08/02/13 医道審議会医道分科会診療科名標榜部会第5回議事録 第5回 医道審議会医道分科会診療科名標榜部会          日時 平成20年2月13日(水)          13:30〜          場所 法曹会館2階「高砂の間」 ○保健医療技術調整官(菊岡)   それでは、定刻になりましたので「第5回医道審議会医道分科会診療科名標榜部会」 を開催させていただきます。委員の皆様方におかれましては、大変ご多忙の中、当部 会にご出席をいただきまして誠にありがとうございます。  議事に入る前に、本日の委員の出欠状況についてご報告します。本日は、日本医学 会の高久委員からご欠席のご連絡をいただいております。  本日はヒアリングの形で開催しますが、前回、委員の皆様にヒアリングをお願いす る先生方をご推薦いただきたいとお願いしました。その結果、3名の方にご参加いた だけることになりましたのでご紹介します。50音順にご紹介します。東京大学大学院 医学研究科加齢医学講座教授、社団法人日本老年医学会理事長の大内尉義先生です。 ○大内参考人   大内でございます。よろしくお願いします。 ○保健医療技術調整官   大内先生は、大島委員からご推薦をいただいております。北海道家庭医療学センタ ー所長、草場鉄周先生です。 ○草場参考人   草場です。よろしくお願いいたします。 ○保健医療技術調整官   草場先生は、辻本委員からのご推薦です。社団法人京都府医師会会長、森洋一先生 です。 ○森参考人   森でございます。よろしくお願いします。 ○保健医療技術調整官   森先生は、内田委員からご推薦いただいております。  次に、お手元の資料の確認をします。議事次第、座席表、委員名簿、資料1〜3をお 配りしております。最初の資料1ですが「総合科・総合医に関するヒアリングについ て」、資料2は大内尉義先生からの提出資料、資料3が草場鉄周先生からの提出資料で す。 ○部会長(金澤)   ありがとうございました。それでは、議事に入ります。本日はご案内のように、総 合科と総合医に関して、いろいろな立場で現場でご活躍の先生方においでいただいて お話を伺う会です。先生方は、前にあるこれを見ないでください。「参考人」と書いて ありますが、参考人というのは私の大嫌いな言葉で、特別ゲストだと思っております ので、是非そのように読み替えていただきたいと思います。それでは、事務局から進 行について説明してください。 ○保健医療技術調整官   資料1をご確認ください。本日、こちらにありますように大内尉義先生、草場鉄周 先生、森洋一先生の3人の方から、それぞれ15分ずつぐらいの予定でご発表をいただ きたいと考えております。3人の先生方にご発表いただいたあとに、内容の質疑応答 や本日のテーマに関するご議論をお願いできればと思っております。順番は50音順で 進めたいと思っておりますので、よろしくお願いします。 ○部会長   ありがとうございました。お願いなのですが、15分ずつで終わったあと総合的に討 論というのはいいのですが、どうしてもその先生にスペシフィックな質問があるだろ うと思いますので、それを少し加えた上でということにしてください。そのつもりで 聞いていただければと思います。それでは、最初に大内先生からプレゼンテーション をお願いします。 ○大内参考人   先ほど紹介していただいた東大の大内です。本日はこのような機会を与えていただ きまして、私なりに考えている総合医療の中身と、それを実践する総合医に関する意 見を述べたいと思います。本日私が述べる内容に関しては、基本的には私が日ごろ考 えていたことですが、今回この会に備えて日本老年医学会の名誉会員、理事、老人医 療委員会、教育委員会のメンバーに意見を伺いましたので、その意見もこの中にかな り入れております。そういった意味では、日本老年医学会の総意とお考えいただいて もかまわないかと思います。  この対比表は、東大病院の内科の変遷を表しております。旧来は第一から第四内科 と4つのないかがあり、それぞれが総合内科だったわけです。比較的専門分化してい たのが物療内科ですが、アレルギー・リウマチ内科に変わりました。私のいる老人科 は、老年病科と名前が変わりました。それに神経内科は、心療内科。この4科はあま り大きく変わっていないのですが、総合内科の4つが大きく変わって、循環器、呼吸 器、消化器など、7つの内科に分科しました。このように、日本の病院、特に特定機 能病院では、こういった臓器別機能分化が非常に進んでいるわけです。  外科も同じように、総合外科であった科が、それぞれ消化管外科、大腸・肛門外科、 肝胆膵外科、人工臓器・移植外科、血管外科、乳腺・内分泌外科の6科に分かれてい ます。胸部外科が心臓と呼吸器に分かれたので、整形外科、脳神経外科をいれて計10 の外科があることになります。  これは東大病院の例を出したわけですが、こういう流れの中で若手の医師の中では このような臓器別専門医志向が非常に強くなっているというのが、昨今の状況です。 例えば、循環器でも冠動脈のインターベンションだけやる人、肝臓が専門でも肝がん の内科的治療だけやる人、ほかにはあまり興味がないといった医師が非常に増えてい るわけです。  ところが、世の中の状況を見ると、皆様方もよくご存じのように、これからは75 歳以上の後期高齢者がどんどん増えていきます。2015年に65歳以上の人口が25%を 超えるといわれていますが、このときに前記高齢者と後期高齢者の数がほぼ同数にな り、あとは後期高齢者がどんどん増えていきます。いわゆる「超高齢社会」とも呼ば れますが、これから日本が真の高齢社会を迎えるということです。  私は老年医学が専門なので、高齢者の立場からの意見を述べますが、こういった高 齢者の医学的な問題は、臓器別の医学では絶対に解決できません。高齢者の医療にお いては、ある臓器の疾病だけでなく、身体機能、心の状態、生活全般がどうかといっ た、身体状況や社会状況を含めて着目する総合的なアプローチが必要で、これがまさ しく総合医の役割にほかならないと考えています。  したがって、総合医に対するニーズは高齢者ほど大きいわけです。総合医が提供す る医療サービスの受け手は、現在・将来とも65歳以上の高齢者が大多数を占めます。 高度に専門科した臓器別のニーズももちろんありますが、多くの高齢者はたくさんの common diseaseを抱えていて、それを臓器別ではなく、トータル的にマネージしてく れることを要望しています。したがって、総合医は必然的に高齢者診療の特殊性を熟 知し、全人的に幅広く診療する能力を持つ必要があります。小児科についてはあとで 森先生がお話になると思いますが、小児の医療もよく似た面を持っています。  高齢者は1人で複数の疾患、しかもいろいろな科にまたがる疾患を持っています。 症状が非定型的で、薬物に対する反応性が若い人と異なります。また、いわゆる疾病 と名づけられない老年症候群、例えば寝たきり、あるいは転倒といったものが増えま す。また、生活機能が低下しやすい、このような特徴を持っています。  これは私どもの科の入院患者の年齢別の表ですが、年齢とともに診断名の数が増え てきます。80歳になると大体5疾患ぐらいです。入院患者ですので、非常に厳密に診 断した結果ですが、このように加齢とともに持っている疾患数が増えてきます。  されでは典型的な、いわゆる総合医の出番である一例をお示しします。この患者様 は、歩行困難と膝の下がしびれることを主訴に来られました。10数年前から糖尿病に かかっていて、都内の某病院の内科にかかっています。骨粗鬆症があって、整形外科、 眼科などいろいろな科、いろいろな病院にかかったわけですが、いままでの医師は誰 も満足のいく診療をしてくれない、高齢者の専門医に相談したいということで、私ど もの所に来られました。  両膝以下のしびれ感は、糖尿病性の神経症によるものです。また、100m歩くとしび れがひどくなって、休まないと歩けない、いわゆる間欠性跛行があります。腰痛もあ る。外出はめったにできないし、しない。これ以上長生きしたくないとこぼしている と言っておられて、うつ傾向があります。ご主人はもう亡くなっていて、娘さんの家 族と住んでおられます。  この方の歩行困難としびれの原因にはいくつかの要因があり、1つは先ほど言った 糖尿病性神経症です。閉塞性動脈硬化、骨粗鬆症、脊柱管狭窄症、うつ状態があり、 白内障と糖尿病性網膜症で目も悪い。あまり出歩かないので筋肉も萎縮していて、ま すます外出しにくくなるわけです。基礎疾患がいろいろありますが、どれもが歩行困 難の原因になっており、さらに歩行困難が原因で、余計に筋肉が萎縮するという状態 です。これで、糖尿病内科、血管外科、循環器内科、整形外科、精神科、眼科と、6 科の診療が必要になるわけです。  これは、単にこういったものが合併しているのではなく、患者さんの訴えと非常に 複雑に絡み合っていて、全体像を把握して、この患者さんが最も快適に生活できる方 法を考える必要があります。いままでかかった医師にはそういう視点がなく、そこが 患者さんの不満の元であったわけです。  こういった状況で、6科にかかるとなると、2週間に1回の外来で月の半分は病院に いることになります。しかも、それぞれの医者が自分の専門のところしか見ませんか ら、全体像がどうしても把握できず、全体をどうマネージしていいかわからないとい うことになります。患者さんから見ると、自分がいちばんしてほしいことをしてくれ ないことになるわけです。老年症候群には病名がつかないものもいろいろあって、不 眠、夜間頻尿、視力低下、また便秘、閉じこもりといったものがあります。実は、患 者さんは病気のコントロールもさることながら、そういったことをコントロールして ほしいと言っておられるわけですが、各科別の診療ではそれはできません。  これは別の患者さんですが、心不全で某大学病院の循環器内科に入院して、4、5日 で良くなったにもかかわらず、ここが重要なところですが、食欲が回復して患者さん も歩きたいと言ったのですが、この受け持ち医師はベッド上安静、絶食、補液管理を 続けたのです。たぶん、お年寄りだからもう少し大切にしようということだと思いま す。ところが、老年医学では、お年寄りだからこそ早く起こすというのが鉄則なので す。その結果どうなったかというと、脱水症状と肺炎になって、寝たきりの状態で私 共の所に来られました。この方は、退院するのに5カ月かかりました。これが病気、 臓器だけではなく、患者さん全体を見ないと高齢者では失敗することが多いというこ との典型的な例です。  従来からあったいくつかの総合医のイメージを私なりに考えると、どんな病気でも 最初にかかる医師、いわゆるプライマリ・ケア医、振り分け医が1つです。これは英 国型のGPだと思います。それから、すべての診療が行えて、どの領域においても優れ た技量を有する医師。これは手術もできて内科の診断もできるということで、いまの 医学の水準を考えるとほとんど不可能です。もう1つは内科、小児科、産科、眼科、 皮膚科、小外科など、殆どすべての領域の基本的なことがこなせる医師です。これが 必要とされているのは、離島、僻地ではないかと思います。