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I. はじめに

1.保健事業の評価の必要性と今回の改訂の意義

 平成6年に保健所法が改正され、約3年間の準備期間の後、平成9年度からは、地域における母子保健にかかる健診などの保健事業の実施主体が、生活者に最も身近な市町村に移された。従来の保健所法の時代には、保健所が地域における保健・医療・福祉の各分野の幅広い専門職種が集う唯一の公的な保健施設であった。しかし、平成9年度からは、市町村保健センター等に設置された健康に関する「総合的な窓口」と各市町村に配置されている保健婦(士)や管理栄養士等の専門職の業務を通じて得られた住民の要求に基づいて、各市町村が独自の保健事業計画を策定することとなった。保健所は市町村が実施主体としての行政責任を遂行できるように、市町村に対して専門的・技術的な支援を行うこととし、専門性に基づく専門機能を発揮するために機能強化を図ることとなった。このような保健所と市町村保健センター等とのネットワーク・システムの構築により、今後の地域保健事業は展開されることとなり、国、都道府県及び市町村の役割と責任分担が明確にされた。
 老人保健法に基づく保健事業については、平成7年の第3次計画中間見直しに当たって、市町村及び保健所の双方に対して、実施した保健事業の効果と効率性についての科学的に厳しい評価を求めることとなり、平成8年度からは、「保健サービス評価支援事業」が新規事業として全国的に展開されることになった。このような状況の中、国は「がん検診」に関する国際的な情報を網羅的に検索し、科学的な考察を行った結果を公表し、同時に「保健事業評価マニュアル」(平成8年3月保健事業評価マニュアル作成研究班)を全国の保健所と市町村に配布した。
 そして、今回の「保健事業評価マニュアル」の改訂は、保健事業第4次計画の策定と全国的な「保健事業評価支援事業」の実施状況も踏まえ、「総括評価のためのチェックリスト」を中心に行うこととなった。とくに、効果的で効率的な保健事業を展開するために、個別健診や個別指導が大幅に採用されつつある現状にも配慮し、評価方法の再検討を行った。
 保健事業に限らず行政サービスに対しては、古くから厳しい科学的な評価の必要性が指摘されてきたが、「前年度実績」を基にした事業計画の策定が行われることが少なくない。しかし、地域保健法の改正や老人保健法の保健事業の第3・4次計画では、生活者に最も身近な市町村が、住民要求に対して「最も効果的で効率的な保健事業」を計画策定し、実施した全ての保健事業について、厳しい科学的な評価を行うことが求められるようになった。
 今日、我が国の国民の健康を巡る背景は急速かつ大きく変化しており、この変化に的確に対応するためには、専門職の専門性の発揮が強く求められている。また、国民の健康の脅威となる疾病の種類が変われば、当然のこととして、予防対策の戦術も変更せざるを得ない。例えば、結核対策としての「集団検診至上主義」から生活習慣病対策における「生活指導重点主義」への保健事業の転換が求められるようになった。民間活力の活用に当たっては、活用する社会的資源の精度管理が必要である。さらに、個別健診、個別指導等の拡大は情報収集システムと解析手法の改革が必要となる。それだけに、専門職が能力を発揮するためには、日常業務としての生涯学習が求められることになる。今日、求められている「根拠に基づく保健医療−Evidence based health care (EBHC)」には、「日常業務における調査・研究―Practice based research」が必須となり、今後は総花的な保健事業の展開からの脱皮が求められていると考えられる。

2.評価の手順

 「評価」とは、実施した事業について、事業の目的や目標の達成度を測定することであり、その質的な評価としての効果とともに、量的な評価としての効率性を科学的に査定することである。したがって、評価の手順としては保健事業計画策定が事業評価の出発点となる。従来は前年度の実績に基づく「継続性」だけが重視されてきたが、現在取り組まれている全ての保健事業について、継続の必要性に疑問を持つことが必要である。

(1)事業計画の策定

 事業の計画策定に当たっては、まず「計画」とはいかなる過程かを正確に理解していなければならない。これまで「計画」という表現で取り組まれてきた内容にも、以下に記すように4段階があり、これら全てのステップを確実に踏んでいなければ「計画」とはいえない。

