持ちであるかを知るということが最も重要な役割で、 それで後の政府、その他、あるいは自民党のPTなどがいろいろ案をつくられますので、 その御参考になればということではないかと思います。何分にもよろしくお願いします。 それでは、事務局から、資料の御説明をお願いします。 ○野島援護企画課長 それでは、皆様方に御議論いただく際の参考資料ということで、 資料を用意させていただきました。その御説明をさせていただきたいと思います。 今日お配りしました資料3と、参考資料の資料4を中心に御説明をさせていただきた いと思います。 今回の検討を開始するに当たりましての経緯等につきましては、先ほどの松野政務官 からのごあいさつの中にございましたので、省略させていただきます。 一番初めに、中国残留邦人とは、ということから始めさせていただきますが、資料3 の1ページでございます。 中国残留邦人につきましては、終戦当時、昭和20年当時、旧満州地区にたくさんの日 本人の方がいらっしゃったわけでございますが、8月のソ連軍の対日参戦により、多く の犠牲者を出されて、混乱の中で肉親と死別し、孤児となり、中国人に引き取られたり、 あるいは生活の手段を得るために現地に残るなどして、やむを得なく中国に残ることと なった方々を総称して中国残留邦人と呼ばせていただいております。 中国地域からの引揚げにつきましては、昭和33年に集団引揚げが終了した後、47年 の日中国交正常化までは、赤十字社同士を通じた極めて少数の個別引揚げがあったとい う状況でございます。 日中国交正常化以後につきましては、身元調査、帰国事業が本格的に日中両国間の協 力によって進められまして、数多くの残留邦人の方々を本邦へお迎えすることができて いるという状況であります。 これまでに御帰国された中国残留邦人の方々、日中国交正常化以後、国費により永住 帰国された方は、6,343 人。同伴の御家族を含めますと、2万293 人という数でござい ます。 現時点におきます中国残留邦人の方々が、どのような年齢構成になっているか ということでございますが、平均年齢が70.52 と70歳を既に超えております。 恐縮でございますが、資料4の参考資料の3ページをお開けください。今、6,343 人 と申し上げましたが、年次別の帰国者の数でございます。47年以降でございますが、昭 和61年ごろから大幅に増えておりますが、平成8年、9年、10年と下がってきており まして、現在では、帰国されている方は、かなり減ってきておるというような状況でご ざいます。 資料4の次のページでございますが、先ほど平均年齢が70.52 歳と申し上 げました。一番多い数は65歳というところにありますが、年齢的には60歳代の方々が 年齢としては一番多い状況になっております。 5ページでございます。これは中国から御帰国された御本人の帰国時の年齢が幾つで あったかということでございます。帰国時の全体の平均年齢は51.67 歳でございますが、 年齢の分布ということを見ますと、このグラフにありますとおり、40代での御帰国、中 年になってからの御帰国が多いというようなことでございます。 御本人のほかに、どのような形で御家族を同伴されてきているかということでござい ますが、6ページでございます。一世帯当たりの平均世帯は約2.3 。つまり御本人1に 対しまして、配偶者が0.7 、子が0.4 、孫が0.2 というようなことでございます。 次に生活の状況についてでございますが、資料3では3ページ、資料4では7ページ に当たります。 中国残留邦人の方々の生活保護の受給状況を見ますと、これは平成15年という4年ほ ど前の実態調査しかございませんで恐縮でございますが、58%が生活保護を受給してお られる。下の左側の表で、紫の部分でございます。アズキ色の部分はかつて受給してい たが、現在は受給していないという方でございます。かなり高い率でございます。 資料4の9ページをお開けいただきたいんですが、帰国者御本人の就労状況。これも 平成15年の実態調査でございます。このグラフの一番下でございますが、現在、就労し ている方は合計で13.9%という数字でございます。平均年齢はこの時点でも66歳ぐら いでございましたので、就労状況は低いというようなものでございます。就労している 方も60歳代前半までがほとんどを占めているというようなことでございます。 資料4の10ページでございます。帰国者のみが就労されている方は8.8 %、配偶者 が6%、帰国者も配偶者も両方就労されている方が5.1 %です。合わせまして、13.9% の方々が就労されていて、先ほど申し上げたような数字でございます。 その就労されているこの13.1%の方の就労収入はどのぐらいかということで、資料4 の12ページを開けていただきたいのでございますが、この合計のところをごらんいただ きますと、アズキ色の部分の36.4%が10〜20万円未満というようなところ。これが一 番多い部分でございまして、全体の平均は約13万8,000 円というような状況でござい ます。 資料3では4ページ、資料4では13ページでございます。年金の受給加入状況でござ います。年金の受給状況は52.4%のものが受給中となっている。65歳以上では8割以上 の方が受給をしているというような数字でございます。 年金の種類で申し上げますと、13ページの右側にございますが、6割弱が国民年金、 3割弱が厚生年金というようなことになっております。 一方、受給している金額ということでございますが、資料4の14ページでございます。 半数以上が年額36万。つまり月額3万円未満というような状況でございます。月額5万 円以下というところまで含めますと、全体の4分の3を占めるというような状況になっ ております。 これを他の方々と比較した場合にどうなるかということで、15ページをお開けいただ きたいんですが、これは濃い青色の部分が今の残留邦人の方々の年金の金額のグラフで ございます。 一方、赤の部分は国民年金を受けている国民全体の方の平均の受給額ということで、 年額60〜80万のところがピークに来ているということでございます。 黄色の部分は、老齢厚生年金を受給されている方の金額の分類ということで、明らか にこの3つを比較いたしますと、残留邦人の方々が受けている年金の額が低いというよ うな状況が見て取れるだろうと思っております。 以上が年金の受給状況でございます。 次は、日本語の状況、言葉の問題でございます。資料4で16ページでございます。 帰国者御本人の日本語の理解度は、右側に幾つか分けた「日常のほとんどの会話に不 便を感じない」「買物、交通機関の利用に不自由しない」「片言の挨拶程度」「全くで きない」と、この4つでお聞きしたわけでございます。 全体で見ますと、約四割弱の方が日常会話にはほとんど不自由しないとおっしゃって いますが、一方では片言あるいは買い物、交通機関の利用程度という方々を合わせます と、過半数の方が日本語に何らかの不自由をお感じになっているというような状況が見 て取れるだろうと思います。 これは年齢別が上のグラフで、下が帰国後の期間別ということで、これは帰国後、期 間が経てば経つほど不便を感じる人が減っていくというようなグラフでございます。 「(5)居住の状況」でございます。資料4の17ページで見ますと、47都道府県に いらっしゃるわけですが、東京都を始めとする6都府県で約半分。6都府県と申します のは、東京、大阪、長野、埼玉、神奈川、愛知でございます。 県で見ますとこういう感じでございますが、市区町村別に見ますと、かなり地域に大 きく広がっておりまして、全国800 余の市町村に分散してお暮らしになっている。ちな みにこれをということで、下に50人以上、30人以上、10人以上という形で分類をして みますと、ここに書いてあるとおりでございます。 これを地図でプロットしてみますと、次の18ページ以降でございます。この赤が一番 多い50人以上でございますけれども、北海道は札幌市、東北地区では仙台市、郡山市と いったところです。関東では東京23区の幾つかの区、さいたま市、千葉市、川崎市、横 浜市といったところでございます。 19ページ、中部地方ですと、これは名古屋市、長野県の飯田市が50人以上というこ とになっております。 近畿で申し上げますと、京都市、大阪市、堺市、神戸市といったころが50人以上お住 まいになっている。 中国四国ですと、広島市、高知市。九州ですと、福岡市といったところに多くの方が お住まいになっておるということです。 住宅種別を申し上げますと、21ページにございますが、8割以上の方が地域の公営住 宅にお住まいになっているという状況でございます。 22ページでございます。近所との付き合いの状況ということで、ここに書いてござい ますような、親しい人がいるは24%いらっしゃり、一方では、付き合いがないという方 は18.4%いらっしゃるというようなことでございます。 帰国者の子や孫、いわゆる二世、三世の方々の状況ということでございます。 先ほど、世帯別の分類につきましては、申し上げましたので、23ページは省略いたし ます。 