07/03/05 第2回 終末期医療の決定プロセスのあり方に関する検討会の議事録 第2回 終末期医療の決定プロセスのあり方に関する検討会 議事録 日時 平成19年3月5日(月) 14:00〜 場所 中央合同庁舎5号館専用第15会議室 ○座長(樋口) それでは、第2回終末期医療の決定プロセスのあり方に関する検討会 を始めたいと思います。最初に菊岡保健技術調整官からお願いいたします。 ○保健医療技術調整官(菊岡) では、始めさせていただきます。委員の皆様方おかれ ましては、大変ご多忙中のところ当検討会にご出席をいたただき、誠にありがとうござ います。議事に入ります前に、前回ご欠席され本日から参加いただきます委員のご紹介 をさせていただきます。社団法人全日本病院協会常任理事の木村厚委員です。 ○木村委員 木村です、よろしくお願いいたします。 ○保健医療技術調整官 続きまして、本日の委員の出欠状況について、ご報告をいたし ます。本日は社団法人日本精神科病院協会副会長の谷野委員から、ご欠席の連絡をいた だいております。また、南委員は、若干遅れて到着というご連絡をいただいております。  次に、お手元の資料の確認をさせていただきます。議事次第、座席表、委員名簿です。 資料1は、終末期医療に関するガイドライン(たたき台)です。資料2は、終末期医療 の決定プロセスに関するガイドライン(案)。資料3は、終末期医療の決定プロセスに 関するガイドライン解説編(案)。資料4は、委員の提出意見です。参考資料1は、終 末期医療に関するガイドライン(たたき台)に提出された意見の中間集計(2)です。参考 資料2は、第1回検討会における委員の主な意見です。これらのほかに、ご確認をお願 いしておりました第1回の議事録(案)の意見を踏まえた修正案を委員の机上に配付し ておりますので、これらもご確認ください。  それでは、以後の議事運営を樋口座長にお願いいたします。 ○座長 前回から少し時間が経ちましたが、第1回で相当程度実質的な議論をいただき ました。ただし、ガイドラインの後半部分には入っておりません。前回の議事を踏まえ、 今日の資料を見ていただくと分かりますように、ずいぶん事務局と私どもで検討もしま した。前回のご意見を反映する形で、改善を加えたつもりです。その経過について事務 局から説明をいただいて、その後、議事に入りたいと思っております。 ○保健医療技術調整官 では、経過についてご説明をいたします。手元の資料2です。 こちらはたたき台に手を入れたもので、見方としては、赤色の所が変化のあったところ で、主に加えた所です。線の引いてある、見え消しにしてある所は削除した所です。い ま座長からご紹介ありましたように、前回の議論、その後メール等でのやり取りで委員 からいただいたご意見を踏まえ、座長とご相談の上、事務局で手を入れたガイドライン (案)です。これは1のみならず、2の部分にも修正を加えております。最後の7頁に は、意見をいただいたものをこのような形で1枚紙で付けております。  資料3は、表題にもありますように「解説編」となっております。これも前回の議論 等を踏まえ、基本的に座長よりご提案をいたただいたもので、内容は資料2のガイドラ インを深く議論するための解説です。これも事前に委員にお配りをしいろいろご意見を いただいておりますので、最後13〜14頁にその意見をまとめております。以上が経過で す。 ○座長 私からも説明の補足をし、この経過の部分について、質問、ご意見があれば伺 うことにしたいと思います。第1回で述べたことと基調は全然変わっておりませんが、 改めて第1回の議論を踏まえて考えたことは、何のためにガイドラインを厚生労働省で 初めて作るのだろうかということです。終末期の医療のあり方というのは、人間誰しも が迎えるものですので非常に重要なものでもありますが、やはり一人ひとり違います。 死に関するものですから非常に微妙な判断を要するものであります。また、病状のあり 方も一人ひとり違うわけです。救急の場合もありますし、長期で苦しんでいて最後に なって末期を迎える方もいます。いろいろな方がいます。その周りの医療体制も日本全 国均一ではないし、いろいろな所があります。そういう条件の中で我々はそれぞれ生き ているわけです。  同じように家族環境もそうです。家族にたくさん囲まれ、いろいろな配慮をしてくだ さる家族もいるし、配慮してくださらない方が混じっていることも世の中にはあるわけ です。そういう微妙な問題に国が、あるいは厚生労働省が1つのルールを決めることに 対して、これまで慎重であったのはそれなりの理由があると思うのです。  今回、初めて何らかのガイドラインを出そうというときに、今まで慎重であったもの が、いきなり勇猛果断にというわけにはいかない。前回は6回の裏だけを、とにかくこ こでやると申し上げましたが、ささやかな一歩。比喩を使うのはいいのかどうか分から ないのですが「やわらかなガイドライン」を出して、やわらかなガイドラインに少しで も終末期医療の充実に益するところがあれば、それは非常にいいことだと。つまり、終 末期医療の個別の患者について、一律の形式的な取り扱いをするようなことは絶対患者 のためにもならないし、医療現場にとってもよくないと思います。そうすると、やわら かなというか、規範としても非常にやわらかな形で、最低限このぐらいのことは医療者 であれ、患者であれ、家族であれ、我々も含めてコンセンサスが得られるであろうとい うことを、とにかく確認したいということです。そのことにも意味があるのではないか と我々考えて、これから議論していただくことになるのですが、いちばん重要なのは、 こういう内容のガイドラインを出して本当に意味があるものかどうかということです。  しかし、一定の意味はあるのではないだろうかと考えてみたとき、ここで「やわらか なガイドライン」とは一体どういうことなのかということで少し考えてみました。形式 的には「解説編」が資料3にあって、今日はこれを中心にして議論していこうと思うの です。この前の、いわゆるたたき台としてのガイドラインは、いかにも短い。長いと読 んでいただけないし、長い文章だとかえって訳が分からなくなるということもあるので すが、前回のはあまりにも短くて趣旨が十分伝わっているかどうか疑問であるというこ となのです。「である」調ではなく「です、ます」調を入れてと。「です、ます」調を 入れるとやわらかくなるか、分かりやすくなるかというのは一つ問題ですが、そういう 効果も考えたということです。今回のガイドラインの趣旨は、こういうものですよとい う前文を付けて、それを解説とし、さらに1個1個に注書きを付けて、こういうように 考えているものですからあまり形式的にとらないでいただきたい、という趣旨を明らか にするということです。  内容面ではプロセスに関するガイドラインという話ですので、今回は、実際に医療現 場でこういう措置は適法だろうか、こういう措置をやってもかまわないだろうかと。例 えば抜管がどうとか、それ以上の措置が適法になるものかどうかという中身の話ではな く、終末期に入った患者に対して、どういう形で配慮をする、プロセスをとるのが我々 として、あるいは社会としてふさわしい対応なのだろうか、というそのプロセスを重視 している点が1つです。解説のところでもそういうニュアンスが出てくると思いますが、 この中に、例えば「文書」という言葉は1カ所しかないのです。何であれ、こういう文 書を作っておけばいいではないかという形で、形式的な文書でサインがあればいいとい う話では本来ないはずだろうということ。それから委員会というのもほかに言葉がない ので、仕方なく委員会というわけですが、何らかの形を整えてさえおけば終末期医療は 大丈夫というような話ではない、という趣旨をできるだけ出そうとしているわけです。 そのことが、そもそもいいことなのか、成功しているのかどうかという点も、今回委員 の方から率直に議論していただきたいと思っております。  もう1つ、このガイドラインは、もちろん終末期医療の充実のためです。終末期を迎 えた患者のためですが、それを取り囲む医療者のためでもあり、家族のためでもありま す。終末期医療の充実が現場の当事者だけに委ねられて、あと放りっぱなしという話で はないわけです。前回、今日欠席ですが谷野委員から、いちばん最初に鋭く言われたこ とを噛みしめているわけです。  例えば、ここに緩和ケアの充実の話が出ています。しかし、いま日本の各病院、診療 所の段階で緩和ケアを充実して行える所はどのくらいあるものだろうか、というのを私 は知らないのです。そういう状況にあるのかどうか。厚生労働省はもちろん努力はして おられると思いますが。それからソーシャルワーカーという言葉が出てきます。ソー シャルワーカーがどこにでも溢れるほどいて、みんな頼りになるという状況なのかどう か。もしそうでないとしたら、まさに終末期医療の基盤をつくる責任が国の中ではどこ にあるかというと厚生労働省にあるのは言うまでもないわけですから、厚生労働省とし ても、それだけの責任があるということを、場合によってはこの答申案か、報告書の中 にきちんと書き込むことが、今日の解説編の中にはまだ入っておりませんが、あっても いいかもしれないと感じております。  そういう方向で前回のガイドライン(たたき台)から少しやわらかくしたというか、 分量を増やしたものを各委員にメールでお送りし、すでにご意見もいただき、それをで きるだけ活かす形で、今日さらに修正したものを、ここに提示しているわけです。それ が前回以来の経過であります。  今日のスタートラインは資料3です。解説編も含めて一体化したものとして取り扱っ たほうがいいと思いますので、この資料3をもとにしてご意見をいただきたいと思って おります。そういうことだと、すべてをまた初めからやり直しということもあるのです が、前回このガイドラインの1、これは2つの部分に分かれていて、いわば総論と各論、 さらに詳しい手続論、ここでは11頁の2の部分を十分に議論しないまま、いろいろなご 意見を、メールの形で伺ってという話になっておりますので、今日の議事進行は2から 始めて、全体へ戻るという形にしようと思っております。そうは言っても、最初の部分 も事務局から全部読み上げていただいた上で、2の部分から議論を始め、それで最初の 部分へ戻っていくという形にしたいと思っております。  事務局と私からの今までの経過説明等について、ご質問、ご意見があれば伺いたいと 思います。よろしいでしょうか。  それでは中身に入ります。資料3を見ていただきますと、ガイドラインの表題自体が こういう形になっています。これはご意見をいただいたところですから、この部分だけ を今回対象にすることを明らかにするために「の決定プロセス」を入れ「に関するガイ ドライン」です。事務局に9頁から読み上げていただきたいと思います。 ○保健医療技術調整官 それでは9頁を読み上げます。  【ガイドラインの趣旨】 終末期における治療の開始・不開始及び中止等の医療の在 り方の問題は、従来から医療現場で重要な課題となってきました。厚生労働省において も、終末期医療の在り方については、昭和62年以来4回にわたって検討会を開催し継続 的に検討を重ねてきたところです。その中で行ってきた意識調査などにより、終末期医 療に関する国民の意識にも変化が見られることと、誰でもが迎える終末期とはいいなが らその態様や患者を取り巻く環境もさまざまなものがあることから、国が終末期医療の 内容について一律の定めを示すことが望ましいか否かについては慎重な態度がとられて きました。  しかしながら、終末期医療の在り方について、患者・医療従事者ともに広くコンセン サスが得られる基本的な点について確認をし、それをガイドラインとして示すことが、 よりよき終末期医療の実現に資するとして、以下、初めてガイドラインを策定すること にしました。  基本的な考え方は次のとおりです。  