第1章 救命治療、法的脳死判定等の状況の検証結果


1. 初期診断・治療に関する評価

1.1. 脳神経系の管理

1.1.1. 経過
   50代女性。平成17年2月5日の9:00に掃除を始めたところ、10:00頃息苦しくなり、救急車を要請した。10:10救急隊到着時には意識レベルJCS 300、瞳孔径両側7mmで対光反射を認めなかった。頚動脈で脈拍を触知しないため、モニターを装着したところPEA(pulseless electrical activity、無脈性電気活動)であった。救急隊によりラリンジアルマスクが挿入され、蘇生術をしながら現場を出発したが、搬送途中に口腔内に吐物が見られたため、ラリンジアルマスクを抜去し口腔内吸引を行った。10:26当該病院に到着し、ただちに気管内挿管を行った。喘息発作による呼吸困難と診断し、気管支拡張剤、ステロイド剤などを投与した。10:36心拍が一時的に再開するも、再び心停止状態となったが、10:50心拍が再開した。11:01に経皮的心肺補助装置(PCPS)によるサポートを開始した。12:30自発呼吸が出現し、13:37 PCPSを離脱、14:17 ICUに入室した。2月6日に入り、1:00頃にはJCS200となったが、再び心原性ショックによる循環不全状態となり、5:00頃瞳孔散大、対光反射消失、JCS300となり、自発呼吸が消失した。以後この状態は改善せず、2月9日脳波検査を行い平坦脳波であることを確認し、家族に回復の可能性が低い状態であることを説明した。10日20:00頃の頭部CTでは、びまん性脳腫脹が認められた。

1.1.2. 診断の妥当性
   本例は突然の呼吸困難から呼吸停止、心停止に至り、救急車によって速やかに搬送されて、蘇生治療を受けているが、回復しなかった。32歳より気管支喘息に対する治療を受けており、喘息発作による呼吸停止とそれに続発する心停止であったことは間違いない。脳死に至った原因は、無酸素脳症によるびまん性脳腫脹となり、頭蓋内圧亢進のため脳死状態となったものと診断できる。
 以上の所見及び臨床症状から、気管支喘息発作による呼吸停止とそれに続発する心停止後の蘇生後脳症と診断したことは妥当である。

1.1.3. 保存的治療を行ったことの評価
   病院到着後、直ちに心肺蘇生術が行われ、静脈確保による輸液、薬剤投与による気管支喘息治療、挿管による呼吸管理等、最も一般的な治療が迅速かつ十分に行われた。
 なお、2月5日夜より38度以上の発熱があり、蘇生術中の嘔吐や胸部X線検査等から誤嚥性肺炎が疑われ、抗生剤が投与された。
 以上を踏まえれば、本症例において入院時から脳死状態に至る治療には、必要と考えられることがすべて行われており、保存的治療を行った判断は妥当である。

1.2. 呼吸器系の管理
   患者は32歳時より気管支喘息の診断の下に内服と吸入治療を目的とした通院歴がある。この間に慢性閉塞性肺疾患(COPD)の合併を指摘されたことはない。入院当日(2月5日)の朝10時頃に気管支喘息発作を発症し、救急隊が現場に到着した時(10:10)には心肺停止状態であった。来院時(10:26)も同様であり、一連の蘇生術ならびに喘息治療に反応しないために、蘇生室にてPCPSの使用(11:01〜13:37)とセボフルランの吸入(11:02〜12:30)とを行い、一次蘇生と喘息発作の寛解とを得た後に、ICUに入室した(14:17)。
 呼吸器系の管理については、当初より気管挿管の下に管理され、12:30頃から自発呼吸がみられたので、ICU入室後は人工呼吸器装着下で自発呼吸を観察しつつ、CPAP(Continuous Positive Airway Pressure 持続的陽圧呼吸)3cmH2O(PS (Pressure Support) 10cmH2O)にて管理を行った。当初は FiO2(吸入気酸素濃度)は1.0で、その後0.7、夕刻から0.4とした。当初から著しい呼吸性及び代謝性アシドーシスであったが、治療により呼吸性アシドーシスが改善され、引き続いて代謝性アシドーシスも改善した。これらにより喘息の発作とそれによる循環不全とは小康状態を得たと判断できた。
 2月5日20:00の瞳孔は両側3mm大で、対光反射も回復したが、2月6日5:00に急激に血圧が低下した。昇圧剤などにより循環状態は回復したが、その後は再び深昏睡に陥り、自発呼吸も対光反射も消失した。その後のICU管理は人工呼吸器によるCMV(Continuous Mandatory Ventilation 持続強制換気)となり、FiO2 0.4、PEEP(Positive endexpiratory pressure 呼気終末陽圧呼吸) 3〜5cmH2Oの条件下で推移した。体位交換やその他の呼吸管理、理学療法なども通常の水準で行われた。
 蘇生中の嘔吐のエピソードや、経過中の胸部X線検査において一部に無気肺を示唆する所見はあったが、喘息発作への治療やその他の呼吸管理については、妥当なものであったと評価できる。