24ページ、同伴帰国されたお子様の平均年齢は37.9で、38歳。これは15年の実態調 査でございますので、現時点で引き直せばプラス4で、現在には約42歳ぐらいになって いらっしゃるということでございます。 これらの方々の日本語理解度、就労状況等について見ますと、26ページでございます。 日常のほとんどの会話に不便を生じない、感じないという方が50.8%で半分強、帰国者 御本人よりは高い数字ではございますが、半分程度であるというようなこと。「買い物、 交通機関の利用に不自由しない」が27%。そんな状況でございます。 27ページの就労状況でございます。「[5]子及び子の配偶者の就労状況」ということで お聞きしたところでございます。 子が就労が25%、配偶者が就労は13.8%、両方とも就労が44.8%ということで、世 帯としては83.6%ということでございます。右側の「わからない」とか「未回答」とい うものが10%弱いらっしゃいますので、これは除いて考えてみますと、約93%ぐらいの 方が就労しているという状況でございます。 どのような就労形態かということが28ページでございます。子、子の配偶者ともに、 技能工・製造・建設・労務作業者というカテゴリーがほかのカテゴリーに比べて圧倒的 に多く、77%という状況になっております。 生活支援ということで、子と親との関係で見ますと、子が帰国者御本人、親への支援 をしているかということで聞いたところ、生活の支援がある方は6割。その生活の支援 があると答えた6割のうち、生活費の援助をしているというのが6割のうちの約2割弱。 生活費の援助があると答えた方のうちで、どのぐらい援助をしていただいていますか ということが一番下でございます。この薄い青の部分でございますが、小遣い程度が48. 8%で約半分ということで、金額的には多くの援助ということではないという形に数字は 出ております。 資料3で6ページ、資料4で30ページでございます。これまでは客観的な状況につい てお聞きした結果でございますが、帰国者御本人の意識ということで、まず生活状況に ついて、どのような感じ方をしておられるかということでございます。 「余裕がある」「やや余裕がある」とお答えいただいた方は7.7 %と少ない。一方、 「苦しい」「やや苦しい」の合計が58.6%というような数字になっております。 中国から祖国へ帰国されたわけでございますが、帰国されて、それをどうお感じにな っているかということについてお聞きした帰国後の感想ですが、資料4の31ページでご ざいます。「良かった」「まあ良かった」を合わせると64.5%と全体の3分の2弱でご ざいます。一方、「後悔している」「やや後悔している」は11.5%でございます。 そういう意味で、よかったとお答えいただいている方の方が勿論多いわけでございま すが、その理由は一体どういうことでよかったとお考えになっているかというのは、次 の32ページでございます。 一番多かったのは、やはり「祖国で生活できるようになった」ということ。それから 11.6%が「生活が楽になった」、次に「日本の親族の近くで生活できるようになった」 「子供や孫の帰国希望がかなった」というような内容でございます。 一方、先ほど11.5%の方が、帰国をして後悔しているとお答えいただいたわけでござ いますが、その理由の中で一番多い理由が、老後の生活が不安であるということが55.0 %で、後悔している理由の過半数が老後の生活への不安ということでございます。 恐縮ですが、資料3の方にお戻りいただきたいんでございますが、資料3の7〜8ペ ージでございます。 これは中国残留邦人の方々から御意見を伺った結果をまとめたものでございます。こ れは総理から柳澤大臣に、新たな支援策を策定せよと御指示を受けて、その際に中国残 留邦人の御本人からの意見をよく聞くようにという明確な御指示がありました。 それを踏まえまして、今年の2月9日に大臣が直接お話をお伺いしたことを皮切りに、 東京、大阪、札幌という地域で、合わせて5回にわたりまして、中国残留邦人の方々か ら、大臣、担当の審議官、課長クラスが出向いて、お伺いをしました。それをまとめた ものでございます。幾つかのテーマごとにまとめてございます。 「1.生活支援問題」でございます。 「[1]老後を安心して暮らせるようにして欲しい」。先ほどから出ております老後の不 安という問題への対応でございます。老後の生活が不安であるけれども、生活保護では 監視されたり、墓参りも自由に行けないので嫌だと。 中国残留邦人のための新たな給付金制度を創設してほしい。 年金の受給額が少ないということで、一般の日本人と同様の年金を保障してほしい。 拉致被害者に手厚いことはいいことだけれども、自分たちにも同じように手厚い支援 をしてほしいといったような御意見。 「[2]住宅対策をして欲しい」。先ほど、8割以上の方が公営住宅にお住まいだと、ア ンケートの結果を御報告しましたが、帰国直後だけでなく、その後もその方々の状況、 家庭なり、家族の状況等に対応した公営住宅に入れるようにしてほしいというような御 意見。 地域社会で孤立をせず、安心して生活できるようにしてほしいということで、これは どの意見交換会の場でもお聞きしましたが、中国にいたときには日本人としていじめら れ、日本に帰ってきたときには中国人だと言われてつらい思いをしている。そういう中 国残留邦人の特別な精神的な苦痛、孤独感に配慮した支援策をお願いしたい。 言葉の問題で、母国である日本語でコミュニケーションができない。 子どもと親の意思疎通の問題。言葉の問題を介した意思疎通の問題が難しいのではな いか。 生活支援の一環ではありますが、特に大きい問題で「2.生活保護の問題」というこ とです。生活保護は非常に制約が大きいということで、生活を監視され、就労を迫られ る。中国へ墓参りに行くと生活保護費を止められる。病院も指定され、行きたい病院に も行けない。 これは生活保護事業そのものということでございませんが、その生活保護 を受けている者に対する社会の偏見差別があるということで、保護を受けていると悪口 を言われたりする。あるいは生活保護は税金で食べているのではないかといったような 批判を受ける。生活保護に対する大きな御意見がございました。 8ページでございます。日本語の修得の問題ということです。これは日本語ができな くて就職に大変苦労をしたということで、日本語教育を充実させてほしい。 センターでの日本語教育では足りない。このセンターと申し上げますのは、中国帰国 者の方が日本にまずお帰りになったときに、現在では半年間泊り込みで、日本語とか日 本の生活習慣を身に付けていただくというセンターが、現時点では埼玉の所沢と大阪に ございます。そういうセンターでございますが、そこでの日本語教育では十分ではない と。学習期間をもっと長くしてほしかったと。日本語学習の場をもっと増やして、そこ に行くための交通費も支給してほしい。 帰国時期によりましては、今、申し上げたようなセンターとか、そういう支援策がな かったということで、非常に苦労をされたという方のお声もございました。 日本語ができないために、医療機関での意思疎通の問題がある。日本語ができなかっ たため、日本社会の仕組みとか、生活の仕方とか、人間関係とか、そういうことがわか らずに大変苦労をした。寂しい思いをしたというような御意見もお聞きしました。 二世・三世、子や孫の問題ですが、就労問題について、やはりこれは日本語の問題を 一つの大きな理由として、なかなか意欲はあっても適切な場への就労はかなわないとい うことで、やはり就労を十分にならしめるために日本語学習の場を増やしてほしい。職 業訓練を受けるような場や仕組みをつくってほしいという御意見がございました。 生活保護を受けていないけれども、自分の生活で精一杯で、親の面倒までなかなか見 られない。それは面倒を見たくないわけではないけれども、余裕がないんだという御意 見もお聞きしました。 「5.その他」ということで、帰国者のための墓地をつくってほしい。意見を聞く会 をつくってほしい。残留婦人を無視せず、孤児と同等の支援をしてほしい。 残留婦人、孤児というのは、今、便宜的な行政上の区別でございますが、孤児につき ましては、自分の身元がわからないということで、孤児認定の手続が必要。残留婦人に つきましては、御自分の身元がわかっているということで、かつてはいろんな施策に違 いがございましたが、現在においては、その支援策は基本的に同じでございますので、 そこは付言させていただきます。 最後でございます。現行の施策ということでございます。 「(1)中国帰国者に対する支援の概要」というところでございます。 まず帰国されまして、勿論、帰国するまでに孤児の方であるということの認定作業等 々がございますが、それが済んだ後、帰国者に対しましては、中国帰国者定着促進セン ター、先ほど申し上げましたが、所沢と大阪に2か所ございます。 ここで帰国後6か月入所して、集団指導で日本語教育、あるいは日本の生活習慣等に ついてのアドバイスを行う。就職相談等も行うということです。