第1章 救命治療、法的脳死判定等の状況の検証結果

1.初期診断・治療に関する評価

1.1 脳神経系の管理

1.1.1 経過

30代の男性。平成18年3月11日1:20頃、50ccバイク運転中に電柱に激突して受傷。1:26に救急車が現場に到着し、2:06に当該病院に到着した。病院到着時、意識レベルはJCS 300、GCS E1V1M1、脈拍93/分、呼吸数32/分、血圧70/-mmHg、瞳孔は散大し対光反射を認めなかった。多発外傷によるショック状態であり、救急外来において直ちに右緊張性血気胸に対して胸腔ドレナージ術を施行、気管挿管の上緊急輸液・輸血を行った。しかし、ショックから離脱できず、腹腔内出血のため緊急開腹による止血術を行った。7:17、開腹手術後頭部CTを撮影、左急性硬膜下血腫、左大脳半球の低吸収域と脳腫脹を認めた。直ちに左極小開頭血腫除去術及び頭蓋内圧センサー留置術を行った。術直後のCTでは血腫は完全に除去され、頭蓋内圧(ICP)は10mmHgであった。以上より、本症例は、右血気胸、肝臓損傷、小腸漿膜面損傷、腸間膜断裂、右上腕骨折、右尺骨・橈骨骨折、右第4-10肋骨骨折、左急性硬膜下血腫、左大脳半球脳腫脹を伴った重症多発外傷である。翌3月12日には、CT上左大脳半球、右前頭葉に広範かつ著明な低吸収域と脳腫脹が拡大し、頭蓋内圧亢進と脳灌流障害によるものと考え、バルビタール療法、軽度低体温療法等を開始した。3月14日には頭蓋内圧の上昇が制御不能となり、脳死直前の状態であることを家族に説明をしたところ、ドナーカードが提示された。バルビタール療法は中止した。3月15日には頭蓋内圧は平均血圧に達し、尿崩症も出現した。3月17日には軽度低体温療法を中止した。

1.1.2 診断及び治療の妥当性

来院時にすでに深昏睡とショックの状態であり、ショック状態の治療を優先し、右血気胸の治療、ついで腹腔内出血に対して緊急開腹術を行い、全身状態の安定を図った。術直後のCTにて左急性硬膜下血腫と診断し、極小開頭血腫除去術を行っている。その後、頭蓋内圧をモニターしつつ治療を継続したが、左大脳半球から右前頭葉におよぶ脳浮腫と脳腫脹の進行が著しく、受傷3日後には脳死直前の状態となっている。

以上のように、本症例は左急性硬膜下血腫と広範な脳浮腫、脳腫脹の他に、胸腔、腹腔に重篤な損傷があり、右肋骨と右上腕・前腕の骨折をともなうなど、重篤な多発外傷である。本症例に対する診断法・治療法の選択、および実施時期は適切であり、診断・治療は妥当である。

1.2 呼吸器系の管理

3月11日1:26救急隊現場到着時には意識障害(JCS 300, GCS3点)であったが、自発呼吸があり、救急隊員により気道確保、BVM(Bag Valve Mask)による補助呼吸と酸素投与、酸素飽和度、心電図モニター、全身固定がなされて救急搬送となった。

当該病院搬入後、救急外来において呼吸状態は32/分で浅く、血圧は触診で70mmHgとショック状態であり、右気胸に対して胸腔ドレーン挿入後、経口的気管挿管がなされ、人工呼吸器にて FiO21.0、一回換気量(Tidal Volume:TV)550ml、1分間15回の同期式間欠的強制換気(SIMV)がなされた。この時点の動脈血液ガス分析所見では、PH 7.157、PaO2 103mmHg、PaCO2 56mmHg(FiO2 1.0、SIMV 15/分)であり、高炭酸ガス血症であるものの、酸素化は保たれていた。なお胸部レントゲン単純写でも多発肋骨骨折と気胸を認め、胸腔ドレナージが施行されている。

