02/10/09 不当労働行為審査制度の在り方に関する研究会第11回議事録       不当労働行為審査制度の在り方に関する研究会(第11回)議事録 1 日時  平成14年10月9日(水) 15:00〜17:00 2 場所  厚生労働省専用第13会議室(5階) 3 出席者  (1) 委員(五十音順)    (1) 伊藤 眞(東京大学大学院法学政治学研究科教授)    (2) 岩村正彦(東京大学大学院法学政治学研究科教授)    (3) 菊池信男(帝京大学法学部教授)    (4) 毛塚勝利(専修大学法学部教授)    (5) 諏訪康雄(法政大学社会学部教授)    (6) 村中孝史(京都大学大学院法学研究科教授)    (7) 山川隆一(筑波大学社会科学系教授)  (2)行政    青木審議官、熊谷参事官、中原調査官、山嵜中労委第一課長、荒牧参事官補佐 4 議事 ○ ただいまから「不当労働行為審査制度の在り方に関する研究会」の第11回会合を開  催する。本日は小幡委員が都合により欠席である。   これまで論点についてのヒアリングを行い、意見を集約してきたが、今回から具体 的に各項目について議論を行いたい。   議論に入る前に、以前の研究会においてアメリカのNLRBとの比較について度々意見  が出されたことや今後の議論の参考とするために、事務局にアメリカの不当労働行為  審査制度の概要についての資料を用意させているので、まずこれを事務局の方から説  明願いたい。 (事務局の方から資料No.1「アメリカにおける不当労働行為救済制度」についての説明 。) ○ それでは、最初に質問や補足説明等があればお願いする。 ○ 概ね整理されているのではないか。 ○ 7ページの図のところで、行政法審判官の数が1976年8月現在となっているが、これ  以上新しい数字はないのか。 ○ 見つからなかったので、古い数字をそのままつけさせていただいた。 ○ 他に何かあるか。   それでは個別の事項について、論点ごとに議論をしていただきたい。  資料No.2の論点項目の3(2ページの「3 不当労働行為の審査手続」のニ)について  は、前回の委員の指摘を踏まえ、一部論点項目の修正を行っているところである。修  正箇所についてはアンダーラインが引かれている。   それでは論点ごとに順番に議論いただきたい。今日は項目1、2、3の三つを予定し  ている。それぞれに30分ぐらいずつの議論をしていただきたい。   最初に論点1「労働委員会による不当労働行為審査制度の役割・評価」という点に  ついてお願いする。 ○ 今ひとつ趣旨がわからないのだが、こういう論点を議論するということか、それと  もこの中身を議論するのか。 ○ 二つあって、一つはこれに沿ってヒアリングを続けてきたわけだから、ヒアリング  を踏まえると、どんなことを付け加えればいいかとか、あるいは修正したらいいかと  いうようなことが第一点である。これは半ば形式的な問題で、もう一つ実質的な問題  は、これらの論点についてどのように考えるか。つまりヒアリングを踏まえて、各委  員の考え方をうかがいたい。分けて考えるよりはお気づきの点から順番にお願いでき  ればと思う。   なお、配布した参考資料はこれまでのヒアリング結果の取りまとめである。前回配  布した資料と同じものであるが、記憶を喚起していただくために、再度配布した。こ  れなどを踏まえて議論いただければと思う。 ○ 第一の論点のハのところで、不当労働行為について、労働委員会は判定機能のほか  、調整機能、教育機能を果たしている。実際にやってみると、ここは確かに重要なと  ころだと私も思う。特に調整と教育というのは、実際にはなかなか重要な部分があっ  て、特に教育を労使双方に対して労側委員、使側委員が行う過程で、徐々にこじれて  いた労使関係がほぐれていって、最終的に和解してということはあると思うし、それ  は重要である。しかしここは判定機能と裏腹の面があって、うまくかみあうのかどう  かが気になってはいる。   判定機能が後ろにあるから調整機能、教育機能が働くという面もある。他方で、判  定をやりながら、しかし調整・教育もやるので、どうしても手続が長くなってしまう  という二律背反が働いてしまう。 ○ 先ほどのアメリカの話を聞いて、アメリカの影響を受けながら日本の制度が出来た  ときに、日本は調整機能を非常に重要視してきた。その点の歴史的な背景というのは  よくわからない。そこで委員にお聞きしたいが、日本の不当労働行為制度が調整に比  重があるのは、意図的にか、あるいは結果的にそうなってしまったのか、そのあたり  はどうか。 ○ 別に定説があるわけではないと思うが、ここでの調整機能というのは調整権限では  なくて、和解等による実際的調整機能ということだと思う。歴史的に見れば戦前から  労働争議調停法が施行され、もともと調停の伝統があった。アメリカのNLRBには、い  わゆる争議調整機能がもともとない。ところが日本は戦前からの争議調停の機能があ  る意味では労働委員会の中に三者構成という形で入っていた。それとアメリカのNLRB  が混じって、いわば二つの権限が併存してきた。それが判定機能の中に入って、斟酌  というと言葉が悪いが、いわゆる調整的性格が非常に強くなっていったのではないか  。歴史的にはそんな流れではないかと推測している。 ○ 当初は調整事件の方が多かった。それも関係するのだろうか。 ○ たぶん、労使関係がある意味非常に未成熟であった戦後の時期だと、やはり調整事  件が非常に多かったということになるのではないか。 ○ アメリカの場合も判定機能中心で、将来的な労使関係に対して目を向けながらやる  という説明があった。そうであるにもかかわらず、あまり調整事件が多くないという  あたりはどうだろうか。 ○ 一つは文化だという気がする。木の実が熟するのを待つというか、当事者が何とな  く納得するまで少しずつ整理する。こちらがいろいろと整理するとあまりうまくいか  ないというのがある気がする。 ○ 全体的に、労使の期待に応えているかといえば、実際の紛争当事者からいえば、あ  る程度期待には応えているのではないか。しかし外から見たときには、なんであんな  に時間がかかっているのだろうかとか、裁判所よりも長いというのはどうなのだろう  というような、見えないが故に不満というのがあると思う。 ○ 民事的な紛争というのは、その中に労働事件も入っているが、基本的には仮に訴訟  のような公の手続に乗った後でも、可能であれば自主的な解決が望ましい。