08/03/24 第3回看護基礎教育のあり方に関する懇談会 第3回 看護基礎教育のあり方に関する懇談会 日時 平成20年3月24日(月)15:00〜 場所 はあといん乃木坂312号室 委員 井部俊子、尾形裕也、梶本章、田中滋、寺田盛紀、矢崎義雄(敬称略 五十音順) ○石原課長補佐 定刻になりましたので、ただいまより第3回「看護基礎教育のあり方 に関する懇談会」を開催いたします。委員の皆様、有識者の皆様方におかれましては、 ご多忙にもかかわらず当懇談会にご出席いただきまして誠にありがとうございます。以 降の議事進行は田中座長にお願いいたします。 ○田中座長 本日はヒアリングを行います。急性期医療における、医療及び看護をご専 門としていらっしゃるお2人の有識者の方々、また助産がご専門でいらっしゃる有識者 をお呼びしてお話を伺います。それぞれのご専門の観点から、将来求められる看護師像 や、看護師に求められる資質、そのための教育についてご意見を頂戴いたします。それ では、有識者の方々について、事務局からご紹介をお願いいたします。 ○小野対策官 本日ご出席の3名の有識者のご紹介をさせていただきます。延吉正清社 会保険小倉記念病院病院長です。延吉先生は、心臓カテーテル治療をはじめとした循環 器治療などで著名な小倉記念病院で、急性期医療を担う医療機関の院長として、看護職 を副院長に起用するなどをはじめ、病院管理に積極的に取り組まれるとともに、ご自身 もカテーテル治療の第一人者として手技を公開し、カテーテル治療の普及に努めるなど、 現在も臨床の第一線に立たれておられます。  松月みどり財団法人田附興風会医学研究所北野病院看護部長です。松月先生は、大阪 にあります急性期を主とする北野病院で看護部長を務められているとともに、救急分野 をはじめとする認定看護師の養成にも長年携わっておられ、専門性の高い看護師の養成 にご尽力されています。現在は、看護師にとって働きやすい職場環境づくりに取り組む とともに、特に新人看護職員の研修をはじめ、看護師一人ひとりの成長段階に応じた能 力開発に取り組まれておられます。  福井トシ子杏林大学医学部附属病院看護部長です。福井先生は、大学病院の看護部長 として、看護管理に当たられておりますが、特に助産師としての豊富な経験を活かし、 周産期医療センターの立上げや運営にご尽力されています。正常分娩については、助産 師が中心となって助産を行うローリスクユニットを開設するなど、先駆的な取組みを行 っておられます。昨年度開催されました看護基礎教育の充実に関する検討会助産師教育 ワーキンググループの委員も務めていただきました。  まず、延吉先生からご発表をお願いいたします。延吉院長、よろしくお願いいたしま す。 ○延吉正清先生 ただいま紹介にあずかりました延吉です。私は、直接看護にはタッチ しておりませんが、病院を管理する立場から、看護師はどうあるべきかということを述 べたいと思います。当然、うちの病院でも職員の半分以上が看護師ですので、非常に重 要なうちのメンバーです。看護師と医師がいないと病院は運営できない友です。  医師は患者を診てもせいぜい1時間ぐらいで、あとはほとんど看護師にケアしていた だくということで、非常に重要な地位と認めています。看護師は当然看護能力を持って いなければいけませんが、そのほかに人間的に優れていなければいけない、というのが 私の基本的な考え方です。  私は、院長になって5年です。昔、私の病院では総婦長の権限が強く、封建性が強か ったのですがそれではよくないということで、できるだけ民主的にやろうということで 看護部長を代わっていただき、できるだけ下の意見をよく聞くことに徹底しています。 いまは、看護部長が看護師を集めてしばしば話合いの場を持っています。やはり看護師 だけでは不十分ですので、私は院長になって職員全体の1泊研修を5年間で28回やり ました。大変なのですけれども、職員をいかに教育するか、というのは病院にとってい ちばん大切なことですので、職員を病院の向いている方向へとか、どういう考え方でい くかということを徹底して知らせるために1泊研修をやりました。当然看護師にも全員 入っていただきました。そうすると、ある程度看護師も病院の方向が見えるということ で、どういうことをやればいいかがわかってきました。  いまの看護部長は3年前になっていただいたのですが、看護部長は医師と対等に話が できないか、あるいは医師には結構わがままな人がいますから管理したほうがいい、と いうことで看護部長を副院長にしました。これは非常によかったと思っています。病棟 の入退院の管理、及びベッドの管理を全部看護部長に任せました。医師は退院の指示の みで、いつ退院させるかは看護部長に全部任せました。  混合病棟があります。医師が外科病棟へほかの科を入れてはいけないということを言 っていたのですが、看護部長が管理していますので、それも看護部長の一存でできるよ うになりました。現在は、非常に回転率もよくなって、私は看護部長を副院長にしたこ とは極めてよかったと思っています。  私自身は、とにかく病院の方向性というのは、患者が幸せでなければいけない、とい うのは当然のことだと思っています。これは、医療に従事している人は誰でも考えるこ とです。しかしながら、患者を幸せにするにはどうしても職員が幸せでなければいけな いという観念で、私は3つの幸せと言っています。去年から、職員の幸せ、患者の幸せ、 地域の幸せをモットーに、看護師をはじめすべての職員に、その3つの幸せをいかに実 現するかということでやっています。  いまの医療というのは、1病院ですべてが完結する医療ではありません。うちの場合 は超急性期ですが、亜急性期などいろいろな病院がありますので、その病院と組みなが ら、それから開業医との病診連携、病病連携をやりながらやっています。うちの病院だ けで6病院と組んでいます。開業医の先生とは非常に広範囲に病病連携していて、紹介 率は大体80〜85%です。うちの病院の平均在院日数は12日ぐらいですので、自分の所 だけでやるのではなくて、地域でやろうということです。  それには看護師にもタッチしていただいています。例えば、入退院を専門にやってい る看護師を3人置いています。それも、入ってきたときから看護師が、あなたはこうこ うなっていつごろ退院ですよ、というようなことを言っていただけますので非常に助か っていて、退院が非常にスムーズにいっています。  17年後の将来に、どういう看護師像であったらいいかということですが、17年前を 考えてみても基本的には変わらないと思うのです。ただ、機械類が非常に進歩しますの で、例えばうちでもCCUとかICUには非常に多くの機械があります。これに慣れるの は大変ですが、それは臨床工学士と組んでやっていきます。看護師も知識は持っていな ければいけないのですが、詳しいことは臨床工学士と組んでやっていくことが大切では ないかと思います。  ただ、人間というのは、医学は進歩しても、精神的に人間はそんなに進歩するもので はありませんので、やはり心のケアが大切です。看護師には人間性の豊かな、人間性の 高い看護師になってもらいたいということで、そういう教育を私はやっています。20年 経っても、30年経っても人間性の高い看護師でなければいけないと思います。  職場にいくら優秀な看護師がいても、輪が乱れたら駄目ですので、常に職場の輪をい かに取るかということを考えていてディスカッションをしています。私は、月に1回去 年入った人から部長まで60〜80人を食堂の2階に集めて、5時半〜8時まで食事を摂り ながら、ビールを飲みながら、いま病院で持っている問題とか、保険の点数改正の問題 などいろいろありますが、私が1時間ぐらいプレゼンテーションをして、あとの1時間 半をディスカッションしています。  ほんの小さなことでも、やれることはすぐにやる。いまはやれないけれども、2〜3カ 月のうちにやれることは必ずやる。将来的には無理というのも当然あります。とにかく 多くの人の意見を聞いて、輪を取ってやるというのが看護師にとっても非常に大切では ないか。権威で通じるようなものではなくて、いかに上と下の差をなくして、横のつな がりを強くしてやるかというのがいちばんいいのではないか。  医療安全も、感染も、そういうことをやることによって安全性が高まっているし、感 染に対してもみんなが関心を持ってくれました。私としては、とにかく情報を多く与え て、それに対して意見を述べてもらうという考え方でやっています。  そのために、収入と支出を全職員に公開をしています。給料はどうして上がるかとい うことで、いつでも、誰でも給料が見られるようにしています。あらゆる情報を公開し、 いちばん下の職員でもそれがわかるようにしています。これは非常にうまくいったと思 っていて、職員が一致団結してくれますし、外来の患者も入院の患者も、非常に病院が 明るくなってよかったと言っていただいていますので、職員一人ひとりが経営者になり、 また患者のことを思ってやる医療を目指しています。  本日の会とは直接関係ありませんが、私が病院の職員に対してどういうことをやって いるかということ。2025年の看護師像はどうなるかということは明示できませんけれど も、こういうことをやれば何年経っても時代に付いていける看護師ができるのではない かと思っています。 ○田中座長 ありがとうございました。延吉先生には後ほど委員から質問がまいります のでよろしくお願いいたします。引き続き松月看護部長から発表をお願いいたします。 ○松月みどり先生 パワーポイントをお願いいたします。20年後の未来の医療をとりま く状況から基礎教育を考えたいと思います。人口が1年に1市町村消えるぐらいなくな っていっている、加速度的な人口の減少と超高齢化、医療経済の問題を考えました。そ の結果、国内に散在する国民、過疎化がどんどん進んでいき、その地域で生まれて育っ て、そこでお産をしたい、子供を育てたいと思っている若い世代や高齢者世代を医療コ ストが最小で安心できる標準的な医療を提供するシステムを考えてみました。  それから、学校教育の課題として、考える力の低下が世界的なランキングの評価をい たしましたら出た、というところを非常に危惧しています。私は、臨床で卒業した看護 師を、いかにその人らしく育てていけるかに日々心を砕いています。