1)このガイドラインは、終末期を迎えた患者及び家族と医師をはじめとする医療従 事者が、最善の医療とケアを作り上げるプロセスを示すガイドラインです。  2)そのためには担当医ばかりでなく、看護師やソーシャルワーカーなどの、医療・ ケアチームで患者及び家族を支える体制を作ることが必要です。  3)終末期医療においては、できる限り早期から肉体的な苦痛等を緩和するためのケ アが行われることが重要です。医療行為の開始・不開始、医療内容の変更、医療行為の 中止等については、最も重要な患者の意思を確認する必要があります。確認にあたって は、十分な情報に基づく決定であること(インフォームドコンセント)が大切です。そ の内容については、患者が拒まない限り、家族にも知らせることが望まれます。医療従 事者とともに患者を支えるのは、通常、家族だからです。  4)患者の意思が明確でない場合には、家族の役割がいっそう重要になります。この 場合にも、家族が十分な情報を得たうえで、患者が何を望むか、患者にとって何が最善 かを、医療・ケアチームとの間で話し合う必要があります。  5)患者、家族、医療・ケアチームが合意に至るなら、それはその患者にとって最も よい終末期医療だと考えられます。医療・ケアチームは、合意に基づく医療を実施しつ つも、合意の根拠となった事実や状態の変化に応じて、柔軟な姿勢で終末期医療を継続 すべきです。  6)患者、家族、医療・ケアチームの間で、合意に至らない場合には、複数の専門職 からなる委員会を設置し、その助言によりケアの在り方を見直し、合意形成に努めるこ とが必要です。  7)終末期医療の決定プロセスにおいては、患者、家族、医療・ケアチームの間での 合意形成の積み重ねが重要です。  【ガイドライン】  1 終末期医療及びケアの在り方  (1)医師等の医療従事者から適切な情報の提供と説明がなされ、それに基づいて患者が 医療従事者等と話し合いを行い、患者本人による決定を基本としたうえで、終末期医療 を進めることが原則である。  注1、よりよい終末期医療には、第1に十分な情報と説明を得たうえでの患者の決定。 第2に、終末期医療としての医学的妥当性・適切性、その両方が必要という趣旨です。  (2)終末期医療における医療行為の開始・不開始、医療内容の変更、医療行為の中止等 は、医学的妥当性と適切性を基に、多専門職種の医療従事者から構成される医療・ケア チームによって慎重に判断すべきである。  注2、どのような状態が終末期かは、患者の状態を踏まえて、医療・ケアチームの適 切かつ妥当な判断によるべき事柄です。  注3、医療・ケアチームとはどのようなものかは、医療機関の規模や人員によって変 わり得るものです。担当医師と看護師、及びそれ以外の医療従事者というのが基本形で す。  注4、医療・ケアチームについては2つの懸念が想定されます。1つは、結局、強い 医師の考え方を追認するだけのものになるという懸念、いま1つは、逆に、責任の所在 が曖昧になるという懸念です。しかし、前者に対しては、医療従事者の協力関係のあり 方が変化し、医師以外の医療従事者がそれぞれの専門家として貢献することが認められ るようになってきた現実をむしろ重視すること、後者に対しては、このガイドラインは、 あくまでも終末期の患者に対し医療的見地から配慮するためのチーム形成を支援するも のであり、特に刑事責任を中心とする法的側面については引き続き確認していかねばな らない問題であることを、理解してもらいたいと考えています。  (3)医療・ケアチームにより可能な限り疼痛やその他の不快な症状を十分に緩和し、患 者・家族の精神的・社会的な援助も含めた総合的な医療及びケアを行うことが必要であ る。  注5、緩和ケアの重要性に鑑み、2007年2月、厚生労働省は緩和ケアのための麻薬等 の使用を従来よりも認める措置を行いました。  注6、人が終末期を迎える際には、疼痛緩和ばかりではなく、他の種類の精神的・社 会的問題も発生します。可能であれば、医療・ケアチームには、ソーシャルワーカーな ど社会的な側面に配慮する人が参加することが望まれます。  11頁、(4)生命を短縮させる意図をもつ積極的安楽死は、本ガイドラインでは対象とし ない。  注7、疾患に伴う耐え難い苦痛は緩和ケアによって解決すべき課題です。積極的安楽 死は判例その他で、きわめて限られた条件下で認めうる場合があるとされています。し かし、その前提には耐え難い肉体的苦痛が要件とされており、本ガイドラインでは、肉 体的苦痛を緩和するケアの重要性を強調し、医療的な見地からは、緩和ケアをいっそう 充実させることが何よりも必要であるという立場をとっています。そのため、積極的安 楽死とは何か、それが適法となる要件は何かという問題を、このガイドラインで明確に することを目的としていません。  2 終末期医療及びケアの方針決定の手続  終末期医療及びケアの方針決定は次によるものとする。  (1)患者の意思の確認ができる場合。  (1)専門的な医学的検討を踏まえたうえでインフォームドコンセントに基づく患者の意 思決定を基本とし、多専門職種の医療従事者から構成される医療・ケアチームとして行 う。  (2)治療方針の決定に際し、患者と医療従事者とが十分な話し合いを行い、患者が意思 決定を行い、その合意内容を文書にまとめておくものとする。上記の場合は、時間の経 過、病状の変化、医学的評価の変更に応じて、その都度説明し、患者の意思の再確認を 行うことが必要である。  (3)このプロセスにおいて、患者が拒まない限り、決定内容を家族にも知らせることが 望ましい。  注8、合意内容を文書にまとめるにあたっては、医療従事者からの押しつけにならな いように配慮し、患者の意思が十分に反映された内容を文書として残して置くことが大 切です。  注9、よりよき終末期医療の実現のためには、まず患者の意思が確認できる場合には 患者の決定を基本とすべきこと、その際には十分な情報と説明が必要なこと、それが医 療・ケアチームによる医学的妥当性・適切性の判断と一致したものであることが好まし く、そのためのプロセスを得ること、さらにそれを繰り返し行うことが重要だと考えら れます。  (2)患者の意思の確認ができない場合  患者の意思確認ができない場合には、次のような手順により、医療・ケアチームの中 で慎重な判断を行う必要がある。  (1)家族が患者の意思を推定できる場合には、その推定意思を尊重し、患者にとっての 最善の治療方針をとることを基本とする。  (2)家族が患者の意思を推定できない場合には、患者にとって何が最善であるかについ て家族の判断を参考にして、患者にとっての最善の治療方針をとることを基本とする。  (3)家族がいない場合及び家族が判断を医療・ケアチームに委ねる場合には、患者に とって最善の治療方針をとることを基本とする。  注10、家族とは、患者が信頼を寄せ、終末期の患者を支える存在であるという趣旨で すから、法的な意味での親族関係のみを意味せず、より広い範囲の人を含みます(以下 のガイドラインでも同じ意味です)。  注11、患者の意思決定が確認できない場合には家族の役割がいっそう重要になります。 その場合にも、患者が何を望むかを基本とし、それがどうしてもわからない場合には、 患者の最善の利益が何であるかについて、家族と医療・ケアチームが十分に話し合い、 合意を形成することが必要です。  注12、家族がいない場合及び家族が判断をせず一切を医療・ケアチームに委ねる場合 には、医療・ケアチームが医療の妥当性・適切性を判断して、その患者にとって最善の 医療を実施する必要があります。なお、家族が判断を委ねる場合にも、その内容を説明 し、十分に理解していることを確認することが必要です。  (3)多専門職種からなる委員会の設置  上記(1)(2)の場合において、治療方針の決定に際し、  ・医療・ケアチームの中で病態等により医療内容の決定が困難な場合。  ・患者と医療従事者との話し合いの中で妥当で適切な医療内容についての合意が得ら れない場合。  ・家族の中で意見がまとまらない場合や、医療従事者との話し合いの中で、妥当で適 切な医療内容についての合意が得られない場合。 等については、医療・ケアチームと同様の複数の専門職からなる委員会を別途設置し、 治療方針等についての検討・助言を行うことが必要である。  注13、別途設置される委員会は、あくまでも患者、家族、医療・ケアチームの間で、 よき終末期医療のためのプロセスを経ても合意に至らない場合、例外的に必要とされる ものです。そこでの検討・助言を経て、あらためて患者、家族、医療・ケアチームにお いて、ケア方法などを改善することを通じて、合意形成に至る努力することが必要です。 ○座長 というわけです。11頁に戻っていただいて、先ほど申し上げましたように、2 の終末期医療及びケアの方針の決定手続の部分、(1)(2)(3)、注8〜13までの 部分について、ご意見を伺うことにしたいと思います。 ○岩渕委員 2の(1)の(3)「このプロセスにおいて、患者が拒まない限り、決定内容 を家族にも知らせることが望ましい」というのは、かなり遠慮した表現だなという感じ がしたのです。本人が嫌だというのならば、当然ながらそれはそうなのですが。それ以 外の場合は、やはり原則として家族にも知らせるべきことではないかと思います。「望 ましい」とする理由が何かあるのかどうかが第1点です。  それから、次の12頁の(3)のポツ、多専門職種からなる委員会の設置のケースとし て例示されている、あるいは、その中に含まれているかもしれませんが、例えば「医 療・ケアチームの中で病態等により医療内容の決定が困難な場合」という所に含まれて いるかもしれません。いちばん難しいところと言えば、延命医療という言葉があるかど うかはともかくとして、延命医療の中止、あるいはその判断、というところがいちばん 難しいと思うのです。このガイドラインは、それには一切触れないのだという確たる意 思を持ってやるのならともかく、そうでなければ、例えば多専門職種の委員会の設置が 必要なケースとしては、その辺りが現場の人たちにとってみると困っているところと言 いますか、その辺りなのです。  多専門職種による委員会を設置して、その場で判断するということが、たとえ例示で も出されていれば、現場の人たちにとっては、何というのでしょう、自分だけが判断を 迫られるとか、この間は減刑もあったようですが、さまざまな形でのプレッシャーから ある程度開放される。あるいは、その決定のプロセスが透明化されて医療に対する信頼 もかち得ることができるのではないかという意味合いから、ここのポツの中に、私の考 えとしては延命医療の中止も1つ入れたほうがいいのではないかと思うのです。これは 皆さんのご意見次第です。 ○座長 いまのことで何らかの形で回答ということなのですが、事務局から何かありま すか。 ○保健医療技術調整官 1つ目の、患者が拒まない限り決定内容を家族に知らせること が望ましいと、この「望ましい」という表現は、この(3)を加えた文書自体が、いまご指 摘があったように「患者が拒まない限り」ということで、一定の条件を付しております ので、それを受けて断定的でない形でこの辺を書いたわけですので、そこは断定的に書 いたほうがいいのかどうかをご議論いただければと思います。 ○座長 2点目はどうですか。 ○保健医療技術調整官 これは、この委員会のご審議の中身に近いのではないかと思う のです。こちらからお話できることとしては、いまご指摘のあった延命治療の中止の判 断等についても、この中の医療の内容の部分に含まれるだろうと思いますので、そこは どういう表現ぶりをするかについては、ご議論いただければという部分だと思います。 例えば解説編みたいな形をもう少し充実させるような形にもっていくとか、そういうと ころだと思います。 ○座長 私からも、これは補足になるかどうか分かりませんが、まず第1点のほうの表 現ぶりは、なかなか微妙なところがあります。まず第1点としては、「望ましい」では 弱いのではないかという岩渕委員のご意見なので、私も、そう言われればそうなのだろ うと思うのです。