平成18年度中国残留日本人孤児公開名簿及び写真

 (名簿は、「名簿番号」、「名前」、「性別」、「肉親と別れたところ」、「終戦当時の推定年齢」、「日本名・家族構成・父母の職業・避難状況等」、「身体的特徴」、「血液型」、「その他」、「現住市」の順に記載してありますが、不明なものについては記載してありません)



 劉 茹新(リュウ ジョシン) 女 寧安(ネイアン)県  5〜6歳

現在の写真 青年期の写真
(現在) (青年期)

 日本名「春子」、父「長谷川雄」、父は「軍人、駅の分所長」
 昭和20年8月、避難途中、牡丹江(ボタンコウ)省寧安県でソ連機の攻撃を受けて多くの人が逃げ惑うなか、トウモロコシ畑や防空壕に逃れた後、寧安県石頭(セキトウ)に住み鉄道警察に勤めていた養父「劉雨春(リュウウシュン)」に引き取られた。
 B型
 黒竜江省佳木斯市



 康 晶(コウ ショウ) 女 新京(シンキョウ)市  1〜2歳

現在の写真 青年期の写真 手掛り資料の写真(幼児期)
(現在) (青年期) (手掛り資料の写真)
(幼児期)

 日本名「えみちゃん」、父、母「松井島子」、兄・姉(3〜4歳年上)、父は「軍人」で戦死したらしい。
 終戦前、一家は吉林省新京市白菊(シラギク)町に住んでいたが、終戦後、母子は同町で洋服の仕立業をしていた養父「康鳳祥(コウホウショウ)」に保護された。
 昭和21年秋、母が病死したため、兄姉は「王老三(オウロウサン)」に引き取られた。その後、兄姉は会いに来ていたが、帰国したらしい。
 引き取られた時、黒い緞子の綿入れの上下を着ていた。
 背中の右上に小豆大のホクロがあったが、平成15年に除去した。
 O型
 吉林省長春市



 梁 菊芬(リョウ キクフン) 女 朝鮮江原道(チョウセンコウゲンドウ)  5〜6歳

現在の写真 青年期の写真
(現在) (青年期)

 父、母、姉、弟
 昭和20年秋、避難途中、朝鮮江原道金化(キンカ)郡で水を探している途中に家族とはぐれた後、「楊学州(ヨウガクシュウ)」に保護された。
 その後、養父「梁俊遠(リョウシュンエン)」夫婦に引き取られた。
 保護された時、赤・黄・白の模様のスカートをはいていた。
 背中の中央にホクロ、右大腿部外側に種痘痕4個がある。
 AB型
 吉林省吉林市



 馮 秀枝(ヒョウ シュウシ) 女 奉天(ホウテン)市 昭21・1生

現在の写真 青年期の写真
(現在) (青年期)

 昭和21年3月頃、奉天市太原(タイゲン)北街の難民収容所となっていた日本人学校で30歳位の日本人夫婦が、養父「馮樹森(ヒョウジュシン)」と養父の隣人「劉立徳(リュウリットク)」に預けた。
 預けられた時、花模様の布に包まれており、包みの中には財布と日本の文字が書かれた紙が一緒に入っていた。
 O型
 遼寧省瀋陽市



 王 森林(オウ シンリン) 男 奉天(ホウテン)市  3歳位

現在の写真 青年期の写真
(現在) (青年期)

 父、母、父は「軍人」
 昭和20年秋、奉天市郊外の鉄道に沿って避難しながら張士屯(チョウシトン)のコーリャン畑に逃げた後、母が「劉漢志(リュウカンシ)」に預けた。その後、地主「姜広富(キョウコウフ)」の妻を介して養父の父に預けられた後、養父「王化一(オウカイチ)」に引き取られた。
 預けられた時、ポケットの中に一銭硬貨が入っていた。
 B型
 遼寧省瀋陽市



 王 志媛(オウ シエン) 女 綏中(スイチュウ)県  9ヶ月位

現在の写真 青年期の写真
(現在) (青年期)

 父は「軍人」
 昭和20年9月、錦州(キンシュウ)省綏中県に住んでいた日本人女性が、同県の打雀廟(ダジャンビョウ)で「単(タン)」という女性に襟巻き二本と紙に包んだへその緒と一緒に預けた。
 9月18日、養母「王馬氏(オウバシ)」と養父の姉「劉王氏(リュウオウシ)」の2人に打雀廟で引き取られた。
 右手の甲に三日月形に並んだホクロと背中の右上に5cm大の痣があったが、いずれも10年前に消えてなくなった。
 B型
 遼寧省綏中県



 張 盛華(チョウ セイカ) 男 奉天(ホウテン)市  1ヶ月位

現在の写真 少年期の写真
(現在) (少年期)

 父、母、姉、兄
 昭和21年4月、奉天市鉄西(テツセイ)区の建物の2階で、養父「張永賢(チョウエイケン)」夫婦と、同郷の「李文広(リブンコウ)」夫婦の4 人に引き取られた。
 建物には、大勢の日本人が避難していた。姉、兄はいずれも帰国したらしい。
 左腕に3個のホクロ。
 O型
 山東省青島市

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