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第66回人口問題審議会総会議事録

平成9年4月24日(木)

14時00分〜16時30分

共用第9会議室

宮澤会長
お待たせいたしました。本日は大変ご多用のところをご出席いただきまして、ありがとうございます。ただいまから、第66回の人口問題審議会総会を開会いたしたいと思います。
最初に委員の出席状況の報告でございます。阿藤、木村、河野洋太郎、袖井、千葉、坪井、南、八代、宮武各委員、それから網野、岡崎、清家、高山、伏見各専門委員は本日はご都合によりご欠席です。その他の委員はご出席です。若干、遅れてまいる委員もいらっしゃるようでございます。
それでは、これから議題に入らせていただきます。いままでヒアリングを続けてまいりましたが、本日もお二方から議事予定にございますようなかたちでお聞きをするということになっております。
それでは、まず財団法人日本総合研究所の西藤沖所長から『少子化と地域問題』というテーマにつきましてご説明をお願いしたいと思います。
西藤所長は東京大学工学部をご卒業なさいまして、建設省、あるいは経済企画庁などを経まして、現在は財団法人日本総合研究所所長としてご活躍でございます。それでは、よろしくお願いいたします。

西藤所長

ただいまご紹介いただきました西藤でございます。ご専門の皆さんの前で少子化の問題について何か話すというのは、大変居心地が悪いわけでありますけども。特に私からは『少子化と地域問題』ということで、そういうテーマを中心にお話をさせていただきたいと思います。
レジュメのようなものと、参考資料ということで数枚の図表とをお配りしてあります。それらを使いながらご説明いたしたいと思います。
まず、少子化の地域社会に与える影響ということについてですが、やはり直接的には何といっても人口減少地域がどんどん広がっていくということであります。現状をちょっと見ていただければと思いまして、お配りしてある参考資料の図の1というのを見ていただきたいと思いますが。
この図の1は、全国に約3,200市町村ありますけれど、そのうち人口減少市町村がどういうふうになっているかということの1980年代からの推移を見たものであります。一番上のほうに点線の折れ線グラフがありまして、人口の社会減少市町村数と書いてあります。だいたい二千数百市町村で人口の社会減がずっと続いておりますが、最近は地方の社会流出がやや減少傾向にありまして。そもそも若年層が減少してストックが少なくなってきていると、あるいは中枢・中核都市というのをあとでご説明しますけれども、地方の県庁所在地等の中心都市の地域で社会流出が減少しているというようなことから、人口の社会減を示すような市町村の数はやや減り気味になっている。
しかし一方、下のほうにあります一点鎖線の折れ線グラフに示されておりますように、人口の自然減少市町村数というのは非常に急速に増加しております。ちょうど80年代の前半、約500市町村ぐらいが人口の自然減であったわけでありますけれども、合計特殊出生率が、このころ1.7台ぐらい。それから80年代の後半から急速にTFRが減少して、1.5〜1.4台になってきたわけでありますが、そういう少子化の流れにだいたい対応しまして、人口の自然減市町村というのは非常に増えてきております。
ご覧のように、だいたい500ぐらいであったものが、80年代の半ばぐらいから急速に増加いたしまして。94年の段階では1,769市町村。全市町村のうちの約55%が人口自然減になってきております。
そういうようなことで、人口減少市町村の数も94年で1,871市町村、全市町村の57.8%となっております。95年の国勢調査の結果では、90〜95年の間に1,927市町村、全体の59.6%が人口減少になっております。多分、今後の全国の人口動向から見ると、さらに今後は人口の減少市町村がかなり早いピッチで拡大していくのではないかと考えられるわけでございます。
右側の棒グラフは、人口減少市町村の地域的な分布を示したものでありまして。ちょっと小さな字で見にくいかもしれませんが、全国のうち中枢・中核都市という地域は、ここにありますように地方圏の県庁所在都市および人口30万人以上の都市ということでありまして。このうち中枢といっておりますのは札幌、仙台、広島、福岡という4つの地方圏の中枢都市ということであります。国土計画のうえで使っている言葉でありますけれども。
その横に1時間圏とあるのは、中枢・中核都市から1時間の範囲にある市町村でありまして、1時間圏外というのはそれ以外の市町村であります。棒グラフをご覧のように、中枢・中核都市から1時間圏外の、つまり地方の小都市とか農山村の地域で当然のことながら人口減少市町村の割合が非常に大きいということで、1時間圏外の地域については、ほぼ80%ぐらいの市町村が人口減であるということが読み取れるわけであります。
それから、ついでにその下の図2というのがございますが。この図2は、左側は人口減少市町村の分布を日本列島の上に表したものでありまして、右側は高齢者の人口比率の高い市町村の分布を表したものであります。
左側の図でご覧のとおりですが、中枢・中核都市から離れた地域、上の表現ですと1時間圏外でありましたけども、だいたいそういうところを中心に人口減少市町村が分布しているという状況がおわかりいただけると思います。
それから、右側の高齢者の比率の高い市町村ですけれども、この図でご覧のようなことで、例えば高齢者人口の比率が15%以上の市町村の分布というのは、だいたい人口減少市町村の分布に非常によく似ているということがおわかりいただけると思います。ちなみに、この1994年の全国平均の高齢者人口比率は13.9%、それから1時間圏外の市町村の平均の高齢者人口比率は18.8%となっておりまして、この図にあります黒塗りの地域はその比率が20%以上という、非常に高齢者比率の高い地域の分布であります。
ご覧いただけるように、人口減少市町村と高齢者人口比率の高い分布パターンが非常に類似しているわけでありますが、ある意味では当然のことであって、少子化が進めば結果として高齢化は進むわけでありますし、高齢化が進めば子どもが生まれなくなって少子化が進んで人口減少が進むということで、少子化と高齢化が地域的に同時に発生しているということであろうかと思います。
最近までの状況をご覧いただいたわけでありますが、その次に将来の姿について若干試算がありますので、それを見ていただきたいと思います。それは次のページの図3というのにありまして。これは、国土庁が現在作成している新しい全国総合開発計画のために試算をしたものであります。左側が趨勢型、右側が封鎖型となっておりますが、これは両方ともだいたい平成4年の厚生省の将来推計人口の低位推計に近い姿。したがって、今年の1月の新しい推計ですと中位推計に近い姿に対応するような合計特殊出生率を使って推計をしているということでありまして。この地域ごとの合計特殊出生率は都道府県ごとに変えてありまして、同じ都道府県の中にある市町村については同じTFRを使っているというやり方でやっております。
細かい説明は省略いたしますけれども、左側の趨勢型は性別、年齢別の純移動率を最近の移動率で一定と想定したわけでありまして。右側の封鎖型は純移動率をゼロとした推計でありますけれども。ご覧いただきますように、左側の趨勢型で見ますと三大都市圏や地方の中枢・中核都市から近い地域については、全体として人口はあまり減らない。むしろ1990年に比べますと、ほとんどトントンかやや増えているというようなことでありますけれども。下のほうの地方中枢・中核1時間圏外という、地方の小都市か農山村地域につきましては、かなり大幅に人口が減っていくという姿になっております。
これは2025年までの想定でありますけれども、2050年までを見ますと、最近の中位推計でも2,000万人ぐらい全国人口は減少するわけでありますから、その過程では1時間圏外という地方の小都市や農山村地域では、著しく人口が減少していくだろうと想定されるわけであります。
その次のページは、いま説明いたしました人口推計に基づいてピラミッドがつくられているんですが、真ん中の1時間圏外という地方の小都市や農山村地域のピラミッドだけちょっと見ていただきますと、90年には第一次ベビーブームの人が40〜44歳、それから第二次が15〜19歳で、そこのところは少し突き出ておりますが、しかし田舎の1時間圏外では第二次のところの15〜19歳、それからその上の20〜24歳というコーホートでは大学生の年齢に相当するわけで、大変流出しているという、非常に鋭いくぼみ状になっているということがおわかりいただけると思います。
2025年になると、若年層がずっと流出しているものですから、少子化が進んで若年層の年齢層のところの人口が非常にやせ細っているという姿がおわかりいただけると思います。
それから一番下に表がありますが、ここでも先ほど申しましたように地方中枢・中核都市1時間圏外の1990〜2025年までの人口減が全体で26%のマイナスとなっておりまして。ただ、この間では全国人口は3%しか減ってないわけでありまして。それにもかかわらず1時間圏外の広範な地域で26%減っていると。先ほど申しましたように、2025〜2050年までの間の中位推計の人口の減少が17%の減でありますから、多分、その期間については大変大幅な減少がこの地域で見られるであろうと思われます。
そういうことで、いま申し上げましたように2050年ぐらいまでを展望しますと、地方の小都市、農山村地域というのが、非常に広範な範囲でそうとう大幅な人口減をまねいて衰退をしていくということが言えるわけであります。また、いわゆる過疎どころではなくて、人口が小規模な町村といいますか、あるいは人口がゼロになるような町村。ゴーストタウンと言ってもいいかもしれませんが、そういった町村も非常に増えていくだろうと思われます。
人口5,000人未満の町村というのを集計してみますと、1960年には343市町村あったんですけども、95年国勢調査では677市町村ということで、ほぼこの間に倍増していると。95年の国勢調査では、1,000人未満の町村が、これは全部村ですけど42、1,500人未満でも約90ぐらいあります。国土庁の試算では、2025年までに現状のようなトレンドが続きますと、約40の町村が消滅するだろうと試算をしております。こういう勢いが続きますと、多分2050年には数百の町村が消滅していくだろうと考えられるわけであります。
そういった流れを見てみますと、人口減少地域の問題というのが当然出てくるわけでありまして。何といっても、まず自治体としての基盤が崩壊してしまうと。人口がゼロに近くなってゴーストタウン化する地域が広がっていき、やがてその地域が消滅してしまう。それはやはり長い間かかって蓄積された住宅や商店や道路、その他のインフラなど、蓄積されたストックが失われていくということでもあるわけであります。
そうした消滅までいかなくても、非常に若年層、青年層の人口減少が続くことによって、基礎的なコミュニティーサービスも失われていくという地域も非常に広がっていくだろうと思われます。非常に直接的な例では、消防の機能が失われていって地域の防災上非常に支障があるということが起こるとか、教育や医療も他の地域へ依存していくことになるとか、あるいは商店街が消滅するとか、高齢者の生活支援といいますか、支援が非常に難しくなる。こういうような地域では、高齢者のみの世帯とか、一人暮らしの高齢者というのが非常に増えると思われるわけでありますが、そうした支援をどんなふうにしていくかということも非常に大きな課題になると思います。
そういう点につきまして、参考資料の6ページ、7ページに鳥取県の智頭町というところで非常に注目すべき実験をやっているというのをちょっとご紹介したいと思います。
6ページのところにありますように、鳥取県の智頭町の「ひまわりシステム」というのがありまして。智頭町は鳥取県の岡山県境の中国山地にある人口1万ぐらいの町でありますけれども、智頭町の郵便局が音頭をとりまして、郵便局の外務員が毎日町内を配達で回るわけでありますけれども、そのときに高齢者や独居老人の世帯に立ち寄りまして、5の(3)のところにありますように、そうした高齢者の方々の世帯に立ち寄って、あらかじめ郵便受けに用事があるときには旗を立てておきますけども、そこへ立ち寄って福祉はがきを受け取ると。そのはがきにどんな用事があるかということを記入していただくわけです。
それはその次の7ページのシステム図というのを見ていただいたほうがわかりやすいかもしれませんが。真ん中のひまわりのような格好をしたのが、そういう高齢者の対象の世帯でありまして、郵便局から外務員が配達に行くついでに声を掛ける。それで用事があるときははがきを受け取って、それを役場へ届けて、農協だとか病院だとか警察署に必要があるときに依頼する。これは薬がいるとか、何か食料品が必要だとか、そういったような用事を受け取って配達をするというようなシステムになっております。過疎地域に孤立しているような高齢者世帯にとっては、毎日話ができるということだけでも非常に嬉しいという話を聞いております。
そういったようなことが1つの工夫として行われておりますけれども、この「ひまわりシステム」というのを郵政省では今年度から全国の45の地域でモデル的に実験をしてみるということを言っておるようであります。
それから、人口減少地域の問題のうち、森林・国土の保全機能の低下ということも非常に重要なテーマであろうと思います。人口ゼロ地域が広がっていきますと、耕作放棄地が増大するとか、森林の管理が行き届かなくなる、いわゆる里山に入っていく人がいなくなっていくということで、森林や国土の保水、あるいは維持管理機能が低下していくということが問題であろうと思います。こういう人口減少地域の問題というのが、ますます大きくなっていくということは明らかであります。
その次に、このヒアリングでグローバルな観点から最適人口規模というようなことを考えてみろというような設問がありまして。どうも最適人口規模というのをいろいろ確定することは非常に難しいだろうと思いますけども、グローバルな視点から資源・環境制約のもとでどんな問題があるのか。自然・環境制約と人口の動向との関係を検討してみるということは、非常に重要なことだと思います。そういうテーマについてごく簡単に触れたいと思います。
まず世界人口については、2050年までの増加が非常に問題だと。これは皆さんは専門家ですからご案内のとおりですが、95年に57億の世界人口が2025年には83億、50年には98億というふうに国連の推計では想定されているわけで。1995〜2025年までの30年間に45%人口が増えると。ちなみに過去30年は70%ぐらい増えたわけですけれども、今後30年は45%。さらに2025〜2050年までは約19%ということでありまして。その後は、世界の各国の合計特殊出生率が非常に急速に低下しつつあるために、増加率は著しく鈍化して、2050年以降になりますとわずかな増加が予想されているわけであります。
こうした2050年以降、世界人口がやや飽和状態になるというのは、専門家の間では常識だと思いますけども、一般にはあまり知られていないのではないかと思われます。
そうした人口と食糧との関係を見ると、これもお配りした資料をちょっと見ていただきたいと思いますが。4ページ。上の図は世界の穀物の生産と人口の増加を比較したもので、★印は人口なんですけど、これはだいたい30年間に約70%増えている。それに比べると穀物の生産量は●になっておりますけれども、だいたい2倍を少し上回るぐらいの生産増になっております。
そういうふうに人口増と穀物生産との関係を見ると、穀物生産のほうがかなり上回って増加しているという状況でありまして。それを反映して、下の図の食糧価格も長期的には低下傾向にあるということであります。
それから、その次のページに食糧の需要の予測が、これはFAOによる試算でありますけれども載っておりますが。世界の農産物の需要の過去90年までの20年間と、2010年までの20年間を比較しますと、将来の需要はかなり低下するだろうということで、先進国はもとよりですが、発展途上国でも鈍化をしていくと予想されております。これは人口の増加率が低下することも非常に大きな要因になっております。
さらにその先の2010〜2025年までの見通しも、その下の表に掲げられておりますが。2025年までの期間については、さらに食糧消費量の増加率が鈍化していくということになっております。ただし、サハラ以南のアフリカについては、食糧消費量が増加していく見通しでありまして。こういう結果を見てみますと、今後も人口増を上回る食糧の生産の増加が見込まれるわけでありますけれども、サウスオブサハラについては局地的に非常に問題が大きくなる可能性があるということを示しております。
ただ、こうした推計を見ますと、食糧危機というようなことでややセンセーショナルにその問題を提示する、やや意図的な情報操作といいますか、そういうビジネスのためとか、あるいは予算を獲得するために意図的にアナウンスメントをしているというような感じを持つわけであります。
それからエネルギーについては、原油や天然ガスの可採年数は40〜60年と言われているわけですが、ただ、確認可採埋蔵量というのはだんだん増えていくということも事実であります。2050年ぐらいを見ますと、この可採年数の期間に相当するわけで、このとおりですと枯渇してしまうわけでありますけども、先ほどのように確認可採埋蔵量がやや増加していくということで、枯渇しないまでも、しかしそうとうなコスト高になっていくということであろうと思います。したがって、新しいエネルギーだとか原子力や石炭にどう転換していくかということが大きな問題になると。
それから、ここには書いてありませんけども、環境については地球温暖化など、おそらく制約条件としては不確定ですけども、もっと厳しくなる可能性があるだろうと思われます。
いずれにしましても、資源・環境制約が厳しくて貧しい地域から、比較的資源・環境制約が緩やかで豊かな地域への人口移動のプレッシャーというのが非常に高まることは明らかだろうと思います。そういう意味で、グローバルな人口移動の潜在的なプレッシャーというのは非常に高まっていくということだと思います。
そういうことを考えますと、豊かで環境も優れている日本では、明らかに人口は減っていくわけですから、いわば隙間というのか、余裕のあるというようなことからいうと、そこへ大幅な人口の流入が起こってくる可能性があるのではないかと思われます。
時間がだいぶ少なくなりましたので、少し飛ばしていきたいと思いますが。次に出生率の向上対策は必要かどうかということで、これはいま申しました地域問題の観点から見ますと、ぜひ何らかの対策が必要であろうということで、どんなことがあるかということですが。保育所とか育児休業制度の拡充については、多分別の専門家の方がいらっしゃるので項目を挙げるにとどめまして。次の地方分散の加速というのは、要するに出生率の地域的な差が非常に大きいということで。例えば95年の全国の合計特殊出生率は1.42ですけども、東京では1.11と非常に低いわけで、沖縄では1.87。沖縄が一番高いわけですが。それから福島、島根、宮崎といったような地域では1.7以上の合計特殊出生率になっております。
ただ人口が地方分散をすれば出生率が高まるかどうかということに関しては、いろいろな議論があると思いますが、少なくとも地方では大都市に比べると住宅のゆとりもあり、子育てのコストも安いとかいうような要因がありまして、まあ魅力的な雇用の場が確保されれば、さらに分散が進んでいくというようなことで、出生率の向上に一定の効果があるのではないかということであります。
さらに3番目にありますUJIターンの促進は、そうした地方分散の一つの手段でありますけれども。資料の8ページに、ちょっと見にくい棒グラフが載っておりまして。これはUJIターンの施策として、どんなことを都道府県が市町村がやっているかというものであります。
下のほうの市町村というところでは、アンケートに対する回答数が465になってますけれども、ほぼ半分ぐらいの市町村が就職者に対する支援であるとか、住宅面での支援といったようなことをやっておりまして。それ以外にも起業家や自営業の後継者への支援とか、農林漁業を始めるものへの支援とか、教育・子育ての支援といったようなことをすでにやっているわけであります。こうしたUJIターンのための施策がさらに充実されれば、地方分散にとって有力な手段になってくると考えられるわけであります。
それから、その次に少子化に対応してどんな社会経済構造改革が考えられるかというようなご設問がありました。ここでは地域問題という観点から、特に(1)の新しい広域生活圏の形成というようなことに重点をおいてご説明したいと思います。
先程来申し上げましたように、人口がゼロに近くなって消滅してしまうような町村も増えてくるということからいいますと、そうした地域である程度の水準の基礎的な都市サービスを提供していくということのためには、例えば市町村合併を促進するというようなことによって、基礎的な地域単位と書いてありますけど、基礎的な自治体を再編成するといったようなことが必要になってきております。
参考資料の一番最後の9ページに地方生活圏設定図というのがありますが、これは建設省がやっているいろいろな施策をこの地方生活圏というような圏域を考えながら進めているわけでありまして。こういうような圏域を考えますと、ここでは全国に179の地方生活圏を設定をしておりますが、これは1つの例でありますけれども。この程度の広域の生活圏というものが1つの地域を構成する単位として考える必要が出てくるのではないかということであります。
基礎的な都市サービスといいますか、教育や医療、防災といったような機能も、この程度の生活圏を対象として供給していくということでありますし、また今後の地方分権の受け皿としての経営能力という観点から見ても、現状の市町村では非常に弱体であると思われるわけであります。
(2)にあります、少子化に対応した社会システムについても、例えば教育についてもいま申しましたような広域生活圏ごとに特色のある教育をしていくというような考え方をとっていくのが1つの方法ではないかということであります。
だいぶ時間を超過しそうなので、ちょっと飛ばしまして最後にまとめということでありまして。地域問題の観点からも少子化をスローダウンさせることが望ましいということで、現状のままでは地域社会の崩壊、また、これまで営々として蓄積してきたストックを無駄にしてしまうというような地域が広がっていくということであります。
それから、少子化の防止、あるいは多子化の推進に役立つようなシステム設計と書いてありますが、何らかの総合的な政策体系を構築することが必要であると。また、3番目に多子化を進めていくためのキャンペーンといったようなものも必要になっていくのではないかと。
政府が介入すべきではないとか、あるいは政府の介入は慎重に考えるべきだといったような意見も多いかと思いますが、こういう現状の事態を見ますと、躊躇している時期ではないのではないかということが率直な感想であります。
以上、簡単ですが説明をさせていただきました。

