97/02/06 第7回人口問題と社会サービス特別委員会議事録 第7回人口問題と社会サービスに関する特別委員会議事録 平成9年2月6日(木) 14時00分〜l6特25分 厚生省特別第1会議室 宮澤委員長  本日はご多用のところご出席いただきましてありがとうございます。た だいまから第7回になりますが、人口問題と社会サービスに関する特別 委員会を開催したいと思います。        まず出席状況でございますが、袖井委員、南委員、八代専門委員、網野 専門委員、高山専門委員、伏見専門委員におかれましては、本日はご都合 により欠席でございます。岡沢委員は遅れてこられる見込みで ございます。        なお今回の特別委員会は、外国の出生動向などにつきまして、その国の 方に直接お話をうかがえるたいへん良い機会でございますので、特別委員 会の委員、専門委員に関係なく、審議会の全ての委員、専門委員にご案内 したしまして、ご都合のつくかぎり、ご出席をいただいております。        それではこれから本日の議題に入らせていただきます。        前回の特別委員会では出生率が回復した経験のあるスウェーデンの出生動 向と家族政策についてヒアリングを行いました。諸外国の動向やその政策 的な対応の事例を勉強するのは、日本の人口問題を考える上でもたいへん ご参考になります。        本日は、日本と同様の低出生率を抱えているドイツ国立人口研究所長で あられるシャルロッテ・ヒョーン氏に来ていただきました。        まずシャルロッテ・ヒョーン博士の紹介を阿藤委員からお願いいたしま す。 阿藤委員   それではヒョーン博士をご紹介させていただきます。        先進諸国で国立の人口研究所を持っているのはわが日本、フランス、イ タリアそしてドイツと大きな国が持っておりまして、その中のドイツの連 邦人口研究所(BIB)の所長を1989年からなさっていらっしゃいま す。連邦人口研究所は所在地はフランクフルト・マインのビースバーデン        というきれいな都市にございます。博士はこの都市に生まれ育ったという        ことです。さらにフランクフルトのゲーテ大学を出ておられます。        博士は西ベルリン工科大学で人口学の分野で博士号を取得されておられ        ます。博士の専門分野は少子化問題に関連の深い出生力をはじめといたし        まして、人口政策、中絶問題、家族、女性の社会的役割の変化、家族ライ        フサイクル等非常に多彩でございます。多くの著書・論文を発表、これは        ドイツ語でも英語でも発表されております。私たちドイツ語が不都合なも        のですから英語のもので一二紹介させていただきますと、とくに少子化問        題に関係の深いものとして『出生動向の決定要因・出生力理論の再考』と        いう編著がございます。それから『家族ライフサイクルの後期段階・人口        学的側面』という編著がございます。これは両方とも国際人口学会という        世界的な組織の出生力や家族の委員会で中心的にオーガナイザーとして活        動され、その結果をとりまとめたものとうかがっております。        博士は国際的にも著名な人口学者でいらっしゃいまして、一つは1989年        以来国連人口開発委員会という国連の人口機関がございますが、そこのド        イツ政府代表を務めておられます。同時にヨーロッパ協議会というのがご        ざいまして、そこのヨーロッパ人口委員会の同じくドイツ政府代表、そし        て96年にはそのプレジデントをなさっていらっしゃいます。さらには国        際人口学会の理事(これは4年で1期ですが)2期連続選出されておられ        ます。最近ではヨーロッパ人口学会という学会がございますが、その学会        の会長を務められ、現在名誉会長です。このように博士は人口学の世界で        は非常に著名でございます。        以上でございます。 宮澤委員長  どうもありがとうございました。進行でございますが、時間の関係もご        ざいまして、通訳を入れまして1時間ていどご講義をいただきまして、そ        の後引き続き通訳を入れて50分ていど質疑を行いたいと、そういう順序        を予定しております。それでは「ドイツの出生動向と家族政策」につきま        してドイツ国立人口研究所所長シャルロッテ・ヒョーン博士から講演をお        願いいたします。よろしくお願いいたします。 ヒョーン博士  議長どうもありがとうございます。本日このような専門家の皆様の席        の前でお話をできることは私にとりましてもたいへん光栄でございます。        私の今まで積み重ねてきました経験についてお話をし、その話が今後日        本における皆様方の関連ある討議に役立つをことを希望しております。ま        た講演の後で皆様方からご質問を受けたいと考えております。        ドイツにおきます出生動向ならびに家族政策を理解するためにはやはり        かなり過去に立ち戻って話を進めねばなりません。        ドイツは西欧、北欧諸国と同様にたいへん人口動態の変化が初期の段階        からスタートしている国であります。実際この出生動向の低下が19世紀        の最後の四半期にすでにスタートしております。すなわちその時というの        は1870年〜71年の間におきますドイツ帝国の設立当時にあたるので        す。その当時の合計特殊出生率は約5人でありましたけれども、それが低        下いたしまして、その結果その当時のたいへん高い死亡率というものを考        えますと、人口の置き換え率にあたる2.5人にまですでに第1次世界大        戦中に低下しておりました。        ドイツにおきまして政策決定者に対してわれわれ人口関係の専門家がア        ドバイスするときに強調してわれわれが伝えねばならないのは、出生率の        低下の観点からたいへん重要なのは、60年代の低下というのではなくて、        ここの上の方が重要なのであるとわれわれは強調するのです。政策決定者        というのはともすれば60年代の低下に注目をする傾向があるわけです。        ドイツにおきますはじめての大幅な出生率の低下というのはもちろん近        代的ないろいろな避妊薬であるとか、避妊用具なしに起こったのでありま        す。これはもちろん子どもの価値が変わったといういろいろな条件があっ        て、引き起こされたものであります。出生率の低下の決定要因というのは        いろいろな要因が組み合わされているものだと思いまして、それは簡単に        は別個に引き出すことはできないものであります。お互いに相互関連のあ        るいろいろな決定要因がその時間とともに重要性というものも変化してき        ているわけであります。ヨーロッパにおける出生率の変化が起こりました        のは、18世紀並びに19世紀におきます宗教の世俗化であるとか、ある        いは近代化に由来するものであると考えられます。封建的なあるいは聖職        者の社会というものが啓蒙主義であるとか、あるいはカトリック教会の弱        体化によって変わってきたということが原因でもあります。