97/07/16 第70回人口問題審議会総会議事録 第70回人口問題審議会総会議事録 平成9年7月16(水) 15時00分〜17時00分 厚生省特別第1会議室 宮澤会長 本日は、お暑いところ、また、ご多用のところを、ご出席いただきま してありがとうございます。ただいまから、第70回人口問題審議会総会を開 催したいと思います。   最初に、前回の総会以降、新たな委員並びに専門委員の任命がござい ましたので、新任の委員及び専門委員の方を紹介させていただきます。   株式会社リクルート代表取締役社長の河野栄子委員、これまでも専門 委員をお願いしておりました慶応義塾大学の清家篤委員、そして、本日はご 欠席ですが放送大学の麻生誠委員、この御三方が新たに任命されました。   また、専門委員といたしましては、東京学芸大学助教授の山田昌弘専 門委員、本日はご欠席ですが、奈良女子大学助教授の木村陽子専門委員の御 二方が新たに専門委員に任命されました。   なお、伏見恵文専門委員が6月28日付けで任期満了に伴い退任されて おります。   次に、出席状況をご報告いたしますが、ご欠席は大石、大淵、岡沢、 木村、河野洋太郎、坪井、南、吉原各委員と、網野専門委員でございます。 その他の方はご出席です。若干遅れて来られる方もいらっしゃるようです。   また、事務局のほうでも人事異動がございましたので、ご紹介いたし ます。総務審議官の田中泰弘総務審議官でございます。 田中総務審議官 ただいまご紹介いただきました、7月1日付けで中西さんのあ とを引き継ぎました総務審議官の田中でございます。よろしくお願いしたい と思います。委員の皆様方には少子化対策で、この2月から熱心なご討議をい ただいているところでございますけれども、この秋の中間まとめに向けまして、 さらに一層ご尽力たまわりますようお願い申し上げたいと思います。ありがと うございました。 宮澤会長 それでは、これから本日の議事に入らせていただきます。 議事の進め方ですが、今後の議事の進行を円滑に進めるために、既に 委員の皆様方から事前にご意見をいただきましてまことにありがとうござい ました。   ご意見を拝見しまして、少子化対策をこれから議論するには、さかの ぼって少子化の原因や背景についての分析をもう少し深めて、低出生率の対 応についての基本認識とか、その前提を整理する必要があると思いまして、事 務局にお願いしてメモをつくっていただきました。   少子社会の姿や少子社会を含めた対応につきましても、データに基づ いた緻密な議論を進める必要があるように思いましたが、これは作業に少し 時間がかかるものと思われますので、夏休み明けに事務局から資料を提出して いただいて、中間とりまとめに向けて議論をするというようにしたいと思いま すが、よろしゅうございましょうか。   それでは、そのように進めさせていただきます。   まず事務局につくっていただきましたメモについて、ご説明をお願い いたします。 椋野企画官 ご説明に先立ちまして資料の確認をさせていただきたいと思います。 議事次第の次に資料1として、いま会長からお話のありましたご指示 に基づいてつくったメモ「出生率低下の原因・背景(検討のための素材)」 というものを用意しております。   資料2といたしまして、前回にもお出しいたしておりました「少子化 をめぐる前提認識と主要論点(案)」につきまして、有識者意見、関連意見 を整理し、前回お3人の方、山崎先生、山田先生、永瀬先生からまたヒアリン グをさせていただきましたので、その関連意見を整理いたしました。また、前 回ホームページに寄せられた国民の意見というものをご紹介させていただきま したが、それも関連の項目のところに整理をさせていただきました。各省幹事 会で出されました各省の意見も、前回口頭でご紹介いたしましたが、それも関 連の項目のところに整理させていただきましたので、議論を進めていくうえで の参考として適宜ご覧いただければと存じます。   資料3といたしまして、口頭でご紹介し、いまの討議資料の中にも入 れておりますが、労働省からぜひ文書で審議会の委員の方々にお目通しいた だきたいということでございましたので、労働省からの意見を資料3として入 れさせていただいております。   資料4は、後ほどご説明申し上げます、前回、袖井委員からご質問の あったことに対するお答えに関連する資料でございます。   このほどまとまりました平成8年の「人口動態統計月報年計の概況」、   1月に出しました「日本の将来推計人口の推計」についての本になったも の。平成9年版の「厚生白書」をご参考までに配付させていただいております ので、後ほどでもお目通しをいただければと存じます。   それでは、資料1に戻りまして簡単に説明させていただきます。   少子化への対応を議論するうえで出生率低下の原因・背景をもう少し 分析するのではないかということが、委員の方々からお寄せいただいた意見 の中にもございましたので、議論していただくための素材として仮に3つほど に分けて整理をしてみました。原因・背景として、1つは、結婚のもつ価値に 対する意識と現実に差が出てきたのではないかいうこと。2つ目として、子育 てについての障害の問題があるのではないか。3つ目として、そもそも子ど もの持っている意味が変わってきたのではないか。この3つに分けて整理をし てみました。   結婚のもつ価値に対する意識と現実にギャップが出てきたのではない かという1番目でございますけれども、出生率低下の直接の原因は、もうご 承知のとおり晩婚化の進行と未婚率の上昇なわけですが、ただ、アンケートに よりますと未婚女性の9割が「いずれ結婚するつもりがある」とお答えになっ ておられる。しかし現実には晩婚化と未婚率の上昇が進行している。その背 景・原因は何だろうかということで、これは前回、心理学的、社会学的調査に 基づいて山田先生、永瀬先生にご報告いただきましたものを参考にしてまとめ ました。   1つ目の○は、山田先生が主としておっしゃっておられたことで、国 民の生活水準が上昇して親元で暮らす独身者の経済生活が非常に豊かになっ ている。ところが、結婚に対する意識は古いまま、女性は、言わば生まれ変わ りとして結婚によってよりよい生活を手にするという意識があり、男性は、結 婚したら保障しなければいけないという意識が残っている。そういうもとで性 別役割分業、女性は結婚して専業主婦ということを前提にすると、当然、親元 の独身生活よりはるかに生活水準が下がってしまうということで、それは嫌だ と、高い生活水準をそのまま維持しようとすると晩婚化、未婚率の上昇につな がるのではないか。下に、山田先生のおっしゃったことを簡単に整理しており ますが、それが1つ目。   2つ目は、主として永瀬先生が前回おっしゃっていたかと思いますけ れども、都市部の社会参画志向、働き続けたいという女性にとっては、仕事 と育児を両立させる新しい夫婦像というものが見えないのではないか。それが 子どもが産めなくなる年齢ぎりぎりまで結婚を先延ばしにするという行動がつ ながっているのではないか。そういう分析が永瀬先生から提示されておりまし た。   いずれにせよ、結婚というものに対する意識、現実の性別役割分業を 前提とした制度との差が、こういうことにつながっているのではないかとい う分析でございました。  次のページにまいりまして、子育てにいろいろな障害があるので子ど もを産みにくくなっている、ひいては結婚しなくなっているのではないかと いう考え方でございますけれども、夫婦の平均出生児数あるいは予定数ともに2. 2人前後ですけれども、理想を聞きますと2.6人ぐらいという答えがございます。 これには差があるわけですが、その理由としてお金がかかるという答えが多い わけですが、そのほかに「高齢で産むのはいやだかから」とか、「育児の心理 的・肉体的負担に耐えられないから」というのもかなり高率でお答えがござい ました。これから考えることを2つ整理いたしました。   1つは、職場の問題で長時間労働など男性に滅私奉公を求める職場慣 行、その前提になっている男性には、身の回り全てをやる専業主婦がいるも のだという専業主婦を前提とする性別役割分業型の考え方が、男性の育児への 参画を阻んでいる。その結果、育児との両立を志向する共働き女性はもちろん 非常に負担が重くなるわけですが、専業主婦で家庭で保育をしている女性にと っても、母親1人で育児を抱え込むということで育児負担感の増大の原因とな っているのではないか。   これが、もう1人子どもが欲しいと思いながら思い止まっている理由 になっているのではないか。さらには、このことが晩婚化や未婚率の上昇に つながっていると言えるのかどうか。ここは議論のあるところだと思いますが、 言えるのではないかという考え方もあろうかと思います。いままで有識者か ら出てきた意見、島田先生ですとか正村先生とかいろいろな方々から関連でご 意見がございました。   もう1つは保育の問題でございまして、弾力的で多様な利用しやすい 保育サービスが少ないことなど、ニーズに対応するサービスが十分に育って いないことが、共働き女性の育児負担感を増大させているのではないか。