宮澤会長

どうもありがとうございました。それでは、ただいまのご説明につきましてご質問、ご意見、よろしくお願いいたします。

水越委員

少々、枝葉末節のご質問なんですけれども。先ほど智頭町の「ひまわりシステム」のお話がございましたけれども、その中で郵便局に届いて、それからさらに農協ですとか病院ですとか、依頼によってそれぞれのところにまた配達をされて、そこから届けられるということなんですが、だいたいこれは日数的には対象の本人のところにまで用事が到達するというのは、どのくらいかかるんですか。例えば1日とか2日でそれが可能なのか、かなり日数というのはかかるんでしょうか。

西藤所長

私どもヒアリングしたところでは、毎日配達しているわけで。ほとんど1日で注文に応えることができると。

水越委員

今日お願いをすると、明日届くというような。

西藤所長

そういうことですね。

水越委員

どうもありがとうございました。

井上委員

大変わかりやすいお話で、あまり質問がないんですが、1点だけ。この第4表でございますが、これは5ページの表でございますけれども。ここで人口の増加率がだんだん下がってくる。それに応じて食糧の需要もだんだん下がってくる見通しであるというお話で。食糧の不足を心配するのは、少し騒ぎすぎではないかというお話だったように承るんですが。
確かに需要側から見ますとそのとおりでございますけれども、問題は供給サイドでございまして。私も専門ではありませんけれども、最近ではFAOのデータによると人口の増加率と食糧生産の増加率がかなり近寄ってきているという話もございます。そうしますと、ここに書かれましたような人口、あるいは食糧需要の増加率を賄うのに足りるだけの食糧生産がありうるかどうかということが1つ問題になるかと思うんですが、その点、いかがでございましょうか。

西藤所長

すみません。説明をまったく省略をして、供給面には触れないで結論だけ申したようなことで恐縮だったんですが。
その前の4ページの図5というのを見ていただきますと、先ほど説明を省略したんですが、平均単収というのがありまして。この平均単収というのは□で囲った折れ線グラフになっています。この平均単収も人口の増加率をかなり上回って推移してきているんですね。これは潅漑だとか肥料の投入だとか農薬の使用とか、そういようなことによって平均単収が上昇しているわけなんですが。専門家のかなり多数と言っていいんじゃないかと思うんですが、それらの方の見方では過去ほどは平均単収の上昇は期待できないかもしれないけれども、何分人口増加率がかなり寝てくるわけですから、それを上回る程度の生産性の上昇は十分期待できると。世界全体として見たときに。局地的にはいくつか問題の地域が出てくると思うんですけども。
そういうこともございまして、さっき申しましたようなやや独断的な話を申し上げたわけです。
もちろん、その点については専門家の間でもいろいろ異論があることは承知しておりまして。ただ、かなり多数の専門家はいま申しましたようなことを言っているということをご紹介したと。

大淵委員

ただいまのお話は、世界全体の中の地域の問題、それから日本の中の地域の問題という、その2つの面があったかと思いますが、それぞれについて1つずつお尋ねしたいと思います。
世界全体の問題については、ただいま井上委員のほうからお尋ねがあったことと関連しますけども、食糧にしても、あるいは資源にしても、生産の問題ですが、実際問題としては分配により多くの問題があるのではないだろうかと。世界全体としては確かに食糧生産は人口増加率を若干上回っている。サブサハラだけはそうでない可能性がありますけれども、その他ではそうとう大きく上回っている。
とはいっても、だいたい資源問題、食糧問題というのは、地域的な偏在に大きな問題があるのであって、全体的にはよくても、特に先進地域では豊かであっても、貧しい地域で非常に危機的な状況があるわけでございます。そういう地域的な偏在と、あるいは分配の問題というものを今後解決していかなければ、たとえ全体として問題がないように見えても、やはり問題としては依然として残るのではないかというのが1点であります。
それから、日本の地域内の問題として申しますと、詳しく地域人口の再生産力がすでに落ちているという話がありましたけれど、現在のこの状況を見ますと、最初に確か若年人口のストックが農山村などでは尽きてしまって、したがって自然増加がマイナスになってしまうという状況が表れているんだという、そういう意味のお話があったと思います。
これを回復させるというのは、生半可な対策ではとうてい不可能なことであります。一番最後の図7でいろいろな支援、施策というものが試みられていましても、この程度のことではとうてい若年人口が帰ってこない。いまの農村というのは非常に高齢化が進んでいて、要するに子どもを生むことのできる年齢の人が非常に少なくなっているわけですから、その若い人を戻さなければならないわけですけども、これは非常に難しいというか、不可能な状況である。そういう若い人を雇用する場といいますか、吸収する産業がない。これをどうするかというのが大変難しいのではないかと思います。
関連して、農業の就業者が非常に高齢化して、45歳以上、50歳以上というところがもう6割ぐらいでしょうか。このままでいきますと、日本の農業は崩壊してしまいますから、食糧の自給能力という点でも大きな問題ではなかろうかと思いますので、これは本当に何とかしなければならないんですけど、これが果たして可能なんだろうか。そういう意味では悲観的にならざるをえないわけなんですけど、ご意見をいただければと思います。

西藤所長

どうもありがとうございました。第1の世界の食糧の問題、平均的な生産の問題よりも分配や地域的な偏在に問題があるというご指摘、まったくそのとおりだろうと思います。ただ、私がここで申したかったのは、地域の問題についても、例えばアメリカのレスターブラウンが中国の食糧危機について、非常に過大な需要の伸びを想定してやや危機感を煽っているというような、そういう風潮があるということを申したわけで、実際は中国も見方はいろいろあって、レスターブラウンのような話には決してならないという主張をされる方も多いわけでありまして。そういう意味で申し上げたとご理解いただければと思います。
それから、農山村や小都市に若年層を呼び戻すということは、ご指摘のように非常に容易ではないことでありまして。UJIターンの施策も実際にはややチマチマした施策でありますから、その効果というのは非常に限定されているというのは現状だろうと思います。
しかし、現在、政府がつくっている新しい全国総合開発計画でも、そういった地域を多自然居住地域と称しておりまして、そういう地域にいかに魅力的な居住空間をつくっていくかということが1つの課題になっていると思うんですけども。
例えばテレワークのような情報化が進んで進展していけば、大都市にいなくても例えばインターネットを通じて世界を舞台に仕事ができるというような、そういう可能性も出てくるわけで。大都市にしか魅力的な職場がないということではなくなっていくんだろうというような希望的な予測もあるかと思うんですが。
しかし、ご指摘のようにただ呼び戻すだけでは非常に難しいわけでありまして。 おそらく総合的な対策が必要だろうと。それからもう一つは、やっぱり全体として少子化をスローダウンさせるといいますか、何とかもっと子どもを増やしていくという全体のレベルアップがありませんと、地方の農山村地域だけの問題ではなくて、全国的な問題としても捉えていく必要があるかなという感じがしております。

宮澤会長

全体的な意味で1つだけお聞きしたいんですけども。人口減少社会の問題を考える場合の、人口の地域格差の持つ全体の中でのウエイトづけとか位置づけをどう考えたらよろしいのか。例えば、少子化へある対応策をとっていく場合に、その人口減少政策一般でなくて、やっぱり地域に即したかたちでそういう政策がとられなければならないというものの持つウエイトは、例えば5割ぐらいはそのくらいだとか、そういうことで考えたらいいのか。それともそうじゃなくて、地域の人口対策というのはやや次元が違うんだと。政策体系としては別個の政策体系として位置づけたらよろしいのか。そのへん、全体の人口減少対応について、もし量的な関係でウエイトとして考えるべきなのか、あるいは位置づけですね。質の違う。両面あるのかもしれませんけど、そのへんはどう整理したらよろしいですか。

西藤所長

会長のご質問は非常に難しい、特に定量的な判断というのは非常に難しいと思うんですけども。
やはり少子化対策の問題というのは基本的には全国的な問題で、例えば保育所や育児休業制度の充実ということについても全国的な観点から進めることであって、その影響として地域の問題をお忘れなくと、こういう趣旨で今日ご説明申し上げたと思うんです。地域的な施策としては先ほどの地方分散政策みたいなものがありますけれども、それは全国的な対策を補完するという位置づけではないかなという感じがしております。

宮澤会長

ありがとうございます。

河野専門委員

言葉尻を捕まえるようなあれかもしれませんけど。お話の中で、世界人口が飽和になると言われているけれども、それはあまり日本では知られていないというようなことを言われたので、その意味がよくわからないんですが。もっと余裕があるとみんなが思っているだろうと思われているのか、それとももう非常に危機的に、もっと急増できると思っているとしているのかという、そのへんのところがどういう意味なのかなと思いまして。日本人が世界の人口が飽和になるということは意外だというようなことを言われたので。
もう一つ、まだ質問がございます。それから、私は日本総合研究所というのは具体的にどういうことをされているのか、必ずしもよく存じ上げないんですけども、地域的なこういういろいろなモニタリング、例えば人口に関してモニタリングのようなことをされているのか。モニタリングと申しますと、例えば普通の官庁統計に載らないものがありますよね。例えば、実際に地域ですと結婚相手がいないとか、そういうようなことがあると思うんですね。それで、あるところはスリランカとかから連れてくるとか、いろいろありますけど、そういう情報といいますか、そんなようなこともおやりになっているのかどうかというような。つまり、どういうようなことをやっておられるのか。
それから3番目は、さっきのレスターブラウンの話で。日本では非常にレスターブラウンというのは令名が高いんですけども、アメリカの学会に行きますと、評価は非常に低いと。非常に誇張が多いということで、なぜ日本はこんなにポピュラーにされるのか、ジャーナリズムの神様のように崇められているという。そういうことで、おそらく中国のああいうのもあまり。確かに警鐘を鳴らすということはいいと思いますけど、そのへんは非常におっしゃるような点だと思いますね。

