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第68回人口問題審議会総会議事録

平成9年5月30日(金)

14時00分〜16時00分

共用第9会議室

宮澤会長
本日はご多用のところをお集まりいただきまして、ありがとうございます。ただいまから第68回人口問題審議会総会を開催したいと思います。
まず出席状況の報告でございますが、岡沢、河野洋太郎、坪井、宮武各委員、ならびに網野、岡崎、河野稠果、伏見専門委員におかれましては、本日都合によりご欠席でございます。その他の委員はご出席であります。
それでは、本日の議題に入らせていただきます。まず、東京大学の宮島洋教授から『少子化(人口減少)と社会保障・財政』というテーマにつきましてご報告をお願いいたします。
宮島教授は、東京大学経済学部をご卒業になられまして、信州大学経済学部教授などを経て、現在は東京大学大学院経済学研究科教授としてご活躍されておられます。それではよろしくお願いいたします。

宮島教授

宮島でございます。よろしくお願いいたします。
始めにちょっとお詫びを申し上げなければいけないんですが、私は前日にならないと何をしゃべるか決まらないというタイプでございまして。数日前に(レジュメを)出しておりましたけれども、やはり昨日最終的にチェックいたしましたところ、今日皆さんにお配りいたしましたうちIIIとVIは省略させていただきます。時間の都合がございまして、IとIIを中心にお話をさせていただきます。それから、多少私なりに参考の図表などを付けましたが、これもあまり使えないのが結局ありまして、それもごく少数だけ使ってお話しさせていただきます。
それと、この審議会は私はもちろん今日初めてまいりましたが、阿藤先生はじめ、清家先生でありますとか八代先生といったような、もちろん大淵先生も私大変よく存じ上げておりまして、そういう出生の問題でありますとか、それのおよぼす経済的な問題についての解釈なり、それについては本当に私よりもはるかに専門家がいらっしゃいますので、今日はどちらかと申しますと、私は少し財政なり税制という視点を入れながら子どもの問題を考えてみたいと思っております。
さっそくIのほうから入らせていただきます。少子化が進む、あるいは人口が減少する、そういう社会がいったい今後どういう社会なのかということが一番問われると思いますが、しかしこれは逆に子どもがたくさん生まれて、人口が爆発的に増加する社会がどういう社会かという質問とまったく同じでございまして、いま我々はこういう状況におりますから、子どもが減る、あるいは人口が減少することに非常に危機感を持っておりますけれども、しかし戦後一時期我が国でもそうでありましたし、国際的に見ればむしろ人口が増加することの危機感のほうがはるかに大きいわけでありまして、いったいどっちが大事なのかと言われると、これは私も簡単にはわからないものであります。
ただ、よく子どもが減って人口が減少する社会のメリット、デメリットは何かという言い方をしますと、私なりに言えば、このメリット、デメリットはいわば表裏一体の関係にありまして、それを分離できる技術なりイノベーションがあり得るかどうかというところが、むしろ問われているんだろうと思います。
そう申しましたのは、例えば1人あたりの所得が、人口が減少すれば実質的に増えるとかですね。あるいは、混雑現象が解消するということはメリットだと言われますけれども、しかしそういった経済指標とか混雑指標の使い方というのは、供給量が一定だということが前提の議論でございまして、これはもう当然ここでも議論されておりますように、人口減というのは通常、生産年齢人口の減少が起こりますので、そうしますと特に条件が変わらない限りは、むしろ供給のほうが減ってしまうということになります。
あるいは、地下鉄とか交通の時間表を見てわかりますように、8時台は2分おきに来ても、10時過ぎると6分おきになるように、人口減になりますと、いままでのキャパシティーが一定のままで推移すればかまわないわけですが、しかし通常、キャパシティーが縮減されますので、混雑現象が解消するかと言われれば、それは供給側の要因が同時に絡んでいることでありまして。その点は、必ずしもメリットとはいえないということにもなってしまいます。
これは、他の面でも同じような点がございまして、通常、人口が減少するという場合には、老年人口の比率が上昇するのが普通でありまして、これがいま例えば社会保障の問題などで問われているということであります。
あるいは、人口が減少しますと年少人口も減少するわけですが、通常これは家族規模の縮小という問題を伴いますので、親子の関係でありますとか、それから子どもの質をめぐる競争というのが非常に激しくなる傾向が一般にあります。これが教育問題をもたらす大きな原因になるわけであります。
ですから、人口規模の変化ということ自身が、1つは経済的な面でいえば供給側の要因が一定だという条件を満たさない限りにおいてはメリットは出てこない。それから、人口規模の変化そのものが家族問題であるとか親子問題におよぼす、そういう影響が随伴いたしますので、規模の問題だけとして議論するのは難しいということでもあります。
これは地域的に見ましても、日本ではよく過疎問題と過密問題というのが並存して生じます。一方的に過疎が生ずるわけではなくて、通常、人口減するコミュニティーと、一方人口が集中して混雑現象が起こるコミュニティーと、そういう2つが並存しているのが普通でございまして、一方だけをうまく制御することが果たしてできるのかどうかということが、いまおそらく問われているんだろうと思います。
例えば最近の経済構造改革などは、発想はまさにそういう点にあるわけで、それは産業構造の転換を図って、より付加価値の高い産業に転換をしていく。それによって労働生産性を上げることによって、生産年齢人口の減少を補うというようなことが、これは経済構造改革の発想であります。
あるいは、これはむしろ清家先生のご専門でありますけれども、日本の例えば雇用慣行とか賃金体系というものを変えるという、これは普通イノベーションと申しましても、技術的なイノベーションというよりももう少しシステム的なイノベーションでありますが、こういったことを通じて労働生産性をいかに引き上げるかということに、いま日本の経済政策全体が動いてきているというのは、まさに将来の生産年齢人口の減少ということを念頭に置いているんだろうと思います。
あるいは社会保障や税制という点で申しますと、実は年齢というのはこれは社会制度が決めているという側面のほうがはるかに強い。年齢というと、通常自然年齢でありますけれども、実は年齢というのは社会制度で決められている。
例えば、年金の支給開始年齢によって労働市場を引退する年齢というのが決められてくるわけでありますし。あるいは老人の医療の場合ですと、70歳ということで区切っているわけであります。あるいは税制で申しますと、利子の非課税制度というのは、65歳になりますと利子が非課税になります。あるいは、年金についても65歳を境にして年金控除の額が変わります。
ですから、実は年齢というのは、そのものが独立の存在としてあるわけではなくて、これは非常に個人差もありますが、しかしこれはむしろ社会制度が決めているという側面が強いということであります。
つまり、社会制度のほうを変えることによって、実は年齢というのは実質的に変えられるんだということでありまして、これも例えば年金の支給開始年齢をさらに引き上げるというような発想が出てきているのは、社会制度によって年齢を変えるということであります。年齢というのは不思議なものでありまして、気持ちの持ち方とか健康とかいろいろ言われますけれども、そういう主観的なものは主観的なものでけっこうですけども、実際は社会の制度が年齢を決めるという、そういう側面が非常に強いということであります。
ですからそういう面も含んで、イノベーションというのは通常、技術革新のような物理的なイノベーションを考えますが、そうではなくて、雇用慣行とか賃金体系のようなものもありますし、あるいは社会制度で決めている年齢というものを変えていくという、そういうイノベーションというのもあるわけで、デメリットをなるべく抑えながらメリットを引き出す、そのためのいろいろなイノベーションというのを考える必要があります。実際いま、そういうことがいろいろなところで行われているということであると思います。
まず、こういう一般的なお話をしたうえで、それでは実際に人口減少が起こる、あるいは先ほど申しました過疎とか過密という問題がどういう問題として起こっているのかということを少し具体的に考えようとしてみますと、私は外国のことはほとんどわかりませんので、今日は都道府県という1つの地域をとって、どういう現象が生じているのかということを少しお話ししたいと思います。
これは経済企画庁の新国民生活指標、PLIと言われますが、いわゆるゆたかさ指標というものでありまして、皆さんご存知のとおり、埼玉県が最下位で文句を言っているという、あの指標でありますけども。指標のとり方などにいろいろ問題があるにしても、なかなか面白い試みでありますので、そのことといったい人口問題とどういうふうに関連づけて考えることができるかということであります。
そこで2ページのところに、いくつか散布図を掲げてありまして。これは因果関係を探ろうとしたわけではありません。単に何らかの相関関係があるかどうかというだけであります。全部の図とも決定係数は残念ながらあまり高くない。2とか3とかでありますが、統計的にはだいたいみな有意でありまして。そのことを前提に、例えば3という図を見ていただきますと、これは合計特殊出生率と老年人口比率の散布図でございます。因果関係がないと申しましたのは、通常、出生の問題が人口構成全体におよぼす影響というのは長い時間がかかりますので、同じ年度を比較しても意味がないわけであります。ただ、ここでどういうことが解釈できるのかというと、これは特にご説明することもないと思います。
つまり、出生率の高い地域というのは、確かにその地域における女性の合計特殊出生率は高いけれども、しかし多くの若年層はある時期になりますと、その地域から流出して都市部に移ってしまう。したがって、出生率の高い地域ほど、実は中途の若年労働力が流出してしまいまして、そして高齢化が進んでしまうという。おそらくこういう構図になっているんだろうと思います。
もし閉鎖的な社会を考えれば、普通は右下がりになっていいはずなんですが、右上がりになっているというのは、そういう社会的な移動という、開放的な地域を考えますと、こういう現象として観察されるということであります。
その上の「合計特殊出生率とゆたかさ総合指標」とございます。これは先ほど申し上げましたPLI指標の総合指数でありますが、それと合計特殊出生率との相関を見たわけでありまして、これも決定係数はあまり高くありませんが、一応統計的には有意なんです。これを見ていただきますと、当然ですが、ゆたかさ総合指標が高いほど出生率が高くなるという傾向が見られます。
ところが、6番を見ていただきますと、実はゆたかさの総合指標というのは、財政力指数とおおむね逆比例の関係にございます。つまり、財政力の弱い地域ほどゆたかだという、これまた非常におかしな結果が出てきているわけであります。
この解釈も簡単でございまして、日本の地方財政制度で申しますと、地方交付税と補助金というのが主として、国からの補助金というもので、要するに大都市地域から徴収された租税が国を通じて地方に補助金なり地方交付税というかたちで配分される。その結果、地方地域では1人当たり指標で見ますと、ゆたかな生活が実現をする。例えば、インフラの整備でありますとか教育、福祉、そういう整備が行われます。 したがって、そこでは出生率が地域的に見ると高い。ところがそういう地方地域は、生まれた子どもがある年代に達しますと、そこから離れて財政力の高い都市地域に流出していくが、そこでは出生率が低いと。こういう流れになっている。