その後、肝損傷、腸間膜損傷、小腸損傷による腹腔内出血に対して緊急開腹ガーゼパッキングに次いで止血術が施行され、次いで急性硬膜下血腫と広範な脳虚血に対して小開頭血腫除去術及び頭蓋内圧センサー留置術がなされた。これらの術中において人工呼吸はFiO20.5, TV600ml、1分間15回の SIMVがなされ、手術中の動脈血液ガス分析所見では、PH 7.345、PaO2 141mmHg、PaCO2 34mmHg(FiO2 1.0、SIMV 15/分)であり適切な人工換気が実施されている。

3月12日、術後、集中治療室に入室したが、引き続き手術中とほぼ同様の設定で人工呼吸器による呼吸管理ならびに頭蓋内圧亢進に対する過換気療法が実施された。その間、過換気療法によりPaCO2 は30〜35mmHgに、また酸素化も良好に保たれていた。その後、3月15日5時頃には自発呼吸が消失したと考えられたが、引き続きFiO20.5, TV600ml、1分間15回の条件で人工換気を行った。以上より、呼吸器系の管理は適切であったと判断できる。

1.3 循環器系の管理

搬入時、頭部外傷、胸部外傷及び腹部外傷による腹腔内出血を伴う多発外傷のショック状態で血圧は70mmHgであったが、急速輸血・輸液等の適切な初療と緊急手術によりショックから離脱している。その後の集中治療室においても血圧、脈拍、尿量などが経時的に集中管理下でモニターされており、輸液療法とともに尿崩症に対しバソプレッシン投与で血圧も維持されている。 以上により、適切な循環管理が行われたと判断できる。

1.4 水電解質の管理

3月11日の来院直後の救急外来での血液検査所見では、Naは142 mEq/l、K 3.2 mEq/lであった。その後も重症多発外傷にともなう高Na血症(最高値155 mEq/l、最低値134 mEq/l)や低K血症(最高値4.7 mEq/l、最低値2.3 mEq/l)に対して輸液療法と電解質補正が行われた。

とくに尿崩症に対しては、バソプレッシンの静脈内投与が継続してなされている。

これらより、電解質や水分管理は適正になされていたと判断できる。

1.5 まとめ

本症例は左急性硬膜下血腫と広範な脳浮腫、脳腫脹の他に、胸腔、腹腔に重篤な損傷があり、右肋骨と右上腕・前腕の骨折をともなうなど、重篤な多発外傷である。救急受診時より深昏睡状態にあり、意識状態の回復の徴候を全く示さないままに、受傷3日後には脳死直前の状態となっている。本症例に対しては、適切な診断法、治療法が選択されており、治療経過は妥当である。

2. 臨床的脳死の診断及び法に基づく脳死判定に関する評価

2.1 脳死判定を行うための前提条件について

3月11日術後、集中治療室に移り集中治療が行われ、意識水準はJCS300〜200、GCS3〜5Tで経過し、頭蓋内圧管理のため、薬物療法に加えて過換気療法、バルビツレート療法や軽度低体温療法などが実施された。しかしながら3月14日には頭蓋内圧は60mmHgを超え、深昏睡状態(JCS300)、両側瞳孔散大(右8mm、左7mm)、対光反射も両側消失しており、家族に脳死直前の状態であることを伝えたところ、ドナーカードの提示がなされた。3月17日軽度低体温療法を終了し、16:55には臨床的脳死診断が開始され20:11に終了している。

3月18日0:35より第1回法的脳死判定を開始し、2:11に終了した。6時間19分経過後、8:30に第2回法的脳死判定を予定していたが、脳波上、散発的なburst様の筋電図の混入があり、平坦脳波(ECI)の確定ができず、第2回法的脳死判定を中止した。

3月20日8:40、再度、臨床的脳死と診断され、11:10から第一回法的脳死判定を開始し、13:36に終了している。その6時間4分後、同日19:40から第二回法的脳死判定を開始し、21:13に終了している。

