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平成9年2月20日(木)

第63回人口問題審議会総会議事録

10時30分〜12時30分

共用第9会議室

宮澤会長  本日は、ご多用のところをご出席いただきましてありがとうございます。ただ 今から、第63回人口問題審議会総会を開催いたしたいと思います。
  最初に委員の出席状況をご報告申しあげますが、熊崎委員、河野洋太郎委員、 坪井委員、南委員、宮武委員、八代委員、網野専門委員、岡崎専門委員、清家専 門委員、高山専門委員、それぞれ、本日はご都合によりご欠席でございます。
  そ の他の委員はご出席です。遅れておられる委員が若干おられるようですが、以上 が出席状況でございます。
  それでは、これから本日の議題に入らせていただきます。
  さきの総会におきまして決めましたように、少子化問題についてこの審議会で 本格的に議論していくことになりました。今回はその第1回目ということで、お 二人の先生をお招きをしてお話を伺う予定にしております。
  まず、麗澤大学の速水融教授から、「歴史人口学よりの照射」につきましてご説 明をお願いいたしたいと思います。
  速水教授は、ご存じのように慶応義塾大学経済学部をご卒業になられまして、 慶応義塾大学経済学部教授を長年お務めになられました後、現在は、麗澤大学や 国際日本文化研究センターでご活躍をされております。先生は歴史人口学の権威 ということは、皆さん、ご承知の通りかと思います。
  それでは、先生、よろしくお願いいたします。
速水教授  ご紹介にあずかりました速水でございます。
  歴史人口学という学問は、大体が近代センサス成立以前、あるいは近代の人口 転換以前を対象とする学問であります。したがいまして、現在、日本が直面する 少子化あるいは人口減少という問題に対して、私の今まで行ってきた専門研究の 結果あるいは知識がどこまでお役に立つかということは、大変、私自身、疑問に 思っております。最初、ここへきて何か意見を言えといわれたときも固辞したわ けでありますが、結局、真鍋課長補佐によってくどき落とされまして、この場所 へまいったわけでございます。
  確かに、たとえば江戸時代の後半をとりますと、これが1721年から1846年にか けて北関東とか東北とかは人口が減っている、西日本は大体増えているというわ けで、日本においても、人口の減った時期あるいは地域があったことは否めない 事実であります。
  しかし、地域人口は減りましたし、そういうところでは出生率も減ったことは 事実でありますが、いわゆる今日の少子化社会であったかというと、それとはか なり違う。たとえば合計出生率をとると、減った東日本でも大体 4.0以上であり ます。もちろん、途中、成人になるまでの死亡率が高いですから、TFR 4.0が あっても人口維持ができないというわけで、人口が減っていったわけであります。 いわば多産多死の社会であったわけで、とにかく今日の少子化社会とは違う。
  それ以外の地域をとりますと、大都市、たとえば江戸、京都、大阪というとこ ろは人口の停滞とか減少をみておりますが、農村地域では出生率が高くて、多く のところでは人口は増大をしている。
  そういう状況でありますので、私の専門にしております江戸時代の歴史人口学 の話をしても、あまりこの席に適当とは思いませんので、きょうはその辺は、あ とでもしご質問があればお答えをすることにして、別の角度からお話をしたいと 思います。
  最初にエクスキューズをいたします。それから、2番目にちょっと文句を言い ます。3番目に、多少観察のスパンを広げまして、今日の少子化あるいは人口減 少問題を少し長い目でみてみよう。もちろん過去へ遡ってみようと思います。最 後に、配られました資料の中にあった「こういうポイントに触れてください」と いう六つのポイントに対して、私の個人的な意見を申しあげたい。こういう形で 進めたいと思います。
  最初のエクスキューズですが、私は人口学のディスプリンをもっておりません。 したがいまして、その知識とか方法を身につけているわけではありません。した がいまして最後の設問に対する私の意見は、あくまで一市民としての意見であります。
  また、私は、最近の出生率低下あるいは少子化といいますか、人口減少を、む しろ望ましいと考えている少数派であります。
  配布されました資料の「少子化の 動向と背景」の12ページによれば、望ましいと考えているものは全体のわずか5 %にすぎない。私はその5%の中の1人ということになります。したがってこれ は、あるは特異な意見、例外的な意見かもしれません。それがエクスキューズで あります。
  文句のほうは、配布資料の人口問題審議会の答申及び意見等一覧を読みまして、 実は驚きました。それはどういう点かというと、昭和29年、30年に人口増加への 対策が決議され、関係機関に意見具申されております。この時期、確かに日本の総人口は年率1%以上で増大をしていたわけです。
  日本の明治以来の総人口の増大は戦争によってちょっとくびれましたが、戦争 直後から急速にベビーブームで伸びて、最近、増勢が鈍ってきて、やがて2007年 あたりで天井に達するという趨勢です。ですから、このくびれを除けばみごとな ロジスティックカーブといいますか、だんだん増大してきてやがて水平ないし減 少に収斂していくというカーブを描いていることはわかります。ですから、答申 がなされたここのところは人口の増大の激しい時期でありましたから、そういう 意見が出るのはやむを得ないというか、当然ともいえます。
  ところが出生数と死亡数の変動をみますと、出生数はのピークは昭和24年なの です。それ以降、グーッと減ってきている。ですから、昭和29年、30年あたりに 増加への対策が決議されてはいますが、既に出生総数は減っている時期である。
  むしろ出生の問題よりは、乳幼児死亡の低下あるいは平均寿命の延長、これも 劇的でありまして、たとえば乳児死亡の低下は昭和30年ごろから急に下がりまし た。実は乳児死亡の低下というのは、既に率でいえば戦前 から始まって いたのです。なにも戦後の特徴ではありません。それは長期的にいって も低下していました。
  それから平均寿命も、1920年以降をとりますと、急速に戦後、女性、男性とも に延伸している。だんだん男性と女性の差が開いてきて、私はこれをみて、ゾッ としたのですが、どんどん開いていっております。それはともかく、非常に延伸 している。
  こういうことから人口増大が起こっているわけですから、出生抑制とか家族計 画の普及ということが議されていること自体が問題かなと思うわけです。34年に なっても出生抑制の必要が決議されています。
  さらに驚くべきことには、昭和49年という時期になりましても、人口白書では 未だに人口増大の抑制についての方策が論じられています。ちなみに、この年の 合計出生率は2.05、純再生産率は0.97ですから、もう人口維持の水準を割ってお り、趨勢からみましても、早晩、日本の人口は減ることはわかりきっているわけ です。そういう時期に人口増加の抑制というようなことが議題になっているのは なぜか。
  昭和55年の特別委員会報告をみますと、「出生力の大幅な低下にもかかわらず」 としながら、それが完結出生力では人口の置換水準をやや下回る程度の低下にと どまっているという非常に楽観的な見通しが論じられている。この年の合計出生率は1.75、純再生産率は0.84であります。この水準は、確かに当時のフランス以 外の西ヨーロッパよりは若干高かったかもしれないけれども、いずれにしろ少子 化、人口減少の時代が到来することは十分予測できたはずでありまして、なぜこういう楽観的な見通しに終始したのか、これも理解に苦しむところであります。
  今回、一転して少子化とか人口減少ということが問題になるのは、いかにも首 尾一貫していないという印象を受けます。これは、もちろん現在の人口問題審議 会の委員の皆さまの責任でもなんでもないわけなので、要するに人口に限りませ んが、対象とする社会現象を長期的、あるいは中期的、短期的、はっきり分けて 考える。特に政策提言をする場合、そういうことが必要になってくるのではない かということを感じました。
  以上が文句であります。
  そこで、観察のスパンを長くしていろいろな人口指標を、これは私がつくった というよりは既存の統計から拾い集めてきたものですが、みてみようと思います。
  まず、世界の人口趨勢。これはもうB.C.200 年とかなんとかから始まっている のですが、最近の増加ぶりが垂直に近い増加であることがわかります。特に顕著 なのは、大体現在の増大は18世紀後半以降加速しているという増大なのです。ま ずそのことを認識しておく必要があります。
  これを、本来ならば先進工業国と開発途上国に分けてみるべきなのかもしれま せんが、ここではアジアの三つの国あるいは地域、日本と中国とインドをみまし ょう。
  ずれも最近になって増大していることは確かですが、日本は、17世紀に一 度増大をして、18世紀に一度低下をしています。
  これは、先ほどいった江戸時 代の低下です。それからまた増大をして、2000年先からほぼ横ばいになって、多 分減少する。
  中国は、でこぼこしていますが、大体工業化以前、清朝期に入ってから非常な 増大を始めて、現在、11億何千万というレベルまできている。
  それから、インド、パキスタンを含む南アジアでは、1800年以降になってグー ッと増大してきて、インド一国の人口は、推計によれば21世紀の半ばで中国を追 い越すだろうといわれています。
  日本だけをとりますと、先ほど示しましたように、明治以来、日本の人口は増 大を続けてきましたが、明らかにごく最近の状況は増加率が鈍ってきているとい うことであります。それから出生数 (これは出生数で、率ではありません) と死 亡数をみると非常におもしろいことは、最近の出生数のレベルは、どの時代と同 じ数かというと、大体1895年、日清戦争のころと同じなのです。今、日本で生ま れている子どもの数は、日清戦争のころに日本で生まれた子どもの数に等しいこ とになります。
  死亡数のほうは、最近、増加ぎみである。これは、高齢化が進んだ結果であす。 しかし、とにかくこの死亡数を過去へ遡ってみると、大体1880年代、明治の10年 代に日本で死亡した数と現在の死亡した数が等しいのです。
  出生数、死亡数ともこんなに減っているということはいろいろな影響を与える わけであって、あとで言いますように、生死に関する職業というか産業、これは もろに影響を受けているわけです。
  合計出生率のほうは、これは言い尽くされていることでありましょうけれども、 少しスパンを長くとりますと、大体1925年ぐらいから求めることができます。合 計出生率のほうは、戦前期にすでに低下が始まっていたのが、戦後のベビーブームでいったん上がった。それがまた急速に落ちていって、そして1957年ぐらいか らはほぼ一定になって、1970年代後半でまた落ちているわけです。
