08/05/26 看護基礎教育のあり方に関する懇談会第6回議事録         第6回 看護基礎教育のあり方に関する懇談会 日時 平成20年5月26日(月)13:00〜 場所 厚生労働省共用第7会議室(5階) 委員 井部俊子、尾形裕也、梶本章、田中滋、寺田盛紀、矢崎義雄(敬称略 五十音順) ○島田補佐 定刻となりましたので、第6回看護基礎教育のあり方に関する懇談会を開 催いたします。委員の皆様方、そして本日お話しくださいます皆様方におかれましては、 ご多忙中にもかかわらず、当懇談会にご出席いただきまして、誠にありがとうございま す。 委員の出席状況ですが、本日は全委員からご出席のご連絡をいただいています。事務局 のほうですが、文部科学省医学教育課三浦課長は1時間ほど遅れての参加となります。 ご了承ください。それでは座長、よろしくお願いいたします。 ○田中座長 皆さん、こんにちは。本日はヒアリングシリーズの最後になります。看護 教育の観点からお二人、患者の観点からお一人、計3名の有識者の方にお越しいただい ています。それぞれご専門の観点から、将来求められる看護師像、看護師に求められる 資質、そのための教育について、ご自由にご提言などを伺いたいと存じます。お三方の 有識者の方々について、事務局からご紹介をお願いします。 ○小野対策官 本日ご出席の3名の有識者のご紹介をさせていただきます。まず、社団 法人日本看護協会会長の久常節子さんです。日本看護協会は、1946年に設立された保健 師・助産師・看護師・准看護師の資格を持つ個人が加入、運営する日本最大の、看護職 能団体です。現在、全国に約58万人の会員を有しています。質の高い看護サービス提 供のために看護職の資質の向上と、社会的な地位の向上を目指し、その実現のために、 働きやすい職場づくりへの取組みや、研修会などの生涯学習の支援、看護・医療政策の 提案などの活動をされています。久常先生におかれましては、平成17年より日本看護 協会の会長を務められておられます。  次に、福島県立医科大学看護学部学部長の中山洋子さんです。中山先生は、精神科看 護師としての臨床経験、病棟管理を経て、聖路加看護大学教授を歴任され、1998年より 現職を務められておられます。精神看護学領域のみならず、「看護実践におけるClinical Judgmentの研究」など、看護教育においても研究・実践を通して精力的にご活躍です。 また、文部科学省「大学・短期大学における看護学教育の充実に関する調査協力者会議」 メンバーなどを歴任なさっておられます。  次に、NPO法人ささえあい医療人権センターCOML理事長の辻本好子さんです。 COMLは1990年に医療と法の消費者組織として活動を開始した、市民中心のグループ です。患者と医療者が、対話と交流の中から、互いに気づき合い、歩み寄ることのでき る関係づくりのために精力的に活動されておられます。辻本先生におかれましては、 2002年よりCOML理事長としてご活躍で、全国各地の医学部・薬学部等での非常勤講 師、また直近では、厚生労働省「安心と希望の医療確保ビジョン」アドバイザリーボー ドなどを歴任なさっておられます。以上でございます。 ○田中座長 久常先生から、1人15分を目処にご発表をお願いいたします。 ○久常先生(日本看護協会会長) ご紹介いただきました久常でございます、よろしく お願いいたします。1週間前にジュネーブのほうで全世界の看護師協会の大会がありま した。そこで、看護基礎教育が課題になりまして、1人の方が委員になりましたが、1 人は全世界の看護基礎教育がどうなっているか、もう1人はアジア全体の中でどうなっ ていっているのかのご紹介がありました。アジアのことをご紹介なさった方は、香港看 護師協会の会長でしたが、彼らは、アジア全体がどうなっているのか、大学教育はどう なっていっているのかをご紹介した後、ご自分のところは、昨年教育の責任が厚生省か ら文部省に変わったということと、今年の10月には重大な発表があると言っていまし たが、おそらく教育を全部大学教育にしてということだと思います。さらに、大学教育 を5年教育にする方向で動いているとのご紹介がありました。  ちなみに大学で5年教育をしているのはすでにいくつかありまして、アジアでも、イ ンドネシアはそうなっています。そのように、アジアの中全体での動き、世界全体での 動きを聞きまして、わかっていることですが、改めてそういう話を聞かされると嫌な気 分がしてきますが、そのようなことを踏まえて今日があるわけですが、よろしくお願い します。  私は看護の問題が浮上してくるのは、看護師が足りないことを前提に動いてきますの で、まず、今日の視点は看護師確保の視点から、今後求められる看護の資質と教育をお 話させていただきたいと思います。  まず、第2回に厚労省のほうで出された資料で、看護師学校、養成所定員充足率とい うのがあります。これを見たらわかるように、入学者の動向、卒業まで、就職していく 様子、この3つの視点、そして就職後1年以内の離職率の問題となっています。最初に この資料を見てください。順番に看護師確保の視点から話をさせていただきます。  まず、養成所の定員の充足率ですが、4万8,800人のところです。唯一100%を上回 って、養成所の入所定員を上回っているのは看護大学だけであって、短期大学は平成18 年からどんと落ちてきて、100%を切っています。養成所は平成6年からどんどん入学 者が減少して、平成9年からは定員を割っています。10年間ずっと割り続けています。 まず、入学者がこのように変わってきています。入学者が増えない限りは、学校がいく らあっても定員割れですので、確保という視点から見たら、入学者が非常に減少してい ます。特に減少しているのが養成所です。  その背景となるのは、次の頁の左の上を見ていただいたらわかりますが、高等学校卒 業後の進学先の全学生のところですが、大学等と専門学校に進学する人を100とすると、 75.3が大学です。24.7が専門学校、看護で言えば養成所です。そうすると、当然養成所 に来る人たちが定員割れしてくるのは当たり前のことです。母数が少ないわけです。そ ういう意味で、まず背景になるのは、高卒者の進学先ということです。進学者数の推移 を見ていただいたらわかりますが、大学が上り坂で、養成所は急激に下がってきていま す。その中で入学者の基礎学力については、先生方がそれぞれ答えているのは、低下し てきていると答えているのが、養成所で40数%という中で、入学者自身も養成所は定 員割れをしているし、志願者も減少している、学力も低下してきていることがわかりま す。 ☆スライド 卒業するまでにどうなるかですが、まず、養成所は卒業する時点では1割 以上が定員割れ、つまり中途退学がこれだけ増えてきています。先ほどの調査でも基礎 学力の低下が言われていましたが、さらにここで申し上げたいのは、医師会の方のヒア リングのときに、大学を出ても看護の現場に就職しないというお話があったと伺いまし たので、本当にどうかと調べましたら、卒業生の看護職就業率を見ますと、養成所も大 学も変わりがありません。養成所を出たら現場の看護の場に行って、大学へ行ったら行 かないのではないかという話があるかもしれませんが、そのようなことはありません。 これは15〜16年前に調べたときもそうでした。まずは入学者が養成所の場合は定員割 れを起こしていて、卒業するまでに約1割強が辞めていっています。 ☆スライド 就業する場合です。新人が早期離職するという問題があります。私どもの 調査で、入学定員があって、卒業して、国家試験に1割が落ちます。そして病院に就職 するのですが、国家試験合格者の92%が病院に就職します。1割弱がよその職場にいき ます。そこで見ていただきたいのは、診療所に就職というのは471人です。新卒者は98% 強が病院に就職して、診療所に就職するのは1〜2%です。これは日本の就職のあり方だ けではなくて、例えばアメリカなども、まず新卒者が就職するところは病院、そして研 修制度のあるところが中心だと思います。そういう意味では、診療所は再就業者が多く 行っている、あるいは別の准看護師だということだと思います。看護師で国家試験を合 格した人たちが就職する場は病院であって、それは98%を超えるということです。  その人たちが病院に就職すると、数週間、数カ月で辞め始めます。そして、1年足ら ずの間に9.2%の方たちが辞めます。1年を超えて残るのが34800人です。  これを見てみると、まずは入学者が卒業するまでの間に、いま養成所の定員は40人 と決められています。その40で割りますと、約75校分が消えていきます。次に下の 9.2%ですが、これは就職して1年以内の離職率です。学校にして88校分です。だから、 入学して卒業するまでに75校、1年以内に辞めていく人たちが88校で、両方合わせる と160校の学生たち全部が消えていく形になっています。  ということは何を言いたいかというと、いまの養成所の形式でいくら養成所を増やし ても、それは辞める率を増やすだけであって、看護師確保にはつながっていかないとい うことです。160校と簡単に言いますが、看護大学の数にすると、約80校分の看護大 学の学生が全部消えていくということですし、医学部も同じように80校の医学部の学 生が途中で1年以内に辞めていくとなったら大問題になるわけです。そういう意味では、 私はこれは大変な問題だと思っています。つまり、いまの教育形態が、現場に必要とす る看護の質に合っていないという事実をきちんと見ていただかないと、看護師の確保と いう視点から見て、すでに大きな問題であるということです。  さらに、これは少子化が進むわけでさらに母数が少なくなります。どういう教育にし ていくか、看護職の定着と、長く勤めていただけるかを考えたいと思います。これは新 人看護師の早期離職と教育背景ということで、この教育背景を中心とした調査は日本看 護協会は行っておりません。新人が9.2%あるいは9.3%辞めることは調査で明らかです が、どこを卒業しているのかという調査はありませんので、よその調査を利用させてい ただきます。  養成所の卒業生は、この調査は12月末の調査ですので、入職後9カ月時点で、6.19%、 短大が1.48%、看護系大学卒が0.56%ですので、大学の卒業生と、養成所の卒業生の辞 めていく率を比較しますと、約10倍です。これは大学病院だからだろうとおっしゃる かもしれませんが、大学病院全体が9.数%ですから、一般の病院はもっと多くなるとい うことです。まずは看護師確保の入学志願者の話から入学、そして国家資格を取って、 就職をして、辞めていく、早期離職の問題がこういうことになっているということです。  20年後の看護師養成と確保のあり方と書いてありますが、私は20年後なんてとんで もないと思っていて、現在の看護師の養成と確保のあり方というのは、早急に入学者の 確保のためには、大学指向が強くなっているわけですから、これにしていかないと養成 所をいくらつくっても定員割れします。そして来る学生は非常に学力が低い。そういう ことで、まず国家試験を通ったとしても、早期に離職しています。  退学の防止に関しても養成所の問題です。早期離職の防止は少し教育も関係している と思います。 ☆スライド 次に教育の問題です。これは何回か皆さんお使いになった資料だと思いま すので、別の観点から話をさせていただきたいと思いますが、実習の時間が減ってきて いるとか、そういう話ではなくて、赤いのが実習、下の3つが講義で、基礎、専門分野 です。  申し上げたいのは養成所教育でずっとやってきて、昔は養成所教育を5,000時間やろ うが、3,000時間を超えようが問題はなかったわけですが、現在は3年間での養成所教 育は3,000時間以内に収めていく。3,000時間を超えると4年教育になります。3,000 時間を前提に考えますと、専門科目の増加は時代の変化によって、必要性が出てきて増 やしてきたわけです。例えば5科目になったのは老人看護学で、それまでは老人という ものはあまり存在しないと考えられていたわけです。最後に7科目になったのは、介護 保険ができることを前提にして、いままでの病院中心の看護から在宅看護を考えて、在 宅看護論が初めて生まれ、そして精神看護学が独立しました。そのように時代に応じて 看護の必要とする内容、専門性は増えてきます。  