6か月経ちますと、そ れぞれの方々がお決めになった定着地、各都道府県の地域にお帰りになって、そこで中 国帰国者自立研修センターがある地域においては、定着後、通所施設でさまざまな日本 語指導、生活指導等をお受けいただく。そのセンターの御利用ができない方については、 下にある自立指導員の派遣による補習教育等々を行う。 今ではもう定着されて長く時間が経っている方の方が圧倒的に多いわけでございます が、そういう方々に対しましては、中国帰国者支援・交流センターで、現在は5か所、 今年度で7か所になるわけでございますが、そこにおいて継続的な支援を行うというよ うなことで、支援体系を行っております。 その他の施策では、次の10ページでございます。 先ほど来、いろいろ出てはございましたが「(2)生活保護による支援」ということ で、年金等の社会保障給付を活用しても、なお生活に困窮する場合のセーフティーネッ トとしての生活保護制度の適用によるということでございます。 先ほど御意見で幾つか、生活保護制度は非常に窮屈であるという形で、例示をされて いた内容のうち、新たに19年度からは、その中国残留邦人の地域生活支援プログラムと いうものを実施し、例えば従来、中国へ渡航されている間は生活扶助費を停止するとい う措置を取っていたんですが、それをしない。継続支給をする等々のきめ細かな対策を できる限り取ろうという形で、施策の改善を図っているところでございます。 最後でございます。「(3)国民年金の特別措置」ということで、中国残留邦人の方 々につきましては、当然、御自分の御意思に反して中国に長くとどまらざるを得なかっ たという状況にあるわけでございますが、それにもかかわらず、帰国時には高齢。先ほ どごらんいただきましたように、一番多い方は40歳代、帰国時の平均年齢は51歳とい うことでございますので、日本に戻ってきてからの年金加入期間は当然短い。 そういうことによりまして、受給額が低額、あるいは受給資格を満たさないというよ うな事態が生じていたということでございまして、これは平成6年の法律改正によりま して、平成8年から、年金制度が創設された昭和36年4月から帰国するまでの間につき ましては、保険料の免除期間ということにいたしまして、国庫負担の相当分、満額の3 分の1の分でございますが、これを受給できる。 更に、御本人がその期間の保険料を追納するということで、年金額を増やすというよ うな形を新たに取るという措置を講じている。これが現行施策の主な施策でございます。 以上、少し長くなって恐縮でございますが、御議論をしていただく際の素材として、 中国帰国者に関する基礎的な数字等々について、御説明させていただきました。よろし くお願いいたします。 ○貝塚座長 どうも説明をありがとうございました。 ただいまの説明は、残留邦人の状況について、かなり広い視点から現状がどうなって、 過去の経緯がそれぞれどういうことをやったかということを含めて、御説明いただいた と思います。大変参考になる御報告であったと思います。 今日は実を言うと、私も含めて残留邦人の現状がどういうことになっているかという こと自身について、必ずしも十分承知しているわけではありませんので、今日、御報告 をいただいた内容について委員の方々が、もう少しこの点を説明してほしい。あるいは この説明では、多少納得が行かないとか、その他、いろいろ御質問あるいは御意見があ ると思いますので、今日のところは、この御報告について、我々委員がいろいろ質問し たり、勿論意見を述べていただいてもよろしいんですが、そういう場にさせていただき たいと思いますので、どうぞ、御自由に委員の方から御質問あるいは御意見を述べてい ただければ、非常にメンバーは小人数ですので、かなり率直にいろんな点を御発言いた だくのがよろしいんではないかと思います。 では、どなたからでも、どうぞ御発言をいただければと思います。 もし、分けて議論するとすれば、やはり全体の状況がどうなっていて、現在の生活あ るいは過去を含めて今までどういう状況になってきたか。それで、現在はどういうこと であるかという話と、それから、今、2〜3か月ぐらいの間に、新しく問題が提起され て、後半の部分はある程度、現在の残留邦人の方々がどう考えられておられるかという 話です。 最後は、政策の問題で、これは後で主として御議論いただくことになります が、そこの部分についても、大体3つぐらいに分かれているように思いますので、どう ぞ、御質問あるいは御発言をいただければと思います。 ○猪口座長代理 私もあまり考えたことはなかったんですけれども、総理の指示がそう いうふうに誠意を持って、ある程度の結果を出すというような指示であるということを、 まず考えます。社会福祉体系の整合性というような問題も、物すごく深く入ってくるの で、そこが難しいなと思うのですが、それとはちょっと別にすれば、やはり2つ大きな 考えが必要だと思います。 そういう非常に悲劇に遭遇された方に対する同情といっては何ですが、シンパシーみ たいなものをどういうふうに表現するかということが、まず、重要になると思います。 2番目には、やはり総理の指示もありますので、厚生労働省の一般体系の整合性もある 中で、ある程度納得した、ある程度満足したというのが、結果的に表われるような解決 策をする必要があります。具体的には、帰国してよかったかという数字が出ていました けれども、それは資料4の31ページ、青紫と赤紫を足した64.5%というよりも10%か 15%ぐらいアップするぐらいに結果を出さないと、いろんな問題があると思うんです。 いろんな問題にぶつかるところがあるんだけれども、やはり10%、15%アップする。そ れは心の問題ですし、ある程度、これから30年、50年の間にどういうふうな思いを持 って生きられるかという問題だから、結果を出さなければだめです。それはしばらく経 たないとわからないと言えば、終わりなんですけれども、私はそういう総理のしっかり と誠意を持ってやるという指示を重くとらえるというのと、日本社会の政策体系の中で の整合性、余り難しくやっても、また、支持が得られないというか、各方面からの支持 が得られないというか、各方面からの支持が得られにくいところがあると思うので、そ こら辺をうまくミックスして、それで結果を出してほしいと、私が、今、考えている一 番大きなところでございます。 どうもありがとうございました。 ○貝塚座長 何かほかにございますか。どうぞ、御自由にお願いします。 山崎委員、どうぞ。 ○山崎委員 残留邦人との意見交換会の概要が出ておりますが、私、これを見させてい ただいて一番感じたのは、やはり日本語ができないというのが非常にいろんな面で、お 互いに誤解を生んでいるようなものもあるでしょうし、御本人が日本社会に溶け込んで、 特に職を得るということについても、非常にハンデになっていて、すぐにはどうにもな らないんでしょうが、できるだけ早く、急いで、今からでも特別な施策を講じていただ きたいという感じがいたします。やはり、言葉が通じないというのは、本当に孤独な状 況だと思っております。それが1点です。 あと、細かいことになりますが、資料4の参考資料の方でいきますと、例えば6ペー ジでありますけれども、同居家族の状況ということで、我々は中国残留邦人の支援に関 する検討ということになっておりますが、残留邦人について、家族が平均1.3 人いるわ けですね。この人たちの国籍がどうなっているのか、これは年金で微妙に関係してきま す。昭和36年以降の中国にいらっしゃった期間は保険料免除の扱いになる。過去にさか のぼって、少なくとも国庫負担分の年金を支給され、更に追納も可能だと言っているん ですが、家族の方は、恐らく多くが中国人であろうと思いますから、そういう道も、こ の方たちには開かれていない。日本に帰ってからでは25年に達しない。 したがって、昭和57年以降は、国籍に関わりなく、これは難民条約の批准に伴うもの ですが、日本の社会保障の適用を受けることになったんですが、適用を受けたとしても、 実際には受給権に結び付かないということもありまして、年金という枠で考えますと、 特に国民年金が個人単位になっておりますけれども、したがって、家族の方で、特にお 子さんは、比較的若かったにしても、配偶者の方には、年金の権利にも結び付かないの ではないかという気がしておりまして、今の点を確認したいというのが、6ページに関 してでございます。 もう一つは、8ページでございますけれども、下の参考2のところで、生活保護受給 中の中国帰国者の受給状況ですが、一番左の全世帯に占める割合が、1人世帯、2人世 帯が圧倒的に多いわけであります。家族はいらっしゃるんだけれども、生活保護になる と圧倒的に単身、2人世帯ということは、これは世帯分離をされていることなのかどう か。そのことの持つ意味ということを教えていただきたいと思います。 つまり、生活保護は基本的に世帯を単位とすることになっていて、実際には家族がい るんだけれども、生活保護を受給するという点から見ると、単身、夫婦世帯中心になっ ているということでございます。 以上で、とりあえず、また後で質問させていただきます。 ○貝塚座長 それでは、今の質問に簡単に答えていただきます。 ○野島援護企画課長 この実態調査上、実際、国籍関係はどうなっているかということ まで調べておりませんが、同伴されて帰ってこられた方の国籍は当然日本ということで はございませんので、確かにおっしゃるとおり、日本人の妻と中国人の夫というような 形態は多いかと思います。 あと、生活保護の部分、これは多分そういう世帯分離ということの結果ではないかと いうふうな想像をしております。 ○山崎委員 その考え方はどういうことなんでしょうか。つまり、積極的に世帯分離を 進めておられるということでしょうか。 ○事務局 生活保護の話でございますけれども、実際にデータとしてはとらえているも のがないので、一般的にどういうことになるかですけれども、今、この世帯類型に照ら し合わせて考えてみますと、お子さん、二世、三世と一緒に帰ってくるということであ るにもかかわらず、同居していないということだとすると、それはなぜか。 二世、三世の方は、このデータの中にも少しございますけれども、実際就労しておら れる方が多い。就労収入もある程度あるとなりますと、一世の方と一緒に住んでいると いうことは、生計が1つということになりますから、生活保護として見た場合には、全 体のその世帯の中で二世、三世の方が働いておられるがゆえに収入がある、あるいはあ り得るという見方になると思います。現実にその収入が、その世帯全体の生活を賄い得 るものであれば、生活保護の適用がそれゆえにないということになりますけれども、逆 にその世帯が別になれば、生計として別になれば、二世、三世の方は働いておられるか ら生活保護の適用にはならないとして、一世の御夫婦は生活保護の適用になる。そのと ころを考えて世帯として別に住むというようなことが起こっているかもしれないという ことかと思います。 あるいは、二世、三世の方が働き得るということになりますと、生活保護の適用の中 でそもそも働き得るのであれば、あるいは仕事があるのであれば、保護の適用ができか ねるという場面も出てくるのかもしれません。 ○山崎委員 つまり、実態としては生活はともにしているけれども、生活保護の認定の レベルでは分けて、帰国者本人あるいは夫婦だけを単位に生活保護が受けられるように 進めているということでしょうか。言葉を替えて言えば、家族の自立を促進するという 観点になるのかどうか。 ○事務局 現実に同居をしているにもかかわらず、生活保護上、世帯をあえて別のもの として扱うという分離という概念はあり得ますけれども、先ほど私が申し上げたのは、 あるいはここで出てきたような話というのは、むしろそれよりは世帯として物理的に別 のところに住んでいるということなのかなという気がいたします。 ○貝塚座長 1点だけ、世帯分離で住んでいるといった場合に、いろんなケースがあっ て、まさに帰国された家族の方と完全に離れて、要するに別のところで分離されている ケースというのは完全な分離ですね。 ○事務局 それは、物理的にも別です。 ○貝塚座長 ところが、そうではなくて、割合と近くに住んでおられて、一応、生計は 違う家に住んでいる。かなりいろんなケースがあり得るんではないかという気はします。 ですから、実態は、かなりバラエティーがあるようには思うんです。これは質問という よりは感想です。 堀田委員、どうぞ。 ○堀田委員 基本的に大変難しい問題なので、自信はないんですけれども、最初ですの で、大きな点を3つほど意見を申し上げたいと思います。 1つは、この問題のとらえ方ですけれども、社会保障の問題としてとらえるのか、非 常に広い意味で、あるいはそれを超えた要素もあるのか、基本の考え方ですけれども、 私は社会保障の問題という考え方だけでは、しっかり解決できないのではなかろうかと 思います。 政務官が読まれた大臣のごあいさつの中にも、今までの過去のいきさつを白紙に戻し てという発言がありました。白紙に戻して、しかも総理が言われた尊厳を確保するため の仕組みという点から考えますと、社会保障的に生活等を保障するという面にプラスし て、やはり国家の賠償としての要素が入ってくるだろう。 それは、法的な責任かどうか、これを勿論否定する考えの方が強いんだろうと思いま すけれども、神戸地裁のような考え方も勿論成り立つわけで、しかし、ここで考えるの は政治的責任、これがあることは間違いがありませんので、やはりこういう事象なかり せば、どういう生活をしておられたのか、一人ひとりによって違うと思いますけれども、 そういった発想が1つ要るんだろうと思います。 もう一つの基本的な要素として、これは政策的な配慮ですけれども、これから日本の 大変な少子化状況を考えますと、またその他もろもろの状況を考えますと、国を開いて 移民を受け入れていかざるを得ない。 移民問題の最大の問題は入った方々がきちんとやられて治安問題を起こさないのか、 そのマイナスを除去して、いかに日本の生活の適用をするか、そこに移民問題の基本が あると思うんですけれども、私は、勿論中国残留邦人の問題は移民問題では全くありま せん、日本人なんですけれども、彼らをしっかり日本で受け入れて、しっかり定着して もらうということが日本社会が将来的に移民に国を開いていっても、しっかりとした国 づくりができる、社会が乱れないという保障ができるという一種のテスト的な要素があ るので、そういう意味でも、これは政策面での配慮を、彼らが日本でしっかりと安心で きる生活を築き、それが社会のプラスになるような、テストケースという意味もあるの ではなかろうかというふうに思います。 ですから、社会保障プラス賠償的な要素、それから政策テストのような要素をいろい ろ考え合わせながら基本問題を考えていかなければいけないのかなと感じております。 それが第1点です。 第2点で解決策は、やはり現状からすれば、お金が大半の問題であろうとは思います。 生活保護については、彼らが述べるような、いろんなプライドを傷つける問題、現実に 暮らせないという問題は、いろいろ承知しております。 北朝鮮の拉致問題で、拉致被害者に対する給付金という新しい制度ができております けれども、北朝鮮の拉致も非常に酷い行為ではありますけれども、日本国の責任という 点から言えば、むしろ中国残留邦人の方が政治的責任の度合いが高いだろうと、そうい う点を考えながら給付すべきお金の性質、構成額などを考えていくということが必要か なと思います。これが第2点です。 第3点は、そうは言いましてもプライドとか安心とかいう精神的要素が非常に大きい と思います。 この点は、政府が政策としてセンターをつくったり、上のやり方からやってもなかな かそこはうまくいかない。特に残留邦人だけについてどうこうしようという政策はうま くいかないので、これは残留邦人に限りません、日本社会全体が自分たちの平素と違う 人たちをどう受け入れて、人として安心して暮らせるような社会にしていくか。これは 政策を超えた日本人全体の問題ということになります。 しかし、そういうことが是非必要なので、これは社会にいろいろ働きかけながら、い ろんな仕組みをつくっていくことが必要かなと思います。例でありますけれども、例え ば在日韓国人の方々、不法入国された方々、戦争で徴用された方々は、大きな問題を抱 えておられますけれども、こういった方々のNPO、彼らが集い、自分たちで社会に働 きかけ、職を開き、あるいは自分たちで助け合っていくというNPOができて、建物も できて、そこに集って、非常に精神的に大きなよりどころになっておる、これは官製の センターとは全然違うわけでありまして、そういったような居場所づくり、これはお金 がかかりません。その辺の古い民家を借りてやっていけばいい、しかもその中で気持ち のある在留邦人が主体となってやっていけばできるので、そういう仕組みが一つの精神 のよりどころとして有効ではなかろうか。 しかし、残留邦人だけが集うんではなくて、もっと日本人で集っているところ、最近、 介護保険ができてから、ボランティアの活動の対応は随分変わりまして、ケアをすると いうところから、もっと居場所で交流するという居場所の方向へ移ってきている。です から、ちょっとした民家や消防署の開いたところとか、いろいろNPOが行政から借り たりして、そこで何もお年寄りだけではない、障害者の方も来られる、介護で苦労して いる人も来る、子どもたちも来る、いろんな人たちが集って、そこでいろんな問題を出 して、その中で助け合いで解決していく。そういう居場所の仕組みが広がってきており ます。 そういうところへ、それこそ残留邦人に入っていただければ、彼らはお互いに助け合 おうという、それこそ対等の立場でやっていこうという精神に満ちた人たちばかりです から、大いに癒されるであろうと、私は思いますし、そこでいろんな助け合い、場合に よって職業が見つかったり、自分のつくった品物が売れたり、いろんなところが発展し ております。そういう仕組みの中へ在留邦人も組み入れていくという方向へ進むといい なと思います。 現に、そういうところには、フィリピンとか中国から来た農家のお嫁 さんたちが、彼女たちも非常に孤立して、寂しい思いをしている。