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第67回人口問題審議会総会議事録


平成9年5月20日(火)

10時30分〜12時30分

共用第9会議室

宮澤会長
おはようございます。
本日は、ご多用のところをご出席いただきまして、ありがとうございます。
ただいまから、第67回人口問題審議会総会を開催いたします。
まず、出席状況でございますが、ご欠席は、岡沢、木村、熊崎、小林、袖井、坪井、水越、南、宮武、八代、各委員、並びに清家専門委員は、ご都合によりご欠席であります。また、高山専門委員は海外に派遣されていらっしゃるので、しばらくご欠席でございます。その他の委員はご出席。若干遅れていらっしゃる委員もいらっしゃるようです。それでは、これから本日の議題に入らせていただきます。
お手元の議事進行予定のとおり、2つご報告をいただくことになっております。
それでは、まず、東京大学社会科学研究所の佐藤博樹教授から、「家庭と両立する仕事のあり方・柔軟な働き方を求めて」というタイトルのもとでご説明をお願いいたしたいと存じます。
佐藤教授は、一橋大学大学院社会学研究科を修了された後、法政大学経営学部教授などを経られまして、現在は東京大学社会科学研究所教授としてご活躍なされております。それでは、よろしくお願いいたします。

佐藤教授

ただいまご紹介をいただきました、東京大学社会科学研究所の佐藤です。
私の専門は人事管理ですので、マクロの労働供給がどうなるとか需要がどうなる、そういうマクロでの議論というよりかは、企業内において働く女性が子育てをしながら継続して働いていけるような、そういう条件整備にはどういうことが必要なのかということを中心に、お話ししたいと思います。
タイトルは、「家庭と両立する仕事」と書いてありますけれども、主語は家庭であります。これまで、仕事に合わせた生活、家庭のあり方というような色彩が非常に強かったのではなかったか。そうではなくて、これからは、家庭や生活と調和した仕事のあり方ということが、社会全体として、あるいは企業経営としても、特に優秀な人材を確保し、生き生きと働いてもらうためには必要なのではないかと。そういう思いを込めまして付けさせていただきました。
まず、1ですけれども、そこには、少子化と労働力供給構造の変化というふうに書いてありますけれども、労働力供給のあり方というのは、個々の企業からするとコントロールできないわけでして、やはり将来の労働市場の構造がどうなっていくのかということに合わせて、人事管理をやっていかなくてはいけないわけです。
そういう中で一番大きな変化は何かといいますと、やはり若年人口がどんどん減っていくわけです。そういう中で労働力がどうなっていくかということですけれども、労働力供給のあり方は人口と労働力率によって決まるわけですので、現在の労働力率を一定としますと、やはり労働力人口の供給も減っていくことが予想されるわけです。もちろん、労働力需要がどうなるかということが大きな問題ですけれども、人口が減る中で労働力率を高めることができれば、人口が減ってもある程度労働力の減少分をカバーできるわけです。労働力率が上がる可能性があるところといいますと、中高年女性と高齢者です。ですから、企業がこれから人材の活用を考えるときには、中高年女性や高齢者が働きやすいような雇用や仕事の仕組みを用意する。そういうことができますと、そこの労働力率が上がっていく。それで労働力供給が増える。ただ、中高年女性の労働力率が上がると同時に、育児や子育てをしながら仕事をするという仕組みが合わせて整備されていかないと、ますます出生率が落ちる可能性もあるわけです。ですから、企業からすると、そこの労働力率を上げるような施策をとっていく必要があると思いますけれども、出生率のことを考えますと、働く人たちが働きながら育児、子育てができるような仕組みの整備というものが大事になってくるだろうと思います。それが1であります。
2番目は、子育て、育児の問題を考えるときの前提として、女性の就業構造や就業意識がどう変わってきたのかということを少しお話ししたいと思います。幾つかデータがあがっていますが、ひとつは、自営業や家族従業者として働く人たちが減り、雇用者として働く人たちが増えてきている。この傾向は今後も続くだろう。これはどういう意味で大事かといいますと、一般的に自営業主や家族従業者の場合は職住接近なわけですね。働く場と生活の場が接近している。仕事と子育てを女性の場合はある程度調整しながらできる。でも、そういうふうな形で働いている人たちが減ってきて、外に働きに出るという人たちが増えてきている。これが、その表の1にありますように、結婚している女性、30代や40代でも、雇用者として働く人たちが増えてきている。ですから、今後、子育てと仕事との両立ということを考えた場合、当然、雇用者というものを前提として考えなきゃいけない。それともう一つ、一番下のほうの表にありますけれども、これは、有配偶女性の末子の年齢別に見た雇用者比率です。82年から92年にかけて、3歳未満のお子さんがいる方でも働いている人が増えてきているわけですけれども、夫婦とお子さんだけの家族と、夫婦と子どもとその親と同居をしている場合では、かなり女性の就業率が違いますし、一番大事なのは、正社員として働いている人の比率が相当違うんですね。夫婦のどういうことを言いたいかといいますと、育児への支援のあり方、これは親という形で代表的にとっているわけでありますけれども、家に育児を支援してくれる人がいないと、やはりなかなか正社員としては働きにくいような状況がまだまだある。もちろん、10年ぐらいのトレンドで見ますと、正社員として小さなお子さんがいましても継続して働いている方が増えてきているわけですけれども、まだまだそういうものがある人とない人ではかなり違う。ですから、もう少し社会的に育児への支援が必要な状況というのはかなりあるのではないか。
ですから、今後、雇用者として働く人がますます増え、企業としても、これまで相対的に労働力率の低かった中高年層が働けるような形を整備していく。そのときに、子育てをしながら働けるということを、企業なり社会的に整備、支援の仕組みを作っていく必要性があるのではないかということです。
もう一つ、今度は働く人たち、女性の側から見たときの就業志向がどう変わってきているかということです。時系列で見ますと、働こうという就業意欲が非常に高まってきている。その中で、結婚や子育ての時期は家庭に入って、子育てが済んでからまた仕事をし始めようという再就業型志向の人が多かったわけです。ずっと子育ての時期も働き続けるというふうに考える継続就業志向の人よりも多かったわけですけれども、時系列的に見ますと、継続就業志向の人が増加傾向にある。
それともう一つ、お配りした資料のほうの(2)、資料の一番最初のところですけれども、望ましい女性の就業パターンというのがありますが、各年齢層に2つ棒が立っていますけれども、例えば20〜24歳、2つ棒グラフがありますが、右側のほうは、「仮に、出産や育児のときに休業制度や保育施設などが完全に整ったら、どういう働き方をしたいですか」と、そういうふうに聞いたものです。そうしますと、そういう状況があれば継続就業を希望する人が増える。これは希望ですから、実際そういうものができれば実際に働くかどうかは別として、そういうニーズがある。仕事と子育てとが両立できるような仕組みができれば、現状よりも継続就業志向を選ぶ人が増えるのではないかと思います。そういうことができれば、先ほどの労働力の谷のところでも働きながら、他方で育児も続けるというような、そういうことをしようという潜在的ニーズはかなりあるのではないかと思います。
では、どういうふうに仕事と生活を両立するような仕事のあり方を考えたらいいかということです。それがレジュメの2ページの3です。既にお話ししましたように、継続就業を阻害する要因として、育児、高齢層に関しては介護などがあります。具体的な離職理由を見ましても、25歳〜34歳を見ますと、育児を理由に仕事をやめるという人がまだ多いわけです。第1位ですね。
もう一つは、共稼ぎ女性の生活時間を見ますと、女性の社会進出は相当進んできたわけですけれども、家庭内の男女の役割分業を見ますと、男性が家事に参加する程度は非常に低い。その分、働く女性に家庭責任の負担が非常にかかっている。そういう意味では、よほど頑張らないと、子育てもし、家事もし、仕事もするということは難しい。ですから、よほど頑張った人しかそういうことをやりにくいような状況がある。表の3のデータをあげましたけれども。共稼ぎ世帯で、妻が週35時間以上働いている。つまり、パートというよりかは、かなりフルタイムで働いているそういう世帯をとったとき、夫の平均的な家事時間は14分ということで、これは、妻が働いてない人とほとんど変わらないような状況です。その分、妻は家事時間を合理化したり短縮したり、あるいは自由時間を削っている。ですから、社会的な子育ての支援とともに、家庭内の役割分業を変えていく。男性も家庭責任を分担するような仕組みが整う。両方が両輪でいかないと、育児と仕事の両立は難しいということが、こういうデータから分かるだろうと思います。
阻害要因ばかりをお話ししたわけですけれども。そういう中で、どういう施策が求められるのかということです。
2ページの下のほうにありますけれども、仕事と生活の両立のあり方は妊娠や出産期、育児期、学童期、介護期、それぞれ分けて考える必要があるだろうと思います。ここでは、介護というよりかは、子育てについてお話ししたいと思います。
それともう一つは、継続して仕事を続けようという人がだんだん増えてくるというお話をしましたけれども、子育ての期間なく、家庭に入って子育てをするという人もいるわけですから、両方を考えた仕事と生活の両立のあり方というのを考える必要がある。では、育児期の問題ですけれども、特に継続就業をしようという人を念頭に置いたとき、育児期にどういうような両立支援が必要なのか。
ご存じのように、育児休業制度が法制化されて活用されているわけです。育児休業は、雇用が継続されるわけですね、子育て期も。それだけではなくて、基本的にはキャリアも継続するような仕組みになっています。どういうことかといいますと、単に休業した会社に子育てのあと戻ってこれるということだけでなく、基本的な考え方は原職復帰ですね。これまで就いていた仕事に戻れる。休業をとるまでに培ってきた職業能力が継続して生かせるためには、やはりそれまで就いていた仕事に戻れるということが非常に重要なわけですから、雇用の継続とキャリアの継続を両方できるような仕組みとして運営されるように作られているわけですけれども、じゃあ、実際そういうふうにやれているかどうか、やれるための条件はどういうことかということが問題になるだろうと思います。
一つは、戻ってくるというわけですから、休業中に人を採用してしまうと原職復帰が難しくなるという面があるわけですね。だからといって、休業をしている間、仕事をしないでいいというふうにするのもなかなか難しい。そうすると、休業期間中の人の確保というのが大事になってくるわけです。職場のアルバイトを雇うとか、みんなでサポートをしようというようなこともあったわけですけれども、そういう状況になりますと女性の側も育児休業がとりにくい。自分が休業をとったときに職場の同僚や上司に負担がかかる、あるいは仕事が滞ってしまうということであれば、なかなかとりにくいわけです。ですから、そのへんの整備というのがきちっと整わないと、制度はできてもうまく動いていかない。そういうことで、代替要員の確保の問題というのは非常に大きかったわけでありますが、派遣法の改正によって、対応が可能となりました。派遣には業務の指定があったわけです。特定の業務についてしか派遣が活用できなかったわけですけれども、育児休業による代替要員については業種に関係なく派遣の利用が可能になった。そういう意味では、企業とすれば、休業を申し出た人の仕事を休業期間中、埋めることが割合しやすくなった。しやすくなったということは、逆に言えば、女性からすると休業を申し出しやすくなったということです。それともう一つは、育児休業の期間にもよるわけですけれども、長くなれば、やはり職場から離れるわけでありますから、戻ってきたときのギャップというのはだんだん大きくなるわけです。ですから、戻ってきたときに円滑に仕事に適応できるような仕組みというのは非常に大事であります。原職復帰でも、今は急速に仕事の状況というのは変わっていくわけですから、職業能力の低下防止や情報提供というようなことをどうやっていくのか。会社でどういうことが起きているのか、仕事がどのように変わっているのか。期間が長くなればなるほど、新しい仕事などに関する講習などをやるというようなことも大事になってくるだろうと思います。そういう意味では、育児休業の期間が長くなればなるほど、やはり一般的には職業能力が低下する可能性が大きい。適応に時間がかかるわけですね。ですからここは、非常に難しいと思いますが、育児休業と短時間勤務を組み合わせる。ですから、休業は確かに子育てにとってはベストだと思いますけれども、一方で、仕事の継続という、職業能力の低下防止ということを考えれば、完全に仕事を離れるよりかは、短時間勤務というような形で仕事を継続しながら子育てをするということも大事なわけです。その組み合わせということが大事になってくるだろうと思います。育児休業は、子どもが1歳になるまでですが、その後についても短時間勤務をできるだけ配慮するようにという形になっていますので、お子さんが1歳を超えた後も、短時間勤務で、例えば保育所に預けられる時間が短いとすれば、少し早めに会社を終えて子どもを迎えにいくというような、そういう仕組みができると、もう少し家庭生活なり子育てと仕事のバランスということができるのではないか。ただ、なかなか日本の場合、正社員についてはフルタイムで働くという考え方が強いのです。短時間勤務の人は正社員以外の人たちですね。そういう人事管理の仕組み、そういうものを前提にして人事管理をしているわけであります。正社員の短時間勤務というのは、これまで企業としてあまり経験がないわけです。これは、子育て期間中の女性ということだけではなくて、例えば介護のときもそうでありますし、介護というのはいつまで続くかわからないわけですね。そういう意味では、介護のときの短時間勤務も重要です。
これから60歳以降の定年延長という議論が出てきますけれども、フルタイムで働きたい人ばかりではなくて、やはり短時間勤務を志向するわけですから、そういう意味では、高齢者の雇用機会の開発、あるいは介護のときの対応を含めて、正社員の短時間勤務の仕組みを考えていくといことが大事だろうと思います。
可能性としては、中高年の従業員が、例えば育児のあいだ短時間勤務をとる。そうすると仕事が、例えば今まで40時間働いていたのが30時間働く、25時間働く。残りの部分はどうするのか。そこを、例えば高齢者の短時間勤務の人がサポートするとか、そんなようなことを考えていいのではないかなと思っております。
あとは学童期ですね。これは継続就業の人もいれば再就業の人もいるわけですけれども、既にお話ししましたように、短時間勤務が大事になってくるかなというふうに思います。
再就業型の人の場合、これはいわゆるパートで働く人が多いわけでありますけれども、フルタイムで勤務しようとする人は継続就業型の人と同じように、ある程度短時間勤務の仕組みがあれば早めに再就業できるということになるだろうと思います。パートタイム勤務の人は、時間を短くして、家庭責任と仕事とをバランスしながら働こうという人ですけれども、もう少しいろんな働き方があってもいいのではないか。例えば、学期雇用制です。日本ではなじみがないわけですけれども、イギリスなどですとかなり多い。どういうことかといいますと、子どもの学期期間中だけ働くということですね。つまり、夏休みとか春休みというのは子どもが家にいるわけですね。その期間は仕事をしない。年間で見るとパートタイム、短時間勤務なわけですね。ですから、お子さんが学校に行っている間はかなりフルに近い形で働く。1日なり1週間の時間を短くすることではなくて、年間として時間配分を柔軟化する。そうすると、夏休みなど長い期間お子さんが家にいるわけですけれども、そこは子どもと一緒に生活しようというような、そういうことが選択できる。
あるいは、ペアーパートですね。これはどういうことかといいますと、パート2人で1人分ということですね。これは、短時間勤務の人が増えると、企業からすると管理コストがかかるわけですね。例えば8時間の人を4時間勤務の人に置き換えれば、倍の人を管理しなきゃいけない。そうすると、スケジュール管理とか、そういうものの調整が非常に難しくなるわけです。その分、短時間勤務の導入のためらいというのがあるわけですけれども、そうではなくて、ペアーパートの場合は2人で1人分。仕事の調整とかそういう管理は2人で連絡する。企業からすると1人を雇用していると同じような管理の仕組みなわけですね。もう少しそういうように多様なパートタイム勤務をこれから開発していく必要があるだろうと思います。
正社員もそれぞれのライフスタイルに合わせて、これは女性だけではありませんが、男性も家事や育児のときには短時間勤務をとれるような、そういうような仕組み。あるいはもっと、教育訓練のことを含めれば、1年間休みをとって再訓練をするとか能力開発をするとか、生涯の時間配分をもう少しフレキシブルにしていくということができないだろうか。
そうしますと、今、パートタイマーといいますと、ほとんどが非正社員なんですね。パートタイマーというと、ほとんどが非正社員で、雇用の安定性が低いというような議論があるわけでありますけれども、そういう状況ですと、正社員になるためには、やはり長い時間を働かなきゃいけない。ですから、パートタイマーの人はなかなか正社員化しにくいですね。ところが、正社員の短時間勤務というものができてくると、もう少しパートタイマーの正社員化ということも進むのかもしれないわけですね。
最後に、男性の働き方。先ほどお話ししましたように、女性の社会参加が進んできているわについてですけれども、家庭内における役割分業というのは、非常に固定化されている。そういう意味では、子育てをしながら女性が特に正社員として働き続けるというのは非常に難しい状況があるわけです。ですから、これも変えていかなきゃいけない。
労働時間短縮、フレックスタイムの導入がどんどん高まってきているわけですので、男性も家庭責任を分担するようなことができやすいような仕組みになってきていますので、男性も、仕事のためにフレックスタイムを活用するだけでなくて、生活と仕事を調和させるためにも、労働時間の柔軟化の仕組みってあるわけですね。仕事の進め方に応じて労働力供給を変えていく、そういうための労働時間の柔軟化という側面もあるわけですけれども、それだけでなく、生活に合わせて労働を行う時間が、働き方を変えていくということにも使えるわけですので、男性もそういうものを積極的に使っていくということが求められるのではないかなと思います。
企業は中高年女性や高齢者の活用というのを進めていくということが迫られているわけでありますけれども、そういう中でやはり、生活と調和できるような働き方を提供しないと、やはり子育ても非常にしにくいだろうし、非常に難しいわけですね。ただ、女性がそういう、例えば短時間勤務と家庭と調和できるような働き方ができるということになれば、それは女性というだけじゃなくて、高齢者、介護のときの男性も含めて、やはり働く人たち全体が、仕事のために生活の仕方を合わせるということではなく、生活に仕事を合わせていくようなことが可能になっていくのではないかなというふうに思います。