ただ通す  べき筋があいまいになるようなものは困るということはある。完全に私的な紛争なの  だから、筋を通しながらの和解による解決が可能だったら常にそれを試みるのが望ま  しい。和解と判決はどっちがいいかといったら、誤解を恐れずに言えば基本的には和  解の方がいいに決まっているという事件がある。和解に時間の制限をつけろという議  論があるが、私の感じだと時間が相当かかっても、少しでも見込みがある以上は熱心  に和解をやった方がいい事件というのは、労働事件でも普通の訴訟でもあることは間  違いないと思う。簡単に和解をあきらめるというのは決していいとは思えない。判決  を書く方がよっぽど簡単な事件というのはざらにあるが、ただ一刀両断的に結論を出  すというのでなくて、双方に存在する理屈を反映させる解決というと中間的な解決し  かないことになる。和解が簡単に出来ないとしても、和解での解決が最適な事案につ  いて、和解を熱心にやらないというのは、むしろちょっとおかしいということになる  。労働委員会の事件もまさに、基本的にそうだという気がしている。時間が掛かると  いうだけではなくて、中身との兼ね合いで、だらだら当事者に引きずられてやってい  るだけだと、こちらが主導的にやらないというようなものはいけないし、判決を書く  のが嫌だから和解というのでもいけない。判決を書く方が簡単だという事案と、判決  を書くのは大変だという事案があるが、事件の筋との関係で、和解が最適だったら、  よほど判決を書く方が何分の一かのエネルギーで済む場合でも、和解をするべきであ  る。そのためにはこちらが相当腕っ節が強くないといけない。腕っ節というのは強引  という意味ではなく、事件の内容に応じていろいろ状況を見極めながら、人を見て法  を説くわけであるから、うまい応対でやっていかないと、和解はなかなか出来るもの  ではない。ただ熱心にやればいいというのではなくて、こちらも経験を深め、手腕を  高めないといけない。期間の目途というのも、結局事件の筋から目途を立てることに  なるだろう。全然目途を立てないでやっていくと漂流的な審理になるので、それはお  かしいと思うが、事件の筋との関係で方針が立てば、私は時間がある程度掛かっても  かまわないと思う。   それから事件処理の長期化のことである。未だに手続が長いのは裁判所だと言われ  るが、今の実情は大幅に改善されてきている。裁判所も、弁護士も、特に10年くらい  前から危機意識が非常に高まって迅速化の努力を注いできた。それは、訴訟の長期化  のために、本来法廷に来るべき人が来ないで、特殊な事件ばかり来るようになってし  まったからである。まともな企業が普通の経済的なトラブルの解決のために裁判所を  使わなくなってしまったのである。一部上場企業みたいなところが普通の訴訟の当事  者にならなくなってしまった。それから、時間がかかるし、弁護士費用などの点でも  いろいろな問題があるから、普通の小市民的な紛争、一般の庶民が解決を求めるよう  な事件がほとんど裁判所に来なくなってしまった。提訴されている事件だけ見ていれ  ば、裁判所はそれなりに解決しているが、怨念訴訟のような、何年かかってもかまわ  ないというような訴訟が増えてしまって、普通の取引社会や、一般国民がきちんと解  決を求めたいというものに対応できていないのではないか。それらは、訴訟外での解  決に流れていってしまっているが、それでいいのかという危機意識が訴訟の運営改善  の原動力になった。いま、労働委員会に来ている事件も、処理の長期化を前提として  、早く解決しないでも、何かの動機で事件として出しておく意味があるという事件が  来ているのではないか。長期化のために、本来、来るべきものが来ていないというこ  とはないのか。そういう実態がわからないが、仮にそうだとすると、来ている事件だ  けをにらんでいても、果たしてその中で当事者の期待にどれだけこたえているという  ことになるのだろうかと思う。 ○ 今、委員からご指摘いただいたような点についても、これまで折に触れて議論、あ  るいは何度かヒアリングなどをしてきたが、今の労働委員会はそういう意味で特殊な  事件が主流になっていると見られるのだろうか。 ○ 特殊な事件が多いと思う。本当に急いでいる事件は、解雇にしろ何にしろ裁判所に  行っている。 ○ 特殊な事件だったら時間をかけて和解でやろうという感じにならない気もするが。 ○ 事件の性質にもよると思うが、和解でやった方がいいものもあると思う。しかし、  特殊だから不当労働行為になるのか、不当労働行為だから特殊なのかはわからないが  、普通の労使関係とはちょっと違う状況の下で起きている。それが、事件のスタイル  として偏差が大きくなっているという感じは持っている。一方であっさり和解が成立  するものと、他方でどうやっても成立しないものとがある。駆け込み訴えのようなも  のは非常にあっさり和解するし、他方で少数組合その他のような、怨念が凝り固まっ  ていて、和解に持っていくにしても非常に時間がかかるし、かといってすぐ審問で解  決の方向に行くかというと、必ずしもそうはいかないという性格の事件と、私の知見  の範囲内での直感であるが、ある意味で二極化しているという面はあるかもしれない  。 ○ 実際、労働委員会が果たしている役割という点からいけば、判定機能とか調整機能  とかがあって、それはおそらく、今後も同じような形で期待される役割なのだと思う  。ただ、今までのヒアリングとか、その他のことを前提にすると、現在の労働委員会  の問題として指摘されていることを踏まえると、やはり判定機能というのが中心に据  えられるべきものであって、それが充分に機能していないことが、調整機能や教育機  能にも影響してくるのではないか。もし制度の改革を考えるのであれば、判定機能を  どうやって充実・強化すべきかと考えるべきだと思う。これは私の印象なので、みな  さんの意見をお聞かせいただきたい。 ○ 両者の役割分担ということで、実態がわからないので想像だけの話になるが、判定  機能の中で、本来判定を行う資料となるべき証拠等を収集する手続が、いわば和解の  とっかかりを探すプロセスのようになっているとすれば、それは時間がかかるし、判  定作用に悪影響を及ぼす可能性がなくはないと思う。というのは、おそらく調整で円  満に労使関係をうち立てるということだとすれば、判定の対象になっている申立ての  対象とか、いわゆる訴訟物以外のところまで広く見ないといけないわけだが、それを  ずっとやっているとどうしても審査等は散漫になってくる気がする。