07/11/20 生活扶助基準に関する検討会(第4回)議事要旨 生活扶助基準に関する検討会(第4回)議事要旨 1 日時   平成19年11月20日(火) 19:00〜20:50 2 場所   商工会館6階G会議室 3 出席者  (1) 委員(敬称略、五十音順、◎は座長)      岡部  卓(首都大学東京都市教養学部教授)      菊池 馨実(早稲田大学法学学術院教授)      駒村 康平(慶應義塾大学経済学部教授)      根本 嘉昭(神奈川県立保健福祉大学保健福祉学部教授)     ◎樋口 美雄(慶應義塾大学商学部教授)  (2) 行政      中村社会・援護局長、木内大臣官房審議官、藤木社会・援護局総務課長、     伊奈川社会・援護局保護課長他 4 議事(○:委員の発言、●:事務局の発言) ○ 本日は生活補助基準の評価・検証に関する議論の整理について議論していきたい。   その前に、前回宿題事項として出されたものについて、事務局から説明いただきた い。  (事務局より資料1説明) ○ ただいまの説明について、御質問、御意見があればお受けしたい。 ○ 資料の7ページ目の費目の確認だが、交通費の中にはガソリン代も含めて集計され ているのか。車は原則制限されているケースが多いと思うが、地方の場合は必要な場 合には保有を認めるケースもあると聞いているので、級地別に消費パターンの構成比 が違うことも少しは考慮しなければいけないのではないか。 ● この7ページの資料に限って言うと、この場合の交通・通信費には、ガソリン代も 含まれている。 ○ 資料の6ページの下のグラフに「1人あたり家具・家事用品費の推移」とあるが、 なぜ最近地方の方が上昇しているのか事務局の考えを伺いたい。   また、食費と併せて重要な費目とされている光熱・水道費に関して、地域差が無く なってきていることについては、どうか。 ● これはまだ分析ができていない。推測はできるが、客観的データということからい うと、ここにお示しした以上のことはお答えができない。 ○ 地方においても非常に都市化された生活様式が浸透してきているという解釈も成り 立つのではないか。   ある意味では、大都市も町村も、それほど使っている物にも所有している物にも変 わりがない。逆に、地方の方がスペースが広く、それが保有に繋がるということも言 えるのではないか。 ○ そういうことだとは思うが、全体的には格差が縮小しているということであるが、 各費目を見たときに、地域差が縮小してきているものもあれば、変化のないものもあ り、果たして本当に全体の地域差が縮小してきているのかという疑問が出てきた。地 域差の変化の違いについて納得のいく解釈ができればいいが、むしろこれらのグラフ を出されることによって、少し混乱してしまった。 ○ 資料1について他に御質問がなければ、今日の本題である資料2について、説明を お願いしたい。  (事務局より資料2説明) ○ では、それぞれの項目ごとに議論をお願いしたい。   まずは「1.評価・検証の方法」から、御意見をいただきたい。 ○ 基本的には、この考え方を支持する。   ただし、基本的にはこういう考え方だが、物価が上昇した場合、次善の策として、 年に数回基準改定等を行ったという、これまでの例がある。例えば、第一次オイルシ ョックのときに、基準改定を年に何回か行っている。全国消費実態調査を基本とする のは結構だが、そういう不測の事態に対しては、臨機応変に対応するという考え方に 立ってこられたので、そういう姿勢をこの中に加えていただきたい。 ○ 「前回の専門委員会」の「前回」というのは、3、4年前の生活保護制度の在り方 に関する専門委員会ということでよいか。 ● はい。 ○ 「前回」が、本検討会の第3回と混同しないよう、表現を工夫していただきたい。 ● 表現を工夫したい。 ○ 全消のデータは、評価あるいは検証をするためのデータであって、基準を策定する 場合の手法としては、様々な手法が考えられる。策定された基準が、その時点時点に おいて妥当であるかどうかの検証を全消のデータを用いて行うので、基準策定の論理 はまた別の論理になるのではないかと思っている。   今回の検討会も、その意味で、これから基準をいかに策定するかではなくて、あく までも現行基準が妥当であるかどうかについて評価・検証するものであると限定すべ きではないかと思うが、如何か。 ○ 基本的にはそのように理解しているが、別の考え方による基準の策定のときでも、 当然そういうことは念頭に置いてやっていくことを再度確認いただいた。 ○ 同様に評価の際の資料ということだと思う。 ○ では、そのような表現にするということでよろしいか。 ● はい。 ○ 「2.水準の妥当性」については、2つ項目があるが、一緒に御議論いただきたい。 ○ ここは第1回目の資料の話だったと思うが、一般的な費目の購入頻度が「概ね遜色 ない」とまで言い切っていいのかどうか。   1回目の参考資料の8ページや6ページのグラフは、一般世帯における購入頻度で あって、単身世帯については触れていないという理解でいいか。 ● 購入頻度や普及率に関しては、単身世帯も入っている。例えば7ページは、単身世 帯における購入頻度である。 ○ そうすると、「水準の評価・検証」の4項目に書いている「一般世帯と比べて」の「一 般」は、どういう意味なのか。