臨床看護で重要な のは、指示は出ていますけれども患者の病態が変化していれば、指示の薬を飲ませては いけないこともあるわけです。そのことを判断する責任が看護師にはあります。その判 断ができるナースを育てるためには、指示どおりに動ける看護師では駄目なのです。看 護の責任が果たせないので、考える力がとても重要だと思っています。それが、現代の 基礎教育の中では、非常にパターン化した学習の仕方をしているので、その人の自由な、 その人らしい、想像的な発想が非常に少ないところが、いつも一人前にするときに苦労 しているところです。  ところで、未来の看護師には診療補助業務の拡大が必要であると考えています。1人 の看護職ですべてがオールマイティにできる、医師に代わってとは言いませんが、それ に近いぐらいの看護師が20年後には社会から要求されるのではないかと考えています。 それはどういうことかと申しますと、ITのネットワークを利用したら、いまは手術でも 何でも、そこに優れた医師がいなくても、情報網さえリアルタイムであれば、情報の交 換をすることはできる時代です。今よりもっと加速度がつくと思いますので、情報ネッ トワークの整備がさらに高度化すれば、その地に医師がいなくても遠隔地の標準的な医 療は可能になり、1人で判断ができるナースを育てておくということが、日本の20年後 の国民にとって大事なのではないかと考えました。  次にいきます。私は、専門がクリティカルケア看護です。クリティカルケアというの は、国民に理解されないのでよろしくないということで、この言葉は適切ではありませ んが、本日ご参加の皆さんにはご理解いただけると思います。クリティカルケアは救急 車が向かって患者を運んできてからが救急看護のスタートです。その後、集中ケアをし ます、回復期のケアをしているときにでも、高齢の患者は突然心筋梗塞を起こしたり、 突然意識がなくなって倒れたりいろいろな場面があります。  保健師の方々が、健康不健康を問わず支えるのではなく、地域で急変した患者も保健 師が診られるようになればいいのではないかと考えています。  では、そのための教育はどうなのだということです。これは、いまの救急医療の現状 です。初期対応と教育の標準化と書いてあります。ACLSとかJNTECとかJATECと いうのは、看護師と救急救命士と医師のそれぞれのトレーニングコースです。それぞれ にガイドラインを作り、テキストを作り、実地トレーニングをしているものとして、い ま現在これだけあります。  この手法を活用して、教育をすることは標準化してしまえばそれほど難しいものでは ないのではないかと思っています。治療方法についても標準化が世界的にも進んでいま すし、臨床においても抗がん剤療法には必ず治療のプロトコールを全員が共有し、それ をパスにしていますので、チームで話合いをしたコンセンサスを得た治療方針が明確に なっていれば、クリティカルな領域で、例えばICUなどですと医師からは昇圧剤の包括 指示が出て、それをいつ投与するかは看護師が血圧を測り、その結果薬剤の滴下数をど うするかを決めるわけです。そういうことが十分可能になってきていると思います。  現在ある標準のトレーニングコースは、熱傷と外傷と心肺停止と意識障害ですが、胸 痛、呼吸困難、腹痛など、ちょっと具合が悪くなって救急病院にかかろうかというもの まで、ある程度のものを標準化して決めることは可能であると思っています。  次は救急救命士制度です。ここをちょっと深く申し上げておきます。救急救命士は、 ここ何年かのうちに気管挿管・薬物投与・血管確保ができ、除細動ができるようになり ました。これを支えているものは、メディカルコントロール体制です。それを支えてい るのは救命医なのです。救急隊の方が繰り返しする実施トレーニング+メディカル体制 が整えば、明確な管理体制が整えば、そういうこともへき地において医師がその場にい なくても、処方権の拡大ということではなく、その患者を、又は急に発症した人を判断 することは可能になってくるのではないかと思っています。  次に、看護師基礎教育についてです。最初に申し上げました考える力がどんどん低下 していると言われています。でも、私は考える力がなくなっているとも思いませんし、 昔の人に比べて考える力が劣っているとも思いません。彼女たちは、表現することに躊 躇します。自分の意見としてしっかり話しをすることに躊躇します。周りの空気を読ん で、いまこんな発言をすると私はひょっとするとこのグループから浮いてしまうかもし れないな、ちょっと言うのはやめておこうと。  それを、学校教育の間にずっと続けていると、臨床の場に出ると、看護師は一人ひと りが受持ち患者の看護診断をしていかなければいけないのに、躊躇し様子を伺います。 ですから、私は看護の基礎教育では一人ひとりが自分の意見、それをきちんとエビデン スに基づいて、私はこういうことでこう思うのだと言えるように育てておいていただき たいということです。  臨床又は在宅の場面でも短い時間で判断しなくてはなりません。判断に要する時間、 判断する思考の枠組みを是非鍛えておいてあげていただきたいと思っています。例えば、 注射の技術であるとか、患者の移動の技術というのは、臨床現場に出てからでもトレー ニングが比較的易しいのです。  車いすへの移乗では、実際の患者と一緒になって転ぶのです。それは、患者の持つ状 況把握で、自分をどう考えたらいいのかということで大混乱するからなのです。その根 底にあるものはこの患者をどう判断するのか、ということが前提にないからなのです。 技術ばかりを教えるからそうなってしまうのです。そうではなくて、そういう患者をま ずどう判断するのだ、というところがいちばん重要なのですが、そこの部分が抜けて、 技術のテクニックだけを教えるものですから一緒に転んでしまうことになるのかと思っ ています。  そして、素早い時間で、的確に判断し、行動してもらうためには、トレーニングする のにちょうどいいのがトリアージです。細かいことはわからなくてもいいけれども、こ の人が命に危機がせまっているかいないのか、意識がなくなったときにこの人はすぐ呼 吸が止まるのか止まらないのか。トリアージということが救急の領域ではあります。時 間をかけてやればいいということではなくて、これもそれぞれの病院で、小児であると かいろいろな疾患に合わせたプロトコールを作っていますので、細かいことの診断がで きなくても、看護師が患者の生命について、どんな状態であるかということの判断をす ることはできるのではないかと思っています。  次です。判断することの思考の枠組みは、平成21年度の教育課程の中では、科学的 思考の基盤、それから統合と実践とありますが、ここのもっと基礎になる仕組みを是非 トレーニングしておいていただきたいと思っています。判断に要する時間ができるだけ 短く、個別性のある学生の思考の枠組み、枠にはめるのではなくて、是非その人を創造 的に、その人の思考に合わせてトレーニングしておいていただきたいと思っています。  これは解決策のところで、皆さんのお手元に渡していますが、京都にあります堀川高 校が、3年生のときに大学でやるような研究に取り組み始めたら高校生たちが非常にい きいきとできるようになったというのがあります。若いころの教育の仕組みというのは ものすごく重要だと思っていますので、ある年齢になってからではなかなか難しいです ので、是非十代の後半のときにトレーニングをしておいていただきたいということで、 1つの例として付けています。  それから、知識と技術で、私は分子生物学の最新の知識教育が少しできていないと思 っています。人間を理解するためには非常に進んでいます、例えば投与した薬物はどん な効果があるのかを見るためには、この辺りの細胞の仕組みであるとか、DNAがどう なっているのかとか、その細胞膜に付いている蛋白はどうであるのかとか、その辺のあ る程度の知識がないと理解できなくなっていますので、それは是非よろしくお願いいた します。  看護職員に特化された注射の技術を、安全に確実に1回で実施できる基礎になるもの を付けておいていただきたいと思っています。これが、看護職であることの1つの特徴 だと思います。  次です。解決の方法としては、想像的で自由な発想を育てていただきたいということ と、自己の判断をEBM、EBNで正確に言語化する能力を付けていただきたい。この1 つの例として下から2つ目のポツの黄色のところにあります、第2回EBMの世界大会 が行われたということです。これは、若い医師がトレーニングした世界大会だったので すけれども、このようなことがナースも卒業した途端にできるといいと思って書いてお きました。  もう1つ抜けているところが、教育者の教育です。教育者の教育については、例えば 臨床から教員になる方もいますが、そのときには教育心理学であるとか、教育の基本的 なところは是非学んでから教育担当者になっていただきたいと思っています。  1つの考え方として、20年後ですので健康な状態から、すごく病んだ状態まですべて を網羅するのを、基礎教育の中で一緒に包括してやるのは非常に難しくなってきていま すので、ある程度コース分けをしてもいいのではないかという考え方を持っています。 20年後ですので、私は保健師になるのだ、地域で頑張るのだと言うと、なんとなく病院 のような急性期はやらなくてもいいようなイメージを持つのですがそうではないと思う のです。クリティカルケアもできる保健師ができれば、保健業務ができれば、私が最初 に申し上げたようなことは可能なのではないかと思っています。以上です。 ○田中座長 松月部長、どうもありがとうございました。同じく後ほど質問、意見が来 ると思いますのでその折はよろしくお願いいたします。最後になりましたが、福井看護 部長からご発表をお願いいたします。 ○福井トシ子先生 私は、助産師の立場からお話をさせていただきます。現在の問題意 識は、分娩の集約化です。私たちがこの分娩の集約化をどう捉えているのか。一人ひと り自分の胸に手を当てて考えてみたら、どんな自分の答えが返ってくるのだろうかと思 っています。  どのような状態になったら、この集約化は解消されるのか、されないのか、解消しな いのかが、まず決まらないと、どういう助産師が20年後に育っていなければいけない のかということがはっきりしないのではないかと思っています。