保健医療システムへの投入資源に対して、人々が得られる価値を最大化する。「より良い医療をより安く」享受できるよう、患者にとっての価値に基づく医療の質の向上や効率化を促進し、地域主体でその特性に応じて保健医療を再編する。
ⅰ)より良い医療をより安く享受できる
ⅱ)地域主体の保健医療に再編する
国民が安心、満足、納得を得ることができる持続可能な保健医療システムを実現するために、
2035年の保健医療が達成すべきビジョンを3つ提示しています。
保健医療システムへの投入資源に対して、人々が得られる価値を最大化する。「より良い医療をより安く」享受できるよう、患者にとっての価値に基づく医療の質の向上や効率化を促進し、地域主体でその特性に応じて保健医療を再編する。
ⅰ)より良い医療をより安く享受できる
ⅱ)地域主体の保健医療に再編する
人々が自ら健康の維持・増進に主体的に関与し、デザインする。また、健康は個人の自助努力のみで維持・増進できるものではなく、個人を取り巻くさまざまな環境、いわゆる「健康の社会的決定要因」を考慮した取組を進める。
ⅰ)自らが受けるサービスを主体的に選択できる
ⅱ)人々が健康になれる社会環境をつくり、
健康なライフスタイルを支える
20年後の2035年、保健医療を取り巻く日本の生活環境は、大きく変わろうとしています。
2035年のわたしたちと、日本の保健医療環境をみてみましょう。
保健医療を取り巻く日本の環境は、依然として多くの課題を抱えています。
よりよい医療環境を構築し、日本が世界をリードする存在となるべく、2035年に向けて課題を解決していきます。
2035年に向けた課題を克服するには、従来の保健医療制度の枠組みと発想を転換し、新たな「社会システム」としての再構築なくして途はありません。このためには、これまで保健医療制度を規定してきた根底の価値規範や原理、思想、すなわちパラダイムを以下のように根本的に転換する必要があります。
あまねく、均質のサービスが量的に全国各地のあらゆる人々に行き渡ることを目指す時代から、必要な保健医療は確保しつつ質と効率の向上を絶え間なく目指す時代への転換
構造設備・人員配置や保健医療の投入量による管理や評価を行う時代から、医療資源の効率的活用やそれによってもたらされたアウトカムなどによる管理や評価を行う時代への転換
中央集権的な様々な規制や業界の慣習の枠内で行動し、その秩序維持を図る時代から、患者、医療従事者、保険者、住民など保健医療の当事者による自律的で主体的なルールづくりを優先する時代への転換
疾病の治癒と生命維持を主目的とする「キュア中心」の時代から、慢性疾患や一定の支障を抱えても生活の質を維持・向上させ、身体的のみならず精神的・社会的な意味を含めた健康を保つことを目指す「ケア中心」の時代への転換
サービスや知見、制度の細分化・専門化を進め、利用者の個別課題へ個別対応する時代から、関係するサービスや専門職・制度間での価値やビジョンを共有した相互連携を重視し、多様化・複雑化する課題への切れ目のない対応をする時代への転換
上記で記した目標を実現していくために、新たなシステムの構築や運営を進めていくこととなりますが、その際、基本とすべき価値観・判断基準は、「公平・公正(フェアネス)」、「自律に基づく連帯」、「日本と世界の繁栄と共生」の3つです。
新たな価値や新たなアイデアを創造することで、社会に変革をもたらすための環境を整備。技術開発のみならず、それに対応したシステム(人材、情報、資金など)の確立が必須。
ICT等により、医療の質、価値、安全性、パフォーマンスを飛躍的に向上させる。保健医療データベースを整備・活用し、遠隔診断・治療・手術などの基盤を整備。
将来世代に負担を強いることのないよう、公的医療保険の機能と役割、給付と負担のあり方やあらゆる新たな財源確保策についても議論を重ね、財源を確保。
あらゆる医療従事者が、常に良い保健医療の提供に邁進できるようにする。複数の疾患を有する患者を総合的に診る能力や、予防、公衆衛生、コミュニケーション、マネージメントに関する能力を有する医師の養成や保健医療と福祉の多職種連携を前提とした人材育成を推進。