私はここでち        ょっとプロテスタント主義というのを申し上げたいんですけれども、これ        はもともとドイツに発祥したものであります。それからフランス革命とい        うことも申し上げねばなりません。こういったいろいろな歴史的な出来事        のために19世紀初頭において変化がみられました。        新しい近代的な社会というのは個人のいろいろな業績を指向するもので        あり、また個人の可能性と個人の要求というものを指向する種類の社会で        あります。近代的な経済、それから工業化ということによりまして、それ        までの封建秩序が置き変わったのであります。共和制と市民社会というの        が取って代わるようになりました。近代化の一つの大きな要素であり、そ        して私が個人的にもっとも重要であると考えておりますのは大衆の普通教        育ということであります。すなわちこの近代化の原動力になっている必要        条件と考えられております国民教育、これがドイツにおいては19世紀の        後半に義務教育となったのであります。        教育というものは知識といろいろなスキルを意味するのみならずそれに        は合理的な世界観であるとか、理性的な考え方というものが伴うものであ        ります。この理性的な考え方というものは子どもの数ということにも関し        て生まれてきます。一度子どもたちが世界において経済的な価値を持たな        くなったとき、すなわち子どもは経済的に仕事をすることが禁止されるよ        うになったとき、そして子どもたちがお金をかけて学校に行かせなければ        ならなくなったときには子どもの数を少なくする少子化というのが賢明で        あり、理性的であるということになりますし、また彼ら自身も経済的に        そうすることによって社会で成功したメンバーになることができるからで        あります。        さらに加えまして老齢と病気のときの保護のための社会保障制度という       ものが多くのヨーロッパ諸国において導入されるようになりました。つい       でではありますけれども、ドイツというのはビスマルク帝国のもとに(こ       れは1886年でありましたけれども)強制的な義務的な社会保障制度を       スタートしたということ。そして新しい福祉国家的な社会の模範を設定し       たという意味において初めての国であります。子どもたちはもはや病気の       人あるいは年老いた両親などに対して援助を提供する必要がなくなったの       であります。        教育も女子の方にも広がってまいりました。ドイツにおきましてはワイ       マール憲法のもとに1919年に婦人参政権が確立されました。それから       すべての女性の教育ということがカイロ人口会議の行動計画の主要な柱に       なっております。これは第三世界における人口動態的な変化の決定要因と       して重要であるとされているわけであります。これが第三世界にとってそ       うなのであれば同様に先進諸国にとってもそうなのではないかと思い       ます。夫婦・カップルあるいは個々人の子どもの数を制限したいという動       機づけというのは非常に決定的な大きな力となっております。出生率は       ドイツにおきましては19世紀の末から20世紀の中葉にかけてもっとも       大幅な落ち込みを見せました。ここで申し上げねばなりませんのは、この       出生率というのは明白な公共政策、すなわちナチスドイツの政策に反して       すら、出生率が制限されたということであります。このナチ政府の政策に       ついてはこれからコメントしたいと思います。        1933年にナチス政権が非常に明確な人口政策というものを打ち出し       ております。その当時大学関係の人々、あるいは議会のメンバーの人々の       間でドイツ帝国の時代ですけれども、出生率の低下についてすでに話し合       いが行われていたわけであります。こういった話し合いの状況というもの       は古い文献であるとか、著作などにも見られておりますが、われわれが今       日真実であると信じていることがこういった古い文献あるいは記事などに       も見られるということを申し上げたいと思います。        基本的にナチ政府のもとにとられた政策というのは人種的な政策であり       まして、その中には結婚のための、融資も含まれております。この融資は       子どもが生まれた後は返却額が低下することになっておりまして、第三子       以降は返却しなくてよくなるわけであります。すなわち払い戻しをしなく       て良くなるわけであります。それに加えまして非常に寛大といいますか、       出生に対する給付も入っておりましたし、奇妙なことでありますけれど       も、母親になりますと十字架というものが供給されました。この十字架は       最初は7人以上の子どもを持った母親、そして後には5人以上の子どもを       持った母親に提供されした。そして中絶は全面的に禁止をされていたわけ       であります。家族政策としては児童手当であるとか、児童扶養控除などが       含まれておりました。        これらの措置はいわゆるドイツ人といいましてもアーリア人と呼ばれて       おりました当時の白人に対して制約されたものでありました。その措置に       対しましては、国際結婚であるとか、異人種間の結婚であるとか、それも       禁止されておりましたし、さらにひどいことにはいわゆる価値のない人た       ち(精神薄弱児であるとかユダヤ人、ジプシー)を抹殺するプログラムも       含まれておりました。        こういった政治的な措置の人種的な原則、それが結局破壊的な結果をも       たらしたわけでありますけれども、家族政策のいろいろな要素にかげを落       としておりました。こういったすべての措置は第2次大戦後連合国によっ       て廃止をされております。        この人口の変化というのが短期的にここで上昇しておりますけれども、       ここに表れております。この短期的な出生率の上昇といいますのは、ドイ       ツにおいては大恐慌が31年だったんですけれども、そのときに出生率が       落ちたのが追いついたというのが一つの理由、それからもう一つにはこう       いった家族政策、措置などを利用しようという動きがありまして、それで       早い時期での出生率があったということ、これら二つの要素があるために       短期的ではありますけれども出生率の増加があったわけであります。こう       いった政策はいつまて続くか判らないために政策のある間に利用しようと       いうことでありました。        この女子出生コーホートをみてみますとこの効果がどのようであったか       判ると思います。このコーホートのところにまったく上昇が見られないと       いうことがお判りいただけると思いますが、ここのコーホートはいわゆる       ナチの政策に左右されておりました。これらのコーホートの女性というの       は1880年から1900年あるいは1910年の期間に生まれた女性た       ちです。        