第1章  救命治療、法的脳死判定等の状況の検証結果

1.  初期診断と治療に関する評価

 1.1.  脳神経系の管理

  1.1.1. 経過
   平成16年6月29日午前8時頃に自宅で倒れているところを発見され、救急車で9:28に当該病院救急外来に到着した。来院時、血圧110/70mmHg、意識水準JCS 30で、瞳孔径は左右とも3.0mm、対光反射が認められ呼吸も規則的であった。10:47に施行された頭部CTでは、左後頭葉に脳梗塞を認めた。14:49に施行された頭部MRIでは左後頭葉、両側小脳半球、脳幹に脳梗塞を認め、MRAでは椎骨・脳底動脈系の描出不良に加えて左後大脳動脈の閉塞が認められた。15:20にはJCS 200で瞳孔径は左右とも2.5mmとなった。17:40に施行した脳血管撮影では右椎骨動脈の後下小脳動脈より遠位部での閉塞、脳底動脈狭窄、左後大脳動脈閉塞を確認した。18:30より血管内治療にて椎骨・脳底動脈系の血行再建を行ったがクモ膜下出血がみられた。18:50に自発呼吸停止、意識水準JCS 300、瞳孔径は左右とも2.0mm、対光反射なく深昏睡と判定した。再度19:08に施行された頭部CTでは、脳底槽、シルビウス裂内のくも膜下出血および造影剤の血管外漏出、梗塞部の脳腫脹の増悪、天幕上脳室の拡大が認められた。20:00より後頭蓋窩減圧術を施行したが手術後に症状の改善は認められなかった。6月30日2:00には瞳孔不同が出現、15:00には両側瞳孔が散大した。

  1.1.2. 診断の妥当性
   以上の所見及び臨床症状から、脳梗塞と診断しているが、本症例における診断法の選択及び診断は妥当である。

  1.1.3. 手術的治療を行ったことの評価
   本症例は来院時、意識水準JCS 30で、瞳孔径は左右とも3.0mm、対光反射が認められ呼吸も規則的であったが、すでに頭部MRIでは左後頭葉、両側小脳半球、脳幹に脳梗塞を認めていた。脳血管撮影では椎骨・脳底動脈の血行不全があり、血管内治療にて血行再建を行った。しかし、病状はさらに悪化し、引き続いて施行された後頭蓋窩減圧術も臨床症状の悪化を阻止できなかった。
 以上の臨床経過、CT・MRI所見及び脳血管撮影所見等から、血行再建術や後頭蓋窩減圧術などの治療法を試みた。それらが有効でなかったことを確認した後、循環呼吸管理などの保存療法を行った判断は適切である。

 1.2.  呼吸器系の管理
   6月29日9:01救急隊現場到着時から病院到着後、救急外来においても、自発呼吸があり、SpO2値は98%であったため、補助呼吸は必要がないと判断された。
 同日18:50、自発呼吸が停止し、気管挿管され調節呼吸を受ける。
 減圧開頭のため手術室にて19:20から人工呼吸管理開始。術後は人工呼吸器により、FiO2 0.4、分時換気量、5.0L/分、(呼吸数10/分)、PEEP 4cmで換気された。この換気条件を脳死判定まで継続したが、経過中のOxygenation Indexは400〜500mmHgと酸素化能は良好で呼吸管理には問題はなかった。

 1.3.  循環器系の管理
   6月29日9:28、来院時血圧は110/70mmHg、心拍数は68/分。その後CT、MRI検査を経て、脳血管撮影を行うが、18:30まで収縮期血圧が120mmHg前後で安定して推移した。
 18:50脳血管内手術操作中に収縮期血圧が160mmHgへと上昇し、ほぼ同時刻に呼吸停止、19:00には一転して95/50mmHgと低下した。減圧開頭術中、術後も収縮期血圧は90mmHg台とおおむね安定していた。6月30日、家族同意の下、積極的治療を断念してドパミンを中止し、収縮期血圧は44mmHgに低下した。その後7月3日まで、収縮期血圧は50mmHg前後で低いながらも安定して推移した。
 7月4日よりノルアドレナリン等の昇圧剤投与を再開し、収縮期血圧は100mmHgに回復した。以上より、適切な循環動態が維持されたと判断できる。

