08/01/16 第2回 人生85年ビジョン懇談会議事録 第2回人生85年ビジョン懇談会議事録 日時:平成20年1月16日(水)15:00〜 場所:合同庁舎5号館9階厚生労働省省議室 ○岩男座長 ただいまから「人生85年ビジョン懇談会」の第2回目の会合を開催いた します。本日は大変お忙しい中をお集まりいただきまして、ありがとうございました。  本日の議事の進め方でございますけれども、前回の懇談会のときにご相談いたしまし たように、まず議論の整理の資料を事務局からご説明をいただいた後に、清家委員より ご発表をお願いして、その後に自由討議というようにしたいと思っておりますので、ど うぞよろしくお願いをいたします。それでは事務局よりご説明をお願いします。 ○小野政策統括官(労働担当) お手元にある資料1ということで、第1回懇談会で各 委員から出していただきましたご意見の主な論点を、概要としてまとめたものがござい ます。  資料1をご覧いただきたいと思います。1「総論」です。急速な高齢化が進む中で、 高齢者の高い就労意欲を活かして、「少なくとも65歳まで働くのが原則」という雇用シ ステムをより確かなものにしていくべきではないか。また、エイジフリーというのが世 界的な流れの中で、日本の場合は年功序列的な社会意識というものが根強いので、そこ とどういうふうに調整をしていくかが課題になるのではないかと。また、高齢期になっ てからレジャーや学問等を楽しめるようにするためには、若いころから健康面と各種の 準備が大切だと、そういう面ではサポートも重要ではないかという意見もございました。  「人生85年時代」に向けて、少し密度を薄くしてゆったりと人生を送るという方向 性が望ましいのではないか。それとの関連で、産業界が消費者のニーズに応えようとす るあまり、例えば24時間営業のコンビニ、宅配便のサービスが充実される一方で、労 働者の負担が過重なものになっている面があるので、社会全体の在り方の見直しが併せ て課題になるのではないかという指摘もありました。  2頁では、人生が長くなるに伴って、人生設計を一人ひとりが主体的に描いていくこ とが求められるけれど、日本の場合は社会全体に「組織頼み」や「国頼み」の風調が根 強い。個々人がより自立する方向での意識改革が必要ではないかという話。  社会人が大学とか大学院で学び直した後に、職場に復帰するといったようなことを行 いやすくするために、企業や学校等を出入り自由なものにするなどの環境を整備して、 社会的なモビリティが失われないようにしていくことが必要ではないかと。その意味で 長期休暇制度の普及促進が大切だというお話。  日本の場合、諸外国と比較をすると、学校の整備あるいは交通網の整備、治安、福祉 等の進んでいる面がいくつもあるので、必ずしも過度に悲観的になる必要はないのでは ないかと。良いところをもっと伸ばしていって、国民の満足を高めるという観点で前向 きの議論をしたらどうかというご指摘もありました。  一方で、食糧やエネルギーの問題、あるいは安全保障の問題等で、将来についての不 安感、閉塞感があるという中で、経済的な格差の問題、固定化の問題が大きな課題にな ると。特に教育の質の低下が深刻だと、とりわけ公教育の充実が必要ではないかという ご指摘もありました。  少子化対策として、子供を増やそうというのは、むしろ国民感情にそぐわないし、無 理ではないかと。人口6千万ぐらいの規模にソフトランディングをして、「老人大国」 をむしろ目指す方向を打ち出してみてはどうかという話もありました。  それから欠席された方のペーパーで出されたご意見で、人は死までの一定期間、食事、 排泄、入浴など普通に生きるための基本的日常生活を、他者の手に委ねることになるけ れども、この時期に医療、看護、介護等がなければ人間としての尊厳や自律が危機に瀕 するので、老いと死が必然である以上、人間としての尊厳、自律の危機に対して、社会 として国家として、十二分な緩和ケアの提供を保障することが必要ではないかという意 見もありました。  3頁では、言葉の使い方で既成概念にとらわれずに「人生85年時代」を考えていくた めには、「高齢者」といったようなこれまでの言葉や表現の問題についても工夫していく 必要があるのではないかと、こういう話もあったと思います。  3頁で2「各論」を3つの論点としてまとめました。I「いきいき人生のための基礎 づくり」につきましては、やはりスポーツというものが世代を超えたコミュニケーショ ンを伴うことで、やはり元気な身体が必要なので、スポーツを通じて世代を超えた健康・ 教育・生きがい・コミュニケーションが実現されるように環境づくりが必要だと。また、 高齢者のスポーツへの参加を促進するために、いろいろな取組が必要ではないかという 話もありました。  肥満人口の増加というのは世界的な趨勢なので、これを減らすための取組もいまから でも間に合うのでやるべきではないかと。  フランスの人々のように早期にリタイアなどをして楽しみながら老後を過ごそうとい うことであれば、やはり年金制度、社会保障制度の充実が必要だと。遊び方については、 文化の違う日本人がその真似をするというのも、なかなか難しいのではないかと。日本 人は自分なりの楽しみ方や幸せを見つける力を一方に持っているので、そういう文化を 活かした人生の過ごし方を考えたらどうかという話もありました。  II「自己実現に向けた働き方の改革」につきましては、「現役とリタイア」「仕事と休 暇」のように、人間の生活を二分法でに分ける考え方を変える必要があるのではないか と。この中間の時間にこそ観劇とか音楽会とかの文化的活動があるので、半ばプライベ ート、半ばパブリックな時間・空間を大切にすることを考えて議論をしてみてはどうか、 という話もあったと思います。  4頁では、高齢者になって、長年やってきた仕事を辞めて急に新しいことをするのは なかなか難しいので、若いうちからの新しい技術の習得ということで、そのための手法 として「ジョブシェア」を考えてみたらどうかと。  また、ワーク・ライフ・バランスに関連して、自分の幅を広げる、あるいは生産性を 上げるために仕事以外の時間でさまざまなアイディアを生み出すためのインプットも必 要だと。そういう意味でもワーク・ライフ・バランスが大事ではないか。団塊ジュニア 世代には出産・育児だけではなく、介護と仕事との両立を余儀なくされる人がたくさん 出てくることで、企業としてもワーク・ライフ・バランスに取り組んでいく必要がある のではないかという話がありました。  江戸時代との関係で、やはり自営業を中心の社会だったので、長生きは個人の問題で、 高齢化が社会問題化するようなこともなかった。むしろ現代から見るとサラリーマン化 が進んでいるので、自営業の価値をもう一度見直すことも必要ではないかという話でし た。  III「地域・社会参加によるいきいき人生の実現」では、個人の自己実現や「いきいき 人生」のためには、他者からの承認や尊敬が不可欠なので、地域のつながり、コミュニ ティが必要になるのではないかと。一定年齢になったときにコミュニティで有意義な活 動を行うためには、数年前から人間関係を作っておく。そういう準備期間、準備が大切 なのではないかという話でした。  産業の活性化や創業しやすい社会の実現のための規制緩和の推進。都会と地方との違 いを確認した上での議論が必要というご指摘があったと思います。他にも多くのご意見 をいただきましたけれど、ポイントを中心に取りあえずまとめさせていただきました。  資料2で、前回いろいろ議論がありまして、4つほど、年金制度の国際比較、トップ アスリート派遣指導事業、ジョブシェアリング関連資料、ねんりんピック関連の資料と いうのも話題として上がりましたので、併せて今日資料を提出させていただいておりま す。  資料3として、後ほど清家委員から発表していただく資料です。もう1つ1枚紙で、 今日欠席なのですが、前回に引き続いて山崎委員からご意見をいただいております。ま たご覧いただいて、後の議論に参考にしていただければと思います。以上でございます。 ○岩男座長 ありがとうございました。それでは、ただ今まとめていただいた点につき ましては、後ほど議論をするということで、清家委員に早速ご発表をお願いしたいと思 います。大変お忙しい中をいろいろ準備をしていただきましてありがとうございました。 よろしくお願いします。 ○清家委員 清家でございます。今日このような機会を与えていただきまして、どうも ありがとうございました。今日は問題提起ということですので、あまり説明等は長くし ないで、いくつか議論の発端になりそうなことを頭出しさせていただきたいと思います。 今日はタイトルとして人生85年ということですけれど、長い人生という意味では、そ の長い人生を生涯にわたって生涯現役でいこうということを、ひとつテーマにして話を したいと思います。  この[I]の生涯現役と言った場合、人間にはいろいろな側面がありますので、取り あえず(1)職業人という側面、(2)家庭人という側面、(3)社会人という側面に分け て考えてみます。例えば職業人として言えば、年齢にかかわらず働く意思と、仕事をす る能力がある限り、その能力を発揮することができるということだろうと思います。ま た、家庭人あるいはいわゆるプライベートの個人という視点から言えば、職業人として の人生のあと、引退したあとも所得の、お金の心配することがなく、個人の生活を楽し むことができるということだと思います。いわゆる社会への参加という意味では、社会 人として年をとってから、職業の場とか家庭の場だけではなく、地域社会等のさまざま の活動の場で社会とかかわり続けることができる、そういうことを生涯現役と定義でき るのではないかなと思っております。  職業人として、年齢にかかわらず働く意思と仕事能力のある限り、能力を発揮するこ とができるのは、職場でいつまでも頼りにされるということでしょう。また、家庭人と して、引退後も所得の心配もなく個人生活を楽しむことができることは、個人として経 済的に自立し、また消費者としても頼りにされるということだと思います。また、社会 人としてさまざまな形で社会とかかわり続けることができるというのは、社会的にも頼 りになる存在として認められることですから、結局この生涯現役社会というのは、個人 が年をとっても自立し、また頼りにされる存在として生きていくことができる。そうい う社会とイメージしていただければいいのではないかと思います。  ちょっとここは宣伝がましくなって恐縮でございますが、岩男先生も私どもの大学の OBですので、これは福沢諭吉の言葉を借りれば、「独立自尊」ということにもなるのか なと思うわけです。  そこで個々で職業人として、あるいは家庭人として、あるいは社会人として生涯現役 であるためにはどのような条件が必要かという話を、少し各論でさせていただきたいと 思います。その前に1つ強調させていただきたいのは、やはりこの85年なり、さらに もっと長くなるかも知れませんけれども、人生が長くなるときに実はさまざまな意味で のストックというものが、つまり蓄積あるいは貯金、どういう言い方でもいいのですけ れども、いわゆるストック、フローのわけ方で言いますと、その時々の流れ、例えば所 得がフローだとすればストックというのは貯蓄とか貯蓄残高とかそういうものになるわ けです。また、貯蓄残高からのフローとして預金の利子だとかが出てくる。そういうス トックとフローの関係です。