09/04/14 第4回終末期医療のあり方に関する懇談会議事録 第4回 終末期医療のあり方に関する懇談会         日時 平成21年4月14日(火)            17:00〜19:00         場所 中央合同庁舎5号館 17階 専用第18・19・20会議室 ○大竹課長補佐 第4回「終末期医療のあり方に関する懇談会」を開催します。委員の 皆様におかれましては大変ご多忙のところ、またお足元の悪いところ、当懇談会にご出 席をいただき誠にありがとうございます。  議事に入ります前に私から本懇談会の委員の代理、また欠席のご連絡をさせていただ きます。木村厚委員は本日ご欠席の連絡をいただいています。近藤博子委員は本日ご欠 席で、同じく、財団法人がんの子供を守る会ソーシャルワーカーの樋口明子様に代理と してご出席いただいています。よろしくお願いします。南砂委員は本日ご欠席の連絡を いただいています。山本保博委員からも本日ご欠席の連絡をいただいています。ワット 隆子委員から本日ご欠席の連絡をいただいていて、同じくあけぼの会副会長の富樫美佐 子様に代理としてご出席いただいています。よろしくお願いします。  次に前々回・前回の懇談会で、参考人として発表いただいた方々に、今回、オブザー バーとしてご参加いただいています。ご紹介します。日本尊厳死協会理事長の井形昭弘 参考人です。社団法人日本薬剤師会副会長の土屋文人参考人です。日本ALS協会会長の 橋本操参考人です。特定非営利活動法人千葉・在宅ケア市民ネットワークピュア代表の 藤田敦子参考人です。聖ヨハネ会桜町病院名誉院長の石島武一参考人です。  事務局から4月1日の人事異動がございましたので、併せてご紹介させていただきま す。医政局長の外口です。健康、食品安全、医療人材及び国立病院担当審議官の中尾で す。医療保険、医政担当審議官の榮畑です。医政局政策医療課長の関山です。健康、医 業指導、医療安全担当参事官の岡本です。医政局、保険局併任企画官の間です。医政局 政策医療課保健医療技術調整官の中野です。私、政策医療課課長補佐の大竹と申します。 よろしくお願いします。懇談会にご参加いただく方々は以上です。カメラ撮りはここま でとさせていただきます。  お手元の資料確認をさせていただきます。資料は議事次第、委員及び参考人名簿、座 席表のほかに、資料1は「終末期医療に関する調査」前回調査(平成15年)から回答 傾向に変化のあった設問です。資料2はこれまでの主な意見(3回まで)、資料3は林委 員提出資料、資料4は樋口委員提出資料です。ご確認いただき加不足等がありましたら 事務局までお申し出ください。資料確認は以上です。それでは座長に以降の議事運営を お願いします。 ○町野座長 議事に入ります。議題(1)の「『終末期医療に関する調査』解析結果(追加 報告)」について、川島孝一郎調査解析ワーキングチーム委員長より説明をお願いします。 ○川島委員 川島でございます。皆様の手元にあります資料をそのまま読ませていだた くような形になりますが、よろしくお願いします。特に回答に5%以上差が見られた設 問を提示するということになりましたので、それをご説明します。  (1)終末期医療に対する関心で、【問1】は、近年、終末期医療に関して「安楽死」「尊 厳死」「リビングウィル」などの問題が話題になっていますが、あなたはこれらのことに 関心がありますかという問いに対し、「非常に関心がある」という者が増加しています。  (2)病名や病気の見通しについての説明で、【(医療従事者)問6】は、あなたの担当し ている患者(入所者)が治る見込みがない病気に罹患した場合、その病名や病気の見通 しについて、どなたに説明をしますかという問いに対し、医師の場合は「本人へ」とす る回答が増えています。介護職では「家族に説明する」が増えています。  【(医療従事者)問7】は、あなたは病名や病気の見通しについて、患者(入所者)や 家族が納得のいく説明ができていると考えていますかという問いに対しては、医師・看 護・介護ともに「できている」とする回答が前回・前々回よりも減っています。医療職 は87→85%、看護、介護もここに書いているとおりです。  (3)治療方針の決定について、あなたの担当している患者が治る見込みのない病気に罹 患した場合、その治療方針を決定するにあたり、まずどなたの意見を聞かれますかとい う問いに対しては、家族の意見を聞くとした者は医師では減少していて、本人の意見を 聞く者が増えています。逆に看護や介護では家族の意見を聞く者が増加している傾向が あります。  2頁で、(4)死期が迫っている患者に対する医療のあり方です。あなたご自身が治る見 込みがなく死期が迫っている場合、「2どちらかというと延命医療を望まない」「3延命 医療は望まない」を選んでいる方に対し、具体的にどのような医療・ケア方法を望みま すかという問いです。ここでは「痛みを始めとしたあらゆる苦痛を和らげることに重点 を置く方法」が減り、「自然に死期を迎えさせるような方法」を選ぶ人が増えている傾向 にあります。  長いので略しますが、あなたの家族の場合はどうかということで、「痛みを始めとした あらゆる苦痛を和らげることに重点を置く方法」が減っています。  (7)リビングウィルと患者の意思の確認方法については、医師では「法律を制定すべき である」とする者が増加しています。  (リビングウィルについて1「賛成する」を選んだ人)に対して、リビングウィルに ついて、「賛成する」と回答した者のうち、死期が近いときの治療方針についての医師に ついて病院や介護施設から、書面により患者の意思を尋ねるという考え方に賛成する者 は、医師と介護職で増えています。  (リビングウィルについて1「賛成する」を選んだ人)に対し、書面に残すとしたら いつの時期が良いかについては、看護では「入院時」が増加し、「いつでもかまわない」 とする者が減少している傾向です。  (9)終末期における療養の場所ですが、2)脳血管障害や認知症によって全身状態が悪化 した患者の場合、一般国民では「病院」を希望する者が増加し、「老人ホーム」を希望す る者が減っています。医師では「自宅」が減り、介護では「老人ホーム」が減っている 傾向です。  【(一般)問13】あなたの家族が高齢となり、脳血管障害や認知症によって日常生活 が困難となり、さらに、治る見込みがない状態になった場合は、どこで最後まで療養さ せたいですかという問いについて、一般国民では「老人ホーム」を希望する者が減って いる。看護では「自宅」が増えて、「療養型医療機関」が減っている。介護でも「療養型 医療機関」が減っている傾向です。  (10)がん疼痛治療法とその説明ですが、モルヒネの使用にあたって、有効性や副作用 について、患者さんにわかりやすく具体的に説明することができますかについては、医 師では「説明できる」者が減って、医師・介護で「説明できない」者が増加しています。  (11)終末期医療体制の充実に関しては、そういう医療体制が行われているとした者が 増加傾向で、「十分に行われていると思う」とした者が看護、介護では増加しているとい うことです。ここにつきましてはご存じのように、終末期医療における治療方針につい ての医師や看護、看護職員の間で十分な話合いが行われているかについての回答です。  以上です。ただ、ご存じのとおり前回の話の中でもありましたように、病気の見通し についてきちっと話をしているかどうかの検索がなされていないので、不十分なままで この回答を選んでいる可能性があることは、分かっていただかないといけないことにな ります。それと語句ですが、「延命」とか「リビングウィル」という言葉について、いろ いろと解釈が異なりますので、それについても一応、ちゃんと分かっていて、この結果 を読んでいただくことになりますので、よろしくお願いします。以上です。 ○町野座長 ありがとうございました。いまのご説明につきまして、ご意見、ご質問等 がございましたらお願いします。川島先生のほうから、これについて何かおっしゃって いただくことがありますか。 ○川島委員 例えば病院で最後を迎えることを希望する者が増加したという、2頁の(9) ですが、一般的に老健局の高齢者についての調査や、ホスピス緩和ケア振興財団でのが んの末期の方に対する調査等を含めて、この手の亡くなる場所をどこで望むかというア ンケート調査は非常に多くなされています。一般的には「希望する」という希望だけの 場合は、自宅や自宅に代わる施設を望む者が6割から8割の傾向にあります。ところが、 そこに「では実際にそれが適えられるだろうか」という設問を加えると、途端に減って くることになります。ここの場合はある程度分けてはいるのですが、そこについて少し 詳しく後でまた解釈を考えなければいけないと考えています。 ○町野座長 ほかに何かございますか。若干気になるというか分からないところがある のですが、3頁で「書面を使う」というのが多いようですね。希望としては書面でなる べくということですが、これは話合いのプロセスを重視する者からすると、書面を作っ てしまうというのはかなり固定的に考えられて、最終的にもしかしたら書面を作らなけ ればいけないのかもしれませんが、しかも入院時に書面をやるというのは、プロセスを 重視の考え方からすると少し問題があるように思われるのですが、その点はいかがです か。 ○川島委員 問いかけ自体が、もともとこういう問いになってしまっているという大問 題がまずあります。ですから、もし再度調査をするのであれば、この問い自体を変更し なければならないだろうと考えています。ご存じのようにプロセスを重視することにお いては、本人がどのように決定するかではなく、決定ができるための説明を医療者がき ちっとしたかどうかのほうが、評価されなければならないことになります。ですから、 これは決定させる書面を作るというより、決定は後で結果として出てくることであって、 決定に進むことができるために、残された非常に少ない時間であっても医療、介護、生 活をどのように組み立て、その人間が最後の生きている時間を過ごすことができるか。 その説明に対してこそ、きちっとそれが評価される形をとらないといけない。ここにつ いてはもともとの問いがこうなので、答えがこのようになっていると考えていただきた いと思います。 ○町野座長 ほか、ございますか。それでは続きまして議題(2)「これまでの議論の整理」 について事務局よりご説明をお願いします。 ○大竹課長補佐 これまで出た意見についてまとめたものを、ご提示したいと思います。 資料2ですが、これまで第1回から第3回までさまざまなご意見をいただいています。 その中から議事録より抜粋して私どもで文書とさせていただいたところです。大変恐縮 ですが加不足、表現ぶり等、ご指摘があろうかと思います。この提示が終わった後でま たご指摘いただければと思っていますので、各委員の方々、よろしくお願いします。  資料2に沿いましてご説明いたしますが、テーマ別でご提示させていただきました。 【終末期の定義】ですが、○余命6ヶ月を終末期とすることには議論の余地がある。○ 終末期は、高齢者やがん患者だけを対象としているものではない。○どういうふうなも のが終末期かという定義をきめることはなかなか難しい。時間をかけ、十分議論してい くべき。○終末期というのは、どういう状態を想定するかによって、それに対する対応 が異なってくる。整理が必要と考える。○救急で運ばれてくる患者は既に意思表示が困 難である等の問題があり、他の患者と分けて考える必要がある。○筋ジストロフィーや ALS等の難病では、告知や病気の進行過程にそれぞれ特殊性があり、他の疾患と画一的 に議論することは難しい。○終末期という概念自体が定義できないとアメリカのNIHで は言われている。