ただ、ヒアリン  グをしていると、そういうのがいいのだ、和解のとっかかりを探すためにいろいろな  ことをしているのだというのがあって、果たしてそういうものをどう評価すべきかと  いうことがあるのではないか。つまり、円滑な労使関係を築くために時間をかけても  いいというプロセスと、もし判定に純化して争点整理をきちんとするということであ  れば、その争点整理は必ずしも円滑な労使関係とは関係ない部分を取り上げるかもし  れない。そういうのを分化した方がいいということになるのだろうか。 ○ 調整機能とか、教育機能とか、実際問題として円滑な労使関係を築くために労使を  説得したり教育を与えたりする。それが実を結ぶというケースは、先ほどの特殊な事  例ということも含めて、どのようなものなのだろうか。 ○ 少なくとも私が扱った事件の感じでは、経営者側の姿勢がかなり大きいと思う。ご  たごたしているけれども、労働委員会の話を聞いたり説明を受けたりして、何とかう  まい方向へ持こうと考える経営者、柔軟な立場をとる経営者とその代理人だと、労使  の参与と話をしている間に和解の方向へ持っていける。しかしそうではない経営者も  いる。どう考えても非合理的なのに頑張るというタイプの人がいる。こういう場合は  どうしようもないという感じがする。教育の効果もまったくないし、いくら理を尽く  して説明しても、まったくわかってくれないし、代理人も全然説得しようとしない。  ただ、非常に難しいのは、そういう人だというのを見抜くのに時間がかかることであ  る。 ○ 和解によって本当に労使関係は良くなっているのだろうか。完全に改心する和解が  できれば非常に良いが、とりあえず事件は解決したけれども労使関係は良くなってい  ないということがあるのだろうか。実態がわからないのだが。 ○ リピーターになっているのはその類であろう。 ○ ただ、それは一つにはこじれた労使関係であるということと、和解なので、やはり  どこかで玉虫色になる。結局それが後になると紛争の種になって、また持ち上がって  しまう。それを繰り返しているのがリピーターである。 ○ リピーターの比率はそんなに高くないと言われている。やはり和解は統計的に見る  と良い方向に行っているのかもしれないし、労使のヒアリングでは完全にそう言われ  ているから、それを素直に聞くならば、和解には相当程度有意義な要素はあると考え  て良いのではないか。 ○ 一般的に言ったら、やはり一刀両断で決めるよりは、譲歩させて和解をする方が良  いと思う。手続の中で和解をすることによって、本当に労使間の、今後とも継続して  いくような望ましい関係を作ることができる事件というのは少ないのかも知れない。  しかし、棘は一本でも抜いておく方がいい。もちろん、事件によっては、一刀両断の  方がいい解決になる場合もあるから、その場合は和解を打ち切り、命令を前提として  審査を進めるべきなのだろう。しかし、和解がどうしても最適だと思う事件、つまり  、筋からすると七分三分とか八分二分の解決でないとおかしいというときには、少し  でもそれに近づける和解をするのが望ましい。根本的な解決ということでは、もとも  と手続の中で出来ることというのは限られていると思うが、それができなくとも、幾  らかでも棘を抜いておくという和解でも十分意味があると思う。   先ほど、手続の中で、訴訟でも労働委員会でも、可能なら和解が一番良いと言った  が、自主的な解決が筋を通した形で可能なのであれば、その方が解決の仕方として良  いということである。審査手続というのは判定を迅速且つ的確にやっていくことが目  的であることはいうまでもないが、その手続の中では、その事件の解決として和解の  方がより適切な解決になるということがないかどうかということをいつも考えていて  、可能なような状況だったらいつでも和解を試みる努力をする。そして、その場合、  ある程度時間が掛かっても和解を続けた方が良い場合もあるだろうということである  。 ○ 労使の期待に充分応えるかというのは、時間がかかるということもあるし、もう一  つ命令の拮抗性というか、それに対する信頼が揺らいでいるという気がするが、それ  は後でいろいろと議論されると思う。ただ、大きな制度の枠組みの中で、前にも言っ  たが、一番長く時間が使われるということとの関連で言うと、良く来ている方はアク  セスするのだけれども、アクセスすることに対して萎えてしまうというか、特に小さ  なところだと、駆け込み的なところは別として、中小企業で不当労働行為の救済を申  し立てる組合がなくなってしまっているという話をよく聞く。日本は戦後、不当労働  行為の救済を労働委員会がやるということになったが、たまたまフランスに行ったと  きに、いわゆる労働官が集団紛争に関しても活躍しているということだった。もとも  と制度設計的に言えば、10人未満とか、30人未満とかそういったところで言うと、労  働委員会という枠の中で救済するよりは、別な仕組みで不当労働行為の対応をすると  いう形もあったのではないかと思う。今後考えるときに、そういうことはもともとあ  りえないのか。当事者同士で非常にイニシアティブもあって、ボードの中で議論して  、そして時間がかかるという仕組みに乗らないという事件もあるのではないか。今後  特に、日本の企業組織も変わって、当事者双方が継続的な関係を作る、積極的な労使  関係をうまく作っていくという意識が、時代の流れからするとどんどん希薄になるだ  ろう。そうするともう少し別な仕組みもあるのではないかというのが個人的な見解で  ある。 ○ 訴訟の場合も、労働委員会の場合も、手続に長い時間がかかっていると、むしろ申  立側が長くかかるということを狙って申し立ててくることが増えるのではないか。最  終的に救済される見込みがなさそうだとしても、あるいはそれがないということが分  かっていても、そういう要求、弾劾の場を確保して、手続をやっていることに意味を  見出す事件があると思う。やはり、それは、こちらが一定の割合で判定機能を優先さ  せていかないと、そういう事件ばかりが増えることが出てくるのではないか。 ○ それは現実に起きていることが多い。   論点に戻るが、1のハの点について、不当労働行為は、やはり判定機能が中心であ  るが、調整・教育機能というのが和解を考えたときに重要であるのは否定できない。  