これ が「もう1人」というのを思い止まらせている。さらに、このことが晩婚化や 未婚率の上昇にもつながっていると言えるか言えないか。「また」以下は議論 になるところだと思います。 関連で、保育サービスについてはアメリカではもっと利用しやすいも のがあるとか、日本では特に都会部の人口増加地域で低年齢児保育サービス の待機が多いという、いままでのご意見を整理させていただきました。   3つ目として、子どもの持つ意味、それ自体が変化してきているので はないかという問題でございます。合理的な個人は、子どもから得られる価 値に見合うまでの費用をかけるとすれば、出生率の低下の背景に、子どもの持 つ価値、かかる費用の変化があるのではないか。価値、費用が変化した結果、 その価値に見合うまでの費用をかけるとして、子どもの数が減っているのでは ないかという考え方でございます。   価値については、いろいろな経済学者の方がおっしゃっておられる、 子どもが将来の扶養を前提とした投資財というものから、いま子どもをかわ いがることによって価値を得られる消費財に変化したのではないかというよう なことでございます。   2つ目として費用の問題としては、消費財ということになると消費財 としての価値を高めるために子どもに手をかけることが、教育費をはじめと して子育てのための現金費用を増大させているのではないか。消費財となった こと自体、費用を増大させるのではないかということ。もう1つ費用には、現 金費用のほかに機会費用というものがあり、女性の高学歴化、社会参画志向の 高まりによって、子育てのために女性が仕事を辞めることに伴い失う賃金、賃 金だけではなく社会的人脈を失うということで機会費用が増大したのではない か。   費用としてはこの2つの面があって、価値とこの費用を考えあわせる と子どもの数が減ってきているのではないか。子どもの持つ意味の変化から 出生率の低下の背景を探ったものでございます。   続きまして4枚目は、こういう背景があるとして低出生率への対応を どうするかという基本的な認識でございますが、いままでの有識者等のご意 見を伺っておりまして、大きく3つに分けられるのではないかということで整 理をしてみました。  1つは、出生率向上を直接の目的とする立場でございます。少子化が 社会全体に大きな負の影響をもたらすということから、出生率の引き上げを 直接の目的として何らかの施策を講ずるべきだとする立場。   2つ目としては、直接の目的とするのではないけれども、結果として 出生率向上を期待するという立場。少子化をもたらした社会経済のひずみの 是正を図る中で、結果として出生率の向上を期待する。少子化は問題の原因で はなく、何らかの問題の結果が少子化にあらわれているという有識者のご意見 もあったかのように思います。少子化をもたらしている原因のほうを是正する。 その結果、出生率の向上を期待するわけですけれども、上がるか上がらないか はさほど問題ではないとおっしゃった有識者の方もあったように思います。   3つ目は、出生率向上には介入すべきではないという立場でございま す。その理由としては、地球環境の保全ですとか、世界人口自体が非常に増 加しているわけですから、日本の人口減少は望ましいという見方。あるいは、 日本の人口減少が望ましくないとしても、外国人を導入すれば日本の人口はそ れで増えるわけだから、出生率の向上ということを念頭においた施策は必要で はないという考え方かと思います。   ヒアリングしてきた有識者の中に、ここまで明確なご意見はなかった ようには思いますが、こういうご意見に対しては私はこう思うという形で意 見調整の中で紹介された考え方でございました。  この3つに分けてみましたけれども、この3つの分け方がいいのかど うか。そもそもこういう立場についてどうお考えになるか。その前の原因・ 背景も3つに分けて考えてみましたけれども、この分け方がいいのかも含めて、 あくまで会長のご指示で検討のための素材ということで、とりあえず事務局で まとめさせていただいたものでございます。 宮澤会長 ありがとうございました。   それでは、ご自由に討論をお願いしたいと思います。戦略的になるべ く項目はたくさんあるよりも少ないほうがいいと思います。議論が拡散して まいりましょうから、収れんするとひつのポイントとして差し当たりこの3点、 4枚の3つの立場ということで事務局で整理していただきました。どこからで も結構ですので、よろしくお願いいたします。 八代委員 しばらく欠席しておりましたので、これまで意見を言う機会がなかっ たのでまとめて言わせていただきたいと思います。 まとめていただいた資料は非常によく整理されていると思います。資 料1の1「結婚のもつ価値に対する意識と現実の差」ということですが、社 会学の方と我々との考え方の違いかもしれませんが、結婚をするとかしないと いう選択がどれだけ意味があるのか。つまり、例えば未婚女性の9割が「いず れ結婚するつもり」であるとか、下の「ぎりぎりのところまで結婚を延ばす」 という、結婚するということが目的のような考え方が果して妥当なのかどうか。 あくまで、いい相手がいれば結婚するけれども、いい相手がいなければ結婚し ない。そのいいか悪いかもかなりマージナルな決断で決まるというか、そうい う連続的な行動と見るのか、あるいは、どちらかというと0か1かという2つ のまったく分かれた行動と見るかでだいぶ意味は違うのではないかと思います。   ですから私の考えですと、結婚するというのは結果であって、非常に いい相手の人と一緒に住む、あるいは、自分1人でプライバシーを守ってい たほうがいいという間の選択となる。あくまで相対的な見方であって、たまた まそういう人と出会えば結婚するけれども出会わなければしないというような 行動と考えるかで、随分違うのではないかと思います。  ですから、特に御説明のあって最後の「ぎりぎりのところまで」とい うのは、そういう境界的な例えば適齢期のような年齢が現在でも確立してい ると考えるかどうかというのは、やや疑問ではないかと思います。   もうひとつは、3番の「子どもを持つ意味の変化」ということですが、 子どもを持つ価値が親にとって投資財から消費財に変化したのではないか というご説明がありましたが、もう少し正確に言いますと、もともと消費財と しての価値はあったわけです。自営業の人でも子どもがかわいいというのは当 然であって、ただ、自営業からサラリーマンに大多数の就業形態が変わること によって投資財としての価値が相対的に失われた。消費財としての価値は昔 からあったのではないか。そういう代替関係ではなくて、2つあったものが1 つになってくるという考え方もできるのではないか。  もうひとつに、これもよく言われることでありますが、住宅費とか教 育費が高いから子どもを産まないというふうに考えるのか、あるいは、家族 にとって子どもへの需要が量から質への代替である。つまり、教育費が高いと いうのは、むしろ子どもに投資する人々の行動の結果であると考えるかどうか で随分政策が違うわけです。   ここで整理されているような考え方でやりますと、例えば大学の授業 料を下げるというようなことをすることによって子どもを生む確率が高まる というインプリケーションが出ますが、逆にベッカーのように、大学の授業料 が高くなっているのはむしろ人々の子どもに対する教育投資の需要が増えた結 果であるというふうに考えたら、別に授業料に補助を出しても仕方がないわけ で、その分だけ人々は余分の教育投資をするだけである。むしろ重要なのは、 子供を持つことの機会費用であるというふうに考えるかどうかということです。   ですから、あくまでそれぞれこういうふうに分析するときにはそれが どういう政策と結びついているかというような意識のもとで分類することが 大事ではないかと思います。   1つ忘れましたのでもう一回元に戻すと、ぎりぎりのところまで結婚 を延ばすという前提は、まさにいま人口推計で暗黙に前提とされていますよ うに、ある年齢まできたら自然と結婚するという、非婚化ではなく晩婚化であ るという考え方と非常に密接に関係しているかと思います。ところが、どこ かの年齢で単身生活の限界があるわけではなくて、単にいい相手が見つかれば 結婚するという連続的な行動だとすれば、必ずしもいま起こっていることは晩 婚化ではなくて非婚化である可能性もある。   そもそも晩婚化と非婚化の間には明確な差はないんだという考え方で、   これは将来の出生率の見通しにも大きく影響する点でありますから、その へんはかなり詰める必要がありまして、ぎりぎりのところまで結婚を延ばすと いう行動に具体的な証拠があるのかどうか。そういう境界線的な年齢があるの かどうかということをぜひお聞きしたいと思います。それはかなり戦略的に 重要な点ではないかと思います。 清家委員 私もいまの八代委員のご意見に基本的に賛成ですが、もう少しつけ加 えさせていただくと、前半の3ページのところは主に個人にとって子どもを つくるというビヘービアに焦点をあてた分析になっていて、うまくまとめられ ていると思います。 