西藤所長

ありがとうございました。3つお聞きしているうちに最初のご質問を失念したんですが、最初はどういうご質問でしたでしょうか。すみません。

河野専門委員

あの中で、確か世界人口が飽和になるというのは、日本人は意外だというのは、その意味がよくわからないので、どういうところからそのお考えを得られたかということですね。

西藤所長

それは非常に独断的なご説明で恐縮だったんですが、要するに私の感じでは一般にはいつまでも人口が増えていくと受け取っている人が多いんじゃないかと。世界的にTFRが非常に急速に低下してますね。それによって急速に世界人口も飽和していくということが十分に知られていないのではないか。むしろ人口増加がいつまでも、鈍化はしても、いつまでも続くという理解をしている人が多いのじゃないかという趣旨で申し上げたんです。これは独断でありますので、お許しいただきたいと思いますが。
それから、私どもの研究所なんですが、そういうモニタリングとかアンケート調査とか、そういうのが必ずしも得意とは言えないと思いますが、たまたまUJIターンについては国土庁の仕事で数年調査研究をしているというようなことはありますけれども。主として、やっぱり研究が中心の研究所であります。
レスターブラウンについてはおっしゃるとおりで、ぜひそういう辛口のコメントをしばしばしていただけると、大変ありがたいのではないかと思います。

宮澤会長

どうぞ。

福田委員

今日のお話は地域の問題がまさに焦点であったわけですから、その中でやはり出生率は沖縄が一番高くて東京が一番低いという問題と、それから図の1で示された人口の自然減、社会減、両方含めて大都市ほど減少が少なくて、そして小さい市町村の減少が大きくなっているということの間に、いくつ媒介項を置けば統一的な説明ができるかなというのが、私の一番知りたい点なんですけれども。何かお教えいただけませんでしょうか。

西藤所長

多分、専門の皆さんはご存知だと思うんですけれども、ご指摘のように沖縄など地方で出生率は高いんですけども、しかし例えば特に大学に入学するときには、みんな大都市へ出ていくと。それで卒業して就職するときにも大都市が多くて、地元に帰るという人は、少し増えているけれども総体的には少ないと。そういったようなことで、やっぱり若年層のところの比重が非常にやせ細っているので。地方ではですね。したがって、TFRは高くても、母体になる適齢人口が少ないわけですから増えないというようなのが非常に単純な解釈ではないかと思うんです。

福田委員

少子化と高齢化の相乗作用ということを伺ったわけでございますから。そうなりますと、沖縄とかその他福島、島根、宮崎、そういうところでは、少し過去になるともっと出生率が高かったわけですね。

西藤所長

そうです。

福田委員

それで、だいたい理解できます。ありがとうございます。

宮澤会長

よろしゅうございましょうか。まだご質問あろうかと思いますけれども、もう一つ報告をお聞きして、また必要に応じて戻ってまいりたいと思います。
それでは続きまして、シニアルネサンス財団の喜多村治雄会長から『人口減少社会と経済』につきましてご説明をお願いしたいと思います。
喜多村会長は京都大学法学部をご卒業になられまして、経済企画庁などを経まして、現在はシニアルネサンス財団の会長としてご活躍をなされております。よろしくお願いいたします。