しかし、専門科目は増えてきたにもかかわらず、トータルとしての教育時間は平成元 年ぐらいから3,000時間以内に収めないといけません。昔は5,000時間でもよかったの ですが、いま5,000時間をやろうと思えば、看護教育は5年教育にしなければなりませ ん。  3,000時間で収めていくにはどうするかを考えていきますと、専門の講義は増やして いかなければいけなくなっているので、実習時間を抑えるしかない。実習時間の中で辻 褄合わせをしてきたのが現実です。そういうことで、1科目当たりの実習時間は非常に 短くなっています。私は7分の1と言いますが、昔の実習時間の7分の1になっていま す。しかし、実習の対象者は重症者が増えて、在院日数が短くなっています。そして看 護の学生は技術がしっかり身に付いていませんので、患者のそばまで行って見ることは できますが、直接患者に触れて、いわゆる技術の実習をすることがほとんどできなくな りました。  それは学生側に力が付いていないこともありますが、対象側が重症化したことと、患 者自身が断る。昔は考えられなかったことですが、いつでもやらせていただきましたが、 患者が変わってきましたので、患者から断わられる。そういうことで、ほとんど見るだ けの実習になってきました。 ☆スライド この結果がどのようになったかはこれには出ていませんが、全体として看 護の基礎として身に付けないといけない技術は130ぐらいありますが、自信を持ってで きる技術というのは、学生が言っているのは4つか5つです。それは、血圧を計る、ベ ッドをつくる、体温を測る、そのようなことで、たった4つか5つしか、学生自身が自 信を持って行うことができるというものはないわけです。それに対して看護教育に対す る意見は、現在より期間を延長したほうがいい、あるいは延長が必要だと考える理由と いうことで、あのようなことが出ています。 ☆スライド 先ほどは看護師の確保という視点で申しましたが、もっと大きな問題は患 者にとっての危険性、医療事故です。話は飛びますが、カナダの看護は、いま全体の中 の8割強の州が大学教育になっています。それでも、まだ全部を大学教育にするべきだ ということで運動されています。なぜ大学教育にすべきか、というのは2つあります。 1つが医療の効果性、もう1つは医療事故、患者の安全性という視点。この2つから、 大学教育にすべきだと言われています。  看護職が最低看護していく上でしないといけないのは、看護によって患者が早期に回 復していくという看護の力が発揮できるということと、医療事故を起こさないことだと 思います。そういう点で、看護者は最終の医療提供者です。医師が診断し、いろいろな 処方せんを出したとしても、それを踏まえて薬剤師が薬を出し、最後にそれを提供して いくのは看護職ですが、もし医師が間違った処方を出したり、あるいはそれが正しくて、 薬剤師が間違ったりして、最終的には全部看護職がそこで具体化していくわけですので、 そこの質の問題が問われてくるわけですが、患者の命にとって危険だということでの調 査で、対象は新卒者に聞いたもので、仕事を続けていく上での悩み、技術が不足してい る、医療事故を起こさないか不安である、それがもう7割近いです。基本的な技術が身 に付いていない、これも7割近くです。具体的にヒヤリ・ハット、事故を起こしかけた ということで、そのレポートを書いたというのが6割近くです。  実際にレポートを書く人間にとって、人を殺しかけたと思ってレポートを書かなけれ ばいけないわけですから、その外傷体験は非常に強いと思いますが、そのような意味で、 現在の教育によって看護が具体化されることによって、患者の命の危機はこれだけ強い のだということです。 ☆スライド 医療というのはチーム医療だということがよく言われています。私はこれ は非常に重要なことだと思います。これを考えますと、ここで卒業生の看護協会に就職 した方の、なぜ就職したかを読ませてもらったときに、このようなことが書いてありま した。ある大学病院に入職しました。そこで先輩看護師たちが、いかに患者を注意深く 観察し、患者の安全、安心を第一に考えて行動しているかを知りました。「先生、Aさん に、いまなぜそのような処置が必要なのですか。」「Bさんは○○の既往歴がありますが、 このお薬で本当にいいのですか。」そんなやり取りが病棟ではいく度となく繰り返されて いた。医師の指示を実行する前に、必ず自分で考え、ときには医師と対立を辞さない云々 と書いてありますが、私はこれは対立ではなく、チーム医療のよさだと思います。  いちばん患者のそばに行って、いろいろなことを見てきた人間にとっては、この薬で は問題ではないかと気がつけば、それが言える。そのような関係というのは非常に重要 だと思いますが、従来は縦の関係でしたが、それをチームとしてそれぞれの役割が役割 を果たしていくチーム医療というものを具体化しようとするときには、自ら判断し、そ れに対して、誰に対してでも患者を中心に、ものを考えて発言していく力を持たないと いけません。そういう発言していく力のためには、根拠が必要ですし、相手にそれを理 解してもらう説明が必要です。そういうことができる力がないと、私はチーム医療は具 体化できないと思います。言われたことをそのままやっていく、そういう従来の縦の関 係での指示に従ってやる関係では、チーム医療はやっていけないと思いますし、患者に とっての安全性も守れないし、効果性もうまくいかないと思います。  そういう視点から考えても、きちんとした大学教育が必要ではないか。大学教育にお いての根拠をもって、自分の看護という視点から発言していく、そういう力が必要にな ってくるのではないかと思います。基本的にチーム医療を可能にしていこうと思えば、 年限は違っても仕方ないと思いますが、同じような条件での教育によって、それぞれの 役割を果たしていくように条件を整備していかないと、基本的なチーム医療は進んでい かないのではないか、いつまで経ってもチーム医療という名の下の上下関係の医療の提 供でしかないです。それで本当に患者の安全性が保てるのかを私は考えたいと思ってい ます。  最後に、日本は看護教育の大学化が進んでいるといっても、全体の割合が上がってき たのは、この10年ぐらいですので、きちんとしたこういう研究はできないと思います が、アメリカでたくさん出ている教育では、これは看護師の人員配置と同様に、患者の 死亡のアウトカムに影響を及ぼすのが、全看護職の中の大学卒の割合だと言われていま す。例えば人員配置8対1の場合に、大学卒が20%の場合の患者当たりの死亡数はどう なるのか、40%の場合はどうなるのか、60%になった場合はどうなるのか、こういう研 究がきちんとされています。昔言われたのは、患者の在院日数を短くする要因というの は、ベッド当たりの医師の数、看護職の数、看護職の中の看護師の割合ということで、 これは日本の研究でも明確ですが、同じ看護師の中でも、学卒以上の割合が変化するこ とによって、患者1,000人当たりの死亡者数が変化することが研究されていますので、 是非これも参考にしていただいて、看護職の安定的な確保という視点からも、医療の効 果性という視点からも、医療の安全性という視点からも、看護教育を早急に変えていか ないと、日本は大変なことになるのではないか、これは看護のためではなく、日本の医 療をどう提供していくか、どういうあり方をしていくのかという視点から、お考え願い たいと思います。 ○田中座長 続いて中山先生より、同じく15分を目処に発表をお願いします。 ○中山先生(福島県立医科大学看護学部) 今日はプレゼンテーションの機会を与えて いただきまして、ありがとうございます。委員の先生方から私に託されたことは、看護 学の教育の立場からということだったと思っております。ただ、私は自分が看護教育者 と言われることは、あまり好きではありません。この看護教育の立場からということに 多少の抵抗を感じておりましたが、考えてみれば、聖路加看護大学で12年間の教鞭を 取り、福島に来て12年になりまして、25年近く看護教育をやっているわけですから、 もう仕方がない、観念するしかないかと思っています。  今日は看護基礎教育のあり方ということでお話をさせていただきたいと思っています が、どちらかと言いますと、私の看護教育の考え方の持論のようなもので、とりわけ新 しいことだけでもなく、いつも言っていることがかなりの部分を占めているのではない かと思っております。 ☆スライド 私は看護学教育を考える上での原点は、1967年のカリキュラム改正にある と思っています。このカリキュラム改正によって、トレーニングと言われた時代からエ デュケーションへとなるのですが、何が違うかと申しますと、トレーニングの時代は、 内科学及び看護法、外科学及び看護法となっていたのですが、エデュケーションになり まして、ここで人間の成長発達を軸にした、要するに医学とは違う軸の看護教育をした いという考えの基に、小児看護学、母性看護学、成人看護学といった、人間の成長発達 に基づく看護学の体系化をしたのが、この1967年のカリキュラムです。  それが1990年代に入りまして、私も1998年に福島県立医科大学に看護学部を設置す る準備をしたのですが、このときの世界情勢というのは、病気中心の看護ではなく、健 康を中心とした看護に切り替えるという形になっていました。当時、私自身は、ヘルス プロモーションという概念を使って考えていたこともありまして、次のように考えたの です。 ☆スライド これが先ほど少し言いましたが、21世紀はケアの時代になったと言われた 背景なのですが、それは置いてヘルスプロモーションにいきます。 ☆スライド 従来型のヘルスプロモーションというのは、健康増進ですから、いまある 健康をより良くしていく、とりわけ私は団塊の世代でしたので、私の時代は給食が始ま り、子どもたちの体力を上げていくことがめざされて、日本は高度経済成長期に入って いくわけです。この時代はヘルスプロモーションと言いますと健康増進、これで日本は 長寿国家をつくり上げた歴史があるかと思います。 ☆スライド それが先ほど言いました健康中心、私は精神看護学が専門ですが、障害者、 高齢者の方々は、普通にしていれば健康状態は下がっていくわけです。この下がってい く健康をどうやって下げないで、いまあるそこそこの健康状態を保っていくのかが、 1990年代から健康中心の看護に変わってきた時代からの看護職の役割と、私自身は考え ています。4年制大学では、看護師の課程と保健師の課程と両方が含まれているわけで すが、健康という概念を持った看護職が仕事をする、人々の健康を守る側面の入った教 育を展開することが、4年制大学の使命だと考えてきました。  これは1994年に看護教育をどうするかという、文科省の大学・短期大学における看 護教育の改善に関する調査協力者会議の中で、1990年代の看護で重要なことは、「科学 的な思考」と「倫理的な判断力」と「創造性」と述べています。この3点が、1990年 代から私たちにとって大きな課題となってきたのではないかと思っています。 ☆スライド ここからは私の持論になるかと思いますが、私は看護の中で、講義と言わ れている分が、「知識・技術」、「知識・技術を使う能力」を培うために、いろいろな形の 演習をします。最終的には、実習をしなければ「専門職としての倫理」も含めた、どう 知識や技術を使って、ケアに変えていくかは学び取れない。ですから、この3つのステ ップがあるかと思っています。  福島県立医科大学に移って、非常に印象深かったことは、福島県立医科大学は付属の 看護学校を持っておりました。医科大学でしたので、医学部の先生方が付属の看護学校 で、医学としては高いレベルの教育をしていたと自負しておりました。  私が1998年に着任してから思ったことは、1つは、知識とか技術は非常に高いレベ ルで教育をしていらしたのだと思うのですが、看護師が教育をすることが少なかったこ ともあって、知識とか技術をどう使うのか、どう使って看護としての知識を生み出して いくのか、この点が弱かったのではないかと痛感いたしました。  臨床の場ではモラルの問題も入りますので、倫理の問題は臨床の場で学んでいくので すが、この学んだ知識とか技術を、どう使い、看護として、ケアとして患者に届けるの か、このことが看護教育の中の最大の課題と考えております。  それで私は、3つの力を教育の中で育むものと考えています。これが「先見力」、「判 断力」、「臨機応変さ」です。 ☆スライド 1967年のカリキュラム改正から、看護界は非常に科学的な看護を展開する ことを目指して、論理的な思考を重視してきました。これは直線型の論理的な思考です。 このことは看護界では看護過程の展開という形で、論理的に看護過程を展開していく、 要するに情報収集し、アセスメントをして、そこから看護計画を立て、実際にやって評 価をするという看護過程の展開によって、直線型の先を見通していくという能力をつけ たと思っています。  ところが臨床の中で必要になるのは、そういったことだけではなくて、2番目に示す 「状況を読む」全体と部分との関係を理解するような状況を読む力が、どうしても必要 になってくるわけです。これは井部委員とも論争したことがあるのですが、臨床の中で は非常に重要になって看護師たちは持っている能力です。基礎教育の中で、ここまで養 えるかどうかについては多少の疑問があるのですが、どうしても看護師としては持って いなければならない能力だと思っています。  今回のプレゼンテーションのときに少し考えてみたのですが、この力は団塊の世代で ある私たちは、たぶん大学紛争の中で培ってきたのではないかと思うのですが、いまの 若い人たちにはそういったことをするチャンスも少ないので、この状況を読む力は非常 に弱いのではないかと思っています。  そして3つ目が「コミュニケーション」です。コミュニケーション力が十分になけれ ば、臨機応変な看護ケアは展開できません。ですから、コミュニケーションの中で患者 から学び、そしてまた自分がやろうとする看護を患者に理解していただく、こういう相 互の中で看護を生み出していくことが、必要になると考えています。  次にいきますが、看護実践能力を育成するための教育方法です。これは私のアメリカ の留学時代に、オレゴンヘルスサイエンス大学の看護学部の博士課程に留学した時の私 の指導教官でClinical Judgmentの専門家でもあるChris Tannerが主張していたこと なのですが、看護の教育方法を「能動的学習」に変えるしかない。能動的学習というの はそこに書かれているように、自らが話したり、聞いたり、書いたり、読んだりという、 視点が「自ら」というところにある学習方法です。それからこれが実習になってくると 思いますが、「直接的経験の重要性」ということで、臨床対話だとか、自分の知識と経験 とを結び付けていくような教育方法、このことをしなければ看護の実践能力は付かない、 育成できないと私は留学中に叩き込まれてきたのですが、これが1つの教育方法のあり 方ではないかなと思っています。 ☆スライド 皆様のお手元にはないのですが、これは野中郁次郎さんが、知識変換モー ドとして作られた図です。これまでのこの懇談会でも随分出ました暗黙知、臨床知、理 論知、形式知といった知識創造のモデルですが。看護の中では、理論的な知をどのよう に臨床の知に変えていくのか、その臨床の知からどうやって理論の知を生み出していく のか、このことが大きなテーマになるかと思います。私はこの野中先生の『知識創造企 業』の本を見たときに、看護の中で使えると思って、私なりにつくったものが皆様のお 手元にある次のスライドです。 ☆スライド 私は看護師そのものがどういう知識を生み出していくのかが重要ではない かと思っています。患者とのケアのやり取りの中で得たもの、それを理論的な知と結び 付けて新たな知を生み出していく、看護師に必要な能力は、そういった看護の知をどの ように生み出していくのかに尽きるのではないかと思っています。そのことから考えま すと、そこの真ん中にある看護師がどのような形で実践の知を生み出し、それを言語化、 あるいは記述化することによって理論知にしていくのかということが、私たちの大きな 課題ではないかと思っています。 ☆スライド これを考えますと、「知識の詰め込み型の教育」から、「知識の活用方法を 学ぶ教育」に転換しなければならないのです。このことのために教育に必要な力は、こ れを転換していく教育力、先ほど言いましたように、知識を生み出していく教育力です。 教員たちを見ていますと、いまの時代ですから、いろいろな知識をつなぎ合わせて、学 生たちにうまく伝えることはできています。ですが、若い教員たちを見ていると、臨床 から学生たちに何を伝えたいのかを抽象化し、それを臨床の知として学生たちに伝えて いく力は弱いと私は考えています。もう若い人たちのほうが私を乗り越えていいはずな のですが、まだ臨床の中からさまざまな知識を汲み取って、学生に伝えていくところは、 私のほうが上にいっていると思うこともかなりあります。この臨床の知をどのように伝 えていくかができなければ、看護教員の教育力は付いていかないと思っています。これ が最大の課題かと思っています。 ☆スライド そのことのために私が提案したいのは、「指定のカリキュラムの最小化」で す。今回も新人看護師の看護実践能力が低いということで、養成所指定規則のカリキュ ラムが改正されます。看護師の国家試験を受けるためには97単位となっていますが、 こういった単位の縛りをどこまで減らせるかが、大きな課題ではないかと思っています。 試算してみまして、60単位ぐらい、これは医学の基礎的な知識と、看護学の基本となる ようなことを入れますと、大体60単位ぐらいにはなりますので、私はこれだけでいい のではないかと思っています。  これで学生を遊ばせておけばいい、高校までのゆとり教育の中での知識不足の問題が 大きな話題になっていますが、ゆとり教育をして遊ばせればいいということではなくて、 これ以外の単位は、各大学あるいは各看護学校で作ったカリキュラムでやるということ を主張したいと思っています。それでなければ、看護学の教員の独自性が発揮できませ ん。先ほど言ったように、決められた知識を教えるというだけでは、教育者としては教 育がつまらなくてやれません。自分たちが新たにつくっていく知識を、いち早く学生た ちに伝えたい、このことを看護学の教員たちが担うことで、魅力ある看護教育ができる のではないかと思っています。 ☆スライド ですから、20年後に向けての課題としては、「規格外の看護専門職」をど のぐらい育成できるかにあると考えています。国家試験があることもあって、看護学の 教育はかなり一律化してきています。そして、出てくる看護師の資質も看護実践能力は ある一定の水準まで保ってほしいということで、かなり凹凸のない教育をすることを余 儀なくされています。傍聴席にもたくさんの看護界のリーダーがいるのですが、そのリ ーダーたちを見ても、隣の久常会長を見てもそうですが、規格外です。規格にはまって いるような人材ではありません。この規格外の看護職をどうやって生み出すかをなくし て、看護教育はないと思っています。そのことを考えますと、もう少し独自な看護教育 の展開を提唱してもいいのではないかと思っています。 ☆スライド どうしても国際的に生き残っていくためには、「高い専門性」と「高い創造 性」が必要になっています。この専門性ということは、必ずしもスペシャリストの養成 ということではありませんが、看護職としての高い実践能力を持つという形になると思 いますが、そういった専門職性を持たなければ生き残っていけないのではないかと思っ ています。  ただし、私はここにも書いてありますように、100万を超える看護職を一律にする時 代は終わったと思っています。一人前になった後、そのままジェネラリストでいくのか、 スペシャリストでいくのか、管理者になるのか、いくつかの道の選択はあるのではない かと思っています。これもどのぐらいの割合で育成していくのかが重要になってくるの ではないかと思っています。特に、看護管理者という形は、看護界だけではなくて、保 健医療福祉、さまざまなところでの管理者としての資質の問題も出てくるのではないか と思っています。 ☆スライド これを考えますと、私たちの看護学の教育はどこに焦点を当てて、看護職 というのは将来的には何を担っていくのかの問題になるかと思っています。私はまた先 ほどのところに戻りますが、ヘルスプロモーションという部分ですが、病気を持つ人、 高齢者、こういう人たちの健康を守っていく、病気を持っていても健康の範疇に入るわ けですが、この健康の範疇は看護職の仕事だと思っています。そのことを担える看護職 者は、どういう教育があったらいいのかということで、もう少し絞れるのではないかと 思っています。この富士山みたいなものの上のほうはどうですかと言われれば、私は上 のほうが規格外になっていくのだと思います。下のある層は一定の教育を受けるしかな いのではないかと思っています。このようにもう少し独自性が発揮できれば、看護教育 は魅力的なものになるのではないかと思っています。以上です。 ○田中座長 尾形委員が時間に限りがあるということなので、先にお二人に質問をして いただきたいと思います。前回もその予定だったのですが時間になってしまいましたの で、この間の分を含めてでも結構ですが、まず最初のお二人にお願いします。 ○尾形委員 ご配慮いただきましてありがとうございます。このあと大学で講義があり まして、先ほど中山先生から「パラダイムの転換」というお話がありましたが、我々が 学生の頃と違いまして、勝手に休講などをすると学生が怒るという、私は非常にいい状 況だと思っています。そんなわけですので、申し訳ありませんが、中座させていただき ます。座長のお許しを得て、久常先生と中山先生にご質問させていただきます。  まず、久常先生のご発表ですが、大変刺激的な内容でたくさんお聞きしたいことがあ るのですが、時間的な制約もありますので何点かに絞ってお聞きします。最初に感想め いたことですが、この資料の3頁の平成17年度と平成18年度の入学者の基礎学力の比 較がありますが、大変興味深い資料だと思います。インタビューをした結果というお話 だったと思うのですが、全般的な、おそらく一般の大学に聞いたら、もっと学力低下と いう答えが出てくるのではないかということから見ると、看護大学はむしろ大変頑張っ ておられるのかなという印象が1つです。それから、それに比べて養成所の40%という のは、そういうことなのかなという感じを持ちました。これは感想です。  ご質問したいことは2点です。1つは、4頁に新人看護師の早期離職についてのデー タで、養成所卒と大学卒についての比較をされています。確かにお話がありましたよう に、大学病院とのミスマッチが大きいことはこのデータからわかるのですが、1つはな ぜこうなっているのかについて、どうお考えかということです。それから、先ほどちょ っとお話があったと思うのですが、大学病院以外の病院についても、同じようなことが 言えるのかどうか。その2点についてコメントをいただければと思います。これが 1点目です。  2点目としては、久常先生のご主張の全体の中では、期間の延長あるいは大学教育へ の移行が中心だったかと思うのですが、仮に延長したとして、教育の内容についてはど うお考えなのかをお聞きしたいと思います。言い換えれば、現在の看護系の大学の教育 内容で十分なのかどうかということです。その点に関していうと、これも非常に興味深 いデータを示していただいていますので、1つは7頁の新卒看護職員の仕事を続ける上 での悩みというのがありまして、これは全くそのとおりだろうと思うのですが、これに ついても、大卒と養成所卒との間で違いがあるのかどうかが1つです。8頁も非常に興 味深いデータだと思うのですが、アウトカムに影響が出ているということですが、これ は残念ながらアメリカの研究成果なので、日本でも同じようなことが言えるのかどうか。 その辺について補足的に教えていただければと思います。以上が久常先生への質問です。  中山先生のご発表については、看護教育の基本的なあり方、あるいはフレームワーク について、非常にわかりやすく一般化、抽象化してお示しいただいたと思います。大変 勉強になりました。私からご質問したいことは1点で、質の高い看護教員を確保するた めにはどうしたらいいかです。この点に関しては、カリキュラム改正とか、制度改正を することと、実践との間のギャップの問題はかなり重要ではないかと思っています。  最近の厚生労働省の施策を考えると、いろいろな面で年金とか医療とか、制度改正と 実践の間に大きなギャップがあって、それがいろいろな問題を生み出しているように思 います。