宮澤会長

どうもありがとうございました。それでは、ただいまのご報告につきまして、ご質問、よろしくお願いいたします。あるいはご意見、お願いいたします。どうぞ、お願いいたします。

福田委員

大変面白いお話を聞かせていただいて、ありがとうございました。
最初に一つ確認させていただきたいのは、レジュメの1ページ、表の2で、有配偶女性の末子年齢別に見た雇用者比率でございますが、92年のところ、「うち親と子供」とありまして、その下は「夫婦+子供+親」と。これは、上の「親」は夫婦ということでしょうか。下の「親」は夫婦の親。これは違うんじゃないですか。

佐藤教授

これは僕の書き方が悪かったですね。すみません。これは、子供の親という書き方で。

福田委員

だから、おじいさん、おばあさんと同居していればよく働けると、そういう意味に理解してよろしゅうございますね。

佐藤教授

そうです。はい。すみません。

福田委員

ありがとうございました。それから、再就業志向と継続就業志向について、再就業志向の場合には、パートタイムのほうがフルタイムより多いというふうにおっしゃっておられるわけですけれども、これは、パーセンテージで具体的に数値化できるようなものがございますか。
それから、私の知っているところでは、外国の場合には、再就業の場合でもパートタイムにならないで継続と同じというケースが日本よりは多いように思いますけれども、そのへんのところを具体的にお教えいただけますでしょうか。

佐藤教授

今、どのぐらいかというのが、いろんな調査があるわけですけれども、これは意識調査レベルで見まして、つまり子育ての時期は仕事をやめて家庭に入って、そのあと仕事をしたい。こういう人の中で、子育てのあと仕事をするときの勤務時間、何がいいですかというのを聞いているのがあるのですが、そのとき、短時間勤務がいいという人が6割です。ですから、6対4。6割は短時間勤務ということです。

福田委員

そうすると、先ほどおっしゃいましたように、つまり、短時間勤務を制度化するということがあれば、パートタイムでなしに正社員として復帰する可能性も出てくるということになりますね。つまり、外国の場合には、特に専門性の高い職業ほどパートタイムにならないわけですね。日本の場合には、非常に大きな能力を持っていながら「パートタイムか」という。パートタイムで片づけているというのは単純労働だという片一方の通念がありますので、女性の高学歴志向を念頭に置いた場合に、ここの問題は案外大事な問題ではないかと、私、思っているもんですから、今のような点を伺ったわけです。
それからやはり、一番基本的に、ほかにもいろいろありますけれども、私が伺いたいのは、お話の前提が、企業として労働力を確保するためにはこういう工夫をしなければならないという前提でいらしたわけですけれども、私自身は、学校法人の雇用者の立場で考えたこともございますが、これは一体企業としてどこまでモチベーションがあり、インセンティブがあるのか。少子化に対する対策というのは、むしろナショナルレベルのことであって、例えば介護保険にしても育児保険にしても、どんなに小さくても経営者の立場からすれば、法律で決められて無用な人件費のコストを支出することを強制されているという意識を、これは規模が小さければ小さいほど免れないというふうに私自身は見ております。
そういう点からいいますと、日本では企業の立場でこういうことを非常に早く先駆的にやったのは、私はソニーのケースだろうと思うんです。これは、職場に育児所をたくさん作るということから始めて、そして、ソニーのような、ああいう仕事は重厚長大ではないもんですから、女性の労働力は非常に使いやすいという条件もありましてですね。そこのところを一体どこまで、経営側のモチベーションが強いか。それに対して社会的な支援としてもインセンティブを作り出す工夫が要るか。それはしないでも大丈夫かと。その点についてのお考えを伺いたいのです。

佐藤教授

企業が少子化を防ぐためにだけに子育て支援の仕組みを導入するわけはないのでありまして、おっしゃられるとおりで、やはり企業にとって経済合理的であるかということが非常に大事だと思うんですね。それだけでうまく動かないときに社会政策が大事になってくるわけで。
それを考えたときに、今、均等法が国会にかかっているわけですけれども、そういう改正の中で、これからますます、長期継続を前提にして企業が女性も活用するということが強まってくると思うんですね。それだけ人的資源投資もする。しかし、結婚し、子育ての時期に、やはり子育てをしながら働くことが非常に難しい。そういう人たちが退職していくということは、企業にとってもやはりマイナス要因が非常に大きいだろうと。せっかく、10年前後いろいろな仕事を経験させ、人的資源投資をした人材が、1年か2年、うまく子育て期を乗り越えれば、さらにその先、60とか65まで長期間働けるわけですので、短期間で見ればかなりコストかもわかりませんけれども、長期で見ればやはり経済合理的だということは僕はあると思うんですね。ですから、そういうものをやはりできるだけ理解してもらうようなことにしていくということが大事じゃないかなというふうに思います。