○終末期の定義をどうするのか、生を支えていく体制をどうするかも 含めて、もっと議論を深めていかなければならない。終末期の定義に関しては、およそ このような意見をいただいています。  【終末期医療に関する説明】ですが、○病気が今後の生活にもたらす影響について、 医療者側が十分に説明すべきだが、実態上できていない。○患者の側から見れば、個々 の状況が違う中で、現実的な判断を迫られる。医療者の側は圧倒的にたくさんの情報を 持っているが、患者側は、情報を持っていない人が大部分である。○患者の意思決定に 対する相談支援等を医療チームで取り組むシステムを整えるべき。○本人の意思をいか に知ることができるか。それをどう確認していくか。プロセスを明確にすべき。○本人 が死に対してどう考えているか、また、家族と考えを共有しているかという点が重要。 ○病気が今後の生活にもたらす変化や影響について、医療現場では十分に説明すべきで あるが、できてないと思われる。○健常時から自分の最後について考えることについて 進めていくべき。  【終末期におけるケア】ですが、○多くの患者は「緩和ケア」=「死を迎える」こと だと思っている。これが緩和ケアを進めるに当たって難しいところ。また、医療に対す る知識の差で、随分緩和ケアに対する受け止め方も違う。○「パラレルケア」という考 えは、がんに対する治療と並行して緩和ケアを行っていくことである。病気のはじめか ら最後まで支え続けるという姿勢の中で、がん治療と緩和医療とが並行して行われるこ とである。○医療を「どこで支えるか」ではなく、「誰と支えるか」が大切。そういった 支えなくして安心感のある看取りは得られない。○医療者の患者に対する説明が不十分 である点や緩和ケアが十分にできていない点等が、尊厳死容認につながっているのでは ないか。  【リビングウィル・法制化】ですが、○調査結果の中で、リビングウィルと法制化に ついて、高齢者からの支持率が低いのはなぜか。意思表示をした書面を書き換えができ ないと思っている人が多いことを反映しているのではないか。○全日本病院協会として は、法制化には反対しているが、ガイドラインは作っている。これを普及していかない 限り、法整備すべきでない。○終末期に関しては本人の意思を尊重すべきであり、これ に医療者側は対応できるよう法整備が必要。○法律側も医療側も一緒になって、前向き に議論する必要がある。具体的な病態像によってどうするかを検討する時期である。○ 現実問題として、一定の指針は作ってほしい。そうしないと医療現場で身動きのとれな い状況が続く。○法制化というのは、現時点の日本では無理な部分があるのではないか と感じる。○人の死のあり方について国が決めるべき問題ではないし、ガイドラインを 作るべきではない。将来作らなければならないとしても、今すぐの話ではない。患者・ 家族としてはまず十分説明を受けることが必要であり、その環境づくりが重要である。 ○患者・家族を中心とした、それぞれの価値観にどう寄り添いながら終末期医療を決定 していくかが大事である。法律よりも、病気等に関する説明を十分にされたかを確認し、 保障する仕組みを整えていくことをまず議論すべきである。○第一には法に頼るべきで はないということ。人の生き方は様々であるが、法律はどうしても画一的になる。倫理 と法では倫理が優先する。人の生き死には本当に個人的な倫理の問題なので、法に頼る べきではない。  【その他】ですが、○終末期の調査結果について、国民に周知していくこと。「プロセ ス・ガイドライン」について、国民や医療現場に周知することが重要。○暮らしを支え るために終末期医療をどう考えたらいいかという観点が見えない。○「プロセス・ガイ ドライン」は、最低限のものであって、画一的でなく、法律的でもない点に意味がある。 その上に積み上げていくに当たっては、個々の患者の事情を踏まえていかざるを得ない。 ○患者と医療従事者との間では様々な観点でずれが大きい。以上です。 ○町野座長 ありがとうございました。ただいまの説明や資料に関して質問等がござい ましたら、ご発言をお願いします。 ○井形参考人 尊厳死協会を代表して、ここで参考人として参加していますが、いまの 論点ですね、私どもはリビングウィルの法制化を高らかにお願いしたのに、この論点が この案で明確にされていません。明確に記載して頂きたいと思います。 ○川島委員 いまの段階でというのであれば私は大反対です。まだまだ不十分です。な ぜなら、25万人いる医師が説明責任を果たしていない現状で、法制化をするというのは 非常に危険です。つまり自分の説明責任を果たさなくても、結果を患者に押し付けるこ とができるようになる。これは非常に危険なので私は大反対です。 ○町野座長 これは主な意見の整理ということですので、賛成論と反対論が激しく対立 したということでしょうか、いろいろな論点があると思います。ほかに何かございます か。 ○石島参考人 終末期の定義ですが、終末期を3つぐらいに分けて考えなければいけな いということを、どこかに入れていただきたいと思います。 ○町野座長 より具体的な、いまのような分け方が考えられるということ、よろしくお 願いします。ほかにございませんか。 ○永池委員 終末期医療に関する説明のいちばん最後のところに書いてある、「健常時か ら自分の最後について考えることについて進めていくべき」という私の発言の箇所です。 発言の意図は、医療者が終末期の時点あるいはその直前で、十分に患者及び家族に説明 することができない状況があるというところのお話を受けています。そういう状況は改 善すべきですが、十分な説明ができないのであれば、そのほかに最善の対策をとる努力 をする必要があるという意図からの発言です。 ○町野座長 ほか、ございますか。 ○藤田参考人 藤田でございます。私はがんの終末期のことについて発言をさせていた だきましたので、ただ一つ、藤田参考人ということで、「高齢者やがん患者だけを対象に しているものではない」というところに名前が載ってしまいますと、お前は何のために ここに来たのだということになります。終末期はそういうことだけではないということ は申し上げましたけど、できましたら橋本参考人の暮らしを支えるとか、生きるための 緩和ケアをもっと大事にしてほしいというところを強調させていただいたことを入れて いただくことと、先ほどの【終末期におけるケア】の中で川島委員も述べている医師の コミュニケーション能力不足、それから緩和ケアのことが全く周知されていないし、そ れをやってくださる医師が少ないということが問題ではないか、というふうに発言させ ていただきましたので、是非、川島委員のところに入れていただけるとうれしいなと思 っています。 ○大熊委員 私もここにいたのか、幽霊だったのではないかというくらい名前が1個も 出てこないものの一人でございますが、終末期という捉え方とか、医療でそれをすべて であるということに反対であるということを申し上げたことを、書き留めていただきた いと思います。それから石島先生の3つの分類というのは、「ああ、そうだったんだ」と いうふうに非常に私は目を開かれた思いでしたので、ごっちゃに考えられているものを 非常に明確に分けてくださったので、あれも是非載せていただきたいと思います。 ○池上委員 その他のところに、もし可能ならば付け加えていただきたいと思ったのは、 今回、初めてクロス集計をしまして、家族における話合いの有無や程度によって回答に 一定の傾向が見られたと記憶しています。家族の中での話合いを行った場合には、延命 医療に対して私の記憶している範囲では、より消極的であるという結果が出ていたかと 存じます。それは分類としてはこの中ではその他になると思いますので、確認の上、加 筆いただければと存じます。 ○町野座長 ほか、ございますか。それではまた後ほどお願いしたいと思います。今日 はこれから委員による発表ということで、議事次第にありますように本日、2名の先生 方からご意見をいただきたいと思います。その後、委員の皆様からのご意見、ご質疑を お願いするつもりでいますが、林先生におきましては早目に退室しなければいけない事 情がありますので、林先生のプレゼンテーションが終わったところで、もし時間があり ましたら数分間、質問の時間をとりたいと思います。林先生、よろしくお願いします。 ○林委員 皆さん、ご迷惑をおかけして申し訳ありません。よろしくお願いします。「緩 和ケアの潮流と輸液・リビングウィル」ということで、全体のケアのあり方、流れにつ いて関係があると思いましたので、述べさせていただきたいと思います。スライドをお 願いします。                 (スライド開始) ☆スライド 緩和医療とはということで、1989年の少し古い定義ですが、これは時代の 流れが分かりやすいかなということで持ってきました。注目していただきたいのは対象 です。「緩和医療とは治癒を目的にした治療に反応しなくなった患者に対する」と書いて あります。20年前は終末期医療と緩和医療とはほぼ同等だったということが、これで読 み取れると思います。 ☆スライド ただし、その中で行われている緩和医療については、ここに「全人的痛み の理解」とありますように、患者さん方を身体的、精神的、スピリチュアル、社会的に 捉えて、その痛みに対応するということ。これについては20年前も現在も変わってい ないという現状です。 ☆スライド それが2002年に改訂されています。このときに対象がこのように変わり ました。「緩和ケアとは、生命を脅かす疾患による問題に直面している患者とその家族に 対して、疾患の早期より」ということで、実際に終末期になってからであるとか治療に 反応しなくなってからというのではなく、さまざまな問題に直面すればその時から緩和 ケアは関わり、それに対応していくのが緩和ケアになってきているのが1つの側面です。  もう1つ、後半のほうに「予防したり」という概念もあります。問題が生じてから関 わったのではどうしても対応しづらい。解決しづらい問題もあります。そういった中で 予防的に対応することも大事だということですので、その意味もあって早期から関わる ことが非常に大切とされてきています。 ☆スライド それを模式的に表すと、ここにありますように従来、ギアチェンジを必要 としていた紋切型の治癒を目的とした治療から、緩和医療に移行するということです。 このようなあり方で、治癒を目的とした治療の初期から緩和医療が関わり、次第にシー ムレスに緩和医療に移行していくのが、現在の大きな流れになっています。 ☆スライド しかし、それが次第に変わってきている側面もあります。それはがんを対 象とした治療の苦痛が非常に少なくなってきている側面があります。内分泌療法をはじ めとしたさまざまな治療においては、副作用をほとんど感じることなく治療を継続でき る場合があります。そのような場合には緩和治療を初めから最後まで並行しながら、し かし、がんを対象とした対応も行い得る。そのような状況も出てきました。ただし、こ の中で行われる緩和医療については、いずれ人は必ず死を迎えるということに対する、 心理的なサポートということも含めた緩和医療であると思っています。 ☆スライド しかし、中には非常に辛い抗がん剤による治療であるとかで、治療の継続 を中止したほうがQOLが上がる方もいらっしゃいます。その方の人生観や死生観の中 で治療のためだけに時間を費やすのではなく、残された時間を自分のやり残したことを やり遂げるために時間を使いたい。ご家族と一緒に過ごしたい、そのように思われる方 もいらしゃいます。そのような方については、がんを対象とした治療を途中で取りやめ て緩和医療に専念したほうがいい方もいらっしゃると思います。要するに、ここに描か れているのは比率がどうであるかが問題なのではなく、初めから最後まで両方が並行し て行われながら、その方に必要なものを絶えず並行して提供することができる体制づく りが必要であり、その選択ができることが大切であると思っています。 ☆スライド このグラフは、もうこれ以上は治癒が見込めない時点からの生存曲線を示 したものです。左上から右のほうに慢性心不全、肺がん、下に移って大腸がん、膵臓が んで、それぞれの方々の生存曲線です。下の濃いラインがホスピス緩和ケアが関わらな かった方々の生存曲線、上のピンクの細かいラインがホスピス緩和ケアが関わった方々 の生存曲線です。これで示されているのは、それぞれの疾患によって違いはありますが、 平均すると約29日間、ホスピス緩和ケアが関わった方々のほうが命が長かったという データが出ています。要するにホスピス緩和ケア、QOLを上げるということだけでなく、 命の長さをも延ばす役割が出てきていることを示しているデータです。 ☆スライド そのようなホスピス緩和ケアを、どのような形で提供できているのかとい うと、5番目までについては従来行われていた形態です。緩和ケア病棟、チーム、外来、 在宅、デイケアの形がありましたが、6番目として最近では、患者さん方を実際に訪問 診療される先生方や、訪問看護ステーションのスタッフを支える「地域コンサルテーシ ョンサービス」も始められています。このような働きを通してホスピス緩和ケアが、い つ、どこにおいても提供できるような体制がだんだんと出来つつあります。ただし、こ れがいま全国に進展化されているわけではないというのも事実です。 ☆スライド 主要各国の中におけるオピオイドの消費量を比較したのが、このスライド になります。従来と比べてその差はどんどん広がっています。いちばん上のアメリカに 比べて日本はおよそ60分の1の消費量であることが示されていて、終末期のがん患者 さんだけに使われているわけではないのですが、しかし、痛みで苦しんでいる方々が諸 外国に比べてこれだけ多い現実であることは、ここから読み取れると思います。 ☆スライド この中でホスピス緩和病棟に対して、従来の本当に安らかな時を過ごして いただくための役割と、Palliative Care Unitとしての働きとPalliative Medicine Unit として、本当に高度先進医療で痛みも緩和も含めたような医療を提供する性格も、最近 は担っていくようになってきています。 ☆スライド そのような状況の中で「望まれる緩和ケア診療体制」としては、すべての 患者さん方の苦痛の緩和を絶えず緩和ケアの専門家だけが担うのではなく、初期的な対 応については、第一線で活躍されている診療所の先生方や訪問スタッフの方々から、一 般的なベーシックな緩和ケアも提供されながら、より専門性が必要になれば専門的なも のも提供されるような体制づくりが望まれると思っています。 ☆スライド 少し数字で示したいところもありますので、具体的に示しますと、私ども の所においては外来の患者さん方が非常に増えてきています。要するにホスピス緩和ケ アが従来の病棟の中だけで行われるような、本当に終末期のものだけではなく、外来に 通える時期から提供されているという数字です。 ☆スライド 外来に通われている方々の約半数が、現在、化学療法も行いながら来られ ているという事実です。従来の終末期になってから来られる外来ではなくなってきてい るということが、ここに示されています。 ☆スライド 入院実数と外来数との差が開いてきているということです。これは従来、 ホスピス緩和ケアに訪れる時期は、早いか遅いかの違いはありましたけれども、いずれ はホスピス緩和ケア病棟に入りたいという方々だけが、ほとんど外来を訪れていたわけ です。入院との差が出てきたということは、入院は希望しない、治療を最後までいろい ろ希望するけれども、苦痛の緩和は緩和ケア科で早くから担ってほしい。そんな方々が 緩和ケア外来にも訪れ出してきている。それが表れてきている数字だと思います。 ☆スライド 要するにホスピス緩和ケアが、従来ですと終末期医療で、本当にその科に かかったら終わりだと思われていたような状況から、ここに示されている双方向性の診 療科になりつつあるというのが示されています。そこに行ったら終わりという時代では なくなってきています。 ☆スライド ここから少し輸液のことについてお話をさせていただきます。輸液をなぜ ここで持ってきたかというと、従来、治療というものが行われるべきか、行わざるべき か、オール・オア・ナッシングのような選択になっていたと思いますが、この「全般的 な推奨(1)」の価値観や意向尊重のところの2番目、3番目にもありますように、輸液治 療においても患者・家族の意向が十分に反映されるべきである。そしてその下の段には、 輸液をする、輸液をしないといった一律的な治療は支持されないとあります。これは緩 和医療学会における輸液のガイドラインから抜粋してきたものですが、このような考え 方で、する、しないではなく、本当にその方の状況、意向に応じて個別的に考えること が示されているのが現状です。 ☆スライド 具体的な例がここに示されています。 ☆スライド リビングウィルについての考え方ですが、これは私どもの病院でまだ案と して練られているものであり、正式なものではありませんのでその点をご了解ください。 しかし、皆さん方にお示ししたかったのが、このようなものを1病院でも作りつつある ということ。そしてこのスライドの右側に、当院では、「患者との協働医療」を実現する ためとあります。患者さん方と医療者、ご家族が同じ思いのもとで医療を提供できるよ うに、意思の疎通を互いに図りながら協働して医療を提供することが必要である。その ためにリビングウィルを表明していただく必要があるのではないか、と表明しているわ けです。 ☆スライド この中でも何度も出ていますように、何回でも書き直すことができるとい うことを書面に記しています。そしてご家族の署名欄も設け、患者さん本人の書面も示 していますが、三者の同意が求められる医療が必要なのではないかということを示して います。ただし、繰り返しますが、これは案ですので最終案ではありません。しかし、 そのような動きがあるということをご理解いただければと思っています。  そして緩和医療とは、最初のスライドのところにありますように、対象としているも のは決してがんの患者さん方だけではない。本当に生命を脅かす疾患に直面している患 者さんとその家族を対象としています。緩和医療は決してがんの患者さん方を対象とし ているのではなく、すべての疾患の方々、悩んでいる方々を対象としていることを最後 にお伝えして、話を終わりたいと思います。 ○町野座長 ありがとうございました。それでは10分ほど時間をいただいて、ご質問 等がございましたらお願いします。 ○樋口委員 林先生のお話、非常に明快で感銘を受けました。質問を1つさせていただ きます。それは簡単には答えられない質問かもしれませんが、いまおっしゃったように 今の緩和医療という概念というか観念というのは、昔とは違うという話から始まりまし たよね。それで大熊さんが先ほどわざわざ発言されましたけど、終末期医療とは言って いるけれども狭い意味の医療だけの問題ではない。ここで言う緩和ケアというのも、身 体的な苦痛とか精神的な苦痛については医療に入れてもいいかもしれませんが、スピリ チュアルペインが何なのかはなかなか難しい。社会的な痛みというものまで含めて、緩 和ケアというのは実は狭い医療の範囲を超えてやらざるを得ないものだということを、 いちばん初めに強調しておられましたね。  こういうものが広がっていくといいなと私も本当に思っているのですが、しかし、な かなか広がっていかない。それはどういう問題がいちばん大きいのか。一番でも二番で も三番でもいいのですが、これを広げていくためにいろいろな障害が我が国においてあ るわけです。それはどういうふうにお考えなのかを伺いたいと思います。 ○林委員 大変難しい、しかし重要な質問をいただいたと思っています。従来、医学教 育が治癒を目的とした診断、治療、対応、さまざまな教育を受けてきました。実際、私 が大学を卒業したときには緩和医療に対する講義はありませんでした。そのような中で 育ってきた医師が、緩和医療に対する興味、関心を持つというのは、かなり個人的に努 力しないと持ち得なかったものだろうと思います。  ただし、現在はさまざまな大学において緩和ケアに関する教育活動も広がっています。 そして卒前教育だけでなく卒後教育においても、がん対策基本法を中心として、それに 対する基本戦略の中で、すべてのがん診療に携わる医師に対する緩和ケアの教育を5年 以内に施行するとしています。それを実現するために、いま緩和医療学会でもピースプ ロジェクトというものを進めています。その中でがん診療に携わる医師に対して、いま 言ったような身体的な面、精神的な面も含めたロールプレイや、さまざまなワークショ ップも含めた、2日間にわたる合宿形式の教育を広く提供しているところです。その活 動によって数年以内に、多くの医師がホスピス緩和ケアについても理解を示してくれる のではないかと大きな期待をしながら、その教育活動にも携わっているところです。 ○中川委員 中川です。先生、最後の頁で、聖路加国際病院におけるリビングウィルへ の取り組み(案)ですが、これまで聖路加国際病院はこういう用紙を全く使っていなか ったのでしょうか。それともこれは更新なのでしょうか。 ○林委員 これまで同様の質問は、入院時にある程度患者さん方にするという取り組み をして、私どものカルテの中には記載する項目がある程度あったのですが、それを広く 一般の方々にも、ある意味健常なうちから意識を持って検討してもらうということで、 実際の外来等にこれぐらいの大きさの小冊子で、自由にお取りいただけるような形で置 いています。そのような目的で作るものです。ですから形式とかは確かに新しいもので すが、概念としては従来からあったものを、広く一般国民の方々にも広めようという意 味で作ったものです。 ○橋本参考人 リビングウィルのアンケートに示されているので、あくまでもこの案に 対しての意見になるのですが、実際に出ている1から5に関して言うと、技術的には5 つの選択肢しかないということ。生きることに関する選択肢がないのだろうかというの が1点です。もう1つは、わからない、決められないということも必要だと思います。 もう1つは、どんな説明を受けたか。実際に患者さんは自分が真に感じている事柄に、 どんな説明を受けたかということが実際にわからないとちょっと、自分が真に感じてい ることしか中心に残らないとことを想定すると、どこかが足りないということになりま す。 ○林委員 実際、こちらにつきましては患者さんご自身の意識を問えなくなった状況、 回復が見込めなくなった状況ということで、極めて厳しい状況になったという状況設定 のもとでのものにしています。ですから非常に限られた状況の中でのということをご理 解いただきたいと思います。まずそれが1点です。  そのような状況ですので、生きるという選択については1番ですね。それについては いかなる手段でもってしても生きるということを選択していただけるように、配慮して いるつもりではあります。ただし、伝わりにくいとすればまた文面等は配慮する必要が あるかなと思っています。  決められないという方もいらっしゃると思います。ですから、その他の項目も設けて はいるわけですけれども、もし決められないという項目もあれば、それをお付けすると いうのも1つですし、実際にそういった方々については、リビングウィルについて現在 はなかなか決められないということで、これを記入すること自体を控えていただくとい うのも、1つの意思表示かなという気はしています。貴重なご意見をありがとうござい ました。 ○田村委員 非常にコンパクトで中身がしっかり詰まったお話、ありがとうございまし た。