人生が長くなるとそれだけ個人にとってストックの重要性 が高くなってくる、ということをまず強調させていただきたいと思うわけです。  1つは、職業人生という観点から言いましたときに、少なくとも60代の半ばぐらいま では現役で、職業人としてバリバリ仕事をする必要がある。年金の支給開始年齢も65 歳になるわけですから、少なくとも60代の半ばまでは現役で働く。60代の半ばまでビ ジネスの場が必要とするような仕事能力をしっかりと維持していなければいけない。そ ういう意味でさまざまな形での仕事能力をあらかじめ蓄積していないと、フローとして の能力が60代に出てこないということになります。  この仕事能力というのは、細かく分ければいろいろあると思います。個々の技能や、 あるいは人脈なども仕事能力の1つかも知れません。もちろん健康や体力も仕事能力の 基盤を成すわけです。そういう仕事上の知識だとか技能だとか人脈だとか、あるいは健 康・体力に投資をする。そういうストックをしっかりと固めておくということが、少な くとも60代の半ばまで職業人として現役で活躍をするためには必要になってくるわけ です。これについては、またあとで少し触れさせていただきます。  また同じように、生活人として家庭人として、あるいは社会人としての人生も長くな るわけですから、そこで先ほど申しましたような経済的自立を果たし、さらに個人生活 を楽しむことができるためにも、さまざまな投資が必要です。年をとってからの所得を 確保をするためには、例えば金融資産に投資してそこからさまざまなフローのリターン を得る。あるいは住宅という実物資産です。特に個人の場合は住宅というのは、非常に 重要な実物資産かと思いますけれども、こういう住宅等の実物資産に投資して、そこか らフローの収益を得る。これは何も家を貸しに出すだけではなくて、自分の住む家を若 いときに投資して持っておくという自体が、年をとってから家賃を払わなくて済む。経 済学の言葉では帰属家賃という言い方をするわけですけれども、帰属家賃という形で所 得を得ることができるわけです。そういう意味で老後にそなえて金融資産とか住宅等の 実物資産に投資をしておく。そういうストックを蓄積しておくことが大切です。  人生を楽しむための余暇活動、あるいは社会参加をするためにも一定の能力が必要で す。能力がないと年をとって遊ぼうと思っても自ら遊ぶことができなくて、遊ばれてし まうというか、お金をたくさん使わないと遊べなくなってしまうわけです。もちろん社 会活動をするのにも、先ほど統括官が読まれた前回の議論の中にもございましたけれど も、若いころからある程度土地勘を付けておかないと、なかなか年をとってからいきな り活動はできない。そういう能力の蓄積も必要であるといえるでしょう。  結局フローを生むのは、つまりある時点で例えば所得だとか、あるいは何らかのサー ビスといったようなフローを生むのは2種類のものしかないわけです。1つは過去に蓄 積した、自らが蓄積したストックがその時点でフローを生む。それともその時点で誰か が生み出してくれたフローをいただくか。こういうのを移転と言うわけですけれど、ト ランスファー。つまりストックかトランスファーがフローを生むわけですから、個人が 自らそなえるとすると、もちろん年金とか社会保障等の移転というのもあるわけですけ れども、基本は自らが、自分自身やあるいは金融資産、実物資産に投資をすることによ って、豊かな老後を過ごすためのフローを得るという考え方が、基本になると思います。  そこで少し各論を、あと残りの時間15分ぐらいで申し上げたいと思います。1つは、 職業人として生涯現役であるということです。働く意思と仕事能力のある人ができるだ け長く働き続けることができる社会。こういうのを生涯現役社会と言うわけですけれど も、そういう社会をつくることができれば、高齢化が進んでも社会保障制度を維持した り、あるいは日本の経済の成長力を維持するための労働力を確保したりすることもでき ますので、そういう意味で社会全体として、まず個人が長い職業人生を、職業人として 生涯現役でいてくれるような状況をつくって行くということが非常に重要なわけです。  実はこの点で日本は、ほかの先進国と同じように高齢化をしているわけですが、ほか の先進国にない恵まれた条件があります。1つは高齢者自身が、例えば健康寿命といっ たような指標で示されますように、かなり元気だということ。つまり長生きだけではな くて元気である。それからもう1つ、これが非常に重要な点でございますけれども、高 齢者自身の就労意欲が非常に高いということです。  例えば当該人口に占める就労意思のある人の比率を示す指標が労働力率というもので す。日本の場合、例えば60代の前半の男性の労働力率はまだ7割を超えているわけで す。アメリカ、イギリスといったアングロサクソンの国は、先進国の中では日本につい で高いケースですが、それでも6割ぐらい。ヨーロッパ大陸に行きますとずっと下がり まして、ドイツなどは3割ちょっと、フランスなどは2割を切っているわけです。そう いう意味で日本は高齢者が世界でいちばん増えているわけですけれども、同時にその増 えている高齢者の中で、働く意思を持っている方の比率も断トツに高いということです。  しかもその中でこれから高齢期に入っていかれる団塊の世代の人々というのは、実は 高度成長期に就職をされ、日本の経済社会の黄金期で第一線に仕事をされて、仕事能力 をしっかりと蓄積されてきた、いわば人材の宝庫といえる人たちですので、こういう人 たちが今しばらく労働力として労働市場にとどまってくれるということになれば、これ は日本の経済社会、個々の企業にとってもボーナスということが言えるわけです。そう いう意味で、この働く意思と仕事能力のある人たちの能力をもっと活用していくという ことが、これは先進国の中で日本だけにあるメリットといいますか、有利性ですので、 これを是非活かしていきたいということでございます。  問題はそのためには、せっかく日本は高齢者の働く意思と、加えてその方々に蓄積さ れた能力があるわけですから、そのストックを活かすための制度の変革が必要なわけで して、その典型が定年退職制度です。前回、岩男座長も審議会の定年の問題に触れられ ましたけれども、日本の企業の9割以上に、30人以上人を雇っている企業ですが、9割 以上に定年があり、なおかつその定年がある企業の9割ぐらいが60歳に定年を定めて いるということです。  これではやはり困るわけでして、年金の支給開始年齢も65歳になりますので、65歳 までの雇用を確保する義務が、高年齢者雇用安定法の改正によって雇い主に課せられた ところですが、最終的に年金の支給開始年齢が65歳になるときには、定年も少なくと もそこに接続していくというような流れが必要になるかと思います。  定年がもたらす弊害はいろいろあるわけですが、例えば私どもの行った計測によりま すと、他の条件が一定の下で定年を経験をすると、働き続ける確率が2割程度低下する ことが分かっています。また定年後働き続ける人も、長年培った能力を活かして働き続 ける可能性が、統計的に有意に低下することが確認されています。募集・採用の年齢制 限というのも、まだまだ日本の企業には残っておりまして、これも今回法律が改正され、 原則としては募集・採用の年齢制限を付けないようにしてくださいというふうになった わけです。これなどももっと徹底していく必要があるかと思います。  もちろん背景には、定年や募集・採用の年齢制限を必要としているような年功的な賃 金制度、つまり年齢とともに賃金が上がったり、職位が上がったりする制度があるわけ です。こちらのほうも併せて見直していくことが、年齢を理由に仕事をすることができ なくならないようにするためには必要なわけです。この辺は実は労使双方、企業だけで はなくて、特に年功賃金制度の改定等については、やはり労働組合等もしっかりと考え ていただく必要もあるわけではないかなと思うわけです。  そして何よりも大切なのが、人的資本投資ということです。かりに年齢を理由に仕事 を辞めなければいけないルールというのが無くなっても、そのときに働く能力がなけれ ば、これは仕方がございません。やはり先ほどちょっと申しましたけれど、少なくとも 60代の半ばまでは、しっかりと仕事ができるような能力を維持する、あるいは向上させ ていく、そういう仕組みを作って行かなければいけない。  従来の例えば50代の半ばぐらいが定年であった時代には、若いときに集中的に能力 開発をして、そのあと朝から晩まで忙しく働いて、短い職業人生を終わるという短距離 競走型の職業人生でもよかったかも知れません。けれども、これからはそうはいかない わけです。やはり60代の半ばぐらいまで働き続けるということになりますと、日々新 しい技術や知識などをもう一度学び直す。場合によるとその職業人生の半ばぐらいで、 1回オーバーホールをすると。これは確か舛添厚生大臣も以前そういう発言をされてい たと思いますけれども、長期の研修休暇といいますか、長い職業人生の途中で、もう一 度オーバーホールをするような機会があって初めて長丁場の人生を走り抜けることがで きる。短距離競走型からマラソン型といいますか、そういう長期を前提としたキャリア が必要になってくると。  ある私の友達によりますと、これからは途中で職業も変わるかも知れないから、マラ ソン型というよりはトライアスロン型と言ったほうが適当だ、というような人もいます けれども、いずれにしてもそういう長距離競走型のキャリア形成が必要になってきます。  また、その際の能力というのは、市場性がある程度ある能力が必要になってくる。も ちろん1つの企業でできるだけ長く雇用が保障がされるというのが望ましいわけですけ れども、なにしろ職業人生が長くなってきますと、1つの企業がなかなか40年、50年 の雇用を保障することは難しくなってくると。  しかもこれまでは産業構造の転換に伴って、労働力が衰退部門から成長部門へ移って 行くというのは、実はかなりの程度、若い人の就職先の変化ということで実現をしてい たわけです。その時々の成長産業が若い人をたくさん採用し、衰退産業はそんなに人を 採用できないという形で、結果として労働力のウエイトが衰退部門から成長部門へシフ トしていたわけです。しかしこれからはそのように産業構造転換の際に労働力移動の中 心となっていた若い人口が減ってくるわけですから、その分だけ、長年ある産業に勤め ていた中高年の人たちが、他所の産業に移って行くということがいままで以上に実現で きないと、いままでと同じ程度の産業構造の転換も実現できないということになります。 そういう際にはやはりよその企業、あるいはよその産業に行っても使うことができるよ うな能力の蓄積というものが必要になってくる。その意味でも実は長期の教育訓練休暇 等はますます重要になってくるということがあると思います。  それはいろいろな方法があると思います。例えばカールさんがいらしておられますけ れども、アメリカなどですとコミュニティカレッジなどが結構、職業転換の場に使われ たりすることがありますね。2年制の短期大学が職業訓練の場として使われて、ブルー カラーの仕事からホワイトカラーの仕事に移ったりする人たちが、コミュニティカレッ ジなどを使って職種転換をしたりすることもあるわけです。  これはいいかどうかは分かりませんけれども、日本は最近少子化で、地方の短期大学 などはずいぶん経営も厳しくなっているわけですから、そういうようなところが、うま く生涯教育の場として生まれ変わることができれば、こういった職業人として生涯現役 であるための人的資本の場としても活用したりすることもできるかなという気もいたし ます。