そういうところに入 って日本のしきたりを学び、友達をつくり、そういう形で癒されておりますので、そう いう居場所への加入。 それから、勿論、職の援助は大変必要ですけれども、これも本 人の持っている能力を生かして職をつくる、これは障害者の就労支援が大いに参考にな ると思いますので、もっと日本のでき上がっている社会の中に入ってこいというのでは なく、彼らの持っている能力をいかに出すのか、いかにそういう場をつくるかという作 業所から次の就労のような、そういう発想をここでも取り入れることが就労の面でいい と思います。 それから、語学の習得も教えてあげるという発想ではなしに、例えばこの4月から文 部科学省の推進で、地方自治体が小学校の放課後を全部地域に開放して、何でも使って くださいと進む仕組みとしてはなっております。なかなか地方自治体は動かないんです けれども、やがてもう少ししたら動き出すと思います。 こういうところへ中国の残留邦人なんかは行ってもらって、残留邦人が子どもたちに 中国語を教える。子どもたちが見返りに彼らに日本語を教える。そういう対等の立場で、 子どもたちと交流しながら言葉を習得していく。例えば、そういったような仕組みを考 えるとか。もっともっと残留法人に絞った対策、広く社会に開くという方向でものを考 えていただければと思います。 以上です。 ○貝塚座長 私はそれほど強くは思ってないんですが、今の堀田委員のお話は、日本社 会がいろいろ変わっていく、移民その他で、非常に多様な人が少しずつ入り始めたとき に、厚生労働省が所管している社会保険なるものは、エントリーがものすごく厄介なん です。要するに、25年間は払ってなければいかんとか。その他、エントリーの条件のな いところは、随分条件はきついんですが生活保護というのはありますが、これも必ずし も全体をカバーしているとは言えないので、堀田委員の言われた点は、私なりに解釈す ると、やはり日本の社会保障制度は社会保険を中心にしてでき上がって、それから外れ ている人は生活保護だけれども、社会が非常に流動化したときに、割合と社会保険とい うのは結構条件がきついわけです。 そうなると、それから結果的にどうしても弾き出されてしまったか、あるいは制度的 に最初からそういうものが多いとは考えてなかったということがあり得るわけです。 だから、これは社会保障を取り巻く環境全体の問題として、私はどちらかというと残 留法人の問題は、非常に問題としてはっきりしているわけです。だけれども、その他も いろんなタイプの方がおられて、いろんな状況の下で、普通の社会保険の給付を受けら れない。高齢者になれば介護保険があるんですが、介護保険も結構資格要件はそれなり に厳しいですね。そうすると、最後は生活保護ですが、生活保護のやり方というのは、 かなり制度的には最初から制約があって、その辺の今の仕組みと、新しく発生した問題、 あるいはそういう不幸な方々にはうまくフィットしてないんです。それをフィットさせ るかどうかというのは、ある意味では大問題だけれども、しかし、そこはこの問題をき っかけにして、社会的にも経済的にも阻害された人々が増えてきつつあるんではないか。 多分、先進諸国はそういう問題は相当前からあって、随分厳しいやり方で、ちょっと 脱線しますが、私の過去の経験で、私がイギリスに留学して滞在しておりまして1年経 ったときに、私は10か月から12か月に2か月だけビザを延長して、クロイドンにある 移民局に行ったんです。そのときに、本当に深刻なのはどういうことかというと、やは りアフリカから来た人が1年間イギリスに来て働いて、それは非常に収入は高いわけで す。だけれども、ビザの期限はあと10日間ですと。その人たちがビザを再申請しようと して集まってくるわけです。だけれども、イギリスの移民局は極めて、横からながめて いる限りは非常に厳しいですね。その状況を見ると、私なんかのんびりやってきて、エ ンジョイしている、経済的な条件は非常に重要ですから、やはりその種の問題が日本に ついても、これは勿論、厚生労働省直接の所管ではないんでしょうけれども、ビザの問 題とか、いろんな方針とか、そういうことも連動して、その辺の要素も相当重要で、た だそこを緩めればいいというだけの話では、これは当然マイナス面も強いわけで、その 辺のさじ加減はすごく難しい。 猪口さん、どうぞ。 ○猪口座長代理 今のビザの関係について、厚生労働省の方が初めてお見えになったと きにお話したんですけれども、ドイツ連邦共和国では、何かの時点で、ソ連系ドイツ人 と自称する人は全面的に受け入れるということをやって、かなり頑張っているはずです。 どうしてかというと、エカテリーナの二世のころから、ロシアへのドイツ人の移民だ と思いますが、あるいはドイツのいろんな国の人たちが一緒になって、東へ東へと開拓 民として行ったわけですが、そのぐらいの、5、6世代以上経って、ドイツ人という証 拠がほとんどない者でも、自分が自称すればいいということですから、多分何十万人の 人を受け入れていると思うんです。 ただ、北朝鮮に拉致された法人と、ソ連に行ったドイツ系の人は、もう余りにも規模 で違うから、中国からの帰国邦人というのも、ちょうど真ん中なので何か考えにくいん ですけれども、ちょっとドイツの例を、法律に過ぎる国ですから、是非とも研究された ら何かあると思いますし、それに関しては完全に特別立法だと思います。現行法は使え ないと思います。 それは規模が違いますし、歴史的な条件が違うから何とも考えにくいんですけれども、 それは考えるに値すると思うんです。それは、いつも思うんですけれども、マハトマ・ ガンジーはいつも言っているんです。自伝を読むと、私は首尾一貫性とか整合性を偶像 崇拝はしないと言っています。かなり政治的なグッド・ジャッジメントは、むしろイン ド人の民族独立とか、インド人の尊厳とか、そういう高い目的のために、どれがそのと きそのときでいいかということを考えるべきで、ずっと同じコンシスタンシーを求める のは、間違ったフェティシズムであるというのがあります。とにかくみんなこのソ連系 ドイツ人と、中国系日本人と、北朝鮮の拉致の日本人は、余りにも違い過ぎて考えにく いんですが、サイズは別にして、状況は別にしても、物すごいスケールで政治的責任が あることは、認めなくてはいけない。とにかくベストを尽くす。総理のおっしゃるとお りで、やはりかなり頑張って結果を出すというのがいいと思います。 ○貝塚座長 内容は、このペーパーを40分間ぐらいでほぼ説明していただきまして、今 ここに書いてある、相当脱線してしまったところもあるんですけれども、どんどん脱線 していただいて差し支えないんですけれども、要するに、広い範囲で物事を考えるとい うのは非常に重要な点ですから、今お話の点は、移民の話が潜在的には日本の今の社会 も、戦前・戦中はそれほどリジットではなかったと思います。ですから、有名な話です が、魯迅とか、やや偏っているんですけれども、割と日本社会で高等学校を出て、それ で中国へ帰られて、そういうタイプの人はかなりおられて、戦後はそういうケースは、 これは日本の大学がけしからぬ、閉鎖的だと言えばそういう問題もありますが、基本的 に最後は日本である程度受け入れて、そしてわかりやすく言えばそのときにいい経験を して、大変よかったんだと、事実東南アジアから戻られた方は、相当そういう方がおら れて、今の主要な層になっておられます。その種のおおらかなところで、日本社会で過 ごしてもらって、結構いい経験になりましたというベースがあって、移民が実質的な意 味を持つという気がしまして、そこら辺りは勉強が必要というのは、反省点としてある ということかもしれません。ちょっと脱線いたしましたが、何かございますか。 ○野島援護企画課長 先ほど猪口先生から御指摘がありました、ドイツの関係で、私ど ももにわか勉強をしている途中でございまして、なかなか知恵がないんですが、確かに おっしゃるとおり、ドイツ移民政策は、古くは13世紀ぐらいからそういう動きがあって、 先ほどおっしゃったエカテリーナ女帝、18世紀ぐらいですか、そのころにかなり積極的 な受け入れ施策をロシアが取ったということで、かなりの旧ドイツ系の方々がロシア、 あるいは東ヨーロッパ辺りにいらっしゃったということで、やはりスターリンの時代と か、その後の話がありまして、ドイツに戻ってきたということで、かなりの方が御希望 されている。 称するだけでいいかどうか、私どもも確認できないんですが、一応ドイツの血を引い ていると、これも称するになるのかもしれませんが、あとドイツの文化を守るとか、ド イツ語をちゃんとしゃべるとか、ただ、実はドイツ語をちゃんとしゃべるといっても、 おじいさんのおじいさんの前ぐらいにロシアに行ってしまった人間は、そんなにしゃべ れるわけないので、どうも調べている限りでは、ドイツに戻ってきたときに、受け入れ られたときに、半年なり何なりのドイツ語教育を施すとか、そういう施策を取っている。 ただ、1980年代にかなり希望者が増えてきてしまったので、当初よりは厳しい感じに なっているやにも、ただこれは中途半端な調べ方なので、また少し調べて御報告できれ ばと思います。 ○貝塚座長 岸委員が見えましたので、今日、議論する内容はある程度承知されている と思うので、御自由にまず御感想をお願いします。 ○岸委員 済みません。今日、列車が新潟県内強風のため運休になってしまいまして、 上越線経由から東海道新幹線経由に変わって、1時間以上遅れてしまって済みません。 私がメンバーになったのは、昭和60年から62年にかけて、中国残留孤児問題を取材 しておりまして、中国東北地方にも行ってまいりました。ちょうど昭和60年から62年 というのは、大量訪日調査が大詰めを迎えて、ほぼ終了する頃でした。併せて、いわゆ る身元未確認の方でも国費で帰国できる。よって、大量帰国がこれから始まるという時 期に私は取材をいたしました。そこで、今回のテーマと合致する点を幾つか指摘したい んですが、大量帰国を前に、これは大きな問題が生ずるなと思っておった1つは、日本 語習得の問題でした。 これは極端な例ですが、河北省から来たある農民の男性、当時四十半ばであったと思 いますが、この方は、あなたはどういう生活をしていますかと聞きましたところ、電気 はまだ来ていません、ロウソクで暮らしています、夜明けとともに起き出して、野良作 業をし、日没とともにうちへ帰ります。電気がありませんので、テレビも見たことがあ りません。唯一の楽しみは、電池で聞こえるトランジスタラジオを最近手に入れたので、 ラジオを聞くのが唯一の楽しみですという話でした。 あなたは、本は読みませんかと聞くと、私は学校に行っていませんので、読み書きが できませんというお返事でした。 あなたは、日本に帰る気がありますかと聞きましたところ、東京のオリンピックセン ターを拠点にした調査でありましたが、私はこんな都市ではとても生活はできませんの で、帰えるつもりはありませんというお答えでしたが、その後どうされたかわかりませ ん。 そこで私は、一体この孤児の皆さんが、まともに教育を受けたかどうか知りたいとい うことで、当時大体2か月で200 人、2週間で50人ずつで大体2か月間ぐらいで身元 確認調査をやっておりましたが、ある班で聞き取り調査をしましたところ、半数近くの 人が読み書きができないということがわかりました。 これは、皆さん想像していただくとわかると思うんですが、読み書きができないとい うのは、学習ができない。学習に対して大変御苦労がある。実質的に無理であるという ふうに考えました。 とりわけ、語学を習得するに当たって、媒体手段である文字が書けない、読めないと いうことについては、当時四十半ばの方が中心でしたが、この方たちが帰ってきても、 恐らく日本語習得は無理であろうと思いました。この日本語の壁が、この人たちの帰国 後の生活を大きく阻害するであろうということは、容易に想定できました。 もう一点が、既にかなりの方たちが帰国してらっしゃいましたので、帰国された方た ちの暮らしぶりも取材いたしました。 そこで浮上してきたのが、生活習慣の違いと文化の違いであります。多くの孤児の皆 さんは、公営住宅をあっせんされて、公営住宅で暮らしていらっしゃいましたけれども、 あちこちでトラブルが起きておりました。 例えば油を非常によく使う生活なので、大変汚い、油で台所が汚れるとか、あるいは 使った油をそのまま捨ててしまうという生活、あるいはごみの出し方をめぐるトラブル ということもありました。 逆に孤児の側からすると、どうぞ今度寄ってらっしゃいよという言葉をかけていただ いたので尋ねて行くと、何で来たのかと言われる。要するに、日本人の本音と建前のギ ャップの中で苦労している。 あるいは、実家からお漬物が届いたから、ちょっとお昼御飯を食べにいらっしゃいと、 温かい言葉をかけていただいたので食べに行ったところが、御新香とみそ汁だけの食事 であったと。私を中国人だと思ってばかにしているのかという印象を受けたという文化 ギャップ、そういう幾つかの問題がありました。 中には、生ニンニクをかじるということで、差別されている子どもたちも結構いまし た。 そういう生活習慣の違い、文化の違いが、この人たちの前に大きく立ちはだかるであ ろうということも、容易に想像できました。 恐らく今回の議論は、いわゆる経済的な支援の枠組み議論が中心になるとは思います けれども、そのバックグランドとして、日本語習得の問題、もう既に残留孤児と言われ る方々の中心は60代を過ぎております。この方たちに、今から日本語を覚えてもらうと いうのは、極めて難しく困難な問題であろうと思っておりますが、少なくともコミュニ ケーションを取れる何らかの補助的な手段を何とかして確立しなければ、恐らくあの人 たちが満足のいくような日本社会での暮らしは難しかろうと思います。 もう一つは、文化論につきましては、なかなか越え難いものがあって、容易には解消 できない問題でありますけれども、少なくとも閉じこもってしまうことのないように。 このデータを見せていただきましたけれども、日本人社会の中にほとんど溶け込めない という方たちに対して、今、交流センターとか、そういうものが一応設置されているよ うではありますけれども、恐らくそういうことに対する不満を抱いている方たちには、 施設そのものの説明も十分に行き届いていないのではないか。あるいは活用する手だて が講じられていないのではないかという懸念を覚えます。 やはり言葉と文化、一番根源的なところで、この人たちに何らかの救済手段を講じな い限りは、この問題の根っこは解消しないのではないかと考えております。 以上でございます。 ○貝塚座長 どうぞ。 ○猪口座長代理 言語習得の件ですけれども、私は中国から帰還された方を一人だけ知 っています。それはもう半世紀近く前の話なんですが、その方は若くして帰ってきたん です。それで物すごい勉強家で、日本の大学に受験勉強をやって入って、そこを卒業し たんです。したがって、これは物すごい成功例でありまして、言語の壁、文化の壁とい うのは、余り私も気が付かないぐらいに、日本社会で成功している方なんです。私の2 つの具体的な提言としては、言語習得は年齢によらないと思うんです。年寄りになると できないという人もいますけれども、そうでもないのでありまして、成人大学とかいろ いろ言うんだけれども、ちゃんとやったらそれもみんな学士号をやるべきなんです。あ るいは1年か2年の修士号大学院ぐらいにしてやるべきだと思うんです。言語がなかっ たら、なかなか生きにくい問題で、それはどこの先進国でも持っている問題ですが、フ ランスなんて言語の問題が余り問題にならなくてもあんな対立が激しいわけです。フラ ンス政府は、言葉についてはもう徹底していますから、普通の人には余りなまりがない んです。コルシカ島でも、ノルマンディーでも、似たようなフランス語をしゃべるんだ けれども、スペインはみんな分権的なメンタリティーが強いから、みんな別なスペイン 語をしゃべっているわけですけれども、そういう激しい中央集権的なフランスでも、言 語については移民であっても、あれはできるから来るのか知らないんですけれども、余 り問題ない。 ところが、日本の場合は言語はみんなしゃべれると思ってやるから、本当に大変なん だと思います。だから、もう徹底的な言語を年齢にかかわらずやる方法しかないし、そ のためには学士号が出るようにしなければだめだと思います。それはみんな日本語検定 を受けて何点以上というふうに頑張って、頑張って、頑張ってやるしかないと思います。 それは何歳であっても、溶け込むのはそれしかない。 中国語をしゃべる人だけいっぱい集まって、近くに住んでも、日本語なんか全然入る わけがない。中国語の方が強いですから、慣れていますし、それはアメリカでスペイン 語がだんだん、工場ができるごとにばっとスペインをしゃべる人が、1万、2万、3万 と増えて、ショップも全部なって、学校も全部スペイン語になってということになるか ら、私は日本語をすごく頑張って教えるということが一番重要だと思います。 厚生労働省は余り関係ないかもしれませんけれども、文部科学省などと連携されて何 かするというのが1つです。 さっきの私が唯一知っている方は、モデルというか、比較的いろんな条件にもかかわ らず乗り越えた人をハイライトすることがないと、どうしていいかわからない。自分の 条件は、本当にひどい、ひどい、惨い、惨いと言って、不平不満だけで老齢を迎えるこ とを避けるためには、やはり比較的こういうふうにしたら、意外とうまくいくんだとい うのを、受け入れるときにしっかりとハイライトを当てて、しっかりと支える、こうい う形ではできるんだと、それにできるような形での言語習得をやってくれとか、近所付 き合いもある程度とか、習慣的に何とかしてくれというのは、何とかセンターで何とか しなければだめなのかと。それは厚生労働省の管轄ではないかもしれませんけれども、 やはり日本語ができない人がだんだん増えてきますから、日本語だけは頑張ってやると いうことでないと、自立がそもそもできなくなるから、それはどの管轄か知りませんけ れども、何とかいろんな形でするようにするべきだと思います。 ○貝塚座長 どうぞ。 ○堀田委員 関連して、岸さんが指摘されました問題は、実はそれについてどうするか という話を、さっき申し上げておったのですが、言葉の問題は猪口先生がおっしゃった ように、年齢には関係ないと思います。