喜多村会長

ご紹介いただきました、シニアルネサンス財団の喜多村でございます。権威ある人口問題審議会にお呼びいただきまして、まことに光栄に存じております。
私共は研究所でもございませんし、私自体研究者でもございませんので、皆様のような蘊蓄のある方にお話を申し上げる内容はまったく持っておりませんのに、ここへ出向きましたことをいま後悔しております。
シニアルネサンス財団というのはどんなことをしているのかということを簡単に申し上げます。これは平成4年に内閣総理大臣の許可を受けまして、経済企画庁所管で設立された団体でございます。
シニアと申しますのは、その語源どおり私たちは「先輩」だとか「先任者」だとか、あるいは「知恵のある先導者」だというような意味に解しております。ここでいうのは、第一の人生を終わりました先輩格の方が、第二の人生を健康で経済的に困難がなく生きがいを持って生きる人たちのことをシニアと申しておりまして、巷間言われるオールドだとかシルバーだとかというような内容を持ち合わせてはおりません。もちろん、そういう高齢者というのは当然含んでおりますけれども、事業の内容としては、そういうかたちではございません。そういう老人問題は厚生省のご所管のところにお任せしているということでございます。
シニアの方々に対して、健康で経済的に困難がなく生きがいを持って生きるにはどうしたらいいかということを事業の内容として支援をしているというものでございます。
具体的なことを申し上げますと、シニアライフアドバイザーというものを養成いたしまして、現在すでに1,500人ばかりおりますが、毎年300人ずつぐらい増えております。その人たちを通じてシニアの方々に対する電話相談をやりましたり。この方々は大変有能な方々ばかりでございますので、自らの手で教室を開いて、『シニアいきいき教室』をつくって、講演会を開いたりお互いにディスカッションをするというようなこともやっております。また、財団の1つの事業として、シニア向けの、これは老人向けではありません。シニア向けの商品開発の研究をしているということでございます。
したがって、シニアの活動を支援する団体でございますので、今日ここでお話し申し上げる内容も、研究的なことを申し上げることはとうてい私にはできませんので、あらかじめご了解いただきたいと思います。
最初に私ごとで大変恐縮でございますけども、私は20年ほど前、1974年でございますけれども、ここにお出でになる宮澤会長なども非常にご指導くださったわけでございますが、大平内閣のときの新経済社会7ヶ年計画というのが策定されたときの局長として作業に参画していたものでございます。大石先生にも大変お世話になりました。そんなことでございまして、7ヶ年計画を最後に私は退官したのでございます。
7ヶ年計画を含めまして、それ以前に10ばかりの経済計画がございました。これらの経済計画はそれ以後の計画と違いまして、割合具体的な数値、数字と申したほうがよろしいのかもしれませんが、計画数値を掲げまして皆様方に提示し、計画内容を説明してきた経緯がございます。7ヶ年計画以後はそれをやめておりますけれども、比較的細かな数値を提示しておったわけでございます。
言うまでもないことでございますけれども、計画というものを策定いたします場合に、人口だとか労働力というものは大変重要な変数でございますので、これは必ずいろいろなことで計出すべきものでございましたけれども、7ヶ年計画もそうでございましたが、それ以前の10に余る計画は、すべて人口は外生変数、つまり予見のようなかたちで取り扱ってきたのでございます。
どういうことかと申しますと、人口問題研究所がお出しになる将来人口推計、それをそのままちょうだいいたしまして、それを説明変数として他の変数をつくるということでございます。そういうことで人口というものは触れない1つの指標でございました。それは当然のことでございまして、計画自体が長くて10年、短ければ3年というようなものでございますから、その過程の中で人口がそんなに大きく動くということもございませんでしたし、また、経済が人口を動かしていくという要因もございませんでしたので、人口というものを外生変数的予見として置くということは当然であったかと思います。
しかし、最近におきましては、それがちょっと変わってきたということを申し上げたいのでございます。私たちがそういうふうに外生変数なり予見として置いておきました前提としまして、非常にジャーナリスティックな言い方ですけども、レジュメに書きましたように、神話が3つばかりあった。神話というのは、誰もこれに対して文句を言えない、常識でありますけれども、そういうものが3つばかりあった。その1つは、人口は増加するものである。人口は必ず右上がりに上昇するものであるという神話でございます。もう一つの神話というのは、年齢別人口構成は、必ずきれいなピラミッド型をしていること。このことについて誰も疑問を差し挟むことはなかった。第3番目に、人生の寿命というのは、少しぐらいは延伸することはあっても、50年か60年で死んじまうんだということでありまして、人生のスキームもそんなに大きく変わるものではないというものでございます。
ところが、この神話が崩壊いたしまして、メモに書いておきましたように人口は減少していくということが起こってきた。人口ピラミッドというのが中膨れの提灯型になって、その次が逆台形型になっていくというようなことになってきた。あるいは、人生50年というのが、何と人生80年が平均になってきたというように、そういう神話がなくなってしまったのでございます。
そこで、皆さんにはご専門でありご承知ですが頭の中に置いていただきたいのは、この神話が崩れましたのは、奇しくも7ヶ年計画を作成しました翌年です。1975年に合計特殊出生率が置き換え水準を下回った。2.1を下回ったということが起こりましたし、人口の増加率が1%を下回ったと。それから、あとでまた問題にいたします結婚適齢人口の男女比がそこで逆転した。男のほうが増えちゃったという状況が起こったことでございます。その1975年、先ほど西藤さんの資料の中にも出ましたけれども、1975〜1980年というのは、人口において何か急変化が起こった時期であったと私も見ております。
それ以後、いままで申しましたような指標が回復されることもなく、ずっと低下し続けるということが実績上明らかになりまして、神話が崩れたのでございます。人口研はその間に何度となく推計を新たに出されまして、回復推測を繰り返してお出しになりましたけども、実績にはそのとおりにはまいらなかったのはご承知のとおりでございます。
この神話を突き崩しました原因というのは何か。これは審議対象の少子、予想外の少子だということと、平均寿命が、特に65歳以降の高齢者の余命が急速に伸びていったということによるものであります。
1975年あたりの話をしたのでございますけど、その時期は団塊の世代がちょうど結婚適齢期に入りまして、結婚、出産、その他に対します価値観と申しますか、考え方が団塊の世代を中心にして急変いたしました。それはここで縷々申し上げるまでもありませんけれども、ドラッガーが言いますところの人口構造の変化と価値観の変化によって大変革が社会にもたらされたというのが始まっていたのでございます。
当時、そのことについての認識というのは、日本においては比較的薄かったように私は思います。と申しますのは、それ以後の経済計画でも人口に関して、あるいはその他の財政計画との絡みにおいても、このことを重要問題にしたことはなかったからでございます。
それ以来20年経過がありましたが、少子化の傾向、高齢化が急速に進んだわけでございます。人口研がこの1月にお出しになりました新推計によりますと、今後もそれは進むだろうということでございます。私も正直に少子化が進むということをそう思っております。
そのための対応を、どうしたらいいかが急に出てきたわけではありませんけれども、ぼつぼつ、いま西藤さんの言われたように、だんだん大きな問題になりつつあるということを私も承知いたしております。
そこで、このメモに沿ってお話し申し上げたいと思います。神話の崩れが今後の経済・社会にどのように影響するのかということを、ここに私の第1のテーマとして報告させていただきたいと思うんです。
人口が減っていく、絶対数が減るのはこれから先の話で勿論初めての経験でございますので、これから申し上げるのも私の推論以上の何ものでもありませんし、私のレベルでの話でありますので、そういうおつもりで聞いてくださればけっこうかと思います。
かいつまんで申し上げますと、少子化が原因で人口が減る。人口研の資料によりますと、確か2007年がピークで、それは旧推計よりも3年ばかり早まっておるわけでございますけれども、2007年をピークに絶対数が減っていく、これがどういう影響を経済・社会に与えるか。どなたもお書きになってらっしゃるし議論されておりますので簡単に申しますと、まず生産年齢人口、15〜64歳までの人口が減少しまして、若年層を中心にして労働力不足が起こるであろう。こういうことでございます。
すでに昨年の国勢調査の中では、若年層が老齢層よりも少なくなってしまったという統計が出ておりますが、それがますますひどくなってくるわけでございます。したがって、経済をクローズドに考えた話でありますけれども、若年労働力の賃金が上がることは必定であります。そしてまた、就業者が減ってきます中で高齢化いたしますので、これが労働生産性を下げる働きをするということも間違いないことでございます。
そしてそういう高齢だとか、あるいは少子ということを抜きにしましても、社会的な風潮として労働時間が短縮する方向にいきますので、生産年齢人口が縮小するのと労働時間が短縮することによりまして、よほど労働生産性を上げない限り、上にのべたマイナス要因を克服して経済を大きなものにしていくことはなかなか困難であるということが一般に言われております。現に通産省の産構審におきましては、1996〜2000年まで3%ぐらいの成長だろう。そして、2001〜2010年までぐらいは2%ぐらいの成長だろう。それ以後は2%を切って、1〜2%ぐらいの成長だろうということを発表しておられます。
これが現在の状況が続くならばという前提での話でございますので、ちょっとドギツイ推計になったのかと思いますけれども、いずれにしても成長率に可成りの影響があることは当然でございます。
消費面におきましてはどういうことが起こるか、これは消費人口が減少してまいりますし、年齢構成の変化で若年層のニーズから高齢者のニーズに変わっていく。ちょっとここで付言いたしますけれども、65歳以上人口比はいま14〜15%であるとかという話でございますけれども、私どもが対象にしておりますシニアという人口になりますと、すでにもう20%近くになっておりますし、2010年になりますと35%4,000万人近くになります。
4,000万といいますと、これはもう大変な大きな集団でございまして、それが経済・社会・政治に影響しないわけがない。生産の段階ばかりでなくて、消費に影響するということは当然のことでございます。ひょっとすると、このシニア人口が消費を先導していく可能性があるし、またある商品ニーズのリーダーになる可能性がある。これは私だけが言っているわけじゃありません。すでにアメリカのジェロントロジストなんかはそのことを言っております。そういうことで、消費面も非常に変わってくるだろう。その中で消費性向は上がる、あるいは貯蓄性向は下がるということが一般に言われています。私は若干違った見解も持っておりますが、これは今日のお話じゃありませんので申し上げません。一般には消費性向は老齢化することによって上がっていくだろう、貯蓄率は下がるだろう、こういうことが出てくるのでございます。
さて、その成長率の他にどういうことが起こるかというと、財政規模が縮小していくことがございます。日本の税金というのは所得税系統、あるいは流通税系統によって大きく支えられておりますので、経済成長率が下がれば当然のことながら財政規模を縮小せざるをえない。財政規模を縮小していくということになりますれば、従来考えられてきた財政の機能、つまり成長でありますとか安定でありますとか公平を確保するというような機能が低下していくということは必定であります。
第3番目、さっき西藤さんのお話がありましので、付言させていただきますと、私はこの問題が一番人口問題の中で大変だと思っている人間でございます。それは先ほどのお話にありましたように世界人口が100億になっていく可能性がある中で、日本の人口が1億に満たないという、この人口のバランスがどういうことになるのか。特にアジア人口50億と言われております中で、1億を割るという日本の人口勢力の低下というものがいったいどうなるのかということについては、これは大変な問題であろうかと思うんです。