ここの小さな上昇の曲線はこの期間に生まれたコーホートでありますけ       れども、母親になったのは第2次大戦後というコーホートです。       そしてここをご覧いただきますと1880年以前に生まれた女性の出生率       だけがいわゆる出生置き換え率を充たすに十分な率であったということが       判ります。        戦後におきましてはいわゆるドイツの二つの部分について研究したわけ       であります。いわゆる統合した後にはわれわれはそれらの二つの部分を旧       西独と旧東独(GDR)というよう呼び方をしています。1950年から       1975年の間は東西両ドイツにおきましていわゆる合計特殊出生率(T       FR)がたいへん類似した傾向を見せております。        この50年代と60年代初期におけるベビーブームについて少しお話い       たしますと、この期間におきましては合計特殊出生率(TFR)が出生置       き換え率を上回っているわけであります。        またこの期間のデータのコーホートを比較してみて判りますのはこのベ       ビーブームというのは必ずしも一人当たりの女性の出生率あるいは子ども       の数が増えたという意味ではありません。ただ同期間におけるアメリカに       おいてはそういう現象がありました。1930年から35年の間に生まれ       た女性は合計特殊出生率が少しは上昇したわけであります、グラフにも前       のグラフにも少し上昇したところがありましたが、そこにあたるところで       あります。しかしその上昇率というのは前の古いコーホートと比べますと       ほんのプラス0.1人の上昇にしかなっておりませんでした。        このベビーブームに続きまして非常に出生率の低下というものが起こり       ました。これは第2番目に経験した出生率の低下であったわけです。これ       によりまして出生率が明らかに置き換え率を下回る結果になったわけであ       りますけれども、その理由は何だったのでしょうか。        1960年代以降、家族計画というものは近代的な避妊薬あるいは避妊       用具の利用の可能性によりまして、新しい質の段階に達しております。今       や妊娠というのは非常に慎重に計画をすることが可能になりました。これ       は避妊薬とはまったく違ったものを意味しているわけであります。避妊用       具の使用とはまったく違っています。子どもを持つか、あるいはもう一人       子どもを持つかということについてプラスマイナスを検討する時期が来た       わけであります。このプロセスというのは男女両方が関与する意思決定の       プロセスということになります。ですから私は近代社会における少子化と       いうのは男女両方によって望まれるものではないかと確信しております。        今日ヨーロッパでも日本でも他の先進福祉国家において、われわれが住       んでいるこの社会におきましてはほとんど大部分のカップル・夫婦あるい       は個々人が感じておりますのは、子ども二人というのが理想的でかつ十分       であるという考え方であります。もちろんもっと子どもがほしいと考えて       いるグループも少数派ながらいるわけでありますけれども、それは主とし       て宗教的な理由であります。        少子化にもっとも直接的に関係しているといえますのは子どもがまった       くほしくないという人々、その結果結婚しない、あるいは子どもを持つの       を先伸ばしにしてしまう人々がいるからであります。この先伸ばしにして       いる人々というのは生物学的な理由ゆえに、あるいはまた子どものない生       活に馴れてしまったからという理由のためにもはや子どもを持つのが遅す       ぎることになってしまう夫婦であります。        ヨーロッパ諸国におきましては結婚年齢ならびに第一次出産年齢が上昇       しています。子どもを持たないパーセンテージも上昇しております。私が       ペーパーに書きました記事、さきほどの表1にも述べておりますことにつ       いてまとめて申し上げますと、ドイツにおきましては長きにわたって子ど       もを持たないという率が高いという伝統があります。これは主として二つ       の世界大戦の影響があるからであります。その結果としての潜在的な夫あ       るいは父親、男性が大量に失われたということがあるからであります。今       日ではしかしながら子どもを持つことへの意図的なあるいは非常に遅い決       定というものが主要な要因になっていると考えられます。        ではなぜ近代社会におきましては良い家族を持つということがそれほど       難しいのでしょうか。子どもをまったく持たない、あるいは持つにしても       それを遅い年齢で持つ。あるいは早い時期に持ちたくない。そういうこと       を望むのはなぜなのでしょうか。        我々の経済というものは家族のニーズに対して盲目的である、あるいは       それを無視していると考えられます。経済体制というのは主として個人で       あるとか、個人の利用性であるとか、あるいは移動性であるとか、個人の       コミットメントに根ざしているからであります。ですから我々一人一人が       利用価値が高まれば高まるほどキャリアのチャンスもそれによって改善さ       れるというわけであります。その結果としまして独身の人あるいは男性が       そういったキャリアを追求するにあたっては最も良いポジションにあると       いう結果になってしまいます。        そこで家庭の主婦というのはつねに時間のスケジュールということと戦       わねばならないわけであります。幼稚園の問題であるとか、あるいは学       校、あるいはスポーツクラブ、コーチをする仕事であるとか、ショッピン       グであるとか、あるいは仕事をもっておれば通勤であるとか、そういった       ことに対する時間のスケジュールをつねにやっていかねばなりません。       そして仕事と家族のための時間のスケジュール、あるいは彼女は専業主婦       である場合には家事をするための時間のスケジュールというものが非常に       タイトになるわけであります。もし家族のだれかが病気になったとします       と、それは家にいなければならなくなるのはその家庭の主婦ということに       なります。        もし若い女性でふつうは大変良い教育も受け、良い仕事を持っている若       い女性が彼女の相手といっしょに子どもを持つべきかとうかということを       考える場合には、つねに念頭に置かねばならないのは、もし子どもも持て       ば、彼女自身の所得も含めて彼女の仕事を失うことにもなるということ、       あるいは彼女のキャリアあるいは所得の一部に対して影響が出るような       パートタイムの仕事をしなければならないようになること。そしてまた仕       事と家庭の二つの負担をこなさねばならなくなるというようなことをつね       に意識しなければなりません。        阿藤委員の方からさきほど私の方にたいへん興味のある質問がありまし       た。今日の若い人たちというのは長い間家庭で過ごす時間があります。な       かなか家を出て結婚したがりません。いわゆるホテルママというのを家で       利用したいと考えています。