ですから簡単に申しますと、日本の場合には長期的に全国平均で出生率は低下しておりますけれども、その中で結局都市地域から資金を地方圏に移転をして、そこの出生率を引き上げて、そこで生まれた子どもが今度は都市地域に出てくるという、こういう輪廻の中で、どちらかというと出生率のさらに大幅な低下をくい止めるというような、そういうサイクルになっているのだろいうというのが私の解釈であります。
なぜこんなことをお話ししたかと申しますと、これを例えばグローバルな視点に拡大するとどういうことを意味するのかということでありまして、これも改めて説明するまでもないと思います。つまり、先進国がODAでありますとか、そういうかたちで開発途上国に援助を行う。 乳幼児の死亡率が低下をする。出生率がもともと高いうえに、乳幼児の死亡率が低下するといったように、生活環境がある程度整えられたり、食糧の制約が若干緩和される効果がありますと、そこで人口が大幅に増大していく。やがてそこの若年労働力化した人たちが先進国に移住いたしまして、先進国の出生率の低下に伴う人口減なり高齢化のテンポを遅らせるという、そういうようなサイクルを意味しているわけであります。
実際これは、かつてヨーロッパなどでもこういうようなサイクルが一部見られたんだろうと思います。ただ開放的な地域と違いまして、国際的に申しますと、経済援助のようなかたちで開発途上国の出生率なり人口増加を助けるところまではいいんですが、それが先進国に労働力として環流してくるメカニズムのところでは、国内の地域と違って国際的には何らかの歯止めがかかりますので、結局、閉鎖的な仕組みをとっている先進国側では人口の急減が起こるということになるわけであります。
先日、フランスの総選挙が行われまして、国民戦線が南フランスで、かなりの得票を得ているという。いまヨーロッパなどで起こりつつあるこういう国際的な人口移動に対する考え方というもの、日本ではもっとそういう考え方が強いわけであります。ただいかに少子化、人口減ということを問題視するかというときには、先ほど国内の地域間で起こっている1つのサイクルといったものが国際化される可能性もむろんありまして、そういう問題にどういう考え方をとるかということも、実は我々に突きつけられている極めて大きい問題だろうと、私の率直な印象であります。
以上、2点についてお話ししたうえで、これから先ほど申しましたように、以下2つの点について重点的にお話ししたいと思います。1つは、もし少子化対策をとる必要があるとすれば、いったいその根拠は何で、手段は何かということを、やや理論的な側面からお話をしたい。
それからもう一つは、現在、社会保障制度の改革について様々な議論がされておりますけれども、その社会保障制度の改革というものが、果たして少子化対策を意味するのか、場合によっては少子化促進政策を意味する可能性もあるという、そういう点をお話ししておきたいと思います。そこで、まず少子化対策が必要だとしたときに、いったいそれはどういう根拠とどういう手段で対応すべきなのかということを財政学、公共経済学と申しますが、公共経済学という考え方から少し説明をしておきたいと思います。
まず現状認識といたしましては、日本を含む先進諸国において、子どもの価値に対して個人と社会の間で大きな分裂が起こっているという、まずこういう現状認識から出発いたします。つまり、個人ないし夫婦にとっては、これはもうすでにこういう議論はお聞きだと思いますが、子どもというのは消費財としての位置づけが強い。例えば、いろいろな世論調査を見ますと、自分の成長にとって役に立つとか、楽しいとか、あるいは夫婦の絆であるといったような、将来子どもに労働力として期待をするとか、子どもの所得を当てにするということはほとんどない。子どもというのはいわば夫婦にとってともに成長するというような、そういう‥‥消費財というのはちょっと言い方がおかしいかもしれませんが、そういう位置づけが日本だけではなくて先進国で非常に強くなってきている。その一方、社会的にはむしろ、いま子どもの投資財としての価値というものが極めて重要視されるようになっている。つまり投資財という意味は、将来の労働力でありますとか、あるいは介護力でありますとか、あるいは社会保障費用の負担者としての子どもの位置づけということであります。こういった子どもに対する個人あるいは夫婦と社会の位置づけが大きく分裂しているということが、まず前提であります。
そのうえで、こういう問題に対して政府が何らかの対応策をとる根拠というのは、ごく抽象的に申しますと、社会的に不可欠な存在なり財とかサービスであるけれども、民間‥‥この場合の民間というのは、企業、家族も含みますし、コミュニティーといったものも含みますが、それらには供給ができない、あるいは供給できても、不十分な供給しかできない。そういうものについては、政府が何らかの介入をする根拠があるということであります。
別の言葉で言い換えれば、子どもというものが社会にとって不可欠な存在であるけれども、それを個人に委ねておいたのでは、社会的に見て必要な子どもの数が十分供給されない。もしそういう認識で一致するのであれば、何らかのかたちで政府が子どもの問題について、その前提としての結婚でありますとか出産、あるいは育児、教育ということに対して、政府が何らかの関与をする根拠はあるということであります。
ただ、そのへんはもう少しきちんと議論をしなければいけませんで、それを少し順々にやっていきたいわけですが。
そのうち、政府が関与しなければいけない一番強い考え方というのは、1つは公共財という考え方でございます。この公共財という考え方は、大きく分けて2つございまして。1つは外交とか防衛のように、民間の企業でありますとか個人や市場ではまったく対応できないようなものであります。もう一つ、実は今日お話ししたいのは価値財という考え方でありまして。これは言葉自身はわかりにくい言葉でありますけど、要するにこれは社会的な価値を認めて、政府が何らかのかたちで行動をとるようなタイプのものを価値財と呼んでおります。一番典型的なのは、義務教育が普通これで説明されます。
つまり義務教育というのは、もちろん教育というのは一人ひとり誰がどういう教育を受けるかどうかというのは識別できますから、別に政府が関与する必要性というのは根本的にはない。マーケットに任せておけばよいわけであります。しかし、もし個人的な選択に任せておきますと、学校に行かせないで働かせたほうがいいというようなことが起こり得る。 しかも基礎的な読む、書くといったような学力というものを全国民が等しく持つことが、社会的に見て極めて望ましいことだという判断がおそらくあるんでしょう。
日本では憲法でわざわざ「義務教育はこれを無償とする」と謳っているのは、義務教育というのは一人ひとりの子どもに帰属する成果であるけれども、ただそれを全員が受けることによって社会が極めて大きな利益を受けるという、そういう社会的な利益の認識が強い。しかしそれを一人ひとりの親に任せておきますと、学校に行かせないような親が出てくる。これはいまの日本ではまったく考えられませんが、開発途上国などでは子どもを学校に行かせるよりは働かせて稼いだほうがいいという考え方がはるかに強いこともありますので。そういう点で、個人個人の行動に任せておくと、そういう必要なサービスが受けられない可能性が出てくるので、これは政府が強制をする。
価値財の特徴は強制というところにありまして、義務教育というかたちで、もちろん日本の場合には義務教育といっても私立もありますので国公立だけを意味するわけではありませんが、しかし必ず学齢年齢に達した子どもは義務教育を受けなければいけない。そういう点は強制をするというところに、この価値財の考え方の特徴があります。
もう一つの特徴は、社会保険でございまして。なぜ強制加入を求めるのかということになると、放っておくと私たちは遠いリスク、例えば将来退職をしたときに所得を失う可能性とか、あるいはそう遠くないにしてもあまり考えたくないリスクがたくさんあるわけです。病気になるとか、あるいは失業するなんてことは、誰も始めから失業するつもりで会社に入るわけではありませんので、そんなリスクは考えたくないわけです。しかし確率的には必ず起こってくる。しかし、各人任せておくと自分のリスクというものは、ほとんど過小評価いたしますので、自ら保険に入ることはしない。
あるいは、民間の保険そのものも大きな欠点を持っておりまして、民間の保険というのは、例えば生命保険であれば、なるべく長生きをしそうな人だけを入れたいわけです。早く死なれて保険金を払う人はなるべく避けたい。逆に個人年金の場合には、なるべく早死にする人を選びたいのが民間保険会社のリスクを回避する当然の行動であります。しかし、我々から見れば長生きしそうだから個人年金保険に入りたいのであり、早く死にそうだから生命保険に入りたいわけで、それが逆になってしまうわけですね。ですから民間の保険に任せておきますと、そういった被保険者のニーズと食い違うことが起こりますので、民間にも任せられない。結局、社会保険というかたちで政府は強制をする。とにかく事業所に入ろうと大学に勤めようと、どこかに勤めれば、必ず自動的に本人の有無を言わさず厚生年金なり共済年金の被保険者になる。そういう仕組みをつくって将来のリスクに備えさせるという、そういうことをいたします。ですから価値財の特徴というのは、強制力を持って政府が何らかの財やサービスを消費させるというところであります。
仮に今度子どもの場合を考えてみますと、子どもというのが例えば社会的に見て非常に重要な存在であるというときに、もしそれを価値財的な発想で考えることになりますと、何らかの強制力を伴って、出生率を引き上げるような政策をとるというような発想になる可能性があります。 実際、日本の場合もそういうことがまったくなかったわけではありません。あるいは、ヨーロッパのほうでも、そういう時期がまったくなかったわけではありません。
では、具体的にその強制力とは何かというと、あまり具体的な‥‥まさに結婚を強制するとか出産を強制するわけには、それはいかないでしょうから、例えば避妊や中絶を禁止するというようなものは、1つのこういう価値財的な発想に基づく政策ということになるんだろうと思います。ですから、こういう価値財的な発想で子どもを考えるというのは大変危険なことだというのが、おそらく共通の認識ではないでしょうか。 いまお話ししましたような避妊や中絶を禁止するというようなことでありますとか、あるいは社会的な規範を強めて、結婚や出産を事実上強制するというような方法、やり方というのは、結婚でありますとか出産というのは、基本的にはまったく個人的な選択に委ねられているものでありますから、これを価値財的に強制をするということは好ましくないというのは、おそらく多くの方々の共通の認識ではないかと思います。
それはでは次に、どういう政策があるか。次が私たちがいう外部性という話でありまして、その説明自身は同じような説明になります。要するに子どもを生む、そして育てるというのは、親というのは子どもから何らかのメリットを期待をするわけでありまして、その期待というのが先ほど申しましたように、いまは夫婦にとって自己実現の1つの大きな手段であるとか、一緒にいて楽しいとか、夫婦の絆を強めてくれるといったような、ある意味では抽象的な価値概念であります。
しかし社会的に見れば、先ほど申しましたように労働力、あるいは社会保障の費用負担者としての子どもの価値というのもあるわけで。ですから一人ひとりの個人、あるいは夫婦で見た子どもの価値をさらに上回る何らかの社会的な価値が存在するということであれば、そういう個人に帰属するような価値を上回る社会的な価値のことを通常、外部性と言っております。
外部性には当然負の外部性もございまして、おそらく人口が爆発しているような社会では、子どもというのはむしろ負の外部性をもたらすものとして認識されるのではないでしょうか。ですから、いずれも正・負ともあるわけでありますが、特に先進諸国、あるいは日本では社会的に見た子どもの価値というものに対して、最近それをプラスの価値として認識するということが強くなってきております。