私のイメージにある総合 医は、「内科をベースにし、患者の全身状態を総合的に判断し、治療の流れを設計する ことが決定できるとともに、専門医との連携が的確に行え、終末期にも対応できる医 師」でありまして、これは、まさに老年病専門医のコンセプトにほかなりません。  どういった技術が必要になるかということを挙げると、1つは先ほど「プライマリ・ ケア」という言葉が出ましたが、いわゆるcommon diseaseについてプライマリ・ケア ができる。主要な疾患について診療の必要性と優先順位が判断でき、病診連携、診診 連携を通じて専門医に適切な紹介ができ、しかも全体の診療の流れを各専門医よりも  一段高い立場からコントロールできる、これがいちばん重要なところです。多くの疾 患を有する高齢者について総合的な評価ができ、それに基づく医療計画を立てること ができる。要介護高齢者について、他の医療機関、介護サービスとともに地域医療連 携を構築してチームのリーダーとなることができる。地域に密着して診療を行う中で、 患者の生活史、家庭環境などを配慮して、個別のQOLを尊重した医療ができる。終末 期にあたり、相談に乗ることができる。こういった技術が必要になろうかと思います。  どういった資質が必要かですが、いわゆるすべてがわかって何でもできる「スーパ ードクター」ではなく、高齢者の加齢に伴う臓器機能の低下を理解し、精神的な喪失 感にも共感でき、なるべく健康に過ごすため何が必要か、具体的な助言を親身になっ てすることができる。文献解析を得意とするEBMの専門家ではなく、目の前にいる患 者に対してさまざまな生活環境、社会環境、家族環境の中でどのような対応が可能か を現実的に判断できる。そのための医療資源を使用する介入をしたほうがいいのか、 様子を見たほうがいいのかといった判断もできる。このような資質が必要になろうか と思います。EBMそのものを否定するつもりはありませんが、エビデンスがあるから こうだということではなく、逆向きだということが言いたいわけです。  それでは、臓器別専門医との関係はどうかを考えると、この一言に尽きると思いま す。すなわち「患者さんの全体像を把握し、どのような医療がどのような順番で必要 かを判断できる総合医がいてはじめて、臓器別専門医が安心して臓器だけの診療に専 念できる」ということで、言い換えますとお互いが補完するということです。  ヨーロッパの家庭医学会(General Practice/Family Medicine学会)が、2002年に 総合医の定義を出しています。ここにいくつかの特徴を11項目にわたって挙げていま すが、最初は医療的対応、プライマリ・ケアです。他職種との連携、専門医療各科へ の連絡役。私自身は連絡役ではなく、一段高い立場のコンダクターだと考えています が。社会環境を重視。急性疾患、慢性疾患の両方に対応できる。地域保健。担当の患 者の身体的、精神的、社会的側面を捉えて、実質的に健康問題に取り組める。かなり の部分が、今日私が申し上げたことに合致するのではないかと思います。  最後ですが、結論として総合医を必要とするのはほとんどが高齢者です。総合医と は、内科をベースに、単なるプライマリ・ケアだけでなく、患者の状態、特に疾病だ けでなく身体機能、精神機能、社会環境などを総合的に判断し、臓器別専門医よりも 一段高い立場に立って、その患者に必要な医療、介護、福祉の流れを計画する、コン ダクターとしての役割を持つ。これはくり返しますが老年病専門医のコンセプトにほ かなりません。総合医の活動拠点としては、地域の診療所、中規模の病院になろうか と思います。もちろん、開業されている先生方も参加するわけです。今日は標榜部会 ですので申し上げますが、単なる総合科や総合医ではなく、「高齢者総合診療科」とい う科を是非作ってはいかがかと、老年医学会では考えています。ご清聴ありがとうご ざいました。 ○部会長   ありがとうございました。大変全体的なお話をいただきましたが、このお話に対し てスペシフィックな質問はいかがでしょうか。 ○岩井委員    東大では、もう高齢者診療科の総合的な教育はなさっているのでしょうか。 ○大内参考人   標榜科に認められておりませんので、外向きには内科の一部門として働いています が、いくつかの大学病院には老年病科という専門の科が独立してあります。東大では 昭和37年にできました。教育ということですが、臓器別の診療を学生や研修医に教え ることも大切ですが、それだけでは医療は済まず、横の流れの教育が重要なわけです。 そこを私たちが担当して、学生や研修医の人たちに医療だけではなく介護や福祉の視 点も含めて総合的に教えているとご理解いただきたいと思います。  ちなみに、そういった専門の講座や診療科を持つ大学は、80医科大学医学部のうち 24大学で、現在それ以上増えていない状況です。 ○内田委員   先生のおっしゃる高齢者総合診療科と老年病科の違いが、どこにあるのかがよくわ からないのですが。 ○大内参考人   老年病科あるいは老人科は小児科という言葉に対して生れたのですが、総合診療と いう特徴を全面に出したいということで、このようなネーミングがいいのではないか と考えました。これはあくまで例なので、その名前に固執するわけではありません。 それこそ「老人科」あるいは「老年病科」をお認めいただいてもいいわけです。 ○部会長   確認なのですが、高齢者総合診療科が認められれば、老人科と置き換えていいとい うことですね。 ○大内参考人   そういうことです。 ○南委員   先生のお考をお聞かせいただければと思いますが、先生のおっしゃっている高齢者 総合診療科の対象とならない小児と高齢者の間の人のためには、また別の総合診療科 があるべきだとお考えですか。 ○大内参考人   成壮年の方々にもいわゆるプライマリーケア医が必要であるとは思いますが、真の 意味で総合医療が必要になるのは圧倒的に小児と高齢者、特に後期高齢者です。産科、 小児科といった離島や僻地に要求されている医師については、また別のシステムで、 育てていけばいいのではないかと思っています。 ○部会長   ありがとうございました。それでは、またあとで議論に加わってください。  次に、草場鉄周先生にお話を伺いたいと思います。よろしくお願いします。 ○草場参考人   皆さん、こんにちは。本日は、このような重要な会議でお話ができるということで、 非常に光栄です。私の立場は、いろいろな立場がありますが、総合科の議論の中での お話ということなので、私は若手の家庭医の立場からのお話をしたいと思っています。 「家庭医」という言葉を使いましたが、もちろん表現はいろいろな考え方があるので、 どちらかというと、この会議の中で以前厚生労働省が出された、総合科のイメージの 中で出てきた医療を担う医師を「家庭医」と読み替えていただいて、この表現を使い たいと思いますので、よろしくお願いします。  スライドを使って説明します。今回の発表の流れとしては、私自身が家庭医の道を 志して、家庭医療の研修を実際に受けてみて、いま家庭医として働く中で、行政ある いは各界の諸先生方に期待することというコンセプトでお話します。ですので、家庭 医療とは何かとか、家庭医とは何かという抽象的な議論はしません。それについては、 先ほど大内先生のお話の中にたくさんありましたし、提出資料のスライド原稿の次に、 私の表現で家庭医とは何かといったことをまとめておりますので、のちほどこのよう な会議の中で参考にしていただければと思います。  私自身、1999年に医学部を卒業したので、まだ卒後9年目です。ですので、本当に まだまだの医師ではありますが、なぜこのような分野を志したかをお話していきます。 私は、京都大学で6年間医学部の教育を受けました。京都大学は、ご存じのとおりア カデミックというか、科学的な研究等でも非常に業績を上げている大学です。講義の 中では人体を細分化して分析していき、非常に細かな部分を見ながら、出てくる科学 的な知見を臨床の中で実際に応用して、患者のいろいろな病気を治していくというト レーニングを、しっかり受けるわけです。私自身もこういう分野には大変興味があっ て、非常に勉強にはなったのですが、常に6年間の中で感じたことは、学年が進むほ ど、どうしても人としての患者のイメージが何となく薄れていくような現実、臓器と いう所に絞られていけばいくほど患者という人間が見えてこないという不安、恐れを、 医者の卵として感じておりました。  そういった中で、実際に将来をそろそろ考えようというころ、大学の4、5年生にな ると、心と体をバランスよく捉えながら、患者に近い立場で寄り沿う医療を実践でき る分野はないのかなと、非常に疑問に感じていました。現実のいろいろな経験の中で、 大学の臨床の各科に研修があるので、いろいろな科を2週間ずつずっと勉強していく、 あるいはさまざまな外部の病院や施設を見学し、「どうでしょうか、こんな分野はあり ませんか」と聞きますが、なかなかピタリとこないのです。心の部分は心の専門家が いて、体は体の専門家がいる。もっと言うと、心の部分は臨床心理学という分野があ る。このように細分化されてしまって、見えてこないのです。  難しいのかなと思っている矢先、偶然「家庭医療」というキーワードに遭遇しまし た。このキーワードの中に秘められているいろいろな概念に非常に共感を覚え、私は 単純だったのかもしれませんが、「これだ」と、後先考えずに北海道に行こうと、研修 先を北海道の日鋼記念病院を目指していったという流れでした。ここまででお話した いことは、医学部の中で普通にやっていくと、こういう分野を志す道はなかなか見え てこない現実があるということです。私はたまたまこういうキーワードに出会いまし たが、おそらく多くの医学生は、そういうキーワードに遭遇しないまま医者になって いくのだろうと思います。  そして、家庭医療の研修を受けました。どのような研修かというと、まずは日鋼記 念病院という総合病院で、病棟のローテート研修です。ここでは、内科、外科、小児 科、産婦人科を中心として、整形外科、皮膚科、眼科等々、細かなものも少しずつ研 修しながら2年間勉強していきます。そのあと2年間さらに後期研修ということで、 さまざまな診療所での家庭医療の専門研修を行っていきます。   合計4カ所の診療所で、山間の僻地から北海道の農業地区、人口が3,600人の小さ な診療所、あるいは都市部の在宅医療をやっていく診療所など、さまざまな所で経験 を積みました。その中で、ロールモデルとなるさまざまな実践を積んだ家庭医の先生 方と出会って、もちろん知識・技術も非常に高いものが求められるわけですが、家庭 医として生きていく、実際このように患者のそばで生きていくことが非常に楽しいの だと、一生をかけていくに値する分野なのだということを実感しました。  ただ、こういう研修を受けながらも、さまざまな現場では、病棟の専門の先生から は、「先生方のされていることはすばらしいと思うけれど、やはり何か専門を持って、 何十年か経験を積んでから開業するやり方でもいいのではないの」と言われたり、大 学の同級生で循環器のほうに入局した人からは、「循環器の専門資格を取ってから大学 院に進もうと思ってるよ。お前はどうやってるんだ」と言われたり、場合によっては、 診療所の患者から「先生のご専門は何ですか」と突然言われて、声が出なくなってし まう場面がありました。  