  ですから合計出生率の低下現象は、戦争とか戦争直後のブームによって一時的 な変動はあったけれども、長期的にはもう戦前から始まっている一連の動向なの ですね。それが最近になって加速化したというか、あるいは落ちるところまで落 ちたというか、もうちょっと落ちるかもしれないけれども、ほぼこのレベルに達 したと考えるべきではないかというのが、長期的にみたTFR、合計出生率の低 下の問題であります。
  再生産率、純再生産率をとりましたが、これも全く同じであって、戦前期に既 に下がり始めていた。それがベビーブームでポンとはね上がりましたが、もちろ んこれも合計出生率同様、ほぼ並行した軌跡を描いています。
  こういう合計出生率の低下に対して、これはなぜ起こったのかということは大 変学術的に議論の多いところでありますし、とうてい私ごとき者の出る幕ではな いのでありますが、少なくともいえることは、たとえば最近よく、結婚年齢が上 がった、その結果、出生率が低下をしたというようなことがいわれます。しかし、 実は平均結婚年齢はあまり変化がないのです。
  しかし女性のほうは、1910年、明治ごく末から大正期を経て、もう既に戦前期 にやや上がってきます。戦後、これはどの国でも起こることですが、大きな戦争 があると、その直後に結婚年齢が下がる。けれども、1960年代のレベルは戦前期 のレベルにほぼ等しい。男性もほぼ同様です。しかし、ともかく結婚年齢というのはあまり変わってい ないのです。これは平均初婚年齢です。そういうことが一ついえます。
  それに対して、やはり変動の大きいのは乳児死亡です。これも絶対数・率とも 1920年代の末あたりから下がり始めていて、グーッと下がっていって、戦後にな るとこれ以上おそらく下がらないかもしれないところまで下がっている。これは 非常に大きな変化です。結婚年齢があまり変化しなかったのに対して、乳児死亡 率は非常に減ったということがいえると思います。
  その結果は、平均余命の変化にもなってくるわけであります。平均余命のほう は、これは出生時の平均余命、つまり平均寿命でありますが、急速に延びていっ ている。戦前期においても既にある程度は延びていたわけですけれども、戦後急 激に伸びました。
  このように、多くの人口学的な変化は、長期的にみますと戦後だけの変化では なくて戦前期から既に始まっていたということがいえます。それが戦争によって 中断したというか一時的に攪乱されましたが、長期のトレンドとしては1920年代 ぐらいから始まったものであるということを一つ、ここで申しあげたいと思いま す。
  そのこととこれから申しあげる設問に対するポイントの私の考えとのあいだに は、あまり関係はありません。ないのですが、あえて申したいと思います。クエ スチョナリーの第1番目が、少子化が進むとどういう社会になるのかという問題 です。
  これを経済的な面で考えてみますと、もちろん労働力不足の状態になります。 その結果、国内の労働力率が上昇する。特に女子や高齢化の労働市場への参会率 が高くならざるを得ないというべきでしょうか、そうなります。あるいはそうで なければ、国外からの労働移動が盛んにならざるを得ないだろうと思われます。 さらには、賃金が上昇するであろう。この三つが考えられます。
  しかし、いずれにも問題があります。女子とか高齢者の労働市場への参加が今 の状態ですんなりといくかどうかということになると、これは問題が出てきます。 女子の就業率が高くなれば、さらに出生率が下がるという循環が生ずるかもしれません。
  外国からの労働移動に関しましては、現在、西ヨーロッパで起こっているよう な、異文化をもった人びとがなんの社会的な問題もなく共存できるかという世界 共通の課題に直面せざるを得ません。
  3番目の賃金が上昇するという問題に関しては、産業の国際競争力が落ちます から、その結果、いわゆる空洞化がますます進んで、人口減少以上に労働需要が 低下するおそれもあります。この辺のことは経済学的な観点からの予測をしなけ ればなりませんが、私にはその能力はありません。
  解決策はないに等しいのですが、とにかくこれをソフトランディングさせない と経済的に破滅してしまいますから、女子とか高齢者の労働参加を促すと同時に、 それが参加しやすい政策というのが必要ではないのだろうか。また、今、厚生省に入ってくるときに、週40時間なんとかと書いてあって、あ、これはやはりそう いうことを意識されているのだなということを考えましたが、あるいは付加価値 の高い産業への集中といいますか、育成発展が望まれます。
  2番目に、政治的にはたぶん保守化するだろうと思います。人間は、大体年齢 とともに革新的ではなくなります。ですから、選挙権をもった年齢階層が高齢化 してきますと、他の条件が等しければ、というのは、たとえば保守党の腐敗とか 堕落がなければ、革新的な政党を支持する人口はたぶん減少するだろうと思われ ます。このことは、たとえば団塊の世代が投票権をもつようになった時期、これ は革新的な政党を支持した世代ですが、その世代が年を経るにつれてだんだん革 新政党離れをしていって、現在では革新政党の支持率が非常に落ちていることか らも明らかであります。
  3番目には、社会的には従来の家族関係とか家族間に大きな変動が起こります。 よかれあしかれ、日本のイエは崩壊せざるを得ません。日本の伝統的な家族はい わゆる直系家族でありまして、おじいちゃん、おばあちゃんから始まる多世代世帯が同居するというのが基本型であります。現在、もちろん都市の家族は核家族 化はしておりますが、お正月とかお盆には親の家に帰る、あるいは家の墓を守る とか、直系家族志向はそういう形で続いております。しかし少子化が進んでいきますと、そういった伝統を維持することすら困難になってきます。
  既に多くの仏 壇業者は倒産しておりますし、盆暮れの帰省ラッシュは緩和されております。都 市のスーパーが元旦から店を開くというのは、つまり帰るところがなくなってしまった人びとがあふれているからであります。
  4番目に文化的には、これはあくまで可能性ですが、爛熟した文化が生まれる 可能性があります。これは経済的にうまくいった場合ですが、企業は、設備投資 に向けていた利益を社会還元するでしょうし、それからおとなが多くなりますか ら、今までのように娯楽中心の若者文化ではなくて成熟した文化といいますか、 これが求められる可能性があります。現在のカルチャー教室から、参加型の文化 への展開が起こるかもしれません。
  例を挙げれば、14世紀のイタリアルネッサンスは、ひどい人口減少とか不景気 の時代に起こったのでありますが、これは商人たちが投資先を失い、文化のパト ロンになった結果であるといわれています。
  第2の質問は、少子化社会において、個人、家族、地域社会、企業、社会それ ぞれのプラス面、マイナス面をどう評価しているか。
  人口変動というのは、それが増大であれ、減少であれ、ポジティブな面とネガ ティブな面を共有しております。個人についていえば、少子化は個人のもつ価値 を高める。国家や社会に奉仕する考え方は支持されなくなるだろうと思われます。
  もし、将来の人口が限りなく減少するという風潮が一般的になってきますと、刹 那主義的な、あるいは快楽主義的な傾向が強まるかもしれません。これは14世紀 のイタリアに起こった歴史の教訓から学ぶことができます。しかし最も大きな影響を受けるのは、先ほど申しましたように家族であります。これは現代でも起こ っている問題ですが、たとえばひとりっ子が多くなる。ひとりっ子同士が結婚す る。どちらの親をみとるか、あるいは家を継ぐのか、お墓を守るのか、位牌を継ぐのか、という問題が起こってきます。
  そうすると、私は、たぶん日本の伝統的なイエは崩壊をするだろう、あるいは 高齢者を家族内で介護することは困難になるだろう、家系の断絶が多くなるだろ うと思います。ことのよしあしは別として、そういうことが現実化してきますと、 イエ的な観念といいますか、その価値観を非常に重要視する考え方の人たちとそ うでない人たちとのあいだに意見の衝突が起こる可能性があります。
  地域社会に関しては、もちろん高齢者比率が増大しますから、その扶助費用が 増大する一方で、生産年齢人口の比率が減りますから、税収の増大は期待できな い。これは論じ尽くされていることですね。このジレンマをどう解決するかとい う問題が当然生じます。
  その次に企業ですが、新卒者が減少しますから、若年勤労者の確保が困難にな ります。外国人労働者の雇用が増えるでありましょうけれども、私は、安易にそ れに走るよりも、中高年あるいは女子労働への依存を高める、そういった人びと が働きやすい環境づくりをしていく必要があると思っております。たとえば定年 を延長するとか、あるいは雇用の流動性を高めるとか、地域社会との関係を密に するとか、そういうことが必要になってくるだろうと思われます。
  また、現在進みつつある情報化の進展に合わせて、従来とは異なる勤務形態、 たとえば家で仕事をするとか、勤務時間をなにも9時から5時までに限定しない とか、いろいろなそういう対応がすみやかに実施される必要があろうかと思いま す。
  その次に教育の問題が出てきます。人口減少は、人口の資質を向上する機会で もあります。たとえば初等、中等教育では、クラス人員を少数化するとか、密度 の濃い教育を実施できるわけです。高等教育では、これはちょっと語弊があるの で、私自身も含めて関係する方がたには、申し訳ないのですが、肥大化しすぎた 大学、特に文化系の私立大学の淘汰が行われるであろう。また、行われなければ ならない。ほんとうに社会が必要とする高等教育を受けた人びとを量的、質的に 確保する、これはむしろこういう時期に、それを機会にして実施すべきではない かと考えます。
  3番目の設問は、グローバルな視点も加え、今日において最適人口規模という ものを、その是非論を含めてどう考えるか。グローバルには、現在の消費水準と か技術水準を考慮いたしますと、これ以上の環境破壊は人類の破滅につながりか ねません。ですから、人口増大にストップをかけるべきであります。
  特に人口増 大の著しい先ほど申しました発展途上国、中国、インドのような人口大国におい ては、これは緊急課題でありますから、先進国はこれをできる限り援助をすべき であります。
  ただし、中国のようなひとりっ子政策というのは、いってみれば急ブレーキを かけるようなもので、後年への影響は非常に大きい。先日もこの問題について教 育テレビでしたか、番組をやっていましたが、社会的変革は日本以上に激しくな るだろうと思われます。
  そうかといって、こういった国ぐにに工業化を禁止させることはできませんか ら、一歩先に工業化し、環境を破壊し資源を食い荒らした先進国は、環境非破壊 型の技術あるいは省エネルギー技術の開発を優先的に進める。これは歴史的義務 があると思います。日本や欧米、特にヨーロッパでは10年以内に人口の減少局面 に入ります。このことは、他の国ぐにに人口増大を食い止める模範を提示すると いう意味があろうかと思います。そういった先進工業国における上記の技術の開 発とか人口増大の停止が達成された後に、最適人口規模の是非が議論されるべき であろうというのが私の意見であります。