いろいろな方法があるかとは思います。  これについて少し詳しくは、今日の資料の中で『ESP』という雑誌にちょっと書いた ものをお付けいたしましたので、これ以上お話をすると、もうここは私の専門のところ ですのでつい長くなってしまいますから、この辺りにさせていただきます。  2つ目は、家庭人としてあるいは生活人としての生涯現役ということです。ポイント は二つあると思います。1つは老後の所得をどう確保していくか、これは先ほども言い ましたように、生涯現役というのは経済的な自立が前提です。特に職業人生から引退し たあとの所得をどう確保をするか。これはもちろん1つは、いま大臣が苦労されていま す公的年金、これはしっかり維持をしていくことが必要です。もう1つは、やはり公的 年金というのは、基本的な所得を維持するためのものですから、個人がより豊かな老後 生活を楽しもうと思えば、先ほども言いましたように、金融資産等にあらかじめ投資を しておくということが大切です。これは個人だけではなくて、今日は森戸委員がまだい らしておりませんけれども、森戸委員が専門の、特にサラリーマンの場合には企業年金 等と組合せて、ここを準備をする必要がある。  もう1つは住宅資産です。個人のストックとして非常に大きなものとして、この住宅 資産があるわけです。これは先ほども申しましたように、その住宅に自分が住み続ける 場合でも、いわゆる帰属家賃という形のフローの所得を老後に得ることができるわけで すね。家賃を払わなくてもすむ分だけ可処分所得が増えるわけですから、自分の家に投 資をしておくということは、それだけ老後の生活が豊かになるわけです。同時にその家 を、あとで地方移住の話をちょっとだけしますけれども、例えば都市に持っている不動 産を賃貸に出したり、あるいは売却することによって、より豊かな老後生活を地方で送 ろうというようなオプションをもう少し可能にするためには、住宅資産というストック をフローに変えるための仕組みをもう少し整備していく必要がある。  最近NPOの、私も詳しくは知らなかったんですが、「移住・住みかえ支援機構」とい うのがあって、これが子育て時代に必要だった大きな家をその機構が借り受けて、子育 て中の若い人たちに貸し出したりする。家賃は市場相場より少し安いけれど、必ず店子 を保証して、しかも持主が必要になった場合には、一定の期間の後に返してもらえるよ うな仕組みが整備されてきたりしているそうですが、そういったものも含めて、個人の 持っているストック、特に住宅資産をフローに変える仕掛けというのが、特に老後の所 得の確保という視点から大切かなと思います。  もう1つは、長くなる人生を楽しむということです。昔は金持ちというのは、有閑階 級と言っていたわけです。ベブレンという有名なアメリカの制度学派経済学者が『有閑 階級の理論』という有名な本を1920年代に書いたわけです。何で昔は金持ちは有閑階 級だったかというと、金持ちというのは労働をしなかったからです。つまり資本を持っ ていたり土地を持っていたり、自らの労働以外のものが勝手に所得を産んでくれる人た ちがいちばん豊かな人たちで、自分が忙しく働かなくてはいけない人というのは、リッ チではなかったわけです。そういう面では、これから年金生活をする人が増えてくると いうことは、総有閑階級時代というのは言いすぎですけれども、有閑階級の人たちが増 えてくるということですから、そういう豊かさをもっと享受できるようにしたほうがい いということであります。  この辺の話は時間が少しオーバーしてきましたので、端折りますが、その意味で長く なる人生を楽しめるような、先ほど言ったような能力の蓄積等が必要であります。ライ シュのことを引用しようと思ったのですが、ライシュが言っているように、これから下 手をすると労働時間が長くなっていきそうです。特に市場経済化が進みますと、そのと きに売れている人はどんどんたくさん働くし、売れていない人は逆に時間当たり賃金が 安くなるので、長時間労働になってしまうということで、ますます労働時間が長くなり やすいわけですけれども、それでは先ほど言いましたように、特に年をとってからの人 生を楽しむ能力が蓄積できません。  忙しく働くときは忙しく働いてもいいんですけれども、そうではないときには思い切 り遊べるような、もう少しメリハリが必要である。ですからそういう面では労働時間の 短縮という視点も、例えば有給休暇の取得をもう少し促進するといった意味でのメリハ リの利いた、忙しく働くときは働くけれども、遊べるときにはちゃんと遊べるというよ うな考え方も、重要になってくるということだと思います。  社会人として生涯現役でというのは、これはもう時間がかなりオーバーしかかってお りますからあまり長く申しませんが、これは岩男先生が詳しいわけです。そこで岩男先 生の本をリファーしておりますけれども、岩男先生がハーバードユニバースプレスです か、お書きになったこんな分厚いジャパニーズ・ウイメンという本の中に、そこだけロ ーマ字で「亭主丈夫で留守番がいい」とか書いてある。これは要するに、奥様方、地域 社会のいろいろな活躍の場を広げておられるところに、亭主が定年か何かで家に帰って くると、ノコノコくっついてくるとうっとうしいと。したがって亭主は家で丈夫で留守 番でもしていればいいんだ、というのが「亭主丈夫で留守番がいい」というキャッチフ レーズになってしまっているわけです。  そういうふうになってしまっては寂しいわけです。特に男性の問題として、社会人と しても生涯現役で、この場合には必ずしも地域のコミュニティだけでなくてもいいわけ です。コミュニティというのはいろいろなコミュニティがあるわけで、学校の同窓会も コミュニティでしょう。  実際、いろいろなコミュニティがあるわけです。職場の縁というのも1つのコミュニ ティかも知りません。さまざまなコミュニティの中で自分の居場所を見つけることがで きるようにしておく。それもやはり若いころからの投資が大切だと思います。  もう1つはより広い意味で、例えば準公的な分野、例えば学校、アメリカですとスク ールディストリクト、学校区委員会とかで、引退をした人たちなどが結構頑張っておら れたりします。あるいは場合によったら地方公務員の一部は社会人としてビジネスマン としてしっかり仕事をしてこられたような方が、引退後半ばボランティアの形で地方公 務の一部を担うことなども、これから考えていっていいのではないかなと思います。  その辺は今日残間委員が残念ながらお休みですが、残間委員は有名な『それでいいの か蕎麦打ち男』という本をお書きになって、団塊の世代、引退をしたらそば打ちすると いうのが多いんだけれども、そば打ちなんかをしている場合か、というのが残間委員の ご主張だったかと思います。やはりその団塊の世代の人たち、あれだけ若いときに大騒 ぎをしたわけですから、大臣なんかもそうかも知れませんが、大臣はいまでもしっかり 頑張っておられるのでいいのですけれど。学生時代にさんざん大騒ぎをした人たちが、 いますっかり静かになってしまっていいんでしょうかということもありますので、そう いう人たちの社会参加も期待したい。  最後におまけのようなものなんですが、これは実は今日、資料の最後のところにお付 けいたしましたけれども、1つだけ具体的なアイディアとして、これは単なるアイディ アですので、研究の結果からの提案ではないのですが、皆さんに少し聞いていただきた いと思います。要するに年金生活者の豊かな生活を送るための1つのオプションとして、 地方に移住するということがあるのではないかということです。最近は下火になりまし たけれども、一時日本の年金生活者がスペイン、オーストラリアなどに移住して、豊か な生活を送りましょうと、最近はオーストラリアなどに行っても、為替レートが逆転を していますから、豊かな生活ができるかどうかは分かりませんけれども、そういう話も あったわけです。  それはどういうことかといいますと、年金というのは、どこに行っても給付額は変わ らないわけです。賃金というのは、物価の安い所、あるいは貧しい地域に行くと、それ も低くなってしまいますが、年金というのはどこに住んでも決まった給付水準が安くな ることはありませんので、そういう意味では年金生活者にとっていちばんいいのは、自 分の持っている年金権をいちばん物価の安い、あるいは地価の安いような所で享受する ことです。そういう意味では、日本の国内でもやはり地価とか物価が安い地域に、特に 都会でしっかり稼いだ年金生活者が移り住むというのは、1つの合理的な選択です。  そのときのカギとなる問題は地方に行くとあまりおもしろいことが楽しめないという ことのようです。特にこれも残間委員に聞いた話だったような気がしますけれど、団塊 の世代で、お父さんは地方に、また田舎に戻ってもいいなと思うけれども、これは後で カールさんに伺いたいんですけれども、どうも奥さんは、あまり田舎のへんぴな所は嫌 だと。もう少し生活が楽しめないと嫌だ。そういうところで1つあり得るのが最近出て きている、コンパクトシティーという考え方です。地方のそんなにへんぴではない、そ こそこの人口はある、たとえば20万とか、そのぐらいの人口の都市で、一定の水準以 上の文化的なサービスなどがひととおりあるような所に移り住んで生活をする。  実際、最近一部の地方都市、本当の地方都市とは言えないかもしれませんけれど、県 庁所在地のような所の駅前の、元都銀の支店跡地のような所にマンションが建って、そ ういう所に高齢者が移り住んでいる。そういう所ですと歩いていける範囲の中に商店だ とか、病院だとか、あるいは映画館や文化施設とか、そういうものがあって楽しめる。 そういう空間を整備することによって、豊かな老後を過ごす環境が整備できるのではな いかということです。実は、ここが私が申し上げたいことなんですけれど、それが地域 の雇用開発という視点でも重要ではないかなということなんです。  この間の参議院選挙、大臣も大分苦労されたと思いますが、1つの争点は、都市と地 方の間の格差だったのですけれど、その格差の中でいちばん大きいものは雇用格差なわ けです。愛知県のように有効求人倍率が2を超えている所もあれば、まだ有効求人倍率 が0.5を下回っている所もある。それは基本的には何による差かというと、雇用という のは生産からの派生需要ですから、地域における生産活動の格差が雇用格差に反映され ているわけです。  したがってやはり地域間の、特に雇用の格差を何とかしようと思えば、地域に、特に 雇用がしぼんでしまっている地方に生産活動を誘致しなければいけません。1つは工場 を誘致するということでしょうけれども、工場誘致はなかなか容易でないわけで、しか も確かに人手が余っている所に工場を誘致するということはあり得ますけれども、もっ と賃金の安い海外との競争に常にさらされる。  そこで、以前は建設業等の公共事業が、実は生産機会の移転という意味では、大きな 役割を果していたわけですが、これもなかなか難しい。そうすると、やはりここで期待 できるのは、さまざまな意味での「対個人サービス」という形でのサービス業を、地方 に生産活動としてもっと根付かせることでしょう。食べる、着る、健康増進を図る、あ るいは遊ぶ、学ぶなど何でもいいんですけれども、そういう個人に対するサービスとい うものが、地方の生産活動としてもっと出てくれば、そこからの派生需要としての、若 い人たちの雇用も生まれてくると思います。  