徹底した業務改善を行い、必要な人員を確保した上で、 横断的なマネージメントやコミュニケーション機能と能力を強化し、機動的で積極的に現場とつながることのできる組織を作る。国際的にも、グローバル・ヘルス、健康危機に対して迅速かつ的確に動く組織として認識される水準を目指す。
保健医療システムが国民から信頼され、納得されるものであるためには、何よりも公平・公正な仕組みであることが求められる。「保健医療2035」で考える公平・公正な仕組みとは、
というものである。
健康は、従来の医療の枠組みを越え、コミュニティや社会システムにおける日常生活の中で、一人ひとりが保健医療における役割を主体的に果たすことによって実現されるべきものである。そのためには、すべての人々が、家庭、職場、地域等のあらゆるレベルにおいて、自らの健康を向上させるための主体的な判断や選択ができる環境が整備されることが必要である。
一方、個々人の自立のみに依存した健康長寿の実現はなく、必要十分な保健医療のセーフティネットの構築と、保健医療への参加を促す仕組みによって社会から取りこぼされる人々を生じさせないことも保健医療システムの重要な役割である。特に、所得格差の拡大や貧困層の増加、健康リスク放置層の顕在化などの中で、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジの土台が崩れないような目配り、巻き込みも忘れないことが重要である。
また、地域の保健医療システムは、透明性と説明責任が確保されるとともに、そこに住む人々が主体的に参加し、自律的に運営されることが必要である。その際、患者、医療提供者は、医療が希少資源であることを認識し、コスト意識をもって利用、提供することが大切である。
保健医療への投資により、人々の健康増進のみならず、わが国の経済・社会システムの安定と発展にも寄与する。特に、保健医療は、高付加価値サービスそのものであり、また社会の持続可能性を高めるという面で、日本の国力の柱となるものであるという認識に立つ。
特に、保健医療システムが有効に機能することにより、
といった貢献につながる。
さらに、日本は、すべての人が安心して生き生きと活躍し続けられるように、様々な暮らし方、働き方、生き方に対応できる「健康先進国」として、地球規模の共通課題である保健医療の課題解決を主導する。日本は世界のイノベーションを積極的に取り込み、 国際社会との協働の下で、平和と繁栄の中で共生できる世界を構築する。
私の父はいわゆる「健康オタク」です。「健康に良い」とされているものには片っ端から手をつけ、何でも試さないと気がすまない性格なんですよ。
私もそんな父の影響を受けてか、中年と呼ばれる世代になった今、自身の健康が人一倍気になるようになってきました。もっとも今までも、健康づくりに対しては人よりも注意を払ってきたつもりです。
ただ、私の場合は父のように手当たり次第「健康」と名のつくものを試してきたわけではありません。自分にとって本当に必要な健康づくりに励むよう意識をしています。
日常生活の習慣には気をつけることはもちろん、日々の情報収集も重要です。私の職場の健康保険組合では、過去に受けた健診記録や医療機関での治療履歴などから、自分に最適な健康予防活動を教えてくれるので、いつも参考にしています。しかもこのサービス、無料で受けられるんですよ。
他にも健康保険組合では、近隣の医療機関やかかりつけ医師の情報、必要なときにどのように医療機関を受診するかなどのアドバイスもしてくれます。これらを活かさない手はありませんよね。
あと、未病対策は欠かさずやっていますよ。今ではいちいち検診のために病院に行かなくても、検診キットを使えば個人でさまざまな疾患のチェックができるんです。尿や便から簡単にできて、結果も数分ほどですぐに出てきます。しかも、検診に行くより安い。「科学的根拠に基づく」と国からお墨つきが出ているので、安心して使えるサービスですね。