福田委員

まさに長期的に言えば、それがあると。それが最も著しい場合というのは、さっき私が申しましたように、専門性の高いような仕事というのはかけがえのない人材という目で見られる、そういう時期がおそらく来るんだろうと思うんですけれども、単純労働の場合は一体どうなるか。
それから、全体として企業側のインセンティブで足りないところを、社会がどういうふうに見ていくことができるか。
もっと申しますと、さっきソニーの例をひとつ挙げましたけれども、企業としてどうにもならないものというのは、例えば長距離通勤というような問題なんですね。きょうのお話に全く出てませんけれども。これは、ソニーの場合には、職場で保育所を作ると。これが地域の保育所になるのか。長距離通勤みたいな問題というのは、本当に企業の側でどうにもならない大きな要因なもんですから、そういうものについての対策を、後でも結構ですからご教示いただけると有り難い。大変長くて、すみません。それは今は結構ですから。

宮澤会長

大淵先生、どうぞ。

大淵委員

仕事の柔軟化ということで大変興味深いお話を伺ったわけですが。私、議論の導入部でお話しくだすった労働力人口の問題に、ちょっと1、2、ご質問といいますか、コメントをしたいと思いますが。
労働力人口が、人口と労働力率によって決定されるというのは、そのとおりで、おっしゃるように、将来、これが上昇する可能性というものは非常に大きいと思います。十分にありうるし、また、現にずっと上昇してきたわけです。
ところが、女性の場合、お話にありましたように、非常にパートが多くて、つまり短時間労働が多くてフルタイムが少ないもんですから、労働時間としては男性に比べてかなり少ないわけですね。6割程度でしょうか、平均しますと。したがって、労働力率が上がっても労働供給量はそれほど増えないという問題が出てくるわけで、したがって、将来の労働力人口の減少を労働力率の上昇、とりわけ女性のそれで補おうとするのはかなり無理があるのではないかという点が第1であります。
それから、もう一つの点は、ここに「+谷が浅くなる」という文言がございますので、これに関連するご質問でありますが。現実の動きとしましては、1970年代半ば、石油ショックの直後からでありますが、むしろ谷が深まってきたわけですね。それ以前はそれほど、M字型ではありますけれども、今よりは浅かったわけです。これは、20代の未婚女性、これは25〜29歳も含めてですが、そこの労働力率が非常に上がったと。それからまた、30代後半以降の中年あるいは中高年の有配偶女性の労働力率が、これは際立って上がった。一方、25歳から34歳の、出産、育児期の有配偶女性の労働力率は、上昇したんだけれども、その上昇率が低かったために、そこのところは取り残された形で谷が深くなる。絶対的な水準は上がったけれども谷としては深くなったという経緯をたどったわけで、したがって、将来的にこの谷を浅くする、この可能性もなくはないので、就業構造基本調査によりますと、そのデータを使っていわゆる潜在労働力率というのを計算してみますと、有業者の追加就業希望と、それから無業者の新規就業希望ですね。それを加えた潜在労働力率というのを計算してみますと、これは谷がかなり浅くなるんですね。ほとんど逆U字型のような形になります。
しかし、もしそういう状況が出現したとしますと、現実に出産・育児と仕事のトレードオフが存在する中では、出生率の低下は避けられないといいますか、現在の少子化がなお一層激しくなるというようなおそれが出てくるわけで、そこで、先生のおっしゃるような柔軟な働き方、家庭と両立する仕事のあり方ということを、さらに積極的に考えていく必要が出てくるんだろうと思いますので。これはご質問というよりは、私の意見といいますか、考え方なんですけれども。以上です。どうもありがとうございました。

岩渕委員

郵政省がテレワーク構想というのを、今、一生懸命やっているんですけれども。 つまり、自宅で仕事をしてコンピュータ通信などを使って、テレワーク構想というのを、今、推進しているのですが。そのテレワークの対象というのは、彼らが考えているのはどういうことかと話を聞いてみますと、どうしてもやはり男中心で、男の働き方をテレワークで自宅で、通勤時間を減らして、ラッシュが15%減るとか、そういうことばかり言っているので、「いや、それは女をどうして考えないんだ」というようなことを、今、言ってるんですけれども。
つまり、今、高学歴女性、先ほどほかの先生からお話ありましたけれども、高学歴女性をどういうふうに労働力化していくかという問題が一つありますし、一方、家庭と仕事の両立の中で言えば、当然ながら家庭にいて仕事ができるような状況があれば、これは一番いいに決まっているわけでして。ですから、具体的にそのあたりをきちんと今後の構想の中で位置づけて、厚生省と手を携えて政策展開すれば郵政省ももう少し生き延びられるよ、というふうには言ってるんですけれど。そのあたりにつきまして、具体的に彼らはノウハウを持ってないといいますか、具体的な働き方についてですね。そういったところで、先生のところ、もっとご専門に、企業サイドからどういうふうなアプローチができるのか。つまり、女性の、かなり高学歴の女性が、家庭で子育てをしながらコンピュータ通信、これは今、ものすごく進歩しているようですので、具体的なメニューづくりから、そういったようなことまで研究なさっているのか。そうでなければ、今後、ぜひやっていただきたい。
もう一つは、厚生省も、郵政省と協力してやってほしいというような、そういったような希望もあります。以上です。

佐藤教授

働く時間の柔軟化ということをお話ししたんですけれど、もう一つ大事なのは、ご指摘のように、働く場所ですね。働く場所の柔軟化で、特に大都市の場合、通勤時間が非常に長いですね。先ほどご質問があったように、子供を連れて、小さい子を連れて、会社の、そこに保育所があるからといって連れていくなんて、とてもできる状況ではないわけで、そういう意味では、例えば住んでいる家の近くのサテライトオフィス、あるいは在宅勤務ですね。在宅勤務も、別に丸々家で全部する必要はないのでありまして、部分在宅で、週のうち何日かは家で仕事をする。会社に出ていくのも短時間だけ出ていって、仕事の連絡とか会議をやる。かなりの部分は家で仕事をする。そういうことを、僕はもうちょっと積極的にやるべきだろうというふうに思います。
今は確かにおっしゃられるとおり、男性をかなり念頭に置いて実験なんか行われているわけでありますけれども、子育て期の女性が部分在宅とか、そういう形を使いながら家で仕事をし、短時間会社に出ていくというようなものとの組み合わせで家で仕事をするということを、もう少し積極的にやったらいいのではないかなと思います。
そういうものがどのくらい進んでいるかということですけれども、まだやはり実験レベルですね。ただ、実験も非常に大事で、もう少し、時間の面もそうですけれども、時間と働く場所の柔軟化については、実験を奨励し、うまくいったものを波及させるような仕組みを積極的にやるべきじゃないかと思います。

山本委員

一つ、先生のほうから、今回、女性問題を中心にいろいろとご説明をちょうだいいたしましたですけれども、労働力の問題では、女性の問題と、最初にも書いておられますように高齢者の活用と、この2つの面があると思いますけれども、先生としましては、女性の活用と高齢者の活用と、どちらのほうがより重要か、あるいは、どちらのほうにポイントを置いて今後やっていくべきなのか。
といいますのは、先ほど福田先生のほうからもご指摘ございましたように、企業の観点から見ますと、専門性のある人々の確保というのは今後必要になるだろうと。ただ、単純労働力というものは、やはり将来的には人口も減ってくるわけなんです。人口も減ってまいりますと、消費需要というのも落ち込んでくる。いわゆる労働力だけが不足するというような事態ではない。全般的にそのへんのバランスの問題がございますので、先生、そのへんのところをどうお考えになっておるのか、ちょっとお伺いしたいと思います。

佐藤教授

どっちが大事かというのは非常に難しいんですけれど、僕は両方大事だと思うんですが。これは厚生省の審議会でよろしいのですか。年金の支給開始年齢が2001年から引き上げられていくわけですね。2013年には65歳。2001年て、すぐ先でありまして、そういう意味では、企業が定年は今、60ですので、60の後の就業機会をどう開発するかというのは、これは僕は非常に大事な点だと思います。ただ、企業は、正直いいまして60歳代前半の雇用機会ないし就業機会をどうするというのは、ほとんど考えてないんじゃないかというふうに思います。
やはり、定年延長でいくのか継続就業、いろいろあると思うんですけれども、やはり女性と同じように、60歳代になってきますとフルタイムで働きたいという人もいれば短時間、いろんな働き方を希望する人が増えてくるわけですね。こういう人たちをどういうふうに処遇し、仕事を提供していくかということについて、まだ企業は慣れてないところがありまして、僕はそういう意味では、女性とか高齢者というよりか、やはりそういう時間面での柔軟化とか、場所の柔軟化みたいなことがうまくできていくようになれば、それは女性だけじゃなくて高齢者の活用にも、僕は十分同じように適用できるんじゃないかなというふうに思います。あまりお答えになりませんけれども。

千葉委員

少子化に対する労働力確保といいますか、そういう面から見た、企業側から見た対応としては、お話はよくわかるわけでございますけれども。一面、少子化対策といいますか、少子化を避けていくというか、できるだけ子どもをつくらせるような方向にいくというようなことからいうと、なかなかこういう政策をとっても、かえって難しくなってくるんじゃないのかなと。
だから、逆に言うと、継続雇用型よりも、むしろ再就職型を奨励するというか、そちらのほうがむしろ少子化対策にはなるんじゃないのかなと。企業側からいいますと、今の企業というのは、例えば永年勤続とか勤続年数によって評価をするとか、そういう給与の評価の仕方じゃなくて、より能力給的なものにして、再就職する人に対しても評価を正しくするというような給与体系を作っていくとか、もっと労働力の流動化ができれば、再就職型でも決して中断されても劣るようなことがないようなことができるんじゃないのかなと。むしろそちらのほうを奨励すべきじゃないのかなという気がしておるところなんですが。

佐藤教授

継続就業か再就業か、あるいは働くか働かないか。労働力人口は減るから働けということは、言えないわけでありまして、基本的には、それは女性自身が選択することで、働かなきゃいけないというような、強制的に労働市場に駆り出す政策というのは僕はやめるべきだと思うんですね。また継続就業がいいか再就職がいいか。これもやはり女性が選択できるような状況が望ましいと思うんですが。やや継続就業にウエイトを置いた説明でしたが、僕は、やはり継続就業を希望するけれども、それはいろんな条件でできないから、つまり子育ての時期は家庭に入り、そのあと働きに出るということを選択している人が、僕はやはりかなり多いだろうと。もう少し継続就業ができるような仕組みを整備するということが、女性の就業ニーズを満たすということでは重要なのではないかなというふうに思います。そういうことで、ややそちらにウエイトを置いてお話ししたということです。