4ページ目のところの対応についての基本的認識というのは、個人に とっての子どもづくりということと、社会にとっての公共財という言い方が 正しいかどうかわかりませんけれども、いつかそういう言葉が出てきたかと思 いますが、社会全体にとっての子どもの持っている意味の間のギャップをどう いうふうに政策的に埋めていくかという話だと思います。社会にとっての子ど もがどういう意味を持っているのかということについて、ここで対応について 議論する際には多少詰めておく必要があると思います。その際に少し注意する 必要があると思うのは、少子化というのは、1の場合は特にそうですし、2の 場合、3の立場の後半のほうでもそうだと思いますが、少子化が経済社会に何 らかのマイナスの影響を与えることを大前提に議論していると思います。例え ば少子化で一番緊急の課題として出てくるのは年金制度というような問題なわ けですが、これは宮島教授がヒアリングのときにおっしゃったように、もとも と少子化が年金問題を深刻化させるのは少子化そのものが問題なのでは なくて、年金制度が賦課方式だから問題なのであって、完全に積立方式であ れば別に人口構造の変化は問題ないわけです。   したがって、少子化が問題であるというときに、少子化そのものが問 題なのか、それとも、何か制度を変えることによって少子化は問題ではない ようにすることができるのかということは、少し整理しておく必要があると思 いますし、経済全体に与える影響について見ても、労働力人口の減少が市場メ カニズムを通じて労働節約的な技術進歩を促すとか、そういうことがどの程度 出てくるのかということも、少子化が経済全体に対して供給面でどういう制約 になるかということを考えるときには、非常に大きな前提になると思いますの で、いきなり超越的に少子化イコール経済社会にマイナスの影響を与えるとい うところから議論を出発させると、おやっという感じが出てくると思います。 井上委員 いまご説明いただきました資料1は、いままで長いこと伺ってきた議 論がよく整理されていると思って非常にありがたく拝見したわけですけれど も、ちょっと違った面からこれを眺めてみたいと思います。   それは、少子化という問題は別に日本だけに限った問題ではないわけ でございます。ヨーロッパ諸国でも起こっている。日本ほどではございませ んけれどもアメリカでも似たような現象が起こっている。その原因はさまざま でありまして、ここに出てまいりました結婚のもつ価値に対する意識も国によ って実にさまざまでございます。中には、結婚をせずに同棲という形に向かっ てしまっている国もあるし、あるいは、結婚はするけれどもどんどん離婚をし てまた再婚をする、結婚というものがそういう形に変わってきている国もある わけでございます。   そういう観点から見ますと、この1ページの「結婚のもつ価値に対す る意識と現実の差」の分析というのは、いままで出てきた議論の上手な要約 ではございますけれども、まだまだ不十分なのではないか。日本の中でもいろ んな階層の意識と現実をもう少し分析してみる必要があるのではないかという 気がしております。子育てについての障害、子どもの持つ意味の変化、こうい うことも国を変えて考えてみますと、それぞれ持つ意味が変わってくるような 気がするわけです。   いままでこの審議会は、だいたい日本のことを中心にしてまいりまし て、外国の方のご意見も専門委員会のときには伺いましたがあまり出てこな かった。こういう面がもう少しあってもいいのではないかという気がいたしま す。 福田委員 資料そのものについて確認させていただきたいと思います。   1つは、きょうも資料2に相当するものはいただいたと思います。た だ、そのときは前回の有識者からのご報告は当然入っていないということだ ったわけですけれども、今度の資料2はそういうものが入っているのか。先ほ どのご説明のときに伺いましたように資料1には非常にはっきり入っておりま す。  もう1つは、文書でご要求がございまして、委員それぞれの意見を出 すようにということで私も出させていただきましたけれども、そういうもの は入っているのか入っていないのか。入っていないとすれば、ここで申し上げ るよりしょうがないのか。結局、文書で差し上げたことはどういう意味を持つ のか。   それを前提としてご説明、補足していただきませんと、何を申し上げ るべきかわかりかねる点がございます。 辻政策課長 事務局から補完説明をさせていただきます。   大きなスケジュールとして、秋に中間まとめ的なものをお願いすると いうことをお願いしてまいりました。その中間まとめというのは、国民の皆 様方に少子化問題をめぐる論点を整理して、むしろご議論いただくペーパーを まとめていただく。一定の結論、あるいはそういうものについての強い予断を 示すということ、こういう問題でございますので、段階でお願いするというも のではないという認識で、まず議事整理をしていただいたらという認識が第1 点でございます。   そういう状況のもとで、限られた時間に高質的な議論が行なわれるよ うに、先生方おひとりおひとりにご意見をいただけば、1日にお2人ぐらい しかいただけないぐらいお考えをお持ちだと推測されますので、考え方という ものをあらかじめ事務局のほうで勉強させていただき、会長に見ていただいて、 そして今後の議事の進行を見定めるという意味でご意見をいただいたという理 解でございます。   したがって、このご意見に限られる必要はないわけですけれども、こ れから先生方から出てくるご意見の骨子を知らさせていただいて、今後の議 事運営に資する位置づけにしております。ですから、私どもあえて申しますの は、これからいろんな議論でいろんなご意見も出てくるわけですから、固定的 に取り上げるべきでなく自由に言っていただくご意見の一部を議事運営のため にいただいたという理解でございます。  2点目は、そういうことからして事務局としてはどこの点の議論が不 足しているのかということを、先生方のご意見から推し量ることができたわ けでございます。そのようにしてご意見を会長のもとでご説明、整理いただく と、出生率低下の原因・背景への対応をどうするかということで最も大きな議 論のポイントになるわけですが、ここに関しては非常に幅広く各界からの意見 を伺いました。この1番大きなところというのは、本審議会で最もご議論いた だき、先生方のご見識をいただく部分であって、議論をここでこなさなければ いけないし、整理がいるなという整理を会長のところでいただきまして、そこ のところを集中的にここで議論いただく。そして、その議論というものが国民 の皆様に今後の対応の意見をいただくときの大きなポイントになると考えたわ けでございます。   今後の対応ということでございますけれども、恐らく前の3枚の紙と 4枚目はそれなり、あるいは相当関係するという前提で整理いたしておりま すが、この4枚目の紙は認識を異にいたしておりまして、結論として国民の皆 様に、なんで出生率が低下しているのかという分析について、国民の皆様のさ まざまな見方もあろうかと思います。あるとして、どうするんですかというと ころが、私ども審議会がご審議いただくうえで非常にデリケートな問題である がゆえに大きな整理のポイントだと思います。したがいまして、ここのところ を曖昧にして少子化問題を論じると不要な論議も出うるということで、4枚目 の1、2、3というのは審議会としてのご意見というよりも、こういういろん な見方があるのではないかと、こういういろんな見方についてこんな論点があ るのではないかと、ここはむしろ審議会のかたまったご提言というよりも整理 をいただいて、ここのところをきちっと膨らませて整理をして書かなければい けないわけですけれども、国民の皆様にご意見を問う。1、2、3のどれ かにいっぱい丸がつくということではないと思いますけれども、十分国民 の皆様のご意見を聞くうえでの論点整理をしていただくということで、4枚目 のペーパーはこれからまとめるときのスタンスを議論していただくために、事 務局が先生方のご意見も拝聴しながら整理したものでございます。したがって、 これはいままでのヒアリングの結果という整理ではございません。 福田委員 そういう前提でございますから、4枚目の紙に相当するものについて のお答えとしては、そのいずれでもなくて、あるいは2に近いのかもしれま せんけれども、こういう低出生率がひとつの問題になっているのを手がかりに しながら、日本の社会にとってもっと望ましい社会のイメージを出すこと、そ の機会として使いたいと。むしろそういう意味でいうと、少し大きなアンビシ ョンをここでは出したいという希望を持っていたものですから。   お答えの中にも書きましたように、本来は坂元委員から伺いたいこと ですが、そういうことの中には現在、現実に円満な夫婦として結婚生活をし ながら、そして子どもを持つことを熱望しながら子どもを持てない家族が随分 あって、しかも子どもを持つようにするためには、それこそ研究の部門から現 実の医療対策に至るまで、大きな可能性が残っているということを前に坂元委 員から伺ったことがございまして、これについて言えば、社会のために子ども を持てというのかという反論はあり得ないだろうと。   