2 東アジア諸国の労使関係の分析
(1) | 社会的対話システム 東アジア地域の社会的対話システム、即ち労使を軸とした政労使が対等の立場で意思疎通を図り、ひいては相互の利害調整を図っていくためのシステムの特徴は次のとおり。 東アジア地域の社会的対話システムは、労使関係が未だ成熟しておらず、政府の立場が相対的に強い国が多い。社会主義国である中国やヴィエトナムのほか、シンガポール等でも政府の立場は強い。この背景には、(1)農業の産業に占める重要性が高いこと等もあって、就労者に占める労働組合員の割合が低いこと(例えば中国やタイは就業人口の約半数が農業に従事しており、タイでは労働組合の組織率は2%程度、韓国で12%程度、産業化の進んだシンガポールでも、労働組合の組織率は15%程度である)、(2)労働組合法制が、労働組合活動に対し先進国より厳しい制限を課している場合が多いこと(労働組合の登録制やストライキを行う前に必ず公的調整を経なければならないこととされていること等)があるものと思われる。 もっとも社会的対話システムの具体的なあり方は、各国の状況に対応し、それぞれの国に多様性を有する。例えば、(1)韓国は、社会的対話システムが比較的整備され、法律において労使政委員会が設置され、政労使三者構成で労働社会政策に関する重要事項を話し合うこととなっている。(2)中国及びヴィエトナムにおいては、労使は共産党の指導下にあり、その枠内で社会的対話を行うことになるが、近年の市場経済化に対応するため、労使交渉のシステムが徐々に整理されつつあり、中国では、昨年工会(労働組合)法が改正されるなど動きが見られる。(3)インドネシアにおいては、民主化政策により、多数のナショナルセンターが分立してそれぞれ勢力争いをしているなど、社会的対話システムの構築には課題が多い。実際、最低賃金を巡って労使の対立の中で行政当局が朝令暮改を繰り返すなど、混乱が生じている。 |
(2) | 労働組合の動向 労働組合の設立については、法的保護を全て認められるためには登録が必要という面では各国とも共通であるが、その登録の性格には国によって違いが見られる。即ち、(1)登録を認めるかどうかに行政の裁量が大きく働く余地が大きく、事実上許可制に近い国(タイ、マレイシア、シンガポール)、(2)届出主義の国(インドネシア)、(3)自由設立主義をとりつつ労働法令上の保護を受けるためには登録が必要な国(韓国、フィリピン)、(4)事実上幅広く強制設立を求める社会主義国(中国、ヴィエトナム)がみられる。労働組合組織率については、フィリピンの27.2%(2000年)からタイの2%(99年)まで幅があるが、近年組織率が減少している韓国以外は、いずれも組織率に特に大きな変動はみられない。中国及びヴィエトナムについては、社会主義体制(労働組合の設立を法定)のため全般的に組織化されているが、近年、外資系企業の進出に伴い労使関係に変容をもたらしている。 なお、労働組合の全国組織たるナショナルセンターの力は、社会的対話システムの項で述べたとおり、概して政府との関係では弱い立場にある国が多いが、それぞれに特徴もある。即ち、(1)社会主義国である中国及びヴィエトナムは、ナショナルセンターが設立されていることを前提とした労使関係が行われており、その使用者側に対する力は一定程度のものがあると考えられるが、政府に対しては、ナショナルセンター自体が共産党の指導下にあり、党・政府に従属している。(2)シンガポールは、唯一のナショナルセンターが与党人民行動党と密接な関係を築いており、その書記長が首相府大臣となるなど、労使関係に強い影響力を有するが、政府・人民行動党との関係で強い立場にあるとは考えにくい。(3)インドネシア及びタイにおいては、ナショナルセンターが多数分立しており、統一的な運動という面からは使用者側や政府に対する影響力は限定されていると考えられるが、インドネシアのように違法ストが多発するなど労使関係に混乱がみられるものもある。(4)マレイシアにおいては、インド系移民を中心としたゴムのプランテーション農場の農業労働者が、イギリスの労働運動に範をとって始めたことが起源となっているため、使用者側に対する影響力は一定程度あると考えられるが、政府に対しては、その統制もあって、強い立場にあるとか考えにくい。(5)フィリピン及び韓国においては、ナショナルセンターも比較的数が少なく、労働組合に対する政府の統制も比較的緩やかなため、政府に対しても使用者側に対しても比較的強い立場にある。フィリピンでは、急進的な労働組合であるKMU(5月1日運動)が現アロヨ政権成立に大きな貢献をしたこともあり、政府に対しても使用者に対しても強い影響力を有しており、韓国においても、韓国労働組合総連盟及び全国民主労働組合総連盟がその強い組織力によって、政府及び使用者に対して強い影響力を有している。 