2009/12/24 第5回終末期医療のあり方に関する懇談会議事録 第5回 終末期医療のあり方に関する懇談会 日時 平成21年12月24日(木) 13:00〜15:00 場所 中央合同庁舎5号館9階省議室 ○鶴田課長補佐 定刻になりましたので、第5回「終末期医療のあり方に関する懇談会」 を開催させていただきます。委員の皆様方におかれましては、大変ご多忙中のところ、 当懇談会にご出席をいただき誠にありがとうございます。  本日の委員のご欠席、代理出席の連絡をさせていただきます。財団法人がんの子ども を守る会理事の近藤博子委員はご欠席で、同じく財団法人がんの子どもを守る会ソーシ ャルワーカーの武山ゆかり様が代理出席されております。NPO法人在宅緩和ケア支援セ ンター虹代表理事の中山康子委員、社団法人日本歯科医師会常務理事の池主憲夫委員、 社団法人日本看護協会常任理事の永池京子委員、日本救急医学会前代表理事の山本保博 委員、あけぼの会会長のワット隆子委員から欠席のご連絡をいただいております。読売 新聞東京本社編集委員の南砂委員は30分ほど遅れて出席とのご連絡をいただいており ます。  以前の懇談会で参考人として発表していただいた方々に、今回はオブザーバーとして お越しいただきましたのでご紹介いたします。日本尊厳死協会理事長の井形昭弘参考人 です。社団法人日本薬剤師会副会長の土屋文人参考人です。日本ALS協会副会長の橋本 操参考人です。特定非営利活動法人千葉・在宅ケア市民ネットワークピュア代表の藤田 敦子参考人です。聖ヨハネ会桜町病院名誉院長の石島武一参考人です。  厚生労働省側を紹介させていただきます。足立信也厚生労働大臣政務官です。事務局 に異動がありましたので紹介させていただきます。医政局長の阿曽沼です。がん対策、 国際保健、医政担当審議官の麦谷です。医政局政策医療課長の武田です。医療制度調整 官の野村です。私は政策医療課課長補佐の鶴田です。よろしくお願いいたします。懇談 会にご参加いただく方々は以上です。長妻昭厚生労働大臣は公務のため欠席です。懇談 会を進めていくに当たり、足立政務官よりご挨拶をお願いいたします。 ○足立政務官 厚生労働大臣政務官の足立信也です。昨年10月からスタートした終末 期医療のあり方に関する懇談会も本日は5回目の開催ですけれども、ご多忙中のところ を本当にありがとうございます。大臣に代わりまして御礼申し上げます。  昨日、10年ぶりの診療報酬本体1.55%、ネットで0.19%のアップが決まりました。 記者から大臣に対してこの診療報酬、特に入院医療に関するものについて大幅アップに ついては何を期待されるかという質問がありました。私の考えは、いま現場でいちばん 求められて時間を要しているものは説明する医療だと思っております。このことなくし て、そして医療を提供する側と受ける側の情報を尊重し、その理解の格差、リテラシー の格差をできるだけ埋めることなくして、自己決定権は生まれてくることものではない と思っております。人を増やして説明を尽くし、皆さんに納得していただけるような方 向性に一歩踏み出したのだと捉えております。このことが広く国民の皆さんに受け入れ られると確信しております。そのために、これからは医療行政で取り組まなければいけ ない課題がたくさんあります。  10数年前に、私が大学で働いていたときに、患者さんに対してアンケートをしたこと があります。自分の病気・病状、そして予後までほとんどの方が「教えてほしい」と言 います。しかし、患者さんの家族がそれを望まない場合はどうしますかという質問に対 しては、半数の方が「それだったら知らなくてもいい」と答えております。当時は、イ ンフォームド・コンセントをどうするかという時代でした。それからインフォームド・ チョイスになり、そしていまやインフォームド・ディシジョンだと思います。そのため には、リテラシーの格差を埋めなければいけない、情報は共有しなければいけないとい うことが根本にあるのだと思います。  川崎協同病院での、最高裁の上告棄却ということもありました。これは、やはりその 前提として情報をいかに共有できたかということがいちばんの大きな問題だと思ってお ります。そして、その先にあるものが自己決定という形だと思います。私は、自己決定 権は尊重されなければいけないし、これは世代に関係なく必要なことだと思っておりま す。本日をはじめとして、皆様方のご意見、そして意見交換がこれからさらに大きくな り、国民の議論となっていくことを私は望んでおりますし、その方向性を目指していか なければならないのではないかと思います。  本日を含めて5回になりますけれども、皆様方には本当にお世話になりました。この 議論がさらに発展することを私は期待しております。本日もどうかよろしくお願いいた します。 ○鶴田課長補佐 足立政務官は、公務のため途中退席の予定ですので、ご容赦のほどよ ろしくお願いいたします。資料の確認をさせていただきます。議事次第、委員及び参考 人名簿、座席表。資料1-1、資料1-2は川島委員提出資料です。正誤表が1枚付いてお ります。資料2-1、資料2-2は木村委員提出資料です。以上が本日ご発表いただきます 方々からの提出資料です。資料3「終末期医療に関する調査等懇談会報告書骨子(案)」、 参考として終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン本編・解説編があります。 以降の議事運営は町野座長にお願いいたします。 ○町野座長 議事に入ります。議題1は委員からの発表です。議事次第にありますよう に、本日は2名からご意見をいただきます。委員の皆様からのご意見、ご質疑は2名の 委員の発表が終わってからにさせていただきます。まず、川島考一郎委員より説明をお 願いいたします。 ○川島委員 私の資料は資料1-1と資料1-2ですが、資料1-2が主体です。これは、厚 生労働研究の内容です。医師がきちんとした説明責任を果たしていない。自分が亡くな る直前までどのように生きていけるかという、生きることに対しての説明がなされてい ないために、それを悔んで死のほうに走ってしまうことがよくあるということです。ど のように相談支援をしていくか、生きることの説明がどのように行われるかについて厚 生労働研究をやっておりますので、資料1-2が主体になります。  それを説明するために資料1-1があります。本日は資料1-1のスライドに従ってお話 をさせていただきます。こちらにスライドがあるのですが、皆様のお手元のほうがわか りやすいと思いますので、頁数を言いながら話をしていきます。  私たちは、オギャーと生まれてから亡くなるまでいろいろな生き方をするわけです。 そこで、どれにでも通じる共通言語を持っていないと、これは最後の部分だけにしか使 えないとか、生まれたときには使えるとか、成年のときにはうまく使える、もう少し年 を取ると使えないということでは困るので、どのような共通言語を基にして、そして話 をしていくかということが、ひいては最後を迎えるときの話にもちゃんと通じるという ことです。そこで探したところ共通言語がありました。それはICF(国際生活機能分類) が、2001年にICD(国際疾病分類)のほかにWHOから提唱されています。  2頁です。「生活機能」というのはどういうことかというと、すべての人に関係する言 語であり、人が生きることの全体を示す共通言語で、すべての人に関係する。これは健 常人にも関係してくる言葉が「生活機能」と考えてください。  3頁です。国際生活機能分類は、2001年にWHOが提唱。生きることの全体を示す共 通言語として「生活機能」という言葉がある。その生活機能の中で、健康状態を定義し ております。健康状態とは心身機能のみの健康を言うのではなくて活動、つまりその人 がどのように生活できるか、それは病院の中でも同じです。いま生きている以上、その 人が病院の中でどのように快適な暮らしができるのかということにもなります。それか ら「参加」ですが、家庭や社会参加等の全体像を示すのが「健康状態」ですので、その 疾病論・症候論だけで、心身機能の説明をして説明責任を終わったと思ったら大間違い です。ここが、医師の最も足りないところです。このように健康であると思考の上で構 成する構成概念でもあります。  4頁です。これが、WHOの健康状態を示した概念図です。「心身機能」や「活動」や 「参加」を全部ひっくるめて「健康状態」としますと、たとえ脳卒中で半身麻痺であっ て、治らなくても治さなければならないわけではなくて、治らないそのままをちゃんと 受け入れられる。それに対して活動や参加をちゃんとやっていけば、トータルでの健康 状態は保てるのだというのがICFの概念です。  5頁です。このようなICFをうまく使っていくためには、いままで健康を100点とし て、脳卒中の半身麻痺は50点、植物状態は5点などといつの間にか医師が自分の頭の 中で点数付けしていた概念構成を変えていかなければならないことになります。そこで 大事なことが「実体と構成概念」をちゃんとわかっていただくということです。実体と いうのは、確かにその場に起こっている状況が我々にちゃんと知覚される、私たちが見 て、触ってわかることが実体です。構成概念というのは、頭の中で、たぶんこうだろう と考えたことが構成概念です。ところが「終末期」という言葉にしても、「延命」という 言葉にしても、これは実体ではありませんで構成概念、つまり頭の中で考えていること なのに、それを実体だと思って呼吸器を付けていると、これは終末期だから外してしま いましょうというように、実体と構成概念を混同したことによっていろいろな問題が出 てきているということですので、5頁の「実体と構成概念」を混同しないというのが最 も大事なことです。  6頁です。「尊厳」という言葉も、「QOL」も、「終末期」も、「延命医療」も、「自分の 死」もこれは実体ではありません。それを、これから一つひとつちゃんと説明していく。 つまり、いままでの話の中では、ICFという健康状態、これは比較論ではないのだと。 それを、ちゃんと社会参加や活動を通して、その人間が生きられる時間がわずかでしか なくても、それをどのように支えるかということを考えていくためには、実体と構成概 念をちゃんと理解しないといけないということです。一つひとつの言葉を少しずつさら っていきます。  8頁です。「尊厳」というのはどうなのだ。