ただ、委員も言ったように、判定機能の部分と調整・教育機能の部分の区分けを、オ  フィシャルにやるかどうかはともかく、少なくともマニュアルレベルで、違うという  ことを意識していないと、特に労働委員会の場合は、ずっと和解の作業ということで  調査をずるずる行ってしまい、争点整理しないまま審問に突入している。それで、結  局命令も訳が分からないものが出来てしまうという印象を持っているので、そこは何  か工夫がいるかもしれない気がしている。   それから、ロの点で簡易性・迅速性・専門性についてであるが、これは結局ニの論  点と関連していて、やはり裁判所との関係をどう整理するかということに関係するの  ではないか。少なくとも、今までの流れを見ると、労働委員会は簡易・迅速で審査を  進めてきたところが裁判所で命令をひっくり返されてしまう。そこでひっくり返され  ないようにということで、ずっと歯車が回ってきている。だから裁判所との関係をあ  る程度整理した上で、労働委員会のADRとしての特性をどう活かすかということだと  思う。こちら側だけで一生懸命簡易・迅速ということを考えても、裁判所のレビュー  のところで、また同じようにひっくり返されると、元に戻ってしまう。そこが結びつ  けるべき論点の一つという気がしている。 ○ ロの点では、簡易・迅速・廉価・専門の序列をつけるといいのではないか。どれを  優先すべきかというのがあると思う。ここから迅速性さえ除けば、労働委員会はぴっ  たり当てはまっているのではないか。ところが、迅速性というのが出てきた瞬間に我  々は落第点になってしまう。その点もどう考えるかということがある気がする。 ○ ADR一般の特色の問題ではなく、迅速性の問題がからむとすると、不当労働行為の  救済の特色は、緊急的性格だと思う。緊急性が至上命題ではないか。当事者の救済の  ために、労使紛争の望ましい解決のために求められている役割を果たすには、迅速に  やらないと意味がないわけで、迅速性が損なわれたときに、他のメリットを強調して  もしょうがないのではないか。ADR一般の話から入っていくから、その特色の一つで  ある迅速性が入っていなくても意味があるということになってしまうが、不当労働行  為救済制度の在り方というのであれば、迅速性というのがないと致命的だという感じ  がする。 ○ その辺りが労使のヒアリングをしたときの、我々とのスタンスの違いであった。一  応迅速性ということは言うが、突き詰めると労働委員会には他の要素を期待している  。要するに迅速性ということは出てこない。 ○ あきらめてしまっているのだろうか。今の状況もそれを前提に考えれば、それなり  の意味があるということになるのかも知れない。   手続の中で言い分をよく聞いてくれるということが紛争解決の前提になるというこ  とは十分にあることである。しかし、それを漂流型でやっていたのではいつまでも終  わらない。和解も目途を立てて、筋を通してやるのであれば、むしろこちらが積極的  に、手練手管でやっていくということでないと出来ないと思う。和解ではいろいろな  事情を聞くことが必要だとしても、それを判定の方に使うというのはまったく別のこ  とである。しかも、和解で紛争を解決するために10年前からの労使紛争の経過という  のがなぜ必要なのか。むしろ今の状態と、なぜ解決できないのかという原因と、将来  に向けてのことが必要で、和解のために年表的な審理が必要だというのはまったく理  解できない。 ○ 和解の話にかなり入ってきているので、時間の関係もあって和解に移りたいと思う  がどうか。和解以外の1のイからニの点は出尽くしていると思うが、改めてこの点を  確認したい、付け加えたいということがあればお願いする。 ○ 今の制度に対して厳しい意見になるかも知れないが、今の話で出た簡易・迅速・廉  価・専門・柔軟というのは、今の制度の運用ではどれも満たしていないのではないか  。こういうものがADRの特色だとして、今の制度なりその運用なりというのは、いず  れについても問題であるという感覚がある。ヒアリングのときにはいろいろな意見が  あったと思うが、自分の感覚としてはそうである。 ○ 簡易・迅速のところだけを考えると、一つネックになるのは、これは手続をどう仕  組むか、また結局裁判所との関係をどうするかということになるが、審問中心主義が  大きなネックだという気がしている。ただ、使用者に対して不利益命令を課すので、  行政手続法とのバランスからいって聴聞といったことはどうしても必要になるが、今  の手続はあまりにも審問中心に組み立てられているのではないか。それも迅速性が失  われる一つの大きな原因になっていると思う。地労委レベルでは特にそうである。 ○ 審問というのは法規を見ても手続上の位置づけがわからない。基本的には性格が不  明である。労働委員会の実務では、審問というのは口頭弁論になぞらえて考えていて  、審問をやるときに、出ている書面は審問で陳述したという扱いをしないといけない  と考えているようだ。しかし、民事訴訟では口頭主義、弁論主義という原則があるか  ら、主張を述べた書面は口頭弁論で陳述しないといけないわけであるが、中労委では  、はっきり規定があるのだから、それまでに出た資料で判断に熟している以上、審問  をやらないで決定できるというのは当たり前のことである。しかし、それをやろうと  すると、なぜ審問をやらないのかという話になる。規定からすると、審問というのは  民事訴訟になぞらえると任意的口頭弁論の手続だと思う。任意的口頭弁論手続では、  口頭弁論が必要と認めるときはやると定められている。まさに、労働委員会規則に「  必要なときに審問する」と書いてあるのと同じである。それ以外は基本的には書面審  理であって、提出された書面はそのまま判断資料にできる。それを陳述させるための  手続をやるなどというのは本末転倒で、そんな必要はないと思う。委員も言われてい  るように、今の手続は制度がそうなっていないのに、変に訴訟手続の真似をしている  と思う。民事訴訟では、口頭主義も、弁論主義も法が定めている原則だが、行政処分  のための手続だったら、基本的には書面審理で、書面で出したものがそのままでは資  料にならないという原則はどこにも出ていないと思う。提出された書面については相  手に手続の中できちんと反論させるだけでいいのである。しかも、口頭での陳述の手  続は、実際には完全に形骸化している。中身についての反論の機会を充分与えること  で、簡易・迅速ともマッチするのではないか。 ○ では、1のところは総論的な部分なので、また立ち返って議論することにする。和  解と審査手続両方についての意見が出ているが、和解を先に議論するということでよ  ろしいか。 ○ 先ほどのご意見との関係で一つおうかがいしたい。裁判制度との関係で、労働委員  会における不当労働行為審査制度の役割や位置づけをどう考えるか。それによって、  後の在り様というのが変わってこようかと思う。昭和24年に今の制度が出来たときに  は、不当労働行為の状態を解消して救済を図るという、訴訟にはない機能とスピード  の二点にもともとの意義を見出して制度が作られたように承知している。その後運用  されてきている中で、和解という調整的な解決が訴訟と比べて多くなされているが、  今後の不当労働行為制度の在り方を考える場合に、先ほどのお話のように、どの機能  も充分でないということになると、極端な話、裁判制度がある以外にこういう特別な  制度が必要なのかという議論も出て来かねない。それを踏まえて、不当労働行為制度  というのは、やはり必要なのだという点について、委員の方々にご教示いただけると  ありがたいのだが。 ○ 今の問題とも関連するが、判定機能と調整・教育機能という点について、判定なし  で調整・教育機能だけ果たしているものについて考えてみると、例えば不当労働行為  に関する調停的手続がある中で、判定はしないこととなればどうなるだろうか。しか  し、調停では解決できない事件というのが相当数ある。それはやはり、最後に判定す  るから解決できるということであろう。いずれにしても、その後判定をしても、もち  ろんうまくいくケースもあるけれども、それで労使関係は良くならないということが  あったり、あるいはその中で出てきている紛争というのは、集団紛争だけでなく、実  態は個別労働紛争も含んでおり、判定は集団的な労使関係秩序の形成ということでは  意味があるのではないか。 ○ この論点を作ったときに、柔軟性を入れてもらった経過というのを覚えているが、  結局裁判所は同じ判定機能を持っていたとしても、救済の方法というのが損害賠償中  心の事後的な救済である。それでは労使関係において有効でないというのが、不当労  働行為制度が裁判制度の中に吸収され得ないという意味での大きな特徴である。柔軟  な救済というのがなかったら、別に判定ということで裁判所がやっても構わないので  はないか。裁判所がどこまで柔軟な救済が可能かということが、そういった部分と関  連すると思う。 ○ 判定がなかったら、柔軟性が確保できないということはあるか。 ○ それはない。ADRは別に必ずしも判定を行うわけではない。ADRの柔軟性といったと  きには、解決方法として和解などで判決とは違ったタイプの解決が出来るという意味  での柔軟性である。あとは命令の中身で、労働委員会がどういう救済命令を出すかと  いうところで、それはもう一つ考えなければならない部分である。   普通のADRだと、一般には両当事者が、そのADRで解決しようという、ある意味での  事前の合意がある。それから調整事件の場合も、普通は相手方もそういうことなら出  てきて話し合おうということになっていけば、別に後ろに判定機能がなくても調整で  解決が可能になる。 ○ そうすると、労働委員会の判定機能というのは、判定ではなくて相手に出て来ざる  を得なくさせる、集客機能というか、そういう役割を果たしているということか。 ○ それはあると思う。要するに、都労委などもそうだが、まず調整事件などで上がっ  てくると、使用者が出て来ない。次に不当労働行為で申し立てると、仕方がないので  使用者が出て来る。判定機能があることによって、相手方を引っ張り出すという意味  が実際上はある。 ○ 調整機能との関係では、判定機能があるから調整機能がうまくいくということもあ  るが、紛争調整委員会のように判定機能のない委員会も出来たわけだから、裁判に行  けば負けるということを言って、調整機能をうまく機能させるということもあるので  、必ずしも必然的ではないように思う。そもそも、制度が出来たときはたぶんアメリ  カのものを引用したわけで、アメリカの制度は裁判所が不当労働行為に関して管轄権  がないので、そこのところが大きかった。かつ、昭和24年改正のとき、GHQ側の提案  を受けて司法審査を制限しようという動きなどもあったらしいが、それが日本の伝統  的な考え方に立っていないということで、日本側が反対してなくなってしまった。そ  れで今のような並列の制度になったので、そうすると存在意義としてはかなり弱くな  っている。専門性と柔軟性というのはまだ活かせると思うが、もし労働参審制のよう  な制度が出来てくると、そちらで専門性を活かすということになって、いよいよどう  なるのかという感じがする。 ○ だから、最後の救済ということしかない気がする。雇用差別等の不当労働行為とい  う、労使関係のこれからの在り方に関する紛争については、例えば予防とか、一貫し  て行政的な関与が求められる紛争である。その中で、不当労働行為制度がいうなれば  公序紛争として、行政的な委員会が予防から教育、事後のケアまで一貫してやる。そ  ういう中にこの労働委員会制度はあるのだと思っている。 ○ もう一つ、今の迅速性を前提として議論するかどうかということもある。一つに、  先ほどから話が出ているように、判定手続を事務化・マニュアル化し、その中で和解  を図るということがあるだろうし、もう一つ、アメリカでは、グールド委員長の下で  使われていたのは、命令の前に仮処分的な差止め命令のようなものを申請することで  ある。そういった新たな仕組みで迅速性を担保する。必然性があるかは分からないが  、迅速性のための新たな道を何らかの形で探るというのもオプションとしてはありう  ると思う。 ○ 先ほども言ったが、単独の労働委員会の前段階で何か出来るものがあればいいので  はないか。 ○ 判定のない調整と判定がある調整との、二つを比較すると、判定機能を持たない調  整の方が、調整自身が出来にくいと思う。調整に従わなければならないという動機付  けが非常に弱くなる。現に今の制度は判定機能と調整機能両方を持っているが、それ  をもっと充実・強化しようという議論なのに、判定を抜いて調整だけにしたら、どう  いうふうに動くのだろうかという感じがする。調整そのものが動かないし、時間が掛  かるということにならないだろうか。不当労働行為制度を充実・強化しようという方  向で考えるのだったら、判定を除外した調整というのは方向としてどうなのだろうか  と思う。 ○ それでは、二点目の和解ということについて、今までもご指摘いただいたが、それ  以外の点を議論いただきたいと思う。   