これはアメリカの連中と話をしましても、ヨーロッパの連中と話をしましても、そのことについてかなり神経質な関心を持っております。それだけを申しておきます。
それから2番目に書きましたメモでありますけれども、年齢人口の構成、人口ピラミッドが崩れていくということでございますが。この美しい人口ピラミッド型が中膨れになり、逆台形型になるということでございますが。さっき申し上げたように、平成9年では65歳以上の人口が1,973万人に対して0〜14歳が1,940万人と、もうすでに65歳以上人口が30万人も超えておる。人口研の2010年のところを見ますと、65歳以上人口が2,800万で、14歳未満というところが1,800万人と。あと10年のところで1,000万人の差が出てきているというような人口構造になるわけでございます。
こうした中で何が起こるのかというと、厚生省もそういうご認識でございますが、世帯分解が起こる。おそらく現在の4,000万世帯から5,000万世帯になるだろうということであります。あと1,000万世帯が増えるというものがどういうかたちで増えるのかというと、これは途中経過を省きますけれども、高齢者単独世帯が増える2010年までは男65歳の10%、女65歳の30%が1人世帯の中に住んでいる。それから、男30%、女25%以上が夫婦だけの生活をしている。こういう状態がだいたい推測されているわけであります。したがって、その中で家族内扶養が強まるということはありませんで、むしろ弱まっていく可能性が十分にある。
ところが、それならば社会的扶養が十分かというと、これも厚生省の資料で十分わかりますが、2010年には就業者3人で老人1人を養わなければならんという。2020年には就業者2人で1人を養わなければいかん。ちょっと端数がありますけど、大雑把にいってそういうことになる。それから、年金関係でいいますと、その成熟度は、この間発表になりましたけれども2025年には44%の成熟度。成熟度と申しますのは、被保険者に対する受給者の割合のことでありますが。とにかく44%になる。2040年になると52%になる。社会保険の負担率もこの前それと同時に発表になりましたけども、とにかく34.1%の保険料率になるということでございます。
私ちょっと疑問を持ってますのは、この計算の前提としております標準報酬月額ですか。それの年々の上昇率が4%以上と見ておられるということと、運用利回りを5.5%と見ておられるところには若干疑問を持って見ておりますけど、それはともかくとしましても、それでも34.1%になるという、こういう状況が果たしてうまくいくのかどうか。
そのことは、財政に占めます振替支出の激増になります。私の『シニアの挑戦』という本の中での想定自体はかなり厚生省よりも厳しいものでございます。保険料率も上げなきゃいけませんし、年金の受給年齢をもっと上げなきゃいけないというようなことも含めますし、社会保険その他についても、いろいろな角度で修正を加えて、なおかつ振替支出は50%を占めます。
そこで社会学者等々がおっしゃいますのは、こういう状況になれば、おそらく社会的テンションは高まるに決まっている。若者と老人との間の葛藤が起こるに決まっている。というのは、最近の本の中にかなり書かれていることでありますし、日本だけがその例外にあるという可能性はございません。私はおそらく、かなりのこのテンションが起こってくると思います。したがって、私はこういうテンションが起こる前に、厚生省がお出しになるようなものも更に修正されていく可能性は十分にあると見ておりますが。いずれにしてもそういう状況であります。
いま申し上げました非常に厳しい状況になりますと、勢い国民は自助自立を求めなければいけないということになります。それは大変厳しい現実であり見通しであります。そういう世の中になってしまうということに対して、私はシニアルネサンス財団の事業を通じまして何千人の人とお付き合いをしております中で、その人たちのかなりの部分がこういう心配をしておりまして、自分で生きる術を持っていなきゃいけないだろうというのがどんどん出てきているのが分かります。しかし国民の側で、老齢化のほうはともかくとしまして、少子の問題にはあまりコンセンサスを持っているような状況にございません。これは西藤さんも指摘されましたように、ゆゆしい問題だと思います。そういう中で、これに応えていく体制をつくらなきゃいかんと言いながらも、実際には大変難しい問題かと思います。
時間の関係で駆け足で申し上げてすみませんが、第3番目はそこにありますように平均寿命が急延伸したということでございます。平均寿命の延伸がなぜ少子と関係があるのか、少子、あるいは平均寿命が急伸するということとの関係ですけれども、ある社会学者の言葉を引っ張りますれば、平均寿命が伸びるということは、医学、あるいは公衆衛生学、薬学、その他そういったものの進展に負うところが多い。これは当然のことでございますけれども、社会学者の一部が言われることは、子育てが遅くなり、そして子育てが早く終わってしまう。つまり少子社会の1つの特色でありますけれども、そういうことが原因で、平均寿命が伸びるという指摘をしている学者がおられます。
そういうことで考えてみますと、いままで本当に長い長い人生50年の時代が終わりまして、いまや男76歳、女83歳でございますか。1995年でございますけれども、そうなっている。そしてこれから、人口研のお話ではさらに伸びていくだろう。延伸率は小さくなりますけど、まだ伸びるだろう。何しろ限界寿命が112歳とか115歳でありますので、それに向かって伸びるであろうということを言われます。
このことについて、1つは肉体的、精神的、経済的に弱い人々が増えてくるので、これに対する対応が非常に難しいということがありまして、厚生省ご所管のゴールドプランというものの必要性が非常に高まってくるし、重要性を帯びてくるわけですけども、もう一方の側でその人たち以外にかなりのシニアの人口がおりまして。病気ではあるといいましても一病息災である。あるいは、年金ももらえるようになったし、貯蓄もある程度できている。経済的に多少のゆとりも出てきた。生きがいということも自分なりに考えていったらいいんだというように思われるようになりまして、そういうことを考える人たちが55歳以下の人にも出てきた。
これは少子高齢社会の中での1つの特徴かと思うんでございますけど。これを長々しゃべってますと大変になりますが、いま企業社会において定年は、かなりの企業で55歳以下で切ってます。事実上切ってます。形式的には60歳ということになってますけれども、関連会社に出したり、あるいはさらにその子会社に出したりして続いておりますけども、実質上の定年は早まっています。ご存知のような日本的な労働慣行、賃金というものも、だいぶ崩れつつあるということを考えますと、若い人たちのかなりの部分が「老後」というものを考え直すようになってきた。
人生50年が人生80年になったということについて、一般の考え方は、老後が30年だけ伸びたという認識が強いのでございます。50年から80年になった。30年だけ増えたんだという考え方でございますけれども、これはまったくの間違いであります。そういうことではなくて、これはアメリカの本などにもあるんですけども、0〜80歳までを新しい人生のスキームと考えて、そのトータル人生を歩むという考え方であります。
その中では老人の概念は変えるべきです。65歳以上を老人と考えているということは、それはとてもやりきれることではない。それは何歳かということはありませんけども私の本には若干書いておきましたけのでご覧下されば幸いです。0〜80歳というスキームの中で、このごろみんな考えておりますことがある。これは思いつきの話といえばそうかもしれませんし、真面目といえば真面目かもしれませんけども、後半の人生こそが自分の人生であるというものです。いままでの人生は社会に尽くしてきた。これからは自分の人生を。それこそが価値がある。葬式を出すときには後半の価値で送辞を読んでくれというのがあります。そういう風土になってきました。
第2の人生の設計を早いうちからしなきゃいかんと説いているのが、ご存知と思いますけど『エイジウェーブ』という本のケンダイコードという男でありますが。この人は経営者でありますと同時にジェロントロジスとであります。日本語で『エイジウェーブ』という本が出ておりますので、あるいはお読みになった方もあるかと思いますけど、いままでの人生50年の人生行路が単線的人生であるとすれば、これからは複線的人生になるというものです。
単線的人生というのは何かといいますと、生まれて学校に行って勤めに行って、そして勤めが終わって余生が若干あって人生が終わってしまう。これからは、そうではなくて子どもの時代はそのとおりかもしれませんけども、高等学校ぐらいを卒業して社会に入る。また学校に行く。レジャーを楽しむ。そしてまた学校に入る。そういうくりかえしの循環的な人生。その中で社会に奉仕する。そういう循環的人生が始まるに違いないと彼は言っているわけです。そのことは中央公論の2月号にドラッガーさんの話の中にも出てまいります。
私もそう思うんでございますけれども、すでに我々の仲間としておりますシニアライフアドバイザーの人たちは、何割というわけにいきませんけども、何%の人たちが大学に行くようになりました。その人たちが何か新しい勉強をしだしたというのは1つの風潮であります。そしてシニア向きの商品サービスの開発があり、シニア向けの教室というのが非常に増えてきたのもそのあらわれであります。
したがって、人生を0〜80歳までをスキームとした生き方ということを早く考えないとダメなんだということを、ドイツもイギリスも言い出しております。日本には残念ながら、私はまだ聞いたことがありません。
以上、3つのこと。1項目目を駆け足で申し上げましたけども、いささか暗い面が出すぎたと思うんですけども、私は実は決して悲観しておりません。私の予想は『シニアの挑戦』の中ででもご覧いただければありがたいんですけど、とにかく若年労働者が少なくなっていくとか、あるいは労働生産性が低下するとか、あるいは老年者が増えていく、労働時間が短くなるというような経済成長率を低下させる要因に対しては、私は経済のほうが、社会のほうがこれを十分に調整克服していくだろうという楽観論を持っているからです。
というのは、もうすでに企業構造の変革も起こっておりますし、私たちの目に見えないところで大きな技術革新が行われております。私はそういうことを念頭に起きますと、女子の質的な活用。いまは形式的な活用ですけども女子の質的な活用、あるいは高齢者の大幅な活用、もっと大きく言いますのは、さっき私がここに関心を持ちたいと申しましたのの延長でありますけれども、かなり有能な外国人労働者が入ってくる可能性は十分にあります。何しろ50億対1億という関係の中で人口バランスをどう取っていくかといえば、流入ということが1つあるはずでありますので、私はそのことがあることが1つの生産性を高める要因になるだろうと思っています。
私は実は3%の成長というものが可能であると言いましたし、そうしなければ、厚生省のお考えになるほどはできませんけども、それに近いような所得再配分政策をしようとすれば、これは3%の成長がなければならんという立論をいたしまして本を出したのでございます。
今、これに対するエコノミストの方々は「3%なんかできるはずないではないか」というのが圧倒的であります。それじゃあ、所得再配分政策というのが十分にできるんですか。厚生省が言われるようなことができるんですかと私がいうと、そこのところは黙られる。そして一方、所得再配分政策のことを一所懸命におやりになる方々の私に対する批判は、私のような低い所得再配分、年金も落としはしませんけれども伸び率を落としておりましたし、医療も落としております。こんなことはとてもけしからんと言う。それじゃあなた方は経済成長率をどう考えてるんですかという話になると、お答えがない。その両方を成立させるのが3%です。
3%:私は実は背伸びをしております。0.数%ぐらい背伸びしておりますけども、しかし日本がこれで効率のよい所得配分政策が出来、社会的緊張が起こらない程度にいくと考えています。3%成長が必要だと私は思っておりますが、このことはエコノミストからはまったく出てきません。国民負担率をドーンと上げるなら別ですけど、そんなことはできません。
もう10分ほどいただけますか。