1.3. 循環器系の管理
   心肺停止状態と引き続く著しい循環不全があり、病院到着後PCPSを使用した。このことや、その他の初期治療からICU入室までの治療については、前項の1.2.呼吸管理において述べた通りである。
 ICU入室後は神経学的にも僅かながら回復過程をみたが、2月6日5:00より急激な血圧の低下が見られた。心臓マッサージとノルアドレナリンなどの投与にて循環動態は回復した。心エコーからいわゆる「タコ壺型心筋症」の発症が疑われた。この時点から患者は再び深昏睡に陥り、自発呼吸も対光反射も消失した。
 循環管理は引き続きノルアドレナリンを持続的に用いながら、収縮期血圧110〜120mmHg、拡張期血圧60〜80mmHg、脈拍は概ね100/分を維持した。その後、2月6日〜7日には尿量の増加と尿比重の低下があり、尿崩症の合併が疑われ、2月7日よりピトレシン投与を開始した。ICUにおいて連続的に測定したCVP(central venous pressure 中心静脈圧)は概ね8〜10cmH2Oを示した。
 以上により、ICUにおける循環系の管理は適切に行われたと評価できる。

1.4. 水電解質の管理
   2月6日に尿崩症に伴う尿量増加により1日の水分出納は約2800ccの負となった。また、血清Na値は2月6日に156 mEq/L、2月8日に161 mEq/Lを示した。その後は徐々に低下傾向を示し、2月14日に152 mEq/Lとなっている。ICUにおける水分出納は、不感蒸散と代謝水とを考慮しても、ほぼ負の状態が続いている。
 治療当初からNaの値は149 mEq/Lを呈し、その後に引き続く脳腫脹ないし頭蓋内圧亢進への配慮があって、結局は正常値に至らなかったものと推測される。一方、血清K値は4.1〜5.1mEq/Lであり、治療過程のほとんどにおいて正常域にあった。
 以上により、水電解質は、蘇生後脳症の病態をなす脳腫脹ないし頭蓋内圧亢進への配慮があったことを勘案すれば、ほぼ妥当な水準に管理されていたと評価できる。

1.5. まとめ
   蘇生後脳症の治療過程において、一旦は自発呼吸や対光反射、意識レベルの改善(JCS200)が認められたものの、蘇生から10数時間後に急激な血圧低下と心筋壁収縮力の低下をみる循環不全(頭蓋内圧亢進に伴う、いわゆるタコ壺型心筋症の発症)を経て、そのまま脳腫脹から脳死に至ったと考えられる。
 蘇生後脳症の原因である気管支喘息の発作は救急隊が現場に到着した時点ですでに心肺停止状態となっていて、来院時においても同様であり、当初から極めて積極的で集中管理的な手法により蘇生がなされた。その後も、適切な呼吸・循環器系、その他の管理が行われたが、脳の虚血・再灌流に伴う病態の進展は、脳腫脹・頭蓋内圧亢進・脳ヘルニアと悪化した。これら蘇生後脳症としての一連の悪化の過程は、他のいかなる治療方法を持っても救命できなかったと考えられ、本症例における診断や治療は妥当である。