和解が、裁判所から見るといつまでもずるずるやっているという批判を受けるわけ  だが、経験からすると一つあるのは、労働委員会でいろいろな紛争があるのを、全部  まとめて処理しようとすることである。だから、当該の係属している事件だけではな  い。その結果、和解のための条件を最初に労使に提示させるが、特に労側が、解決金  を含めて、本来的に受けられるであろう命令よりはるかに多い条件を出してくる。こ  れは経営側の弁護士などはよく批判するが、実務では繰り返されていて、この場で何  とか将来に向けての労使関係の礎を作りたいという気持ちがあるような気がする。そ  して、全部まとめて余所の方も併せて面倒を見ようというふうにするわけなので、そ  れが当該事件の解決との関係では救済命令以上のものになってしまう。この辺は、こ  のペーパーでは指摘されていないし、労使の議論の中でも明示的には出てきていなか  ったが、背景としてあるのではないか。 ○ 裁判所の場合でも、単発の事件でなくて、当事者の事件があちこちに係属するとき  の和解はかなりある。その場合、大きいところでの解決は対立が激しくてどうにもな  らないので、この事件だけなら個別解決で出来ないことはないというものもあるが、  普通は全体をにらんで和解ということになる。当面出て来ている事件からするとおよ  そ考えられないような事柄を取り込んで、一見過剰に見られる要求でも、そういう和  解が出来るのであれば、それは根本的な解決になる。そういう和解は、望ましい和解  で、それは労働事件に限らず、かなり行われている和解である。 ○ 一つの当事者の間で、複数の事件があって、東京だけに係属していればいいが、他  の県にも係属しているとか、わざわざ他のところに持っていったりもしている。一度  それぞれ別個に解決しないかと持ちかけたことがあるが、やはり全体でないと和解に  ならない。そうすると、両当事者双方も非常に不信感を持っているので、和解に相手  が乗ってくるかというところで探り合っていて、そこで数回かかってしまうという感  じである。何とか和解させたいと思っていても、結局実が熟して落ちるのを待つしか  ない。こちらがアプローチしながらやっていくので非常に時間がかかる。 ○ ただ、それが審問終結後に事件解決をやたら延ばしてしまうということに、直結し  ているとまでは言わないが、かなり影響を与えているという点をどうするかというこ  とは重要な論点である気がする。 ○ それで最終的に和解で解決してくれればいいが、最後の最後で破綻するとそれから  命令という形になって、時間のかかり方からすると、統計上は非常に長い事件として  出てしまう。 ○ 例えば、裁判所である程度自分たちの結論を持って、和解の相場はだいたいこんな  ものだろうという腹づもりを作っている。労働委員会の場合も、ある程度結論という  か、最終的な命令を睨んで和解に入るということはないのだろうか。 ○ それは事件による。結局、訴訟でも、労働委員会でも同じだと思うが、心証が採れ  て、事件の筋の見極めが出来て、七分三分の解決でないとおかしいとなった場合だっ  たら、おおまかにどの辺のところでの解決という考えがあることが多い。しかし、裁  判所や、労働委員会の方から考えていることをあまり早い段階で出すと、なかなかそ  こでおさまらないときに困る。裁判所や、労働委員会の側から和解案を切り出す場合  、当事者の互譲のときの下りしろを織り込んだ和解案の提示をするタイミングは、非  常に微妙なことが多い。いったん提示した内容から、更に譲歩を求めることになった  場合、譲歩を強く求められた側からは、こちらの言うことがこの前と違うじゃないか  ということで不信を買うことがある。こちら側に心づもりがあっても、あまり早くそ  れを切り出さないで、両方から案を出させておいて、すくみ合いになったときにタイ  ミングを見て出さないと、早まって出してもなかなかそこでは落ち着かないことが少  なくない。それから、その事件についてどういう和解が良いのかこちらとしての具体  的な案はないけれども、和解でないとどうしても落ち着きが良くないという事件があ  る。結局それは和解をやるにしても、特に労働委員会側の案というのは、最初は示し  ようがない。そういう事件では、最初は、労働委員会側が案を出す段階も最終的には  来ると思うけれども、今の段階では当事者がそれぞれ考えて案を出してほしいとか、  出てきた案をもう一度考えてほしいとかいうやりとりとして、何度か押したり戻した  りして煮つめていくことになる。事件の筋から考えて和解が適当だという事件であれ  ば、そういうやり取りを何回か繰り返すことになったとしても、それは決して無駄な  手続ではない。こちらに目途があって、これは絶対に時間が掛かっても和解という場  合もあるし、ここまで来ていれば和解が出来そうだからという、目途や筋の見方があ  って、時間がかかっても命令よりこちらの方が良いという判断が出来る場合もあるの  ではないか。 ○ 例えば参与委員が関与する過程では、うまくチームワークがなされて和解が行われ  ているのだろうか。日本の場合は実際上、参与委員が和解の中心であるという話もヒ  アリングがあったので。 ○ 審査委員と参与委員は、3人で相談して考え方を共有しながらやっているわけで、  和解の役割分担などもどちらからともなく自然に出来てくるという気がする。 ○ 経験からどうだろうか。 ○ 個別事件については、その特性は一般化できないが、今出ていたお話のようなこと  から言うと、争点が明らかになって心証が採れて、もう命令が書けるということであ  れば、もちろんその段階で当事者が和解を望むという姿勢がはっきりしていれば、そ  れから期日を何回か入れてもいいと思うが、そうでない場合はどんどん命令を出すべ  きだと思う。それは後で中労委もあるし、訴訟もあるので、最終的には自己責任で判  断することだから、その辺はある程度割り切りをした方が良い。そのことが、結局巡  り巡って、地労委の段階における適正な和解が迅速に成立する結果になることを促進  する。もちろん個別事件は別だが、一般論で言うと、比較的早い段階で見切りをつけ  て、地労委としての命令を出すという方向の方が、制度の全体的な運用にとっては良  いと思う。 ○ 参与委員の役割について、和解には非常に重要で、特にどういう手順で進めるかと  か、そういったことについては、両参与にはかなりご意見をうかがいながらやってい  る。この段階で、今日はどういうところまでやるべきかといったことは、労使の参与  の意見を聞きながら考える。