なお、集中治療室での経過中3月11日に筋弛緩剤ベクロニウム10mgが1回、鎮静剤プロポフォール10mg/時間が3月11日0:00から3月12日15:00まで投与、3月12 日12:00から3月14日16:00までチオペンタール(バルビツレート)が250mg/時間で投与された。なお最も長時間投与されたチオペンタールは投与終了後から3月20日の2回目の臨床的脳死診断まで135時間以上が経過しており、血中濃度検査はないものの、時間的には脳死判定に影響しない状況で脳死判定がなされていると考えられる。

本症例では、上述の経過概要にあるように、脳死判定の対象としての前提条件を満たしている。すなわち、

1. 深昏睡および無呼吸で人工呼吸を行っている状態が継続している。平成18年3月11日1:20頃の交通事故による多発外傷で深昏睡となり、初療時より適切な呼吸・循環管理とともに外傷初期治療が開始され、約6時間後に頭部CT画像診断にて急性硬膜下血腫、脳虚血と脳腫脹の診断を得ている。さらに受傷してから約222時間後に臨床的脳死診断(2回目)を行っている。

2. 原因・臨床経過・症状・CT所見から一次性脳障害による器質的な脳障害が生じていることは確実である。

3. 診断治療を含む全経過から現在行い得るすべての適切な治療手段をもってしても、回復の可能性はまったくなかったと判断される。

2.2 臨床的脳死診断

〈検査所見及び診断内容〉

検査所見(3月20日7:09から8:40まで)
体温:35.3℃(膀胱温) 血圧:121/74mmHg(開始時)130/90mmHg(終了時)
JCS:300
自発運動:なし  除脳硬直・除皮質硬直:なし  けいれん:なし
瞳孔:固定し瞳孔径 右7.0mm 左7.0mm
脳幹反射:対光、角膜、毛様体脊髄、眼球頭、前庭、咽頭、咳反射すべてなし
脳波:平坦脳波に該当する(標準感度 10μV/mm、高感度 2μV/mm)
聴性脳幹反応:I 波を含むすべての波を識別できない

施設における診断内容
以上の結果から、臨床的に脳死と診断して差し支えない。

2.2.1 脳波

平坦脳波(ECI)に相当する(標準感度10μV/mm、高感度2μV/mm)。

3月20日7:50から同日8:25までの記録が行われ、正味記録時間は35分である。電極配置は、国際10-20法のFp1、Fp2、C3、C4、T3、T4、O1、O2、A1、A2であり、単極導出(Fp1-A1、Fp2-A2、C3-A1、C4-A2、O1-A1、O2-A2、T3-A1、T4-A2)と双極導出(Fp1-C3、Fp2-C4、C3-O1、C4-O2、Fp1-T3、Fp2-T4、T3-O1、T4-O3、C3-C4)で記録されている。記録感度は標準(10μV/mm)と高感度(2μV/mm)、刺激としては呼名・疼痛刺激、心電図と頭部外モニターの同時モニターが行われている。心電図によるアーティファクトが重畳しているが、これらの判別は容易である。脳由来の波形を認めず、平坦脳波(ECI)に該当する。

2.2.2 聴性脳幹反応

両耳刺激、最大音圧刺激(105dB)、電極配置(Cz-A1、Cz-A2)、加算回数4000回、により記録され、いずれの記録においてもI波を含む全ての波を識別できない。

2.3 法的脳死判定

〈検査所見及び判定内容〉

検査所見(第1回)(3月20日11:10から13:36まで)
体温:35.0℃(直腸温) 血圧:129/81mmHg(開始時)107/64mmHg(終了時)
脈拍数:63/分(開始時) 88/分(終了時)
JCS:300
自発運動:なし  除脳硬直・除皮質硬直:なし  けいれん:なし
瞳孔:固定し瞳孔径 右7.0mm 左7.0mm
脳幹反射:対光、角膜、毛様体脊髄、眼球頭、前庭、咽頭、咳反射すべてなし
脳波:平坦脳波に該当する(標準感度 10μV/mm、高感度 2μV/mm)
聴性脳幹反応:I波を含むすべての波を識別できない
無呼吸テスト:無呼吸