(1)計画立案(プランニング)―Planning

 保健事業に取り組む前に、何のために「その事業に取り組むのか」という「目的」や「当面の目標」を明確にしなければならない。これらの「目的」や「目標」は具体的で、数字で明示できるようなものであることが望ましい。これまでは「目的」や「当面の目標」が曖昧であったり、近い将来では達成できそうもない「遠大な目標」を設定したりしたために、計画策定や事業評価ができなくなっている例が少なくない。例えば、「住民の健康意識の向上」とか「保健水準の向上」などといった曖昧な目的設定では、目的を明確にしたことにはならない。
 計画立案の段階では、事業に関わる人々にできるだけ幅広く参加してもらい全ての人が共通して理解し、納得できる具体的な「目的」を選定し、できれば「当面の目標」も同時に選定しておく必要がある。この段階では、参加した人々から多種多様な「要求」や「要望」が提出されるような状況に配慮し、提案された数多くの保健事業案の全てを網羅的に記録に残しておき、討議の過程で「事業の対象者」や「取組の方法」についても明確にしていなければならない。この過程での専門職の役割は取り組むべき事業が数多く提案され、採用すべき多種多様な対象や方法が提起されるように必要な情報を参加者にわかりやすく提供することが期待されている。

(2)計画策定(プログラミング)―Programming

 計画立案の段階で提案された数多くの事業や取組の方法について、「より多くの人々に受け入れられるのか」、「緊急性が高いか」、「波及効果が大きいか」など必要性や緊急度、効率性などを総合的に検討し、優先順位をつける段階であり、専門職の果たすべき役割が大きい。さらに、順位づけを行った根拠と実施後の事業評価に必要な「評価の視点」(※)と「指標」(※※)を明らかにする過程である。

(3)実施計画(プロジェクト)―Project

 取り組むべき事業の優先順位が決定されれば、実施に必要な人材や予算などの社会的資源に基づいて実施可能な計画を設定する段階であり、再び事業の実施に関わる人々にできる限り多く参加してもらい、実施に当たっての役割分担を行う過程である。

(4)評価(アセスメント)―Assessment

 事業計画の策定において、最も重要な段階でありながら、これまで軽視されてきた過程であり、計画立案の段階から評価の方策は検討されていなければならない。保健事業の実施後には、必ず「成果」と「反省点」を明らかにしておき、次年度の計画策定に活用されなければならない。評価に際しては、「対象設定の適格性」とともに、「選定した方法の適切さ」などについて、総合的な検討を行っておく必要がある。

※「評価の視点」とは

1)疫学的評価
 事業を実施したことにより特定の疾患の罹患率や死亡率の増減に影響を与えたかどうかを明らかにする。

2)技術的評価
 採用した測定法の精度又は安全性などを明らかにする。

3)経済的評価
 事業に要した費用と事業によって得られた経済的な利益との差を明らかにする。

4)システム評価
 事業の実施体制について、対象や方法の選定の妥当性、取組の人員配置、確保した予算等についての適切さを明らかにする。

5)総合評価
 上記の各評価を総合的に検討して、利益が不利益を上回っているか明らかにする必要がある。

※※「指標」とは
 科学的な評価としては、質的あるいは量的な評価において、数値で表現した方が理解され易い。事業評価における「指標」とは、評価に用いる「尺度」である。
 「指標」には、
1)正確性―Correctiveness:正確に測定できる。
2)比較可能性―Comparability:比較することが出来る。
3)代表性―Representativeness:評価すべき内容を最も的確に測定している。
の3点の要件が必要である。

(2)情報と資料の収集・点検

 事業計画の策定に際しては、必要な情報の収集と収集された情報の点検を前もって行っておく必要がある。継続されている事業については、その事業に関わる既存資料の収集と点検を行い、これまでに実施されてきた事業について、事業評価がなされているかどうかを明らかにしていなければならない。新規事業に取り組む場合は、その保健事業がこれまで取り組んできた保健事業と比較して優先順位が高く、より効果的で効率的な保健事業であることが確認されていなければならないし、新規事業に必要な予算や人材を現行の事業を見直すことによって確保しなければならない。
 専門職は、日常業務としての調査・研究を通じて、事業計画及び評価に関わる文献の収集を行っておく必要がある。とくに、保健所の役割としては、管内の市町村別マップの作成とか全国的な規模での都道府県別及び市町村別の衛生統計と全国平均との比較が重要となる。
 事業計画の策定及び事業評価に際して、最低限必要な資料として、取り組む事業の対象者の選定方法が記録として残されていなければならないし、名簿として整備されていなければならない。