そういうことからはじめて、今度は社会の持っているひずみ、男女共 生社会というものを実現することが望ましいという見地から言えば、逆にこ ういう施策ができて、現実にそういう望ましい社会をつくることのなかで、少 子化の問題についてはこういうエフェクトを持ちうるというような少し迂回し た考え方で、望ましい日本の社会というものについて考えていきたいと思いま す。   私は、教育は比較的専門に近い面でございますけれども、教育という のは言わば社会の文化的、人的な、しかし生理的ではなしに文化的な再生産 でございますけれども、そのための自立の条件というものは全部学歴に期待さ れているということのなかに大きなひずみがあって、実をいうと日本の母親と いうのは世界で一番教育熱心だと見られているけれども、これは学校教育の補 助者としての役割、あるいは学歴をつけるための役割にだけ熱心であって、本 来家庭の教育のうえで持たなければならないことをちゃんとやっているという 意味ではないということがあるわけでございます。   最初に申しました子どもを持つことを望んでいても得られない人たち をどうして助けていくかという問題は、社会構造の問題にそんなに関係しな い。いま申し上げましたような教育の問題は、先ほど国際比較の問題も出まし たけれども、北欧は典型的でございますが米国あたりでもだいたい高等学校を 終わったら親とは別れて住むことが常識になっている。  そのことは、資料の1で出てきますように、親元での独身生活は豊か にしてくれる、要するに、親の子どもに対する甘さが結婚を妨げている、こ ういう望ましくない状態を解消するというところで本当の自立した次の世代を 期待するということのなかで、出生率にあるいはいい影響を及ぼすかもしれな い。それは間接のものとして考えていく。それだけ迂回しないと取り組めない ほど大きな問題だと。  逆にいうと、本当に我々の社会にとって望ましいことを実現すること の中に、こういう問題に対する間接の解答が出てくるような立場を我々はと れないかという期待を持っているものですから。最初に私どもの意見はどうい うふうに使われるのだろうかと、先ほど辻課長からお話がありましたように、 1回にせいぜい2人ぐらいしか言えないほど皆さんおっしゃりたいことをお持 ちになっていると思いますだけに、どういうふうに摂取しながら進められるの かということに関心を持ったわけでございます。 宮武委員 4枚目の基本的認識のところですが、新聞記事を書いている立場から 言いますと、社説に低出生率が問題だ、子どもがたくさん生まれなければえ らいことになると書くと、必ずそんなことはない、子どもが減ったほうが環境 保全にもいいんだし、受験の競争も緩和されてむしろいいんだと、そういう投 書や電話が必ず来きます。   私がいつも気をつけているのは、出生率の問題ではなくて人口構成が あまりアンバランスになると世の中は非常にいびつな社会が来ると。人口構 成のバランスをとったほうがいいということについては、あまり異論がないは ずでしょうという言い方で書いたり反論してまいりました。これを見ていま すとまさにそういうことでありまして、確かに出生率そのものを上げていかな ければいけないという危機感があったり、あるいは、それと反する立場の方も お出でになるとしても、人口構成そのもののバランスをとりたいという打ち出 し方をしたほうが、世の中に受け入れられやすいのではないか。   具体的には低出生率が問題だということになりますけれども、ひとつ の理念として言えば、人口構成のバランスをとるという言い方のほうがいい のではないかという気がしております。   確かに少子化が出たとしても、逆にいえば年金は積立方式にすれば持 つだろうということなんでしょうけれども、そう簡単なのかなと。いま少子 化と長命化という現象があいまって二人三脚で進んでいるなかで、積立方式に したとしても老後30年、40年もの長い間の老後の支えを本当にみんな国民が積 立方式でやっていけるのかどうか。そういうところに問題があるわけで、少子 化の問題を考えるのは長命化の問題を考えることと等しいわけで、介護とか医 療のほうは積立方式でやるわけにはいかないわけであります。世代間で支え合 っていかなければいけないだろうと思っております。   もうひとつは、言葉はいろいろ変わっていますけれども、結婚観につ いてもそうでありますけれども、少子化、長命化と母権化という現象が先進 国どこも来ているのではないか。マターナル・ソサエティーという感じの新し い母権化社会が来ていて、そういう母権化の動きが従来の社会システムと相い れないから、さまざまなところでぶつかり合っている。それが少子化の問題 になったり、さかのぼっていくと女性の働き方に対しての社会的支援があまり にも低いではないかとか、子育てに対してなんでこんなに支援がないのかとい う問題とぶつかり合っているのだろうと思います。   私はジャーナリストですので、長命化、少子化、母権化で3化(サン バケ)現象と呼んでおりますけれども、3化現象にどうやってぶつかるのか なという問題意識を持っております。 河野専門委員 4枚目のところですが、揚げ足取りみたいですけれども、「少子 化をもたらした社会経済のひずみ」とございますけれども、ひずみではなく てある意味では当然の姿というか、一種の文明が進みますとノーマルな形で少 子化が当然もたらされるという考え方もあると思うので、もしひずみだったら ホメオスタシスという考え方があって必ず自己的に復元するわけです。だけど これは、少子化をもたらすのが社会経済のひずみでなくてむしろノーマルな形 であると、こういう形もあると思うのです。   昔、ブルジョア・ピシャというフランスの人口学者がやりまして、少 子化のために西暦3000年までには先進国は全部滅亡するとありますけれども、 私はそこまでは言いませんけれども、多少ひずみがあるのだったら戻るのでは ないか。だけど、どうもひずみではないのではないかということが考えられま す。   日本の場合には、受験戦争といいますか試験地獄というものの影響が 相当ひどい。それによって子どもを持つことがナイトメアであるというか、 子どもを持つこと自体が障害になるというか、子育てについての障害でなくて も持つことが困る、そういうことがあるのではないかと思います。   もとに戻りますけれども、4枚目の3ですが、出生率向上には不介入 とありますけれども、望ましくないとは考えていないけれども何もすること もないということでやらないと、つまり、政策の場合には問題の認知があって、 それでやるかやらないかということがあるんですけれども、問題の認知はして もやらないというそういうこともあるのではないかと思います。 山本委員 いまのご意見とかなり重複しているのではないかと思いますけれども、 国家として社会政策としてやるべきものは当然あると思います。国として、 先進国の一員として怠けているところがあると。そのへんのところをやれば、 ある程度出生率は向上すると思います。その場合におきましても、ただいまの ご発言がございましたように、置き換え水準まではとうてい復元しないという ことは極めてはっきりしていると思います。   そこで、それとは別の問題として日本という国を考えた場合、当然日 本という国の存続を前提とするわけでございますけれども、その場合の将来 の理想像を描いていかなければいけないだろうと思うのです。それと、ただい ま申し上げました怠けているものを普通にやるというふうにしたときの将来像 の間のギャップを、どうやって埋めていくのかということについて真剣に考え ていかなければいけないと思うのです。   日本という国を従来どおりの純潔主義を維持していくのか、あるいは 多民族国家に衣がえしていくのかという問題、人口の絶対量の問題、人口構 成の問題、いろいろあろうかと思いますが、必ずしも怠けているものを普通に やっただけでそういう状態にはなっていかないだろうと思います。そのへんの ところをどのような調整をしていくのかということについて検討していくべき ではないかと思っております。 坂元委員 4ページの分類の、1、2、3はいい分け方で、面白いことにこの順 番は少子化が問題になったときに要求された事柄の順番通りです。   最初に小児科と産婦人科の医師に対して頑張れ頑張れときたわけです。  頑張れと言われてもこれはできないわけです。   そのうちにそう直接的にはいかないことが判り、むしろ広い意味での 環境要因が大切で、生みたくなるような環境をつくらなければいけないとい うことになったわけです。それが出たときに3の問題がすぐ並行して出てきま した。こういう問題に国が口を出すなと。誠に現代日本的で、なし崩しにされ そうになったところで、人口問題審議会が本格的に取り始まったような気がい たします。   どの意見もまことにごもっともなんですが、全く不介入という事には 疑問があります。私もここに来るまで労働省で議論していたものですから余 計感じるのですが、2を整備して1でできることは何かという模索をして、手 を打てることからやっていかなければいけないのではないか。空論ばかりや って百年の計を立てるのはいいのですが、そのうち日本がだめになるというこ とでも困ります。