これを勘違いして説明することがよくあり ます。尊厳には2種類あります。「Dignity」と「Sanctity」という言葉です。Dignity は、もともと高貴である、気高い、そうすると見すぼらしいというのが出てくる。高位 である、位が高いには低い位ということになって、貴族はDignityが高くて、ホームレ スの方々はDignityが低いのかというような比較論になりがちです。価値もそのような ことで、価値が高いとか低いということになるので、価値論や比較論になってしまいま す。これで人間の価値を定めてしまうと、まずい使い方をされた場合には過去にホロコ ーストが何度も起こっているという現実があります。このような人に序列ができるよう な説明を医師がしていないのかどうかということをちゃんと考えていただかないといけ ないのではないか。  違う解釈としてSanctityというのがあります。一般には「生命の尊厳」と使われると きにSanctity of Lifeと言われます。Sanctityはそれ自体、比較ではなくてどんな人間 でも、どんな営みをしていてもみんなSanctityそのものだということになりますので、 植物状態の人もSanctityそのものと考えることができます。日本人の多数の方は、実は このSanctityの考え方をいっぱい持っていると考えてもよろしいと思います。  9頁です。こんなに辛くて尊厳がないから死なせてほしいと言った場合に、どこか語 彙に問題があります。人間の尊厳というのは、尊厳そのものであれば、減るように勘違 いしている何か問題があって、それは自分の身体のことや、周りの環境が、いまの低下 した身体に対して付いていけないということで、本人のQOLが低下している。これを 勘違いして、尊厳がないように思い違いするわけです。  10頁です。QOLというのは、実は「生活の質」という科学的な指標です。大事なの は、これが他人と比べる質ではないのだということです。AさんはQOLが高くて、同 じ生活をしているBさんはQOLが低いというような比較ではない。例えば、QOLが低 いと思っているBさんに、QOLを高めるような、つまり生活の質を向上させるいろい ろな活動や社会参加を与えてあげれば、QOLは高くなるのだというような、個人のQOL をどのように上げるかということが主観的指標であるということをちゃんとわかってい なければいけない。ですから、QOLというのは何か一定した形を持っているものではな くて、構成概念だということになります。  11頁です。勘違いをしている言葉に「終末期」があります。終末期は定義できないと いうことは既にNIHでは表明されております。それが12頁に記載されています。終末 期は明確な定義を提供するエビデンスは存在しない、そして終末期は特定の時間枠で定 義すべきでない、ということを既にNIHでは言っております。それでは、なぜ医師が、 あるいは一般の皆さんが終末期と考えるのか、このような状況になったら終末期だと考 えます。特に医師にはそのような傾向が強くて、終末期を時間枠で定義して6カ月以内 とか、このような装置を付けたら終末期と考えていいのではないかと定義しようとする 原因があります。  13頁です。それは「要素還元主義」です。これは科学の基本になりますが、科学的な 身体構造論でずっと教育され続けている医師は、どうしてもこのように物事を考えやす いということになります。つまり比較評価をして、格差を数値化して、下がった格差を どのように改善するか。ですから、健康状態を100点に見立てて、脳卒中は50%、植 物状態は5%、そうするとある点数以下は終末期と定義してしまおうとどうしても医師 は考えがちです。  これが悪いわけではなくて、良い場合もあります。良い場合というのはどういうとき かというと、それは治る病気の場合です。つまり、この点数に下がったものを、これか らいろいろな医学知識や医療技術を駆使すればここまで上がりますよ。脳卒中の半身麻 痺の方にリハビリテーションをすると50点だったのが80点に上がる。胃がんになった 人に全摘手術をやれば、元の健康な状態に戻れる。このように治る場合には比較評価で 話をして、そして本人の意識をアップさせていくことは非常に重要です。  ところが、これを医師は治らない人にもこのような話をしていることが問題なのです。 つまり、ある点数以下は治らないのだ、俺は100点満点の5点なのか、そして医師もそ うだと思ってしまう。そうすると袋小路に入ってしまって治す手立てがない。あとは終 末期として何か標準化されたような方針を立てればいいのだ。これがホロコーストにつ ながらないかといったら、非常に危険な考え方なのです。ですから、使い方を考えなけ ればいけない。治らない人には悲惨であって、ある点数以下を終末期と断定してしまっ て、そして標準化した何かの手技を当てはめようとする。これは非常に危険です。これ が25万人の、私も病院にいたころはこのように考えていました。このように、日本国 民に対して定義づけをしていくことは非常に危険だと言わざるを得ないです。  14頁です。それでは、治らない人にはどのようにしたらいいか。そこに国際生活機能 分類ICFの健康状態がうまく適用されます。心身機能だけではないのだ。その人がわず かな残された時間であっても、その人ができる精一杯の、そして家族がよかったと思え るような活動、そして社会参加も含めてうまく統合されて、その全体像が健康状態なの だということになります。  そうするとどのような身体の状態になっても、脳卒中になっても、植物状態になって も、生きている状況との関係性の中で、それをうまく保っていけばそれをよしとするこ とになります。ちなみに植物状態の人はどういうことができるか、起きて仕事をしてと 言ったとしても、その人は起きて仕事ができるはずがないのです。その方ができる精一 杯の生き方は何かというと、いま生きているという仕事ができる。ですから、その精一 杯の仕事をそのまま認めてあげればいいのです。認めるというのは何かというと構成概 念なのです。ですから、終末期というのはもともと構成概念であるということです。認 めてあげたら、その人がそのような状態を維持できるようにしてあげさえすればいいこ とになります。そうすると、どのような状態であっても、終末期でないという場合があ り得ます。ちなみに即死するような場合は終末期がありません。ですから、終末期が当 てはまらない事例がいっぱいあるのだと考えています。  15頁です。これを2つの概念整理というふうに、縦軸と横軸に示しますと、比較評価 をした場合に健康体であるという丸の形がだんだんやせ細って小さくなってしまいます。 ここで治らない病気に対して終末期を当てはめていると非常に危ないということになり ます。それでは治らない人の場合はどうしたらいいのか。健康状態のときは丸の生き方 をしている。  つまり、その人の活動と参加を含めて丸の生き方をしている。半身麻痺になったらど うするか。介護保険や自立支援法を使えば、入浴サービスでお風呂も使える。そうする と、新たな生き方の形としての三角形になる。胃瘻を付けた、食事が摂れない。でも、 胃瘻を付けても、毎日晩酌している人もいます。口の脱脂綿に日本酒を染みこませて味 みをしていただいて、それからぬる燗で胃瘻からお酒を1合入れると、ぽーっと赤くな ってきて気分がよさそう。おじいちゃん、どう気分いいと聞くとうなずきます。それは、 新たな生き方をしている食生活になります。そのように三角形から四角形、そして呼吸 器を付けても十字のような生き方ができる。そのように考えていけば、どのような形で あっても生き方が変わるだけであって、五体不満足でよい。つまり、五体不満足の乙武 さんという方がおられますが、彼の思想が即ちICFの思想だと考えていただければよい と思います。  17頁です。「人間の身体」というのは、自分の内部や外部とうまく協力したり融合し たりしながら、絶えずその営みを変えていきます。そんなビデオがありますので、とり あえず皆様に見ていただきます。 (ビデオ開始) ☆ マシュー・ネーゲルさん、25歳。頸椎を損傷し、首から下を全く動かすことができ ません。頭の上のこの装置で、脳の中の情報を直接取り出しています。 ☆ これが、脳の腕を動かす部分、そこに刺さっている電極です。電極からの情報は、 このコネクターを通して外へ送り出されます。 ☆ ネーゲルさんの脳は発達したと見られ、いまや腕を動かそうと思うのではなく、コ ンピューターのカーソルを動かそうと考えるだけで線が引けると言います。 ☆ ネーゲルさんは、脳からの信号でテレビのスイッチを入れ、チャンネルを変えてい きます。 ☆ 考えただけで、ロボットの手の操作もできます。この技術を使えば、コンピュータ ーのネットワークに接続した機械は世界中どこにあっても、考えただけで動かせること になりました。 (ビデオ終了) ○川島委員 このように、脳波とすべてのものがうまくタイアップしていくような時代 になっておりますので、ガンダムの世界のようなものです。ALSの方の場合、トータル ロックティーンになったらどうするかなどというのも、この技術を使えばちゃんと意思 表示ができるようになる時代にもうなっております。そのように本人の活動が、これに よっていくらでも広がっていく、拡張されるのだということを皆さんにちゃんとわかっ ていただきたい。  18頁です。「延命医療」という言葉はどうなのか。延命医療も実体ではありません、 ものの見方で変わってくる構成概念です。健康な呼吸に対して書いてありますが、健康 な私たちの呼吸はどういう呼吸かというと、自分でやれることは、自分の胸を拡大する という作業だけです。肋間筋や横隔膜を使って胸のボリュームを上げます。それでは、 なぜ空気は入るかというと、大気圧で流入します。大気圧で流入するのは一体誰がやっ てくれるのかというと地球がやっています。我々健康人の呼吸でさえ、地球という物体 との共同作業です。それでは、人工呼吸器というのは、呼吸器という物体との共同作業 である面で一体どこが違うのかという考え方も当然出てきます。つまり、こういう延命 治療という言葉は構成概念なのかということです。  19頁です。「自分の死」は実体かというと、これも実は構成概念です。これは、必ず 構成概念にしかならないという特徴があります。他人の死は経験できる実体ですけれど も、自分の死は経験できません。ですから、自分の頭でいろいろなことを構成し、こん なものだろうと思うわけです。