宮澤会長

どうぞ。

喜多村会長

そこで人口の構成の激変の現象である少子のことについて、この審議会では大変真剣にお取り上げになってご検討だと聞いております。それは大変ありがたいことでございます。あらかじめ事務当局からヒアリングポイントをいただいておりますので、十分にお答えすることはできませんけれども、それに沿いまして私の考え方を若干説明させていただいて終わりにさせていただきたいと思いますけれども。
まず少子の原因でございますけれども、厚生省の適切で納得のいく要領よくまとめられた『少子化の動向と背景』というパンフレットを読みますと、少子の原因は非婚化である。結婚しない。晩婚化である。出生率の低下である。こう書いてありまして、それに対応して育児休業法であるとか児童手当法だとか、公的保育サービスの充実であるとか、税制による優遇をしたらいいと、こう書いてあります。それはそのとおりで別に異を唱えるつもりはありませんけれども、ただ逆にそれらの施策が行われるならば、少子化が回復されるのか、あるいは止まるのかということを問われれた場合、それは期待できないとお答えせざるをえないと思います。
なぜならば、いまの少子対策が不完全にしか行われていないという認識はありますけれども、そういう不完全な中でも適齢期にある女性の半分は結婚しているのであります。結婚していないところばかり一般に目をつけますけれども、半分は結婚している。そして、子どもを生む人だけを取り上げてみれば、これは人口研の河野さんの所論の中にありますけれども、平均して置き換え水準以上、つまり2.1ぐらいの子どもを生んでいるわけでございます。ですから、問題というのは残り半分がなぜ結婚しないのか。子どもを持とうとしないのかということの理由のほうこそ重要な問題だと私は考えるからであります。
さっき申し上げた現行施策が決して無効であるとは申しませんし、有効でないとも申しません。それはやらなきゃいけないことであります。日本はそのことについて遅れているわけでございますから、別の意味でもっともっとやらなきゃなりませんけれども、これだけが有効な施策であるとは思えません。
そこで、それじゃなぜ子どもが少なくなったり結婚しないのかということがありますが。これはご専門の方ばかりでありますので、改めてシカゴのベッカー教授の話をする必要もありませんけれども、結婚というものの経済的効用とか、あるいは子育てで得る利益という経済的な話はともかくとしまして、私が私のレベルで考えておりますことをいくつか申し上げて、もしこれがご議論に耐えるようなものであれば更にご議論していただきたいと思いますが、そうでなければお捨ていただきたい。
1つは、さっきちょっと申し上げました結婚適齢期におきます男性数と女性数の比率が、かつてと違って男性のほうがかなり多くなってしまった。ご専門でありますのでおわかりと思いますけども、生まれたときは男の子がたくさん生まれるんですけども、結婚適齢期になるまでの間に男の子が多く死んでしまって、適齢期のときには女の子が多くなるというのが、さっき申し上げましたように昭和45年までのケースでございました。ところが昭和50年では、男542万人に対して女450万人と。男女間に100万人の差がついてしまった。それ以来、もっと開いております。女が少なくなってしまった。
小数の女性と多数の男性というかたちになってしまった。これはどうしようもないことであります。もっと男の子を減らして生めというわけにもまいりません。これは神の摂理でございましょうから、それはできない。女の子をもっと増やせといっても、これも無理でありましょう。そういう状態で何が起こってきているのかというと、これも私の本当に茶飲み話的な話としてお聞きいただきたいと思いますけれども、私のシニアルネサンス、SLAの人たちの話の中から私なりに考えたこととしてお受け取りいただきたいと思いますけれども。
結論的に言うと少数の女性が多数の男を選ぶ時代になったということです。昔は男が女を選んだ時代でありますけれども、いまみたいに女が少なくて男が多いと女が選ぶという時代になった。しかも女性が男を選ぶという選択基準が、男の選択基準とまったく違う。女性の基準というのは何かというと、簡単に言いますと、男の生理的あるいは動物的な選択が非常に大きいのに比べて、女の人はそれよりももっと精神的、心理的なものが働くということであります。これもアメリカの心理学者や社会学者の主張を私が盗用しているだけの話でありますが。
その日本の女性および女性をとりまく環境でありますけれども、ご存知のように男女間の間のいろいろな格差が薄まってしまった。経済力、賃金の格差も薄まったし、能力、学力も薄まってしまった。意識の格差、男女同権というのも薄まってしまった。その薄まってしまって男も女も同じような状況の中で、女の適齢期の方が適齢期の男をどういう考え方で選ぶのか。価値観が何かというと、これも人口研の阿藤さんがおっしゃっているように、家庭と子どもを重視する価値観から、これは経済的に言いますと利他的価値観から、個人と自己を実現することを価値観に入れてきたということでございます。
そういうことが一般的に言われているんですけども、私が大変恐縮ですがまた雑談的なお話として申し上げますと、インディビジュアルの自己実現という価値観の出現、そしてそれを定着させました経済的、社会的背景があると考えています。例えば、45年あたりに出てきましたウォークマンというものがございますが、耳を塞いで他人との交渉を避ける。閉ざすというところから始まりまして、個室、1人だけのテレビ、1人だけの電話、どんどんどんどん経済というのはそっちのほうえへ動いていった。だから、女の人ばかりでなくて男の人も、個というものと個の実現というものを絶対的なものにしていったというところであります。
以上が大部分の原因であります。勿論日本の職場の環境が他の国に比べて不備だというのは確かにございますので、日本の職場の環境が不備だということを6つ目に入れております。
要するに私の申し上げたいことは、いまの状態と申しますか、経済・社会の状態が脱工業化の社会から成熟化社会へと、それから河野さんらがいつもおっしゃっている第2の人口転換の時代に入ってしまったこと。第2の人口転換というのは、少産少子の第2段階でありまして、2.1を割った段階からのことを言っておられるようであります。そういう時代に入ってしまったことが要因だとすると少子の原因というのは根が深いし、それの対策は非常に大変なことである。だから私が先ほど申し上げました1から5まで。日本の職場のことはいろいろ言われておりますから申しませんけれども、1から5までを非常に丁寧にご検討いただければ大変ありがたいと思います。
例えば1の問題と申しますのは、男が多いということでございますが、これは外国から女性を入れる以外ありません。できるだけ外国の優秀な人が日本の男性と結婚する状況をつくるということしかないだろうと私は思います。これぐらい時代というものがどんでん返りに変わっているんだろうと私は思います。これは思いつきでありますけれども、男女比を修正するには外国人女性が日本人男性と結婚してくれる以外ない。
先ほど西藤さんのお話にもございましたけれども、私は都会の女性が田舎へ行って結婚してくれるということは、とうてい考えられません。ですから、おそらくさっきお話がありましたように、小さな市町村は壊れていきますでしょう。しかし、壊れていく過程といっても、それは市町村合併もあるし、機能的にいろいろなかたちで調整はされていくのではないでしょうか。
そういうことで、ちょっと西藤さんとの食い違いが出ていたかもしれませんけど、1から5までぐらいの間を順番にご検討いただければ、大変ありがたいなと思います。
そこで、もう時間がありませんので駆け足で結論の部分をメモで読み上げますと「著しい少子化の継続というのは社会的困難、経済的困難を出現させます。しかしながら、その過程で経済・社会の側が自発的に解決をしていくだろう。」国はその流れを総合的に支援するということが第1点であって、先ほど申しました個別的な、あるいは伝統的な対応というのものはむしろ補完的なものとして考えていただきたいと思うのでございます。
最後に適性人口の想定というのが設問にございました。私は西藤さんとちょっと違うかもしれませんけれども、経済・社会が急速にグローバル化しておりまして、経済的諸資源の国際的交流が圧倒的に自由になっています。私も戦後の国土総合開発だとか所得倍増計画にタッチいたし適度人口など研究したことがありますが、今はその事情とはまったく違います。適性人口規模を想定することは意味を持ちませんし、また、あるいは想定は非常に困難だと思うわけでございます。
以上が私の報告でございますけれども、人口問題審議会がこういう広い立場でご検討くださること、私は大変ありがたいと思います。人口が経済にどう影響するか、経済が人口にどう影響するかという時代に入ってしまったんですから、そこのところを念頭に置いていただきまして、ご専門の方々のご検討を煩わせたい。そして、できれば、そのことをさっきの西藤さんと同じようにPRしていただきたいと思います。
私も経済企画庁におりましたけど、冒頭申したように人口問題を経済見通しの予見として考えてきた人間でありましたから、あまり多く知りませんでした。おそらくいまでも関係省庁の間で人口問題、少子問題を言葉では言うかもしれませんけれども、それほど十分に理解していないかもしれません。ここのご審議の結果を各大臣のところに意見具申をしていただきたいということが1点でございます。
第2点は、私はここに来て初めて知ったんですけども、人口問題研究所が独立でなくなって、社会保障研究所と一緒になったということでありますが、それはよかったか悪かったかともかくとしまして、アメリカでもドイツでも人口問題が経済的な政策に影響する報告をいっぱい出しております。ですから、人口問題研究所がいわゆる従来のように人口動態的な研究を主にするだけではなくて、ここのご審議に十分対応できるような材料をいっぱい提供していただきたい。そして、私どもにもご提供くださることがあれば、大変ありがたいなと思う次第でございます。
大変長々としゃべりまして、ちょっと超過いたしました。どうもありがとうございました。