1つ質問させていただきたいと思ったのが、私も患者さんのご家族からご相談を受 けていて、シームレスケアでなく本当にパラレルケアが求められていると思います。緩 和ケアの中で緩和ケア病棟という存在は、ある意味、シンボリックな部分もあり、緩和 ケア病棟の状況が、ホスピス緩和ケアというものの持っているイメージであったりする わけです。いま緩和ケア病棟そのものが定額制で運営されていて、その中での可能なパ ラレルケアを追求するということは、あることはありますけれども診療報酬上からも高 額な抗がん剤等は難しい面があり、当院の場合などはその難しいことを選択したい方も おられて、一般病棟の中で工夫をしながら緩和ケアを提供しているわけです。そういう シンボリックな場所が、まだそういうパラレルケアになっていない現状について、ご意 見を伺いたいと思います。 ○林委員 1つには、昨年の3月までの表現ですが、いわゆる算定要件というのがあり ます。保険点数の間の算定要件というのがあって、その中で緩和ケア病棟の対象患者に どのような表現がなされていたかというと、主として末期の悪性腫瘍及び免疫性不全症 候群の方々を対象とするという文言になっていて、昨年4月から、主として苦痛の緩和 を必要とする悪性腫瘍及び云々の方々を対象にできるようになってきました。そのよう な表現の変化がありまして、確かに昨年の3月までは終末期の方々を対象とせざるを得 なかった面があります。  一方で昨年4月からは、対象がそのように変わりました。いわゆる終末期でなくても 苦痛の緩和が必要であれば入れるという状況になりましたので、次第に早期から苦痛の 緩和が緩和ケア病棟で開かれてくることも、多くなってきているのではないかなと期待 しています。  ただし、一方で診療報酬の点数が変わっていません。ですから、その中で積極的に抗 がん剤といったものも使いながら苦痛の緩和をするというものではなく、抗がん剤など は専門病棟でしながら、その合間にそれも継続できないほどの苦痛があれば、それを緩 和ケア病棟で緩和する。いまはそのような運用の仕方が現実的な運用になってくるだろ うと思います。しかし、そのように概念が少しずつ変わってきている。広がってきてい るというところでありますし、私どもの所でも緩和ケア病棟に来られる方で、また治療 に戻られるという方も出てきていますので、そういう運用のあり方、それぞれの個別性 を持った対応というものが、今後、広がっていくことを期待しています。 ○町野座長 私からお聞きしたいことがあります。いちばん最初に説明がありました資 料1の2頁で、「痛みを始めとしたあらゆる苦痛和らげることに重点を置く方法」が若干 減り、逆に「自然に死期を迎えさせるような方法」を選ぶ人が医師、看護で増えている ということ。4頁の(10)で、モルヒネの使用等について、きちんと説明できる人がむし ろ減っているというのが目立つところなのですが、先生のお考えでは、これをどのよう に評価されるかお伺いできたらと思います。 ○林委員 (4)で「痛みを始めとしたあらゆる苦痛を和らげることに重点を置く方法」が 減り、「自然に死期を迎えさせるような方法」を選ぶ人が増えているという点について、 私も少し注目していました。ただし、これは○は1つということで選択肢を1つにして いるわけです。本来であれば苦痛を和らげながら自然に死期を迎えていただくような対 応というのが、いま緩和ケア病棟でなされています。そういった状況の中で、おそらく 苦痛を和らげることに重点を置くことが減ってきている背景には、苦痛をある程度和ら げてもらえるという意識が、若干、国民の方々の中にも増えてきているのではないか。 その中で、かつ、死期は穏やかに自然に迎えたいという具合に解釈したいと思っていま す。  ただし、本来であればこれは二者択一というか、選択肢としてどちらかを選ぶべきも のではなくて、両立させ得るべきものだろうと思っていますので、これはどちらかとい うと、それぞれの数字の変化というより、両者を足した数字と捉えていくのが適切な判 断の仕方なのではないかいう気がしています。  モルヒネの説明ができる者が減り、できない者が増加しているという点については、 全く数字のとおりなのだろうなと思っています。これは緩和医療に対する社会的な関心 は上がってはきていますが、医療者のほうがなかなかそれに付いてこなかった現実があ ったと思います。しかし、先ほど申し上げましたようにピースプロジェクトを通して、 すべてのがん診療に携わる医師に緩和医療の教育を提供していく施策が、いま取られて いますので、この数字が、おそらく数年内には上昇していくことと確信しています。 ○町野座長 もう少しよろしいですか。 ○池上委員 池上です。この緩和医療の対象が非常に拡大していく中で、現実に緩和医 療を担える、あるいは合宿形式の研修で対応できる人材というのは非常に限られている 中で、どのように重点を置くべきか先生のお考えを教えていただければと思います。一 方において緩和ケア病棟で亡くなるがん患者に限った場合でも、5%以下という状況も ありますので、それを踏まえてどこに中心を置くべきか、お考えを教えていただければ と思います。 ○林委員 重点を置くとすれば、一般病棟で亡くなる方々が数としては圧倒的に多い現 状がありますので、一般病棟において一般的な緩和医療が適切に提供できる体制を築く のが、早急に対応するべきものとして求められるのではないかと思っています。いま現 在、ホスピス緩和ケア病棟においては、より専門性の高い一定水準の緩和医療が、もう 既にある程度提供されています。その数は増えてはきているのですが、現在、少し伸び 悩んでいるところがあります。もちろん、数としては今の倍ぐらいは必要だろうと思わ れます。諸外国からすると、およそ人口100万人当たり50床のホスピス緩和ケア病床 が、適切な数として言われている調査報告もありますが、いま現在、日本が26床程度 の数です。それからすると緩和ケア病床を倍増させながら、しかし、一般のところでも 緩和ケアチームであるとか、一般の先生方からも、より専門的かつ一般的な緩和医療が 提供できる体制を築くことが、まず早急に求められるところだろうと思っています。 ○町野座長 ありがとうございました。遅くまでかかりまして申し訳ありませんでした。 非常に急いで申し訳ありませんでしたが、続きまして樋口範雄委員から発表をお願いし ます。 ○樋口委員 それでは少しの間、お時間をいただきます。 ☆スライド 一応、キャッチフレーズだけは作ったのですが、その題名は、法は不明確 に見えて、実は明確なメッセージを送っているというものです。これで本当にみなさま もそう思ってくださるかどうかが問題です。私が今日、報告する直接の契機になったの は、次のスライドをお願いします。 ☆スライド 先回のこの会議で、隣に座っておられる中川先生がこういう発言をされま した。「もっと法律のほうも頑張ってほしい。座長の町野先生も苦しいところだと思いま すけれども、法律の方がもう少し積極的に考える方向でないと、結局」云々ということ です。こういうふうに切実なというか、もちろんこれで初めて気が付いたものでもない のですが、改めて中川先生にそう言われて、私も再度少し考えてみました。  そこで今日の課題は中川先生のご要望に応えること。先生のご要望は、医療現場の悩 みに法律家は十分に応えていないではないかということです。これに応えることはなか なかできなくて、実際にこれから申し上げても、中川さんから「何だ、全然役に立たん よ」と言われる声が聞こえそうな感じもあるのですが、しかし、あえて元気を出して少 しだけ時間をいただきます。  同じことなのだと思いますが、他にも課題があり、スライドで並べたようなこういう いくつかの疑問があって、実はこれがすべて中川先生の提起されているものと密接に関 連する同じ課題、表裏の問題なのです。まず、今回の世論調査でも、国民の多くはリビ ングウィルということについて理解が進んでいる。そういうものがあったらいいねとい う回答もする。しかし、医師については少し違うという傾向が、今日紹介されていまし たけれども、それでも重要な点は、多くの人が法律まで作ることには消極的なのです。 一体、これは何なのだろうか。  それから、これは小さな話だと思いますが、この懇談会に法律家は町野さんと私しか いない。それと、次に申し上げることは簡単に言えるかどうかわからない。それこそ、 世論調査の中でこういうものも入れてもらったほうがいいのかもしれないのです。間違 っているかもしれませんが、私の考えでは、多くの法律家がこの問題でどんどん法律を 作ろうと言っているかというと、そうでもない。一般的には、法律家というのは法律を 作るのが大好きなように思うのですけれども、これについては積極的かというと、そう ではないような気がするのですが、それはどうしてなのだろうかと。  さらに些末なことで言うと、私は一応アメリカ法を教えております。アメリカでは、 どこの州でもリビングウィルが法制化され、法律があるのです。1970年代来ですから、 もう40年近いということです。それなのに、アメリカ法が大好きな樋口がなぜ積極的 ではないのかと、こういう質問を自分に投げかけて、以下、少し考えたことを申し上げ ます。 ☆スライド これは千葉の事件です。つい最近の事件ですけれども、NHKニュースの まとめ方は、「呼吸器外しを認める法律はない」というコメントが入り、板倉先生という 有名な先生が出てこられて、「やっぱり、こういうことがあると嘱託殺人に当たる可能性 がある」というふうに言っておられた。しかし、これは本当は聞き方で、板倉先生に、 「この事件でも、最終的に裁判が起きて有罪になる確率が高いと本当に思われますか」 と言われたら、これはそう簡単にいえないはずです。まず、問いに対して逃げることも できます、自分は裁判官ではないから。しかし、「確率は高くないよ」と言うのが普通な のではないか。板倉先生と私は違うので、板倉先生は違う回答をされるかもしれないの ですが、私はそう思います。実際、千葉で起きている事柄を刑事事件で有罪とするとい うのは大変難しいはずです。 ☆スライド これはアメリカのcasebookから引用している例です。アメリカのロース クールというのは弁護士を養成するところです。そこのBioethics(生命倫理と法あるい は医療と法という科目)の教材なのです。その1頁目にこういう事例があるのです。  37歳の患者が末期がんです。余命1ヶ月ぐらいしかなくて、その末期がんの患者が、 化学療法もやめて、ペースメーカーも止めてくれと言ってきたということで、どうした らいいかをお医者さんが弁護士に相談しているのです。もしこれを板倉弁護士その他日 本の弁護士に相談すると、「これは嘱託殺人になるんじゃないか」というような話が出て くるかということですが、信じられないことに、アメリカのcasebookには一切出てこ ないのです。300床ですから相当の規模の病院であり、そこには倫理委員会があるはず だから、そこでじっくりと相談してみなさいという助言を弁護士が与えていて、その対 応がすごく立派だと書いてあるのです。アメリカで、あれだけ弁護士がいて、法律によ って裁かれている社会で、こういう対応がロースクール、弁護士を養成するところで行 われている。しかし日本になると、嘱託殺人という、すごくおどろおどろしい話になる。 それは一体どうなのだろうということを私は考えているのです。 ☆スライド 次はアメリカの医師国家試験の模擬問題です。終末期医療とは限らないの ですが、ちょっと参考になるのです。これは択一問題ですから、明らかに正解があると いう問題です。交通事故に遭った男性が運び込まれたわけですが、脳死なのです。すで に脳死状態にあるということがあらゆる基準で確立した。この男性は臓器移植カードを 所持していて、明らかな臓器移植提供の意思を示している。