自分が経験できればまだ生きていることになりますので、 自分の死は経験できません。そうしますと、自分の死に定形的な条件や権利を国が定め るということは非常に危険なことになります。こういうことはあまり外国では議論にな っていないと聞いています。構成概念か実体かということをきちんと見分けながら物事 を判断していかなければならない。  20頁です。生命維持治療の「差し控え」と「中止」についてですが、人工呼吸器につ いて差し控えと中止は明らかに異なるということがあります。それでは「中止」という 言葉が適正かどうかということになります。「中止」という文言も構成概念であって、そ の状況次第では中止という言葉が不適正であるということが十分あり得るということで す。  21頁です。先ほどのように医師は人間の身体を比較論で考えますので、足し算・引き 算の規定還元論的な集合論になりがちです。そうすると、差し控えるというのと、中止 というのは単に人工呼吸器という介入をした後に外すのは足し算・引き算の問題で関係 ないではないか、同じではないかと考える医師もおられます。  22頁です。いまのビデオにありましたように、いろいろな機械と融合して、自分がコ ンピューターそのもののように物事を考えたり、それを駆使していくことができるよう になるということは、本人の身体の生命維持に直接関係して、最も重要な働きをするよ うな人工呼吸器のような介入をした場合に、本人は頭の先から足のつま先まで、全部呼 吸器と依存性に全体構成をするわけですので、もう分離できない全体特性を持ちます。  そこに新たに人工呼吸器を外すという行為を加えた場合に、それは単純な足し算・引 き算ではなくて、分離できない全体性を一挙に崩すという考え方になりますので、「崩壊 させる」とか「死なせる」という言葉を使わなければならなくなる。医療従事者側から 見れば「呼吸器を外す」、あるいは「中止する」という言い方ができても、患者本体から してみれば呼吸器と一体になった、分離できない全体特性を一挙に全体構成を崩される わけですので、「死なせられる」とか「崩壊させられる」と言わなければならない。だか ら、もしその行為を行うのであれば、医師はかなり心して、きちんとそういう言葉を使 わないといけない。文言を間違えてはいけないことになります。  23頁です。「差し控え」です。この間樋口先生から、不作為か作為なのだと。だから 差し控えと中止と変わりはないのだ、異ならないのだということがありましたので1つ 書かせていただきました。ここで大事なのは、「不作為でも作為でもない差し控えがある のだ」ということです。  簡単に説明させていただきます。我々も生きている限り必ずいろいろな動機があった り、あるいはその状況と調和したり、その物事をどんどん構成していきます。そうする と、自分が置かれている状況に対して、この状況こそが本当に自分の願っているそのま まだと。だから、先生このままで十分なんだと言った場合の差し控えというのは、状況 を受容している差し控えになります。  同じように状況を受容している場合は、人工呼吸器を付けている人も、その状態を受 容しているわけですので、ここでは「差し控える」ということと、「中止しない」が同じ になります。これはどういう場面設定になるかというと、私と置かれている状況がうま く統合されている。つまり健康状態の考え方と同じです。心身機能や活動、社会参加を 含め、このような状態こそが本当に自分の生きている道でよかったと思っている。そう すると何かをいじったり、操作しなければならない対象がそこには出てこないわけです。 対象が不存在になった状態になります。そのような全体の状態を「差し控え」又は「中 止しない」という語句で表すわけですので、このときの差し控えるは目的や行為になら ないことになります。  25頁です。状況と対立した場合、これが通常言われている「差し控える」と「中止」 です。もうこんな生き方はいやだ、だからこれ以上身体をいじったりしないで早く死な せてほしい、というような差し控えの場合は目的があります。そして、そのように生か されている自分がいやだと思っている対象があります。つまり、そのような状況をなき ものにしようと思うわけです。人工呼吸器を中止する場合も同じで、こんな呼吸器を付 けた生き方はいやだ、だから中止してくれと。そうすると、状況と自分自身、意味づけ ている自分が対立して分離しておりますので、状況は独立した対象となって、そういう 対象である状況を操作する行為として、ここで動作が出てきます。差し控えというわざ としない動作、そして中止という積極的にそれを外すという動作。  26頁です。「差し控え」には2種類あって、状況と調和して操作する対象が不存在、 差し控えという性質や状態を示していて、動作や行為とは無関係な差し控えと、それか ら状況と対立して操作する対象があって、その対象に差し控えという動作や行為を行う、 これは論理的に大きく異なります。  27頁です。差し控えには2種類あります。受容した差し控えの(3)は状態像ですから 不作為にもならない。そうすると、不作為でも作為でもない差し控えがある以上は、差 し控えと中止は異なる可能性があります。だから、全部がこうだというわけではありま せんが、そういう場合も当然あるのだということになります。  28頁です。そうしますと、このようにいろいろな文言をきちんと医師が訂正して話を できるかということが最も大事であり、このようなことができないでいると非常にまず いです。さらにここで大事なことは、「緩和医療」です。ご存じのように、どのような人 もすべて緩和することができる。それは、単に疼痛緩和だけではありません。呼吸器が 非常に強くて、最後の状態になってきた場合のセデーションの概念も含まれますが、そ れはちゃんと緩和医療学会のガイドラインを見ていただければ出てきます。  そうすると、生きる時間はそのまま継続です。昔のようにセデーションはその場で死 んでしまうような、呼吸停止するような睡眠にするわけではありません。浅い睡眠で、 ときおり本人が意思決定できるように覚ましてあげたり、本人が起こしてほしいときに はその時間帯に起こせるようにしていく浅睡眠でセデーションするのが基本です。生き る時間はそのまま継続しながら、その残された時間を辛くなくて、苦しくなくて、痛く ない状況をつくっていく。ところが、これをわかっている医師が2割しかいないという のが最も問題です。つまりこれを知らなければ、痛みをこらえたり、いろいろ緩和の知 識や技術もままならないままに死を迎えてしまう人がいっぱいいることになります。  29頁です。いままでの緩和医療の概念変更を簡単に模式化したものです。私が医師に なった30年前は、生まれてから亡くなるまでみんなCureです。ですから、老衰の人に も気管挿管したりした時代です。20年前にTerminal careという概念が持ち込まれまし た。これは、Cureの諦めがTerminal careなのだという概念ですので、どこかでギヤチ ェンジをして緩和に持っていくことになります。しかし、それが患者さんにとっては自 分は見捨てられたと思ったのです。  20年前の古い概念を引きずっているのが尊厳死の法制化、救急医療の中止、脳死の標 準化です。つまり、これはCureの諦めですので、Terminal careに移行させようという ことになります。しかし10年前からは、PalliationとCureが並行していくのだという 時代になっております。最先端ではすべての医療はPalliationだと、どちらの概念も含 まれるのだと。息苦しいと言って酸素を吸うときには息苦しさを取るPalliationである とともに、それから低酸素に弱いような心臓や脳をちゃんと活性化するというCureの 側面もあります。  胃がんで手術をして取るというのもPalliationの概念があります。助けてと言ってき てよかったと思うわけですから緩和されることになります。そのように、すべての場面 に緩和医療は必要になってきますので、すべての医師が緩和医療を学ばなければいけな いのに、2割しか緩和医療を学んでいないということです。  30頁です。プロセスが重要であって、結果を求めることではないのだ。結果は付いて くるのだ。ここを間違えて結果を求めるような意思決定をさせることが最も危険である ことになります。まず信頼に基づく医師・患者関係がないといけません。これは保険診 療の大前提です。終末期の用語を取り違えず、ちゃんと構成概念と実体を取り違えずに 説明責任を果たす。病気の説明だけではなくて、ICFに基づく活動や社会参加が十分に できることを示していくような生き方の説明が必要である。具体的な支援方法や行動を 提示できないといけない。その1)〜4)が適切に執行された後に、自分はこのような生き 方をしたいという結果として決定されるのであって、決定されなくてもいいわけで、や はり迷うときもあります。自分1人ではとても決定できないからどうしよう。いいんだ よ、そのままにしておくからねということで現状を維持すればいい。これを繰り返して やっていくプロセスこそが大事なのだということは、既に終末期の決定プロセスのガイ ドラインにも記載されています。  31頁です。終末期の問題の多くは医師自身が原因ではないか。信頼を築けない医師が 多いです。終末期の用語の的確な使用ができない医師、ICFに基づく生き方を説明でき ない医師、80%の医師が緩和医療を知らない、具体的な支援方法と行動を提示できない 医師、(1)〜(5)のままに意思決定を迫られる患者、不十分な説明に誘導された意思決定は、 もともと不完全だから、事前指示を書いてもらったり、リビングウイルを作成すること が大事なのではなくて、それに至るまでの説明がちゃんとなされているかどうかを医師 側がきちんと、自分はこれだけ説明したことを記述することのほうが大事なのだ。それ によって、あなたは本当にちゃんと説明したのですか、していないではないですか。そ れではこの人は生きられないと思いますよね。そこをきちんとしていくことこそが大事 だということです。つまり法制化やマニュアルよりも、もっとやるべきことがいっぱい あるのだということです。  32頁です。苦しんでいる人がいるとします。昔はQOLが低下したら人間らしさが保 てないと思って、Dignityの観念で尊厳がないと思った。