このような話を聞く中で、自分自身の寄って立つ診療が、患者がたくさんいて信頼 されてはいるのですが、本当にこの分野は大丈夫なのだろうかと、将来の不確実性を 自覚する場面がたくさんあります。これでいいのだろうか、食べていけるのだろうか という強い不安が出てくることもたくさんありました。  研修が終わって家庭医として働く中で、北海道の地方都市、室蘭という高齢者の多 い坂の町で、家庭医としての第一歩を踏み出しましたが、先ほどの発表にあったよう な幅広くさまざまな分野を診ていく診療、患者と継続的な関係を保っていく外来診療、 そのような外来診療を通して徐々に見えてくる患者の生活背景、その地域で自分自身 も一緒に生活することによって、患者の生活が非常によく見えてくるという経験を積 みます。  これは訪問診療の場面なのですが、たくさんの訪問診療を担当し、いまも60件ぐら い訪問診療をしていますが、患者さんのお宅はまさに「地域の病棟だ」という意識で 担当します。このように、リウマチを持った方が家で暮らしていたり、90歳の女性が 1人で床に座って暮らしている所に、我々が出向いていくという医療です。  その一方で、このような現場に、医学生・研修医が結構関心を持ってくださってい るのも事実です。夏、春に、年間大体30〜40人ぐらいの研修医や学生が家庭医療を勉 強したいとやってきます。彼らを教えることによって、自分も勉強になりますし、こ の分野に進みたい人はたくさんいるのだなと安心感も出てきます。   活動は、診療所の活動からさらに広がって、町内会での講演会活動ということで、 その中で地元の患者さん方、地域の住民の方々40人ぐらいに、このようなスライドを 使ってお話をしたり、中学校でPTAの方から招かれて、禁煙が大事であることを伝え てほしいということで中学生に教育をしたり、地域のお祭りの救護班に参加して、行 列のいちばん後ろからついていく。地域の人に少しでもアピールする活動を、地道に 続けている状況です。  また、このような経験の中で私自身は、家庭医療は概念として欧米にてまずスター トしていることもあり、大学院の家庭医療学修士課程がカナダにあるので、そこに参 加して、実際にカナダの若手の家庭医と一緒に勉強する機会もありました。この中で は、家庭医の教育や家庭医療の臨床研究などを教育してくれます。その一方で、家庭 医療の理論ということで、なぜ家庭医療が必要なのかといった理論的な背景も修士課 程で勉強していきます。この方が、カナダの家庭医療を最初に導入したイギリスのGP の方です。Ian R McWhinneyという先生で、“A Textbook of Family Medicine”とい う本を書かれたのですが、この先生からお話を聞いたりしてこの分野の重要性を理解 していくわけです。  このような経験を経ていく中で、オフィシャルな立場としては、どうしても専門医 資格が常に私たちの中で重要なものになってきます。私が持っている資格は、「日本プ ライマリ・ケア学会専門医」というものです。これは試験もプログラムもあって資格 を取得するわけですが、残念ながら日本専門医認定制機構に未登録なので、広告も不 可能で、取得する方も年間10名弱で、ほとんど世に知られていない専門医資格です。 一方、標榜科名は内科・小児科でしか出せないので、どうしても幅広い診療内容を表 現することができません。時に、膝や腰の診察、あるいは注射をするときに、先生は 「内科じゃないの」と言われて、返答に詰まる場面もしばしばあります。つまり、学 術的にも法的にも、私の立場は認知されていないのかもしれないという現状に常に気 づかされる現実があります。  そうは言っても、我々自身、家庭医を目指す医師自身が、自分たちのすべきことを なすことが最初の一歩だと思います。まずは我々自身が総合科あるいは家庭医療の専 門医を養成するプログラムを、自分たちの責任できちんと確立していかなければいけ ない。そして、そのような教育をできる指導医を養成していかなければならないと思 います。その結果として、利用する国民の視点から、このような人たちにならかかっ てもいいかなと思ってもらえるような家庭医を、全国各地で養成していく。養成する ことで、さまざまな機会を通じてそれをアピールしていく。  一方で、ほかのさまざまな専門の先生方や医療従事者、コメディカルの方々から信 頼していただかなければいけません。名前だけあってもいけないということで、地道 に現場で実践を積み重ねなければいけないと思います。このような積重ねの中で、初 めて行政・各界に期待することを言えるのだろうと思っております。  いま私の立場からいちばん感じるのは、この分野、家庭医療や総合診療、地域医療 といわれる分野を目指している若手の医学生、研修医、医師は意外と多いということ です。彼らは、果たしてやっていけるのだろうかと、自分の社会的立場がないのに本 当に一生の生業としてこれを選んでいいのだろうかと、非常に不安に思っています。 ですので、私としては、現在すでに成功して社会できちんとした立場を持っている方々 に、是非このような迷える者に対して、この分野は日本の社会にとって今後大切な分 野だから、一生をかけるに値する分野なのだと。安心して選んでいいのだと、そっと 肩を押していただきたい。それこそが外部の行政・各界に期待できることではないか と思っております。  もう少し具体的に言うと、行政の役割は、今後発展の足場をまず提供していただく ことではないかということです。つまり、いま全く足場がない所で一生懸命頑張れる 人もいますが、そうでない人もたくさんいるという現状があるのです。どのように運 用するかはさておいて、医療法の中にまず総合科の位置づけをきちんと置くと、その 第一歩になるのではないかというのが、私個人の意見です。  是非、近い将来に誕生するこのような分野の専門医が、「学会の認定の家庭医療専門 医で、標榜としてはきちんと法律に記載された総合科です」と、専門家としての自信 と、批判を受け、いろいろな評価をいただくという相当な覚悟を持って名乗れる時代 を、私は心から期待したいということで、この話を締めさせていただきます。ご清聴 ありがとうございました。 ○部会長   どうもありがとうございました。大変心強いご発表だったと思います。先ほどの約 束のように、スペシフィックなご質問があるかと思いますのでお願いします。 ○内田委員   大変興味深い現場からのお話をありがとうございました。私が感じたのは、先生は 総合的な臨床経験を積んで、総合的な専門性を持ったいわゆる専門医としての総合臨 床医を目指し、それを標榜科として認めてもらいたいというご要望だと思います。こ の会で話をしているのは、専門医としての総合臨床医と、開業の先生たちが総合的な 診療能力を持つ必要があるのではないかという議論と2つあって、それをこの中で議 論しているのだと私は認識しているのです。先生のお話は大変参考になりましたが、 開業している一般の先生方が総合的な診療能力を身に付けるにはどうしたらいいのか、 あるいはそれを法的、社会的に認められる存在にしていくにはどうしたらいいのかに ついて、もしご意見があれば伺いたいと思います。 ○草場参考人   それは非常に難しい部分だと思います。実際、私がさまざまな場で開業されている 先生方のお話を聞いたり、実践を見たり見学したりする中で、間違いなく我々がやっ ていることと全く同じだなと思う先生がたくさんおられるのです。その先生がその道 にどのようにたどり着いたかは、その先生なりのいろいろな努力をされているようで、 どのように道を作ればいまの開業の先生方がその道に行けるか、答えが1つなのかど うかはわかりません。  1つ言えるのは、すでに足場を持っている先生方が再トレーニングをしていくとい う話と、足場が何もない若手医師の議論を分けて考えなければいけないことは間違い ありません。若手医師に関しては、先ほどから繰り返し言っているように、どうして も将来が見えないという不安があることだけは、議論の中で踏まえていただければと 思います。 ○部会長   ほかにいかがですか。少し視点を変えてご意見をいただきましたが。また全体の中 でご議論いただきましょう。草場先生、ありがとうございました。最後に、森先生、 よろしくお願いします。 ○森参考人   私は資料を用意していないので、申し訳ありません。当初3月ぐらいにというお話 があったのでのんびりしていて、決してパワーポイントが使えないわけではありませ んので、ご理解を賜りたいと思います。  私は京都府医師会の会長として、医師会の立場から総合科についてお話します。ご 承知のように、昭和23年に標榜科についての法律が制定されて以来、徐々に専門性を 加味して標榜科が増加してきました。昭和35年に特殊標榜科として、麻酔科が許可制 として医療法施行規則省令において認可されています。今回の審議会の部会の第1回 で、「医師が総合的な診療能力を発揮するための診療科名を創設する」として、しかも 麻酔科と同様の国の認可制として総合科を取り上げられたことに、大半の医師は大い なる違和感を覚えているのではないかと思います。  医療は、その国の成立ち、歴史、伝統、文化により大きな影響を受けます。国民の 医療に対する考え方や死生観などが大きく作用します。したがって、外国の制度をそ のまま他の国に移しても、決してうまくいきませんし、国民に支持されるとは限りま せん。診療所の機能についても、国によってそのあり方は大きく異なります。いま創 設しようと議論されている総合科は、残念ながらその内容についての議論が全くなく、 標榜科としての名称を採用するかどうかという、患者不在の議論がなされているので はないでしょうか。   先ほどの大内先生のお話にも出てきましたが、まず1人の医師が小児から高齢者ま で幅広いというより、人間の一生という長いスパンについて、総合的で高い診療能力 を獲得することは、個人の努力による総合的知識と広範な技術の獲得が求められてい るということです。個人の能力にもよりますが、スーパードクターとでも呼ぶべき能 力が求められていると思います。我が国のように、それぞれが専門分野を持って開業 している医師の個々の専門性の集合・連携によって、それぞれの患者に活かすとした ら、トータルでどちらが医療の質が高いものになるでしょうか。1人の天才よりも、 みんなが知恵を出し合うという創造的な文化が日本にはあります。  総合科という名称は、現在の日本中の診療所の医師が、かかりつけ医として長年に わたって行ってきた医療を否定し、新しい診療所の医師を作ろうということでしょう か。我々が提供してきた診療所の医療をすべて否定するということであれば、どのよ うな医療を診療所に求めるのか、我々が提供してきた医療のどの部分を否定されるの か、どのようなシステムがあるべき姿なのかを議論し、目指す方向を検討していくべ きではないでしょうか。  さらに大きな疑問は、なぜ唐突にこのような話が出てきたのかということです。こ の議論は、おそらく厚労省の社会保障審議会の「後期高齢者医療の在り方特別部会」 の協議が始まった初期に、かかりつけ医がなく、いきなり入院となった患者の退院時 の受入れ診療所を探すのが病院として大変だということを主な理由として、総合的に 診る医師の必要性を言われたのが始まりのようです。  