長期計画と同時に短期決戦もやらざるを得ないでしょう。 産婦人科の立場として直接手をつけられる問題を一つ取りあげてみます。 統計でみますと既に結婚している人は皆さん結構生んでいらっしゃる。 そういう意欲のあるグループの中に不妊症カップルが12%ばかりあります。 全部は無理としても、この人達が生むと仮定すると年間出生数は約40万一挙 にふえることになります。所詮体外受精などもいろんな方法が開発されて、健 康な精子が一個でもあれば顕微受精も出来るわけで、方法は我々持っているわ けです。問題は一度での成功率が必ずしも高くはなく何度もやらなければなら ないこと、そして費用が高額になるということです。監督官庁とも御相談して 一回20〜30万円位の所が多い様ですが、その費用に援助をすれば出生数は 確実に増やすことが出来ます。 保険はききませんから何かカバーする工夫さえすれば直接介入法の一つは解決 させられます。 同時に生みたくなる環境づくり、特に働く婦人への援助などに努力する必要 があります。労働省の答申案が配られていますが読む暇がないので、後で結構 ですから担当の省はどういう考え方をしているのか概要の説明をお願いします 教育費に金がかかってとても子供をふやす気になれないと言う意見は、特に 男性側に多いのですが、無駄使い予算の中から財源を探して義務教育期間を延 長してカバーすることは不可能でしょうか。高校にゆく人は90%以上です し、幼稚園もずい分通っています。教育内容に出来るだけ自由度を認めて高校 位まで面倒がみれれば親は随分助かります。 ちょっと名前を忘れましたがカナダのバンクーバーに、早く卒業して職に就き たい人々のために休暇を返上して、つづけて教育を終わらせてしまう大学があ りますね。法律もあって難しいでしょうが、ダラダラ大学に遊学している無駄 を省くことも、月謝のことを考えると一つの方法だろうと思います。選択は学 生に任せれば済むことです。 子育てのことで希望が多いのは働く時間が十分にとれるような託児所の設置 ですね。学会場や大学の中に託児所をつくったり、又病院の中で設置したりい ろいろやった経験から言うと、公的補助がない限り大赤字になってしまいます 郊外の団地に託児所をつくったら若夫婦ばかりが入居していたので、忽ち一杯 になったもののその子達が大きくなった途端に空屋になってしまったという話 もありますから、設置の仕方、場所、転用等議論する余地はあるものの必要な ものは犠牲を払ってでも実行するのが政治だろうという気がします。意見書は 出しておきましたので、この位でとどめます。 河野栄子委員 初参加させていただきましたので予備知識が足りないのかもしれ ませんが、資料1でお配りいただきました3ページ目までの内容は、個人と しても常々こういうことを思っていて、ほかの方々もこういうご意見だという ことで少し喜んでおります。   4ページ目のところがいまもお話が出ておりましたが、いままで1、 2が主流でしたので3ということがせっかくここで出ておりますので、いま の若い人というのは先々に対して幸せ感とか期待感が持てないというのが実態 だと思います。20歳代の方も10代の方も。そういう意味では、人口が減少して もしなくても、例えば1億なり7,000万でもどういう社会のシナリオが掲げられ るのか、考えられるのか、いままでそういうことをお聞きになったかもしれま せんけれども、そういうシナリオがあるのであればきっちりと勉強をさせてい ただけたらと思っております。 水越委員 資料1の3ページまでの中で出生率低下の原因と背景をきちんとまと めていただいておりますけれども、もうひとつ、初めて少子化社会を迎える 状況の中で、少子化の進行が個人及び家庭、社会、さらに国や地球において、 それらに及ぼすデメリットあるいはメリットというものを、もう一度しっかり ピックアップする必要があるのではないかと思います。   それさえはっきり出てくれば、さまざまな知恵を使って人口増になっ た場合の対応策ですとか、少子化に進行していく場合の対応策というものは、 社会構造の変化ですとかさまざまなことをすることによって解決できるのでは ないか。デメリットとメリットというところをもう一度ピックアップしていた だけたらと思います。 小林委員 非常にきれいな整理でそれはそれなりに意味があると思いますけれど も、人間というのは、生物学的な存在と同時に社会文化的な存在として生活 しているわけです。そうしますと、いろいろな情報が人間の行動に影響を与え ているように思います。ところが、ここに出てくるのは全部論理情報であって、 「人間のやさしさ」という言葉に代表されるような感性の情報に対する分析が もう少しあってもいいのではないか。それは先ほど坂元先生がおっしゃったこ とと、その前におっしゃった方とも合通ずる問題ですけれども、そういう見方 で、現在の社会は人間が生きていくのに余りにも潤いがないという状態になっ ていることが、子孫をつくっていくプログラムをうまく動かしていないのでは ないかと思います。   そういう意味で、女性は我々男性よりも敏感ですからそれを感じ取っ て、子どもをつくっていくような積極的な意欲が消えてしまうのではないか ということを感じているわけです。それが何かという言われると難しいと思い ますけれども、何となくもう少し日本全体が穏やかな、自然の豊かな、情緒的 なものを豊かにして感性の情報の豊かな社会づくりをするうえで、細かいそれ ぞれの政策のやり方があるような気がいたします。 袖井委員 遅れてきてしまってお話を聞いていないので見当違いかもしれません けれども、拝見したかぎり、いろいろな環境条件が整えば、特に女性に対す るいろんなサポートをすれば増えるという前提で書かれているような気がする のですが、最近のいろんな雑誌などマスコミの情報を見ると、男性の生殖能力 が落ちているとかセックスレスが増えているとかそういうことが言われていま す。   それがどの程度少子化に影響しているのかわかりませんが、いまおっしゃった ような例えば環境の悪化とかストレスとかそちらのほうの問題もあるのではないか ということで、一方的に若い人がけしからんとか、女の人が何とかというだけの 問題ではなくて、現代社会における非常なストレスの多さとか、あるいはリビドーが 低下しているとか、そちらのほうもある程度考えていいのではないかと思います。 これは専門家の方にご意見をお伺いしたいのですが。私の質問でもあります。 よろしくお願いいたします。 坂元委員 お話ししますと、それは事実あるようでございます。一番ひどいのは デンマークだったと思いますが、男性の精子の平均の数が40何%減ってきて いる。日本でも7〜10%少なくなって来たと聞いた事があります。それは 世界的な傾向のようです。 リビドーのお話が出ましたが、男性の方は高齢者まで傾向が判ってい ましたが、女性の場合中年位のそれは想像の産物でしかなく更年期をすぎた らなくなるなど言われておりました。私共で協力してそのデータを 補ってみる と男性と女性全く同じ傾向であることがわかりました。 ただその発散の仕方や行動に現すやり方が変動してきたということは 言えます。ただホモなどかつては異常と言われていましたが、男性でも 脳のある神経核が女性型で小さいので、行動がそれで決定されてしまう ようです。そういう人だということでホモやレズの人権が問題になって きたので、こういう人々は別の統計にしないと傾向が狂ってきてしまうこと だけ申し上げておきます。 私どもは年に一度性と性教育に関する学会を行っているのですが、つ い先日女子高生のセックス体験が38%を越えたという発表に対して、 いやうちは殆どが体験しているという追加がありました。マスコミの影 響でしょうが未経験が面子にかかわるかららしいという意見でした。 一つの儀式みたいに扱われている。どれだけ続くのかは知りませんが、 若い人達は、我々の結婚観とはちがって、性交をしたから結婚しなけれ ばいけないなど考えていないようです。そういうことは学生時代から結婚す るまでに卒業していて、その発育と対人関係の発育が平行していない。固定し た人と長い間会話などで関係を維持するなどは大変面倒臭が りますし、食事、洗濯は家をもたないでもすんでしまうので、肩のこる 結婚は御免だし、子供をつくるようなセックスはもう結構というセック スレスは結構いるようですね。この歯車の狂いをどうすればよいかは学問的 にも大事なテーマでしょう。 長寿長寿と言いますが、離別したり死別したりした男性は、そうでな い男性にくらべて余命は短いというデータもあります。自然の運命としての 生、恋愛結婚、出産、高齢化、死というプロセスを個人をベースに 自分達で自由に考える傾向になったとして対策をたてなければならない でしょうね。先程一つ言い忘れたことを追加させて戴きます。年金、医 療、福祉のバランスがよくなければ将来は真暗という説はよくききますが、 例えば説を女性に限ってみても財源バランスをよくする方法はあるわけです。 更年期になると間違いなく骨粗鬆症になります。大腿骨頸部骨折にな ると寝たきりになりますが、5年位前のデータですが、そういう人が判って いるだけで3万9000人位いて入院、通院もいれて300億のお金がかかり ます。