09/10/05 第2回チーム医療の推進に関する検討会議事録 第2回チーム医療の推進に関する検討会 日時 平成21年10月5日(月) 16:00〜18:00 場所 厚生労働省省議室(9階) ○永井座長   ただいまから、第2回チーム医療の推進に関する検討会を始めさせて いただきます。委員の皆様方にはお忙しい中お集まりいただきまして、 ありがとうございます。早速事務局から、委員の出欠状況、また本日 お越しいただいている先生方のご紹介と資料の確認をお願いいたしま す。 ○石川補佐   本日は、委員の先生方全員にご出席をいただけることになっており ますが、西沢委員より10分ほど遅れるというご連絡をいただいており ます。  お手元の資料の確認をさせていただきます。議事次第をご覧くださ い。事務局提出資料として、看護師の業務範囲に関する法的整理につ いての資料1をご用意させていただいているほか、桐野高明先生配付資 料として資料2、南裕子先生配付資料として資料3をいただいておりま す。  また、本日は、チーム医療の推進に関する話題提供をお願いしてお ります、桐野高明国立国際医療センター総長と、南裕子近大姫路大学 学長にお越しいただいております。  それでは、カメラ撮りの方はここでご退出をお願いいたします。  お手元の資料を先ほど確認させていただきましたが、不足するもの はございませんでしょうか。それでは永井座長、引き続きよろしくお 願いいたします。 ○永井座長   議事に入ります。本日の議題は、初めに、前回の検討会で「看護師 の業務範囲に関する法的整理について」ということで議論がありまし たので、まず事務局よりご説明を受けることにいたします。次いで、 この問題を議論するに当たりまして、国立国際医療センター総長の桐 野高明先生と、近大姫路大学学長の南裕子先生から総論的な話題提供 をいただくことにいたします。その後お二人への質疑応答を含めて、 チーム医療の推進について委員の皆様に自由にご議論いただきたいと 思います。では資料1の説明からお願いいたします。 ○石川補佐   看護師の業務範囲に関する法的整理について前回の検討会でご質問 がございましたので、改めて事務局提出資料を資料1として用意いたし ました。前回と重複する部分があるかもしれませんが、これをもとに 説明させていただきます。  資料1の1頁目に大まかなイメージ図があり、2頁目に条文を収録して あります。必要に応じて、1頁目のイメージ図と2頁目の条文を対照さ せながら説明いたします。  まず、「医師の業務」に関してですが、2頁目の医師法第17条の条文 をご覧いただきますと、「医師でなければ、医業をなしてはならない」 という規定がございます。また、「医業」という言葉の解釈としては、 「反復継続する意思をもって行う医行為」とされています。この「医 師の業務」を図示したのが1頁目の赤枠です。  一方、「看護師の業務」に関しては、2頁目の条文をご覧いただきま すと、保健師助産師看護師法、いわゆる保助看法の第5条で「傷病者若 しくはじょく婦に対する療養上の世話又は診療上の補助」というアウ トラインが規定されておりまして、その範囲の中で、保助看法第37条 で「医師又は歯科医師が行うのでなければ衛生上危害を生ずるおそれ のある行為」については、「主治の医師又は歯科医師の指示」が必要で あるという構造になっております。この「看護師の業務」を図示した のが1頁目の青枠です。この図で申しますと、「看護師の業務」のアウ トラインが青枠で、そのうち黒枠内の部分、保助看法第37条で述べて いる行為については「医師の指示」が必要とされています。そして、 この黒枠内の部分に相当する行為を「診療の補助」、それ以外の茶色枠 内の部分に相当する行為を「療養上の世話」と、概ねこのように呼ん でいる現状があるというわけです。  したがいまして、「看護師の業務」と「医師の業務」の関係を捉えよ うといたしますと、大まかなイメージとしては、このイメージ図のよ うに3段に分かれることになります。看護師が独自の判断で行い得る 「療養上の世話」。それから、看護師が主治医の指示の下で行い得る医 行為、すなわち「診療の補助」。ここまでが「看護師の業務」のアウト ラインの青枠の中の話です。そして、診療の補助という概念を超える ような医行為については、赤枠の中であって青枠の外ということにな りますから、医師でなければ行うことができないということになるわ けです。  大まかなイメージとしては、以上のように3段に分かれるわけですが、 現実問題として、3段それぞれの境界線をバシッと区切れるものではあ りません。  まず、真ん中の段とその下の段との関係で申しますと、看護師の行 う「療養上の世話」につきましては、基本的には医師の指示を必要と しないとされているわけですが、例えば、「療養上の世話」を行ってい る最中に患者の病態が変化するということがあれば、医師の意見を求 めたほうがよい場面も考えられるわけです。  これについて、平成14年度に行われた「新たな看護のあり方に関す る検討会」の報告書では、次のように結論づけられております。すな わち、「療養上の世話については、行政解釈では医師の指示を必要とし ないとされているが、療養上の世話を行う場合にも、状況に応じて医 学的な知識に基づく判断が必要となる場合もある。患者に対するケア の向上という観点に立てば、看護師等の業務について、療養上の世話 と診療の補助とを明確に区別しようとするよりも、医療の現場におい て、療養上の世話を行う際に医師の意見を求めるべきかどうかについ て適切に判断できる看護師等の能力、専門性を養っていくことが重要 である」というご指摘をいただいております。また、真ん中の段とそ の上の段との関係で申しますと、看護師が主治医の指示の下で行い得 る医行為(保助看法第37条)は、看護師の業務である「診療の補助」(保 助看法第5条)という概念を超えることはできない、言い換えれば、「診 療の補助」の範囲を超える医行為は医師しか行うことができないとい う整理になっているわけです。  この点に関しましては、例えば、静脈注射の取扱いについては、看 護教育の水準の向上、医療用器材の進歩、あるいは医療現場における 実態との乖離等の状況を踏まえて、平成14年に上の段から真ん中の段 へ、「診療の補助行為」の範疇であるという整理へと解釈が変更された 経緯がありますし、薬剤の投与量の調節、救急医療等における診療の 優先順位の決定については、平成19年に真ん中の段に位置するという ことが明示されたという経緯があり、これは前回も説明したとおりで す。  もっとも、どのような行為が「診療の補助」の範疇に含まれ得るの か、言い換えれば、上の段か真ん中の段かという問題については、行 政として通知などでいくつか例示的な項目をこれまでお示してしきお り、イメージ図には、そのうちほんの一部を記載しておりますが、こ れはあくまでも例示であり、個々の行為に関する具体的な判断という ことになりますと、現場の裁量を最大限尊重する形としておりまして、 その分、柔軟な運用が可能な仕組みになっているわけです。  なお、赤枠と青枠については、医師と看護師のそれぞれの独占業務 の範囲を示したものであり、これらの独占業務の枠の外には、事務職 員が担ったり、業者に委託したりできる分野があるということになり ます。  以上でございまして、大まかなイメージと、境界線に関する補足の 説明をさせていただきました。 ○永井座長   静脈注射が青枠の中あるいは黒点線枠の中に入った経緯は、どうい うことだったのでしょうか。 ○石川補佐   これに関しては、裁判でその位置づけが争われたこともございまし た。一方で、「新たな看護のあり方に関する検討会」でご検討をいただ きまして、その中で、看護教育水準の向上、医療用機材の進歩、医療 現場における実態との乖離等の状況を踏まえて見直すべきであるとい う議論になり、平成14年の検討会の「中間まとめ」で、これは診療の 補助行為の範疇として取り扱うべきであるという結論をいただきまし て、そのような形と整理いたしました。 ○永井座長   いかがでしょうか。もしご意見等がなければ、後ほど、ただいまの 説明を含めてご討論いただきたいと思います。  それでは、今日お見えのお二人の先生方から、チーム医療推進に関 する話題提供をいただくことにいたします。まず、この問題を議論す るに当たりまして総論的な話題提供を、国立国際医療センター総長の 桐野高明先生にお願いいたします。続いて、チーム医療における看護 師の役割ということで、近大姫路大学学長の南裕子先生からお話を伺 います。お二人からご説明いただいた後に、質疑応答を含めてチーム 医療の推進についてご議論いただきます。それでは最初に桐野先生、 よろしくお願いいたします。 ○桐野先生   私がお話をさせていただくのは資料2「医師のマンパワーとチーム医 療」という名前のパワーポイントの資料です。いろいろな言い方があ りますが、医療を決定づける2つの要素として「医療費」と「マンパワ ー」が最も重要な要素であると言えます。  私がここでお話をさせていただく理由の1つは、学術会議において、 南先生も永井良三先生もメンバーをしておられた「医療のイノベーシ ョン検討委員会」でマンパワーと医療費について政府に対して要望を 出した中で、チーム医療の重要性についても言及しておりますので、 そのためではないかと思います。1975年時点での医師の年齢分布を見 ると、この当時は高度成長が盛んだったわけで、診療所の働き盛りの5 0歳前ぐらいの先生方が非常に大きな割合を占めていて、この方たちが 医療の現場では大きな役割をしていたことが分かります。その当時の 医療はこのような方たちが活躍して医療を維持できるという体制にな っているために、下のOECDのヘルスデータで見れば分かるように、日 本の医療のあり方は、良い悪いは別にして、平均在院日数にしても、 病床数にしても、いろいろなものがここに挙げてある先進諸国とは違 う歩みをしてきたのです。別の言葉で言うと、1960年当時は、平均在 院日数も、医師数も、看護師数も、病院数も、病床数もそれほど先進 諸国間で差はなかったのです。  次の頁のスライドに2006年時点での医師の年齢分布がございますが、 毎年大体7,000〜8,000人医師が誕生するという状況を定常状態として、 何年か経過するとこのようになるという形です。徐々にこれから総医 師数は増えていくのですが、増えた分は右側の谷のほう、つまり60歳 以上のところがもう少し埋まってくるという効果があるわけですから、 若手を増やすという効果はあまりないと言えます。  その下です。この間先進諸国は、日本も含めて、成熟経済型医療を 目指していろいろと改革が行われてきたわけですが、それぞれの先進 諸国はこれを完全に行えるという状態ではなくて、いろいろな問題を 抱えているわけです。特に我が国では成熟経済型医療への転換を少な い医療費のもとで推進してきたという経緯がありまして、病院や医師 に非常に大きな負荷がかかって、それが医療崩壊準備状態ではないか と見られております。  右側のスライドは医師のマンパワーです。医師数は非常に不足して いるという考えがあり、数をOECD平均レベルまで上げればかなり問題 は解決するという考えがあります。ただ、私の考えでは、この考え方 は誤りではないにせよ、単純すぎると思われます。  