  4番目の設問は、出生率向上対策が必要だとしたら、どんな対策をとるべきか、 どんな対策をとってはいけないかということです。
  出生率の低下は、女子の社会的進出と深くかかわっている、あるいは高学歴化 と深くかかわっている。逆にいえば、今までの出生率が高すぎたことへの反動で あろうかと思います。きょう見せていただいた「少子化の動向と背景」の図にも 出ていますが、現在、いちばんTFRの低いのはイタリア、ドイツ、日本、日独 伊。日独伊と聞いて何を思われますでしょうか。
  これは、二つ考え方があります。私は、日独伊は戦争に負けましたから、日独 伊の女性が反乱を起こして「男性はなにやっているのか、もう子どもなぞ産んで やらないぞ」という、古代ギリシャのアリストファネスの『女の平和』の現代版 ではないかと。これは半分冗談ですが、そういうことがありますが、この三つの 国はいずれもマッチズモの社会だったわけです。
  男性優位社会だったのです。そ れへの反動と考えることもできます。
  そういうことを考えますと、日本の場合、21世紀中は直接出生率を引き上げる ような政策はとるべきではないと考え方ます。それよりも大事なことは、女子の 教育機会、女子の社会的進出をより進めるための措置を講じること、つまり男女 平等の立場から環境整備をすることがより重要である。その結果が、ひょっとし たら出生率向上になるかもしれないけれども、ならないかもしれません。しかし そのことよりもむしろ、たとえば既婚の女子あるいは男子が出産によって就業を 妨げられないようにする措置とか、いわゆる共働きがあたりまえになる社会としていろいろな制度を整備すること。育児の社会化とか、年少期の教育における児 童のケアとか、転勤に伴う単身赴任への配慮とか等々があります。
  5番目が、少子化に対応した社会経済構造のあり方としてどんな改革が必要か。
  私はこれは、生産年齢人口が一定になる、あるいは減少していく過程では、個々 人が有している潜在能力を最大限に発揮できるような仕組みを開発することに尽 きると思います。つまり、社会的な人的資源として何が必要であるか何が必要で ないかをみきわめ、そして労働の配分をする必要があります。外国人が日本へき て、お世辞にホスピタリティという言葉を使ってはくれますが、よく考えてみる と、日本ではよけいなところに人員が配置されているかもしれない。そういうこ とを見直す必要があろうかと思います。
  従来の社会経済構造は、暗黙のうちに人口は増えるものであるという前提があ って成り立っておりましたが、今後はそれを逆転させて、人口は減るものという 前提のもとに社会の仕組みを考えていく必要があります。そういう点からみると、 高額の社会資本を擁するインフラの整備、たとえば新幹線どうとかとか道路とか、 そういうことへの巨額の投資がいったいほんとうに必要になってくるかどうか。 できてみたら1台も車が走っていないなどということが起きるかもしれない。そ ういうこと抜きでは考えるべきではないというのが意見であります。
  最後に、その他、発言者の立場から、少子化問題について特に強調したいこと、 というのがあります。
  現在、われわれが直面する少子化、人口減少は構造的なものであって、程度は ともかく、長期にわたって続く。しかも、少なくとも先進工業国ではこの10年以 内に始まって、たぶん21世紀中は続く。回復するかどうかもわからない。という ことをまず認識し、しかもそのことを国民的な理解として大いに全国民に知らせるべきではないか、そのことを知るべきではないかと思います。
  こういうことは、 先ほど日本の人口変動の線を示しましたが、日本の歴史が始まって以来のことな のです。ですからその影響は非常に大きいといえます。もちろん地域的には、過 去にもありましたし、現在でも人口減少県は、人口減少というのは社会的な減少 ではなくて死亡が出生を上回った、つまり自然減、この府県が八つぐらいあった と思いますが、これがどんどん増えていって、日本全国、そうなるわけですね。 ですからその影響は非常に大きくなる。
  しかし、人口減少というのは先進工業国一般にいえることですが、1700年以降、 爆発的に起こった人口増大の反動であるともいえます。むしろ人口減少期初期の 苦痛、たとえば高齢化の急速な進展を乗り切れば、日本の社会が抱えていた基本 問題、たとえば男女の不平等とか、個人の能力開発の阻害とか、近代社会にはそ ぐわない伝統的な制度、たとえばイエ制度といった課題を解決するいい機会にな るのではないか。そういう機会をとらえて対応していくことが、我々の英知では ないかと考えております。
  以上で報告を終わります。
宮澤会長  どうもありがとうございました。大変明快な方向性をお示しいただき、また最 初のほうでは大変お叱りを賜りましたが、これは我々の今後に対する激励と受け とめさせていただきまして、どうぞご質問をよろしくお願いいたします。
袖井委員  最後の辺のところで一つお伺いしたいのですが、国民に理解をさせるというこ とをおっしゃったのですが、私は、今いちばん必要なのは政治家にどうやってわ からせるかということではないかと。今度の新幹線にしてもそうですし、今、こ こを通ってきましたら、首都なんとか機能審議会と看板がかかっていましたが、実際に今、東京都は人口が減りつつありますし、ゴミも減りつつありますでしょ う。そういうところでいちばんの問題は、私は国民はかなりわかっているのでは ないかと思うのですが、どうやってそれを政治的なシステムに反映させるかとい うことで、お考えをお聞かせいただきたいと思いますが。
速水教授  政治家の中にはいろいろな考え方があって、たとえば人口減少を非常に恐れる。 だから増やす、あるいは減らさない方策をとるべきであるという立場もあるわけ です。たぶんそういう人たちは、伝統的なたとえば日本のイエ制度であるとか、 今まで日本を支えてきた価値観を切り捨てることを否定されるのではないかと思 うのです。日本はシニオリティソサエティである、そのこと自体が問題ですが、 もちろん、一方でそういう人たちを説得していく必要はあるだろう。あるいは、 こういう人口の問題をたとえば政治の問題にする必要もあるかもしれない。
  けれども私は、実はこの問題をきょう報告するにあたって、京都のほうで大き な研究グループをつくって歴史人口学の研究をやっているのですが、そこへ来て いる人全員に先ほどの質問をしたわけです。ところが、少なくともそこに来てい る10人以上の人たちは大学卒の人たちですが、自分の結婚、自分がどう子どもを生むかということについては考慮しているけれども、国全体が今、そういう状況 になっているということはほとんど知らないのです。わからないというか、極端 に言えば関心もなかった。今、初めてわかったということなのです。
  そういう理解がないところに政治家が、たとえば人口を増やせとか人口を減ら せとかいって、そして投票するということよりも、国民がそういう問題のあるこ とをまず知ったうえで、政治家がたとえばそれを選挙のときに出して、どちらか に投票する、そのほうが大事だと私は思っております。新幹線とかなんとかというその問題は、これはまた別個の問題として、意思決定をする側が十分考慮して やらなければいけないことである。
木村委員  明晰なお話で大変得るところが多かったのですが、最後にちょっとわからなか ったのは、家の消滅とおっしゃいましたが、そしてまた家族は崩壊していくだろ うなどということばも使われましたし、家的な機関がなくなるとおっしゃいまし たが、家の消滅で何を意味されるのか、もう少し明確にお話しをいただきたいの ですが。
速水教授  日本は、家族の形ではなくて理念としては直系家族なのです。つまり、おじい ちゃん、おばあちゃんがいて、それからお父ちゃん、お母ちゃんがいて、それか ら子どもがいる。あるいはもっと孫がいる、この縦の系列で一つの家というのが 成り立っている。だから、常にそこへもどろうとするわけです。それが強いがた めに、たとえば暮れ、正月にドッと田舎に帰るとか、あるいはお墓を守るかと、 だれが位牌を守るとか、そういうことがずっと守られてきました。もちろん、戦 後の民法改正によって財産相続は平等分配になりましたが、実際にそう行われているかどうか、私は調べてはおりませんが、長男とか家の継承者あるいは相続者 は暗黙のうちに決まっていて、それを中心に一つの家構造が成り立っている。
  ところが少子化になると、子どもは1人とか2人になってしまう。
  そうすると、 その家を継ぐ者自身がもういなくなるという事態が生じます。ということは、家 理念のいちばん核心にあった家系とか、あるいはそのシンボルであるお墓とか、 あるいは盆暮れに帰るという行事がだんだん稀薄になってくるわけです。現実に 今、なくなりつつあり、これが進んでいけば、もちろん何か特別のときに家族一 堂が集まるとかそういうことは残るでしょうけれども。核家族中心の社会、アン グロアメリカ社会では、老人夫婦は非常に淋しく彼らだけですごすことがあたりまえの社会です。日本もやがてそうなっていくであろうということなのでありま す。
  説明が舌足らずですが、私の考えている基本にはそういうことがあります。
吉原会長代理  今まで、わりあい人口減少だとか子どもの出生率が低下することについて のマイナス面といいますか、デメリットが全体としては強いわけですが、きょう は先生のお話は、むしろメリットといいますか、プラス面を非常に強調されたと いうか、なるほどなという気持ちでお話を伺っていたのです。
  ただ私も短期的にはそういうメリットがあると思いますが、人口問題を50年、 100年という単位で考えたときに、今の日本の人口の減り方は、このあいだの推 計にありましたように、50年後に1億2000万が1億ぐらいになるのはむしろメリ ットのほうがあるかもしれませんが、 100年後に5000万、ひょっとすると6000万ぐらいになるという人口の減り方なのですね。それを今の時点のメリットで、出 生をそう問題にすることはないのだ、むしろ今のままで、日本の今までの悪いと ころを直していけばいいのだ、ということではたしていいのだろうかと。、最初にお叱りを受けましたように、20〜30年前までは人口の増加ということを 問題にしながら、今また、人口が減ることを問題にしてなんやかや大騒ぎするの はおかしいじゃないかといわれれば、確かにその通りなのですが、ここのところ は非常に判断が難しいところで、人口は増やそうといっても急に増えるものでは ないので、今、何か手を打って初めて50年後、 100年後に一つの効果が出てくる ので、しばらくはそんなに問題にすることはないということでいいのかどうかと いうのが、私が先生の話を伺った感想みたいなものなのですが、もし何かございましたら。
速水教授  私は、先ほど申しましたように日本の最適人口が1億でいいのか5000万でいい のかそれはわかりません。どこまで減るのかもわからない。しかし、より大事な ことは、たとえば女子の就業、あるいは出産後も就業を続けることができるとか、 それには男子の援助というか共同も必要なわけですが、そういうことのほうが大 事ではないか。それをやったあと、なお減るのだったら、そこで考えてもいいの ではないかという考えをもっています。