この集約化が20年後 も続くのかどうか、いつまでの期間に何を準備し、いま置かれている妊産婦の状況をど のようにしようとするのか。あるべき姿に向かって、助産師の知識、技術がどのように 変化するのか、させるのか。あるべき姿に向かって助産師はどのような教育を受けるべ きなのかという問題意識を持ちました。  妊産婦ケアのあるべき姿は、すべての妊産褥婦に助産師のケアをというのが本筋では ないかと思いますけれども、現在すべての妊産褥婦に助産師のケアは提供されていませ ん。妊娠・分娩・産褥期に家族から離れることのない支援がなされるということが、妊 産婦ケアのあるべき姿ではないかと思うのです。しかし、夫が出張したときに、妻や子 供は付いていくわけですけれども、お産のときにだけなぜ家族から離れなければならな いのだろう、という素朴な疑問が分娩の集約化には付いて回ります。このことがもし、 やむを得ないのだとしたら、社会とのコンセンサスは得られなければいけないのではな いかと思います。早急にそのコンセンサスを得ることが先ではないかと思います。  さて20年後はどうなっているでしょうか。自分は年老いていることは間違いないの ですが、産婦人科医の人数の増加は見込めないのかもしれないと感じます。いま医師全 体の中の3%が産婦人科医だそうです。医師のほとんどは朝日勤に来て、当直に入って、 翌日の朝帰れるわけではなくて、その日の夕方まで仕事をしているわけです。この体制 では限界の所はきているのです。せめて日勤、当直と続いたら明けて帰れるという状態 にするためには、産婦人科医が10%必要だということです。この10%まで持っていく には非常な難問があると思います。  他方助産師は、「自律して助産ケアを提供できる助産師の増員」が必要です。ここでい う自律というのは、医療法での関連で言っています。医療法の枠組みの、つまり、絶対 的医行為と、相対的医行為に分かれるわけですが、助産師は相対的医行為の中で「医師 の指示の下に」という解釈がなされた上で特に勤務助産師は、助産行為を行っているに すぎないわけです。  助産師は助産行為、助産業務に対して責任を持って行っています。ということをどん なに主張しても、医療施設の中で行われている助産であるがゆえに、それは医師の傘の 下に動いているにすぎない。「自律してやっています」と言っても、それは医師の傘の下 にあるのだろうと思うのです。ここで言っている自律してというのは、医師の傘の下で はなくて、あくまでも助産師の判断で医師の指示のもとではなく、助産という行為がで きている、そのことが自律して、と言っています。  高齢化はもう歯止めが効かないのではないか。若年層がますます少なくなる。出産年 齢はさらに上がる。ここで未妊という言葉をスライドに書きましたが、これは出産ライ ターの河合さんが使っている言葉です。産まないのではなくて、「いまは産まない」のだ という意識を持つ女性を未妊と言うのだそうです。この方たちは、40歳になっても45 歳になっても出産できると考えている方がいるそうです。その女性に、どの時期に産む ことが、またそれが必要なのかということを、助産師という役割で対話をしていくこと が求められていくのではないかと思います。  少子化は20年後も、止まらない状況が続いているのではないかと思います。少子化 が止まるためには、市場原理を最優先とした経済環境を見直す必要があるのではないで しょうか。あくまで男性社会で動いていくならば、子育てもして、働くことも実現した い、という女性をサポートする社会の仕組みができていないならば、少子化は止まるこ とが難しいのではないか、夫のサポートなくして、少子化を止めることは出来ないのだ と思います。これはもちろん、私個人の意見ですけれどもそのように思います。  生活が伝承されない。子を産み、子育てをするということは生活そのものであるはず ですし、家族の最小単位での営みである子を産み、子育てをするそのことに対しても生 活が伝承されていかないということがいま起きているわけです。助産師になる一人ひと りの女性もまた、生活体験が希薄になっている、ということが20年後にも考えられる のではないかと思います。  そして教育の格差はますます広がっていき、そういう教育の格差が広がっている人た ちに向けての助産ケアをしていかなければいけないということがあります。例えば、教 育を十分に受けないで、十代で出産をする人もいるでしょうし、未妊のまま40歳で出 産する人もいるでしょう。そういう長いスパンでの年齢の女性に対してケアを行わなけ ればならなくなってくると思います。  そして、多様なニーズが、ますます多様になってくると考えます。それから、メディ エーターの役割が必要になる、ということを挙げさせていただきました。無過失補償制 度がいよいよ動き出すわけですが、出産をされた方は、赤ちゃんが元気でなかったとき に、それがお金に変わればいいと思っているわけではなくて、なぜそういう事態になっ たのか、そのプロセスがなぜそのような結果を生んだのかということを知りたいわけで す。無過失補償制度が動いたときに、お金は支払いますということがあったとしても、 なぜそのお金なのかということの説明が十二分に受けられなければ、妊娠をして出産を したということが確かに自分の中にあった経験なのだ、ということをきちんと理解して いくことは難しいと思います。自己の経験に出来て、再構築のプロセスをたどるために は、無過失補償制度だけが動けばよいのではなくて、メディエーターという役割がどう しても必要になってくるだろうと思います。その役割を担えるのは助産師ではないかと 考えています。  3月15日と16日に日本助産学会がありました。そのときに会長講演で使用されてい たスライドをいくつかお借りしてきました。この人間的なマタニティケアもその1枚で す。これは、1999年に『Lancet』に書かれたものだそうです。女性とケア提供者双方 が満たされてエンパワーされるということ。自分のケアへの積極的な参加と意思決定を 進めていくこと。3つ目に大切な、医師と医師でない者が調和を持って協働することに よって提供される。証拠に基づかれたケアと技術が提供される。コミュニティのプライ マリケアを優先して、分散化された人の組織や施設がバックアップする。そして、経済 効率分析が伴っている。こういうことが目指すべきマタニティケアだということです。  この方向を目指していこうとしたときに、何をしていかなければならないかと考えて みました。いま置かれている出産環境の変化は、この中でも特に助産師の活用が政策の 中には明示されてこなかったのではないか。助産師の教育の質、実践力の問題が、この 時期になって改めて問題として浮き彫りになったということが言えるのではないかと思 います。そして地域医療の変化や、現在おかれている社会環境、医療環境による、妊産 婦の不安ということがあります。  分娩を集約させてみたものの、集中させることによって、ケアの質の低下が起きてい ます。産科医がいて、助産師もいる所で分娩を増やそうとしても、助産師の数が急に増 えるわけではありませんから、いままで年間400ぐらいでやっていた所が、600になれ ばあっという間にケアの質が下がる、ということは容易に理解できるわけですが、そう いう急激な変化がおきている施設が増えています。  世界的な出産の変化を見てみますと、1つは出産場所の変化があります。家庭から病 院へ、病院から女性が安心する場というように、いまはむしろ戻っているという言い方 が適切かどうかわかりませんが、病院ではなくて女性が安心する場、分散化されて1次 レベル化されています。お産の考え方にも変化が及んでいます。生理的なお産が、病理 的になり、病理的なものが西洋医学モデルから、生理/社会心理の尊重というほうに変 化してきています。ナラティブメディシンということも言われるようになり、お産の考 え方としては社会心理というところに位置づけられてきています。これは、世界的な出 産の変化です。  そして、お産の主人公の変化では、女性が医療者に対して提供されていたことではな くて、いまは医療者が女性に対して、女性中心のケアを行うというように、世界的に変 化が起きています。これらを踏まえて、マタニティケア政策を考えようとしたときに、 ずっと一本筋にあるのは、「医師の不足が与える影響からの脱却」をしていかなければい けないということです。  母子中心のマタニティケア政策、少ない医師と多くの助産師が安心で、安全で、満足 できるケアをする体制づくり、そのために求められる助産師の能力はどういうものなの であろうかということに、なろうかと思います。  ここで、出生数と助産師数を見てみたいと思います。昭和25年には230万の赤ちゃ んが生まれていました。昭和30年には173万の赤ちゃんが生まれていて、その当時は 5万5,000の助産師がいました。助産師1人当たり31.3人で、まだ家庭分娩が主流だっ たころの昭和30年には、31.3人の赤ちゃんを担当すると、助産師のケアが行きわたっ ていたという計算になります。平成14年には115万の赤ちゃんが生まれて、2万4,000 人の助産師ですので、助産師1人当たり47.4人です。31.3人の赤ちゃんを担当するた めには、3万6,864人の助産師が必要です。つまり、助産師の数も少ないのだというこ とです。  こういう状況を問題視した、たくさんの女性たちも応援してくれました。身近な地域 で安心して産める場所が欲しい、決して分娩の集約化ではないのだということです。身 近なお産場所を増やすために、産科医や助産師養成数を増やしてくださいということ。 正常な妊娠・出産・育児ケアを担える助産の力を強化し、活用してくださいということ が挙げられています。これは、衆議院でも取り上げられて、どのようにしていけばいい かということがいま多くの所で論じられています。  現在、助産師によって行われているケアは、妊娠期のケア、出産期のケア、産後のケ ア、母乳育児ケア、育児期ケア、家族ケア、思春期性教育、地域でのケアといったこと です。このケアの範囲ではもう不十分なことが起きているということをお示しします。  当院の例ですけれども、平成19年は902件の分娩がありました。そのうち経腟分娩 は58.6%で、帝王切開は373件で41.4%にも上っています。平成14年では800件弱の 分娩件数でしたが、その当時の帝王切開は15%弱でした。