 1.4.  水電解質の管理
   入院当日の診断にてグリセオール、輸液等による積極的治療を行ったが全く改善の傾向がないため、6月30日からの尿崩症に対しても最小限の輸液投与としたことから、循環血液量は減少、血圧は低下し、7月1日以降、乏尿ないし無尿の状態で経過したが、7月4日より輸液、昇圧剤投与によって血圧は改善、維持され、尿量も回復した。
 電解質に関しては、搬入直後のNaは138mEq/L、経過中のNaの最高値が151mEq/L(6月29日)、最低値が145mEq/L(7月4日)で推移し、脱水に伴い上昇したものの、その後容易に改善された。また血清Kも、搬入直後はK 3.7mEq/L、最高値が4.9mEq/L (7月4日)、最低値が3.5mEq/L(6月30日)と脱水に伴い上昇したものの、容易に改善して大きな異常は示さなかった。以上より、水電解質の管理は妥当であったと判断できる。

 1.5.  まとめ
   本症例は、椎骨・脳底動脈血行不全による脳梗塞急性期の症状増悪過程で当該病院に救急搬送され、積極的な治療が施行されたにもかかわらずその効果を得るに至らなかったものである。すなわち、当該病院に到着後、椎骨・脳底動脈閉塞に対して血管内治療による血行再建術や後頭蓋窩減圧術を行ったが、病状の進行を阻止しえず不可逆的な脳機能喪失状態に陥ったものであり、本症における診断や治療は妥当である。


2.  臨床的な脳死の診断及び法に基づく脳死判定に関する評価

 2.1.  脳死判定を行うための前提条件について
   本症例は平成16年6月29日8:00頃に自宅で倒れているところを発見され、救急車で酸素吸入を受けながら当該病院救急外来に到着した。外来時、意識水準JCS 30で、瞳孔径は左右とも3.0mm、対光反射が認められ呼吸も規則的であった。直ちに施行された頭部CT、頭部MRI、MRAで椎骨・脳底動脈系の脳梗塞が認められた。その間、意識水準はJCS 200と悪化したが、引き続いて施行した脳血管撮影で椎骨・脳底動脈閉塞症と診断したため、血管内治療にて椎骨・脳底動脈系の血行再建を施行した。しかし、18:50には意識水準JCS 300、瞳孔径は左右共2.0mm、対光反射はなく深昏睡となった。同時に自発呼吸停止が確認され、気管挿管を行い人工呼吸が開始された。直ちに後頭蓋窩減圧術を施行したが症状の改善は得られなかった。6月30日2:00には瞳孔不同が出現し、15:00には両側瞳孔が散大した。上述の経過から、器質的脳障害により深昏睡及び無呼吸に至った症例と判定された。7月4日4:07臨床的脳死と診断されている。同日14:00第一回法的脳死判定を開始し、約8.5時間後に第二回法的脳死判定を行い、7月5日0:34に法的脳死判定を終了している。
 なお本症例では、臨床的脳死診断に際して収縮期血圧が90mmHg未満であり、血圧に係る生命徴候の確認の条件が満たされていない。法的脳死判定の際には二回とも当該条件を満たしているものの、臨床的脳死診断の際にもこの条件を満たすことが望ましかった。また、6月29日に、フェニトイン(250mg)が一回投与されたが、臨床的脳死診断の開始まで約4日が経過しており、脳死判定への影響はないと考えられる。
 本症例は、上述の経過概要の記述にあるように、脳死判定の対象としての前提条件を満たしている。すなわち

 1)  深昏睡及び無呼吸で人工呼吸を行っている状態が継続している。
 平成16年6月29日18:50に深昏睡が確認されており臨床的脳死の診断開始までに約103時間経過し、機械的人工呼吸開始から臨床的脳死の診断開始までに約103時間経過している。
 2)  原因、臨床経過、症状、CT等の所見から脳の一次性、器質的病変であることは確実である。
 3)  診断、治療を含む全経過からすべての適切な治療を行っても回復の可能性は全くなかったと判断される。

 2.2.  臨床的脳死診断
〈検査所見及び診断内容〉
検査所見(7月4日2:30から4:07まで)
体温 36.3℃ 血圧50/32mmHg
JCS 300
自発運動:なし 除脳硬直・除皮質硬直:なし けいれん:なし
瞳孔:固定し、瞳孔径 右9.0mm 左10.0mm
脳幹反射:対光、角膜、毛様脊髄、眼球頭、前庭、咽頭、咳反射のすべてなし
脳波:平坦脳波に該当する(感度5μV/mm)
施設における診断内容
以上の結果から臨床的に脳死と診断して差し支えない