2. 臨床的脳死の診断及び法に基づく脳死判定に関する評価

2.1. 脳死判定を行うための前提条件について
   本症例は2月5日の気管支喘息発作後蘇生後脳症で、2月6日5:00にみられた急激な循環不全のエピソードを経てからは、深昏睡(JCS 300)となり、自発呼吸が消失した。同時に瞳孔散大(6mm/ 6mm)し、対光反射も消失した。以後も引き続きこの状態であり、尿崩症の合併により脳ヘルニアの更なる悪化が示唆された。そして2月9日に平坦脳波が確認された。2月10日の頭部CTでは皮髄境界の不鮮明なびまん性脳腫脹を認めた。2月14日13:30に臨床的脳死と診断した。同日16:00、脳血流シンチグラムにてhalo-ring sign(脳死においては、放射性同位元素が頭蓋内に入らず、頭蓋外にのみ分布するので、環状の像が得られ、それが光輪のように見える。)の所見を得て「Non-filling」であることを確認した。
 臨床的脳死診断に含まれる脳波所見は、薬物の影響が排除できた2月9日の時点において得られている。すなわち本症例では人工呼吸器による管理は長いが、筋弛緩薬や抗痙攣薬は投与されていない。また、全身麻酔薬のプロポフォールとセボフルランは使用を中止してからそれぞれ約78時間及び約94時間を経過している。なお2月9日以降2月14日に臨床的脳死と診断するまでの間、神経所見等には変化がみられていない。
 2月14日22:49に第一回法的脳死判定を開始し15日1:34に終了、約6時間後の15日7:55に第二回法的脳死判定を開始し、10:12に法的脳死判定を終了している。
 本症例は、上述の経過概要の記述にあるように、脳死判定の対象としての前提条件を満たしている。すなわち
 1)深昏睡であり、脳幹反射が消失し、無呼吸状態で人工呼吸器の管理下にある。 平成17年2月6日5:00から、深昏睡及び人工呼吸が臨床的脳死の診断開始(脳波測定)までに約78時間継続している。
 2)原因、臨床経過、症状、画像診断等から脳の二次性の器質的病変であると判断できる。
 本症例の臨床経過は、気管支喘息発作による心肺停止に対し蘇生処置が行われ、蘇生はしたものの、長時間の脳虚血による蘇生後脳症に至ったことは明白である。
 3)診断、治療を含む全経過からすべての適切な治療を行っても回復の可能性は全くなかったと判断される。

2.2. 臨床的脳死診断
〈検査所見及び診断内容〉
検査所見(2月9日10:40から2月14日13:30まで)
  体温:38.8℃(腋窩) 血圧:110/72mmHg
JCS:300
自発運動:なし  除脳硬直・除皮質硬直:なし  けいれん:なし
瞳孔:固定し瞳孔径 右5.0mm 左5.0mm
脳幹反射:対光、角膜、毛様体脊髄、眼球頭、前庭、咽頭、咳反射すべてなし
脳波 平坦脳波(ECI)に相当する。(標準感度 10μV/mm、高感度 2μV/mm)(2月9日10:40〜11:10)
施設における診断内容
 以上の結果から、臨床診断として、気管支喘息発作・心肺停止・蘇生後脳症から脳死に至ったと診断して差し支えない。

2.2.1. 脳波
   2月9日10:40から同11:10までの記録が行われた。電極配置は、国際10-20法のFp1、Fp2、C3、C4、T3、T4、O1、O2、A1、A2であり、単極導出(Fp1-A1、Fp2-A2、C3-A1、C4-A2、O1-A1、O2-A2、T3-A1、T4-A2)と双極導出(Fp1-C3、C3-O1、Fp2-C4、C4-O2)で記録されている。記録感度は標準(10μV/mm)と高感度(2μV/mm)、刺激としては呼名・疼痛刺激、心電図と眼球運動の同時モニターが行われている。心電図、静電・電磁誘導によるアーティファクトが重畳しているが、これらの判別は容易である。脳由来の波形を認めず、平坦脳波(ECI)に該当する。