  なんともいえないですが、たぶんそれを やれば、そんなに減らなくなるだろうというのが私の全くの見通しです。
大石委員  速水さんのお話は、私もいつも仲間みたいなもので、経済屋として、おっしゃ ることはよくわかるのです。私個人の感想としますと、日本の今の人口政策は、 最初に非常に強調されたように、全然基本になるところがあやふやなのです。で すから今の会長代理のお話だって、5000万に減ったら困るではないか。私などは人口問題のものはどしろうとですから、困るような気もするのですが、いったい どれぐらいのところがほんとうにいいのか、それも全然議論していないのです。
  厚生省の資料の最初を見ても、「現在の人口を維持するのに必要な2.08を大き く下回って1.42になっている」。なにかこれは困ったことだというインプリケー ションなのだけれども、どう困るのかとか、ほんとに今の現状容認だけの議論で しょう。
  これでは日本の人口政策はだめなので、もうちょっと経済とのリパーカ ッションをよく考えてつくるべきだと思っているのです。
  そういう感想を申し述 べさせていただきます。
宮澤会長  そういう問題を議論すべく、ようやく動き出したということで。
大石委員  そうそう、やりましょう。
阿藤委員  今のお話にも関連するのですが、人口をやる者として、先生のお話で、たとえ ば明治以来、出生率が長期的に下がっている。そのトレンドが、ナチュラルとは いいませんがそういう方向にあるというお話だったのですが、人口転換という考 え方からいうと、その高い時期はやはり死亡率も高いから、ほぼ純再生産率が1 といいますか人口維持水準である。人口転換のオリジナルなセオリーからいうと、 下がったときにもまた同じように1ぐらいになるだろう、そういう一種の安心感 を起こすような理論があったわけですが、それが今、大幅に下がって、たとえば純再生産率が 0.7とか出生率が 1.4とか、あるいはイタリアなどは 1.2とか、そ ういうふうになっている。そこのところの違いをどう評価するかということが一 つあると思うのです。純再生産率に非常に近い、たとえば 0.9とか 0.8とかとい うレベルの少子化なのか、それとも 1.4とか、あるいはもっと低い 1.1とか、そ ういうものが長期に続くことの少子化なのか、その二つの差。
  それは同時に、たとえば人口減少のスピード、あるいは高齢化のレベル。たと えば前者であれば、純再生産率1に近いような少子化であれば、たとえば高齢化 はせいぜい65歳以上人口割合が10数%で収まる。ところが今のような水準が続け ば、たとえば3人に1人が高齢者になるというのは、ほとんど数理的に明らかなのですね。そういう少子化のレベルの違いがあまりにも違うのではないか。ここ のところをどのようにお考えになるかということなのですが。
速水教授  確かに日本の場合は急速にTFRが下がりましたから、それに見合って高齢者 比率は高まるのだろう。戦前にも人口減少をみた国はあるわけです。それはどこ であるかというと、フランスです。わずか20年間ぐらいですが、戦前期の1920年 代、30年代のフランスは、人口は減少しました。ごくわずかです。しかし、高齢 者は確かに若干は増えたけれども、その減少の度合いというかTFRの下がり方 がそんなに激しくなかったから、特に問題にはならなかったのですが、たとえば フランスの戦前期というと、経済的な停滞があり、政治的な不安定があり、いろいろな問題があったわけです。それは人口の問題とかかわっているのかかかわっ ていないのかということは、私はここではいえませんが、だれかこれは研究する 必要がある問題ではないかと思います。
  現在、日本が急に下がっていることは、あるいは日本だけでなくて世界じゅう が下がっていることは、それこそ無意識の歴史ではないか。私は歴史を研究する 者として、その時代に生きている人びとが必ずしも意識していないことが行動に なってあらわれていて、何百年かたって、あ、こうだったのかということがわか ってくる、ということがたくさんあります。
  先進工業国で起こっているTFRの低下、あるいはそれに伴う高齢者の増大は、 結果として起こるわけで、高齢者を増加させようとして起こっているわけではな い。TFRの低下は、子どもを産まなくなったということなのですね。そこから 始まるわけで、TFRの低下は、私は今までが高すぎた。つまり1700年あるいは 1750年以降、先進工業国に起こったTFRの増大が19世紀末から20世紀にかけて きて頂点に達し、それから下がり始めている、という時期ではないか。それは、 要するに意識しないで先進工業国では人口を増やしすぎたということの反動ではないのだろうか、これは非常に印象的な答えなのですが、そう考えています。
  ですからもし調査するとすれば、各個人がどういう意識をもっているか。たと えばアンケート調査するなりなんなりして出てくるかもしれないけれども、私は 今のところ、これは無意識の歴史、歴史を学ぶ者としてはその一つの現象である と思っています。
宮澤会長  まだ議論がおありと思いますが、時間も限りがございますので、河合先生のお 話を聞きましてから、また議論をお願いしたいと思います。
  河合先生は、京都大学理学部数学科をご卒業になりまして、天理大学教授を経 て京都大学教授を長年お務めになられました後、現在は国際日本文化研究センタ ー所長としてご活躍でございます。臨床心理学の権威ということは、皆さんご存 じの通りでございます。では、ひとつよろしくお願いいたします。
河合所長  今日は、こういう非常に大切な会に呼んでいただきまして、ありがとうござい ます。特にきょうは速水先生と一緒にまいりまして、非常に私は喜んでおります。 といいますのは、私の考えでは学者というのは2種類ありまして、速水先生のよ うに、きょうも資料を見せられましたが、データとか事実をもとにして的確な議 論をされるタイプと、私のように、何もないところから見てきたようなうそを言 うというのが専門の学者とあります。
  私だけ出てきましたら、どうも国際日本文 化研究センターはいいかげんなことをやっているのではないかと言われそうなのですが、速水さんがしっかりした話をしてくださいましたので、私はきょうは安 心して見てきたようなうそを言おうと思っております。
  これは冗談ですが、私も何もないところから言っているわけではありませんで、 今までの学問の事実の集積の仕方と私の根拠にしている事実が非常に違うという ことです。私の根拠にしていますのは一人の人間の心ということですから、いわ ゆる心理学というときに、たくさんの人に調査をするとかアンケートをするとか いうことは全然やりませんで、ひたすら一人の人間につき合っていく。それが1 回だけしか会わないときもありますが、長い場合は20年、30年と会っております ので、一人の人間というのはどんなことが起こるのか、どんなすごいことがあるのかということを体験している。そこからものを言っているわけです。
  私の考えでは、一人の人間の心の中に現代の社会とか文化の問題が密接に関連 しているということで、いわゆる社会学とか心理学とかいうアプローチではなく て、ひたすら個人の心をみたところから発言しているわけです。そういう点から いいますと、きょうの問題は非常に深刻な問題だと私は思っております。
  先ほど速水先生が、こちらからの問いかけを五つに分けて確実に話をされまし たが、私はその五つ全部に関係するようなところを、大まかに一つのこととして 話をするようになると思います。私の考えでは、特に日本の少子化の問題、また 世界でみましても、これは一つの文化現象としてみたほうがいいのではないかと 思います。特に日本では、こういうことが起こったのは日本の歴史で初めてのよ うなことなので、日本人として特にこの問題を考える必要があるのではないかと 思います。
  非常に大ざっぱなものの言い方をしますが、人間、一人の個人ということを考 える場合に、一般に私の自我という言い方をしますが、私という人間、私が知っ ている私、そういう自我と、それを支えるものというふうに分けて考えるといい と思うのですが、もっと思い切ったことをいいますと、私が生きているあいだに 何をしたか、生きているあいだにどんなことをしたかということが大事ですが、 どうせ死にますので、死んだあとにまで私はどうつながっているのかと、非常に 広い視野で自分をみるといっていいと思うのです。
  それが、先ほど速水先生がおっしゃいましたように、日本人にとっては家とい うのは非常に大事なものでして、自分の死んでからというものがそれにつながっ ている。一つの例を挙げますと、民族学の柳田国男が書いておりますが、自分の 近所に非常に落ち着いた、日本語でいうと「できている人」というのですか、そ ういう人がおられて、日ごろから感心しておった。いっぺん何かのときに会って 話をして、「あなたはすごく落ち着いて生きておられるようですが」というと、 「いや、私は死んだらご先祖さまになる」というのです。だから、死んでからのことが非常にはっきりわかっている。われわれは、死んでからどころか退職して からのこともわからないので、どうしてもそわそわぎすぎすしてくる。少子化の 根本にある心理傾向は、へたをするとそわそわぎすぎすになる、これが非常に大 きいことではないかと思っているのです。
  先ほどの例で言いますと、その人は、どうせ死んでもご先祖さまになるとはっ きりわかっていますので、悠々と生きておられる。
  そういう自分を支えるものの ほうを非常に大事にして、それの上にちょっと自分が乗っているという考え方が、 これは日本の伝統的な考え方で、あるいは東洋的な考え方もそうですが、それで 安定して生きていたということなのです。
  ところがそこで、特にヨーロッパのほうをみますと、ヨーロッパの近代という のは世界に対してすごい大きいことをしたと思うのですが、ヨーロッパの近代と いうのは、自分を支えるものとして神というものをもっています。ところが東洋 と違うところは、神と人間に非常にはっきりした断絶がある。これははっきり違 うわけです。人間は神になったりしない。日本人は、死んだらすぐ神や仏になっ たりしますが、はっきり断絶がある。
  神がみているということ、あるいは神の国にいけるということで生きているわ けですが、そこにはっきりした切れ目があるということから発生しまして、人間 の自我が非常に強く拡張されていった、これが近代だと思うのです。そして、そ れをもとにしてこそ自然科学というものが生まれた。私は、自然科学というもの はキリスト教と切っても切れないものだと認識しております。
  そして出てきた科学及びテクノロジーというものが20世紀に非常に発達しまし たので、先ほど言いましたが、自我が拡張したというよりは自我が肥大した、イ ゴインフレーションという言葉がありますが、肥大してしまって、神のことを忘 れてしまった。べつに神さんに頼らなくても自分の力で月までいけるじゃないか、 そういう考え方が非常に強くなったのではないかと思います。