ナショナルセンターの運動方針は、共通点を見いだすことは難しい。ただし、大きく分けて労使協調路線のところと、労使対立的な路線を取るところとがある。国によっては、労使協調路線を取るナショナルセンターしか存在しない。例えば、(1)中国、ヴィエトナム、シンガポールにおいては、それぞれ中華全国総工会、ヴィエトナム労働総連合及びシンガポール全国労働組合会議が唯一のナショナルセンターであって、これらは全て労使協調路線である。(2)タイ及びインドネシアにおいては、ナショナルセンターが多数分立しており、その運動方針も様々である。(3)フィリピンにおいては、比較的労使協調的で穏健なフィリピン労働組合会議等のナショナルセンターと、労使対立的で急進的な5月1日運動等とがある。また韓国においては比較的労使協調的な韓国労働組合総連盟と、労使対立的な全国民主労働組合総連盟とがある。 |
(3) | 使用者団体の状況 各国に使用者団体が組織されているが、その主張は使用者の利益を守ることにあり、労働組合のように運動方針を巡る大きな思想的な違いが存するわけではない。どこの国においても数団体が存する場合が多い。 |
(4) | 労使紛争の現状 東アジア諸国の労使紛争の状況をみると、労働争議が多発している国(インドネシア)、近年増加傾向にある国(中国、韓国、ヴィエトナム)、変動の激しい国(フィリピン)及び労働争議が少ない国(シンガポール、タイ、マレイシア:マレイシアは労働争議は少ないものの労使紛争は多発)など多様である。これらは、各国の国民性や制度的要因(労使紛争処理システム)に加え、民主化政策、経済構造改革、市場開放政策、対労働組合政策等様々な要因によるものと考えられる。今後、中国のWTO加盟、AFTA構想の進展等により東アジア地域の国際競争が一層激化し、企業のリストラクチャリング、生産拠点の海外移転の動きが活発化する中で、当該地域の労使紛争増大の潜在的可能性が高まるものとみられる。 かつては労使紛争は比較的少ないといわれてきた日系企業であるが、最近では必ずしも例外ではなくなってきており、大規模なストライキや労使紛争の長期化に悩まされる企業も増加している。約2割の日系企業が過去5年間に労使紛争を経験しており、その原因として、賃金(55%)、福利厚生(21%)、雇用調整(18%)等をあげている(詳細は、日本労働研究機構「日系企業の人事労務管理に関する実態調査」を参照)。国別には、インドネシア、フィリピンで大規模なストが頻発しており、スト実施労働者が暴漢に襲撃され死亡するという事件に発展したものもある。 |
表2 東アジア諸国の労働争議件数 | |||||||||||||||||||||||||||
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表3 調整機関に持ち込まれる労使紛争件数 | ||||||||||||||||||
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(5) | 労使紛争調整システムと問題点 各国とも所管の中央省庁が制度を管轄し企画立案・総合調整を行い、各中央省庁内に置かれた担当部局や独立行政委員会等が集団的労使紛争の解決に当たる仕組みとなっている。行政による調整結果に不服のある当事者は裁判所(タイ、マレイシア、シンガポールには専門の労働裁判所が設置されている)に訴訟を提起することができる点も各国共通である。また、中国においては特に国営企業の内部に公的な労使紛争解決機関が設置されている。 東アジア諸国の労使紛争処理システムの特徴は、多くの先進諸国と異なり、公益事業(電気、ガス、医療等その供給停止が市民生活に大きな影響を及ぼす事業)の争議行為を制限している点、及び前記の行政による紛争調整を経ずに争議行為を行うことを禁止している点である(調整前置主義)。東アジア諸国は共通して、労使紛争が労働争議に発展することを制度的に抑制する仕組みを取り入れているといえる。 労使紛争の背景には、労使ともに近代的労使関係に適応できず、経営者と労働組合の間の意志疎通が不十分で相互に疑心暗鬼になっていることがその1つの原因としてあげられる。経営者は労働組合の活動への理解を深め、労働組合はその本来のあり方とルールに則った活動を進めるといった基本的な取組みが求められる。また、公的な労使紛争解決機関については、事案の調整に長期間を要する点や調整のあり方(労使の要求を単純に折半するような解決法)に対する労使の不満が大きい。各国政府は、労使のニーズを踏まえ、公的調整機能を効果的にするため、それぞれの社会経済情勢に応じた労使関係制度・運用の改善を図ることが重要である。 |