この間医療が危機に陥った原因は、「医療が危機に陥った原因」と書 いてある所に並べてあるとおり、各種各様の要因が重なって、かなり 危機的な状況になっていたと言えます。  次頁です。2004年に導入された初期臨床研修制度はその一部ではあ ると思いますが、言ってみれば、積み将棋で最後に積んだコマのよう なもので、最後に積んだものが全部の原因であると言ったとしましょ う。積み将棋の勝負であればそれでいいのですが、実際はそう単純で はないのです。人材養成は、次頁の紫色の横棒のグラフにあるように、 歯科医師数はOECD標準にまだ足りないのですが、それでも現在需要が 供給を上回っていると言われております。  薬剤師は数多く育成されておりますので、今後余剰が出るという予 測がされています。医師について、右の下の横棒が並んだようなもの は模式図です。あまり時間がないので詳しく申しませんが、人生80年 の2分の1を医師として過ごします。医師を養成するというのは40年間 の影響があるものですから、いろいろな工夫が必要です。医師の数は 日本では必ずしもストリクトな制御を受けているわけではありません。 したがって、ある領域の医師の数は、その領域に参入してくる若手の 医師の数や学会の専門医の認定の数や職場におけるポジションの数な どで複合的に決まってきます。専門医制度を敷いているヨーロッパ諸 国やアメリカでは、比較的厳格というほどではないにしても、かなり 厳しくまもられておりますので、そこが違います。例えば、私が専門 としている脳神経外科医は、人口10万人当たりの数が多いといわれて います。確かに、他の先進諸国に比べて多いことは事実ですが、我が 国の脳神経外科医は、これまでの救急医療や脳卒中診療において必須 の存在であったし、現状でもこれを急激に減らすことをすれば、救急 医療や脳卒中診療は崩壊します。  なぜそのように増えたのかという用因を考えてみると、右側の脳神 経外科専門医の数にあるように、一生懸命に後進を養成する等の要因 があるにせよ、我が国では、増加し続ける医師の業務に対して、これ を他業種に割り付けるということはしなかった。増加し続ける業務を すべて医師が引き受けながら、努力して若手医師の増員を図っていく ということが、少なくとも当時は最も合理的な解決法であった。それ ぞれの大学の医局にとっても、学会にとっても、こういう努力をして いくことが最も合理的であったために、自然に増加した。しかも、増 加した医師をきちっと収容していくような施設の増加を国の経済が支 えたという状況があります。  右側の下に脳神経外科医の外科医である期間を書いてありますが、 本当にプロの外科医として活躍するのは25年ですが、これは専門医を 取ってからですから、大体30年ぐらいの活躍をすると考えていいと思 います。  次に黄色とダイダイ色の三角があります。昔の外科はこのような、 下が細くて長いピラミッドを形成していましたが、今の外科系は業務 が非常に増えている。若手が仕事をたくさん引き受けないといけない ので、広がったピラミッドになります。しかしそうしますと、専門的 な業務が変わらない場合は、専門的な仕事を大勢の人が切り分けて仕 事をすることになります。つまり、下の卵の絵のように、真ん中のコ アの専門的な仕事のほかに周辺的な仕事が非常に多くなった場合は、 それを多くの人数で切り分けるのですが、中の赤いところは同じ量で すから、一人ひとりの専門的な業務の希釈が起こります。したがって、 外科系から言えば、チーム医療はどうしても必然であり、医師の本来 の業務以外の業務を医師がどんどん負っていけば、その後のキャリア パスをよほど考えない限り、その診療科が異常に増大する。そうする と、その診療科は本来の魅力を失っていきますので、今度は急激に人 手不足になるフェーズに陥ります。したがって、どのような人的構成 を取るべきかを考えてキャリアパスを考えていくのが適切で、特にピ ラミッド型の人的構成が必要な外科系の診療科では、ピラミッドのサ イズを安易に拡大すれば、キャリアパスのためのシステムをかっちり 用意しない限り矛盾が顕在化します。  医師はこの間いろいろな業務の拡大に対して、いろいろなことをす るようになってきました。特に侵襲性の高い治療から、いちばん下の 「病院の経営や運営に関する会議、業務」まで種々さまざまです。横 の線が引いてある上のものが欧米の専門医が行っている仕事です。下 の仕事の中で、上のほうは確かに専門医がやっているかもしれません が、これを担うスタッフが必ずいます。  このような問題について解決するものの1つは専門医制度ですが、専 門医制度も我が国ではまだ十分発達していないために、今後の問題と してやっていかないといけません。  次の「専門医制度の効果」に書いてあるように、専門医制度を形成 すれば、医師の専門職能集団が厳格な専門医制度を基礎にして形成で きるので、医師の専門職能集団の数及び分布のコントロールがある程 度可能となります。欧米諸国はこのようにやっております。その上で、 病院と診療所の信頼に基づく連携関係を構築していくことができます。 したがって、専門医制度はそれなりに責任のある組織が担当しなけれ ばなりません。例えば大学の医局の代表者や学会の代表者が集まって 相談して決めるという状態だけでは、いまの流行りの言葉で言えば「利 益相反状態」の下で物事を決めていくことになりますので、うまくい かないと言えます。  最後は本日の結論ですが、「チーム医療の必然性」と書いてあります。 医療に関する情報量が爆発的に増加したことに対して、医師だけでは 追い付きません。戦後医師国家試験が国によって始められたころに比 べると、医療に関する情報量は500倍とか1,000倍になっていると言わ れておりまして、この情報量の全領域を一人の医師がカバーすること は不可能です。それから、患者の権利を尊重するという基本的な考え が今後縮小することはあり得ないと考えられます。  そのような状況に対して、増大してきた医師の業務をすべて医師、 例えば若手の医師に将来的にも担わせていこうという考え方は非現実 的で、副作用も大きいものです。若手の医師がすべての業務を担わな ければやっていけないという状況で、特にDPCが導入されて年上の先生 方にはコンピューターの操作がよく分からない、若手の医師がいない と病院が動かないという状況のもとに、初期臨床研修制度が始まった ために研修医が減ったところが非常に大きな影響を受けたと言えると 思います。したがって、さまざまな職種とのチームワークによっての みレベルの高い、質の高い医療が維持できるということになります。  欧米がすべていいとも思いませんが、欧米ではかなり専門性の高い 業務をほかの職種に委譲して、その職種が業務を行うという仕組みを 作っております。例えば、病院の患者を車椅子を押して運搬するポー ターのような仕事から、最終的には、手術のときにおなかを最初に開 けておいて、外科医が来て、手術が終わったらお腹を閉めるというよ うなレベルまで種々多数の業務があります。そのようなものを一定の 資格のもとに権限を委譲して行っているのが現状です。  最後の頁は医師数の推移ですが、OECDと我が国の医師数の差があり ます。現在OECDが10万人当たり310なのに日本は200で少ないという議 論があります。我が国の医師は欧米の医師より明らかに2分の3ぐらい は働いておりますから、これだけであればキャッチアップできるはず なのですが、実際は欧米、特に西ヨーロッパ諸国及びアメリカの医師 に比べて医師の業務を分担する業種、職種、そして人数の拡大が著し いものですから、この我彼の差はそれを加えると、もっと大きなもの になっていると考えなければならない。そこが現在の問題です。現在2 00になっている医師数を310に持っていくことは、徐々に診療の現場の 医師の過重をやわらげる効果はあるとは思いますが、それは少なくと も他の先進諸国が選択したものとは異なっている。このような業務の 分担は、単に医療の効率、言ってみれば、一定の医療費のもとで一定 の効率を上げるという合理的な判断で職種を分散しただけではない。 医師の専門性を希釈させないためにはどのようにするべきであるかと いうこともその判断の中に入っていると私は思っております。  看護師の養成数が最後にあります。これはご存じのこととは思いま すが、看護師は1960年当時の養成のあり方とは全く違います。4年制の 大学が非常に増えていて、もう1万数千人の学士の看護師が卒業してい るという状況を考えれば、当然、彼ら/彼女たちが実際のマンパワー の非常に強い力になります。場合によっては、それとはまた別種の医 師の業務を担当するような職種を考えることが、これからいろいろな 意味で困難な医療を崩壊から救うために、あるいは、もっと良くして いくために、どうしても必要ではないかと考える次第です。少し長く なりましたが、私の話は以上です。 ○永井座長   ありがとうございました。では続いて南先生からお話を伺いたいと 思います。 ○南先生   私は、チーム医療における看護師等の役割ということで、主に世界 的な動向から概観してほしいという依頼を受けました。そこにわざわ ざ肩書きを書いてあります。世界的な動向から話をするといっても、 すべてが分かっているわけではないのですが、国際看護師協会の会長 の経験、それから、先ほど桐野先生がおっしゃってくださった学術会 議の経験からお話をさせていただきたいと思っています。  日本では、また日本以外の国々でも、チーム医療というものを考え るときは三角形で考えている場合がございます。医師のリーダーシッ プのもとにチームを組んでいるという発想ですが、これは世界的には かなり変わってきていると言えると思います。結論から言えば「医療」 と言ったり「ヘルス」と言ったりするのですが、ヘルス専門家相互の 尊敬と理解のもとに連携と協働が進んでいると言えると思います。  いろいろな国々では、日本と同じように縦割りの指示でお互いの仕 事をしているという国、またはその時代もあったわけですが、そうし ますと、お互いの仕事がお互いに分かっているわけではない。お互い の仕事の理解が深まらないと、本当の連携と協働は進まないだろうと 思います。今はよく、医師と看護師とコ・メディカルという表現がさ れるのですが、そういう言い方もだんだんなくなってきて、一括して ヘルス・ケア・ワーカー、または医療従事者(Medicals)と呼ばれるよ うになってきているのではないかと思います。  1つの世界の組織からお話させていただきますと、次の頁に”World Health Profession Alliance”のホームページが書かれていますが、 これは日本で言えば4師会のようなところです。ロゴマークのいちばん 左が国際看護師協会で、その次が国際薬剤師協会、それから歯科医師 の協会、そして医師会が入っています。もちろん、日本のそれぞれの 職能団体もこの組織に入っております。この組織は4団体が対等に一緒 になって今のヘルスの問題、医療の問題を議論し、そしてWHOに提言し ていくという仕組みで動いているところですが、ここでもコ・メディ カルと言わないで、お互いに同じ医療従事者(ヘルスワーカー)とし て、それぞれ特徴のある専門職という位置づけをしています。  2006年のWHOの定義で、ヘルスワーカーというのは、健康を強化する ことを第一義的な目的としているすべての従事者です。