もしかしたら、先ほど私がくどくどと申し上げた趣旨からいうと、全 体が、本当は望ましいという話でできているような話なのかもしれない。だから、ほか の所は「必要である」とはっきり書いてあるのですが。必要であるというのだって、本 当にすべてのケースがそうなのかというと、個別の対応では、現場の対応で「これは ちょっと、このままではやれないよね」という判断があるようであれば、その当事者が そう思ってくださるようであれば、それはそれで別個に考える余地があるものかもしれ ないのです。全部を「望ましい」とするのがいいのかもしれないのですが、それもどう かなというのが1つあります。  ここは経過の中で付け加えたところでもあるので、患者の意思が確認できればそれだ けでいいのかというと、現実には、そのようなことにはならないです。そこに家族がい て、家族を放ったらかしにして、やれるかというとそんなことはないので、やはり家族 を入れましょうということなのです。基本的な原則は、まず患者の意思を尊重すること のほうがこの場合重要ですから、こうやって、表現ぶりに段階をつけたのですが、ここ はご意見があって然るべきところだと思います。  2つ目の延命治療の中止についても当然含まれていて、しかし、医療・ケアチームの 中で1人ではなくて判断しようとしているわけですが、その中で意見が分かれることが あります。その場合には、別個のところで助言をいただくような仕組みをつくることが 望ましいというか、そうやって、もう1回改めて、いわば頭を冷やして「そういう人た ちがこういうような助言をするのだったら」というので、またケアチームに戻ってくる ような仕組みだと思っております。 ○岩渕委員 2点目のほうから言いますと、ケアチームの中で意見が分かれた場合とい うお話でしたが、それは最初から懸念されているように、強い意思決定を下そうとした 場合に、それに対して異を唱えることが果たして可能かどうかという問題があるわけで す。そういった意味合いからいっても、そこのところは手続としても、本人が独断で やったということで常に裁判になるわけですから、そこのところは別の委員会を通して やることが現場の医師にとっても、かえって良いことではないかと私自身は思っている のです。  それから、望ましいというところも訴訟絡みですが、要するに家族にきちんと説明し ていないと後から訴訟がかなりこじれたりすることもあるなという印象があるものです から、私自身はそう申し上げたのです。そこのところは、それでいくのだというのであ れば特にこだわりません。 ○木村委員 いまのところに関してです。(3)の望ましいかどうかという所ですが、その ほかの所では「医療・ケアチームと患者、家族が一緒になって十分な話し合いをしなさ い」と書いてあるわけです。つまり家族を巻き込んでやれと書いてあるのに、ここだけ 「決定内容を家族に知らせることが望ましい」というのは、何か変なような気がするの です。すでに相談する段階で「家族を入れなさい」と書いてあるのですから、決定内容 を家族に知らせるのが望ましいというのは、おかしな話です。例えばすぐ上の(2)で「患 者と医療従事者とが十分な話し合いを行い、患者が意思決定を行い」と書いてあります が、ここは「家族」が抜けています。別の所では患者と家族とは一緒になって、「患 者・家族の精神的・社会的な援助も含めた総合的な医療を行う必要がある」と、家族を 巻き込んでやりなさいと書いてあるわけです。その中で、決定したことについては家族 に知らされないというのも、ちょっとおかしな話ではないかと思います。  あと、懸念されている家族に知らせないということによって、医療側は、患者だけの 意思を尊重しても日本の場合、絶対あとで問題になってくるのです。ここの所は「望ま しい」ではなくて、もう少し強く表現をされたほうがいいかなと思います。 ○座長 そういうことであれば、これで十分かと思いますが。 ○大井委員 基本的な事柄で、私は前回も主張したのですが、例えば方針の決定という のは誰がするのか、誰が責任を持つのかというと、私は日本の法律の中では医師法17条 の、医師の業務独占の項目しかないだろうと思うのです。医師あるいは主治医が、複数 の医師、あるいは多職種によるチームの検討会を経た上で方針を決定するというのなら 分かります。でも、漠然とした多職種によるところで検討し決定するというのは、どう やって決定するのでしょう。それから誰が責任を持つのでしょうか。  このガイドラインは、私は主語がないのではないかと思います。医療者側がいちばん 求めているのは、終末の判断は誰がして、その要件はどういう要件なのか。そのうえで 医師が独占的に医業を決定するのは好ましくないよ、ということを被せるのが望ましい のかなと私は思っていました。このまま読むと「多職種によるチームを結成して、そこ で決定する」と、どうやって決定するのでしょうか。多数決で決めるのでしょうか。そ して誰がその責任を持つのでしょうか。その法的な裏付けは、一体どこにあるのでしょ うか。私は結局医師法17条に帰着してくるのではないかと思うのですが、いかがでしょ うか。 ○川島委員 私はこれでいいと思っています。なぜかというと、このようなケアチーム によって決定されるということは、診療報酬上もそのような評価がなされつつあるとい うことが既にあります。私が委員提出意見で提出した17頁を見ていただくと、医療法に よる医療提供体制自体が、もともと複数の医師、歯科医師、薬剤師、看護師、その他の 医療の担い手によって行われると。この「医療の担い手」という言葉をもともと使って いるということ。それから、診療報酬上もリハビリテーションの計画で、こういう人た ちが参加しなさいと。それから栄養についてもそうですし、NSTもそうです。また終 末期医療においては、17頁の下のほうに書いてありますが、チームによってなされると いうのは、このごろは普通のこととして行われています。終末期医療の4班の合同会議 が先月末にありましたが、そこでもチーム医療は当然の文言として使われています。こ こについていろいろと論議する必要はないのではないかと思うのです。  確かに、医師に責任がくるのは当然なのですが、今までいちばん問題だったのは、医 師が独断でやってきたことに少しでも歯止めをかけなければならないということがあり ます。最終判断は医師が行うとしても、その判断をより確実にするためにチームがある のだという理解のほうが、私はいいのではないかと思います。 ○大井委員 私はそういう意味で言ったのです。ここでいう2は、方針決定手続です。 そうなれば、やはり主語が必要でしょうと言っただけなのです。それを明確にしておか なければならないだろうと思います。ただ、そこへいくプロセスは、チーム医療で検討 し合って、その結果、選んだ事柄をチームとして医療を行っていくというのには賛成で す。 ○座長 前の部分の注4と関係があるのです。チームといっても強い医師の考えを追認 するだけのものになるという懸念が一方ではあり、いま大井委員が言われたように、責 任の所在が曖昧になるだけなのではないか、ということをご指摘になっているのだと思 うのです。注4で、こういうような書きぶりでは十分でないというのは、結局前のとこ ろへ、元に戻って出てこられるのだろうと思います。それはそうですが、少なくとも多 数決でいいのかという話はないです。そのチームでまとまらないようだったら、それで も独断でやる人が出てくるのは、やはり恐ろしいことなので、それが医師という名前で あれ何であれ。それは何らかの委員会で相談してもらって、頭を冷やしてもらって、そ のチームとして、この患者にとって本当に何がいいのかを改めて考えていただこうとい うのが、この案であって、多数決でいいという話にはならない。  かと言って、合議体の責任だから、いまの日本の医療体制の中で医師の責任を、これ によってどんどん軽くしようという。法的責任を問題にせず、問題にしないわけにはい かないけれども、法的な責任がどうというよりは、先のほうでは「刑事責任についても 今後、継続して考えていく」とあったと思いますが、そうではなくて、目の前の患者に どういう形で対応するのがいいかというと、いまはチーム医療でしょう、というのが医 療界の常識なのではないだろうか。しかし、個々の事件が起きると、1人で判断したの ではないかと思われるような事例があるので、それはもう少し慎重にしていただきま しょうね、というガイドライン。その限度であれば、それは生ぬるいと大井委員は言わ れるかもしれませんが、基本的には、みんなが賛成できる範囲のことなのではないだろ うかということです。少し余計なことを言いすぎましたが。 ○宝住委員 私はこれでいいと思います。望ましいというのは表現がやわらかいですし、 決めるというのは決定のプロセスということで。最終的には、9回裏が終わるときには、 きちんとするほうがいいかなと思います。  また、2番目の問題についても、終末期の決定のプロセスが、延命治療をやめよう、 やめようということが見え見えで、精神的には本当にどうにもこうにもならなくなった 場合には、きちんとということなのですが。そういう場合には最善の治療方針をとるこ とを意味すると。最善の治療方針というのが分かれば、いつでも最善の治療方針をすべ きです。そうではない、分からない場合にはということで、今まで同様、1日でも延び るようにと。意見が分かれたり、何かある場合には延命治療をすべきだということを 言って、そういうときに、医師がそういう意見を尊重して、そういうようにすべきだと いう趣旨だと思うのです。そういうことについても、いまは6回の裏ですから、本当に 最終的にやるのは9回の裏でできればいいので、いまは6回の裏なので、私はこれでい いかなと思います。 ○座長 では、日野委員から順番にお願いします。 ○日野委員 大井委員が言われた主語がないというのは、我々にとっては決定的に物足 りないなと思わせるものです。現場では「チーム」という言葉が先走りしていますが、 結局、医師が最終的に責任を取らねばならないし、決定権は「先生、どうしますか」と いうことで来るのですよ。ここに書かれている歯科医師、薬剤師、看護師は結構、現場 で患者との執務時間は長いですからいろいろな情報を持っていて、意見もちゃんと言っ てくれますが、他の職種から意見を聞いたことは、ほとんどというか、私の記憶ではな いです。理想的というか、形の上では医療・ケアチームも存在し得るのでしょうが、こ のガイドラインを作る過程に参加してもらうのは結構というか、現実的にも可能だと思 うのです。  しかし個々のケースで紛糾したときというか、将来裁判まで予測されるようなケース のときに、参加して意見をもらったところで意見はないのです。このようなことを言っ てしまえば身も蓋もないのですけれども。そこまでまだ人材が揃っていないですし、 我々としては、頼りになるのはケースワーカーかなという幻を追っかけているのです。 これが理想論といいますか、いわゆる元のガイドラインということからいうと、こうい うことであるべきだというようなニュアンスで、全体をやわらかく包んでいるという位 置づけなら、これでいいと思うのです。  これはボヤキになるかもわかりませんが、いま医師は駄目です。疲弊してもう時間は ないです、全然時間がないです。くたくたになっている上に、こんな重たい仕事を、特 にほかの医師がやっておられる治療について意見を述べよと言われたら、これは大変な ストレスになる。そのことも是非、念頭に置いていただいて、会議を開くのは極力避け ていただきたいというのが実務的なレベルでのお話で、これ以上義務を被せられると、 ただでさえ崩壊しかけている医療現場は、特に病院を中心としてガラガラといく可能性 がある。これだけでというわけではないです、6回裏ですから。まだまだそういうこと にすることはできると思いますが、そういう現実も、是非斟酌をお願いしたいというこ とです。 ○座長 本当にそのとおりだと思います。しかし、疲弊した医師に向かっているという か、疲弊した医師を頼るほかない末期の患者は一体どうなるのだということだろうと思 うので、これは理想論というほどのことではないと私は思っています。医師の周りには いろいろな医療者がおられると思いますが、しかし、少なくともその医師だけが、1人 で、独断で考えるのはやめてくださいというメッセージだけは、はっきり伝える必要が あります。だから医師には責任がなくなりますよという話も、申し訳ないけれどそれは ないのです。医療専門職といっても、薬剤師を含めて本当に多岐多様にわたっているわ けですから、特に緩和のところは絶対必要になります。そういう人たちと一緒になって、 この患者をどうしたらいいかなという時間を。それは大したインセンティブにはならな いと思いますが、インフォームドコンセントに対して保険的な手当が出るようであれば、 この何時間にも、それが付くようなことを厚生労働省は考えるでしょうし、理想論かも しれないけれども、一挙にここにはいかないかもしれませんが、その一歩一歩、これは 本当に小さな一歩なんで、その小さな一歩にいく方向で考えたほうがいいのかなという のが、座長としては言いすぎなのでしょうけれども。 ○日野委員 本当に温かいお言葉です。そのためには、いま局長もおられますが、医師 の数が全然足りないのです。少なくともいまの1.5か2倍ほどに増やしていただいて、 看護師もしかりです。現場に余力ができれば、金銭の問題ではなくて、時間的・精神的 余力がないのです。医師は1週間に200時間ぐらい働きます。パイロットは1カ月で200 時間です。パイロットのストレスと医師のストレスはどちらが多いかというと、1カ月 と1週間というような軽いストレスで我々は生きているというか、そのもとで生活をし ているわけではないので、本当にいま限界がきている。ズルズルと沈みゆく船からネズ ミが逃げるように、いまどこへ行くかは言えないですけれども、本当に病院は厳しいで す。 ○座長 永池委員、お待たせしました。 ○永池委員 私もここでお示しいただいている医療・ケアチームが決定するということ に、賛成の立場として発言をさせていただきます。患者にとって最も良い、最善の治療 方針を決定するといったところでは、医師だけの判断、看護師だけの判断といったよう なバラバラの判断よりは、やはりチーム医療のもとに決定されるもののほうが、最善に 近いものを作り上げるのではないかなと思います。そこでチームというのは何なのだろ うということを考えますと、それぞれの専門職種が対等な立場にあると思うのです。対 等であるというところには、それぞれの専門性がきちんと尊重されて、それぞれの専門 職の役割機能を十分に果たすことが重要ではないかと思います。決して、医師の裁量権 であったり、独占権といったものを奪い取るものではなく、そうした役割機能を尊重し つつ、では私は何をしましょう、ということをきちんと見据えられるようなチーム形成 ができたうえで、医療・ケアチームが決定するのが望ましいのではないかと考えます。 ○土屋委員 薬剤師の立場から言いますと、直接最終決定に薬剤師が関与することはな いかもしれません。しかし、決定をする段階で、いま行われている薬物療法というもの に対して薬学的な判断から見るということは、やはり1つの必要な概念です。どちらか というと薬剤師は、いまチーム医療の中で少し違った位置にいる。本来は薬物というも のから見たときに、こういうものが適正なのかどうか、あるいは、よりいいものがある のではないかを言う意味で、決定そのものにすぐ作用するということではなく、いまを 見るのには必要なことだろうと。そういう意味では、全体として、それがチームとして 決定するという言葉に含まれるのではないかと考えております。 ○座長 ありがとうございます。では、田村委員、お願いします。 ○田村委員 実際に緩和ケアをしている立場からと、ソーシャルワーカーというところ からいうと、「チームの決定」というところで少し意見を申し上げたいと思います。具 体的に「チームの合意形成」の中で、それぞれの職種がそれぞれの見解、ソーシャル ワーカーの立場ですと、その方が生きてきた歴史や価値、家族の大事にしているものを アドボカシーということもかなりしますし、社会的な価値というところからも、その判 断というところでも意見も述べます。そこで医師の意見と、例えばソーシャルワーカー が違う意見であるとか、ナースのサイドが違う意見であるというと、合意形成というカ ンファレンスをするわけです。そこで1つにならなかったときに、当院の場合は「臨床 倫理委員会」で、また、それを「倫理検討シート」で、何が妥当な方針かを検討するス テップを持つわけです。  もちろんチームの合意をいろいろ聞いて医師が決定します。チームのリーダーは医師 ですし、チームが合意形成を図っていくことでそれが変わるなんてことはあり得ないの ですが、より患者やご家族の意向に近づき、医療的にも妥当なものにするために、その 質を担保するためのプロセスを、マストであるというところを押さえるという意味で、 この「チーム」というところに書き込みをしていただきながら、残していただくという ことを大事にしていただけたらと思います。 ○川島委員 いま医師が疲弊していて、こういう合意形成のシステムを作ること自体が さらなる負担になるというのは、あまり当たらないのではないかと思うのです。つまり、 この合意形成がうまくできることによって、逆に医師の負担が軽くなると私は考えます。 なぜなら、少なくとも病院医療は、このごろはどんどん在宅に出すようになりましたし、 私自身は受取り側の1人としてここに参加しているわけです。ケアカンファレンスを やって、病院の医師との間でも合意形成をやる。これはもともと退院時共同指導料がす でにつくられておりますし、そのときには、在宅側のケアチームであるケアマネー ジャーや、ヘルパー、訪問看護ステーション等も、一緒に来て合意形成するのが当たり 前の話です。そうすると、逆に私の役割が医師としての役割に限定されてきて、非常に スムーズに事が運ぶというのが一般的です。むしろ、いま疲れた理由がこういう合意形 成をなされなかったからだというように考えて、前向きに動いていったほうがいいので はないかと思います。 ○日野委員 非常に恵まれている立場におられるのだと私は思います。本当に羨ましい 限りです。訪問看護師がどんどんいなくなっている現状について、私は非常に納得でき るのです。訪問看護師というのは、在宅に行きますと医師の代役をしなければいけませ ん。医師からの指示書が来ていますが、詳しいその場その場での対応はできない。そん な細かい指示はないのです。その細かい対応は訪問看護師の判断においてやらなければ ならないので、医師に連絡はできない、電話したら叱られるということで、辞めていく、 燃え尽きていく訪問看護師が多くて、これから在宅医療を展開しようとしている国の方 針に必要なだけの訪問看護師が全然確保できないのが現状です。  訪問看護師も同じようなことが起きています。話を聞きますと、24時間、365日、電 話がいつ鳴るか分からないというストレスに耐えながら、コースアウトをしながら、お 父ちゃんのお守りをしながらやっている。とてもやってられないよということで、ここ も実は激減の状態です。それは病院の医師が、川島委員の所のコンタクトを持っておら れる病院との連携がうまくいっていて、比較的スムーズにカンファレンスが進むのだと 思います。私の所は、そんなレベルが高くなくて、カンファレンスを始めようものなら 時間がかかってしようがない。しかも議事録を残さないといけないわけです。議事録を 書ける人はそんなにいません。あらゆる所で人材がない。そういうパワーがないところ で理想として掲げていただくのは、座長が言われるように我々にとってもありがたいお 話で、こうであるのはいいですよというお話は非常にありがたいのですが、下手をする と、これを盾に、言葉として適切なとか、十分なとかとやられますと、いろいろと文句 をつけられるような怪しい雰囲気が漂ってくるところもあり、全体としてこういうこと で臨みましょう、というお話でとどめていただきたいのが本心です。 ○座長 それは、まさに私が初めに申し上げたことです。 ○木村委員 私どもの病院も小さな病院で、いつつぶれるかわからないぐらい大変疲弊 しておりますが、私は川島委員の立場に非常に賛成です。医師1人でこういうことを全 部やっていくのは、非常に精神的にストレスになるのですが、チーム医療で取り組むこ とは逆にストレスが解消されていっている気がしております。このガイドライン自体、 これで全部OKなわけではないのですが、こういうものをきちんと作っていくことや、 いま言われたようにいろいろ大変なことはありますが、それをきちんとガイドラインに する、書類を作る、話合いをする時間も大切です。それをいかにマネジメントしていく か、一時は大変ですが、それをやっていくことによって逆に仕事が楽になって、はか どっていくこともあるのです。  実際、どういう人たちでどのようにやるかについては、病院の機能や規模によって随 分違うと思うのです。大病院で、たくさん優秀な先生がいらっしゃって、人も集められ る所であれば、時間もたっぷりあるのだからそれなりに時間をかけてやればいいと思い ますが、そうではないクリニックやうちのような中小病院では、少ない人数で知恵を出 して、短時間できちんとやっていく形を取ればいいと思います。それぞれの立場によっ てそれぞれやっていけばいいことで、いろいろなやり方があると思うのです。大変だと は思いますが、それでもただやっているだけではなく、いろいろな事をこなしていくこ とで楽になる場合もあるので、是非お考えいただきたいと思います。 ○座長 我々は2をやっているのですが、実際には1の(1)、(2)の議論をしているのです。 それは仕方がないことです。 ○大井委員 誤解を招くと困るのですが、私は医師が楽になるとか、そういうことのた めに決定権の話をしたわけではないのです。私の頭の中では、医療者はもっと大変にな るし、医師も大変になると思うのです。それを、あえて承知の上で言ったのです。  というのは、先ほど座長がおっしゃったように、責任の所在が曖昧になることは、医 療の現場では絶対に避けなければならない。それは私の持論です。医師は誰に対して責 任があるかというと、患者に対してある、患者を取り巻く家族に対してもあるのです。 それに対する責任は、医療者全体にあるのです。医師は、そのために責任が軽くなるこ とは絶対にありません。チームで、多職種で討議すればするほど、逆に重くなると私は 思っているのです。しかし、最終決定を逃れてはいけませんよ、と言いたかったのです。  そういう意味で、もっと踏み込んだガイドラインになってもいい。極端に言えば、そ こまで書けるかどうかわかりませんが、終末期であると判断するのは誰がするかという と、私は医師だと思います。その条件が必要です。それをこのガイドラインで明記でき たらすばらしいと思っていたのです。前回も言ったのですが、終末期は、あとで振り 返ってみたら終末期だったというのが本音なのです。受診した患者が最初から終末期だ なんて、わかるわけがないのです。一生懸命やって、力尽きて患者が亡くなったとき、 あのときから終末期だったのだということが、救急の現場では多いのです。  その話は別にしても、終末期を含めてあらゆる医療の過程で、多職種による検討は必 要なのです。絶対に必要だと思います。しかし、だからといって責任の重さからは逃れ られません、と言いたかったのです。この注には、曖昧になっていかにも軽くなるよう に書いてありますが、私は逆だと思ったのです。それを訂正したいと思ったのが1つで す。  もう1つは、多職種による検討を条件にすれば、医師のいろいろな義務などはもっと 重くなりますね。しかし、こと終末期に関しては、医師はそのことをすべきだと思って います。