宮澤会長

どうもありがとうございました。それでは、ただいまのお話、お願いいたします。物差しを全部を換えなきゃいけないと。しかも換える物差しが1つでなくて、あちこちにちゃんと気配りが必要であるという趣旨が背景にあるかと思います。どうぞお願いいたします。

井上委員

大変面白いお話、ありがとうございました。シニアということとオールドということの区別がちょっとつかないんですが。シニアというのは、どこか定年退職をされた方というふうに考えてよろしいんでございましょうか

喜多村会長

そのご理解で十分でございますけど、ちょっと補足させていただきますと、定年でいままでの第1の人生、一所懸命やってきた人生を定年で辞めたという人。それから子育てが終わった。終わったというのは、だいたい高等学校を卒業させるかさせないあたりで、女性は子離れが始まります。これからの人。それから、事業を他人に譲って、これから悠々自適しようと考えている人というカテゴリーがございまして。その他に、そういうような状況を自分で第2の人生に想定して、自立の努力をしていこうじゃないかと思っている人たち。そういう人たちを私どもの事業の対象としたシニアと呼んでいるわけでございまして。
これは別に学問的に、シニアはジュニアとどう違うかという話はまったくございませんけれども、私共のグループに入ってくる人は、だいたい55歳以上でございます。一部50歳の人もいますけども。弁護士の方もおられればお医者さんもおられます。それから先生もおられるし学生もいます。学生というのは、さっき言いましたように何回目かの学生であるという人。主婦もいますし、そういう人たちが集まって、そして自分の生き方を勉強するという人たちでございますが、そういう集合としてご理解いただきたいと思うんでございます。
ですから、年取っている人という‥‥中にはもちろん年取った人がたくさんいますけれども、そういう考え方ではございません。

井上委員

ありがとうございました。

熊埼委員

質問したいんですが。いろいろお話を聞きましたが、私は少子化を防止するといいましょうか、そういうような仕組みにするためには、いろいろな方策を述べられましたけれども、いわゆる企業側の社会的責任といいましょうか、そういうものをどういうふうにお考えになっていらっしゃいますか、喜多村会長さんのお考えをお尋ねしたいということが1点。
2点目は、先ほども外国人の結婚のことをおっしゃいましたが、私は結婚というかたちは、どんなスタイルでも個人が選択して、そしてその個人が出産、育児、子育て、働くという、選択のいろいろなメニューがありますので、そういうことを選べるようないわゆる国の環境なり職場環境なり、そういう地域のシステムなりですね。経済的なものなりが整っていれば、それは国際結婚だってこれは可能なんです。いまでも国際結婚が年々増えていると思うんですね。
しかし、国際結婚が増えているというときに、一番の観点は、日本の男性と外国の女性と結婚するのは割合といいんですね。ところが、日本の女性と外国の男性と結婚した場合に、なかなか法律も、いまでこそ整備をされましたけれども、かつてはそれはできなかったわけなんですね。そういう法的な整備、あるいは現在国際結婚なさっている方でも、日本人の女性が国外へ行っていらっしゃって国際結婚する人のほうが、割合とうまくのびのびと生活、それから仕事、地域というのに定着されているように私は実態としてつかんでいるんですけれども。そういうことに関して、国際結婚のあり方ということについて会長のお考えをお聞き したいと思います。以上です。

喜多村会長

最初のご質問の企業責任ということをよく言われますけれども、これは企業は企業としての活動というものが一番大事でございますが、企業活動ができるのは実は社会がその企業を育てているからということに対して企業は余力を割いて社会に奉仕をするという気持ちがなければならないことは当然でございます。したがって、さっき申し上げましたような中で、例えば第6番目のことなんかで、職場環境を非常によくしていくというのは、何も国が言わなきゃ、あるいは識者が言わなきゃ何もしないというのではなくいろいろなかたちで職場内での女性の地位向上、あるいは育児のため、あるいは何のためにやることは当然の義務だと私は思います。責任だと思います。企業が成り立つための当然の義務なんじゃないでしょうか。と思います。
企業自体がいま非常に国際化しています。外国で会社を持っている、外国慣習が国内へ入ってきてるというのは、かなりあります。例えば、PL法にしても、やっぱり国内だけで議論していてもとてもどうにもならなかったんですけども、あれがISO9000というものを背景にして、そしてPL法を動かしていったということが、日本のPL法を成立させたと私は思っています。したがって、そういうかたちで出てくるであろうでしょうから、企業は当然そういうことを知っています。企業責任、企業責任といって消費者の人たちが言うのもけっこうですけども、企業自らがそういう立場を十分に心得ていなければその企業は成り立ちません。それから第2番目の国際結婚の話でございますけれども、実は先生がおっしゃるようなことを私は申し上げているつもりでございます。いま日本人が国際結婚‥‥国際結婚という言葉自体がもうちょっと古うございまして。国内、国外を問わず、男女どういうかたちであれ結婚するという状況がいっぱいあります。日本へ行って結婚しようという外国人女性はたくさんおります。逆もあります。そういう状況にあわせた条件整備を早めてほしいと私は申し上げているわけでございます。
だから、国内の改正などを解決しなきゃなりませんし、国際法上の問題も解決しなきゃいけませんでしょう。いずれにしても少子ということを1つの命題としてご議論なさるときには、当然そのこともご議論していただきたいなという気持ちで申し上げただけのことでございます。

熊埼委員

1点目の私の質問したことなんですが、どうして私がそのような質問をしたかといいますと、答弁にはありましたけれども、実態としましてはやはり経済効率というかたちになりますと、企業はやっぱり経済成長率何%という国の成長率を考えれば、企業自身も企業のいわゆる経済観念からやりますと、どうしてもいろいろな環境、制度というものがあとになってしまう。それから、国でやればいいとかという考えを持つ傾向が私はいま今日的な課題ではないかなということを感じておりましたので質問させていただいたんですけれども。

宮澤会長

いまのを要約してみますと、生産と消費がガラッと変わる。消費のほうは、その単位である家庭なり家族が非常に変わって、シニア先導型になる。男性よりも女性のほうがリーダーシップが強くなる。そういう価値基準なり何なりが非常にドラスティックに変わっていく。これと同様に生産する企業。企業のほうでも何かそういう物差しとして換える術がないか。どういう物差しがあるだろうかというような感じを少し持ってね。

喜多村会長

そのとおりだと思いますけれども、企業から効率性を取れというわけにはいかないと思うんです。やっぱり資本主義社会の中で生きていく道の第1は効率だと思います。ですから、効率というものだけで企業が突っ走ってしまったときに起こってくる社会的影響は、当然役所だとか官じゃなくて公がとがめなきゃいかんのですね。それを企業は十分にうけとめないと、社会の中で存在させてもらえないでしょうから、そうなると思うんです。
企業の肩を持ったようなお受け取りをされたら困るんですけども、企業から効率性を抜いてしまったら国も成り立たないと思いますね。それはそれでいいんですけれども、そのことによって起こってくる先生のおっしゃる消費の部分に対して大変な影響を持ってきたり、悪い影響を持ってきたときには、それは当然のことながら修正すべきであるし、それを修正しない企業というのは、なくなったっていいじゃないかということです。