ただ、その根拠というのは、正直言って私たちもよくわかりません。 いかにも労働力が足りないからとか、社会保障の負担者が少なくなって大変だというようなことが、果たして意味のある議論なのかどうか。 あるいは、漠然としたかたちで、何か経済や社会の活力が失われるのはどうもいけないというような、そういう議論もありますけれども、いったいそれはどういう議論なのか、突き詰めてみてよくわからない。 何か漠然たる不安のようなものなのかもしれません。
もちろん社会保障の場合には、後ほど申し上げますが、確かにこういう人口変動がもたらす影響というのは非常に大きいわけでありますが、しかし社会保障制度を維持するために子どもを生むというのは、これは発想としてはもしかしたら逆転している可能性が強いわけであります。 ですから、あまりそこが強く出てくると、さっき言った価値財的な発想になってしまうわけでありますが、少なくとも、社会的に子どもの価値を評価するという考え方が現在強まっていることは、おそらく事実であろうと思います。
その場合に、通常合理的な人間でありますと、子どもから得られる、そしてそれが個人なり夫婦に帰属する価値に見合うまでコストをかけることは皆さんされると思います。ただしこの場合のコストというのは、これも極めて重要な点でありますのでお断りしておきますと、これは必ずしも育児費、住宅費、教育費といった現金費用だけではありません。 もう一つ大変重要なのは、機会費用という概念でございます。
これは出産、育児のために例えば仕事を辞める。あるいは、その間それまで築いてきた社会的なネットワーク、人的なネットワークみたいなものが一旦切れるといったような、直接現金支出を伴う費用ではありませんが、出産や育児に伴って社会的な活動から一時的にでも引退することに伴い犠牲にするものといっていいかと思いますが、そういうのを機会費用と申しておりますが、この機会費用の認識というものが私は大変重要な問題になってきているということであります。
後ほどお話しいたしますが、出産や育児に関する現金費用であれば、これはある程度現金補助でカバーすることは可能であるかと思いますが、この機会費用に関していえば、この点は現物形態で対処しませんと、うまくいかない面が出てくると私は考えております。それは後ほどお話しいたします。
いま私が機会費用ということを申し上げましたのは、先進諸国におきましては、例えば女性の高学歴が進む、そして就業率が上がってくるということになりますと、女性にとっては仕事を辞めると、出産や育児のために、子どもを生むために犠牲にする賃金というものが高くなってきているわけで。そういう機会費用が大きくなってきている。それから、これはまったく素人論議ですが、男性にとっては労働というのは不効用です。毎日強制されて働くのは嫌だとか、もうちょっとレジャーを楽しみたいというような、労働というのは不効用という側面がある。だから賃金がついてくるんだという説があるわけですが、しかしどうも現在女性にとっては、労働というのは必ずしも不効用とだけとは言いきれない面があるのではないか。
例えば、近頃の学生を見ておりますと、とにかくいろいろな社会的なネットワークを雇用によってつくり上げていく。友達関係でありますとか、いろいろなサークルでありますとか、そういう人間的な関係をつくり上げていくという意味で、労働というものがもう一つそれに伴う社会的な側面と申しますか、それがかなり高く評価されている面がありまして、そういう意味でいうと、労働というのは果たして不効用なのかどうかということは、私も必ずしもよくわかりません。
いずれにしても、最近、女性にとっての機会費用が上がってきている、高くなってきているということは間違いないと思います。ですから、そういう意味で申しますと、おそらくいま賃金の伸び率よりも、出産や育児に関する現金費用プラス機会費用の全体の伸びのほうが、大きくなっているのではないか。ですから、その結果としていま進んでいることは、子どもの数を減らすことによって、その現金費用と機会費用を減らして、そして子どもから得られる価値を費用とちょうど合わせるようにして子どもの数を減らしてきているというのが、いまおそらく起こっている現象だろうと思います。
ですから、その意味では、八代先生がよく言っておりますが、それは合理的な行動の結果そうなってきているのであって、つまり、与えられた条件の中では合理的な行動としてそういう問題が起こっているのであって、現在の状況なり環境というものを変えないで、ただ子どもの数をいかに増やすかということは、これは議論できないということでもあります。
ですから、もし政策論として子どもの外部性という社会的な価値を認識して、もし社会にとって必要な子どもの数というものがあるとすれば、それをどのように確保するのかといえば、先ほど申しましたような夫婦の、あるいは個人に帰属する価値を上回る社会的な価値の部分に見合うコストというものを社会的に負担をしていく必要があります。 ただし、その場合の負担の仕方というのは、先ほどチラッと申し上げましたように、現金の支出を伴うような費用に関しては、これは補助金でありますとか減税といったようないくつかの手段があります。しかし、機会費用に対しての対応は、これは現物給付のかたちで対応する必要があります。例えば、育児や出産のために一時的に退職しないですむという仕組みをつくるためには、現金給付をしてもあまり意味がなくて、このときには、例えば保育サービスでありますとか、ベビーシッターのような、そういう現物給付をきちんといたしませんと、そういう機会費用というものは十分にカバーできないという、おそらくそういうことになるんだろうと思います。
ですからそのへんの、とりわけ少子化対策を考えるときには、機会費用の認識をきちんと持つことと、それに対してはできるだけ現物給付のかたちで対応していくということが重要ではないか。その現物給付だけではない方法もちょっとお話ししたいと思いますが、基本的にはそういう考え方を持っております。
いまお話ししました外部性という議論は、私はおそらく少子化対策を考える場合には一番根拠として、議論としてもはっきりした理論的な根拠になり得ると思います。しかし、それでは実際に個人や夫婦に帰属する価値と、それから社会に帰属する価値とが、いったいどういう割合になっているのかということになりますと、いわゆる負担区分の問題ということになりまして、これに明確な判断を下すことは、我々もできません。一体、社会的な価値というものの評価がどういうふうに行われるのか。もし、例えば非常に限定的に考えまして、将来厚生年金の保険料率が一定にとどまる‥‥例えば何%ぐらいにずっととどまるだけの子どもの数が必要だみたいな、仮に極めてはっきりした基準を設ければ、それにはこのぐらいの子どもが必要であるということは言えると思います。 しかし、果たしてそういう基準というものが意味がある議論なのかどうかは、これはちょっと別の議論が必要であります。あるいはよく言われるように、人口の再生産のためには合計特殊出生率が2.1ぐらいに回復しなくてはいかんと言われますが、人口規模を維持していくことが望ましいのか望ましくないのかというのは、これは個人的な判断がいろいろあるんだろうと思いますので、そこのところは私もはっきりとは何とも申し上げようがありません。
しかも、この問題は、しばしばイデオロギッシュな面を持ちます。 つまり家族観でありますとか、宗教の問題でありますとか、私のような経済学をかじっている人間のようなかなり割り切った考え方などは、とてもできないだろうと思いますし。その意味では、さまざまな考え方があって、「いやいや、社会が6で個人が4だ」とか、「いや、いまやもう社会が10で個人は0だ」と。子どもは社会が全部面倒をみるというような発想だって、それはあり得るわけです。その一方で、あくまでも家族観の考え方によれば、これはまったく家族が責任を持つべき問題であって、政府は関与すべきではないという立場も当然あり得る。そのへんのベクトルが非常に広いものですから、外部性は根拠としてはわかるけれども、実際の政策論として打ち出すときには、明確な議論ができないことになります。
その点で申しますと、私はむしろもう一つの、政府が介入する根拠になります所得再分配という概念のほうが、ある意味でははるかに合意を得やすい議論になるだろうと思います。所得再分配というのは簡単なことで、例えば所得税の課税最低限のような考え方でありまして。ある一定の生計費、最低限の生計費には課税をしない。そういうような発想が日本の制度にはたくさん組み込まれております。
そういった所得再分配という考え方に立ちますと、例えば理想の子どもはこれだけ生みたいと思っているのに、現実にはこれしか生めない。 その理由として、例えば出産に関する費用が高い、育児に関する費用が高い、教育に関する費用が高い、あるいは住宅に要する費用が非常に高いとかですね。あるいは機会費用が非常に大きいということであれば、所得の再分配を通じて、そういう必要な子どもを生み育てる経費というものをカバーしていくという考え方であります。
この場合には、別に社会的な利益はどうのこうのという議論ではありませんで、もっぱら子どもの出産なり育児、そして教育まで含めて、それに要する経費というものが必要であれば、それを社会的に補填をしていくという考え方であります。それは再分配の考え方であります。
ただ、この場合の再分配で重要なことは、従来のように同じ世代の中の再分配というよりは、世代間の再分配を私は考えているということであります。つまり、日本のような賃金体系のもとでありますと‥‥これは賃金体系がガラッと変われば別ですが、通常若い世代ほど賃金率が低い。だんだん年齢が上がるにつれて賃金が高くなっていくというような、こういう仕組みがありますと、世代的にいいますと若い世代ほど一般に所得が低いということがございます。あるいは、おそらく賃金だけではなくて資産所得などの蓄積も若い世代は一般に少ない。そういう世代的な所得の再分配を、むしろ高年の世代から若い世代への所得の再分配を行うことによって、出産、育児、教育といったような若年世代に対する再分配を増やしていくことで対応すべきではないかというのが、この再分配という意味であります。
実は、こういう政策というのは、今でも少しは先ほど申しましたようにセットとしてはあちこちに組み込まれているわけであります。先ほど申しました所得税の場合には、家族状況に応じまして課税最低限がございます。本人の基礎控除以外に扶養控除というのがございますが、これは38万円ですけれども、それプラス、現在16〜23歳の子どもの場合には特定扶養控除と申しまして、53万円だと思うんですが、これが適用されます。その意味は教育費控除です。いまの日本の高等教育を見ておりますと、機関に対する補助、それから奨学金のようなかたちのものと、もう一つこういう高等教育学齢の子どもを持つ家庭に対して税制上の優遇措置というかたちでこういう手段などをとっております。
こういうやり方というのは、現に日本でもあるわけでありますが、それを全体にまとめてみると大きく2つの方法がありまして、1つは手当を出す方法と、もう一つはどちらかというと税制上の措置のようなかたちをとる方法があると思います。例えば税制上の措置で有名なのはフランスでありまして。フランスの所得税というのは、ご存知ないかもしれませんが、OECD諸国の中でも最もウエイトの低い国であります。なぜフランスの所得税のウエイトが低いかというと、有名なN分N乗法というやり方をとっておりまして、要するに子どもを含めた家族の数で所得を割ってしまいまして、累進税率のもとで所得を割ってしまいますので、所得税額が非常に低くなるというやり方をとっています。これはたしかフランスがドイツとの対抗上、第一次世界大戦以降導入した人口政策であります。
ですから、よく社会保障のウェイトを比べるときに、家族手当のような支出面を比べることがありますが、あれは不十分でありまして。このフランスのN分N乗法による多く子どもを持つ家族に対する減税額というのは、非常に大きい。特にフランスは限界税率という、所得税の税率が高いものですから、この意味合いは大きいわけです。