そしたら、もう延命は中止し ましょうね、それで尊厳死と。しかし、これはほとんどここでは全部構成概念なのです。 構成概念を医師が変えるかどうかだけでまるっきり変わります。QOLが低下したのは生 活の質が低下しただけだから、どうやって向上させればいいかと考えるわけです。誰も が尊厳そのものだから、Sanctltyで人間の尊厳を考えればいいのです。そうすると、中 止する必要はありません。QOLを向上させて、すべての事例は緩和されますので、緩和 ケアをがっちりやっていく。それによって尊厳ある生を全うすることになります。  33頁です。いままでは、構成概念を実体と見間違いしました。車であれば片側がパン ク状態です。それに輪をかけて、実体としてどのような支援策を講じるかということに もおざなりでした。ですから私は生きられないと思った、両輪パンク状態では動けませ ん。終末期だねと言って、安楽死、尊厳死、死ぬ権利など廃車にしようというように大 間違いをしてきました。  片側パンク状態を、下の矢印のように構成概念を変えて、きちんと説明ができる。そ して生きる支援がちゃんとできるような具体策を提示していく。この両輪で最後まで快 適生活で生きることの集大成が病院の中でも、そして在宅でも、施設の中でもきちんと 行われるようにしていくことこそが、我々がこれからやっていかなければならないこと なのだということです。詳しいことは資料1-2を読んでいただければわかりますのでよ ろしくお願いいたします。 ○町野座長 どうもありがとうございました。続いて木村委員より発表をお願いいたし ます。 ○木村委員 資料2-1と資料2-2の説明をさせていただきます。資料2-1は全日本病院 協会が中心になって行った終末期医療に関するガイドライン策定委員会が作ったガイド ラインの概要です。本文は資料2-2にありますのでご覧ください。この委員会は全部で 10回開かれ、平成19年12月21日から大体月1回ぐらいのペースでやって、最終的に は今年の3月15日まで行っております。各界の方に参加していただいて、その委員の 構成は資料2-2の7頁に書いてあります。このような方々に参加していただいて検討い たしました。  1頁ですが、我々としては終末期医療に関するガイドラインということで、より良い 終末期を迎えるために、本ガイドライン策定の目的はどこにあったかというと、これは 国民とか患者に対する訴えかけですけれども、家族が急病で病院に運ばれたとき、ある いは長い間治療している病気で、医師から「これ以上治療しても回復の見込みはありま せん」と伝えられたときにあなたはどう考えるかということを訴えかけています。  患者が望む医療を実現するためには、医療提供者と患者・家族が十分な信頼関係を築 くことが必要である。この信頼関係が最も求められ、特に両者のコミュニケーションが 重要な鍵となるのが終末期医療であると言っています。患者が助かる見込みがない状態 になったときを一般に「終末期」と言っていますけれども、終末期の医療の選択につい ては、本人に意識があれば、もちろん本人の意思が尊重される。しかし、終末期では患 者自身に意識がない、あるいは意識があっても判断力がない状態が非常に多くて、その 場合には家族にその判断が任されることが非常に多くあると言っています。人の死は必 ず誰にも訪れるわけですが、しかし人は暮らしの中で家族と死の迎え方について話し合 うことは多くないのが現実です。  現在、終末期医療をめぐってどのようなことが問題になっているかを3つ挙げていま す。1番目は、終末期となったときにどうするかを個人で考えたり、家族間で話し合っ たりすることはほとんどない。2番目は、患者やその家族などが終末期の状態について 医師から説明を受けても、治療の内容やその意味、回復の可能性などを判断しにくく、 家族としてもその後の対応を患者に替わって決定するには精神的負担が大きいにもかか わらず、終末期の定義も曖昧であって、さらに医療提供者側と患者・家族が治療方針な どを相談する場が必ずしも保証されてこなかった。3番目は、終末期において患者の意 思を実現できるような仕組みが必ずしも保証されてこなかった。このようなことなどが 挙げられています。  「特に日本では」と書いてありますけれども、日本だけではなくて世界でもそうなの ですけれども、個人が病気の状況に合わせて事前にどのような治療を受けるのか、これ は終末期だけではありません。あるいは、その治療の継続を中止するかなどの意思表明、 リビングウイルと言っていますが、そういうことの必要性がほとんど理解されていない し、普及もされていない。たとえ本人がその意思表明をしていても、上記の3つの理由 ですが、現状では必ずしもそのとおりできない場合が非常にある。  したがって、医療現場では患者一人ひとりの尊厳を守り、患者の意思を尊重する努力 が行われています。しかし、患者・家族の意思が確認できないまま、明らかに意思が守 られないと予測される状況においても、治療の開始・継続・中止の判断を迫られる場合 もあります。それぞれの(注)は後のほうの頁にあります。また、患者の辛さを見続け る医師が、家族からの懇願を受け、患者や患者家族の希望に沿ったところから警察に事 情聴取され、逮捕されるに至るなど、医療提供者側にとっても厳しい、難しい問題が起 きています。  全日本病院協会では検討会を設置し、終末期に医療行為をどこまで行うかについても、 基準を盛り込んだ「終末期医療に関するガイドライン」を策定いたしました。このガイ ドラインでは終末期の定義を行うとともに、一定の基準や根拠を示した上で、患者の意 思表明や意向を尊重し、医療をいかに開始し、継続し、あるいは中止すべきかを盛り込 んでいます。患者自身や家族が終末期をどのように受け止めたらよいのか、その後の医 療をどのように選択すべきなのかについては自己決定をする際の一助になれば幸いと思 います。今後は、終末期医療について、医療提供者側と医療を受ける側との十分な話合 いが行われ、双方が納得する意見集約がなされることを強く望んでいる次第です。  2番目は終末期の定義です。ここでは「終末期」を3つに定義しています。1番目は、 医師が客観的な情報を基に、治療による病気の回復が期待できないと判断すること。2 番目は、患者が意識や判断力を失った場合を除き、患者・家族・医師・看護師などの関 係者が納得すること。3番目は、患者・家族・医師・看護師などの関係者が死を予測し て対応を考えること。この3つの条件を満たす場合を「終末期」とここでは定義してい ます。  終末期における治療の開始・継続・中止についての1番目は、生前の意思表明、(リ ビングウイル)がある場合です。こういう場合には、医師はいかなる病気についてもそ の病状、可能な治療法、それを行った場合の病状だけではなく、生活その他の場面にも たらす影響を含めて説明を行いますが、終末期においても同様に説明が必要である。医 学の進歩にもかかわらず、病気の治療には限界があるため、医療の現場では治療の開始・ 継続・中止の判断は大変難しい場面がありますが、終末期では特にその判断に苦慮する 場面が多く、その際には患者の意思を尊重し、対処する。終末期においては、人工呼吸 器や経管栄養、補液、抗生剤など薬物の使用開始と継続が問題になりますので、普段か ら病気の状況に合わせて事前にどのような治療を受けるのか、あるいは治療の継続を中 止するかなどの生前の意思表明を明確にして文書として置くべきと考えています。  生前の意思表明を文書として作成する意義は、作成を契機に終末期という状況を自分 でよく考え、家族と話し合うことと、代弁者を選定しておくということで、将来の無用 な混乱を避けることにあります。意思を表明できるうちは、いつでも文書又は口頭で内 容の変更ができるということですが、救命救急を要する病気や脳の病気などでは、自分 で判断できない状況に陥ることもあるので、代弁者を決めておくことも大変重要であり ます。特に医療提供者側は、生前の意思表明の重要性を国民に知ってもらう行動を行う とともに、意思表明が求められることの多い病気や病態を中心に、最新の医療に関する 情報を常に国民に提供するように努めるべきである。  生前の意思表明が不明確か又はない場合には、本人の言動を常日ごろから知っている 家族がおり、患者の意思が推測できる場合や、その方から本人の意思を聞くことになり ます。この場合の家族というのはどういう人かというと、普通家族というのは生計を同 じくする者とされていますけれども、実際には医療提供者側は生計が同じかどうかを確 認する方法は限られていますし、家族の範囲を明確にすることはしばしば非常に困難で ある。また、その家族全員の意向を確認することは非常に難しいということがあります ので、家族の中で意見が異なる場合の優先順位の明確な定義がないこともあり、本人に 代わって家族が意思の決定を行う場合の問題を非常に複雑にしていると言えます。  生前の意思表明が不明確か、代弁者がいなくて意思が推測不可能な場合には、「治療に より回復ができない状態と医師が判断した場合には、他の医師・看護師・医療提供者と 家族を交えて話し合い、治療を開始しない、あるいは治療を中止することを決めること ができる」ようにすべきである。この場合には本人との関係が親密であったと推測され る方(最近親者)の意向を一番に優先することが現実的と考えていますけれども、家族 間で機械的に優先順位を付けることはあまり好ましくないと考えています。最終的には、 最近親者の意向が重視されるのですけれども、医療提供者としては、家族全員が状況を 理解し、考えをまとめるに当たり、可能な限りそれを支援することが必要である。しか しながら、支援を行っても合意に至らない場合には、第三者を含む倫理委員会等で検討 し、その結論に基づいた対応をする必要がある。治療方針を決定する際は、医療提供者 側と家族との信頼関係を損なわないように、治療方針の決定には個々の施設が定める様 式に従ってその経緯及びその理由等をきちんと記録としておくことが必要である。  4頁、5頁はいままでの(注)ですので後でお読みください。6頁は、いままで述べて きたことをフローチャート化しています。医師が、治療により回復が期待できないと判 断した。ここで「終末期」であると医療チーム及び本人・家族が判断をして納得するこ とが必要である。