問題は、サービス業というのは、サービスを買ってくれる人、需要者がいなければ成 り立たないわけで、まさに地方の問題というのは、地方が疲弊しているから人口が逃げ ていってしまって、サービスを買ってくれる人もいないから、サービス業も伸びないと いう悪循環に陥っているわけです。そこで1つのポイントが、そこに年金を持っている 人たち、特に大都市で働いてきて、比較的高い年金給付を得ているような人たちが、そ の年金や、先ほども言いました大都市における住宅資産等から得られるフローや金融資 産からのフローなどを持って地方に移る住むことによって、地方のサービス産業が喚起 される。それが地方における雇用を誘発するということがあり得るわけです。  いずれにしてもこれから高齢化が進めば、引退生活をまかなう年金という形での社会 保障、老人医療や老人介護という形での社会保障などは、必ず発生をするわけですから、 その老人が生活する場として、あるいは医療サービスを需要とする場として、あるいは 介護サービスを需要する場として、これは社会全体としてもできるだけそのコストが安 く、なおかつそういうサービスが増えるとありがたいと思われるような地域で、そうい うサービスが増えることがいいわけです。  その意味では、社会保障を通じた地域間の所得移転によって地方の雇用を開発してい くという視点も、特にこの人生85年ビジョンというものとの関連で考えてもいいので はないかなと思っています。それについても資料に付けました。この最後の2枚目ぐら い書いたエッセイに少し書いてありますので、お読みいただければと思います。時間を オーバーしてしまいましたけれども、申し訳ございません。以上でございます。 ○岩男座長 ありがとうございました。それでは、これから清家委員のご発表について 議論をしていきたいと思います。その前に、前回ご欠席でしたテリー伊藤委員がいらっ しゃいましたので、一言お話をいただければと思います。 ○テリー伊藤委員 遅くなりましてすみません。舛添大臣から一緒に参加してくれと言 われたので、いろいろな知恵を自分なりに頑張って出してきましたので、追い追いと、 大してない知恵ですけれど、出していきたいと思いますのでよろしくお願いします。 ○岩男座長 後ほど知恵を出していただけるということで、早速ディスカッションに移 りたいと思います。どうぞご自由に手をお挙げになってご発言いただきたいと思います。 ○ダニエル・カール委員 清家先生のいまのお話を伺いしまして、賛成するところばか りで、もっともだと思いました。  僕がこの前に参加したときにちょっとだけ述べましたが、国として何ができるかとい うことが、やはり限られているものだとは思います。例えば、老後はもっと楽しめとか、 国からはあまり言われたくないのですよね。自分の楽しみ方は自分で選びたいというか、 どのように楽しめばいいかということを指導などをされるのは、やはり本能的には誰で もあまり好きではないと思います。ただ、楽しむ余裕を一緒につくってほしいというか、 そのようなところはやはりみんなの願望だと思います。  これからは、年金制度がどうなるか、パンクするかといういろいろな不安な時代なの ですよね。いま60歳ぐらいまで働いていて、それから年金が65歳からいただけるなど 制度が変わりつつあって、アメリカももちろん変わりつつあります。一昔前は63歳ま で働いただけで年金はもらえたのだけれども、僕の年ごろになると67歳まで働かなけ ればなりません。ですから、国によって制度によって、その金融的な面によっていろい ろと制度が変わるわけなのですけれども、日本の場合は、たぶん、65歳まで働かなけれ ばならないということになり、そうすると85歳まで楽しむのでしたら、20年間ぐらい は財産と年金だけで食べていかなければならないということになるわけです。そのシス テムが、はっきり言ってまだ出来上がっていないのです。  老後の生活は、日本の国はほかの先進国と比べても、結構優秀なところがいっぱいあ ります。医療的なところ、病気をしたら病院に行って先生に診てもらってということは、 これは世界一だと思います。  また、治安的なことと言えば、最近、テレビ番組のワイドショーにも私はいろいろ参 加しますが、大体、コメンテーターが事件の話を見ただけで「日本ももう滅びたな」と 言ったりします。そんな大袈裟なこと、日本は全然滅びていないですよ。私は30年間 近くこちらに住んでいて一度も犯罪に遭ったことはありません。知り合いも友だちも、 誰も遭ったことはありません。もちろん、新聞やテレビでは見るけれども、個人的にそ のような体験はまったくゼロです。30年間も強盗もされたことはない、スリにもやられ たこともない、もちろん一度も殺されたこともないのです。だから、すごく安心して暮 らせる。それは、子供でも女性の方でもお爺ちゃんお婆ちゃんでも、ほかの先進国と比 べると結構安心して暮らせる国なのです。  私はロサンゼルス近郊の生まれ育ちなのですが、こちらの東京のほうに住むようにな って十数年なのですが、いちばんたまげたことは、最終の電車で降りて、住んでいるマ ンションまで10分ぐらい暗い道を歩きながら行くわけなのです。ロスだったら男でも、 武器を持っていても、10分ぐらいの暗い道を歩くのは怖いのですけれども、東京はなん と女性の方が一人でヒュウヒュウヒュウと歩いている、この光景は毎晩のように見える のですよね。このような光景が見えるのは世界中どこに行っても日本の都会だけだと思 います。そのような意味では治安というのが悪くなったとかいろいろ言われるのだけれ ども、まだまだ犯罪大国のアメリカから来た私から言わせてください、天国のような国 なのですよ。  だから、医療的にも治安的にも等々、物質的にも、またコミューナル・アクティビテ ィという面でも日本はいちばん優れているんですよね。つまり、街の中でいろいろ行事 があって、皆さんが楽しむ、参加しようと思えばいくらでも行事がありますよね。お祭 りもありますし、講演会もあります。私も年間に何十回も講演をするのですが、大体、 集まるのが街の高齢者の方々です。よく大きな声で笑ってくださるし、いろいろなイベ ントがありますから、そのような意味でもまた日本は優れています。  いろいろなところでは優れているけれども、アメリカやヨーロッパに比べて特に優れ ていないところが金融的、資産的なところなんです。いちばん悪いというわけではない のですが、やはり年金制度がこれからどうなるかと、皆さんがものすごく不安なのです。 それほど状況は悪くはないと私は思うのですが、ただ、マスコミが盛り上げていて、い ろいろなセンセーショナリスティクに話を取り上げていて、舛添さんのこともボコボコ 言っています。こんな必要はないのに、結構、皆さんに不安感を与えていることを何と かしなければなりません。  それから、ほかの先進国と比べて、スウェーデンやフランスと比べれば日本はいいけ れども、アメリカから比べれば日本はまだ税金が高いのです。だから、高税率に年金が 不安、また、これからインフレになるのではないでしょうかということも結構大きな声 でマスコミも言っているのですよね。それも、また不安。  また、先ほど清家先生が触れたのですが、人間にとっていちばん大きな資産というの は自分の自宅なのですね。アメリカの場合は、大学を卒業してから最初の仕事をやって、 平均して4、5年目ぐらいで人が初めて家を買うのですよね。まず、小さな家を買って いって、1人目の子供が産まれたらちょっと大きな家に買替えをするパターンが多いで す。子供がどんどん大きくなって巣離れをしてしまったら、また老後のための小さな家 に買替えをするわけです。毎回毎回、この儲けが自分の財産になるわけなのです。いわ ゆる自宅のセールヴァリューというのが非常にいいわけなのです。向こうのほうでは、 インフレとともに財産も、やはり増えるわけなのですよね。  でも、日本の場合は、特に地方の場合、東京でもこの15年間、バブルがはじけてか らもデフレでどんどん下がっているわけなのです。山形のおらの友だちの家などが、建 て直したばかりの家が、すぐ亡くなりまして、それをまた売ろうとしたら大体5分の1 ぐらいでそれを売らなければならなかった、手放さなければならなかったと。システム が全然駄目なんですよね。だから、土地神話という問題なのですが、これは政府で何が できるかということが私にはまだいろいろと疑問がありますが、このような不安がまだ あるのですよ。老後でも万が一自分の家を売らなければならないという場合だったら、 3,000万とか4,000万で建てた家が800万円でしか売れないというような話がいっぱい ありますから、このような不安感があります。  また、最後にいちばん不安だと思っていることは、せっかく貯金したお金にはいただ ける利子がほとんどゼロ。このような状況が続いているは所は、全世界どこを探しても 日本しかありません。ですから、日銀の問題なのですが、いろいろな問題が絡んでいる のです。とにかく、金融的にも経済的にも人が不安でしょうがないわけなのですよ。だ から景気が盛り上がらないというようにいろいろ言われるのです。  政府で、いわゆる老後をどうやって楽しむかというのは、一人ひとりの国民にあまり 指導や指示はできないのですけれども、その余裕、環境、いわゆる楽しめる環境づくり のためには政府が何ができるかといったら、この辺だと思うのです。金融的、経済的に、 人にどのようにして安心をさせるか。まず最初は年金制度をきちんとすること、できれ ば減税、せっかく貯金したものに利子率、これもなんとかならないかなあ。銀行が儲か り過ぎて、昨日か今日か、みずほがメリルリンチに投資しています。そのような投資す るお金があるのだったら利子を上げろって言うの。なんか、これはおかしいですよね、 いろいろな面ではね。  いまの奥さんたちが日本では全然利子がいただけないから、なんとニュージーランド やオーストラリアのほうばっかりに貯金してんじゃん。為替リスクがあり、その危機を わかっていないというか把握していない。いまは儲かっているけれども、これが逆にな ったらえらいことなのですよね。この辺の全体のところは、なんとか政府のほうにお願 いしたいと思います。本当は、これはこちらの労働省で言うよりも財務省で言ったほう がよかったかもしれません。  私が言っているところのいちばんわかりやすいデータの頁は31なのですが、これを 見れば私が言ったことは全部はっきりとなると思うのですが、現在の生活の各面での満 足度と書いてありますけれども、その下にレジャー、住生活、自動車電器製品、家具な どの満足度というものが「満足している」「まあ満足している」という数字がそれぞれ3 分の2ぐらいあります。 ○岩男座長 すみません、どの資料の31頁なのですか。 ○ダニエル・カール委員 前回資料のうち、データの番号が31で39頁です。申し訳ご ざいません。これを見るとすごくはっきりしているのですが、物は十分満足しているの ですよね、日本の皆さんは。3分の2ぐらいの人たちがレジャー、住生活、車などの物 に関して、そのマティリアルなところには十分満足しているのです。どこで不満足して いるかというと、資産と所得なのですよね。これははっきりしているのです。私の言っ ていることは全部これに当てはまるかなと思っていまして、一応、これを参考にと思い ました。 ○岩男座長 ありがとうございました。