そういう意味でも、看護教育についてその辺をどうお考えなのか、これについ ては8頁に「教員の教員力の課題」ということで問題提起をされていますが、それに対 する1つのご提案ということで、「指定カリキュラム最小化」ということでお話をいた だきましたが、少し意地悪な言い方になるかもしれませんが、こういう自由化あるいは 自由化を通じて創意工夫の余地を増やすことだけで、教育内容が向上する、あるいは看 護教員の質が向上するというのは、やや楽観的すぎるのではないかということです。も ちろんこういったことが必要でないと言っているわけではないのですが、それと合わせ て質の高い看護教員を養成するためのもう少し突っ込んだ方策がないのかどうか、その 辺についてコメントをいただければと思います。 ○田中座長 では、お二人からそれぞれお願いいたします。 ○久常先生 まず、資料の4頁からですが、これは大学病院ですが一般の病院はどうか ということでしたよね。 ○尾形委員 それから、なぜ養成所卒と大学卒でこのような差が出ているのかというこ とについては、どのようにお考えかということです。 ○久常先生 他の病院はどうかというのは、他の病院全体の平均が9.3%ですので、こ こで出ているのは4%です。その中での割合ですので、一般の病院はもっと離職率が高 いわけですから、さらに養成所卒の離職率が高いと思います。そして、一般病院は養成 所卒がほとんどですので、これよりさらに養成所の割合は高くなるわけですので、そう いう意味で離職率が高くなっていると思います。  なぜかというのは、基本的には、学生の質の問題、教育条件の問題だと思います。教 育条件の問題は、養成所は生徒40人に対して教員が8人です。それに対して大学の教 育条件はその4、5倍でしょうから、全然教育条件が違います。さらに、入学者が定員 割れを起こしているのと、定員割れを起こさないところの条件を見たらわかると思いま すが、入学者が違う、教育条件が違う、さらにもう1つは大学教育は4年間で看護の教 育をしている、それは違うではないか、保健師の教育が入っていると思うかもしれませ んが、いまの保健師教育は統合教育という名の下に、看護教育を終えて、それを前提に した保健師教育がなされていなくて統合的にやられていますので、結果的に看護師教育 は4年教育になっているのだと思います。  その結果として、看護師にとっては教育条件は4年になっていますが、保健師教育が 非常に特性がなくなって、だから地域での保健師の教育条件は悪くなっていると思いま す。だから、離職率がなぜ大学卒が少ないのかというのは、そういう3つの条件による のではないかと思います。  7頁ですが、大学卒と新卒の中の、こういう技術が不足しているとか、医療事故を起 こさないか不安であるということに関しては、大学卒はどうかということですが、大学 卒は調査するほど対象がいなかったのではないかと思います。これは日本看護協会の調 査ですので、対象を分けてはしていないということで、ここには出てきておりません。  8頁ですが、ここも同じことで、いわゆる一般病床の中に看護師学士卒の割合が、20%、 40%、60%でどうなるのかということは、いま日本の中では実態がないわけで、これは 比較ができないのではないかと思いますが、先ほど申しましたように、病床当たりの医 師の数、看護職の数、看護職の中の看護師の割合が高ければ高いほど、在院日数が短い という調査結果が、我が国でもはっきり出ていますので、同じことが言えるのではない か思っています。  学士号やそれ以上の教育を受けた看護師の割合が高い病院では、手術を受けた患者の 死亡率と、救命できなかった率は低下するという研究もありますので、これはそういう ことが言えるのではないかと思います。 ○中山先生 先ほどの看護系の教員の問題を尾形委員から言われたと思いますが、1つ は久常会長のほうからも出ておりますが、看護学校のほうが厚生労働省の管轄に置かれ、 大学、短大が文科省に置かれていることで、教員のあり方が違うという問題があります が、基本的には私も大学をつくるときにも考えましたが、教員の数を増やすことは必要 な条件だと思っています。  教員の臨床能力が低いことの問題が、相当これまでにも出てきていますし、教員にな ってしまうと臨床から離れます。いまの臨床は、ものすごくいろいろな意味で変化が速 く、高度化していきます。この中で教員たちの臨床能力をどのように保っていくのかが 課題として言われています。  しかし、私は教員の教育力は必ずしも臨床能力だけではなく、臨床の力を活用してい ける能力だと思っております。ですから、教員がどのように臨床の方々と協同できるの かということが非常に大きいと思っております。いつも医学部のほうから「医学部の教 員は臨床と教育を一緒にやっている。看護学部の教員も臨床と教育を一緒にできないか」 と言われていますが、いまの人数ではできません。もう少し教員たちにゆとりができれ ば、自分の臨床能力、そこの中で培ってきたものをどのように教育に反映するのかが考 えられやすくなるのかもしれませんが、教員の数が1つの大きな課題になっているので はないかと思っています。  カリキュラムを最小化にすれば質の低下になるのではないかということについては、 私は20年後、将来的には看護学校の教員たちも皆、大学を出た人たちが担うのではな いかと思っていますが、何を学生に伝えたいのか、何を教育したいのかがはっきりして いれば、少し楽観的かなとも思いますが、大丈夫だと思っています。なぜならば、なぜ 国家試験があるのか、もしカリキュラムの縛りを少なくすれば、国家試験のありようも 考えていかなければならないかと思っておりますが、国家試験がある限りは、国家試験 に受かることが前提条件になるので、教員たちは工夫をしていくだろうと思います。こ のように、教員たちがさまざまな形で工夫をしていく能力を使えるような教育のあり方 をさせてほしいというのが、私の提言です。 ○田中座長 ありがとうございました。それでは、辻本先生、お願いします。 ○辻本氏(NPO法人ささえあい医療人権センターCOML理事長) 患者の立場として こうした場にお招きいただいたことに、心からお礼を申し上げます。お手元にもスライ ド原稿があろうかと思いますので、追って見てください。  プレゼンテーションの要旨ということで、5つほど観点を挙げております。時間もあ りませんので、早速お話に入ります。  まず、私どもCOMLが何をやっているかです。1990年9月にスタートして、今年満 18年、主に電話相談をしている現在はNPOです。活動ですが、写真が5つほど並んで いますが、電話相談以外にもさまざまな活動を展開しております。学生への教育的関わ りでは、SP活動がいま大変忙しくしております。今日は主に電話相談で届く患者・家 族の声ということで、看護への患者の期待、教育、要望を語りたいと思っております。  電話相談の数の推移ですが、これは単純に1年間どれぐらいの数が届いて、どう推移 してきたかのグラフです。1995年の小さい山は、阪神大震災の問合せですから特殊な状 況で、なかったことにはできませんが、ないままに見ていただいたとしても非常に右肩 上がりで、どんどん増えてきました。それが、昨今少し数は減っております。これは、 今日は多くを語りませんが、メディアの方向性にどれぐらい患者たちが誘導されてきた かということにも連動します。最近は病院叩きから厚労省叩きになって病院の悪口があ まり報道されないからか、患者も煽られるようなことがなく、漠然とした不信感は数が 減っております。ただ、かなり根深い、要求レベルの高い方たちのご相談は、相変わら ず月に200〜300件全国から届いており、むしろ漠然とした医療不信のご相談の対応よ りも現在の対応のほうが、私たちもエネルギーを要するということで、1本の電話が平 均40分かかります。長い電話は1時間〜1時間半以上、加えてリピーターということで 繰返しの電話が増えてきている状況があります。  そうした電話を聞くにつけ思うことは、医療、看護提供者側とその支援・援助を求め ていく私たち患者の側の立場と役割が違うだけに、ゴールは1つなのですが、その両者 の行く手を阻む深い河、私は「異文化圏」という表現もしているのですが、埋めようの ないギャップを生んでいます。医療者にとっては日常の当たり前の業務が、患者にとっ てはできれば病院など行きたくない、そこで出会うことが悉く非日常。1日に何人もの 人を診なければならない医療者の側と私たち患者は、“その人”と出会うのです。そうし た深い河、「異文化圏」に、いまこそ心の架け橋を架けていくことが必要だということで、 COMLの活動も患者と医療者の架け橋の一端を担えればいいなと思いながら、ささやか な努力をしているところです。  つぎに、患者・家族の声を挙げてみたいと思います。看護に関することで言えば、こ こ2、3年、看護界では「7対1看護」の導入の努力がされています。しかし、7対1看 護が導入されたからといって、患者の声として「看護が良くなった」とか、「いい看護に 出会えた」という声は全くありません。病棟閉鎖のお知らせや、「あのナースはどこへ行 ったの」「別の所へ替わっちゃったのよ」と、渡り歩くナースなどの悪い情報ばかりが、 患者の声として届いてきています。つまり、この7対1の意味そのものが患者には理解 されていない。それ以上に、そのことの意味を病院サイド、医療現場、看護の現場が、 患者にわかってほしいという情報提供がなされていないために理解されていないのが現 実かと思います。そういった点1つ取っても、決して患者にとっての看護への不満は数 の問題だけではないという現状が、電話相談から浮かんでくるわけです。  よく、「患者中心の医療」とか「患者中心の看護」などと患者の耳に聞こえのいいキー ワードが振りかざされるのですが、そんな言葉やスローガンよりも私たち患者一人ひと りが望むことは、看護そのものが患者自らが持っている自己治癒力をどう支えてくれる か、そのことのほうが大きな期待でもあるわけです。看護の質、あるいは現場のモチベ ーションが高いか低いか、医療現場における看護の絶対数が多いだけに、病院全体の空 気、雰囲気を作り上げてしまっていて、患者はそこを非常に敏感に感じているという声 も届いてきています。さらには、患者の権利意識が非常に高まりを見せている昨今です が、看護の現場は患者が何を求めているかに非常に鈍感です。これをナース個人の問題 としていいかどうかは議論が必要だと思いますが、患者の心になかなか寄り添っていた だけない不満や不信の声も届いてきます。  何より患者には、看護の専門性、役割性が全く見えてきません。これは、1つにはこ れまでのお二方のお話にもあったように、教育の問題、学力の問題も大きな一因ではな いかと思います。養成所は、数を確保するために必要な配置なのかもしれませんが、大 学、あるいは専門学校から配置されたすべてに看護師というレッテルが張られているわ けです。食品加工偽装の問題とまでは言いませんが、そこにどんな違いがあるかをもう 少し患者の側が理解できるような情報提供のあり方が、いまこそ必要ではないかと思い ます。1つには大学教育、専門学校、養成所の教育を早急に整理していただきたいとい うのが患者の側の希望です。  ここで、具体的に届いた電話相談を数件挙げております。例えば、パーキンソンで入 院したお母さんを見舞いに行った娘さんの目の前で、担当ナースが「こんなこともでき ないのよ、昨日はこんなことがあったのよ」と娘さんに話をする。娘さんがたまらなく なって、「すみません、廊下で聞かせていただけないでしょうか」と言うと、「何で」と、 けげんな顔をされ、患者ばかりか家族の気持ちも全くわかっていないという苦情があり ます。また、NICUで子どもを2カ月ほど入院させた若いお母さんが、退院したあと毎 日通うときにかいま見るNICUの業務の中で、片手に私の宝物の赤ちゃんをヒョイと荷 物のように持って歩いているナースがいる、人として扱われないと、泣きながら訴えて きました。さらには、乗り合わせた2人の若いナースが、「私、何号室の何々さんきも いわ」と言うと、少し先輩のナースが「しょうがないよ、あの人は頭いっちゃってるん だもん」という会話が家族にも聞こえてしまったという苦情も届いております。  また、目の前でドクターとナースが対立する様に、患者はまさに身の置き所がないと いうことで、そのようなことは見えない所でやってほしいのにという相談も届きました。 