椎骨がペチャンコになって杖をついて歩いている人達 の治療費は何と年間6兆円でした。予防するためにホルモン補充療法を すると、87万人予防するとして年間751億、ビタミンその他の薬剤 療法もふくめても5000億どまり。予防医学の大切さが叫ばれて久し いのですが、予防するだけで大変な節約になるのに、保険や補助は全く ありません。ただただ医療費をまとめてへらせと言うより、女性の幸福 を考えればこうした予防に努めることは大変意義があると思います。そ ういうもので浮かせた財源を女性の福祉にまわすとか知恵を働かしてほしい と考えています。 岡崎専門委員 私は専門委員だから発言をしないでおこうと思ったのですが。 きょういただいた資料1番が「結婚のもつ価値に対する意識と現実の差」  から始まっていますが、私の感じでは、結婚が少子化の一番の大きな原因 になっていることは人口研の研究で分かっているのですが、これについてはい くら政策を議論しても埒は明かないのではないか。つまり、結婚を増やすため の政策的手段というものがあるのかどうか。また、やっても効果があるかどう か非常に疑問に思います。   したがって、政策を議論するとすれば、2番目の「子育てについての 障害」について重点的に政策を考えて、具体的に必要な予算まで計算して議 論してみる。そうすると、やれる部分とやれない部分、あるいは大蔵省が承知 する部分としない部分とあると思います。一番障害になっているのは、結局、 結婚して子どもを産んでいる人、あるいは産もうとする人が、いろんな障害が あるために産めない。これが理想の子ども数と現実の子ども数とのギャップに なっているわけです。   だから、このギャップを埋めさえすればいいんだと思うのです。その ような困難を放置しておくことが行政の怠慢だという声が国民から出てくる はずだと思うので、それに応えさえすれば、子どもの数が増えようが増えまい が関知しないという態度のほうがいいのではないかと思うのです。   人口問題審議会の議論が少子化で始まってこういう特別委員会を持っ ていますから、論点が外れていきますが、本来の考え方としては、一番国民 が困っていることについて焦点をあてて政策をする。しかもそれは空論ではな く必要な経費の計算までして辻褄があうかどうかをやるのが一番いいのではな いかと思います。 阿藤委員 資料の1番で「結婚のもつ価値に対する意識と現実の差」というふう にすぐにきてしまっていますが、もっと単純な話としてシングル化や晩婚化 が当初何で起きたかというと、これは明らかに女性の高学歴化であり、職場進 出であり、男女の賃金格差の縮小であるという、もっと客観的な指標ではかれ るものが変わったということが大きいわけです。   さらに意識調査の結果などを見てみますと、例えば若い人たちがなぜ いま結婚しないのかというと、「まだしたいことがある」とか一種のモラト リアム的な考え方がはっきり出ているわけで、結婚の問題を考えるときにすぐ に穿った見方というか、そういう仮説も重要でしょうけれども、もっと以前に 根本的にいままでの「女性が家庭を守る」という家族、家庭のあり方というか 価値観というものから、女性が社会に出ていく、そして女性の社会的価値を高 めていくという考え方が強くなったということが出発点だということを認識し ておく必要があると思います。   同時に、女性の社会進出が客観的に始まったなかで日本で顕著なこと は、80年代に女性の社会的役割とか家族をめぐる価値観というものが非常に 大きく変化していることが、総理府の世論調査などの系統的な比較から非常に はっきりしています。例えば、「女の幸せは結婚にある」という意見に対して 賛成か反対かとか、あるいは「夫は仕事、妻は家庭」という性別役割分業型の 価値観に対して賛成か反対か、あるいは「離婚を認めるか認めないか」、ある いは「老親の扶養についてどう考えるか」という意識調査の結果が、みな80年 代に大きく変わっています。   このように、客観的な変化に加えて、女性の社会における位置という ものについての価値観なり意識が、少なくとも日本では80年代に大きく変わ ってきた。このことを私どもはもっとも重視すべきではないかと考えます。   突然4ページ目に飛んで恐縮ですが、出生率低下の原因について一種 文明論的な解釈があるのですけれども、確かにあたっている面もあるでしょ うけれども、難しいのは国際比較的な観点からみますと、少子化といわれるい まの日本の1.42がノーマルかというと決してそんなことはなくて、先進国の中 で、しかも我々が何となくそういう社会を目指そうとしているようなアメリカ とかスウェーデンとか一種のモデル的社会の出生率は1.8とか2とか比較的高い わけです。   ですから、経験的にみると、決して文明が進んだら少子化は諦念とし て持たざるをえないというものでもないような気がするわけです。同時に、 例えばリビドーとかそういうことでこういう問題が説明できるかというと、そ れではスウェーデンのリビドーは高くて日本やドイツやイタリアのリビドーは 低いのかという議論にもなりかねないわけです。それで本当に説明がつくのか。 私はそういう説には与さないのですけれども。事実があるかどうか別にして、 それで説明がつくかというと難しいのではないかというふうに感じます。   私のような社会学サイドの人間から言えば、女性の社会進出というこ とがひとつの趨勢としてあって、その中でその社会が持っているいままでの 性別役割分業的な価値観、家族観とのせめぎ合いが非常に大きいのではないか と思います。ですから、よく言われる日・独・伊あるいはスペインを入れた旧 枢軸国体制みたいな国の出生率が現在低いというのも、別にそれがかつて全体 主義の歴史を持ったかどうかということではなくて、そういう国に共通してみ られる家族観、特にその中における女性の役割についての意識の古さが根幹に あるのではないかという印象を持っております。   そういう意味で、将来的に何を目指すかということについて結論だけ 申しますと、福田先生のおっしゃった説に非常に近いのです。少子化問題を 考える際に、少子化についてどうすべきかどうかというよりも、少子化を生ん でいる社会についてより考察をめぐらし、そして我々が21世紀にどういう社会 を目指すのかというイメージをつくって、そのために我々が何ができるのかと いうことを考えていく非常に大きな手づるとして、少子化問題をとらえるべき ではないかというふうに考えております。 清家委員 2回目で申し訳ないんですが、大切な問題だと思いますので少し論点 を整理しておきたいと思います。   4ページ目の低出生率の対応についての基本認識のところで、最初に 私の立場を申し上げておきますと、多分2に一番近いと思います。どういう 意味でかというと、少子化をもたらす社会経済のひずみの理解ですが、もし子 どもを生みたいという個人の選択が阻まれているような要因をもし仮にひずみ と呼ぶとすれば、まさにここに書かれているような意味で、個人の選択肢が拡 大する社会が望ましいという観点から、そのひずみを取り除いて個人の選択が 実現できるようにするということで、結果として出生率の向上を期待するとい う立場です。   それを申し上げたうえでもう一度確認したいのは、社会にとっての人 口というものは、基本的にはまず第一には外生変数というふうにとらえるべ きではないかと思うのです。つまり、人口というのは与えられたもので、例え ば我々人口問題を考えるときに出生率のことを考えているわけですけれども、 もうひとつの要因は長寿化なわけですが、では長寿をやめようとか、あるいは 高齢者に対する医療資源の投入を抑えて長寿をやめようという話はあまり出て こないわけで、基本的には人間長生きしたいという希望は叶えましょう、それ については直接介入しない。   そういう面からいうと、先ほど言いましたように子どもを産みたい個 人が産めないのは困るわけですけれども、もし子どもはいらないという選択 であれば、それについては介入しないで、そのもとで与えられた人口構造を前 提にして、いかにうまく経済社会が動いていくように考えるかということが基 本的には大切な考え方ではないかと思います。   例えば、若い人がたくさんいて年をとった人が少ないピラミッド型の 人口というのは、ある意味では非常にアンバランスな人口です。若い人がた くさんいて、中年は中ぐらいで、年をとった人はちょっとしかいない。実は、 そういうアンバランスな人口構造のもとで現在の雇用制度がうまく動くように つくり上げられてきたわけです。例えば私の場合、労働経済学者ですから雇用 の話に結びつけると、また別のアンバランスな人口構造のもとで一番うまく機 能するように制度がアジャストされれば、それはそれで問題が解決するのだろ うと思います。   例えば、雇用制度にインパクトを与える要因として、国際経済環境の 変化みたいなものがあるわけですが、市場を開放すると終身雇用制度がもた なくなるから、とりあえず市場を開放するのはやめようというふうに考えるの か、あるいは、市場を開放しても、その結果終身雇用がもたなくなっても雇用 者が困らないように新しい雇用の流動化システムみたいなものをつくろうと考 えるのか、両方あると思いますが、とりあえずまず我々がやるのは、市場の開 放という外生的な要因は一応受け入れたもとでシステムをどれだけ調整できる かだと思います。   