WHOの場合は専 門職だけではなくて、もう少し専門的な教育を受けていない人たちも 含まれています。問題は、基本的にヘルスにおける理想と現実のギャ ップがありすぎるので、そのギャップを縮めていくためには、みんな が協力して、お互いの強いインフラストラクチャーが基盤にないとで きないという考え方です。私は、ここにチーム医療の考え方がある。 チームにおける協働と連携こそが非常に重要になってくると思います。  次の図は概念図ですが、言うまでもなく、お互いにパートナーシッ プを組み、仕事をしていく独自の領域があり、ユニークな活動もある けれど、ヘルスに関して、また医療に関してはオーバーラップしてい く部分がかなりある。お互いに共有し合って、協調して仕事をしてい く。協働と連携を強化していくことで今の世界のヘルスの問題に対応 できていくという考え方です。  よく、医療はケアとキュアという言い方をします。この下の概念図 で真ん中のものは、人が生活していくときに、加齢や健康状態によっ て、環境の影響も受けながら変わっていくわけですが、加齢と健康状 態と人の生活の接点に関わるものを「キュア」と呼べば、人の生活と 環境に関わっていくものを「ケア」と呼ぶ。医療はこの両方ともが非 常に重要であると思われます。フローレンス・ナイチンゲールが有名 になったのは、実はこの「ケア」のパワーです。環境を改善していく ことで人の死亡率が40分の1になったということですが、昔からキュア も、ケアも医療にとっては非常に重要な役割であると考えられていま した。しかし、どちらかというと、キュアは医師が、ケアは、医師と 看護師しかいないときは看護師が担う。いわゆる「診療」と「療養上 の世話」という概念がありますが、看護は「診療の補助」という行為 があるので、キュアとケアを統合、融合したユニークな専門職と言え ると思います。  もう一方で21世紀に向けての考え方がかなり変わってきていると思 います。「分断」から「ホリスティックなアプローチ」。医療の分野で も、例えばがん医療に関しても、それぞれの診療科で患者さんにアプ ローチするというよりは、いわゆるマネジメントのディスカッション をして、ホリスティックなアプローチをしていく必要があるだろう。 先ほどのキュアとケアも、分断するのではなく、統合することが必要 だろう。また、新たなさまざまなチャレンジがあるわけですが、それ に対しては、特に生活習慣病等の問題も含めて既に多面的なアプロー チがあって、1つの専門職だけでのアプローチでは今の医療に対して対 応できていかないのではないか。そういうことから、こういう考え方 を基にして安心と安全の保障とか、病む人も、提供者も納得のいく医 療をしていけるとか、医療の質の保障ということが考えられると思い ます。  先ほど桐野先生が少しご紹介されましたが、日本学術会議の中でチ ーム医療がどういうふうに定義されているかということが大事だと私 は思いまして、コピーさせていただきました。別紙に書いてあるとこ ろです。チーム医療の促進には医師以外の職種との綿密な協力体制が 求められることに疑問の余地はないという前提で、ここで書かれてい るような考え方が示されています。現在医師のみが実施しているとい う医行為の一部について、看護師など適切な教育を受け、必要な知識 と能力を有する他の職種に委譲していくことについて速やかに検討す べきであるという考え方です。例えば、医行為であると考えられてい た静脈注射を看護師ができるようになってきた。また、医師が処方し た薬剤を、患者さんの状況に合わせて量を調整することも看護師がで きるようになった。通達の以前ですと医行為であったものを看護師が できるようになってきました。生活の中から医療を見ていく、生活し ている人の生活環境によって、薬の量も、また質も変わってくるのだ ろうと思われます。  チーム医療を考えていくときに、特にほかの職種が医行為をするこ とになるときによく言われる言葉が“Task-shifting”という考え方で すが、これは、今まで医師しかできなかったこと、その仕事の一部分 をほかの職種に委譲して医師がしなくなるということではなくて、医 師もできるけれども、ほかの職種もできるという考え方です。権限も、 医師は全く権限を委譲するというのではなくて、医師もやるけれど、 看護師やほかの人たちもできるようになるということがありました。 私たち学術会議の看護学分科会では、「責任の共有化(Shared Respons ibility)」という考え方を示しています。つまり、仕事というものは お互いに重なり合っているところがあるのが当然であり、そのことに 対してお互いに責任を持っていく。医師だけが責任をとるということ ではなくて、している人たちそれぞれに能力があれば責任もとれる、 ということが考えられるのだと思います。でもそれの前提、それを考 えていくときに大事なのは、それぞれの役割の独自性と、能力の理解 をお互いがして、それに対しての尊重心(Respect)が深まることだろう と思われます。  今共通する世界の課題を私が繰り返すまでもないのですが、その中 で特に2つの点、医療需要の変化と看護師の高齢化の問題について少し だけ触れさせていただきます。下の表はSR. Garfieldの原図を武田さ んが変えて見て、医療需要の量的・質的変遷を説明したものです。190 0年当時、患者さん、医療を利用している方々というのは、本当に病気 を持っていて、重症で、命を救ってもらうために病院にかかってきた、 そういう時代が長く続きました。つまり、医療は「キュア」が中核で した。そしてだんだんと、早期治療が必要になってくるという考え方、 「早期発見、早期治療」という考え方で初期の患者さんたちが入って くるようになった。さらに半健常者で、本人は予備軍なので危険性は あるけれども、まだ病気ではないし、診断もついていないという人た ちが非常に増えてきていて、この方たちの健康状態を良くしていくこ とが医療費の抑制だとか、適切な医療につながるという考え方が今は 進行しているのです。しかし将来は、私は健康なのだけれども、これ でいいのだろうか、健康でい続けられるだろうかということを確認に くる人たちも増えてくるでしょう。これは患者さんの数が減っていく ということではありません。健常者も含めると、医療機関を利用する 患者さんの全体数は非常に増えていくのですが、割合的に初期患者、 半健常者、健常者が増えていくということを意味しています。という ことは、こういう患者さんたちが医療にかかってきたときに誰がそれ を担っていくのか。今までのように、医師を中核とした考え方では追 いついていかないという現状があり、未来があるのだと思います。  もう1つは、先ほどマンパワーの話が出てきまして、看護師不足の問 題はここでもきっと議論はされているので私はあえて申し上げません。 世界的に見ていちばん大きな問題は、看護師の不足ですが、同時に相 まって看護の質の問題を考えていくときに重要なのは、看護師の平均 年齢が上がってきているということです。人口の年齢が上がってきて いるので当然のことですが。  これはアメリカのデータですが、平均年齢もこれだけ上がってきて います。それから、35歳以下と54歳以上の2群で見ると、1980年代は若 い人たちによって支えられていたアメリカの医療が、今は若い人たち が非常に少なくなっている。これは世界的傾向でして、日本でも同じ ことが将来的に出てくる。そうすると、医療の考え方も少し考えてい かないといけないということが挙げられます。  チーム医療を促進していくいろいろな理由というのはここに掲げた とおりです。上3つは皆さんよく言われることなのですが、4つ目から。 機械器具の開発が発達してきて、そして安定化したということで、医 師でないと使えなかった機械器具が一般の人まで使える、そういうも のが増えています。ということは、ほかの専門職でも使うことができ るようになってきたということです。それから、先ほどお話のあった 看護師の基礎教育がかなり向上してきたので、今までの“Occupationa l Education”から“Professional Education)に世界的にシフトして いますので、看護への期待がかなり違ってきたということ。それから、 これは世界的な傾向でもあるし、日本は特にそうですが、看護師の院 内継続研修は、自助努力によってものすごく発達しています。また、 自助努力によって専門看護師、認定看護師というスペシャリストの実 績もございます。  こういう流れの中で、看護師のチーム医療における役割が見直され るわけですが、私たちは決して医師の肩代わりをするのではない。患 者さんにとって、国民にとって医療ニーズが変化してきて、必要度が 増してきたときに、キュアとケアを融合した機能を持つ看護師だから こそできることが今よりは多くなってきているし、責任もとれるよう になってきているのではないかという考え方です。  教育のことは時間がないので飛ばさせていただきますが、背景とし ては、移行期にいろいろな状況があって、看護教育が大学に進行して いくのが日本は遅きに失したと言えるぐらいだと思います。看護の専 門分化、一般ナースよりは知識やスキルを持った人たちの分化につい ては以前からいろいろなことを努力してきておりますが、特にここで 申し上げたいのは、大学院教育を通しての分化が進んできているとい うことです。ICNでは、その下に描れているような絵、高度実践家を育 てていくときにどういう基準が必要かということを提示していまして、 これが今世界の高度看護実践者の基準になっているところです。スラ イドNo.19に、基本的にはそれぞれの国によって違うけれど、看護師で かつ修士号を持つことが望ましい。修士号を持った人たちが行う行為 であって、実践内容としては、ここの下に描れたようなものが挙げて あります。ケアとキュアの両面にわたって、かなり高度な仕事をして いるということです。  最近話題になっているNPという話がありますが、少し概念整理をさ せていただきたいのは、ICNではAPN(Advanced Practice Nurse)と呼ん でいます。APNの領域は大きく3つあります。1つは、高度医療中核病院 等で、キュアとケアとを両方統合して医療を推進していく高度な技術 と知識を持ったCNSと、過疎地域、過疎でなくて都市でも外来を中心と して、かかりつけ医のような役割を果たすNPとがございます。また、C NSとNPを併合したような専門化というのが世界的には動いてきている と思います。  日本には今CNSがいますが、CNSはまだまだ大学院の中で単位数等の 限定がありますので、APNのレベルまで到達はしていません。しかし、 世界的にはこういう動きがかなりあるということです。しかし、かな りキュアの分野に踏み込んで仕事をしていく役割なので、どういうこ とを規制上整えていかないといけないかということをその次のスライ ドで示しており、これらの内容をICNから提示しています。  1つの例ですが、ICNとWHOが共同で調査した結果で、向精神薬処方を 誰がどういうふうにしているかを示した図が次にあります。濃いグリ ーンが、看護師が向精神剤を処方することを許可している所、ピンク は看護師が向精神剤を継続的に処方すること、つまり医師が一旦処方 して、変わらない場合は看護師が処方していいというものです。