河野専門委員

家庭と女性の仕事が両立しにくいということで、いろいろな点が述べられたわけですが、よく、家庭で男性が女性に協力しないというか、女性の手助けにならないというようなことを言われますけれども、具体的にどういうところで女性が男性に協力してもらいたいかというのが、もうひとつよくわからない。別に必ずしも台所に入って皿を洗えというのは、かえって邪魔になって。それは、いわゆるモラルサポートというのか、そういう。ただ全体的にやれというのか、具体的にどういうところを協力してくれというのがわからない。そういう調査がございますでしょうか。

佐藤教授

それは、家族社会学などをやられている先生の専門になるんですが。僕も、具体的に女性、例えば働いている女性が男性にどういう家庭責任を分担してほしいかというようなデータがあるかもしれませんが、私は、知りません。そういう意味ではデータに即してお答えすることはできません。
ただ、これは平均ですけれども、社会生活基本調査、時間調査は非常に難しいんですけれども、14分という、ほとんど何もしないというのは、ちょっと極端すぎるのではないのか。もちろん、家庭内の分業のあり方も、やはり夫婦が決めるべきもので、こうしろ、ああしろということはできないわけでありますけれども、やはり男性もやろうと思えばできるような状況になりつつあるわけですね。労働時間もだんだん短くなってきますし、柔軟な働き方を選択できるわけですから、環境としては揃っているわけですから、そういう意味では、14分でいいというふうには共稼ぎの奥さんは思ってないのではないかなと思います。

宮澤会長

ありがとうございました。いろいろご質問をいただきましたが、一つの共通する議論として、正規雇用あるいは継続雇用に比べて、一時的な雇用の位置づけをどういう具合に考えるのか。これは、制度としても意識としても。そこが重要ではないかと思います。単に正規的な継続的な雇用の補助、補完的な位置づけとして一時雇用を考えるのか、それとも、これからは、先ほどもご質問がございましたように、高齢者も増え、女性就労の期待するところが多いわけですが、これは一つの正規労働、不正規労働という分け方を撤廃して、やはり一つの典型的な一時雇用システムというものを社会的にも位置づける必要がある。これは企業のほうでやれというわけにはいかないでしょうけれども、そういう意識あるいは制度がされれば、そういう方向が出てくると思いますが。何かそういった一時的雇用、不正規雇用の社会的な位置づけ直しということが、そこにひとつ作動するということが必要、あるいはそういう可能性があるのかどうかという議論が、やはりこれから必要になっていくかと思います。またいろいろ、そういうことで教えていただきたいと思います。
どうもありがとうございました。
まだお聞きしたい点もございますけれども、もう一つ予定がございます。
続きまして、放送大学の麻生誠教授から、「少子社会と教育」ということについて、ご説明をお願いいたしたいと思います。
麻生教授は、東京大学大学院人文科学研究科を修了されまして、大阪大学の人間科学部教授などを経まして、現在は放送大学教授としてご活躍されております。
よろしくお願いいたします。