2.3. 法に基づく脳死判定
〈検査所見及び判定内容〉
検査所見(第1回)(2月14日22:49から15日1:34まで)
  体温:38.9℃(腋窩) 血圧:112/69mmHg(開始時) 195/101mmHg(終了時)
脈拍数:107/分(開始時) 131/分(終了時)
JCS:300
自発運動:なし  除脳硬直・除皮質硬直:なし  けいれん:なし
瞳孔:固定し瞳孔径 右7.0mm 左6.0mm
脳幹反射:対光、角膜、毛様体脊髄、眼球頭、前庭、咽頭、咳反射すべてなし
脳波 平坦脳波(ECI)に相当する。(標準感度 10μV/mm、高感度2μV/mm)
無呼吸テスト:
  (開始前) (3分後) (6分後) (判定終了後)
 PaCO2 48 74 94
 PaO2 340 322 311
 血圧 112/69 128/75
 SpO2 100 100 100 97
聴性脳幹反応:I波を含むすべての波を識別できない。
検査所見(第2回)(2月15日7:55から同10:12まで)
  体温:38.7℃(腋窩) 血圧:126/81mmHg(開始時) 247/135mmHg(終了時)
脈拍数:104/分(開始時) 123/分(終了時)
JCS:300
自発運動:なし  除脳硬直・除皮質硬直:なし  けいれん:なし
瞳孔:固定し瞳孔径 右7.0mm  左6.5mm
脳幹反射:対光、角膜、毛様体脊髄、眼球頭、前庭、咽頭、咳反射すべてなし
脳波 平坦脳波(ECI)に相当する。(標準感度 10μV/mm、高感度2μV/mm)
無呼吸テスト:
  (開始前) (2分後) (4分後) (判定終了後)
 PaCO2 48 69 83
 PaO2 352 350 312
 血圧 126/81 247/135 80/58
 SpO2 100 100 100 98
聴性脳幹反応:I波を含むすべての波を識別できない
施設における診断内容
 以上の結果より
第1回目の結果は脳死判定基準を満たすと判定できた( 2月15日1:34)
第2回目の結果は脳死判定基準を満たすと判定できた( 2月15日10:12)

2.3.1. 脳波
   第1回目は2月14日23:31から15日0:25まで、及び第2回目は2月15日8:15から同9:07まで、いずれも30分以上の記録が行われている。電極配置は、国際10-20法のFp1、Fp2、C3、C4、T3、T4、O1、O2、A1、A2であり、単極導出(Fp1-A1、Fp2-A2、C3-A1、C4-A2、O1-A1、O2-A2、T3-A2、T4-A1、A1-A2、Fp1-01、Fp2-O2)と双極導出(Fp1-C3、Fp2-C4、C3-O1、C4-O2、Fp1-T3、Fp2-T4、T3-O1、T4-O2、A1-C3、C3-C4、C3-A2、T3-T4)で記録されている。第1回目、第2回目ともに記録感度は標準(10μV/mm)と高感度(2μV/mm)、刺激としては呼名・疼痛刺激、心電図と頭蓋外導出による同時モニターが行われている。いずれにおいても心電図、静電・電磁誘導によるアーティファクトが重畳しているが、これらの判別は容易である。脳由来の波形を認めず、平坦脳波(ECI)に該当する。

2.3.2. 聴性脳幹反応
   第1回、第2回判定ともに行われている。
 両耳刺激、最大音圧刺激(85dB)、電極配置(Cz-A1、Cz-A2)、加算回数1000回により記録され、いずれの記録においてもI波を含む全ての波を識別できない。

2.3.3. 無呼吸テスト
   第1回法的脳死判定及び第2回法的脳死判定いずれにおいても、テスト開始時のPaCO2は48mmHgとなっているものの、2回とも必要とされるPaCO2のレベルを得て終了している。
 なお、第1回法的脳死判定において開始3分後、第2回法的脳死判定において開始2分後のPaCO2のレベルは目標値に達しているが、いずれも検査結果を得るための時間を数分要したことから、PaCO2が結果として80mmHgを超えたことは、やむを得なかった。なお、テスト中、血圧上昇を認めているが不整脈等の出現はみられず、低酸素等の出現も認めなかった。

2.4. まとめ
   本症例の脳死判定は、脳死判定承諾書を得た上で、指針に定める資格を持った専門医が行った。法に基づく脳死判定の手順、方法、結果の解釈に問題はなく、結果の記載も適切であった。
 以上から本症例を法的に脳死と判定したことは妥当である。

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