大病院で治療を終えた患者を、いずれは開業医に返したい。しかし、多方面から来 られている患者を近所のどの医師に返していいのかよくわからない。そんなことから、 何とか返すことのできる診療所の情報が知りたい。また、最近では大病院の診療は日 進月歩ですから、在宅医療といってもかなりの知識と技術を必要としますので、どの 診療所に紹介するかは、確かに病院にとっては大きな問題です。しかし、だから直ち に総合科という話にはならないのではないでしょうか。  このような課題については、すでにかなりの地域で取り組まれていますが、京都府 医師会では「在宅医療サポートセンター」を設置し、地区医師会単位で専門性を持っ た会員開業医のリストを把握し、どのような在宅医療への対処が可能かということや その医師の専門性をも含めて、以下の機能を実践できるシステムの構築を開始してい ます。  個々の専門性を持った開業医の集合体が機能することの有益性として、病院から患 者が退院する際に、個々の病院が従来のように個々の開業医に折衝して、受け皿を探 す必要がなくなることです。患者住所により該当する地区医師会へ紹介することで、 地区医師会が受け皿を検討、用意することができます。また、地区の医師会では、顔 の見える範囲で医師同士が主担当、副担当としてチームを組み、複数の専門医療が必 要な在宅医療についてもチームで治療に当たることができます。事前に病院でのカン ファランスや一緒に診療することなどで、今後かかりつけ医になるであろう医師の顔 も見えてきます。患者にとっては非常に安心感がありますし、病院の医師にとっても 将来にわたり連携が取れることになります。  もう1つは、外来医療においても、地区医師会会員が全体リストを把握することで、 他の医療機関へ紹介受診をさせるなどにより外来医療による治療可能な範囲が広がり、 入院医療の負担を軽減することもできるようになります。  それでも、大学病院をはじめ300を超える病院で総合診療科などを置いているでは ないか、という議論があるかもしれません。確かに、かなりの患者がかかりつけ医の 紹介を受けることなく大病院を受診されています。これは、診療所の医師が総合的な 診療能力がないからということではなく、日本の医療制度においては紹介状がなくて も大病院、大学病院が受診できるということ、病院は来院した患者の診療を拒否でき ない制度であることが大きな理由です。また、患者からすると、多くの専門医がいて 高度の検査機械もある大病院で検査をしてもらえば安心であることから、受診する方 が増加しているのではないでしょうか。その対応のために、総合診療科なるものを設 置したというのが本当のところでしょう。  総合診療科といっても、大学や病院によりその内容は統一されたものではなく、そ の考え方や役割も、家庭医の養成、総合内科医の養成、先ほども出ていた振り分け外 来、卒前卒後の教育を中心にと考えている所など、随分ばらつきがあります。また、 その診療に従事している医師も、いわゆるジェネラリストとして修行してきた方もお られますが、多くは専門医として活躍している方が、自分の専門外来以外の曜日に受 け持っているのが現状ではないでしょうか。  では、患者である国民はどのように考えているのでしょうか。多くの方はかかりつ け医を持っています。かかりつけ医は患者から見た呼称であり、医師から言えば主治 医になるかと思いますが、いま国民のかかりつけ医のイメージというと、これも先ほ ども出てきたように、一般的には地域において、患者の病気のみならず健康問題など を親身になって診てくれる医者というところでしょう。病気の既往、薬について、生 活習慣病予防も含めて相談・診察ができる、家族についても同様の対応ができること も望まれています。  日本医師会の第2回日本の医療に関する調査報告で、「必要なときはすぐに専門医や 専門施設に紹介する」が89.1%、「どんな病気でもまずは診療できる」が83.2%、「患 者情報を紹介先に適時適切に提供する」が75.5%、「生活習慣病など予防のための助 言」が78%、「健康相談を行う」が76%で、これが上位5つです。こういうことが、 かかりつけ医として望まれていることです。かかりつけ医機能の大半の部分を、かか りつけ医は果たしていると考えています。一方で、医師の診断能力、治療能力が高く なるのは大いに結構ですし、日常的にスキルアップが図られるべきだと思います。そ のために、より一層の質の向上を図り、日本医師会を初め都道府県医師会、郡市区医 師会でも取組みを行っております。  また、現状は多くの患者が複数疾患の合併症の治療を受けています。複数の診療所 の医師が1人の患者を診察し、多方面からの治療を行うことは、1人の医師がすべて を診て管理するよりチェック機能も働き、見落としや思込みがなくなるなど、患者に とってよい面が多いと言えます。かかりつけ医を持っていない患者への対応は、今後 の1つの課題ではあります。しかし、総合科を標榜科目としても解決できるものでは ありません。我々は、先に前提として述べた、専門性を持つ開業医の有機的な組織化 を地区医師会単位で構成することが、質の高い診療所の医療の確保には大切であり、 それが総合科に比べより有効な体制であると認識しております。今後は、その点を広 く国民にアピールすることで、大病院集中の問題を解決していくべきと考えておりま す。  繰返しになりますが、少子化が進展し、子育て不安が若い母親を混乱させています。 小児科は、出生前後より乳幼児、学童期など、発達を基礎としての全身の疾病を扱っ てきた診療科です。いまでは、思春期の心の病など、社会的な問題も課題となってい ます。育児不安の母親は、総合科を果たして受診するでしょうか。また、生活習慣病 は内科で、先ほど大内先生のお話にもあったように、老年期から終末期医療は、緩和 ケア、老年期の精神の状態も含めて在宅医療に通じた医師が診ることのほうが、多く の患者には違和感なく受け入れられるのではないでしょうか。  すでに、長い歴史の中で、国民は内科、小児科、外科という標榜科に受診すること で、診療所における初期診療の対応は十分になされてきたと思います。患者がどの診 療科を受診すればよいのかわからないのは、高度先進医療を行う診療機能が細分化さ れた大病院においてであり、診療所ではこのような混乱は起こらないし、患者からの 不満もないのではないでしょうか。診療所レベルの診診連携や病診連携が、重複受診 といういかに無駄な医療であるような表現によって検討されるのは、大きな誤りと言 わざるを得ません。  表面的な標榜科の問題ではなく、社会として、医療制度としてどう取り組むかの議 論がまずなされるべきです。医療制度をどうするべきかという社会のコンセンサスが 形成された上で、では患者にとっていちばんベストであるべき制度、わかりやすい標 榜科が議論されるべきではないでしょうか。果たして何年の年月を費やせば、小児、 思春期、成人、高齢者の年代、性別の特性に配慮した鑑別診断、適切なタイミングで のコンサルテーションが可能となると考えているのでしょうか。  標榜科としての総合科は、医政局の管轄にあるといわれますが、医療保険制度では 後期高齢者医療制度の医学管理料の算定を検討し、4日間程度の研修事項を資格とし てかかりつけ主治医を認定し、算定を認めようとの動きがあります。かたや「総合科」、 一方では「主治医」と表現は異なりますが、意図するところは同じではないでしょう か。また、一方では十分な研修を考えているようですが、かたや4日間程度の研修で 済ますというのは、まさに我が国の行政の手法がかいま見えるような気がします。患 者にとっては、本当に不幸なことではないでしょうか。  総合科を標榜科とすることには賛成できません。麻酔科が認可制になっていますが、 まさに官から民への流れに逆行していると言わざるを得ないのではないでしょうか。 新たに総合科を認可制にしようとするのは、何らかの恣意的なものを感じざるを得ま せん。すべての標榜科が、学会を主体として現在取り組んできた認定医、専門医に基 づいているのであれば、昭和35年の経緯は十分に聞いてはおりませんが、麻酔科の標 榜も国の認可から日本麻酔科学会認定に移してもいいのではないでしょうか。皆様方 はいかがお考えでしょうか。 ○部会長   どうもありがとうございました。大変鋭いご指摘を頂戴したと思います。ご質問を どうぞ。事務局からご質問してもいいのではないでしょうか。 ○大島委員   単刀直入な聞き方ですが、いわゆる総合診療のあり方といったものが、日本の風土 にどうあっていくのかの議論をした上でやる分については、一向に差し支えないので すが、そんなことがきちんと行われないのだったら、いまのままで何が悪いのだとい うご意見だと伺ってよろしいのでしょうか。 ○森参考人   標榜科として総合科を設定するかどうかについては、その必要はないのではないか ということです。そもそも論としてというか、日本の医療がどうあるべきかというの は、もっと大きな観点からされるべきではないかなと思っています。それから、いわ ゆる総合診療能力という話が先程来から出ていますが、3つの学会がありますが、そ れぞれの考え方がそれぞれ異なっていると私たちは思っていますし、共通のものもあ りますし、異なるものもある。  それから、いろいろなシチュエーションで、例えば先ほども出ていましたが、離島 とか僻地・過疎地で求められている診療所の医療の内容と、それから大都会でたくさ んの診療所があり、大きな病院がありという所で求められている総合的な診療能力と 言いますか、かかりつけ医のあり方が、それぞれシチュエーションで違うと思うので す。総合的に診療できるといっても、例えばいまのER型の救急医療の中で見れば、相 当外科的な要素が強くて、そこでも総合的な診療能力が必要であって、かつ、その後 に専門医の処置が必要になってくる。そういういろいろな場で求められるものが違う のではないでしょうか。ですから、それを1つの標榜科としてポンと出してしまった ことによる混乱は、大きなものが出てくるかもしれないという危惧をしています。 ○大島委員   先生、現実がいまこうきているという点を強調されているように私は受け取ったの です。ご指摘のとおりだと共感できるところがたくさんあるのですが、それはいまま での日本の医療、戦後追求してきた医療の1つの結末だろうと思うのです。総合的に というのか、時代、時代の状況によって、どのような医療が求められているのかとい うことを俯瞰的に見て議論をされてこなかったと。あるいは、どのような医療が必要 なのかということをその都度考えて要請もされなかったし、方向性も決めなかったし、 全体としての方向性がなかったというのは、全くそのとおりだと思います。  だからといって、いまこういう現状だから、そんなことをやってもしようがないと、 そこまでは言っておられないと思うのですが。現実はこうだから、いま起こっている 現象をグチャグチャ言っても意味がないというところで終わっているような感じがし たのですが。 ○森参考人   終わっているのではなくて、1つは先ほども言いましたように、いろいろな場で、 いろいろなタイプの診療所の医者が求められているだろう。もう1つは日本の成立ち として、専門性を持って出てこられて、かつその中でいま草場先生のお話にもありま したように、開業医として診療所の医者として、いろいろな方面の知識・技術を身に 付けてやっておられる方もおられますね。