経腟分娩におけるローリスク、 ハイリスク、フロアごとの分娩数を見てみると、分娩場所はMaternal Fetal Intensive Care Unit(母体胎児集中治療室)で、平成19年は51.6%。LDR、陣痛分娩回復期が1 つの部屋で機能が備えられている部屋で出産するのが48%でした。自宅などでは2件で 0.4%でした。経腟分娩総数は529件で、そのうちLDRで分娩ができるのが254件です。 これは、助産師が主にかかわっている分娩となります。  帝王切開分娩は計画された帝王切開と、緊急でおこなわなければならない帝王切開が あります。帝王切開の半分は緊急で行われているということです。母体を搬送してきて、 30分以内に帝王切開しなければ、母体も赤ちゃんも助からない事態が起きてしまうこと が40%にも及ぶのです。  20年後に求められる助産師の能力をこういう数字から考えたときに、1つは正常分娩 を引き受ける主体的で自律的な力。助産師主導の妊娠・分娩・産褥ケアが実践できる能 力。ハイリスク分娩を医師と協働して助産ケアを提供する能力。新生児・母体の緊急時、 急変時に対応できる能力が必要とされるのではないかと思います。  人間的なマタニティケアを実践するというところでは、女性とケア提供者双方が満た され、エンパワーされるために、女性とともに助産師自らが成長する。女性自身のケア への積極的な参加と意思決定を進めるためには、意思決定支援ということと、メディエ ーターの役割が必要になる。医師と医師でない者が調和をもって協働し医療を提供する ためには、インタープロフェッショナル教育を受けた助産師の自律的行動が求められる のではないかと思います。  これは、医師も看護職もコメディカルも、就職して働き始めてから、「さあ、チーム医 療」といったところで、即座にチーム医療が形成されるわけではないです。医師を頂点 として、医師をリーダーとして、グループとして動かすならばそれは可能だと思います。 しかし、チーム医療はそうはいきません。ましてこれから助産師に求められるのは、お 互いに責任ある発言ができ、自律的な行動をしていくことです。そのためには、チーム 医療とはそもそも何なのかということが既に教育されていることが必要なのではないか と思います。  証拠に基づかれたケアと、技術の提供がされることや疾患や病態を含めた助産師教育 の強化が今後は、ますます求められてくると思います。いまは正常分娩に焦点を当てら れていますので、疾患の理解や病態の理解に弱い部分があるのではないかと感じていま す。  プライマリケアを優先し、分散化された人の組織や、施設がバックアップする。この ためには、まだまだ仕組みづくりが必要なのではないかと思います。経済効率分析が伴 っているというところには、助産師による妊産婦のセルフケアを促進していくことで、 医療の介入を最小にすることができるのではないでしょうか。妊産婦の身体づくりを低 下させてしまっていることを改善するために、助産師のできる範囲が明確になっていけ ば、セルフケアの促進が可能になると考えます。  まとめますと、1つ目は、妊産婦のケアのあるべき姿について、まず社会との合意を 得ることが必要だと考えます。分娩の集約がやむを得ないのだとしたら、そのやむを得 ないことに起きてくるリスク共有コミュニケーションをまず図らなければならないとい うことです。  2つ目が、現行の保助看法の限界を確認する必要生です。助産師法の可能性について、 是非論じていただきたいのです。現行の法律の範囲で助産師の役割拡大をしても、助産 師の責任を論じることは非常に難しいのではないでしょうか。  3つ目です。助産師の教育期間についてです。いまは、半年以上となっていますが、 その半年以上の期間で、これまで述べたような背景の妊産婦へのケアを行うことができ る助産師になるために、必要な教育機関について論じる必要があります。  4つ目として、正常分娩はもとより、ハイリスク妊産婦のケアを行うために必要な医 学・助産学教育とは何かを再考する必要があるのではないでしょうか。新生児・妊産婦 の緊急時・急変時に対応できる能力を習得できる教育を行う必要があると思います。  最後に5つ目ですが、多様なニーズに応えるためのメディエーターの役割が担える教 育の必要性について検討することが必要だと考えます。以上です。 ○田中座長 福井部長、どうもありがとうございました。それでは、ご発表をいただい た3人の方に対し、委員の皆さんからご質問やご意見をお願いいたします。最初に、私 から延吉先生にお聞きします。看護基礎教育のあり方についてはどう思われますか。 ○延吉正清先生 看護基礎教育はしっかりやらなければいけないと思います。基礎教育 をしっかりやらないと、それから後は伸びないと思います。 ○田中座長 病院に来る前の教育などですね。 ○延吉正清先生 はい、そうです。 ○井部委員 延吉先生がおっしゃって、お2人の方はおっしゃらなかったことがありま す。人間的に優れていること、というのは延吉先生が最初に強調されたことなのですが、 松月さんも福井さんもそのことについては言及されていません。私の感想では、医師は 必ず看護師に人間性を求めます。なぜ医師には人間性と言わないで、看護師にだけ人間 性が優れていなければならないとおっしゃるのか。医師には不必要だとおっしゃってい るわけではないので申し訳ないのですけれども、なぜ看護師に人間的に優れていること、 ということが最初に来るのかを教えてください。 ○延吉正清先生 これは、医師にはなお強く言っています。人間性に優れていない医師 は医師ではないと言っていて、それを看護師にも言っています。医師には看護師以上に 厳しく言っています。 ○井部委員 人間性を分析すると、どういうことが人間的に優れていることになるので すか。 ○延吉正清先生 1つは倫理感です。倫理感をちゃんと持っていて、患者と十分話がで きて、いろいろ聞く耳を持って、患者がいろいろなことを言っても包容力を持って、と いうような人が人間性が高いと私は思っています。特に、倫理感の高い人でなければ駄 目だと思っています。 ○井部委員 包容力というのは、医師にはあまり高くなくてもよろしいのでしょうか。 ○延吉正清先生 それは、なお高くなければいけません。 ○井部委員 人間的に優れていることというのは、医療者にとっては重要なことである ということですね。 ○延吉正清先生 人間性が高いというのは、医療者にとって極めて大切ではないかと思 います。 ○井部委員 倫理的な判断ができることと、優れたコミュニケーション能力があること が、人間的に優れているという解釈になるのでしょうか。 ○延吉正清先生 倫理感があって、コミュニケーション能力と同時に、患者を包む包容 力です。患者に対してあたたかいということが、やはり人間性に優れていると私は思っ ています。 ○尾形委員 3人の先生本当にありがとうございました。せっかくの機会ですから1問 ずつお聞きしたいと思います。延吉先生は、先日も社会保険の病院の検討会でお話を伺 って大変感銘を受けました。本日も、現場の実情を踏まえた非常に含蓄深いお話だった と思います。特に院内研修、あるいは副院長制を含めた人事管理ということで看護の問 題に配慮されていることがよくわかりました。  私の質問は、先ほど座長がおっしゃったことを少し敷衍したいと思います。実際に院 長先生の立場から、新しく入ってくる新人看護師をご覧になって、看護基礎教育のどう いうところが欠けているのか、あるいはどういうところを補強したらいいのかという辺 りについてご意見があればお伺いしたいと思います。 ○延吉正清先生 私自身は、新しい看護師が入ってきてもどの程度基礎教育を持ってい るかということは知らないのです。看護部長から聞いてこうだということです。本日お 2人の看護部長が言われたようなこと、とにかく基礎を十分に積んで、将来それが伸ば せるような知識を持っている。ある程度看護についての基礎的な知識を持っていないと、 一部のことだけ覚えていてもそれはあまり役に立たないから、看護師としてどのような 考え方を持っていなければいけないか、ということを学生時代にしっかり教えていただ くことが大切だと思います。  ただ、そのときの知識だけでは不十分だと思っています。看護師になった場合にはど ういうことをやらなければいけないか、ということを学校で十分教えていただきたいと 思います。 ○尾形委員 松月先生のご発表は、考える力、あるいは自分で判断する力ということを 強調されておりました。私も専門職大学院で教師をしているものですから非常に共感を 持ってお聞きいたしました。お話の中では、個人に特有な教育システム、言ってみれば 「テーラーメイド教育」といったことを考えておられるのかと思います。  その場合に2つ問題があって、1つは特に看護職の場合ですと、ある程度数の養成を しなければいけない。つまり量と質の両立という問題が1つです。もう1つは、教育者 の教育が大事だとおっしゃいましたが、そのとおりだと思います。一方で、教育する側 は教育カリキュラムも含めて、学生を受け入れて教育するシステムとしてその辺をどう 考えたらいいのか、追加的なご意見があればお伺いします。 ○松月みどり先生 例えば大学教育の場合、徹底的に入学時の基礎能力に応じ、差別化 をしてもいいのではないかと思っています。これは、臨床に来た看護師を、一通りのこ とができるように育てるプロセスで非常に感じるところです。1言えば10がわかる人は、 そういう育て方をすればいいし、1つのことをできるようになるまでに10回時間がかか る人は、そういう仕組みを作る。  決まった時間の中で、ある量と質を確保しようと思ったら、まずはモデル学校、モデ ル大学教育+それを臨床とつなぎ合わせた事業のようなことを、やって検証していった らいいのではないかと思っています。  看護師は基礎学力が非常に違いますので、それを十把一絡げで論じるのは非常に難し いと感じております。 ○尾形委員 福井先生は助産師のお話が中心だったのですが、20年後も少子化は止まら ないといった、なかなか厳しい見方をされていましたがたぶんそうなのだろうと思いま す。20年後に求められる助産師の能力ということで、この辺は松月先生と共通かと思う のですが、主体的・自律的な力というところを強調されていたように思います。  それで、松月先生とほぼ同じような質問なのですが、看護基礎教育の中における、現 在の助産師の基礎教育にいちばん欠けているものは一体どういうことなのか。