全国北海道東北関東北陸東海近畿中国四国九州沖縄
支えて 支えられて 介護保険は1周年
介護保険物語長野県
一番の楽しみは家族と交わす会話
感性あふれる表現が周囲を驚かす
島田愛子さんとその家族(更埴市在住)     
 「今日、庭に小鳥が来た。その羽につかまって、私は立ち上がる」。島田愛子さん(85)の言葉を息子の豊万(とよかず)さんが絵手紙にする。この絵手紙は、愛子さんが家族に語る話を書き留めたノートとともに、島田家の記録、宝物になっている。

在宅介護は無理かも        
 
 元気なおばあちゃんとして、近所でも評判だった愛子さんが脳梗塞(こうそく)で倒れたのは昨年2月17日。本人にとっても家族にとっても、まさに青天の霹靂(へきれき)だった。左半身のまひ、思考力の低下…。右足切断の大手術もした。入院中は一時、「自分の名前もわからない」(豊万さんの妻美知子さん)状態が続いた。
 愛子さんの介護をどうするか―家族で話し合った。「主人も私も勤めていますので、当初、主人は在宅介護は無理かも、と言ってたんですが、おばあちゃんの気持ちは痛いほどわかっていましたし、介護保険制度を活用すれば何とかなるんじゃないかと。それで…」部屋を改造した家に愛子さんを迎えた。6月3日のことだった。

島田愛子さんとその家族

日曜のデイサービス         
 愛子さんは要介護5と認定された。愛子さんの1日は、家族に朝食を食べさせてもらったあと、日に4回、30分―1時間、ホームヘルパーの世話を受ける。月、金曜には訪問看護婦が清拭や入浴サービスなどを行う。隔週の水曜日は主治医の往診、今は寒いので休んでいるが、火、日曜日にはデイサービスに出かける。豊万さんも、家にいる時はできるだけヘルパーと接するようにし、情報交換をする。また、専用のヘルパーの活動・連絡カードを作って、愛子さんの生活を把握し、ヘルパー同士の申し送りを、より密にするようにしている。
 「日曜のデイサービスは私の希望だったんです。ケアマネジャーに相談し、おばあちゃんに納得してもらった上で決めました」。仕事を持つ美知子さんにとって、日曜日は「何でもできる日」になった。

心遣いが増した家族         
 家に戻った愛子さんは徐々に回復。思考もしっかりし、会話もきちんとできるようになった。「もともと感性豊かな義母でしたけど、勘が前より鋭くなりましたね」と美知子さん。豊万さんが苦笑交じりに言う。「ある朝、私が母の顔をふいたことがあるんですが、忙しかったこともあって、ちょっとおざなりになってたんでしょうね。母は一日気分がすぐれなかったそうです」
 愛子さんは美知子さんを一番信頼している。「みっちゃん(愛子さんは美知子さんをこう呼ぶ)、きょう、こんなことがあったんだよ」。愛子さんの話が美知子さんを元気にすることも多い。「言葉の1つ1つに感性があふれているんです。それはもう、びっくりするくらい」
 愛子さんにとって、一番の楽しみは家族との会話だ。二人の男のお孫さんは、朝夕必ず愛子さんに声をかける。美知子さんがいない時には食事の世話もするという。「義母が戻ってから、息子たちの心遣いが増したように思います」
 豊万さんがしみじみと言った。「介護保険制度がなかったら、私たちのどちらかが仕事をやめなくてはならなかった。最良の在宅介護を考えれば、改善の余地はあるにせよ、不可欠の制度だと思います」

全国北海道東北関東北陸東海近畿中国四国九州沖縄