そこで家族と連絡をとった ところ、家族は反対だと言うのです。これは日本と違いまして、アメリカの法はどうな っているかというと、どこの州の法律でも、本人の意思だけで臓器提供ができます。家 族の意思は聞かなくてもいい。つまり、家族が反対しても、本人の意思だけで臓器提供 が決まりますというのがアメリカ法なのです。しかし、このA、B、C、Dで一体どれが 正解なのだと問われています。  私は、正解は、念のため裁判所の命令を得るのではないかと思ったりしたのですが、 次の頁のスライドで分かるように、正解はDです。家族が反対したら、やれない、ある いは、やるべきでないということをはっきり言っているのです。アメリカでは法律上脳 死が死であって、臓器提供は本人だけの意思によると、どこでも明記してあるのですが、 医師の国家試験で家族の意思を尊重しなさいと明記してあるわけですから、法律だけで 動いているのではないということです。アメリカですらそうなのに、なぜ日本で法律だ けで医療を動かそうとするのかという感じがするわけです。 ☆スライド アメリカでも、法と医療あるいは倫理の役割は別で、医療の話は医療でと いうのが原則だということです。大熊さんが言うように、終末期の場合は特に医療とい う狭い範囲ではないのかもしれないのですが。また、アメリカでは統計的な数字をはっ きり出すのが好きではない国なので分からないのですが、アメリカにリビングウィル法 の法律はあるのですが、ものの本によれば、実態としてリビングウィルをちゃんと作っ ている人は3割という数字があります。それだとて相当な数だとは言えるのですが、一 応少数です。それから、作っている場合でも、それが適用されて、そのとおりになるか というと、そう簡単にはいかないということです。しかし、逆に、リビングウィル法に 則ってなくても、文書がなくても、それが適切である場合には、呼吸器を外す場合だっ てあるわけです。患者本人の意思を尊重し、十分なプロセスを踏めばですが。ただ、患 者本人がうつ病とか、自殺願望の場合は別ですから、そこはちゃんとチェックを入れな いといけないということは当然です。それから、何であれ、問題があれば倫理委員会で じっくりと相談した上でということですけれども、それで医療の方針が定まるので、現 在において何でも法に頼る態度はとられていないのです。 ☆スライド これは、終末期と法の役割をめぐって、日本でいろいろな事件があったと いうことを示しています。その度にメディアで大きな報道がされました。 ☆スライド 最近のいちばん大きな事件は射水市民病院の事件ですけれども、結局それ も含めて、筋弛緩剤の投与を伴わない、つまり純粋の延命治療中止だけで起訴した事例、 つまり裁判になった事例については、町野先生に補足してもらったほうがいいのかもし れませんが、私の考えでは、これだけでという事例はないのです。実際に捜査はあるか もしれませんけれども、警察も結局のところ、刑事処分を求めないというような意見書 付きで検察へ送っているので、検察は動くわけもないということなのです。  これは我々の懇談会にも関係するのですが、この問題について、厚生労働省もずっと 何もしなかったわけではなくて、検討会その他をずっとやってきました。2006年に射水 市民病院事件が報道されて、そのときの厚生労働大臣が、こういう検討会だけではなく て、何かの指針を作らないといけないだろうという話になりました。それで2007年の5 月に最初のガイドライン「プロセス・ガイドライン」を作ったわけです。その眼目は、 そのお医者さんがどんなに良いお医者さんでも、一人で決めてもらっては危ない。人の 生死に関わるわけですから、そういうことはできないという指針を出しましょうという ことになったのです。 ☆スライド この「プロセス・ガイドライン」、私も関係者ですが、その内容は、私の理 解では3つ。それらは本当に常識的なことなのです。まず、医療は一人でやってもらっ ては困るということです。それをチームと呼ぼうが、何であろうが、ケアチーム等共同 でやってもらいたい。そして徹底した合意主義で、本人の意思を尊重するのですけれど も、家族は関係ないよとは絶対に言っていないわけです。全員が合意して、ここまでや れば十分、というのは言葉として適切なのかどうか分かりませんが、それぞれが納得す る。医療者も納得し、本人も納得し、家族も納得するという状態を作ることが大事であ るということです。  さらにそのときに、緩和ケア等医療の中身を充実していくことのほうが重要であると いう点も強調しました。これはみんなが賛成できることですから、それが充実していな いと意味がないのだということをそこで高らかに、とにかく打ち出したわけです。終末 期もさまざまなので、がんの末期であれ、救急の場合であれ、高齢で慢性病であれ、そ れを一律に終末期とは言えないというので「終末期」の定義もしないという態度をとっ たこともあり、ガイドラインの評判が必ずしも良くなくて、結局、法的効果のない指針 など作っても役に立たないではないかという疑問もありました。ALS患者の会の方から も、これでは逆に心配だという話もありました。 ☆スライド 2007年の6月に、「尊厳死法制化を考える議員連盟」の要綱案が公表され ました。それから、11月になると救急医学会のガイドラインが出て、厚生労働省の「プ ロセス・ガイドライン」を一歩進めて、救急の場面ではどうなのかを救急医が自ら考え るということを行いました。  2008年の2月になると、学術会議という場ですけれども、がんを中心にした亜急性型 の終末期医療のあり方についての報告書、これも一種のガイドラインですが、それが垣 添先生を中心にした分科会から出されました。射水市民病院事件は厳しい処分は求めな いという送検ですので、それ以後音沙汰がなくなっているわけです。そして、2008年の 10月にこの懇談会が開始されましたが、それとちょうど同じ時期に千葉の患者について の報道がありました。それぞれの動きについて少しだけ、ごく短くコメントします。 ☆スライド 延命医療中心の法案の要綱案は、はっきりしていて、こういう文書を作っ てちゃんとやれば適法であって、刑事訴追が行われるようなことはないということをは っきり定めるという内容です。 ☆スライド それにはそれなりの意味があると思いますが、そのまま単純に法律が通っ たら、問題がなくはないのです。一方では、文書があるというだけで、不本意な死を迎 えるリスクがある。文書があるからといって、そんなふうに簡単にお医者さんが扱うか というと、そうではないのではないかと私は期待しているのです。しかし、本人にとっ ては「ずっと前の文書があるからね」という話で終わりになるかもしれない、こういう 事態が現に起きたときの気持ちは結局分からないのに、不本意な恣意という危険がある。 逆に、この要件を作ってしまいますと、こういう要件を満たしていない限りは、どんな 嫌な治療でも、とにかく続けざるを得ないという話になって、不本意な生の危険という ことになりかねない。この法案だけではないのですが、法律というのはそういう不器用 さをどうしても持っている。広すぎて、狭すぎて、どちらにとっても問題である、そう いうことにならないかという危惧が残るのです。  そこで救急医学会です。救急医学会のガイドラインは、いちばん前の文章でこういう ことを言いました。「このガイドラインは、人の倫(みち)に適うことを行った場合に法 的に咎められることなんかあるはずがない、という考えによります」と堂々としている。 つまり、救急医療医は救急医療の倫理で、何が正しいかをここで指針として示したので す。その内容には改善の余地はあると思いますが、基本的な態度としてやはり立派な態 度だと私も思います。  日本学術会議にまいります。ここでは亜急性期、つまりがんについての終末期医療に 関して、法律上の判断基準は不明確なままである。しかし大事なのはということで最後 に、「医療の中止の条件を定めることよりも、我が国の終末期医療全般の質の向上、格差 の是正を強く求めることこそ重要であり、これこそ本来の終末期医療のあるべき姿だと 当分科会は考える」と言っているのです。それがいちばん大事なのですが、その上で、 がんの終末期についても延命治療を中止する。延命治療の中には、人工呼吸器の取り外 しを含めて考えて、そのほうが適切な場合もあり得るのだということを示しているわけ です。しかし、それは個別の患者についてじっくり考えた上での話です。  最後です。いま我が国では法律が非常に不明確なので問題だということを言う人がた くさんいるのですが、こうして見ると、実は明確なメッセージを伝えているのではない かと私は思うのです。生き方・死に方というのは個人の自由の問題で、画一的なものは 嫌だということです。つまり、こういう状態になったら死になさいと言われたら、たま ったものではない。また、こういう状態になっても生きなさいということを押しつけら れるのも嫌だ。実はこれまでの法もそういうことを支持している。だから安易な法は作 らないという態度でそういうことを表しているのではないか。これまでの検察、警察、 裁判所の態度は、私が楽観的なのかもしれませんが、法を過剰に恐れる必要はない。こ ういう問題は法律の問題ではないと言っているのです。 ☆スライド これは『ジュリスト』という専門家のための雑誌の先週出たばかりの号で すが、そこで何人かの現代の刑法の専門家が終末期医療について語っているのです。こ れは専門的な雑誌で読みにくいので、読んでいただくのはなかなか大変かもしれません が、もし興味があったら読んでいただきたいのです。そこで慶應大学の井田さんは、少 なくとも刑法上の評価に当たっては治療行為、例えば人工呼吸器を付けないという判断 と、一旦付けたものを途中で引き抜くという判断は同じだということを、はっきり言っ ています。初めから付けないという態度に出られたのでは生き残る命が救えなくなるか らです。  その他の方たちは法律家、刑法の専門家、あとは私の同僚の佐伯さんと山口さんです。 人工呼吸器を一旦付けると外せないというので付けない例があるという話もあるけれど も、それは非常に不当なことである。厚生労働省の「プロセス・ガイドライン」に従っ て判断がなされれば、そこに警察が介入することなど考えられないのではないかと、刑 法の専門家は思っていたと言っています。そして山口さんも、私も全く同感ですと言っ ているのです。もちろん学者が言ったとて、警察を拘束するものではないよと言われる かもしれません。さらにもう一人、それは東京高裁の裁判官なのですが、その方は、「こ ういう分野は、本来ですと刑事事件になるべきでない分野のように思います」と言って います。私はそれが法律家の主流だと思っているのです。  千葉の病院について私が発言するのもどうかと思うのですが、院長先生はためらって、 これで呼吸器を外してしまったら、私の同僚が、部下が警察に逮捕されるかもしれない とおっしゃったそうですが、私は、そうではないと思うのです。院長先生が決断すると 呼吸器が外されて、その方が亡くなる。それは大変なことですから、私が院長先生でも、 やりたくないような気持になります。いやいや、私も院長先生ではないから、これも勝 手な思い込みだと思いますが、人の生死の判断に関するためらいや迷いがあって当然な ので、それを不要にする。もう楽にしてあげるような法律を作るのだとすると、それは 間違っているような気がするわけです。  そこで「結び」です。繰り返し言いますが、我が国で延命治療の中止だけで刑事処分 をされた例はないのです。刑事司法を恐れて医療者が右往左往するというのは、本来の 医療からして全く間違っていることなので、それを何とかしないといけないのは確かな のです。そこで、法律ではなくて、医療倫理と個々人の問題意識のあり方、しかも、そ れは日々変化するものですが、そういうもので考えないといけない。