そして大腸ポリープが摘出できず、1日入院を引き延ばして便排出する処置をしたので すが、ポータブルを持ってきたナースとそれを引き上げたナースの連携が悪く、トイレ に流してしまった。私の不安をどうしてくれるのかとの苦情もありました。その他、が ん末期の患者の病室に、消臭剤を黙って置いていくナース、洗髪の患者の頭の下に紙お むつを敷いて、頭は洗ってくれているのですが、家族にとってはなぜ紙おむつなのかと 「100−1=0」の状況に、まさしく一言が足らないなとつくづく感じるわけです。  また、「飯食った」とか「何やってんの」と、患者への尊厳どころか全くモラルもない 言葉使いなどの訴えなど、若い人たちは、割とこのような言葉を違和感なく使っている ことをうちのスタッフにも確認して、団塊の世代の私たちの古さなのかとは思いました が、その辺りも今後の教育の課題になっていくのではないかと感じています。何か質問 すると、意味なくにやにや笑ってごまかされてしまうといった声も届いています。これ だけ高い専門性と技術をお持ちのナースたちに、いまだ患者がそれ以前のところに怒り を覚えていること自体に大きなずれがあるのではないでしょうか。そのことを先ほど中 山さんがおっしゃったように、臨床の現場のことをどう教育に展開していただけるかと いうことで、あえてご紹介しました。ただし、COMLに届く電話相談は、いいお話はあ りません。聞いてほしいという気持は多くがマイナス感情です。一方にはいい看護に出 会えたという話もあるはずで、私も6年前に乳がんの体験をしましたが、何がいちばん 大きな支えだったかといえば、とくに入院中は看護の力であったことを、感謝をもって 併せてご報告いたします。  さて、最近の患者を取り巻く背景ですが、ここにいろいろ列挙しております。社会の ことが少しずつ見え始め、自分の気持を自分の言葉で相手に伝えられるようにもなりま した。ただ一部の患者の中には、自分さえよければいいと、周りのことが見えなくなっ てきているわがままな患者、あるいは、いつ行っても診てもらえて当たり前という医療 のコンビニ化といったことも、電話相談の中からゆゆしきこととして受け止めておりま す。そうした方たちには、それでいいのかと柔らかな苦言も呈し、対話を努力しており ます。  これが豊かな時代の反映なのか、人が人として成長していく過渡期で仕方のないこと なのか。情報が増えれば選択肢も増えます。選択肢が増えれば迷いも増えます。迷う先 の看護は不透明であり、さらに不安、不満が募っているのではないかと思っています。 医療・看護への期待が大きければ大きいほど、患者の側が今後も攻撃的になっていく要 素を抜いて語ることはできないのが現実だと思います。  患者の発達過程ということで稚拙な絵をお示ししていますが、私たちの活動もそうで あったように、スタートした1990年ごろの電話相談の声は、まさによちよち歩きの患 者でした。それがいまや思春期、反抗期のような声が届いてきます。私たちが目指すゴ ールは、成熟した判断能力を持った自立した患者、ほかの言葉で言うならば、医療や看 護の限界・不確実性を引き受けてなお、主体的に医療参加すること。とても遠い所にあ るゴールに、私たちは半歩でも1歩でも歩みを進めていかなければならないと思ってい ます。迷い悩んだときに誰にどう向き合っていただくかが、大きな患者の分かれ道です。 私は、看護が最も患者に身近で層の厚い医療スタッフである以上、患者の自立支援者と して、「この人に出会えてよかった」と思える看護を提供していただきたいと心から願う 患者の1人でもあります。  電話相談をお聞きしていると、「この人に出会えてよかった」と希求する気持ちと、安 全であってほしい、安心・納得がしたいという患者・家族の基本的なニーズもあります。 それ以上に、人の価値観やライフスタイルはどのような時代背景でどのような教育を受 けてきたかによって育まれる傾向もあるようで、大きく4つに分類した患者のニーズ、 「世代間格差」と表記しています。私も団塊の世代なので自戒を込めて、50〜60代につ いてひとこと。最近のがん好発年齢、生活習慣病罹患年齢、80以上の親を看る家族の立 場ということで、COMLの電話相談も50〜60代がいちばん層が厚いので、その世代の 特徴を列挙します。  私たちは、形ばかりの民主主義の教育を受けてきた影響もあってか、権利は主張しま すが、義務をあまり身につけてきませんでした。自分のことは自分で決めたい、頭の上 には新しい価値観、しかし、親から教えられた古いモラルという二重構造の中で、常に ジレンマを抱いてもおります。学生運動の煽りか、社会正義ということであるべき論は 理想を語りたがる理屈屋でもありますが、ある電話相談でこんなことをおっしゃった方 がいました。ほかの人は言えないけれど、私はそうした患者のためを思って言っている のだと、どう聞いてもその人のわがままとしか思えない相談なのですが、そのようなあ るべき論を振りかざすのがこの世代の特徴のように思います。怒鳴る、なじる、きれる といった社会におけるクレーマー世代とも言われているこの世代が、当面医療現場や看 護の現場に層厚く出現するとすれば、この人たちをどう攻略するかが、当面の教育の課 題にもなるのではないかと思っております。  電話相談のニーズということで、先ほども言いましたが、「安全」「安心・納得」です が、医療・看護のミスに出会いたくない、安全であること、もう1つは安心したいとい うことと、何より昨今希求するものとしてどんどん高まりを見せているのが、私が納得 できるかできないかというところに患者の気持が移っております。その納得のためにこ そ、私は看護の支援の力を大いに発揮していただきたいと思いますが、先ほどの50〜60 代の攻略法と併せて情報の共有、つまりインフォームドコンセント、インフォームドデ ィシジョンと患者がどう向き合うか、患者の自立支援者としての看護、コミュニケーシ ョンのあり方が、当面の大きな課題だと考えております。  一方で、私どもの活動支援の中には、ドクター、ナースといった専門職の方たちの仲 間もたくさんおります。そのような方たちに満足度の高いナースについての声を聞いて みたことがあります。答えの第一は年次休暇の取得率が高いこと、そして実働日数の軽 減、研修支援システムが充足されていること、それを心よく送り出してくれる病院の雰 囲気など。その中で特に看護の理想を常に追求できる環境であってほしいとの声を聞く ことができました。これは、まさしくそのことが実現されれば、私たち患者に向き合っ てくださるナースが生き生きと輝いた人で、それこそ私たちがこの人に出会えてよかっ たと思える看護現場に必須の背景ではないかと思っています。看護現場への期待として は、組織の目標や理念において、ナース一人ひとりの高い納得感が大いに課題になろう と思っております。「やらされている」というよりも「私がやりたい」という看護を、是 非現場で実行していただけたらありがたいと思います。  多様な価値観と高齢化社会がこれからの看護に期待することとして、いろいろ挙げて おります。前提としての医師不足の問題は、喫緊の課題としてチーム医療が1つの解決 策として挙げられていますが、もちろん言われているようなスキルミクスの確立のため には、診療の補助や医師法17条などを見直していただく必要もあろうかと思います。 看護の質の向上、特に院内の同僚、一緒に働くドクターたちの信認を確保していただく ためにも、確かな技術、高い倫理観、コミュニケーション能力、マネジメント能力を高 めていただきたいと思います。また、インフォームド・コンセントにおける看護の患者 支援ということでは、例えば、「看護相談室」などで患者の理解と納得を直接的に支援し ていただける立場でもあろうと思います。また救急外来のトリアージ(triage)という 国立成育医療センターの取組みなど、看護の力を発揮していただける場面はいっぱいあ ると考えています。そして、認定看護師、専門看護師の役割を、少なくとも患者の私た ちにわかるようしっかりと示していただきたい、もっと言えば、院内でもその役割が明 確化し認知されることが必要だと思います。さらに院内の看護力をレベルアップするた めには、現在250近くの病院で専任の副院長が採用されているようですが、何よりそう した方々を育てることが次への課題だと思います。もちろん、後期高齢者の問題も含め、 在宅医療での看護力のレベルアップを願うことは言うまでもありません。  以上、看護教育ということで、看護の力を利用・活用する患者として、6つのことを 提言しました。基礎分野のさらなる充実をしていただきたいのですが、先ほど中山さん が学校独自のカリキュラムとおっしゃいました。私は、患者体験や看取り体験を多く学 んでいただくために、看護学生がそうした話を聞いたり、街に繰り出して実地研修をし ていただきたいと思います。また、医学生や薬学生は、私どもの電話相談の研修という ことで短期的にお預りする機会が非常に増えています。残念ながら、看護の方たちは一 向に興味・関心を寄せてくれませんが、それはなぜかと不思議でなりません。  先ほど教育力のお話がありましたが、私は専任教員の免許更新制や研修義務を拡大し ていただきたいと思います。さらには、臨床実習の単位数を増やしていただくことと、 臨床実習の指導者の方たちの専任配置と指導力の強化ということで、時代の要求に即し た看護の研修なども大幅に増やしていただくこともお願いしたいことです。患者は最近 権利意識が高くて、資格のない看護学生の看護など迷惑とばかり、断わる向きが多いよ うですが、患者のボランティアを期待する意味も含め十分に理解していただきご協力を 仰ぐための説明なども、実習の指導者の力量にかかるものだと思っています。  5番目の生活能力、言語能力、会話能力、社会人としてのマナーを高める教育につい ては、特に看護大学では1年間ぐらい寮生活を強制してはどうかと言いましたら、うち のスタッフの若い人が、寮生活などしたらもっと低下すると若者意識の現状を教えてく れました。最後に卒後臨床研修ですが、医師ばかりではなく、看護にも早期の実現を患 者として願うことを挙げて終わりとします。 ○田中座長 ありがとうございました。それでは、残りの時間で委員の方々から3名の ご発表に対して質問、ご意見をお願いします。 ○梶本委員 朝日新聞の梶本です。3人の皆様、今日はどうもご苦労さまでした。私は 看護の専門家でもないので、素人の立場から3人の方々に、ご意見をお聞きしたいと思 います。  久常さんのお話は、医療の効率性や安全性を高めるためには、看護師の教育の内容を 充実させなければいけないということで、基礎教育の期間は4年制にし、大学にしたほ うがいいということでしたので、この問題について3人の皆様にご意見をお聞きしたい と思います。というのは、この検討会が看護の基礎教育の方法や中身、期間について意 見を求められていますが、期間の問題はこれまであまり議論してこなかったからです。  久常さんは、1つは看護の基礎教育を4年制にしろということと、大学にしろという ことの2つをおっしゃったのですが、これは別々にということでしょうか。それとも、 4年制イコール大学ということなのでしょうか。また、いま現状でも4年制の大学はあ って、先ほどのご説明でも志願者はどんどん増えていますし、医師会の説明でも、大学 も養成者数も増えてきていて、むしろ養成所のほうが減ってきています。つまり、久常 さんがおっしゃる方向に世の中は進んでいるわけです。その現状をどうご覧になるのか。 これでは駄目だというのなら、どのように持っていくのがいいのか。毎年養成される看 護師が5万人、全員その大卒、あるいは4年制にしろと言っているのか、最終的に80 万、あるいは130万と言われる看護師を全部大卒、4年制にしろと言っているのか。そ れとも、大卒の割合を増やせと言っているのか、ということです。また、今後の持って いき方、つまり一気にできるかできないかというスピードの問題もあります。現状でも 大学へ移行しつつあるわけですが、もう少し具体的にご主張の4年制、大学の移行につ いて説明してください。  2点目は野村さんにもお聞きしたほうがいいかと思いますが、3年制の人と4年制の 人が同じ国家試験を受けて、同じ資格を取って働いているわけですが、1年の大学でよ けいに勉強した人と3年で資格をとった人の差は何なのでしょう。これまでヒアリング の中で、大学卒の人は保健師の資格や助産師の資格を併せて取っていることのようです が、看護師の資格の中で、大学なるがゆえにプラスアルファがあるのかどうか。