第2回「中国残留邦人への支援に関する有識者会議」
日時:平成19年5月21日(木)14:00〜 場所:厚生労働省「共用第7会議室」 |
議 事 次 第
1. 開 会
2. 中国残留邦人からの意見聴取
3. 中国残留邦人に関する研究者からの意見聴取
4. 意見交換
5. 閉 会
(照会先)社会・援護局援護企画課 中国孤児等対策室 電話03-5253-1111(内線3416/3417) |
【資料一覧】
資料 | お話をいただく方々 |
研究者提出資料 | 蘭 信三 氏提出資料 |
中国残留邦人への支援に関する有識者会議 | |
平成19年5月21日 | 資 料 |
1 お話をいただく中国残留邦人
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(昭和56年帰国、東京都在住) |
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(昭和62年帰国、兵庫県在住) |
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(平成 元年帰国、大阪府在住) |
2 お話をいただく研究者
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(京都大学准教授) |
研究者提出資料 蘭信三氏提出資料
「中国残留邦人支援有識者会議」 2007年5月21日、厚生労働省
中国残留邦人の生きられた歴史と今後の課題
京都大学 蘭信三(Araragi,Shinzo)
はじめに−本報告の目的
・ | 中国残留邦人の帰国事業はいろいろな意味で難しいものであった |
・ | 中国残留邦人の受け入れは地域社会にとって初めての経験、大きな意味があった |
*満洲移民(1984)、中国残留孤児(1986)、中国残留婦人との出会い(1987) |
1.前提としての「満洲体験」、その極限性
・敗戦時の日本人のおかれた状況満洲開拓団の死亡者約8万人(在団者の約36%、全満洲日本人の死亡者の45%)
開拓団の約6割が開拓地最寄りの都市へ避難=「逃避行」
開拓団の約6割が開拓地最寄りの都市へ避難=「逃避行」
【方正収容所の状況】(1945年8月〜46年5月:8640名収容
自殺病死2,360(27%) 現地人の妻2,300(27%) 脱走1,200(14%) ハルピン移動1,200(14%) ソ連に拉致さる460(5%) 不明1,120(13%) (『満蒙開拓史』)
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*「死と隣り合わせの生」→どうすれば生きのびられるか!!
2.中国残留婦人、孤児の残留体験
(1)残留の経緯・ | 残留婦人:生きるための「残留」 |
・ | 残留孤児:様々な経緯による「残留」 |
・ | 貧しさとの戦い:明日の食事をどうするか、労働力としての残留孤児 |
・ | 日本人という烙印:監視される日々、繰り返される思想闘争時の恐怖 |
・ | 受容するのは:家族や地域社会が受容してくれたから→家族が一段落してからの帰国 |
・ | 受容できないのは:緊張感、差別や迫害、ノスタルジアとしての日本→早期の帰国 |
・ | ノスタルジアとしての「日本」+「偽満洲」を背負った戦後の人生+母としての人生 |
・ | 他の子どもたちとは違うという違和感、「小日本鬼子」というからかい、虐待 |
・ | 養父母らに「日本人」と告げられ→「そうか日本人だったのか」という納得→ |
国交正常化後の残留邦人ネットワークの形成+「日本人」と言う意識 | |
訪日調査・肉親再会→「日本人」というアイデンティティ→母国への「望郷」 |
3.中国残留邦人の「帰国」をめぐる事情
(1)帰国か来日か・ | 72年〜80年代前半:残留婦人の帰国のピーク、一部の残留孤児の帰国 |
・ | 80年代後半から90年代前半:残留孤児の帰国のピーク |
・ | 90年代:残留婦人の帰国の第2のピーク+呼び寄せ家族(来日)の増大 |
・ | 国費帰国(本人+家族)約2万人+私費帰国者約8万人=総推計約10万人 |
・ | 出身地への定着が原則だが、首都圏、他の2大都市圏、長野県に集中 |
←出身地から大都市への移住傾向(約3割程度) |
a)早期帰国:戦後処理としての帰国事業
支援体制は未整備、顔の見える帰国者、家族や開拓団関係者による支援 日本の経済事情は余裕があり帰国者を受け入れる 中国の改革開放はそれほど進んでおらず、日中の経済格差は大きい |
b)後期帰国:戦後処理+グローバル化の影響
支援体制の制度化、匿名化した帰国者、行政による支援 経済不況によるコストダウン化→重労働力化 中国での出国熱(←世界的労働力移動)、日中の経済格差の縮小化 |
4.中国帰国者という存在の特質
(1)「日本人」としての中国帰国者(2)移民としての中国帰国者:
・ | 「遅れた帰国」→移民家族が経験する様々な生活課題と同様の問題に直面 |
・ | 残留婦人以外は、帰国者というより「移民」 |
・ | 戦争による「家族離散」→訪日による「肉親再会」→帰国による新たな「家族の別離」 |
→中国の子どもたちの「呼び寄せ」による再びの「家族の再結合」 |
5.中国帰国者の「適応」状況
(1)存在の同質性・ | 「日本人」として受容されながら、「中国人」として排除されるダブルバインド状況 |
・ | 属性・世代ごとに帰国動機、生活課題、適応状況、アイデンティティの状況は異なる |
a) |
学校・職場・地域で社会の周辺に「排除」される多数の帰国者 狭い生活圏で身を縮めて生きるか、逸脱集団への所属や独自の集団化による適応か |