これでは中川先生 は絶対に満足しなくて、「また同じことを言っている」とおっしゃると思うのですが、中 川先生にも満足していただけるような、今までと違う法律はないものだろうか。また ALS患者の会の橋本会長にも、これなら大丈夫かなと思ってもらえるような法律が出来 るものなら、それは出来てもいいかもしれないのです。 (スライド終了)  今日の時点では私はこのように考えているということを申し述べさせていただきたい と思います。予定より長い時間をとってしまいましたが、すみません。 ○町野座長 先ほどの林先生のご報告は、事務局が整理された論点の2つ目「終末期に おけるケア」の項に対応し、今の樋口先生のお話は、次のリビングウィル法制化の問題 に対応しています。今日はこれらの論点についてさらに進化させる良い機会ですので、 どうぞご議論をいただきたいと思います。 ○川島委員 非常に分かりやすくて、よかったと思います。まず、先ほど来から話をし ていますように、ここでは特に差し控えとか中止の議論を1つの例として挙げているの ですが、お医者さんもその現場の状態をちゃんと把握して考えているのかという問題が 1つあります。さらに、法律をやっておられる方は、現場の状況にさらに疎いという問 題が出てくるわけです。それで、いちばん最後の頁がいちばん分かりやすいので、これ について私の意見を述べさせていただきたいのです。  法律の方が悪いわけではなくて、医者が十分に実態を把握していないという実例がま さにここに出てきていると考えているわけです。例えば、今日はちょうど橋本操さんが 来ております。人工呼吸器は前には見えませんけれども、搭載型の車椅子の後ろに人工 呼吸器がございます。もし、彼女のフレックスチューブという人工呼吸器から肺に通じ るチューブを外すと、すぐにアラームが鳴ります。橋本さん、ちょっとだけ外してみて いただけますか。そうすると、数秒かかりますが、すぐにアラームが鳴ります。 (橋本氏、実演) ○川島委員 もう付けてくださって結構です。あのままだと、彼女は数十秒から3分で 亡くなるということです。つまり、人工呼吸器というのは彼女の脇にある付属物で、足 された何かの機械ではない。人工呼吸器自体が彼女の全体性に直接関わって彼女と同化 している、一体化している。人工呼吸器が彼女の爪先から頭の先まで生死を握っている。 彼女と融合したものなのです。  お医者さんは、人工呼吸器を中止しますと、医療者側からの視点でそれを外すという 言葉しか使えません。しかし、患者の側から見たら、どうか。人工呼吸器と一体になっ ている私の全体性を破壊するのかという話になるわけです。ですので、もし医者が人工 呼吸器を中止することを法律的に認めてほしいと言うのであれば、人工呼吸器を中止し ますという言葉を使ってはいけない。その患者を死なせますとか、その患者を崩壊させ ますとかと言わなければいけない。このように、言葉1つとっても、単に何かを外すよ うにしか医者が思っていないという現実があるのですが、それに法律家は乗ってはいけ ないのです。ここは法律の先生方がいろいろ議論をしていらっしゃいますが、非常に重 要なところを取り違えているのです。  それから、人工呼吸器を付けると外せない、これは論理のすり替えです。外せるよう にするということは、死ぬということを自分で行っていいのだということを是認するこ とですので、自殺が法律的にOKになるような話だとも解釈できるわけです。この問題 はもっと詰めて、熟慮して考えていただかないといけないような問題だと思いますので、 一応一言お話しておきます。 ○町野座長 私も一応法律家の端くれですので、最後のスライドのところで若干コメン トしたいと思います。付けるか付けないかという問題と、付けたものを外すかという問 題は両者同列だという議論は一部にあります。しかし、それは絶対的、一般的な考えで はないのです。井田さん、佐伯さん、山口さんの考え方は必ずしも一般的なものではな いのです。それから、それを同列に置く人の中でも、考え方は大きく違います。要する に、外すことはまかりならん。絶対的に付けなければいけない。その間に差がない。要 するに、すべて命を救うほうに向かうべきだと。本人が拒絶したら付けなくて済むとい う問題ではなくて、本人が拒絶しても付けろという考え方が1つあります。もう1つの 考え方は、本人が拒絶しようが何であろうが、付けなくてもいいし、付けたものを外す のもいい。両方とも自由だという考え方があります。井田さんの考え方は、どちらか分 からない。もしかしたら、両方外せる、付けなくてもいいという考え方かもしれません。 しかし、両方同列だという考え方を主張する人は、本人が拒絶しても必ず付けなければ いけない。とにかく、外してはいけないということです。  今の刑法の議論では大体そういうところに来ておりまして、必ずしも両者を同列に置 くということが一般的な考え方ではないのです。むしろ刑法の人は、いまご発言があり ましたような考え方のほうが強いのではないかと思います。私もそうですから。つまり、 1回付けてしまったものを外すというのは、それまで助かっていた人を殺すことになる わけです。そして、やはり付けたほうがいいだろうと私も思いますが、本人が拒絶して もです。しかし、それはこれから命を無くそうとする人を助けないということ、因果の 流れはそちらに向いているので、それにあえて介入しない。後者の場合、付けたものを 外すというのは、助かる方向に向いている因果を逆に向けるわけですから、倫理的にも、 法的にも大きな差があると考えるのが普通ではないかと思います。ですから、『ジュリス ト』の座談会の中にはかなり特殊というとまた怒られるかもしれませんが、1つの考え 方があるにすぎないと私は思います。法律の議論をいたしまして申し訳ございません。 ○川島委員 一言付け加えさせていただきます。私は生命倫理学会に入っておりまして、 一昨年出された生命倫理学会の日本の機関誌vol.17のNo.1に私の投稿論文が載ってお ります。人工呼吸器を例にとれば、それを付けないという差し控えと、付けたものを外 すという中止とは明らかに異なるという論文が受理されておりますので、後で見ていた だければありがたいと思います。  差し控えと中止が同じだというのは、オーストラリアのヘルガ・クーゼを含めた昔型 の生命倫理学者で、非常に個人主義の強い人たちが主張しております。すべて人間は死 ぬ権利があるのだということで、ヘルガ・クーゼなどはかなりのところまで、亡くなっ てもいいのだというようなことを言っております。  林先生の資料の5頁目の図は、治療一辺倒だったのを緩和医療にドーンと切り替える というギアチェンジ、これが昔型の考え方です。ヘルガ・クーゼのような考え方、つま り今まで付けていたのをドーンと外してもいいのだという考え方なのですが、こういう 昔型がまかり通るのでは困るので、そうではないというところを皆さんに議論していた だきたいと思うわけです。 ○中川委員 私が先回お話したことを樋口先生が本当に真摯に捉えて、このようにご意 見を述べていただいたことに、まず感謝いたします。こういうことを私がいちばん望ん でいたことですので、この点、樋口先生は本当に真摯な学者であると思いました。法律 の立場からご意見を述べていただいたというのは、私が今まで参加した会では初めての ような気がいたしますので、そういったことに非常に感謝いたします。  ただ、聞いていて、医者にもいろいろな医者がいるという川島先生のお話も事実です。 基本的に、終末期も含めて、すべて医療側と本人・ご家族とのコミュニケーションがと にかく大事だというのを否定する余地は全くありません。これができてこそ次の問題が 出てくる。それができてこその意思表示です。それがなくて、紙だけ渡して意思表示し てくれと言うことは、私も全然考えておりません。したがって、十分コミュニケーショ ンをとった後の、最後の再確認みたいな形で意思表示の用紙を渡す。私の病院も、ほと んど高齢者ですからご家族が書いているようなことが多いのですが、それはあくまで再 確認ということで書いていただいているのですが、そこに書いていただける方は亡くな った方の3分の1ぐらいであるというのが現実です。  私は法整備のような発言をしていますが、私は急性期もやって、慢性期もしています から、救急の現状とか、いろいろなことを聞き及ぶのです。その結果として、やはり適 切な法整備は必要だと考えております。高齢者の終末期に法整備が必要か、私もそこま ではまだ考えが至っておりません。したがって、必要な病態像によって、必要な箇所か ら緩い法整備が必要ではないかということを申し述べたいだけです。しかし我々も、川 島先生のように非常に現場重視で、在宅を一生懸命やっている方はコミュニケーション を非常に大事にされます。それ自体は分かりますが、総和として、では日本はどういう 形になっていったほうがいいのかということを考えていかないと。あまり情緒的になっ ても法整備というのはなかなか進まないように思います。  私は、樋口先生が言われた中で、このようなガイドラインで十分ではないかというの は少し楽観的な感じがいたします。逆にガイドラインが実際にできてこその法整備で、 決して法整備だけが飛びはねてあるものではないということです。繰り返しますが、医 療者と本人・ご家族とのコミュニケーションがとにかく大事である。その後にリビング ウィル的な用紙も付いてくるものである。そして、最後に法律というのが少し必要かな と考えているわけで、どうぞ、その辺は誤解無きようにお願いしたいと思います。 ○町野座長 中川先生に質問させていただきたいのです。法律が必要になることがある というのは、どういう意味でしょうか。いろいろ言われているのは、現場にいる医療関 係者について、ある程度の法的な安定性を保障しなければいけないと。つまり、いつ処 罰されるか、いつ警察が入ってくるか、それをはっきりさせてもらわなくては困るとい うことが1つある。もう1つの意味は、要するに患者さんのほうが不当に過剰な医療あ るいは延命を施されている。それを許容する患者の権利があるはずだから、それを保障 するために必要であると。 ○中川委員 その2点です。特に最近は、国民の意識調査でも、例えば治る見込みがな くなった場合には過剰な延命治療は嫌ですと言う方が多いわけです。したがって、もち ろん医療側の信頼も大切ですけれども、それをある程度全体として保障する方向で動い ていかないと。結果的に、国民の考えと、この会で考える案が変わってきているのでは ないかということをいちばん恐れるわけです。したがって、そういう世論も尊重しなが らやっていくことも大切だろうと。  それから、患者さんの側で「これ以上これをしないでくれ」という主張をされて、そ れは用紙に書いてもらったりしますけれども、しかし、それを保障するものは何もあり ません。例えば違う人が出てきて、「何だ、先生、とんでもないことをしてるな」という ふうになった場合、それを保障する医療側の保障もないわけです。だから両方の意味で、 成熟した日本の社会ではゆるい法整備も必要ではないかと考えているわけです。  ですから、樋口先生は少し楽観的だと私は思うわけです。医療者と患者さん・ご家族 とコミュニケーションをとることが前提だけれども、それだけですべてが通るとは思っ ていません。  それから「説明」と人工呼吸器を外すということは明らかに違うと考えないと。現場 では、医療行為、手術、検査は全部「説明」と「同意」(インフォームドコンセント)で やっているわけです。「説明と同意」で、人工呼吸器を付けるか付けないかということも 十分説明しなければなりませんが、これも「説明と同意」の範疇だと思っているのです。 しかし、一回付けたものを外すということになると、これは全く別の問題が起こってく るのではないかと考えていますので、むしろ町野先生のような考えなのです。 ○町野座長 結論は似ていますけれども、同じと言われると、そうかなと思います。 ○田村委員 ちょっとお伺いしたいのです。先生がおっしゃっている、患者さんやご家 族と十分にコミュニケーションをしながら、そこで合意形成をしていくことが基本であ るということ、それを尽くした上で、さらに書面があって、それを保障する意味での法 をとおっしゃいました。当院のことを思った場合、文書を持ってくる方とか、このよう にしてほしいということで後見人の方とお見えになったりということが最初の出会いの ときに無くはないのですが、プロセスの中で本当にこれをどうするのだという一つひと つの選択の局面をとことん話し合えば、そういうものを見せて話し合うということの必 要がない。常に合意形成の過程をきちんと踏んでいくということに安心感があれば。そ れを何か紙面で確認をとったり法で保障するということは?合意プロセスをふみ終わっ た後、亡くなられた後ですが、「そうではなかった」という思いを残さないということが いつも実践の中では思うところなのです。それをさらに紙面で確認をしたり法で保障を するというところで求められているものは何なのか。 ○中川委員 おっしゃることも分かります。当院も慢性期の患者さんが入院しています。 うちの職員でも、医師でも、そういう考えの方の職員は結構います。それはそれでいい し、私も否定はしません。ただ、総和として、患者さんの側もそういう人たちだけでは ないし、医療側も、それだけで全体を進めていけるかというと、そうでない場合もあり ます。私は、説明と同意というのはものすごく大事だと思うのです。説明と同意がうま くいくと、意思表示の用紙が本当に必要かと言う職員もいます。私はこうして病院を代 表して発言していますが、職員全員がそう思っているわけではありません。アンケート を取ったりして確認しています。しかし、あなたのところなどは本当に説明と同意がう まくいって、申し分なくやられているけれども、100人すべてがそういくかどうかは分 からないと私は思うのです。それが世論の中で合意されれば素晴らしいことだと私は思 いますが、どうなのでしょうか。 ○川島委員 本人もそれをきちんと納得しているし、医療従事者側も納得している、そ ういう証、それが合意形成なわけです。そして、合意形成されているということが前提 で物事が進むのであれば、何も書面は必要ない。それをただ書き記すだけでいいだけで す。最も直近のものがいつでもつくり出される。人間の意思というのは毎日違いますか ら、その度ごとに合意形成をしていくように努めるのが医療従事者の最も大事なところ なわけです。  では、合意形成がなされないから後で法律的に守ってもらうというのは、自分の足り なさをほかに押しつけるということになりかねない。合意形成がなされていないままに 医療が始まるということであれば、それはもともとその患者・家族が望んでいるかどう か分からないけれども医療を勝手にやっているということになるわけです。それがもし 本当に必要な医療であるのならば、さらにきちんと説明をすれば合意が形成されるはず です。形成されないのは、プロの医療者側にほとんど問題があると考えたほうがいい。 なぜならば、患者・家族はアマチュアだからです。プロの側に問題があるのか、アマチ ュアの側に問題があるのか。よくアマチュアの患者・家族に対して「モンスター・ペイ シェント」という言葉があります。ごく希にはそういう方がいるかもしれません。しか し、ほとんどはプロの説明によって変えられてしまうのです。であれば、プロがきちん とした説明をすべきであって、主客顛倒、本末顛倒では困る、私はそのように思います。 ○伊藤委員 今日は大変いいお話を伺わせてもらって、何を言っていいか分からない状 況もあるのですが、少しだけ質問をしたいと思うのです。樋口先生に伺いたいのです。  人工呼吸器を付けるというのと、途中で外すということがよくあると思うのです。こ れはALSに限っての話にほぼ近いかと思うのですが、患者や家族が人工呼吸器を付けて くれということを病院に懇願しているにもかかわらず、うちの病院では付けませんと言 って付けてくれないというのは「中止」になるのか。法律的にはどういう判断になるの かというのが分からなかったのでお聞きしたいと思います。  それから、これは中川先生や川島先生がおっしゃっているようなことですが、医師と して、プロとしてどう説明するかということなのです。先生方がおっしゃるように、明 らかに患者の側は素人なわけです。ですから、もし熱心な先生に渾々と説得されたら、 やはりそちらに従ってしまうのです。そうすると、そこで患者側の主体性とか家族の主 体性というのは何なのだろうと。確かに、医療ではアマチュアだけれども、人生の経験 においては必ずしもアマチュアではない。全く対等だと思うのです。そういうときに、 熱心なあまり説明されたらどうかなと。  実は、最近そういう例があったのです。一生懸命呼び出しがあって、どうしますか、 どういう治療を最終的に選択しますかと言われた。あまり詳しく説明を受けたような記 憶はないという話なのですが、しかし、最終的には延命治療は望まないということでサ インをして書類を出したら、それっきり病院からは呼び出しが来ないと。だったら何が 欲しくて一生懸命声をかけてくれたのだろうという。そういうことも現実に起きるわけ です。だから、素晴らしい先生方がいらっしゃる病院にかかることができる患者さんも いますが、大勢の国民はそうでない病院にいるということの中でこの議論もされていか ないと。理想の部分だけでは、患者側としては納得し難い部分はあるというようなこと を感じていました。 ○橋本参考人 日本ALS協会の橋本です。いま伊藤さんのお話を聞いて、全く同じ意見 なのです。難治性疾患で治らないということで最初に告知を受けて、病気の説明を受け たときに、どうしてもネガティブな話が多いということで、患者会のほうには大変たく さんの相談というか、困った事例が押し寄せています。それは治療を停止するとか、治 療をしないとか、そういうことの前にある話で、きちんとした告知を受けたい。それか ら、そのような病気になったとしても最後まで自分らしく、人間らしく生きられる。ま ず、いまの自分の命の尊厳をきちんと肯定してほしいと思って患者は行くのです。たと え治らなかったとしても、これからどんなにひどい状態に進行していくとしても励まし てほしい、そう思っていくのですが、そうではない事例が大変多いです。  そして、そういうときに用いられるのが、まず文書なのです。最初に治らない病気だ と言われて、「呼吸器をどうしますか」とすぐ聞かれて、すぐに文書を書くように進めら れる、そういう事例が大変多いです。私たちはリビングウィルとか、文書を書くという ことに非常に疑問を持っています。まずそこから改善していただかないと、このような 議論は。私たちは今日先生方のお話を聞いて、本当に胸が熱くなる思いで、ありがたい と思いますが、まずそこにいちばんの問題があるということを知っていただきたいと思 っています。 ○櫻井委員 私の場合は特別養護老人ホームですから、平均年齢が85歳という状況の 中で、90歳、100歳の人を受け入れてケアをしています。いままでのお話を聞いて、も のすごく胸が苦しくなりました。それは、人工呼吸をするとか、しないとかという世界 ではないわけです。人生の終焉をどう迎えるように支援するかというところが中心なの です。死とは何かということを考えたときに高齢者、特に後期高齢者、という表現がい いかどうかは別として、90を過ぎた方が私の施設の場合4分の1ぐらいいらっしゃるの です。そういう人に何かが起こったから救急で、そして人工呼吸をするとか、しないと かという世界でもないし、また、それを受け入れてくれる医療機関もない中でケアをし ているという状況なので、お話を聞いていて、一体私たち高齢者のケアをしている者は、 そこのところをどういうふうにすみ分けて考えていったらいいのだろうかと、今日は何 か胸が苦しい思いで聞かせていただきました。 ○中山委員 私はNPO法人の医療従事者の立場でここに参加させてもらい、いろいろ なお話を聞きましたが、いま発言されたようなことをたくさん見ております。ずっと議 論が続いているわけですが、国民不在になってしまっているかなということを、とても 強く感じております。国民が癌とかいろいろな病気になったときに、自分がこんな病気 になるとは思ってもいなかったと言います。いろいろな報道だとか、いろいろな勉強の 機会があっても、健康なときにはあまり注目はしていらっしゃらないという現実もある わけです。ですので、病気になったとき、治らないという状況になったときに自分の生 き方をご本人が考えられるような仕組みを国として作っていく。樋口先生がおっしゃっ た、個人の問題意識のあり方、それは変化するものなのだということ、そこは私も非常 によく感じられます。なので、そこで良いケアを受けながら自分のこれからの生き方を 一つひとつ選択をしていく。そこでミゼラブルな状況、例えば経口摂取も自分でできな いときに、水分も補給されないような状況で考えさせられると、とてもひどいものなの で、医療だけではなく、ケアも提供しながら、患者さんが選択できるような仕組みを国 民に向けても国は言っていかないといけないのではないか。私たちだけが議論する話で は絶対にない、そのことを強く思いました。 ○町野座長 樋口先生、何かございますか。 ○樋口委員 うまく言えないと思いますけれども、私に名指しで質問もあったので、無 視するわけにもいきません。  人工呼吸器の取り外しと、そもそも付けないというのが違うのかどうなのかという話 は、法律論的には町野さんがおっしゃったように、従来、作為と不作為という難しい言 葉を使って、やはり違うというのが普通の考えです(ただし、私は、この場面では賛成し ません)。作為のほうに対して法は厳しくて、不作為、つまり付けないというほうは、そ れで警察が介入してくるかというと、実際に介入してこないと皆さんが思っているわけ です。でも、法律を離れれば結局、外しても死ぬし、付けなくても死ぬということは常 識的に考えて同じです。それが違うわけがないのです。だから、いまのような区分でや っているとどうなるかというと、「やっぱり付けられないですよ」という話になって、も しかしたら奇跡的に助かる人も、付けられないままで終わってしまう。それはばかげた ことだから別の方策を考えたらいいのではないだろうかということです。だから、法律 的な理論では区別があるという話はあってもいいかもしれないのですが、法律で律しよ うという話は二の次三の次。それは中川さんも同じで、最後のところで法律も少し援助 してくれよという話なので、それより前の話が大事だということを皆さん今日はおっし ゃっていて、そういう点では一致しているわけです。いちばん大事なのは、それより何 より、末期であれ何であれ、家族を含めて、そういう人たちに何らかの形で、聖路加み たいな立派な病院でなくてもいいし、全国均一などというようなことはないかもしれな いのだけれど、最低限こういうことは配慮があっていいよねというレベルをどうやって 上げていくかということのほうが大事です。その中で緩和ケアも大事だし、これは中川 さんがおっしゃったように、十分なコミュニケーション、説明をしてあげる。説明をし てあげるということを一生懸命やってくれるお医者さんがいるだけで、そうやって自分 のことを考えてくれるということで、家族も本人もありがたいのです。それはもう医療 だけではないのかもしれないのですが、そういう体制をどうやって作っていくかという ことのほうが大事で、その上で、人はさまざまだというところへ立脚するほかないと私 は思っているわけです。