意見がまとまるかまとまらないかは分かりませんが、まとまる努力をもっとす べきだと思っています。 ○座長 大井委員がおっしゃったことは、本当はここで書かれていることと齟齬はない のです。これは少しニュアンスが足りないのかもしれませんが、医者が最終的に決定す ることだと言ってしまうと、1人で勝手にやる人が出てくるかもしれないという懸念が あり、かつ、注4にも書いてあるように、チームと言いながら結局形だけで、医者が1 人でやっているのを、あとは仕方なく聞いているようなチームにするのでは、本当は何 の意味もないのです。で、十分ではないのかもしれませんが、こういうチームとして行 うと。しかし、法律上の問題で言えば、現行の法律上、最終的に医者に責任がかぶさっ てくるのは当たり前のことであって、それをもう1回ここで注にする必要があるかどう かだと思いますが、それはしなくてもいいかと思ったのです。 ○大井委員 私は、これを聞いたとき、主語がぼやけている分だけ不明確になったと感 じたのです。そのトラブルが、実は患者と医療者との間のいちばん大きいトラブルだと 思います。本当は、医療チームがみんなで責任を持つのです。その責任は、5人で討論 したら5分の1になるのではないのです。私は5倍になると思っています。そういう責 任を誰が最終的に背負うのかといえば、医師法の第17条を出したのですが、それもしよ うがないという話なのです。そのことはどこかで謳わないと、かえってぼやけるのかな と感じたのです。皆さんがこれでよろしいのなら、一向にかまわないのかもしれません。 ○沖野委員 いまの主体の問題なのですが、実質は意見に変わりはないということなの で、それをいかに表現するかの問題ではないかと思います。その際に、いま出されてい る2つの案が、主治医ないし医師が最終的に判断するのだけれど、チームの意見を十分 に聞くという形の表現をするのか、原案のような形にするのか。ただ、ここでの問題意 識が、言い方はともかくとして、医師の独断への歯止めという社会的な問題意識を背景 にしていることと、チーム医療の現実をそれに反映させる必要がある、現在の医療の理 想を反映すべきだということだとすると、最終的には医師の判断によるけれど、十分な 助言を踏まえて意見を聞くと表現することによるインプリケーションのマイナスのほう が大きいのではないかと思いました。そうだとすると、原案のような形でチームとして 行うという表現のほうがいいのではないかと思います。  その際に、注4の書き方ですが、いま論じていることは注4の書き方に行き着くので はないかと思います。前者は決してそうではないことを明らかにしているのではないか と思いますが、後者の責任の所在が曖昧になるのではないか、緩和されるのではないか との懸念が出る1つの理由として、注4の最後の部分に「あくまでチーム形成を支援す るためのものであって、特に刑事責任を中心とする法的側面については引き続き確認し ていかなければならない」、そういう問題だ、それをご理解いただきたい、という表現 があります。確認していくことは、これから緩和もあり得るけれど、考えていくのだと いうニュアンスがあるような感じがしました。もちろん、現在認められている責任を緩 和することを意図するものではないのだという表現ではないことから、それは今後追々 考えていくのでというニュアンスが見えて、しかもチームでやることによって緩和の方 向もあり得るし、ということがここから引き出される可能性のある表現なのかもしれな いと思うのです。  そうだとすると、現在の責任の所在について緩和をもたらすのではなく、それぞれの 専門家としての知見に伴う責任はもちろんあって、それは医師だけではないわけです。 大井委員がおっしゃったように、5人であれば5倍になるというのは、いままでのご議 論からそれぞれの専門家としての責任で、その責任を負うことはいままでと変わりはな いことを明らかにするような表現にすれば、懸念は解消されるのではないかと思いまし た。 ○佐伯委員 注4の最後の部分は、2つのことを同時に言おうとしていて、1つはいま 問題となっている最終的な決定をする主体、責任を負う主体が誰かという問題と、決定 をしたあとの責任の問題だと思います。おそらく、これから考えていくのは、今回のガ イドラインは手続に関するものなので、決定をしたあとの責任のあり方について、すな わち実態的な問題についてはこれから考えるということを言おうとしていて、前者の責 任の主体については特に触れるつもりはなかったのだろうと思うのです。ただ、いま おっしゃったような読み方を招く恐れがあるのは確かなので、その点を明確にすればい いのではないかと思います。 ○日野委員 イメージを教えていただきたいのですが、医師の独断専行による弊害、 チームが参加すれば防げたであろうものとして、いま私がふと思ったのは、万波先生の 腎移植の問題です。新聞記事では、あの先生が独断専行したということで決着がつきそ うな雰囲気のようですが、終末期とは違いますが、ああいう例で考えて、実際に医療と しての終末期の選択肢はそんなにないのです。むしろ、取り巻く環境、その人が持って いる家族や歴史といったものによって若干のバリエーションがあって、それに配慮する ことによって、より質の高い終末期を迎えることはあり得ると思うのです。しかし、独 断専行するというイメージがみんなで共有できていないと、議論がかみ合っていない気 がするのです。 ○座長 本当は具体的な事件がいくつかあり、それは散発的なことだとは思いますが、 例えば先週東京高裁で1つ判決が出ています。その判決文の中には、被告の医者が1人 で抜管を決定したことは慎重さを欠いていたと言わざるを得ないと、はっきり裁判で出 ているので、私はイメージは共有されていると思います。  あの事件が転機になってこの委員会を作っているわけではない、別の事件もある。そ のときに必ず問題になるのは、独断でという話が出てきているわけですから、「それは いけないね」ということをこのガイドラインではっきり出そうということなのです。そ の表現ぶりが難しいので、いま議論になっているのだと思いますが、そのような判決や 事件が契機にはなっているけれど、厚生労働省の委員会として、いまこの委員会として 6回裏にやれるのは法的責任論で、例えば医師法の改正を提案するとか、業務独占をこ こで検討してみようとか、そういう話はできないのです。できることをみんなで集めて、 しかしこれだけ確認することにも、いまの日本の終末期医療にとって意味があるではな いかという点についてのみ、コンセンサスを得たいということなのです。  ただ、こういう表現をすると、非常に誤解が多くなってとんでもないことになるよと いうことであれば、大井委員が懸念されているようなことが本当にあるのなら、それは いけないので、何らかの注を付け加える必要があるとは思いますが、先ほど言った意味 でのことだと理解してはくださらないでしょうか。 ○大井委員 わかりやすい例を出すと、みんなでチーム医療を形成して話し合っている ときに、こういう行為はもうやめようと、酸素吸入はやめよう、透析はやめようとなっ たとします。しかし、透析をやめるのは、医師が自分でやめるわけではないので、看護 師がやめたりします。しかし、責任は医師ですよ、と私は言いたかっただけなのです。 チームで話し合って全員で決めたけれど、それが問題になったときはという意味も含め て言ったのです。 ○座長 実際に、いまは抜管その他の行為をした人が全然関係なくて、医者だけが責任 を負うことにはなっていないと思います。 ○大井委員 抜管はなかなか難しい問題があるかと思いますが。 ○座長 透析の機械を外しても同じだと思います。 ○大井委員 ですから、あらゆる場合も含めて。 ○座長 だから、これは責任論ではなくてということなのです。 ○大井委員 もちろんそうです。だから、方針の決定がいちばん重いのだと思ったので す。方針を決定するのは誰か、責任の所在をはっきり明確にしておく必要があります。 みんなで盛んに検討し合って、納得しなければできない話です。検討し合うのは多職種 でやることには賛成です。それは絶対賛成条件だと思いますが、ここに書かれている表 現だとぼやっとしているので、そのように言ったのです。これでも十分わかると言われ ると、そういうものかなと思うのですが。 ○保健医療技術調整官 もし、ある程度表現の問題なのであれば、こちらで表現ぶりも 含めて考えてみたいと思います。 ○座長 先ほどの注4に戻るのですが、そこには刑法的な話しか書いていませんが、刑 事責任を中心とする法的側面については、率直に言うと引き続き確認していかなければ ならない問題であるという所へ全部収斂させようということなのです。6回の裏ですか ら、ここで法的責任のあり方を全部変えてしまうことはできないのです。 ○大井委員 苦労しているのだなということはよくわかった上で、しかし、問題点を明 らかにしておかなければ検討会の意味がないと考えたのです。 ○座長 それはそうです。本当にそのとおりだと思います。  議論が11頁の2に集中しているのですが、結局最初の所に戻っていく話ばかりになっ ていると思います。そこに書かれているように、患者の意思の確認ができる場合には、 当然患者の意思決定が基本であると、ここはそれと医療・ケアチームとの合意という議 論なのです。それを基本として、医療・ケアチームが行うのだと。患者の意思はどのよ うなものであったかを、あとで問題になり得るので、実際にも問題になっている例がい くらでもあるので、ここはできれば文書にする。しかし、それは医者がこういう文書が できたからサインしてくれという文書ではないことを、注8に書いてあるのです。  先ほど問題になったのは、(3)を付け加えて、この過程に家族が何ら関係ないという話 には、普通はならない。家族もいろいろだからこの程度の表現にしたのですが、「患者 が拒まない限り」という条件が入っているのだから、決定内容を家族にも知らせるべき であると書くのか、知らせることが必要であると書くか、知らせることが重要であると 書くか、書きぶりはいろいろあると思います。もう少し強めたほうがいいとのご意見が 多ければ、そのように対処するということかと思います。 ○佐伯委員 いまの点について、木村委員のご懸念を伺うと、むしろ「望ましい」のほ うがいいのではないかと思いました。「必要である」と書くと、探し出してでも知らせ なければいけないのかという話になるし、よく問題になるのは、あまり病院に来ていな いのに、あとで自分は知らされていないという形で問題になるのではないかと思うので す。いま伺ったご懸念の点からは「望ましい」という表現のほうが望ましいのではない かという気がしました。 ○木村委員 それについては、どこかに書いてあったと思うのですが、どういう人たち を家族とするか、あらかじめ範囲を決定しておくことは必要であるとなっています。あ なたのご家族はどなたですかと、息子3人と娘の4人ですと決めたら、それ以外の人の 意見は全然聞かないわけではありませんが、その人たちの意見を重要視する。突然出て きた伯父さんなどの意見を無視するわけではありませんが、とりあえずこの4人と限定 した中できちんと決めて、向こうが選んでくれた家族はこの人たちで、この人たちの意 見はこのように聞いているときちんと提示すれば、その必要はないのではないかと思い ます。  「望ましい」よりは「重要である」ぐらいにしておいたほうがいいと思います。「望 ましい」とすると弱いですね。そのくらい強く聞いておかないと、あとで我々は困った ことになるのではないかと思います。 ○座長 木村委員は家族が誰かの問題を提示していて、それは次に出てくるものなので すが、それも非常に難しい問題で、このガイドラインで家族が誰かを決めようとはして いないのです。それはできないことです。終末期が何であるかをこのガイドラインで決 めることができないのと同じことなのです。だから、最初に申し上げたように、本当に 緩やかなものだけれど、このぐらいはみんなが賛成するねというところだけを書こうと いうことなのです。  