その際に、患者本人の意思表明は明確であるという場合にそれがきち んと文書化されるか、それがもしあった場合とない場合もあるのですけれども、その場 合にも患者は判断能力があるかないかというところも問題になってくる。判断能力があ れば、もう一度患者の意思を再確認し、その意思に基づいて対応する。判断能力がない 場合には再確認できないので、その文書に従って患者の意思に基づいて対処することに なる。  患者の意思表明が明確でない場合には、医療チームと患者家族で治療方針を相談する。 患者の意思を推量できる場合にはそれを尊重することになる。そこで合意が得られた場 合には、合意に基づいて対処する。合意が得られなかった場合には、第三者を含む倫理 委員会等で論議し、その決定に基づいて対処するとなっています。  この懇談会と全日本病院協会としては今後どうするかということで、例えばリビング ウイルであるとか、このガイドラインを明日からすぐ使えるというものを持っているわ けではなくて、これは全国民に納得していただいて、啓蒙をして広めていって、できる だけ国民の間にこれが広まって周知されていくことが必要であると考えていますので、 それを広める努力を現在行っております。  具体的には、とりあえず今回は全日本病院協会の会員に、このガイドラインをどのよ うに使っているか、ガイドラインを知っているかどうか、自分の所で独自に作っている か、このガイドラインを使っているかどうか、そんな事例があったらどのようなことが あったかのアンケート調査をいま開始したところです。終末期医療をどのように迎える かについて、本人の意思を尊重して行うということは、とりもなおさず普段の治療にお いても患者に対する説明をしたり、患者の意思を尊重して治療を行うことにつながって いくのではないかと考えています。以上です。 ○町野座長 ありがとうございました。対象的なお2人のプレゼンテーションでした。 ただ、この後は調査等の懇談会報告書骨子の議論をしていただかなければいけませんの であまり時間を取ることができませんので、10分ほどで質問をお願いいたします。 ○宝住委員 川島先生にお聞きします。先生の話は大変明快であのとおりにいけば本当 にいいと思うのですが、先生が治療をしていて困ったことはありませんか。治る見込み がない病気になってしまったときに、生きる希望を持たせ続けることはすごく大変だと 思います。病気が長く続いていてなった場合は別にして、急になったときにたまたま助 けて助かってしまったら、なぜ助けたとか何とか言われて困ってしまって相談されても、 私はなんとも話のしようがない場合があるのですが、先生はいかがでしょうか。 ○川島委員 大枠としては、医師も患者もどう生きることができるのかという、その生 き方についての話を十分にしていないというのが大前提にあって、そのために袋小路に なると考えます。実際に例えば私は病院にいたことも当然ありますので、病院にいたと きには、意識がなくて人工呼吸器を付けている人も救急医療であるわけです。今だった らどうしただろうかと言ったら、とりあえず普通の病棟に移せばいいわけです。つまり、 その方が本当にもう数日とかで亡くなることが医学的にわかるのであれば、あとは、ど のようにその状態のままを家族と一緒に過ごせるかということを考えていくことになる わけです。そうすると、私の所では人工呼吸器を付けたままであっても、脳死状態の人 を家へ帰した事例もあって、例えば、いま日本全国で人工呼吸器を付けた人を見ている 開業の先生たちが、1,000人以上いるわけです。2,300人ほどは人工呼吸器を在宅で見 ているわけですので、そういう先生たちを知っているか知らないかで、そこに返せるか どうかが決まってくる。  院内においては、そういう部屋の中で今世の別れを、どのように家族がよかったと思 いながらやっていくかという説明が大事です。そうすると残された時間は家族の時間だ から、ここで皆さん、悔いないように集いながらやっていきましょうねと、そこの言葉 についてはいろいろな言葉を、これから考えていかなければならないと思いますが、そ ういう場面を少なくともちゃんと設定してあげて、それでもできる活動というのがある わけです。いろいろ体を揉んであげたりしたいという家族もおられるわけだし、髪の毛 を撫でたいとか、私がお家へ帰した患者さんの場合は、何でICUからお家へ帰ったかと いうと、13歳の男の子でしたけれども、ご家族が添い寝をしたいと言ったわけです。添 い寝ができるようにしてあげるためには、お家に帰してあげるしかないから、そういう 場面設定をしたけれども、個室に移せばそういうことができないわけではない。そうい うふうに、いまできる最大限の活動と社会参加を、医師だけでなく医療関係者がみんな で考えていくことが大事なわけです。  そういうことをしていただくことが、むしろこれから大事なことで、私がそのころで きたかというと、全くできなかったです。意識がなくて、もうすぐ亡くなるのだったら おしっこも出てこないし、どうしよう、もう外すしかないのかと思ったこともあります。 でも、それが実はいまの医師が置かれている立場で、それは医師がそのように勉強を授 けられ、実体と構成概念を見違えて、自分の範囲の中でしか処理できないと思って、結 果を求められていると勘違いしている。この連鎖がそのようにしているのだと思います ので、いくらでもそれは場面設定をすることは可能だと思います。 ○樋口委員 今日、政務官から、川崎協同病院の最高裁決定を含めてご挨拶がありまし た。あの最高裁の決定にしても、いちばん重要なのは十分な説明があって、あの場合は 実際の説明の対象者は家族ですけれども、インフォームド・ディシジョンが重要である のにそれが図られることがないところが、いちばん問題だと最高裁も指摘していると解 釈を述べられました。  その後、お2人の発表があって、この2つの発表は対照的だと捉えられるかもしれま せんが、実はそうではないと思います。その基本的なポイントは軌を一にしていて、本 当に政務官のお話どおり、例えばポイントの1つは、国で1つ法律を作って、終末期は こうだ、こういう形でやればいいという簡単なものではない。そういうものではなく、 できるだけ現場に近いところで、まさに日本医師会の代表も現場に近いところで悩んで おられるわけですが、そういうところでどういうことを考えたらいいかということを指 摘している点です。  医療現場よりもっと直接問題になるのは、それぞれの家族であり、それぞれの本人で す。その本人について川島さんは構成概念という難しい言葉を使われたので、理解が難 しいような気もしましたけれども、結局、ある種の「概念」ですよね。終末期はこんな ものとか、この程度のことになったら人間にとっては、あまり価値がないのではないか といった外から与えられた「概念」ではなく、実際に自分がそうなったときに、そうい う状態でももちろん生きているわけです。嬉しいこともあるし悲しいこともあるし、い ろんなことがある。そういう個々のそれこそが実体であって、それぞれの人生、それぞ れのQOLを考えていく。全日本病院協会のガイドラインにも、現場でそういうことを できるだけ確認していこうと、はっきり出ているわけです。そういうプロセスや、どれ だけ丁寧なことがやれるかという話を、両方の方がおっしゃったと思います。  そうすると実際の現場、例えば病院でそれだけの余裕というか、そういう形で一人ひ とりの患者に向かっていけるかどうかが、まさに問題です。申し上げたいのは、診療報 酬の問題だけでなく、そういう体制づくりをやってもらいたい。結局、これはそういう 趣旨の懇談会ではないか。だからお2人がおっしゃっていたことは極めて一貫した、そ れぞれの現場を踏まえたお話だと思って伺いました。これはコメントです。 ○町野座長 ありがとうございました。最高裁の決定については、まだいろいろな考え 方がありますから。 ○木村委員 川島先生がおっしゃった構成概念と実体というのは、私どもも反省すると ころが非常に大きくあると思って、そうなんだなと目から鱗だったのです。終末期であ るということについて医師が最初に判断することになっていますが、その判断で、ここ に書いているように実体ではない、構成概念だ、つまり解釈というか、それについてど のように自分たちが解釈していくかということで、これは慎重にやらなければいけない と改めて実感させられたと思いました。  樋口先生がおっしゃったように、言っていることは同じだと思いますが、ただ、川島 先生がおっしゃったように、終末期であるということ自体でも本当に解釈なので実体で はない。実体と解釈は違うということを非常に教えられたと思います。今日は非常に感 謝申し上げたいと思います。 ○田村委員 樋口先生がお話くださったことと重なるのですが、私もソーシャルワーカ ーとしていろいろな人と病状説明に同席するとか、いろいろな医療の体験をされた方の 相談に入ると、結局、先生がおっしゃっている医療の情報は、生き方と言うとすごく漠 とするのですが、そういう体になったらどんな暮らしになるのか、どんな生活ができる のかまでの情報提供です。困難を一緒に耐えながら暮らしていくために、どんな暮らし 方が工夫できるのか。そこのところの情報があまりにも不足しているので、選ぶ、選ば ないというところに行き着かないし、病気の状態がその人のものにならないことが常に 起きていると思うわけです。  ですから体制づくりの部分で、川島先生は「医師が」と、かなり強くおっしゃってい ましたが、それをチームの中でどうしていくか。まず医師がその観点に立って情報提供 のあり方や、その方の生きることをどう支えるか、その枠組みを変えようという発想は 本当にそうだと思います。それをする仕組み、体制づくりを、医療全体のいろいろなス タッフでやっていけたらいいと思って聞いていました。 ○町野座長 ありがとうございました。 ○林委員 基本的に川島委員の意見に大きく賛同します。実際に患者さんの意思が確認 できるときは説明をして、本当にそれに対してどのようにお考えになるかを確認してい けばいいのであって、それが終末期であるとか終末期でないとか、そこまでは問題にな らないことなのではないかという気もしています。私たち医療者に求められることがあ るとすれば、その意思決定能力の回復が見込めないのかどうかについて、判断をする必 要はあるのかもしれませんが、意思決定能力がある、もしくは意思表示ができるのであ れば、そのときには説明をして本人といろいろ話をしながら、していけばいいのではな いかと思いました。