その辺 りを教えていただければと思います。  3つ目は、病院代表の意見を聞いても、医師会の開業医代表の意見を聞いても、いま すぐ直ちに4大化する必要はないのではないか、むしろ3年制の中でもっと充実させる ことを考えろということでした。もちろん、病院と開業医では少し違いがあって、どち らかといえば病院のほうが、4年制にやや前向きかと思いますが、いずれにしてもいま の中で十分できる、もっとそこを考えてみたらどうかということで、久常さんの意見に 賛成ではない感じがしました。同じ医療関係者として、そのような意見が出ていること をどのように見ているのですか。  久常さんにはもう1つ。これはこの委員会のテーマではないのですが、看護の世界に は正看と准看という二つの養成の道があり、准看の人は、どんどん数が少なくなってい ます。これに対してどのようなご意見なのかお聞かせいただきたいと思います。  中山さんのお話を聞いていて非常に参考になったのですが、教員にこんなにレベルの 高い人がいるかなという感じもして、教員の質のレベルをどう高めるか大変だなという 感想を持ちました。そこで質問ですが、もう少しカリキュラムを厳選しろとおっしゃっ ていましたね。科目数を90科目余りあるのを60科目くらいに減らしてはどうかとおっ しゃいました。そうなると必ずしも4年制にしなくても、3年制の中で充実したことが できると受け取られることにならないでしょうか。その辺りをご説明していただければ と思います。  辻本さんも、どうもご苦労さまでした。消費者の視点から見ると、医者だけでなく看 護師もなかなか厳しいと思いました。辻本さんは最後のほうにいろいろな提言を書かれ ていますが、3年と4年の問題についてはきちんとしたことが書かれていませんが、早 くけりをつけろというのは、具体的にはどのようにけりをつけたらいいのか、教えてい ただければと思います。 ○田中座長 では、発表の順にお願いします。 ○久常先生 ご質問ありがとうございました。効果性・安全性の視点から見たときに、 教育の期間が4年なのか大学教育なのか、それがどのような関係なのかですが、私は現 在の大学教育がいいとは思っておりません。看護師教育4年間で大学教育にすべきだと いうことです。いまの大学教育は、看護師教育、保健師教育の両方を4年間でやってお ります。その意味では、いまのままやっていけばいいとは思っておりませんが、看護師 の教育にも、先ほど中山委員がおっしゃいましたが、健康の視点も必要です。そのよう な教育は必要でしょうが、保健師教育をする必要性はないと思います。  どのように持っていくかですが、先ほど言ったように、現在5万人教育し、実質現場 に出ていく人は7割です。ほかの80万人が臨床で働いています。その80万人のうちの 10万人が、年間異動するかやめるかしております。それを考えると、看護師教育を変化 するといっても当然移行期間が必要ですから、例えば10年なら10年で移行していく必 要性があるのではないかと思います。それで大学の数が足るのかというと、やめる数が 変わってきますし、いま年間80万のうち10万がやめております。働き方の問題で、日 本の働き方は非常に特殊性があります。これを変えていくという問題と、卒業した人た ちがやめない、あるいは学校でやめていかなくなることを考えると、看護の需給の問題 に関しては、私は心配ないと思っております。  持っていき方の問題ですが、今日の午前中、タイの看護教育の責任者の方が来られま した。17年前に、タイは全部を大学教育に変えております。それがいまの医療改革にと って非常に重要だとおっしゃっていました。私がもう1度申し上げたいのは、いまの日 本は医療改革と言いますが、そこで働いている看護師の質は一体どうなのかということ です。先ほど、辻本さんが私も聞くのがつらいぐらいのことをおっしゃいましたが、私 はそれは間違っていないだろうと思います。つまり、数をいかに確保するかということ で、いまの国民の教育レベルがどうなっているのか、それと看護の教育レベルがどうな のかを考えたときだけでも、すでにおわかりだと思います。少なくとも、一般国民の50 数%が大学教育で、それを受けて生活しているわけです。その人たちを看護するには、 その人たちが納得するように説明ができないといけないし、きちんと判断できるように しなければいけません。ニヤッと笑ったりするなどと書いてありましたが、それを考え ると、国民レベルに合わせた看護教育のレベルに持っていかなければいけないのではな いかと思うのです。しかし、持っていけなかったのはなぜか。それは、単に数の辻褄合 わせのために追われてきたことが問題なのではないかと思います。数の辻褄合わせだけ では効果性の問題、やめていく問題が起こってきて、結局はいくらたくさん養成しても やめていくことで、辻褄が合っていないということです。  そのような意味で、持っていき方としては当然移行期間があるだろうけれど、例えば タイは大学教育にする場合と、養成所はいくつかの大学と連携を取らせて、トータルと して大学教育に持っていけるようにしたということです。いろいろな持っていき方があ るだろうけれど、そのように現実的な持っていき方をしたほうがいいのではないかと思 います。  2番目の問題は何でしたでしょうか。 ○梶本委員 いま聞いて大体わかりました。いまの4年制は、3年制の看護師養成所と 保健師を1年やっていて、それが大学だと言っているわけですね。 ○久常先生 そうです。それを統合してやっています。 ○梶本委員 2番目の質問はいいです。その前に、久常さんの考えは、最終的には全部 を4年制の大学にしようということですね。 ○久常先生 そうです。 ○梶本委員 中山さんの話ではアドミニスターを目指す人もいれば規格外の看護師を目 指す人もいると言っていましたが、そこは職種や自分の希望に限らず、全部4年制だと いうことですね。 ○久常先生 最低を4年教育にすべきだと思います。少なくとも、どの患者でも相手に わかるように説明しないといけないし、安全性を保たなければいけないし、効果性を促 進しないといけないし、日本の医療そのものの効果性、医療費のことを考えなければい けないのではないかと思います。最後の資料にありましたが、数が同じであっても死亡 率が違いましたね。それを考えると、これ以上少子化が進むわけですから、そんなにど んどん看護職を増やせるわけではない。一定の数の中で在院日数は短くなるでしょうか ら、さらにさらに重症化しますね。そうしたら、どのようにしていかなければいけない のかが当然見えてくるのではないかと思います。  先ほどの辻本委員の発言は、いまの一般の国民の教育レベルに看護そのものがいかに 合ってこなかったのか、常識の基本的なところができてから専門性が積み上げられるべ きであるにもかかわらず、そこがなっていないということをご指摘になっているわけで す。いま養成所の教員たちが何に苦しんでいるのか、教育の専門性に苦しんでいるわけ ではなく、そこに持ってくるまでの支援に苦しんでいるわけなので、もう限界ではない かと思っております。  准看の問題に関しては、私どもは廃止すべきということで組織で決定しておりますの で、そのような方向で思っております。 ○梶本委員 医療界のお医者さんのほうは3年で、とにかくやれることを考えろと、少 しニュアンスが違うのですが、その辺りはどうですか。 ○久常先生 私が申し上げたいのは、いまのこの検討会が日本にいま必要な医療を担う 看護職を確保しようという視点で検討しているのか、それともある特定の集団、例えば 診療所なら診療所だけの集団としますよ、その人たちにとって必要な看護職を育てよう というのか。診療所をやっている方でも、たくさん看護職を雇っています。最初に、い まの新卒の看護職が全員どこに行くのかを言いました。98%強が、まず病院に行くので す。診療所は数百なので、どこの国でも卒業した人たちはまず病院に就職するだろうと。 そこを考えた教育をしていかないと、どこにとって必要な看護職ということではないだ ろうと思います。患者にとっての安全性と、医療の効果性を原点にした教育を考えなけ ればいけないのではないかと思います。人件費が必要であれば、診療報酬で対応すべき であって、これは別の問題ではないかと思います。 ○中山先生 私のほうから、1つは教育の問題なのですが、3年制がいいか4年制がい いかという議論があります。先ほど言ったように、いまの看護学校は厚生労働省、短大、 大学が文部科学省となっていますが、私が主張したいのは、3年でも4年でも、看護師 の専門職としての人生は大体40年ぐらいあるわけです。辻本さんからもあったように、 この40年何も勉強しないで看護職をやれるわけがないのです。特にこの時代状況の中 では、病院に勤めていても大学に戻って学習したり、さまざまなことが必要になってく るわけです。学びたいときに学べるということを保証するためには、大学にしたいとい うのが私の最初の主張でした。  このところ、看護学校卒でも修士課程に入学できるなどさまざまな形で大学に戻れる ようになっていますが、看護教育の継続性と積上げを考えれば、最初の土台が共通基盤 になっているのがいいと私も思っております。この40年の専門職を維持するための教 育が、必要なときに受けられることを保証するための基礎教育を確保したいというのが、 私の主張です。  もう1つの問題として、教員の教育力の問題が出てきました。先ほどの60ぐらいに 減らしてもいいというのは縛りだけの問題で、卒業単位は大学の場合は124ですが、卒 業に必要な単位はいくつかあると思います。その中で、養成所の指定規則として縛られ るものをできるだけ少なくしていただきたいというのが私の主張で、60単位で卒業でき るということではありません。そこはちょっと誤解のないようにしたいと思います。単 位数はいくつで卒業することになるかわかりませんが、縛りを少なくすることでユニー クさが出せると思います。  教員が持つ教育力は、先ほども言ったように、私は臨床能力と考えていますが、臨床 能力が第一線の看護師のような形の技術を持つということではなく、先を見通せるとか 状況を読む、あるいは臨機応変にいろいろなことに対応できる、そういった形で基本的 に看護職としての高い臨床能力があれば、それは教育力にもつながっていくものだと思 っています。ですから、教員が臨床の場と教育の場をもっと自由に行ったり来たりする こと、臨床の看護師をやったり教員になったりすることも含めて、自由な働き方ができ ることが、教員たちの臨床能力を保持するために重要ではないかと思っています。  そうなると、一旦教員になったらずっと教員というほうが問題で、特に若い層は出た り入ったりといったことが自由にできるシステムを作れば、教員たちの臨床能力も保持 されると思っています。そのようなシステムの中であれば、私はいまの教員養成課程は 必ずしもいいと思っておりません。もっと自由裁量でできる、教育を担える看護職が育 っていくべきだと思っています。これだけたくさんの大学ができて、大学の中でユニー クに育った人たち、規格外が出てくるはずです。その規格外の人たちが規格外の教育を してくれれば、学生も大きく育っていくのではないかという期待を持っています。 ○辻本氏 ご質問ありがとうございました。ご紹介した苦情は決して私が言っているの ではありません。電話相談の方が言っているのです。ただ、私は自分自身の患者体験も 含めて看護の力に大いに期待を抱いているだけに、あえて厳しくご報告をしていること を受け止めていただきたいと思います。  梶本委員が「けりをつけろと言っている」とおっしゃいましたが、まさにそうです。 1つは、准看の養成所問題が長いこと課題になっていて、いまだ手つかずという現状が あります。正直言えば、いい加減にしてくれという気持も患者としてはあるので、まさ にけりをつけていただきたいということで、あえて厳しく提言しました。  なぜなら、特にこれからの医療が、患者の私たちがどんどん地域のかかりつけ医にシ フトせざるを得ない方向性に押しやられている現状の中で、病院で高いニーズを抱いた 人たちが、かかりつけ開業医に行ったから急に看護への期待を小さくするかというと、 決してそれはないのです。病院で受けたままを、むしろそれ以上にものを言いやすい気 軽さも含めて、今まで以上の高い要求がかかりつけ医の看護にも、在宅の看護にも届い ていくようになります。