ほかに自由に、伊藤委員、お願いします。 ○テリー伊藤委員 日本人は不思議だなと思うんですよ。それは何かと言うと、高齢者 になってお金のある人のほうが将来不安だと言うのですよ。世界のデータを見ても日本 のほうが貯蓄がたくさんあるにもかかわらず、アメリカのたぶん5分の1ぐらいですよ、 貯蓄。それで、不安かというと、アメリカ人はほとんど不安じゃないです。日本人は、 8割ぐらいの人が将来不安です。これは、日本人の特性だと思うんですよ。昔、子供の ころ、アリとキリギリスという童話がありましたよ、イソップ物語。アリみたいに働い て頑張っていないと将来とんでもないことになるよと、あれが駄目ですね。あれが、日 本人の人生感を変えちゃっていますよ。いつまでたっても努力しなくちゃいけない。  これは、あとでカットされてしまうかもわからないけれども、野村沙知代さん、脱税 しましたよ、あの人。あんなに収入があるのに。脱税した理由が将来不安だからと言っ たんですよ。5億稼いでいる人間が将来不安と言うのね。これは本当に不思議だなと思 ったですよ、僕は。これで、やはり日本人はいつまでも不安、不安民族ですよ。不安な 部分というのは、実は努力する部分の民族でもあるんですけれども。だから、本当のこ とを言うと根底からそこを変えていかなくちゃいけないと思うんですけどもね。  先ほど清家さんが言われていた残間さんのね、蕎麦打ちしてていいのかと、団塊世代。 蕎麦打ちしていていいんです。残間さんは、そういうことばっかり言っている人なんで、 あれは言っているのが商売ですから。あれがまた、人に不安を与えている商売なんです よね。日本人にいまいちばん大切なのは、例えば政治家もそうです、政治家は選挙のと きに何て言うか知っていますか。このままじや日本が駄目になると言うんですよ。必ず 政治家も国民に不安を言うわけですよ。彼女を口説くときに、男は彼女に不安を言わな いでしょう。お前、俺と付き合わないとお前死ぬぞと言わないわけですよ。俺と幸せに なるために一緒になろうと言うわけしょう。だから、本当に幸せにするとか楽しいこと を提案するということが下手な民族ですよね。  僕は先ほど言った、じゃあ蕎麦打ちが悪いのかといったら、ほどほどいいんですよ。 なぜいいかというと、小さな幸せですよ、あれ。自分のままならぬことではなくて、ま まなることをやっているんですよ。よく年輩の方がやっているのは、蕎麦打ち、カメラ、 絵画。この辺はみんなそうですよ。  やってはいけないことは動かないものに興味を持つこと。これは駄目ですね。石とか ね、あれは動かないでしょう。年とって動かないものに興味を持ったら、終わりますよ。  萩本欽一さんは、球団を持ちましたよね。普通の年輩の人だったら、あの年になった ら、野球をやろうと言うんですよ。でも萩本さんは、野球をやることは明日からできる と。これは手のひらでできることなんですよ。でも、野球の球団を持つということは、 手のひらからこぼれるぐらいのこと。手のひらからこぼれるようなことを自分の中で考 えないと駄目なんですよ。  あとは、批判されることを恐れないでやれること。さらに、日本人というのは勉強家 で努力家だから、お金があって何をしたいかというと、物なんか欲しくない。たぶん日 本人の収入、東京の人の貯蓄高というのは、下手をすれば5,000万円ぐらい持っていま すよ。それを持って大体が使わないで死んでいく。何でそれを使わないかというと、使 うことの空しさなんですよ。例えば、「もう年とった。洋服買ってもな、何買ってもな」 と。家もそうですよ。家買ってそこに住んだって、あと5年で死んでしまうのだったら 買わないですよ。  では何に使うかというと、学問なんですよ。自分の物ではなく、自分の中に入ってい くものだったら買います。だから、僕は是非、今回の85年ビジョンの中で、年金云々 ではなくて、年輩者がもう一度学校に戻れるシステムみたいなものを各大学と組んでや ってほしいです。  勉強するということは、ものすごく大変ですよ。僕も先日、自動二輪の免許を取りに 行ったんですね。そうすると、18ぐらいの若造と一緒にやるわけですよ。運動神経はい いし、生きはいいし、僕は本当にボロボロになってしまったんですよ。笑われて、「テリ ーさん、全然駄目じゃない。テレビではでかいこと言ってんだけど、こういうことは全 く、からっきし駄目だな」と言われて、もう行くのが嫌になってしまったのです。登校 拒否みたいになったのだけれども、行って最後に取ったときには、すごくうれしかった。 「やった。これは金で買えないな」と思ったんですよ。ままならないものを自分で探し 出すということはすごく大切だと私は思うんですね。ですから、文部科学省と組んで、 年輩の人たちが大学、学校でもいいのですが、そういう所に行くということは、ものす ごく良いことだと思うのです。そこでたぶん若い人とも知り合うし、また、勉強で落と されるかもわからない。屈辱も受けるかもわからない。  僕はこの年になってすごく感じるんですけれど、テレビの業界にいて、みんな僕のこ とを「テリーさん」と呼ぶんですよ。時には「伊藤さん」と呼ぶ人もいます。この年だ と「テリー」と言う人はいませんよ。僕のことを「テリー」と言うのはビートたけしと 大橋巨泉さんぐらいですね。人間が年をとる最大の理由は、呼捨てにされなくなること だと思っています。呼捨てにされなくなったら、人間は年をとります。学校へ行くと、 仲間だから呼捨てにされるんですが、これがまた、いいんですよ。そうすると若くいら れるんですね。そういうことというのは、いくつもあると思うんです。  僕の友人で演出家の蜷川さんという方が素人の年輩の人を集めて、いま劇団をつくっ てやっています。あそこに来ている人たちは、みんな活き活きしていますよ。岩男さん も、やっているんですか。 ○岩男座長 いえ、高階先生の奥様が……。 ○テリー伊藤委員 そうでしょう、活き活きしているでしょう。あれも、やはり「おい、 そんなことじゃ駄目だ」と怒られるんですよ。怒られるって、ものすごく元気になるわ け。そして、蜷川さんは非常にすごい人だから、どんどんハードルを上げることですよ。 年寄りを年寄りと思っては駄目なんです。勤勉な日本人が年輩になったときに、どうい う次の一手をやるかということを見せてくれることがすごくいい。けもの道みたいなと ころで、僕らぐらいの世代がああいうふうに生きていけばいいんだということを今の70 代の方、80代の方に見せてほしい、私も含めてそういう提案をしていきたいと考えてい ます。 ○岩男座長 いまおっしゃった、年寄りが学びに行かれるような学校ということなので すが、実は、かなりの私学がいま苦戦をしております。ただ、やり方が魅力的でないと か、いろいろな問題があって、もっと魅力的な、また、高齢者が行きやすいような学校 にするということはこれから考えなければいけない課題なのだろうと、いまお話を伺い ながら、そう思ったのです。 ○テリー伊藤委員 私は鎌倉に住んでいるのですが、例えば湘南に空いているマンショ ンもあるわけで、そういう所を借りて、そういう所で学校キャンパスをやってもいいん ですよね。2泊3日でもいいですし、1カ月でもいいですし、3カ月でもいいのですが、 そういう形のものをやるということは、ものすごく活き活きするのです。だから、そう いう提案を学校と組んでやってもいいのです。例えば、芸術学部があるような、私の母 校でもある日大みたいな所と組んでやるのもいいと思うし、多摩美だとか、武蔵美だと か、東京芸大、そういう所と組んでやるのもいいと私は思います。 ○岩男座長 自由にご意見をおっしゃっていただきたいと思います。 ○石川委員 第二の人生に乗り換えられる人はいいのですが、働き続けたいという人も 随分いるわけです。いま清家委員がおっしゃったとおり、若いころからいろいろなこと をやっていないと駄目で、定年になってから急に何か始めたって駄目なんですよ。私は 50歳まで会社の経営をやっていて、50歳から専業作家になったんですけれど、専業作 家というのは零細企業中の零細企業です。人に書いてもらうわけにいかないから、自分 一人でしか働けないのです。うちの雑用は、下男と称する男が週に2回来て、草刈りや 堆肥づくり、畑の天地返しなどをやってくれますが、ものを書く仕事は自分でやるより しょうがない。いつも自分で自分のことをやらなくてはならないのです。  それから、個人経営ですから、確定申告もやらなくてはなりません。お金をもらう仕 事で出かけたときには、今日の電車賃はいくらだったかというのを常にメモを取ってい ます。曾野綾子先生という文豪がおられまして、そういうことをやっていると芸術が駄 目になると言うのですが、私は全然芸術家ではありません。町工場の経営者を23年も やっていると、領収書を集めたり、メモを取ったりするぐらい何でもないことなので、 普通にやっているのです。  そうやって個人営業の、超零細企業の経営者として見ていますと、大企業に勤めてい る人などというのは本当に世間知らずだと思います。まず、自分がいくら税金を払って いるか知らない。月給がいくらかということは分かっているのですけれど、天引きされ るもののどこが税金の、どこが健康保険で、どこが厚生年金で、どこが失業保険かなど ということを、ほとんどの人は知らない。私たちから見れば、まるで子どもです。要す るに、企業が面倒を見すぎるのです。  年末調整などというのはみんな企業側が調整するのです。やる側から言うと、簡単な ことなのですが、人数が多いですから面倒くさいのです。だから、年末調整ぐらいは自 分でやってみれば、自分が一体どういう経済生活をしているかが分かると思うのです。 それも別に、やれと言われて命令してやるのではなくて、企業としてそういう制度を作 って、年末調整を自分でやれば1,000円やるとか。とにかく町工場の経営者の考えるこ とですから話はみみっちいですけれど、何か得になることをすれば、サラリーマンとい うのは動くのです。アメリカでは、確定申告は全部自分でやるのですか。 ○ダニエル・カール委員 私は長年自分でやりました。やる人は多いのですが、おっし ゃるとおりで、メッチャクチャ分かりにくくて、失敗することも多いのです。後で怒ら れたことは何遍もありました。 ○石川委員 いまはインターネット確定申告というのが日本でできるようになったそう ですし、普通の人は私たちみたいにあっちこっちから金をもらうということはないです から、ずっと楽だろうと思うのです。だから、確定申告をやる人が増えれば。もうちょ っと大人、と言っては悪いですけれど、会社の中、そこの中のことしか分からない人が 多いのです。  若いうちから、自分は一体世の中のどこのどういうところにいるのだということが分 かるようにしていれば、さっきのお話ではありませんが、能力。能力といっても、ただ 経理なら経理の仕事ができるというだけではなくて。その会社の経理以外はできないと いう人がいるかどうか知りませんが、以前日本でヘッド・ハンティングというのが始ま ったころに、ヘッド・ハンティングの会社の人がある人に「あなたは何ができますか」 と聞かれて、「大企業の部長なら大体務まります」と言ったというのですが、これはもう。 だけど、そういうタイプの人はすごく多いのです、自立できないというのでしょうか。  今はあの頃みたいに安定した世の中ではないですから、40年間勤め上げるという人は いないと思いますが、やはり、若いうちから、どこへ出てもやっていけるという習慣を つけさせる。それは本当に若いうちからで、定年になってから慌てて教育したのでは間 に合わないのです。