麻生教授

ご紹介いただきました麻生でございます。
私、専門は教育社会学で、人口の問題につきましては全く素人でございますので、必ずしもこの審議会がお求めの問いに対する答えが出てくるかどうか自信がございません。一応私の考えていることを述べさせていただきます。
このレジュメは、いいかげんに作りましたといいますか、何か出してくれと言われたので作ったもので、お話をいたします。
まず最初に、少子化というものをどう考えて、それをどういう形で対応していくかという問題でございます。
出生率の低下への政策とか、公権力が介入することの是非というのは、これは私の考えでは、いろいろな価値観がございますので、国民的なコンセンサスをそういう多様な価値観に沿って合意形成することは非常に難しいと思います。単純に割り切って、出生率の低下から生ずる社会的コストが公共介入に伴うコストを上回ると判断された場合に、何らかの公共介入がなされたらそれでいいんじゃないか。つまり、公共介入を、出生率の低下から生ずる社会的コストが、例えば、いろんな推計の仕方があるでしょうけれど、1兆5000億あるとする。それに対して、公共介入は5000億ぐらいでできるならば、やって、そして、社会的コストがあまり上がるのを抑制していくという、そういうような政治的判断でやっていくのが私は無難だというふうに考えています。ただ、そのコストの計算をどうするかというのは非常に難しゅうございますけれど、ある程度フィクションが入っても仕方がないのではないかというふうに、私は考えております。
2番目の、出生率の低下に対する教育面からの改善策というは一体あるのかというと、私は3つあると思います。わが国におけるいわゆるシングルマザー、婚外出生率の割合というのは、これはこの間の阿藤先生のご発表にもありましたように非常に少のうございます。1%を切っている。イギリスとかなんかでは50%とかなんかになっている。日本は非常に低いと。この実態がよくわかっていない。この実態を明らかにするとともに、婚外の出生・育児を許容して、それを支援する施策を積極的に考えてはどうかということでございます。
私がこういうことをここで述べますのは、放送大学に移りまして、私がぶつかった卒業研究の女性のうち3人がシングルマザーでした。つまり、小さなコンピューター会社をやっている人、それから、これはある学校の事務を勤めている人、それからもう一人は、やはり同じような小さな企業を経営している人。彼女らに、まだできないんですけれど、一緒になって少し卒業論文にシングルマザーの研究をやってみなさいと言ったら、やると言うので、今、調査をしているんでございますけれど。やはり日本の場合には、社会的なプレッシャーが非常に強い。
つまり、まず「お前のお父さんは誰だ」ということをよく聞くんですね。それから、誰だとわかったら、「お妾さんか」というふうになる。つまり、日本というのは、まだ不倫だとかイチバツとかいう言葉が流れておりますように、そういうものに対しては、ある意味では制裁が、フォーマル、インフォーマルに、インフォーマルに非常に強いんですね。それがある意味では、日本の家族の正常な機能というものを守っている面もあるんですけれど、これから、それはどう動くべきかということを考えますと、もう少し許容的に支援してもいいんじゃないか。
支援措置というのはいろいろございます。確かに母子家庭に対して支援措置はありますけれど、だけど、それ以上のモラルサポートみたいなものも必要なのではないか。そうかといって、このシングルマザーというものを何十%まで増やすのが社会にとってプラスかどうかということは言えませんけれど、だけどやはり女性2人で一緒になって子供を1人育てるとか、そういうシステムがあってもいいんじゃないか。そういうものをやはり教育の面からみると、これは文部省の大西課長あたりに怒られると思うんですけれど、母親学級とか家庭学級の中で、この問題を考えていくといいますか、みんなで考えていくとか、そういうような、それこそ河合先生が言っていました、みんなが好きなことをやって楽しく生きれる社会というものを作るためには必要なんじゃないかと。そのへんを考えまして、私は3人の放送大学の学生を非常に大事にしまして見守っています、ただ、1人は体を壊してしまいまして、やはり相当無理があるのではないかということも感じているんですけれど。
そういう日本の場合の婚外出生・育児というものをどういう形で見ていくか。まず、実態の把握というものが非常に大事である。ですから、どういうサンクションというものが周りから起こっているのか。どういうサポートが実際に今、与えられているのか。そんなことをやはり考えていくべきだというふうに思います。それが1番です。
それから2番目はやはり、いろんなところの調査はみんなそうなんですけれど、「なぜ理想の子どもの数を持たないか」という理由に、大体7割近い人々が、育児と教育にお金がかかるからと答えているわけですね。実際いろいろなところで教育費総額というのを勘定しているんですけれど、これがやはり非常に高いわけですね。ここに書いておきましたけれど、これもいろんなところで出した数字によってみんな違うんですけれど、家計の可処分所得の3割から4割近くに上ってしまう。これは、やはり日本の場合は特に高等教育が私費負担が非常に大きゅうございまして、公費負担というのは、まだGNPの中の比率では日本は、ここに書いてありますように3.7%ぐらいで、これは先進国に比べると、公費負担は少ないと。やはり私費負担というものによって子どもの教育というものが行われている。これが、子どもが少なくなればなるほど、それこそ中国ではございませんけれど、教育費をかけるようになる。子どもにかけるようになる。今はもう、教育産業というものが、子どもが小さいときから才能教育なんかを売りつけまして、みんなプールや何かにやったりなんかして、パッケージみたいなのができておりまして、非常に金がかかるようにできている。それを見ると、「ああ、もう嫌だな」と思います。それから、5、6人産みますと1人ぐらいは少し頭のいいやつが出ますけれど、1人子供を産んだら、そうすごい子がパッと生まれることは、まずございません。ですから、その1人の子どもにお金をかけて、なるべく立派な有名校にでもやろうとすると非常にまた金がかかる。
こういうのが悪循環になっておりまして、この6割近い人々が、「お金がかかるから、子どもは理想的な数じゃなくて、せめて1人か2人、3人目はどうしてもやめます」というような、そういうようなことになっているのではないか。だから、これだけかかる教育費を抑えるか、それとも何か公的に援助をするかの問題が出てくると思います。
今は国立の授業料もどんどん上がってきまして、ほとんど私学と差がないぐらいに近くなっております。こういうところもやはり考えていかなくてはいけないのではないか。そして、やはり公的な教育費というものは先進国に並ぶぐらいの比率を出していくのが当然じゃないかというふうに考えます。このことによって、少なくとも少しは子どもの数が増えていくのではないか。
それから3番目は、生涯学習政策というものが推進されてきて、生涯学習政策というのは非常にいい点もあるんですけれど、非常に計画ができにくい政策でございます。なんでも生涯学習に問題を入れておけばいいというところがございまして、社会教育も学校教育も、生涯学習化によってある面ではいい点もあるんですけれど、何かそれぞれのファンクションがクリアにならないところがちょっと出てきてるんですね。
私、マクロに見てみますと、「親業教育」という言葉はちょっと悪いんですけれど、これがやはりやられてないんじゃないかと思います。生涯学習の一番大事なのは、親というものがまず子供を産んで、どうその子どもをしつけたりオリエンテーションを与えていくかという、このスタートが生涯学習の原点だと思うので、こういうところの教育がちょっと薄いのではないか。文部省さんも厚生省さんも、厚生省さんは母親学級、文部省さんは家庭教育学級の中でおやりになっておりまして、データを見ましても、毎年、百何十万かの人々がこの家庭教育で学習をなさっていらっしゃるんですけれど、そのカリキュラムが、私は何かちょっと希薄であるというか、本 当の意味での生涯学習の原点を作るという気迫に欠けているというか、そういう面がございます。それから、中でも男女共同参画社会における親業教育、つまり、男親も女親も同等にというか、平等にというか、助け合いながら子どもを育てていくという、そういうパンチの効いたカリキュラムというものが必ずしもできていないんじゃないか。
そのへんを考えたら、少なくとも3割強の人が言っている育児の心理的、肉体的負担に耐えられないという、この答えに対して何らかの解決の道を示してくれるのではないかというふうに考えております。
このくらいしか、少子化対策というものに対する教育の役割はないと思うんでございますけれど、次に、少子化社会というのは、もう必ず出現する。これは必ず出現するわけでございます。
この少子化社会で一番大事なのは、私はやはり教育の問題が一番大事だというふうに考えます。我田引水ではないんですけれど、この少なくなった子どもというものをどういうふうに教育したらいいのか。自分の家庭でも一人っ子が生まれて、それがぐれたり何かしたら、これはどうしようもない。一人っ子が生まれたら、何らかの形でぴしっとよく育てておかなければだめでございまして、それにはそれ相応の教育というものを考えていかなくてはいけない。
この場合、今まで日本は量の教育でございました。どっちかというと量の教育。割合に学校規模も大きくて、学級の子どもの数も大きいけれど、いい教育をやっている。国際比較の学力テストをやると、日本は、今はちょっと下がっているんですけれど、10年ぐらい前はイスラエルが1番、その次の調査では日本が1番というような形で威張っていたんでございますけれど、そういうような教育をやっていった。これには非常に日本の行政の努力とか、教師の努力というものが非常にあった。それから、家庭の協力もあったと思うんですけれども、そういう教育をやっていたけれど、やはり量の教育ではなかったかと思うんです。
それが少子化社会になってきますと、一人ひとりの子どもの能力とか適性を大切にする教育。個々人の、付加価値という言葉は使いたくないんですけれど、個々人の付加価値というものを教育によって高めていくということが大事だと思うんです。
この右側に挙げたのは、これは悪名高きIQの分布でございまして、私、IQというのは割に信ずるほうなんでございまして、マクロで見ると、IQというのは非常によくその人のキャリアを予測いたします。僕は、ひとひどのキャリアを予測する一つのファクターを挙げろといったら、IQを挙げます。IQがその人のサクセスとか成功、失敗、適応というものを非常によく当てます。最近、「ベルカーブ」という本が出たんですが、この中から引用したんです、ベルカーブという本は、これは公民権運動が非常に激しい時期には出なかったんでしょうけれど、今、やはりアメリカでもそういう動きというのは非常に冷めてきまして、冷却化しまして、こういう本が出ました。この本というのはどういうことかというと、結局IQというものがその人の社会的適応を決める一番大きなファクターであるということです。 最近はEQも出ましたけれど、IQだと。はっきりいいますと、IQが70のホワイトと、IQが同じ70のブラックとは、同じ職業的なアチーブメント、学業的なアチーブメントを達成するんだと。ですから、人種が問題ではなくて、IQが問題であるという、そういう本でございます。昔だったらたたかれたんですけれど、これが今、非常に読まれております。この分布をとったんでございますけれど。マクロから見ると、IQというものを考えて少子化問題も、表にはあまり出せないんですけれど、対策を考えなくてはいけない。
そうしますと、やはり人口の中のいわゆるクリームの部分と言われている、ベリー・ブライトとか言われているこの部分というものの絶対数がどんどん減るわけでございます。ですから、人口の多い国というのはこのブライトの部分の数が非常に多ございまして、これが方々に散っていくと非常に大きな力を発揮する。中国は一人っ子ですけれど、あれはやっぱり人口のベースが大きいですから、同じ中国の大学生と日本の大学生を比べてみると、IQが非常に違う。それはやはり非常にいろんな面でこれから国際化して、日本の若者たちが国の外へ出てやり合う場合に、下手をすると負けてしまう。このブライトの部分、クリームの部分が少なくなった国というのは、やはり非常に危険である。クリームの部分を何とか教育によってより付加価値を高めていくことが大事ではないか。ブライトの部分も、IQというのは大体、プラスにならないからIQなんですけれど、IQ110の人は115ぐらいを働いてもらうぐらいのパワーアップといいますか、付加価値というものをつける教育というものが必要ではないかというのが、このIIの一番最初の課題でございまして。要するに教育の質を変えろと。教育の質というものを向上させなかったならば、少子化社会というものになった場合の日本の明日はないということでございます。中国とかインドだとか、ああいう国はこの部分が非常に大きいので、それだけでひとつの人口というものがパワーを持っている。人口のパワーというのは、このベリー・ブライトだとか、このへんの部分の絶対数というものが非常に大きいということは、遺伝決定論みたいなんですけれど、考えておかなくちゃいけないんじゃないかと思います。
やはり教育の質を高めていくために、第一に「適能教育」の徹底ということを挙げました。わが国の教育は、これまでは平等主義理念のもとに、教育基本法の「すべての国民は等しく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならない」の「等しく」に重点が置かれまして、この「能力に応ずる」を軽視した教育が行われてきたと思います。その平等主義的教育でボトムアップして、全部の学力水準を高めるという点では非常に大きく貢献したんですけれど、突出した部分というものを作るとか、それから、一人ひとりの能力適性に応ずる教育というものが必ずしも十分ではなかったんじゃないか。そういうことを考えます。
私は、一人ひとりの能力適性に応じることを「適能教育」というふうに名づけたんでございますけれど、まだ「適能教育」というものに対する世論の抵抗というのは非常に大きくございます。今、中教審で問題になっている「中高一貫教育」というもの、それから数学、理科のできる子どもたちに対する「飛び級」の問題でも、やはり支持する世論というものがなかなかついてこない。
「中高一貫教育」というのも、あれも、はっきりいってこれはエリート教育なんだということを言えばはっきりするのですが、それを言うとたたかれるので言わない。言わないでもじゃもじゃ言っているから、ますますわからなくなってしまう。
それから、スキッピングの教育の飛び級の問題でも、最初は数学学会は賛成していたんですけれど、急に後になって「あれは反対だ」と言い出すようなことも出てくる。つまり、日本の場合は特に、公教育の中でエリート教育とか才能教育をやるということに対する反対の世論が、戦後、非常に強くなったわけですね。戦前は公教育で日本はエリート教育、才能教育を本当にやっていたんでして、例えば旧制高校の方々というのは非常にエクスペンシブなエリート教育をやって、そして帝国大学へ進んだ。3年の旧制高校と3年の帝国大学。ああいうものをやめまして、国とか公共というものがエリートとか才能教育をやらない、やっちゃいけないんだという、そういうような何か議論が出てきたと思うんですね。そのかわり私学ではやっていい、私立ではやっていいというのはやはりあると思うんです。だから、教育費がうなぎりぼりとなる。そのへんがやはりこれからの問題で、私は、公的な、パブリックな教育の世界の中でも「適能教育」を徹底することが大事だというふうに思います。
そういう中で、日本の少子化社会の中で非常に変わってくるのは、一つは高等教 育というものが普遍化するということでございます。この3枚目に述べました文部 省の大学・短期大学の予測でございますけれど、21年度のここのところを見ます と、大体これは全員入学といいますか、全部が入れる。志望した人が全部入れる。 それも、進学率は6割近いということですね。6割近いということは、このIQ分布でいいますと、こちら側の100以下の人方もずっと入るということでございまして、昔は、高等教育へ入る人は大体IQ120以上。120以下の人はちょっと無理じゃないかということをプランニングしたのは、天城先生がやっていらした35年ぐらい前の審議会でした。これも、30年過ぎまして、少子化社会になってまいりますと、大学をつぶさないためもありますけれど、大学教育の普遍化というものが起こってきて、マジョリティが大学卒業者となって世の中に出ていくということとなります。
これがプラスに出るかマイナスに出るかということによって、少子社会の教育が成功したか不成功だったかということが決まると思います。ここで高等教育が非常に多様化して柔軟化して、入ってくる人々それぞれに、その能力とか適性に応じた付加価値というものを付けていけば、私は、日本の場合、特に、これからグローバルな形で起こる情報産業革命の展開に対しましては非常にいいマンパワーというものを出すんではないかという期待をしているわけです。
日本の場合、高度成長の前に高等学校というものがやはり普遍化しまして、高等学校の労働力というものがいろんな製造業のブルーカラーにずっと入っていった時期がありました。そういう学歴の革新というものが日本の産業界でも起こってくるだろう。
それで、受験戦争というものは、それは銘柄大学というのはございますから残ると思うんですけれど、今みたいな受験戦争とか受験のマイナス面というものは、この時期には相当小さくなっているだろうというふうに考えます。