もしそれで本当にどうしても調整できなければ、市場を閉じるという ことも考えなければいけないのかもしれないのですが、人口と社会の問題を 考える場合には、少なくとも社会システムがどのぐらい人口の変化に対応して アジャストできるかということを詰めることが大切であって、もしそれがどう してもできないときにはじめて人口のほうを何とかできないかという話が出て くるのが筋ではないかと思います。   制度というものがどのぐらい変えられるものかという個人の認識にも よると思いますけれども、基本的には人口を前提として経済社会の仕組みが どのぐらいアジャストできるかどうかを詰めたうえで、この政策的な対応を考 えるべきだと思っています。先ほどの発言の補足をしますとそういうことです。 八代委員 考えたことは既に阿藤さんと清家さんが言っていただいたと思います が、若干ニュアンスが違うので少し補足させていただきたいと思います。   ひずみとは何かという点ですが、ひずみというときに人々の行動自体 が誤っているということをひずみと考えるのか、例えば親が子どもを甘やか すと、それをひずみだとしたら、それに対する政策は、人々が間違った行動を とっているのだから政府の力を強めてそれを正してやろうという、非常にパ ターナリスティックな政策に結びつくわけです。私はそれは間違っていると思 います。親が子どもを甘やかすのがその人の合理的な行動であれば、それは所 与として考えなければいけない。   そういう精神訓話ではなくて、先ほど清家さんが言われたように、子 どもを持ちたい人が持てないとしたらどういうものなのか、それはいまの雇 用制度の問題点あるいは保育所が非常に不便にできている。そういう外部不経 済的なものを直すことによって人々の合理的な行動のもとで少子化をスナック するというのがより現実的な政策ではないかと思います。   政策といったときに非常にオーバーオールに日本全体を変えなければ いけないと言っていてはきりがないわけでして、それは行革審だとかそうい うところもあるわけですから、ここでは直接少子化に結びつく政策に限定して 議論しないと、とても収れんしないのではないかと思います。   少子化だけではなくて長寿化のほうも大事ではないか、しかし長寿化 を止めることはできないからという話なんですが、私は長寿を止めることは できると思います。それは何も医療サービスをやめろという意味ではなくて、 生物学的な意味の寿命が延びても社会的な意味の寿命が延びなければいい。つ まり、もっと簡単に言いますと、高齢者が寿命が延びた分だけ長く働けるよう なシステムになれば、長寿化は社会にとって何らのマイナスにもならないわけ であります。   ですから、先ほど清家さんがおっしゃったように、いま少子化をもた らしている女性の社会的進出というのはそれ自体良いことでありまして、そ ういういいことがなぜ少子化の問題を起こすのかということを考えなければい けない。そこで社会の制度のひずみがある。ですから、個人の行動をけしから んというのではなくて、まさに社会の制度のどこが具体的に間違っているかと いう方向にもっと議論を集中したほうが収れんするのではないかと思っており ます。 山田専門委員 私も初めてなんですが、阿藤先生と八代先生のご発言が、1ペー ジ目の私の見解をかなり取り入れていただいたと思われるところと見解を異 にしますので、言い訳というか少し説明させていただきたいと思います。   阿藤先生と八代先生の結論としては、私は同じようなことを考えてい るのですが、女性の社会進出や家族をめぐる考え方が1980年代に変化したと いうのが、果して独立変数なのかというのが私のひとつの考えなわけです。つ まり、それは選考したのではなくて経済環境に従って女性が社会進出しなけれ ばいけないような社会になってきた、家族をめぐる考え方が変化しなければい けないようになってきたのに、まだそれが経済環境の変化に比べて不十分だか らこそ、このように未婚化、晩婚化が起こったのではないかというのが私の解 釈であります。   そこで問題になってくるのが、いわゆる文化要因の問題だと思います。   八代先生から、個人の好みみたいなものを政策的に変更させることはや っていいことなんだろうかという疑問が提出されましたが、文化を変えること が間接的政策としてはやってもいいのではないか、つまり日本は専業主婦文化 が強くて、かつ子どもを甘やかすといってはなんですが、例えば教育費が高い というのは結果であると八代先生がおっしゃいましたけれども、例えばアメリ カみたいな教育が高い国であっても、親が出しているわけではなくて子どもが 自分で出すという文化でありさえすれば、別に親の負担にはならないわけで、 いわゆる社会、経済の変化の方向に対して文化要因がどういうひずみを生み出 しているかということに関しては、少しは考えてもいいのではないかというの が私の趣旨ですので、補足させていただきました。 宮澤会長 論争は別の機会にやっていただくとして、まだご発言いただいていな い方、どうぞ。 岩渕委員 山田先生のお話と関連しますけれども、時代認識としての女性の社会 進出を一番最初のところでもう少しきちんと書いてほしいという感じがしま す。というのは、女性の社会進出というと高学歴化だとか、先ほど80年代のい ろんな変化の中でおっしゃいましたけれども、それがまるで男の立場から見る といまいましいみたいなニュアンスが残るような印象を受けます。   ですから、その延長線上で90年代の変化になるかどうかわかりません けれども、いろいろ指摘されています少子高齢化に伴う社会の負担増、生活 水準を維持するための家計の補充、要するに専業主婦が非常にぜいたくな時代 になってきたとか、企業の立場から言えば、国際競争力の維持のために女性の 労働力が必要だとか、これから先はさらに労働力の不足を補うもっとも大きな 供給源になるとか、女性が働くことを求めているという時代になってきたので はないか。そこの部分をきちんと書かないと、女の人があまり歓迎もされない のに頑張って働いているという印象が、最近の男の人の発言の中に感じられる ものですから。   この間の仙台の少子社会を考える市民会議でも、そういう指摘があり ましたので、ぜひそういったところも反映させていただきたいと思います。   具体的なことにつきましては、先ほど八代先生がおっしゃいましたよ うに、社会の制度のどこをどういうふうに変えるか、もう少し絞り込んで考 えるべきでしょう。厚生省が十年来やってきている「産みたい人が産める社会 環境づくり」、ほとんどこれに尽きるのではないかと思っていますが、さらに 議論を深めて勉強させていただきたいと思います。 福田委員 親が子どもに対して甘すぎる、それに干渉すべきでない、そうすると、 親のパターナリズムを直すのに国家がパターナリズムを使うのはけしから んということは成り立つのかもしれませんけれども、これは非常に簡単なので、 北欧の場合でもヨーロッパの場合でも、親の家から出た子どもは大学に行くた めの学費を自分の責任でローンを借りるという形で、そこから自立していく。 子どもは利口ですから、親のパターナリズムに片一方では依存しながら片一方 で俺の好きなようにさせろと。これが自立を非常に妨げるわけです。   この点は、望ましい社会のあり方として言えば、「2面を使い分けて 安楽に」というのは非常に困るのではないかと思うのです。小林先生のおっ しゃった感性という考え方は非常に大事だと思います。社会がただ干からびて きたというだけではなしに、子どもが自立の喜びを味わうために片一方では親 に甘えることは禁欲すると。その中から自立の喜びを本当に味わうということ は、人間として大事なものを獲得していくうえにどうしても通らなければなら ない道である。そういう仕組みを考えていくということがぜひいると思うので す。   理性でいくら説教をしても、それで人間の行動が非常に望ましいもの になるとは思いません。そうではなしに、山へ登るために大変苦労しても、 そのあとの喜びがあるからという、そういうひとつの弁証法を体験していくこ とを除いて、頼もしい次の世代を期待することはできない。それを妨げるよ うなやり方はしないほうがいいけれども、しかし、そのためにお説教をしろと いうつもりはまったくない。何かを禁欲することによって深い喜びを持つとい うことがどんなに大きいか。子どもを持てばトラブルがあるに決まっているわ けです。トラブルがあるに決まっているけれども、また子どもを持つことによ って得られるかえがたい喜びが片一方にある。前に申し上げましたけれども、 欧米の場合にステップ・チルドレンを持つ、ただ未成年で弱いものをテイクケ アすることの中に大きな喜びを持つ。まったく子どもを持たない夫婦とどこか で交われないところがあるというのは、我々の日常経験でも知りうるところだ と思うのです。   これから議論をしていくうえで大変難しいところに私ども踏み込んで いるということをきょう痛感しました。