第1章 救命治療、法的脳死判定等の状況の検証結果

1.初期診断・治療に関する評価

1.1 脳神経系の管理

1.1.1 経過

50代の男性。平成18年5月22日5:00頃、自宅アパートのトイレでドスンと音がしていびきが聞こえてきたため、隣人が見に行くと倒れているのを発見された。5:27の救急車到着時、意識レベルはJCS300で自発呼吸はなく、脈拍は触知されなかった。モニター装着後直後は無脈性電気活動(PEA)であったが、搬送中心静止となった。5:56に当該病院に到着、救急部当直医にて気管内挿管、心肺蘇生術が施行され、心拍が再開したが、救急外来での所見はJCS 300、GCS 3、両側瞳孔散大(径5.0mm)で、自発運動はまったく見られなかった。また、CTにて脳幹前面、小脳橋角部より脳底槽全般に拡がるびまん性のくも膜下出血所見を認めた。7:00に脳神経外科当直医に連絡があり、最重症型のくも膜下出血(H&K gradeV、WFNS gradeV、心肺蘇生後)の診断にてICU入室となり、呼吸・循環管理およびグリセオール投与など対症的加療が行われたが、意識障害・呼吸障害に回復の徴候はまったく見られなかった。脳血管撮影は行われておらず、出血の原因は特定できない。

1.1.2 診断の妥当性

本例は、発症直後より深昏睡で、自発呼吸はなく、搬送中に心停止をきたした最も重症型のくも膜下出血症例である。CTでは、脳幹周囲より脳槽全体に拡がるびまん性のくも膜下出血の所見が認められ、H&K gradeVと診断がなされた。CTによる診断の方法・実施時期、および所見の評価は妥当であったと判断できる。また血管撮影は行われていないが、検査の危険性や治療的意義に繋がらないことを考慮するならば、非施行は当然の選択であったと判断できる。

1.1.3 保存的治療を行ったことの評価

本症例は、心肺停止状態で搬送された最重症のくも膜下出血例で、来院後心拍再開は得られたが、意識障害、呼吸障害、瞳孔散大などの所見に回復は見られず、臨床所見は脳死に準ずる致死的病態であり、動脈瘤など出血原因が確認できても、クリッピングや血管内治療などの根治的治療の適応はなかったと判断できる。当初より脳幹死を示す神経学的異常があり、臨床経過の検証からも、回復の可能性は期待できなかった症例と判断できる。また、本症例で行われた、呼吸・循環管理および脳障害に対する対症的加療の選択、実施内容は妥当であったと考えられる。

1.2 呼吸器系の管理

来院時は自発呼吸なく、食道閉鎖式エアウェイから気管内挿管により気管チューブに入れ替えられ、人工呼吸器により調節呼吸が行われた。その間、分時換気量、換気回数、肺酸素化能もPEEP(呼気終末用陽圧呼吸)及び吸入酸素濃度の調整、気道管理により適切に管理、維持された。

1.3 循環器系の管理

来院時、救急部でモニター上無脈性電気活動(PEA)が認められたため、心肺蘇生法が継続され、エプネフリン投与にて来院後9分に心拍再開が得られた。その後、血圧はドーパミン、ノルアドレナリンの持続投与にて適切に維持され、血圧、脈拍が経時的にモニターされており、適切な経過観察治療がなされたと判断できる。

1.4 水電解質の管理

来院時は、Na139 mEq/l、K4.3mEq/l であり、経過中Naは152〜139 mEq/lで K 4.2mEq/l 前後にコントロールされた。電解質が意識障害の原因や増悪因子ではないと判断できる。

1.5 まとめ

本症例は、発症直後より深昏睡で、自発呼吸なく、搬送中に心停止をきたした最重症型のくも膜下出血例である。来院後心拍再開は得られたが、致死的脳幹障害の病態に回復は見られず、臨床的脳死の診断がなされた。本症例で行われた診断および保存的加療の選択、実施内容は妥当である。

2. 臨床的脳死の診断及び法に基づく脳死判定に関する評価

2.1 脳死判定を行うための前提条件について

本症例は、平成18年5月22日早朝、自宅アパートのトイレで倒れたところを隣人に発見、直ちに心肺蘇生術を施行されながら当該病院救急部に搬送され、心拍が再開したものの、全経過中、瞳孔散大や対光反射消失がみられ、自発呼吸も出現しなかったものである。救急部での蘇生後、頭部CTにて広範囲くも膜下出血が確認された。