ですから、そういう中できた歴史をこの名 称1つで全部否定されると、それぞれの診療所の先生方としては、ちょっと待ってく ださいよという話になるのではないかなと思っています。  いろいろな形で総合的に診る。例えばいちばんそのような教育をやってこられたの は自治医大です。自治医大は僻地・過疎地での診療を任せていただけるというか、任 せられる医師を育てて、また実際にそういう医師のいない所に送り込んでこられた。 そこで学ばれた方というのは、たぶん草場先生と同じように試行錯誤しながら、教え てもらう方がなくてやってこられたのだろうと思うのです。その中で何が求められる か、その中で何をしなければいけないかということで、外科的な処置をもっと学ばな ければいけないということになれば、また学んでやっていかれる。それは行かれた地 域によって何が求められているかによって、ずいぶん変わってくるのではないかなと 思っているのです。  ですから、そういうトータルに、地域、地域のニーズに合ったものをどう活かして いくか、どう発展させていくかを、この医師不足の時に考えないといけないのではな いかと思っています。その答として京都府医師会としては、そういう連携を密にして 患者を在宅なり、診療所のレベルで診ていってあげる。これからはがんの外来治療が 始まってきます。そういうことをすべて含めてトータルに、地区の顔の見える範囲が いちばん大事だと思います。近所の先生、あの人だったら知っているし任せられる、 人間的にもいいよということがわかって紹介して連携していく。大病院はその連携の 基がないですから、それを我々医師会が提供しますよという構想でやっていけば、こ れが広がれば1つの方向性として私はいいのではないかと思います。  そのためには我々開業医、診療所の開業医もレベルアップは絶対に図らなければい けない。できないということがあれば、最低限このレベルはクリアしなければいけな いというところを設定して、それについては皆さんに半分義務づけでもやっていただ く。けれどもそれが認定制であったり標榜科に絡まるものではないと私は思っていま す。 ○部会長   1つだけお伺いしておきたいのですが、先生のお話のキーワードの1つはかかりつ け医であり、全体リストであり、スキルアップではないかと思いました。総合科とい う科名は置いときまして、スキルアップについて何か具体的におやりになっているの ですか。そういうことを伺っている理由は、総合科を目指すものと内容的にどういう 関係がありそうかなということを想像したいからです。 ○森参考人   たぶんいまは生涯研修のカリキュラムをきちんとして、どこまでやれるかというこ と。それから特に救急的な救命処置とか、ショックに対する治療は、わりと年配の先 生方は学ばずに診療所に出てきておられますから、これは義務づけをしていかなけれ ばいけない。京都府医師会の場合だけで申し訳ないのですが、2年間ぐらいかけて新 会館をつくりますので、そこにシュミレーションラボを作って、会員にすべてある程 度、最低限は義務づけなりして来ていただいて、実践もしてやっていこうという形で、 受講された方にはポイントを与えて、修了されれば基礎研修修了証という程度のもの で私はいいと思います。  自治医大などに行かれた方でも9年、10年年限をやられた後は、専門性を求められ る方もありますので、そういう方についても専門の範囲内にそういう資格を取れるよ うな形で、いろいろなルートを作ってあげる。その地域の中での医療の提供システム と研修システム、生涯研修システムを作り上げていこうということで、いま取り組み 始めたところなので、まだ成果として先生にお答えするだけのものはありません。 ○住友委員   先生に確認をしたいのですが、先ほど興味深いお話が1つあって、例えば麻酔科の 標榜科、もしくは標榜医ですね。これは麻酔科学会の認定でいいのではないかという 発言がありました。現在、日本医師会が日本プライマリ・ケア学会、日本総合診療医 学会、日本家庭医療学会と一緒に、生涯教育カリキュラムを作っておられる。それは、 先ほどと同じように総合科と総合医がミットした形で考えておられるのでしょうか。 例えば麻酔科の場合は標榜科もしくは標榜医が一応セットになります。日本医師会が 言っておられる総合医というのは、そこで各学会が認めた総合科というものの存在が あるという前提で話されているのでしょうか。 ○森参考人   いや、私が申し上げているのは、言葉が同じ言葉を使うので、内容が異なるという 話に皆さんになかなか受け取っていただけないのです。いろいろな診療レベルをスキ ルアップする、ボトムアップをするということで、そのカリキュラムを作って皆さん で実践していただくことについては、何も異論を唱えているわけではありません。ま た、そういう学会がそれぞれの立場で認定されるものにしていこうという意図は、私 どもは持っていないのでミットはしていません。  麻酔科の昭和35年ごろの話は、誰かご存じでしたら経緯を教えていただきたいので すが、やはり麻酔科の重要性とその研修なりが十分にできるような状況になかったの で、これを早急に、そして必要性から国としてそういう研修体制と認定制を作って、 早急に麻酔科医を養成しなければいけないと、たぶんその辺の社会的なニーズがあっ たのではないかなと思うのです。もう47年も経っていて、そこのところだけまだ要る のか。日本麻酔科学会も会員が1万人を超えておられると思いますし、専門医もその ぐらいはおられるわけですから、それをいつまでも国の認定にしておく必要性がある のかなという疑問をお示ししているだけです。 ○住友委員   逆の言い方をさせていただくと、例えば日本プライマリ・ケア学会が総合医という ものを認定したとしますね。そこは総合科という名称は日本プライマリ・ケア学会が 名乗るといいますかね、そういうことはあり得ないわけですよね。 ○森参考人   それはプライマリ・ケア学会がされることですから、私どもが反対したり、しなさ いというものではないと思うのです。 ○住友委員   別の学会が別々の総合科という名称を少し変えて名乗るという意味ではないわけで すね。 ○森参考人   そうではないです。 ○内田委員   私の言っているのは、草場先生がそうなのですが、プライマリ・ケア学会の認定す る専門医なのです、学会専門医なのです。そういう立場ですから総合医とかそういう 名称は一切使っていません。各学会の専門医、認定する専門医です。 ○森参考人   いまのところは、各学会ともそれぞれが考えておられますよね。 ○内田委員   これは国が定めている専門医資格に学会の規模が合っていないから、国の認める専 門医にはなっていない。したがって広告もできない状況なのです。いま3学会が話を して、それを国が認定できるだけの学会の規模にしようという話が進んでいるところ なのです。それは総合医とは全く別の話です。 ○住友委員   それは総合科とも別な話ですか。 ○森参考人   別の話です。 ○部会長   それぞれの先生方のプレゼンテーションとそれに対しての大体の質疑も終わったと いうことで、全体にわたる問題を、せっかく3人の先生が残ってくださっていますの で、先生方も含めて議論をしたいと思いますが、いかがでしょうか。どうぞ全体の議 論をしてください。 ○内田委員   草場先生の最後の要望の中で、学会への要望で、是非総合医という認定があったほ うがいいということを言われていました。私はいまの発言の続きで申しますと、これ は学会の専門医という認定があって、それが厚生労働省の認める広告可能な専門医資 格というか、学会の要件になりますが、それを満たすような学会になって、そこで専 門医という資格をお取りになって、それは広告できますよということになれば、それ は総合科という診療科を標榜するということとは話が別に、そういう専門医というこ とで広告できるということであれば、先生の要望はかなりの部分満たされるのではな いかという印象をもつのですが、その辺いかがですか。 ○草場参考人   そうですね。広告ができるということも確かに重要だと思うのです。ただ、やはり 広告プラスどうしても標榜科目というのが常に現実問題となります。だから2点私は 主張をさせていただいた。1つは、先生おっしゃるとおりの専門医という形での表現 もいまはできていない、これが1点です。  標榜科、特に郡部などに行きますと現実的には内科・小児科等で出しても、耳鼻科 的なこともやったり皮膚科的なこともたくさんやりますね。そのときに「内科・小児 科・整形外科・外科・耳鼻科・眼科の一部」とかいうふうに書くわけにはいかないわ けです。逆にそういうふうに書いてしまうと患者の側からは本当に大丈夫だろうかと、 むしろご批判をいただきかねないという現実がありますので、できればそういう法的 な部分とリンクした形で、きちんと表現したいなというところもニーズとしてはない わけではないということです。 ○内田委員   ただ国民の立場からしますと、総合的な診断能力を持つ、いわゆる総合科という標 榜を認めるには、いまあまりにも基盤整備がされていないというところがあるのでは ないかということが1つ。  もう1つは、先ほど森先生のお話にもありましたように、地域医療連携の中で、現 状でかなりそういう総合的な機能を果たしているような開業をされている先生方がた くさんいらっしゃる。そういう方を全部排除してしまうのか、あるいは全部認めてし まうのか、あるいはその線引きをどうするのかという議論が必ず出てくると思うので す。そこのところは非常に難しい問題であって。先生のような経歴をお持ちになって も、明らかに総合医を志向してトレーニングを受けて、研修を受けて、決まったカリ キュラムをこなしてという先生方が地域に揃ってくれば、それは総合科という診療も 私はオーケーではないかと思うのです。現状でそこに話を持っていくと、かなり医療 の現場が混乱するとか、国民の皆さんが混乱するのではないかということを非常に危 惧するのです。 ○草場参考人   ご指摘の件は非常によくわかるのです。つまり、鶏が先か卵が先かという議論では ないかなと思うのです。つまり、揃ったら標榜科を作るということなのか、では揃う のかという問題が出てくるかもしれない。私がいちばん危惧するのは、現状であれば 若手の医師は、やはりそういう標榜科は認められなかったと理解し、臓器別専門医を 目指しなさいというのが日本の医療の方向性なのだなと、メッセージとして受け取る わけです。実際、昨年新聞に出て、それがもうなくなってしまったということになり ますと。  そうすると、とたんにこういう学会にいく人たちの流れが、先ほど大内先生が言わ れたようにインターベーション等を専門にやる方向に、どんどん日本の医療の若手が 進んでいく。それによって将来的にできればというところが、できずに終わってしま うというのがいちばん危惧するところです。  もちろん不十分な状態であるというのは、間違いなくご指摘のとおりです。我々の 所で育っている医師はせいぜい30名弱ぐらいしかおりませんので、もうおっしゃると おりなのです。  