常日頃、身体のことで疑問に思ったことは、かかりつけ医のいる診療所に行って相談するようにしています。ネットで受診予約をできるのがありがたいです。待ち時間も短いので、多忙な身としてはとても助かっています。
先日は、「これからどんな検診を受けるべきか」ということを相談しました。先生の分かりやすい説明のおかげで、「すべての検診に片っ端から参加するのではなく、有効性とリスクのバランスを考えて取捨選択することが重要だ」ということがよく分りました。先生のアドバイスを参考にして、今年は◯◯検診は受けないで、✕✕検診を受けることにしたんです。賢い選択ができたなと感じています。
健康への配慮から、たばこは吸いません。そもそも、たばこの現物を見たことがないし、触れたこともないんですよ。最近ではほとんど喫煙者の姿も見なくなりましたね。通勤はバスと自転車を併用しています。ごく普通に生活をしているだけですが、健康状態はおおむね良好です。
数カ月前から手の関節に痛みがあったのですが、最近とうとう地域ボランティアの介護の仕事に支障が出てきたんです。かかりつけ医と相談したところ、すぐに地域の専門医を紹介してもらえました。
専門医の所に連絡をすると、すぐに1時間程度の診察を受けられました。一昔前なら検査のために何度も受診する必要があったはずですが、すでにかかりつけ医が私の電子カルテを専門医と共有してくれていたのでスムーズにことが運びました。10分ほどで終わる追加の検査だけで済み、その日のうちに関節リウマチと診断されたんです。
専門医は、私と同じような患者さんのデータベースをもとに治療成績などを説明してくれました。複数の薬の選択肢や標準的な服薬の組合せ、どの合併症がどのくらいの確率で発生するのか……そういったことを手元の端末を見せながら分かりやすく説明してくれたので、安心して治療に臨むことができましたね。
現在は、一般的な薬よりも低価格ながら、安全性と効果は同等なバイオ後発薬で治療中です。経過も良好で、ボランティアは以前よりも熱が入るようになりましたよ。
私はシングルマザーで、2人の子どもを育てています。地元の食品工場で働きつつ、なんとか仕事と子育ての両立をしてきました。
長男は高校を出た後、友人の多い地元での就職を希望しました。そして、「人の役に立ちたい」「人と接することが好き」という動機から介護施設に就職。近所の方からも長男の熱心な仕事ぶりを聞くことが多く、誇りに思っています。
その長男が、今年ついに結婚するんです! 相手は、同じ職場の女性とのこと。長年苦労しつつも大きな愛情を注いできたので、喜びもひとしおです。最近の介護施設を経営する企業は、経営マネージメントがしっかりしていて、介護サービスの質にも定評があるようです。長男が勤めている施設も、とても評判がいいんですよ。
長女は県の奨学金をもらって、県立大学で看護師の資格を取得しました。薬の処方管理ができる資格も持っていて、幅広く活躍する看護師として同僚から尊敬されているようです。2人の子どもの成長を見ていると、喜びとともに、医療や介護が地域の雇用・経済の核になっているんだなという実感もわいてきますね。
20年前に研修をしていた時は、とにかくもう忙しかったですね。手術以外にも朝から晩まで雑用が多く、帰ったら勉強もしないといけないから睡眠はほとんど取れなくて。現場ではヒヤッとする事故寸前のこともたくさんありました。人を増やしてほしかったのですが、そんな予算はきっとなかったんでしょうね。
少ないチャンスを見つけては手術の経験を積みましたが、比較対象が身近にいないため「自分の手術の腕はどのくらい上達したのか」がまったく分からず、モチベーションを維持するのが大変でした。自分と同じような外科研修医が同地域の他の病院に多数いたということは、話には聞いていました。
初めて共通外科DBに参加したときは、結構ショックでしたね。自分の病院の成績が全国平均よりも低いなんて思ってもみなかったので。最初は参加することに乗り気ではなかったのですが、自分の現在地を知れて本当によかったなと思います。その後は地域内の医療レベルの底上げをするため、近隣の病院と協働してかかりつけ医や消化器外科の機能を集約。パラメディカルとの連携のもと、新たな地域ネットワークを作りました。