だから、本当にこれは清家先生がおっしゃる「若いうちから」です よね。どういうシステムとして世の中に組み込んでいけばいいか分かりませんけれど、 せめて年末調整ぐらい、自分でやらせる習慣を働いている人につけさせたほうがいいの ではないかという気がいたします。面倒の見すぎですよ。 ○高階委員 清家先生のお話と皆さん全く同感なのですが、いまのお話に続けて言えば、 長くなる人生に備えるストックがまず大事だということもそのとおりなのですが、その ストックが、いまのお話だと、もっぱら金融や住宅、つまり物質面のことなのですが、 同時に、健康だとかという肉体的な問題、それから知的なもののストックも必要である。 これはやはり定年になってからでは間に合わないので、若いころからやっていかなけれ ばいけない。定年になって他のところに行ったときも、例えば新しいことをやろうと言 っても、それなりの知的なストックが必要だということをおっしゃいました。生涯現役 でいくために、どのようにしてそれをやっていくかです。  金融とか、実際の物質的なことはいろいろお話がありましたが、これは制度の問題が 随分絡むと思います。私はカール委員のお話に大変共感したのですが、美術関係をやっ ていると、芸術的な問題が。それぞれのコレクターのストックなどがあると「これはい い」ということで、みんながそれを楽しむ、あるいは公共の所に行くのですが、それが なかなかできないわけです。なぜかというと、住宅資産などは特にそうですし、コレク ションもそうなのですが、その方が亡くなると、全部お国が取り上げてしまうわけです。 税金の問題の中で、特に税金が高いということをカールさんがおっしゃいました。ほか の国と比べてそうかもしれないのですが、相続税が非常に高い。住宅は全部取り上げら れる。コレクションも、残っていると税金の対象になる。  芸術院の会員になられた方のお子様が本を書かれました。お父さんが亡くなったとき に、売れないでアトリエに残っていた作品が税金の対象になった。偉い先生ですから大 変評価が高いのです。相続税が大変高いから、その絵を国に寄付しようかと思ったら、 それができなくて、お金に換えなさい。お金がないなら家を売りなさいとかということ になった。美術作品の代わりに収める制度がアメリカやヨーロッパにもあります。日本 の場合にも、制度としてはあるのですが、現金があればそっちが優先する。土地・家屋 があれば先になるとかという順序がある。そうすると順位が下になるので、いくら優れ た絵があって高く評価されるけれども、それが使えない。それで、評価されては税金が 高くなるばかりだから、お父さんのデッサンを、デッサン1枚でも高いのですが破棄し た。「絵を焼く」という本を書かれましたが、実際にデッサンを焼いてしまったのです。 そういうことが文化破壊になるのです。 ○岩男座長 ……に5年かかるんですね。 ○高階委員 そうです、そうでないと体が持たないのです。これは制度の問題だと思い ますが、そういうことがあるのです。フランスではピカソの、これもやたらに持ってい たけれども、持っていた作品を国にそのまま税金代わりに収めた。それであの立派な美 術館が出来たというのです。日本で仮に少しずつ制度がよくなっていっても、それが美 術館に入るのではなくて、それを競売にかけて、そのお金を収める。どこに行くか分か らない。制度的な問題が非常にあって、しかも相続税が大変高い。国によっては相続税 のない所もあります。ですから、ストックが一代限りで続かないという問題が大変大き いということがあります。  もう1つ。物質的なこと以外に、知的なものを若いときからストックしなければいけ ない。それが85年生涯の中で重要で、仕事以外にさまざまな活動をする。前回もお話 がありましたが、生きがいとか、豊かな生活をするためにどうすればいいか。仕事は嫌 だから、無理してお金のために働くけれども、お金に余裕があってストックがあれば、 定年後は好きなことをやる。好きなことをやって生きがいを見る。もちろん自分が何か 好きなことをやる。旅が好きなら旅をする、山登りが好きなら登山をするということも あるのですが、そのあとの幸せを。  生きがいというのは大きく言って2つある。1つはテリー伊藤委員がおっしゃった達 成感、何かをやったぞということ。日本人は特にそうだと思います。仕事のときでも、 町工場だとか中小企業の話を聞いていると、働くのはもちろんお金をもらうためなので すが、お金をもらうためではなくて、ほんの型1つとるのでも、何かの塗装でも、ちょ っとでも凸凹があるといけないというので、何とかして凸凹がないようにする。それも、 みんなで苦労して、機械だけではできない熟練とか工夫があって、できたときに仲間の みんなで「できたぞ」と言って喜ぶ、そういう喜びが非常にあるのです。  働くことが楽しみというか達成感と結びつく、その伝統は昔からあったと思います。 西欧社会では、特に働くことというのは、労働と同時に苦しみ、苦役である。人間のご 先祖が天国・エデンの園で悪いことをしたので、お前たちは苦しみながら働けと言われ たというのが元にあるらしいのです。ですから、働くのはつらい。したがって、働くこ とが済んで、資産があれば、あとは楽をする、働かないと言うのですが、日本の場合に は、どうも、働くことの中に喜びを見つける伝統が昔からあった。松下さんでも本田さ んでも、社長職や会長職を退いたあとも現場に出たがる。それは外国の方には理解でき ないので、それならどこか立派な別荘に行って、のんびり好きなことをやったらいいで はないかと言うと、「いや、そうではない。時にはちょっと顔を出して自分でやりたい。 そこに生きがいがある」と。  働くことと結びついた達成感を、定年後も自分で見つけながら学問するのは非常によ いと思います。あるいは趣味で習い事をしてもいいし、あるいは友達と何かをやっても いいのですが、そういう形のシステムを作っていく。  もう1つが、個人的な達成感ではなくて仲間でやって出来上がったよと。仲間内の承 認というのが非常に大きいのです。承認というか、共通の価値観がある。それは働くと きでもそうですが、特に老後グループで何かをするときに、みんなでいい音楽を聞いて 「よかったね」と。先ほどの蜷川さんもそうですが、芝居は当然みんなでやらなければ いけないので、「できてよかったね」とか、「ここは失敗したね」とかということをやる、 これがコミュニティの重要な問題だと思います。  コミュニティをどうやって形成していくかです。コミュニティというのは日本に昔か らあったのです。コミュニティとはあるグループですが、従来は「地縁、血縁、職縁」 といわれていました。「地縁」というのは、農村部などがそうですが、お祭りがある、婚 礼がある、何か行事があるとかいうときに、その土地の人が集まる。「血縁」は親族同士 が集まる。しかし日本では「職縁」、つまり職場の縁で集まる。仕事以外にも、例えばス ポーツグループをやりましょうとか、同好会をやりましょうとかと言う。職場あるいは 企業でも、部屋を用意したり、××クラブをつくるとかということがあります。  ところが、近頃では若い方がだんだんそういうものから離れていくということがある らしいのです。美術館などでも、1年に1遍どこかに年末旅行へ行きましょうというこ とを、私が30年か40年前に入ったときにはやっていたのですが、だんだん参加しない 人が多くなって「いや、私たちは勝手に行きます」と言うので、今ではなくなってしま いました。  「職縁」で企業あるいは職場が面倒を見ることは少しずつ薄れてきたと思いますが、 そういう縁がある。あるいはママさんコーラスとかジェンダー縁というのもあるでしょ う。非常に大きいのは、先ほどもお話にあった、慶應出などと、学校の卒業生、同窓会 とかというのがある。何でもいいのですが、そういう縁があってコミュニティが出来る。  そこで何をするか。それは趣味であったり、社会活動であったりする。あるいは、ど こかに一緒に行く。旅に行こうとか、食べ歩きしようとかというのですが、そのコミュ ニティで重要なのは、そんなに大勢ではなくても、あるグループが、別にきちんと決め なくてもいいのですが、定期的にある期間しょっちゅう顔を合わせて、趣味なり活動な り、あるいは知的会話なり芸術鑑賞なりをして楽しむ、そういう場所をつくっていく。 若いころからそれをすることが必要だと思います。  私が外国にいたとき、特にヨーロッパやアメリカでは、一生懸命そういうことをすで に若いころ、働いているころからやっている。例えばサロンを開く、かつて宮廷ではそ ういうことをやっていたのですが、いまでも私なんかが行くと、個人の家に何人かが集 まって食事をする。そのときには、別に職場とは関係なくて同好の人、友達を呼んでき て、一種の知的、文化的ネットワークが出来上がるのです。そういうものを作っていく ことが大変大事です。清家先生がおっしゃった「ストック」の中で、人的なネットワー クも「ストック」だと思います。その場合に重要なのは、いろいろな分野、ジャンルの 人が作るネットワークが必要だということ。つまり、年代も性差も専門もバラバラの人 が集まるのが大事です。  私が老人、つまり「高齢者」になったときに、高齢者に都が大変親切で、ひところ入 浴券をくれたのです。それで行くと、タダで入れる。私がそれを使って行くと、最近の 銭湯は立派で、ジャグジーでわーっとなったり、漢方薬が入っていたり、いろいろ工夫 がある。また、大勢人がいて楽しいというので、入浴券がある限りはタダで行けたので す。ところが財政難で、それはやめますと。しかし、その代わり、月に2回でしたか、 第何日曜日は老人はタダにします。これは券を出さずにタダで行けます、というのに変 えたのです。  しかし、1回行って私はやめました。老人ばかりいるので、そんな所に行っても少し も面白くないのです。江戸時代の浮世床がそうだったのかもしれませんが、普段だと、 話をしなくても、いろいろな人がいて近所の話をするとか、雰囲気だけでも大変に楽し いのです。行けば同じような人ばかりいるのでは具合が悪いので異質なもの、年代も専 門もまるで違う人が集まる所、パブリックとプライベートの中間というお話を前回私も したと思いますが、一種そのような場をつくっていく。  そのために大事なのは、非常に明確な目的を持ったコミュニティならば、最近は情報 機械が発達して、ではネットでやりましょう、Eメールでやりましょうとかと言うので すが、そうではない。生きがいに結びつくものはフェースツーフェースが重要で、集ま る場所が必要なのですが、日本はこれが非常にないのです。我々が「うちに食事に来な さい」と言われて行くと2、3人新しい顔ぶれがいる。その人が日本に来て食事といっ ても、うちにとても呼ぶ場所がない。これは人にもよるかもしれませんが、普通の大学 や美術館の人たち5、6人がうちでやると、非常に狭い所を慌てて片付けてやるぐらい です。  外国の方とそういう場に集まるときに、何となく、ではホテルに行きましょうとかと 公式の場になってしまうので、もう少しプライベートな感じで自由にできる場所、フェ ースツーフェースの場所が必要です。その場では会話もあるし、ネットワーク形成もあ る。時には飲んだり食べたりする。ギリシアのシンポジウムというのは、もともと飲ん だり食べたりしながら、いろいろ会話をしていたらしいのです。そういう設備があって、 時には簡単な鑑賞会もできる。  