それ は地域によってかなり違います。こういう傾向が発展途上国でかなり 強く見られるようになりました。次の頁のグリーンが、実際に処方に 関わっている看護師のいる国々で、先進国及び発展途上国、両方が行 っているということになります。  専門看護師の定義は、日本看護協会が中心になって、看護の大学協 議会及び看護系学会との協力のもとで行われている定義です。10年以 上経過して、その実績とその質が既に認められるようになりました。 日本の看護界はアメリカと世界のスペシャリストたちの、学会単位の バラバラな認定の仕方は危ないということで、「専門看護師」と「認定 看護師」という2つのスペシャリストの育成をし、また、かなり厳しい 認定をする。後進の認定も厳しく行われているところです。  最後は、看護師とAPNの裁量の幅、医師とも責任を共有する幅が拡大 することに関して何が課題かというものを列記したものです。職能団 体だけではなくて学会等との絡み、特に専門職の場合は学会との関係 が強くなってくるだろうと思いますが、時間のことがありますので、 そこまでにしたいと思います。 ○永井座長   ありがとうございました。ただいまのお二人のお話に対して何かご 質問はございませんか。  私から桐野先生に伺います。よく、外科医が足りないと言われるの ですが、人口当たりで見ると、脳外科医は外国よりも多いそうですが、 これは、ほかの外科医も同じような状況にあると言ってよろしいので しょうか。 ○桐野先生   それなりに歴史的な経緯があってそれぞれの科の医師は育成されて きたわけですが、問題は浮き沈みがあるということなのです。一部の 外科系では非常に志望者が減少していて、手術のできるお医者さんは 年上の先生ばかりになっていって、そのうち若手の外科医が非常に少 なくなるという事態が想定できます。放置すれば、おそらく、そうな るでしょう。  これにはいろいろな要因があるわけですが、それなりのリスクの高 い診療科には人が行きたがらないという問題です。それをサポートす るためには、例えば術後管理だとか、オペ室の介護だとか、救急のサ ポート、場合によっては麻酔のサポートというような業種を、諸外国 のように拡大しない限り、外科医はこれを全部若手が背負っているの で長続きしません。欧米とすごく違っていて、留学をして帰ってきた 人たちは、嫌になってしまうわけです。例えば、フランスの脳外科医 は年間にものすごい数の手術をしますが、働くのは朝8時から夕方5時 までです。術後管理はしません。患者に対する説明もしません。それ から、術前の診断もしません。外来もしません。やっているのは手術 と、カンファレンスと、勉強だけです。 ○永井座長   先生の「脳外科医がアクティブである期間」のグラフを見ますと、2 0年経つと、大体3割の人は手術が年に10件以下になってしまう。月に1 件以下です。こういうデータがあると、若い人はあまり脳神経外科に は魅力がない。3割の人が退場、というわけではないのですが、現場か ら離れてしまうのであれば、初めからほかの道を選んだほうがいいと いう思考にならないのでしょうか。 ○桐野先生   それが非常に心配です。脳神経外科は、若手にいろいろな仕事を背 負わせた結果、その人たちが途中で脳外科をやめるわけではないので、 その方たちが全国の津々浦々に分布して、脳血管障害、昔は外傷、そ ういう救急疾患を診てきたわけです。そして、その中の一部のエリー トだけが難しい手術、欧米と肩を並べるような手術をするという体制 ですが、だんだん時間が経つにつれて、そういうのは嫌だという考え が若手に、どうしても出てくるわけです。ですから、それをどうする かということを考えないで、このまま脳外科の若手がどんどん来ると いうことは考えにくい。非常に心配です。 ○永井座長   私の周りでも、別に脳外科医ではないのですが、40〜45歳になると 外科をやめている方が結構いるわけで、それなら初めから45歳で選ぶ 道を選んだほうが本人にとっては賢明だろうと思いますが、システム はそれでは動かないというのがジレンマなわけです。何でも結構です ので出していただきたいと思います。 ○島崎委員   桐野先生に教えていただきたいと存じます。お伺いしたいことは山 のようにありますが、時間の関係上、1つだけ教えていただきたいと思 います。先ほどのお話で、確かにアメリカの場合、専門医が行う業務 は非常に限定もされており、術後の管理であるとか、インフォームド コンセントまで専門医以外が分担しているとのことですが、それには いろいろな背景があるのかなと思います。それから、例えばPAをはじ め、それぞれの職種をどこまで細かく区分しているのかということも 知りたいのですが、お話をうかがっていて私がいちばん関心があるの は、患者さんやその家族の方が、そのことに対してどういう受け止め 方をしているのかということです。違う例で申し上げると、在宅医療 でも、外国だと訪問看護中心で、医学的な判断が必要となる場合に、 そこでお医者さんが出ていくというパターンのほうが多いような気が いたします。しかし、日本の場合には、とにかく看護師さんでは嫌だ、 お医者さんにとにかく来てもらわないと安心できないといった雰囲気 があります。それから、私の肉親がインフォームドコンセントをした 際、私がそう思ったわけではないのですが、やはり医師に説明してほ しいと言うわけです。細かいところも含めて、執刀医に説明してほし いという声が強いような気がするのですが、そこは日本特有の事情な のでしょうか。それとも、それは社会的な要請、あるいはそれぞれの 関係業務の専門性なり信頼性が高まり、が変容していくという過程を とるものなのでしょうか。 ○桐野先生   何しろアメリカのスポーツ、例えばアメリカンフットボールでは出 てきて蹴るだけの専門家がいるような世界ですから、そういうふうに なりがち、つまり専門性を非常にフラグメントにしていく社会ではあ るわけです。ただ、先ほども申しましたし、南先生も少しおっしゃい ましたが、医療環境はすごく変わっていて、1960年ごろは医師の役割 もそれほど大きな違いはなくて、歴史的にこのような医療の提供体制 に徐々になってきたとしか言いようがないと思います。したがって、 現状では医師以外の方が出ていっても、なかなか納得していただけな いことはたぶんあるでしょう。それに、まだそのような職種が十分育 っていないし、不慣れな状態ではいろいろな問題が起きてくることは 十分考えられます。  しかし、この方向でやらない限り、将来の医療の質の保証はできま せん。なぜならば、医師が難しい手術をやりながらほかの雑用も1日中 やっていて、夜も寝ないで翌日手術に入るという状況が我が国の外科 系の現実なのです。これでいいのかという問題です。前の日に寝ない ような先生に難しい手術をしてもらっていいのかという問題があって、 ではそこで手術に問題があったときに、あなたはけしからんと言って 批難するのかという問題があって、外科医はそれで非常にめげている わけです。そういう問題です。 ○朔委員   私は消化器外科医なのですが、今年の4月の外科学会総会におけるシ ンポジウムで、外科学会に入会する医者の数が10年前と比べると激減 しているという発表がありました。このまま入会者数が減っていけば、 20年後は実動の外科医の数がは半分になるというデータが出ておりま す。  消化器外科領域の場合は、手術は大きな病院でしか出来ませんので、 個人開業した消化器外科はみんな、実際外科学会の会員ではあるのだ けれど、消化器内科医になっているという現実があります。ですから、 登録された外科学会の会員数よりもさらに少ない数の医師で外科の手 術に従事しているということもあると思います。 ○永井座長   外科が減っていることが、どういう意味があるかということです。 それは大問題なのか、あるいはある程度本当に必要な外科医数から考 えると、やむを得ない面もあるのか。 ○朔委員   これは将来大問題になると思います。いまも外科医はオーバーワー クでいるのに、現在手術をやっている40代から50代の人がリタイアし ていった時に、それを補充する若い人がいないとうことですから・・・。 ○永井座長   代わりのシステムがあれば、別に減った数でも大丈夫なのかどうか。 ○朔委員  NPというのも1つの代替案でしょうけれど、まずは外科医の雑用を少 なくして外科に魅力を持たせて、外科の診療科へ行く人を増やさない といけない。それから、今後の医師国家試験合格者の35%が女性とい う現実があります。女医さんはどうしても家庭の仕事や家庭に入って 子どもを育てるという仕事がありますから、外科医の養成の課程で女 医さんを育てる教育システムが必要かと思います。 ○海辺委員   桐野先生、南先生の発表を伺って、まさにそのとおりという感じで、 学術会議が要望した段階から、私は1国民の目線で書いてあることにす べて同意という感じで思っていたのです。というのは、患者の立場と いうか主婦の立場で医療を見ていると、医療の質の保証がとにかく大 事だと感じております。例えば、先ほどの患者さんが全部お医者さん にやってほしいという気持ちも、もちろんあることはあるのですが、 ある日突然患者になりますから、患者になったその日はそういう希望 を持っていても、患者を長くやっていると、先生は本当に大変だとい うのは見て知っていて、分業していいからと、結構みんな思っている のです。  いろいろな患者団体の方々と関わっていても、いまの医師が忙しす ぎるのを何とかしなくては、看護師も大変すぎるのを何とかしなくて はと、患者も自分たちの権利主張の以前に医療を何とかしなくてはと いう主張ばかりしているところがあります。もう少しここが何とかな ってくれないと、私たちがこうあってほしい、あああってほしいと言 い出しづらくて言えないみたいなところがあります。ですから、是非 医療の質を保証できるような形で、いろいろなことを組み直す時期に 来ていると。患者もちゃんとした説明が常にあれば、納得する時期に は来ていると思うのです。  ただ、残念なのが国民に基本的に知られていないことで、何となく マスコミがワーッと持ち上げたときには国民もみんな知って、そうな のかということになるのに、少し熱が冷めるとみんな忘れて、なかっ たことのようになってしまうのです。ですから、中途半端に盛り上が って、中途半端な説明と中途半端な理解で進むのではなく、国民がみ んなきちんとわかって、国民のコンセンサスが得られるような形で進 めていくことがまず大事だろうと考えています。だから、すごく大変 な改革で、私はずっと医療の改革は駅の改築と似ていると思っている のですが、要するに駅を改築するときには常に入ってくる電車と人の 流れを維持しながら、安全性を確保しながら新しい形の駅に作り上げ ていくということで、時間もお金もかかるし、綿密な計画の下に1期工 事、2期工事とやっていくわけです。医療も当然そうあるべきだと思っ ているのですが、いろいろな所に委員として参加するようになってつ くづく感じたのは、将来こうあるべき、いつまでにこれは完了します と、だからこれだけお金をかけて最初はこれをやります、2年目はこれ をやります、10年目にはこれで完了ですというちゃんとした形が全然 ない中で、現状はこうだから大変なのだと言って、できる範囲内で。 ○永井座長   それをいま議論しているので、手短かにまとめてください。 ○海辺委員   すみません。私がすごく思ったのは、とにかく日本独自みたいなお かしい形ではなく、いろいろと先進国の標準的なものと照らし合わせ た中で、日本ではこれしかできないのだという形ではなく、もう少し 先進国の標準と定義・水準ともに照らし合わせたものになっていって ほしいと思っております。 ○大熊委員   南先生に4つほど質問があるのですが、聞くところによると、アメリ カのNPは看護の経験というか、勉強しないコースもあると聞いており ます。看護の勉強をしないほうからNPになるというコースがあるそう ですが、日本でそれは有効でしょうか。  2つ目は、アメリカなどと違って、日本は看護協会が認定看護師とか 専門看護師をすでに作ってきていますが、そことNPとの整合性はどの ようにお考えになるか。  3つ目は、先ほどから外科の先生方が雑用、雑用とおっしゃっている 雑用を、看護師たちは本当にやりたいのかという疑問です。ここにAPN も2つの病院内の忙しい外科医などを忙しくないという役割と、家庭医 に当たる医者が足りないからと。これは修行の仕方もかなり違うと思 うので、その辺はどうでしょうか。  4つ目は、医者も足りないけれど、看護師も少子化の中でどんどん足 りなくなっているので、お医者さんぽいことをすることで看護師がま た足りなくならないだろうかと。4つの質問をよろしくお願いします。 ○南先生   NPのことは、例えばNPの中で助産師のNPはDirect Entryで助産師に なって、つまり看護の経由をしない、Nurse Midwifeではない人でNPの コースへ行ってNPになる人たちがいますが、非常に限定的です。イギ リス系は基本的にDirect Entryの助産師教育をやっていた伝統があっ て、世界的にもその影響を受けた国々はまだそれをやっている所もあ りますが、世界全体から見たらNurse Midwifeがいちばん多いので、看 護のもっと広い領域、つまりいまの妊婦の糖尿病の問題だとか、メタ ボの人の傾向も含めてわかる助産師が必要なわけです。流れから見れ ば、私は看護経由のNPだと思っております。  いま、作ってきたCNSと認定看護師、NP等が出てきたときどうなるだ ろうかということです。日本看護協会がCNS、認定看護師を認定してい るのは、その当時制度を作ったとき私は中にいたのですが、学会に働 きかけたのです。通常医師たちも専門医制度は学会がやっております ので、学会に働きかけて、看護学会としてこのことを専門もナースの 認定をしていくつもりがあるかと問いかけたのです。そのころはまだ このような大学もない時代で、まだまだ学会の足腰が弱かったので、 日本看護協会が中核になってやる。その代わり、看護協会の会員でな くてもCNS、または認定看護師になれるという制度を作りました。これ は看護会の同意の下で、すべてその当時学会に関係している所は話合 いがされてきましたし、CNSの場合は特に日本看護系大学協議会という 所が教育の認定をしています。したがって、看護会を揚げてCNSと認定 看護師の制度を作ってきたと言えると思います。NP制度、APN制度も同 じことをすべきだと私は思います。看護会の同意を取らないで一部だ けで走っていくことは、大変危険だと思っています。  ところで、APN、NPは医師の雑用係かということですが、私もアメリ カにいたときに、最初にNPができたときに「ミニドクター」とよく言 われていましたので、看護師がミニドクターになるのはおかしいでは ないかと、私自身も疑問に思っていたところです。しかし、実際にNP やMPNの発展を見ていると、決してそうではない。むしろ、ケアの専門 家がキュアに踏み込んだがゆえに、非常に効果的に行われている。例 えば、私もアメリカでホットフラッシュで、高年期障害で医師のWomen 's Clinicと看護師のWomen's Clinicを経験しましたが、生活全般から 見てくださるNPのクリニックと、医師を中核とした女性のクリニック と、かなりアプローチが違います。アメリカは、選択されてNP制度が 発達してきたと言えると思います。かかりつけをどこにするかは、医 師であろうとNPであろうと人々が選んでいくと思います。だから、雑 用をしているわけではないと思います。  一方で、医師の仕事の中で、医師から見たら雑用と思われるかもし れないけれど、患者にとってはすべて重要なのです。説明を受けるこ ととか、細かくケアをしていくことを含めた、先ほど桐野先生がおっ しゃった医師にとって中核でないところで、つまりケアに踏み込んだ キュアのところだと思うのです。そこを看護がやっていくのは、決し て医療の中の雑用ではないという考え方を私はしています。  しかし、看護師が足りないのに看護師が仕事を増やしていくことに 関しては、問題があるのではないかというご指摘はそのとおりだと思 います。1つは、看護師のマンパワーの需給見通しも日本はしっかりと やってきているのですが、そのことが前提にないとできないだろうと。 もう1つは、厚労省からの通知等もあるのですが、看護師でなくてもい い仕事を看護師がたくさんしているという事実もあると思います。患 者が寝ていないベットづくりも看護師がしなければいけないのだろう かということ等がたくさんあるのです。例えば、看護師がやることで 意義があるようにしているけれど、看護師でなくてもいい仕事の整理 の仕方も、今後はもっとしていかないといけないだろうと思います。  日本で看護の補助者の導入の問題は、もっと本格的にやってもいい のではないかと思っています。そういうチームが組めないと、看護師 の役割を見直していくのは難しいと言われるかもしれませんが、ここ に来て患者さんや国民のニーズから見たら、看護師はまず人を増やし てくれないと何もできませんというスタンスはとりにくい。私たちは このことをするから、このことをしたい、このことをすることでこう いう成果が上がるから、むしろいま自分たちがやっている仕事をこう いう形で合理化してもらいたいという動き方をしていかないといけな いのではないかと考えています。 ○井上委員   南先生が4つにすばらしく答えてくださったので、私のようなものが 足すのは本当に蛇足かと思うのですが、特に3番目の雑用をやりたいの かという質問は、すごく待ってましたという質問です。逆に、桐野先 生のご発表の中に「診療科の魅力が失われ」とか、あるいは「薄まっ て」という発言が何踝所か出てきたのです。私も外科病棟に30数年出 入りしているので、例えば外科医はすごく手術がしたいと。患者が運 ばれてくるとうきうきしてくるというのは、ここだけの話になるかも しれませんが、そのぐらい手術に専念して、手術の技術を磨いてとい うのはわかります。そういう疲れている中で人工呼吸器を外すとかチ ューブを抜管することが、病棟から呼ばれて、まだか、まだかと言わ れて、手術に比べてというところはあるかもしれません。  でも、看護の側から見ると、資料1の図がとてもわかりやすいと思う のですが、いちばん上が赤で医業なのです。これのいちばん天井にあ る所が、おそらく医師の最も魅力的な部分ではないかと思うのです。 いちばん下の療養上の世話というのは、専門性の高いところから見る と取るに足らないことかもしれない。だけど、これが乖離しているの はものすごく不幸なことで、この真ん中の部分が非常に重要であると。 例えば、チューブを抜くのでも、ナースがそれをやるのであれば、ど うせ抜いてあげるのだったらご家族が来る前に抜いて、元気な姿で会 話をさせてあげたいとか、こんなふうにやってチューブが抜ければト イレまで歩けるのにとか、生活と密着したところでケアからキュアに 踏み込むことで、全体の質も上がると思うのです。そういう捉え方で、 全然雑用ではないのです。捉え方だと思うし、逆にそれが非常に滞っ ていて、この部分が良くなればということがいっぱい書かれていると。  そういう意味で、何と称するか、魅力なのか雑用なのかは別として も、それぞれが専門性を磨いてこれをやりたいと。そのときに、ナー スはただ上から落ちてくるものを拾ってやるのではなくて、私たちだ ったらこうやれる、こうやりたい、これを準備しているというところ があるということを、是非付け加えたいと思います。 ○太田委員   今日のチームというのは、ナースと医師のチームがメインのテーマ のようにも受け止められるのですが、桐野先生が分析されていること は資料の中で十分伝わるのですが、医師のスペシャリストとジェネラ リストのチームも非常に重要なのです。専門医制度、プライマリケア も専門医と捉えれば、確かに専門医制度の充実化は非常に重要なので すが、疾患別、臓器別のスペシャリストとジェネラリストがどのよう にバランス良く地域医療を織り成すかが非常に大事です。実際それを もっと具体的に決めて、比率をはっきり何らかの形で打ち出せば、例 えば手術のあと経過を見るのは、地域のジェネラリストでも大丈夫な ことは結構あるのです。それが、地域の医師に対する信頼が薄いがゆ えに、スペシャリストたちはずっと患者を抱え続けるのです。ですか ら、そういう分業をチーム医療の中で、医師同士がまず分業しなけれ ばいけないということが1つです。  ナースも全く同じで、疾患別、臓器別のスペシャリストと訪問看護 をやるようなナースとの分業というか、チームこそが非常に重要で、 医師とナース、医師同士、ナース同士、そういったことを考えていか ないとまずいと思います。私は在宅医療の立場でここに参加させてい ただいているのですが、こういう議論を見ると、意外に在宅の場面は ナースと医師は麗しいチームの下で働いているのだなと思います。 ○永井座長   その辺の問題はまたいずれ議論していきますし、参考になる方をお 呼びしますので、今日はむしろ集中治療においてどのようにチーム医 療をやっていったらいいかということに絞ったほうがいいように思う のです。  雑用ということではないでしょうけれど、例えば術後管理ですが、 これは外科の治療を見ていると月、水、金がオペで、火、木、土は術 後管理という感じで、毎日手術をやったら皆さんパンクしてしまうわ けです。ですから、1人当たりの医師の手術件数はむしろ減っていって しまうと。桐野先生が言われるのは、もっと手術ができるチームを作 って、そこに専念しようということなのだろうと思うのです。そうい うところでチーム医療が作れないかというチーム医療だと思いますが、 これは先ほどの保助看法の診療の補助のところでカバーできるのかど うか。あるいは、いま南先生からお話を伺ったようなNPとかCNSのシス テムで、先生が考えられているような非常に重症な、大きな手術の実 務管理というところまで一緒にやれるかどうか、その辺りはどうなの でしょうか。 ○桐野先生   私は5時半に退席をしないといけないので申し上げます。もちろん、 在宅医療から介護に至るような非常に幅の広いスペクトラルのチーム 医療の問題と、手術室やICU、救急といった所のチーム医療は、また少 し違ってくるわけです。アメリカをよく例として取り上げますが、決 して混同してはいけないのは、第1にそれが良いか悪いかは別にして、 米国は軍経験者が大量に医療界に入ってきています。戦場の経験者が 入ってきますので、そういう人たちは外科系の介護にぴったりという ことがあります。