あれから20年が経ちました。手術の腕はかなり上がって、治療成績もぐっと改善したのを実感しています。勤務している病院の経営も上向きになって、全員が楽しんで仕事をしていますよ。
私が医者になった理由は、小学生の時に読んだシュバイツアーに憧れたからです。しかし、当時の医師免許は国内のみでしか通用せず、「頑張ってもシュバイツアーのように、世界をまたにかけて活躍することは難しいのかな……」と思っていました。だから、大学に入る前に「世界で共通の医師免許が認められる」という知らせを聞いたときは、跳び上がって喜びましたよ。
現在、私は医師資格の相互承認を活用し、日本では「スーパー診療所」(普段は日本の過疎地で医療を行っている海外緊急支援要員)の医療スタッフとして臨床をしつつ、感染症や災害があれば、すぐに世界の仲間とともに現地に飛ぶ生活をしています。逆に、日本で医師不足に陥った際には、世界に支援を求めています。医学生の時に必須科目であったGLOCAL(グローカル)研修のおかげで、柔軟な対応ができています。
この前、アジアの国で感染症のアウトブレイクがあったのですが、健康危機管理・疾病対策センターがすぐに動いて、アジア各国の陣頭指揮をとったのが印象的でした。日本式の保健医療システムが世界で標準となっていて、今では危機対応の研修も日本式になっているんですよね。世界の皆さんが日本をとてもありがたく思っているのを、私は誇らしく感じています。
昔から健康には自信があった方なのですが……20年前、定期健診で突然がんの告知を受けてから、私の人生は大きく変わりました。「自分は大きな病気にかからないだろう」と思っていたので、知らされたときは本当に目の前が真っ暗になりましたよ。
発症したのが珍しい部位だったため、様々な病院を受診した後に大学病院を紹介され、そこで手術を行いました。7時間にも及ぶ大手術は成功して事なきを得たものの、産まれて初めて直面した死の恐怖は、心に大きな陰を残しました。
そして、65歳になった今年、20年前と同じがんを再発したんです。
20年前と同様につらくて長い闘病生活に戻ることを覚悟していたが……幸いにして現在では、そのがんの特効薬が見つかっていました。それは日本が開発したもので、日本での研究環境の整備や研究資金の充実が進んだ結果完成した薬だと伺いました。
がんを完全に克服できるなんて、20年前はあり得ないことだと思っていました。でも、それが今、現実となっている……研究に携わった全ての方々へ、心の底から感謝の気持ちをお伝えしたいです。
私は今、出身地の近くにある大学医学部に在学中です。自転車で通学しています。
医学部の受験では、面接で学外ボランティア活動が評価されました。試験はコンピューター式で、高校3年時に毎月受けるチャンスがあったので、一発勝負のような大きなストレスは感じませんでした。2次試験は、面接以外に英語・理科・社会の3科の筆記テストを受けました。
1・2年次の教養課程の中で、1年間中国とロシアに短期留学した。語学力もついた上に、たくさん友人ができてとても楽しかったです。ロシアで知り合った医学生の友人とは、今でもネット電話で定期的に勉強会をしているんですよ。彼女は日本で進んでいる老年医学について興味津々で、いろいろと教えてあげています。
医学部のカリキュラムは横断的で、1年目から病院や地域の診療所実習があります。4年時には、市中の教育病院で救急患者の初診を担当しました。
現在は、指導医・研修医・看護師・薬剤師・検査技師・医療ソーシャルワーカーさんたちのチーム医療にメンバーとして参加しています。個人的に、不要な薬の減らし方について勉強中です。
卒業後は、総合診療医として地域で診療を行ったり、地域の訪問診療チームと協働したりする働き方を検討しています。
20年前、私は病院で心身ともに衰弱していく母を目の当たりにして、途方に暮れていました。本当は自宅での療養を希望していたのですが、在宅医療を行う環境が我が家にもないし、地域で対応可能な医療機関もなかったので、断念せざるを得ませんでした。