ただ、どちらを先にするかという点は、本当にいろいろな意味を持っていると思い ますし、30年後に日本の医療をどういうことにしていこうかというグランドデザイン の中で、いま30年後を見据えてどういう手を打つかという議論だと思うのです。です から、現実を見て答えを出す視点と、30年後を見て出す視点。私が30年後は63歳に なっているのですが、そのころに医師として働いていたら、そのときに「あっ、後輩 たちが育ってきて、確かにしっかりやれているね」と自信を持てるような日本の医療 界になればいいなとは思っているのです。ですから、その部分は本当に複雑な思いが あります。 ○辻本委員   私は30年後には生きているかどうかわからない団塊の世代です。後期高齢者の医療 の議論に参加したときにも、やはりこれからの団塊の世代を総合的に診て、最後まで 看取ってもらえるドクターが不可欠。それが先ほどの京都医師会の「かかりつけ」と いう地域連携なのか、あるいは総合科と標榜していることなのか、正直言えば患者に はどちらでもいいわけです。ともかくちゃんと寄り添って診てくれる人と出会えてハ ッピーなエンドまで辿り着けるかどうかが、私の人生の残された課題の1つだと思う のです。  30年待てと言われたときに、私たちは、ちょっとそれは待てませんという現実もあ るわけで、ましてこの4月からは後期高齢者の新しい保険制度がスタートするわけな ので、やはりここは急いで整備していただかなければ、時代のニーズには応えられな いという前提があると思います。  先ほどの草場さんのお話の中にもありましたように、若手の人たちが目指しはした けれども挫折してしまうということは、一方には国民や患者の支持というのでしょう か、国民が歓迎したら、きっと若い人たちも生き生きとそのことに努力をしてくれる だろうと思うのです。そういう土壌を私たちはいまから作っていかなければいけない。  そこで大内先生にお聞きしたいのですが、そういう教育を30年かからずにできるの かどうかということを、学究の立場でお答え願えればと思います。 ○大内参考人   医学教育においてそういった総合診療の重要性というのを唱えているのは実は私ど もの科です。そういうことを言っておられる他の科もありますが、少なくともそれを 前面に押し出しているのは私どもの科だけなのです。医学生に総合診療の重要性を教 えますと、それだけの反応が返ってきます。いままで老年病科というのは何をやって いる所かわからなかったけれども、講義を聴いて老年医療の目的や役割が非常によく わかったと いうことが、ちゃんと学生から返ってくるのです。したがって30年はか からないのではないかと思います。  もう1つ私が申し上げたいのは、内田先生もおっしゃいましたが、開業の先生方が、 いままで総合診療を担ってきたのではないかということです。そこで開業の先生方を 排除して、こういう専門医をつくっていくということではなくて、現在医師になって いる方の再教育、それから若いこれからの方の教育と2つありますが、総合診療ので きる医師をこれまでの開業の先生方のご経験を生かして、いかにシステマティックに 養成していくかということが重要だと考えています。これには30年はかからず、もっ と短期間にできると思います。  さらに申し上げたいことは、日本の医学生の7割は高齢者の特殊性についてあまり 学ばないまま卒業して行って、臨床の現場に出て初めて高齢者に現実に接して若い方 との違いに気づくわけです。そういう現実を考えると、これも日本老年医学会のかね てからの 主張なのですが、高齢者に関した講座なり、ちゃんと教育できる科を各大 学に置いて頂きたいと考えています。 ○森参考人  長い話ですが、30年待っていただかないように医師会として取り組もうということ なので、いちばん早くできる道だと思っていますから、皆さん方がお困りにならない ように、そういう連携体制を提供しようという趣旨でやっています。   もう1つは、1人の医学生を卒業させて、草場先生のような形の家庭医なり、総合 的に診られるような方を育てるのには、やはり10年ほどはかかるのではないかなと思 いますので、そういう点では、大内先生からお話がありましたように、そういうこと をきちんと教える医学部の教育はなかったというに等しいと思います。それは教育と してやっていくには時間がかかるのではないかと思っています。その辺がはっきりと システマティックにすべきと言われますが、いまとてもできるような状況でない。  それから、それぞれの皆様方が頭の中に描いておられる総合科なり総合医なり、家 庭医なりが、意外にばらばらであるということが1つ大きな要因だと思います。それ を変な形で定義してしまって、科名として先に出せば、卵は先にはならないだろうと、 1つの形になってしまうだろうということを危惧しています。少なくとも、どういう 形のものを皆さんがイメージしておられるかというのは、きちんと考えた上で取り組 まないといけない、混乱が出てくるのではないかなと。ましてそれが国の認定制にな れば、大きな混乱がくるのではないかと危惧しているということなのです。  家庭医を目指されても、先ほどの話のときにも言いましたが、専門性を求める方も いずれ出てくる可能性があります。自治医大でも10年過ぎてずっと家庭医としてやっ ておられるかといえば、そうではなくて専門性をもってやっている方もおられます。 それから専門医としてやってきたけれども、家庭におられる方々をしっかり診ていこ うということで、いまお話に出たように自分でそれを実践されている方もありますの で、きちんと決めてではなくてオーバーラップして、それぞれ求める道を行けばいい のではないかなと思います。  自分で診療所でやってこられて、これだけはもう少し勉強をしたほうがよかったと いうことが絶対あるわけです。ですから、それをどういう形でその先生方に研修して いただく、ないしは身に付けていただくようなシステムを作るかですね。診療所に入 ってしまえば、もう何もできない。日常の診療に追われて勉強をしたいのだけれども できない。けれどもこれはもう少しきちんと勉強をしたいという部分を、どう地域で 身に付けていただいてレベルアップをするかを考えなければいけない。それをこれか ら我々はカリキュラムの中で決めていって、何とかそういうシステムを作ったらより いいものになるのではないかなと考えているわけなので、それを求めていきたいなと 思っています。 ○辻本委員   先ほどの発表の中で、地域、国民にそうした役割をアピールしていきたいとおっし ゃいましたが、具体的にどのような努力をなさっておられるのでしょうか。 ○森参考人   いま我々は先ほどのシステムを作るために、やっと診療所のデータを集めまして、4 月からそういう在宅医療サポートセンターとして患者向けと大学なり大きな病院の先 生方、診療所間のデータベースとして公開して、受け入れるシステムを動き出させま すので、そういうことがありますよ、安心して地域で、それから地域から大学へなり 大きな病院へという紹介のルートをしっかりと作っていきますよ、ということのピー アールをしていきたいと思っています。  もう1つは、きちんと生涯研修のカリキュラムを作った上で、こういう方が研修さ れていますよということをアピールしていきたいと思っています。 ○辻本委員   そのアピールで地域の方たちの、先程来お話のありました大病院志向という方向が 変わり得る可能性がありますか。 ○森参考人   あると思っています。きちんとした必要な分だけを大きな病院に行っていただく。 先ほども言いましたように、大きな病院に行けば何でも検査してくれるし、専門家が いるから、とりあえず行ったら安心というのが、私たちがいろいろな所で聞いている 一般の患者の大病院志向の大半なのです。  その中にはかかりつけ医がいるにも関わらず行かれる。京都の医療審議会で地域連 合の方が言っておられましたが、大きい病院に行くか診療所に行くかは私が判断しま すと、そういう人が結構、日本人は多いのです。ですから信頼していないのではなく て、どうもこれは診療所ではなくて、大きな病院に行ったほうがいいというのを自分 で判断される方が意外に多いので、その辺の部分をそうではなくて診療所できちんと 診る。それから診診連携がかなり有効に働くと思いますので、それは患者に、循環器 ならあそこで超音波の検査までできて、ちゃんと診てくれるからそこで済ませて、そ こでさらにもっと詳しい検査が要れば大きな病院に紹介しますということで、大病院 志向を抑えていく方向でやるしか方法はないと思っています。総合医になったから全 部大病院に行かなくて済むというわけにはならないと我々は思っています。 ○大島委員   先生の言われるスキルアップについてのプログラムは、日本全体を考えたときに、 どういう位置づけにしようと考えるか。それは京都だけでやっているのか、あるいは 医師会だけでやればいいと考えているのか。 ○森参考人   そうではありません。いま内田先生の日本医師会でも考えておられます。 ○大島委員   それは私も知っているのですが、先生のお考えは。 ○森参考人   その内容の具体的なところはまだ報告が出ていませんので、私たちは知りません。 その辺をもう一度十分に見てということと、先程来申していますように、地域の診療 所に新臨床研修制度の医師たちが来ていますよね。 ○大島委員   お聞きしたいのは、日本全体にそういった統一したプログラムできちんとやってい こうということをお考えなのか、そのようなことは不可能だと考えられているのです か。 ○森参考人   いや、それは日本全体でできると思っています。また、それがきちんとできていれ ば良いと思います。それから当然都道府県単位で内容の入替えといいますか、さらに アップすることも可能だと思っていますけど。要するにカリキュラムの中の独自分を 追加することは、それぞれの都道府県でやればいいのではないかということです。 ○大島委員   私は、いま日本の医療は非常に大きな岐路にきていると思っています。ものすごく 大きな変化がいま起こりつつある。大きな変化の原因の1つは圧倒的に高齢者が増え たということ。もう1つは財源に限界がきている。この2つによって否応なくも変わ らざるを得ないということです。全体のグランドデザインどうのこうのという以前に、 制度のほうが先行した形で変化を作り出しているという方向にいまいっている。  これは今まで、専門分科を追求してきた医療、病院中心の医療を追求してきた結果 です。それを支えてきたのが国民皆保険制度です。国民皆保険制度そのものも財源の 問題でこれも限界が見えてきた。この限界が見えたところで、非常に大きなキーワー ドとして総合医という、定義だとか中身については置いておいて、総合的に診療をす る能力を持った医者が極めて重要だということが、その過程の中で出てきたと思うの です。  これを草場先生が言われるように、どちらが卵かどちらが鶏という議論はあるにし ても、30年先を見た上でグランドデザインを作らなければいけないというのは、私は 全く同感なのです。しかし、グランドデザインを作って医療が計画されてきたことが 日本の中にいままであったかというと、それは欠落していたと思うのです。それでは、 どういう手があるのかは、考えなければいけないところです。  それで押えておかなければいけないのは、現状で求められている医療、あるいは10 年先、30年先に求められている医療に対して、社会資源をどう有効に効率的に使って いくかという観点だと思うのです。