多人数世帯や単身世帯も含めて全体的にという意味な のか。8ページを見ると、単身世帯において「概ね遜色ない」と言えるかどうかは微 妙だと思う。 ● 第1回で検証していただいたのは、一般世帯における第3・五分位という真ん中辺 りのところと、例えば第1・十分位という所得の低い方の層と比べてどうかという点 であり、それを所得階級別にグラフにしている。したがって、ここで言う「遜色がな い」というのは、第3・五分位などの一般世帯と第1・十分位の世帯を比べて遜色な いといった意味合いで使っている。 ○ 若干表現を変えた方がいいのではないか。「普及率は一般世帯と比べて」ということ ではなく、今の趣旨を的確に表現するにはどうすればよいか。 ● 例えば、中位とか平均的な世帯と比べて、低所得世帯においても遜色ないとか、そ のような表現が考えられると思う。   具体的には、2ページのところになるが、例えば「第1・十分位における耐久消費 財の普及率は、低所得世帯においても平均的な世帯と比べて大きな差はなく、また一 般的な費目の購入頻度は低所得世帯においても平均的な世帯と比べて概ね遜色ない」 といった感じで如何か。 ○ 低所得と平均世帯で差がないというのは、不思議な感じがする。逆になぜ差がない のか。低所得層といっても過去から変動しているから、例えば耐久消費財は、今買っ たわけではなく、過去に買った人もいたり、中には中位から落ちてきた人もいたりす るということなどによって差がないのか。   単純に考えれば、第1階層の人がずっと第1階層にいて、中位の人がずっと中位に いれば、中位の人の方が耐久財を持っているのではないか。 ● ここでは、平均的な世帯である第3・五分位において、例えば70%程度普及してい る耐久財について、第1・十分位の世帯も持っているかどうかといったことを見てお り、そういう点から言えば、第3・五分位では多くの方が持っているけれども、第1・ 十分位ではそうではないという費目は入っていない。それで、概ね遜色がない結果と なっている。 ○ 必需財だと考えられる耐久消費財について見ると、差がなかったということか。 ● はい。 ○ そうすると、耐久消費財の定義を少し書き込んだ方がいいかもしれない。 ● 御指摘の購入時期については、購入頻度は同じ年にどのぐらい買ったということを 見ているので、そういう点から言えば、以前買ったものというよりは、第1・十分位 になって買ったものであると考えていただきたい。 ○ 耐久消費財についても同様なのか。耐久消費財の普及率というのは、通常ストック であり、現時点でどれだけの世帯が持っているかということで、過去の行動を反映し てくるものである。 ● そこは、過去から持っているという方がむしろ正しい。 ○ そうすると、耐久消費財については、「生活に必要だと考えられる耐久消費財」のよ うに、特定の形容詞を付けた方がいいのではないか。 ● 工夫させていただきたい。 ○ 「水準の評価・検証」のところで、上2つの項目が現行基準額の妥当性の評価にな っているが、左の欄にあるように、この妥当性の評価を第3・五分位あるいは国民一 般の平均との乖離という形で評価するときには、左の欄の4番目にあるように、大体 平均の6〜7割の範囲が一定の支持を得られるということを前提として、この妥当性 を判断していると理解していたし、また前回の専門委員会の中でも、それを前提とし てその妥当性を判断していたと思っている。   その意味で、左の欄の上から2つ目の「夫婦子1人の基準の水準は、概ね妥当」と いうのは、その前提として、第3・五分位との関係でその夫婦子1人世帯の水準が大 体6〜7割程度であったということが全消のデータでも示されたから、それを比較し て、大体これで妥当性があるのではないかと思った。   一方、単身世帯については、左の欄の3番目にあるように、単身世帯については「5 割となっており、もう少し精査が必要」とある。資料を見る限りにおいて、60歳以上 の単身世帯の基準額は、確かに第1・十分位と比べて高めとなっていることは間違い ないが、その前提として第3・五分位の6〜7割という範囲であるといったことの関 連から見ると、単純に比較して、果たして高いと言っていいのかどうか。   確かに実態としては高いが、もっと精査なり、きめ細かい見方も必要ではないか。   例えば、家計簿調査の社会保障生計調査などで、被保護単身の60歳以上の食費等の 支出は、一般のそれを上回っていることも事実であるが、これについても老齢加算の 影響がどう出ているか不明である。   したがって、果たしてこの表現で妥当かということについては、まだ微妙な部分が あるのではないかと思う。 ○ 今、御指摘があったところについて、もう一度事務局で文章を確認していただきた い。   最初の項目についてはどうか。 ○ 最初の項目は、この左にあるように、夫婦子1人の水準は概ね妥当となっていると いうことと、若干真ん中の一番上の表現とは少し矛盾をしているような気もしないで もない。実態としては、前回の専門委員会の報告書も含めて、妥当な水準であると思 うが、単身世帯については、左の3つ目の項目にあるように、一般の平均の5割ぐら いを前提としている単身世帯との比較において、これが高い低いというのは、少し性 急過ぎるのではないか。 ○ 第1回目で、この健康で文化的な最低限度の生活水準というのは、絶対的な基準で はないという趣旨のことを申し上げたが、これは2つの意味合いがあって、1つは、 経済的・文化的な発達は、その時代時代の段階によって変わり得るものだということ。 その意味では、まさに「議論の整理」で書かれているとおりではある。   もう1つは、9ページにあるように、自立助長との兼ね合いも含めて考えられる。 要するに、線ではなくて、幅を持った概念として、健康で文化的な最低限度の生活水 準を考えることができるのではないか。通説ではないかもしれないが、生活保護法の 解釈としても、憲法解釈論としても、自立助長も組み込んだ憲法25条という考え方が 十分可能であると考える。   そういった意味では、2つ目の幅のある概念というのは、下げるのではなく、むし ろ自立助長目的との関連で勤労控除に見られるように、上の方に幅を持たせて、保護 を支給することが可能であるという意味合いで申し上げたところである。   あと、「公平感」という言葉が若干気になるが、それは後で出てくるので、そのとき に申し上げたい。 ○ まず、今の部分から整理していきたい。   具体的にどのように修文すればいいか。まず、1ページの最初の「生活保護の基準 は」から始まる文章は、今の「公平感」という言葉が出ているが。 ○ この部分で使うのは、必ずしも違和感はないというか。裁判所は「社会通念」とい う表現を使うが、一般的に水準の在り方を考える場合には「公平感」というのはやや 引っかかる部分がある。   仮に、この部分はいいとしても、8ページの勤労控除のところで「生活保護を受け ていない者との公平性」という表現があり、こちらの方はどうかと思っている。 ○ そうすると、1ページにもう一つ項目を設けた方がよいということか。 ○ 自立助長との関係は9ページにも書かれており、全体として趣旨が伝われば構わな い。 ● 今のお話は、「これまでの主な議論」の欄の最初のところにある「1円でも下回れば 憲法違反になるような」幅の狭い基準ではなく、もう少し幅のある概念という趣旨が 出せないか。勤労控除を考える場合に、例えば10万円が保護基準で、勤労控除によっ て11万円、12万円になるともらい過ぎだから全部削るべきであるというように、そ れこそ最低基準が一律の線で引かれると、かえって不都合が生ずるのではないかとい う御指摘だと受け止めたが、それでよろしいか。 ○ そう。自立助長との関係ではと言っているのは、下回ることもあり得るという趣旨 ではなくて、上の方に伸びても、それは憲法解釈論としても、生活保護の解釈論とし ても、程度の問題はあるけれども、正当化されるという趣旨である。 ○ そうすると、「これまでの主な議論」の中に出ているから「議論の整理」のところで もう一度言った方がいいということなのか、それとももう「これまでの主な議論」の ところで出ているから「議論の整理」の方はこれでよろしいということか。 ○ 全体とのバランスもあり、全体としてそういう趣旨が伝わるのであれば構わない。 ○ 1ページの「これまでの主な議論」の3つ目の絶対的な貧困についてだが、これま での算定方式は、基本的に右肩上がりの経済を前提とした算定方式である。   意見として聞いていただければ結構だが、例えば賃金水準であるとか、消費水準が 低下した場合については、貧困を相対化してとらえるだけではなくて、貧困を絶対化 してとらえる算定方式というのを併せて検討する必要があるのではないか。   90年代以降、生活保護の基準の算定では初めての経験であることを前提に考えたと きに、「相対的に決まるものではないか」と言い切ることが果たしていいかどうか。   つまり、生活保護の基準を、基本的には消費実態などを前提として社会的、文化的 に当然容認される水準を提供するものであるということを「相対化」という考え方で 集約するのが水準均衡方式であるが、これに対して「決まるのではないか」という表 現で含みを持たせていることについては結構だと思う。ただ、そこのところで、相対 的な基準以外にも絶対的な基準としても決定されているという文言は入れられないの か。   2番目の「水準の評価・検証」について、人々にとっての基本的に生活に必要な物、 サービスが、マーケットバスケット方式では理論生計費として算定されていて、その 次のエンゲル方式からは実態生計費となっている。水準均衡方式の前まで、基本的に は実態を鑑みて設定するという考え方で行っているが、もう1つ、例えば全消を使っ て検証するのは結構だが、もう一方の柱で、理論生計費のマバ方式で積み上げたもの と比較して、これは確かに社会的、文化的な水準をクリアーしているという、相対化 による水準との見合いで、一定の客観的、科学的な根拠を持っているということを示 すことが必要なのではないか。   レベルが違うかもしれないが、この「水準の評価・検証」のところで、要するに、 これは実態に見合ったものであり、もう一方では、理論的に積み上げたもので検証す るという、相対的な観点からも、絶対的な観点からも決まるのではないかということ が、もう一方の検証が行われて初めて言えることなので、ここまで踏み込むかどうか という話はあるが、多分国民の中では、例えば今の経済動向でいくと、賃金水準であ るとか消費水準というのは、ある人にとっては上がるけれども、ある人にとっては下 がるという傾向が見られるので、より所得の低い方のことを考えれば、そういう絶対 的な観点も検証の考え方としてもいいのではないか。