長く続く入院生活の中で、だんだんと元気を失っていく母を前に、何も出来ない自分にいら立ちを覚えていました。それとともに「もし自分も近い将来、入院が必要な病気を患ったら……」と、自らの将来にも漠然とした不安を感じましたことを、今でも覚えています。
そして20年後の今、私は当時の母と同じ年齢になりました。そして、何かの因果でしょうか、母と同じ病気と診断されたんです。
ただ、当時と今では、状況が大きく変わっています。技術と制度の進歩によって、在宅医療が一般的になっているのです。もちろん、定期的に病院へ行き診察を受けることも必要ですが、普段は自宅で過ごすことができます。何よりも安心なのは、日常的な生活のサポートが充実していることです。有料のものもありますが、地元のスーパーや商店街で買い物をすると荷物を運んでくれたりなど、無料で受けられるサービスも数多くあります。できることなら母にも、私と同じ環境で治療させてあげたかったですね。
私はこれからも、20年分の医療と行政の進歩に感謝しつつ、病気とうまく付き合う日々を送っていこうと思っています。
20年前に転勤で初めて日本に来た際には、いろいろと苦労ばかりでした。とくに、家族が急病になった時には本当に困りましたね。どこに行っていいかわからないし、母国語が伝わらなくて、病状を正確に説明できないんです。英語ならまだしも、マイナーな言語になるとまったくと言っていいほど通じませんから。
しかし、東京オリンピックを境に、日本語が分からないような外国人でもスムーズにサービスを受ける環境が整ってきましたね。あれから、安心して外国人が長期滞在したり、移住ができるようになったんじゃないかなと思います。
日本は世界一の高齢化社会だと言われていますが、実際に暮らしていると高齢者ばかりの国にはとても思えないほどの活気を感じます。私の母国の高齢者とは比べられないほど、皆さん若々しい。ジャパンエイジの65歳の方々は、私には50歳くらいに思えます。
私にとって、日本は第二の故郷です。この国には今、「健康長寿大国」という良いイメージが根付いて、世界中から患者が来るようになっています。それが自分事のように、とても嬉しいです。本当に日本はいい国だと思います。
結婚してからは夫の家業を手伝うため、実家から離れて暮らしてきました。それから40年が経った今、遠方にいる母親は90歳になりました。少し認知症の傾向がありますが、弟と共同でITを駆使して遠隔で見守りをしています。
昔は離れて暮らす母が心配で仕事が疎かになったりしましたが、今では実家にセンサーが設置されていて、異常があれば連絡が来るようになっているので、安心できています。母に何かあればすぐに分かりますし、母親を訪れてくれる地元NPOの方ともモニター越しで頻繁にお話しできています。商売を続けながら母親の面倒を見られて、医療や介護の負担もやりくりできる範囲に収まっているので、とても助かっています。最近、母親もモニター越しに会話ができるようになったんです。社会人になった孫と話すときは、いつも笑顔でいっぱいになっています。
今では、遠隔操作で利用できる介護ロボットを導入している家も増えてきているそうですね。なんでも、食事の介助までしてくれるのだとか。今すぐ購入するのは金銭的に難しそうですが、一度うちでも介護ロボットのレンタルをしてみようかなと考えています。
これまで東京でサラリーマン人生を送ってきましたが、数年前に勤め先のテレワーク制度を利用して、妻と子供とともに地方に移住しました。在宅勤務をしながら野菜作りをし、自給自足のライフスタイルを目指すことにしたんです。自分で作る野菜は新鮮で栄養価が高いし、子どもも自然に囲まれて育てられるのって素敵ですよね。
知らない土地で暮らすことには不安もあったのですが、移住先が「保健医療2035モデルシティ」のひとつであることを知って、とても安心しました。