「望ましい」に関しては少しご意見があることを伺いましたが、意思の確認ができな い場合は家族が一層重要になるので、家族とは何かということで「家族等」にしたので すが、「等」だとかえって曖昧で、誰でも入り得るのだという趣旨を注10で「患者が信 頼を寄せ、終末期の患者を支える存在である」としています。誰が判断するのか、これ は医療現場でそれぞれのやり方があって、いま木村委員はそうおっしゃいましたが、木 村委員の病院ではそのようなことが行われるかもしれません。しかし、ほかの所ではほ かのやり方があっていいということです。  患者のほうもさまざまで、こういうことを積極的に言う人と、そうではなく自ずから 明らかな場合もあり得るでしょう。家族は、別に法的な意味での親族関係に限る必要は なく、内縁であれ何であれ、終末期の患者を支えるための体制をどうして作るか、誰が そういう人たちかというだけの話なのです。それを順番づけをしたりすることは、ここ ではやろうとしていないし、できないのではないかと私は個人的には思っています。医 療の現場を一律に縛って、こうしなければいけないと窮屈にしたり、逆にこうしておけ ば大丈夫と、法的責任論のほうへ全部投げてしまうような話もしていないのです。だか ら、そのようなことを期待されても、今回はできないことではないかと思います。 ○川島委員 いまおっしゃったことを如実に示しているのではないかと思うのが、9頁 の「基本的な考え方は次のとおりです」とある所の7)だと思うのです。つまり、特に 医療従事者は、何かの刺激があると、それに反応して回答すればいいという直線的な考 え方をしがちですが、実際には1度決めたからそれでいいわけではなく、変更があれば また同じプロセスを螺旋状に積み上げ、何度も繰り返してそのときにいちばんよいやり 方を構築する努力を積み重ねることが重要だというのが、ここの趣旨だと思うのです。 それが、医療従事者のいままでの決定のプロセスにあまりそぐわないところがあるので はないかと思うのです。しかし、これが我々が間違ってきたやり方を是正するいちばん 大事なやり方ではないかと思うのです。 ○座長 そうですね。大井委員のご意見は、私も法律家の端くれなので、本当はそうい う議論だけをしてきたのです。しかし、ここではプロセスのほうをやっているので、最 終的に誰がという話ではなく、ここを実施させることのほうが、遠回りなようで末期を 迎えた患者にとっていちばん大事なのではないかということなのです。 ○大井委員 前回私はプロセスとしてのダイイング・ペーシェントと言ったのですが、 そういうプロセスが大切で、プロセスを考えていこうと主張しました。1に患者本人、 しかし、終末期で死ということを考えると、患者だけではなく家族があり、地域もあっ て、その下に医療従事者がいるのだと言ったのです。そういうことをみんなで考え合っ ていこうということには賛成なのです。  しかし、日野委員がおっしゃるように、医療現場がいま困惑している大きな理由の1 つに、そういう落とし穴のようなピットホールがあるのです。それを何とかして消して おかなければいけないのです。なぜ独自に判断してしまう医師が出てくるのか。どうし たらそれに歯止めが利くのかというと、法律に裏づけを期待しておくことも頭の隅に入 れておかなければいけないのかなと思います。プロセスが大切だという意見には、私は 大賛成です。 ○永池委員 合意形成のプロセスがとても大事で、医療の現場では、自分の死をどう受 け止め、どのように治療をするか、積極的にするのか緩和にするのかといったところで は、一旦決めた意思を、現場の患者たちはとても後悔したり、行きつ戻りつという言葉 を使っていますが、そんな状態があります。  ここで「繰り返し行うことが重要だと考える」と、注9にもありますが、(2)のどうい うときに再確認を行うかの条件の中に、時間の経過と病状の変化、医学的評価とあって、 実際に患者の心理的変化が含まれていないように思います。意見書にも書きましたが、 是非とも付け加えていただきたいと思います。  もう1点、先ほどカンファレンスを行いながら、忙しい時間を縫いながらもチームの 合意形成をし、しかもそれを議事録に残さなければならないとの意見もありましたが、 議事録というよりは、むしろ診療録であったりカルテにきちんと残すことも、1つ重要 な点ではないかと思います。2つ目の私の意見としては、内容を文書として残しておく ことは、1枚の紙に合意しましたということを残すよりは、そのプロセスがどうであっ たのかが診療録の中できちんとわかるような記録の残し方も重要であるといった注釈が あったらいいのではないかと思いました。 ○座長 だから、ここは文書もいろいろ多様なものがあっていいという趣旨なのです。 最初の点は、私の考えでは時間の経過の中に入っているのです。時間は経過するもので すから、それに応じて患者の意思も変わるだろうと、変わり得るものだからという意味 で、患者の意思の再確認ですから、そういう趣旨だと思うのです。  患者の意思の確認ができない場合が、一層難しい問題です。ここは家族のほうで、よ くある議論ですが、まず本人の意思を推定してみてくださいと。本当にそういうことが できるのか、推定できない場合は何が最善だと思うか。結局同じことなのかもしれませ んが2つの観点から、最終的には患者のためのものですから、それを家族から聞き出し、 それを参考にして患者にとっての最善の治療法を考える。先ほど、患者にとっての最善 の治療方針がわかれば苦労はないとの意見もありましたが、それは医療者のほうで合議 をしながら探求していただくほかはないと思うのです。それは時代によっても違ってく ると思います。  家族がいない場合、家族が先生にお任せしますと言う場合も、中にはないわけではあ りません。それはできませんと言うわけにもいかない場合があるので、(3)で書いている のですが、任されたのだから勝手なことをしていいわけではないので、注12の最後に、 内容を説明して十分に理解していることを確認していただくということを書いているの です。  私は現場を知らないからかもしれませんが、1つひとつは当たり前のことで、いまさ らこんな当たり前なことをガイドラインとして示す必要があるのかというご意見もある のかもしれません。しかし、これは患者のための措置として、手続というと言葉がおか しいので、片仮名語でプロセスというのも変な話ですが、これだけの過程を経て末期の 患者を支える体制を、最低限これは作ったほうがいいということを明らかにしようとい うことですが、本当に当たり前のことしか書いていないかもしれません。  多専門職からなる委員会というのは、チームや当事者間では異論が出てきて当たり前 ですから、そこでは解決ができない場合だけ、例外的にとはっきり書くのがいいのかど うかは分かりませんが、ここは岩渕委員と意見が異なるところかもしれません。何でも 委員会を作ってそちらに上げればいいと、必要がない場合までやらざるを得ないように 読まれるのも問題かと思います。例外的にというのは少し強めの表現で、これがあった ほうがいいのかは何とも言えませんが、家族も含めて、患者を取り囲む医療・ケアチー ムではなかなかまとまらない場合もあるでしょう。その場合は別の、しかも専門家が 入って、その専門家は一種または複数の専門職とは一体誰なのかという話はあるのです が、それは医療現場の中で工夫していただくということなのです。その人たちが客観的 な目で、意見が分かれている中で、この患者のケースはこちらのほうがいいのではない かと言ってくれた場合に、それを元に戻す。そこで決定できるという話ではないと思う のです。最後に合意のところに戻ってくるほかはないのです。  絶対合意ができなかったらどうするかというと、それはどうしようもないのではない でしょうか。アメリカなら裁判所へ行くのでしょうが、日本ではまだそういう体制はな いと思いますし、みんながなるほどと思う体制で亡くなっていくのが、末期患者にとっ ていちばんいいことなのではないかと思います。 ○岩渕委員 くどいようですが、もう1回言います。そういう意味では、ケアチームの 中で異論が出ることがそんなにあるのかどうか、異論を出すほどほかのコメディカルの 人たちがきちんとしているかというところに、現実の問題としてはなかなか難しいとこ ろがあるのです。そうすると、現実の流れの中では、川崎や射水などのケースのように、 歯止めにはなりそうにないというのが私の実感なのです。  ですから、医師1人が全責任を負いながら思い詰めてやってしまうことは、決して医 師にとってもハッピーなことではないと思います。そういうケースは、最終的な延命医 療のの中止については第三者でしたほうが、歯止めあるいは医療の透明性もあるので、 そこは1つポツで抜き出して書いたほうがいいというのが私の提案です。コメディカル の代表の方もいらっしゃるので、そういう意味ではケアチームの中できちんと歯止めを かけられるのだと、大見得を切っていただければと思います。 ○宝住委員 この部分はやってみないとわかりませんし、ALSなどの場合には自分の 意思もあるし、いつが終末期かわからないで、いろいろ問題が出てきています。そうい う場合は考えないかもしれませんが、それ以外にも、いまのところは終末期とは認めら れませんが、私は植物状態になっている人は終末期かと聞かれたのです。何とも答えよ うがなかったのですが、これからそのような人についても、医学的に進歩して終末期と いわれるようになったときには、余計にコメディカルの人の意見が必要になると思いま す。いますぐ大見得を切って言えるかどうかはわかりませんが、そういう時期も来るし、 そのような状況になっても十分に対応できるガイドラインという意味で、医療チームと していろいろな職種の方に入ってもらうことに賛成です。  先ほどの家族のこともはっきりしないので、「望ましい」のほうがいいと思います。 家族だと思っていた人が家族ではなくて、亡くなってから家族が出てきて大変な思いを したこともあります。知らせるとなると、言わなかった家族だと思っていた人が家族で はなく、家族が出てきて知らせなかったと言われたときに大変困ると思ったので、あま り縛りがないほうがいいのではないかと思います。わかった場合には全部知らせるべき ですが、わからない場合に、亡くなったあとで家族が出てきて、知らせなかったと言わ れても困ったことがあったので、いまのガイドラインに賛成です。 ○永池委員 私は看護の立場からですが、いろいろなケースがあって、もし看護師が異 論がある場合に、ドクターに異議申立てをできるかどうかの要素がいろいろあると思う のですが、私は幸いにもチーム医療がとてもうまくできている所で働いていたので、私 の友だちや同僚、私の勤めていた病院の人たちは、常に異議を申し立てていました。し かし、そうでない所のお話を聞いてみると、強い医師の一言で決められてしまって何も 言えない。異議を申し立てたら、「看護師の分際で」という発言も返ってくる。その返 りが怖くて何も言えなくなってしまう。本当は患者・家族の気持を代弁すべき擁護者で あることを意識しながらも、躊躇してしまっている状況を耳にしたことがあります。  実体験としては、私が看護部長をしていたときにそのような状況があって、ナースが 言えなくて部長まで上がってきました。実際私がどうしたかというと、私の立場から看 護部長として病院長に異議を申し立てて、そこでチームで再度決定をしましょうという 運びになりました。さまざまあろうかと思いますが、理想はここに書いてあるように チームでといったところだと思います。今後コメディカルも頑張っていきたいと思いま すので、是非ともこのままがいいと思います。 ○座長 時間的なこともあって、可能であればいちばん最初に戻りたいと思います。 ○木村委員 いまの項目で、12頁の注12に「家族がいない場合、及び家族が判断せず、 一切を医療・ケアチームに委ねる場合」と書いてあるのですが、「一切」という表現で いいのかどうか、「判断を」としたほうがいいかです。  