相対的ということだけではなく て、もう一つの尺度で「絶対的」と表現するかどうかは別にして、何かそういう表現 と、もう一つは検証の手だてということを、「必要があるぐらい」の表現でも構わない ので、少し含ませてもいいのではないかと思っている。 ○ 「相対的に決まるものではないか」という御指摘の部分については、相対的に決ま るというのは、この1ページの左下にあるものを具体化するのが水準均衡方式である が、前回、前々回辺りから、「この水準均衡方式には幾つかの弱点がある」とずっと言 われている。   1つは、右肩上がりの経済のときはいいが、下降にたどったとき、それが限りなく 下がり、いわゆる絶対的貧困以下に陥ることがあり得るという場合に、その歯止めが この水準均衡では保てないということがあり、もう1つは、実際に現在生活保護を受 けている人に関して言えば、相対性の観点からすれば、理論的には生活保護受給者の 家計は妥当なものとなっているのかもしれないが、実際の家計にはいわゆる弾力性、 ゆとりがないということが、少なくとも建前としての生活保護にはある。したがって、 たとえ僅かであっても、前年、前月を下回るような基準となるとすれば、そのダメー ジは大きい。   そういう意味で、家計の弾力性がないことも、この水準均衡方式の1つの弱点とい うふうに従前から言われており、確かに絶対的な水準の検証という方法もあり得るか もしれないが、相対的に決める今の水準均衡方式にも一定の限界があるというような 表現を加えることでもいいのではないか。   いずれにしても、そういう部分も含めて、御検討いただきたい。 ○ 多分、「相対的」という表現が難しい。通常、相対的というと、同じ時点において他 の人と比較してどうかという意味で使う場合と、同じ個人について過去と現在を比べ て相対的にどうかという意味がある。   この「相対」という表現には、両方の意味が入っているため混乱するので、もしは っきり書くのであれば、そういったことを1つ項目設けて書くなりしてはどうか。 ○ 2ページ目の一番先頭の「例えば実際の消費水準が低下していくと」というのは、 どういう状態を指しているのか。例えばデフレを想定して、物価も全部下がっていく ということであれば、下方硬直性をどう考えるか。仮に、すべての値段が下がったよ うな経済であれば、これは水準を下げても特に実害はない。   一方で、今の社会で起きているように、例えば所得分布の右の構成特性の部分が大 きく広がって、真ん中辺りを置いてきぼりにしたような状態であったときには、どう 考えていくのかという問題も出てくる。どういう経済をここで想定されているのか。   デフレのときに、「相対的な算定方式であるから、絶対貧困を下回る水準まで陥る」 というようなことがあり得るのか。 ○ 今のお話で行くと、非常に物価が上がったが、それによって消費が萎縮してしまっ たという状態の経済の場合である。そういうことを想定して言っている。   逆に言うと、デフレという状態は想定していない発言、要するに、最悪の事態を考 えての発言であると理解していただきたい。 ○ 先ほど、「相対的」という表現は基本的に了解したような形になったが、私は裁判所 の判断を念頭に置いて発言をしており、司法の場における憲法解釈と実態として制度 をどうつくっていくかという場面での基準とは必ずしも同じではない。その中で、別 の意味で、「水準の評価・検証」に「絶対的貧困」といった思想を入れなくていいのか という疑問を持っている。   先ほど御指摘があったと思うが、「議論の整理」の2つ目の項目に、「第1・十分位 より高めとなっている」という部分があるが、単身世帯と3人世帯とを並べてみると、 単身高齢世帯の方は、いわゆる衣食住以外の社会生活的な部分の比率が第3・五分位 と比べて低い。   ただ、単身という最小の単位である家族というつながりが基本的にない世帯である ということから、ある意味では社会とつながりを持って生活をしていくという部分が、 まさに社会生活自立支援的な意味でも必要になってくるのではないかと思うけれども、 相対的な比較でいうと、低くはないというか、一般世帯の第1・十分位がそのレベル であって、それとの相対でいいのではないかということかもしれないが、果たしてそ れでいいのかという議論は必要なのではないか。   そうすると、やはり第1・十分位の生活状況の在り方とはまた別に、いわゆる絶対 的なこの部分は必要なのではないかという議論をするのかしないのかというところが、 少し気になっており、そういう意味では、「相対的に決まるものではないか」と言い切 ることはどうなのかという部分はある。 ● 今のお話は、非常に最悪の事態を想定した御議論で、理論的にはよく分かるが、実 務的に考えると、説明変数として相対的、絶対的な基準があって、それで国民の皆さ んの最低生活の保障をするとしたとして、相対的な基準が100で、絶対的な基準が50 のときにどうするのか。100という選択を、一般国民が厳しくなったときにするかど うかという問題が生じることも、ひとつ御考慮の上でお願いしたい。   