フランスのN分N乗法は有名でありまして、アメリカは逆に何もやっていないといいますが、アメリカはチャイルドケアクレジットと申しまして、子どもの育児にかかった費用に税額控除を認めております。日本の所得控除ではなくて、税額控除です、一旦算出した所得税額から育児にかかった分の一定割合を控除できるという税額控除システムをとっております。日本はご存知のとおり、さっきも申しましたように扶養控除、および特定扶養控除というかたちの税制上の措置がございます。
この他、外国では結婚を奨励するために、夫婦に対しては特別の税率を適応するとか、単身者と違った税率を適応するとか、あるいは共同申告をして、夫婦の所得を半分に割ってしまうことを認めるというような、そういう措置をとっている国もあります。
こういう国は、いずれもこれは家族政策だとは当然言っておりません。 言っているのは、単に子どもの数が多くなれば生活費が重くなるから、それに見合った減税を行うという、それだけのことでありまして。表向きは、あくまでも所得再分配です。しかし、本当のところは、かなり人口政策的な意味合いが強いということであります。
他方、手当のほうが、これは通常ファミリーアローワンスというふうに言われますが、これは両親に対する補助もありますし、とりわけ最近のように片親世帯に対する補助もありますし、それからもちろん子どもに対する補助もあります。日本にもこういうタイプのものは、いろいろございます。
実は、所得再分配効果という点から申しますと、手当のほうがいいんです。なぜかというと、税制上の措置というのは、これは一定の所得がない限りは利用できない。一定の税額がないと税額控除は使えない。 一定の所得がないと所得控除は使えないということになりますので、本当に困っている人にはこの税制の措置というのはあまりおよばないという性格がございますから、手当のほうが所得再分配効果は一般に高いと言っていいかと思います。
ただその場合に、先ほど申しましたように、育児や何かにかかる現金的な支出に対しては、いわゆる現金形態の補助金がいいだろうと思いますが、機会費用に対しては現物形態で保障するというやり方が、いい方法だろうと思います。
ただ、いま実はこういう問題に関して、その2つのいい点を取り入れる方法として、いわゆるバウチャーという議論が最近盛んになっております。バウチャーというのは、アメリカの福祉切符とか食糧切符と言われるもので、使途を定めて商品券みたいなものを配布して、そしてそれで選ぶのは個人に任せるというような、そういう仕組みであります。 そういう選択を認めながら、同時に使途を特定するというようなやり方をバウチャーと申しますが。そういうことに対する議論が、いまあちらこちらで起こってきております。
そこで、最後にVのところのお話をしたいと思います。これは一番最後の10という横長の表を見ていただきたいと思います。日本のいまの社会保障制度の特徴というのは、いろいろなかたちで見ることができますが、これはOECDだと思いますが、従来のILO方式と違ったかたちで、もう少し支出面に重点を置いて、かなり細かい分類のもとで国際比較をやっている。一応、全部のOECD加盟国がありますが、その中で主要な国だけピックアップいたしました。ここでは社会保障支出という言葉ではなくて、SOCIAL EXPENDITUREという、社会支出という言葉を使っております。例えば住宅などが当然ここには含まれております。
これを見ていただきますと、日本というのは社会支出総額がGDP比で12.44%ということで、アメリカよりもさらに低いぐらいで、非常に小さいウエイトであると。それから、その中身の構成を見ていただきますと、日本の場合には医療と老齢年金ですね。この2つが圧倒的に大きくて、あとは極端に小さいという、こういう特徴を持っているわけであります。こういう特徴は、もうよく知られていることでありまして、なぜこうなのか。従来、日本の高齢化が進んでいないからウエイトが小さいんだという議論がありましたけれども、しかしもう日本は、確か去年あたりもう15%を超えております。もうほとんどフランス、ドイツと違わない高齢化の水準まできております。それにしては、非常に低いというのが日本の特徴であります。
なぜ日本がそんなに低いのかということは、例えば1つの極めて当たり前の事実は、失業率が低いということであります。これを見ていただきますと、失業給付の支出とか労働市場振興支出と呼ばれる労働市場に関する社会保障政策というのが、ヨーロッパ諸国、アメリカを含めて大変大きいわけですが日本は大変小さい。こういう日本の失業率の低さというものが全体に押し下げている面もむろんございます。
それから、家族の現金給付とか、保育・介護サービス支出といったような、従来所得制限や措置制度で行われた部分が予算制約のもとでかなり厳しく抑えられていたというようなことも、日本の社会保障支出を全体として抑える理由になっていると思います。さらに、ウエイトは決して多くありませんが、住宅給付は日本では社会保障というかたちではほとんど認識されておりませんので、これはゼロなのかデータがないのかわかりませんが、ほとんど認識されていない。こういったことが、全体のウエイトを小さくしているわかりやすい要因でありますけれども、必ずしもそれだけでは説明できないということがあります。
やはり、日本の場合には、これは私の推測でありますけれども、本来社会保障としてヨーロッパやアメリカで行われたことを日本では企業や家族がそうとう代行してきたという部分が強いのではないか。それはもちろん経済成長率が高くて、企業そのものが雇用吸収力を従来大いに持っていたということもあると思います。それから、日本は経済規制が強い国で、低生産部門の保護ということが、農業、中小企業をはじめとして行われましたために、そこでかなり雇用の確保が規制というかたちで‥‥規制というのは、ほとんど予算がかかりませんから。ちょうどウルグアイラウンドのように規制を外すと同時に予算が何兆円と組まれると、逆の関係をお考えいただければいいと思います。規制というのは財政的には安上がりな手段で、雇用とか企業の福利厚生制度を維持してきたことが、本来ヨーロッパなどで行われている社会保障制度の代行を行ってきたという側面があると思いますし、また家族が育児や介護に関して社会保障の不足を補うというようなかたちで行っていたという点もあると思います。このへんが、ここで言いますと社会支出総額のウエイトが小さい、あるいは国民負担率が低いというかたちで出てきているというように私には思われます。
ですから、今後これがどういうふうに変わるのかといいますと、逆に言えばいまの規制の緩和の動きでありますとか、そういうことに伴って、むしろ従来企業や家族の中で抱え込まれていた社会保障の代行分が表に出てくる可能性というのが1つあるんだろうと思います。そのことは当然、財政や社会保障の拡大につながり、あるいは負担の増加につながるという可能性が強いわけです。だからこそ、おそらくいま経済構造改革とか財政構造改革といったものが議論されているんだろうと、私のそういう認識があります。
ですから、日本の社会保障は従来ウエイトが小さくて、しかもほとんどが高齢者向けであったということは、決してそういう政策を意図的にとってきたというよりは、むしろ若年層向けの本来の社会保障部分が、大部分企業によって代行されていたために、政府はそれをやる必要がなかったと言っていいと思います。育児というようなものは家族の中で行われる。そのために若年層向けの社会保障というのは、従来あまり必要性が認識されてこなかったと。したがって、必要度の高い高齢者向けの年金や医療というものに非常に偏った社会保障制度がつくられてきているというような、そういう印象を持ちます。
その中で、いま社会保障の改革の問題が議論されているわけであります。いま、社会保障の改革について、私は2つ3つ大きな考え方があると思います。1つの大きな考え方は、人口変動に対してできるだけ中立的な社会保障制度をつくろうという考え方です。例えば、いまの年金を積立方式に変える。あるいは厚生年金を民営化してしまう。確定給付型ではなくて確定拠出型の年金に変えるというようなことも、その1つでありますけれども。要するに、世代間扶養という考え方、年金でいえば賦課方式と通常呼んでおりますが、そういうタイプの社会保障のあり方というのは、どうしても人口変動の影響を強く受けますので、そういう子どもが減るとか高齢化が進むという人口変動に対して中立的な社会保障制度をつくろうという考え方が、とりわけ経済学者の間には強いと思います。
その場合、過渡的コストと申しまして、例えば賦課方式の年金を積立方式に変えるときに、実は非常に大きなエネルギーとコストがかかるんですが、それを除けば理論的にいえば社会保障をまったく人口に対して中立的な制度につくることは可能です。全部つくることはできませんが、生活保護のような仕組みを最後にきちんと残しておきさえすれば、あとは本当に保険原理だけでやることも可能です。この保険原理でやれば、人口の変動に対して、ほとんど中立的にすることができます。
そういう方向性をとることは可能ではありますけれども、1つはいま申し上げました、実は移行期のコストが極めて大きいという問題があります。年金については、若年層がいずれにせよ新しいタイプの年金と従来のタイプの年金の二重の負担をしなきゃいけないという二重負担の問題とか、そういう問題が常に議論されます。もう一つ、こういう考え方は、要するに人口変動に対して中立的ですから、極端にいえば少子化が進んでも社会保障の財政が悪化するというようなことは考えなくてすむということであります。
それは別の言葉で言えば、いまのように子どもに消費財としての意識が強くて、そして一方で機会費用も含めて子どものコストが上がっている中では、そういう人口変動に対して中立的な社会保障制度をつくるということは、少子化をさらに促進する要因になっていくのではないかというのが、これはかなり直感的な考え方でありますが、そういう面があるのではないかと私には思われます。
それでは、いまおそらく一番現実的な考え方で進められている社会保障制度の改革とは何かと申しますと、一応年金、あるいは老人医療、介護などについても、基本的な世代間扶養の仕組みといいますか、枠組みというものは維持しながら、しかし給付率を抑えて世代間扶養の仕組みそのものの縮小を図りながら、一方で子どもを増やす政策をとる。ですから、世代間の扶養の仕組みというものは基本にしながらも、その中で世代間扶養のウエイトはだんだん落としながら、将来の世代の負担を落としながら、他方でいわゆる長期的な対策として子どもの数を増やしていって、世代間扶養という仕組みが維持できるようにするというのが、これは私の個人的な考え方としても割と近いということが言えます。
おそらくそういう考え方で行われているんだろうと思います。
先ほど申しましたように、もし人口変動に対してまったく中立的な社会保障制度のようなものを考えた場合には、むしろ少子化対策のような余計なものはいらないということにも私はなると思うんですね。長期に時間がかかって、しかも効果が必ずしもはっきりしないものに多くの財源を投入することに対しては、必ずしもこの財政状況厳しき折、その合意が得られるかどうかは、むしろ不安であります。
いま全体としては社会保障制度の改革というのは、高齢化と少子化の二重対応という方向をとろうとしている。この際の、私はもう一つ大事な点は、先ほどチラッと申し上げましたけれども、従来のような高齢世代を重点とした医療や年金制度のウエイトを減らして、これを例えば育児でありますとか住宅、教育といったような若年世代向けの社会保障制度にウエイトを移していくというやり方です。こういうことも結果的には世代間の負担の問題というのを緩和していく、1つの有力な方法であろうと思っております。
ヨーロッパなどが意識的にそうやってきたかどうかわかりませんが、やっぱり日本の社会保障制度は高齢者に偏ったものになりすぎている。 そして、それがこれからの経済の変化とか、そういう問題を含めてだんだんと、いままでは企業の中で賄われていたり家族の中で担われていたものが表に出てくるとなれば、そちらのほうに重点を移す。そのためには私は高齢者向けのプログラムと申しますか、そっちのほうの縮小というのはやむをえないと考えております。
本来、あと少し税制との関係などもお話ししたいと思いましたけれども、一応、このへんで終わらせていただきます。