ただ、言語才能みたいなものがあって、若い人 でもなかなか習得しない人がいますし、特に自国語で言葉、文字を覚えなかったような 方というのは、更にそれ以外の日本語を覚えるのはなかなか難しい。 日本にお見えになって、今まで習得されてない方が、今からどうできるかというのは、 これはなかなか難しい問題だと思います。 ただ、しゃべることはできるはずなので、さっき私が申し上げた例は、子どもたちは 放課後の会合がありますから、そこにどんどん中国の方に行ってもらって、中国語のし ゃべり方を小学生に教えて、小学生が見返りに日本語を教えるというやり方で、日常的 な会話ができるぐらいのレベルはできるんではなかろうか。それは例えばですけれども ね。 それから、中国の方が病院に行ったときに困っておられる。これはどこの人も、他国 へ行くと病院が一番困るんですが、日本のNPOで病院用語を特別に緊急で病院に行く ときにアシストしているグループもありますので、そういったいろんなソフトなNPO の組織を使うというのが、居場所とかでいいんではないかと思います。 それから、文化の問題も来られた方が直面されて、中国人に限りませんが、これもち ょっと日本はこうなんだということを、困ってらっしゃるその場で教えてくれる人がお れば、大抵解決する。ノイローゼになっているような方もおられるんですけれども、ち ょっと仲間に入れて、相談して、うちに来たらこうなんだということで解決する。初歩 のときに、ちょっと聞ける人をつくるということが非常に大事なので、これもセンター をつくって、日本のしきたりはと講演するんではなくて、近所でちょっと教えてといっ たときに、すっと教える日本人との交流をつくるというのは、1つ大事なことかと思い ます。 ○貝塚座長 私から1点、その昔、エール大学に留学していたときに、免許証を取りに 行ったんです。そうすると、アメリカでは要するに交通法規の筆記試験はやっていない んです。なぜならば、字の読めない人が結構いるわけです。今は大分アメリカも変わり ましたけれどもね。どうやっているかというと、試験官が言葉を聞くわけです。例えば 黒人の人が来て免許を取るときに、5問ぐらい簡単な質問を言葉で聞くわけです。それ でイエス、ノーを聞くわけです。私は何でそんなことをやっているんだろう。日本はだ れでも読み書きができるような前提で社会を考えているんですが、アメリカ社会は今で もキューバとかあちこちからやって来て、英語ができない人あるいはメキシカンでもい いんですけれども、それに応じて工夫はそれなりにできるわけでして、その辺は相当弾 力的にいろいろ対応できる。 日本の体制を考えてみると、どうもがちがちにあちこちがなっているらしくて、お役 所ががちがちが好きだということはある程度は理解しておりますが、ただ、そういうあ る種の制度の何らかの弾力性は少しずつ各分野でつけていかないといけないと思います。 今回の話というのは、1つのケースですが、やはりどういうふうに弾力的に扱うかと いうところを、できたらある程度知恵を絞って、そして、その際に弾力化はするけれど も、ある種の原則があって、ちゃんと歯どめをかけるところがある。これは大分広域な 話になりますが、基本的にはその辺のところと結び付いていて、今後の日本のいろんな ところで起きてくる問題は、ある意味では非常に極端なケースに近いんですけれども、 やはり周辺にはその種の問題があるという認識が重要ではないかという、やや評論家風 の発言で恐縮ですが、ちょっと申しました。 ほかに御自由に御意見をどうぞ。山崎委員、どうぞ。 ○山崎委員 普通こういう会議ですと、1年とか半年ぐらいの期間をかけるんでしょう けれども、何か非常にお急ぎのようでございますし、座長代理も結果を出さなければな らないと言われたので、今、考えていることを申し上げます。 一般制度の大きな原則を尊重しつつ、総理のお言葉にある、置かれている特殊な事情 を考慮して在り方を考えるということだろうと思うんですが、やはり経済的な保障が基 本になるとすれば、年金の体系の中で原則を崩さないで弾力的な扱いができるかどうか ということだろうと思います。今は既に特例法があるわけで、問題は多くの方が追納の 機会を与えられているけれども、現実には生活保護を受けておられる方が多いわけで、 追納もできない。したがって、国庫負担相当分の3分の1か、それに若干プラスした程 度の年金しか受けておられないということなんです。したがって、今更お金をためて追 納しなさいというのも無理な状況ですので、そこの手当をどうするか。追納できるよう な条件をつくってあげるというのが1つだろうと思います。 ただ、追納して満額になっても、基礎年金6万6,000円ではやはり生活保護になって しまうというわけで、6万6,000円という水準がどうかという議論があります。生活保 護基準を比 較すると、生活保護基準は1級地から3級地まで、更にそれが枝分かれして全国で6段 階になっているんですが、比較的低い方の水準が6万円台でございますので、多くの方 が都市部にお住まいですので、都市部の生活からすると、基礎年金で満額を得たとして も、これに足りないということになります。 一般国民についてはどうかというと、恐らく多くの国民は丸裸で老後を迎えるわけで はなくて、6万6,000円と何がしかの蓄えである程度の老後の生活を営んでおられるん でしょうが、残留邦人の方は特殊な状況になりますが、全く蓄えがなかった方です。丸 裸でお帰りになった方ですから、そういうことを考慮すると、まず年金の満額に結び付 くような支援をしつつ、更に特別な手当を加算するということなのかなと思います。 今までの話ですと、社会保険か生活保護かという話なんですが、実はその間にいろん な仕組みが今の社会保障の体系の中にはありまして、社会手当というような概念で我々 は言っているんですが、緩やかな所得制限でもって公費を財源に給付している手当があ ります。これはいろいろあるんでございますが、社会保険になかなかなじめなかったも のでございまして、例えば死別ですと年金が出ますが、離婚した場合の児童扶養手当、 あるいは障害者で特に重度の方に対する手当などがあります。その他、医療については、 特定の疾病にかかっている人については、社会保険の3割負担分について、更に公費で 補填するような公費負担医療というものがありますから、社会保険の体系も大きくは崩 さず、それから、生活保護の基本原則も変えず、その間に補足的な給付というものを用 意することができれば、大分状況は変わってくるのかなと思います。 拉致被害者の方に対して、特別な給付金を用意しておりますが、実はこれは5年の有 期でございまして、当面5年間特別な支援をしてということなんです。恐らく残留邦人 の方の場合には、当面ということではないんだろうと思います。もう高齢に達しておら れるわけですから、そういう意味では、恒常的な手当のようなものがあっていいのでは ないかなという気がしております。 何か結論のようなことになりますが、結果を出さなければならないという座長代理の お話でしたから、そのようにお話させていただきました。 ○貝塚座長 一言、私も感想を申し上げると、この問題は最終的には生活保護との関係 をどうするか。あるいは従来の社会保険制度との関係をどうするか。どういう特例的な ものをつくるか、つくらないかという辺りが具体的には問題になる。この先で結局は議 論することになりますが、その辺りのところをそれなりに詰めると申し上げているのは、 やはりほかにもいろんなケースがあるわけです。私がたまたま厚生労働省で、身体障害 者の話とか、そういうケースもあるし、もっとほかに言えば精神障害の人なども本当は どうするか大問題なんですけれども、これもまだ手がついていないし、いろんなタイプ のことがあって、そういうのもある程度にしながらやっていかなければいけないので、 今後、議論するところはそういうことなのではないかという気がしてきています。 堀田委員、どうぞ。 ○堀田委員 一番基本的な問題が出ておりますので、これから詰めるんでしょうけれど も、私は社会保障だけの枠組みで考えるのではなくて、やはり国家の行為についての政 治責任、それについての賠償的な要素を考えるということを申し上げたのは、障害者と のバランスなどを考えると、非常に難しい。生活保護の中で考えようとしても難しいの で、やはり一種政治的な賠償、国が行った行為についての現状回復責任といいますか、 そういった考え方を政治責任として考える。だから、少し社会保障の枠を外して考える。 むしろ、類似してバランスを考える問題となれば、従軍慰安婦の問題や徴用の問題、そ ちらの方のバランスみたいな方がもっと問題になるのかもしれませんが、そこら辺りを 考えながら社会保障と違う、従来の考え方でカバーできない部分を入れていって、給付 金といいますか、それを考えるにはそこがないとなかなか整合性をとったりするのが難 しい。その考え方でも整合性は難しいんですけれども、社会保障というジャングルの中 に入ってしまうと、より難しくなるのかなと私は考えております。