  2.2.1. 脳波
   7月4日3:04から同3:37まで、30分以上の記録が行われている。電極配置は、国際10-20法のFp1、Fp2、F7、F8、Fz、C3、C4、Cz、T3、T4、T6、P3、P4、Pz、A1、A2であり、単極導出(Fp1-A1、Fp2-A2、C3-A1、C4-A2、P3-A1、P4-A2、F7-A1、F8-A2、T3-A1、T4-A2)と双極導出(Fp1-F7、F7-T3、Fp2-F8、F8-T4、T4-T6、F8-T6)で記録されている。記録感度は5μV/mmのみであり、心電図と頭部外導出による同時モニターは行われていない。刺激としては呼名・疼痛刺激が行われている。心電図の混入と考えられるものと、顔面への刺激によるものと思われるアーチファクトが重畳しているが、脳由来の波形を認めず、平坦脳波と判定している。
 臨床的脳死診断の際にも、高感度による脳波検査と心電図および頭部外導出による同時モニターを行うことが望ましかった

 2.3.  法に基づく脳死判定
〈検査所見及び判定内容〉
検査所見(第1回) (7月4日14:00から16:25まで)
体温:36.3℃ 血圧:97/63mmHg 心拍数:135/分
JCS:300
自発運動:なし 除脳硬直・除皮質硬直:なし けいれん:なし
瞳孔:固定し、瞳孔径 右8.0mm 左8.0mm
脳幹反射:対光、角膜、毛様脊髄、眼球頭、前庭、咽頭、咳反射すべてなし
脳波:平坦脳波に該当する(標準感度10μV/mm、高感度 2μV/mm)
無呼吸テスト:陽性
  (開始前) (2分後) (4分後) (6分後) (終了後)
PaCO2 41 53 61 63  
PaO2 506 498 499 452  
血圧 108/69   100/55 86/52 90/55
SpO2 100 100 100 100 100
聴性脳幹反応:I波を含むすべての波を識別できない
検査所見(第2回) (7月4日22:35から7月5日0:34まで)
体温:36.1℃ 血圧:131/83mmHg 心拍数:107/分
JCS:300
自発運動:なし 除脳硬直・除皮質硬直:なし けいれん:なし
瞳孔:固定し、瞳孔径 右8.0mm 左8.0mm
脳幹反射:対光、角膜、毛様脊髄、眼球頭、前庭、咽頭、咳反射すべてなし
脳波:平坦脳波に該当する(標準感度10μV/mm、高感度 2μV/mm)
無呼吸テスト:陽性
  (開始前) (2分後) (4分後) (6分後) (終了後)
PaCO2 41 54 61 68  
PaO2 568 531 507 504  
血圧 130/84     105/65  
SpO2 100 100 100 100 100
聴性脳幹反応:I波を含むすべての波を識別できない
施設における判定内容
以上の結果より、
第1回目の結果は脳死判定基準を満たすと判定(7月4日16:25)
第2回目の結果は脳死判定基準を満たすと判定(7月5日0:34)

  3.2.1. 脳波波
   第1回目は7月4日14:48分から15:35分まで、及び第2回目は7月4日23:15から同23:51まで、いずれも30分以上の記録が行われている。電極配置は、いずれも国際10-20法のFp1、Fp2、C3、C4、Cz、T3、T4、O1、O2、A1、A2であり、単極誘導(Fp1-A1、Fp2-A2、C3-A1、C4-A2、O1-A1、O2-A2)と双極導出(T3-Cz、T4-Cz、Fp1-C3、Fp2-C4、C3-O1、C4-O2)で記録されている。第1回目、第2回目ともに記録感度は標準(10μV/mm)と高感度(2μV/mm)、刺激として呼名・疼痛刺激、心電図と頭部外導出による同時モニターが行われている。いずれにおいても心電図、静電・電磁誘導によるアーチファクトが重畳しているが、これらの判別は容易である。脳由来の波形を認めず、平坦脳波に該当する。

  3.2.2. 聴性脳幹反応
   第1回目・第2回目法的脳死判定のいずれにおいても、I波を含む全ての波を識別できず、無反応と判定できる。

  3.2.3. 無呼吸テスト
   2回とも必要とされるPaCO2レベルを得てテストを終了している。

  2.4.  まとめ
   本症例の脳死判定は脳死判定承諾書を得た上で、指針に定める資格を持った専門医が行っている。法に基づく脳死判定の手順、方法、結果の解釈に問題はなく、結果の記載も適切である。以上から本症例を法的に脳死と判定したことは妥当である。

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