これは実際に私も知っていますが音楽愛好グループがあって、月に1遍ぐらい集まっ てレコード鑑賞をしたり、あるいは外国へ行って聞いた人が話をしたり、時には演奏会 もやったりという同好会があります。これは若い人からお年寄りまでいっぱい入ってい るのですが、それはひとえに、東京都心のある場所に比較的大きいマンションを持って おられる方がいて、その一室を提供しておられるからなのです。簡単な店屋物も取った り、お菓子ぐらい並べて、その会費ぐらいでみんなが集まるというようなコミュニティ をつくっているのですが、そういう場所が日本では非常につくりにくい。そして、先ほ どの資産とも関係して、そういう家を造って、それからしようかと言っても、次の世代 になると、もう分割しなければいけなくなるというような制度があって、資産やストッ クが活かされないということが大変あると思います。ですから、我々としても、そのこ とをシステムとして考えていくことが必要だろうと思います。 ○高橋委員 私も今日お話することを考えてきたのですが、それがずれそうで心配だっ たのです。しかし、いまのお話を聞いて、ちょっと私のほうに向いてきたかなと思いま した。  最初の清家先生のお話を聞いて「あのお話を今66歳で聞いて何になる」みたいな感 じで私は愕然としたのです。65歳が定年と言われても、私は、これからの人生を自分で ゼロからつくっていかなければいけない毎日を過ごしています。実物の資産もないし、 経済的、金融的な資産もない。  前のときにも申し上げましたが、誇張ではなくて、私は5人を介護したのです。1人 介護すると、2,000万円以上は絶対にかかるのです。それで、もしかしたら、私もかわ いいマンションとか、ちょっとした貯金とかを持っていられたかもしれないのですが、 無我夢中でやってしまって、今になって馬鹿だったかなと思っても、それは遅かったか もしれないのです。ただ、いまテリーさんのお話なんかも聞きまして、私にはそういう ストックはないけれど、自分の中にキャリアとか人的なストック、あとは健康、あるい は知的という言葉はちょっと恥ずかしいのですが、長年フリーランスでたった1人で仕 事をしてきた上でのものは何かあるから、それで追いついていくしかないと思ったので す。  ちょっと現実的な話をします。去年の夏に、上の荷物を取ろうとして、椅子から落ち て脱臼したのです。そのときに、よく気を失わなかったと言われたのですが。実は、私、 骨密度が普通の人の140%あったから、全然骨は折れなかったのですが、本当にぶらん ぶらんになってしまいました。そのときに、奇跡的に2人人が来たのです。それで救急 者に乗らないで済んで、そのまま行ったのですが、そのときに、そろそろ私はコミュニ ティ、NHKでやっている「ご近所の底力」的なもので生きていかなければいけない年 になっているなと思いました。  私は10月に、40年住んでいた原宿から家賃の安い駒場に引っ越したのです。そこは 築30年のモルタル2階建てなのですが、またそこで4、5日前に転んだのです。今度は 椅子の上からではないのですが、それでまた肘をガーンとやったのです。いまも少しチ クチクしていて、あのときはこんなになってしまったのですが、今はぶらんぶらんにな らないで済んでいるのです。そのときに考えたのが、コミュニティとかというのでも、 私が今まで住んでいた所はファッションのエリアだったから、若い友達も多かったので すが、今住んでいる所は全部60歳代以上なのです。そうすると、私は隣の誰に鍵を預 けて、誰にSOSをしたらいいかなと。3カ月で10軒ぐらいの家とじわじわ仲良くなっ ているのです。 ○テリー伊藤委員 3カ月で10軒というのは早い。 ○高橋委員 最初10軒に菓子折を持っていきました。 ○テリー伊藤委員 それは相当な才能です。 ○高橋委員 うちに誰かがポルシェで停まると「お宅ポルシェ」と聞きに来るおじいさ んがいますし、「僕本当はハーレーに乗ってたんだけど盗まれて、いまはヤマハだ」と言 っている人もいます。60代でも、みんな若いのですよ。60代の男性がゴミ捨てや洗濯 干しや掃除をします。みんなよく働いていて、私はこういう人生をここで見ているのも いいなと思ったのです。私は、決まったジェネレーション、高齢化した人たちだけで何 かをやるというのはすごく嫌なのです。仕事の上ではテリーさんもご存じだと思うので すけれど。 ○テリー伊藤委員 ええ、いまCMのディレクターをしてもらっているので、演出をす るときに、それはよく分かります。靖子さんはデビット・ボウイなんかもスタイリング していて、日本でもトップスタイリストなのですが、よく一緒に仕事をさせてもらいま す。 ○高橋委員 20代、30代、40代の人たちがすごく多くて、私だけが66なのです。で も、そういう人たちとだけというのも嫌なのです。やっぱり隣からみそ汁のにおいがし てきたり、暮れに黒豆をこっちで煮ていると、前のうちからも黒豆のにおいがしてくる とか、そういう世界も私は大好きなのです。  これは厚生省ではなかったと思いますが、20年ぐらい前に、どこかお役所関係で、女 性20人ぐらいで海外視察をさせられたことがあるのです。そのときに行ったのは、ド イツと北欧とアメリカのコレクティブハウスというコミュニティでしたが、そこだと、 一人者の人なんかが自分たちで大きな建物の中にコミューンみたいなものをつくるので す。ジェネレーションや仕事、すべてバラバラな人たちが一緒に仲良く暮らすという暮 らし方をしていたのです。20年前にそれをやったのに、全然日本では根付いていないと 思ったのです。  私がいま一人暮らしをしていると、ここに人が入ってきたりするのは嫌なのだけれど、 また脱臼したときに、どうしよう。お風呂場では、注意して足から入れているけれど、 ドキドキしてしまって裸のままSOSしなければいけないときにどうしようなどと思う と、やはりNHKでやっている「ご近所の底力」、ああいうものはすごく大事だなと思う のです。  それと、私もポンコツになってしまって、これからどこかへ行かなければいけないと いうとき、さんざん世話をしてくると、病院も施設もたらい回しになってくると、どん どん遠くなるのがわかるのです。最初は千駄谷辺りだったのが次は新宿になって、その 次は国分寺になって八王子になる。そうすると、1人の力で1人の人を看るのはとても 難しい状態になるのです。また、私自身がそういう所に行くというときに、八王子で暮 らすのは絶対に嫌なのです。  私はロスでメルローズの通りに養老院があるのを見たことがあるのですが、私も原宿 の若いお兄さんたちやお姉さんたちがいる所に住んで、デッキチェアを出して眺めるよ うな人生を送りたいと思うので、いまの都市計画とか家族とかコミュニティという考え を、少しそういうふうにしてもらいたい。そうしたら、私みたいに蓄積もなく、資産が なくても、自分の中で役立つことをコツコツやりながら85歳まで楽しく生きていける のではないかと思うのです。 ○テリー伊藤委員 靖子さんのこれからの生きがいは何なのですか。 ○高橋委員 頭をますますギンギンにして、もっと違うクリエーティブなことを、「努力」 になってしまうかもしれないのですが、楽しくやりたい。 ○テリー伊藤委員 それって物欲ではないですよね。 ○高橋委員 全然物欲ではないのです。私は団塊の世代よりまたひとつ上なのです。そ ういう人たちはいろいろ考えていると思うけれど、私はあまり考えないでここまで来て しまったのです。「あっ、ああいう生き方もあったか」という1つには常になりたいな とは思っているので、どうしたらいいのか分からないのですが、できればそれがクリエ ーティブな仕事とか表現とかの中でできるぐらいの生活の水準は持ちたいのです。  また、いろいろな人とずっと付き合いたくて、老人同士などというのは絶対に嫌です。 ○岩男座長 高階委員や高橋委員のお話、それから前回「高齢者」という言葉を使うの はおかしいのではないかというようなお話がありましたが、私も全く同感です。要する に、年齢で横に切っていく。今まですべて制度もそうなっているのです。パラリンピッ クも年齢で切られているのがおかしいのであって、これからは縦に切っていく。まさに 多様な人がそれぞれのやりたいこと、あるいは能力に応じて一緒にやっていく。制度を 縦に考えるという捉え方が、少なくともここでは必要といいますか、合意の1つではな いかと思っております。  これまでのお話の中で、能力を使うというお話が多かったのですけれど、私は、いく つになっても能力開発、能力を伸ばすということはいくらでもあり得る。「できること」 と「できないこと」があるわけですが、誰でも伸ばしていく、そこに目を向けるという ことが必要かなと思いました。  しゃべり始めたついでに一言だけ申し上げさせていただきます。先ほどテリー伊藤さ んが、日本人が不安感を必要以上にあおっているとおっしゃいましたが、全くそのとお りだと思うのです。それで思い出したのは、アメリカ人のゴルフの先生が、アメリカで 日本人にゴルフを教えると、日本人はみんな、自分の悪いところを直してください、指 摘してくださいと言う。ところがアメリカ人は、自分の良いところはどこですかと聞い てくる。その違いがすごいということを言われて「なるほどな。おそらく、そういうこ とをやっているんじゃないかな」という気がいたしました。雰囲気というのは一朝にし てできるものではないのですが、人生85年が楽しいもの、明るいものという雰囲気を つくるという姿勢が必要で、それには人の足を引っ張るとか、悪口を言うとか、不安感 をあおるというようなところが1つ大きなネックになっているのではないかという感じ がいたしました。  もう1つだけ。清家先生に文句をつけるわけではないのですが、生涯現役社会という のは、「目指して」と先生がお書きになっているように、理想としてこういう社会に向け てということは全く同感なのです。ただ、すでに現在でも高齢者、65歳以上の6割が女 性なわけです。そして、年金でも100万ぐらいの差がある。生活保護を受ける人も女性 のほうが多いというようなことがあって、こういう社会を目指すための前提条件が男性 と女性で非常に違っているのです。ですから、そこを今日の問題として制度的にも少し 直していかないと、女性にとっては、こういうことは望むべくもないと思います。そこ はもう少し細かい施策が必要になってくると思います。 ○萩原委員 先ほど「ねんりんピック」のお話があって、縦割りにすればいいのではな いかという話に私も大賛成です。国民体育大会というのがありまして、中学生から成人 までということで、昨年までは「30歳以上」という区分が男子のみあったのですが、昨 年の国体をもって、それが廃止になったのです。それで、その「30歳以上」で本気で一 生懸命に競技を目指して生きがいを持ってやっていらっしゃった方たちが、今後どうや って生きがいを出す場を求めていくのかというのがすごく問題になったのです。それは また日本スポーツマスターズ等で発散してくださっているのです。  ねんりんピックですとか「30歳以上」といった区分は、中学生と一緒に県の代表とし てその場に立つということが、年齢が高い方にとっては、みんなと一緒に遠征に行きた い、そして、みんながどんな技を持っているのか知りたい。成績とか名誉とかというの はもちろんなのですが、それ以上に、もっと上達したいというソフトの面がある。物欲 ではないとテリーさんも言われましたが、本当にそのとおりで、そういった縦割りの制 度を、これからももっと充実させてほしいというのが1つです。  