その社会資源の中に医者の能力だとか、どういう 質を持った医者をどういうふうに養成するのかは、決定的な要素になってくると思う のです。それを日本全体の関係者の合意をもってグランドデザインを作れるかという ことになると、これは私も疑問をもっています。  それができなければ、少なくともいま日本全体の関係者が、これからこういう総合 診療医としてはこういう人間が必要だと。どれだけ必要かというところまでわかれば いいのですが、必要だということがわかったら、同じ教育プログラムで日本全体でい こうではないかというコンセンサスぐらいは作らないと、先がほとんど見えないので はないかなと私は思うのです。 ○森参考人   いまのは少し議論が飛躍しているのではないかなと思うのです。少なくとも高齢者 が増えてきた、それはそのとおりだと思います。ただ、もっと重大なのは医療がどん どん高度先進化していることではないのでしょうか。そこの部分がアメリカですら非 常に大きいと言われているわけです。そうすると、その中で高度先進の医療を専門分 化したから良いとか悪いではなくて、高度化すればするほど専門科がどうしても出て くる。細分化されるのは、大きな病院では避けられない1つの道ではないのでしょう か。 ○大島委員   それはそのとおりですね。 ○森参考人   そうすると、その高度な医療を遍くと言ったら問題があるかもわかりませんが、広 く国民が受けられるという、そこがまず基本になりませんか。私はそれで財源がいる なら財源をどこかから工面するべきではないですかと申しあげています。 ○大島委員   それは要素だと私は考えていますが、それが選択肢の第1選択にくるかどうかとい う議論は別だと思います。 ○森参考人   それはまた別です。ただ、大きな部分として国民が広く高度先進医療を受けるため には、やはりそれなりの財源が必要という議論はもちろん要ると思うのです。それを 専門分化したからそれを抑える、社会的な資源として賄いきれないから総合医という 話は、私は飛躍ではないかと思います。 ○大島委員   いや、私はそういうふうには全然捉えていなくて。いま高齢者が増えている、先ほ ど大内先生がお話されたように、高齢者に対する医療というのは、従来の専門分科の 医療では、もう間違いなく限界があると私自身も思っているのです。その需要が既に 社会的に個別の対応ではもうできない段階まできてしまっている。これは社会制度と して何らかの形で対応をせざるを得ない状況にきているという認識を持っているので す。技術が高度化すればするほど専門科もどんどん増えますし、そういう宿命はある けれども、しかし、一方で社会資源をどう使うのかという観点を、だからこそ余計き ちんとした制度設計をしながらいかざるを得ないのだろうと思っています。 ○森参考人   私自身は、やはり20年先、30年先のビジョンは必ず要ると思っています。それが なければ現状の取繕いでしかできないわけですから、10年、20年先、どういう医療を 提供すべきかという議論は、ここではない別の所でするべきだろうと思っています。 そういう中で先生が言われるように、高齢者の特性についての医療のあり方は1つ考 えるべきでしょう。それが総合科には私は結びつかないと言いたいのです。 ○辻本委員   たぶん20年、30年後、ここにいらっしゃる医師たちも高齢者で患者になっている と思うのです。もう診ていただけない状況がやってきている。そのときに、では私た ちを支えてくれるのは、これからの若い医師なのですね。何度も言いますが、その若 い医師たちが、団塊の世代を含めた固まりのような患者たちを何とか支えていこうと いうことの基盤は、いまから準備して、いまから教育をしていただかないと、私たち は野垂れ死にするしかなくなってしまうのだと思うのです。  先ほど草場さんがこれから自分たちが張り切ってやっていくためにも、行政に対し ては発展のための足場を作ってほしいということ、その足場がいまないから撤退して しまう人たちもいるのだというお話が出てきたのですが、例えばもう少し具体的に、 どんな足場があったらいいとお考えですか。1つは総合科というご提案がありますよ ね。 ○草場参考人   いちばん有難い足場はやはり患者だと思うのです。現実的に私がいま診療している 中で、先ほどのような条件であっても普通に気持ちよく日々診療してやっていけるの は患者が毎日かかってくれると、そして「先生、こういうことがあったので、今日は ちょっと足が痛くて」とか、「今日は目にごみが入って」とか、いろいろな問題を相談 してくれる。これがいちばんなのです。  ですからその足場というところで、私が先ほどの発表の中でいちばん強調したかっ たのは、まずは自分たちの専門科集団というか、それがどういう形になるかは置いて おいて、その質をきっちり高める。それでいろいろな方から見てもこれは大丈夫だな、 安心できる医者が育つなと、内部できちんとそういう養成プログラムを作って、きち んとそれをオープンにする。公開して、こういうトレーニングを受けているのですよ、 いかがでしょうかというふうに出す。そこが実はいちばん大事な足場だと思っている のですね。だから行政的な部分の名称であるとか専門医の呼称というのは、それに付 加されるものであって、真面目にやっていれば社会は認めてくれるのだという、どち らかというと私は特典というか、社会的な認知だと思うのです。  ただ、私自身は標榜がどうであろうと、専門医の資格があろうとなかろうと、一生 この道をやり続けるのは間違いないのですが、そういうふうにやっていける人がどれ ぐらいいるかという問題になってしまう。多くの方は親戚とか、親とか医療関係者が いらっしゃったら「何で専門を持たないのだ」と現実的には非常に言われます。そう いった中で、いやいや、でもこれは大事な分野だから、実はこういうふうに標榜とか 専門医というのもできてきているのだよと言えるだけで、先ほどの内なる自信に外な る信頼が加わって「やっていこう」と思えると思うのです。そういう両方の特典、足 場が大事かなと思っています。その中で考えています。 ○部会長   ありかどうございました。いいお話です。 ○大島委員   いまのお話の延長で、大学がいままでいわゆる総合診療とか家庭医といったものに 対して理解がなかったというよりも、私は長い歴史の中で大学独自の価値観が、学問 の自由、大学の自治ということで、醸成されて、社会の求める価置観とずれていった のが、いまの状況ではないかと思います。  その中で、これも大内先生が強調されましたが、総合診療科というのがありますが、 例えば、老年科はいまの状況を考えれば、80大学ですか、すべての大学にあっても不 思議ではないなと、普通世の中の人はたぶん思うと思います。それが24だと。しかも いろいろな話を伝え聞くところによると、老年科を大学に残すのに大変な状況になっ ているということをきくと、大学がいまのままゆく限り、積極的に総合診療医を養成 していこうという価値観にシフトしていくのは、現実的には難しいかなと思えます。  しかし、世の中というか、社会の現実はどんどん変化している。大学がどういう考 えであれ、否応なく変化しています。いままで医者をつくる責任というか、その立場 であった大学がどのような考え方で、どのように養成のプログラムを作ろうと、社会 自体はどんどん変化しているというのがいまの状況です。  その中で社会の要請に対して、大学も含めて医療界全体がどう応えていくのかとい う質問がいま出されていると考えたときに、医師集団というのは価置観がいろいろあ って、医師会には医師会の価置観が、大学には大学の価置観、病院には病院の価置観、 いろいろな価置観がある中で、必ずしもそれが一枚岩に統一はされていない。  こういう中で、医療の全体をどういうふうに考えてゆけばよいのかということが問 われていると思っているのです。そういう中で、せめて制度として枠組みを決めて社 会の要請に応えられるように持ってゆくというやり方は、一定に有効ではないかなと 私は思うのですが。  先生は患者が認めてくれさえすれば、専門医であろうがなかろうがどうでもいいと いうのは、ある意味、居直りなのだけれども、しかし、それを保証してくれるものが ある方が人は集まります。大学が価置を担保すればそれも安心だし、専門医制度が確 立されていけば、同じ分野に入ってくる人間も多少は安心して入ってこられる。しか し、そういったものが何かばらばらな状況であれば、せめて制度できちんとしたある 程度の方向性を示していくことも、いまは相当重要ではないかなと思うのですが、い かがですか。 ○草場参考人   おっしゃるとおりで、先ほど辻本委員のお話と同じように、実際に我々の組織の中 で、医学生対象にこういう分野に進みたいという人の研修会みたいなものを毎年やっ ているのですが、その中で実際にその分野に最終的に入った人はおそらく1割、2割 なのです。非常に関心をもって、わざわざ北海道まで飛行機代を出して来るにもかか わらず、1割、2割しかこの分野には進んでいないのです。現実的には親の反対もあっ たとか、友達の話も聞いたとか、将来が不安だからということで、最終的には地元の 出身大学の医局に入られる方が多数おられるという現実もあります。  そういった意味で制度設計の中で、確かにこの礎というか、柱が1つあるというの は、末端で働く、本当にまだ武器も何も持っていない、将来と希望と期待だけ溢れて いる若手医師にとっては、それが非常に有難いことなのだろうなというふうには私は 個人的にまず思います。 ○内田委員   議論がいろいろ錯綜しているように思うのですが、最初、そもそもこの会議で出て きたのは、厚生労働大臣が認可して認める総合医をつくるかどうかという議論が1つ ありました。それから総合科という診療科を設けてよいのかどうかという議論が2つ 目にあったと思います。最初のところの厚生労働大臣が認める総合科、ほかの診療科 にはこういう科はありません。それを設置する必要があるのかどうかについて、ご意 見を3人の参考人の先生方にいただければと思います。 ○大内参考人   大島先生が言われたご意見に私も全面的に賛成です。日本の総合医療はある意味ボ ランタリーな活動によって支えられてきたわけですが、いまの現実を考えると、それ を制度化するというのは、意味のあることだと考えています。制度が出来るとそれを 志望する人も増えますし、志望する人が増えれば必然的に国全体の総合医療のレベル が上がります。  その端的な具現化として標榜科に高齢者総合診療科を作っていただきたいと私は思 っています。 ○内田委員   それが厚生労働大臣が認める専門医、認定医であるのか、そうではなくて診療科と して総合医を設けるというご意見というふうに受け取って。 ○大内参考人   老年医学会のことばかり言って申し訳ありませんが、老年病専門医というのは、一 昨年の3月に認められているのです。だから広告はできるのですが、標榜科にはなっ ていません。国全体の方針を打ち出すためには標榜科を作っていただくのが手っ取り 早い方法ではないかと私は思っています。ただ制度設計は慎重にやる必要があります が。 ○部会長   専門医というのが。 ○大内参考人   老年科専門医というのは、もう既に認められているのです。