こういうような大学・短大の普遍化システムの内部で、研究とか教育とか社会的サービスというものが多様化して柔軟化して行われるようになってくるならば、この高等教育の普遍化というものは成功するだろう。やはり、各大学が適能教育の原理に基づいて、学生に到達可能な目標と目標達成を可能にする教育方法というものを提示して付加価値を与えていく。卒業していく学生の質を確保することに全力を挙げていかなければいけないのではないかと思います。
学生の質というものは、出ていくときに決まるというふうな形になるのが望ましいので、大学・短大の提供する教育サービスの質的向上なしには、これは考えられないので、これから10年の間に、今、改革が進んでいる大学がどういうふうに変わっていくか。どういうふうに入ってくる少子化社会の学生たちに付加価値を与えるかということでございます。
ただ、心配なのは、日本の場合、大学・短大、それから大学院の構造を見てみますと、短大が、何故か知りませんけれど、みんな4年制に傾斜しまして、ものすごく短大が少ないんです。それから、大学院もまだ少ないんです。アメリカと比較しまして、このストラクチャーが非常に違う。アメリカはショートサイクルのエデュケーションとしてのいわゆる短大に当たるものが、たしか30%あります。大学院が17%、学部が53%です。日本の場合は、これが非常に違いまして、学部が72%で、短大が15%。短大構成が15%ですね。大学院が5.5%、その他8%ぐらいですか。非常にアメリカとストラクチャーが違うんですね。特に私は、短大をなぜあんなに4年制に雪崩を打って傾斜していって4年制大学にしたかということに対して、私は非常に疑問を持っているんでございます。これは大学経営者がそういうふうにしたいというふうに言っているので、文部省がそれを押さえることができなかったと思うんですけれど、何かストラクチャーの違いというものが、ちょっと不吉な予感を抱かせるのでございます。これからはやはり、ショートサイクルのハイエデュケーションと、それからやはり大学院の拡充というようなものが、日本の場合は非常に充実してくることが要求されております。
大学院というのは、日本は一時非常に軽蔑しておりまして、特に文化系の大学院というのは非常に、あまりいい教育をやっていなくて、文化系の大学院に残る学生というのは、大体社会的適応があまりできない人が残ったものですから、文化系の大学院というのは信用がない。私もそうだったんですけれど、野村証券とかああいうところは、大体大学院を出たやつは絶対とらないとか何とか言ってまして、うちは何しろデスクの教育よりも現場の教育だとか言って、新入社員にまず入ったらすぐ名刺を300枚とってこいとか何とか言って、現場教育を信じそれをやっておりました。そしてアメリカは、マスター・オブ・ビジネス・アドミニストレーションとか、マスター・オブ・インダストリアル・アドミニストレーションみたいな、ああいう大学院大学があるからアメリカの経営者は大したことないんだなんて言っていたんですけれど、そのうちにだんだんと変わってきますと、アメリカでもヨーロッパでも、大学院学歴というものがエリートの学歴にいつの間にかなっていたわけですね。日本はそれに遅れた。そのへんをやはり取り返すということも、私は大事だし、この少子化社会の中で、そういう形で大学のストラクチャーというものを変え、大学の選抜入学者、それから教育の方法、それから卒業の評価、こういうものを変えながら高等教育の普遍化というものを少子化社会の中で一番いい形で着陸させるということが課題だと思います。
これに対しては非常に反対のご意見もございます。労働力が高等教育の中に閉じこもってしまうとか、いろいろ心配があります。ですけれど、これからは、高等教育も生涯学習化しておりますから、社会人がどんどん入ったり、それから学生も、ストッピングアウトという形で、何年か出て、また入ってくるというようなシステムができますから、そういう形では、非常にクローズドなアカデミックな世界というのじゃなくて、やはりオープンな高等教育の普遍化というものが見られるだろうというふうに感じております。
それから、次に、高等学校教育の構造改革でございます。高等学校では、日本の場合、よく言われている普通科と職業科(職業科というのは専門学科というのですけれど)に加えて、14期の中教審答申によって出てきた総合学科という新しい第3の学科が登場いたしました。
これは、アメリカと違ったコンプリヘンシブスクールでございまして、アメリカみたいに好きなものをアラカルトで取らせるんじゃなくて、本人のキャリアと結びついた教科の選択制です。システムを持ったサブカリキュラムの選択制を入れた学科でして、この第3の学科が登場いたしました。
私もこれを作るのに関係したんですけれど、そのとき、一生懸命やった元気のいい寺脇という課長さんが、「今にこの総合学科を高等学校の6割にしてみせるんだ」ということを言っておりましたけれど、まだ今、70ちょっとですね。80弱ぐらいなんですけれど、非常にそれでもよく展開して、高等学校の構造改革というものは進んでいる。そういう点は、少子化社会にむしろ先取りしたといいますか、マッチした教育のシステムが高等学校教育の構造改革の中で見られているということが言えると思います。
それから、4番目の義務教育段階の問題点です。義務教育段階の教育というのは、日本は非常にいいというふうに言われていたんですけれど、そのパフォーマンスに陰りが見られているということですね。特に国際比較の中では、日本は今まで1位か2位だったのが、3位ぐらいに下がってまいりましたし、数学と理科でございますけれど。それから、その下がった中でも特に、計算問題というような問題じゃなくて、考えさせるような問題につきましては、国際的な平均よりも下の点数を取る子どもたちも割合に出てきております。これは、今でもベスト3に入っているから立派じゃないかと言えばそれまでなんでございますけれど、理科について見ますと、科学の領域、地学の領域、科学の本質、環境問題、その他の領域での正答率というものが、国際平均値よりは高いけれど、理科全体の平均正答率に比べると低い。それから、選択形式とか求答形式の問題、つまり計算のような問題の正答率が高いけれど、しかし、考えさせる問題といいますか、記述式形式の問題の平均正答率が国際的に比較して低いものも相当出てきたということが見られます。
これはやはり、一つの日本の誇るべき学力パフォーマンスの陰りというものをあらわしているので、これが少子化社会になってきて進む可能性というのは、私は割にあるんではないかというふうに見ているので、このへんをどうするか。
それから、もっと恐ろしいのは、体力の低下でございまして、体格は非常に良くなったんでございますけれど、体力の面では、このあいだ行われた文部省調査によりますと、体力面では10歳の子どもですけれど、持久力とか敏捷性とか瞬発力が、1980年ごろまでは急激に上昇していたんですけれど、それが横ばいかストップし、むしろダウン傾向というものがはっきり見られる。
こういうことで子どもの体、こどもの基本的な体力というようなものが衰えてきている。大阪大学の生田教授なんかに聞きますと、やはり戸外で遊ばない子どもというものが非常に増えてくるというか、子どもの数が減って、うちでも取っ組み合いなんかしない。それから、仲間集団が少なくなってきて、外へ出て遊ばない。家でテレビ見たり、パソコンゲームなんかをしているんだと。こういう子どもたちが増えている。田舎でも、ほとんど今は車で学校へ送る親が非常に多ございまして、むしろ「中高一貫」の東京の子どものほうが、混んだ電車に乗っていって体が丈夫になっているというようなこともあるんじゃないかと思うんですけれど、そういうふうに、こういう面で陰りが出てきている。特に体力面では、これは明らかに少子化というものとの結びつきが大きいというふうに生田教授は見ておりまして、こういう陰りの面というものが日本の誇るべき義務教育のパフォーマンスの高さというものの中から見えてきている。これが少子化社会になってもっと大きくなってくると、非常に問題になっていくのではないか。
それにはどうすればいいかというと、やはり教育の質を変えていくということだと思うんですね。特に、その場合、大事なのは教員でございまして、教員というものが少子化社会の中でどういうふうになっていかなくちゃいけないか。
少子化社会になってまいりますと、小規模校が増えまして学級数が非常に少なくなります。それは非常にいいことなんですけれど、私は学級というのは20人ぐらいが一番いいんじゃないかと思うんですけれど、非常に小さな学級というものがたくさん増えてくる。そうしますと、教師とのパーソナルなコミュニケーションというのが活発になって、非常に教育上プラスの面はあるんですけれど、教師が悪ければ、それは逆にマイナスになってくるわけでございます。
教員の問題は、定数改善、学級の定数を40人から35人にするというようなことも言われてるんですけれど、私はやはり、それはそれで減らしていったほうが国際的に見てもいいと思います。結果的には減らしたからどうということはあまりないんですけれど、実際問題としては。大体今、教師1人当たりの生徒数というのは国際的に、日本はそう多くはない。実態的にはそうなんですけれど、私は学級の定数というのは、ここで変えておいたほうがいろんな面ではいいんじゃないかと思います。そうじゃないと、例えば、学年の子どもの数が8人になってくると複式学級にならざるを得ないとか、そういうようなところが生じます。それから、適正規模の学校というようなものもよくわからなくなっております。
学校の数は減らないで小規模校の数がどんどん増えているというのが現状でして、 8人とか10人の学級というものも、特に人口5万人以下の市町村では増えております。これは、考え方によっては非常にいい面もございますので、さっきいいましたように、かゆいところに手が届くような教育ができる。それで教育の質が上がるんじゃないかという面もあると同時に、切磋琢磨がなくなる。それから競争というものがなくなってくる。特に競争というのは、これは、ある面では大事でして、こういうものもだんだん形が変わってきて、もっとパーソナルな張り合いみたいなものが出てくるんじゃないか。これは、インパーソナルな競争と違った教育的意味を持つと思う。
こういうふうに、少子社会になってくると、子どもの教育にとっての教師の役割というのは非常に大きくなってくる。教師というものを見てみる場合、私は日本の教師というのは非常に優秀な教師だと思うんですけれど、やはり少子化社会の教師というのは、大勢の子どもを扱った「伝達的な教育」というものをするんじゃなくて、もっと子どもの一人ひとりの能力とか適性とかを伸ばすような、そういうような教育というものがうまい教師でなくちゃいけない。言ってみれば、吉田松陰みたいな先生。吉田松陰という人は、松下村塾はたった1年だったんだそうですけれど、非常に多くの人材を育てた。あの教育というのは何かというと、あれは褒め殺しの教育でして、何かみんな褒めるんですね。そして自分も学習している。つまり、これからは教師が生涯学習者であり、そして、生徒たちと同じ学習する立場に立って子どもを教えるというような教師の意識改革というものが必要になってくる。と同時に、教師の学歴を上げておく必要があるというふうに考えます。
今は看護婦さんがどんどん学歴のグレードアップをやっているんですけれど、日本の教師のほうは、それほど元気が、今、ないんです。大蔵省が、また文部省をいじめまして、定員削減とかやっていまして、5千人を1万人に上げたりなんかしているんでございますけれど、私はやはり日本の教師というものの学歴というものをアメリカ並みにしなきゃいけないんだと思います。つまり、義務教育の先生の5割くらいは修士課程を出た人にしてほしいと。でないと、今は、少子化社会になって子ども1人で、お母さんが高学歴なんていうと、短大卒とか大学卒の先生だったら、かなわないんですね。そういう親を説得して、そしてきちんとした教育をするには、やはり教師の学歴のグレードアップというのはどうしても必要になってくる。
なかなかこれも、主張しているんですけれど、なかなかうまくいかないんです。 このままいっても、あと10年たっても、おそらく義務教育の段階での修士卒の率というのは、教師の間の2%いくかいかないか。今こそ国立の教員養成学部が、学生の定員が少なくなってフーフー言っているときに、思い切って10年計画で日本の教師の修士課程へのグレードアップというものに取り組むのが、大事じゃないかと思います。じゃないと、少子社会の教師というものが求められている資質というものがなかなか得られないということを考えております。
それから、もう時間がなくなりましたので取り急ぎますけれど、次は教育課程についてでございます。教育課程については、これはやはり、少子化社会になってきますと、今、文部省が改革している方向なんですけれど、なるべく大綱化して、そして子どもの能力、適性に合った教育プログラムを教師が学校ごとに作る、学級ごとに作るという、こういう方向に行くべきであります。これからの公教育というのは、やはり少子化社会の中では公共財としての学校教育の価値が上がると思うんですけれど、「教育の自由化」じゃなくて、「自由な教育化」というものが公教育の中でもっとできるような仕組みにすることが大事だと思います。
学校教育というものは、基本的には国民の統合化と多様化と個性化というものを バランスよく保つということに尽きるんでございます。国民の統合化というのは、これは、何か言うと中曽根さんみたいな響きがあるんですけれど、ネーションステートとして生きていくには、国民というもののイメージというものを、もう少し教師もはっきり持っておくべきじゃないかというふうに考えます。こうして統合的な教育の機能をペースとして、それから多様な教育の機能と、個性化の教育の機能というものを、少子化社会の中でバランスよく、そして透明な形で、それから洗練された形で遂行できるような、そういうカリキュラムが大事じゃないかというふうに考えます。6番目の、余剰化した学校施設の利用。これは、学校の統廃合とか、それから学校そのものの中で使っていない空き教室というものが出てまいりまして、そこを福祉の施設や、福祉の活動が使うというようなことが行われております。 それは、悪いことじゃないんですけれど、やはりこれら新しい利用者と学校側が 相互に教育的価値を付与した形で利用するということが望ましいんじゃないかと思います。ですから、デエステイというもののために学校を使う場合でも、単に学校の今までの機能と全く違った機能というものがギクシャクして併存するんじゃなくて、やはり教育機能というものを向こうにも付加して、こっちも新しい教育機能というものを遂行するような利用の仕方が望ましいんじゃないかということでございます。それから、地域、家庭にみられる少子化と教育でございますけれど、地域、家庭における総合的な教育力を高める施策を実施するとともに、地域や家庭の教育力が及ばない子どもがないような公的システム作りが必要じゃないかと考えます。5日制というのは、いい家庭の子どもにとっては、あれは非常に教育上プラスになるんですけれど、5日制で帰ってきても、家庭でうまく子どもがキャッチできないそういう人々というのは、まだ6割ぐらいおります。6割か7割いる。そういう人々にとって、やはり子どもがうまく育つといいますか、少子化された子どもが育つためには、努力が要る。つまり、5日制になってきますと、学校の中での音楽祭とかの、感性的な教育の面、それから学校行事というものがどんどん減りますから、そういうコレクティブな感情を育てたり、子どもの感性を育てたりする、そういう情操的な面の教育というものをやる、そういう社会教育と学校教育の連携の場というものを作っていく必要があるんじゃないかという気がいたします。
それから最後は、これは私の持論で、文部省には非常に嫌われているんですけれど、少子化社会で、放っておきますと、子どもが減ったんだから教育費を返せって、みんなとられてしまいますので、少子化社会こそ、学制改革のチャンスであると考えます。6・3・3・4制というのは、私は、今の子どもの発達過程とずれていると判断します。
それから、6・3・3の3・3というのは、3・3で切ってやる教育機関というのは、いろんなスキッピングをするにも何をするにも非常によくない。数学とか物理の人々の飛び級を認めようとしても、3年だからだめだというような数学会の批判が出てくる。4・4・4制というものが私はいいんじゃないかと考えます。4・4・4制にすれば、3・3・3でスキップしていく人も可能になってきますし、今、1年生から6年生の子どもというのは非常に違います。6年生というのは、子どもじゃなくて、あれは性的にもほとんどの子どもたちが成熟しております。そういう人々を一緒にする必要はない。4で区切って、後は4・4・4にして、そしてスキッピングをさせるという、そういうようなことをして、生涯学習社会というものになじむ学制というものを作っていくチャンスじゃないかというふうに考えます。
少子化社会こそ、相対的に教育の資源が余っているというか、豊かになっているときですから、座して資源をとられるよりも、新しく攻撃をして、まず学制改革をやるというぐらいな意欲で少子化社会に取り組むということが大切ではないかというふうに思います。
教育史を振り返ってみましても、日本の学制改革というのは、やはり経済的には一番苦しいときにやったものです。経済的に苦しいときに教育改革をやって、その実りが何10年後かに来たんだということを考えますと、今こそチャンスではないかという気がするわけでございます。
以上、雑駁な意見でございましたけれど、これで終わらせていただきます。ありがとうございました。