  そういう考え方を、不思議なことに、ヨーロッパ以外の国で日本だけが非常に 早く摂取したわけです。ほかの国はなかなかできなかったのは当然で、たとえば 中国などでしたら、自分たちは道教もあるし儒教もあるし仏教もある。そんなの に比べるとキリスト教などは問題にならないというわけで、そこから出てきた自 然科学をほとんど受けとめようとしなかったのですが、日本人だけが非常に早く 受けとめたわけです。
  これは私は思っていますのは、日本人が支えにしているものが非常に明確な宗 教というのではなくて、どうもご先祖さまになれそうだとか、それから何度も速 水先生がおっしゃいましたが、盆暮れに帰っているとかお墓に参るとか、日常生 活と宗教性が一体となった生活のなかでわれわれは支えられていましたので、案外宗教的に異なる根から出てきた自然科学などでもどんどん受け入れることがで きたのではないか。だから明治以後、日本はそれに非常に成功して、もちろん戦 争に負けるということがありましたが、ここまできたのですが、とうとうその限界がきているのではないかと私は思っているわけです。
  自分の自我がこの世に生きてどれだけ楽しむか、どれだけ好きなことをするか という観点からしますと、子どもを育てるというほど面倒くさいことはないと私 は思います。ほんとうに子どもというのは勝手なことを言いますし、それから、 こちらの時間をどこでとるかわからない。夜起きたりするし。子どもを育てた方は非常によくわかると思いますが、私の知っているある女性が、子どもが生まれ たということは、自分の体にがんができたのと同じことだと言いました。つまり、 勝手に出来上がって、どんどん成長して、自分の栄養をどんどんとっていく。非常にうまいことを言うなとぼくは思ったのですが、つまり自分の自我を完全に中 心としてみれば、そういえないことはないわけです。つまり、子どもが生まれる ことによって自分の楽しみを相当とられてしまう、これが非常に大きいと思うの です。
  だから、子どもをうっかり生むと、自分としては楽しくない。
  もう一つの大きい問題は、社会がどんどん変わって進歩していきますので快適 な生活はできるのですが、快適な生活をするためはどうしてもお金が要る。その お金を獲得するためには、夫婦ともに相当働かねばならない。そういうことを考 えると、そのなかで子どもを育てることは大変なことになってくるわけです。
  だ から、どうしても子どもは少ないほうがいいとか、あるいは極端にいうと、ない ほうがいいということになってくるのではないかと思います。
  ちょっと横道みたいですが、私が人の悩みばかり聞いている職業におりますの で、友だちがひやかしまして、そのうちに日本の社会が進歩してどんどんよくな るから、おまえの仕事はなくなるぞ、と。人間の悩みなどはなくなって、みんな が楽しく生きるようになるからというのですが、私は、そんなことはない、社会 が進歩するほど悩みが増えるんだ、ということを強調しているのです。つまり、 カネを儲けようとするとその分だけ苦労が増える。それから、長生きしますと苦 労が増えるのは皆さん方も体験しておられると思いますが、あまりいいことないですね。昔みたいに60でお迎えがきたほうがよほど格好がついたと思うのです。 60でお迎えがくると、みんなも惜しんでくれるのですが、それを超えますと、み んな、待ちかねたりしまして。
  つまり、世の中どんどんよくなっていくことは、われわれに対するストレスは ものすごく増えているわけです。いわゆる先進工業国というのは、非常に不思議 なのですが、快適な生活、それから楽しい生活をするためにものすごいストレス を増やしているという、非常におもしろい矛盾したことをやっておりまして、そ のなかで子どもを育てるなどというストレスはたまったものではないと考え出し ますと、どんどん少子化していくことは当然ではないかと思います。
  そのなかに特に大きい問題として入っていますのは、速水先生もおっしゃいま したが、日本では、自分の自我を発展させるというよりは自我を全体のなかに解 消してみんなとつながって、そのうちにご先祖さまになってという生き方をして いるということは、社会に出て日本の男性にとっていちばん大事なことは忍耐す ることですね。われわれも忍耐したおかげてこうなってきましたが、言いたいこ とは言わずに、思っていることは言わずに、という格好で忍耐を重ねてきた。
  そして今までだったら、そういう社会に出ている男の忍耐をまだ下で支えてい るのが女性だった。だから女性の忍耐度はほんとうに日本の場合は強かったわけ で、それが逆転してきましたので女性が社会に進出してこられたのは非常に望ま しいことで、私はこれはもっとやるべきだと思います。いいかげんにやるよりは、 これは速水先生と意見が一致すると思うのですが、どんどん今の状況をやり抜い て、やり抜いているうちに、単に自我が楽しんでいるだけではどうもほんとうの 人間の幸福とか人間の存在は支えられないのだということを、みんながどこまで自覚するか。
  それを、「昔はよかった」という言い方をされる方は、昔に返ればいいような ことを言われるのですが、決してそうではないと思います。昔の家族はよかった と言うのは嫁さんが泣いていたことを知らない人でして、嫁さんが泣くのをやめ ますと、今、ご主人が泣いたりしていますが(笑い)、そういうこともあるとし まして、昔にはもう返ってもしかたがない。
  そうすると私が思っていますのは、車も買うし、そこらにものも食べにいくし、 海外旅行もするし、といろいろしているうちに、そういう自分はほんとうは何に よって支えられているのか、それから自分の死んでいくことをどのように位置づ けるのかというようなことを本気で考え出しますと、子どもがいることが相当大 きい意味合いをもってきますし、そういう目でみると、非常に大変そうにみえる 子育ても結構おもしろいということもわかってくるわけです。
  ところが、これはほんとうに絶対強制できるわけではありませんので、速水先 生とちょっと重なってくるのは、もうちょっとみんなこのままでいったほうがい いのではないかと。そして、これは大変だ、ということがみんなわかってくれる ところまでいったほうがいいのではないかと思っているわけです。
  そこで問題は、速水先生は、だから日本がもっているそういう家とかなにか古 くさいものを断ち切ってと言われるのですが、私はその辺はちょっと元気にいえ ないのは、いちばんある意味では先端をいっているアメリカをみていますと、決 して幸福ではないのですね。皆さん、そういうことをご存じの方が多いと思いま すが、アメリカなどは、たとえばドラッグ、薬害による問題、それを解決するだ けでものすごいお金を使っている。日本にはまだそういうことはありませんが、 どうもアメリカの社会はわれわれにとっては手本にならない。アメリカ社会は、先ほど言いましたヨーロッパの近代化を非常に押し進め、極端なところまでいっ たところではないかと思います。
  例の一つでいいますと、これは非常に象徴的だと思うのですが、レーガン大統 領の娘さんが最近、手記を書かれて、日本語に訳されました。『娘を愛せなかっ た大統領へ』という本です。
  このお嬢さんは、非常に若いときに不妊手術をして いるのです。それはどういうことかというと、子どもを産むことがどんなに不幸 なことか。ということは、子どもを産むと、自分は自分のお母さんと同じように なるだろう。そうすると自分の娘は不幸になる違いない。そういう不幸を避ける ために自分は子どもを産まないほうがいいと決意して、たしか30歳になるまでぐらいでしたかに不妊の手術を受けるのです。そのときに、もちろん医者はすごく 反対するし、みんな反対するのです。そんなこといったって、気持ちが変わるか もわからない、と。それでもうまく医者を言いくるめてなっていくことがずっと 書いてあるのです。
  そういうなかで、どれだけ自分がマリファナをやったりいろいろなドラッグの 中毒になっていったかということを書いているのです。それを見ていますと、ア メリカという社会の、みんなで楽しく、あまり嫌なことは目を向けずに、将来に 希望をもって頑張っていこうというレーガン大統領の姿そのものが、どれだけ子 どもを苦しめるかということが非常によくわかる話です。
  私は、このままいったらいいと言っていましても、アメリカのまねはしたくな いと思っているのです。あまりすごいので。そうすると、私が言いました自分の 自我とそれを支えるものをどのように考えていくかということが、日本人にとっ てのすごい課題ではないかと考えています。それが、今まで通りの家というふうなものではだめだろうと速水先生が言われましたが、私もそう思います。これは おそらくできないでしょう。
  といってにわかに、いろいろ日本は輸入していますのでキリストさまを輸入す るといってもあまりうまくいかないし、輸入しようと思っても、そもそもアメリ カとかヨーロッパで、キリスト教の今までのままの神ではなかなか通用しなくな っている。
  これはレーガン大統領の娘さんの手記にもありますが、もっとあなたの生活をちゃんとしなさいとかそういうことを言うときに、レーガン大統領は聖 書の文句などを引用するのですが、娘には全然届かない。お父さん、聖書などと いっても人間が書いたものよ、とか言って娘は反論するのですが、これはどうしてかというと、人間のつくった科学とかテクノロジーがものすごく強くなったの で、聖書に書いてある世界をそのまま受けとめることがすごく難しくなっている と思うのです。そうしますと、アメリカとかヨーロッパでも、キリスト教を支え にすることが非常に難しくなってきている。
  そこでわれわれ日本人はどんどん、自分が出来る限り好きなことをしたい、自 分の能力を出来るだけ伸ばしたい。これはいいことですね、それをしながら、そ れを何によって根づかせるかというときに、うまくいけば「新しい家族」という のは生まれるかもしれないと思っています。これはわがわざ「新しい家族」とつ けていますのは、今までの日本的な家ではないということです。しかし、自分が 好きなことをして生きていくというのと、逆に人間の楽しみは非常に不思議なも のでして、自分がだれかの役に立っているとか、それから与えられたものを受け入れるとかいう、非常に苦しい中に楽しみを見出すという両面がありまして、自 分が積極的に楽しんでいくというのと、苦しみを楽しみに逆転させるとか、ある いはあったものを受け入れるという両方あるのです。日本の伝統、与えられたも のを受け入れて楽しむというほうはわれわれは非常に長くもってきたわけでして、 これを生かしながら、しかも近代科学によってわれわれが得ている便利なものを 受け入れながら生きていく考え方、あるいは生き方を、日本人が探さねばならな いのではないか。