この地域ではサークル活動が盛んでご近所との絆が強く、「誰もが自然と健康になってしまう」のだとか。子どもの通う小学校はシニア世代の活動拠点になっていて、私も地域のシニアからいろいろな生活の知恵や地域の歴史を教わりました。
緩やかな坂が多いこの地域では、歩いて近所の集まりに行くことでよって、結構な運動になるんです。そんなおかげか、自分も家族も都会にいた頃より、病気になりにくい体になりました。
また、ここでは医療・介護サービスも地域のニーズに合わせ、住民参加で独自に施策が決められているようです。都会のように歩いて10分で行ける診療所があるわけではないが、ここであればいざというときも安心・納得して医療・介護を受けられるなと思っています。
高血圧と糖尿病の治療のため、近所でかかりつけの医師がいる診療所に通院しています。普段のちょっとした健康の相談は、かかりつけの薬局で聞いてもらっていますよ。先日、腰痛がなかなか治らないことを相談したら、医療機関の受診を勧めてくださって。薬のこと以外でも親身になって話を聞いてくれるので、とても助かっています。
私が自宅で介護をしている義母(95歳)も、同じ診療所の別の医師に訪問診療をしてもらっています。グループ開業された診療所なので、常勤の医師が複数人いるのが心強いですね。夜でも相談できるので安心です。
少し前まで、義母は内服薬を7種類も出されていて毎日飲むのに一苦労していましたが、今のかかりつけの医師と薬剤師が相談して、4種類に減らしてくれたんです。おかげさまで、義母は以前より元気になっています。
20年前は自分の街で外国人を見かけることは少なかったけれども、東京オリンピック前後から増えてきましたね。今ではこの街でも多くの外国の方が観光にきたり働いていたりして、にぎやかになったし、世界が繋がっているとより感じるようになりました。
昨年、隣国で感染症のアウトブレイクがあったけれども、日本の健康危機管理・疾病対策センターがすぐに動いて、アジア各国の陣頭指揮を執っていましたね。そのおかげで日本国内での流行が防げたと伺いました。まだ若い孫のことを考えると、流行が広がらなくて本当によかったなと感じています。
そう言えば、先日東南アジアの国で大きな地震があった際も、日本から医療スタッフがすぐに派遣されたというニュースを見ました。逆に日本で災害があったときには、アジアの各国が医療スタッフを送ってくれる体制が整っているそうですね。災害時の助けあいが国際的に広がっているのは、ありがたいことだなと思います。
20年前は看護大学で教鞭を執っていましたね。その時、グローバルヘルスリーダー養成戦略の一環で、WHOの世界保健総会に参加したんです。そこで、自分の専門とする高齢者の地域看護に関する話をしたことがきっかけとなって、世界のトップクラスの専門家が集まる会議に呼ばれるようになり、これが現職に就く契機となりました。
現在、アジアの国々では20年前の日本と同じ問題に直面しています。世界中から高齢化・非感染症分野における知見を求められ、海外出張も年々増えていますね。日本政府も保健関連ODAを大幅に増加させ、支援に対して積極的な姿勢を見せています。保健医療が、外交や経済成長でも大きな役割を果たしていることを実感する日々です。
今では、自分のようなグローバルな医療貢献をできる人材が、所属やポストを問わずあらゆる世代にいます。その中で最も適切な人材が、国際会議や国際機関の役職に就いているように感じます。昨年、私もアジアやアフリカの国から是非にと推薦され、日本が主導して設立した国際機関の事務局長になり、ますます多忙な日々を送っています。
幼いころに突然、全身を襲う激しい痛みに襲われて……運ばれた病院で、原因も治療法も分からない難病と診断されました。最初は状況が飲み込めず不安ばかり募っていきましたが、冷静になって自分の病気について調べてみると、難病の患者向けのデータベースがあることを知ったんです。そこで、難病を専門とする医師や研究者が治療法の研究を懸命に進めていることを知り、前向きな気持ちになれました。自分と同じような難病患者の集まりもあって、そこでお互いの経験を共有できたことも心強かったですね。