家におきまして母親はすべてのことを彼らの       ためにするわけであり、若い人たちは家にまるでホテルに住んでいるよう       に住むわけであります。もちろん唯一の違いというのはそのホテル代を払       う必要がないということであります。こういう状況でなぜ結婚などしなけ       ればならないか、結婚して相手とお金を共有してあるいは家事なども共有       しなければならないかということになります。        ここで経済についてもう一度申し上げますと、経済というのは家族政策       について非常に盲目的なものであるといわねばなりません。そして所得と       いうものは個人の業績に基づいて支払われているというのが現状でありま       す。国家は家族政策にもとづいて所得を再分配するという政策は行いませ       ん。私の知っているかぎりにおきまして、子どもにかかるコストを補償し       ようと、母親の機会費用についても補償しようというような国家は一つも       ありません。とくに今後の社会、高齢化社会に対しまして年金の支払いと       いうことが生まれてきますから、そのような補償を喜んでしようとする資       力を国家は持っていないのであります。        旧東独におきましては家族政策の強化がみられたわけであります。旧ド       イツは、人口政策におきましては、ナチスの政権の経験もありましたし、       また東独の経験もあったわけであります。東独側から言えばナチス政権と       いう歴史的背景をもっていたため、非常に明示的な人口政策というものを       スタートすることに何ら問題を感じなかったわけであります。東独は共産       主義ではないまったく新しい社会主義の国家に生まれ変わろうとしたわけ       であります。       1976年に寛大なかつ包括的な出生促進政策というものが導入されま       した。その中には結婚融資も含まれていたわけであります。子どもが3人       生まれますとその融資は返さなくとも良いというシステムでありますが、       この政策にはある附帯条件というものがありまして、妻は28歳以下でな       ければならないということでありました。そのために結果として結婚       年齢、あるいは出生年齢、あるいは子どもの間隔というものが低下したの       であります。それにくわえまして出生の手当であるとか、有給育児休暇       (これは1年間ですけれども)が母親に与えられましたし、また児童手当       というのも与えられました。さらに医療、あるいは食物関係もかなり助成       をされました。ですから東独の両親にとりましては、子どものコストとい       うのはほとんどゼロに近かったといえます。        さらに重要な追加的な特色としてあげられますのは、いわゆる1年間以       上にわたりまして、すべての子どもに対して保育施設が利用できたという       ことであります。この保育施設の中には託児所であるとか、あるいは幼稚       園、あるいは1日中のデイスクールであるとか、ウィークエンドのキャン       プも含まれております。        にもかかわらず出生率はこのグラフでもお分かりいただけますように人       口置き換え率の2.1には達しなかったわけであります。1980年には       非常に政策が強化されたにもかかわらず出生率の低下がスタートいたしま       した。すでにベルリンの壁の崩壊の前に(崩壊は1989年でしたけれど       も)西独、東独、両方におきまして率はあまりかけはなれたものではあり       ませんでした。旧東独にとっては1.75、旧西独にとっては1.39と       いう数字でありました。        ここで完結出生率といいますか、両ドイツにおきます出生率でもっとも       最近のコーホートの状況をみてみますと、東独におきます出生率が人口政       策はなかったけれども、西独と同様に非常に低下しているわけであり       ます。実際1950年〜60年の期間を見てみますと、このコーホートは       非常に安定した推移をみせているわけでありますが、これは非常に高いお       金のかかる人口政策の影響であると考えられます。        ドイツ統合がなされた後に出生率が旧東独の部分において非常に大幅に       低下いたしました。この出生率というのは今まで平時においてわれわれが       観察した中でもっとも低い出生率となっておりまして、これは0.8を下       回るものであります。        しかしながら月別にこの数字をみてみますと、これはドイツ統合の影響       のためではなくて、いわゆる将来の不透明さによるものであるということ       が判ります。実際東独から西独へと大量の人口流出があったわけでありま       すけれども、そのはじめての大きな流出後の9カ月目に非常に大きな出生       率の低下がありました。        人々がいっているとおり、すべてのこういった個人的ないろいろな決定       をこれらの人々はする必要がなかったということが判ります。つねに東独       の人にとっては国家がいつもいろいろな意思決定をしてくれていたからで       あります。そこで今や旧東独の人々はすべて必要なものは自ら調達しなけ       ればならない。たとえば車を買うべきか、あるいはどのブランドを買うべ       きか、中古車を買うべきか、新車を買うべきか、あるいは家具は必要であ       るかとか、非常にたくさんの意思決定を自らしなければならなくなってお       ります。そこで人口政策というものが凍結されました。これによって出生       率とか、あるいは結婚、そして中絶、離婚等をするかどうか、そういった       すべての人口に関する個人的な決定というものが凍結されることになった       のであります。        1995年に再び出生率が上昇傾向に転じました。2005年あるいは       2010年の推定によりますと出生率は旧西独と同じぐらいのレベルにな       ると予想されます。        時間もなくなっておりますので、ここで旧西独の家族政策ならびに統合       後の家族政策について簡単にお話をいたします。        ここでぜひ強調して申し上げなければなりませんけれども、旧西独政権       というのは人口政策にからんで出生率を上昇せねばならないというふうな       ことがからむ政策というのは非常に厳密にいままで拒否してまいり       ました。これが左翼政権であれ保守政権であれ、いかなる今までの政権も       少子化、あるいは出生率の低さというものを真剣にはとりあって考えませ       んでした。       西独におきます家族計画のいろいろな時期について私のペーパー       に詳しく述べておりますので、ここで反復して申し上げませんけれども、       この家族政策というのはゆっくりと発達してきたということ、そしてその       方向はその過程で何回も変わったということであります。その結果として       今家族の間には非常に不確実な不安な状況が生まれているわけであり       ます。        私が個人的に考えましてもっとも重要であると思う二つの措置があると       思います。