  そのときに新しい家族というのは、できる限りひとりひとりの力を伸ばしてい こう、男も女も子どももみんな伸ばしていこうとしながら、それにもかかわらず、 ただ自分を伸ばすだけでは人生はおもしろくないのだということを、家族でこそ 学べると思うのです。家族外のことでしたらごまかしがきくのですね。友だちな どでも、ちょっと嫌になったらしばらく会わなければいいし、お世辞も言えばい いですが、家族というのはお世辞は大体通じませんし、ごまかしてもすぐばれる し、だからお互いにボーンとぶつかり合いながら、しかも生きていくことができる。
  私は非常に極端なものの言い方をしまして、これからの日本では、夫婦の関係 は宗教性を培う最も重要な入り口であるということを言っているのです。お互い にそうだと思いますね。女と男が一緒に住んで長いあいだ生きていくなどという のは、宗教心がなかったらできないのではないかと思っているのですが(笑い)。 もちろん宗教心がなくても、家庭内離婚というのをやれば生きていけますが、そ れをやらずにやろうと思えば。
  これは冗談半分ですが、言いたいのは、自分がほんとうに根づいている、自分 がほんとうに安定しているというふうなことがなかったらだめで、それの基盤と してファミリーという場合は、これは何か日本人としてのニューファミリーとい うことを考えていいのではないかということを思っております。
  だから私が思っておりますのは、与えられた項目のように言いますと、少子化 が進んでいくというのは、私が今いっているような心理的傾向がこのままどんど んつき進んでいくのだったら、少子化ということも問題だけれども、その背後に ある自分の存在の根っこを失って、非常にみんなが外目からみれば、要するに大統領の娘がいったようなことですが、カネがあるとかものがあるとか地位がある という点ではいいかもしれませんが、本人としては非常に不満で、なんでも腹が たって、そわそわぎすぎすする、そういう社会になっていくのではないか。それがいちばんこわいと思っています。
  ただし、プラス・マイナスという点でいうと、プラス面は、今までの日本的な やり方はもうだめだ。やろうと思えば女も子どもも相当好きなことができること がわかってくるという点ではプラスですが、それだけに乗ってしまったら危ない というところがあるわけです。
  ここでもうちょっと家族ということについて言っておきますと、人間関係とい う場合に、われわれ日本人の伝統としては、言葉で言う前に、ひとつ釜の飯を食 うという表現がありますが、ひとつ釜の飯を食う限り一体である、そういうこと をなんとなく共感し合う力をまだまだもっていると思います。われわれはまだま だ人間関係の基礎にそれを使っておりまして、何か交渉する時でも、一杯飲んだ り食ったりしなくてはならない。これは合理的な人から非常に攻撃されるのです が、私は悪いばかりではないと思っています。
  ただし、それを今度はアメリカ流にいきますと、そんな一体感ではなくて、全 く切り離された人間が言葉と言葉ではっきり話し合って、そして契約を結んでい くという関係があるのですが、私は人間の人生をみていると両方いるのではない かと思うのです。アメリカでドラッグを飲んでいる人たちをみると思うのは、あれは薬を飲んだときだけ一体感が生まれるわけです。非常に判断力が変わります から、一緒に飲みますと、その5人なり10人なりはすごい一体感を感じる。薬の 力によって感じるわけです。そして実際に、私はやったことはありませんが、やった人に聞きますと、おもしろいときには、一緒に薬を飲んだ人たちが幻覚を共 有するというようなこともできるのですね。みんなで同じものをみている。たと えばマリアさまをみているとか、そしてそのマリアさまに包まれて10人ともが一 体を感じるというようなことが、薬の力を借りて彼らはするわけです。
  というのはなぜかというと、先ほどのレーガン大統領のお嬢さんではないです が、ちゃんとしっかり生きることを教えられているようだけれども、どこかで切 れてしまって、ものすごい孤独に陥るわけです。だから、家に帰ってもほんとう の自分の家とは思えない。そうすると、飲む仲間とは完全にシェアできるという 格好になる。それを一瞬でも感じるにはドラッグをするかセックスをするかどち らかなのですが、セックスのほうはへたするとまた人間の関係ができますから、 うるさくなってきて、ドラッグに頼ることが多くなっていくわけです。
  そういうのをたくさんみていますと、日本人のもっているこういう一体感はど こかで置いておきたい。しかし、それがよかったから昔に返ろうとやってしまう と、全然今までやってきたことの意味がなくなるのですが、日本の歴史を考えて みますと、日本人は非常に不思議に、仏教が入ってきたり儒教が入ってきたり道教が入ってきたりするので、普通だったら、優位な文化が入ったら良い文化は完 全に破壊されてしまうのですが、日本人はそれをみんな日本化して日本教にして きた歴史をもっておりますので、今度の場合も、うまくいけば何かおもしろいことを日本人がやらかして、日本的な意識といいますか、そういうものが意味をも つのではないかという希望を私はもっているのです。
  それには、日本の女性の意識が相当大事になってくるのではないかと私は思っ ています。
  だから、対策のことは非常に迷うのです。私はちょっと楽観論みたいなことを 言いましたが、出生率は相当下がってくると思うのです。そのときに、会長代理 の先生がおっしゃったように、急にあわててやっても、パッと上がるものではな いのですね。
  相当落ちるところまで落ちて、日本人がもういっぺん考え直すのを待っているあいだに、私は出産して子どもをもっている人に対する手当とかそう いうものが、ある程度要る時期があるのではないかと思っています。私が言って いるような仕事は大変な国民全体の意識の変革みたいなものですから、それが生 じてくるまでのあいだに、具体的には、私の言っているような根本問題とは違う のですが、やはり子どもを産んだほうが少し得らしいとか、そういうところであ る程度支えなかったら、ちょっと危ないのではないかなという意識をもっていま す。そこは速水先生とちょっと違うところです。
  以上が私の考えですが、言いましたように、私のはあまりデータも具体策もな いのですが、そのようなことを考えております。
宮澤会長  どうもありがとうございました。それではどうぞ質問を。
福田委員  現在の日本の問題、特に家族の問題について、大変興味のあるご意見を伺いま した。ご存じのように、最近ではディンクスという言葉がある。夫婦共稼ぎ、ダ ブルインカム・ノーキッズ、そういうものがどうして出てきたかということを非 常にクリアに教えられました。先生が大体アメリカのケースでキリスト教世界の ことをおっしゃったわけですが、私自身の経験では、ヨーロッパ、特に私の場合 には英国が、しかもアカデミックな社会が多かったのですが、そういう先進国の 社会で家族関係、子どもに関する関係の荒廃という問題は、私の経験した限りではかなり違うのではないかという印象をもちます。
  おっしゃるように、子どもというのは非常に面倒くさいものであるという認識 はどこの社会でもあると思います。逆にその点からいいますと、かつての日本で ははるかに子どもに甘かった。
  私の子どもが生まれたころに日本を紹介したむこ うの雑誌の標題が「ジャパン・ザ・ランド・ホエア・ベイビーズ・ネバー・クライ」、決して泣かない。おしめはしょっちゅう替えてやる、ほんとうにかわいが っている。そういう点でいうと面倒くさいからというので、なんべんもおしめを 替える必要などない。
  それで子どもは死にやしない、というようなところは非常 に割り切っている。赤ん坊について、イズ・ヒー・グッド?と聞くのは、夜起き てワーワーいったりなどしないか、いい子というのは親の手をかけない子だとい う意識がありまして、日本というのはほんとうに子どもに対する愛着の強い国だ というイメージがございました。
  先ほど、速水先生もおっしゃったかつてのフランスで人口が落ちたころ、それ についての解釈のなかには、フランスの婦人は容色が衰えるのをおそれて子ども をもちたがらないという説があったのを、私は今でも記憶しております。片一方 でそういうものがありながら、しかし子どもがいることの喜び、キッズがいるこ との喜びは、これまた非常に強いのですね。逆にいいますと、ちょうどそのころ は日本でも、先ほど、人口の増加をどうしてとめるかばかり考えていたとお叱り があったのですが、今度、三池がつぶれましたが、そのころはちょうどエネルギーの転換があったときで、日本の坑夫たちを西ドイツにずいぶんやった、そうい う時期がございました。だから、日本で子どもがあまり歓迎されるものでなかっ た時期に、むこうでみておりますと、生まれる子どもへの歓迎は非常に強かった、 非常な興奮を巻き起こしますし、そして養子の制度、それから再婚する場合に子 連れであるということで不利にならない。そういうケ−スも、私は見もしました し、経験もしました。
  よくいわれますのは、後進国の場合には、子どもは生産財だから、アジアでい くら産児制限のことをいっても、たくさん子どもがいれば親を食わせてくれるの だ。ところが先進国では、子どもは消費財であって面倒なうえに、コストはかか るけれども、いること自体が楽しみを与えてくれる、そういう意味での子どもに 対する愛着は非常に強くございます。
  その点で申しますと、あれだけの養子制度があるということは、単に人道的な 意味だけではなしに、家族の中に小さい者がいることに対する欲求なしには考え られない。日本では考えられないほど養子は多いです。そういう現象をいったい どのようにお考えになるか。
  特に日本だって、子どものない人にお聞きになれば、それは子どもはほしい。 これは確かに核家族です。核家族であっても、子どもがあって初めて家族である。 そこに、先生のおっしゃった裸のつき合いがある。そのかわり、これは北欧の場 合、非常にはっきりしているのですが、大体高等学校を卒業すれば親の家を出て、 独立して家をもたせる。そういうことで、自立に対するメカニズムも非常に強く 働いていて、そういう形でキリスト教の伝統のなかの文化と現実との一つの接点 をもっている。
  私自身の観察にそういうことがあったものですから、先生はごらんになってど のように解釈されるか、ちょっと承りたいと思います。
河合所長  ただ今おっしゃった通りで、アメリカでもそうでして、ちゃんとキリスト教の 伝統といいますか、そういう世界に生きている家は非常にしっかりしています。 ある意味でというと、日本よりも家族のお互いの関係とか、それを喜ぶこととか いうのは、非常にはっきり今でもあります。だから、むしろ欧米の場合は、キリスト教的な支えがそのままで完全に生きておればあまり問題ないのではないかと 思いますが、残念なからだんだんそうなくなりつつあるところ、先のことを私も 考えるし、それから私はうまくいっていない人のほうばかりみる職業でありますのて、どうもそちらのデータが多すぎでいけないのですが、そういうのを見てお りますと、どうしても心配になってくるというところがあります。