また、米国はある職種が足りなくなれば輸入する国 です。いくらでも輸入しますので、これについても我が国ではそう簡 単にはいきません。  「雑用」という言葉はあまり使うべきでないと思いますが、もし雑 用」という言葉を強いて使うのであれば、種々雑多なことを、いろい ろな種類のことをやっているというイメージ以上のものはないのです。 ここで医師が担当しているさまざまな業務と書いてありますが、どれ も重要です。どれも重要だから、外科なら外科医が、若い外科医が全 部背負い込むからおかしなことになるので、それでは良くありません。 それをよく考えないといけない。  そういう意味では、現状の医師法及び保助看法の制限については、 場合によっては本格的なICUやオペ室、救急のスタッフということを考 えれば、そこはどうしても限界のある場面が出てくると思います。そ の場合は、本格的にやるのであれば、西ヨーロッパ諸国や米国のよう な職種の養成を考えなければいけない可能性がかなり高いと思います。 それをどのようにやるべきかはまた別途の議論でしょうが、どうして も現状の医師法や保助看法の読替えでできる範囲を超える処置を要求 する場面が出てくる可能性が高いと思います。 ○川嶋委員   お帰りになるというので申し上げたかったのですが、チーム医療と いうのは、今日は医師と看護師とのインテンシブみたいなことでされ ていますが、患者の立場が脱けているのです。命が救われることがい ちばんの目標ですから、誰がしてくださってもいい、とにかく命が救 われれば。極限状況の患者の立場から言えばそうなのですが、切るだ け切って、病巣だけ取って、それが外科医や脳外科医の最高のところ だという考え方に立つと、これからの若い人たちが本当にそういうと ころに魅力を感じるのだろうかと言ったときに、私はナースですから、 医師のことにあまり介入したくないのですが、自分が手術を受けたり 家族が受ける立場から言うと、手術をしてくださる先生の顔を見て、 その先生が大丈夫ですよと、こういう状況をこのようにするからと説 明してくださることが患者にとっての救いなのです。それを、誰が手 術してくださるか顔も見えなくて、結果は誰か違う人がしてくれると いう状況のチーム医療でしたら、そのチーム医療は違うのではないか なという感じがするのです。 ○永井座長   システムが動かなくなってきているので、どうするかということな のですが。 ○川嶋委員   ですから、医療の反省というか、20年前、1980年代にあまりにも体 を切り刻むような専門分科が進んでいくことは良くないから、もっと 人間的なアプローチをしましょうという反省があったはずなのです。 それが、またこのように何となく部分部分で切り刻まれたような分業 になっていくことは危険で、挙げ句の果てに雑用と言われる、つまり インフォームド・コンセントなどというのはすばらしい仕事なので、 私たちは看護で受け取ることはやぶさかではありませんが、それを雑 用と言うのは。 ○永井座長   種々雑多な仕事があるということでしょう。でも、問題はシステム なのです。 ○川嶋委員   システムが患者にどういうものをするかということです。 ○永井座長   ですから、すべてに完璧にやっていくと動かなくなるので、どうし ようかと、それをチーム医療で乗り超えられないかという議論なので す。 ○瀬尾委員   桐野先生がおっしゃっていたように、通知のようなもので変えられ るものなのかどうかということです。私は不勉強なのですが、例えば 諸外国の医師法に相当するような法律はどのようになっていて、我々 が医師法違反であるということが実際やられているわけです。例えば、 血管だけを取る人がいるとか、人工呼吸も呼吸療法師が付いていると か、その人たちが医師の指導の下では抜管してもいいということにな っています。そういうものが何で日本では許されなくて、向こうでは 医師法になるような法律がどのようになっていて、そういう職種が自 由に入ってこられるのかを少し事務局に調べていただいて、もしもこ れを変えるとしたら、いま桐野先生が言われたように、法律でも何で もないような局長通知で変える限界になっているのではないかと思う ので、この際そういう形の、例えば看護法なども諸外国にどのような 法律があるのかを見ないと、常に日本は小手先だけで変えて変えてこ こへ来ているので、もう限界ではないかと思うのです。その根本的な ところを少し教えていただければと思います。 ○永井座長   事務局でいまお答えできれば。 ○瀬尾委員   いまでなくてもいいです。 ○永井座長   法律的な整備が必要なのだと思うのです。あるいは、保助看法、医 師法をどう読むのかというところと、何が限界なのかというところも 明らかにしていきたいと思います。 ○瀬尾委員   もう1つ、医師法十七条で我々が困っているのは、学生に医療行為を させることができないことです。そうすると、医師免許をもらうまで は医療行為ができないということで、非常に困っているところがある のです。そういうところも、学生教育ということも考えて、医師法十 七条は医業がどういうことなのか、つまり反復継続する、それで生業 としていることを我々としては医業と考えるのですが、学生がそうい うものを実習することは、医業をできないという解釈も成り立つわけ です。そうしないと、学生は研修医になったときに、すぐに何もでき ない。その研修医が来て、それは医者としてやってもいいということ が、我々が現場で困っているところです。 ○島崎委員   チーム医療の場合、責任関係の問題は非常に重要だと思うのです。 率直に言うと、医師法とか保助看法の立て方は、当初イメージしてい たものは非常にシンプルな構造だったと思います。それが医療の高度 化に伴い非常に複雑化していく。例えば1つの手術をするときに、複数 の医師、あるいは麻酔科の医師もそこに関与する。また、看護師以外 にも、臨床工学士だとかいろいろな人がそこに関与しますが、そうい う場合に、どういう責任関係となり、あるいは安全管理の部分をどう いうシステムで行っていくのかというのは、自動的に片付く話ではな い。むしろ個人が行っていたものがベースであったのが、医療が高度 化することに伴い、役割分担が必要になる。その際、その安全性をど う確保していくのかということが必要となり、さらに、そのためには どういう教育をしていけばいいのかというように流れていかないとま ずいのだろうと私は思います。  もう1つ関連して、先ほどの厚生労働省の作成した資料に関して言う と、静脈注射にしても一時は医者でしかできなかった。それが診療上 の補助行為に解釈が変わるというプロセスも、どのようなことを踏ま えて見直しているかというと、看護教育水準の向上であるとか医療用 の機材の進歩のほかに、医療現場における実態の乖離もあると説明さ れているわけです。つまり、言いたいことは、解釈が変わる直前のと きには、形式的な違法行為が全く発生していないのかというとそんな ことはなくて、実際はそういうことが行われている。そして、そこは やむを得ない、あるいはこういう管理の下であれば何とかできるので はないかという実態があって、解釈変更を行うわけです。また、本来、 そうあるべきだと思うのですが、一方、行政の立場から言えば、事故 があったときにどうしても責任の問題があるから、比較的ネガティブ なほうへ判断が傾きがちだけれども、実態との関係でそこは高度な比 較考量を要するわけです。そうであれば、先ほど申し上げたようなこ とをもう少し話し合っていく、こういうことはどうなのと医療の現場 の中で安全性の確保を含めきちんと話し合いを行い、それをベースに して解釈通知が出されるというプロセスをたどる、それが本来の姿な のではないかという気がします。言いたいことは、責任の分担や安全 性の確保をどのようにシステマティックにやっていくことがベースに あるべきで、ある行為が医師しかできないのか、看護師も診療上の補 助行為としてできるのかということを抽象的に言っていても意味がな いのではないかということです。 ○永井座長  そういう意味では、欧米がどうなっているかも調べる必要がありま すね。 ○坂本委員  いろいろな話合いがされて、雑用の話も出てきました。私も数年前 まで病院にいましたが、ドクターが数としてはそろっていましたが大 変疲弊していていまの医療は、長くドクターが1人の患者を見ていく状 況ではないのです。そういう意味では、システムを変えないといけな いと思います。  そのシステムはどのようにするかということですが、日本の医療は、 これまで、はっきり言うとドクターとナースがすべて背負ってきた部 分があります。ここで思い切って、これはチーム医療ですので、例え ば誰がどのように仕事を担っていけば患者にとっていちばん良いのか という視点で、きちんとシステム化していくことが大事ですし、ある ときは法的な解釈も少しは乗り超えないといけないと思います。  私が経験したのは急性期ですが、ドクターが手術などを終えて病棟 に帰ってくるのが夜の7時ぐらいで、その時間からいろいろな業務内容 をみんなが集まってドクターに聞くという状況がある。ドクターを取 り囲んで薬はどうか、点滴はどうかと集まって聞いていく状況は、見 ていても限界が来ていると思いました。ここで思い切って、海辺委員 もおっしゃったようにどのようにチーム医療をしていくかについて、 まず周手術期からやっていくべきだと思いますが、周手術期において どうしていくべきかを積極的に話し合ってもいいのかなと思います。 ○永井座長  瀬尾委員か有賀委員、いまの点についていかがですか。 ○有賀委員  総論的には、いまおっしゃったことは全くそのとおりです。チーム 医療、チーム医療と言って、皆さんそれぞれいろいろな思いで参加さ れていると思うのですが、先ほど気管挿管されている患者さんの抜管 をする話もありましたし、静脈注射が平成14年にこうなったという話 は最近知りましたが、そういうことは実は現場ではやっているのです。  私は桐野先生の弟弟子みたいなもので、地方の病院で脳神経外科の 診療科を立ち上げるために、たった2人で脳外科を始めました。3年も しないうちに年間の手術件数が300を超えて、先ほどの話ではありませ んが、家に帰れないという状況です。そういうときには、例えば救急 医療等における診療の優先順位の決定などというものではなくて、い ま流に言えばパスなのかもしれませんが、松のコースとか竹のコース とか梅のコースを作っておいて、救急外来の看護師さんにお願いする のです。そうすると、看護師さんが手術室に来て「いま写真を撮った らこうですよ」と。2人しかいませんから、そのようにするしかないわ けです。「お母さんに説明するから、うまくやっておいて」と言うと、 点滴を流しておいてくれると、こういう話です。病棟では、術後の患 者さんでこうなったときには抜管してくれという話になっていますか ら、抜管してくれるわけです。トラブルはもちろん情報が来ますが、 トラブルがなければルールどおりやっていってくれると。そういう意 味でのチーム医療は、実はよくできていたと。  先ほど地域の先生という話がありましたが、私が外来で見ていて、 幾何級数的に患者が増えるに決まっていますから、どうするかという と、患者さんはどうしても私に診てくれと言うのです。何と言うかと いうと、「僕の言うことを聞くなら診ます」と。