宮澤会長

どうもありがとうございました。それでは、ご意見をいただきたいと思います。どうぞ。

大淵委員

特に社会保障との関係で先生の積極的なご意見を伺うことができて、大変興味深かったわけですけれども、せっかくの機会ですので、2〜3お教えをいただきたい点がございます。
1つは、子どもがどこまで公共財なのかということです。先ほどいろいろなお話がありました。価値財ではあるべきではないということはよくわかりますけれども、実際問題として純粋な私的財とも言えないということが現状ではないか。言ってみれば、いわゆる準公共財、つまり純粋な私的財から完全な公共財の間に広く分布する準公共財ではないかと思いますけれども。先生としては、どのあたりに位置するとお考えかということをお尋ねしたいと思います。
第2点は外部性に関連したことで。これが少子化対策の根拠であるという、それはそのとおりであろうと思うんですけれども。アメリカの雑誌でこういうことを読んだことがあります。そこでは人口爆発、これは逆に人口減少でもいいわけですが、その社会経済的な影響、これはマクロ的な負の影響ということでありますが、そのことと負の外部性というものは区別して考えるべきだという議論があったんですけれども、その論拠が必ずしもはっきり書かれていなかったものですから、もし先生のご意見をちょうだいできればと思った次第です。
それから3番目には、いわゆるフリーライダーの話です。これは先生には特にご説明するまでもないことですが、年金が現在は修正積立方式、あるいは賦課方式というふうに言われます。これは若年世代が高齢世代を扶養しているというようなかたちになっているわけですが、子どもを持たない夫婦も老後はその若年世代に依存することになりますから、子育ての費用負担をせずに年金を受けるのは不公正であると。 だから、そうした子どもを持たない夫婦には高い税金とか、あるいは高い保険料を支払わせるべきだというような、そういう議論があるわけですが。先生は、今日のお話で積立方式に変えるべきだというご意見のようにも承りましたが、その場合にはおっしゃったように移行のコストが非常に大きいという問題もありますので、これが可能かどうかは問題であろうかと思います。現行のままいくとした場合に、このフリーライダーというものをどうお考えか。以上3点でございます。

宮島教授

いずれも明確にお答えするのは難しい問題でございまして。ご指摘のように、子どもというのは一方で広い意味での公共財と申しますか、社会的な財だという考え方と、それから純粋に個人なり私的な財だという考え方の中間にいまあるんだろうというのは、そのとおりであります。
ただし、それはもし準公共財的な側面が強いとすれば、おそらく労働力としての評価とか、あるいは社会保障制度をいまのような世代間扶養的な仕組みの中で成り立っている、そういう社会制度を維持するという点での社会的な評価ということであろうと思います。
しかし、では子どもだけがそれを本当に果たすのかというと、実はそれは社会的な人口移動ということを考えますと、これは必ずしも子どもだけでなくていい。先ほど申しましたように、どこかから若年労働力が大幅に入ってくれば、そういう役割を果たしていくことになります。ですから、閉鎖的な社会というものを前提にしていれば、これは子どもしかあり得ないわけでありますけれども、もし開放的な社会を考えた場合には、それは必ずしも子どもだけの価値とは限らない。そういうことがあると思います。
実は数年前、私は子どもの問題である研究プロジェクトをやったことがありまして、そのとき経済学者はそうとう威勢よくこういう議論をするんですが、そう言っては悪いけど社会学者の方の議論がどうもよくわからないんですね。
例えば子どもの数が減ると子供の社会化のプロセスが悪化するということをおっしゃるんですが、ただ、それは定位家族と申しますか、家族というのもかなり閉鎖的で、子どもの数が減ると親と子がいつも毎日朝から晩まで向き合うような、そういう家族のようなことを想像されている。しかし、昔に比べれば、いまの子どもというのは外に出ていく機会が非常に多くて、そういうところでは、子どもどうしの接触というのは、従来に比べて決して少なくない。むしろ私の子どものころなんかは、それは外で遊びましたけども、いまみたいに幼稚園だ保育園だ児童会館だというのは、あまりなかった時代でもあります。それでは私の場合、社会性がどうかなと、私も自分では認識できませんが。子どもの数が減る子供の社会化のプロセスに大きな問題が生ずるというのは、子どもの数が減るということよりも、私はあるとすればむしろ親子関係の問題がかなり大きいのではないかと、私は自戒を込めてそう思っているんですけども。ただ、そのへんの社会学者の方の議論が、私たちにはどうもいま一つ説得力がない。だから、例えばこの問題についてもいま主として労働力とか社会制度を維持するための一種の負担者的な発想で子どもの社会的な価値というのを認めるのはかなり容易だけれども、それだけの議論で本当にいいんだろうか。
最後にお話ししませんでしたけれども、社会保障制度の問題と少子化問題というのは全く切り離して考えるということも当然できるわけです。 社会保障制度の問題は社会保障制度の問題で、私は別に積立方式にいくことはあまり賛成ではないんですが、ただ、そういうやり方をすれば社会保障制度というのは人口問題に対して中立的な制度を一応組み得る。 しかし、それにしてもやはり子どもが減るということは別の問題として、どうしても残ってしまう。それはやっぱり、いま言ったもう少し社会的な問題であったり、家族の問題であったりだと思いますが。それが大きなまずい問題を引き起こすという認識があれば、それはそれで子どもの対策は打って全然かまわないと思います。ですから、いまのところ私は、どうもそのへんのところがよくわかっていないこともむろんありますので、主としてそういう経済的な側面からお話ししたわけであります。ただ、もし両者を分離できるならば、社会保障制度は社会保障制度でやって、別に少子化対策は少子化対策で別の根拠できちんとやるということを分けて考えることも可能だと思いますけれど、ただ、その場合、私が先ほど言いましたように、結果としての整合性がうまくとれるかという問題が残ると思います。一方で社会保障制度を人口変動中立型にしてしまいますと、少子化促進型になる可能性がありまして、そのことと一方で少子化対策をやるといったときに、うまくいくのかどうかは少し不安がございます。
それから2番目の問題は、負の外部性というのはおそらく多くの国で認識されているのは貧困の問題ではないでしょうか。あるいは環境の問題なんかもそうだと思いますね。特に、これは貧困や食糧の問題と密接に関連しておりますけれども、森林消失や砂漠化現象とか、そういうことがおそらく負の外部性として認識されているんだろうと思います。
それから、子どもを持たない夫婦と持っている夫婦との間での公平という問題を申しますと、これは一番いま問題になっているのは社会保険料だろうと思います。社会保険料は子どもがあろうとなかろうと、収入報酬が同じならば同じ保険料を払うということになっているわけでありますけども、ここに何らかの扶養者控除的なものを導入して、一方で保険料に若干残る逆進性のようなものを累進的な負担に少し変えると同時に、少子化対策の一環ということとしても議論されている。おそらくそういう方向というのは、今度検討されるのではないかと思います。ただ、税制のほうから申しますと、税制というのは一般に家族状況に応じた税負担というのを求めるところが強いところがありますし、それから相続税とか贈与税のようなものを考えましても、家族状況に配慮しているというのがございますので、そればかりではないと思います。なお、私は積立方式に賛成だというわけではありません。ただいくつか条件がございまして。1つは日本でも近いうちに始まると思いますが、インデックス債ですね。物価スライド債。これはイギリスが早くてアメリカが今年始めましたが、物価スライド債の発行があって、そして年金の中で賃金再評価の部分が仮に本質的なものではなくて、物価スライドが公的年金の重点だとような、そういう条件で通ってきた場合には、いまの年金の報酬比例部分に関していえば、それが公的年金から離れていくという、そういう素地ができると思います。それはでもどちらかというと人口変動に対して中立的な社会保障という考え方に私は近いんだろうと思います。