これらの二つの措置によって仕事と家族の両立ということが助       かりますし、母親が家庭でどういうことをしているかということを認識し       ようというものであります。一つは教育休暇という措置であります。これ       は3年間雇用の保障が提供されるものであります。そしてもう一つはベ       ビーイヤーと呼ばれている措置でありまして、これは育児休暇の期間をま       るで雇用されていたかのような扱いを受ける、すなわち年金を支払う必要       がないという措置であります。        私のプレゼンテーションを終わるに際しましてこれはペーパーにはない       グラフを一つお見せしたいと思います。これは人口構成を示しているグラ       フでありまして、絶対数ではなくて、パーセンテージで提示されているわ       けであります。最初にお見せしたのが1910年のところであります。ピ       ラミッド型のものであります。1939年のところの図を見ていただきま       すとやはり第1次世界大戦のときに出生率が低下したという影響がありま       す。女性の数があまりすぎて、男性が戦死をしたという状態が出ているわ       けであります。1995年にはこのもみの木のような形のグラフですが、       枝のところが膨れておりますけれども、これはすでに20年の期間がたっ       ているわけでありますから、今後高齢化社会を迎えるにあたりまして、出       生率が上がっても必ずしもこれはすぐには役に立たないということになり       ます。2040年ごろまでにはこういう状態になります。日本も同じよう       な状況に直面しているとうかがっております。        1974年にこういった人口予測ということが初めて行われました。た       だちにボン政権の中で省庁間の作業グループというものが設置されたわけ       であります。        1984年に政府の報告書が出されました。その報告書におきまして人       口の減少であるとか、あるいは出生率の低下ということは述べておりませ       んで、そこで述べておりますのは、こういった年齢構成の変化のために調       整が必要であるということが述べられております。        このような人口の高齢化に対する調整政策の中にはいろいろな改革が含       まれているわけでありますけれども、その中には高齢あるいは医療関係の       社会保障の改革も含まれております。もちろんこういった改革政策という       ものは最終的な改革方法がまだ見いだされてはおりません。もう一つ介護       保険の義務化ということが必要となっております。        高齢者のための特別な政策措置が必要であるということも述べておりま       す。さらにそこで強調されておりますのは、将来の高齢者というのは現在       の高齢者とは非常に違った様相を呈するであろうと述べております。        このように将来の高齢化を迎える高齢者にとってプラスの側面として考       えられますのは、一般的にいいまして高齢者の教育レベルが非常に高いと       いうこと、それから女性も生涯を通して仕事をしたことによって年金を受       け取れるということがあります。        しかしたいへん重要な側面というのはこういった家族の変化においては       あるいは世帯の変化においては構造自身が変わってきているということな       のであります。すなわち将来の高齢者というのは独身者かあるいは未婚の       人になるという確率が大きいとういうことであります。        ドイツにおきまして、こういった長期介護を必要とする人がいる場合に       はふつう在宅で介護を受けております。その場合の介護者というのは配偶       者、妻か夫ということになります。第二に重要な介護者としては娘とか義       理の娘ということになります。しかし将来人々はますます結婚しなく       なる。あるいは少子化が進むということになりますと、家族の介護という       問題が浮上してくるわけであります。家族の介護をするのは家族であると       か、他の人ということになるわけですけれども、家族のない人が増えると       いうことも考えねばなりません。        以上です。ありがとうございました。 宮澤委員長  どうもありがとうございました。それではただいまのご講演につきまし       てご質問、ご質疑お願いいたします。せっかくの機会でございますので、       どうぞお願いいたします。 水越委員   さきほど仕事と家庭の両立のための措置として教育休暇とベビーイヤー       の二つをあげられました。教育休暇の方では3年間の雇用の保障をしてい       るということでしたけれども、この3年間雇用の保障という意味なんです       けれども、これは有給なのか、それとも無給なのか、あるいは再雇用とい       うふうな考え方も含まれているのか。そのへんの内容を具体的にうかがい       たいと思います。 ヒョーン博士 教育休暇ということに関してですけれども、この教育休暇が付与されま       したのは最初は6カ月ということでありました。それも経済的に活動的な       女性、仕事をしていた女性に対して与えられたわけであります。女性の分       娩前、それから分娩後に関しまして雇用主が100%の所得を支払うこと       が政府によって規定されていたわけであります。子どもが生まれて8週間       後とか、あるいは双子によって三つ子によって状況が変わるわけでありま       すけれども、750マルク最初は支払われました。これが半年まで支払わ       れたわけであります。同時に雇用主はその後は同じ職場の同じポジション       にその女性を再雇用することが要求されていたわけであります。その女性       を解雇することは許されませんでした。後になって支給額は低下いたしま       す。現在では18カ月までの支給ということになっておりますけれども、       しかしこれも生活保護受けているかどうかといった受給者の資産調査とい       うことは行われるわけであります。いずれにしましても610 マルクとい       う金額というのはほとんどお小遣い程度の金額でありまして、それほどの       お金ではないのですけれども、これはすべての女性を対象に支給されるも       のであります。そして仕事をもっていた女性に対しては18カ月というこ       とであります。3年間雇用が保障されるわけであります。中小企業の雇用       主にとりましては、こういった状況を守るのは必ずしも易しいことではあ       りません。しかしこれらの保障というのは大企業あるいは10人以上を雇       用している企業に対して適用されるものであり、同じポジションに再雇用       しなければならないことになっております。しかも雇用の保障というのは       同じような業界で同じ都市において同じ比較可能なポジションに対して再       雇用するということが要求されております。 大淵委員   たいへん興味深いお話をありがとうございました。たくさんうかがいた       いことがありますけれども、とりあえず3点だけうかがわせていただきま       す。        