5月24日13:30に臨床的脳死と診断され、5月24日23:43から第1回脳死判定を開始し5月25日2:20に終了、7時間14分後の9:34に第2回法的脳死判定を開始し、11:45に終了している。

本症例では、上述の経過概要の記述にあるように、脳死判定の対象としての前提条件をみたしている。すなわち、

1. 心拍再開後、深昏睡及び無呼吸で、人工呼吸を行っている状態が継続している。5月22日6:07の心拍再開後、深昏睡、人工呼吸の継続は臨床的脳死の診断開始までに約54時間が経過している。

2. 臨床経過、CT所見から脳の一次性、器質的病変であることは確実である。

3. 診断、治療を含む全経過から、現在行いうる全ての適切な治療手段をもってしても、回復の可能性は全くなかったと判断される。

2.2 臨床的脳死診断

〈検査所見及び診断内容〉

検査所見(5月24日12:00から13:30まで)
体温:36.1℃(腋窩温) 血圧:151/73mmHg(開始時)128/62mmHg(終了時)
JCS:300
自発運動:なし  除脳硬直・除皮質硬直:なし  けいれん:なし
瞳孔:固定し瞳孔径 右4.5mm 左5.0mm
脳幹反射:対光、角膜、毛様体脊髄、眼球頭、前庭、咽頭、咳反射すべてなし
脳波:残存記録無し 診療録に平坦脳波と考えられるとの記載がある

施設における診断内容
以上の結果から、臨床診断として脳死と診断して差し支えない。

2.2.1 脳波

臨床的脳死診断の脳波検査は、カルテに平坦脳波と考えられるとの記載があるが、脳波記録は残存していない。

しかし、平成18年5月22日(臨床的脳波診断がなされる2日前)のICUでのポータブル脳波計による記録が残存しており、測定感度や測定時間が確認できるとともに、脳波については以下の所見が認められた。電極配置は、Fp1、Fp2、C3、C4、T3、T4、O1、O2、A1、A2であり、単極導出(Fp1 - A1、Fp2 - A2、T3 - A1、T4 - A2、C3 - A1、C4 - A2、O1 - A1、O2 - A2)と双極誘導(Fp1 - C3、Fp2 - C4、C3 - O1、C4 - O2)で記録されている。

[1]7μV/mmでの測定が約2分10 秒、5μV/mmが約3分40秒、3μV/mmが約12分の計、約17分40秒の脳波記録が行われている。

[2]7μV/mm及び5μV/mmの感度では心電図の混入をみるのみで明らかな脳由来の波形はみられない。

[3]3μV/mmの感度では心電図に加え、特に前頭部を主体とする筋電図の混入と電磁誘導に起因するものと思われる軽度のアーチファクトが重畳するものの、脳由来の波形は認められない。(なお、約12分の脳波記録の内、フィルタ処理がなされた約7分間の記録では心電図以外のアーチファクトは消失しているが、脳由来の波形は同様に認められない。)

記録時間が十分でないことや呼名や疼痛刺激などが加えられていないことから、完全とはいえないが、以上の所見から、既にこの時点で平坦脳波に相当する所見が得られている。

2.3 法的脳死判定

〈検査所見及び判定内容〉

検査所見(第1回)(5月24日23:43から5月25日2:20まで)
体温:36.7℃(腋窩温) 血圧:110/55mmHg(開始時)110/54mmHg(終了時)
脈拍数:74/分(開始時) 72/分(終了時)
JCS:300
自発運動:なし  除脳硬直・除皮質硬直:なし  けいれん:なし
瞳孔:固定し瞳孔径 右5.0mm 左5.0mm
脳幹反射:対光、角膜、毛様体脊髄、眼球頭、前庭、咽頭、咳反射すべてなし
脳波:残存記録無し 脳死判定記録書に平坦脳波に該当するとの記録がある
無呼吸テスト:無呼吸

      (開始前) (3分後) (終了後)
PaCO2 (mmHg)42 61
PaO2 (mmHg)196 105
血圧 (mmHg)144/74 110/54 127/62
SpO2 (%)100 98 100

検査所見(第2回)(5月25日9:34から11:45まで)
体温:35.8℃(腋窩温)  血圧:122/64mmHg(開始時)102/49mmHg(終了時)
脈拍数:67/分(開始時) 74/分(終了時)
JCS:300
自発運動:なし  除脳硬直・除皮質硬直:なし  けいれん:なし
瞳孔:固定し瞳孔径 右5.0mm  左5.0mm
脳幹反射:対光、角膜、毛様体脊髄、眼球頭、前庭、咽頭、咳反射すべてなし
脳波:残存記録なし 脳死判定記録書に平坦脳波に該当するとの記録がある
無呼吸テスト:無呼吸