大淵委員

どうもありがとうございました。

宮澤会長

どうぞ。

阿藤委員

2つというか、どちらも関連するんですが。いまの日本の出生率の低下の原因といいますか、背景。1つは人口学的にはシングル化現象、それは同時に晩婚化と言われているわけですね。これは概ね当たっていると思うんですが。その場合、つまり結婚そのものを増やすとか、そういうことを政策の中でどう考えたらいいのか。例えば結婚を遅らせていることのそもそもの理由は、例えば住宅が手に入りにくいとかですね。そういう理由であれば住宅政策をやるということが可能だと思うんですね。例えば、それこそナチスドイツがやったような結婚資金貸付制度ですね。 戦後の東ドイツもやってましたけども。そういうふうなことも考えられますけれども、しかし日本のいまの晩婚化、シングル化状況というのは、必ずしもそういうものだけでもなさそうな感じです。
例えば、若者がむしろより消費生活を楽しむためにシングルでいるのが長いとか、そういうようなことですと、政策的にどう考えたらいいのか、なかなか難しいように思うんですね。
それが1つと、それから、そういうシングル化、晩婚化、少子化の背景をさらに探ると、今日のお話にももちろん間接的には関係があるんでしょうけれども、女性の社会進出と日本の社会がどこかで持っている性別役割分業の強さといいますか、そういうものとのコンフリクトが背後にあるように私自身は思っているんですけれども。
これまたそういうことになりますと、もちろん公的保育サービスとか育児休業制度なんかを充実させることによって、いわばジェンダーイコールな社会をつくっていくという側面が当然あると思うんですけれども。 しかし、これはもう一つ、例えば家族の中における夫の家事参加があまりにも少ないとかいうことも、歴然たる事実です。そういう問題も政策的に変更可能なものか、そのへんをちょっと伺いたいんですけれども。

宮島教授

前半の問題は、いま八代先生がいらっしゃったので、先生がむしろ専門家で私は受売りみたいな話をすることになります。
ブラックユーモア的なことを言いますと、税負担や社会保障負担をできるだけ引き上げるというのは、実は結婚を促進する可能性がありまして、共働きにならないと、とてもやっていけないからですね。1人でいると不利を被るような。実はこれは外国でも、日本でもそうですけど、個人単位か家族単位かという問題が根本的な問題です。普通はマリッジ・ボーナス、ディボース・ペナルティと言いまして、その逆もあるんですが。結婚をすると有利になる。離婚をすると、むしろ経済的に損をするとか、逆のケースもあるわけですが。
日本の場合には、とどちらかというと私は制度の仕組みそのものは結婚促進的な仕組みになっているのではないかと思います。しかも、それも無職の配偶者というかたちで結婚をすることに対して、いくつか税制上の措置だとか社会保障なり、そういう促進面があるので、私は制度そのものが結婚を妨げているということは、おそらく言えないような気がします。
それと、これは八代先生のまさに受売りになりますが、結婚というものに対しての規模の経済の利益があまりなくなってきているとか、そういうようなこともあるわけです。私は先ほどのお話の続きでいけば、1つは結婚、出産、子育てというようなことの一連のプロセスの中で、機会費用に対する認識が非常に薄いことが大きな妨げになっているのではないか。ですから、ライフコースを連続していけるということですね。 ライフコースが中断されないで継続していけるということに対して、それをバックアップする仕組みが薄い。もちろんこれは特に女性の場合でありますけれども。私はいまこういう大きな問題が起こっているとすれば、私はそれが大きな原因になっているだろうと思います。もう一つは、私は阿藤先生のを拝見いたしました。大変面白い相関図で。男性の家事への参加時間と出生率の間で、実にきれいな正の相関関係があるというのを拝見いたしました。ただ、因果関係はどっちとも言える‥‥参加するから出生率が高いのか、出生率が高いから、男性が参加しているのか、それはどちらも因果関係が問えます。ただ、両者の相関関係があるということは、大変面白い。それから、むしろ常識に反して女性の就業率が高いほど出生率が高いということもあります。ただ、そのへんのところはもう少し細かく見なくてはいけなくて、雇用者なのか、あるいは自営とか農業のような就業者なのかみる必要があるでしょう。
そういう点を考えますと、私はやはり、いま機会費用ということを申しましたけれども、それを支えるためには、1つは社会的な支援策が必要だろうと。社会的な支援策というのは、職場の中の話でありますので、それは必要だろう。今度、家庭の中での支援策というと、それはかなり男性の参加というものがないと支えていけないという。私もそれを拝見しまして考えたことは、そんなところでありまして。大変面白い結果だと思っております。

宮澤会長

どうぞ。

熊崎委員

先生の税制と社会保障制度についての課題とかというのは、私もまったくそのとおりだと思っております。ただ、お話の中にありました、税制上の問題で、税制の配偶控除というような言葉をお使いになりましたですね。私たちは、いま特別配偶ということであると認識をしておりまして。この特別配偶という税制の仕組みではなくて、特別扶養控除といいましょうかね。扶養控除を一本化にしたらどうかという案で私たちは話をしておりますけれども、それでいいのか。認識が間違えていないのかどうかということが1点。
もう一つは、私は税制、社会保障制度の過渡期という点でもあると思いますが、やはり賃金上の問題で日本はもちろん終身雇用の年功序列のままでありまして、それもやや崩れてきつつあるとはいっても、年功、高いほうが給料がどうしてもいいという実態です。しかし、もう一つは所帯賃金といいましょうか。個人単位ということをこのごろ言われておりながらも、なかなか賃金面では所帯賃金というものが崩れないという点では、やはり結婚をしよう、それから、してなくても妊娠、出産して子どもを育てていくという若い層だと賃金面では所帯賃金というのはなかなかそういうふうになっていかないという経済上の悩みがあるのではないかと思っておりますが。社会的な個人単位ということを言われながらも、賃金面では所帯賃金がかなり強いという、そこらへんのこれからの処理といいましょうか、提言といいましょうか、ありましたらお願いしたいと思います。以上です。
宮島教授
先に後の問題ですが、これは私は残念ながらまったくの素人に近いので、お答えするのはむしろ危なっかしいんですが。ただ、これは先ほど申しましたように、まだ日本のあらゆる制度の中で個人と世帯というものが完全に分離されているわけではありません。例えば奨学金などというのも、いったい個人で、その人間の稼得能力で見るのか、あるいは家計支持者の所得で見るのかというのは、私はいつも悩むところでもあります。税制もむろん、基本は日本の場合には個人単位でありますけれども、しかし実際には配偶者控除でありますとか扶養控除というかたちで世帯型のものが残っております。
社会保障の場合にも、よく言われます厚生年金の場合の働いている女性が本人でもらうか、あるいは夫の遺族年金をもらうのか、どっちが得かみたいな、そういう発想がある。私から見ると、これは私のまったく個人的な意見でありますけども、遺族年金という、なぜ国が生命保険までやらなければいけないのか。個人年金権の確立ということを年金改正のときに言ったのに、どうも基本は個人年金権ではなくて、やっぱり家族年金権といったような遺族年金が大事だと。これは外国にもありますから、当然制度があるのはわかりますが、全体としては個人と家族なり世帯というものが一本に貫かれているかというと、まだそうではありません。それは、賃金にいたしましても、要するに家族が食べていける賃金といったような発想はまだ当然強いわけでありますから、そういうことになっているんだと思います。そのことについて我々研究者は割と単純に、個人で一本化しようというようなことを平気で申しますが、ただ、家族形態というものが多様であったり、あるいは日本の女性の労働力率が15歳以上をとってみますとまだ50%程度である現状の中で、個人単位を一貫してとれるかどうかということになってまいりますと、これは逆の問題も今度はおそらく出てくるんだろうと思います。
例えばスウェーデンでありますと、アメリカ、フランスもそうですが、女性の労働力がM字型を描かないで常に80%ぐらいになってくれば、自動的にこういう問題というのは解決されてしまう問題であります。現在の状況の中で、原則はそうだけれども、原則だけ貫くということは、それは残念ながらいくつか難しい面が残っていると思います。それから最初の問題ですが、家族に対して配偶者控除と、もう一つ配偶者特別控除。 それから扶養控除と、本人以外のものについては3つありますけれども。これをどう考えるかというのは、まさに家族と個人の問題ということに帰着するわけであります。ただ、税制の一応専門家として一言いわせていただきますと、日本の税制で、例えば配偶者特別控除の条件は、本人が所得があるとだんだん減ってきます。それから、家計支持者の所得が1,000万を超えますと、これも権利を失います。そういうのは、一見うまくできているようでありますけれども、しかしたくさんの所得を得て、しかも配偶者特別控除をもらいたいのであれば、できるだけ源泉分離課税の対象になる所得を多くするといいですよ、つまならい節税対策を申し上げているようでありますけれども。要するに、源泉分離課税の対象になっている利子でありますとか配当の一部とか、株式譲渡益というのは、これは所得にカウントされませんので。源泉分離課税で課税はおしまいですから、カウントされません。そこでいくら無業の配偶者がたくさんの所得を得ていても、配偶者特別控除がフルの対象になるというように、実は日本の税制というのは、いろいろな仕組みを持ち込んではいるんですが、いくつか根本的なところで抜けているところがありまして、そのために税制を使った仕組みというのが、実はかなり歪んでしまっているというのも事実であります。
ですから、いまのいろいろな控除制度につきましても、例えば特定扶養控除制度が導入されたときにももちろんいろいろな議論がありまして、16歳から23歳までを対象とするときに、高校の進学率がこれだけ上がってきたんだから、まあいいだろうということはありましたけども、本当に大学生まで政府が教育費の控除を行うことが、社会的に本当に公正なのかどうか。大学というのは多くの場合、その人たちが学歴を通じて将来何らかの収益で戻ってくることを期待するとしたら、そこにまだ進学率が40%ぐらいの段階でそういう控除を設けることが、本当に公平かどうかという問題です。
実は、税制に関してはそういう議論が山ほどありまして。いまお話のように家族単位か個人単位かということもありますし。実はその中の仕組みの中でも、関連した問題もいくつもあります。ですから社会保障と税制というのは、両方かなり近いものでありまして。今度の財政構造改革会議では社会保障についてはいろいろなことをずいぶん言っておりますけれども、税制について何も言ってませんので、あれはおかしいと、我々は当然思います。