第1点は、第2次大戦前からのナチスの全体主義的な人口政策に対して       戦後ドイツ国民の間に一種のアレルギーというか、あるいはそれに対する       反省みたいなものはあったかどうか、また現在もそうしたアレルギーは残       っているのかどうかということをうかがいたいと思います。それから第2       点は、それにも多少関係がありますが、お話の中で人口政策と家族政策と       いうことばが出てまいりますが、これが意識的に区別されているのかどう       か。もしされているとすればその概念的な定義上のといっても良いかと思       いますが、あるいは実際的な相違点がどこにあるのか。あるとすればその       主要なポイントを教えていただきたいと思います。それから第3点は、最       近のような低出生力を回復させる手段として種々の方策が現在実施されて       いるわけでありますが、これを有効ならしめるためには非常に膨大な財源       を必要とするように思います。そうした財源を政府が将来もずっと負担し       続けることが可能だというふうにお考えだろうか。そのためにはそうとう       の経済成長を維持する必要があるように思えますが、そういう点について       の見解をうかがわせていただければと思います。 ヒョーン博士 現在のドイツの国民というのは戦後50年以上も経っているわけであり       まして、つねにナチスのとってきた政策などを考えているわけではありま       せん。ただメディア関係、あるいはジャーナリズム関係、新聞テレビとい       った報道関係がいわゆる監視の役割をしているわけであります。子どもに       ついて何か促進しようというような話が少しでもありますと、非常に大反       響といいますか、大問題として報道されるわけであります。しかしいつも       そういうことを考えているわけではないということ。そしてまた人口政策       ということばはなるべく回避したい、使いたくないという傾向があり       ます。政府はこれをアジャストメント政策というふうに呼んでいるわけで       あります。われわれ大学関係の人間にとりまして人口関連政策というよう       な呼び方もしているようでありますけれども、こういった政策というのは       いろいろな優遇措置であるとか、出生率を増加させようとか、結婚を促進       させようといった政策とはまったく関係のないものであります。過剰反応       しているのではないかと考えております。また外国の学者の人々もドイツ       のそういった人口問題についてペーパーなどを書いておりますけれども、       われわれはまだまだ過去の遺産を引きずっているといいますか、苦しんで       いるというようなことも述べております。         人口政策ということについてですけれども、これはいわゆる出生推進政       策「ネコはネコと呼ぼう、イヌではない」という言い方があるんですけれ       ども、出生促進政策ということばもあるんですけれども、こういった政策       がその当時スタートしたわけであります。有子家庭の純所得というものが       あり、一方では子どものない家庭の方では所得が2倍になるわけでありま       すから、いわゆるディク(DINKS)スという状態になるわけでありま       す。とくにこの点につきまして、キャローというフランスの人口学者がと       くに厳しくこのことについて批判をしているわけであります。私の知るか       ぎりにおいて、こういった子どものある家庭に対して子ども養育のコスト       に対して全面的に保障をした国家というのは世界に一つもないということ       であります。人口政策ということに関しましてこれは人口の特定の特性で       あるとか、あるいは年齢の制約であるとか、あるいは出生率とか、そうい       うことに関連して使われていることばであります。そして第3子を持つこ       とを促進するというような概念というのは人口政策ということばの中に入       るものであるというふうに考えます。家族手当てというのが日本にもある       かどうかは知りませんけれども、ドイツにおきましては第1子よりも第3       子の方が家族手当てはもちろん高くなるわけであります。しかし家族政策       と、人口政策ということばの間にはいわゆるグラデーションがついており       まして、家族手当てというのはもちろんそれぞれの子どもに対して払われ       るわけでありますけれども、子どもが増えるごとにそれがだんだん高くな       る。第1子よりは第2子の方が高く、第2子よりは第3子の方が高くなる       というふうに勾配といいますか、差がついているわけであります。国によ       りまして、この人口か、家族政策かということですけれども、政策上のい       ろいろな負担を避けたいという意味もあって、そういうことばを使ってい       るのではなかいというふうに考えております。        第3番目のご質問ですけれども、まさにおっしゃるとおりであるという       ふうに思います。家族政策と呼ぼうと人口政策と呼ぼうとことばにかかわ       らず子どもの数に対して有効なそういった政策を続けるというのは非常に       大きな財源の負担がかかるというふうに考えます。なぜかということにな       ります。もちろん子どもの養育のコスト自身というものもやはり平準化を       はかっていく必要があると思います。それに加えまして妻、あるいは母親       の機会コストということも考えていかねばならないと思います。今日の女       性というのは仕事もしたいし、また子どもも持ちたいというふうに考えて       いるわけであります。これはヨーロッパ諸国におきましてわれわれが行っ       た調査の結果をみてもはっきりとしております。しかしその機会を与える       という意味でもっとも安い一番良い方法は自ら収入を得るということにな       るわけであります。しかしそうするためには良いシステムというものが必       要になります。子どもの保育施設であるとか、あるいは終日の託児所であ       るとか、それがなけれ世話をしてくれるおばあさんがいるということが必       要になるわけですけれども、今日におきましては多くの祖母たちが自ら仕       事をしているということで子どもの世話をする余裕がないという状況であ       ります。また他の問題として考えられますのは、望ましい子どもの数とい       う問題があるわけであります。望ましい数と実際の完結出生率との間には       ギャップがあります。生物学的にみて子どもを持ちたくても持つことがで       きない、あるいは事前に持てないということが判らなかった何%かの女性       がつねに存在するわけであります。ですから安全マージンといたしまし       て、望ましい子どもの数ということは10%ぐらい下げる必要が出てきま       す。しかしこういったマージンというのは政策上埋めていくことが可能で       あります。いろいろな可能性かあると思いますけれども、戦略としてやは       りもっとも安いベストの方法というのは女性に仕事を続けてもらうという       ことでありましょう。ただのものは何も存在いたしません。もう一つ有効       な手段としては教育という問題がありますけれども、これは非常に時間が       長くかかります。