b) | 普通のひと(日本人)として溶け込んでいくひとたち |
c) | 社会の中心を生きる少数のハイブリッド・エリートたち |
* | 早期帰国者はタイミングもよく、時間的にも長く、適応している場合が多い |
* | 後期帰国者は不況に出会い、日本社会の変革期に帰国、適応が難しい場合が多い |
・ | 中国や日本という国民国家を超えて形成されるネットワーク、生活世界 |
a) |
日本社会で排除されながらも、日本と中国の国境を超えて生きる 中国帰国者ネットワークや中国人の社会圏で逞しく生きるひとたち |
c) | 日本も中国も超えるエリートたち |
* | 眼前の生活の場と彼らの主観的な生活世界や準拠集団がどこにあるかが重要 |
* | 「帰国者の生活世界は日本」というのは、受け入れ側の思いこみにすぎない |
a) |
結合モメント:強烈な家族神話、マイノリティにとっての家族は最高の適応手段 家族親族が緊密なネットワークをつくり相互に助け合う→ますます緊密化する家族 |
* | 「適応のカプセル」としての家族 |
b) |
解体モメント:家族戦略と個人戦略の齟齬→「足かせになる家族」 世代間でのコミュニケーションギャップ°+学校や職場での差別を家族に持ち込む →日本語の下手な親を馬鹿にして、会話をしない子どもたち→親は足かせ |
c) |
家族間のネットワークの緊密さ(←淡泊な日本の家族親族関係との相違、戸惑い) 神話としての家族+中国文化としての家族+適応の手段としての家族 |
・ | 家族・親族ごとの助け合い→帰国者ネットワークの形成 |
・ | 帰国者コミュニティの形成、集住、棲み分け |
・ | 満蒙開拓団輩出地としての責任 |
・ | 受け入れ態勢の特徴=指導体制の継続性:開拓団関係者→残留婦人→2世3世 |
・ | 帰国者の高定着率の理由 満蒙開拓団送出地の暖い受容+受け入れ企業+親族ネットワーク+帰国者コミュニテ |
6.おわりに−残された課題
(1)受け入れのさまざまな論理・ | 国家としての「責任か」:戦後処理の一環としての帰国事業 |
・ | 「善意か」:戦争に犠牲になった「可哀想なひとたち」へ善意の手をさしのべる |
・ | 「ナショナリズムか」:同国人への援助とナショナリズム、外国人への援助ではない |
・ | 「人権か」:日本人か外国人かより、人間として受ける当然の権利を保証すべきだ |
* | 同化強制か多様性を認めるか |
a) | 生活問題: | 最低の生活、年金と生活保護→老後への不安 | b) | 就業問題: | 単純労働への就業と過重労働化(←コストダウン化)→長時間労働 →家族のすれ違い・子どもの放置化 |
c) | 教育問題: | セミリンガル問題、特別枠入試の意義と限界=中退率・入試方法の限界 |
d) | 地域問題: | 帰国者の匿名化+集住化→「中国語を話すよくわからない人たち」 |
↓ | ||
<格差社会の底辺へ組み込まれ固定化される恐れ> |
【参考文献】
蘭信三 [1994]『「満洲移民」の歴史社会学』行路社。― | ――[2000a]「満州移民研究における社会学的方法の可能性」『社会情報』Vol.9,No.2。 | ― | ――(編)[2000b]『「中国帰国者」の生活世界』行路社。 |
― | ――[2002]「満洲移民の問いかけるもの」『環』10号。 |
― | ――(編)[2003]『平成12年度〜15年度科学研究費補助金基盤研究(B)(1)「中国帰国者の適応と共生に関する総合的研究」中間報告書』。 |
浅 | 見淑子・田沢志な子・山村文子(編)[1976]『凍土からの声 外地引揚者の実体験記』謙光社。 |
中 | 国帰国者支援・交流センター(編)[2005]『二つの国の狭間で 中国残留邦人聞き書き集 第1集』同センター。 |
趙 | 彦民[2004]『日本社会における「中国帰国者」に関する考察−「中国残留孤児」とその家族の生活史を中心に』(名古屋大学大学院国際協力研究科2003年度修士論文)。 |
江 | 畑敬介・曽文星・箕口雅博(編)[1996]『移住と適応――中国帰国者の適応過程と援助体制に関する研究』日本評論社。 |
呉万虹[2004]『中国残留日本人の研究』日本図書出版センター。
班忠義[1994]『曽おばさんの海』朝日新聞社。
鍛治致[2001]「『中国残留邦人』の形成と受入について:選別あるいは選抜という視点から」
梶田孝道(編)『国際移民の新動向と外国人政策の課題:各国における現状と取り組み』東京入管の依頼による研究報告書。 |
京 | 都「自分史を書く会」(編)[2004]『落日の凍土に生きて−「我是誰」中国残留孤児の証言』文理閣。 |
満 | 蒙開拓を語りつぐ会(編)[2003]『下伊那のなかの満洲 聞き書き報告集1〜5』飯田歴史研究所。 |
中 | 島多鶴・NHK取材班[1990]『忘れられた女たち−中国残留婦人の昭和』日本放送協会。 |
大久保明男[2000]「アイデンティティ・クライシスを超えて」蘭(編)同上書。
小川津根子[1995]『祖国よ−「中国残留婦人」の半世紀』岩波書店。
田村久江[1993]『凍土に生きる』青心社。
塚瀬進[1998]『満洲国−「民族協和」の実像』吉川弘文館。
山 | 下知子[2003]『中国残留婦人における<満洲の記憶>−ある残留婦人の語りから−』(京都大学大学院人間・環境学研究科2002年度修士課程学位論文)。 |
山本慈昭[1981]『再会−中国残留孤児の歳月』日本放送協会。
山本有造(編)[1993]『「満洲国」の研究』京都大学人文科学研究所。
―――(編)[2007]『満洲 記憶と歴史』京都大学学術出版会。