もう1つは、文章の4行目に「家族が判断を委ねる場合にも、その内容を説明し、十 分に理解していることを確認することが必要」と書いてありますが、たいがい家族が 「お任せします」と言った場合は、ほとんどの場合十分理解されていないのです。理解 されていないから、「お任せします」ということになって、「そう言わずに聞いてくだ さい」と何度も説明するのですが、結局先生にお任せすることになってしまうのです。 それでも、家族に説明する努力はしているのですが、ここで十分理解していることを確 認しろと言われると、難しい場合もあるかと思います。十分に理解させるように努力す る必要があるとか、趣旨はよくわかりますので表現を変えていただかないと難しいと思 います。 ○座長 これは、表現が少し強すぎるかもしれません。内容は、医療・ケアチームがこ ういう方針でやるということなのですが。 ○木村委員 患者がこのような状態で、このようにやるのだと、よろしいですね、とい う内容ですね。なかなか理解されない方も多いのです。理解している人もたくさんいま すが、そうでない方もいっぱいいらっしゃるので。 ○土屋委員 戻るわけではありませんが、病院では、いままでは病院薬剤師が薬剤部の 中にこもっていたのが、病棟にいるようにする環境をつくろうとしている最中です。ま ちの薬局でも、薬局内でしか調剤ができなかったのが、今回法律が変わって、患者の所 でも調剤ができるように変えるということから言うと、いままさに発展途上で、正直い ますべてを大丈夫だと言うつもりは全くありませんが、これだけいろいろなことが変 わってきた中で、これから十分それが発揮できるのではないかといったときに、これか ら先、このプロセスの中でチームの意見を反映できる可能性が高まってきたので、非常 に重要ではないかと思います。 ○田村委員 川島先生がお示しくださった回復期リハの計画書とAIDSの部分で社会福祉 士・ソーシャルワーカーが、診療報酬書に載ってきて、もちろんほかの領域でも少しず つ入ってきて、チーム概念がすでにあって、終末期のいちばん大切な命と暮らしの部分 がものすごく凝縮して出てきている場面に、いまのソーシャルワーカーのマンパワーは 不十分ですが、それを全部受けて立てるほどになってはいませんが、終末期における社 会的側面の重要性を押さえて入れていただく必要があると、立場としては考えます。  いま注12のお話がありましたが、私も相談の中で、判断をせずではなく、委譲する判 断、医師に決定を委ねることを決定する選択が、患者や家族にはあると思います。そこ で内容を理解している、「理解」という表現がストンと落ちないのです。もちろん、臨 床の中で感じておられる感覚かと思うのですが、やられることに対する同意というか、 全くわからない。理解の度合はなかなか難しいのですが、任せられたのだから自分がど んどんやるのではなく、書く必要があるかという議論になるかもしれませんが、それを どうするかの同意を押さえる所としては、委譲することを選択・決定したことに対して、 内容の同意を押さえながら進めるという意味合いだと読みますが、いかがでしょうか。 ○座長 そうですね。おっしゃっていることは、そんなには違わないことなのです。理 解が本当にできるのかというと、理解していないけれどサインはするというのが一般の ことなので、もしかしたら文章表現は少し考えたほうがいいのかもしれません。  最初に戻って、9頁にガイドラインの趣旨を1枚付けたのです。時間の関係で、もう 1回読み上げることはしませんが、ここの部分で特に少し違和感がある所があるかどう か。 ○日野委員 この前いただいたパブコメの中にあったのですが、チームケアのときに患 者・家族と出てきますね。特異な例かもしれませんが、同性愛者で一緒に暮らしていた けれど、いざとなると、はじき者にされたとかいうことがあります。患者を支援してい る人は家族という言葉には含まれないと思うのですが、それを一言を付け加えていただ きたいと思います。結構パブコメに出てくるのです。また、近所に世話焼きおばさんが いて、ずっと面倒を見ていた人がはじき者にされたとか。 ○座長 それは注10の話なので、またあとで出てきます。 ○大井委員 私は、今日どうしてもこれだけはお願いしておこうと思ったのです。たぶ ん、いろいろ紛糾してきた大きな理由にもなっていると思うのですが、ガイドラインを 作るときは、用語を規定して解説しておいていただきたいと思ったのです。前回「積極 的安楽死」という言葉があって棒が引かれたのですが、また再び出てきているのです。 そうすると、「積極的安楽死」は残ったのですね。そのほかに、「積極的安楽死」と いったら「消極的安楽死」「間接的安楽死」という言葉が、対になって必ず登場してく るのです。終末期医療とはこういうものなのだという用語の定義だけは、簡単で結構な ので解説しておいていただけると、理解が早いのかなと思ったのです。 ○保健医療技術調整官 もちろん、定義できる言葉もあるのですが、ニュアンスが微妙 な内容のようなものについては、定義を試みるのがかなり難しいものもあるので、その 辺りは少し考慮したほうがいい気がします。 ○大井委員 たぶん、そういう答えになるだろうとは十分予想しながら言ったのですが、 そうしないと6回までいかないのではないかと思ったのです。このガイドラインは6回 だと言うのですが、定義がないと1回の表で。 ○座長 そこは見解の相違で表現のしようがなくて、しかも定義とか。 ○大井委員 定義というか、解説でもいいでしょう。 ○座長 そうなのですが、定義したことを書こうと思うと、かえってそれが一人歩きを して、現場を縛ることになるのではないかと危惧しているのです。終末期とはこうです よとか、積極的安楽死については対象としないのなら、こちらは対象ですねと、結局こ れを1つひとつ全部定義することになりますね。それは法的責任論で形成する話で、 我々は今回はやらないと、はっきり出しているわけです。やらないというか、やれない というか、今回のガイドラインの限界だと思いますが、それは仕方のないことだと思い ます。 ○大井委員 先ほども言いましたが、これは終末期医療のあり方ですね。終末期医療と は一体何なのかを、誰がどのように決めるかがいちばん重いと言ったのです。終末期医 療のガイドラインの適用になる状態は、1人の医師が決めてはいけないのではないかと いうのが私の意見だったわけです。そうすると、それをどこかに謳っておかないと、ト ントンと歩いていく感じがしていたのです。これは絶対に必要がないと、この検討会で 全員のコンセンサスが得られて、用語は要らない、解説は要らないとなれば仕方がない と思います。 ○座長 積極的安楽死は、最後の11頁の所で出てくるので、もう一度ということです。  10頁です。前回いろいろなご意見をいただいたものを取り入れたつもりなのですが、 なかなか取り入れきれていないとの趣旨だと思います。(1)、(2)がガイドライン本体です。 これは、1つの文章だったものを(1)、(2)にしたのです。途中まで1つの文章だったので、 注1を(2)のあとに入れたほうがいいと思います。私が気がついたことでは、(1)に「医療 従事者等」と、ここだけ「等」が入っているのですが、ご意見の中でソーシャルワー カーは医療従事者かというものがあったのです。これもまた定義論で、本当は意味がな いと、私が退けてはいけないのですが、そう言われればそうなので「等」を入れている のです。そうすると、注3で医療・ケアチームとはどのようなものか、それ以外の医療 従事者というのが基本形であるという所にも「等」を入れておかないと、平仄が合わな いことになるのです。  その程度のことは気がついたのですが、ほかにもっと大きなことで、(1)は情報を得た うえで患者本人による決定が大事であると。(2)は、それに対して医療従事者の責任が、 医療として行うわけですから、当然そちらの判断が大事で、医療・ケアチームによって 慎重に判断すべきであるという言い方にしています。これが、先ほど来問題になってい ることの1つでもあるのですが、一応(1)、(2)を作って、そのあとに注を付けたらいいと 思いますが、注1〜4があって、終末期の定義についても、注2でこのような形で割り 切っているわけです。  医療・ケアチームがどのようなものかについても、それは現場によってさまざまで しょうと。しかし、1人ではなくそれに関わった人、医療従事者等で支え合うチームを 作っていただき、ケアチームの中へ入れば、先ほど大井委員がおっしゃったように責任 が5倍になるのですから、チームに入っていればチームの成員としての責任は発生する ので、岩渕委員のおっしゃる懸念は時と場所によるわけですね。全部理想が実現するわ けはないけれど、できるところもあり、できないところもそちらの方向へという趣旨だ けです。  医療・ケアチームということの曖昧さについては注4ですが、少し考えを深めたほう がいいかもしれません。  (3)がこのガイドライン本体で、緩和ケアが重要であることを言っているわけです。緩 和ケアといっても、肉体的な疼痛・苦痛だけではなく、精神的・社会的な援助も大事な ので、注5、注6で社会的な側面まで踏み込んでいます。  (4)が議論があった所で、プロセスであれば実態的な中身には一切入らないほうがいい という趣旨を入れて、対象としないということなのですが、何を対象としないのかとい うので、典型的な事例を1つ持ってきています。  この1の部分についてご意見を伺いたいと思います。前回のご議論を相当程度入れる ように努力はしたのですが、その努力がどこまでいっているか。 ○岩渕委員 (1)は大変結構だと思います。関連して、患者の立場から(2)を見ると、ここ には患者が出てこないのです。それは(1)に書いてあるから当たり前だと言えばそのとお りなのですが、少し寂しい感じがするのです。ですから、あえて言えば「医学的妥当性 と適切性を基に」というところを「医学的適切性と患者の意思決定を基本に」ぐらいの 形にしてもらえば。 ○座長 いや、先生、それが(1)で最初に。 ○岩渕委員 それはわかっているのです。でも患者は、2階に上がって梯子をはずされ たような気分にならないかということを懸念しているのです。 ○座長 でも、これは初めは文章が1文だったのですね。これをはっきり2つに分けた ほうがいいというご意見があったので、2つに分けたからそういう印象になっているの だと思うのです。この(1)(2)は、流れとしてはもともとは1つなのです。だから、あまり 長い文章はしょうがないので、はっきりこうやって分けたのが、かえってあれですか。 ○岩渕委員 皆さん気にならなければそのままでいいです。 ○座長 いかがでしょうか、この1の部分について。どうぞ審議官もご意見を。 ○審議官 すみません、本来事務方のあれなのですが。 ○座長 いや、みんなで叡知を集めるということですから。 ○審議官 1と2を分けたので、1が強くなったと読めば読めるのかなと思っています。  それから、注4の所で、先ほど沖野委員から「特に」以下の文章が、2つの意味に取 られるのではないかというご意見がありました。これは菊岡調整官がコメントしました ように、文章を少しわかりやすくする方向で直したいとは思っておりますが、例えばこ んなようにというのがもしあれば参考にと思います。 ○座長 それはいますぐでなくても。 ○審議官 あとでも。出していただければと思います。 ○座長 「刑事責任を中心とする」とだけ書いてあったのでは、結局、刑事責任の話に 収斂するかもしれませんが、大井委員がおっしゃったのはそれだけではないですよね。 だからもう少しはっきりと、それについては当然別個に検討すべきなんとかと。何らか のことをちょっと配慮したほうがいいかもしれない。 ○審議官 「後者に対しては」の部分に続いているので、なんとなくその後者のことだ けの議論で入っているように思われるのでというのは、これは法律関係の委員からお話 があったと思います。