     (開始前) (6分後) (終了後)
PaCO2 (mmHg)43 64
PaO2 (mmHg)426 112
血圧 (mmHg)153/84 102/49 104/50
SpO2 (%)100 98 100

2.3.1 脳波

2回の法的脳死判定では、カルテに平坦脳波に関する記載はない。

また、第1回法的脳死判定時の脳波記録については、約12秒の脳波記録が現存していた。電極配置は、Fp1、Fp2、C3、C4、Cz、T3、T4、O1、O2、A1、A2であり、Fp1 - A1、Fp2 - A2、C3 - A1、C4 - A2、O1 - A1、O2 - A2、T3 - Cz、T4 - Cz、Fp1 - C3、Fp2 - C4、C3 - O1、C4 - O2、で記録されている。記録では、心電図の混入は明らかで、その他、筋電図や電磁誘導に起因するものと思われるアーチファクトは認められるが、明らかに脳由来と思われる波形は認められなかった。しかし、短時間の脳波記録の断片であることから、これらをもって平坦脳波と断定することはできない。

2回目の法的脳死判定における脳波記録は全く残存していない。また、第2回法的脳死判定における電極配置及び組み合わせは、第1回法的脳死判定と同様である。

2.3.2 無呼吸テストについて

2回とも必要とされるPaO2のレベルを得てテストを終了している。テスト前の及び60mmHg以上のPaCO2を得た時点でのPaO2は十分高く維持されており問題ない。

なお、「法的脳死判定マニュアル」においては、無呼吸テストの基本的条件として深部温で35℃以上の体温が望ましいとされている。本症例においては、第1回法的脳死判定及び第2回法的脳死判定のいずれにおいても、食道や直腸ではなく腋窩で体温が測定されていたが、36.7℃、35.8℃と36℃前後の体温であり、無呼吸テストを実施する望ましい体温に至っていたと判断できる。

2.4 脳波の測定について

臨床的脳死診断、第1回及び第2回法的脳死判定において脳波が測定されていたことについては、脳波を測定した臨床検査技師にも脳波が測定されたことをあらためて確認しており、また、医師からの脳波オーダー表及び当時作成された技師の業務記録等から確認できる。

次に、第1回及び第2回目の法的脳死判定において脳波が平坦であったことについては、脳死判定記録書に記載があることに加え、法的脳死判定を行った2名の医師から第1回及び第2回目の法的脳死判定における脳波が平坦であったとする文書が提出されている。さらに、臨床的脳死診断に先立つ22日の予備的脳死診断において、ほぼ平坦脳波の所見が確認されていること、第1回法的脳死判定においては判定医以外の神経科精神科の医師が加わって平坦脳波の確認が行われており、明らかに脳由来と思われる波形が認められない脳波記録の断片が残存していること、予備的脳死診断の後については、診療録の記載内容から脳幹反射消失などの神経所見に変化はなかったことから、平坦脳波所見であったのは確実であると認められる。

2.5 まとめ

本症例の脳死判定は、脳死判定承諾書を得た上で、指針に定める資格を持った判定医が行っている。法に基づく脳死判定の手順、方法、結果の解釈については、臨床的脳死診断及び2回の法的脳死判定における脳波記録が残されていないため、直接原記録を確認し検証することはできなかった。法律上の保管義務が果たされていなかったことは遺憾である。しかし、法的脳死判定に先立つ平坦脳波の所見、臨床所見、臨床経過、判定記録の記載及び判定に関わった医師からの確認から、平坦脳波であったのは確実であると認められる。

すなわち、本例は、5月22日の来院時より自発呼吸、脳幹反応は消失し、22日夕の脳波所見においても脳波活動は見られず、当初より臨床的脳死の病態にあったと推察できる。5月24日13時前後の電子カルテには、臨床的脳死診断に関わる脳波検査実施の記述、および医師による平坦脳波所見の記述が記載されている。その後のカルテ記載内容からも、脳幹反応消失などの神経所見に変化はなかった。法的脳死判定においても、脳死判定の根幹となる深昏睡、全ての脳幹反射の消失、血液ガス分析を行う厳格な無呼吸テストにより無呼吸が確認されており、脳死状態が継続していたことは十分推察できる。以上の点より、臨床医学の立場からは、本例は脳死状態にあったと判断する。


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