特に、主 体的・自律的な力という意味で、どこをどう変えるべきなのかという辺りについてご意 見を伺えればと思います。 ○福井トシ子先生 助産師は、助産診断、助産技術、助産ケアという行為を行うわけで すが、すべてに責任が伴っているわけです。もちろん看護師にも責任はあるわけですが、 母体と新生児の2つの生命を預かる助産師として、すべての行為に責任を持つんだとい うことの教育が、欠けているとまでは言いませんが、不足していると思っています。  その不足の原因は、助産学生が産婦を受け持つ時に同意を得るというように、社会が、 対象が、臨床の現場が変わりすぎたから、ということも一因になっていると思います。 助産学生が産婦を受け持つときには、妊産婦へ説明し、同意を頂きましょうというのは、 当然必要なことですし、重要です。しかし、妊産婦に同意書を書いていただく時になる と、「学生に担当されると言うことは、このような文書を交わすほど大変なんだ、学生に 受け持たれると言うことは、何か、難しいことなんだ」と思わせがちです。また、「高い 分娩費用を払って1回か、2回しかないお産だから、ここに来ているのに、自分のお産 が学生に担当されるのは困ります」と言われれば、そばには経験を積んだ助産師が一緒 にいます、ということをどんなに説明しても、「私を担当してくれていいですよ」と妊産 婦さんに快く言ってもらえる学生が少なくなってきたこともあると思います。  臨床の現場でも、そういう状況であるならばこそ、もっと積極的に助産学生が分娩介 助できるような体制を臨床側からつくり、一緒にやっていきましょうというには、あま りにも人の配置が少ないということがあります。助産師であるからこその醍醐味が学生 のときには、実感できなくなっていると思います。私たちが学生だったころは、たくさ んの妊産婦を担当させていただきましたし、分娩介助もさせていただきました。学生が 受け持つことの意義を妊産婦さんからフィードバックしていただき、助産師としてのや りがい、達成感を学生のうちから得ることが出来たということに加え、助産師としての 責任をさらに、ヒシッと感じたものです。学生のときから臨床実習で経験できた、たく さんのことが、今では実践できなくなってきているのです。教育が欠けているというよ りも、構造を変えないと欠けているものが埋められなくなってきているというほうが、 正しいのだろうと思います。答えになっているでしょうか。 ○尾形委員 看護基礎教育に絞っていうと、例えば臨床の時間をもっと増やしたほうが いいとか、そういう話ではないということでしょうか。 ○福井トシ子先生 そういう話ではないと思います。ケアを受ける対象の変化に対応す るためには、学校教育の中でできることと、できないことを峻別して、免許を取得して からやるべきこと、ということを論じていかねばならない段階にきているのだと思いま す。 ○田中座長 よろしいですか。また後で。どうぞ寺田委員。 ○寺田委員 三人の方にお聞きしたいと思いますが、続けてお聞きしてよろしいですか。 まず、延吉先生にお願いします。単純な質問2点です。1つは、3つの幸せということ で、3番目に地域の幸せというのがあるのですが、ちょっとわかりづらくて、後ほどお 願いします。もう1点は研修費、研究費に1億円という大変重要なことだろうと思うの ですが、それが看護師に対してはどういう使われ方をされているのか、どの程度か関心 を持ちました。よろしくお願いします。  松月先生に対してです。かつて私の祖父がお世話になった病院で、大変親近感を持っ てお聞きしました。2つお願いします。2頁の救急医療の初期対応・教育の標準化、こ れは何かのモデルだとは思うのですが、あるいは実際に各病院、あるいは協会等のとこ ろで動かされているプログラムなのでしょうか。あるいはどの程度の看護師がこういう 教育を受けておられるのか、お願いしたいと思います。もう1点は、私自身も10年ほ ど前に看護専門学校で教育学の非常勤講師を何年かやっておりまして、ちょっと不思議 な世界だなという印象を率直に申し上げまして持っておりました。大変熱心で学生も非 常に目的意識をもってやりやすかったのですが、教育学や心理学、あるいは教養科目の 英語とかがあったと思うのですが、そういうものが全部非常勤講師に任されていて、も う少しそういう面での教育、先ほど教師教育ということをおっしゃったのですが、そう いう専門家が1人や2人はいてもいいのではないかという印象を、非常に強く持ちまし た。その点について、どのようなお考えがおありか、お聞きしたいと思います。  福井先生です。非常に重要なことをおっしゃっていると思うのですが、自律して助産 ケアを提供できる助産師と書かれておりまして、かなり根本的な話かなと伺ったのです が、この自律性というのは助産師の能力の問題としておっしゃっているのか、職域とい う点でおっしゃったのか、あるいは両方なのかと思いますが、その辺はいかがでしょう か。 ○延吉正清先生 地域の幸せというのは、当然地域の人はうちの病院に来て高度医療を やる、救急医療をやる。これは当然地域のあれです。私が地域の幸せと言ったのは、開 業医と連携を組む。病診の連携をして、そのことによって多くのうちの病院で診られな いような患者を、開業医がたくさん診てあげられるということによって、地域の人が非 常に安心して医療が受けられるということです。悪くなったらうちに来てください、良 くなったら開業医に帰ってくださいという、そういうことによって地域が良くなるので はないか。それが地域の幸せになったのです。  もう1つ、やはり開業医だけでなく、病病連携をやらなければいけないというのが重 要になったのです。大事な病院のところですでに7、8病院と連携しており、いきなり うちの病院から退院したら患者はよくないので、次の病院に行っていただくという連携 を取っています。これにはもちろん人的な問題もあり、うちの病院は比較的、特に私が やっている循環器の医者は40人いますので、いろいろな病院を週に1回か2回ずっと 診て回っています。それによって患者が安心するということで、北九州の地域の人が安 心して暮らせるということで地域の幸せというのを掲げています。私の幸せというのは 開業医と連携する、病病連携することによって幸せであるという、これが1つです。  研修費ですが、これはやはり病院としては負担です。教育というのは基本的にも病院 を動かすときには絶対に必要で、大体1億円なのですが、看護師教育に約5,000万円と いう半分を使っています。昔は3年に1回しか学会とか研究会に行けなかったのを、い まは1年に3回行けるようにしているので相当お金は要るのですが、それによって非常 に優秀な看護師がたくさん出ていって、いろいろなことを習ってきて病院に還元してく れますので、使った金よりも還元してくれるほうが多いと思っています。 ○松月みどり先生 最初の2頁の標準化にナースがどのくらいの数がいるかということ です。心肺停止のAEDというのは市民を対象に行われています。数字は把握できてい ません。看護師のコースが外傷のコースの中の最後にあるJNTECです。これはいま救 急看護学会でスタートしています。これはまだコースがスタートしたばかりですが、1 回30名でいま5回が終わったところです。  JPTECは講義と教育トレーニングを含んだもので、救急隊、看護師が受けています が、正確な数を申し上げられなくて申し訳ありません。PSLS、ISLSのコースもここ2 年ぐらいで立ち上がったものなので、20年後であれば、こういうものを増やしていくこ とでできのではないかということでご提案です。  2つ目のご質問の教育をするための教育心理であるとか、寺田先生とは本当に私も同 じように思っています。私はずっと臨床一筋でまいりましたが、これだけ大学院ができ、 博士課程もできているにもかかわらず、なかなかそういう看護心理学ですとか、特に臨 床における教育学がものすごく重要であると考えています。いままでは看護の専門性を 追求することに進んできたと思うのですが、今後はそれをどう心理学に結ぶのか、社会 学に結ぶのかというところが、私たちの役割ではないかと痛切に感じています。毎回教 育学の方に来ていただいて、病院で講義をしていただくというのは、そろそろ卒業した いとは思っています。 ○福井トシ子先生 自律してという言葉がどの範囲のものかというご質問だと思うので すが、助産能力と職域と両方を含みます。現在よりも、20年後を考えたときには、どち らかといえば職域のことです。医師・助産師、看護師という縦の構造ではなくて、横並 びに同等になってこそ、「自律して」ということが言えるのではないかと思っています。 ○田中座長 はい、梶本委員どうぞ。 ○梶本委員 今日は医師と看護師と助産師とそれぞれ医療現場でも職種が違う人が縦割 で3人来ていただいたわけですが、私は3人の方がもう少し横割で仕事ができないかど うか、あるいはそういう可能性があるのかどうかということを、念頭に置いて質問した いと思います。  延吉先生、前提として、看護師に求めるものは人間性の豊かさであると、また、いか に病院の中でそういうことを涵養していくか、あるいは看護師の声を出してもらうよう な仕組みを作ることが大事だということはよく理解できます。しかし、その一方で、医 療現場はシビアで、医師の責任が重くなったり、医師の数が足りなくなりして非常に厳 しいということも聞いています。そうなると、助産師や看護師にもっと技術的な面でも 求めるものがあるのではないか。それとも、そこは大丈夫だ、そこは医師と看護師、あ るいは助産師と境界がはっきりしていたほうがいいというのか。そういうことで基礎教 育のあり方も変わってくると思うのですが、その辺のご意見をお聞きしたいと思います。 ちなみにこの勉強会では、例えばフランスの看護師は、日本では医療行為に当たるよう なことも任されるという仕組みで教育が組まれていると事務局から紹介があったわけで すが、そういうことも踏まえて、どのように考えていらっしゃるのか。 ○延吉正清先生 とにかく壁を作らないというのがそこは徹底しております。医師の壁、 看護師の壁、事務の壁、検査技士、放射線技士の壁全部を取っ払って、一緒に仕事をし ようと。法的な問題がありますから、医療行為でも看護師がやる場合は医療法に触れる ようなことは絶対に駄目ですが、そうでなければ積極的に看護師にやってもらう。