例えば、外国の制度と比較してみると、基準の算定にマーケットバスケット方式を とっている国は保護費が低い。物価や為替レートで調整しても、1ポンド190円の推 計で、イギリスの単身世帯は4万6,000円。現時点では、1ポンド163円になってい るから、もっと下がる。イギリスが絶対的基準を基礎にスライドしてきていることを 考えると、もし、絶対的基準を出した場合、今の基準は東京で8万4,000円程度であ るが、相当乖離が出る。そのときに立っていられるかということは、それこそ最悪の 事態として想定していただきたい。   では、最低限度の生活を保障するために、もう一度マーケットバスケット方式に戻 るのかということであるが、マーケットバスケット方式から離れたから、現在の水準 まで基準額が上がってきている。ドイツも1990年にマーケットバスケット方式から離 れて、今の日本に似たような方式に切り替えて、現代の経済の状況に対応できる社会 扶助になったと言われている。   ドイツでは、マーケットバスケット方式から離れるときに、30%ぐらいマーケット バスケット方式より統計方式の方が上がるのではないかという民間団体の議論があっ たと聞いており、もしその可能性が正しいとすると、マーケットバスケット方式を基 にする絶対的基準というのは、今の水準の3割程低い水準となる。そのときに、いろ いろ生活保護について議論があるときに、本当に良いとこ取りで、相対方式は維持し つつ、マーケットバスケット方式から離れられるかどうかというのは、御検討いただ きたい。 ○ 基本的に、マーケットバスケット方式にも長所と限界があり、その長所というのは、 栄養学的な飲食物費をベースにやっている。弱点は、社会的、文化的な費用をどこま で取り入れられるかということである。   旧来のマバ方式は、飲食物費に特化しており、社会的、文化的な費目が非常に弱か った。それが要するに、例えば昭和20年代、30年代には、飢餓水準を脱皮するとい うことで一定の支持を得た。   しかしながら、マバ方式に社会的、文化的な費用を取り入れた現代的なマバ方式的 なものを何か考えることはできないのかどうか。   先ほど言ったように、3割、4割というのは飲食物費に特化しているためであり、 もう少し相対的な貧困の算定方式はできないのかという流れから、それで格差縮小方 式、水準均衡方式に移行してきた。   しかし、それにも長所と限界がある。右肩上がりのときには、相対的な算定方式は 支持を得たけれども、新たな地点に立ったときに、絶対か相対かという形の両方の長 所を組み合わせるような見方であるとか、あるいは本当に絶対的な基準をクリアーし ているのかどうかという議論をするためには、例えば水準均衡方式を支持したとして も、絶対的な水準はどうであるかという検証はやっておくということならば、見合い の中で考えることはできるかもしれない。最悪の事態の中で想定したときに、生活保 護制度というのは、社会保障の中で最も大事な制度であって、その中でも、最も大事 なのは生活保護基準で、これがナショナルミニマムである。   最賃であるとか、課税最低限というのは、基本的には生活保護基準に依拠してきて いる。そこのところの議論の中で、確かに相対化という基準だけれども、もう一つは 絶対的な基準というものも念頭に置きながら、絶対的な基準は間違いなく保障されて おり、かつ、社会的、文化的なものに関しては、マバ方式の中で技術的に取り入れる ことができないかというのは、少し議論の余地はあると思うが、相対化した中で、社 会的、文化的な費用というものも保障している。そういう両面の考え方と検証の上で、 生活扶助基準というのが成り立つならば、よりナショナルミニマムの内実化というも のが、国民かつ政策担当者の中にきちんと認識できるのではないか。そういう意味で、 相対的に決まるということではなくて、もう一つ押さえとして絶対的水準という議論 をしたということで、先ほどの各国の例はそれぞれのベースがまたいろいろあると思 うので、そういうことで御理解いただきたい。   修文のときに、少しそういうことも含めてまとめることはできないのかということ である。 ○ これだけ絶対的貧困の問題や右肩上がりではない経済状況における基準のあり方に ついて御意見が出ると、整理のところで全く書かないわけにはいかないのではないか。 どういう文章にするかはまた後日相談するにしても、そこについてはやはり書き込む ことが必要だと判断するが、どうか。 ● 今回、簡略な形にしているので、いろいろと至らぬ点があったかと思う。第1回の ときにお示しした資料も、第1・十分位に基本的に着目しているが、例えばエンゲル 係数を見ていただくと、これは単身世帯の場合でも、第1・十分位でも、確か27%と いったところにある。   そして、こういった第1・十分位の方が果たして必要な物が買えているのか買えて いないのかという検証をしていただいた上で、こういう表現にしたのだが、そういっ た点、御考慮いただければと思っている。 ○ 今の扱いはよろしいか。文章はまた後で考えるということにしたい。   そうすると、2ページの「水準の評価・検証」の項目で、上の2つは結局相対的な 話という整理になるかと思う。 ○ 4つ目の項目であるが、確かに多くの費目についての購入頻度は、遜色ない状態に きているかもしれないが、単身世帯については、食事代というのは外食代ということ で、外食の頻度、それから、理髪の頻度も第3・五分位に比べれば、やはりかなり低 いと思う。「多くの必需的な費目については」とか、明確にすべてが一般的にクリアー しているというのは表現が強過ぎるのではないかと思う。   要するに、こういう費目は他人とつき合うときに必要な費目であって、人前に出る ためのある程度きちんとした身なりのため、社会的な関わりを維持するために必要な 費目については、若干差が残っているようなイメージがある。 ○ 2の項目について意見がないようなので、3に行きたい。 ○ こだわってしまうようで申し訳ないが、1ページの「公平感」というところ。「国民 の公平感」という場合の「国民」というのは、保護受給者以外の方かどうかは分から ないが、やはり相対的というか、何かとの比較という概念のような感じがする。例え ば「社会通念」のような言葉では分かりにくいのか。 ○ 「国民の公平感」の代わりに「社会通念」では如何か。 ○ 皆さんがよければ、結構である。 ○ 「通念」がなかなかコモンセンスになっていない状況であるが。 ● 少し考えさせていただきたい。 ○ 「2.水準の妥当性」がそれでよければ、「3.体系の妥当性」に移りたいと思う。 これも項目としては3及び4ページに分かれているが、3ページの「体系の在り方」。   これは特に問題がないように思うが。 ○ この左の「体系の議論は、水準の議論とは違って、生活保護受給者の間で不公平が ないかをみる作業である」という趣旨が分かりにくいが、如何か。 ● こういうふうに書いたのは、先ほどの水準のところは国民一般の例えば第1・十分 位との比較だったが、体系のところは、一定の水準を前提にした上で、受給者間でア ンバランスがあるのかないのか、どこか有利になったり不利になったりしているとこ ろがないのかといった意味合いである。 ○ そういう点では、例えば「世帯構成などによって」とか、「世帯構成によって、実質 的な給付水準において不公平になっていないか」というふうに、少し具体的に書き込 んだ方が、この体系の議論が分かりやすくなるのではないか。 ○ よろしいか。 ● はい。 ○ 真ん中の「生活保護受給者の間で不公平がない体系としていく必要があるのではな いか」は、よろしいか。   では、「世帯人員別の傾斜」について、御意見をいただきたい。   これは用語の問題であるが、「多人数世帯」というのは、ここでは夫婦及び子どもの 世帯を想定しているのか。 ● 明確な定義はしていないが、4人あるいは5人といった、4人以上の世帯を想定し ている。 ○ 「単身」に対する「多人数」ではないのか。 ● 現在、1人世帯、2人世帯、3人世帯といった形での傾斜がついており、その中に あって、4人世帯とか5人世帯という意味での多人数世帯。   したがって、大人と子どもという意味での世帯構成というよりは、世帯人数という 意味で使っている。 ○ 厳密に言うと、世帯の定義がどうなるかという話である。例えば、同じ家屋に夫婦 とおじいちゃん、おばあちゃんも住んでいる。生計を共にするというのがその定義に なってくるかと思うが、今の場合は、例えば若夫婦と老夫婦が同じ家屋に住んでいる ということになると、ここの扱いは4人世帯となるのか。それとも2人世帯が2世帯 あるということになるのか。 ● 世帯分離とか、そういったテクニカルなことが場合によるとあるかもしれないが、 そうでなければ、同じ屋根の下で生計を共にしているということであれば、同じ世帯 と考えていただいて結構である。 ○ 要するに、財布が1つであるということを、生計を共にすると言っているのか。   世帯とは何かということは、全消や家計調査でいつも議論になるところである。 ○ これは、同じ屋根の下で同じテーブルを囲んでいる、要するに食卓を囲んでいると いう意味合いで使っているのだと思う。 ○ そうすると、御意見はないということで、よろしいか。また御意見があれば、後で お伺いしたい。   では「年齢階級別の傾斜」は、いかがか。これもよろしいか。   では「第1類費・第2類費の区分」でのまとめは、いかがか。これもよろしいか。   5ページの「標準世帯」は、いかがか。   なければ、今の「3.体系の妥当性」については、特段意見がないということで、 よしとしたい。   では、「4.地域差の妥当性」は1項目なので、7ページ全般についてお願いしたい。 ○ ここは前回からずっと議論のあったところで、指数を見る限りにおいては、ここに 書いているようなことも推測できるが、最後の「地域間での生活様式の差の縮小」は、 級地別の支出パターンの違いは検証していなかったのではないか。あくまでも指数で 見ているだけであって、間接的であると思う。 ○ 確かに推論である。そうすると、「その背景としては」というところは削った方がい いという判断か。 ○ はい。 ○ その点、御意見はよろしいか。   では、そのようにしたいと思う。   「地域差の妥当性」について他には。   よろしければ、8ページの「5.勤労控除」。 ○ また公平性のことで、先ほど申し上げたが、真ん中の3つ目の項目。   どう考えるかという問いなので、異論があるわけではないが、この点を強調するの はどうかと思っている。