(開始前) (3分後) (6分後) (9分後) (終了後)
PaCO2 (mmHg) 33 60 51 62  
PaO2 (mmHg) 189 455 474 539  
血圧 (mmHg) 104/64 107/65 103/60 106/63 107/64
SpO2 (%) 100 100 100 100 100

検査所見(第2回)(3月20日19:40から21:13まで)
体温:35.6℃(直腸温)  血圧:111/69mmHg(開始時)108/69mmHg(終了時)
脈拍数:66/分(開始時) 70/分(終了時)
JCS:300
自発運動:なし  除脳硬直・除皮質硬直:なし  けいれん:なし
瞳孔:固定し瞳孔径 右7.0mm  左7.0mm
脳幹反射:対光、角膜、毛様体脊髄、眼球頭、前庭、咽頭、咳反射すべてなし
脳波:平坦脳波に該当する(標準感度 10μV/mm、高感度 2μV/mm)
聴性脳幹反応:I波を含むすべての波を識別できない
無呼吸テスト:無呼吸

     (開始前) (3分後) (6分後) (9分後) (終了後)
PaCO2 (mmHg) 33 52 61 62  
PaO2 (mmHg) 608 549 545 540  
血圧 (mmHg) 120/73 117/70 109/69 106/70 108/69
SpO2 (%) 100 100 100 100 100

施設における診断内容

以上の結果より

・第1回目の結果は脳死判定基準を満たすと判定できた(3月20日 13:36)

・第2回目の結果は脳死判定基準を満たすと判定できた(3月20日 21:13)

2.3.1 脳波

平坦脳波(ECI)に相当する(標準感度10μV/mm、高感度2μV/mm)。

第1回目は3月20日12:21から同13:01まで、及び第2回目は3月20日19:40から同20:30まで、いずれも30分以上の記録が行われている。電極配置は、国際10-20法のFp1、Fp2、C3、C4、T3、T4、O1、O2、A1、A2であり、単極導出(Fp1-A1、Fp2-A2、C3-A1、C4-A2、O1-A1、O2-A2、T3-A1、T4-A2)と双極導出(Fp1-C3、Fp2-C4、C3-O1、C4-O2、Fp1-T3、Fp2-T4、T3-O1、T4-O3、C3-C4)で記録されている。記録感度は標準(10μV/mm)と高感度(2μV/mm)、刺激としては呼名・疼痛刺激、心電図と頭部外モニターの同時モニターが行われている。心電図によるアーティファクトが重畳しているが、これらの判別は容易である。脳由来の波形を認めず、平坦脳波(ECI)に該当する。

2.3.2 聴性脳幹反応

第1回、第2回判定ともに行われている。

両耳刺激、最大音圧刺激(105dB)、電極配置(Cz-A1、Cz-A2)、加算回数4000回、により記録され、いずれの記録においてもI波を含む全ての波を識別できない

2.3.3 無呼吸テストについて

2回とも必要とされるPaCO2sub. 60mmHg 以上のレベルを得て、テストを終了している。

1回目の無呼吸テストでは9分後にPaCO2は62mmHgとなり基準に達し、この間PaOは455 mmHg以上を、SpO2は100%を維持でき血圧も維持されている。2回目の無呼吸テストでも、9分後のPaCO2が62mmHgに達し、この間PaO2は540 mmHg以上、SpO2は100%を維持し、低酸素血症はみられず、血圧も維持されている。

2.4 まとめ

本症例の脳死判定は脳死判定承諾書を得た上で、指針に定める資格を持った判定医が行っている。法に基づく脳死判定の手順、方法、検査の解釈に問題はない。以上から本症例を法的脳死と判定したことは妥当である。


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