宮澤会長

どうもありがとうございました。それでは、質疑に移りたいと思います。お願いいたします。

網野専門委員

先生のお話を伺っていまして、やはりひとつ教育の質というのがかなり重視されたご発言かと思いまして、一応に参考にさせていただいたんですが。確かに教育の質というときに、これから子どもの数が減っていったときに、例えば数学とか理科とか、その面での英才教育的な部分、その必要性も私も否定するわけではないんですが、いわゆる学力的なそういう面の教育の質と、もう一つ、先生も終わりのほうで触れられていました感性とか、あるいは人間性と言っていいんでしょうか。その面での教育の質に陰りがあるのかとか、そういう面での教育のパフォーマンスに陰りが出てきているのではないかと。もしそのような疑問で見ますと、私もちょっとそれを肯定せざるを得ないような気持ちを持っている一人なんですね。
それが少子化社会の中で、結婚とか、子どもを産み育てることということへの、どうも魅力をそいでいるといいますか、子どもたちと触れても、あるいは大学で学生と触れ合っても、本当に目と目を見つめ合って、しっかり人間を理解し合っていくという環境がどうも、これは教育だけのせいではないんですが、非常にそのあたり危惧を感じる面があるんですね。
その場合に、先生がおっしゃられたような、例えばペアレントフッドの段階でいろいろな教育をする、社会教育、家庭教育、必要だと思いますが、本当に一生涯にわたっての学習という点でいいますと、学校教育の場で、あるいは地域、社会の教育の中で、そういう人間性を育てる、具体的に言えば、親準備性もそこに含まれていると思うんですが、そういうものがどうもなかなかうまく進んでないと思うんですね。それが結果的に、だからそれを少子化社会の対策に結びつけて、出生数が増えるか増えないか、それとすぐ結びつけるのではなくて、本当にそういう人間性教育というものをどこが、こういういろんな状況の中でどこが本当にしっかりやっていけるのだろうか。もし、そのようなあたりで先生のご見解がありましたら、聞かせていただきたいと思います。
麻生教授
大変難しい問題で。私、感性の教育というのは、5日制によっていろいろ学校の感性の教育の面がおろそかになる面を学校、地域、家族の連携でカバーすれば、それはできるし、今の子どもというのは感性の教育では、そうあまり力をつけているとは思わないんです。
ただ、人間性とか個性とか、人間性という場合、やはり私、問題になるのは、これは私個人の意見で、私、年取ったから非常に保守化したというわけじゃないんですけれど、やはり戦後の教育でやらなかったのは、さっき言ったエリート教育とか才能教育ですね。それと、もう一つやはり、本当の意味でモラルエデュケーションというものをやはりサボっていたと思うんですね。
どういうことかというと、戦後の道徳教育というのは、コミュニケーション型の道徳教育で、個人と個人の間の道徳ですよね。だから、廊下をガタガタ走るなと。おまえも、ここで勉強をしているとき廊下をバタバタ走っているやつがいたら嫌だろうと。そういう形で道徳教育を教えるわけですね。だけどやはり、個人を超えるものといいますか、何かそういうものに対する教育というのはなかったんじゃないか。戦前はそれが天皇制国家だったわけですね。
個人を超えるものに対する教育というものが本当の教育にとって大事なんですけれど、それは何かというと、やはり私は、国民国家とかそういうものをどう据えるかということに返ってくるんじゃないかなと、このごろ考えるんですね。
ご意見が違うかもしれないんですけれど。だから、つまり、献身とかそういうものを教えなきゃいけない。例えば、極端なことをいいますと、子どもを作らないというのは、ある意味じゃ、「種」に背くわけで、神に背くじゃないけれど、そういう、つまり、自分たちも養ってもらったんだから、自分たちも子どもを作っていくというのは一つのモラルですよね。
だから、そういう自分を超えるものに対する献身なり義務というものを、やはり教育で教えなかったんじゃないかと。
それで出てくるのは何かという、やはりネーションステートの問題で、そこでみんな、嫌だという人と、やれという人が出てくる。神様はいませんから、それでやはり、そのへんが私、非常に苦しいけれど、私は、ある形では、やはり非常にグローバル化し、国際化した中でも、ナショナルなアイデンティティというようなものを教育の中で教えていくべきいんじゃないかという気がするわけですね。教師たちもそれに対して確信が持てない。
だけど、私やはり戦後でいけなかったのは、私は、戦争で亡くなったわだつみの方々や原爆で亡くなった方々を単に戦争犠牲者だという形で、もう過ちは繰り返さないという形で葬ってしまったのが、あれがいけなかったんじゃないかと思います。
それからもう一つ、この間、村上春樹の「アンダーグラウンド」という本を読んだんですけれど、サリン事件のとき、あのとき、駅の人々が本当に命がけで献身的に働くんですね、地下鉄の人々が。ああいうようなものも、やはりひとつのどこかで教わったひとつのモラルエデュケーションじゃないか。
そういう人間性という問題と、モラルエデュケーションというものが非常に関わり合いを持っていてる。やはり一番日本の教育の中で曖昧になっているのは、モラルエデュケーションのコアみたいなものをどこに置くか。それから、学校でそういうものを教えるのがいいのかという問題。日本は家庭では教えませんですね。だから、そのへんのところが、人間性の教育とセットになって、モラルエデュケーションというものをどういう形で展開するかについて、私自身も自信ないんですけれど、私はやはり、何かの形でのナショナルアイデンティティが教育の中で打ち出す必要があるんじゃないかなという気がしているんです。だけど、あまりやると中曽根総理みたいになってしまうので問題なんですけれど。やはりある時期には考えなくちゃいけない。少なくとも、私たちが、私は昭和一桁なんですけれど、死んでいく場合には、何か遺言として残しておくべきじゃないかというふうに考えております。

河野専門委員

二、三、雑駁な質問がございますが。まず最初に、1ページの、最近、家計の中で教育に必要な費用が非常に大きくなってくる。家計の可処分所得の3割〜4割近くになったとありますが、これはやはり、受験戦争があって、塾とか予備校とか、そういうのに行くから、つまり裏の教育ですね。それがあるんじゃないかという気がするんです。ちょっと最初、質問だけ。
それから2番目は、日本でどのくらい、いわゆる人口教育といいますかね。よく途上国では人口教育というのがあるんですが、日本では逆の今度は少子化に対する人口教育みたいなものがほとんどやられてないように思うんです。地理なんかでは、日本の人口がどうだとかいうのはやりますけれども、もっと根本的なそういう、もし出生率が下がったら高齢化が進むとか、そういうような、あるいはどういう影響があるかというのがあまりないように思うんですけれどもね。だから、どのくらいあるのかなということ。
それからまた、日本には、これは我田引水ですけれど、人口学という講座が大学にございませんで、ですから、そういうのがない限りは、人口を教える先生もなかなか少ないんじゃないかと思いますけれども。
3番目はIQの話で、これは非常に、私もベルカーブというのは読んだんですけれども、非常にあれなんですが。ただ、これは、一歩間違うとちょっと危険なようなことになるんで、ナチスみたいに、そこまで、そういう意味じゃないと思うんですけれど。だから、子どもが少なくなると、ブライトも少なくなるけれども、ダルも少なくなるんじゃないかと。だから、そういうプラスもあるんじゃないか。
それから、子どもが少なくなる場合、いわゆる子どものあれによって、たくさん、8人も9人も生まれる場合のカーブと、2人とかいうののカーブは違ってくるんじゃないか。ブライトのほうによくなるんじゃないかというような、これは勘なんですけれど、必ずしも一定してるんじゃないんじゃないかという気がします。
4番目は、これはアメリカなんかですと、有名なブレストンというのがおりまして、だんだんこれから高齢化が進んで少子化になると、教育というのが衰退産業になると。そうすると、それこそブライトな人がだんだん教育界に来なくなる。そうすると、だんだん初等教育が悪くなってくるんじゃないかと。これは大変また、私は別に女性の差別とかそういうことではありませんけれども、非常に女性の教師の方が増えてきますね。女性の教師が増えるというのが悪いとは思いませんけれども、ある程度さっき言った厳しさとかいうのがちょっと教えにくいんじゃないかなという。別にこれは女性差別とか、そういうあれは何もないんですけれどね。そういうちょっと気がいたしますけれども。以上でございます。