あとは、今日配っていただいた資料2の中に、「トップアスリートの派遣指導事業」 というのがあるのです。これは文部科学省と日体協がやられているものですが、私も何 度か行かせていただいております。地方にトップアスリートを派遣して、子どもたちの スポーツの普及活動を行おうということでやっているのですが、小学校に行っても、中 学校に行っても感じることは、たくさんの人生の先輩の方が見に来られるのです。そし て、「なぜ私たちにはこういった制度がないのか。子どもたちの未来を考えてやるという のはもちろんなのだけれども、すごく差別を受けているような気がする」と言われるの です。  私はオリンピックでメダルも取っていないのですが、行くと高齢者の方たちが手を合 わせて喜んでくれるのです。「よく来てくれた。でも、何で指導を受けさせてくれないの だ」と、いつも言われて残念に思うのです。子どもたちへのスポーツの普及ももちろん なのですが、地方では特にソフトの面、技術の面をすごく求めていらっしゃる先輩方が たくさんいらっしゃいますので、もっとたくさんの年齢に合うような制度を作っていた だけたら充実していくのではないかと感じています。  また、スポーツ施設に行っていつも思うことは、周りを見ると大体が住宅街か山の中 とか、すごくへんぴな所にある。土地が活用できるということだと思うのですが、そう なってしまっていて、周りを見たときに、もし、ここに老人医療施設や小学校、あとは 病院などが併設されていれば、もっと皆さんの交流の場が広がります。リハビリなどと いうこともいま盛んに行われていますが、そういったことももっとうまく回って活性化 していくのではないかということを感じています。もし、これから地方に何かものをつ くるといったときに、スポーツ施設の周りにいろいろなものを併設してつくっていくこ とが人づくり、まちづくり、生きがいづくりにつながっていくのではないかと考えてい ます。 ○小室委員 皆さんのお話に大変聞き入ってしまって。本当に勉強になりました。先ほ ど石川委員が、若いころから地域に出ていかないと、もしくは自分の生活を考えないと 駄目というお話をなさいました。地域に出たり、若いころから仕事以外、会社以外の世 界を知るということの切り口が、雇用される人が多くなってから、男性にとっては非常 に少ないと思っております。  私自身、女性であっても、地域に参加した初めてのきっかけは育児だったのです。育 児をするまでは区役所に行くことはほとんどないという中で、何の助けも借りずに生き てこられた。ところが、何か自分に制約が出来て初めて地域に頼らなければいけない。 区役所に行かなければいけないということになって初めて参加を始めたというところで す。人生85年ということを考えたときに、女性は否応なしに1回人生の途中で地域に 参画するタイミングだとか、誰かに頼らざるを得ないタイミングというのを持つわけで すが、もう少し男性にも、積極的に地域に頼らざるを得ないほどの環境があったほうが いいのではないかと思っています。  私どもは企業のワーク・ライフ・バランスのコンサルティングをする会社ですので、 企業の悩みを日々聞くわけですが、メンタルの方が非常に増えている。その背景として、 長時間労働が1つ。もう1つは、昇進したくないという男性がすごく増えているのです。 会社の中で上に行きたくない。なぜなら、上に行くと残業代が付かなくなって忙しくな る。それって幸せですかと言われるのです。「管理職って何ですかね。僕、全然なりたく ないですけど」という若い人が非常に増えています。組織で上に行きたいという人がい なくなったら組織は成り立ちません。いま上に行きたくない、管理職になるのは外れく じだと。  そんな中でどういうのがいいかと言うと、管理職ぎりぎりぐらいのところで、残業代 で稼ぐのがいいのだと。そういった働き方を選んでしまう人が非常に多くなって、そう いった会社がたいてい弊社にコンサルティングをいただくのです。残業が非常に多い企 業というのは、住宅ローンを抱えている人が多い会社だったり、お金の面で困って残業 しているというような背景が非常に大きいのです。  こういったいろいろな背景を見ていくと、まず、先ほど岩男座長もおっしゃいました ように、女性側の年金がまだまだ少ないという背景には、女性側がまだしっかり働けて いない。自分の職業というところがしっかり持てていないという背景もあるわけなので す。女性がしっかり自分の稼ぎを持ち、将来も自分のスキルや年金に不安のない生活を 持つこと、これは男性側にも、自分1人が家計を担っていかなければいけない、残業代 で1円でも多く持って帰らなければいけないというような過重のプレッシャーから解放 されることにもつながりますので、これからは、残業代で稼ぐというような発想の会社 が消えるのが非常に重要ではないかと思っています。  これは冗談のようですけれども、ほとんどの企業が今そうなってしまっているのです。 しかしそうではなくて、夫婦の中できちんと夫婦ともに稼げるという体制を作って、そ の中できちんと余暇の時間、夫婦ともに育児ができるという新しい社会を目指すべきな のではないかと思っています。  その上で2つ提案したいと思います。1つは男性の育児。欧米のように、きちんと育 児休業が取れる。スウェーデンやノルウェーなどではパパクォータ制というのをやって いて、女性の4分の1の育児休業は男性が取らなければいけないという制度があります。 そういったものも必要だと思うのですが、まず風土として男性が取りづらいですから、 そこでセットとして男性の介護のこと、特に年輩の方がこれから直面する自分の親の介 護ということを、国としてもしっかりと企業に対して、まだ危機感としては育児よりだ いぶ薄いのですが、介護休業の話をもっと押し進めるべきなのだと思うのです。  介護休業の危機感ということがしっかりと会社に根付いてくる。そして「そうか、僕 たちの部長たちももう介護休業なんかで休む時代なんだな」というようなことが見えて くると、男性の育児休業も非常に取りやすいものが出てくる。介護休業は、いまは少な いですけれども、あと7年から10年の間にはグッと増えてきますので、ここを育児の 次というふうにするのではなくて、むしろ早めに、前倒しで介護の話をして、若手の男 性たちが育児の休業を取りやすい風土をつくっておいてあげるということが重要ではな いかと思っております。以上です。 ○茂木委員 今日はいろいろなご意見を伺わせていただき、また、前回の皆さんのご発 言をまとめた資料もいただいて、なるほどと思ったり、そうかなと思ったりしているの です。まとまった発言は次回以降させていただくことにして、今日伺ったことでお話し ます。これは決して反論ではありませんが、若干疑問といいますか質問みたいなことも 含めて申し上げます。  まず、清家先生のお話は本当にそのとおりだと思います。生涯現役みたいなこと、こ れをやることは労働力の確保という点からも非常に必要なことだろうと思っております。 ただ、どうして日本人の就労意欲が高いのかという点について、もっぱらカルチャー、 メンタリティーの問題だろうと私も感じるのです。テリー伊藤さんが、日本人のほうが はるかに貯蓄は多いという話もなさいましたが、アメリカ人の40代半ばぐらいでどん どんリタイアしてしまう連中が取ってきた給与のレベルが、日本人のやるエグゼクティ ブと比べものにならないようなレベルであることも事実なので、その辺の資料のような ものを見せていただけたらありがたいという感じを持ちました。  カールさんも、日本はロサンゼルスなどと比べたら極めて安全だというお話で、私も 全くそのとおりだと思いました。私は4年ぐらいしかアメリカに住んだことがありませ んが、ブラジルだとか南米の国々だとか、いろいろな所の私どもの駐在員の体験を聞き ますと、日本は本当に良い国だと思うのです。  問題は、不安があおられているだけではなくて、変化の方向とスピードです。若い人 たちの行動パターンとか、傍若無人の振舞い、それから、去年は凶悪犯罪が前年比で少 し減ったそうですが、過去10年ぐらい、ものすごく上がってきている。しかもその内 容たるや、親が子を殺し、子が親を殺す。それから17、18歳の子どもが、人を殺して みたいから殺したとか、いろいろなことが起きているわけです。ですから、確かに日本 人は少し不安なほうにあおられやすいし、そのようなメンタリティーを持っているのか もしれませんが、あながち理由のないことでもないのではないか。その辺の基本的なイ シューを解決するような社会システムを作っていかないと、不安感や閉塞感みたいなも のはますます増えてくる心配がありはしないかなと思いました。  都会で稼いで地方に住むという話は誠にごもっともなのですが、早速高橋さんから、 八王子は嫌で渋谷に住みたいという話が出ました。それから、どういうわけか、日本の 企業は全部東京にヘッドクォーターを置きたがるのです。皆さんご存じのように、アメ リカなんかは地方都市にたくさん大企業の本社があるのですが、なぜですかね。霞が関 や永田町に近いとか、フェースツーフェース・コミュニケーションが欲しいとか、いろ いろなことがあるのかもしれませんが、その辺の行動パターンも、また皆さんの議論の 中で掘り下げていただいたらいいと思います。 ○岩男座長 私の時間配分が悪かったものですから、ほんの短い時間でしかご発言いた だけなくて、すみませんでした。最後に、大臣から何かございましたらお願いいたしま す。 ○舛添厚生労働大臣 いろいろありがとうございました。今後とも議論を進めたいと思 いますが、1つ問題提起をいたします。時間の流れ方、つまり、あくせく働くという意 味での時間に追われているという生き方があり、定年退職して、朝から晩まで全く何に も追われないということがある。その配分というのは、人生85年でどうするのか。例 えば1週間で決まって安息日があるというのは、7日に1日ぐらいゆっくり、ぼうっと しなさいということだろうと思います。どなたかもおっしゃったように、12カ月のうち 1カ月はバカンスを取って、全くルーティーンから離れるというやり方もあるでしょう。 そうすると、85年のうち、子どものときは別として、大人になってから死ぬまで、どう いう時間の流れ方にするのがいちばんいいかなと。  何にもしないと、ぼけてしまうというか、ある程度時間に迫られるということはあっ てもいいのです。コミュニティの活動の中でそういうことが生まれてくるのか、どうな のか。小室さんがおっしゃったように、育児とか介護とかをやっていると、自分で時間 を管理できないですから、永遠に時間を持っていないとできないということが片一方で ある。しかし、いつまでも若く活き活きと保つためには若い人と一緒にいたほうがいい ということになるし、原宿のほうが八王子よりいいということになるのでしょうけれど も、時間の緊張感も必要なので、時間の哲学みたいなことも少し入れられればと思いな がら、次回もよろしくお願いいたします。 ○岩男座長 時間の流れの問題については次回以降議論を続けていきたいと思います。 今後第3回、それから第4回の懇談会も本日と同じように、委員の中からどなたかにご 発表いただいて、それを基に討議を行っていきたいと思います。次回の日程、それから、 発表をお願いする方については事務局を通じて調整をさせていただきますので、どうぞ よろしくお願いいたします。本日はこれで閉会とさせていただきます。どうもありがと うございました。 照会先 政策統括官付労働政策担当参事官室 調整一係 内線7715