それ は看護師も非常にそれに対して積極的で、医師は医師でなければできないようなことし かやらなくて結構です、我々がやりますということでやってくれていると、非常に助か ります。  ちょうど昨日の夜、うちの病院を6年前に辞めて、去年から勤めて、今年また開業す る耳鼻科の先生がいて、私の家で食事をしてお話したのですが、「先生、全く病院は変わ りましたね。6年前はすべて私がやらなければいけなかったのを、今回来たら看護師さ んがやってくれます。非常にありがたい」ということを言っておりました。やはりそれ は壁を越して、医師と看護師が始終話をして、対等の立場でやっているというのが大き いのではないかと思います。やはり医師は本当に医師の仕事だけをやらないと、大変忙 しいです。看護師がやってくれるということで、お互いに感謝してやる。実際もそうな のですが、壁を取り払ってやるというのがいちばん大切です。それはある意味では責任 を持って看護師もやりますので、医療事故も少なくなりますので、壁をなくして積極的 に入っていただくことが大切です。それには相当お互いに信頼関係がなければできませ んので、それを我々院長、副院長で構築するというようにしています。 ○梶本委員 6年前に辞めた医師が来て、「だいぶ変わりましたね」と言ったそうですが、 やはり昔は医師がだいぶ看護師のやれることまでやっていたということですか。 ○延吉正清先生 そうです。 ○梶本委員 具体的にどういうことをやっていたのですか。 ○延吉正清先生 点滴の難しいものとか、いろいろ具体的なことは耳鼻科の先生は言わ ないから知りませんが、かなりの看護師がやってもいいと思うけれども、やってくれな いとか、そういうことで医師がやっていたのですが、最近は「先生忙しいでしょうから、 私たちがやります」ということでやってくれています。これは非常にありがたいことで す。私のたくさんの弟子が京都大学の第3内科にいるのですが、「全然やってくれませ ん。もう医者は小遣いみたいなものです」と嘆いていますので、大学と病院とは違うな と私は感じています。 ○梶本委員 松月さん、異論もあるかと思いますが、看護師さんがやってくれるという 例と、全然やってくれないで医師が小遣いみたいだと言う例があるようですが、松月さ んのお話では、1人で判断できるナースを今後育てていかなければいけないということ で、かなり医師に近い看護師が必要だとお聞きしたのですが、そのためにどういう教育 をしたらいいか。考える力を養うということと標準化して叩き込んでいくということと、 相反するという気もして、なかなか難しいなと思いました。  もうひとつ、延吉先生から面白い話題を提供していただいたので、看護師はなるべく 医師に看護の部分までやってもらおうというような動きがあるのか、小倉記念病院はそ うではないようですが、その辺を含めてご論評いただければと思います。 ○松月みどり先生 教育をするということになると、標準化が必要だろうということで、 その例としてお示ししたものです。この考える力を育てるためには、創造的な一人ひと りの思考に合わせた育て方をしないといけないと思っています。日本の国語教育は論理 的に教育はされていません。感情的とか情緒的な教育が非常に多いので、それは変わり ません。そこを例えばディベートができるようなものを本当は小学校のころから入れて いただきたいと思っているのですが、論理的に自分を主張することができないというと ころがあるので、臨床の看護師は、判断をすることを現在でも求められています。それ は医師と同じということではなく、ナースの仕事というのは、患者を24時間、夜間で は2時間おき、1時間ごと、ICUであれば30分ごとに患者の病状の評価をしているの です。治療の成果を診断しています。自律して1人で判断ができるようにする、ベース にあるものは考える力なのです。 ○梶本委員 諸外国の事例の紹介もありましたが、日本では医療行為として医師にしか 認められていない動脈注射などを、フランスでは看護師にも認められています。日本で も看護師の専門性を高めて、医療行為もある程度はできるようにしてはどうか、という 指摘もありますが、松月さんはどのようなご意見でしょうか。 ○松月みどり先生 私はやれると思っています。麻酔看護師も十分できる。こんなこと を言うといろいろご異論がある方がいらっしゃると思いますが、麻酔に関しても全員が 資格があるとは言いません。しかし、専門教育を受けた人であれば、十分やれると思っ ていますし、10年目のベテランナースは医師という免許を持って何でもできる方よりは、 少なくとも判断する力も、このときどんな治療をすればよいかも非常によく知っている のも事実です。 ○梶本委員 わかりました。どうもありがとうございます。福井さんは助産師さんです。 1、2年前でしたか、大きな産婦人科病院で助産師がいなくて、ベテランの看護師ではな いかもしれませんが、内診までやっているということで、事件となりました。他方、医 師から聞くと、「そんなことは看護師でもできる」という話も聞きます。その事件のとき は看護師の権限をもう少し幅広い形にして内診もやっていったらどうか、端的に言えば 看護師だって研修を受けてできるようにしたらどうかという意見もあったのですが、ど のようなご意見なのか、お聞かせください。 ○福井トシ子先生 助産診断をするために看護師が内診をするというのはできないと思 います。子宮口がどれくらい開いているのか、何cmなのか。それだけを診るのならでき るのだろうと思います。だけど、内診をすることによって何のために、何をどこまで診 て、何を判断するのかという判断行為が伴うので、看護師にはできないことです。助産 師の資格を得るために、助産師の勉強をしたからこそできる内診行為だと思っています。  この先、それをどうするかといったときに、子宮口が、何cm開大なのかがわかれば妊 産婦のケアができる、ということにはならないので、助産師の資格を持った者の行為だ と思っています。20年後もその気持は変わらないと思います。 ○梶本委員 松月さん、10年以上経ったベテランナースだと、その辺はどうでしょうか。 ○松月みどり先生 私はそれで考える力と言ったところはそこにあります。内診のトレ ーニングを30回したらできるのか。私たちの看護職というのは実際に行動して、その ことがどういう意味を持つのかということの知識とのやり取りが必ずあるのです。その 部分のトレーニングをするためには、基礎になる考える力が必要と考えています。10年 経った看護師全員ができるなどとは思っていませんし、そのためには必要な教育とトレ ーニングと評価をして、その資格のある人に与えるという形でいかないと間違えると思 います。いまの日本の表面的な例えばこのコースを終わった人に全部あげるとか、そう いう意味で思考の統合、いろいろな知識を統合することがいちばんナースには重要なの です。何となく血圧だけ測っているようですが、実は頭の中で「ああ、この人はこれで、 いま現在快方に向かっているとか、ひょっとすると何か変かもしれない、30分後には診 にこなければいけないかもしれないという、実施したことと自分の持っている知識との 統合を常に図っていますので、小さいころから培ってきた人間性も含めて、自分の知識 をどう統合できるかということの能力だと思っています。 ○延吉正清先生 これはおそらくハイレベルの病院の看護のことを討論していると思う のですが、実際問題として私がいま困っているのは、うちの病院から次の病院に送りま す。そうすると、こんな難しいのはすぐ看護できないというのです。そして、しばらく したら返ってくる。これは非常に困るので、看護レベルが相当違うのです。これは仕方 がないです。それをどうしようかということで、交換留学制度をやろうということで、 私と次に送る病院の看護師を入れて、うちからそちらの病院を見学して、どんなレベル の看護をしているのか。うちはどんなことを看護でやっているかということを1年以上 やっていますが、だいぶよくなってきました。やはりそういう地域における看護教育は どうあるべきかということも、これから考えないと、自分のところのことだけを考えて やると、次の病院に送ったら全く看護できないという問題が田舎にはあるのです。こう いうことも各地域では考えられたのではないかと思います。それに対して行政はどのよ うにやるかということを私は聞きたいですし、私自身はいま病院が困ったら、いろいろ な病院に留学制度にしてやっています。だいぶよくなって、いままでだったら取ってく れない患者を取ってくれるようになりましたので、そういう看護レベルの基礎看護教育 も非常に大切だと思っています。 ○井部委員 いまのことに関連してですが、看護レベルという看護の中身は、先生はど のようなことを看護レベルとご覧になりますか。 ○延吉正清先生 看護レベルは、実際上私は心臓ですから、不正脈が出たとか、心不全 があってかなり悪いけれども、まだわからないとか、ドクターにも問題があるのですが、 早めに見つけて医師を呼んで治療するとか、肺炎になりかけているとか、そういうのが うちの看護婦だとわかるのに、なかなか見落としてわからないので、ちょっと重い患者 は送れないということで悩んでいます。ある病院には送れるし、ある病院には送れない という。 ○井部委員 例えば先生のところはコロナリーの患者が多いと思うので、かなり専門領 域の深い知識が求められると思うのです。それともう1つは、日ごろ使わないような医 療機器を、モニターにしても治療用具にしても使っていると思うので、そういうものに 慣れないところは非常に不安になるのではないかと思うのですが、そういうことはない のでしょうか。 ○延吉正清先生 そういう機械を使わなければいけないような患者はまだ送れないから、 送っていません。そういうものが全部外れてから送ります。 ○矢崎委員 またダブルかもしれませんが、2点重要なポイントがあって、3人の先生 方にお聞きしたいのですが、1つは先ほどからご指摘のある豊かな人間性が身につく、 あるいは自分で考える、そういう看護教育が必要ではないかということを強調されて、 松月先生は臨床経験のうちに身につきますよというお話があったかと思います。いま教 育上カリキュラムで見ますと、リベラルアーツの部分がメインだと思うのです。