宮澤会長

どうぞ。

清家専門委員

今日のお話はほとんど私は全部そのとおりだと思うことばかりだったんですけど、1つだけ。子どもを公共財として考えること、特に費用負担者という意味での公共財として考えることについて、いくつかパラドキシカルな問題が生じるのではないかと思うので、その点を伺いたいんですが。
1つは、おっしゃるように子どもは個人にとっては消費財で、社会にとって公共財で、そして公共財として費用負担者という役割を強く考えるとしますと、多分親にとっては子どもを消費財として考える場合、一番大切なのは子どもの幸せな姿を見たいということでしょうから、子どもが将来社会の負担者として重い税金だとか社会保険料に苦しむというのは、多分消費財としての価値を下げることになるんだろうと思います。 したがって、費用負担者としての公共財ということを一方で考えながら、消費財としての子どもの魅力を高めようというのは、トレードオフの関係があるのではないか。
それから、もう一つは、いま申し上げました税とか社会保険料というのは、一般的に勤労の収入に対して課せられるものですが、勤労収入というのは、これは投資と収益という観点からいうと、いわゆる人的資本に対する収益ですから、人的資本に対する収益に社会保険料も含めて課税することで将来の負担をしてもらおうという考え方だと思います。 そういうことをしますと、他の投資機会に比べて、もし仮に人的資本に対する投資収益により多く課税されるということになると、人的資本に対する投資が減ってしまうおそれがある。これはまさに税の専門家としての宮島先生にお伺いしたい点でもあるわけですが、例えば金融投資に対する収益である利子とか配当とかいうようなものに対する課税とか、あるいは物的投資、例えば住宅等の収益、この場合には一般には帰属家賃というようなかたちかもしれませんが、それに対する収益の課税である固定資産税というようなものと、やはり人的資本に対する投資収益への課税である所得税、あるいは社会保険料の負担というのが、ちょっとアンバランスなのではないか。特にこれからの日本の経済、まさに経済の高度化ということであれば、人的資本投資をもっと促進しなければいけないわけで。将来子どもに働いてもらって、そこに税を課して、あるいは社会保険料を課して何とかしようというのは、そういう観点からいうと少し整合性を欠くのではないかと。もしそうではなくて、もっと金融資産とか、あるいは土地資産みたいなものからの税収等で費用を賄おうとすることであれば、逆に言えば負担者としての公共財というニーズはそんなに増えないわけですから。そういう将来の日本のあるべき方向というのを考えると、負担者としての公共財という子どもの位置づけというのは、ちょっとそのへんでも疑問符が付くのではないかと思うんですが。その点を伺いたいと思います。

宮島教授

いま清家先生のほうからお話があった、いくつか面白い論点がございまして。例えば、出生率が下がるというのは、一種のゲーム的な世界でもあるのですね。つまり、みんなが生んでくれるならば生んでもいいけれども、ただみんな生まないのに自分だけ生むのは将来自分の子どもだけが重い負担を負いかねないというようなことがありますね。
確かに、いまお話のようにいまの社会保険料ですね、特に職域年金の保険料というのは、まったく支払い賃金が対象ですから、人的資本に対する収益に対する課税だけになっている。そういう点がございます。 おそらくそのことは私も将来はかなり難しくなってくるだろうというのがありまして、それはやっぱり労働の稀少性が強まってくると。そうしますと、それをどうやって有効に、あるいはインセンティブとして使おうかとすると、労働収益に対してだけの課税というものは、増やせなくなってくるという面も強いだろうと思います。
しかし、ではどうなるかというと、実は今度は国際化という側面に入りますと、金融資産に対する課税もそう容易ではなくなってくるということになります。何が残るかというともう消費だという話にすぐなってしまうというところがあるわけでありまして。善し悪しは別として長い目で見ればそういうかたちになっていく可能性は私は十分あるんだと思います。
では、具体的にどういう手段としてなっていくのだろうかということになりますと、いろいろな収益間の課税のバランスとか課税の中立性とか課税の公平という点を申しますと、おそらく労働収益に対する課税というものは今後あまりウエイトを上げられない。一方、金融資産などに関しても、必ずしも上げられないということになりますと、消費とか、収益そのものよりもストック的な発想とかですね、そういう課税が出てくるんだろうと私には思われます。
ただ、やや当面の問題として申しますと、1つは今日お話しできませんでしたけれども、むしろ社会保障の費用をどこから求めるかという、ある意味ではもう少し根本的な議論がありまして。やっぱりそれは高齢者から今後は求めざるを得ないだろうというのが1つの流れではないでしょうか。高齢者から求めるというのは、実質的に金融資産、実物資産から求めるということを意味いたしますので、そういう意味でのバランスの取り方というのが私はあるんだろうと思います。
これは日本だけの議論ではなくて、最近アメリカの社会保障諮問委員会の答申を見ましても、高齢者に社会保障の拠出を求めるという考え方が強く出てきておりまして。それはそれで金融資産、あるいは実物資産から求めていくという、そういう考え方がどんどんそちらのほうで出てくる可能性が強いような気がいたします。

宮澤会長

他にございましょうか。まだ、いろいろ議論したいところもたくさんあるようでございますが、次の予定もございます。
どうも大変ありがとうございました。これから我々が考えていくべき評価の基準と申しますか、評価概念、そういうものを提示していただいたように思います。経済学的な側面から見た、そういったような評価基準なり概念なりを社会学的、あるいは人口学的な発想とどうリンクしていくかということで、我々にいくつか宿題をいただいたように思います。どうも大変ありがとうございました。
それでは、大変時間配分が偏って恐縮でございますが、もう一つ予定してございますテーマにつきまして、国立社会保障・人口問題研究所の金子武治情報調査分析部長から、都道府県の将来人口推計につきましてご説明をお願いいたします。