(3)データの処理と考察

 保健事業を実施することによって、多種多様なデータを得ることができる。しかし、保健事業の目標が「住民の健康増進」といった理念的な場合はどのようなデータを収集すればよいのか曖昧になる。そこで、計画策定の段階からの事業の目的や当面の目標を「受診率50%確保」とか「喫煙率50%以下」と言った指標を設定して、データを収集していなければならない。
 収集したデータの処理にはパソコンを導入し、表計算ソフトや日本語データベースソフト(簡易なカード型でもよい)を用いることにより、比較的に容易にデータの蓄積を行うことができるようになる。とくに、事業が単年度で終わらない場合は各年度の評価とともに情報源の異なるデータを結合や、各年度の推移を観察することができる。最近のソフトは簡単な操作で図表化できるので、データを視覚的に考察したい時にも便利である。収集したデータをベース化したら、事業の目的や当面の目標についての指標を選定して、データを集計し、達成度を評価することができる。なお、データの収集の方法としては、例えば全住民を対象とした生活習慣を調査したデータを収集する場合と検診受診者だけを対象としてデータを収集して、毎年の検診結果を蓄積する場合とがある。長期間にわたる継続的な事業の評価には、このようなデータの収集と考察が必要になる。

(4)記録の保存方法

 効果的で効率的な保健事業を展開するためには、計画段階からの事業経過の記録と収集した情報を整理して保存していなければならない。事業の実施経過の記録はパソコンを用い、収集したデータは表計算ソフトや日本語データベースソフトを用いて整理し保存しておくべきである。その際にとくに重要なのは、データのバックアップを必ず取っておくこととデータベースの構造が後日、他の担当者や研究者も考察できるように仕様書を作成しておく必要がある。従来もデータの保存は比較的よく行われてきたが、データベース化しておけば、個人や集団の検診データを経年的に観察することが可能になるし、住民の生活習慣にかかわるデータについての前向き研究の手法を取り入れた長期的視野に立った事業評価が可能になる。したがって、単なる記録の保存に留まらず、構築したデータベースを活用しようとする姿勢が大切である。なお、保健事業に関しては、情報の収集とデータの処理に際しての個人情報についてのプライバシーは最大限に尊重されていなければならない。

3.保健事業評価における市町村と保健所と国の役割分担

 平成6年の保健所法の改正により、新しい地域保健事業の体制整備に向けて、市町村保健センター等における総合的な窓口の設置と専門的・技術的センターとしての保健所の機能強化が図られた。市町村保健センター等と保健所との役割分担については、公衆衛生学の永遠の課題である「集中」−Centralizationと「分散」−Decentralizationの視点に立てば、市町村保健センター等は生活者に身近な所でサービスを提供した方がより効果的で効率的な事業を行うことができる。また、保健所では集中した方が、より高度なサービスを提供できる事業に取り組むことが可能になる。平成7年の老人保健法による保健事業の第3次計画においては、実施主体となった市町村に対して、効果的で効率的な保健事業の展開を求めて、市町村保健センター等と保健所のネットワークによる、計画策定段階からの事業評価システムの確立が図られた。平成8年度からは、各都道府県が実施主体となり、「保健サービス評価支援事業」が実施されることになり、各都道府県に「保健サービス評価支援委員会・総括委員会」を組織し、保健事業全般の動向について総合的に分析・評価し、報告書の作成と、その活用を求めることとなった。
 例えば、結核予防を目的とした検診においては、感染源となる潜在患者の「早期発見」が最重要課題であり、受診率100%を目指しての集団検診が効果的で効率的な保健事業と考えられたし、「早期発見」された患者にとっても「早期治療」による「早期治癒」のメリットが期待でき、必要な医療費についても効率的と考えられた。しかし、これまでの生活習慣病対策における健診事業の反省として、健診の実施だけが目標となり、事後管理が十分に行われていない場合があった。そのため、健康教育、健康相談等の充実はもとより、集団健康教育と「必要な人」を厳選して対象者に選定した個別健康教育とを組み合わせるなど、新たな事後管理の手法の導入を始めることとした。

4.マニュアルの活用法

 「保健事業評価マニュアル」は、各市町村、各保健所等で最低限必要と思われるチェック項目にとどめた。これらの活用に当たっては、全国に一律の保健事業の評価を強制することを意図して作成されたのではなく、各市町村、各保健所等で、この「マニュアル」を参考にして、独自のマニュアルを作成する能力を収得されることを期待して作成されたことを十分に理解していただきたい。また、保健所においては、本マニュアルを元に事業評価を実施するよう市町村に指導するとともに、その結果を分析し各市町村への指導助言に役立てていただきたい。


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