まずそれが1点です。  もう1つは、誤解を恐れずに申し上げると、すべての人は緩和されますという28枚 目のスライドを見て、確かに緩和はできるのですが、緩和をした、イコール苦痛が全く ゼロになるわけではないことを添えておきたいと思います。さまざまな苦痛を緩和もし ていくし、絶えられる状況にはできると思いますが、それで苦痛がゼロであるという状 況ではない。しかし、私たちは耐えず患者さん方の苦痛を緩和していくために努力し続 けていくし関わっていく。そのような状況であることでご理解いただければ嬉しいかと 思います。 ○中川委員 定山渓病院の中川です。川島先生のお話は大体31頁に凝集されるように 思いますし、言われていることはもっともだと思いますが、あまりここにこだわりすぎ ると、構成概念、実体という言葉だけが先行してきて、実際に我々が患者さんに関わっ ているときは、結構これに近いことで努力している部分がありますので、あまり決め付 け的な発言は避けたほうがというところは少し感じます。というのは、例えば「80%の 医者は緩和医療を知らない」と決められると、どういう統計でそれを言っているのか気 になります。こういう状態ではないだろうか、こういうふうに努力しようという形で言 われるのは私は大賛成ですが、あまりこうである、こうであると言うと、むしろ、ちょ っと誤解されるところがあるかなと思いました。  私どもは小冊子を皆さんに配りましたが、この中でもほとんど同じような考え方が出 ています。これは昨年、NHK教育テレビETV特集「安らかな最期を迎えるために〜尊 厳死を考える〜」という番組に、当院と私が一部出たときの職員の感想文です。いろい ろな意見が書いてあるので是非、ご一読いただければと思います。木村先生もご謙遜さ れましたけれども、今までの医師の考え方は、木村先生が言われたようなことを努力し て踏襲しているのが現実ではないかと思います。川島先生の述べられた内容は非常によ ろしいのですが、「である」調でいくとちょっと違うのかなと思うことも出てくるので、 もう少し柔らかく提案されたほうがよろしいと私は思いました。 ○町野座長 川島先生もいろいろおありかと思いますが、時間の関係もありますし、今 日の議論はかなり重要なところがいくつか出てきたと思いますので、これは次の機会と いうことでまた議論していただくことにして、申し訳ありませんが次の議事に入らせて いただきます。次に議題2ですが、終末期医療に関する調査等懇談会報告書骨子(案) について、事務局よりご説明いただきたいと思います。よろしくお願いします。 ○鶴田課長補佐 資料3になります。「終末期医療に関する調査等懇談会報告書骨子(案)」 について、読み上げさせていただきます。  1.終末期医療に関する調査結果  終末期医療に対しての関心は高い(80〜96%)が、自分自身の延命医療を続けるべきか 中止するべきかという問題について、家族で話し合ったことがある者は半数程度(48〜 68%)であり、十分に話し合ったことがある者は少ない(3〜7%)。  病態ごとに異なるが、治る見込みがないと診断された場合の延命医療については、消 極的である割合が大きい。自分自身に比べて、家族には、延命医療を望む割合は大きく なっている。  一般国民において、リビング・ウィル(書面による生前の意思表示)の考え方に同意 する者は以前の調査結果よりも増加傾向であるが、法制化には否定的である。  延命医療を続けるべきか中止するべきかという問題について、医師と患者・入所者の 間で話し合いが、不十分であると思われている(51〜67%)。  終末期状態の定義や延命医療の不開始、中止等に関する一律な判断基準について「詳 細な基準を作るべきと考えている者」よりも、「一律な基準ではなく医療・ケアチームが 十分に検討して方針を決定すればよいと考えている者」のほうがわずかに多く、意見が 分かれている。  死期が迫っている場合の療養場所として、63%の一般国民は自宅で療養することを望 んでるが、66%は自宅で最期まで療養することは困難であると感じている。  「WHO方式癌疼痛治療法」についてよく理解している医療者が少なく、わかりやす く具体的に説明することができる医療者も少ない。  2.終末期医療のあり方に関する懇談会の主な意見。  (終末期の定義について)  終末期は、高齢者やがん患者のみを対象にするものではない。  救急の現場では突然にやってくる死がある。  終末期のとらえ方は、年齢、疾患、患者の死生観、患者を取り巻く環境により、多様 であり、画一的に定義することは難しい。  「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」では、どのような状態が終末期 かは、患者の状態を踏まえて、医療・ケアチームの適切かつ妥当な判断によるべき事柄 と記されている。  (終末期医療に関する説明について)  高齢の方ほど、医師からの病気の病名や病気の見通しについて、知りたくないという 言われる割合が多い。  医療者側と患者側では、圧倒的に情報量の格差がある中で、患者側は現実的な判断を 迫られている状況にある。  医療者側が十分説明すべきだが、実態上できていない。  治らない病気の患者に対して、支える医療を患者に説明する必要がある。  患者側が十分な情報をもとに意思決定ができるように、例えば相談支援等を医療チー ムで取り組むシステムを整えるべき。  (緩和ケアについて)  緩和ケアとは、生命を脅かす疾患による問題に直面している患者とその家族に対して、 疾患の早期より痛み、身体的問題、心理社会的問題、スピリチュアルな問題に関してき ちんとした評価を行い、それが障害とならないように予防したり対処したりすることで、 クオリティー・オブ・ライフを改善するためのアプローチである(2002年WHOの定 義)。  対象としているのは、がん患者のみではなく、生命を脅かす疾患に直面している患者 と家族である。  治癒を目的とした治療の初期から緩和医療が関わり、次第にシームレスに緩和医療に 移行していくのが現在の大きな流れである。  緩和ケアを進める上で、多くの患者が緩和ケアに対して死のイメージを連想してしま うことが、一つの障壁となっているとの指摘がある。  患者を初めから最期まで支え続けるという姿勢で、治療と緩和が並行して行っていく という考え方が大切である。  暮らしを支えるとか、生きるための緩和ケアをもっと大事にして欲しい。  特別養護老人ホームでも緩和ケアは必要で、医療との連携は大切である。  (リビング・ウィル、法制化について)  終末期に関しては、本人の意思を尊重すべきであり、これに医療従事者側は対応でき るよう法整備が必要である。  人の死のあり方については、国が決めるべき問題ではなく、まずは、患者・家族が十 分説明を受けることができ、患者が本音を語れる環境整備が重要である。  法律は画一的になり、倫理と法律では倫理が優先するという観点からは、人の生き死 には個人的な倫理の問題であるので、法に頼るべきではない。  リビング・ウィルに記載されている内容は、常に変わる可能性があるので、患者が意 思を表明できなくなった時点で、代弁者が代わって決定できるように、代弁者も併せて 規定する必要がある。  (延命医療の不開始・中止について)  プロセスガイドラインに従って延命医療を中止した場合に刑事事件にならないのかと いう不安がある。  人工呼吸器の不開始は不作為であり、中止は作為であり、法律論的には異なるという のが一般的な考え方である。一方で、その行為によってもたらされる結果は同じである。  (終末期相談支援料について)  名称や75歳以上に限定したことは問題であったが、相談活動に対して相談料という のが診療報酬上認められるというのはとても重要である。  相談ではなく、患者さんや家族の方の悩みを聞く場、それを語り合える場を保障する ことが先であり、それを料金体系化するというのは、いかがなものか。  (そのほか)  家族で話し合いをしている者のほうが、延命医療に対して消極的である。  次回の意識調査を実施する際には、過去との比較もできるようにしつつ、質問の目的 に沿った回答を得やすくするよう、アンケート用紙の質問内容を見直す必要がある。  医療に関してみんなが納得していない。  患者の立場からすると終末期は、感じの悪い言葉ではないか。  3.まとめ  終末期をめぐる問題については、個人の死生観が多様であり、終末期においてどのよ うな医療が提供されるべきか多様な意見がある。  終末期医療については、今後も議論を続けることが重要である。  別紙は、第3回懇談会においてワーキングチームより提出された「終末期医療に関す る調査」結果の解析についてを前回の報告書の様式に倣い整理し直したものです。既に 発表済みのデータになりますので、説明については省略させていただきます。以上です。 ○町野座長 ありがとうございました。ただいまの説明や資料に関して質問等がござい ましたら、ご発言をお願いします。 ○木村委員 この間、事務局にお尋ねしたのですが、これは今までの議論の中ですよね。 今回のは入っていないということ。 ○鶴田課長補佐 入っていません。 ○木村委員 今回の議論をここに入れて、また出てくるわけですね。わかりました。 ○町野座長 これまでのところ報告書というのは、事務局とも話をしていますが、調査 の結果をまずまとめ、それが報告書で大体まとまっていて、それが意味するところとい うのはいくつか分けられる。そういうものだったわけですが、今回、これだけいろいろ ご議論いただいているということがあり、それから懇談会というのも脱皮というか変わ っているところがありますから、できれば皆様方の今日のご意見も踏まえ、議論をする ような報告書ができたらと思っていますが、まだここら辺は検討中であるということだ と思います。 ○木村委員 ということで今日出た問題の中で、終末期医療、リビングウィル、ガイド ラインなどについて、医療提供者側がもっと国民に対して説明をしたり、国民に対して、 いま言ったことについて広めていく努力をすべきであることを、是非、このまとめのと ころに入れていただきたい。ただ議論を続けるのではなく、積極的に医療者側がそうい うことをやる必要があることを、是非入れていただきたいと思います。 ○伊藤委員 質問でなく意見ですが、あとで言えなくなると困るので先に言っておきた いと思います。