大石委員

西藤さん、帰られたようですが、今日の西藤さん、それから喜多村会長のお話、大変私、勉強になりましたんですが。
やはり人口問題を考える場合に、人口と経済との絡み合いですね。人口が経済に影響し、経済が逆に人口に影響するところの絡み合いの関係を、いままで考えていなかったというとちょっと言い過ぎだけれども、もっともっと考える必要があったというのを今日お二人のお話を伺いながら、非常に感じました。
もう一つ、私問題は環境と人口との絡み合いの問題ですね。このへんをもっと人口問題を取り扱うセクションで考える必要があるだろうというように。これは非常に大事な問題じゃないかというようにいま思っておりますので、ちょっとそういう発言をしたい。
例えば、中国が非常に人口がたくさん、オーバーブックレーションといっていいぐらい、あるいはだんだん、だんだん生活水準が上がってきて、うまくやるだろうと思いますし。これも食糧の問題として考えるならば、今日私西藤さんのお話を伺って目が開けた思いがするんですが、あまり心配しなくてもよろしいという。やっぱりこの環境の問題を考えると非常に問題で、中国の連中が勝手に化石燃料を使って、黄海を渡って日本まで空気が汚染される問題、非常にありそうで。やっぱり人口と環境問題というのをもっと人口問題として考える必要があるんだろうという気が私、今日非常にしましたので申し上げたい。
それから、最適人口なんですけれども、これは僕の持論なんでもう一度あえて繰り返すと、経済学者のほうは古典派が非常に最適人口という議論をし、それから新しい我々の世代になりますと、例えばサミュエルソンなんかは非常にその最適人口ということを強調する。やっぱりこれ、僕は大事だろうと思うんですね。
今日の少子化はいかんと。何とかしなくちゃいかんと。それから例えば西藤さんの言葉を借りると、多子化キャンペーンをやらなくちゃいかんという。何かめどがなければ、いったいどうしたらいいのと。私などもいまのところは、どうも少子化の傾向は少し行き過ぎだろうという感じはしているんです。どれぐらい行き過ぎなのかですね。どれぐらい手を打ったらいいのかということについては、実は何もやっていないというのが実状だろうと言わざるをえない。
結局、それは現状容認、現状を基準にして、現状はどうも少し少なくなりすぎそうだから何とかしなくちゃいかんとか、我々経済の中の指標をしますと、ハイウェイで140キロで走っている。どうもこれは少しスピードを出しすぎだと。少しスピードダウンしなくちゃいかんというのでスピードダウンしますけれども、どうしても70キロまでスピードダウンしますと、かえってハイウェイを走るのにはじゃまになる。
何かハイウェイを走るためのオプティマムスピード、最適速度というのがあるだろうと。やっぱりそういうものがなければ、ちゃんとしたポピュラチオンポリテイークというものはできないだろうというのが我々の考え方なのでね。これは非常に難しいということは認めますけれども、やっぱり厚生省も企画庁も、それから大学も、それからシンクタンクも、その最適人口、例えばいつでもいいんですけども2050年なら2050年というところを一応の時点にして、日本の最適人口はどれぐらいだろうかという議論は、もっともっとあってしかるべきであって、極端なことを言うと闇夜に鉄砲みたいなもので、経済との絡み合いについてももっともっと突っ込まなくちゃいけないし、環境との関係をもっともっと突っ込まなくちゃいけないような段階で、ただ少子化は困る、困るというような言い方をしているというのが現状だろう。これはやはり何とかしなくちゃいけないだろうと私は思いまして。
今日、西藤所長、喜多村会長のお話を伺っても、さらにそういう感じを私は持ったということを申し上げさせていただきたい。以上であります。

吉原会長代理

私も喜多村さんのお話、大変面白く聞かせていただきましたが。ただ、少子化の要因といいますか、背景にそういった男女、特に女性の個の意識の高まりがある。それから、男と女の間に意識のズレがある。求めるものが違うという、大変そのとおりじゃないかなと面白く伺ったんですが。ただ、そういう傾向はこれからもますます強くなってくるだろうと。そうすると、少子化というのは放っておいたらどこまでも下がっていく、進むんじゃないかという気がするんですが。
喜多村さんも少子化については、いろいろご心配をされているようですが、このメモに書いてございますように、いろいろな困難な問題が出てくるけれども、その過程で経済・社会の側が自発的に解決策を見いだしていくだろうというのが、果たしてそうだろうか。具体的にどんな解決策を見いだしていくのかというのが、時間の関係もあったのかもしれませんが、私はそのへんもう少し詳しくお伺いできればなと思ったんですが。
国はその流れを総合的に支援すべきで、いま厚生省が言っているようなことは二の次だよというふうな印象を受けたんですが、果たしてそれでいいんだろうかなという感じなんですが。

喜多村会長

そんなつもりはまったくないんですけども。私は実は少子化を直していくというのは、経済で考えられるタームでは、なかなか解決できないと思うんでございます。私なんかの頭の中にあるのは、せいぜい2010年ぐらいまでですよね。さっき申し上げたように。そうすると、そのあたりの話というのは、今年生まれた人が12歳になる話ですから、そこの問題については、実は経済というのはあまり問題にはならないのです、実際は。ところが、その先を読みだすとこれは大変だというふうになってきたのは最近なんですね。というのは、人口問題研究所の想定でも、5年たったら500万の人間の数が違ってくるというような状態なんですから。昔は5年たっても数の違いは何十万ぐらいの話だったのが、いまは500万違うんですね。そのぐらいの話で変わってくる社会の中では、10年単位とえども、経済のほうが、あるいは社会のほうが関心を持たざるをえないだろうとまず思う。
しからば、どうしたらいいのかということになってくると、さっきのような話でなかなかうまい話がないんだけども。それじゃ少子化の終局で企業も家計もみんな死んでしまうのかといったら、そんな話はないと思うんです。国が何かやらなかったら、みんな死んでしまうだろうかというと、そんなことはなくて、例えば労働者が足りなかったら他から持ってくるだろう。他から持ってくるかたちは何かといったら、高齢者ももっともっと使うだろうし、もっともっと外国人も使うかもしれないというかたちで対応するかもしれない。労働生産性を上げるっていったって、労働生産性は実は、本の中には書いておきましたけど、第三次産業の労働生産性というのは、いかに売上を売り上げるかという問題と関わってくる。そのときの売り上げ方というのは、いままでの物的な資本労働関係ではなくて、もっと違ったかたちでの労働生産性の引き上げの方が。それは通産省でも考えていらっしゃる。そういうような環境をつくっていけば、労働生産性は上がってくるというようなことですね。
家族的な崩壊ですけど、1人世帯というのでも、いまは住宅が狭いから子どもを生まないかというと、僕はそれはちょっと納得できないんで。戦後、かなり住宅は充実したし広くなった。それでも構わずそういうところの人が個室に入っちゃって子どもを生まないというのは、いったいどういうことなのかということになってくると、さっき言ったような話に返ってくるんですけども。
実は少子になって誰も面倒みてくれない社会がくる前に、個人は必ず対応しますよ。私がやっているシニアルネサンス財団の人々の活動を見ながらそう思うのですけども、SLAの人たちというのは、自分の子どもからだんだん離れていきます。そして、たった1人になって、子どもたちが出ていくなら出ていった社会の中で、あとの残りは私たちで何か考えるというムードが出てきている。だから、共同の生活をしてみたり、共同でご飯を炊いたものを持っていったりして、地域ごとにやっていく。
これは短期間の、小さい力による1つの手だてかもしれません。さっきの郵便局の話も、実はそんなに長く続く話じゃないと思って聞いておりました。ああいうように対応しながら、繰り返してやっていく部分があると思うんですね。しかしそれは非常に有効なんで、国がそこを何とか考えてくださいといっているのであって、吉原さんが言われるように、厚生省がやっていることはダメだと言っているわけでは全然ないむしろもっともっと充実して効率よくやってほしいと申しているんですから、そこを誤解されないように。

宮澤会長

いろいろお二人のお話を聞きますと、ここに自発的解決策が見いだされる。それはそのとおりだと思うんですけれども、ただ、それにはかなり人間の社会的自立と経済とが対応するために時間があれば十分対応できると思いますね。しかし、それにもかかわらず少子化は非常にスピードが速い。高齢化が速い。それに対応する経過的な時間は非常に限られている。ですから、その中でどういう知恵があるかということが問題であって。余裕がないという面があるんじゃないかと思います。方向とすれば、そのとおりだと。
これで両方の顔を立てたつもりでおるんですけど、どうでしょうか。
最適人口の話にしても、最適人口というのは、結果として我々はそれを承認する、あるいは先に何かパッと、このへんが最適というのがないと何も人間が行動できないのか。やっぱりいまの話と関わっていると。

大石委員

最適人口というのは、ピタッと一定数で決まるようなものじゃなくて、こういうものとこういうものの関数になっているような。ですから、こういうシナリオの場合にはこうなる、こういうシナリオの場合にはこうなるというようなことで僕は出していいと思います。
僕は、一番不思議に思うのは、これだけ日本に経済学者がおり、人口学者がいて、人口論というのはやっぱり経済学者が気にしていることは間違いないんですけれども、最適人口の理論をやる人がもうちょっといていいだろうと。それは委託研究でも奨学金でも出してもう少しやらないと、学問の進歩がないんでね。やはり人口がどうなるかという推測だけですと、そんなの話はある意味で簡単で、男は子どもを生めないし子どもを生むのは女だけだし、女も何年から何年の間生むからということですと、例えば景気変動予測なんかに比べてずっと簡単だろうと思うんですよ。
だから、学問的意識からいっても興味のある問題として最適人口論とかいうのをやる人が、少なくとももっと出てきていいだろうと僕は思いますがね。難しいことはよく理解しておるつもりですが、誰かやらなくちゃいかん。それは人口問題研究所は率先してやってしかるべきだというような気が僕はしますが。そういうことです。

宮澤会長

どうもありがとうございました。いずれにしても、人口はまさに外生変数でなくなった、予見でなくなったということをどこまでこなせるかということが最大‥‥。

大石委員

こなす努力をしなくちゃいけない。

宮澤会長

そうですね。ありがとうございました。どうも、大変ありがとうございました。
それでは、だいぶ時間を超過いたしましたが、本日はご多用のところをご出席いただき、ありがとうございました。次回につきましては、5月20日10時半に開催いたしまして、次回は教育・文化の観点から麻生誠先生、それから労働経済の観点から佐藤博樹先生にお話を伺う予定になっております。よろしくお願いいたします。
どうも今日はありがとうございました。

 問い合わせ先 厚生省大臣官房政策課
    担 当 真鍋(内2250)、齋藤(内2931)
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        (直)03−3595−2159

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