また男性が父親としてよりよい父親になるようにするこ       と、そして家族のために時間を割くという努力をしなければなりません。       若い男女に対してはもっと早く結婚するようにということを進めるという       ことも一つの方法でありましょう。またこういった若い人に対して子ども       を持つのは楽しいんだと。世界中をいろいろ旅行したりして35歳まで待       つよりも子どもを持つのも楽しいのだというふうなメッセージを若い人に       与えていき、そういった形で影響力を振るわねばならないと思いますけれ       ども、それが奇跡的な効果があるかどうかということは私は疑問を持って       おります。 河野委員   このペーパーはエンジョイしましたけれども21ページに一つあります。       ドイツあるいは連邦政府は「no fear about the low fertility and the        resulting population ageing.」つまり今のような低出生率もそれから       その結果であるエイジングも恐れはないと。しかしこのままいきますと       500年たちますとドイツは地上から消滅しまして、今から数百年たつと       どこかに人口博物館ができて「最後のドイツ人のミイラ」というのが陳列       されると、そういうことがあると思うんです。ただしこれは国際人口移動       がないということが考慮されていないので、日本の人は非常にこれを心配       しているわけですね。ところがドイツの場合にはおそらく背後に非常に東       ヨーロッパの大きな人口のヒンターランドといいますか、そういうものが       あったそこからいくらでも国際人口移動で来られるというか、そういうよ       うなのがあるのかどうか。おそらくそういうのが国際人口移動によって解       決されていると考えられているのか暗にですね。というような気がするん       ですがね。それを一つ。ですからそのへんが日本の場合は人口へれば東南       アジアから人がくれば良いというのとはちょっと違うと思うんです。        2番目は全然話が違いますけれども、さきほどヨーロッパ出生力調査と       いうのがありましたけれども、ドイツもこれをやっておられるとか、聞き       ましたけれども、そこでたとえばドイツ人が果たしてどれぐらいが今のよ       うな出生率に満足しているかというような結果がないか、そういうような       ことをお聞きしたいと思います。満足しなくてもこのまま仕方がないとい       うか、どういうような気持ちになっておられるかということをお聞きした       いと思います。以上。 ヒョーン博士 日本語でなくて英語でお答えいたしますけれども、確かにおっしゃった       とおりドイツにおきましては少子化あるいは出生率の低下あるいは人口の       高齢化ということに対してドイツ国民全体もメディア自身もそれほどの脅       威というものを持っていないということであります。もちろんそういった       情報はつねに耳には入ってくるわけでありますけれども、かなり脅威には       なっているんでありますけれども、おそれにはなっていないということで       あります。最近ボン政府の間におきましてはそういった懸念も増大してき       ておりまして、これはたいへん大きな問題であるというふうに認識されて       おります。これから逃れることはできないということであります。ついで       ながら最後の博物館のドイツ人種のカリキュアルチャが動物園に出ており       ますから。移民についてお答えいたしますとこのグラフはプレゼンテーシ       ョンのときにお見せしなかったんですけれども、太く示しているこの線は       ドイツの移入者の数を示しております。ピークは1992年で150万人       となっております。また出ていた人も示されております。棒線になってい       ますのが、その差であります。雇用の採用といった点におきましても、こ       のことはいつも考えていかねばならないわけであります。この移民者の差       の数字のこんな小さい部分しかEU諸国から来ている移民人口というのは       おりません。数年前に懸念しておりました大量の人口流入が東欧地域から       あるのではないかということもありましたけれども、実際としてはそれは       小さい数字に止まっているわけであります。しかし現在でもドイツへ向け       てトルコからの移民はかなりおりますし、第三世界からの移民も上昇して       きております。またこの中には政治的な亡命者も含まれているわけであり       ます。しかし最近ドイツ政府はこの憲法の条項を修正いたしまして政治的       亡命者の取り扱いに対してより厳しい措置をとるようになりました。外国       からの移民はあまり必要でないという状態になっているからであります。       その結果外国からの移住者が減少しております。またネットのバランスは       その結果として出るものと入ってくるものの差も小さくなっているわけで       あります。しかしまだまだ問題は存在するわけであります。現在では失業       率も高いわけでありますから、こういった移民の流入ということは必要で       はないんですけれども、しかし移民というものは現在の政権が考えている       四つの戦略の一つ(しかもそれは最後のところにあたるんですけれども)       としてとらえられています。これは議会の委員会によって提案されたもの       でありまして、高齢者問題を研究している委員会が出した結果で       あります。       その結果、には四つの柱というものが提案されているわけでありますが、       移民政策というのはその四つの柱の最後の柱として上げられております。       第一の柱は合理化ということであります。すなわち生産性を向上させるこ       と。これは電子的ないろいろな進歩によって今後向上することになると思       います。実際この高い失業率というのはこういった近代化によってもたら       されているという部分も大きいわけであります。また労働人口のパーセン       テージか下がってきているという問題もありますが、これは労働人口の高       齢化もかかわってきている問題であります。ですからいろいろな措置をと       る必要がでてきております。たとえば生涯教育を行うということ、それに       よって生産性を上げるというふうな措置も考えられております。第二の柱       として上げられますのが女性の雇用増進ということでありまして、非常に       これは顕著な傾向として出てきております。しかしこの女性の雇用促進と       いうことが出生率にどういった結果をもたらすであろうか、それが裏目に       なるかどうかというのはまだ考慮されている段階ではありません。第三の       柱、これはすでに決定されている問題でありますけれども、引退、退職の       問題であります。今では労働期間も非常に長くなっておりますし、また年       金に対する拠出も増えているわけであります。しかし同時に給付額も増え       るということになるでありましょう。第四点として移民の問題が上げられ       ます。これは現在の保守政権にとって最重要の柱でありませんで、もっと       も優先順位の低い戦略となっております。        