そういう意味では、こうなったら死になさいと言うのは押しつ けですが、こういう状態でも生きなさいと言うのも、何が正しいかが自信のある川島先 生のような人でないと言えない。普通の人にそんな自信はないのです。それが倫理的な のです。倫理は押しつけはできないのです。そうだとしたら、何とかプロセスを重視し て、みんなでない知恵を絞り合ってやっていくような、そういう体制を作るぐらいのこ としかできない。それとても実際には大変なことですが、それがいいのです。そして、 そこに法律がどう関与していくのかというと、2歩も3歩も下がるべきだと私は言いま す。みんなそう思ってくださるのではないだろうか。  先ほど町野先生は私に反対するようなことをおっしゃいましたけれども、本当はそう ではないのです。それを誤解してもらっては困る。例えば町野先生も、がんの治療の学 術会議の報告書の一員なのです。あそこに例えば延命治療の中止も含んで、ある種の場 合は良いと言っているわけです。つまり、これを刑事法の問題にしてどんどんやれとい うふうに町野さんが思っているかというと、思っていないのです。ですから、そんな誤 解を与えるような発言を本当はしないでもらいたい、私はそういう気持なのです。情緒 に流されると言って中川さんに怒られそうなので、そのぐらいにしておいて川島先生に 回します。 ○川島委員 樋口先生に名指しされた川島です。物事を見ていくときに、実態として確 かにあるものだと同定できるものと、私たちが頭の中で考えて構成している構成概念と は大きく違うところがあるわけです。実態においては違わないのかもしれないけれども、 その人間がどのように思っているのかという構成概念においては、まるっきり違うとい うことがございます。  昔の国立療養所新潟病院、いまの独立行政法人国立病院機構の副院長をしていらっし ゃる中島先生がそのような概念変更について非常によく分かっています。実体論として こうだということと、実は本人は頭の中でまるっきり違うことを考えているということ がある。でも、それは法律的にも重要です。動機がどうなのかというと、動機とは人の 心です。だから、心の動きについてもよく考えていただかないといけない。差し控えと 中止は、実態は同じように見えても、心の動き、構成概念としては全く異なることがい くらでもあるのだということだけは付け加えさせていただきます。 ○永池委員 樋口先生の資料の4頁を見ておりまして、医療を提供する者の1人として 現実を深く考えました。終末期医療の現場が悩んでいる実態がとても良く表れていると 思います。中でも最後のほうの、「家族によると、男性は家族や友人、医療スタッフなど との意思疎通があってこそ人間らしく生きられると考えている。それができなくなった ら呼吸器を外してほしいと願っている」と。これが本人の本当の意思であれば外せるの か、医療現場はとても悩んでいる。だからと言って私は、リビングウィルを法制化せよ という立場にあるわけではないのですが、本当に難しい状況にあります。また「人間ら しく生きられる」というところで、医療従事者の説明も大事なのですが、その前の林先 生のお話の中にある、全人的な痛みを理解し、どうケアするのか、十分に応えてあげな ければいけないということも忘れてはならない点です。例えば、「もう右のほうしか動か ない。」ということは、この人にとって、日常生活の動作はほとんど100%できないとい う身体的な苦痛があります。それから、呼吸器につながれていて自分が動けない孤独感、 不安、この精神的苦痛も、もちろん社会的なことやスピリチュアルペインに関してもで す。すべての痛みを背負っている状況の中において、いまは右のほうが動いているのだ けれども、それさえなくなったときに自分はどうなるのだろうという意思表示をしてい るときに、医療者はどう応えていけばいいのか。ここに医療の現場の人たちが悩み、そ の結果何かの判断基準が欲しいという声につながっていると、この資料を見ながら思い ました。  最後の「結びに代えて」では、呼吸器を外しただけで刑事処分をされた例はないとお 書きになっているのですが、これが本当なのかどうか、私は池上先生に伺いたいのです。 以前先生から、終末期医療のガイドラインのプロセスに沿って外したケースが刑事訴追 されたケースがあったと伺ったかと思うのですが、私の勘違いかもしれません。この点、 もしよろしかったら池上先生、少し補足していただけますか。 ○町野座長 私は気付かなかったのですが、池上委員が先ほどから手を挙げていらっし ゃいますので、コメントをいまの件も含めて、お願いいたします。 ○池上委員 それは法律の専門家にお答えいただいたほうがいいと思いますが、私が知 っている限りでは、ないと思います。  私は樋口先生にお聞きしたかったことがあるのです。樋口先生の資料にアメリカの事 例が出ていましたが、アメリカの中の法律で重要なところが説明されていなかった。そ れはリビングウィルという要素と同時に、自分が意思表示できなくなった時点では代弁 者(advocate)が意思を執行するという立場をとることが対になっているということです。 そうでないと、リビングウィルを書いたとしても、いつ変わったかということは分から ないわけです。最後まで延命を拒否する、あるいは継続を希望するということを最後の 息でそれを述べない限り、いつ変わってもおかしくない。  そういう事態ではまずいので代弁者を置くわけですが、代弁者を置く意義はどこにあ るかというと、これまでは医療者側と患者・家族という対比で考えられてきたのですが、 それ以前に、本人と家族との会話というのはあまりないのではないかと。今回のここの 調査でも、半分の方は全く会話をしていないという状況が出てきたのです。アメリカに おいてadvanced directiveを導入した最大の意義はまずそこです。家族と本人との会話 がなされて、それを踏まえないと代弁者として規定することもできないと。その要素に ついて、先生のお考えをお聞きしたいのです。 ○樋口委員 私は意図的にそれを削除したわけでも何でもないのです。日本ではリビン グウィルのほうがあまりにも有名なのです。リビングウィルは、それこそ自分でここへ チェックしてという話になっているのですが、本当は先のことは分からない。自分がど ういう状態になるかは結局分からないのでという根本的な事情があります。文書という のは、どうしても固定的になりますから。  それで、もう1つの工夫をアメリカではしているのです。proxy(委任状),とか durable power of attorney(持続的代理権)、英語は何でもいいのですが、いま言われたように、 自分が最も信頼できる人に委ねるということです。自分がどういう状態になっても、お 医者さんがこの人と相談してやってくれれば、この人は私のことを悪いようにはしない はずです。例えば、この人が人工呼吸器を外していいと言う状態、医療の状態はもちろ んありますが、そういうのに適合的であれば、それで私の人生。私が選んだ人がそうい うふうに判断してくれるのでしたらという方法もあって、そのほうが柔軟なのです。だ から両方あったほうが制度としていいのですが、それも含めて、ではそういう状況でア メリカでも多数の人が全部やっているかというとそれはそうではないということです。 だから、そういう手段をとっても、それには法律的な効果がありますよということがア メリカの州法では定めてあるのですけれども、その法律に則ってみんながやっているか というと、そうではない。proxyという代弁者を選んでなくても、医療の範囲内でここ までという話もあるし、もっとという話も個別になされているということだと理解して います。 ○池上委員 代弁者がという規定の仕方があるということが重要でしょう。アメリカで はオプションが用意されているけれども、日本では用意されていないというところが重 要だと私は思うのです。 ○橋本参考人 意思疎通ができなくなったら呼吸器を外してほしいということに関して なのです。いま橋本は話しているのですが、この中の何人の方が橋本の口を読み取れる でしょうか。誰もいないと思いますし、私も読めないのです。本人は発しているのです が、受け取る側の都合なのです。意思疎通ができないということは、患者が自分で発信 していても、受け取る側の技術によるのです。  千葉の患者さんの場合、ご家族が大変一生懸命に介護されていて、左の頬が本当に少 ししか動かないのもきちんと読み取っていらっしゃるので大変安心して暮らしていらっ しゃる。その中での不安なのですが、もっと介護力のない家族、あるいは病院の中で、 誰もお見舞いに来ないような患者さんは、もっと初期から意思疎通ができません。透明 文字板で大抵読み取るのですが、文字板をかざしてくれなければ何も言えない状況なの です。そうなると、自分の意思疎通ができなくなったら何かをしてほしいというのは、 患者の自己決定のように思っていますが、実は他者の決定になってしまいます。そうす ると私たちは、この場合は積極的な安楽死に価するだろうと思って、それで危ないと考 えております。 ○町野座長 まだいろいろあると思いますけれども、時間が来ました。今日の最後のと ころで、かなり法律的な議論になって、ある範囲で違和感を持たれた方もかなりいるだ ろうと思いますが、私が見るところでは、基本は、患者さんに対してどうしたらベスト な医療が尽くせるかという問題だろうと思うのです。ただ、そのときにお医者さんの立 場も守らなければいけない。なぜかというと、お医者さんが非常に危ない立場に置かれ ると、患者さんに対して医療を行うについて少し足かせになってくることもあるし、逆 のこともあるだろう。皆さん、そういうことでは共通の認識があるだろうと思います。 ですから問題は、そのようなところで法律を作る必要があるのか、あるいは作ることま で必要なのかということで、まだそこまで必要ではないのではないかというのが多くの 人のお考えなのです。中川先生自身も、まず最初にガイドラインとか、いろいろなこと をやってみて、それからの話だということで、ほぼ一致はしていると思います。  もう1つの論点は、リビングウィルという1つのやり方にこだわるべきかというのは、 さらに議論されなければいけないだろうということです。先ほどのDual Power of AttorneyとかProxy Consentだとか、いろいろな議論のところも、確かに池上先生が 言われるようなことがあります。要するに、インフォームドコンセントだけで考えてき たのが基本的にリビングウィルの考え方なのです。インフォームドコンセントというの はポイントとして考えるわけですが、おそらくプロセスを重視するいまの考え方からす ると、これは必ずしもすべてを把握しているものではない。1つのプロセスの把握の中 でリビングウィルというやり方が果たして適切なやり方なのかというのは議論しなけれ ばいけない。皆さんそこだけは大体一致している、意見はそこら辺に集約されていると 思います。したがいまして、今日は先ほどまとめていただいた論点の2つぐらいについ てかなり集中的な議論ができたと私は思います。結論を出すという問題ではないのです が、ここから先をどのようにしたらいいかということは、さらに検討しなければいけな いと思いますが、今日は一応ここまでで議論を終わらせていただきます。事務局のほう からは何かございますか。 ○大竹課長補佐 まず、本日は事務局の不手際で時間が遅れたことをお詫び申し上げま す。申し訳ありませんでした。次回懇談会の詳しい日程等につきましては、後日事務局 よりご連絡させていただきたいと考えておりますので、よろしくお願いいたします。 ○町野座長 今日の懇談会はこれで終了いたします。お忙しいところ、長時間非常に熱 心にご議論いただきまして、どうもありがとうございました。 (照会先)  厚生労働省医政局政策医療課  大竹、秋野、澤谷 (代)03−5253−1111(内線2529、2521)