金子部長

それでは、今年1月に発表いたしました、日本の将来推計人口に基づきました都道府県別人口の将来推計の結果がまとまりましたので、その推計結果の概要と推計方法についてご報告させていただきたいと思います。なお、人口問題研究所自体の都道府県別の将来人口推計としては、総人口の推計は昭和25年から行っておりまして、今日ご報告申し上げますような男女・年齢別については、昭和60年の国勢調査以降、全国の将来人口推計に合わせて公表しております。
本日の資料は2つございまして、資料2と資料3が資料でございます。 資料3の方が若干詳しいのですが、本日の説明は資料2の都道府県別将来推計人口についての方で行わさせていただきたいと思います。
この資料は、最初に推計結果の概要が書いてございますが、話の順序として推計方法の概要から説明した方がわかりやすいと思いますので、そちらの方から説明していきたいと思います。恐れ入りますが、3ページに推計方法の概要が書いてございますので、3ページをお開きいただきたいと思います。
推計期間ですが、これは平成7〜37年までの5年ごとの30年間でございます。基準人口は総務庁統計局の平成7年国勢調査によります都道府県別、男女・年齢別人口を用いております。
それから、推計を行う上での仮定でございますが、前回同様コーホート要因法を用いました。したがいまして、推計にはここにも書いてますように、女子の年齢別出生率、男女・年齢別生残率、男女・年齢別純移動率、そして出生性比が必要ということになります。そのうち、出生率と生残率については、全国人口推計の中位推計で仮定されました出生率と生残率に依拠しております。
それでは、それぞれの仮定について簡単にご説明申し上げます。まず1点目の女子の年齢別出生率の仮定でございますが。都道府県別、女子の年齢別出生率の全国の値との相対的格差に昭和55年以降、一定の変動傾向が見られない県については、直近の平成2〜7年の相対的格差が将来維持されるというようにしております。
また、相対的格差に変動傾向が見られる県については、その傾向。拡大している県と縮小している県がございますが、1期間だけその傾向を反映させまして、それ以降はその相対的格差を一定としております。1期間だけ反映させたのは、近年の女子の年齢別出生率の地域格差は、どの年齢階級でも拡大、縮小傾向は安定してきているということによります。そしてその相対的格差を全国推計、中位推計ですが、そこで仮定されました将来の女子の年齢別出生率に当てはめて、都道府県別、女子の年齢別出生率の仮定値を設定しております。
続きまして、男女・年齢別生残率の仮定ですが、都道府県別、男女・年齢別生残率の全国値との相対的格差の動向を観察いたしますと、年々縮小の傾向にありますので、今後も相対的格差は縮小していくとしております。そして、その相対的格差を全国推計で仮定されました将来の男女・年齢別生残率に当てはめて、府県別、男女・年齢別生残率の仮定値を設定しております。
続きまして、男女・年齢別純移動率の仮定ですが、これは4ページに書いてございます。これは直近の平成2〜7年の都道府県別、男女・年齢別純移動率を将来も一定と設定しております。理由といたしましては、人口移動はそのときどきの我が国、あるいは各都道府県の経済状況によって影響を受けますので、なかなかその点の将来を予測するのが難しいこと。また、都道府県別に、男女・年齢別純移動率の動向を観察いたしますと、一定の規則性を見いだすことが、またこれ困難であること。さらに住民基本台帳移動報告というのが総務庁から出ておりますが、それによって人口移動総数を見てみますと、近年、低水準で安定した動きを見せておりますし、また地域ブロック別の純移動率は平成4年以降、大きな変化が見られないこと。以上のような理由で平成2〜7年の純移動率が将来も一定というように設定してございます。
なお、参考といたしまして、純移動率が0の場合、人口移動がない封鎖人口の推計も行っております。
最後の出生性比ですが、これは全国推計と同様に、最近5年間の全国の実績に基づきまして、女子100に対して男子105.6としております。
次に、兵庫県と大阪府の仮定値の設定について簡単に申し上げておきます。平成7年の兵庫県の生残率、出生率、そして純移動率は、阪神淡路大震災により大きな影響を受けておりますので、それぞれについて地震の影響を除いた値を推計しなければなりません。兵庫県の場合は当然のことながら、出生数は少なく死亡数は多くなっておりますし、何よりも転出する人が多くなっております。今回の推計では、その分を補正しまして、その値をもとに将来の仮定値を設定しております。
また、地震により兵庫県から転出した人口については、今後の復興に伴い、兵庫県に戻ることを考慮しなければなりませんが、現在の段階では帰還する人口の割合を見込むことは難しいものがございます。そこで、本推計では地震によって転出した人口のうち、5年後に半分、さらに5年後、10年後に4分の1が他の都道府県から兵庫県に戻ると仮定して、将来人口の推計を行っております。
一方兵庫県からの転出人口の半数以上を受け入れたのが大阪府でありまして。このため平成2〜7年の大阪府の純移動率は兵庫県同様、地震の影響をかなり受けております。転入した人が多くなっております。そこで、大阪府の純移動率についても地震の影響を除いた値を推計いたしまして、その値をもとに将来の仮定値を設定しております。
以上が前提条件でございます。それでは最初に戻っていただきまして、推計結果の概要をお話ししたいと思います。この推計は都道府県別に行いましたが、各都道府県の男女・年齢別人口の推計値の合計が全国推計の中位推計の値と一致するように推計されております。
それでは、総人口の推移からご説明申し上げます。ポイントは1ページに書いてありますように4つございます。それぞれ表を参照しながら説明させていただきたいと思います。恐れ入りますが、5ページの表の1をご覧いただきたいと思います。
国勢調査の結果によれば、平成2〜7年にかけて、すでに13の都県で人口が減少しておりますが、平成32〜37年にかけては、44都道府県で人口が減少に転じます。この時点で人口増加が続くのは、埼玉県、滋賀県、沖縄県の3県であります。埼玉、滋賀は東京、大阪のベッドタウンに位置する県でありますし、沖縄県はご存知のように出生率が高く、平均寿命も高いという県でございます。
表の一番下に5年前と比較して減少した都道府県の数が示してございますが、平成2〜7年では13でございます。全国人口は平成19年にピークに達したあと減少に転じると予測されておりますが、その前、平成12〜17年に人口が減少する都道府県は25と半数を超えるということになります。次の6ページの図の1をご覧いただきたいんですが。これは都道府県別人口増加率の推移を見たものでございますが、白の部分が人口が増加している地域、それ以外は人口が減少している地域でございますが、人口減少県が年々増加している様子がおわかりになるかと思います。一番下の地図は平成32〜37年にかけての人口増加率ですが、白の部分は先ほど申し上げました3県のみということになります。
続いて7ページの表の2をご覧いただきたいんですが。これは平成7年を100としました指数でございます。平成37年までに、人口は17の都道府県で現在よりも1割以上減少するということになります。
それをわかりやすく図にしたのが、8ページの図2でございます。これは平成7年を100とした場合の平成37年の指数でございますが。黒で塗りつぶされた地域が現在よりも人口が多い県ということになります。そして白の地域が、現在よりも人口が1割以上減少する県ということになります。その下の表3でございますが、これは地域ブロック別に見た将来推計人口です。これは都道府県別に行いました推計結果を単純に合計したものでございます。地域ブロック別に見ますと、平成7〜12年にかけて人口が減少するブロックは中国と四国でございますが、平成27年以降はすべての地域ブロックで人口が減少するということになります。
引き続きまして、9ページの表4をご覧いただきたいと思います。これは全国人口に占める各都道府県人口の割合でございます。平成7年の国勢調査によりますと、全国人口に占める割合が最も高かったのは東京都で、9.4%とありますが、今回推計によりますと、東京都の人口が全国人口に占める割合は年々低下してまいりまして、平成37年には7.8%ということになります。そして、東京都の周辺に位置します茨城、埼玉、千葉、神奈川、それから地方中核都市のあります宮城県、愛知県、福岡県では、全国人口に占める割合が上昇を続けることになります。以上が総人口でございます。
引き続きまして年齢別人口の推計結果でございます。記述は2ページに書いてございます。これについても表を参照しながらご説明申し上げたいと思います。
まず10ページの表5をご覧いただきたいのですが。これは年少人口0〜14歳人口の推移でございます。これは全国の年少人口の傾向を反映いたしまして、平成12年まではすべての都道府県で年少人口が減少いたします。その後、一時増加する県もあるのですが、平成27年以降は再びすべての都道府県で減少いたします。
続きまして生産年齢人口の推移です。これは11ページの表6でございます。全国の生産年齢人口は、平成7年以降、一貫して減少していきますが、平成7〜12年にかけて生産年齢人口が減少するのは34都道府県にとどまります。東京都の周辺地域では、依然として生産年齢人口が増加いたします。しかし、平成27年にはすべての都道府県で生産年齢人口が減少に転じます。その後、いくつかの県で生産年齢人口が回復いたしますが、大部分の都道府県では減少が続くということになります。
それから、最後に老年人口、65歳以上人口の推移でございます。12ページの表7をご覧いただきたいと思います。これは老年人口数そのものの推計結果であります。老年人口はすべての都道府県で平成32年まで大きく増加いたします。老年人口の増加率が最大の時期は、ほとんどの県でここ5年間でありまして、平成7〜12年にかけてでありますが。老年人口の伸びは、その後全般的に縮小してまいりまして、平成32〜37年にかけては31都道府県で老年人口が減少に転じます。逆に言えば16県は平成37年まで増加を続けるということになります。
続きまして、平成7年と平成37年とを比較いたしますと、老年人口が倍以上に増加する県が生じてくるということでございます。これについては、13ページの図4をご覧いただきたいのですが。老年人口の増加率が100%以上になる、つまり倍以上に増加するのは、黒で塗りつぶされたところでございますが、東京周辺の茨城県、埼玉県、千葉県、神奈川県と、それから愛知県、奈良県と沖縄県でございます。それらの県は今後老年人口数が倍以上に増加するということでございます。
引き続きまして、14ページの表8をご覧いただきたいと思います。これは老年人口が総人口に占める割合を示したものでございますが、老年人口に占める割合はすべての都道府県で今後一貫して上昇してまいります。そして、老年人口割合が30%を超える県が平成27年には4県出現いたします。秋田県と島根県、山口県、高知県でございますが。それが平成32年には8道県に、さらに37年には14道県に達するということになります。15ページの図5は、それを図にしたものでございます。一番下の平成37年の図で、黒で塗りつぶされた県が30%以上となるところでございまして、北海道、東北、北陸、中国、四国、九州地方にそのような県が見られます。いずれも現在、老年人口割合の高い県ということになります。以上、簡単でございますが、今回まとまりました都道府県別将来推計人口についてご報告させていただきました。

宮澤会長

どうもありがとうございました。どうぞ、ご質問ございましたら。八代委員、どうぞ。
八代委員
こういう地域別の人口推計はまったくの素人でございますので、素人の質問としてお聞きさせていただきたいと存じます。
この推計の方法を聞きますと、基本的に人口の地域間移動率とは、すべて過去の傾向をそのまま将来に伸ばすという手法で推計しておられるわけなんですが、人々の最適化行動ということを考えますと、例えば東京でこのように人口が急激に減ってくる。その周辺の埼玉とか千葉で人口が増えてくるというパターンが続きますと、当然地価とかそういうものに影響が及ぶのではないか。すなわち、いま千葉とか埼玉とか神奈川に住んでいる人は、もともとそこに住みたいのではなくて、東京に住みたいけど東京の地価が高いため住めないから、やむをえず周辺地域に行っているとすれば、東京の人口が今後減少してきて、東京のスペースが空いたり地価が下落したりすると、当然ながら水が高いところから低いところに落ちるように平準化傾向が起こるというようなことが考えられないかどうか。これは東京とか大阪という都市部で特に大きなポイントではないかと思います。
こういう地域的な人口の将来の動きというのは、国土政策に非常に大きなインプリケーションを持つとすれば、やはり将来的には何らかのそういう経済的メカニズム的なものでチェックをしないと、過去のまったくの行動をそのまま将来に引き伸ばすというのは、非常に危険ではないかと。全国ベースの人口推計では、推計自体には取り入れられておりませんが、さまざまなチェックとして経済モデルを使っていただいたわけなんですが、同じことがこの地域別の人口推計にもやはり必要ではないかと思います。以上でございます。

金子部長

おっしゃるとおりでございまして。この推計は人口学的な要因の趨勢型の推計でございまして。現状のままではこのようになるという姿を表したものでございますので、それをもとにいたしまして政策的なことを加味して、いろいろと考えていただければよろしいのではないかと思っております。

宮澤会長

どうぞお願いいたします。

袖井委員

生産年齢人口ですけど、15〜64歳でとってありますけれども、いま進学率が5割までいくというように文部省なんかは推計しているようですので、これはもう20歳とかに直されたほうがいいのではないかなと思いますけど、いかがでしょうか。

金子部長

そのようなご意見も多々伺っておりますので、結果は年齢5歳階級別に行っておりますので、結果表としてプレゼンテーションするときには年齢区分を、おっしゃいましたように20歳からというような区分でも公表したいと考えております。

宮澤会長

よろしゅうございましょうか。他にございましょうか。
いまのような人口の区分の仕方、あるいは経済的な要因をどう組み込むかそれを反映させる。もう一つは、社会保障との関係でいえば、地域別に社会保障の進んだ地域とそうでない地域がある。そうすると、経済学でよく足による投票と申しますが、府県移動が起こるかもしれない。 そういうような府県ベースでは、なかなか出ない問題なのかもしれませんけれども、そういう要因も考える必要が、経済的要因の一部に入るかもしれません。ちょっと気がつきましたので指摘させていただきます。
他にございましょうか。それでは、どうもありがとうございました。
これからの進め方でございますが、これまでにヒアリングを多くの方々から、また、いろいろな立場からいただいてまいりました。そろそろ整理の段階に入ると思いますが、その整理を事務局で行っていただきたいと思いますが、皆様よろしゅうございましょうか。それでは、事務局、大変恐縮でございますが、大変な作業でございますが、素晴らしい整理を期待しておりますので、よろしくお願いいたします。
それでは時間がまいりました。本日はご多用のところを出席いただきまして、ありがとうございました。なお、次回の総会につきましては6月19日午前10時から少子化対策のあり方について、山崎泰彦先生にお話を伺う予定でございますので、皆さん、よろしくお願いいたします。
それでは、本日の総会を閉会させていただきます。どうもありがとうございました。

 問い合わせ先 厚生省大臣官房政策課
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