それに応えていただくことになれば、お二人がおっしゃってい るように最低4年の教育が必要で、なおかつ教員の質を高めていただくことを同時並行 でやっていただきたいと思います。  ただ、先ほども少し触れましたが、現在おおまかに言えば3つの養成コースで一定の 数の確保ができているときに、大学一本化を早急にしてしまうことで数の確保は大丈夫 なのかということも、1つの不安としては持っております。その辺りは、政治力あるい は学会などの力も含めて、うまく調整していただけるのだと思いますが、私は准看の養 成所は1日も早く廃止していただきたいと思います。また、20年後では遅いと思います が、最低看護教育4年を実現していただきたいと思います。どこへ行っても、しっかり と患者の自立支援者であるナースと出会えることを、確保していただけるような国の施 策を期待したいと思います。 ○矢崎委員 いま看護教育の課程が3年か4年かというお話がありましたが、これは大 学か4年養成校かということになるかと思います。いま薬剤師も6年制になって、医師 も実質8年制になっています。そのような中で、看護職が十分な能力をつけるために、 養成校を含めて4年という考えはよくわかるのですが、カリキュラムの中身の問題は別 にして、いちばん悩ましいのは、先ほどおっしゃったように管轄が文科省と厚労省に分 かれているのです。同じ4年で大学は学士号をもらえて、養成校はどうなるのか。文科 省に要請して、大学卒業と同等の学士号が得られるのかどうかが1つです。  もう1つは、折角3年である程度実践能力を認められた看護師の免許資格があるのに、 それを活かして、大学はともかく養成校の場合には、4年制にしたら3年で免許を取っ て、4年はさらに実習をするといったバラエティを考えていいのではないかと思うので す。その辺りは、行政の影響力というのは議論がものすごく大きくなるのではないかと 思うのですが、そこをどう整理するかです。また、スケールの問題があります。大学と 養成校ではものすごく養成数が違うので、それをどう調整するか、教員の問題もありま す。  もう1つは、梶本委員がおっしゃった後半の問題で、医師会は医師は全く平等である と、差別してはいけないと、専門医制度も非常に反対しています。看護協会は、中山先 生の10頁の台形の表を見ると、看護職は役割分担を考えてもいいのではないかと思う のです。基本は看護学ですが、現場ではいろいろな機能を考えてもいいのではないかと、 少し医師会から離れた考え方で、私はこの考え方はすばらしいと思います。中山先生が お話になった看護教育の心髄は、文科省の医学教育課の21世紀における医学教育の改 善に関する報告書のフィロソフィーがみんな出ているのです。これは看護職というより は医療職全体の基本で、これが看護職でも教育できれば大変すばらしいと思うので、是 非普及に努めて、教員の教育も充実してほしいと思います。  まとめると、教育が3年か4年かの問題と、看護師の職種をどのように捉えるか、非 常に広い範囲があると思いますが、3年か4年かというのは行政関係になるかもしれま せんが、協会の観点から。 ○久常先生 先ほど、矢崎委員がおっしゃった4年制教育にするのか、4年制大学にす るのかの話ですが、4年制の養成所を継続した場合には、定員割れはさらに進むと思い ます。というのは、専門学校に行く割合は18歳の全体25%ないわけです。だから定員 割れを起こしているだけではなくて、非常に学力の差ができているのです。つまり、普 通は受験するときには倍率があり、やめていったら順番に補欠を取ります。取ってもま だ定員割れしているということですから、いかに養成所ではやれないかということです。 それを4年にしたら、もっと定員割れを起こすだろうと思うのです。  また、先ほども言ったように、160校分の学生たちが消えていっているわけなので、 一定の数を確保したいと思えば、養成所での教育はこれからはあり得ないのではないか と思うのです。 ○矢崎委員 そうすると、全部大学に移行するという考え方ですか。 ○久常先生 そうしたほうがいいと思います。私は、医療関係者は大学教育を特別視し ているけれど、一般常識で言えば、うちの娘は大学を出てこの前まで何をしていたかと 言えば、アルバイトで診療所で補助者をやっていました。つまり、大学教育は特別では ないということです、いまの時期に。それを、なぜ医療関係者だけが人の命に関わる仕 事をするのに、大学教育か養成所教育かと言うのかと。いまどのように進学がなってい っているのかという現実を見て、母数を見ないと、看護職は一定の数が必要なわけです。 ただ数を多く取れば、160校分が1回にやめていっているとしたら、これは教育をどう するかを厚労省は考えなければいけないのではないでしょうか。数の確保ということで も責任があるわけですので。 ○矢崎委員 現実的に、大学にした場合に教員の数の規定がありますよね。そのスケー ルは、5万人分をどう確保するのでしょうか。 ○久常先生 それはどこでも言われる質問ですので、2つ用意してあるのです。まずは、 看護大学が数校しかないときに、看護大学を1年間に10校ずつ増やしてきた現実があ ります。看護大学の教員なんか、どこにもいません。いなくても増えてきました。結局 増やせば教員は出てくるわけです。  もう1つ、日本はあるとき突然医学部を増やしました。そのときは、確かに医学部の レベルは下がったと思います。国家試験の受験合格者が50%前後の大学なども出てきた わけですが、その50%だった医大がどうなったかというと、いまは一流の私立大学にな っています。そう考えると、確かに一時期はいろいろな問題が起こるかもしれません。 しかし、決断しなければ変化はないのだと、時代にも合っていけないのだということで す。 ○矢崎委員 看護師の専門職としての役割分担はどうなのでしょうか。 ○久常先生 専門看護師のことですか。日本看護協会は、それを推進しております。そ れを認定してやっているのは看護協会ですので。 ○矢崎委員 医師会とはだいぶ考え方が違いますね。医師会は、医者は大体全部同じ資 格と考えています。 ○久常先生 それぞれの効果性ということを考えれば、必要ではないでしょうか。全部 が同じというよりは、役割が違ってくる。それで効果性が進めていけるのではないかと 思います。 ○田中座長 論点がクリアになったと思います。ありがとうございました。 ○寺田委員 教育に関する研究をしている者、あるいは一般の国民感覚から質問をした いと思います。最初は久常先生ですが、ここは研究者的に細かい問題をほじくり出した いと思います。万事学歴差という話をなさって、教育者としては寂しい気もするのです が、というのは、入学者の基礎学力の問題、早期離職について養成期間の差が非常に如 実に表れていると、おそらく事実なのだろうと思うのです。問題はそこの理解の話で、 認識の話で、細かい統計的な話は言いませんけれど、例えば早期離職に関して言います と、なるほど同じ大学病院の中に勤めてた人ということなんですが、どうなんでしょう か、こういう問題というのは非常に多様で、学歴一本で説明できるかどうかは非常に疑 問があり、かと言って家庭環境の差だとかいう話でもなさそうですし、非常に多様だと 思いますので、こういう問題は学歴の問題だけでというふうに説明されないほうがいい のかなという気がします。むしろ教育機関に携わる者としてはやはり個人の特性と言い ますか、個人の成長可能性というのがあるので、そこにもっと注意をしていく必要があ るのではないかという気がいたします。これは意見として申し上げたいと思います。  それからもう1点、最後のアメリカの教育水準ごとの患者死亡と。日本でこんな発表 したらこれはどうなるのかと心配をするのですが、学士卒以上の看護師とそうでない場 合の死亡割合ですね。それで細かくお聞きしたいのですが、もしご存知でしたらAiken さんという方の研究のようですが、学歴水準ということだけ取上げるとおそらくこうい う結果に間違いないのでしょうけど、1つは実態の数字でしょうか。もう1つは何か特 に学士卒以上の場合の就業分野と言うのでしょうか、病院の中では職場と言うのですか。 例えば急性期部門だけをやっている人がどうなのかとか、もう少し軽い病気の場合はど うだとかいうことが多分バイアスかかっているのだろうという気がしますので、もしお わかりでしたらお教えいただきたいと思います。  それから中山先生ですけれど、教育学部の先生としても十分対応可能なのではないか という気がいたしました。非常に参考になりました。ありがとうございます。それでお 聞きしたいのが、1つは私も職業だとかキャリアと考えている関係で、特に7頁にお書 きのモデル、これは非常によくできたモデルだなという印象をもちました。それで問題 は理論と実際の関係で、実践知の創造、さらにそれを後継者に伝達するというところを 強調なさったのですけれど、理論知を実践知に転換していく場合のプロセス、そこが実 は問題で、それでおそらく2とおりがあり、1つは通常の講義科目がどうなのかと、看 護学だとか何とかという座学ですね、そこの中味の問い直しがあるだろうし、それから 実習のあり方で問題提起なさっておりましたが、実習の組織の仕方と言いますか、そこ がその次に問題になるのだろうと思うのですが、その点について何か具体的な施策と言 いますか、方法としてお考えがあればお聞かせください。  もう1点は10頁の図でさきほども矢崎委員がお触れになりまして、大変おもしろい と、図の上にあるように一人前の看護師には3つのパターンがあるという話ですね。そ れで、半人前と言いますか、養成教育の段階については養成の多様化があってもいいの かどうか。先ほど、ちょっとそれに近いニュアンスのご発言があったと思います。つま りアドミニストレーター志向あるいはスペシャリスト志向、ジェネラリスト志向、それ ぞれの養成過程みたいなものがなくていいのか。  最後辻本さんですが、市民感覚からするとこんな話なんだろうと私は思います。それ で1点だけお聞きしたいのは4頁の看護の専門性で、前回も別の方にヒアリングでお聞 きしたのですが、ここはいちばん、こういった部会では考えなければいけないという話 で、単純な問いかけですが、専門性と言った場合、知識・スキルのところを大いに強調 なさろうとしているのか、おそらくこれは看護の高度化ということで、学歴、あるいは 教育年限をもっと上げていくという話につながっていくのかという気がしますけれども。 一方、辻本さんが提起されたことは、大半が看護モラル専門職倫理の話ではないかとい う気がいたしましたが、そういう理解でよろしいでしょうか。以上です。 ○田中座長 お三方に質問ありましたので順番にお願いします。 ○久常先生 ありがとうございました。寺田委員は先ほど私が学歴差のことを強調して いるように聞こえたかもしれませんが、結果として学歴差になっているということであ って、学歴差を言っているつもりはないです。大学でないといけないではなく、結果と して大学でないといけなくなっているという事実です。例えばいま来る18歳は、25% しか専門学校に行ってない、その中で来る人を探さないといけないわけで、だからこそ 養成所が定員割れをしていると。だからいまの18歳人口、特に女子の志向がどうなの か、養成所を志向なのかということです。そこのところでまずは養成所志向ではないと、 大学志向であるということです。そして現実に養成所教育と大学教育は教育条件が全く 違います。私は以前こちらのほうで仕事をしておりましたので、どれだけ違うかよくわ かっております。教員の数の問題、その他いろいろな諸々の問題があり、具体的に教育 を運営していくときの問題として、私は来る層が違うにかかわらず、本当は大学教員と 養成所教員の数は逆転していないと対応できないはずにもかかわらず、非常に問題がた くさんある人たちに対して教員の数がものすごく少ない。教員の数だけの問題ではあり ませんが、そういう意味で教育条件が悪い。そういうことを考えますと、実習時間が大 変少なくなりました。いわゆる現場に対応できていかない。この3つの条件から結果と して学歴差にそれがなっているということです。  もう1つ、個人の特性のことを申されましたが、これはどの世界にもございます。