参与は労使の意見を聞いてきてくれるので、それを元に  3人で議論して、今日はここまでやるということで、後は持ち帰って検討してもらっ  てという感じなので、和解においては労使参与の役割は非常に重要だし、むしろ主役  になって活躍していただいていると思う。 ○ それは委員も特に違和感はないという感じであるか。 ○ それはそうだと思う。委員のおっしゃったことに関連して言うと、和解というのは  結果的に長くなることがあっても、和解の方が良い場合があるというだけの話で、一  般的に言えば、命令ができる段階になっていれば、それは迅速に出すべきなのである  。和解をやるときは、和解の見込みはどうかということと、筋からして和解が可能で  あれば命令よりも良いということを考えて、それを進める余地があるという見極めを  やった上で和解をするべきで、それをやらないで命令を延ばすというのは問題だと思  う。 ○ 当事者があまり和解を望まないときはやらないが、一方当事者が和解したいという  ときはそれなりの努力をしないといけない。両方とも望まないときはどうしようもな  いし、あるいは双方の意見が非常に乖離していて、労使参与が説得に行ってもどうに  もならないときはしょうがないという感じである。 ○ もちろん、和解は絶対駄目だと言われたらしょうがないが、和解というのは自分か  ら言い出したら負けだということもあるので、相手のいるところで自分の方からは言  い出したくないという場合がある。それで、個別の機会を作って、こういうわけで和  解の方が良いと思うがどうかと言うと、そう言われたから受けるという形で、結構で  すということがある。しかし、そういうことまで含めて言えば、当事者が和解をする  のは結構だと言っていなければ、和解に入っても普通は意味がない。 ○ 質問であるが、結局のところ、当事者の意向も含めた事件の見通しというか、ある  いは解決する際に何が必要かの見極め、これが重要ということだと思うが、それと判  定手続がいわば漂流的になることとは、特に必然的な関係はないのだろうか。つまり  、判定手続は審判の対象に絞った争点整理をやって、審問をやって、命令を出せるよ  うにする。判定手続の審判対象への純化と、和解の事件の見極めというのは、両立し  うるものなのだろうか。 ○ それは両立させないといけないものだと思う。そうでないと、全体が漂流してしま  う。訴訟ではまさにそれをやっている。 ○ 後ろに審査手続という重要な第三点目があるので、そろそろそちらに移りたい。し  かし、最後にこの点はあまり指摘されていないが、労働委員会と裁判所の両方に事件  が係属していて、裁判所の方で今和解が進んでいるから、ちょっと待つということで  、労働委員会の方が停止する。その結果、数年にわたって命令を出さないという事件  が私の経験でも二、三あった。これは結果的に裁判所で和解したから良かったが、逆  のことを裁判所はしないと思う。この辺りの労働委員会の過剰なほどの和解志向をど  う考えるか。 ○ 事件というのは、結果も含めて同じ事件はないので、なぜ裁判所の和解が長くかか  ったのかということの兼ね合いで、裁判所の和解を待つという判断が適切だったかど  うかという個別事件での判断の適否の問題になると思う。一概に何年かかったからと  いうのは、いけないという結論を出すには不十分な根拠だと思う。 ○ 労働委員会は申立費用がかからないので、解雇事件等になると裁判所と労働委員会  と両方かけて来ることが多い。場合によっては、一応労働委員会には持ってきたが、  最終的には裁判所でやるのでこちらは寝かせておいて欲しいと言われることがある。  それでも統計上は長くなってしまう。 ○ いわゆる迅速性を欠いているというところに出てくる統計データを、そのまま通常  の裁判所と同じように議論して良いかということであろう。 ○ それはいろいろな事情によるケースがある。中労委の事情もあるし、被申立人の事  情もある。統計データにはいろいろ難しい問題がある。 ○ 裁判の場合でも、いろいろなものの結論が出るのを待っていて長いことがある。そ  れは判決を待つについて、裁判官がその方が良いという判断をした上で待つのであれ  ば、それは不当ではないと思う。あまり細かい統計を取るのが良いことなのだろうか  。 ○ 今日の議論ではないのかも知れないが、そういう場合は事件は終了ということでは  どうか。裁判所に行ってしまったら、裁判所も審理期間を半分にするという目標を立  ててやっているし、今でさえ相当迅速にやっているので、なおかつ判定したものにつ  いても、両方にかかっていれば、気に入らなければ裁判所の方に行くに決まっている  わけだから、そういう意思の表れということで、もうやめてしまうということをせず  に、両方持っていることの意味というのが、実態的にあるのだろうか。 ○ 内部的には仮既済のような扱いにして、事件としては既済にはならないが、内部的  な扱いとしては未済から除くということは考えられるのではないか。処理が延びてい  る理由を明らかにして、これは他の手続の結果待ちで手続を停止しているので、合理  的な理由があるのだということを明らかにするということだから、問題ないのではな  いか。 ○ ただ、労働委員会の方を止めてくれるのならいいが、戦術的に両方やるというのも  ある。 ○ つまり、労働委員会の迅速性がないように見えるものも、良く見てみるといろいろ  な要素があるということを、関係者は良くわかっているが、外からするとわからない  。不当に長くなるというのは、意外と特別な事情があることが多いような気がする。   それでは、一番重要な不当労働行為の審査手続というところについてである。次回  も続けてこの点を議論いただきたいと思うが、まず今日は導入的にご意見をいただい  ておきたい。2ページ目で下線が引いてあるところは、先ほどご説明したように、修  正した部分である。 ○ こちら側の工夫で審理期間の短縮が出来る部分がかなりあると思うが、代理人の予  定等もあるし、それにどう対応していけばいいのか。 ○ 代理人の都合のことは訴訟でも全く同じことである。しかし、私自身は、労働委員  会の手続でも、期日を入れたいと思うところに意外と早く入っているので、訴訟と比  較して特に長いという感じはしていない。訴訟と別に何も変わらないという気がして  いる。何人もの代理人の都合が合わないときなどに、今度の期日は差支えの人がいて  、皆そろわなくても主任の代理人がいればいいのではないかということを強く言うこ  とはある。