というのは、憲法解釈としても、生活保護法の解釈としても 幅を持った最低生活水準を考えることが十分可能であるということだとか、あるいは 生活保護は申請保護が原則建前になっているということもあり、先ほどの幅の議論等 も関連させて、保護の開始要件あるいは開始基準と継続要件、継続基準というのは、 必ずしも同じではなくて、一応切り離して考えることは十分に可能だと思う。   反対ということではないが、あまり強調するのはどうかというふうに思う。 ○ ここは何か名案があればお願いしたい。 ● 何か工夫ができるか、検討させていただきたい。 ○ 今の公平性とも絡むと思うが、左の下から3つ目に公平性の観点から、あるいは下 から2つ目に平等性の問題とかが出てきているが、前回の議論の中で、左の下から2 つ目、3つ目の部分というのは、それなりに意見としてかなり強いものがあったと思 われるので、これも今のところに合わせるか、とにかく真ん中の方に、勤労控除のう ち、インセンティブ相当は生活保護廃止後にそれまでプールしておいて、そして廃止 のときに支給するというのも、公平性の確保とするということの1つの手法としても あり得るのではないかぐらいの表現がいいのではないかと思うが、如何か。 ○ 勤労控除の話において、インセンティブがあるのかないのかというのは、いろいろ な現場の方のお話が参考になっているわけだが、客観的統計的に検証できておらず、 これこそ何をその人が重んじるかによって効果も違ってくるので、まだ検証の余地が 全般的にはある。他の項目とは性格がやや違うのではないか。やはり、その効果につ いては引き続き検証しなければならないと思うので、言い切ってしまうのはあまり適 当でないのではないか。   要するに、ケーススタディーで見ているだけなので、たまたまその地域でそういう ケースが多く見られたから、ではそのインセンティブ効果がこういうふうなことをや れば働くのか働かないのかということは、データとしては検証されていない。そうい う意味では、検証課題として残しておくものであると思う。 ○ 少なくとも、この検討会に出された資料ではあるので、そこのところも含めて、今 後の検証の課題としておきたいとか、それぐらいの形で残しておいていただくのも、 1つの手法としてあるのではないか。 ○ その点に関して、確かポバティー・トラップの話とインセンティブの話というのは 絡めて議論がされたと思う。生活保護受給者と低所得者の公平性の観点からの議論と、 もう1つはインセンティブをどうつけるかという議論。   そういう方向性も「1つの方法として」というぐらいのところでは、少し出した方 が、議論としてはある程度まとまるのではないかと思うが、どうか。   先ほど検証の問題は出たが、アイディアについて載せるかどうか。 ○ 「検証するとともに、就労インセンティブについても考えていかなければいけない」 という表現あたりか。 ○ 公平性の基準とインセンティブの効率性の基準がトレードオフしないように、両方 が改善できるような仕組みを検討していくやり方がいいのではないかと思う。 ○ 表現の問題にすぎないが、8ページの左側の3つ目の項目で、「保護廃止」の「廃止」 という言葉だが、普通こういう言い方をするのか。右側のところでは「生活保護から の脱却」という言葉になっているが。「廃止」と「脱却」は同じ意味か。 ● はい。 ○ 「廃止」というと、制度を廃止するということなので、むしろ正確に「生活保護か らの脱却の阻害要因になっている」と書いてはどうか。   また、同じように「廃止後に」と6項目の3行目にも書いてあるが、ここも「脱却 後に」としてはどうか。 ● 生活保護の制度には、「保護廃止」と「保護停止」があり、それでこういう表現にし ているが、意味合いとしては「保護脱却」ということにほぼ同じなので、考えさせて いただきたい。 ○ 一番上の「約3割の控除率のうち」と書いてあるところは、どこで評価しているの かによって、3割なのかどうかは変わってくるのではないか。金額を幾らで評価して いるというのが入らないと正確ではないのではないか。 ● 前回の御議論からほぼそのまま引いてきており、前回の資料で1つのモデル的なも のをお出ししたので、大体3割ぐらいということだったのだと思う。   具体的には、控除率というのは、収入額によって変わってくるので、例えば5万円 ぐらいで見ると3割ぐらいということであるが、収入が上がれば、増加に応じて逓減、 下がってくるということで御理解いただきたい。 ○ ここにそれを書けないか。 ● 表現の正確を期したい。 ○ ここに書かれていないが、前回、新規就労控除の話と未成年者控除の話が出たかと 思う。これは意見だが、例えば未成年者控除というのは、ある意味では、実態からい うと高校全入、あるいはその後に上級学校に行かれる方も出てきているということで、 未成年者の就労促進を前提として、未成年者控除という制度があるのだと思う。   時代とのマッチングから考えると、新規就労控除の中に年齢区分で傾斜をつける。 それで、より若い方にはより控除額を増やすとか、そういう考え方もあっていいので はないか。実質的には、例えば新規就労控除の中に未成年者控除を入れるという形で も結構だが、やはり未成年者控除そのものに一定価値的なものがあるのではないかと 思う。 ○ 今の御意見については、如何か。これは全消の話とは違い、別の次元の話であるが。 ○ レベルの違う話で申し訳ないが、全部の意見のまとめをやっているので、ここで申 し上げた。 ○ 主に全消との比較ということでずっと作業をやってきたが、どこかにそういう項目 を追加できないか。 ● そういう点からいくと、9ページ以降に「その他」があり、例えば「自立の助長」 という項目はある。 ○ 例えば、その項目でよろしいか。 ○ 結構である。 ○ 勤労控除について、他にあればお願いしたい。   なければ「6.その他」の項目。今、真ん中の欄には何も記述がないが、左側の項 目について何かあれば、お受けしたい。 ○ 1ページ目との関連で、やはり勤労控除や様々な問題を考えるに当たって、自立助 長との関連、最低限度の生活水準を幅としてとらえるということは、結構重要ではな いかと思っている。「相対的」にも2つの意味があるということなので、もし可能であ れば、「6.その他」の「自立の助長」ではなく、「2.水準の在り方」に入れ込むこ とはできないかをご検討いただきたい。1ページ目の「水準の在り方」のところの「健 康で文化的最低限度の生活」水準の考え方ということで、9ページ「自立助長」の最 初の項目を入れ込むことはできないだろうか。 ○ 絶対的な線と幅のある基準という話だが、これは幅のない基準が絶対的な線という 読み方ではないとすると、これはどういう読み方をしたらいいのか。絶対的な線では なく、幅のある基準というのは、どのように解釈したらいいのか。 ○ 線ではないということである。つまり、1ページ目の表現でいうと、1円でも下回 れば憲法第25条違反になるという意味で、健康で文化的な最低限度の生活水準という ものを線でとらえるべきではないということである。   例えば、もし線でとらえることになれば、勤労控除の考え方も、現実に今幅を持た せているが、それも憲法第25条1項との関係では説明がつかなくなる可能性がある。 でも、それは自立助長という項目との関連で、一定の幅を持たせることが許容される。 ○ 例えば、生活保護の基準でいったときに、最低生活費と収入の対比で扶助額という のは決まってくる。この絶対的な線というのは、最低生活費のことを指していて、例 えば収入があって控除をするというのは、その扶助額の話になる。   ここのところの法的な整理がよく分からないので、もう少し具体的に、例えばそれ は最低生活費で、その次の幅のある基準というのはこういうことを指しているとか、 そういう表現ができないか。   これは事務局にお願いをすることになるが、例えば最低生活費のことを指している のか、収入の中で何を控除して、扶助額としてこう出すというところの関係が、御発 言の意図はわかるが、文章を読んでそういうふうに理解できるかということを考えれ ば、もう少し平易な言葉で、何か説明をしていただくか、補足していただいた方がい いのではないか。 ● この場でなかなかいい表現が思いつかないので、少し考えさせていただきたい。 ○ 今の項目は「水準の在り方」のところに置かないとだめなのか。それとも、先ほど の「自立の助長」とか、あるいは後ろの方の「勤労控除」とか、そういったところに 置いた方がよろしいか。 ○ それでも構わない。 ○ 「水準の在り方」の項目だと、大原則の話になってくるので。 ○ 左側の欄ではなく、真ん中の欄のどこかにお願いしたい。 ○ では、そこも含めてお互い検討ということに。 ○ 議論がまとめに入ったところで申し訳ないが、1つはこの基準の関係で、冬季加算 の話が出ていない。これは、今回議論をしないということで理解していたが、例えば、 灯油高騰などの問題で冬季加算は変わっていくので、先ほどの評価の問題と基準の設 定の問題は別だという議論もあるかと思うが、そういうことも含めて、評価と灯油の 高騰のような、今起きているような事態とも分けて、お考えいただきたい。   もう1つ、夏季加算という制度は存在していないが、今、非常に都市化されてきて ヒートアイランド現象などが起きている。そろそろ検討してもいいのではないか。 ○ 前回の専門委員会では、加算やその他の扶助の水準の検証については、どういう宿 題が出ていたのかということを、今の話と併せて教えていただきたい。 ○ 温暖化になってくると、冬季加算もどうなるかという話もある。 ● 前回の専門委員会においては、老齢加算、母子加算のお話はあったが、それ以外の 加算について、特に具体的に御指摘はなかった。   冬季加算に関しては、確かに夏はどうかという議論は以前からあるが、今、北は北 海道から南は沖縄まで、全国どこでも冬季加算が付いている。   いずれにしても、今回の前提は、客観的なデータで検証していくことであり、夏季 の場合に果たして加算に相当する追加的な費目が明確に出てくるかどうかというのが、 検討に当たっての1つのポイントではないかと思うが、現在のところ、そういった術 がなく、御指摘としては、今までもいただいている話なので、テークノートさせてい ただきたい。 ○ 全消の調査が9月、10月、11月の特定の時期の消費についての調査に限定され ていることを考えると、冬季加算、夏季加算の調査がしにくく、今回議論ができない ということである。 (了) 【照会先】 〔生活扶助基準に関する検討会事務局〕   厚生労働省社会・援護局保護課   TEL 03-5253-1111(内線2827)