し かしどういう教育にしていくかというときには個人の差の問題では済まされないのでは ないかと、看護はマスでいま見ていかないと、全て医療事故がどのように起こるか、あ るいは効果性がどうなのかというときは、個人の問題、確かにいい人もいるわ、いい人 もいないわという世界ではないと、どのように教育にしていくかということは全体傾向 を見ながら、どういう効果性を生み出していく人が必要なのかを見て考ないといけない 問題ではないかということで、その個人の問題といまの教育制度をどうしていくかとい う話とは、全然別の問題であるということだと思います。  この最後の効果性の医療の過去に、教育改革は必須ということで、同じ直接ケアを行 う看護師の教育水準ごとの、患者死亡でございますが、これは日本ではできません。そ れは国民感情の問題ではなく、大学卒が2、3割とかいないからこの比較ができないだ けのことです。しかし、最初も申しましたように教育の違いは、在院日数、いわゆる医 療効果に歴然とした効果があるというのは日本の研究でも明らかです。 ○寺田委員 多分それなのだろうと思いますが、私がお聞きしたのは、アメリカの場合 のデータの学歴差を証明する欄です。 ○久常先生 これは研究ですので、条件は一定しておりますから、急性期です。 ○中山先生 寺田委員のほうから出ましたが、これまでの懇談会でも教育や看護のよう な実践を中心とする問題は同じ問題だと言われていましたので、多分共通するところが 多いのではないかと思っております。それで理論知を実践知にということの問題ですが、 これまでの懇談会にも出ていますように、私が示した7頁の、実践能力を育成するため の教育方法としての能動的学習、これはあまり教育の世界では新しいことではありませ ん。例えば1人の肝臓疾患をもっている患者さんのケアをするときに、先にあまりたく さんの知識を持たなくてもそこの臨床場に行って、そこから動機付けられていく問題に ついて理論知を集め、その理論知を使って実践していくという、臨床現場での関心から 理論と実践とを双方に学んでゆく、というような形の学び方と考えていただければいい のではないかと思います。これをするためには、それを駆使できる教員の能力が必要に なってくるということになると思います。その教員の訓練はまだ十分にされていないの が看護界のいまの現状であると思います。何人かの先生方はこういった形の教育に切り 替えたいと、いろいろな研究的な試みはされていると思いますが、これを推進していく ためには、教員の数を増やさなければこのような教育は実践できないと思っています。 こういうようなやり方をすると3年間あるいは4年間の教育の中で全ての疾患について 学習することはできませんので、非常に偏りが出ると考えます。ですが1人の患者さん のことでもそういう学び方を身に付ければその後もそのような学習の方法が身に付いて いくという教育の考え方かと思います。  私自身はどう考えても基礎教育の中では、ものの考え方を育成することが大事である と考えます。臨床的には看護技術の問題が言われていますが、技術はこれまでのデータ でも出ていると思いますが、だいたい1年ぐらい実践をやれば習得できると言われてい ます。けれども思考の問題などは1年間やっても習得ができないわけです。何かずっと 身に付いたものはなかなか変更できないわけですから、そういう意味で思考の問題は基 礎教育の中では丁寧にやりたい、もし本当に技術面での臨床能力が足りないのでしたら 研修制度なり、あるいは短期間の何かでカバーできると思っています。基礎教育の中で は短期間で習得できるものは後回しでもいいのです。どうしても長期間かけてやらなけ ればいけないものは優先させたい、それが教育にいる者の気持ちと考えていただければ いいと思います。  それから先ほど1人前の図ですが、10頁は説明が足りなかったかと思います。先ほど 矢崎委員のほうから出ましたように、看護師というのは一人前というところまでは一緒 ですが、それ以後はもっと様々な道があってもいい。全部一人前の仕事だけではなくて、 看護には多様な仕事があるわけですから、一人前以降はもっともっといろいろな選びが あっていい、それを可能にするためには、基礎教育からいつでも必要なときに積み上げ られるような、教育のシステムを作っていかないかぎりはこの40年を、自分がどうい うふうに看護職として生きるのかということを、若い人たちは決めていくことができな いのではないかと思っています。以上です。 ○辻本氏 簡単にお答えします。患者のニーズを集約すれば、やはり確かな技術と高い 倫理観、これは何も看護に期待することだけではない、言ってみれば患者の命や体に直 接かかわる医療者全てへの期待というふうにも言わせていただきたいと思います。ここ で看護の専門性がわからないと書いているのですが、何を期待できる人なのか患者や家 族がわからないという問題です。電話相談をお聞きしていて思うのは、患者さんも家族 の方も、言ってみれば全てをドクターに期待して、できるはずのないことまで100%ド クターに期待して、その充たしてもらえない不平不満を長々と語られるわけです。その お話を聞いていくと、こういうことなら看護師さんに、こういうことなら薬剤師さんに、 こういうことなら栄養士さんにと、私たちでも思うのですが、1つはそうした、全て独 りドクターに片寄ってしまっている患者側の期待感をきちっと分類していただくこと。 「こういうことなら私たち看護よ」、例えば退院してからの日常生活についての相談と言 うことであれば看護の専門。病院は31種類もの職種のプロの機能する集団というふう に聞いておりますので、そういった観点からも身近な相談相手と言うことでまずは看護 に何を期待できるか、私たち患者にはっきりと示していただくことも含め、専門性を期 待したいと思っています。 ○田中座長 どうもありがとうございました。最後に井部委員に発言いただきます。 ○井部委員 久常さん、中山さんからの説明は大変納得のいくものであります。特に私 は中山さんの1頁の、トレーニングとしてのKnowing-howとエデュケーションとして のKnowing-thatというこの考え方は二者択一ではなくて、新しいやり方としては、 Knowing-thatというこのエデュケーションを大学4年にして、Knowing-howというト レーニングの部分を臨床研修の、私は半年ぐらいでいいのではないかと個人的には思っ ていますが、そうしたものに置き換えて組み立てるのが新しいパラダイムとしてできる のではないかという感想をもちました。それから指定のカリキュラムは最小でいいとい うのはとても賛同するものであります。医学部が作っているコアカリキュラムを看護の 教育でも採用し、コアカリキュラムで最初の単位でこれだけはやる、あとは大学の独自 性というところで作ることができるといいのではないかと思いました。  それでお伺いしたいことが2つあります。1つは久常さんにですが、アジアのいくつ かの国は先ほどのインドネシア、タイ、韓国もそうですが、看護教育は大学となってい る、あるいはそのように進行しているアジアの新興国が多いわけですが、日本はなぜ先 進国でありながら、そこがなかなかうまくいかないのはなぜなのかと、誰が犯人なのか 犯人捜しをしたくなるわけです。どうしてなかなか教育の変革が進まないのか、どのよ うにお考えになっていらっしゃるのかということです。  それから辻本さんに伺いしたいのは、私はこの医療の改革とか、看護の教育の改革は、 市民の後押しが重要だと思っていますが、今日の資料からするとそうではなくて、抵抗 勢力という感じでありました。特に7対1については、例えば中医協で体を張って戦っ てきた人もいるわけですが、なんだこの程度の認識なのかと、一般の患者にはそのよう なことが伝わらなくて、私たちが何を意図して一生懸命7対1を導入したのか、サービ スの受け手側に浸透するにはまだまだだと実感したわけです。ではどのようにしたら看 護が考えていることが、市民にも同じように考えてもらうことが可能なのかということ について、もしお考えがありましたら教えていただければと思います。 ○田中座長 最初の犯人捜しは、お2人に言ってらっしゃるのですか。 ○井部委員 会長です。 ○久常先生 そう質問するときは前もって教えていただきたいと思いますけれども。突 然言われまして本当にビックリです。私はタイの例を見てもどこの例を見てもそうです けど、医療改革をしていく前には、あるいはその前後には必ず教育改革があると、それ は効果性を願うならそれを担えるような人材を育てないといけないと。先ほどタイの例 で申しましたけども、いまから17年前に大学教育にして、2001年に医療教育改革をし た。日本も医療改革を言うわけですが、それに伴った、それを担う人間の教育改革とい うのが伴っていない。他は先ほど矢崎委員がおっしゃいましたように、薬剤師あるいは 医師に関しましてはその時代に合う医療教育改革がなされてきた。しかし看護だけなぜ なされなかったのか、これはやはり基本的にそれをどのようにしたらそれが医療改革が 可能なのか、内容として、それをきちっと考えないで在院日数の問題とか、別の形で進 めてきた。在院日数を短かくするのなら当然それは重症化するし医療効果性を上げない といけない。そうしたらどういう人間が担わないといけないのか、そしたらそれを当然 チーム医療と言っている。しかしチーム医療ということはそれぞれの、私はよく樽で説 明をするのですが、木や板でずっと樽を作りますよね、1本1本。そのときに看護のと ころだけ低かったらそこから水は抜けるわけです。いくら医師を立派にし、薬剤師を立 派にしても、水が抜けるところをそのままにしてきたと、その結果が先ほど辻本委員が おっしゃったような、現場には実態があると、その被害を誰が受けてきたのか、結局は 患者さんですよね。そういう意味で私は医療の効果性、あるいは医療改革ということを 考えるときに、患者に対してどうだったのかという視点は、結果としてあまり考えてこ なかったなと、改革ありきで考えてきたという気がします。つまりそれを支える人間全 体のチームとしての効果性というものを考えてこなかったと。そういう答えでよろしい でしょうか。ちょっと難しい質問でしたね。 ○田中座長 では最後になります。辻本先生からお答え願えますか。 ○辻本氏 別に抵抗勢力ではございません。先ほども言いましたが期待をしているから こそのあえての提言です。  例えば7対1ということは看護の現場あるいは医療現場の日常用語になっているので すが、わかりやすい説明がなければ患者には何のことか全然わからないわけです。今年 の初め、私どもの病院探検隊というささやかな活動の中で都立広尾病院に伺ったときに、 それぞれのナースステーションの掲示板に7対1ということがどういうことであるか、 そして何時から何時の時間は何人の人がこういうふうに動いているということが、もの すごくわかりやすく掲示してありました。この掲示で患者さん家族から、何か変わった ものが見えますかとお聞きしたら、この時間帯に相談するとナースの手がたくさんある から相談にのってもらえるのかなど、家族の側の方たちが、いい意味で理解してくださ いましたという現場からのお声もいただきました。ですからやっぱりわかりやすい情報 提供が必要です。問題は説明不足です。7対1ということで何が実現できたかというこ とは多少なり理解はしている私ですが、ごく一般の患者さんには全くわかっていないこ とを、あえてご報告させていただいた次第です。わかりやすい言葉で情報を共有する努 力をさらにしていただきたいというお願いでもございます。 ○田中座長 市民の方々の協力は非常に大切な観点ですね。時間を超過いたしましたが、 本日の議論はこれにて終了いたしたいと思います。多分委員のほうは多少燃焼不足なの ではないかと思いますので、次回は私どもが発表することになります。本日は3名の有 識者の方々にお忙しい中をご出席いただきましてありがとうございました。貴重なご意 見をちょうだいして感謝を申し上げます。  次回は先ほど申しましたように、私たちがそれぞれ意見を言う機会にしたいと考えて おります。日程について、事務局から説明をお願いします。 ○島田補佐 次回第7回の日程は6月2日月曜日13時から、場所は厚生労働省18階専 用第22会議室での開催となります。どうぞよろしくお願いいたします。 ○田中座長 では、これにて第6回「看護基礎教育のあり方に関する懇談会」を閉会い たします。皆さま、どうもありがとうございました。 照会先 厚生労働省医政局看護課 福井 小紀子 (内線2599)   福井 純子 (内線2595) ダイヤルイン 03-3591-2206