そうではなくて標榜科 ということです。 ○内田委員   標榜科としての診療、診療科としての総合科。  ○部会長   麻酔科と同じような扱いになるのかという、そこについてはいかがですか。 ○大内参考人   麻酔科は国の認定ですね。そういうことではなくて内科・外科とか同じような標榜 科としての高齢者総合診療科ということを申し上げたのです。 ○内田委員   そうですね。ですから、標榜科として認めてもらいたいという要望で、国の認定制 度は必要ない。 ○大内参考人   国が専門医を認定するかどうかというのは、全然別個の話です。私はそれを必ずし もいいとは思っていませんけれども、標榜科には入るべきだろうと思います。 ○草場参考人   国の認定を要する標榜科ということですよね。私としては自由標榜の中で総合科を 出すことに国民の信頼が得られるかどうかに尽きると思っています。そこがもし、国 民に認められる環境であるのならば、国の認定を要することはおそらくないのだろう なと思うのです。  ただ、そこは私たちが要望する話ではなくて、どちらかというと外部の方から、こ の分野に対してどういう評価をいただき、どう認識され、まだ不安定だから新たな枠 組みを作らなければいけないと考えられるのかという話だと思います。国の認定とい う枠組みは我々にとってまだ未熟だという裏返しにはなるとは思いますが。つまり、 当事者からの要望うんぬんというよりは、国民も含めて外部の方がどのようにこの分 野を捉えるかという視点かなと私は思っています。 ○森参考人   先ほど申しましたように、国が認定するというのは否定させていただきます。でき れば麻酔科も官から民に戻されるのがあるべき姿ではないかなと思っています。それ から総合科という名称を標榜科としてどうかという話になりますと、いま大内先生も 言っておられますように、小児から高齢者までというのはほとんど不可能に近いと思 います。最初にこの審議会に出てきたように、小児から内科すべてを総合的に高い診 療能力を持つということは、私はほとんど不可能に近いと思いますので、先程来言っ ているのは、総合科の定義をしっかりとして、その上で議論すべき。そうなるとまた 卵が先か鶏が先かになるのでしょうが、それだけ認識が違う部分を一言で表わすのは、 大きな間違いにつながるのではないかなと私は危惧しています。 ○草場参考人   先ほどから高齢者から小児まで診ることは不可能であるというご意見が繰り返しい ろいろなスライドで出ていて、私がやっていることは不可能なことをやっているのか なと、非常に不安になってくるのです。日本の国の実情と海外の国の実情は大幅に違 うと捉えるかどうかの話ではあるのですが、諸外国ではお子さんから高齢者まで一通 り診ているドクターが、イギリスだと大体50%以上を超えておられる。カナダでは大 体30〜40%おられるということは統計的にも出ている。もしそれが不可能なことであ ればその国はどうなっているのかなと、やや疑問もないわけではないのです。  もちろん日本の国情とか国民が求めるものと合致するかどうかという議論は少し置 いておきまして、私はその意見に関しては違和感があるなと。自分自身がやってきて、 いまやっている地域では実際に患者がいらしているということは、やれているような 気はしますし、実際、更別村という人口3,600人の村で1つしか診療所がない地域で も、当初村民の方が35%しかかからなかった診療所が、5年間を経て47%村民の方が かかるようになってきた。小児の方はたくさんいらして、隣の町の小児の健診までや っている実績を考えると、ちょっといかがかなと、やれる部分はあるのではないかな という気がいたしました。それだけ補足させていただきます。 ○森参考人   不可能というよりも、どのレベルまでを求められるかで変わってくるだろうという ことですね。大内先生が言われるように、高齢者を本当にしっかりと診る部分と、そ れでは私がそれをきちんとできるかといえば、それはやはり無理だろうと思います。 だからバランスが取れて、診療所の開業医が診ているというのは先生がおっしゃると おりで、大きな差はないのだろうと思っております。ですから、それをどのぐらいの レベルという話もなしにということになると、やはり無理でしょう。特に高い診療能 力という表現をされていますから、その辺のことが難しいのではないかということで す。 ○大島委員   どれぐらいのレベルというよりも、どういう医療がどこの地域でどれだけ求められ ているかというところがスタートではないのですか。だから不可能だという話は私も 非常に違和感を持っています。日本の中でも北海道から沖縄の端まであるわけですか ら、その地域、地域によって何が求められているのか。それに対してどう応えるのか ということがすべてではないかなと私は思います。 ○部会長   そのとおりだと思います。ですから大島先生が先程おっしゃった全国統一というの は、そういう意味ではなかなか難しい面があるのです。でも大事な概念だと思います。  最後なので言わせていただきますが、草場先生のお話は非常に感銘深いので、むし ろあえてお伺いしたいのですが。学生や若手医師に先生が受けておられたような教育 を、それこそシステマティックに広げるにはどうしたらいいかということですね。先 生は非常に魅力的な方だから若い方がかなり付いて来られると思うのです。そういう 拠点のようなものをいくつか作っておかないと、実際に先生が教育を受けた場所がそ ういう人たちに本当に伝わるかどうかという問題があるのです。  1つ安易な方法は外国に行って教育を受けてくるというやり方。しかし、誰でも決 していいとは思わないですよね。また、総合病院で各専門に分かれている所を回れば いいだろうというのは、普通考えるやり方ですが、これはたぶん駄目だろうと思うの です。だから、先生のような方を育てるには、人間を育てるにはどうしたらいいかと いうことを教えてほしいという気がします。それが1つです。  もう1つは、森先生のお話にも関係するのですが、国民の皆さんが求めている医療 は、もちろん地域によっても当然違うわけです。……というところがあるわけです。 つまり、あなたのように全体を診てくださっている方をよしとして来る人たちと、そ うではない人たちがいるわけです。  ここから先は森先生の話につながるのですが、医師会の方々が「かかりつけ医をも て、もて」と言うのは、本当にいい方向なのかというのは考えないといけない。つま り、本来それを言うのは地方行政なのではないですか。例えば京都だったら京都市な り府なり、それは住民の健康を守る義務があるという人たちが、そういうふうにもっ ていくのが本来なのではないのでしょうか。それなしに医者の側からこういうのが出 来たからやりなさいと言うのと少し違う形で、かかりつけ医をまずもちなさいという のを医師側から言うというのは違和感を感じる。私はかかりつけ医に大賛成なのだけ れども、大丈夫かなという感じがしないでもない。ましてや厚生労働省の言うべきこ とでは当然ないわけでと、私は思うのですがどうでしょうか。ご意見をいただければ と思います。 ○大内参考人    やはり国民のニーズがあるからこそ、こういう議論が出てきたのだと思うのです。 ○部会長   当然そうだけれども。非常に不安に思われるような現状があるということですよね。 ○大内参考人   私も日本の高齢者医療には先行き不安を覚えているのは事実です。だからこそ国民 のニーズに応えられる高齢者医療を構築しなければいけないと思っているわけです。 ○部会長   メッセージが非常に大事なのですね。  ○大内参考人   そうですね。ただ、先生が言われるように、草場先生がおられる所と、例えば文京 区では全然シチュエーションが違いますし、地域によってそのニーズの内容は変わっ てくると思います。しかし、やはり総合診療に対するニーズそのものは基本的にはど こも変わらないと思うのです。だからプロトタイプみたいなものを作って、それを地 域に合わせてモディファイすればいいのではないかと思うのですが、それは確かに地 域自治体の役目かもしれませんね。 ○草場参考人   教育ということに関してなのですが、実は私自身は9年前にこういう教育を受けた のですが、その後もずっと継続してこういう教育を私のセンターで続けてはいるので す。本当に先生が言われるとおり、育てることはかなり大変だと思います。いろいろ な地域で通用するというのは、簡単に聞こえても非常に難しいことで、先ほどから言 われているように、離島で働く場合と札幌市内で働く場合では全然違うものが求めら れる。   ですから、我々としてはその答えが完全にできているとはまだ到底思えませんが、 現状としてはやはり複数の実際の地域の現場で、実際にそこで働いている医師、家庭 医なり総合医なり、地域の開業の先生なりの所で、本当にオンザ・ジョブ・トレーニ ングという形で実際に働きながらいろいろな会合にも参加したり、いろいろな現場に 行ったりして、診療室の外で行われることも含めて全部ばく露されながら、こういう ものなのだというように習っていくしかないのかなと私は思っています。 ○南委員   草場先生に教えていただきたいのですが。草場先生のような家庭医というか、Family Medicineのような者を教育するために、いまの日本ですと全国の医学部、医科大学が 医師を養成しているわけで、教育機関というのはそこに尽きるわけですね。そこに何 か制度みたいなものが求められるのかとか、その辺のイメージとして、そこではでき ないのか、できそうなのか、その辺のイメージを教えてください。 ○草場参考人   大学の教育と家庭医療の教育の難しさについてですが、実際私はいまカナダの大学 院で勉強中の身なのですが、そこで感じるのは、カナダでも大学に家庭医療科という のは存在するのですが、実際のレジデンシーというか教育トレーニングは全部市中の クリニックでやっているのです。大学関連のクリニックあるいはカナダの僻地に研修 医が回って訓練されており、大学の中ではほとんど研修はしていないのです。あくま でも大学は学部教育、学部の中でのいろいろな教育の中に家庭医療みたいなものは取 り込んではいくのですが、トレーニングはあくまでも現場ということを徹底してやっ ています。ですから、大学に行っても家庭医のレジデントはいないのがカナダの現状 で、非常に驚いたのです。ですから大学の立場としてはプログラム全体を統括するよ うな形で、いろいろな地域とうまく連携していくことが、こういう医者を養成する大 学のあり方なのかなと思っています。 ○部会長   どうもありがとうございました。まだまだご議論があろうかと思いますが、そろそ ろ時間になりましたのでこのぐらいにしたいと思います。来週もまたこのような形で 有識者の方にご意見を頂戴したいと思いますが、いかがでしょうか。大変勉強になり ました。先生方、本当にありがとうございました。これからもどうぞご活躍いただき ますように、ありがとうございました。事務局から何かございますか。 ○保健医療技術調整官   次回以降の日程については現在調整中でございますので、日時が確定いたしました ら改めてまたご連絡を差し上げます。以上です。 ○部会長   それでは本日はここまでということで閉会にさせていただきます。誠にありがとう ございました。 1