  先生のおっしゃったことをもうちょっと言いますと、私もスイスに3年ほどお ったのですが、びっくりしたのは、親子のあいだの電話とか手紙とか贈り物とか いう統計をとりますと、日本よりヨーロッパのほうがよほど多いのですね。それ はなぜかというと、個人と個人が関係をもつためにはそれをやらねばならない。
  日本人は、ずうっと別れていて、「チチキトク」というときにパッと帰ってもな んとなく関係があるというのは、どうせみんなご先祖になりますので、またあっ ちで会うわ、というね。だから関係のもち方が違うので、簡単にいえない。
  ところが日本は、今までの関係のもち方のところへ急に欧米のものを取り入れ てきていますから、これがそう簡単に一緒になるものでないという自覚がなさす ぎてやっている。そうすると子どもの育て方のときに、今までの日本的な育て方 もできない、今の欧米の育て方もできない、どちらのやり方もやっていないとい う子育てをしますので、よけい日本は子育てが難しくなっていると私は思ってい ます。そして難しいのは、そういう欧米のよき家庭というものが日本人にそう簡 単にモデルなり得ないところに問題があると考えています。
水越委員  先ほど速水先生が、少子化がどんどん進んでいけば家庭は崩壊の方向に向かう というお話をされて、河合先生が新しい家族像が日本のなかで生まれてくるので はないかということでしたが、自我と自分を支えていくもの、その自分を支えて いくものとしての新しい家庭というのは、血でつながっているこれまでの家ということではないということですね。その辺のところで、もちろんこれは新しいフ ァミリーを日本人自身がいろいろな知恵でつくりあげていくものだといわれまし たが、先生ご自身としてこういうあり方がいくつかあるのではないかとお考えになっていらっしゃることを、お聞かせ願えたらと思うのですが。
河合所長  私の考えは速水先生とちょっと違うようですが、あるところで一致してくるの は、つまり古い家はもう崩壊するということですね。古い家が崩壊するかわりに 新しいファミリーがあってほしいと思うし、あるべきだと思っているのです。そ の一つとしては、日本の家庭がある程度、先生もおっしゃいましたが、欧米流の 家族の関係をどこまて取り入れられるかだと思います。それは、夫婦が会話をす るとか、親子が会話をするということではないでしょうか。その会話のときに、 意見が違っても思い切って言って話を続けるということをやっていく。やっていくのだけれど、欧米の場合は、そういいながら、みんな神というものでつながっ ているのです。我々はキリスト教の神をもっていないわけですから、それをつな いでいくものはいったいなんなのかということを、ずっと探っていかなければい けないのではないでしょうか。
  私は、これからの時代は各人が自分で心のなかに探っていくよりしかたがない し、それを探っていく非常に大事な相手が家族ではないかと思っています。だか らこういう言い方をしたのですが、家族とともに永遠に同伴してくれる存在、永 遠の同伴者というのが心のなかにみんなできるかどうか。実際はみんな死ぬので すから、心のなかにそれをどうもっていくか。日本の場合は、それを象徴するも のとして、たとえば仏壇があったり神棚があったり、床柱があったり、そういう ものでやってきたわけですが、それがそのまま心に生きる人は結構ですが、そうでない人は自分で見出していかねばならない。
  しかし、こんなことを言っていますが、日本人にとっていちばん難しいのは夫 婦の対話だと思います。こんな難しいことは私はないと思いますね。そう言うと、 若いひとは「うちはやっている」というので「何を言っているのか、おまえらは 二人でひとりごとを言っているだけや」といっているので、ほんとうの会話とい うのは、やり出すと大体喧嘩になりますから、普通はなるべく会話を避けてにこ にこしているのですけど、少しはそういうことが必要になってくるのではないで しょうか。
河野専門委員  これはちょっととんちんかんな話かもしれませんが、最近の合計出生率の 低下を分析しますと、非常に最近、結婚をしなくなったといいますか、いわゆる 未婚が増えたということなのですね。私はいろいろ30代の、学歴もあるし非常に 美人の未婚の方がたたくさんおられまして、なぜ結婚しないかと聞きますと、それはいい男がいないというのが多いですね。そのいい男がいないというのはどう いう意味かといいますと、べつにハンサムとかリッチというのではなくて、男ら しいといいますか、男として気概のある男がいない、そういう感じがあります。
  そうなってくると、出生率を上げるためは、回り回って男らしい男をというこ とになりますが、よく考えてみますと、やはり二つぐらいあると思うので、先生 にご意見をお聞きしたいと思います。
  一つは、受験戦争で非常にゆがんでいる。受験戦争というのは大体記憶力を非 常に強調しますね。そうすると、その辺でつまらないことといっては悪いのです が、これは歴史ですから速水さんに悪いのですが、西暦何年にどうこう、そんな ことばかりやっていまして、なんの生活に関係のないようなことをやる。そうい うのがある。
  もう一つは、最近、ハヤシミチヨシさんという人が書いた『父性の回復』とい うのをみますと、だんだん日本には父性がなくなっている。いわゆるファーザー フッドといいますかファーザリネスといいますか、そういうのがなくなって、善 悪を教える、もちろん女性もできるわけですが、そういうのがなくなっている。
  最近、いじめだとかホテル家族だとかいろいろありますが、それはある程度、男 が男らしくなくなったというのとつながっているような気がします。それで女性 が、これはある意味ではかなりのところはすっぱいブドウだとは思いますが、すっぱいブドウというのは、そういうところがどうかということでございます。
河合所長  それを私は少子化の一つの大きい原因だと思っています、実際に。
  結婚するこ とに非常に魅力がなくなっているのです。それは先ほど、子どもを育てるのは大 変だと言いましたが、夫婦関係を維持するのは非常に大変なことです。
  非常に思い切ったことを言いますと、日本の場合の女性のほうの意識のほうが ちょっと先に進んでいるのです。男はどうしても遅れるのはあたりまえで、男は 今までずっと社会の中に組み込まれていましたから、日本の社会は、私が言って いるような自我とか強い意識をもつと出世できないのですね。そういうのをなる べくすり減らしたり隠したりして生きているわけですから、自分というものを前 面に押し出さないような訓練を男は受けてきている。それが急に結婚して女性か ら「あなた、自分のことを言え」といわれてもものすごく難しくて。
  最近も私はテレビドラマで見たのですが、中年の男に奥さんとか娘が「自分の 言葉で話しなさい」と言っているのです。ぼくはそれで思ったけど、自分の言葉 でしゃべったら、日本の社会に生きておられへんと。ぼくなどは思ったことはほ とんど言わずに生きてきたので、ちょっと出世したりしましたが。
  だから、ここで先生のおっしゃるように根本的に考えるならば、日本の男性も 変わらねばならない。しかしそういうふうに意識を変えた男性が生きていくよう な社会も変えねばならないというので、これは根本的に言い出しますとすごい大 きい問題が背後にあると思っています。確かに私も同じで、女性に聞きますと、子どもはほしいけど相手の男がいないという人がすごく多いです。というのは、 ちょっと意識のずれがありますからね。
  日本の男性がそれに見合うようにすると なると、われわれ日本の社会とか、もちろん家族のあり方から変えねばなりませんが、相当な意識変革。
  それが行われるためには私は、少子化が進んで、みんなが、これは大変だとい うあたりからちょっと危機意識が出てきて、変えようというふうになっていくの ではないか。ただしそれはどうしてもずれが生じるから、あいだには実際的な手 当てはしていかねばならないのではないかと思っていますが、先生のおっしゃることは、根本的には非常に賛成です。
  ただ、ちょっと私の考えでは、父親の復権ということをいわれるのですが、今、 日本の女性たちが望んでいるような父親の強さというのは、日本の歴史になかっ たと思っています。日本の男は忍耐する強さは世界一ですが、自分のことを前面 に押し出していくことはあまりやらなかった。それが日本の男の強さで、今ほし いのは欧米流の父の強さですね。これは種類が違うと思うのです。それを復興す るなどというのではなくて、新たに日本でつくっていくのだというぐらいの気概 がなかったら、できないのではないかと思っています。
坂元委員  私は産科医ですが、お二人の先生のご意見に賛成の立場でおります。
  子どもを産みたくなるような環境や体制づくりは、国や社会ができるだけの努力をすべき でしょう。しかし、産むのは夫婦ですから、そのカップルが、子どもを中心にし た家族の絆を持つことに価値を見出さない限り、他からどんなに言っても無理です。条件を整えて自然に時の熟するのを待つほうが賢明であろうと言っておりま す。ジェンダ−から言えば、小さい時からお人形で遊んだりする女性の方が、自 分で子どもを抱いて育てたい気持ちは、男性よりはるかに強いわけです。
  700組のカップルに講演したとき聞いたことがあります。「ご主人が、全く 自分と同じように育児、家事に参加してほしい女性の方は、手をあげて下さい。」 と申したのですが、たった一人手があがっただけでした。そのとき伺ったもので すが、「分からないことを無理してやってもらっても後が大変、そんなことより、 こちらのつらさを理解して、いたわりの言葉一つかけてくれればいい。」、「家 庭をもつことに、子育てに生き甲斐を感じないみたい、学費や住まいのことばか り心配している。」、「男らしい生き甲斐の片鱗を示してくれない。」という不満が聞かれました。インテリなら、その位のことが判りそうなもんですが、米国 の医師3人に1人は離婚経験者です。生き甲斐や絆の教育はどうしたらいいのか、 男女含めてどうしたらよいのかお伺いしたいと思います。
  もう一つの経験は二つの女性インテリグル−プの差です。女子医大に勤めた経 験から言うと、若いときには勉強や当直や男以上に大変だし、教職についてから は管理や研究指導など男に負けていられない。その時の家族、特に夫のサポ−トほどありがたいものはない、それがあればやっていけるし、子供も産める。実例がみなそうです。
  もう一つのインテリグル−プは、学校の成績も勤めてからの仕事内容も男性群よりもずっと優れているのに、平均給料は60%、システムが全部、男性有利に なっている。こんなことをしていたのでは、祖母や母と同じ道筋をたどるだけだ と、転職し独立してしまった人達でした。こういう人達の中に結婚したくない症候群が混じっていると感じました。社会システム、そして男への反逆とも言えま す。
  特殊技能を持った人達のグル−プと、そうでない独立心の強い人達のグル−プ の差かもしれませんが、教育では充たされない深層心理が、意外に強く働く時代 になったのではないかとも思います。
  その辺のことについてもお教え下さい。