発病してから10年が経った今では、遠隔で専門の医師の診療を受けつつ、新薬の治験にも積極的に参加しています。苦しいことも多いですが、学校や周囲の方々が私の病状に合わせた配慮をしてくれるおかげで、日常生活を不自由なく送り続けられています。就職活動も無事に終わり、来年からは晴れて社会人です。病気に対する理解があり、病気と共生しながら働けるのが当たり前の社会にいられて、本当によかったなと感じています。
私の部署は、必要な保健医療と介護サービスが地域のニーズにあった形と量でシームレスに提供されるよう働きかけていくのが主な業務です。そのために、市町村・医療機関・介護施設・NPO・民間企業の相互連携を促進しています。
自分が保健医療行政に携わるようになったこの数年だけでも、状況は大きく変わりつつあります。保健医療のデータベースを用いた分析に基づき、関係者が積極的に話し合いの場を設け、病床と病院機能の再編や遠隔医療の強化が進められてきました。
医療費適正化計画の見直しの年には、これまでの関係者の努力があったにも関わらず、やや医療費の伸びが上回る可能性があったんです。しかし、住民や医療機関を含む関係者と「どうしたら医療費を抑えつつ、必要な医療を確保できるか」という議論を重ね、最終的には皆が納得できるような施策に落とし込めたと感じています。
最近では隣の県とも協力し、高価な医療機器の検査や専門医を共有するなど、新しい動きを仕掛けています。この取り組みは国より表彰を受け、全国的にもモデルケースとなってくれたようで嬉しいです。私も、他の自治体の取り組みから学ばせてもらうことは多いですね。
保健医療分野では、必要な知識が多岐にわたります。昨年より、私は県の支援を受けて働きながら公衆衛生大学院で医療政策を学んでいましたが、先日ようやく修了して学位を頂きました。今後はここで学んだことを活かして、より地域にあった保健医療をデザインしていきたいですね。
私は現在、知的障がいを持つ長男(40歳)と同居しています。
20年前に、長男は行政の支援などを受けて就職しました。その頃から「私たち夫婦に介護が必要になる頃には長男はどうなるんだろうか」と不安に感じていたので、自分がしっかりとお金を貯めておかなければならないと意識をしてきました。
そして4年前、自分が脳梗塞で倒れた時は「ついに自分たちだけでは長男の支援をしきれない……」と思いました。しかし、かかりつけ医の紹介で地域の医療・福祉の総合窓口に相談したところ、介護・医療機関やNPOをつないでいただけました。そちらの方々のアドバイスをもらいながら、電話一本で夜にかけつけてもらえるような体制を作るなど、長男と自分たちに最適な生活や支援の設計をできたんです。
最近は長男も、民間企業の職業訓練を受けてキャリアアップして転職しました。地域や職場で友人にも恵まれ、経済的にもより自立し、日々充実した生活を送れているようで、本当に嬉しいです。たとえ自分たち両親が亡くなったとしても、長男はいきいきと暮らせるのでないかなと思えて、安心しています。
先日、かつて糖尿病の重症化予防に取り組んでいた組合員に久々に再会したんです。今では症状が落ち着いているようで、ホッとしました。彼は私の保健指導をきっかけに、服薬や食事制限を守るようになり、ジョギングも始めました。今ではマラソン大会にも出場するとのこと。健康づくりに楽しみながら取り組んでいる様子を見ると、私まで楽しくなってきますね。
今年は重症化予防の成果が出てきたおかげで、組合員の料率も少し下げられそうです。このように組合員への対応を手厚くできるようになったのも、10年前に保険者のマネジメント強化に取り組んだおかげだと思っています。事務が効率化したことで、より組合員の健康づくりに時間を割けるようになりましたし、空いた時間を勉強にあてることで自分の専門性も高まりましたね。
今日は、地域包括ケアシステムの計画に関する協議に参加しきました。最近ではこのような行政・医療従事者・保険者・住民ボランティアなどのシビルソサエティーによる、制度横断的な地域独自の意思決定の場でも、保険者の視点が積極的に取り入れられています。