そんなのも含めてちょっと知恵を絞ってみたいと思います。 ○座長 これはそのいきさつで言うと、初めは入っていなかった文章が、叡知を集める 過程でどんどん入ってきているものですから、そうなっているのですね。ちょっと文章 を切ってもう少し明確に何かという、ここは残されているということは、はっきりした ほうがいいと思います。 ○佐伯委員 (1)と(2)の関係で、いまご指摘があったように、(1)が大原則だという意味で は、先ほど座長から、(1)と(2)は一緒にして注は全部そのあとに入れたほうがというお話 があったのですが、私はこのままのほうがいいような気がします。 ○座長 そうですか。注1はこの場所のほうがいいですか。 ○佐伯委員 (2)で、見え消しで消されているものですから、私も最初に読んだときは ちょっと気になったのですが、どのような状態が終末期かは、「医療・ケアチームの適 切かつ妥当な判断によるべき事柄です」という注2が続きますので、第1が大原則で、 第2の点は、どちらかというと、医療的判断を主としてそのチームで行うという趣旨が、 わりと出ているのかなという気がしました。受け止め方の問題なのですが。 ○座長 それで皆さんよろしければそれでもいいですが、初めは(1)と(2)が1つの文章 だったので、注1は当然すぐ後ろだったわけですよね。そうだったのですが、この注1 の内容で。両方が必要だとはっきり言っているものだから、どうですかと思っただけで す。 ○沖野委員 また表現の問題かと思うのですが、私はこの(1)と(2)を分けたことは、以前 よりも非常にわかりやすくなったと思います。特に患者の意思決定の重視が第1の原則 だと明示することにはとても意味があると思います。その観点から(1)で若干気になりま すのは、その終末期医療を進めることが「原則である」という、その原則という表現自 体に2つの意味合いがあり得て。つまり原則という言葉自体が、「第1原則」「基本原 則」「最大の原則」という意味と、「原則例外」の「原則」というニュアンスを持って いますので、第1の意味での原則と言っているということを明確にしたほうがいいので はないか。表現は重なりますが、基本原則とか第1原則であるとか、もちろん「原則例 外」を対比して「原則」と使っているのではないということを、明らかにしたほうがい いのではないかと思います。  注1についてですが、(1)の説明として第1にこれ、第2にこれというように、完全に 併走しているところが、ちょっと嫌みなところではないかと思います。ですので、より 良い終末医療には何よりも患者の意思決定が必要だという趣旨です、もちろん医療行為 である以上は、終末医療としてのこれこれが要求されることは言うまでもありませんと か、(2)参照とか、そういうようにすれば明確になります。注1の表現を少し変えること によって維持してはどうでしょうか。位置はこのままで表現を変えたらどうかと思いま す。  注4については、この表現は、直ちには思いつきませんので考えさせていただきたい と思うのですが、私自身が気になりましたのは、いままでのご意見を伺っていて、責任 の所在が曖昧になるという懸念に対してです。その責任の所在というのは、事後的に法 的責任を追及するということと、責任意識という問題と両方あって、専門家としてそれ なりにやっていただきたいところを緩和するとか曖昧にすることは、もちろん狙いとし てないと明確にした上で、一方で、事後的なとおっしゃった法的責任の所在の問題は、 これはここで扱っている話ではなくて、今後検討していくべき問題ですと、その2つを 分ける形で書けばよろしいのではないかと思いました。 ○座長 その曖昧なというところに対して、もう少し丁寧に対応したほうがいいかもし れないですね。ほかにはどうでしょうか。 ○日野委員 1番の、これは書かないところに意味があるのかもしれませんが、「あな た、終末期ですよ」ということを、いつ言うかという非常に難しい問題です。そのこと は触れないほうがいいのですか。それを決定しないことにはチームも形成できないです ね。 ○座長 そうです。しかし国がそれを決めることはできないです。 ○日野委員 いや、国ではなくて、このチームは各医療提供者で結成するわけでしょう。 チームを結成するには必ず、その人はもう終末期ですよという誰かの判断、医師でなけ れば。チームでそれを判断するのかというと、何か変なことになりますし。 ○座長 それはおっしゃるとおりです。 ○大井委員 その決定は誰が判断するのか。そうしたらここはやわらかくしましょうと 座長がおっしゃったので、最初に言われたやわらかい判断というのはそういうことなの かと思ったのですね。 ○木村委員 まさにこれは厚生労働省、国としては、こういうやわらかいことを決めて もらうだけで十分だと。本来こういうことは、我々医療者側がきちんとやらなければい けなかったことなのです。それを我々がやらなかったということなのですね。それで、 やろうやろうと思っているうちにいろいろな事件が起きてしまって、またサボっている うちに、厚生労働省がご親切にやっていただいたのですが、本当は我々が決めなければ いけないことだと思うのです。ですから日本で言えば例えば日本医師会なりが中心にな り、医療者がこれを決めていく必要があって、本来は国が決めることではないと思いま す。この終末期医療の決定プロセスのあり方に関してだって、本当は医療者がやらなけ ればいけなかったことを、我々がサボっていたためにこういうことになってしまったと いうことです。  ですから今回のこの内容について、確かに、終末期はなんだったか。どこかで決める のかとか、この決定プロセスのあり方よりもっと大事なことは、誰がどういうようにや るのか、責任は誰にあるのかということもありますし、先ほど出た積極的安楽死、消極 的安楽死等の定義であるとか、いちばん重要になってくる治療中止をどうするかという ようなことについては、ここで決めるべきではなくて、今後、やはり医療者が中心に なってきちんと、全国民の意見を入れて作っていくべきものだと思いますので、ここら 辺はこのぐらいにしておいてもいいのではないかというのが私の意見です。それは全日 本病院協会の意見でもあります。 ○宝住委員 日本医師会でもこれは議論しています。実際に、そう簡単に終末期がいつ かということは。先ほど、植物状態の人はどうかと言われたときに、答えようがなくて 困ったわけですし、やはりいまのところは、これは定義とかなんかではなくて、個々の、 将来、言われたら生きる意欲を失って駄目な人もいますし、このあいだ座長が言われた 末期がんだという連絡をしなかったからということですが、そのときにがんだと発言し たら全然罰せられないのかと言われても、医者としては、相手が困るような状況という ことではなかなか言えない場合もあります。いつでも簡単に決められる問題ではないか と思うのですが、医師会としても十分議論して、できるだけ早くそういうようなことを 出すようには心がけます。この終末期のあり方も、厚生労働省がこういうことをやって くれて大変助かっていますが、なかなか。あとのほうも十分やってもらえればありがた いのですが、医師会としてもやるつもりでおります。 ○田村委員 終末期になったから結成するというお話があったと思うのですが、イン ディケーターが1つあって、それでパキッとここから終末期というより、やはり移行し てくるものですし、どんなときにも、もちろんドクターも看護師も、ほかのコメデイカ ルもいるわけですので、そういうことをこのガイドラインで示すことによって、いま診 ている患者のなだらかなプロセスとか、そのプロセスは、意思決定プロセスもそうです が、その療養のプロセスというところへの意識というガイドラインでもあると思うので、 そういう意味づけで捉えたほうが現実的ではないかと思います。 ○岩渕委員 要するに、終末期になったから改めてそのチームを編成しますということ ではないのではないか。チーム医療というのはそうではないように思っているので ちょっと疑問を感じました。 ○座長 そうそう。終末期医療の充実のために何らかのガイドラインを作ったほうがい いかもしれないと思って、我々はこうやって参集していると思うのですが、終末期医療 以前はどうなんだという話に必ずなりますよね。もちろんその全体を充実させる必要が あって、その流れの中で「終末期についても」ということであって、急にここからケア チームという話ではなくて、本当はそのずっと前からチーム医療で、その人について配 慮してあげるような体制を充実させることが必要だということに。ちょっときれい事で 申し訳ないですが。  時間が過ぎまして、しかし一応、今日の解説編について、一通りのご議論はいただい たと思います。私と事務局との初めの打合せでは今日の取りまとめの仕方は2つあって、 一定程度の意見の集約がなされた場合には次のように、一定程度の意見の集約に至らな かった場合は次のようにと、2つの道があるのです。どう判断すべきかということです が、一定程度の意見の集約はあったと考えてよろしいですか。委員の中にはちょっと諦 めも、もう少し元気のあるというか、はっきりしたもの、「やわらかな」ということで ごまかされているのではないかというようなご懸念もあるかもしれませんが、ともかく、 相当程度のご意見をいただいたと私は思いますので、この案文をもう一回、事務局と一 緒になってたたいて、その中でまた少しご意見を、案文等についても少しご意見をいた だきながら、次の案というのを作って、それを。どうですか、事務局。同じような形で 委員の方にまた回しておいて、大体、いま一定程度の合意は得られたというのは私の勝 手な判断ですが、これをここまで、もうワンステップだと思いますから最後は案文。初 めに「望ましい」がいいかどうかという点についても鋭いご指摘をいただいて。やはり こういうガイドラインなんかを厚生労働省とかその他、国のレベルで出した場合に、そ の文章の、つまり、この検討会ではこのような趣旨だったんだという話なのですが、皆 さんがこの議論に携わっているわけではないので、この案文だけを読んだ人があまりに、 真面目にというのはちょっと言い方がよくないかな。厳格にですか。案文の捉え方が非 常に厳格にすぎて、現場でやりにくい形になるというのは我々の本意とするところでは ないですよね。だからやはり表現ぶりは気をつけないといけないので。ただ全体として は、申し訳ありません、同じ曖昧な言葉を使いますが、最初のものでもあるので「やわ らかなガイドライン」というのを作ろうということで、それがうまく出ているような案 文に、さらに改善を施すということで、次回は、可能であれば答申、ガイドラインをま とめるという形になればいいかなと思っております。  ほかに何か、事務局のほうからありますか。 ○保健医療技術調整官 本日の資料に基づいたご意見は、できれば今度の月曜日、12日 ぐらいまでにいただければと思います。それと合わせて私どもまた作業を進めていきま すので、何度か繰り返しのような形になりますが、またご意見を伺う形でまとめさせて いただきたいと思います。 ○座長 このたたき台という案については、パブリックコメントを求めていますよね。 それで今回も、報告が十分にあったかどうかわかりませんが、いろいろなご意見が、こ の前の分も含めて寄せられていますね。だから、すぐに案文を直すことはできないと思 うのですが、少なくとも、今日、いちばんここで話題になった案については何らかの形 で事務局のほうで手配をしていただいて、とにかく、ぎりぎりまでいろいろな方のご意 見が集まるような形で努力していただくというのはいいですか。 ○保健医療技術調整官 結構です。 ○座長 そのほかには何かありませんか。それでは、長時間にわたってご意見をいただ き誠にありがとうございました。本日はこれで閉会といたします。 照会先 医政局総務課 菊岡 喜多 連絡先:03−5253−1111(内線2522)