もちろ ん各論でも教育はしますが、いまは医学教育でも専門知識が多くなって、どんどん詰め 込み主義になって、リベラルアーツの部分が、どんどん削減されてしまっているのです。 それを何とかしようとカリキュラムを考え直そうという議論もあるかと思いますが、看 護教育の教育課程を見ますと、基礎分野で13単位がずっと確保されているのです。松 月先生が言われた科学的思考の基盤と人間と生活社会の理解というところであるのです が、これがもう少し内容を具体的にどうしたらいいかというお話を、題目はそうですが 内容がやはり大事だと思うので、どういう工夫をしたらいいかを、お聞きしたいと思い ます。  もう1点は先ほどから議論のありました看護職の業務拡大です。それはいままでは量 的な業務拡大から、いまお話を聞いていますと責任と権限を伴った裁量権の拡大という 質的な拡大に転換されてきたのではないかと思います。そのとき、先ほどご指摘のよう に社会との合意が必要である。法律というのは社会の状況によって変わりますので、社 会が変わらない限り法律は変わらないと思いますので、社会との合意が必要である。そ れには教育が前提であるというのは、私の持論でもあるのですが、ただ、いまお話にな った現在でも看護師の優秀な方は、こういうこともできますよという情報発信が少ない のではないか。最近はそういう情報発信をしていますが、そういう情報発信が少ない。 優秀な看護師がそうなるけれども、やはり我々としてはある程度看護師としてそういう 裁量権を拡大できるような看護師を育成していくにはどうしたらいいか。生き残った人 ができるのではなくて、ある程度の教育を受けたらできるようにするにはどうしたらい いかということです。松月先生の資料の5頁に、解決法の中のいちばん最後に、優れた 学生のモデル教育機関とモデル臨床というのはどういうことを考えておられるか。私も 実は国立病院機構で、まさにこれをやろうとしているのですが、先生の具体的な内容に どういうものがあるのか、教えていただければ大変ありがたいです。 ○松月みどり先生 それではまず基礎分野の中の13単位の科学的思考の基盤と人間と 生活社会の理解の部分の中に、具体的にどういうものを入れればいいかということにつ いてです。臨床でいちばん直面するのが生物をやってこない方がいます。高校時代に化 学または生物で、生物をやってこない方がいます。もちろん細胞膜の仕組みや酸・塩基 平衡のイオンの出入りみたいなことは、もちろん中学時代にも習うわけですが、なかな かそこの部分がわかっていらっしゃらない方がいます。これは是非基礎教育の中でしっ かりと入れておいていただきたいということがそこにあります。  科学的思考を育てるためにということについてです。それの1つの例として、私は1 つの課題を与えて、そこに本物のというか、その道のエキスパートの研究者なり専門家 についてその人の思考の深め方をしてあげていただきたいと思っています。そうすると、 教員の確保ということになると思うのですが、そのときに、通り一遍の看護研究である とか卒業研究というものではなくて、そういう看護師を育てようと思ったらいちばん大 事なのは、その道の日本の一流どころがそこに来て、18歳、19歳の学生に、そのクエ スチョンを問いてあげることが必要なのではないか。それをやったのが堀川高校だとい うのを例にして挙げました。そういう仕掛けが必要だと思います。  裁量権の拡大について、社会の合意は当然必要なことだと思います。情報発信が少な いことについては、私が考えるというよりは今後の看護界の宿題なのではないかと思っ ています。ただ、すごくその人が努力をしてできるようになったというのではなく、例 えばコース別に育ててもいいのではないかと言いましたのは、あなたはこの教育が終了 したら、こういうことができるようになります。例えば気管挿管ができるようにならな ければいけないのよ、抗がん剤のすべてのことも判断できるようなナースにならなけれ ばいけないのよと育てれば、ゴールが明確ですから、リベラルアーツと言えるかどうか わかりませんが、そういう意識が育つのではないかと思っているのです。ただ、いまの 規制の保助看法の中の枠に縛られていて、ナースは非常に真面目ですので、そういうも のは守らなければいけないものだと思っているので、それを場合によったらOKなのだ という仕掛けを、社会の仕組みを作らないと難しいのではないかと思っております。そ こを社会的にコンセンサスを得られるためには、いまの超高齢化社会であったり、いま の助産の出産をどこでも受けられる状態ではないというのが、私はある意味の追い風で はないかと考えています。 ○矢崎委員 先ほど看護教育は枠にはめない、自分で考える力が身につくようにという お話なのですが、去年の教育課程の改正を見ますと、合計の単位数が4単位増えて、本 来はもっと単位数が多かったのですが、ゆとり教育で減って、それをまた元に戻してい る傾向があるのです。戻すときにそういう視点から専門的な各論がどんどん増えていく 中にあって、そのような枠にはめない積極的に自分で考える力を養成するような分野を 工夫をして、この中に入れたほうがいいのではないかというお話ですかね。 ○松月みどり先生 そうです、それで限られた年数で教育をするのであれば、それぞれ の領域の方たちが基礎の中に絶対に入れてほしいという、一種のテリトリー争いといっ たら叱られるかもしれませんが、そうではなくてそれぞれに共通なものをもう少し真剣 に考えてもいいのではないかと思っています。臨床の持っている醍醐味であるとか面白 さというものは学校教育の中でというよりは、例えば分娩の感動であるとかはその現場 を見せて、それに理論を付けてという教え方をしていただけると、すごくいいかなと思 います。だから、本物をまずしっかり見せて、それに意味付けをする。それをしないと たぶんイメージ化ができないのだと思うのです。そういうようないろいろな領域がどん どん増えていますが、その見せ方、学生にどのように見せるかということではないかと 思っています。話が飛びましたが、答えになっているでしょうか。 ○田中座長 はい、ありがとうございました。私も質問します。福井先生、これからの 助産師のあり方を考えるときに、世界的な出産の変化という頁は興味を持ちました。私 たち社会科学の側の人間からすると、医学は世界共通であろうけれども、医療システム は地域によって、特に国によって違うことを日ごろ痛感しています。大ざっぱに言って、 先進ヨーロッパは大体同じなのでまとめてもいいのかもしれませんが、アメリカとヨー ロッパは医療のあり方がすごく違うケースが多いです。ここに書かれている世界的な出 産の変化というのは、どのレベルの世界を言っていらっしゃるのでしょうか。 ○福井トシ子先生 アメリカの取り組み方も少しは含まれます。ダイレクトエントリー という助産教育が行われています。助産師がオープンシステムを使って分娩介助をして、 翌日には自宅に連れて帰るということを行っていますが、ここで使用している「世界的 な」という表現は、どちらかといえば北欧です。 ○田中座長 ヨーロッパ中心の考え方ですか。 ○福井トシ子先生 そうですね。 ○田中座長 わかりました。それが先進的であろうという判断ですね。 ○福井トシ子先生 はい。 ○田中座長 より理解が深まりました。ありがとうございます。松月先生、先ほど来、 多くの先生方から、看護師の役割のいわば真価の話が出ていました。慢性期医療で療養 型になるとどうしてもさまざまな療養の世話が主になってくると思いますが、急性期医 療の中で、看護師がここまでしなくてもいいだろう、それはほかの職種に譲るだけでは なくて、機械化やIT化も含めていまの看護師は、急性期医療の中であまりにも旧態依 然の昔からの仕事を引き継いでいる、やりすぎているような点がありましたら教えてく ださい。 ○松月みどり先生 どれを持ってということは難しいと思いますが、一応条件が日常的 なICUであることを想定してお答えしますと、薬剤に関することは24時間で薬剤師が やっていただけるのが理想的だと思います。それは例えば医師の指示のチェックである とか、例えばそういうことをナースが「これは昨日とは変わっている、これで大丈夫な のかしら」というような評価をしています。 ○田中座長 臨床薬剤師に任せたい。 ○松月みどり先生 はい、そうです、そこに任せたいです。集中治療室はいろいろな機 械に囲まれていますので、臨床工学技士の方、ナースが例えば人工呼吸器の回路の交換 をしたり、透析をしている患者のフィルターの交換をしたりということをしていますの で、そういうことは当然臨床工学技士にやっていただけることだと思っています。  いちばん多いのがご家族からの金銭的な相談であるとか、特に救急だと多いのです。 それはもう本当に24時間社会福祉士の方に対応していただいて、メンタルケアはしま すが制度上のことは手厚くやっていただけるといいなと思っています。 ○田中座長 本来の職種ではない、看護師が入院費の心配の相談をされても困りますね。 ○松月みどり先生 はい。 ○田中座長 ありがとうございます。ほかに何か、どうぞ。 ○矢崎委員 いまのに関連するのですが、医療事故を見ますと私どもの国立病院機構 146の病院で、最も多いのは転倒・転落の事故なのです。今度日本医療機能評価機構か ら医療事故の統計が出ましたが、やはり転倒・転落が多い。その中に療養の世話の領域 では、大きな部分を占めています。実際に私が患者に聞きますと、看護師が夜勤で1人 しかいないとか、急性期でも2人という所で、あんなに忙しくやっているのにと、ナー スコールを押してくださいと言っても、患者が遠慮をして自分で行動して転倒してしま う場合が多いのです。それでいま座長が言われた、従来の療養の世話で、全部を看護師 がやっているのはいかがなものか。本当に医療行為に近いものから、介護の部分まで広 い範囲をカバーしています。本当にエネルギー的に患者側から見て遠慮してしまうので す。だから、やはり根本的にそういうものをなくすには、看護師の業務を少し区分でき るようなシステムが看護教育と関係ないのかもしれませんが、そういうものを作らない 限り、なかなか医療安全といっても、医療側だけで防げない部分もあるのです。ですか ら、そういうことも松月先生から情報発信していただければ、全部引き込まないでとい うか。 ○松月みどり先生 私がお答えをすればよろしいのでしょうか。