河合所長  難しいので答えにくいですが、私は、もっとみんなが好きなことをしたらいい というのは徹底しておりまして、女性でも、なにも子どもを産みたくない人は産 まないほうがいいし、それから、女性が働いて男が家事をするというのもあって もいいし、その辺は日本でうんと多様性をみんな認める。お父さんがいない子どもがいてもいいし、というか、日本はどうしてもみんな同じでないといやだとい うのがありますが、これをすごく破ることを考えないと、みんなと同じようにし て、しかも子どもを育ててとなると、どうしても苦労のほうばかり増えていくので、これは速水先生もおっしゃいましたが、それぞれの人間が好きなことをして、 多様性に対する許容度をもっともっと日本の社会が上げていく。そうすると、子 どもの多いところもあるだろうし、生まれない人もあるだろうし、ということに していっていいのではないか。言うのは簡単で、なるかどうかわかりませんが。
  それから、先生の二つ目の質問はちょっと難しすぎて、答えられません。
坂元委員  速水先生に一つだけお伺いしたいのですが、はじめの頃、この審議会に出まし たとき、日本人の人口動態ばかり伺って、日本人の減ることが日本を不活性化す るような話が続きました。
  これ程文明・文化的にも進歩している国で、一方的に人口が減り続けることが あり得るのか、狭い日本なら適切な総人口に近づけばその方が住みやすいし、ア ジアの中で日本が飛び抜けて黒字体質をもっていれば、放っておいてもブラック ホ−ルのように周辺から人々が集まってくる筈です。
  こうした周辺との経済的バランスを考慮しなければなりませんし、多民族が共 同生活できるような法を整備するなら、それも一つの生き方です。長期的に眺め た場合、その辺の見込みはどう考えればいいんでしょう。
速水教授  ただ今のご質問に、歴史人口学を専攻としている私が自分の専門の立場からお 答えすることはちょっと無理かと思います。しかししいてお答えするとすれば、 日本の少子化に伴う将来の人口減少はもう避けられない。これがどこまででとま るかということも、人口問題研究所その他の方に申し訳ないけれども、予測通り いくかどうか、だれも保証できない。それは、先ほどいろいろ議論されておりま すように、どこかでそれがとまって、再び男性も女性も、あるいは社会が、人口 をもうこれ以上減らすまいとする力が働くかもしれない。私は働くだろうと思っています。つまり、この勢いでどんどん減っていって、日本の人口は、江戸時代 初めは私の推計では1200万くらい、奈良朝時代が 600万ぐらいですから、そこま で下がってしまうとはちょっと考えられない。しかし、明治初年の3600万とか40 00万とか、そこらまで下がるかもしれない。
  私は、最適人口が何人かということはなんとも申し上げられないのですね。で すが、21世紀中にたぶん、今いただいた資料によると中位推計で2007年がピーク で、あとは下がり出す。どこまで下がるかについては議論があるけれども、下が ることには間違いないわけです。
  そこでもう一つの問題は、産む子どもについて、欧米と日本の違いがあります。 それは何かというと、欧米では婚外子の率が非常に高い。北欧はもう50%近い。 西ヨーロッパでも30%とか、欧米はそこまでいっている。婚外子を産むことが恥 でもなんでもない。あたりまえの社会になってしまったのです。ところが、日本 ではこれは非常に低いわけです。日本が欧米のようになるかならないかというこ とは、一つの分かれ目かとは思います。
  日本も婚外子を産むことがべつに恥でも なんでもないようになるかならないか、ということもかかってくるだろうと思っています。
  それの善悪については私は何も申しあげる立場ではありませんが、欧米の場合 をみると、同居している男と女が子どもを産んで、それが結婚しないばかりでは なくて、二人のあいだに子どもができても、男性はどこかへいってしまうわけで す。それで、シングルマザーが国から補助金を得て暮らすというのが北欧型である。そこまで日本がいくかどうかについては、私はなんとも言えませんが、そう いう方向が出てこない保証もないわけです。
  ですから、お答えにならないかもしれませんが、少子化ということは実はその 先にそういう問題を抱えていますよ、ということだけは認識しておく必要があろ うかと思います。
宮澤会長  ありがとうございました。まだいろいろお聞きしたいところがたくさんござい ますが、既に予定の時間を超過してしまいました。
  私ども人口問題審議会として は、いろいろ厚生省が出してくる対応策を議論する機会が多くなっておりますが、 その場合でも、今お話しいただきましたように、人間存在の根っこに遡った形で のリンク的な発想が必要であるということを、いろいろな角度から教えていただ きました。非常にありがたく、お礼を申しあげたいと思います。どうもありがと うございました。
  では最後に、進め方についてお話ししたいと思います。基本的にこの少子化問 題のどこに焦点を合わせて、これから効率的にどのように議論を行っていくか、 これが重要な問題であります。
  今後の審議の進め方につきまして素案を用意して ございますので、事務局からご説明をお願いいたします。
政策課長  お手元の資料2をご参照いただきたいと思います。人口問題審議会の今後の進 め方ということでございます。
  今後の進め方をご説明する前に、2枚目の「少子化をめぐる論点」(未定稿) というのをごらんいただきたいと思います。会長からもご指示がありまして、今 後の頭の整理、戦略、これを整理するようにということで用意させていただきま した。
  基本的に少子化の進行は、人口が減少し、人口構造が地域的な問題を含めて変 化する、このような事態と考えまして、きょうのご質疑でもございましたが、人 口が減少する社会の姿そのものをどのように描くのか、まずここからさまざまな 問題の整理が進むのだろうということで、社会経済の変化をとりあえず 1から6 までの分野で整理してみました。その中には、個人の価値観、生き方という非常 に基本的な問題まで含めてということで、それぞれについて「たとえば」という ことで論点をこのように並べてみたわけでございます。
  基本的な手法としては、人口減少社会というものを中位推計で、今の自然体で どうなるかという推計が出たわけでございますので、そのような意味における数 字などを参照いたしまして少子社会の姿を論じていただく。そのなかからおのず から少子化対策というもの、一つは人口減少社会がどのような社会であったらよ いかという基本的な社会のあり方、そしてそれとの関連で、出生率に関する対応 をやるのかやらないのか、どこまでやるのか。育児支援という形では、健康な子 どもを産み、育てるという意味では現行で政策が打たれているわけですが、さらに今いったような道筋の議論をしていただくなかで、出生率に関する対応の概念 も明らかになってくる。
  本審議会におきましては、まず少子社会の姿、そしてそれを描く中からの少子 化対策のあり方、これは今、議論になっています意識の問題を含めた構造のあり 方を浮かびあがらせていただいて、そのうえで、一つは出生率に関する対応とい うものの議論。そもそも少子社会についての非常に幅広い政府全体の政策がどう なるかといった議論、こういう道筋を描いて、基本的には本審議会では少子社会 の姿、少子化対策のあり方という全体の整理、そして産業構造、地域構造、これ は各省に審議会がございますので、むしろ出生率に関する対応の部分、こういったところが本審議会のメインの論議の流れではないかと思われますが、当面、少 子社会の姿、あるいは下に二つの箱があります総論としての少子化対策のあり方、 このあたりの論点をご整理いただくのが一つの流れではないかと認識しておりま す。
  1ページに戻っていただきまして、そのような作業の仮説といいますか前提の 流れを念頭に置きまして、6月ぐらいまで月2回ぐらい開催をしていただきまし て、今申しました 1、 2の箱を中心に論点整理をいただく。
  当面、学識経験者からのヒアリングで、きょうのような形で自由なディスカッ ションをいただくということで、次回、3月14日は、経済のご専門家である正村 先生、文化人類学フェミニズムの専門家である原先生まで予定を入れさせていた だいております。
  その後、今いったような枠組みでここの・のようなことを考えておりますが、 このような事項そのものにつきまてもまたご意見を仰ぎながら、今いったような 流れでやり、そして6月以降、今いったような枠組みでの論点を整理する作業に 入っていただいてはどうかというのが私どもの案でございます。
  以上でございます。
宮澤会長  ありがとうございました。審議会の進め方につきまして、ここに書いてあるよ うに未定稿ということで提案していただきましたが、今後、皆さまの意見によっ て、必要に応じて修正していただいたらと思います。
  何かこの時点でご意見がございましたら、お願いをしたいと思います。少子社 会というより、人口減少社会ということをむしろ表面に出して考えたらどうかと いう意味で、ここに人口減少社会という用語も導入してございます。
福田委員  資料のことで、きょう、速水先生から「最初に文句がある」ということで、こ の人口問題審議会がかつて、人口増加策ばかりをずいぶん遅くまで議論をしてい たということを伺ったのですが、私は新入りなものですから、昔、どういう答申 を出しているかというのを知らないのです。速水先生はよくご存じだろうと思い ますが、ある程度、この審議会の流れを知るような資料をいただければありがたいと思います。
宮澤会長  そうですね。私もこういう座に座っておりますが、昔のことはよく知らないの で、申し訳ございません。ぜひそれは必要なことです。
  ありがとうございます。
  ほかに何かございましょうか。それでは、今の案、順次、必要に応じて手直し をしていくということで進めたいと思います。
  なおもう1点、今まで特別委員会を設置してまいりまして、人口問題と社会サ ービスに関する特別委員会、これで何回か関係省庁十何省、それから外国人講師 からヒアリングを行ってまいりました。
  しかしそれとは別に人口推計が発表され まして、今後、この審議会総会で少子化問題を議論することになりましたので、 特別委員会での検討は今後、発展的にこの総会に引き継ぐことにしたいと思いますが、いかがでございましょうか。
(「異議なし」の声あり)
 それでは、そのようにしたいと思います。
  何かほかにございませんでしょうか。
坂元委員  当然この中には、リプロダクティブヘルスだとかライトだとか、そういうもの も出てくると思いますので、そういったものも資料にしていただきたいと思いま す。
宮澤会長  ヒストリカルな経過の関係、基礎的なことですので、よろしくお願いします。
  それでは、本日はお忙しいところをどうもありがとうごさいました。

問い合わせ先 厚生省大臣官房政策課調査室
   担 当 齋藤(内線2931)
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       (直)03−3595−2159


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