そこまではいいですね。 それで何を言うかというと、「3カ月に1回来い」と。あとは「2週間に1 回、どこどこの先生の所に行って診てもらえ」と。「いやです」と言う と、「さっき俺の言うこと聞くと言ったじゃないか」となるわけです。 そうやって地域の先生方とやっていくわけです。  リハビリテーションだって、次から次とリハビリテーションに送り 込みますから、地域の先生方の中でリハビリテーションのネットワー クもうまくやるわけです。そういう意味では、国の委員会で何をどう 決めるかというと、法的なものに関してはここで決めざるを得ません が、おそらくチーム医療の実態は当事者によってうまくやるしかない。 先ほど患者さんと言っていましたが、患者さんの家族だって患者さん だって、当事者です。脳神経外科の緊急手術ですと、患者さんは大体 意識がありません。その後、患者さんが良くなるとリハビリに行くの で、患者さん自身は私の顔は知らないのです。何箇月か経ってから外 来にみえて「手術をした先生に会った」と。こういう状況になってい たとしても、それはそれで患者さんにとっていちばん良いことをやっ てきたわけです。  だから、話は単純で、相当程度に当事者として現場は動いている。 その動いている現場でいちばんのトップランナー的なものをここで出 していただいたとすれば、その中でどうしても法律でということがあ ればここで決めていただくのが、話としてはいちばんわかりやすいの ではないかと思います。 ○永井座長  おっしゃるとおりだと思います。いまの法律ではできないこともあ るのだと思うのです。そこを整理して、あとは現場がやりやすいよう にするにはどうするかと。 ○有賀委員  私も診療の補助と療養上の世話行為という話でいろいろな文章を書 いたことがありますが、診療の補助ということでいくと、相当程度い ろいろなことができるのではないかというのが実感です。先ほど言っ た抜管の話だって、診療の補助は診療の補助なのです。さすがに挿管 をしてくれということは、ウルトラのとき以外はしておいてくれとは 言いませんでしたが、基本的には医師がスタッフとの信頼関係の中で いろいろやってくれと言ってやってもらっているというのが、たぶん あちらこちらの実態なのだろうと思うのです。  先ほど座長がおっしゃっていたように、いよいよ現場が立ち行かな くなったので、このようなディスカッションをしましょうと言ってい ますが、実は現場がこうならなくてもこの手の話はきちんとやって、 良いチーム医療を展開するのが病院医療の基本だと思いますので、い よいよ厳しくなってきたからこの話になったという歴史的な展開につ いての事実は認めますが、もともとそうならなくてもこの議論はすべ きだったのだろうと思います。ですから、是非トップランナーみたい な話とまとめて、ここで変えなければいけない話は変える。そうでな ければ、当事者としてうまくやっているのをそのまま温かい目で育て ていただく。 ○永井座長  それが事故でも起こったときに裁判で問題になっても困るわけで、 そういう意味では整理が必要なわけですね。 ○有賀委員  先ほど言われたみたいに、そういう意味ではチームとして横並びの ようではありますが、私はリーダーとしてはいつでも裁判を受けて立 とうという形でいままでやってきました。私たちの大学病院でも、看 護師のせいにする教授がいました。あなたは保助看法を知っているの かと。診療上の補助ということでやらせているのだから、裁判を受け て立てという話をしたことがあります。そういうところをもう1回シャ キッとさせるという話はいいのではないかという気がします。 ○竹股委員  いまいろいろお話を伺っていて、私は現場でやっておりますので、 自分の過去の看護師の体験も踏まえて考えたことは、有賀委員がおっ しゃったように、現場でははるかに進んでいるというか、現実に則し たお仕事をそれぞれが協同してやっているという事実があります。し かし、看護職は診療の補助業務という法規定にかなりこだわりを持っ ていたわけです。これは私たちが専門職としての独自性の部分で、診 療の補助というところに引っかかりを持っていたわけです。だから、 言葉的に申し上げれば、私は1970年にナースになってよく覚えている のですが、静脈注射の話が散々出ていますが、静脈注射をナースがす べきか否かということは、法がどうのというよりも、看護師は法を縦 にして、なるべく静脈注射を看護の業務にしないようにしてきたと、 私の個人的な経験ではそうだったような気がするのです。  それはなぜかというと、昭和26年のときは、治療の中に静脈注射を 使うことは非常にレアというか、その時代は高度だったと思うのです。 事実上あまりなかった。しかし、私は小児でやっていたのですが、私 が1970年にナースになったときには、子どもの治療でも抗生剤は普通 に筋肉注射でやっていましたから、静注は非常に高度であったと。し かも、危険度が高いという認識がすごくあったわけです。しかし、ご 存じのように、いま子どもで抗生剤を筋肉注射でやることはあり得な い。通常当たり前のように、静脈注射が治療の普通の状態になってい るのです。ですから、現場では、静脈注射そのものが診療の補助業務 として特別なものではないと私は思っています。現にボトルはいつも 変えていたわけです。ボトルを変えるのと穿刺して入れるのと、薬の 内容によって違うのであって、行為そのものは何も変わらないと思っ ているのです。  このように、いまナースはそんなことにこだわる時代ではないと思 っています。法規定の診療の補助は少し引っかかりますが、そんなこ とを言っている場合ではなくて、現場的には医師も疲弊しているし、 ナースも疲弊しているし、しかも高齢化で、私たちの臨床もナースた ちの業務量はものすごく増えています。ですから、医師も大変だけれ どナースも大変という中で、私たちはもちろんこういう業務ですから、 ナースがやれることはもっと業務拡大していくべきだということには 賛成しているのですが、全体像としては総力戦でやるしかないという 危機感を持っています。 ○朔委員  こういう議論を深めていくとだんだん総論的になるのですが、そも そも医師法も保助看法も60年前に作られた法律ですよね。60年前の医 療のレベルにおいて考えられた法律が基本にあるわけです。いままで は法律の解釈を変えるという手法で対応してきました。この会議も、 自民党政権の時代であれば、おそらく読替えでいくという従来法式に なるのかもしれませんが、今度政権交代になって根本的にパラダイム シフトするのかどうかという、1つの大きな転換の時期になっているか と思うのです。その辺の基本的な姿勢を少し考えていただくのも、大 事なことなのではないかと思います。桐野先生がおっしゃるように本 格的にやるのであれば、法律そのものが古すぎるというのはここにい らっしゃる皆さんが認識していると思うのです。法律を変える作業と いうのは、私にはわかりませんが非常に大変なことだろうと思ってお りますが・・・。 ○永井座長  チーム医療の定義ということがこの前話になりましたが、もう少し 現場の問題、何が課題になっているかを洗い出しながらチーム医療を 考えていく必要があると思います。 ○山本(信)委員  今日は医師と看護師の役割ですから、薬剤師の時間がないので、い ずれ出てくる場所もあるのだろうと思うのですが、先ほど永井座長が おっしゃったようにいまは医療のシステムが動かなくなっているので、 そのシステムをどう動かすかという話です。先ほど南先生からケアと キュアの内訳を非常にうまくご説明いただいて、立ち位置とか役割は かなりよく理解できたのですが、このまま行ってしまうと、皆さんが おっしゃるように看護師の方々がとても大変になって、医師と同じに なってしまうのではないかという懸念があるのです。その一方で、海 辺委員から、患者の立場から先進国についてあげてほしいということ がありました。そういった意味からすると、いま日本のシステムが動 かないということですが、海外はちゃんと動いているのかどうかは比 較がないものですから、法律的な部分がどのようにサポートされてい るのかと同時に、現場が一体どのように動いているのか、それは法律 があるからなのか、あるいは有賀委員がおっしゃったように現場では そんなことはないぞということなのか、明確に分かれているのかとい うことも必要なのではないかと思います。  先ほどWHPMのお話がありましたが、たしか去年からはOT、PTもめん どうになったと思います。そうなると、この議論のように医師と看護 師だけではなく、そもそも薬剤師もおり、歯科医もいて、さらにヘル スワーカーという大きな括りになっていますが、WHOのグローバルスタ ンダードは一体何を考えているのか、WHPMの中ではどういう方向性を 出しているのかも、この中で議論していくよりは大変重要だと思いま す。薬剤師もそうですが、海外を見ながらああもありたい、こうもあ りたいというのがあって、もっとベーシックな議論があった上で、当 然患者の目もあるわけですから、そうしたことがこの中に出てくると、 チームという意味では皆さんの負担をそれぞれの専門職がそれぞれ担 って、誰がリーダーになるかはまた別問題ですが、お互い背負いなが ら患者のために仕事をしていくということであれば、法の部分もそう ですが、実態を少しお知らせいただければ、よりわかりやすくなるの ではないかと思いますので、その辺りも是非検討いただければと思い ます。 ○島崎委員  看護師以外のPNを作るかどうかの話になると、これは新規の立法と か要件をどうするかという話なのですが、看護師の業務範囲に関する この議論も、先ほどの概念図を見る限りは、非常に弾力的な運用がで きると思います。なぜかというと、診療の補助と言っても何が診療の 補助に該当するのかというのは解釈の話だし、前回もご説明がありま したように、主治医の指示も個別指示でなくとも包括的な指示でかま わないわけですから、その解釈を柔軟にすることで業務範囲は相当広 げることができると私は思います。  それよりも、先ほど座長が少しおっしゃった、保助看法に限定した ときに看護師は誰でもよいのかとという問題、つまり、一定のアドバ ーンスト・ナースというか、専門看護師、認定看護師という資格を設 け、それに合わせて特別な教育を要求し、そういうトレーニングを受 けた場合に認めていくような形を取るのか、そうではなくて全体を底 上げしていくのか、あるいはもっと柔軟に、この人だったら良い、こ の人だったら駄目と個別の医者に判断させていく形をとるのか、とい う論点があります。システム論として考えるのだったら、今日ではな くてよいのですが、そのことを議論したほうが有用ではないかと思い ます。 ○海辺委員  現場の解釈を伺っていて、私は患者の立場から多少違和感を持った 部分がありました。というのは、私はがんの医療のほうから出てきて いるものですから、がんの診療の現場でどのようなことが起こってい たかというと、患者さん個人個人が非常に運によって左右されてしま っていたのです。ここの病院のこの先生にかかっていた人は、同じよ うなステージの同じような状況の患者さんなのに助かると。だけど、 全く運の悪い人は、もっと早期の軽い状態だったにもかかわらず亡く なる経過をたどるような、非常に医療の質がバラバラであるというの を目の当たりにしまして、私がこんな活動を続けているのは、救える 命を救う、元気な日を1日でも長くする、それだけのためにやっている ところがあります。