麻生教授

お答えいたしますけれど。答えになってないかと思うんですけれど。確かにおっしゃるように、日本の教育費というのは、裏教育費というのが高いわけですね。だから、表・平等主義、裏・能力主義というか、そういう競争をさせて、それでやっているわけなんで。だから、人によっては、日本の国際学力の高さというのは、あれは塾がつけているんだという人もいましたぐらいなんです。
ただ、それはどうあれ、受験競争というものの激化みたいなものがあるんですけれど、逆に言うと、今は受験競争から下りている層というのも非常に増えているわけですね。つまり、もう勉強しないと。高等学校へ入ってからも適当な大学へ来ても勉強してないグループです。全然勉強しなくても何とかやれるという、そういう下りた層というのはだんだん増えてきているのも事実じゃないかと思います。受験競争に入っているのは人口のうちの、それこそブライトとかそのへんの部分と、家庭のいい人であって、あとの部分は下りだしたというか。だから、非常に偏差値競争によって、ばんばん加熱しているという面もありますけれど、下りる層が非常に出てきたという点も私はあると思います。そのへんも含めて教育費の問題は考えていかなきゃいけないと思うんですけれど。だから、もう少し階層ごとに見ていかなくちゃいけないんじゃないかと思います。やはり日本のは、階層の分析というのが、ちょっと今はあまりやられないんですけれど。今度、SSM調査がございますので、あそこでそういうのもやっておりますので、新しいデータが出ると思います。
それから、2番目の人口の問題ですけれど、確かに人口の問題については、私、社会科の教科書を分析したことはないんですけれど、人口の問題そのものを取り上げているというのは、少なくとも小学校ではないですね。中学校では、人口が多くなって困りますなんていうのはあるんですね、世界的に。だけど、少なくなって困りますなんていうのは、どこもないですね。それは確かに。
それから、日本の場合はやはり人口を、子どもを産みなさいとやっているのは、やはり家だと思うんですね。家信仰というか。やはり親というのは、早く子どもを産めとか、孫の顔が見たいとかというのはみんな言いますですね。あれが相当のプレッシャーになっているんじゃないかと。あれはやはり、日本の家の一つの価値規範でして、今でも相当強いんじゃないかという気がするんですね。だけど、あれが強いと今度は逆に、さっき言ったシングルマザーが出てこないと。そのへんのジレンマがありまして。私はやはり、子どもを産み育てるというのは楽しいことだというふうに考えると、婚外出産をふくめいろんな形で子どもを育てる人があっていいような気がするんですけれど、それはあまり言うと怒られますから言いませんけれど、やはり家とそのへんのところをどういうふうにバランスよく考えて、社会の秩序も考えてやっていくことが大事だというふうに考えます。
それから、IQの問題ですけれど、ブライトも減るけれど、ダメなほうも、ダメなほうという言葉は悪いんですけれど。ただ、ブライトというのは、やはりスピルバーグ効果が多ございまして、やはり天才というのはすごい大きな影響を与える。だけど、ダルはほとんど与えない。自分だけ。
ただ、私、一つ心配なのは、これは文部省の方には随分調べていただいたんですけれど、障害者というものが少子社会の中で増えるんじゃないかと仮説を立てたんです。いろいろ調べたんですけれど、なかなかはっきりしたことが言えないで、一応いろいろ統計はとっていただいたんですけれど。それから、障害者とかマイノリティの教育をどうするかというのはやはり問題でございまして、特に日本の場合は同和問題とかウタリ問題とかいろいろあります。それから在日の韓国人の問題とかいろいろあります。それから、外から来た、中国から来た人とか、そういういわゆるマイノリティ問題が少子社会でどういう形でなっていくか。
中でも私が問題になったのは、障害者というのは一体少子社会では増えるのか減るのかですね。あまり変わりないというのが、私が読んだ話ですが、人によっては増えるんじゃないかというようなこともありまして、そのへんの問題もやはり考えなくちゃいけないと思います。
それから3番目は、少子化と。4番目でしたっけ。衰退産業で、教育ですね。教育は衰退産業になるかどうか。これ、難しい問題ですけれど、今はだけど、はっきりいって、学校の先生になるほうが三菱銀行に入るより難しいですね。昔はそんなことなかったんです。昔は、われわれのころは、でもしか教師といいまして教師になったけれど。今は、例えば阪大の人間科学の学生でも、中学の先生になるほうが住友銀行に入るより難しい。ただ、難しいからっていい人が増えるとは限らないということも事実なんです。逆に、あまり難しいと、ばかばかしくて待っておれないというか。ただ、非常に難しくなってきております。
それから、確かにおっしゃったように、昔の高等学校の先生というのは、超一流の人格者でして、東大の教授なんかなれそうな偉い人が小石川の校長とかになっていましたけれど、今はなってませんね。そういう点がございます。
ただ、これからは企業に入ってもいかに苦しい目に遭うかということがだんだんわかってくるんで、大学にはいい人材が私は戻ってくるんじゃないかというふうに期待しています。今は、私がクラス会なんかに行きますと、私の年だとみんな首切られちゃいまして、かわいそうで。昔は大企業は見てくれたんですけれど、このごろ見ませんね。ほとんど放ったらかしですね。そうすると、「おまえはいいな、おまえはいいな」って言われますから。だんだん大学にはいい人が集まってくるんじゃないかと期待しているんでございます。

坂元委員

両方の先生にまたがる問題なんですが。私、妊婦が家庭にいて仕事ができるかどうか試してみたことがあります。少子化していますから。就業中あまり長い期間はとらないから、いいサンプルになると思って妊婦、分娩、産褥期を通じてどこまで働けるかというのをやらせてみました。ある程度の教養、先生の言われるようなある程度の教養を持っていた人、短大まで出た人であればコンピュータを使っての仕事は完全にこなしましたね。有休さえとればいいわけです。やめなくてもいい。したがって、3例ではありましたが在宅での雇用は考えられるんだと思いました。
ただ、一人の方は大変やんちゃな子どもさんがいて、だんなさんの助けがないと大変だったとは思いましたが、しかし、できますということをはっきり言っておりました。それは考えられると思います。
次に麻生先生は、先ほど最初に、シングルマザーをもっと推奨したらどうだと言われました。私、スウェーデンの教授といろいろ話したときに、両親がいてお父さんが亡くなった。お父さんはこういう人だった、こうだったというところで育った子どもと、初めからシングルマザーでお父さんは誰か子どもはわからないけれども、お母さんはいるという子どもで、心理的発達にどんな影響が出るかを調べてみると、後者の男の子に出てきたというのですね。女の子には出てこなかった。男の子が非常に優柔不断になってしまった。非常にナーバスになったそうです。ご夫妻で来ておられたので奥さんにも聞いたけれど、そのとおりだそうです。そのへんをどうしたらいいのかわからない。例えば50%は純シングルマザーであるとして、昔、と今を比較してどういう結果が出てくるでしょうね。興味があります。

麻生教授

ただ、国によって違うと思うんですけれどもね。プロパーのイギリス人とか何かよりも、向こうから入ってきている人々が多いですね。アメリカの統計は入ってなかったんですけれど。おそらく阿藤先生がよく知ってらっしゃると思うんです。ただ、どう育つかという問題でございますか。それは私、日本のその3例がどう育つかというのを考えなくちゃいけないと思うんですけれど。ただ、親はあっても子は育つ、親はなくても子は育つ。私、一つ非常にいい例を知ってるんですけれどもね。それを言うとやはりプライバシーの問題になりますので言えないんですけれど。ただ、日本の場合は、すぐ「親は誰だ、誰だ」というのですね。「親が誰だ、誰だ」と言ったら、僕は、「親は高倉健だと言っておけ」と言ったんですけれどもね。

坂元委員

教育費との関係でお聞きしたいことが一つ。今、義務教育は小学校と中学を対象にしています。ところが、幼稚園にも非常にたくさんの子どもが今、行っている。それから、高等学校。これもほとんどみんな高校卒業である。そうすると、一体義務教育として面倒を見る範囲は今のままでいいのか。大学に行くと、本当に自分でアルバイトをして、奨学金制度と両方で食っていける。それならば、義務教育というのは、ちょうど先生の言われた4・4・4あたりだとちょうどいいんですが、どこまで義務教育をさせるべきか。この問題があると思うんです。教えていただきたい。教課の内容は別として教育費補助の面が主体になりますか。

麻生教授

義務教育の問題というのは、やはり学制改革で取り上げなくちゃいけないと思うんで。今、日本は6・3でございますね。9年。実際は、中卒就業者の子どもたちというのは、同一年齢人口のほんの少しの、マイノリティですね。マイノリティが社会に出てくるわけです。基本的に言うと、あのマイノリティというのは、私、調査したことがあるんですけれど、あまり社会的適応はよくない。それから、結婚の相手が見つからないですね。だからやはり、一種の教育上の同和問題みたいなものが出てきていることは、確実に出てきている。
どうすればいいかということは難しいんでして、やはり政策の側の方は、今、高校へ行かない人というのは、あれは構造的要因じゃなくて臨床的要因だから、あれは福祉の問題だからあまり手をつけないほうがいいんだという考え方なんですね。
だけど、私はやはり、何か考えなくちゃいけない。というのは、義務教育が終われば国民の生活というものがエンジョイできるのがたて前です。今までは常に義務教育というのはマジョリティだったわけですね。初めて日本の社会の中で義務教育卒というのはマイノリティになったもんですから、すごいマイノリティになった。大体みんな芸能界だって、みんな学歴が高いんですけれど、やはり何人かいますけれど、やはり特別ですよね。学歴でないのに強いのはお相撲さんぐらいかな。いろいろありますけれど。
義務教育というのは、だけど同じ教育をプラスしてもだめなんで、義務就学という形で処置して、そして、その義務就学を支援するという形にしませんと、同じ教育を何年もやっていくというのは、やはり限界があると思うんですね。ですから、義務就学という形で伸ばすというのは賛成だけれど、義務教育という形で同じ教育をプラス2年、3年したら、必ずしもうまくいかないんじゃないか。だから、義務就学という形で処置するのが、外国でもそうだと思うんですけれど、そのほうがいいんじゃないか。だから、今のまま目をつぶって、つまりあれは政治の票にも何もなりませんから、みんな目をつぶっているんですけれども、あの子どもたちの追跡をしてみますと、これは下手をすると教育上の同和問題が、また次の世代で再生されるなという気がいたします。

坂元委員

それから、教育をする内容の問題なんですが、非常に長い将来を思えば、国際化が進むとして、世界の公用語になった英語を、コミュニケーションの道具として使える教育をしておくべきではないかと思うのですが如何ですか。

麻生教授

それは、全部画一的にそういうことはできないと思うんですけれど、汎用的な学力みたいなやつですね。どこでも通用するというか。そういう汎用的な学力というのは考えていって、やはり考えなくちゃいけないというふうに思いますですね。外国語とかコンピュータリタラシーとか。それから、もう一つ何かあると思うんですけれど。そういうことを考えて。

宮澤会長

ほかによろしゅうございますか。いろいろ大変な問題。今お話がございました、教育ひとまとめでなく階層別な分析がこれからは非常に重要であるということ。それから、教育産業という言葉が出てきました。これは、どういう方向にたどるのか。両方は非常に関係あると思います。教育産業といっても、家計支出に占める割合が多いというお話がございましたが、教育産業というのは、むしろレジャー産業じゃないだろうか。レジャー産業からいかに脱するかということは、これは教育の側からも重要でございますし、教育を取り巻く環境からも非常に重要で、そのへんの議論が、4・4・4にしたらいいのか、あるいは短大と大学院は重視して、これはIQであって、あとは適当にというようなことが突破口になりうるのかどうか、大きな問題でございます。少子化問題、みんなで知恵を出し合っていきたいと思います。どうもありがとうございました。
それでは最後に、事務局のほうで何かアナウンスがございますでしょうか。

辻政策課長

お手元に資料を配布させていただいております。これは、去る4月10日に東京商工会議所から、少子化対策に関する提言というものが行われておりまして、少子化について具体的に団体から提言が行われたというものでございますので、参考までにお配りさせていただいております。

宮澤会長

どうも、きょうは大変ありがとうございました。
最後に、次回のことについてアナウンスを申し上げます。次回の総会は、5月30日、14時に開催いたしまして、人口問題の社会保障への影響につきまして、東京大学の宮島洋先生にお話をお伺いする。それからまた、国立社会保障・人口問題研究所で現在作業をされております都道府県別の人口推計の結果、これについて報告をしていただくという予定になっておりますので、よろしくお願いいたします。
これで、本日の総会を閉会させていただきます。どうもありがとうございました。


問い合わせ先 厚生省大臣官房政策課
   担 当 真鍋(内2250)、齋藤(内2931)
   電 話 (代)[現在ご利用いただけません]
       (直)03−3595−2159

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