どこかではある程度強引にやらないと、黙っていては期日は入らない。裁  判官は普通そうしていると思う。訴訟だからといって、何もしないでも早く入るとい  うことはない。特別の方法が別にあるわけではないと思う。 ○ 地労委を見ていると、ちょっと複雑な事件になると審問回数・調査回数がすごく多  い。そこに期日の差支えがあると非常に影響が大きい気がする。中労委は初審命令が  あるし、不服のある部分しかやらないので、1〜3回ぐらいが多くて、何回もやる事件  は非常に限られている。 ○ やはり初期の段階である程度まとめて入れるということではないか。 ○ それは比較的申立人もそういう要望を出すときはあるので、そういう場合は2回ぐ  らい審問期日を入れてしまう。4回分ぐらい入れてしまうというのもやったことがあ  る。 ○ 当然長く掛かりそうな事件について、期日を早く取っておくというのは良いのだが  、本当にそれだけの期日が必要なのかがわからない段階で当事者の希望通りの枠だけ  取ると、あとで不必要なものをしぼろうとしても、結局実際上制限しにくくなるとい  うことがあるので、言うがままに日だけ早く取れればいいというのか、きちんとしぼ  っておいて期日を半分で済ますのとどちらが良いかということである。私は、極めて  例外を除いては複数期日の指定というのは、あまりうまくいかないのではないかと思  っている。 ○ 日を指定するのではなく、主尋問は何回、反対尋問は何回見込んでいるかというこ  とを聞いて、最終的にはこの日に何を聞くということを全部決めて、期日を入れてい  る。 ○ それをやるのであれば、一応枠は取っておくが、尋問してみて期日が必要ない場合  には、その日は予備とするとか、必要がないことが明らかになれば、全部使うわけで  はないということをはっきり言っておくのがいいと思う。 ○ 期日の問題はいろいろあると思うが、先ほど委員からお話があったように、審問中  心主義でやっていて、特に初審の場合だと、労組法7条がそのままであるとするならば  、背景事情を要件事実の一つである不当労働行為意思の一部であるということでえん  えんと続き、なかなか肝心なところが出て来ないという状況である。そういう現在の  手続そのものについて何か改善できるだろうか。つまり審問中心主義というか、ある  いは民訴法の手続をそのまま使って、口頭弁論主義のような運用をしているけれども  、それそのものが問題であるということであろうか。 ○ 審問中心主義などとは法規にはどこにも書いていない。要件事実でないものをだら  だら立証させる必要はまったくないし、不当労働行為意思について10年来、20年来の  個々の出来事を詳しく証人で出す必要は毛頭ない。長い間の経過について一番良い立  証方法というのは書証である。だから陳述書でまかなってもらうのがいいと思う。 ○ それは現在のやり方で、プラクティスを変えるという方式でやるということか。 ○ そういうことである。法規が変わるのではない。訴訟より長く調べる必要は全然な  い。疎明で良いし、しかも緊急的な処分である。 ○ しかし、地労委の事件を見ていると、審問の回数がひどく多い場合がある。東京な  どはかなり要領よくやっているが。 ○ 審問中心主義に疑問があるというのは、一つはそこで出したものしか主張や証拠と  して扱えないのかということである。また、民訴の基本は、主張と証拠というのは全  く区別されていて、主張は大事な事実の認定に使ってはいけないということになって  いるが、こちらは行政手続だから、そういう要請は全くない。準備書面や陳述書で述  べたことと、証人尋問で証言したことを区別しなくて良いと思う。準備書面と、陳述  書と、証人尋問と、同じことが3回出てくるが、陳述書を活用して証人尋問を短くし  ていく必要がある。それが出来ないというのであれば、もう短くなるわけがないと思  う。しかし、こちらがそういう方針でやっていけばだんだん短くなると思う。訴訟で  も、身分関係の事件や、長い時間の経過が絡む事件というのは、当事者としては要件  事実などは関係なく、何でも聞いて欲しい。しかしそれでは時間を無駄に使うことに  なるから、いろいろ工夫し、努力して整理しているのである。裁判官であっても、争  点整理というのは決して簡単に出来ているわけではなくて、相当な実務的な手腕がな  いと駄目で、ノウハウもいる。誰も楽に出来ているわけではない。陳述書の活用につ  いては、以前は抵抗があったのが、だんだんそれに対する反対がなくなってきている  。主張・立証の整理は絶対やらなければならないことだという意識をみんなが共有し  て、難しくても何とか努力をしようということで、実際にやるかどうかということが  肝心だと思う。それが出来ないということだと現状は変わらないという気がする。 ○ 先ほどの和解の話になるが、解決金等も含めた幅広い和解が行われているというこ  とであったと思うが、そういう活動を委員会がすることに対する当事者の期待が当然  のものとなる中で、調査や審問における主張や立証の範囲が、非常に広がっていると  いうことはあるのだろうか。 ○ そういう印象はあまり持っていない。やはり、不当労働行為意思の立証には、とに  かく最初からの話をしないと駄目だという、一種の固定観念のようなものが非常に根  強くある。もちろんそういうのが必要なケースがあることも確かだと思うが、実際は  必ずしもそうではないと思っていて、申立以降の労使関係についてお話ししていただ  ければ、不当労働行為意思の認定は出来るのではないかと思っている。 ○ 連合の林副事務局長のヒアリングで、仮に、背景事情などを詳しくやって、審理を  短縮することが出来ないで長くなっても、それを命令に書く必要はないというのがた  くさんあるのではないか、命令は大幅に簡素化して良いのではないかということを聞  いたら、そのとおりだと答えていたが、そのとおりではないか。 ○ それでは、今日は時間となったのでここまでとさせていただきたい。次回は、背景  事情から何から、本来ならば書面審理で済みそうな問題なのに、審問で長々とやらな  いといけないという、その辺りから議論を始めたい。次回は11月22日(金)10:00〜  12:00を予定している。場所については追って連絡申し上げる。                                      以上   照会先 政策統括官付労政担当参事官室 村瀬又は朝比奈   TEL 03(5253)1111(内線7752)、03(3502)6734(直通)