療養上の世話に関する 転倒・転落に関しては、患者が実際に遠慮してということもあると思うのですが、入院 になったときに必ずアセスメントをして、家族の方、本人に必ず伝えます。手術をして 3日も寝ていると足が弱くなるのですから、絶対に1人で立っては駄目ですよと申し上 げても、自分でできると思うのです。それと終末期になると歩けなくなるということは 自分が死を意味すると思うので、そこを無理してやる。そういういろいろな問題があり ますので、私はたぶんここにも患者、ナースへのその辺りの事例を通したプロセスが明 確になっている部分がありますので、それを患者、家族、国民を含めた教育をしていけ ば、ある程度のものはよくなると考えています。療養上の世話の転倒・転落に関しては、 一言で言えばコミュニケーションエラーの部分があるのではないかと思っています。私 たちが判断したところがなかなかうまく伝わっていないのだろうと思っています。 ○矢崎委員 私たちはすごく一生懸命説明するのですが、やはり患者がどうしても遠慮 してしまう部分があるのですね。 ○松月みどり先生 その言葉を正確には理解していただいていないのだと私は思ってい ます。それは理解力がないという意味ではなくて、私たちが使っている言葉も適切では ないだろうと思っています。 ○井部委員 私は看護師として松月さんや福井さんの考え方は基本的には賛同する部分 がとても多いのですが、今日の話の内容は、例えば裁量権の拡大とか自律した判断をす る、注射技術を安全にするなど、かなり診療寄りの力を拡大していくべきだという議論 がされていて、それに関しては全く反対ではないのですが、そうしますと、看護という のは一体何なのかという、本質的な部分を置きざりにしているのではないかという、あ せりみたいなものを、特に梶本委員のようなマスコミの人に書かれるときに、裁量権ば かり拡大すればいいのか、看護はそれでいいのだと書かれると困るので、看護の本質的 なところを議論しておかないといけないと思うのです。例えば、CCUで入っている患者 で人工呼吸器が入っていて、口に挿管されて、口の中がきれいにならないときに、それ でも歯を磨いたりうがいをさせたりします。モニターを見ながらそういうことをするわ けですが、ああいうのが看護であるわけで、腰が痛いと言ったときにさすってあげたり、 不安でおののいているときにそばにいて話を聞いたりという、そういう全体の心拍を見 ながら、あるいは大動脈圧を見ながら、スワンガンツを見ながら、そういうことをする のが本当の急性期の看護だと思うので、誤解がないようにしていただきたいのは、判断 を医学的な判断ができればいいというのではなくて、医学的な判断もして、それで看護 ができるということが重要で、矢崎委員がおっしゃったように、それは介護ではないか と言われると、介護と看護はとても識別できないところは苦しいところですが、介護の 部分もかなり看護にはあるので、その崇高な介護をするにはやはり判断が必要なのです が、誤解がないように診療の補助のためにだけ高度な判断をすると考えないようにして いただきたいと思うので、それは松月さんにもう一席ぶっていただかないと、多少診療 寄りの考えが非常に濃厚になっている危惧を私は感じます。 ○松月みどり先生 私は実は日本の医療を支えているのはナースだと思っています。と いうのは、医師は非常に専門分化しており、例えば私は集中治療室で仕事をしていると きは意識レベルがおかしくなると脳外科、または神経内科の医師に診てもらったほうが いいではないと話します。そこへ脳外科、神経内科の医師がまいります。もともとその 方は心臓の病気の方でも、そのようにチームでかかわることになります。そのことをト ータルに脳神経外科的な知識、診断、治療の知識もナースは持たなければいけないので す。いちばんいいのが手術室の看護師だと思います。脳外科の医師は頭の手術しかでき ません。心臓外科医は心臓の手術しかしません。でも、手術室のナースはすべての手術 ができるのです。やはりそれが私は看護だと思っておりますので、看護はその人を心も 身体も全部含めて総合判断ができることが、ナースの仕事だと私は思っていまして、臨 床ではそれを看護ケアという実践に活かす。知識として持っていても何の役に立ちませ んので、それを行動にして移すことが、私は看護だと思っていますので、看護は例えば マウスケアをすること1つとってみても、一言でいえば安全になのですが、体位変換1 つとっても、介護の人とやることが違うのは、人工呼吸器を付けたままでも入浴はさせ ることができるわけです。それがナースの本来持っている機能だと思っています。 ○福井トシ子先生 助産師の仕事も「ぶって」いいでしょうか。1991年にマースデン・ ワーグナーが日本に訪れて、手術とみなされる出産から、開放された出産をすべきだと いうことを広く講演してくださったのです。ここにおられる先生方は、女性が出産する ときのイメージを、どんなふうに思っておられるでしょうか、たいていの場合は分娩台 の上に仰向けで足首が固定されて、綱を引っ張っていきんでいる姿を思い浮かべるのだ ろうと思うのです。でも、それは人間的なマタニティケアではないわけです。この出産 に対する作られたイメージは、医療従事者が作ってきてしまったものなのです。医療従 事者の都合に合わせるとこのようになってしまったといえるでしょう。女性は自分がい ちばんそばにいてほしい人が、そばにいて、自分がいたい場所で出産できるという状況 で出産したいのです。そのことを実現させるのが人間的なマタニティケアです。その状 況を作るのが、助産師という仕事なのです。分娩台があるかないかではないわけです。 医療従事者の都合のよいように合わせた姿ではあってならないのです。産婦さんにとっ ていちばんいい場所はどこかということを双方に考えながら、場所も選ぶことができる。 こういう人間的なマタニティケアを行うのが、助産師の仕事です。それをするためには、 自律的な教育が必要なのだということを申し上げたいと思います。不足していたらよろ しくお願いします。 ○延吉正清先生 看護師ですが、病院のいろいろな職種を見ていて、うちの病院は部長 というのは看護部長が1人で医師はほとんどトップは部長なのです。事務もいろいろ部 長がいます。どうして看護師だけ部長が少ないか、非常に疑問でして、地位の向上とか をいろいろ考えなければいけないので、私は部長を4人増やして看護部長は副院長で、 あと部長を4人にしたのですが、非常に看護師のモチベーションが高くなって、喜んで いただきました。やはりこういうことも考えないと、看護師を1人だけ部長で、やりた くないという人も当然いるのですが、将来部長を目指したいという人もいます。そうす ると、1人のところというのは極めて難関です。10人ぐらいに増やしたいと思うのです が、あまりにも病院は職場間で地位がアンバランスなのです。医師は全部部長なのに、 なんで看護師だけは5百何十人いて、部長が1人か。私は前から疑問に思っていて、増 やしたら看護師が非常にモチベーションが高くなってうちの病院はよくなりました。こ のことが基礎看護とは関係ないかもわかりませんが、考えていく必要はあると思います。 非常に看護師のやる気が出てきましたので、参考になれば、是非やっていただきたいと 思っています。 ○井部委員 先ほど看護師がしなくてもよい仕事は何ですかと座長が質問されましたが、 私はむしろ看護師がしなければならない仕事が十分にできていない。そこにもっと焦点 化して、そのことをもっと基礎教育できちんと、これはしなければならないことなのだ ということを、しっかりしておいたほうがいいのではないかと思います。しなくてもよ い仕事というのは、大体が管理者が考えなければならない周辺の物品の供給とか、夜勤 の体制など管理的な側面が多いと思うので、本当に看護師がしなければならないことは 何なのかというところを、きちんと押さえておく必要があるのではないかと、今日の議 論を聞いていて思いました。 ○田中座長 はい、一渡りよろしいですか。矢崎委員どうぞ。 ○矢崎委員 全くそのとおりだと思うのです。ただ、看護師というのは最近ようやく認 定・専門看護師とかが初めて出てきて、それまでは看護師は看護師で、いま言われた師 長とか副師長など、医師はどんどん外科医、内科医、眼科医など分かれていっています。 看護師も一様に看護師がやる業務全部を網羅するというのは、先ほど私が言った真意は 看護師でも得意分野があってもいいのではないかと。それで業務分担をしてそれぞれの 看護師が業務の拡大をしながら、井部委員が言われた我が国で足りない夜勤看護師が少 ないのは、管理者としてわかっていても増やせないという事情もあります。そういうも のをトータルで見て、全部同じ看護師ではなく、ようやく助産師、保健師が確立し、看 護師も少し業務分担して看護業務を我が国で管理する方向でないと、なかなか網羅し切 れないところがあると思います。  看護基礎教育というのは、みんなが持っていなければならない基礎知識、それはリベ ラルアーツの部分もあって、それはやるけれども、その後、どのような看護教育があっ たらいいかということも、今後10年20年経つと、ある程度看護師でも専門分野が出て くるのではないかと思います。 ○田中座長 ありがとうございました。大体時間になってまいりました。お三方の先生 方には大変貴重な発表をいただきまして、誠にありがとうございました。委員を代表し て御礼申し上げます。お蔭で皆さんからも活発な意見が出ましたし、別に今日終わるわ けではなく、もっと討議ができる材料をいただいたと思います。また、委員の先生方に もお忙しい中をご出席いただきましてありがとうございました。  引き続きもう少しヒアリングを行うのですね。では、今後の予定について、事務局か ら説明をお願いいたします。 ○石原課長補佐 次回、第4回の日程ですが、4月24日(木)15時から開催する予定 です。開催場所については、虎ノ門パストラルを予約しているところですので、どうぞ よろしくお願いいたします。 ○田中座長 転々とする委員会なので、場所を間違えないようにしてくださいませ。こ れにて第3回看護基礎教育のあり方に関する懇談会を閉会いたします。お忙しいところ をご出席いただきましてありがとうございました。 照会先 厚生労働省医政局看護課 福井 小紀子 (内線2599)   福井 純子 (内線2594) ダイヤルイン 03-3591-2206 1