第2番目のご質問であります家族と出生率に対するサーベイを行いまし       た。また人口政策の受け入れに関するサーベイも行ったわけであります。       その調査の中で20歳〜39歳の男女に対しまして(この年齢層というの       が直接この問題にかかわっている年齢層だからであります)サーベイをし       ております。彼らの答えはまったく心配していないという答えなんであり       ます。すなわち現状に満足しているという状態でありました。そこで興味       ある次の質問をしたことをお伝えしたいと思いますけれども「なぜか」と       いう問題です。「なぜ心配をしていないか」すなわち「過去と比べて出生       率が低下しているのになぜそういうことをいうのか」という質問をしまし       た。10年前でしたらこういった答えは期待されなかったと思いますけれ       ども、彼らが答えたのは「快適な生活をほしい」という答えが返ってきた       わけであります。私にとりましてもこれは非常に目新しい発見でありまし       た。そうではないかという疑いをもっていたわけでありますけれども、だ       れもあえてそういう答えをしようとするものは今までになかったわけであ       ります。といいますのはこういった調査をいたしますとだいたいにおいて       回答者は社会的に受け入れられるような回答をしたがる、すなわち本音は       あまり述べないのが一般的な傾向であります。しかしながら彼らがいうに       は「子どもは持ちたくない。子どもを持たない方がもっと簡単で快適な生       活ができるから」と、そういう考えが受け入れられているわけで       あります。 福田委員   今日のお話の中で一番面白かったのはホテルママの話でした。これは子       どもの親離れが日本でも非常に難しい問題で、日本は親離れの難しい面が       ありますけれども、逆にスカンジナビアの国々、あるいはフィンランド、       そういうところは高等学校を終われば子どもは親の家を出て独立暮らしを       はじめるということがあるわけですけれども、そんなに子どもが親離れが       難しくなったのは最近のことなのでしょうか。これが一つ。もう一つは親       が子どもをもちたがらない要因として最初に社会保障の伝統をおあげにな       って、それによって老後のことを自分の子どもでなしに社会に頼ることが       できるということをおっしゃったのですが、後で高齢者の介護の問題につ       いては通常は在宅介護が期待されているというふうにおっしゃったのです       が、そうすると前の方の社会保障の方の問題はだいたい年金制度の問題で       あって、具体的なサービスの問題になるとやはり家族に依存するていどが       多いのか、これはスカンジナビアの国と比べると日本と共通の部分がある       と思いますが、この二つのことについておうかがいしたいと思います。 ヒョーン博士 ホテルママというのはまだ十分研究調査されている概念ではあり       ません。なぜかといいますと、正式な統計というものがあまり多く存在し       ませんし、またちゃんとしたサーベイが行われていないからであります。       これはプロセスだからであります。このためには長期的なデータをとると       いうことが必要になってくるわけであります。親に対して、また若い人た       ちに対して、「なぜ家を出たのか」とか、あるいはその逆に「なぜ家にい       続けるのか」という質問をしなければなりませんので、先ほど私がお話し       たのは私の憶測にすぎないということになります。またその背後には私自       身の娘と彼女の同僚とか、友人たちに関する私自身の経験を照らして考え       ているわけですけれども、そのコンテキストにおいてはまったくそのとお       りであります。       彼らにとっては「なぜ家を出なきゃならないのか」「いろいろなつまらな       い雑用など洗濯をしたり、買い物をしたりなぜ自分がしなきゃならないの       か」ということになります。そんなことをする代わりに映画に行ったり、       ボーイフレンドとダンスに行ったりする方がずっと良いと。それから「お       金もなんで他の人とシェアしなければならないのか」ということになりま       す。高いドレスとか、バッグとか、手袋とか、そういったものを買う方が       ずっと良いということになります。また親の方でも通常は非常に裕福なお       金持ちの親の状況が多いということでそういった親のもとで彼らは子ども       がちゃんと独立して育つような準備の作業をちゃんとやっていないという       ことになります。子どもに対して結婚というのはやはり真面目に考えなけ       ればならない問題なのだということを教えていないということがいえるの       ではないかと思います。ですからそういった状況からは一歩さがって考え       てみなきゃならないということになるのではないでしょうか。        それから社会保障のシステムについてですけれども、これには四つの構       成要素があると考えられます。一つは年金であります。これは少数の自営       業者を除いては(自営業者の人は生命保険などを持っておりますけれど        も)ほとんど全人口を填補する年金であります。第二は医療保険でありま       す。その次が失業保険、もっとも新しいのが介護保険であって、1995       年に導入されました。最初の段階におきましては在宅介護のみでありまし       た。そのときの在宅介護というのは家族による介護であり、そしてときど       き外来のサービスを受けるというものでありました。96年に2番目の段       階に入りまして、これは院内ケアといいますか、在宅を離れてのそういっ       た施設ケアという段階に入るわけであります。その際にはもちろん拠出金       を出さねばなりませんけれども、そのレベルはかなり低いものであり       ます。そのときの払い方というのは出来高払いといいますか、ペイアズ       ユーゴーという形のものでありまして、拠出金の半分は雇用主が負担する       という種類のものであります。まだまだこのシステムには非常に大きな       欠陥が存在しているといわねばなりません。またそれにかかわるいろん       なリスク等も必ずしも考慮されていない状態であります。医療保険という       のはもちろん所得レベルに応じて払うわけですけれども、年齢とか、性別       とかにはあまり関係がない状態であります。 宮澤委員長  まだお聞きしたい点はあると思いますが、時間を超過しておりますの       で、これで終わりたいと思います。        なお、この特別委員会は、関係各省庁からのヒヤリング、諸外国の人口       専門家からのヒヤリングを行ってまいりましたが、総会で少子化問題につ       いて議論することになりましたので、この特別委員会の扱いについては、       次回の総会で委員の皆様に相談したいとと思います。        それでは、本日はご多用のところご出席いただきましてありがとうござ       いました。  問い合わせ先  厚生省大臣官房政策課  電話 代表 03−3503−1711 内線2931     直通 03−3595−2159