出生率低下の原因としてまず結婚の もつ意味ということが言われた。ところが、その場合に結婚のもつ意味という のは、先ほど井上委員のほうから外国との比較の問題が出ましたけれども、既 に50年代に川島武宜先生が家族制度を議論されて、アメリカの場合には離婚し て、また結婚するというのは普通になっている。継続的なポリガミーだとい うことを既に言われている。  ところが日本の場合には、先ほど坂元委員がおっしゃいましたように、  性行動においてまったく過去と違っているにもかかわらず結婚する。この 点では変わっていない、表見的な制度としては変わっていない。そのことが端 的に出てくるのが、何べんも言われましたように外国に比べると婚外子は非常 に少ないという形で出てくるわけです。結婚のもつ意味が性行動とほとんど関 係ないところで何かということになってしまったら、その場合に戸籍上結婚し ているかどうかということだけでそれを見ていくのか、あるいはさっき申し上 げましたように、結婚生活というものが、現実にトラブルがあるけれどもほか のことでは得られない大きな満足を与えるものとして、これからつくっていく ことができるのか、先進国一般のように継続的なポリガミーしかないのか、そ のへんの問題を、言葉があるから必ずそれに対応した実態があるという時代に 我々は生きていないということをみたうえで、用語を吟味しながら問題を明ら かにしていく作業がこれから要るように思います。 金子専門委員 皆さん、一言ずつおしゃべりになるようで。私のしゃべることは、 事務局で用意されているのかもしれませんけれども、この低出生の社会と いうのは避けられないと考えております。といって何もしなくていいというこ とではなくて、望んでいる人にはそれなりの対応は必要ではあるかと思います が、少子社会へどう対応するかというほうに重点をおくべきではないかと考え ております。   少子社会の姿ということで有識者からいろんな意見をいただきました が、ほとんどがマイナスの意見であったような気がします。プラスが本当に ないのか、マイナスならばどのように対応するかということを低出生の対応と あわせてというか、それよりもそのほうに重点をおいてやるべきではないかと 考えております。   八代委員等から出ておりましたけれども、長寿に関連して健康政策も ひとつ大きなポイントではないかと考えております。 宮澤会長 事務局のほうに質問がいくつかございましたが、それはあとでまとめ てやっていただくことにいたしまして、いままでの議論は大変大きな広がり と深さと具体的な側面と抽象的な側面と混在しておりまして、しかも、皆さん の意見は、あるところでは対立、争点がある、どこまでが共通認識で、どのく らい違った意見があるのか、どちらが多いかというのは質が違うものですから そう簡単にいかないと思います。何かの交通整理が必要で、はなはだ事務局は 大変でございますけれども、きょうの議論を踏まえてもう一度再整理をしてい ただきたいと思います。   4ページのところにいくつか議論が出ました。基本認識をどうするか。 事務局のお話ですと、審議会として何か方向を出すのではなく、認識を 高めるところが第一目標であるけれども、しかしながら、それではどうするの と聞かれたときに一応の枠組みを考えておく必要があるだろうということで、 この3つの基本認識の立場を出したということでございますが、これをめぐっ てたくさん意見がございました。   1つは、いまもお話が出ましたけれども、これは出生率低下のマイナ ス効果が先行型の整理ではないだろうか。もう少しプラス面、あるいは少子 化の社会が進めば労働力率にも跳ね返って、というルートもございましょうし、 はじめての少子化の進行でデメリット、メリットを整理するということがあっ て、そして1、2、3が出てくる必要があるのではないかということがござい ました。   もう1つ、似たような見方ですが、1、2、3を連立して考えるより も、共通していることは人口構成のバランスをどう考えるのかということに あるのだから、そのへんを軸にして整理するという考え方もあるのではなかろ うか。この1、2、3は問題の発生順にもなっているというお話もございまし たけれども、そういうことがございます。   もう1つは、こういう整理の仕方ではなくもっと大きなビジョンを背 景にもって、迂回的な形で問題をつかまえる必要があるのではないかという お話がございまして、そのとおりでございますが、これにはたくさんお話が出 てまいりました。教育制度、受験社会、学歴社会の話もございましたし、企業 の対応もございましたし、家族の対応のあり方、医学的、生理学的な側面がご ざいました。そういう社会に対する期待感とこの問題がどう結びついているの かという話がございました。   もう1つは、社会にとって、あるいは経済にとって人口というものが どういう関係であるのか、これをひとつ外生変数として見るならば、社会の システム調整で整理するべきではないか、あるいは、個人の行動パターンにど うそれがかかわるかという側面で、社会にとっての人口のシステム調整、個人 の行動様式への影響という側面での整理がいるのではなかろうか。   その際に、いろいろな必要な情報、論理的な情報が多いけれども、そ れだけでなくいろんな感性に基づく感性情報もあわせてこの問題の広がりと して考えるべきではなかろうかというような点が、4枚目をめぐって出たので はないかと思います。   なお、事務局のほうでもう少しおちがないか整理していただきたいと 思います。   前の1、2、3の「結婚のもつ価値に対する意識」と「子育て」「子 どもの持つ意味の変化」についてもそれぞれお話がございました。戦略的な 見方としては1、2、3の2がまさに政策的な意味からはポイントであって、 むしろここに焦点をあてて、例えばこれについて保育サービスとか職場の改善 とかで予算化して、必要な金額がこのぐらであるという出し方もあるのではな いかという1、2、3の重点づけの話もございました。   1の「結婚のもつ価値」については、ここに書いてある要因の読み方、 何が先行要因で、何が独立変数であるかということについて、いくつかの 認識の違いが出てまいりましたけれども、いずれにしても一番最初に書いてあ る性別役割分業型の社会、夫は仕事で妻は家庭というのが崩れだして、男女共 同参画型にどこまで移るのかというなかで、いろいろな要因が出てきているの ではないかというように感じます。   3の「子どもの持つ意味の変化」もおっしゃるとおりですが、これは あくまでも個人行動からみた評価でございまして、社会的にみてどこまで公 共財的な形で子どもをつかまえることができるのか、子どもは誰のものである かという話につながると思います。実際には公共財的な側面が50%であるとか60% であるということが言えるとはっきりするのですが、ここはまさに公共財的 な側面があるとかないという議論で終わっています。また、そういう性質のも のであろうかと思います。   そういった議論が出たと思います。もう一度議論の機会がございます のでお願いしたいと思いますが、事務局から先ほどお話が出ました資料3と 資料4について説明をお願いいたします。 山内補佐 それでは、前回の審議会におきまして袖井委員からご照会のありまし た、家庭内で保育されている児童と施設保育されている児童の割合について 資料をご用意させていただきました。   資料4ということで図の形式になっております。図の上のほうに、0 歳、3歳、6歳、それより上の12歳、15歳と線が引いてございますが、0歳 以上3歳未満とご覧いただければいいかと思います。358万人の人口がございま すが、保育所に通っておられる方々が44万人(12.3%)になっております。自 宅におられる方が314万人(87.7%)になっております。一方、3歳以上6歳 未満ということでご覧いただければよいかと思いますが、365万人の方々がおら れまして、保育所に117万人(32.1%)、幼稚園に180万人(49.3%)、自宅に は68万人(18.6%)というふうになっております。以上でございます。 宮澤会長 質問はございませんでしょうか。 椋野企画官 労働省から書面で提出された資料3につきましては、次回、労働省 のほうから直接ご説明していただくようにお願いしたいと思います。 宮澤会長 わかりました。ほかに何かございましょうか。   なお、いままで議論してまいりました少子社会の姿や少子社会を踏ま えた対応を議論するうえで、必要なデータがございましたら事務局までご連 絡いただきたいと思います。   それでは、本日はどうもありがとうございました。次回の総会につき ましては、7月25日、14時から開催いたしまして、本日に引き続いて議論を 深めたいと思いますので、よろしくお願いいたします。事務局のほうに申し入 れたい点がございますれば、これに間に合うようにご連絡をいただければ大変 ありがたいと思います。どうもありがとうございました。 問い合わせ先 厚生省大臣官房政策課 担 当 山内(内2250)、齋藤(内2931) 電 話 (代)03−3503−1711  (直)03−3595−2159