それが1点です。 もう一点は、先ほど猪口委員から4号の問題が出ていましたが、勿論そういう給付金 の問題は一番基本ですけれども、やはり就労できる人は就労してもらうことが大事なの で、先ほど作業所をモデルにと言いましたが、中国語を使いながらできる、あるいは言 葉を使わずにできる仕事はいっぱいあるわけでありまして、そういう仕事、例えば中国 語でITを使える人は使えて、それを教えるとか、いろんな職業が開発できるはずであ ります。日本語を使わなくてもできるいろんな仕事がある。これを更に開発して、そう いうところでいろんな能力を生かせるような、そういう発想が要る。勿論、今もあると 思いますけれども、それをもっと発展させる。これがうまくいって仕事になれば、NP Oにやらせる。NPOがちょうど障害者を集めてITをやっておったりするのがありま す。例えばそういうところへ行政が委託して、委託金を払う。障害者ですと、障害者の バリアフリーの町をつくるにはどうすればいいのかという仕事を委託して、受託事業と してお金を稼いでおる。例えば中国人が来たときの案内、九州辺りは随分中国人の観光 客が多いですから、そういう案内をどういうふうにすればいいかというような仕事を委 託して、してもらうとか、いろんな仕事が考えられるわけで、そういうところを開拓す るのも大事かなと思います。 以上2点です。 ○貝塚座長 岸さん、どうぞ。 ○岸委員 実はこの委員をお引き受けするに当たって、既に新聞紙上等で年金制度を利 用して云々というような記事が出ておりましたので、私は直感的にですが、この種の問 題に年金制度を利用する。利用するという表現が適切かどうかわかりませんが、年金制 度の中にこの種の問題を入れていくのは、ちょっと違和感がありました。これまでも年 金制度については、年金積立金の政治的な政策的な流用があったりして、年金制度に対 する不信感が国民の間で根強くなってきたのも、何か年金そのものが恣意的な運用、運 営をされているのではないかという疑念があるわけです。保険料を納めて、それに見合 った受給をするというシンプルな関係から、いろんなところに利用されているのではな いかというような思惑がかなり働いたのではないかと思います。今回、年金制度を使っ てとなると、また年金かという印象を与えるのではないかというのが1つです。 それと年金はシンプルに負担と給付がリンクしたものが、本来あるべき姿ではなかろ うかと考えます。堀田先生がおっしゃった賠償論となると、また司法判断との問題も出 てきますので、賠償的という言葉を使うのは適切かどうかよくわかりませんが、少なく とも大変お気の毒な境遇であったことは間違いないわけです。しかも、戦後、実際問題 として、直接的に広く残留孤児の皆さんが日本で肉親探しをしたのは昭和56年ですから、 戦後36年間、冷戦体制もあったりして、いろいろあったにせよ、36年間も放置してし まったというのは、大きな政治的な瑕疵でもあろうかと思います。それが賠償責任に伴 うかどうかは別として、そんなことから考えると、従来の社会保険制度を使ってという よりは、少なくとも別枠の方がいいのではないか。これはあくまで直感的です。これか ら、また皆さんの御意見を聞かせていただくので、直感的にはそういう印象を持ちまし た。 もう一つは、今、堀田先生からあった新しい職業開発という話がありましたが、現実 問題として、今、中国残留孤児と言われる方々の一番若い方は、基本的な認識とすれば、 昭和20年の敗戦時に少なくともおぎゃあと生まれた方。一番若い方で61歳です。ある いは62歳になろうとしている。先ほど申し上げましたように、基本的ないわゆる読み書 きの訓練も受けていない方がかなりの比率でいらっしゃる方々に対して、新たな職業を 紹介して自立していただくというのが、どれだけ現実的なのかという気もいたします。 ただし、何もしなくていいというわけではありませんけれども、余りにもすべての政策 が遅きに失していまして、こんな仕事、あんな仕事といっても、恐らく対応できる人は、 そう多くはなかろうと思います。もう少し、幅広く考えていかないと、職業訓練そのも のについても、なかなか難しいのではないかなという気はいたします。 ○貝塚座長 大分話は違うんですが、ボランタリーな組織として、クロネコヤマトの小 倉さんが障害者がパンをつくる工場をやっておられました。結果的にやはり非常に若い 人もたくさんいる。要するに、インセンティブがそれなりにちゃんとあると、みんな一 生懸命やって、だから、普通の福祉とは違うモデルを考えられたわけです。高齢者の場 合も、何でもいいんですが、パンの工場でもいいんですが、多分補助的な労働というの はある程度あるはずで、そういう補助的な労働でもいいから、時給幾らで働いてもらい ますという、60歳を越しても手助けすることで、ある種のペイを得ることができる。勿 論、多少は補助金なりそういうものが必要でしょう。だけれども、どこかでそういうも のを入れておかないといけないと思います。少し年齢が上がっても、その辺のところは、 我々ももっとあれしているし、その辺も十分考慮して、それなりの工夫をしたらいいの ではないかという気はします。 猪口さん、どうぞ。 ○猪口座長代理 私の知っている場合は1つなんですけれども、その方も中国語を使っ ているんです。今は大学の教授になっております。ちゃんとした日本の大学を卒業され て、中国語をしゃべっていればかなう職業について、それが定年なったら、大学で教え ているんだから、私はあると思います。何百万人も中国から観光客が来ますし、案内と いっても、なかなかできない。日本人の場合はどちらかというと下手くそだから、いい と思います。それこそ、あちらの習慣などはよく知らないから、巨大な温泉風呂に入れ というと、ちゅうちょする方も多いみたいで、そういうところは、それこそJTBなど と連携しながら、各地にいるとか、それは絶対に何かできると思うし、地域の振興など にもしそういうものがあったら、幾らでも仕事はある。 それから、一番重要なのは大学です。中国からの留学者は結構多いので、カウンセラ ーみたいな人になるのは、意外と重要かなと思います。相談室でしゃべるだけでいいか もしれないんです。留学生などは心配でしようがないことがある。だから、それは白紙 で来て、言語を習得して、ジョブ・マーケットに完全に出て行くだけではないものが、 この場合はとりわけ多いと思います。成人大学で何とか学士を取ればいいというのも、 これは10年かかるかもしれないけれども、いいのではないか。ずっとやってほしいとい うぐらいで、日本語を習うために、あるいは中国語料理を教えたら、何とか修士を取れ るようなところの教授になるみたいな話も、座長の論理で柔軟に考えて、機会を広げる ということが重要ではないかなと思います。どこまで成功するかというのは、わかりに くいところがあるけれども、成功率が低いからちゅうちょすることはないと思う。国民 全体に対しても、いろんな可能性をみんな求めているんだけれども、やることがない人 が3,000万人、5,000万人になろうとしているわけですから、中華料理が上手だったら 料理の博士号をやるぐらいな感じでやるのが、これからの日本社会ではないかなと私は ひそかに思っております。 ○貝塚座長 そろそろ時間がきまして、本当のことを言うと、御議論があったように、 教育の問題も相当重要なんです。教育というのは、ある意味で一番重要かもしれません。 大学辺りが外国人の留学生に対し、本当にどの程度親切に、多分アメリカとかそういう 社会は、もともと少数民族がいることもありますが、キリスト教の伝統があってホスト として招いてくれるわけです。それで、その日は物すごく快適。私も昔そういう経験を しました。日本のうちは最近空き家も増えてきているようだけれども、どうもそこら辺 の意識が、結果的には閉鎖的になってしまったというような部分もあります。 そういうわけで、今日は皆さん割合と御自由に発言していただいて、大体本音の発言 をいただいて、大変よかったとは思っています。それを一応頭の中に入れて、今後の具 体的な話に移りたいと思います。 大体終了の時間になりましたので、この辺で議論を終わらさせていただきたいと思い ますが、次回の開催について、事務局の方からお願いします。 ○野島援護企画課長 本日はありがとうございました。 次回の御案内を申し上げます。次回につきましては、考えておりますのは、先ほど中 国残留邦人との意見交換会の概要について、私どもペーパーで御説明しましたが、直接 当事者の方からお話をお伺いしたらよかろうということで、中国残留邦人御本人からの ヒアリングといいますか、御意見を聞くこと。それから、この問題について深く研究し ていらっしゃる研究者の方からもお話を伺うということで、急でございますが、5月21 日、来週月曜日の午後2時からということで会議を予定させていただきたいと思ってお ります。よろしくお願いいたします。 ○貝塚座長 それでは、今日の会議はこれで終わらさせていただきます。どうもありが とうございました。 (照会先)  厚生労働省 社会・援護局 援護企画課 中国孤児等対策室 内線3417