このまとめの前に、川島先生と木村先生のお話で感想を2点ほど申し上 げます。1つは、川島先生のお話で苦痛とかいろいろなものは概念とおっしゃって、私 は難しくてわからなかったのですが、ただ現実には、そこで苦しんでいる患者やそれを 見ている家族というのは概念というより、実体と言っていいのかどうかわからないけれ ども、実際にそこにある苦痛を感じているわけなので、それをどうするかが患者と医師 のいちばん切実なところだと思います。苦痛というのは概念なのか実体なのかを知りた いと思いました。  木村先生の全日本病院協会の報告の中でも、患者や家族の意見を尊重してということ が一部書かれているのですが、いま一般社会の中で尊重してと言うと、尊重はするけれ ども、現実にはこうやりますよみたいなニュアンスなので、尊重してというところはも うちょっと別の表現ができなかったのかと感じました。  この骨子について、今日は3点ほど意見を述べておきたいと思います。1つは、この 懇談会で語られているのは、どうも医療機関内で治療をどうするかということに、かな り限定されているような気がします。医療機関内で行われていることは医療者と患者の 間、あるいは、せいぜい家族を含めてのことなのですが、実際には患者と家族を含めた 生活あるいは地域社会があるわけですから、この骨子の中では、そういう意味でも医療 場面の設定だけではなく、もっと幅広く、先ほどケースワーカーの田村さんもおっしゃ っていましたが、もうちょっと別な場面設定もいっぱいあるのではないか。終末期医療 に関することを検討する場であって、終末期の治療に関するだけではちょっと不足なの ではないか。今後、この懇談会が続けられるとすれば、その点についても議論が深めら れなければならないのではないかと思います。  2点目はアンケート結果の中で、本人の家庭に帰りたいという気持と、家庭では無理 だという気持のギャップが、わずかな数字で出ていますが、実際には相当大きなギャッ プなのだと思います。帰りたいという気持の中身は何なのか、家では終末期を迎えるの は無理だということの中身は何なのかについて、一歩踏み込まなければならないのでは ないかという気がします。  国の政策で、医療は在宅の方向へ持って行きながらも、実際には少子高齢化なわけで す。今後、さらに単身世帯あるいは二人暮らしはもっともっと多くなるという発表もあ るわけです。その少ない家族あるいは家族がいない中で、医療機関から出されて在宅を 選ばなければならないとしたら、そこで終末期医療というのは成り立つのか。そこでさ まざまな苦痛があり、それは身体的苦痛だけでなく経済的苦痛が家族を含めてあるわけ です。私も介護をしていますけれども、家族の人生そのものも拘束されるような状況の 中で、最終的な終末期医療をどうするかも、同時に議論されていかないとならないと思 います。そういう意味で先ほど言いました国の在宅医療へという方向と、少子高齢化社 会の政策のアンバランスがたくさんの悲劇を招き、また本人や家族を苦痛に陥れている のではないか。そういうものを支えるという言葉がいくつか出ていますが、支えるだけ でなくて支える体制はどうあるべきなのかも、もっと具体的に論議されるべきではなか ったか。次の懇談会がありましたら、そこでは論議を深めていただきたい。  3点目ですが、終末期医療のあり方をここで検討すると言いながら、実際には移植を 前提とした終末期の法律もできているわけですし、あるいはさまざまな場面で終末期医 療のガイドラインが出されたりしています。そうすると、この懇談会で語られている終 末期医療というものとの整合性、あるいはそことの接点をどうするのかについては論議 されてもいいのではないか。ただ、この報告にもありますようにさまざまな捉え方があ ったり、これは一律ではないということも謳われているので、それはそれでいいと思い ますし、また死というのは国が提起するべきでないということもいいのですが、しかし、 この懇談会に課せられた課題とは何だったのか、何となく疑問も残るわけです。このこ とについての論議ももう少し深められてほしいという願いがあります。長くなりました が、以上3点です。 ○町野座長 ありがとうございました。非常に建設的なご意見で、前のほうで2点ほど ご質問がありましたが、時間があればということですみません。あと第3点目のところ で移植を目的とした終末期と言われましたが、これは誤解であるだろうと思います。臓 器移植はそういうことを前提にしているものではない。私は臓器移植委員会のほうにい ますから、そこの点だけはまた後で議論しても結構ですが、もちろん終末期というのは、 いろいろあって非常に広がっていると。今日のガイドラインの中でも終末期の提示があ りましたけれども、非常に広いような、要するに今までのような本当に死期が切迫した という考え方でないわけで、最高裁判所の決定の中でも、死期が切迫していなかったと いうことで認めないと言ったわけではない、ということに気をつけるべきです。かなり いろいろ議論は動いているところです。ありがとうございました。 ○井形参考人 オブザーバーで参加させていただいている、日本尊厳死協会の井形です。 いま出されたまとめを読みまして、多様な意見がある、議論を続けるとあるのですが、 結局、何も前進がなかったという表現が出てしまうのです。せっかくこういう会をやら れたのですから、少しこの会で前進したことを書いていただきたい。例えば本人の意思 を尊重しましょうというのは、皆さんの合意ができたように思いますから、本人の意思 の尊重は合意できたと書かないと、この懇談会はやったけれど何の前進もありませんで したという結論になりそうに思いますので、希望として合意できるところを何カ所か出 してほしい。 ○町野座長 何も進歩がなかったかというのは、いろいろな人の見方がありますけれど も、私個人の考えを言わせていただくと、私はかなり進歩したと実は思っています。そ の1つが今日も出てきました意見、それから前からありますとおり、インフォームド・ コンセントという概念は点の問題ではなくてプロセスの問題であると。そして今日、お 話が出ましたように相談ということによって、これが出てくるということが1つである し、終末期についても、今まで死期の切迫だとか期限で切っていましたが、おそらく多 くの人はそのような考え方はとっていないと思います。3点目は法制化の問題ですが、 これについてもかなり議論が戦わされ、大体、考え方の筋道は見えてきたように私は思 います。それは私なりの議論の整理の仕方です。しかし、これが次に報告書としてまと まる時にどのような格好になるかは、まだ諸先生方のご議論を待ちたいと思います。 ○井形参考人 私からの希望です。 ○川島委員 今回、これだけ議論がいっぱい出てきて、本当に前進していると私は思っ ています。しかし、この問題は人間が生きて死ぬ上で永遠の問題でありますので、懇談 会は5年ごととか定期的にやっていきながら、さらに新しい科学技術の進歩、その他も 含めていろいろな情報が入ってくると思いますので、これは永遠に続けていかなければ ならない懇談会だと思います。  それが3年後なのか5年後なのかわかりませんが、そのときまでに、この懇談会で非 常によかったと思った提起が今回はいっぱいありましたので、それについては厚生労働 省のほうで考えていただくのかどうかわかりませんけれども、いろいろなチームを作っ たりしながら、新たにこの次の懇談会まで成果を上げていくことも検討していただけた らと思う次第です。それは医師に対する説明をどのようにちゃんとして、構成概念や実 体をちゃんとわかってもらうかといった医師だけの問題ではなく、これから治らない人 がいっぱい出てくるのが日本の現状ですから、治らない人も自分の状況下で「よかった」 と思える生き方ができるような体制整備と、それに必要な予算のことも含めて、包括的 に考えていただくことが大事だと思います。そういう実際の進行をどういうふうにして いくかについては、懇談会で論議されなくても次回までの間に、そういう体制整備も医 師に対する教育も含めて、話合いだけでなくいろいろなことを進めていたただければと 思っています。 ○木村委員 先ほど、患者の意見を尊重しているけれど、実際は違うとなるのではない かという話でしたが、患者の意思をそのままやってしまうと自殺ほう助になったり、公 序良俗に反することになってしまうこともある。そういうことがあったので尊重という 言葉に置き替えたということです。 ○池上委員 まとめのところで2つ異なる内容が含まれています。1つは調査のあり方 として、もし5年後に再び調査を行うとしたら、どんな形で調査を改善する必要がある かを申し送る形のまとめが必要だと思います。本懇談会はもともと調査を行うために始 まったわけで、途中から懇談会となりました。そこで、まず調査について今後、改善す るべき点を総括する必要があると思います。次に懇談会として、これはなかなか議論が 尽きない問題ですので、どういう場で何を中心課題として懇談し、どうまとめるかとに ついて、また改めて設定し直す必要があると存じます。  そのほか申し上げたいことは、現実に日本人が死亡する場所として8割は病院である わけです。病院である以上、医療行為とは切っても切れない関係にあるし、限られた時 間の中でできることもまた限られているわけです。したがって、今回、私からの提案で 実施していただいた、事前にどこまで本人と家族が話し合っていたかどうかで延命治療 の意向を分析すると、資料3の最初にある、「十分話し合っている」は3〜7%しかあり ませんが、話し合っている割合は半数あります。話し合っている半数の方が延命治療に 消極的でした。つまり病院あるいは医療という場面ではなく、事前に延命治療を望むか について話し合っていることが重要です。  もう一つの問題点は、家族の範囲が特に規定されていないことです。したがって誰と、 どのようなことを話し合ったかが、重要です。そういう観点からリビングウィルだけで は不十分で、代弁者を規定する必要です。代弁者を決める過程で、代弁者と決めた家族 と話し合う必要があり、このように代弁者を規定することによって「家族」という不特 定多数に等しい概念から抜け出ることができます。 ○町野座長 ありがとうございました。 ○橋本参考人 日本ALS協会の橋本です。川島先生、ありがとうございました。お礼を 申し上げます。橋本の代弁として2点あります。