だから、運によって左右される医療というのはす ごくいやなのです。  ここにいらっしゃる先生方は皆さん志が高くて、ここにいらっしゃ る先生方にお任せしていれば、この患者さんたちは絶対守られて良い 医療が受けられるのだと思いますが、現場任せで本当に良いのかとい うのは、私は患者の立場から疑問に感じる部分もあります。 ○井上委員  もう少しこの会議が進んでからでもかまわないのですが、先ほど有 賀委員が医師が責任を取れとおっしゃって、大変心強いなと、そうい うドクターと一緒に働きたいなと思うのです。ここで包括指示の解釈 はいろいろ可能ではないかと言っても、現実の医療事故で、いまの段 階で医師の指示に忠実に従って、それでもおかしいと思って「本当に いいんですか」と言いながら事故が起きて、間違った注射で死んでし まったような場合には、いまの法律は発生時点からの遡り状況なので、 ナースが注射さえしなければ、この人は死ななかったという解釈なの で、決していまのものでもナースの責任は免れるものではないのです。 ここで皆が同意したとしても、法廷に行ったら全然違うことになる。 弾力的にやるのはいいのですが、是非法の専門家に、もっといままで のような厳密さがなくなるところでの法的なバックアップがどうなの かを、是非押さえておきたいのです。診療報酬のこともいずれとは思 うのですが、それは後でかまわないので、是非法的な、特に医療事故 に関しての指示との関連性をクリアにしていただきたいと思います。 ○瀬尾委員  有賀委員のチームはすごく良いと思うのですが、誤解していただき たくないのは、すべてがそううまくいくわけでないので心配している わけです。そのためには、有賀委員はAというナースであればOKだ、B というナースであれば駄目だということなので、教育をきちんとした 上で指示などをすべきだと思います。  誤薬の投与ですが、いわゆる麻酔科領域で「サクシン」というもの があります。これは医師が間違った指示をしたと。マザーコンピュー タでも間違っていると、薬剤師もこれはおかしい、こんなものは病棟 で使わない、ナースも使わないと言ったのに、また使えと言われるわ けです。ナースは、調べて筋弛緩剤なのにねと言って、結局投与して しまう。なぜそれが投与されてしまうか、チーム医療としてなぜとめ なかったのかというのは、1つは教育が漏れている。つまり、ナースは サクシンが肩こりを治すような筋弛緩薬だと思ったのかもしれないで すね。だからきちんとして、十分な教育をする必要があるのではない かということと、チーム医療。そのときに、有賀委員がおっしゃった ように医師が責任を取るかというと、取らないかもわからないし、責 任を取ったからいいという問題でもない。そういう意味ではチーム医 療が必要ですし、それをやるためにはある程度の一定のレベルを担保 するために、最低必要な教育を受け、それをマスターした者について やっていくということでないといけないのではないかという感じがし ます。 ○有賀委員  たまたま薬の話が出たので、追加です。薬剤師さんたちは、基本的 に処方箋が出ると監査がありますね。その監査をしたときに、例えば 病棟にいるドクターや外来のドクターに「こういうのが出ているのだ けれど、ひょっとして勘違いではありませんか」と聞くわけです。そ のときに「ふざけるな、ばかやろう」と言うしょうもない医者がいて、 したがって病院によってはなかなかお医者さんに監査ができないとい うのも、実態としてあるわけです。私たちの病院では、医療安全管理 室としては「万が一のことがあったら、俺は飛んでいくぞ」とやって いるわけです。そのようなことは、確かにサクシンを肩こりの薬だと 思って打ってしまうという話は、とてもではないけれどどうにもなり ませんが、いま言った監査とか薬剤師などが介在するのは、いまの法 律においてもちゃんとそれを守れば一定の水準にはいくわけです。 ○瀬尾委員  だけど、実際投与したのです。 ○有賀委員  そういう意味で、要はいま行われなければいけない最低限のことを きちんと守るということもあって、それでも足りないのであれば、法 的にプラスアルファで変えていこうと。その部分で、最初海辺委員が おっしゃったように、実際問題動いている現場が困らないようにして、 昭和大のすぐそばの旗の台駅も、電車がどんどん動きながら、ついに きれいになりました。私は本当にどうなるのかなと思いましたが、そ れでも電車が止まることなしに、毎日通いながら、おっしゃていると おりなのです。そういう意味では、現場は現場でその都度動いている。 その動いている景色を上手に育みながら先へ進むという話で、私が最 初から言っているように、このようなものを考える場は、たまたま歴 史的にこういうプロセスでこうなっているかもしれませんが、もとも と必要だったはずなのだと思うのです。そのような観点からいくと言 われるとおりなので、是非上手に先へ進みたいということです。これ は薬剤師さんも管理栄養士さんもみんな平等に上がってこいという話 になりますから、全部関係しているはずですよね。 ○坂本委員  先ほどのサクシンの誤薬の話ですが、まだそれはチーム医療がせき ていないということだと思うのです。ここで話し合うチーム医療は、 例えばドクターがナースの判断に反することをしたら、「それは違う」 と言う義務を付けないといけないと思うのです。おそらくそれが言え なかった状況が雰囲気的にあったのだと思うけれど、大変問題があり ますアメリカのナースは、おかしい指示をドクターが出したら、それ をおかしいと言わなければナースが責任を負うことになっているらし いのですが、調べたら日本はそういうものはありませんでした。チー ム医療は、様々な職種みんなが同じ立ち位置でやっていくというスタ ンスを、どのように持たせていくかが重要であり、そういうシステム を作らなければいけないと思います。ですから、「それはおかしい」と 言っていく義務を付けていくべきだと思います。有賀委員がおっしゃ ったような状況だけでは、いまと同じようにドクターが全部を指示し ていく、そしてドクターに報告していくという仕組みは変わらないと 思うのです。そこは変えないといけないと思います。 ○南先生  折角の機会なので、一言最後に言わせていただきたいのですが、チ ーム医療を考えて、特に看護師の業務がいろいろ変わっていくときに 重要なのは教育と制度だと思います。基本的に制度がない所、先駆的 な実践があって、太田班のように先駆的に発表されてきて、あれが根 底にあってほかの所もできるようになっていくというプロセスは必要 だと思いますが、それを全部ができるようになるためには、制度がな いとできない。例えば看護師の場合、先ほどの事例のように、薬剤師 は異議申立てをしなければならない職種です。どうしてもしないとい けない。看護師は、いまの法律では異議申立てができない職種なので す。これは法律を変えないと、だからと言って注射をしていいという ことでは決してないし、専門家としては注射をしてはいけないと判断 すべきだったとは思いますが、法律的にも異議申立てをすべきである と。看護師はする職種なのだという認識を社会が持たないと、医師は いくら言われてもストップしないだろうと思います。したがって、制 度は非常に重要だと思います。  また、APNのレベルでもNPのレベルでも、国によって、アメリカなど は州によって実に細かい規定があります。その規定と、さらにNPが仕 事をしていくときは、自分が連携を取る医師との間の契約があります。 そういうことを細かくしていくことが、患者の安全と医療の質を担保 することだと思います。それを誰ができるのかも明確にすべきだと思 います。もちろん、経験を積んだ3年以上の看護師なら誰でもできる業 務もありますが、認定看護師、専門看護師、APN、NPのようなきちんと した制度に乗っていることが必要だと思います。いままでは日本看護 協会が認定しているからと言って、なかなか専門看護師、認定看護師 の名称を認めていただけなかったことがあります。でも、今後は日本 看護協会ではなく、第三者機構できちんと認定制度を設けて、学術的 にも確かにそのことはできる、できない、またはこのことをこうした ほうがいいということがきちんとできる制度の中で、認定と教育の仕 組みを作っていくべきではないかと、それを議論されることだと思い ます。 ○山本(信)委員  やっと薬剤師の話が出てきました。いま南委員がおっしゃったよう に私どもは義務がありまして、疑義があったらその疑義が解決しない まま調剤してはいけないということがあります。ただ、それは処方箋 によってですので、そういった意味では医療機関の中に処方箋がある のかどうかという議論もいずれしなくてはならないと思います。 た しか薬剤師が医療の担い手になったときの経過の中で、唯一薬剤師を どうして医療の担い手にするのかという議論のときは、我々が持って いる疑義照会をすることが医療の根幹であろうということで、医師、 歯科医師、薬剤師、看護師が医療の担い手になったはずなのです。そ うした意味では、いまお話のあったような監査をして薬の問題点を指 摘できない環境が、もし医療機関の中にあるのであれば、坂本委員が おっしゃるようにそこはチーム医療になっていない。あるいは、薬剤 師がまだ十分にそこまで成熟していなかったのかもしれません。  ただ、問題点は、なぜおかしいかと、「なぜ」を説明しないで単にこ れはおかしいぞと言っても、お忙しい先生方の中で意見が得られない。 あるいは、忙しさの中で対応いただけないのかもしれない。かつて、 私も永井座長の病院の先生に、外来からお電話して「うるさい」と怒 鳴られたことがありました。それでも、あとで考えてみると、その先 生はご自分で患者さんにお電話されて、「あれは飲むなよ」とそっとお っしゃったような話がありますので、おそらくきちんと話をすれば、 議論ができるのだろうと思います。そういった意味では、どれほど普 段議論がし尽くされているか、あるいは先ほど有賀委員がおっしゃっ たように信頼関係をどう作れるかが、この中でいちばん問題なのであ って、お互いの権益のぶつかり合いであってはそれができないと思い ます。サクシンの件は我々も十分に肝に命じておりますので、この先 もきちんとしたいと思いますが、疑義照会については、是非ここにい らっしゃる先生方、薬剤師が病棟にいてさまざま申し上げたら、少し は聞く時間を持っていただければ大変ありがたいと思います。 ○永井座長  どうもありがとうございました。大体時間になりましたので、議論 はこれからも続けていきたいと思いますし、次回からは別の論点から の検討を進めたいと思います。  最後に、事務局から何か連絡事項はございますか。 ○石川補佐  事務局より、次回の日程についてご連絡します。次回は10月13日16 時から18時、場所は厚生労働省ではなく、東京国際フォーラムのガラ ス棟会議室701となっております。また別途ご連絡をしますので、よろ しくお願いいたします。 ○永井座長  それでは、今日はこれで終了させていただきます。どうもありがと うございました。 −了− (照会先) 厚生労働省医政局医事課 石川義浩、石川典子 (代表)03−5253−1111(内線2564、内線2563)