まとめに盛り込んでいただきたい点で すが、川島先生のお話の中に構成概念ということがありました。ちょっとわかりにくい のですが、これまでのお話合いを聞いていると人工呼吸器に対するイメージが非常に悪 い。外すことや付けないことの議論になっているような気がします。でも人工呼吸器を 付けて長く生きている者たちにとっては、身体の一部、家族、大変親しい友人というよ うにイメージされ、表現されていることもかなりあります。ですから構成概念というこ とでいくと良いイメージで、人工呼吸器によって生きていることが楽しめることもある のだということを、盛り込んでいただきたいというのが1つです。  それから、もう1つ、病人は自己決定ができるのがいちばんいいのですが、例えば貧 困だとか差別から治療を断られたり、治療を断らざるを得ない状況に追いやられたりし ている場合もあります。そういう社会的な状況について、終末期医療の中で検討を加え ていただければ嬉しく思います。これは伊藤委員と同じ意見です。 ○町野座長 ありがとうございました。 ○大熊委員 私は当初から、この懇談会のタイトルについて異論を唱えてまいりました。 それがまとめのところに、「患者の立場からすると終末期は感じの悪い言葉ではないか」 という言葉にまとめられていますが、感じが悪いだけではなく正確ではない。もっと広 い概念を持つ言葉のほうがいいのではないか。今更、懇談会の名前は変えられないかと は思いますが、私は社説を書くときに終末期という言葉を使ったことはなく、人生の締 め括りとか、いろいろ言葉を考えながら書いてまいりました。  タイトルでもう1つ異論があったのは、医療ということです。人生の締め括りに大切 なのは医療だけではないということです。前にも例を挙げましたけれども、例えば穂波 の郷という所で、その人が人生の最後にしたかったことをみんなでかなえていく。そう いうことまでひっくるめて人生の最後なのではないかと思います。  そのあたりまでは伊藤さんとたぶん同じなのですが、ちょっと違うところは、伊藤さ んが日本は少子高齢化で80%が病院で死ぬのは仕方がないから、この前提としてという ふうな感じで話が進んでいるのですが、前提ということは変えることができるものです。 実際にデンマークやスウェーデンは自宅で、または自宅風の雰囲気の所ということで、 だから施設という言葉を使わないわけですが、そういうことを含めた在宅での死という かが本流になっています。ですから病院での死を前提にするのではなく、もっと広い感 じでまとめをしていただきたいと思っています。ですから、まとめの最後、後ろから2 行目で「どのような医療が提供されるべきか」という言葉ではなく、「医療やケアサービ スが提供されるべきか」と、範囲を広くしていただきたいと思います。  この種の検討会や懇談会は医政局がやるわけですが、人の縄張りに口を出すとややこ しいらしくて、そのことは書き込まないという傾向があります。先日、在宅ケアを本当 に真剣にやって実績を上げている方たちが集まった席でしたが、医療のほうはかなりや ろうと思えばできて、ケアサービスが足りないがために、最後が不幸になってしまうと いう問題がありましたので、そのケアサービスという言葉を是非入れていただきたいし、 病院というのは今は主流かもしれないけれども、これは変わり得るものと捉えた書きぶ りにしていただけたらと思います。よろしくお願いします。 ○町野座長 ありがとうございました。 ○伊藤委員 いま、大熊さんのおっしゃったとおりのことを言いたかったのです。表現 の方法で遠回しに言っていたのですが、終末期には医療だけでなく、それを支える社会 体制というのは、今後、かなり大きなファクターになってくるのではないか。それを私 たちは言いたかったということです。 ○近藤委員(武山代理) がんの子どもを守る会の近藤に代わって出席させていただい ています、武山と言います。先ほど医療チームと患者家族で治療方針を決めていくとい うお話があったのですが、いま、お二人のご意見の中にも、医療チームという考え方の 中で病院だけでなく、もうちょっと広く、在宅と病院を行き来する患者さんもたくさん います。そういったときに病院の治療の中での患者さんの見方と、地域で関わる方たち の見方が非常に違っている場合が非常に多いということ。それから患者と医療チームと いうふうに2つに対立するものでは決してなくて、医療チームの中にも、患者サイドで いろいろなことを考えていくソーシャルワーカーといった職種の人もいますので、患者 サイドを含めた概念で考えていただく形を、作っていただく必要があるのではないか。 そういうふうに思います。  もう1つは家族です。治療の中ないし終末期のいろいろな行為で、例えば一度家へ帰 してあげたいと言って帰したけれども、それが最終的に命を縮めることになったのでは ないかとか、良かったのか悪かったのかを亡くなった後も思い出して悩み、自分を責め るということがあるのです。ですから医療というのは亡くなるまでではなくて、亡くな った後のことも、これは医療の分野ではないのかもしれないですが、医療に関わって起 こるいろいろな問題として、家族や周りの他の医療者も含めてですけれども、そういっ た方の心の問題や、その処置がどうだったか検証し話し合っていく。そういうことが必 要になるのではないか。終末期医療の中の概念は、そこまで必要なのではないかという のは、子どもを亡くされたお母さんのお話の中では非常によく出てくることですから、 申し添えさせていただきました。 ○町野座長 ありがとうございました。ほかにございますか。まだ若干時間があります。 ○藤田参考人 NPO法人ピュアの藤田です。いまご意見がございましたように、私も遺 族の立場でいろいろな家族、遺族の言葉を聞いていますけれども、かなり終末期に関す る決定が、その後の遺族の嘆きになったり、その後の人生にすごく影響を及ぼしていま す。ですから医療が、自分たちが責任をとらないために家族や代理人に責任を押し付け る方向性ではなく、本当に患者と家族が向き合って「いい人生だったね」と言い合える 相談体制であったり、すべてを受け止めていく体制を医療やケアチームの中に作ってい かない限り、この問題は永久に続いていくのではないかと私は思います。 ○町野座長 ありがとうございました。ほかにございますか。 ○増成委員 いちばんの基本は、結局、人間がどういう存在かというところからいろい ろな意見が出てくると思うのですが、例えばデカルトの時代にこういう問題は出てこな かった。古代ギリシャでも出てこなかった。なぜかと言うと、いろいろなことがありま すけれども簡単に言うと、1つは社会的存在だということの意味が非常に違ってきたと いうことと、テクノロジーを使って生きて、テクノロジーによって助けられて生きてい る。その要素が古代ギリシャではなかったしデカルトの時代もなかったわけです。現在 の我々の問題はそのテクノロジー、特にここではメディカル・テクノロジーとの関係が 非常にある。これはこの懇談会でもかなり議論が出たと思います。  社会的存在ということに関しては、家庭の問題とか病院に入院している場合の病院の 関係、それから地域社会までは出たのですが、その後、国レベルの問題もあると思いま す。我々が生きているのは、国によって生かされている面もかなりある。もっと具体的 に言うと、これはどぎつい話になってしまうかもしれませんが、税金によって医療が賄 われている。我々は税金を納めていると同時に、税金によって助けられている。その議 論はもう少ししなければいけない。  それと、これはここで止まってはいけないので、世界という社会を考えなければいけ ないと思います。我々はかなり社会によって助けられている人間なのですが、何も助け られないで平均寿命が50歳もいかない段階で死んでいく社会もいっぱいある。そうい うことを考えた社会的存在として我々は医療をどうするか、終末期をどうするかという 議論はもっとあっていいのではないかと思いました。 ○町野座長 ありがとうございました。そろそろ時間になりましたので、ここで次回の 予定を事務局からお話いただきたいと思います。 ○鶴田課長補佐 次回懇談会の詳しい日程等につきましては、後日、事務局より連絡さ せていただきますので、よろしくお願いします。 ○町野座長 ありがとうございました。今日もかなり活発にご議論いただきました。報 告書のタイトルを考えられた方もおられると思いますが、終末期という言葉を取ってし まったらどうかとか、いろいろあると思いますけれども、そこらはさらに次回、ご議論 いただきたいと思います。今日出た議論の中で1つ重要だと思われましたのは、グリー フケアの問題というのは今まであまり出ていなかったということです。しかし、現場で はかなり昔から終末期の問題について、スピリチュアルケアを含めた上でのグリーフケ アの必要性ということは、かなり言われていましたけれども、そこまで今回の報告書で 書けるかということは、もう1回議論する必要があるように私は思います。まだ少し時 間がありますが、何かございますか。 ○近藤委員(武山代理) 先ほど世界レベルでというお話がありましたが、子どもの権 利条約が作られるもうひとつ前の母体というか、その精神を考えたコルチャックという ポーランドの医師であり、子どもの施設長であった学者ですけれども、この方が、死ん でいくことの権利、子どもが死ぬことの権利ということを言っているのです。子どもは 最後の命がパタッと亡くなるまで、生き生きと子どもとして生きていく権利があって、 そういうふうにすると病気が悪くなるよとか、死んでしまうからやっちゃいけないよと か、昔はすぐ子どもが死んだ時代だったからだと思いますが、そういうふうに生き生き と生きることを規制するようなことを、大人がしてはいけないと言っています。最後ま でやりたいことをやって生きていける権利がある。特に子どもの場合は一瞬、一瞬楽し く生きていきたいということがあるので、私たちはそこを大事に仕事をしているのです が、そういう考え方、当事者としての生き方、権利というものが子どもの部分であるの で、是非、どこかに生かしていただくとありがたいと思いました。 ○町野座長 それでは、これで終わらせていただきたいと思います。ありがとうござい ました。 (照会先)  厚生労働省医政局政策医療課  鶴田、秋野、澤谷 (直)03−3595−2189 (代)03−5253−1111(内線4104、2529、2521)